G7サミット

2023年10月 1日 (日)

投下責任の「棚上げ」と米政府、広島市・市長そして外務省 ――「本音が出ると大問題」を回避――

投下責任の「棚上げ」と米政府、広島市・市長そして外務省

――「本音が出ると大問題」を回避――

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慰霊碑に向って恥ずかしくない言動を!

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9月26日のこのブログでは、次のようにお約束しました。

「広島市と広島市長も得をする側なのかもしれません。長くなりますので、この点は次回以降に回します。」

「得をする」人たちの最初にアメリカ政府と、「Good War」を信奉する人たちを挙げておきましょう。平和公園とパール・ハーバー国立公園の姉妹公園協定を提案した人たちですし、「パール・ハーバー ()⇒ 原爆()」というシナリオを存続させるためには、広島市がその点についての反論を「棚上げ」すれば、自分たちの言い分が通るからです。

もう一点今までは触れてきませんでしたが、とても引っ掛かるマスコミ報道の仕方に注意喚起です。ほとんどの記事では、「市の幹部」が棚上げ発言をしたと述べるだけで市長との関連には触れていません。一つだけ見付けましたが、それはヒロシマ平和メディアセンターの9月27日の記事で、「野坂課長は「棚上げ」発言は松井一実市長の了解を得ていたと説明。「米国の責任を免罪するものではない」と理解を求め、撤回は否定した。」

それでも、棚上げの主体は例えば野坂課長で、市長は単に「了解」しただけ、という図式になります。その後に、「これは単なる手続き上の行為で、その内容までには責任は持てない」といった言い訳が出て来てもおかしくない報道の仕方です。

何故、正直に、広島市の重要事項についての決定責任者である市長が、棚上げをすることにした、と報道し、市の幹部の責任ではなく市長の責任を問わないのでしょうか。この辺りの事情を究明するのも実はマスコミの役割ではないでしょうか。

そして、ある意味責任逃れを認められた市長にとってはこの報道は「得」の部類に入ります。

さて、市長と市がなぜ得をしたのかを考えて見ましょう。穿った見方だと思われる方もいるかもしませんが、そうだとすると、他の可能性について、外務省・日本政府の役割も含めてどんな説明になるのか、是非教えて下さい。

ここで再度、外務省の原爆についての見方を復習しておきましょう。

一言で表現すると、「原爆投下は合法だ」になるのですが、それは、23日のこのブログの記事――1963年の下田裁判での被告としての国の言い分――を読んで頂ければ明らかです。そして、24日のブログでは、広島市の平和行政が外務省の意のままになっていることを指摘しました。

となると、今回の「棚上げ」も、外務省の差し金だということになりそうなのですが、そうだと仮定して、何故もっと外務省の本音に近い表現にならなかったのでしょうか。例えば、「「パール・ハーバー ⇒ 原爆」については、国レベルではもう決着していることですので、それを踏襲しました」辺りはどうでしょうか。

でも、そう言ってしまうと、日本政府・外務省が有耶無耶にしてきた、原爆投下についての日本という国家の本音が分ってしまいます。さらに、「広島市・広島市長がそんな発言をすることは決して許せない」、という轟轟たる非難の嵐が起きても不思議ではありません。

「棚上げ」することで、その両者を避けられたのですから、「得」をしたのは、広島市・広島市長、そして日本政府・外務省ということになりますね。

G7広島サミットで、「被爆地広島出身の総理大臣」を名乗って、核兵器の容認と核抑止論賛美の最終文書を「ヒロシマ・ビジョン」としてまとめた裏切り行為を理解するためには、「棚上げ」のカラクリがその本質を見せてくれていると考えるのは、穿ち過ぎでしょうか。

 

最後に皆さんにとって、今日一日が素晴らしい24時間でありますよう!  

 [2023/10/1 人間イライザ]

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2023年9月24日 (日)

原爆の責任議論を「棚上げ」したのは何故か ――一つは、外務省が広島の平和行政を仕切っているから――

原爆の責任議論を「棚上げ」したのは何故か

――一つは、外務省が広島の平和行政を仕切っているから――

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資料館も平和文化センターの所管です

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昨日の問題提起を再録します。

「政府・外務省が原爆投下は合法だと考えていることはお分り頂けたとして、「被爆地には米国の投下責任を問う声が根強くあり」と言われる、その広島の声を代弁すべき「広島市」がなぜ、「米国の責任の議論を現時点で棚上げにし」たのでしょうか。」

答は、広島市の平和行政が外務省に乗っ取られているからです。

それは、人事を見ることで納得して頂けるはずです。広島市の平和行政を中心になって回しているのは、公益財団法人の広島平和文センターです。広島平和記念資料館もこの広島平和文化センターの所管です。その理事長の仕事が2013年から今まで、全て外務省の天下りポストになってしまっているのです。

このセンターは1976年の発足以来、理事長職には、広島で原爆記者と呼ばれるような活動をしてきたジャーナリスト出身者や、広島の平和運動についての理解者が選ばれました。私が市長の時には広島の世界的な発信力を強めるために、アメリカ人の平和活動家に理事長をお願いしました。

この人たち全て、「棚上げ」を許容することなど考えられない人たちばかりです。

そして、天下り人事の決定としか思われないことの一つは、2017年と2018年の広島の平和宣言です。2017年に国連総会で、核兵器禁止条約が採択されましたが、その直後に外務省は、「日本政府は署名も批准もしない」と明確に意思表示をしました。

それを尊重したせいでしょうか、広島の平和宣言は2017年と2018年の平和宣言では、日本政府に対して「署名すべきだ」とも「批准すべきだ」とも主張していないのです。2019年になってようやく「核兵器禁止条約への署名・批准を求める被爆者の思いをしっかりと受け止めていただきたい。」という形ですが、署名と批准を求める立場を取りました。

