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2023年9月18日 (月)

4年振りの敬老会に参加しました ――高齢化社会の現実についても考えさせられました――

4年振りの敬老会に参加しました

――高齢化社会の現実についても考えさせられました――

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4年前より参加者の減った高齢者の集い

 

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今日、敬老の日ですが、私の住む中山間地では昨日、4年振りに敬老の日のイベントが開かれました。玖島地区コミュニティ推進協議会の森藤信賢会長の挨拶が、この地域の抱える問題点を指摘しつつ、そこに住む私たち高齢者への激励の言葉になっていましたので、以下、御本人のOKを頂きましたので全文を掲げさせて頂きます。

  皆様、こんにちは。玖島コミュニティ会長でこの集いの実行委員長の森藤です。すぐに会食、ご歓談されたいとは思いますが、コミュニティを代表して一言挨拶をさせて頂きます。

ご存じの通り明日が「敬老の日」です。皆様、「ご長寿」、誠におめでとうございます。併せて、この「高齢者の集い」が多くの皆様方のご出席を賜り、盛大に開催できましたことを感謝申し上げます。 ()

 さて、この集いは玖島に住んでいる私たちが「皆様方のこれまでのご功労に感謝し、末永いご健康を願う」、そして「皆様方に親睦を深めていただく」お祝いの集いです。このような集いですが、皆様方はもちろん、玖島にも元気になってもらいたいので、皆様にお願いを申しまして、挨拶をさせて頂きます。

 ご存じの通り、今の玖島は、若者が減って、元気がなくなってきています。若者がほとんどいないのですから、今、若者に玖島の未来や活性化を託すことは難しいと思います。ここにご出席の(いつも)元気でご活躍の皆様には釈迦に説法とは思いますが、皆様が「もう十方分頑張った」と思って引退されたら今の玖島は益々さびれていきます。玖島を切り開き、守って、そして発展させてこられた私達の先祖の努力を考えると、私達はそれを引き継いで行かなければなりません。そのためには若者が少ないのですから私たち高齢者も現役であり続ける他ありません。死ぬまで現役です!!  

 私たち高齢者が「歳だから」と言って閉じこもるのではなく、まずは可能な限りこの集いのような色々な活動に参加しましょう。参加し多くの人と話せば元気になって「もっと頑張ろう!」と希望がわいてきます。私たち高齢者が元気になり希望を持つことが玖島を明るく元気にします。

 今日のこの集いですが対象者は230人で、参加された方は67人と聞いています。

 色々な事情があって参加できない方もいらっしゃいますが、もし、この2倍、3倍の人が集まれば、もっと賑やかな集いとなって元気が出て、「来年も来よう」と、もっともっと希望がわいてくるのではないでしょうか。

 長くなりましたが、私たち高齢者が元気で希望をもてば、玖島は必ず元気になります。玖島が元気になれば、玖島に魅力を感じて若者も戻ってくるかもしれません。玖島の未来は私たち高齢者の手にかかっています。玖島で人生を楽しみましょう!!

 生意気なこと、失礼なことを申し上げましたがお許し下さい。

 前回の「高齢者の集い」は2019年で、その後、コロナ禍のため3回中止しましたので、4年ぶりの開催となります。この「高齢者の集い」の開催を皆様、毎年楽しみにされていたのではないかと思います。今回と併せて4回分楽しんで下さい。

ただ、この集いを楽しみにされていながら、この4年間で亡くなられた方もいらっしゃいます。その方々との楽しい日々も思い出されながら楽しんで頂けたらと思います。

 最後になりましたが、この集いの開催をお世話して頂いている皆様、本当に有り難うございます。最後まで宜しくお願いします。ご出席者を始め、ここにお集りの皆様方の末永いご健康をお祈りするとともに玖島が元気になっていくことを願いまして私の挨拶とさせていただきます。

 

お弁当を頂いた後、アトラクションがあり、その後はカラオケ・タイムという出し物はほぼ同じでしたが、参加者数が減ったせいか、やはり盛り上がりには欠けました。

その対策として「玖島花咲く館」など、地域の皆さんの果敢な取り組みもあるのですが、事は全国的広がりを持つ長期課題です。それは、「地方創生」等という言葉だけでは解決しない喫緊の大課題でもあります。戦争ごっこにうつつを抜かしている政治家たちには任せておけないのですが、皆さんこの際、政治を変えるために今までとは一味違った行動を取ってみませんか?

 

最後に皆さんにとって、今日一日が素晴らしい24時間でありますよう!  

