数学

2023年6月11日 (日)

数学を学ぶとは・教えるとは ――「数学人の集い」の楽しみ方――

数学を学ぶとは・教えるとは

――「数学人の集い」の楽しみ方――

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私も小学生の時に「僕に方程式を教えて下さい」と頼んだことがあります。

 

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「《社会と数学の関わり》を話し合う数学人の集い」を始めるというお知らせは、このブログで前に報告した通りです。その後も順調に回を重ね、先日、第4回目を迎えました。各回ごとに終った後も、メーリングリストでの熱いやり取りがあるのも、この「集い」の特徴なのですが、それも含めて、話題提供者の話や当日の質疑等からも大きな刺激を受けています。一言でまとめると、とても「楽しい」集いなのです。

第4回は、『僕に方程式を教えて下さい』 (以下、『僕に』と略します) の著者の一人、瀬山士郎群馬大学名誉教授 (以下「瀬山さん」と呼びます。集いの中でそう呼び合うことにしましたので。) が、少年院で数学を教えた経験とその意味、矯正教育や数学教育の意味等をお話し下さり、感動的な一時になりました。

書き始めると、その日のこと、メーリングリストでのやり取り、『僕に』の濃い中身等、止まらなくなってしまいますので、瀬山さんが教えた赤城少年院と新潟少年院の授業内容を簡単にまとめることから始めます。少年院で数学を教える意味については、ここでは説明しきれませんので、『僕に』をお読み下さい。でも以下に私の書くこともその説明の一環になっているかもしれません。

赤城少年院で瀬山さんたちが目標としたのは、「一次方程式が解けること」でした。中学レベルの子どもたちが中心だったからですし、まず授業時間が少ないこと、4月から一斉に授業が始まるのではなく、途中から入院してくる子どもたちもいること、そして学力もバラバラだという状態に対応するためです。それには、何か目標を掲げてそれに絞って、そしてそこに到達する過程で必要な知識や技術、抽象化や論理化、そして記号化という数学の本質を教えて行こうというのです。

さらに、新潟少年院は、高等学校卒業程度認定試験を受けられる指定施設になっていたため、その試験に合格できる数学力が付くようなカリキュラムが必要になりました。ここも一点突破で、二次方程式が解けるようになること、二次関数の基本を理解すること、時間的に余裕があれば三角比を扱うことが目標でした。

そして、瀬山さん、共著者の高橋さん、村尾さんのチームは、素晴らしい授業を展開されたことが、瀬山さんの話から、そして『僕に』から良く分かったのです。それは、三人の先生方の授業では数学の本質を教えていたからです。

なぜ、私がそう感じたのかを説明するのが本稿の目的ですが、比喩を使うことでグラフィックに描ければと思います。それは、「数学」全体を壮大なお花畑に喩えることです。無限に広がっているのか、どこか有限の境界があるのかも分らない、少し高い場所に移動しないと見えてこない花もある、夜と昼では景色が一変し、でも永遠に輝き続けるお花畑です。

このお花畑の「本質」とは何でしょうか。

いろいろな側面のあることもお分り頂けると思います。バラの花全体を考えたときに、バラの美しさを一番的確に表現するためにはどうすれば良いのかという問への答は、多くの芸術家が試みてきたことです。バラの数は例えば100万本というように数えられる、有限の個数しかないのか、それとも無限個あるのかというのもこのお花畑を理解する上で一つのカギになるでしょう。棘のあるバラと棘のないバラの違いはどこにあるのか、棘を取り去る方法があるのか、などという疑問を持つ人もいるかまれません。

瀬山さんたちの答は、一本のバラの花を選んで、これまで真剣にバラの美しさには目を向ける機会のなかった子どもたちに、この一本のバラの花の美しさを伝えたことなのではないでしょうか。それも、「数学の本質」です。その美しさに目覚めたときに、私たちは感動し、楽しさも味わえるのではないでしょうか。

個人的な感想ですので、実際に数学を教えていらっしゃる皆さんが賛成して下さるかどうかは分りません。そして、お花畑に喩えることは、数学に限ったことではないでしょう。でもこう考えられると思ったときに、私の世界は確かに広がりました。