しかし、それは2年掛けて私たち市民が広島市に強力に働き掛けた結果です。それでも2年も掛かったのですから、相手の手強さは尋常ではありません。

誰の差し金も受けないで、広島市がこのような姿勢を取ること考えられない、と思ったのは私だけでしょうか。

さらに、今年になってからは、『はだしのゲン』や第五福竜丸についての記述を平和読本から削除し、それまでは「核廃絶」を提唱していたにもかかわらず、それを「核軍縮」に弱めてしまいました。また、広島の平和公園と、ホノルルのパールハーバー国立公園との姉妹公園協定を結んだのも、一連の流れに沿っています。

では改めて、平和公園とパールハーバー国立公園の姉妹公園協定がなぜ浮上したのかを考えると、必然的に今年5月のG7広島サミットと関連しているのだろうと思わざるを得ないのですが、同時にアメリカで何が起きているのかも参考になりそうです。

次回はその視点から考えて見たいと思います。

 

最後に皆さんにとって、今日一日が素晴らしい24時間でありますよう!  

 [2023/9/24 人間イライザ]

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2023年9月23日 (土)

今、広島で起きていること (2) ――大阪講演報告5・「原爆の責任議論は棚上げ」した広島市――

今、広島で起きていること (2)

――大阪講演報告5・「原爆の責任議論は棚上げ」した広島市――

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「米国の責任議論は棚上げ」の意味を考えよう

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昨日のブログの最後に、「日本政府が「原爆投下は合法」だと考えているなどとは、ほとんどの人が知らないことらしいのですが、実は私はそのことにも吃驚しているのです。」と書きましたが、改めて、日本政府の意図を踏まえた事件が起きました。

一昨日、21日の広島市議会の一般質問で、広島の平和公園とホノルルのパールハーバー国立公園との姉妹公園協定が取り上げられました。

その件についての市側の答弁が、「協定は、原爆投下に関わる米国の責任の議論を現時点で棚上げにし、まずは核兵器の使用を二度と繰り返してはならないという市民社会の機運醸成を図るために締結した」(*)だったのだそうです。

これについての中国新聞の報道では、「被爆地には米国の投下責任を問う声が根強くあり、波紋が広がっている。」(*)とのことですが、意地悪くこの部分を読むと、被爆地以外では投下責任を問う声があまり大きくないという含意さえ読み取れます。

[ここで引用している二つの言葉には(*)を付けましたが、中国新聞のディジタル版からです。]

でもこのような報道も、日本政府が「原爆投下は合法だ」と考えており、多くの日本国民がそれを許しているという前提を設ければ、全く問題はありません。

しかしながら私には、国民が許しているのではなく、単に政府の姿勢を知らないだけなのではないかと見えますので、改めて、日本政府の考え方を、9月9日の大阪講演では資料としてのみお渡しした、下田判決の概要を示すことで知って頂きたいと思います。

東京地方裁判所は1963年12月7日に、「下田判決」として知られる判決を下しました。1955年(昭和30年)4月、広島の下田隆一さんら3人が、国を相手に東京地裁に損害賠償とアメリカの原爆投下を国際法違反とすることを求めて提起した訴訟の判決です。

その内容は、

  • 原告の損害賠償請求は棄却。
  • アメリカ軍による広島・長崎への原爆投下は国際法に違反する。
  • 被爆者はアメリカに対する損害賠償請求権を持たない。

というものでしたが、裁判長は特に、次のようなコメントをしています。

 「国家は自らの権限と責任において開始した戦争により、多くの人々を死に導き、障害を負わせ、不安な生活に追い込んだのである。しかもその被害の甚大なことは、とうてい一般戦災者の比ではない。被告がこれに鑑み十分な救済策を執るべきことは、多言を要しないであろう。それは立法府及び内閣の責務である。本訴訟をみるにつけ、政治の貧困を嘆かずにはおられない。」

 この裁判は「 原爆裁判」としても知られていますが、被告としての日本政府の言い分は、「原爆投下は合法だ」なのです。裁判中の言い分を要約しておきましょう。

  • 「原子爆弾使用の問題を、交戦国として抗議をするという立場を離れてこれを客観的に眺めると、原子兵器の使用が国際法上なお未だ違法であると断定されていないことに鑑み、にわかにこれを違法と断定できないとの見解」
  • さらに「その当時原子兵器使用の規制について実定国際法が存在しなかったことは当然であるし、また現在においてもこれに関する国際的合意は成立していない」という理由で原爆使用の違法性を否定。
  • またハーグ陸戦法規などの諸条約は原子兵器を対象とするものではないので無関係だという立場。
  • 「敵国の戦闘継続の源泉である経済力を破壊することとまた敵国民の間に敗北主義を醸成せしめることも、敵国の屈服を早めるために効果があり」、広島・長崎への原爆投下も日本の屈服を早めて交戦国双方の人命殺傷を防止する効果を生んだと主張。

下田判決の原文コピーは、このサイトで読むことが可能です。

その後も、1994年には、外務省の高官が、「核兵器使用は国際法違反」と主張する輩は馬鹿だ、と発言していますし、1995年には、国際司法裁判所で広島・長崎市長が核兵器は国際法違反だと陳述するのを妨害しているなど、核兵器は国際法違反ではない(つまり合法である)、との主張は変えていません。