 [2023/9/18 人間イライザ]

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2023年6月 4日 (日)

「念押しキャンペーン」の目指したのは ――鉄は熱いうちに打て――

「念押しキャンペーン」の目指したのは

――鉄は熱いうちに打て――

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慰霊碑前のG8下院議長たち

 

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G7広島サミットが近付くにつれて、マスコミからの取材が増えてきました。旧知の、中国新聞記者岡田さんからの取材があったのは、5月9日、もうサミットまで10日しかありません。サミットで実際にどのようなことが行われるのか、特に、資料館の視察がどのような形で行われるのか、被爆者の体験は聴いて貰えるのか等、少しずつ具体的な姿が見え始めてきたときです。

私の頭の中には、2008年のG8下院議長会議のときのことが強烈に残っていました。河野洋平衆議院議長の肝煎りで開かれたG8 (ロシアも入っていたことも、今回のG7との大きな違いです) の下院議長さんたちには、約一時間、資料館を丁寧に見て貰いましたし、その最後に、元資料館館長だった高橋昭博さんの証言を聴いて頂きました。

当時、市長として下院議長会議のお手伝いをした立場から、2日間の様子をメルマガ「春風夏雨」に二度にわたって書きましたので、それを今回も二日にわたって再掲します。長くなりますが、是非お読み下さい。そして、今回のG7広島サミットとの違いを確認して下さい。

違いの一つは、資料館の視察の仕方です。議長さんたちが丁寧に、本館も含めた管内を上田館長の案内で回って最後に高橋さんの感動的な証言になったのです。その場での議長さんたちの立ち居振る舞いからは、これ以上付け加えることはない、この感動を必ずそれぞれの国に帰ってから、政治の場で生かして貰える、という確信さえ持てたのです。

しかし、念のため、その後の市主催の昼食会でのスピーチで私は、次の3点を強調しました。

  • 被爆体験から生まれた最も大切なメッセージは「こんな思いを他の誰にもさせてはならない」である。
  • 私たちは今、岐路に立っている。ここ数年の内に私たちは、核兵器のない世界か、あるいは開発能力のある国はすべて核兵器を持つ世界か、何れかを選択する羽目になるはずである。
  • 皆さんは、2020年までに核兵器を廃絶する力を持ち、義務を負っている。

 

今回のG7サミットで、「被爆地広島出身の総理大臣」と言えども、これほどの発言はできないかもしれない。となると、岸田総理に何を期待したら良いのか、を考えた末に、出てきたのが、資料館の出口での念押しです。

資料館の視察にどのくらいの時間を取って貰えるのかは分りませんでしたが、オバマ大統領の時よりは長時間になるはずですし、資料館での時間が短くても大きなショックを受けるのが普通だという経験をしてきましたので、今回も同じことが起きるという前提です。

そのショック、あるいは感動といっても良いでしょうが、を首脳の皆さんが一「人間」として受け止めたとき、そして政治家の立場に戻って、核保有の正当化が当然だという枠組みに戻る前に一言、「これで核は使えなくなりましたね」と岸田総理が念押しすることで、首脳の皆さんの資料館での視察は、「人間」レベルでの一つのまとまったパケッジとして皆さんの胸に残るはずなのです。「鉄は熱いうちに打て」なのです。

ということで、Change.orgのキャンペーンをその日から始めましたが、それを後押ししてくれた中国新聞の平和メディアセンターは、動画を含めてこのことをサミット直前にアップして下さいました。リンクを貼っておきますので、御覧下さい。

https://www.hiroshimapeacemedia.jp/?p=132027

また、Change.orgのキャンペーン・サイトはこちらです。

 

以下、2008年9月10日アップのメルマガ、「春風夏雨」の100回の記事を貼り付けておきます。

(中に、佐村河内守氏のことが出てきますが、まだ真相が表に出ていなかった頃ですので、お許し下さい。)

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春風夏雨第100回 (2008年9月10日号)

秋葉忠利

2008年9月7日(日)執筆

 

大成功に終ったG8下院議長会議(1)

――「ヒロシマ」の持つ不思議な力から、新たな希望が生まれました――

 

このコラムも100回を迎えました。第一回は2003年の4月6日でしたから、それから5年半近く、お読み頂いた皆さんに心からお礼を申し上げます。『市民と市政』に連載している「市長日記」も今年の初めに100回になりました。

今後とも、海外出張その他、市民の皆さんの目に触れることの少ない事柄、マスコミの報道だけでは全体像や詳細が伝わらない事柄等について、「楽しくてためになる」を目標にトピックを選びたいと思います。

今回は、9月1日と2日に広島市で開催されたG8下院議長会議について報告をしたいと思います。

結果は一言で表現すれば大成功でした。ここまでは、新聞やテレビの報道で御存知の通りです。河野衆議院議長からも、会議が成功したこと、そして関係者や広島市民の皆さんに感謝の気持を伝えて欲しい旨の電話を頂きました。