最後に一言。ここで「お花畑」が出てきた理由は、例えば岡潔先生のような優れた数学者がエッセイの中で数学を花にたとえていることもあるのですが、もう20年も前の『文芸ひろしま』の中の作品「ある家族」で読んだ次の一節を思い出したからです。

「卒業旅行で、自分の乗った飛行機だけオランダに着いてしまった。みんなは、今、イタリアで何をしているだろう、そればかり考えて、今、自分の目の前にひろがっているチューリップ畑や風車のすばらしい風景を私は見てなかった。」

2016年のこのブログでも取り上げていますので、お読み頂ければ幸いです。

目の前にある花やお花畑に感謝し楽しみつつ。

「《社会と数学の関わり》を話し合う数学人の集い」の次回の会合は7月30日の午後7時からです。話題提供者は私でテーマは「核廃絶に至るシナリオ」です。参加御希望の方は、このブログの「コメント」として、メールアドレスを入力して下さい。公開はしませんので。

そして皆さんにとって、今日一日が素晴らしい24時間でありますよう!

 [2023/6/11 人間イライザ]

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2023年6月 8日 (木)

学校でとんでもないことが起きているようです。 ――生徒や学生はどうすれば良いのでしょうか――

学校でとんでもないことが起きているようです。

――生徒や学生はどうすれば良いのでしょうか――

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生徒から「ダメ」と言えば変るのでしょうか?

 

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「社会と数学の関わりを話し合う数学人の集い」の準備会については、10月3日に報告したのですが、その後、12月、2月、4月、そして6月と大変盛り上がる会を4回続けてきました。そのレポートをなかなかアップできないでいるのですが、それは、話題提供をして下さった4人の方、さらには参加者の皆さんの熱の入った議論の中身をコンパクトにまとめられないからです。いずれ、どこかで報告させて頂きたいと考えています。

「数学人の集い」の特徴の一つは、優れた教育関係者が多いことなのですが、世の中にはそうでないケースもある、というのが今日のテーマです。中・高、大学での出来事について最近耳に入った事例をお知らせしたいと思います。

生徒や学生の皆さんが嫌だと考えていても、さらには保護者の皆さんも「えっ!」と驚くようなことばかりなのですが、当事者の生徒・学生にも、保護者にも現状を変える力のない点も大きな問題です。

(事例A)  皆さんが勉強した「教室」のほとんどは、黒板の近くと部屋の後方、二か所に出入り口がありましたよね。ほとんどが開閉するドアだと思います。ある学校では、黒板近くの出入り口は先生専用で、生徒は使ってはならないのだそうです。

それだけではなく、その出入り口の一番近くに座っている生徒は、先生が教室に入るときに立ち上がって扉を開けなくてはならないのだそうです。極端な場合、反抗して開けなかった生徒がいても、先生は中に入ってから、当番の生徒にドアを置けるように指示して、また教室の外に出るまでして、これを強制するそうです。

(事例B) もう一つ、こちらは大学です。一年間の間に取得しなくてはならない単位は全て合格して取得していても、上の学年に上がるためには、それとは別の「進級試験」を受けなくてはならない大学があるそうです。これ自体もおかしいのですが、その試験に落ちると、留年するだけではないのです。もちろん一年分の授業料はもう一度払わなくてはならないのですが、それに加えて、その年に取得した単位は全て認められなくなるのだそうです。つまり、一度合格して単位は取れた科目を全て、もう一度学習し直して再度単位を取らなくてはならないのだそうです。

両方ともあまりにも理不尽で、学校側が生徒や学生の「いじめ」をしているようにさえ見えるではありませんか。しかも救済策はないのです。

以前、「日本が壊れて行く」シリーズをアップしましたが、その続きでもあります。何方か良い知恵をお持ちの方、是非教えて下さい。

 

そして皆さんにとって、今日一日が素晴らしい24時間でありますよう祈っています!