核兵器の保有や使用、威嚇等が国際法違反だとすると、当然、広島・長崎への原爆投下も違法になる訳ですから、この点は譲れないのでしょう。

政府・外務省が原爆投下は合法だと考えていることはお分り頂けたとして、「被爆地には米国の投下責任を問う声が根強くあり」と言われる、その広島の声を代弁すべき「広島市」がなぜ、「米国の責任の議論を現時点で棚上げにし」たのでしょうか。

長くなりましたので、次回に。

 

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 [2023/9/23 人間イライザ]

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2023年9月22日 (金)

今、広島で起きていること ――大阪講演報告4・外務省や日本政府抜きには語れない――

今、広島で起きていること

――大阪講演報告4・外務省や日本政府抜きには語れない――

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G7広島サミットでの「ヒロシマ・ビジョン」は、「ヒロシマの心」を蔑ろにしたものでした。

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もう10日も経ってしまいましたが、9月9日、大阪のPLP会館で「憲法9条--世界へ未来へ近畿地方連絡会」主催の講演会が開かれました。講師の私に与えられたテーマは、「弄ばれたヒロシマ  前広島市長から見た「G7広島サミット」について」でした。今回は、その報告の第4回目です。

テーマが、G7広島サミットですし、中でも、核兵器と安全保障が私たちの関心事です。この点についてG7サミットでどんな結果になったのかは、「核軍縮に関するG7首脳広島ビジョン」(略して「ヒロシマ・ビジョン」)としてまとめられた文書に全て盛り込まれていると考えて良いでしょう。

その要旨を一枚のスライドにまとめたのが、最初の画像です。もう4か月も前のことなのですが、記憶を確かめて頂ければ幸いです。でもそれだけでは、広島で何が起きているのか、と言うより、正確には「ヒロシマ」という触れ込みで、多くの人の目を眩ませている現実までは分りません。ましてやその点について、大多数の人が気付いていないという状況にも思いが至らないでしょう。

分って貰うためには、これまでの外務省・日本政府が核兵器についてどのような態度を取ってきたのかをお浚いしておかなくてはなりません。それが次のスライドです。

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当日の質問・コメントにあったように、この中でも、日本政府が「原爆投下は合法」だと考えているなどとは、ほとんどの人が知らないことらしいのですが、実は私はそのことにも吃驚しているのです。

その他の項目についても、皆さんは意外だと感じられているのかもしれません。時間は掛かりますが、そしてこれまでにも何度も繰り返してきてはいるのですが、改めて、説明して行きたいと考えています。

 

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 [2023/9/22 人間イライザ]

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2023年9月20日 (水)

岸田外交の本質 ――核兵器禁止条約締約国会議にオブザーバ参加さえ拒否する理由は?――

岸田外交の本質

――核兵器禁止条約締約国会議にオブザーバ参加さえ拒否する理由は?――

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本来なら先頭に立って世界を牽引しなくてはならない日本政府がこの体たらく

 

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何度、内閣改造を繰り返しても岸田内閣の外交は変りません。もちろん、核兵器禁止条約の締約国会議へのオブザーバー参加も拒否し続けるでしょう。岸田内閣の本質は外務省の意向に従うだけだからです。

そのことがハッキリ分るように、核兵器禁止条約締結のための国連の動きを年表にまとめました。「OEWG」は、公開作業部会のことで、この部会で市民社会の代表も参加してほぼ理想的な形の核兵器禁止条約案をまとめました。

それを国連総会に提出して、今度は条約締結のための交渉を始めることになったのですが、一連の動きの中で、日本政府は、反対・棄権・不参加という形での対応しかしていません。本来なら、世界の先頭に立って、この条約を作るために「唯一の被爆国」として汗水垂らして働くべき立場の日本ですから、さすがに全部反対という訳には行かなかったのでしょう。そして、核兵器廃絶のためには最重要だったこの時期は、岸田外務大臣の任期とピッタリ重なるのです。

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これは偶然ではないでしょう。、G7広島サミットでは、恥も外聞もなく外務省・日本政府の本音を実現した「被爆地広島出身の総理大臣」なのですから、その前哨戦として、核兵器禁止条条約阻止という役割を担わされた外務大臣だった、と言ったら失礼過ぎるでしょうか。

外務大臣としての任期が一番長い岸田総理ですが、その内閣の外交政策が、これまでの外務省・日本政府の立場を超えて、真に日本国民・市民のためのものになることは、まず不可能だと考えるべきでしょう。

となると、私たちのなすべきことは、政権を変えることしかありません。あるいは、現政権でも耳を貸さざるを得ないほどの大きな国民的運動を展開することになるのではないでしょうか。

 

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 [2023/9/20 人間イライザ]

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2023年9月16日 (土)

「即時行動」への共感 ――大阪から新たな動きが生まれそうです――

「即時行動」への共感

――大阪から新たな動きが生まれそうです――

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近畿9条の会の講演で多くの皆さんにも賛同して貰えた点です

 

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「大阪そして近畿は維新に乗っ取られてはいない」との感を強くしたのが、9月9日、PLP会館での講演後の質疑とその後の小規模の意見交換会でした。私に与えられたテーマは、「弄ばれたヒロシマ  前広島市長から見た「G7広島サミット」について」でした。

二日前にも報告しましたが、主催団体の「憲法9条--世界へ未来へ近畿地方連絡会」の皆さんの熱意とこれまでの活動を一言でまとめると、最初の言葉「大阪・近畿は維新に乗っ取られてはいない」なのです。

確かに、選挙結果とマスコミの報道だけを見ると、維新の力の大きさに圧倒されがちです。でも今回痛感したのは、それに負けない多くの人々の活動があり、新たな力を注入して理想の政治実現のために頑張ろうという強い意志のあることでした。