私からも多くの皆さんに感謝したいと思います。そもそも、わが国で初めて開かれるG8の下院議長会議を広島でと提案して下さったのは河野議長です。各国の議長さんたちにも働き掛け、広島開催を決めて頂いた行動力そして英断に心から感謝しています。続いて、会議を成功に導くための陣頭指揮も見事でした。会議の関連行事が始まった1日、そして会議そのものが開かれた2日の両日、ホスト役としての河野議長の身近で開催地市長としての役割を果たしながら、改めて議長の広島ならびに平和に対する深い理解、そして最年長の議長としてのリーダーシップと余裕とが、会議を成功に導いた大きな理由であることを実感しました。

事務レベルでは、衆議院の事務局と広島市の担当者が中心になって今年の初めから準備をしてきました。県と経済界、出席する各国との友好協会等から構成するG8下院議長会議支援推進協議会の皆さんにもお世話になりました。県警の皆さんにも万全の警備をして頂きました。改めてお礼を申し上げます。

さて1日の夕方、広島空港から市内到着後、議長さんたちにはまず上田宗箇流の御点前で寛いで頂き、続いて歓迎コンサートを30分楽しんで頂きました。聞いて頂けたのは、コンサートの第二部、モーツァルトのバイオリン協奏曲第5番、秋山和慶氏指揮の広島交響楽団の演奏でソリストは岡崎慶輔氏でした。因みに第一部は大瀧賢一郎氏の独唱、第三部は35歳で聴力を失った被爆二世で世界的な作曲家佐村河内守氏作曲の交響曲第一番を、広響が演奏しました。

2日目は朝8時半から平和記念公園の慰霊碑前で献花、その後平和記念資料館を見て頂き、途中、元資料館長で被爆者の高橋昭博氏に御自分の体験を語って頂きました。休む暇もなく、本題である議長会議。テーマは河野議長の発案で「平和と軍縮に向けた議会の役割」でした。広島で開く会議のテーマとしては最適ですが、同時に重いテーマでもあります。しかし、議長さんたちの熱の籠った発言が続いて、終了時間は予定をかなり過ぎていました。

広島市主催の昼食会では、冒頭で皆さんへの歓迎の言葉と共に、被爆体験の意味と2020年までの核兵器廃絶を目指して頑張っている平和市長会議の活動についてのスピーチをさせて頂きました。最初に、スピーチの要点として、しっかり理解し記憶して欲しいと私が願っている3点を強調しました。それは

(1)   被爆体験から生まれた最も大切なメッセージは「こんな思いを他の誰にもさせてはならない」である。

(2)   私たちは今、岐路に立っている。ここ数年の内に私たちは、核兵器のない世界か、あるいは開発能力のある国はすべて核兵器を持つ世界か、何れかを選択する羽目になるはずである。

(3)   皆さんは、2020年までに核兵器を廃絶する力を持ち、義務を負っている。

です。スピーチの概要は、広島市のホームページで御覧頂けます。

昼食会の最後近くになって、議長会議が卵を産んでくれました。広島で「子どもサミット」を開くという提案です。その背景も、河野議長から説明されましたーー中国新聞の一部として月に2回の頻度で発行されている『ひろしま国』という10代の子どもたちが作っている新聞があるのですが、その子ども記者が河野議長をインタビューしたときに、「子どもサミット」を広島で開くことを提案したのだそうです。

河野議長は会議の間を縫って、参加した議長さんたちに「子どもサミット」の開催提案を皆でしましょうと話し合ってくれていたのです。その結果が、広島市で子どもサミットを開きましょうという正式提案になったのです。「卵から雛がかえって、その雛にどんな餌を食べさせるのかは広島市にお任せしましょう」という言葉も付けられていました。子どもたちの発想の素晴らしさ、またその提案を真剣に取り上げてくれた河野議長に感謝したいと思います。当然、市としては前向きにお受けする積りです。

夕食会でも予定にない、フランスのアコワイエ議長からのお礼の挨拶がありましたが、昼食会でもカナダのミリケン議長からお礼の挨拶がありました。他の議長さんたちの気持を代表しての感謝の言葉でしたが、どの議長さんも異口同音に感謝してくれたのは、広島の「ホスピタリティー」でした。特に米国のペローシ議長は「感謝してもし切れない」と河野議長に話していますし、私にも「広島市民の歓迎に心から感謝する」と言われました。

それは正に全市・地域一丸となっての歓迎の気持が9人の議長の皆さんに伝わったからです。

改めて、上田宗箇流の関係者の皆様、コンサートの演奏者である秋山先生と広響、独唱者と伴奏者、ソリスト、そして作曲の佐村河内氏、コンサートを支えて下さった多くの関係者やボランティア、また、恐らくは議長さんたちが一番多くの時間を過したホテルと素晴らしい食事の担当の皆様、歓迎の旗やメッセージで議長さんたちを感激させた多くの子どもたち、平和記念公園で平和の歌声で歓迎してくれた合唱団、ライトアップ・イベントや子どもたちのイベント、その他のイベントを企画してくれた青年会議所並びに参加した子どもたち、その他にもここには書ききれないくらい多くの皆さんの献身的な協力が議長さんたちに伝わったことをハッキリと感じることができました。万一、ここに漏れている方がいらっしゃったらお詫び申し上げます、と共に私まで御連絡頂けますでしょうか。

