被爆者

2025年7月 8日 (火)

#2035ビジョン #2045ビジョン 前半 ―――#原水禁のパンフレットに #寄稿しました―――

#2035ビジョン #2045ビジョン 前半

―――#原水禁のパンフレットに #寄稿しました―――

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表紙の絵は染裕之原水禁共同議長による

 

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今年の8月6日まで、もう一月を切りましたが、今年の世界大会では2035・2045ビジョン (35/45ビジョン) を正式に打ち出して、多くの皆さんとともに具体的な活動に移りたいと考えています。できれば、一人だけでも手の着けられるような具体的な行動を提案したいのですが、そのために、先ず、35/45ビジョンの概観をお浚いしておきます。

原水禁が6月28日のシンポジウムのための分り易いパンフレットを作成してくれましたので、その中での「35/45ビジョン」についての記述を二回に分けて、ここにアップしておきます。

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2035・2045ビジョン

「2035・2045ビジョン」(「35/45ビジョン」とも略記します)とは、被爆80周年を出発点として、2045年までに核兵器を廃絶するという目標を掲げた行動計画です。中間目標は2035年までの核先制不使用宣言です。

《なぜ2045年までなのか》

2045年までという期限を切っているのは、「期限のない目標は夢に過ぎない」という言葉が示すように、この計画に現実性を付与するためですし、被爆者のお元気な内に核兵器を廃絶するというもう一つの目的にぎりぎり間に合う年だからです。

「被爆者の存命中に」には、もう一つ大きな意味があります。それは、「核抑止力」を持つのは被爆者であるという真実です。

通常、「核抑止力」を持つのは核兵器だという言説が受け入れられています。ある国が核兵器を使えば、被害を受けた国が今度は自国の核兵器で報復をすることになり、それは避けたいから、元々の核兵器使用を断念するという、という理屈が受け入れられています。そして、1945年から今まで核兵器が使われてこなかったのは、この力が働いたからだというもっともらしい説明が付け加えられることもあります。

しかしこの考え方に対する反論は、1962年のキューバ危機を考えるだけで十分なのではないでしょうか。「危機」の中身は、核兵器を使うか否かという究極の選択を迫られ、それを米ソ両国が何とか回避した、ということなのですが、そもそも核兵器がなければ、使うかどうかという選択肢も危機も存在しなかったのですから。

《被爆者こそ「核抑止力」そのもの》

私たちが再確認すべきなのは、これまで核兵器が使われなかったのは、被爆者が自分たちの体験を世界に発信し、「絶対に使ってはいけない」ことを訴え続けたからという事実です。昨年のノーベル平和賞は、被爆者が「核のタブー」を創った功績を授賞理由として掲げています。「核のタブー」とは、核兵器を使ってはいけないという世界的合意を指しています。それこそ正に、被爆者が「核抑止力」を持つということに他なりません。

さらに、世界的ベストセラーだった『ヒロシマ』の著者、ジョン・ハーシー氏も同じ点を強調しています。1985年、『ヒロシマ』のアップデートを執筆するために広島を再訪問した氏は私に、「これまで核兵器が使われなかったのは、被爆者が世界に向って自らの体験を語り訴えてきたからだ」述べました。

ノーベル平和賞委員会と、20世紀最高のジャーナリストが口を揃えて、「核抑止力を持つのは被爆者だ」と明言しているのですから、これこそ真実であると考えて良いのではないでしょうか。

となると、別の問題が生じます。「抑止力」を持つ被爆者の高齢化です。被爆100周年の2045年までお元気な被爆者の数は限られているでしょうから、「抑止力」は弱くなり、それ以降は核兵器の使われる可能性が高くなるというのが論理的結論です。

核兵器の使用を阻止するためには、被爆者の皆さんの力がまだ強い間、2045年までに核兵器を廃絶することが合理的目標として浮かび上がります。

《核の先制不使用は実現可能です》

同時に、私たちもその年まで元気で活動できない可能性がありますので、2035年という期限を設けて、核保有国が核兵器の先制不使用を宣言する、という中間目標を掲げました。ここでは、十分条件的な考え方に基づいての目標設定であることがカギになります。それは、核兵器先制不使用宣言実現の可能性が高いことに注目したからです。