 [2023/6/8 人間イライザ]

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2023年2月27日 (月)

H君を偲ぶ会 ――没後3年、80人が集いました――

H君を偲ぶ会

――没後3年、80人が集いました――

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H君の人徳だと思いますが、コロナ禍でようやく開くことになった偲ぶ会には、会場一杯の80人以上の人が集い、H君の生前の人となり、思い出や、これから一緒にしたかったであろう仕事や余暇活動、それも彼の華やかな人生を再現するような様々なエピソードばかりでした。

例えば、最後の奥様が披露してくれた「遺産」は、H君を彷彿とさせるものでした。彼が残したスマホの電話番号は、レストランが一番多かったのだそうです。

食通の彼ならさもありなんですし、友人たちもIBMから始まり、アスキー、セガ、コロムビア、早稲田大学、東京都市大学等々の職場での同僚や部下たち、そして彼の後継者たちが「変人」としてのH君や、才能溢れる、あるいは人間的な存在として、惜しまれて早世したH君について時間がいくらあっても足りないくらい、語ってくれました。

私は、彼の思い出の中でも、英語が堪能でその上、詩を愛し数学にも強かったことを皆さんに聞いて頂きました。

一つは2015年、Emily Rolfe Grosholzというアメリカの哲学者(特に数学と科学についての研究が目立っています)、かつ詩人の「Childhood」という詩集を津田塾大学の早川敦子先生が日本語に訳され、その出版に際して、Emilyに日本に来て貰った時のことです。出版社はクルミド出版です。

早稲田大学で講演をして貰ったのですが、著名なアメリカの詩人の作品を、「大円」と「コンパクト化」という数学的概念との関連で分析するという内容でした。事前に、原稿を貰えましたので、日本語訳を付けましたが、英語の誌の批評ですので、日本語訳があってもそれほどは役立ちませんでした。事実、「チンプンカンプンだった」と正直に言ってくれた人もいたのです。

でもH君は熱心に講演を聞き、真っ先に手を挙げ、「素晴らしい講演だった。特に、数学的な概念が詩の本質を解き明かしているところ (その具体的な個所を挙げて説明--その部分は略します) で、目から鱗の思いをした」と述べてくれました。講演後は、H君とEmilyの話が弾んでいました。

もう一つは、このブログでも報告しましたが、彼のお見舞いに行った時に話題になったことです。ベッドで読むには、俵万智さんの短歌集より、夏井いつきさんの句集の方が良いと思って、一冊プレゼントしました。H君は夏井さんが着物を愛していることに感謝していること、自分でも捨てられる着物を集めて、再生利用するプロジェクトをしていることを話してくれました。

こんな時にも、「田舎の学問より京の昼寝」を思い知らされてしまいます。御家族が偲ぶ会の会場に持参されたものの中には、愛用のオーボエ (H君は若い時はオーボエの演奏者になりたかった) 万年筆、カメラ、彼を亀仙人に見立てた劇画があり、それらを前に私たちの思い出話が途切れることはありませんでした。

 

それでは今日一日が、皆さんにとって素晴らしい24時間でありますよう!

 [2022/2/27 イライザ]

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2022年12月31日 (土)

この一年(2022年)を振り返る (4) ――読んで良かった本――

この一年(2022)を振り返る (4)

――読んで良かった本――

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今年最後の日ですので、今年読んで良かった本を4冊御紹介します。もっとあるのですが、特に今、印象に残っているもの4冊です。

最初は、Audible.comから配信されて聴いた本です。毎日生活する中で私たちは、「何で?」とか、「ちょっと疑問符」という思いに捉われることがあります。それを手掛かりに、多くの人たちの経験を集めて、その先にある問題を特定し、解決策を考えること、そしてそれをスケールアップして解決すること、そして場合によってはビジネスとして成り立つように育てて行くことを、分り易く教えてくれる本です。

例えば、仮に手に障がいのある人が身近にいて、洋服を着るのに時間が掛かることに気付いたとしましょう。ボタンを掛けるのが特に難しいらしいことまで特定できたとして、次のステップとして、同じような障がいのある人たちから「ボトムアップ」の情報を集めるという点がカギです。

そこから、例えば「障がい者のおしゃれ」といったより抽象的かつ普遍的なテーマを見付けて、その実現のためのサービスや行政の場での対応等につなげる具体的なステップを学ぶことができます。