皆様に改めてお礼を申し上げます。有難う御座いました。また、このような形で世界の議長さんたちを歓迎できる広島市そして市民の力を心から誇りに思っています。

次回は、議長さんたちと交わした会話の内容や、予想外の出来事、そして私の感想等をお伝えしたいと思います。

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 [2023/6/4 人間イライザ]

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2023年5月31日 (水)

広島で被爆者を裏切ってはいけない (9) ――「ヒロシマ」の意味を広げるため、ロンドンでスピーチ――

広島で被爆者を裏切ってはいけない (9)

――「ヒロシマ」の意味を広げるため、ロンドンでスピーチ――

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3月4日の授賞式で

 

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既に報告した3月4日のスピーチの中でも触れていますが、広島・長崎への原爆投下について、世界で最も早く非難し抗議してくれた団体の一つがアハマディヤ・ムスリム協会です。1945年8月10日ですが、これは、日本がスイス大使館を通して、アメリカに国際法違反だと抗議した日でもあります。日本はその後、被爆者による裁判中に公式にこの見解を撤回しましたが、アハマディア・ムスリム協会の考え方は一貫して核兵器の廃絶です。

この協会から平和賞を頂いたことは、既にこのブログで報告しましたが、授賞スピーチを日本語に訳している時間がなくて、英語のままでした。今回、訳すことができましたので、推敲の余地はありますが、アップします。

アハマディア・ムスリム協会のモットー「Love for all, hatred for none.」を信じる人は世界的に広がっていて、信者数は1,000万人から2,000万人と言われています。その全ての人がこの日、中継で見ることはないにしろ、世界各国でかなりの数の方々に聞いて頂いていますので、メッセージは広がったはずです。G7参加国の方々にも伝わり、その中に首脳に影響力のある方がいれば素晴らしいのですが---。

以下、授賞スピーチの和訳です。

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アハマディア・ムスリム平和賞

受賞スピーチ

202334日 in London

秋葉忠利

 

アッサラム アライクム! カリフ様、アハマディア・ムスリム協会の皆様、来賓の皆様、平和活動家の同志の皆様、紳士・淑女の皆様

この平和シンポジウムに謹んでかつ新たな決意を持って参加し、広島と長崎の被爆者の代理人としてまた世界の平和活動家を代表して、この賞をお受け致します。

ロシアがウクライナに侵攻し、核兵器を使うぞとの脅しを一度のみならず、プーチン大統領が何回も繰り返してから一年が経ちます。そして、彼の言葉を聞いた被爆者の脳裏にはこの[長崎で被爆した少年の、黒く焼けた遺体の写真を掲げる]姿が浮かびました。小さな核兵器によって生き地獄に投げ込まれた長崎の少年です。私たちは、この悲劇を世界のどこでも、誰にでも、そしていかなる時にでも起こしてはならないのです。

一年前に、アハマディア・ムスリム協会の皆様も同じように感じたことを知っています。それは、1945810日に皆様は、世界で恐らく一番初めに、核兵器の非人間性と極悪性に気付き、それに抗議して下さったからです。その日に第二代のカリフは次のように述べています。

「このような虐殺が決して許されないことを、全世界に対して宣言するのは、私たちの宗教的かつ道徳的な義務である。」

遅蒔きながら、世界も同じ結論に達しました。それは、2021122日に、核兵器禁止条約 (TPNW) が発効したからです。

残念なことに、核保有国と核依存国はTPNWに反対し、署名も批准もしないと誓っています。彼らは、核兵器の保有と核使用の脅しとが、どの核保有国にも核を使わせない保証だと信じているのです。

でもこれは、幻想にしか過ぎません。誤った核抑止のパラダイムが、核兵器を使わせなかったのではないのです。核兵器を使わせない力を持つのは、被爆者です。1946年に、魂を揺さぶる本『ヒロシマ』を世に送った、ジョン・ハーシーは、2回目に広島を訪れた1985年に、その真実を確認しています。

都市と市長たちはこの見方に全面的に賛成しています。それは、どの国が核兵器意を使ったとしても、都市が核兵器の攻撃目標になっているからであり、また都市は過去の戦争の犠牲者でもあるからです。だからこそ、平和と核兵器廃絶のための活動団体である「平和市長会議」 (広島市長が会長) は、戦争と核兵器に対して強く「Never Again!」という意思表示をしてきたのです。

