#憲法98条 は #憲法改正 を #禁じている
―― #96条 の #改正条項 との #矛盾――
矛と盾
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『数学書として憲法を読む』改訂のための作業シリーズです。
憲法98条についての考察を続けますので、再度、個々の議論には関係のない第2項を除いた条文を掲げておきます。
第98条 この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。
前回は、98条の言い直しともいうべき、次の二つの定理を証明しました。
[定理98・自己完結定理 (九大律の8番目である自己完結律) ] 憲法を読むに当り、(普通の言葉を使えば)その解釈のために、他の法律や文書を根拠にしてはいけない。
[正文定理 (九大律の①正文律)] 「憲法」として読む対象は、1946年11月3日に公布され、1947年5月3日に施行された(日本語の)日本国憲法である。
[定理98]の論理的帰結としては、次の二つの系もあります。
[系1 (九大律の③一意律)] 憲法内に現れる同一の字句は、同じ意味を持つ。
[系2 (九大律の②素読律)] 憲法を読むに当って、一つ一つの字句は素直に字義通り読まなくてはならない。
[証明] これまでの説明で十分だと思いますので、省略します。
前回も言及しましたが、98条の「最高法規」の意味を曲げる「へそ曲り」が出て来ないとも限りませんので、念のため、②の「素読律」は強調のために残しておきましょう。ということで、九大律の内、省略するのは、①、③、⑤、⑧です。⑤については、96条との関係で論じます。
さて今回は、それに負けずとも劣らない論理的帰結を確認しておきます。証明は[定理98]から明らかなのですが、念のため、表現を変えて添えておきます。この定理の名称、「改竄」を見てドッキリする方がいらっしゃるかもしれませんので、事前に説明をしておきます。
「改竄」ではなく、「変更」とか「改変」でも論理的意味は伝わりますので、本来はそちらの方の中立的な表現を採用すべきかもしれません。敢えて、「改竄」という表現を使ったのには意味があります。
安倍政権時代に顕著になった政治腐敗の中でも、「モリ・カケ・サクラ」と並び称された事件が象徴的だったのですが、財務省の幹部が安倍政権に不利になる公文書を改竄していたことが明らかになりました。それに対して抗議したのが赤木俊夫さんでしたが、彼が自らの命を賭けて守ろうとした「公僕」としての義務が、官僚や政治家、そして司法からも余りにも軽々しく扱われてきました。このような権力に対しての抗議として、敢えて「改竄」を使うことにしたのです。特に、99条で憲法遵守義務を負わされている「公務員」に対しての警告という意味も込めています。
[改竄禁止定理 (憲法に関しての改竄禁止律) ] 憲法を読むに当り、その字句を改竄することは禁止されている。また、字句は変えずに、字句の意味を変えることは禁止されている。さらに、字句から論理的に導かれる結論も字句同様に、改竄されてはならない。
[証明] 憲法内の字句が改竄されたとしよう。すると、憲法そのものと、憲法の一部が違う、「憲法ダッシュ」という二つの文書が存在することになる。「一部が違う」ということは、「憲法ダッシュ」が元々の憲法に「反する」存在であることを意味する。従って、「憲法ダッシュ」は98条によって効力を持たない。Q.E.D.
ここまでは問題がなかったのですが、改竄禁止定理は憲法の全条文に対しての禁止即ですので、それを次のような「定理」として掲げておきます。本来は「系」と呼ぶべき位置付けなのですが、その重みを考えて定理と名付けます。これは98条と96条の間には大きな矛盾があることを示しています。
[改憲不可定理] 憲法を改正することは許されない。
[証明] 改竄禁止定理の証明と同じ。つまり、改憲後の憲法を「憲法ダッシュ」と呼ぶと、それは元の憲法に反する内容が盛り込まれていることになり、効力を持たない。Q.E.D.
ちょっと困った状況になりました。96条には改憲の手続きが規定されていますので、憲法では改憲が想定されています。にもかかわらず、改憲は禁止されているという矛盾が生じたのですから、矛盾解消のための何らかの「解釈」が必要になります。
答は次回に回しますので、皆さんも考えて見て下さい。
長くなりますので、次回に続きます。
2024年も健康に留意しつつ、少しでも良い年にすべく頑張りましょう。
[2024/2/27 人間イライザ]
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