起業家にとって役立つだけでなく、政治と関わりのある人たちにも必読の書です。

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二冊目は、少年院で数学を教えた経験を、三人の先生方がそれぞれの視点から報告している感動的な一冊です。「数学の授業が矯正教育に驚きの効果をもたらす」ことを知って、正に目から鱗の思いでした。瀬山士郎さんには、《社会と数学の関わり》を話し合う数学人の集いで、近い内にお話を伺えればと思っています。

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最後に御紹介する二冊は超衝撃的です。

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菅野久美子さんの『超孤独死社会』(2019年刊)の存在は、ハフ・ポーストの菅野さんの記事「「こうなったのは自分が悪い」のか? ごみが腰まで堆積する孤独死現場が伝えること」を読んで知りました。そちらも是非読んでみて下さい。

この本も関さんの本も、前回指摘したように、背後に埋もれているより本質的な問題に焦点を合わせています。それは、社会における女性や高齢者の置かれている位置ですし、社会的弱者に対する社会全体、特に政治の冷たさです。1988年に刊行された『この国は恐ろしい国』から30年以上経っているのに、問題の本質はそれほど変わっていないという事実には腹が立ちますし、絶望にも似た気持にさせられます。

しかし、昨日指摘したのは、「知っている人」が「知らない人」に伝えて行く義務です。来年を、そのためにより有効に生かして行きたいと決意しましょう。

今年一年、様々な機会に、多くの皆さまからそれぞれのお立場で言葉にもならないほど助けて頂きました。心からの感謝の気持を捧げて一年の締めくくりに致します。

 

そして来年一年が、皆様にとって素晴らしい365日でありますように!

[2022/12/31 イライザ]

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2022年12月30日 (金)

この一年(2022年)を振り返る (3) ――思いも寄らぬことの連続でした――

この一年(2022)を振り返る (3)

――思いも寄らぬことの連続でした――

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言うまでもないことですが、今年、2022年は思いも寄らぬ出来事が続けておきました。個人的なことは、既に28日のブログに書いた通りです。新たな自覚と関わりのあるプロジェクトも始まっていますが、年頭の決意の一部として御披露する予定です。

全国的・世界的な出来事としては、2月24日、ロシアがウクライナに侵攻し、プーチン大統領が核の使用をちらつかせて全世界への脅迫を行ったことが最初に頭に浮かびます (「プーチン事件」と呼んでおきます)。さらに、7月8日の安倍元総理銃撃事件とその後の展開も重要です (こちらは「銃撃事件」と呼びます)。

2022年も今日と明日の二日しか残っていません。その時間の中で今年の姿を私なりの言葉でまとめるのは難しいのですが、敢えて一言で表現してみましょう。

「思いも寄らぬ」大事件は、隠された「真実」を暴露する。

プーチン事件で明らかになった「真実」を三つにまとめておきましょう。

① 核保有国のリーダーたちは、核兵器のもたらす人間的悲劇を知らない。

② 知らない人に、真実を知らせるのは、「知っている人」の義務である。

③ 核兵器を使用することはそれを使用した政治家個人への非難となることが明白になり、核兵器は使えない兵器になった。

「核兵器が使えない兵器になった」理由は、ドローンやインターネット等を通して、核戦争の結末がリアル・タイムで世界に伝わるようになり、ウクライナ戦争の「実況」と同じような速さで、世界が核戦争の悲惨さを目の当りにできる時代だからです。そして、今核兵器が使われれば、その下手人が誰であるかも隠しようがありません。未来永劫に亘って、世界から指弾される立場に自らを追い遣ることになるのです。リーダーたちにも自己保身の動機はあるはずですので、その理由だけから考えても、核兵器の使用には踏み込めないはずなのです。

とは言え、それを確実にするためには、広島・長崎の真実を核保有国の、特にロシアのリーダーに知らせなくてはなりません。そのために、Change.orgのサービスを使って署名運動を始めました。「「核兵器を使わない」と、ただちに宣言して下さい!」というタイトルです。下線をクリックして貰えればサイトに飛ぶことができます。そして、下の方にスクロールして下さい。「この署名活動のお知らせ・最新状況をもっと見る」という箱をクリックすると、その後の署名運動の進展が、新しいものから順に分るようになっています。