広島から選出され、従ってこのような声が体に染みついているはずの岸田総理が、G7の場でリーダーとしての役割を果して、プーチン大統領に核を使わせないように説得すべきだと願っています。

岸田総理とその他のG7のリーダーたちがそれ以上の目標を掲げるに足る動きも世界には生まれています。その目標とは、核兵器の「先制不使用」です。

その先鞭になったのは昨年11月のG20バリサミット宣言です。そこでは、「核兵器の使用ならびに核使用の脅しは容認できない」と述べていますし、G7のリーダーたちは全て、この宣言に署名しているからです。

中国は224日に、12項目からなる和平提案を行っていますが、その中で、「核兵器は使われるべきではなく、核戦争も避けなければならない。核兵器の使用にも使用するとの威嚇にも反対である」と述べています。

インドのモディ首相は「この時代は戦争の時代であってはならない」という言葉を発案し、それはバリ宣言の中で使われています。

もし日本とインド、中国が協力してウクライナ/ロシア戦争を終結させ、世界的に「核の先制不使用」を広げ、最後に核廃絶に至る道を創ることになれば、世界がこれら三国の英雄的かつ歴史的貢献を大歓迎することは間違いありません。

5万人もの人が大地震で亡くなり、トルコとシリアで何十万もの人が助けを求めているときに、私たち人類はなぜ、これらの人々を助けるためではなく、戦争のために、貴重な人的・物的な資源の無駄遣いをしているのでしょうか。

カリフ様の言葉が方向を示しています。「結果がどうであれ、平和と正義を実現するための努力を決して諦めてはならない」

最後に、もう一人の賢人の言葉を引用します。2年前に亡くなった坪井直氏の言葉です。「Never again, and never give up!

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 [2023/5/31 人間イライザ]

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2023年5月 5日 (金)

G8下院議長会議 (2008年) を超えるG7サミットに ――広島出身総理大臣の責任――

G8下院議長会議 (2008) を超えるG7サミットに

――広島出身総理大臣の責任――

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G7広島サミットが近付いてきました。核保有国の首脳3人も含めて、世界的に大きな影響力を持つ政治家が広島を訪れるのですから、その機会を活かして貰いたいと願うのは人情でしょう。出席者たちが「ヒロシマの心」をより深く理解し、核廃絶と世界平和実現のために大胆な舵を切る機会になることを祈っています。

私がこう考えるのにはいくつかの理由があるのですが、その内の三つについて簡単にお話ししたいと思います。特に若い世代の人たちに、私たち世代がどんな経験をしてきたのか、その結果としてどんなことを学んできたのかを理解して頂ければ幸せです。

一つ目は、私の知り合いの外国人で (日本人の場合もそうなのですが)、初めて広島を訪問して感動しなかった人は皆無だという事実です。「広島に来て人生が変わった」と言ってくれた人も何人もいます。広島には、そんな力があるのです。被爆体験を要とする被爆の実相と被爆者のメッセージがあるからです。だからこそ、どんなきっかけで広島に来るにせよ、全ての人に広島に来て貰えるよう努力するのが私(たち)の仕事だと言い切れます。

二つ目。核廃絶は大きな目標です。同時に私たち一人一人の力は限られています。知的レベルで理解できる「世界」も無限ではありません。となると、私たち一人一人の限られた守備範囲で実現可能な目標を立て、その実現のための有限の工程表を作ることが合理的です。自分自身の目標達成のための努力の達成度も、世界全体の達成度も、思うようにはいかないこともありますので、柔軟な目標の微調整も必要です。そして成功事例を共有しながら、新たなエネルギーを創り出すことも大切です。

三つ目。そんな事例の一つが2008年のG8下院議長会議でした。当時の衆議院議長だった河野洋平さんの肝煎りで始まった会議でしたが、今回のG7広島サミットの良いお手本になっています。慰霊碑に献花した後の下院議長さんたちは、自然に慰霊碑に向かって立ち、自分たちの決意を被爆者たちの霊前で新たにしました。資料館の視察には、当時の前田耕一郎館長、平和文センターのスティーブン・リーパー理事長、そして私が付き添い、一時間近くもの間、丁寧に実相に触れて貰いました。その後、10分という短い時間ではありましたが、元資料館長の高橋昭博さんの被爆証言を聴いて貰いました。

アメリカのナンシー・ペロシ下院議長は、その後高橋さんの手を握って「Mr. Takahashi, you are beautiful.」と賛辞を送りました。

さらには、教皇ヨハネ・パウロ2世のスピーチ (1981年に広島を訪れ感動的な言葉で「ヒロシマ」のメッセージを伝えてくれた) をアメリカに広めることが大切だからと、スピーチのコピーを欲しいと言ってくれました。

こんなことが起きたのは、河野洋平議長の広島への思いの強さが元になっていますが、広島市としても全力で努力をした結果です。

一地方都市でも、これくらいのことは実現できるのです。広島出身(と御本人も強調されているのですから)の総理大臣なら、これを超える、そして世界が感動するようなG7広島サミットにすることは可能です。それを期待し、岸田総理に「勇気」を持てと後押しをするのは、市民の側の責任かも知れません。

 

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2023年4月 4日 (火)

「議員定数を減らす」目的は何? ――社会の「空気」に騙されないために――

「議員定数を減らす」目的は何?