それは、何人かの方からのコメントから伝わってきました。例えば、「Change.org」を使っての署名運動を使う可能性が伝わりました。

この画像は、昨年3月1日、一人で始めた署名運動ですが、4月末までには10万人以上の方々から賛同の署名を頂きました。その結果をプーチン大統領や岸田首相、核保有国の首脳に送り、「核兵器を使わない」と宣言するように迫りました。

宣言はまだ実現していません。でも今までの所、核兵器は使われていません。そして、「署名」という行動を取ってくれた一人一人にとっては、宣言が実現するよう、さらなるプレッシャーを掛け続ける上でのインセンティブになっています。

「たくさんのメールを貰うので、どれに賛同すれば良いのか迷うことが多かったのですが、自部で署名運動を始めるという発想がありませんでした。これは、使える道具になりますね。」という言葉から、新たな可能性を思い描いています。

もう一つ、参考になったというコメントをいくつか頂いたのは、マイケル・ムーアの「テンポイント・アクション・プラン」です。

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この中で、3.の「すぐやる」チームを友達数人で作って、1.と2.、つまり、国会議員や県・市会議員・町村議会議員等の事務所に、日にちを決めておいて順番に電話をすることなど、すぐできます。また月に一度は全員で、議員たちを順番に訪問して自分たちの意見を伝えることもできます。

ここで大事なのは、喧嘩をするための電話や訪問ではないことです。出来れば事務所のスタッフと友達になって、議員本人にも会わせて貰うこと、そして、私たちの味方につけることです。

「議員に電話をすることなんて考えてもみなかった」という方もいらっしゃいました。また、自分で、どのレベルの選挙でも良いので、リーダー役を買って出ることもお勧めしました。それが直ちに、維新の活動を超える結果を生むとは思いませんが、そんな目標に向かって、希望を感じられるような皆さんからの発言でした。

その他の質問についても、順次報告します。

 

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 [2023/9/16 人間イライザ]

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2023年9月13日 (水)

大阪での講演会報告です ――前向きな質問と発言ばかりでした――

大阪での講演会報告です

――前向きな質問と発言ばかりでした――

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G7広島サミットとは対照的だった2008年のG8下院議長会議の一行

 

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加藤友三郎没後100年記念シンポジウムが成功裡に終り、9月9日の午後2時から、大阪の北区天神橋3丁目にあるPLP会館での講演会も終了しました。テーマは、「弄ばれたヒロシマ  前広島市長から見た「G7広島サミット」について」です。

講演内容は、一コマずつという感じで今後、問題提起をして行きますが、今年のG7広島サミットとを考える上で、問題点がはっきりするのは、2008年に開かれたG8下院議長会議と対比することだと思います。これも、問題提起の中で指摘する積りですが、慰霊碑前の写真が示しているのは、下院議長さんたちが、被爆者に向き合ってくれたことです。慰霊の気持を示すだけでなく、今後自分たちがどのように行動を取るのか、慰霊碑に向かった決意を示しています。

今日は会場からの質問や発言を要約しておきます。講演の後の質疑の時間は短くて消化不良になることが多いのですが、今回は実のある内容の発言が多く、勇気付けられました。またその後の小規模の情報交換会でも、元気の出るコメントを沢山頂き、とても嬉しい一日になりました。

主催は、憲法9条--世界へ未来へ近畿地方連絡会(9条連・近畿)です。連絡会の皆さんとはもう10年来のお付き合いになりますが、それ以来、何度も御一緒させて頂いている方々ができるほど考え方の似ている存在です。

最初の質問は、1979年から始まった、いわゆる「アキバ・プロジェクト」で広島・長崎を取材した記者たちのその後についてでした。広島国際文化財団が主催してくれることになったこの事業は、海外のローカル・メディアの記者を広島と長崎に招請して、被爆者その他の関係者に会って貰い、自分たちの目で見た広島・長崎を報告して貰うことが目的でした。始まったのが40年も前ですし、10年で一応終止符を打ったのですが、日本で言えば「原爆記者」のような仕事をしてくれた人も出ましたし、その後、教育者として活躍した人、平和活動を中心に頑張った人等々、いろいろな人生を送っている人たちですが、残念なことに時間の経過とともに絆は細くなっています。

ただ、最近のアメリカの動きからは、こうした視点からアメリカのメディアに働き掛ける必要性が増してきたような気がしています。その点については稿を改めて報告します。

また、長い間、核兵器廃絶の運動をしてきているが、日本政府が広島・長崎への原爆投下を国際法違反ではないと主張していることは初めて知った、という驚きの言葉もありました。そうなのです。まさか日本政府が原爆投下を「合法」だと考えているなどと想像だにできない人がほとんどだと思います。

でも、日本政府は原爆投下は国際法違反ではない、と言い続けているのです。つまり、合法だと言っているのです。この点が一番ハッキリするのは、1945年8月10に、日本政府がスイスの大使館を通してアメリカに送った、「原爆投下は国際法違反だ」という抗議文と、それを覆した1963年の下田判決の際の日本政府の言い分を対比することです。

幸いなことに、今回はかなり詳しいレジュメを作り、一番最後に、資料としてこの対比を掲げておきましたので、それをしっかり読み込んで頂くことで、さらに理解が深まるはずです。この対比も近い内に、このブログにアップしておきます。

もう一点、とても重要な指摘がありました。それと同じ趣旨のメールをアメリカの親しい友人からも貰っていましたので、ことによると世界的にもこの考え方は広まりつつあるのかもしれません。それは、戦争そのものの違法性を共有して、戦争を違法化していこうという考え方です。

ウクライナで、そしてウクライナ戦争を口実にロシアが核兵器を使うことは決して許されることではありません。ロシアだけではなく、その他のどこかの国が核兵器を使ったとしても許されることではありません。そして核兵器禁止条約は核兵器の違法性を国際法上認める、世界的な合意を示しています。

半面、ウクライナでの戦争は続き、その他の複数の場所では、通常兵器を使った戦争があたかも合法的な手段であるかの如く扱われ、メディアも世界の世論もそれに対する反応は鈍いのではないか。戦争そのものが許されない、つまり戦争そのものを非合法化しなくてはならないのではないか、という問題提起でした。

その通りです。またこの点については近い内に、アメリカの友人とともに行動を起せるかもしれません。

その他の発言や質問については、近い内にアップします。

 

最後に皆さんにとって、今日一日が素晴らしい24時間でありますよう!  

