今、広島で起きていること (2)
――大阪講演報告5・「原爆の責任議論は棚上げ」した広島市――
「米国の責任議論は棚上げ」の意味を考えよう
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昨日のブログの最後に、「日本政府が「原爆投下は合法」だと考えているなどとは、ほとんどの人が知らないことらしいのですが、実は私はそのことにも吃驚しているのです。」と書きましたが、改めて、日本政府の意図を踏まえた事件が起きました。
一昨日、21日の広島市議会の一般質問で、広島の平和公園とホノルルのパールハーバー国立公園との姉妹公園協定が取り上げられました。
その件についての市側の答弁が、「協定は、原爆投下に関わる米国の責任の議論を現時点で棚上げにし、まずは核兵器の使用を二度と繰り返してはならないという市民社会の機運醸成を図るために締結した」(*)だったのだそうです。
これについての中国新聞の報道では、「被爆地には米国の投下責任を問う声が根強くあり、波紋が広がっている。」(*)とのことですが、意地悪くこの部分を読むと、被爆地以外では投下責任を問う声があまり大きくないという含意さえ読み取れます。
[ここで引用している二つの言葉には(*)を付けましたが、中国新聞のディジタル版からです。]
でもこのような報道も、日本政府が「原爆投下は合法だ」と考えており、多くの日本国民がそれを許しているという前提を設ければ、全く問題はありません。
しかしながら私には、国民が許しているのではなく、単に政府の姿勢を知らないだけなのではないかと見えますので、改めて、日本政府の考え方を、9月9日の大阪講演では資料としてのみお渡しした、下田判決の概要を示すことで知って頂きたいと思います。
東京地方裁判所は1963年12月7日に、「下田判決」として知られる判決を下しました。1955年(昭和30年)4月、広島の下田隆一さんら3人が、国を相手に東京地裁に損害賠償とアメリカの原爆投下を国際法違反とすることを求めて提起した訴訟の判決です。
その内容は、
- 原告の損害賠償請求は棄却。
- アメリカ軍による広島・長崎への原爆投下は国際法に違反する。
- 被爆者はアメリカに対する損害賠償請求権を持たない。
というものでしたが、裁判長は特に、次のようなコメントをしています。
「国家は自らの権限と責任において開始した戦争により、多くの人々を死に導き、障害を負わせ、不安な生活に追い込んだのである。しかもその被害の甚大なことは、とうてい一般戦災者の比ではない。被告がこれに鑑み十分な救済策を執るべきことは、多言を要しないであろう。それは立法府及び内閣の責務である。本訴訟をみるにつけ、政治の貧困を嘆かずにはおられない。」
この裁判は「 原爆裁判」としても知られていますが、被告としての日本政府の言い分は、「原爆投下は合法だ」なのです。裁判中の言い分を要約しておきましょう。
- 「原子爆弾使用の問題を、交戦国として抗議をするという立場を離れてこれを客観的に眺めると、原子兵器の使用が国際法上なお未だ違法であると断定されていないことに鑑み、にわかにこれを違法と断定できないとの見解」
- さらに「その当時原子兵器使用の規制について実定国際法が存在しなかったことは当然であるし、また現在においてもこれに関する国際的合意は成立していない」という理由で原爆使用の違法性を否定。
- またハーグ陸戦法規などの諸条約は原子兵器を対象とするものではないので無関係だという立場。
- 「敵国の戦闘継続の源泉である経済力を破壊することとまた敵国民の間に敗北主義を醸成せしめることも、敵国の屈服を早めるために効果があり」、広島・長崎への原爆投下も日本の屈服を早めて交戦国双方の人命殺傷を防止する効果を生んだと主張。
下田判決の原文コピーは、このサイトで読むことが可能です。
その後も、1994年には、外務省の高官が、「核兵器使用は国際法違反」と主張する輩は馬鹿だ、と発言していますし、1995年には、国際司法裁判所で広島・長崎市長が核兵器は国際法違反だと陳述するのを妨害しているなど、核兵器は国際法違反ではない(つまり合法である)、との主張は変えていません。
核兵器の保有や使用、威嚇等が国際法違反だとすると、当然、広島・長崎への原爆投下も違法になる訳ですから、この点は譲れないのでしょう。
政府・外務省が原爆投下は合法だと考えていることはお分り頂けたとして、「被爆地には米国の投下責任を問う声が根強くあり」と言われる、その広島の声を代弁すべき「広島市」がなぜ、「米国の責任の議論を現時点で棚上げにし」たのでしょうか。
長くなりましたので、次回に。
最後に皆さんにとって、今日一日が素晴らしい24時間でありますよう!
[2023/9/23 人間イライザ]
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