核の先制不使用宣言はなぜ実現可能なのか、六つの理由を挙げておきましょう。。

①  プーチンが核の脅迫を行ったことで、世界的に核の危険性が再認識されました。

②  中国とインドは核兵器の保有とともに先制不使用政策を採用しています。先制不使用宣言が9分の2は実現していることになります。核兵器禁止条約を批准している国が9カ国中ゼロであることとは対照的です。さらに、中国は最近、先制不使用路線を強化する動きを強めています。

③  アメリカはオバマ政権の時に先制不使用を宣言すべく努力をしました。アメリカ国内での世論の盛り上がりが期待できます。

④  非核地帯条約を締結して、すでに核の先制不使用が、限られた地域内ではあるものの実現しています。南アメリカそしてカリブ海地域がそれです

⑤  核の先制不使用は言葉だけで実現可能です。核保有国首脳の意志だけで実現します。対して、核兵器禁止条約の方は、核弾頭やミサイルの解体や核兵器を下支えする経済・技術システムの大変革等、批准に伴う義務を実行するためには膨大な時間もエネルギーも掛かります。取り敢えず、「使わない」という決定とその約束の遵守から始めるのは、現実的な選択肢です。

⑥  被団協がノーベル平和賞を受けたことを契機にして、核兵器を廃絶しなくてはならないという機運が世界で高まっています。

さて、ここからが私たちの出番になるのですが、最終的に「核の先制不使用」を宣言するのは、核保有国です。私たちは、それらの国の市民でもありません。私たちの思いをどのような形で核保有国にまでつなげれば良いのでしょうか。

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後半は次回。

 

皆様にとって、きょう一日が素晴らしい24時間になりますよう!

[2025/7/8    人間イライザ]

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2025年6月25日 (水)

「#原爆投下は合法」が #日本政府の一貫した立場 ―――#事実が示しています―――

「#原爆投下は合法」が #日本政府の一貫した立場

―――#事実が示しています―――

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日本政府の紋章(Public Domain)

 

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核兵器を廃絶するために、どうしても必要な事はいくつかあるのですが、その一つははアメリカの世論を変えることです。何度も繰り返しますけれども、「パールハーバーという最も卑劣な行為を日本が行ったから原爆を投下した、したがって原爆投下は合法的だし、良いことだった」という、多くのアメリカ人が未だに信じている原爆観も変えない限り、核兵器を廃絶しなくてはというアメリカの意志を作ることはできません。この点はご理解いただけると思います。

アメリカに長い間住んで、この点を身に浸みるほど感じてきましたので、私はこのアメリカの世論を変えるために、様々な活動に従事してきました。それについては、またの機会にまとめておきますが、もう一つ核兵器を廃絶する上での大きな障害があります。

それは日本政府が原爆投下は合法的だという主張をずっと続けてきていることです。これはあまりにも私たちの常識とかけ離れているために、ほとんどの人はそんなことは端から信じようとさえしないくらい、私たちの常識に反しています。日本政府は当然、原爆投下は国際法違反であり、核兵器を廃絶するために、仮に各国の先頭には立たなくても、少なくとも好意的な態度をとっているというふうに考えがちです。

しかしながら、現実は大きく違っています。この点については、昨年12月のこのブログでいくつかの点を挙げてまとめましたので、皆さんには再度そのブログを御覧頂きたいと思います。

その説明の中で、一つ分り難いかもしれないのがNPT、核不拡散条約についての態度です。NPTは曲がりなりにも核兵器の問題について存在する数少ない条約の1つですので、大切にすべきだという事に異論はありません。しかしながら、日本政府が核の問題を考える上でこの条約が「原点」だと言っているところは大きな問題です。

なぜなら、核不拡散条約は安保常任理事国5カ国が核兵器を保有することを認めているからです。つまり、核兵器の保有は合法だと明確に謳っているからです。より詳しくは再度昨年12月の記事をお読みください。

もう一点、では日本政府に対して私たちはどう向き合えば良いのかを考えなくてはなりません。一つの思考実験として、またショック療法として「日本政府抜きで核兵器の廃絶を」という提案もしてみましたので、そちらもお読み下さい。

