数学

2024年3月 6日 (水)

#京都地裁 は #嘱託殺人 との #判決 ―― #憲法12条 や #憲法27条 とも #関係があります――

#京都地裁 #嘱託殺人 との #判決

―― #憲法12 #憲法27 とも #関係があります――

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#安楽死 についても #さらなる議論が必要です

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全身の筋肉が徐々に衰えるという症状のでる難病、ALS (筋萎縮性側索硬化症) 患者林優美さんに依頼され、2019年に、薬物を投与してこの患者を殺害した罪に問われていた医師、大久保愉一(よしかず)被告に対する判決が、京都地裁から出されました。求刑23年に対して18年の懲役でした。(YAHOO! JAPANニュース、3月5日配信の「8カンテレ」と、毎日新聞の同日配信による)

「8カンテレ」によると、京都地裁の川上裁判長は、「主治医でもなくALSの専門医でもなく、SNSのやり取りがあったにすぎず、これまでの経過や現在の症状も把握せず、主治医や近親者等にも知らせることなく秘密裏に、その日初めて会ったばかりの被害者の十分な診察や意思確認ができるとは思えない」などと指摘。 そして「130万円の報酬の振り込みがあってから行動したのを考えれば、被害者のためを思って犯行に及んだものとは考え難く、利益を求めた犯行であったと言わざるを得ない。被告人の生命軽視の姿勢は顕著であり、強い非難に値する」と断じたとのことです。

被告は、起訴内容は認めていましたが、「林さんの願いを叶えるために行った」と自らの行為の正当性を主張し、さらに弁護側は、嘱託殺人罪を適用するのは、林さんに「望まない生」を強いることになり憲法に反するとして、無罪を主張していました。

安楽死か嘱託殺人かをどう判断するのかは難しい問題ですし、ALS患者の皆さんの気持が最優先されるべきだと思います。

同時に、「数学書として憲法を読む」立場からは、それとは別の見方があることもお伝えしておきたいと思います。詳しくは『数学書として憲法を読む――前広島市長の憲法・天皇論――』の154ページを参照して頂きたいのですが、憲法は自殺を禁止しています。根拠は27条と12条です。ここでは、12条だけを取り上げておきましょう。

12条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

憲法の13条と25条、そしてこの12条は論理的帰結として、それぞれ独立に死刑を禁止しているのですが、12条は自殺も禁止しています。それは、「国民の不断の努力」が義務として規定されているからです。「不断」とは、途絶えてはいけないことです。自殺をしてしまっては、不断ではなく、正に努力を断ってしまうのですから、それは12条違反です。

嘱託殺人は、憲法で禁じられている自殺を、他人の手を借りて実行することを意味しますから、二重の意味で禁じられている行為だということになります。出来れば、そこまで踏み込んでの議論をして貰いたかったのですが、憲法そのものを蔑ろにしてきた日本社会としてはこれが精一杯だったのかもしれません。

同時に、改めて安楽死の是非を考えて見ると、こうして、論理だけに依拠して憲法を読んできても、それだけでは、「情理」を尽くす結論にはなかなか行き着けないような気もします。そこから短絡的に、字義通りに憲法を読むことは止めてしまっては、残るのは誕生論になってしまいます。素直にあるがままに憲法を読みながら、より広い見地からのインプットを生かして考え続け、思い続けることが大切だという平凡な結論になりますが、今回はこの辺で。

 

2024年も健康に留意しつつ、少しでも良い年にすべく頑張りましょう。

[2024/3/6 人間イライザ]

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2024年3月 3日 (日)

#トカゲの尻尾切り で #政治は良くならない ――#憲法遵守 が #毛嫌いされている #理由が分らない――

#トカゲの尻尾切り #政治は良くならない

――#憲法遵守 #毛嫌いされている #理由が分らない――

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#尻尾 は #また生えてきます

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我が国では、「国家の公権力を行使する者」が、法律の厳しい監視の目に晒されているどころか、超法規的存在として扱われている事実を問題にしています。それが現実として社会を覆う空気のような存在である理由の一つが、権力者に甘い憲法解釈であることを指摘しています。

実例として、このような権力者に対して「憲法を守れ」と命じている憲法99条について、どのような解釈があるのかを取り上げています。裁判所の確定判決だけでなく、憲法学者の提唱する学説でも、「憲法遵守義務」は法的義務ではないというのが、驚きの現実です。

前回取り上げた学説の三つ目を見てみましょう。

「違憲の立法、司法、行政に対しそれぞれの公務員は抵抗し、あるいは違憲の職務命令に対し抵抗すべき職責の義務規定が99条である」という内容ですが、「トカゲのしっぽ切り」のような印象を受けてしまいました。大権力の行使者である、たとえば内閣が違憲行為を行うことには口を閉ざして、それを部下たちに押し付けてようやく、「違憲」という判断が出てくるのですから。