 [2023/9/13 人間イライザ]

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2023年6月24日 (土)

嬉しい電話を貰いました ――三日月もきれいです――

嬉しい電話を貰いました

――三日月もきれいです――

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23日の月齢は4.9です

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iPhoneがカメラとして使われるのはもう当たり前のことですが、やはり限界もあるようです。夕方、とても三日月がきれいだったので写真に撮ってみましたが、左上がちょっと切れているようには写っているものの、三日月には見えません。金星もボンヤリとしか写らずで、明日はこの美しさを写真に残す工夫をしてみたいと考えています。

以下、本題です。このブログでもお知らせしたと思っていたのですが、このところの忙しさで失念していたようです。21日の夜、朝日新聞ディジタルで、そして22日の朝刊には社会面で、G7広島サミットについて私の考え方を取り上げて頂きました。

多くの方々から、賛成の声を頂いたのですが、今日は自民党の元議員、私とも同じ時期に国会でも一緒に活動したことのある方から電話を頂きました。「ドンピシャのことを言ってくれた。私の思いと同じだ」とのことでした。

ことによると、戦争か平和かという選択についての傾向は世代の違いがかなり影響を与えることなのかもしれませんが、もう一人同志がいたことが分り、夕方の空もいつも以上に美しく見えたのです。

 

そして皆さんにとって、今日一日が素晴らしい24時間でありますよう!

 [2023/6/24 人間イライザ]

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2023年6月 5日 (月)

2008年のG8下院議長会議は大成功 ――ホストは河野衆議院議長――

2008年のG8下院議長会議は大成功

――ホストは河野衆議院議長――

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元資料館館長の高橋昭博さんの被爆証言に耳を傾けるG8下院議長さんたち

 

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昨日は、2008年9月1日と2日に開かれた、G8下院議長会議についての報告の前半をお届けしました。今日は後半です。

今回のG7広島サミットと比べると、本質的な違いが浮かび上がってくるはずですが、まずは、2008年9がつ25日にメルマガ「春風夏雨」にアップした、後半部分をお読み下さい。

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春風夏雨第101回 (2008年9月25日号)

秋葉忠利

2008年9月21日(日)執筆

大成功に終ったG8下院議長会議 (2)

――「ヒロシマ」の持つ不思議な力から、新たな希望が生まれました――

 

前回に続いて、この会議の成功に貢献して下さった方々や団体の活動を紹介することから始めたいと思います。平和記念公園で議長さんたちを歓迎した中で、多くの子どもたちの姿が目立ちましたが、合唱の素晴らしさと共に伴奏を受け持ってくれた消防音楽隊の皆さんも頑張ってくれました。

時差のせいで朝早く起きて活動する参加者や随行する人々のためには、ホテルの前のひろしま美術館が特別に朝の7時から開館をしてくれました。万一の事故や病気といった事態に備えて広島市民病院や舟入病院のスタッフも、救急患者受け入れ態勢を整えてくれていました。会議後、宮島への移動については、第六管区海上保安本部が万全の態勢を敷いてくれました。

広島市にとっても議長さんたちにとっても大変有意義な会議になったことは、前回も触れましたが、今回は出席した議長さんたちが、それぞれの国において一流の政治家であるだけでなく、世界的にも高く評価されているリーダーであるのは何故かが分ったような気がしていますので、その点について説明したいと思います。

一つ目は、私にはとても真似ができないなと感じたことなのですが、時差にもほとんど影響されず、分刻みの日程をこなした事実です。「疲れた」「時差の影響で眠い」等の言葉を発する議長さんは一人もいらっしゃいませんでした。改めて議長さんたちのエネルギーと公務に対する献身的な姿勢に襟を正さざるを得ませんでした。多くの行事で同じように、熱心さの余り時間が超過することさえあったほどです。

そのような状況の中、河野議長が例えば最初の日の夕食会が少し遅れることを、会場で待つことになった参加者に直接説明して理解を求める心遣いも、清々しいものでした。

夕食会では、河野議長の左にアメリカのペローシ議長が座り、その真向かいが私の席でした。私の右はイギリスのマーティン議長、ペローシ議長の左隣が欧州議会のツァガロポウロ副議長でしたが、残念なことに私とは距離が離れていて余り話すことができませんでした。

さて、夕食会での話題ですが、その最中に届いた福田総理の辞任について誰もが関心を持ったことは当然なのですが、前日に総理主催の夕食会が東京であった際には辞任の素振りも見せなかっただけに――という感想と共に皆さん大変驚いていらっしゃいました。

このように「公式」の夕食会でも、仕事の話ばかりしている訳ではありません。個人的な話題から段々に話の幅が広がるという展開も一つの典型なのですが、今回はペローシ議長の話が大変興味深い内容でした。

