社会的責任

2023年12月23日 (土)

#車種別 の #事故統計 を公開して下さい ――全てを #高齢者 のせいにするのではなく、マツダのように車の構造にも目を向けるべきなのでは――

#車種別 の #事故統計 を公開して下さい

――全てを #高齢者 のせいにするのではなく、マツダのように車の構造にも目を向けるべきなのでは―

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読売新聞の御堀さん記事から

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ダイハツの検査不正が大きく報道されている理由の一つは、その結果として事故が起き人的または物的な被害の生じる可能性がより高くなるからです。

そして、こうした被害の原因の一つとして脚光を浴びてきたことの一つがブレーキとアクセルの踏み違いです。さらに、高齢のドライバーによる踏み違い事故が圧倒的に多いという「神話」が作られ、その結果として「運転免許の返納」があたかも高齢者の義務であるかのようなキャンペーンさえ張られています。

私自身、自分の身体能力が経年劣化していることは良く分りますので、車の運転には特に注意が必要であることに異論はありません。それを確実にするために免許証を返納するという手段も否定はしません。

しかしながら、社会全体で車による事故や悲劇を減らすために、高齢者だけに原因があるかのような論調を強める以上に大切なことがあるように感じています。例えば、ここで提案しているのは、車種別の事故数を多くの人に分る形で公開することですが、その一例を読売新聞からの引用でお伝えします。御堀直嗣さんが、2017年にマツダ開催の車の安全技術に関する体験会で得た情報を元にした記事です。

その中で、12年以降に発売された新型のマツダ車と、それ以前に発売された旧型のマツダ車との比較で、二点重要な防止策に言及しています。

一つは、マツダの新型車では「オルガン式」と呼ばれるアクセルペダルになっていて、その方が、踏み間違いの可能性が低いということです。

もう一つの方は、数字による比較ができますので、より説得力があるのですが、その違いは

「マツダの新型車は、運転者が座った姿勢で真っすぐ右足を伸ばしたところにブレーキとアクセルペダルが配置される車体構造としている。一方、吊り下げ式のアクセルペダルとブレーキペダルを採用するクルマでは、ペダルが全体的にやや左寄りに配置されている場合が多い。」

この記事にアクセスして、この違いを示した図を含めた全文をお読み頂きたいのですが、

「マツダによると、新型車になってから、ペダルの踏み間違いが原因と見られる死傷事故の件数は、旧型車の頃に比べて86%も減ったという」ことなのだそうです。

さて、このようなデータが手に入れば、次に車を買うときには、アクセルペダルはオルガン式、そしてアクセルとブレーキの位置が、身体の真ん前にあるような車種を選ぶことになるのが合理的です。私たちのほとんどは、より安全な車を選びたいと考えているはずですので、このようなデータをもっと広めて欲しいと思うのが人情でしょう。

それをまとめて、「車種別」の「事故統計」と呼びましたが、マツダの数字だけでも私たちには十分役に立ちます。

 

最後に皆さんにとって、今日一日が素晴らしい24時間でありますよう!  

 [2023/12/23 人間イライザ]

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2023年12月11日 (月)

#科学者の社会的責任 について、#藤永茂 博士の結論 ――#オッペンハイマーを知っていますか?――

#科学者の社会的責任 について、#藤永茂 博士の結論

――#オッペンハイマーを知っていますか?――

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藤永茂氏の著書の問

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唐木、武谷、そして藤永による物理学者の社会的責任についての引用を続けています。その理由の一つは、私たち人間の性として、自分自身を客観的に見ることが難しいからです。三氏の感情的なあるいは冷静な発言に触れることで、私自身、自らの考え方についての指摘であるかのような感慨を持つこともしばしばでした。

ということで今回は、藤永茂著の『ロバート・オッペンハイマー 愚者としての科学者』の「序」からの引用です。

ここで、この三氏だけではなく私たちが同じようなテーマで議論をするときに、何故「科学者」という言葉になってしまうのかという疑問を呈しておきましょう。科学者の中には、例えば生物学者も入るでしょうし、広く考えると数学者も入るという人もいるでしょう。そういう人たちについての記述はほとんどないだけではなく、物理学者と言っても、アインシュタイン、湯川秀樹、朝永振一郎、ロバート・オッペンハイマーくらいしか主要な登場人物がいないのに、「科学者」の社会的責任についての一般論になるのは何故なのでしょうか。