状況をさらにハッキリ浮かび上がらせるために、裁判所の確定判決、一つ目の学説、そして二つ目の学説の前半の、「積極的に憲法を尊重擁護する作為については道徳的義務ないし政治的義務に過ぎない」を加えて考えて見ましょう。

三つ目の学説の肝の部分は、その前提にあります。それは簡単に「違憲の立法、司法、行政」と書かれていますが、その意味は、立法、司法、そして行政の偉い地位にある人たちが、憲法違反をしたと仮定しよう、という意味なのです。それは、半ば、99条の「義務」は「法的義務家ではない」が当り前の世界を前提にしていないと出て来ない言葉です。

その結果を押し付けられた、大きな権限や力のない部下たちに、「上司が悪いことをしたら、お前たちはそれを、自分の仕事や命を賭けて阻止しなくてはならないのだ」と言っているに等しいように読めるのですが―――。

それは、空理空論ではなく、財務省のお偉いさんに、総理大臣やその家族を守るための改竄を指示され、それに抵抗した赤木俊夫さんの姿そのものではありませんか。

憲法解釈として、より重要なのは、三つ目の説の前提になっている「違憲の立法、司法、行政」を起してはいけないという点なのではないでしょうか。そしてそのためには、99条の憲法遵守義務が法的義務であり、如何に偉いお役人、そして総理大臣であっても憲法は守らなくてはならないという、当然の解釈を文字通りに確認し徹底することでしょう。

それがなされていないために、赤木さんのような悲劇には発展しなくても、日常的に憲法違反や法律違反が蔓延っているのは、次のようなメカニズムが日常茶飯事だからです。

仮に、良識あるお役人が、上司の憲法・法律違反を咎めて職務拒否をしたとしましょう。それに対して、権力側に立つ上司としては配置転換をして別の職員にその仕事をさせれば良いだけなのです。つまり、十中八九、上司の意思はその通りに実現されるのです。配置転換の理由も作ればいくらでもありますので、裁判を起して勝つことはかなり難しいのではないかと思います。そして、実効性のない抵抗なら、別に憲法に認められていなくても、法律的根拠がなくても、自分の判断で「嫌だ」と言えば済む話なのではないでしょうか。

でもここで問題にしなくてはならないのは、こんなトカゲの尻尾切りで、お役人の利権は守られたとしても、政治は良くならないという点です。

憲法99条の解釈を概観してきましたが、恐らく皆さんの心の中にも「モヤモヤ」が生じているのではないでしょうか。何故、官憲も学者たちも、「憲法遵守義務」について、これほど執拗に、「法的義務ではない」と言い続けなくてはならないのでしょうか。「法的義務だ」と言ってしまうと困る事情が何かあるのでしょうか。

[続きます]

 

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[2024/3/3 人間イライザ]

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2024年3月 2日 (土)

#定説でも #憲法99条 は #法的義務 ではない ――#法の支配 は #空文化 されているのでは?――

#定説でも #憲法99 #法的義務 ではない

――#法の支配 #空文化 されているのでは?――

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#三つの学説 が #分り易く #解説されています

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前回、皮肉交じりに批判したのは、「国家の公権力を行使する者」が、法律の厳しい監視の目に晒されているどころか、超法規的存在として扱われている事実です。私たちが社会や政治を考える上での大前提としての枠組みである「法の支配」から大きく逸脱しているのですが、それに対する批判がほとんどないことも問題です。

それは、わが国を覆う空気のような雰囲気として、「お上」とか、「偉いさん」、「先生」という範疇に入る人たちが特別扱いをされる価値観のあることなのではないかと思います。そんな特別扱いを「当たり前」と考えるのならまだ救いはあると思うのですが、それ以前の「given」として、空気と同じように何も考えずにその中で生活し、何の違和感も持たずに、それを前提として物事を考えてしまっているのではないでしょうか。

その典型的な例として、憲法99条の「憲法遵守義務」が法的義務ではないという、裁判所の確定判決を挙げましたが、今回は、憲法の専門家たちの間でも、「憲法遵守義務」は法的義務ではないことになっているという空恐ろしい事実を報告します。

詳しくは『数学書として憲法を読む――前広島市長の憲法・天皇論――』の第六章をお読み頂きたいのですが、ここでは簡単に要点だけを挙げておきます。

表紙の写真を最初にお示ししましたが、星野安三郎・小林孝輔著の『口語憲法(追補版)』の308ページから310ページの要約です。以下『星野』と略しますが、そこでは、99条の法的性質についての三つの学説を紹介しています。

  1. 一つは、「法的義務ではなく道徳的要請」であるというものです。
  2. 二つ目は、「積極的に憲法を尊重擁護する作為については道徳的義務ないし政治的義務に過ぎないが、最小限憲法破壊は行わないという不作為義務は法的義務とする」。
  3. 三つ目は、「抵抗権が実定法に制度化されているという前提に立ち、違憲の立法、司法、行政に対しそれぞれの公務員は抵抗し、あるいは違憲の職務命令に対し抵抗すべき職責の義務規定が99条であるとする。当該義務は、最高法規たる憲法を根拠とし直接法的効力を有するから、法律レベルでこの趣旨は覆せないとする」