 

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[2025/6/25    人間イライザ]

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2025年6月16日 (月)

#国家情報局の #Gabbardさんと連帯しよう ―― #Xの動画を見て下さい――

#国家情報局の #Gabbardさんと連帯しよう

―― #Xの動画を見て下さい――

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Tulsi Gabbard長官 (Wikipedia)

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アメリカのナショナル・インテリジェンスのディレクターであるタルシー・ギャバードさんが、数日前、Xに素晴らしい動画を投稿しました。

彼女が広島を訪問し、資料館を見たことがきっかけになって、広島・長崎の被爆の状況をつまびらかに理解し、二度とこんなことがあってはいけないという信念が固くなったのです。その気持を当時の映像等も交えながら、動画の短いクリップにまとめました。当然、その中には核戦争は絶対起こしてはいけないという強いメッセージが含まれています。まずは動画を御覧下さい。

本来であれば、今こそ日本政府がこの投稿に注目し、「ギャバードさん、核兵器廃絶のために、あなたの力を貸して下さい」と、強力にアピールしなくてはならないほどの画期的出来事です。特に、被爆80周年の今年こそ、核廃絶を目指す仲間を増やし、そして全世界的な運動を展開すべき立場にあるのが日本政府だからです。広島市や広島県、そして平和運動に携わっている人たちもこの機会を逃してはなりません。ギャバードさんの動画を見た上で、彼女にも仲間に入ってもらうにはどうすれば良いのか、その上で、これからの運動をどう展開すべきなのか、大きな議論が起きてもおかしくはない話です。

もちろんギバードさんは共和党員ですし (一時は民主党員で、民主党からの大統領候補として出馬する予定もあったのですが)、 さらにはトランプ政権の閣僚です。Xへの投稿も政権の考え方を示したものではないという但し書きが明確についています。

しかしながら個人の意見ではあっても、これほど明確に広島や長崎の被爆者と同じ考え方を発信しているのですから、そして共和党の非常に重要な地位にある人なのですから、彼女のアドバイスを貰いながら、さらには彼女に私たちの方から連帯の意思を示して、仲間としてこれから活動を共にする可能性を探る、少なくともそんな試みをする価値があるのではないでしょうか。

まずは彼女がこういう発信をしてくれたことに、私たちとして感謝の気持ちを伝えること、さらには彼女の動画の内容がいかに素晴らしいものであるかを評価して、それをより多くの人に伝えるくらいの事はすべきだと思いました。Xへの返信としてその趣旨のことを書き込みました。そして投稿しました。

しかしそれだけでは充分ではありませんので、メール機能を使ってもう少し長く私の考えていたことを伝えましたが、やはり文書として、紙の手紙としてギャバードさんに送ることが大事なのではないかと思い、手紙を書きました。

これを私一人だけではなく、できるだけ多くの志を共にする人たちと共有し、同じような発信をギャバードさん宛に、そしてこの世の中にはまだまだ同じようなことを考えている人があるだろうことを期待しながら、私と同じ行動を取ってくれることを祈りつつ、記者会見をしてより多くの人に知って貰いたいと思いました。

その記者会見の資料として配布したいと思っているギバードさんへの手紙、そして2045ビジョンの私案は記者会見後にアップします。このビジョンついてギャバードさんにアドバイスを貰い、さらに運動方針として、原水禁がこの案を採択してくれることを期待しています。その案もここで皆さんと共有したいと思います。

被爆者が高齢化する中、被爆者の気持を継承していく事は大事です。しかし、被害者の気持の中で一番強いのは核兵器を廃絶して欲しいという気持なのではないでしょうか。となると、核兵器を廃絶して欲しいと言うメッセージを私たちが繰り返すことに加えて、誰かが、廃絶するための具体的な行動を実際に始めることこそ、被爆者の気持に沿うことになるのではないでしょうか。その点についても合わせて記者会見でお伝えできればと思います。

 

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[2025/6/16    人間イライザ]

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2025年1月27日 (月)

