#日露戦争後 の #対日評価 ―― #称賛 と #差別 と、#両極端に分かれます――
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―― #称賛 と #差別 と、#両極端に分かれます――
加藤陽子著『それでも日本人は「戦争」を選んだ』
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前回は、日露戦争に勝利した日本ではどのような教育をしているのか、という疑問に対する答として、「教育勅語」を外国語に翻訳して海外に知らせたということを取り上げました。でもその他の理由もありました。
その一つは不平等条約の改正です。簡単な説明は、ブリタニカ国際百科事典の解説を御覧下さい。
1854年の日米和親条約以来、治外法権や最恵国待遇等の点で不平等な国際条約に縛られていた明治政府の悲願の一つが条約改正でした。それは、1911年に実現したのですが、そのための対策の一つが、日本国内の法的整備であり、さらに日本が欧米諸国と肩を並べられる文明度を持つ国家であることを示すことでした。
憲法の制定、刑法や民法、商法等の整備は前者の一部でしたし、鹿鳴館外交や鹿鳴館時代と呼ばれる努力は後者の典型でした。教育勅語の内容を海外に伝えることは、その両者の意味を持っていたと思われます。
条約改正に、日露戦争の勝利が役立ったのは勿論です。それは、日本の前向きのイメージが世界に広まったからなのですが、トルコの革命にはもっと直接的な影響を与えています。加藤陽子著の『それでも日本人は「戦争」を選んだ』(朝日出版社、2014年)から引用します。[加藤さんは菅内閣の時に学術会議の委員に任命拒否されたくらい立派な方です。]
1905年、白色人種でキリスト教徒の国であるロシア帝国に、黄色人種で非キリスト教徒の、遅れてきた帝国である日本が、ぎりぎりの勝利でしたが、とにかく勝利した。このことが、半植民地状態あるいは植民地の立場たにあった東アジアの国々だけでなく、近代国家への歩みを始めたトルコにも強い影響を及ぼしました。トルコの革命家、ケマル・アタチュルクに影響を与えたのは事実です。
近代的憲法を持った国 (日本).は、憲法のない国(ロシア)よりも強い、識会を開設している国(日本)は、議会のない国(ロシア)よりも強い。このような教訓が、世界に伝わったと考えられます。ケマル・アタチュルクは1905年に陸軍学校を卒業して、参謀大尉になった後、「祖国自由団」を組織して政治運動に入っていき、最終的には、23年にトルコに共和制をしき、初代大統領になった人物です。
残念ながら、白人国家ではそんなに素直な受け止め方ではなかったようです。今でも人種問題が深刻なアメリカでの状況を、これも加藤さんの説明で理解しておきましょう。
1891年から1906年の間に数千人の日本人移民がカリフォルニアに渡っていました。カリフォルニアでは、日本人移民に対して、低賃金で働き、アメリカ社会の一体性を混乱させる者と決めつけ、06年には日本人学童の公立学校への入学拒否、07年には日本人移民を排所する条項(ハワイ、メキシュ、カナダなど米国本土以外を経由した日本人移民を排斥する条項)を含む連邦移民法も可決されてしまいます。ロシアを打ち負かした好戦的な国家というイメージが、急速にアメリカ社会のなかでふくらんでいったことがわかるでしょう。
このことを加藤さんは「ウォー・スケア」と表現しています。「日本人が海を越えて襲ってくるのではないか、戦争が始まるのではないか、との根拠のない怖れ」のことです。アメリカでは、今でも日本人と中国人が同一視されることが多くありますが、1906年のサンフランシスコ地震の後のアメリカでは、丁度、関東大震災後に、日本で朝鮮人や中国人を虐殺したのと同じことが起っています。
その背景には、「ふだん虐げられている朝鮮人が日本人を襲ってくるかもしれない」という「根拠のない流言」があった、と加藤さんは診断していますが、根拠がないのは、結論部分で、前半が事実だったからこそ、そんな流言が生まれたことを忘れるべきではない、という警告です。
このような状況を前に、国際的な場で活動していた日本のリーダーたちが、一方では、肯定的に評価される日本像をより輝かしいものにすること、できれば欧米諸国より優れた国家であることを示したいという願望が元になり、他方では、差別の対象になる日本人や日本文化の本質的な良さを広めて、誤った日本像を修正したい、と考えたとしても不思議ではありません。
そのために動員されたものの一つが教育勅語だと考えられますが、実際に当事者の誰かがそう考え実行したという証言を探しています。現時点では、日本政府ならびに外務省がそう考えて教育勅語を世界的に拡散する努力をしたということは、一つの「仮説」として、考え、それに基づいた考察を展開します。
[注記: この中で取り上げた、『それでも日本人は「戦争」を選んだ』はお勧めです。まだの方は一読をお勧めします。]
2024年も言葉を大切にして、知的にも情緒的にも誠実さが輝く年にすべく頑張りましょう。
[2024/3/22 人間イライザ]
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