どれを取っても、素直に「憲法遵守義務」が法的義務だ、とは言ってないのです。それどころか、何とか理屈を付けて、「法的義務ではない」ことを正当化しているようにさえ読めてしまうのですが、これは私だけの思い込みでしょうか。

この三説についての批判は、ここでは割愛しますが、(3)については、「モリ・カケ・サクラ」事件での公権力行使者による改竄との関連は見過ごす訳には行きませんし、この三説の致命的欠陥の一つである、「天皇の憲法遵守義務」との関連も私たちが考えなくてはならない重要な点です。

[続きます]

 

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[2024/3/2 人間イライザ]

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2024年3月 1日 (金)

#憲法99条 は #法的義務 ではない ――#裁判所 の #確定判決 は #そう述べています――

#憲法99 #法的義務 ではない

――#裁判所 #確定判決 #そう述べています――

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#六法全書 では #道義的要請 または #宣明 と記述しています

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『数学書として憲法を読む』改訂準備作業の一環として、今回は憲法99条について、最近の政治的出来事と関係付けて考えて見ましょう。

前にも述べたように99条については、2021年10月26日から、5回にわたって、取り上げています。その第2回は2021年の11月6日ですが、その一部を引用します。

《確定判決では、「憲法遵守義務」は「義務」ではない》

憲法についての通説・定説・裁判所の確定判決では、「憲法遵守義務」は「義務」ではないのです。それは、99条の解釈についての確定した判決があるからです。それを見て頂きたいのですが、まずは99条をお浚いしておきましょう。

憲法99条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ 

① 1977年2月17日に水戸地方裁判所が百里基地訴訟の第一審で下した判決では99条について「憲法遵守・擁護義務を明示しているが、これは、道義的な要請であり」と法的義務ではないことを明確に示しています。

② また、1981年7月7日には東京高等裁判所が控訴審の判決のなかで99条については「憲法を尊重し擁護すべき旨を宣明したにすぎない」という解釈が示されています。その根拠として示されているのは次のような理屈です。「国家の公権力を行使する者が憲法を遵守して国政を行うべきことは、当然の要請であるから、本条の定める公務員の義務は、いわば、倫理的な性格のものであつて」(高裁判決)

こんな理屈が通るなら、「憲法遵守義務」の代りに「納税の義務」、「国家の公権力を行使する者」の代りに「国民」を使えば、30条の「納税の義務」は倫理的な性格のものになり、私たちは税金を納める必要がなくなってしまいます。

そんな馬鹿な解釈はあり得ないというのが、私たちの「常識」です。

《思考実験》

そうでなくてはならないという点を強調するために、「思考実験」をしておきましょう。仮に悪徳国会議員 (仮にZ議員と呼んでおきましょう) がいたとして、裏金を貯めた上に税金を払わないなどという不埒なことをしていたとしましょう。そんな議員はいないと信じたいので、これは「思考実験」です。

こんな議員が裁判に掛けられ、「税金を払え、それは憲法30条でも義務と書いてある」という追及を受けたとします。それに対してのZ議員の反論です。

1981年7月7日の東京高等裁判所の判決では、次のように述べられています。「国家の公権力を行使する者が憲法を遵守して国政を行うべきことは、当然の要請であるから、本条の定める公務員の義務は、いわば、倫理的な性格のもの」。

従って、国会議員である私Zに対して、99条で公務員に課されている憲法遵守義務「義務」ではない。ということは、憲法30条の納税義務も、「国家の権力を行使するもの」に対しては、単なる「倫理的性格」のものであり、義務ではない。従って、納税しないことは、チョッピリ後ろめたい気持ちはするが、法律違反ではない。

裁判所の確定判決は法律的には重い意味を持ちますので、このような反論さえも飛び出してくる可能性無きにしも非ずです。ことによると、権力を握った一部の人たちは、このような思考方法についての指南を受け、常識的には「法律違反」ではあっても裁判の場で自分たちは無罪になる、といった心構えを持ってしまっているのでしょうか。

99条は法的義務でなくてはならない》

それが杞憂であることを祈りつつ、「憲法遵守義務」が法的義務でなくてはならない理由を、以下いくつか挙げておきましょう。

  • ルールを決めておいて、最後にそれは「道徳的要請」だとか「宣明」だとか宣言して、法的義務ではないことにすれば、それはルール、今の場合は憲法の存在や意味そのものを否定である。
  • 憲法の存在や意味そのものを否定
  • 裁判官は、99条によって「憲法遵守義務」を課せられている。その裁判官が、「自分が課せられているのは、法的義務ではない」と判断するのは、被告が判決を書くことと同じではないか。
  • 憲法中、天皇に対して明示的に「義務」を課している唯一の条文を無力にすることは、戦前への回帰につながる可能性があるから
  • 「国民の総意」によって、天皇に対して唯一の「明示的義務」として課されている99条を、「総意」には満たない存在が変えることはできない。
  • 憲法中に「義務」という言葉が使われている条項は4つある。その内の、二つ、教育を受けさせる義務(26条)と納税の義務(30条)は「義務」で、残りの二つ、勤労の義務(27条)と憲法遵守の義務(99条)が「義務」ではないのは、「義務」という同じ言葉を正反対の意味に使うことになり許されないはずであり、解釈が恣意的であることを意味する。