この疑問が主題ではありませんが、答の一部は見付けられます。それも含めて今回はかなり長いのですが、藤永茂博士の考察から学んで行きましょう。

私の世代で、物理学を学び、それを教えることで生計を立ててきた者ならば、核兵器の問題がいつも心のどこかに貼りついた感じでこの50年を生きてきたはずである。原爆を可能にしたのは物理学である。 原爆の開発を政府に進言し、それをロスアラモスの山中でつくり上げたのは物理学者である。 「原爆の父」 ロバート・オッペンハイマーは「物理学者は罪を知った。 これは物理学者が失うことのできない知識である」と言った。 湯川秀樹は核兵器を「絶対悪」であるとしてその廃絶を唱えた。文芸評論家唐木順三は、その「絶対悪」を生んだ物理学そのものも「絶対悪」であると考えた。ガンによる死の床から、唐木順三は湯川秀樹をはげしく糾弾した(遺稿、1980)。湯川が原水爆を絶対悪として平和運動を進める一方で、依然として物理学研究の喜びを語っていることが許せなかったのである。核兵器は悪いが、物理学は悪くない、ということがあり得るか。194510月ロスアラモスを去ったオッペンハイマーは、二度と核兵器の開発を手がけることはなかった。194710月プリンストンの高等学術研究所の所長となり、1948年には湯川秀樹を、1949年には朝永振一郎を客員教授として招いた。湯川(1949)、朝永(1965)のノーベル賞受賞はオッペンハイマーの推薦に負うところが少なくなかったとされている。1967年、オッペンハイマーは、核兵器は悪だが物理学は悪ではないと信じたままで世を去った。

私がロバート•オッペンハイマーに関心を持ってから20年はたつ。オッペンハイマー の名は科学者の社会的責任が問われる時にはほとんど必ず引き出される。必ずネガティヴな意味で、つまり悪しき科学者のシンボルとして登場する。オッペンハイマーに対置される名前はレオ・シラードである。シラードは科学者の良心の権化、「あるべき科学者の理想像」として登場する。このおきまりの明快な構図に、あるうさん臭さをかぎつけた時から、私の視野の中で原水爆問題を執拗に包みこんでいた霧が少しずつ晴れはじめたのであった。

この、大天才でも大サタンでもないただの一人の孤独な男を、現代のプロメテウス、ファウスト、メフィスト、フランケンシュタイン博士、はたまた狡猾な傭兵隊長(コンドティエーレ)、ハッカー・ネドリーのアイドルに仕立て上げ、貶める必要はどこから生じるのか。そうすることで、誰が満足を覚え、利益を得るのか?

私が見定めた答は簡単である。私たちは、オッペンハイマーに、私たちが犯した、そし て犯しつづけている犯罪をそっくり押しつけることで、アリバイを、無罪証明を手に入れようとするのである。オッペンハイマーは「原爆の父」と呼ばれる。これは女性物理学者リーゼ•マイトナーを「原爆の母」と呼ぶのと同じく愚にもつかぬ事だが、あえてこの比喩に乗りつづけるとすれば、オッペンハイマーは腕のたしかな産婆の役を果たした人物にすぎない。原爆を生んだ母体は私たちである。人間である。

「人は人に対して狼なり」という西洋の古い格言がある。人間が人間に対して非情残忍で あることを意味する。しかし狼は非情残忍な動物ではない。狼に対して失礼というものである。「人は人に対して人なり」と言うべきであろうと私は思う。人間ほど同類に対して残酷非情であり得る動物はない。人間が人間に対して加えてきた筆舌に尽くしがたい暴虐の数々は歴史に記録されている。それは不動の事実であり、人間についての、失うことのできない確かな知識である。