政治家一家としても知られているのは、お父上(トマス・ダレッサンドロ氏)も、連邦レベルの下院議員を務めた後、ボルティモア市の市長を三期務めたことに加えて、二人の兄も、ボルティモア市長、サンフランシスコ市の市会議員といった経歴があるからです。そのせいもあって、ペローシ議長は都市の問題や市長の仕事にも理解があり、平和市長会議についても良く理解して貰えました。

ペローシ議長の経歴で私が驚いたことは、5人の子供を育ててから47歳で政治の世界に入ったことです。私も同じく47歳で政治の世界に入りましたが、ペローシ議長にとっては、数学から政治への転向の方が、主婦から政治よりは大きな変化のように映った印象でした。

お父上はボルティモア市長時代を大変楽しんだこと、しかし、兄上の時代は公民権運動でアメリカが分裂していた時代で苦労が多かったこと等についても話を聞くことができました。

幸いだったのは、彼女がモーツァルトを好きだったことです。歓迎のコンサートでモーツァルトを聴いて頂けたのですから。「モーツァルトが天才だと良く言われるけれども、自分は、モーツァルトは天才より上の存在だと思う」という言葉にも肯けましたし、数学者の中にも天才以上の存在だと考えられている人が何人かいることにも興味を持って貰えました。

イギリスのマーティン議長の弟さんは数学が大変良くできて、試験のときに余りにも良くでき過ぎたためカンニングをしたのではないかと疑われた話をしてくれました。

このあたりで福田総理の辞任のニュースが伝わり、後は、他の話になってもそのことに戻ってしまうような感じでしたが、あっという間に夕食会が終わりました。余り話のできなかった欧州議会のツァガロポウロ副議長から、会場を出ながら、欧州議会の議員になる前、自分はアテネ市の副市長を務めていたこと、平和市長会議の活動にもその頃から関心を持っており、できることは何でも協力したいので是非気軽に声を掛けて欲しいと、熱っぽい言葉も頂きました。

次の2日の朝も、8時半から平和記念公園に来て頂き、慰霊碑への献花に続いて、資料館を視察して頂きました。

河野議長に後で伺った事なのですが、9人の議長さんにはできるだけ一緒にいて貰える時間を多くするように配慮したとのことでした。例えば、移動の際にも別々の車ではなく、バスに一緒に乗って貰って話す機会を作るといった事なのですが、そのせいもあって、朝から議長さんたちの一体感を感じましたし、リラックスした雰囲気であることにも気付きました。

そんな雰囲気の中、歓迎の『ひろしま平和の歌』の合唱と子どもたちの旗に囲まれて慰霊碑前まで進まれました。慰霊碑前に横一列に並ぶと、議長さんたちは、それぞれ厳粛な面持ちで献花をして下さいました。その後、慰霊碑の碑文の意味、平和公園がかつては多くの市民の住む賑やかな地域であったこと、原爆ドームの世界遺産化、佐々木禎子さんと折鶴等について簡単に説明しました。そろそろ、資料館に移動しようという時間になると、自然な形で議長さんたちが手をつないで慰霊碑に向かわれました。このような形で9人が揃って祈りと決意を捧げてくれたことは、私は勿論ですが、多くの市民の皆さんにも大きな感動をもたらしてくれました。その場に居合わせることができたことを私は幸せに思いますし、この議長さんたちの気持が必ずや被爆者の願いを実現する上での大きな力になることを確信しました。

資料館に向かう私たちの耳に入ってきたのは『アオギリのうた』でしたが、歌に呼応するかのように、議長さんたちに折鶴と平和のメッセージを渡すために待っていた子供たちと議長さんたちが熱心に話を始めて、担当の職員はヤキモキし始めるほどでした。

資料館の案内は、前田耕一郎館長が全体のバランスを上手く取りながら適切な説明をしてくれました。何ヶ国語もの同時通訳が、説明を訳しながら、しかも多数のマスコミ関係者も取材のため館内にいるわけですから、「静粛」という雰囲気とは言えませんでしたが、やはり事実の重みが議長さんたちを圧倒したようです。

元資料館長の高橋昭博さんのお話にはいつも感動するのですが、この日も丁寧に原稿を準備されてのお話でした。議長さんたちは立ったままでしたが、高橋元館長の体調を考慮して椅子に座って話して頂きました。高橋元館長はこのことをとても気にされ、私が元館長の御紹介をするときには、この点について御理解頂けるよう、説明をして欲しいとの要望を頂きましたので、その通りにさせて頂きました。そうした気持ちも議長さんたちには確実に伝わり、ペローシ議長は「高橋さんの話は素晴らしかった」と特に前田館長に伝えられたそうです。

その後、国際会議場での2時間の会議の後、広島市主催の昼食会を開催しました。この昼食会での会話も楽しいものでしたが、前回の報告でも触れましたので、省略することにします。

慰霊碑に向って9人の議長さんたちが、自然発生的に手をつないで祈りと決意を表してくれたこと、さらに会議前の「核兵器のない世界を目指して」が「核兵器をなくして平和な世界を」という決意に変ったと河野議長がコメントされたことからも、ヒロシマが議長さんたちを動かした証拠になると思います。

中でもペローシ議長は、特に熱心に広島を理解しようと努められていたように思いますし、「ヒロシマの心」はストレートに感じて頂けたのではないかと思います。例えば、慰霊碑の前で十字を切り、高橋昭博元館長の手を握り感謝の言葉を掛け、「子どもサミットのテーマには必ず軍縮を」と強調したのはアメリカのペローシ議長だったからです。

カトリック教徒の同議長は、ローマ法王の広島訪問にもとても関心を示して下さり、ローマ法王の広島訪問時のスピーチのコピーをお渡しすると、「これでもっと多くの人が説得できる」と笑顔で答えてくれました。アメリカで開催中の原爆展や「2020ビジョン」を掲げている平和市長会議の活動にも個人レベルで協力して貰えそうです。

大統領継承順位で言えば第二位の政治家が公式に広島を訪問し、ヒロシマに好意を持って帰って頂けたのですから、次の展望が開けることを期待しても良いと思います。そのためには未だ時間も掛かるでしょうし、並の努力では足りないかも知れません。しかし、今回の下院議長会議で、確実な希望が生まれました。そして、2020年までの核兵器廃絶に向けての、また一つ新たな希望も生まれました。

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そして皆さんにとって、今日一日が素晴らしい24時間でありますよう祈っています!