以上、「憲法遵守義務」は「法的義務」以外の解釈はあり得ません。

 

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[2024/3/1 人間イライザ]

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2024年2月28日 (水)

#98条 と #96条との矛盾は96条2項が解消している ――それこそ#憲法を #論理的に #読まなくてはならない #理由――

#98 #96条との矛盾は962項が解消している

――それこそ#憲法を #論理的に #読まなくてはならない #理由――

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矛盾解消

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『数学書として憲法を読む』改訂版では、これからの展開が、一つの山場になりそうです。

前回は、[改竄禁止定理 (憲法に関しての改竄禁止律) ]を証明しました。その結果として、「憲法を改正することは許されない」ことを示す[改憲不可定理]が出て来てしまいました。他方、96条では憲法改正の手続きが決められていますので、これは大きな矛盾です。

《しかし、矛盾は存在しない!》

その答は96条内にありました。再度96条です。

96条 この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。
2 憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。

憲法を字義通り、そして論理的に読み意味を示している好例になるのですが、それは上記、96条の第2項です。その結果、新たに次の定理が得られます。[改憲不可定理]が実は、本物の定理ではなかったことを示しています。

[改憲可能定理] 憲法96条の手続きを経れば、憲法改正は可能である。

[証明] 仮に憲法が改正されたとなると、[改憲不可定理]の証明中「憲法ダッシュ」と呼んだ文書、つまり改憲後の憲法に注目する。「不可定理」の「証明」中、これは憲法とは別の文書として扱った。(それが普通の考え方です。)

しかし、この「憲法ダッシュ」と呼んだ文書は、実は「憲法と一体をなすものとして」扱うのだという言明があるので、別の文書や法律として扱わなくて良い。つまり、元の憲法に反するかどうかの判定をしなくても良いということである。Q.E.D.

実は、96条の「憲法と一体をなすものとして」という一節が何故そこに加えられているのか、私にとっては長い間謎だったのですが、これで氷解しました。98条と96条を合わせて読むことで現れる意味の深さに、改めて脱帽しています。

制定当時、国会で上記の矛盾についての議論が行われたのかどうかについて未調査ですが、憲法の草案 (日本語の草案です。念のため) を作成した人は、この矛盾に気付いていて、その矛盾を解消するために第2項で「憲法と一体を成すもの」という見方を示したのだとしか考えられません。

というのは、あくまでも推測です。しかし、「数学書として憲法を読む」立場では、憲法の起草者や制定の仮定を問題にはせず、あくまでも、文書化され国会を通過し公布された憲法を素直に読むことだけが判断の材料でした。その視点から考えても、第2項の、「憲法と一体を成すのものとして」は、98条の結論との論理的矛盾を解消しているという結果から、憲法そのものには、高度の論理性が備わっていると判断すべきです。

ということから、次の定理が成り立ちます。

[一体定理 (正文律・論理律・素読律・一意律の定理) ] 九大律の内、①の「正文律」、②の「素読律」、③の「一意律」、そして⑤の論理律は、96条第2項から導かれる憲法の読み方である。

 

[証明] 既に指摘したように、962項には、「論理的意図」があるとしか読めない。つまり、98条の「最高法規」が、論理的には改憲を禁止しているという結論に至ることを理解した上で、改憲を可能にするという論理性が備わっている。この前提なくして96条の2項を読むと、その意味を理解できないことがその証拠である。それほどの論理的注意深さで書かれている憲法を読み正確に理解するためには、徹底的に論理性を重んじて良くなくてはならない。そのためには、「素読律」で強調した素直な読み方をしなくてはならない上に、「一意律」で示した「改竄禁止律」も守らなくてはならない。対象が日本語の憲法であることは前述のように当然であり、98条からの帰結でもある。Q.E.D.

以上、憲法が「最高法規」であるという規定から出発すると、それは憲法の読み方の基本を示していることにもなりました。このような結論に至るとは、ほとんどの皆さんは想定もしていなかったのではないかと思います。それほど深い結果に到達することになったのですから、もう一つ付け加えておくと、98条は「数学書として憲法を読む」必然性を示していると言っても良いのではないでしょうか。

次に、99条からの帰結について俎上に載せます。

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[2024/2/28 人間イライザ]

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2024年2月27日 (火)

#憲法98条 は #憲法改正 を #禁じている ―― #96条 の #改正条項 との #矛盾――

#憲法98 #憲法改正 #禁じている

―― #96 #改正条項 との #矛盾――

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矛と盾

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『数学書として憲法を読む』改訂のための作業シリーズです。