オッペンハイマーの生涯に長い間こだわりつづけることによって、私は、広島、長崎を もたらしたものは私たち人間である、という簡単な答に到達した。私にとって、これは不毛な答、責任の所在をあいまいにする答では決してなかった。むしろ、私はこの答から私の責任を明確に把握することができた。唐木順三の声高な非難にもはっきり答えることが出来るようになった。 「物理学を教えてよいのか、よくないのか」という切実な問題に対する答も出てきた。 「物理学は学ぶに値する学問である」。

私がこれからロバート・オッペンハイマーを描くことを試みるのは、オッペンハイマー を知る労もとらずに、オッペンハイマーの名と、彼が口にしたとされるいくつかのキャッチフレーズを勝手な方向に乱用する人たちの退路を断ちたいと思うからである。オッペンハイマーのステレオタイプをつくりあげた評伝の類は数々あるが、それに対しては、最近 亡くなった物理学者ユージン・ウィグナーの言葉を引用しておく。「彼の名は今ではかなり知れわたっているが、彼について一般に思われていることのほとんどは誤っている」。

『ロバート・オッペンハイマー 愚者としての科学者』からの引用は続きます。

 

最後に皆さんにとって、今日一日が素晴らしい24時間でありますよう!  

 [2023/12/11 人間イライザ]

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2023年12月10日 (日)

#武谷三男 博士の結論 ――#科学者の社会的責任 について――

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――#科学者の社会的責任 について――

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武谷三男氏の著書

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昨日の本欄では、武谷(前回に続いて敬称略)による朝永批判まで辿り着きましたが、今回はその続きです。『科学者の社会的責任--核兵器に関して』(勁草書房、1982年)の最後には武谷と哲学者の粟田賢三の対談が掲載されていて、その最後の部分が武谷の一番言いたいところです。その部分を以下、引用します。

粟田 まず価値観についていうと、私たちの価値観、 または価値意識は重層的構造をもっているのだと思います。手近かな例で言えば、 一家の主人にとっては家族の生活を維持することが一つの価値です。その人が会社に勤めている場合、会社を発展させてゆくことが価値になります。 このように一個人の生活の場面は、 つぎつぎにいわば層をなして拡がっていて、個人の価値意識は家族関係、職業上の関係、社会的な関係、国家との関係等々によって重層的になっているわけです。それに対応して家族に対する責任、職業上の責任、社会的責任、国家に対する責任、さらに大きく人類に対する責任という、 いろいろな段階の責任があるわけです。そして、例えば自分の勤めている会社への責任を果すことが、社会に対しては無責任になることもあるし、国家に対して責任をはたすことが、その国家を代表する政府の政策にしたがうことになる場合には、他国民への惨禍を招くことになることもあるわけです。

だから、今日では、科学者の責任はもう国家の枠をこえて、人類全体に対する責任になっていると思います。国家、というよりはそれを代表する政府の政策に反対することが、人類に対する責任をはたすことになる場合があるわけです。

 武谷 大いにあるわけですね。

 粟田 だから科学というものはそういう普遍性をもつようになっているものですから、 一国家の手段や道具になっては困るわけです。核戦争で人類が急速に死減してしまうか、環境破壊や資源の枯渇で人類がしだいに死滅に向かうかという危機に面しているのが現在の状況ですから、今日における科学者の責任、通常の市民とはちがう専門的知識をもつ者としての科学者の責任は、人類の存続にとって危険なことを予見し、それについて警告することだと思います。 またはっきり予見できない場合でも、危険の可能性が考えられる場合には、そのことを指摘することだと思います。

 武谷 ざんげしたりなんかしてもあまり意味がない()

 粟田 意味ないですよ。それより危険を警告することですよね。

 武谷 それがいちばん重大な問題だと思います。

 

後悔したり懺悔したりすることに意味はないという見解ですが、オッペンハイマーも、自分は遺憾の意を表したり後悔したりということは決してしなかった、という点を最後まで強調していました。それに付いては、本ブログの2023926日のエントリーをお読み下さい。

それは、物理学者の藤永茂氏の『ロバート・オッペンハイマー 愚者としての科学者』からの引用だったのですが、次の機会には藤永氏の結論を紹介したいと考えています。

 

最後に皆さんにとって、今日一日が素晴らしい24時間でありますよう!  

 [2023/12/10 人間イライザ]

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