その中にも報告はしてありますが、署名数が5万を超えた時点で、プーチン大統領と岸田首相に書簡を送りました。こちらにその報告があります。

そして、10万人の方からの賛同を頂いた後、プーチン大統領、その他の核保有国全ての首脳に「核兵器を使わないと直ちに宣言して欲しい」旨の要請書を、また岸田総理には、広島選出の総理大臣として、これらのリーダーたちに核兵器を使わせないよう働きかけて欲しいという要請書を送付しました。

こうした動きは海外にも広がりました。外国特派員協会での記者会見の模様は多くのメディアが報道してくれました。こちらを御覧下さい。

また、私の友人たちも、ロンドンで発行されているWorld Financial Reviewにインタビュー記事を投稿してくれましたし、No First Use Globalという国際的な活動団体は、ネット上にインタビュー記事を掲載してくれました。それぞれの和訳は、山田達也さんが労を取って下さいましたので、それぞれの第一回の記事のリンクを貼り付けておきます。第二回目以降は、次の日からのシリーズ―ですので、順に辿って頂ければ幸いです。

World Financial Review

No First Use Global

他方、怒りを感じるほど何の動きも示さなかったのが、日本政府ですし、日本の政治家たちです。核兵器禁止条約には反対、6月に開催予定の核兵器禁止条約締約国会議へのオブザーバー参加すら拒否し、国会内で政府に働きかける議員連盟さえ存在しない状況は絶望的でした。

そればかりか、ウクライナ戦争に乗じて「核兵器共有」という飛んでもない発言が「リアリズム」という言葉とともに市民権を得つつあることに、「絶望」を超える行動を取らなくてはならないと感じ始めたのは私だけではないはずです。

そんな時に私の古巣である社民党から声が掛かり、7月の参議院選挙に立候補することになりました。選挙運動の詳細は、近い内にまとめた形で公式のホームページの掲載予定ですが、まずは立候補の決意をこのブログに投稿したものを御覧下さい。

7月10日の選挙で私は当選できませんでしたが、心に念じていた四つの目標のうちの二つは実現しました。① 福島みずほさんが当選し、② 社民党が政党要件を満たす、だけの票を獲得することができました。その報告はこちらです。

7月8日の銃撃事件が暴いたのは、旧統一教会の横暴かつ陰湿な活動であり、自民党との癒着でした。しかし、それ以上にショッキングだったのは、メジャーと称されるマスコミがこうした旧統一教会の本質を全くと言って良いほど報道してこなかったことです。「隠蔽」していたと言うのが言い過ぎだとしても、これほど見事に私たちの目から旧統一教会を隠していた事実は、そもそもマスコミとは何のために存在するのかという基本的な問いを思い起こさなくてはならないほどだと考えています。

そしてそれが政治の本流と切っても切れない間柄であることも重要です。その政治の本流の実態を余すところなく曝し出してくれたのが、国葬です。

私たち元国会議員も声を挙げなくてはならないと考えましたので、連絡の取り易い方々に声を掛け合い、合計24名で、声明文を作り記者会見を開きました。私たちの集まりは、「国の乱れを憂うる元国会議員有志の会」と名付けました。その様子はこちらから御覧下さい。心あるマスコミも報道してくれました。

老骨に鞭打っての行動でしたが、これだけで私たちの役割が終った訳ではありませんので、これからも問題提起を続けます。

昔の仲間たちと久し振りで行動を共にして、随分元気が出てきたのですが、それだけではまだ足りませんでした。ともに数学という学問を学んだり、何らかの形で数学に関心を持ったりしている皆さんとのネットワークを社会問題と結びつけることで、違う視点からの勇気が湧いてくるのではないかと考え始めたのです。

幸いなことに、上野健爾さん、浪川幸彦さん、亀井哲治郎さんが一緒になって、《社会と数学の関わり》を話し合う数学人の集いの「準備会」の開催を呼び掛けてくれました。101日の準備会では、偶数月の第一日曜日の午後8時からZoomで会合を開くことにしました。

124日の第一回の会合も中身の濃い、そして知的にも情緒的にも満足感を覚えることのできるものになりました。次回は25日です。

以上、駆け足で今年を振り返ってみました。2023年にも思いも寄らぬ出来事が出来するかもしれません。それも頭の隅に置きながら、来年の目標もきちんと立てたいと考えています。