 [2023/6/5 人間イライザ]

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2023年6月 4日 (日)

「念押しキャンペーン」の目指したのは ――鉄は熱いうちに打て――

「念押しキャンペーン」の目指したのは

――鉄は熱いうちに打て――

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慰霊碑前のG8下院議長たち

 

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G7広島サミットが近付くにつれて、マスコミからの取材が増えてきました。旧知の、中国新聞記者岡田さんからの取材があったのは、5月9日、もうサミットまで10日しかありません。サミットで実際にどのようなことが行われるのか、特に、資料館の視察がどのような形で行われるのか、被爆者の体験は聴いて貰えるのか等、少しずつ具体的な姿が見え始めてきたときです。

私の頭の中には、2008年のG8下院議長会議のときのことが強烈に残っていました。河野洋平衆議院議長の肝煎りで開かれたG8 (ロシアも入っていたことも、今回のG7との大きな違いです) の下院議長さんたちには、約一時間、資料館を丁寧に見て貰いましたし、その最後に、元資料館館長だった高橋昭博さんの証言を聴いて頂きました。

当時、市長として下院議長会議のお手伝いをした立場から、2日間の様子をメルマガ「春風夏雨」に二度にわたって書きましたので、それを今回も二日にわたって再掲します。長くなりますが、是非お読み下さい。そして、今回のG7広島サミットとの違いを確認して下さい。

違いの一つは、資料館の視察の仕方です。議長さんたちが丁寧に、本館も含めた管内を上田館長の案内で回って最後に高橋さんの感動的な証言になったのです。その場での議長さんたちの立ち居振る舞いからは、これ以上付け加えることはない、この感動を必ずそれぞれの国に帰ってから、政治の場で生かして貰える、という確信さえ持てたのです。

しかし、念のため、その後の市主催の昼食会でのスピーチで私は、次の3点を強調しました。

  • 被爆体験から生まれた最も大切なメッセージは「こんな思いを他の誰にもさせてはならない」である。
  • 私たちは今、岐路に立っている。ここ数年の内に私たちは、核兵器のない世界か、あるいは開発能力のある国はすべて核兵器を持つ世界か、何れかを選択する羽目になるはずである。
  • 皆さんは、2020年までに核兵器を廃絶する力を持ち、義務を負っている。

 

今回のG7サミットで、「被爆地広島出身の総理大臣」と言えども、これほどの発言はできないかもしれない。となると、岸田総理に何を期待したら良いのか、を考えた末に、出てきたのが、資料館の出口での念押しです。

資料館の視察にどのくらいの時間を取って貰えるのかは分りませんでしたが、オバマ大統領の時よりは長時間になるはずですし、資料館での時間が短くても大きなショックを受けるのが普通だという経験をしてきましたので、今回も同じことが起きるという前提です。

そのショック、あるいは感動といっても良いでしょうが、を首脳の皆さんが一「人間」として受け止めたとき、そして政治家の立場に戻って、核保有の正当化が当然だという枠組みに戻る前に一言、「これで核は使えなくなりましたね」と岸田総理が念押しすることで、首脳の皆さんの資料館での視察は、「人間」レベルでの一つのまとまったパケッジとして皆さんの胸に残るはずなのです。「鉄は熱いうちに打て」なのです。

ということで、Change.orgのキャンペーンをその日から始めましたが、それを後押ししてくれた中国新聞の平和メディアセンターは、動画を含めてこのことをサミット直前にアップして下さいました。リンクを貼っておきますので、御覧下さい。

https://www.hiroshimapeacemedia.jp/?p=132027

また、Change.orgのキャンペーン・サイトはこちらです。

 

以下、2008年9月10日アップのメルマガ、「春風夏雨」の100回の記事を貼り付けておきます。

(中に、佐村河内守氏のことが出てきますが、まだ真相が表に出ていなかった頃ですので、お許し下さい。)

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春風夏雨第100回 (2008年9月10日号)

秋葉忠利

2008年9月7日(日)執筆

 

大成功に終ったG8下院議長会議(1)

――「ヒロシマ」の持つ不思議な力から、新たな希望が生まれました――

 

このコラムも100回を迎えました。第一回は2003年の4月6日でしたから、それから5年半近く、お読み頂いた皆さんに心からお礼を申し上げます。『市民と市政』に連載している「市長日記」も今年の初めに100回になりました。

今後とも、海外出張その他、市民の皆さんの目に触れることの少ない事柄、マスコミの報道だけでは全体像や詳細が伝わらない事柄等について、「楽しくてためになる」を目標にトピックを選びたいと思います。

今回は、9月1日と2日に広島市で開催されたG8下院議長会議について報告をしたいと思います。

結果は一言で表現すれば大成功でした。ここまでは、新聞やテレビの報道で御存知の通りです。河野衆議院議長からも、会議が成功したこと、そして関係者や広島市民の皆さんに感謝の気持を伝えて欲しい旨の電話を頂きました。