憲法98条についての考察を続けますので、再度、個々の議論には関係のない第2項を除いた条文を掲げておきます。

98条 この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。

前回は、98条の言い直しともいうべき、次の二つの定理を証明しました。

[定理98・自己完結定理 (九大律の8番目である自己完結律) ] 憲法を読むに当り、(普通の言葉を使えば)その解釈のために、他の法律や文書を根拠にしてはいけない。

[正文定理 (九大律の①正文律)] 「憲法」として読む対象は、1946113日に公布され、194753日に施行された(日本語の)日本国憲法である。

[定理98]の論理的帰結としては、次の二つの系もあります。

[系1 (九大律の③一意律)] 憲法内に現れる同一の字句は、同じ意味を持つ。

[系2 (九大律の②素読律)] 憲法を読むに当って、一つ一つの字句は素直に字義通り読まなくてはならない。

[証明] これまでの説明で十分だと思いますので、省略します。

前回も言及しましたが、98条の「最高法規」の意味を曲げる「へそ曲り」が出て来ないとも限りませんので、念のため、②の「素読律」は強調のために残しておきましょう。ということで、九大律の内、省略するのは、①、③、⑤、⑧です。⑤については、96条との関係で論じます。

さて今回は、それに負けずとも劣らない論理的帰結を確認しておきます。証明は[定理98]から明らかなのですが、念のため、表現を変えて添えておきます。この定理の名称、「改竄」を見てドッキリする方がいらっしゃるかもしれませんので、事前に説明をしておきます。

「改竄」ではなく、「変更」とか「改変」でも論理的意味は伝わりますので、本来はそちらの方の中立的な表現を採用すべきかもしれません。敢えて、「改竄」という表現を使ったのには意味があります。

安倍政権時代に顕著になった政治腐敗の中でも、「モリ・カケ・サクラ」と並び称された事件が象徴的だったのですが、財務省の幹部が安倍政権に不利になる公文書を改竄していたことが明らかになりました。それに対して抗議したのが赤木俊夫さんでしたが、彼が自らの命を賭けて守ろうとした「公僕」としての義務が、官僚や政治家、そして司法からも余りにも軽々しく扱われてきました。このような権力に対しての抗議として、敢えて「改竄」を使うことにしたのです。特に、99条で憲法遵守義務を負わされている「公務員」に対しての警告という意味も込めています。

[改竄禁止定理 (憲法に関しての改竄禁止律) ] 憲法を読むに当り、その字句を改竄することは禁止されている。また、字句は変えずに、字句の意味を変えることは禁止されている。さらに、字句から論理的に導かれる結論も字句同様に、改竄されてはならない。

 [証明] 憲法内の字句が改竄されたとしよう。すると、憲法そのものと、憲法の一部が違う、「憲法ダッシュ」という二つの文書が存在することになる。「一部が違う」ということは、「憲法ダッシュ」が元々の憲法に「反する」存在であることを意味する。従って、「憲法ダッシュ」は98条によって効力を持たない。Q.E.D.

ここまでは問題がなかったのですが、改竄禁止定理は憲法の全条文に対しての禁止即ですので、それを次のような「定理」として掲げておきます。本来は「系」と呼ぶべき位置付けなのですが、その重みを考えて定理と名付けます。これは98条と96条の間には大きな矛盾があることを示しています。

 [改憲不可定理] 憲法を改正することは許されない。

[証明] 改竄禁止定理の証明と同じ。つまり、改憲後の憲法を「憲法ダッシュ」と呼ぶと、それは元の憲法に反する内容が盛り込まれていることになり、効力を持たない。Q.E.D.

 ちょっと困った状況になりました。96条には改憲の手続きが規定されていますので、憲法では改憲が想定されています。にもかかわらず、改憲は禁止されているという矛盾が生じたのですから、矛盾解消のための何らかの「解釈」が必要になります。

答は次回に回しますので、皆さんも考えて見て下さい。

長くなりますので、次回に続きます。

2024年も健康に留意しつつ、少しでも良い年にすべく頑張りましょう。

[2024/2/27 人間イライザ]

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2024年2月26日 (月)

#憲法98条 から #導かれる 重要な #定理 ――#現行憲法 #以上に #優先される #法はない――

#憲法98 から #導かれる 重要な #定理

――#現行憲法 #以上に #優先される  #法はない――

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こちらも分り易い憲法書です

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本題に戻って、『数学書として憲法を読む』改訂のための作業を続けます。

まず、訂正です。23日には、「メタ条項が三つある」ということを書きましたが、良く見直すと四つです。もう一つは96条、憲法改正についての条項です。

96この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。
2 憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。

上諭と前文についても一言付け加えておきましょう。上諭は「メタ」に属しますし、前文の前半は「メタ」、後半はそれ以降に憲法で詳述される内容についての決意ですので、「メタ」には属さない、と考えられます。

この通り、老化現象も加わり、かつ私自身まだ実験的に考察・記述を続けていますので、これ以外にも私の主張や論述に間違いや反論等があれば、是非御教示下さい。宜しくお願いします。