 

それでは今日一日が、皆様にとって素晴らしい24時間でありますように。

[2022/12/30 イライザ]

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2022年10月 3日 (月)

《社会と数学の関わり》を話し合う数学人の集い 準備会は成功裡に終了しました。次の第一回のお知らせです。

《社会と数学の関わり》を話し合う数学人の集い
準備会は成功裡に終了。次回、第一回のお知らせです。

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もう一昨日になりましたが、10月の1日、午後8時から「《社会と数学の関わり》を話し合う数学人の集い」の準備会を開きました。20名以上の方が御参加下さいました。予定が合わずに欠席された方もいらっしゃいますので、30名ほどの皆さんの集まりになりそうです。

自己紹介と簡単な抱負などを最初に伺いましたが、その後の意見交換も含めて、2時間近くがアット言う間に過ぎました。有意義な一時でしたが、私個人にとってそれ以上に感動的な経験でした。

その後も、この2時間の余韻が頭の中に残っていろいろ考え始めてしまいました。その結果、「眠れなかった」と言うと少し大袈裟になってしまいますが、遅くまで気分の高揚は続きました。

その理由を書きたいのですが、うっかりするとそれだけでまた夜更かしということになりそうですので、自制をしてまとめてみます。

まず、次回は12月4日 (日) の午後8時から、ということになりました。それ以後も原則として、偶数月の第一日曜日の午後8時です。Zoomに参加するための情報は、亀井哲治郎さんから、直前に送ることになっていますので、参加を希望される方は亀井さんあてにメールをお願いします。

また、緊急の提案をしたいことなどがこれから生じるかもしませんので、メーリング・リストを作って、そこに投稿できる体制も整えることにしました。

さて、この集いでは「数学人」という言葉で、「何らかの形で数学との関わりや関心をもっている人」に参加して頂きたいという希望を表しました。とは言え、数学の研究者や数学を教えている方々、それも現職だけではなく退職された方々、も含めての数学関連の仕事をされてきた皆さんが多くなるでしょう。でも、その他の皆さんに御参加頂くことで、話し合いの場がより豊かになることも大いに期待していました。

昨日参加して下さった方々の中には、地形学の専門家、翻訳家や出版関係の方などもいらっしゃり、嬉しい限りでした。

参加された皆さんには、もっとお話をして頂きたかったのですが、時間が足りず申し訳なく思っています。

私が余韻に浸ってしまった興味深いいくつもの問題提起や、御自分の現在の関心事等の内、ここでは四つに絞って報告をします。(個人名は明記していません。これについては、皆さんからの合意を頂いた上で次回からは別の形にするかもしれません。)

① 数学教育の現状が心配だという声が多くありました。参加者の関心が数学教育にあることから当然なのですが、状況は、世間で考えられている以上に深刻だということが切々と伝わってきました。

② 特に、受験のための数学教育になってしまっていること、その根は深いことも指摘されました。Uさんの分析では、漢字の導入まで遡る必要があるとのことなのですが、となると、例えば合宿をして集中講義という形で議論をすることなども考えられますので、今後がますます楽しみでもあり、同時に心配でもあります。

③ Kさんからは、「戦争に動員される科学者・技術者-玉川大学量子暗号研究と経済安保法」についての集会のあったことの報告と、数学研究が直接、戦争に応用される危険についての問題提起があり、過去、数学者が戦争協力した歴史等も含めての取り組みが重要であることが確認されました。

④ これまで数学者が中心になって進めてきた、「ベトナム問題に関する数学者懇談会」 (略称はベト数懇)や「核兵器廃絶をめざす数学者の懇談会」について、当時、参加した方々の中から、Hさんから、次回の話題提供者としてこれまでの活動内容やこれからの活動に役立つ資料等を提供して貰うことになりました。

また、「数学と社会」に関連したいくつかの著作も紹介され、それらについてはこの集いを契機に購入したり共有したりする大切さも痛感しました。

さらに、次回、つまり第一回の集いには、誰か一人で良いので、できたら仲間を増やして行こうという意見も出されました。どのような人たちの集いなのかを一人一人の参加者が知るために、数行のプロフィールを書いて貰い、それをメーリング・リストにアップすることで共有したいという希望も出されました。