私からも多くの皆さんに感謝したいと思います。そもそも、わが国で初めて開かれるG8の下院議長会議を広島でと提案して下さったのは河野議長です。各国の議長さんたちにも働き掛け、広島開催を決めて頂いた行動力そして英断に心から感謝しています。続いて、会議を成功に導くための陣頭指揮も見事でした。会議の関連行事が始まった1日、そして会議そのものが開かれた2日の両日、ホスト役としての河野議長の身近で開催地市長としての役割を果たしながら、改めて議長の広島ならびに平和に対する深い理解、そして最年長の議長としてのリーダーシップと余裕とが、会議を成功に導いた大きな理由であることを実感しました。

事務レベルでは、衆議院の事務局と広島市の担当者が中心になって今年の初めから準備をしてきました。県と経済界、出席する各国との友好協会等から構成するG8下院議長会議支援推進協議会の皆さんにもお世話になりました。県警の皆さんにも万全の警備をして頂きました。改めてお礼を申し上げます。

さて1日の夕方、広島空港から市内到着後、議長さんたちにはまず上田宗箇流の御点前で寛いで頂き、続いて歓迎コンサートを30分楽しんで頂きました。聞いて頂けたのは、コンサートの第二部、モーツァルトのバイオリン協奏曲第5番、秋山和慶氏指揮の広島交響楽団の演奏でソリストは岡崎慶輔氏でした。因みに第一部は大瀧賢一郎氏の独唱、第三部は35歳で聴力を失った被爆二世で世界的な作曲家佐村河内守氏作曲の交響曲第一番を、広響が演奏しました。

2日目は朝8時半から平和記念公園の慰霊碑前で献花、その後平和記念資料館を見て頂き、途中、元資料館長で被爆者の高橋昭博氏に御自分の体験を語って頂きました。休む暇もなく、本題である議長会議。テーマは河野議長の発案で「平和と軍縮に向けた議会の役割」でした。広島で開く会議のテーマとしては最適ですが、同時に重いテーマでもあります。しかし、議長さんたちの熱の籠った発言が続いて、終了時間は予定をかなり過ぎていました。

広島市主催の昼食会では、冒頭で皆さんへの歓迎の言葉と共に、被爆体験の意味と2020年までの核兵器廃絶を目指して頑張っている平和市長会議の活動についてのスピーチをさせて頂きました。最初に、スピーチの要点として、しっかり理解し記憶して欲しいと私が願っている3点を強調しました。それは

(1)   被爆体験から生まれた最も大切なメッセージは「こんな思いを他の誰にもさせてはならない」である。

(2)   私たちは今、岐路に立っている。ここ数年の内に私たちは、核兵器のない世界か、あるいは開発能力のある国はすべて核兵器を持つ世界か、何れかを選択する羽目になるはずである。

(3)   皆さんは、2020年までに核兵器を廃絶する力を持ち、義務を負っている。

です。スピーチの概要は、広島市のホームページで御覧頂けます。

昼食会の最後近くになって、議長会議が卵を産んでくれました。広島で「子どもサミット」を開くという提案です。その背景も、河野議長から説明されましたーー中国新聞の一部として月に2回の頻度で発行されている『ひろしま国』という10代の子どもたちが作っている新聞があるのですが、その子ども記者が河野議長をインタビューしたときに、「子どもサミット」を広島で開くことを提案したのだそうです。

河野議長は会議の間を縫って、参加した議長さんたちに「子どもサミット」の開催提案を皆でしましょうと話し合ってくれていたのです。その結果が、広島市で子どもサミットを開きましょうという正式提案になったのです。「卵から雛がかえって、その雛にどんな餌を食べさせるのかは広島市にお任せしましょう」という言葉も付けられていました。子どもたちの発想の素晴らしさ、またその提案を真剣に取り上げてくれた河野議長に感謝したいと思います。当然、市としては前向きにお受けする積りです。

夕食会でも予定にない、フランスのアコワイエ議長からのお礼の挨拶がありましたが、昼食会でもカナダのミリケン議長からお礼の挨拶がありました。他の議長さんたちの気持を代表しての感謝の言葉でしたが、どの議長さんも異口同音に感謝してくれたのは、広島の「ホスピタリティー」でした。特に米国のペローシ議長は「感謝してもし切れない」と河野議長に話していますし、私にも「広島市民の歓迎に心から感謝する」と言われました。

それは正に全市・地域一丸となっての歓迎の気持が9人の議長の皆さんに伝わったからです。

改めて、上田宗箇流の関係者の皆様、コンサートの演奏者である秋山先生と広響、独唱者と伴奏者、ソリスト、そして作曲の佐村河内氏、コンサートを支えて下さった多くの関係者やボランティア、また、恐らくは議長さんたちが一番多くの時間を過したホテルと素晴らしい食事の担当の皆様、歓迎の旗やメッセージで議長さんたちを感激させた多くの子どもたち、平和記念公園で平和の歌声で歓迎してくれた合唱団、ライトアップ・イベントや子どもたちのイベント、その他のイベントを企画してくれた青年会議所並びに参加した子どもたち、その他にもここには書ききれないくらい多くの皆さんの献身的な協力が議長さんたちに伝わったことをハッキリと感じることができました。万一、ここに漏れている方がいらっしゃったらお詫び申し上げます、と共に私まで御連絡頂けますでしょうか。

皆様に改めてお礼を申し上げます。有難う御座いました。また、このような形で世界の議長さんたちを歓迎できる広島市そして市民の力を心から誇りに思っています。

次回は、議長さんたちと交わした会話の内容や、予想外の出来事、そして私の感想等をお伝えしたいと思います。

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そして皆さんにとって、今日一日が素晴らしい24時間でありますよう祈っています!

 [2023/6/4 人間イライザ]

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