――社会の「空気」に騙されないために――

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日本維新の会が典型的なのですが、その他の人たちも含めて、「議会改革」 = 「議員定数削減」といった安易な図式でのアピールがずっと続いています。それに迎合する人たちが余りに多いことにも吃驚しています。なぜこんなことが社会を覆う「空気」になってしまったのでしょうか。

議員定数削減の理由としては、「無駄を省く」、つまりお金が節約できるという大義名分があるようです。それが、多くの人に支持されてしまうのは、「政治」それ以上に「政治家」に対する不信感が大きいからでしょう。

「政治家を減らせば無駄が無くなる」ということは、「政治家」 = 「無駄」という等式が成り立つことなのですから。

議場で居眠りをしている議員の画像は大きなインパクトを与えますし、私利私欲のためにしか動かない政治家像も定着しているように見えます。となると、上の等式が正しいことになり、「そんな政治家は止めさせろ」という結論に行き着きます。「止めさせろ」の部分は「議員数削減」に短絡してしまうのが恐ろしいところなのですが、そこに一つの問題があります。

怠慢な議員や利権のための議員を「止めさせる」ためには、「選挙でもっと有権者のために仕事のできる議員を選べば良い」、という合理的な選択肢があるにもかかわらず、「議員数削減」という掛け声の前には、それが消えてしまっていることです。

「選挙に行っても何も変わらない」という言葉にまとめられる、選挙制度そのものに対する低い評価や、一票の価値が目で見て分り難いことが原因である、自分の持つ一票の力についての無力感等は、ほとんどの人がどこかで感じているようです。

このような「空気」に覆われているのですから、「単純明快」「快刀乱麻」に見える解決策に、簡単に心を奪われるのだろうと思います。それに対して、私の説明は「快刀乱麻」でも「単純明快」でもないのですが、それでも、原点に戻っての議論をしなくてはならないのです。

それは、どのような条件が満たされたときになるのかは分りませんが、人間や社会、そして世界の未来についての正しい選択が、ほんの一瞬の間でも大多数の人に共有され実現される可能性を信じることしか私たちにはできないからです。

まずは、「定数削減」が間違いであることを指摘します。そのためには、極端なケースを考えることが有効です。

「削減」の反対で、全ての有権者が議員になったとしましょう。それは、「直接民主制」と呼ばれていますし、それを採用している自治体がアメリカにはかなりの数あります。私が住んでいたアーリントン市もそうですし、親友が住んでいたマルボロ村もそうです。

その政治の質がずいぶん高いものであることは、私の実体験から保証できます。古代ギリシアの都市国家でも直接民主制が生きたいましたし、その政治の有様は今でも私たちがしばしばお手本にするくらい優れたものでした。

問題は、お金と時間が掛かることです。

逆に、「議員削減」を極限までしてしまったと考えて下さい。それは、国の全て、あるいは町や村の全てを一人の人に託してしまう、つまり一人の人間が全ての権力を持ってしまうことです。これは、独裁政治と呼ばれます。そこまで極端にしなくても、今の国会議員数を減らして、全部で10人の国会議員だけが全ての力を持つ状態を考えて下さい。

これも、ほぼ独裁政治ですね。しかも、その独裁者が、私たちが嫌悪感を持つ、最初の方で例示したような利権政治家だったとしたら (そうではない人が独裁者になるというのは、ほぼ自己矛盾ですが) 、私たちは絞り取られるだけ絞られて、「金が掛かるから議員数を増やせ」などという提案さえできない状態になるでしょう。

これで、「議員数削減」という掛け声の虚しさが伝わったでしょうか。減らせば良いものではないし、増やせば良いというものでもないのです。何のために、議員を減らしたり増やしたりするのかという、議員の仕事の目的を明確にして、その目的を達成するのにふさわしい範囲の議員数を決めるべきなのです。

その目的の一つは、社会の持つ多様性を政治に反映させることですし、一人一人の人間の持つ本質をお互い同士尊重し生活するための寛容さを持つ社会を作ることです。

それをもう少し具体的に、現実との対比で考え見ることにしましょう。この項も続きますが、皆さんも一緒に考えて下さい。

 

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 [2022/4/4 イライザ]

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2023年4月 2日 (日)