二月に一度、Zoomでの会合を開くだけでこうしたこと全ての解決にはならないと思いますが、これだけの人数の人たちが、二か月の間、次の集いのテーマに共通の関心を持つことで、新たなエネルギーが生まれる可能性もありますので、まずは次の集いも今回と同じように「楽しい」一時になるよう工夫ができればと考えています。

 

それでは今日一日が、皆様にとって素晴らしい24時間でありますように。

[2022/10/3 イライザ]

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2022年10月 2日 (日)

「横浜市非核兵器平和都市宣言市民のつどい」が終りました

「横浜市非核兵器平和都市宣言市民のつどい」が終りました

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左から小沼通二慶應義塾大学名誉教授、私、そして被爆者の和田征子さん

第18回 2022横浜市非核兵器平和都市宣言市民のつどいが盛会裡に終りました。主催者である実行委員会の皆様に心からお礼を申し上げます。

この会の中での柱の一つは、和田征子さんが被爆者として8月に開かれたNPT再検討会議に参加した報告でした。被爆証言も交えて、ニューヨークで精力的に活動された様子を熱っぽく語って下さいました。

私はというと、前日にはドライ・リハーサルをして、10分オーバーした分はスライドを減らして調整した積りだったのですが、60分には収まらず、残った3分の1ほどは、タイトルだけを5分ほどかけて紹介することになってしまいました。

久し振りに「対面」での講演でしたので、皆さんから返ってくる熱気に応えようと、ついつい言葉数が多くなってしまったようです。再訓練をして次回は時間通りに収まるようにしたいと考えています。

それでも最後のパネル・ディスカッションで、コーディネーターの小沼通二先生が時間を下さって、補足することができました。小沼先生は著名な物理学者であるだけではなく、各廃絶運動のリーダーとしても長い間活躍されていた方でしたので、お会いできて、しかもいろいろ気を遣って下さり、大変光栄な一時でした。

また、2014年にやはり横浜で、神奈川生協の皆さんにお話したことがあったのですが、その皆さんからの後押しもあって今回声を掛けて下さったという背景も伺い、感激一入でした。

夜は、Zoomで「《社会と数学の関わり》を話し合う数学人の集い――「準備会」」も大変盛り上がりました。こちらの報告も追ってさせて頂きます。

 

それでは今日一日が、皆様にとって素晴らしい24時間でありますように。

[2022/10/2 イライザ]

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2022年9月29日 (木)

《社会と数学の関わり》を話し合う数学人の集い 「準備会」のご案内

《社会と数学の関わり》を話し合う数学人の集い

「準備会」のご案内

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数学の好き嫌いにかかわらず何方も大歓迎です

 

《社会と数学の関わり》を話し合う数学人の集い――「準備会」のご案内

 

まず、「数学人」とは、何らかの形で数学との関わりや関心をもっている人を意味します。

8月15日にこの呼びかけをしましたが、準備会の日にちが近付いてきましたので、再度のお誘いをさせて頂きます。

呼びかけ人●秋葉忠利・上野健爾・浪川幸彦・亀井哲治郎

目的●この国はいま,戦争への道を進んでいるだけでなく,コロナの蔓延,自然災害,物価高,老老介護,子どもの虐待,等々,数え上げれば切りのない多くの問題を抱えています。

そのような現実のなかで,私たち「数学人」(何らかの形で数学との関わりや関心をもっている人)には何ができるのか,何をなすべきか。どれも難題です。

そこで呼びかけ人4人で話し合った結果,ともかくも「数学人」たちが集まって,社会や政治の問題について,自由に気軽に語り合い,刺激し合う場をつくってはどうか,と考えました。

下記の要領で,まずは「準備会」から始めます。ぜひご参加ください。

 

日時●2022年10月1日(土) 20:00~21:30 [Zoom形式]

参加申込み・問合せなど●亀井哲治郎までメールをお送りください。

tetsu_kamei_1203@yahoo.co.jp

 

参加申し込みをされた方に,10月1日の直前にZoomの情報をお知らせします。

それでは今日一日が、皆様にとって素晴らしい24時間でありますように。

[2022/9/29 イライザ]

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