さて98条です。再度条文を掲げておきます。

98条 この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。

2 日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。

「最高法規」という規定の重さは、この条文から論理的に導かれるいくつかの結論を見れば明らかなのですが、個々の「証明」は同じ形を取りますので、最初に一つの「定理」としてまとめておきます。98条から導かれる定理ということで、[定理98]と名付けておきます。ただし、これは、九大律の内の8番目の「自己完結律」と同じことです。重要性に鑑み、二つの名称があっても良いでしょう。

[定理98・自己完結定理(九大律の8番目である自己完結律)] 憲法を読むに当り、(普通の言葉を使えば)その解釈のために、他の法律や文書を根拠にしてはいけない。

[証明] 98条の規定している「最高法規」とは、我が国を縛っている法体系の中で、憲法による縛りが他の縛りより優先されることを意味する。その解釈に、仮に憲法に反する文書Aという根拠を持ち出すと、その文書Aは、憲法に反するにもかかわらず、その力が認められ、憲法より優先されるという結論になる。それこそ正に憲法98条により禁止されていることである。ここで、98条中の言葉「反する」は、広義には「異なる」 (新潮国語辞典、集英社国語辞典等) を意味するので、それに従った。Q.E.D.

再度、訂正です。2月21日のこのブログでは、この八番目の律を抜かしていました。つまり「定理98」から導かれる律は五つあります。ということは、九大律として九つの命題を前提として読む、という方針を貫くには、四大律あれば良く、論理的には他の律は必要ないということになります。

ただし、そもそも98条の「最高法規」の意味を曲げる「へそ曲り」が出て来ないとも限りませんので、念のため、②の「素読律」は強調のために残しておきましょう。

その上で、98条から導かれる、九大律の内の残りの四つの律の証明です。四つとは、(1) の[正文律]、 (2) の[素読律]、 (3) の[一意律]、そして (5) の[論理律]が憲法98条の「最高法規」という位置付けから、導き出されるからです。

[正文定理 (九大律の①正文律)] 「憲法」として読む対象は、1946113日に公布され、194753日に施行された(日本語の)日本国憲法である。

 [証明] 定理98から自明。そもそも、公布されたのは日本語の憲法なので、わざわざ断るまでもないのだが、問題は、憲法解釈に当って、英文で書かれた憲法が憲法解釈を左右するといった主張が行われてきたことだ。念のため「定理98」を繰り返す形で、日本語が正文である理由を述べておく。仮に、憲法の英文訳を「憲法」として読むことにすると、英文と日本語の二つの「憲法」が存在することになる。しかし、日本語の方が「最高法規」であり、それとは違う内容を持つもう一つの憲法があるとすると、それは、元の憲法に反するものになり、効力は持たないからだ。Q.E.D.

長くなりますので、次回に続きます。

 

2024年も健康に留意しつつ、少しでも良い年にすべく頑張りましょう。

[2024/2/26 人間イライザ]

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2024年2月24日 (土)

#日本国憲法 の #メタ条項 の #優先性 ――#憲法全体 の #持つ力 を #生かそう――

#日本国憲法 #メタ条項 #優先性

――#憲法全体 #持つ力 #生かそう――

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#六法全書 では #義務を否定

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『数学書として憲法を読む――前広島市長の憲法・天皇論――』を改訂するための準備として、出版後に気付いた重要な点をまとめています。その中でも、特に98条を優先すべきだと強調しています。でも実は、98条を含む「メタ条項」が重要なのです。「メタ条項」の意味は前回の説明でお分り頂いたとして、今回はこれら「メタ条項」が重要な訳を簡単にまとめておきましょう。

その重要性・優先性を理解するためには、まず、憲法全体の姿を大雑把でも描いておかなくてはなりません。幸いなことに、憲法「のみ」を読み込むことで、つまり憲法内の言葉だけに依存して、我が国の歴史をどう総括し反省し、これからどのような国を目指すのかについてはハッキリ分ります。

特に、97条については前文と97条とで繰り返し同じことを述べ、かついくつもの条文にその具体的な応用が描かれているのですから、その重要性については言うまでもありません。これが憲法の目的であり、憲法が必要不可欠であるということの証明だと言っても良いでしょう。

そして、「押し付け憲法だから改正せよ」という声に対する答にもなっています。仮に押し付けられていたとしても、そこが問題なのではありません。押し付けられたもの自体は、基本的人権は「人類普遍の原理」なのです。さらに97条では、「侵すことのできない永久の権利として信託された」ことが述べられています。「信託」したのは、「人類」です。しかも過去・現在の人類からという含意は明白でしょう。