職責を果たす広島市の職員 ――基礎自治体では、信頼関係を作り易い――

職責を果たす広島市の職員

――基礎自治体では、信頼関係を作り易い――

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3月31日の金曜日、夜7時頃に広島市関連団体の職員(Aさんと呼んでおきます)から電話を貰いました。お役所は5時で終りますから、「何だろう」という思いで電話に出ました。その結果、吃驚と感激でした。

実は、夏にあるイベントを企画しています。詳細は、もう少し経ってから発表しますが、まずは会場を確保する必要があります。その会場を一旦、仮予約したのですが、その会場ではピアノを使えないことが分って、その他の会場を探すのか、それともピアノを使わないイベントに内容を変更するのかを検討中だったのです。

実行委員会を開いてこの件を諮らなくてはならないのですが、まだその段階に至っていません。仮予約のままで、次の手続きに移るのか、仮予約をキャンセルするのか待って貰っていたのですが、それに付いての問い合わせの電話でした。

もう少し早くこちらから連絡すべき案件だったのですが、忙しさにかまけて、先延ばしになってしまっていました。申し訳ない限りなのですが、「なぜ、夜になって」とふと頭に浮かんだ疑問に対する答はAさんの説明で氷解しました。

「異動で明日からは、担当から外れますので」という説明があったからです。3月31日は年度末ですので、異動に当って、それまでの仕事のうち、まだ処理済みではないものについて、最後の整理をしていたに違いありません。それが複数あっても不思議ではありませんから、次々と処理をして、ようやく7時頃には私の仮予約の番になったのでしょう。

会場の件は、今日、明日にも実行委員会のメンバーに相談して正式の決定にする積りですが、こちらの怠慢を責めることもなく、現状の確認をするという自らの職責は果して後任の担当者に引き継ぐことは、市民サービスのあり方としてもお手本になるものだと感じました。

市民と直接関わる機会の多いのが、「基礎自治体」と呼ばれる市町村などなのですが、日常的に市民とのやり取りをする中で、市民の立場に立って仕事をする習慣を身に着けている職員の率も多くなります。それが例えば市役所と市民との間の信頼関係になり、住み易い街づくりにもつながります。

今回の電話で、そのお手本の一つを見せて貰えたような気がして、その後の夕飯は特に美味しく頂けました。

 

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 [2022/4/2 イライザ]

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2023年3月27日 (月)

広島市長選挙 ――唯一の争点は『はだしのゲン』の復活です――

広島市長選挙

――唯一の争点は『はだしのゲン』の復活です――

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政令指定都市の内、6都市での市長選挙が始まりました。広島市もその一つですが、選挙戦最大の争点は、平和教育教材からの『はだしのゲン』と第五福竜丸の削除を中止して復活させることです。

そのために、マスコミと市民団体との皆さんお願いしたいのは、各候補に次のようなアンケートを送り、その結果をSNSで拡散することです。

アンケート: あなたが市長選挙で当選した暁には、『はだしのゲン』と第五福竜丸を、平和教育教材、『平和ノート』に復活させますか?

5月に開かれるG7広島サミットを、軍拡と核抑止論の追認の場としないためにも、『はだしのゲン』を復活させるという市民の意思が大きな役割を果します。

 

最後に今日一日、皆さんにとって、素晴らしい24時間でありますよう!

 [2022/3/27 イライザ]

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2023年3月24日 (金)

なぜ「都市」なのか ――必要条件と十分条件、両方あります――

なぜ「都市」なのか

――必要条件と十分条件、両方あります――

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戦争に反対すること、平和を維持するための努力を続けること、この二つは「都市」にとっては正に生死を分かつ重要な仕事です。

「戦争も平和も国際関係だから、国の管轄だ。だから国に任せておけば良い」で済むような生易しい仕事ではないのです。

平和市長会議の加盟都市数は8,000を超えているのですが、それらの都市の市長さんたちが異口同音に繰り返すのは、「戦争の被害を受けるのは都市であり、市民だ」という点です。核兵器も、誰も住んでいない大海の真ん中や、砂漠のど真ん中には落とさないのです。

そして戦災を受けた都市の市民たちは、例外なく「Never Again!」という声を上げています。

戦争を起こさないことは、そしてそのための努力をすることは市民の命を守るために「必要」なのです。敢えてここで付け加えておくと、国は国民の命を守りません。

二つだけ事実を述べておきましょう。まず、昭和20年6月6日付の沖縄方面特別根拠地隊司令官大田実少将が発した海軍次官あての電文から抜粋します。沖縄県知事が報告すべきことなのだが、県には既に通信力がないため、知事の依頼によって大田少将が通知したという断り書きも付いています。その内容が重要です。

その中で、敵軍が沖縄に上陸してからの状況が次のように描かれています。「陸海軍方面、防衛戦闘ニ専念シ、県民ニ関シテハ殆ド顧ミルニ暇ナカリキ。」

その後には、県民が軍と一体になって戦闘に巻き込まれ、軍が県民を守るというよりは民間人が軍を守るとさえ言えるような協力を余儀なくされたことが描かれています。そして、最後の一行は有名です。

