#忖度しない #官僚組織
――#気象庁 #消防署 どちらも #命を救います――
天気図
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能登半島地震のような大災害でも、真のリーダーの不在が目立つ我が国政治を憂いつつ、それが官僚制度への過度の依存、そして「忖度」と深く関わっていることを改めて感じています。
対照的な理想像として、昨年没後100年という節目を迎えた広島初の総理大臣、加藤友三郎を思い起こしていますが、その詳細はまたの機会に延ばします。今回は「忖度」しない官庁もあるのだという視点から、我が国の政治改革のためのヒントを得たいと思います。
「忖度」という言葉が広く流布され始めたのは、2018年、森友学園事件がきっかけでした。「忖度」の結果として、文書の改竄がいとも簡単に行われることに私たちは唖然とし呆れ返ってしまいましたが、良心を持ち続けた職員が自らの責任を果そうとする意思は、権力の持つ大きな力に押し潰され、死を招くという事態まで引き起こしてしまいました。
その後も次々に安倍内閣の汚職・腐敗が表に出てきました。「もりかけさくら」が日本の政治を象徴する言葉になり、「忖度」の構造が日本社会を支えている基本的な価値観であることも明白になりました。
この点について、より深く理解するためには、「日本の美徳」と考えられてきた事どもが何かを振り返る必要もありますので、いずれ何回かに分けて分析します。今回は、その正反対の存在、つまり「忖度」しない官僚組織のあることを指摘した上で、官僚制度のあり方についての考察を始めます。
「忖度」しない官僚組織の典型的な例は、今、毎日のように活躍している気象庁と消防署です。政治家や権力者の言いなりにならないことは勿論ですし、権力者が何を望んでいるのかを逸早く察知してそれに沿った行動を取ることもありません。
それは、これらの組織の目的がハッキリしていてブレることがないからですし、その目的達成のための手段にも「忖度」の入る余地がないからです。目的を少し抽象的にまとめると、市民・国民の生命や財産、そして幸福追求の権利を守ることです。
この目的を達成するための、彼ら・彼女らの思考の原理が良識と論理、そして科学に根差していることも大切な要素なのではないかと思います。
でも、目的については考えるまでもなく、憲法13条が規定し、99条で官僚の義務として規定されていることに他ならないのですから、気象庁や消防署だけではなく、全ての官庁がこの通りの仕事をしていなくてはならないはずです。
ではその違いはどうして生ずるのでしょうか。「忖度」しない組織に属している人たちも、「官僚」と呼んで良い立場の人たちですが、彼ら・彼女らの思考の原理が良識と論理、そして科学に根差していることを挙げておきましょう。
もちろん、「忖度」する組織、あるいはしてしまう組織、中にはせざるを得ないような組織、と呼ぶべき官僚組織もあるでしょう。そして、こうした組織に属している「官僚」たちも、普通の意味では優秀な人たちが揃っているのですから、自らの思考の原理とはと問われたときに、全く同じことを答えるかもしれません。
それでも「忖度」についての違いが生じるのは、「当事者意識」の違いからいかもしれません。憲法と関連付けるとしたら、憲法15条の第2項を内面化できていないから、という説明になるのかもしれません。
憲法15条 第2項は「すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない」という規定です。
「全体」の中には社会的弱者と呼ばれる人たちも入っていますが、仮に公務員が一部のエリートたちに「忖度」して奉仕する羽目になった時、全ての人への義務を思い起こすためには、「人の痛みを感じられる心」が必要なのかもしれません。
この点を何時も強調していたのは、被爆者であり優秀な官僚でもあった、そして資料館の館長も務めた高橋昭博さんです。
高橋さんだけではなく、「官僚」の中には、「鏡」と呼ばれてもおかしくないような「全体の奉仕者」が多くいる事実を最後に指摘しておきます。だからこそ、希望を見出す努力が無駄ではないのです。
2024年のこれからも心配ですが、健康に留意しつつ、少しでも良い年にすべく頑張りましょう。
[2024/1/9 人間イライザ]
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