もしこれを「押し付け」だと感じるのであれば、それは押し付けられたと主張している側が、人類の一員ではないことを「語るに落ちて」いるのです。

次に、憲法が法律的には国内の最高の法律であるという98条ですが、それは、憲法の定義と役割から当然のことです。つまり、一国内に存在する様々な事柄の処理に当って、全ての法律がそれに従うような基本的な存在としての法律を作っておかないと大きな混乱が生じます。その基本法が憲法であるという憲法そのものの定義によるものだということです。これは当然ですし、この点についての少々の妥協でも許してしまえば、憲法存在の意義がなくなってしまいます。

最後に99条は、公務員の憲法遵守義務を規定していますが、それは前文の「その権力は国民の代表者がこれを行使し」に呼応しています。そして、義務遂行者の筆頭が天皇であるのは、これまでの我が国の歴史の反省を踏まえて、新憲法では再び、明治憲法下と同じ過ちを繰り返さないように、という警告でもあります。

これら三つの条項を並べて見ると、随分強力な布陣であることも一目瞭然です。9条や36条等、個々の条文に注目して憲法の力を活用することは勿論大拙なのですが、憲法全体の力を上手く使う知恵も育てて行くことも大切なのではないかと考えています。

残念なことに、99条は「法的義務」ではない、というのが法曹界の定説になってしまっているようです。六法全書の注釈にもその点が記述されているほどなのですが、これが問題であることは、『数学書として憲法を読む――前広島市長の憲法・天皇論――』に詳述してありますので、御参照下さい。

ことによると、「今すぐここで読みたい」とお感じの方もいらっしゃるかもしれません。これでにブログでも取り上げてきたサイトをリストしておきますので、クリックして頂ければ幸いです。

[99条について] 2021年10月26日から、5回にわたって、取り上げています。

第2回は2021年の11月6日

第3回は2021年11月11日。

第4回は2021年11月16日。

第5回は、2021年11月21日

 

これに続いて、98条の「最高法規」についての考察もシリーズでアップしています。

第1回は2021年12月6日です。

第2回は2021年12月11日

第3回は2021年12月16日。

第4回は2021年12月21日。

第3回と第4回の内容は、これからアップすることとかなりの部分重複しますが、改訂版の準備という視点から、少しでも分り易い説明に改善したものをお届けしたいと考えています。

 

2024年も健康に留意しつつ、少しでも良い年にすべく頑張りましょう。

[2024/2/24 人間イライザ]

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2024年2月23日 (金)

#日本国憲法 には三つの #メタ条項 があります ――#この一つでも #蔑ろにする と #憲法の存在 そのものが #否定されます――

#日本国憲法 には三つの #メタ条項 があります

――#この一つでも #蔑ろにする #憲法の存在 そのものが #否定されます――

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もう一つの標準的憲法書

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『数学書として憲法を読む――前広島市長の憲法・天皇論――』を改訂するための準備として、出版後に気付いた重要な点をまとめています。その中でも、特に98条を優先すべきだと強調しています。でも実は、98条を含む「メタ条項」が重要なのです。

まず、「メタ条項」とは何かから説明しましょう。そのためには、「メタ」の定義から始める必要があります。

「メタ」はもともとギリシャ語で「上に」を意味します。と言っても分り易い概念ではありません。上手い日本語訳のないこととも関連があるのですが、例をいくつか挙げて説明するのが、手っ取り早いと思います。

「三角形の内角の和は180度である」は数学における命題の一つですが、「数学の体系に矛盾がない」は「メタ数学」における命題です。「メタ憲法」に属する命題としては、「現在の憲法は押し付け憲法だ」、「現在の憲法は世界に誇る平和憲法だ」などがあります。

つまり、考えている対象を全部ひっくるめて一段上の対象として記述するときに「メタ」を付けます。「メタ」をあえて日本語に訳すと「超」を付けることが多く「超数学」というコトバも存在します。しかし「スーパー」とか「ウルトラ」と混同しないためにはそのまま「メタ」の方が無難かもしれません。

という訳で、「メタ憲法」という用語を使います。三つとは、憲法97条、98条、そして99条です。条文は次の通りです。

 

〔基本的人権の由来特質〕

97条  この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。

〔憲法の最高性と条約及び国際法規の遵守〕

98条  この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。
2 日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。

〔憲法尊重擁護の義務〕

99条  天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。

 

この中で、98条の2項は、メタ条項ではありません。その点を明らかにするためにも、ここには掲げておきました。

98条と99条が「メタ条項」であることは問題ないと思いますが、97条については、基本的人権の由来をと特質を述べているのですが、特質と由来との関係を考えると「メタ」であることも明白です。

この条文では、基本的人権が人類史においてどのような位置付けなのかについての記述があり、それが「侵すことのできない永久の権利として信託された」先の具体的な形が憲法なのだと言っています。つまり、人類がこれまで努力して獲得してきた基本的人権を、我が国では憲法という具体的な器で受け止めた、という意味です。しかも、それを国民の総意を以て受け止めたと言っているのですから、憲法そのものの本質が何に由来しているのかを示しています。従って「メタ条項」です。