「沖縄県民斯ク戦ヘリ。県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」

にもかかわらず、未だに沖縄県民に犠牲を強いている事実こそ、「国」という存在の真実を伝えています。

もう一つは、1980年に被爆者援護について、識者からなる「原爆被爆者対策基本問題懇談会」が当時の厚生大臣に提出した報告です。何よりも先に記憶しておくべき個所を引用します。

「およそ戦争という国の存亡をかけての非常事態のもとにおいては、国民がその生命・身体・財産等について、その戦争によって何らかの犠牲を余儀なくされたとしても、それは国を挙げての戦争による「一般の犠牲」として、すべての国民が等しく受忍しなければならない」

国は国民に犠牲を求めてはいますが、守るとは言っていないのです。都市が守る他はないのです。

まだまだ続けられますが、もう一点、十分条件として重要なことを指摘しておきましょう。都市は軍隊を持たないという事実です。軍隊を持つ存在は、どうしても軍隊の存在を前提にして物事を考え処理しようとします。「あれば使う」という因果関係に縛られて戦争の是非を考えることになるのです。その呪縛から解放された立場で、国際関係を考える、都市間関係の延長として国と国との関係も捉えた上で外交の力を発揮する、という「パラダイムの転換」ができるのです。

最後に今日一日、皆さんにとって、素晴らしい24時間でありますよう!

 [2022/3/24 イライザ]

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2023年3月20日 (月)

杉並区の岸本聡子区長にお会いしてきました ――69年前も今も杉並から新たな動きが始まっています――

杉並区の岸本聡子区長にお会いしてきました

――69年前も今も杉並から新たな動きが始まっています――

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このチラシの講演とトークの会の講師を務めました。雨の中、18日に開催されましたが、参加されたのは約80名。とても熱心な方々ばかりで私にとってとても意味深い日になりましたが、まずは共催した杉並区の岸本聡子区長に、イベントの始まる前にお会いできました。

このような平和イベントに区が共催者として積極的に関わることも大切ですが、区長自ら会の初めの挨拶のために会場に足を運び、かつ講演に耳を傾けることもなかなかできるものではありません。私にとっても嬉しい経験でした。

岸本区長は被爆三世の中村涼香さんとの会話も楽しんでおいででした。

岸本区長と私との共通点がいろいろあって、それも嬉しかったのですが、例えば、自転車通勤です。 (私は荷物を落したことで多くの皆さんに迷惑をかけたのでそれで止めましたが――。) 外国暮しの経験が長いこと、そして、公共財 (「コモンズ」と呼ばれることもあります) という概念を政治の柱の一つにしていること等です。

岸本区長の場合は私より本格的に、公共財を守るという形で教育や医療、そして水道等を捉え、区民と共に育てるという施策を展開しています。

皆さんも御存じのことですが、杉並区は1954年の第五福竜丸のビキニ環礁での被曝後、原水爆実験と原水爆禁止のための署名運動を市民が始め、それが全国に広まって我が国の反原水爆運動になった発祥の地です。広島・長崎が原水爆に反対するだけでなく、市民の生活が元になって平和を我が手で創るという意思がこのような運動になったことで、全国に希望の灯が点った記憶があります。

そして混迷を深める我が国の政治にとって、岸本区長を選出した杉並区民が再び希望の灯を灯してくれていると感じたのは私だけではなかったように感じています。

次回は、このイベントのもう一つの特徴についての報告をします。

 

最後に今日一日、皆さんにとって、素晴らしい24時間でありますよう!

 [2022/3/20 イライザ]

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2023年3月 2日 (木)

夕食はHICITYでした ――ロボットの配膳係は初めてでした――

夕食はHICITYでした

――ロボットの配膳係は初めてでした――

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羽田での夕食は、最近、良く耳にするHICITYに行きました。正式には「HANEDA INNOVATION CITY」で、その略らしいです。

レストランだけではなく、ちょっとこジャレタ店もあるのかなと思って行ったのですが、イメージは全く違っていました。まず、ネットでの情報では、モノレールの天空橋駅に直結しているとのことだったのですが、駅の出口が分りません。ウロウロしてようやくHICTYに辿り着きましたが、レストランの種類も少なく、GURUNAVIFOODHALLWYEというところに入りました。名前も覚えられないのですが、美味しさでは合格でした。

一番良かったのは、配膳係がロボットだったことです。

でも心配になったのは、このレストランが貸し切り状態だったことです。かなり広い店でしたので、居心地は今一でした。

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明日はロンドンです。

 

最後に今日一日、皆さんにとって、素晴らしい24時間でありますよう!

 [2022/3/1 イライザ]

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