#ダメなものはダメ ――#社会には #最低限の常識 #というものがあります――
#ダメなものはダメ
――#社会には #最低限の常識 #というものがあります――
#わたくしたちが守らないと、#これもなくなりますよ
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東京都知事選挙で、蓮舫さんが立候補の意思を固めたそうですが、それ以降、「蓮舫は批判ばかり」という趣旨の「批判」が、訳の分らない人たちの手で広まっています。
そもそも、「批判ばかり」というのも「批判」ですし、そればかりをネタにし続けるのは、正に「批判ばかり」していることになりますから、蓮舫批判そのものが論理的に破綻しています。
ここで「批判ばかり」という言葉を使う人たちの真意は、正論を述べる人たちに対する苛立ちを効果的な言葉で表したいということでしょう。そして口を封じたい。
かつては、つまり30年以上前に、社会党に対してこの言葉が投げ掛けられたことがありました。それに対して社会党の迷走が続いて、分裂、現在は社民党に引き継がれていますが、ノスタルジアを込めて、当時の社会党が果した役割にスポットライトを当てておきましょう。
土井たか子さんの言葉で、日本中がすっきりし、日本社会を改革しようという大きな力になったのは、「ダメなものはダメ」でした。批判だけをしているのではなく、「ダメなものはダメ」とハッキリ発言することが重要だったのです。
それが今の世の中では、「何でもあり」になってしまっているではありませんか。政治だけではなく、企業の不正は後を絶たず、犯罪も想像を絶するレベルに達しています。そのプレーヤーたちに共通しているのは、「反省」という態度さえ見えないことです。
問題を広げてしまうことになるかもしれませんが、その原因の一つは、社会全体のネジが緩んでいるからなのではないかと考えています。私たち一人一人についての状況に翻訳すると、私たちの体の中に、本来備わっているべき「ダメなものはダメ」という物差しがなくなっているから、あるいはその感度が悪くなっているからなのではないでしょうか。
「ダメなものはダメ」を復権させましょう。
今日一日が皆さんにとって素晴らしい24時間になりますよう
[2024/6/12 人間イライザ]
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