特に重要なのは、これらの3条項とも、憲法が成立する上で必要不可欠な内容だということです。

97条は、憲法の存在意義そのものを述べています。98条は「最高法規」としての憲法位置付け、そして99条はこれを守らなくてはならないことを「義務」付けているからです。この点についてはこれからもさらに詳細に論考します。

「メタ条項」で注意すべき点としては、これらの条項が自己言及文であることです。論理的には、自己言及が矛盾を引き起こすことがあります。例えば、「この文は嘘を書いています」が矛盾の例です。この文が正しければ、その内容から「嘘」になり、正しくなければ嘘ではなくなってしまうからです。

ただし、今私たちが注目している三つの条項にはそのような矛盾はありません。しかし、同じ憲法の中に位置付けるのではなく、一段高い位置付けの文書として明示した方が論理的には混乱が少ないと考えられます。その点を考慮して、これらの3条項が、97条から99条として憲法の一番後ろにまとめられているのだと考えられます。(100条から103条は手続的な条項ですので、本来の憲法とは性格が違いますので、「補則」として最後にまとめてあることには納得が行きます。)

次は、これらの条文からどのような「定理」が生まれるのかを見てみましょう。特に98条に注目します。

 

2024年も健康に留意しつつ、少しでも良い年にすべく頑張りましょう。

[2024/2/23 人間イライザ]

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2024年2月21日 (水)

#憲法98条 は #偉大です・その1 ――#文書を読む ことは #改竄された文書 を読むことではありません――

#憲法98 #偉大です・その1

――#文書を読む ことは  #改竄された文書 を読むことではありません――

240220

標準的憲法書の一つ

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前回は、『数学書として憲法を読む――前広島市長の憲法・天皇論――』の出版後に気付いたこととして、憲法98条の偉大さがあると述べました。

その理由の一つは、前回出発点として披露した九大律の内、(1)の[正文律]、(2)の[素読律]、(3)の[一意律]、そして(5)の[論理律]が憲法98条の「最高法規」という位置付けから、導き出されるからです。

別の言葉を使うと、九大律の「九」は「五大律」で良いことになるのです。

遅まきながら、憲法を「最高法規」として認めている98条を読み直してみましょう。まず条文です。(第2項は性格的な違いがあるので略します。)

第98条 この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。

この条文の奥深さを伝えなくてはならないと考えた理由の一つに、「改竄禁止律」と名付けたルールがあります。九大律の依って立つ土台といった感じのルールなのですが、雑誌『現代の理論』2022年冬号でこのルールを取り上げました。そこでは大人しく「置換禁止律」という名称を選んだのですが、その後の安倍政権・菅政権・岸田政権での権力者たちの傲岸不遜振りを忘れないためにも、今回は何が起きたのかを正確に想起させる「改竄禁止律」と呼ぶことにします。

《改竄禁止律》

「文字通りに」文書を読む上で、最低限守らなくてはならない規則を、誰であっても反対できないであろう基礎的なところから始めて箇条書きにして整理しておきます。

① 数学では、何を読むのかという対象を定めることが重要です。憲法で言えば、ここで対象にしているのは、日本国憲法です。それは、国会の議を経て、1946年11月3日に公布、1947年5月3日に施行された、我が国の最高法規を指します。物理的には、どの六法全書にも記されている、日本語によって書かれた文書です。

② 憲法を「論理的に読む」上ではもちろん、どのような文書を読む上でも「素直に読む」のであればどうしても譲れないのは、条文中の個々の文字や句をそのまま読むことです。数学の等式で考えると分り易いので、一つの例を示します。[1+1=2]という式の中で、[1]を勝手に[3]と変えて読んではいけないのです。そんなことをすれば、等式は成り立たなくなってしまいます。当り前のことですので、これはどなたにも認めて貰えるはずです。つまり、憲法中の特定の字句は憲法という存在の必要不可欠な構成要素であり、それを物理的に変更することは許されないのです。たとえば、「国民」という字句を「臣民」という字句に訂正することは当然、許されないのです。これを、「改竄禁止律」と呼びます。

③ 次に取り上げるのは、字句そのものは変えずに、その意味を変える読み方です。字句の意味を変えるということは、「論理的」には、その字句を変えることと同じだからです。たとえば11条で使われている「永久の権利」の「永久」の意味を、「長期にわたって」という意味なのだ、と変えてしまうことは許されないのです。それでは書かれている言葉とは意味が違ってしまうからです。

④ 加えて、字句の意味から論理的に導かれる結論も同じように変更は許されません。結論はそのまま受け入れなくてはならないのです。つまり、論理的帰結を勝手に変更することも「改竄」と見做すのです。その理由も数式で説明しておきましょう。②の等式[1+1 = 2]の両辺に、[3]を足しましょう。すると等式は[3+1+1 = 3+2]になります。これもそのまま受け入れなくてはならないのです。

大切なのは、これらの「改竄」を許すことは、憲法を「尊重する」という99条の規定に反しているという事実ですし、かつ憲法が「最高法規」であるという98条にも反します。証明は次回に回します。皆さんも考えてみて下さい。

 

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