#ハワイ大学での講義 ―― #反戦・反核がテーマです ――

#ハワイ大学での講義

―― #反戦・反核がテーマです ――

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#日英二か国語での講義でした

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ハワイ大学ヒロ校の本田正文教授の肝煎りで、「Sound of Peace—Nuclear Deterrence and Japan」と題する、講義と映画の会が開かれました。その前半、講義の部分でお話をしました。

パワーポイントのスライドの表紙を最初に掲げましたが、「被爆者が核抑止力を持つ」ということを中心にした講義内容になりました。その力の源は、被爆者が自らの体験を一言で表すときに使う言葉「こんな思いを他の誰にもさせてはならない」にあります。このブログでこれまで何回もこの点には触れていますので、今回は詳細を取り上げません。

講義は日英二か国語併用で行いました。質問も日本語と英語両方の言葉で、大変良いものでした。

  • たとえばアメリカの大統領が広島に来るとは、個人としてくる場合と、大統領としてくる場合とではどんな違いがあるのか。
  • 日本政府は何故核兵器禁止条約を批准しないのか。
  • 核兵器以上の恐ろしい兵器の開発が行われる可能性があるのか。
  • 日本政府が核兵器禁止条約に前向きではないことについて、広島・長崎はどう対応しているのか。

答えるのが大変でしたが、何とか期待には添えたような気がしています。今度はZoomではなく、直接対面で話すことができれば素晴らしいのですが---。

 

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[2025/1/27    人間イライザ]

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2025年1月 9日 (木)

#中間目標は #2035年 ――#核保有国に #核兵器の先制不使用を宣言させる ――

#中間目標は #2035

――#核保有国に #核兵器の先制不使用を宣言させる ――

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#米国大統領選挙でも #大議論を

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2045ビジョン」そのものに賛成して下さる方の増えていることを願っていますが、せめて「合言葉」として広めて頂ければ幸いです。

さて、大目標である核廃絶実現の期限を2045年に設定したとして、その前に中間目標を置いて、中間目標を達成した勢いで大目標に到達するという作戦を立てたいと思います。なぜ中間目標なのかという答えを四つ挙げておきましょう。

(A) 尊敬する数学者、広中平祐先生の言葉だから。

(B) お元気な被爆者の方々にこの成果を見て喜んで頂けるから。

(C) 私たちの内、何人が2045年まで生きていられるのか。2035年までなら頑張れる人も多いはずだから、我々の手でせめてこのくらい実現しよう。

(D) アメリカ市民の力を借りて、2028年、2032年の二つのアメリカ大統領選挙の主要争点の一つにすることで、世界的な大議論を巻き起こせるというまたとないタイミングがあるから。

 

(A)については説明が必要だと思います。それは、昨年1127日のこのブログで説明させて頂きました。

次に(B)については、126日の本ブログの記事としてアップしました。これもお読み下さい。

続いて、(C) については、「広島・長崎だけに任せるな」、そして自治体が先頭に立てという形での問題提起を1215日にしています。

それに加えて、「青年・中年・高齢者も頑張ろう」という提案1216日にしています。両方とも、我々の力で2035年までにNFUを実現しようという提案で、そのために何をすれば良いのかについてまで、早とちりかも知れませんが言及しています。

最後の(D)ですが、アメリカの政治は不思議な動き方をしますし、市民の力、世論の力も驚異的な結果をもたらしています。超保守的だと考えられていたレーガン大統領が1986年にレイキャビックでのサミットで、当時のゴルバチョフ書記長と核兵器全廃の合意をしたくらいなのですから。

このレイキャビック・サミットについては、このブログでは取り上げたことがないように思いますので、当時の議事録も引用して再度説明します。

 

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[2025/1/9    人間イライザ]

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2025年1月 8日 (水)

#100周年を #目標にする訳 ――#核抑止力は #被爆者が持っているから!――

#100周年を #目標にする訳

――#核抑止力は #被爆者が持っているから!――

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#ノーベル平和賞委員長も #同意見

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2045ビジョン」とその中間目標の「2035ビジョン」についての解説を続けています。今回は、何故「被爆100周年を目標にするのか」についての論考です。再度、それに付いてのスライドをアップします。

さて、最初のA) 被爆者の存命中に核廃絶を、については説明は不要でしょう。長寿社会ですから、被爆後100年経っても、何人かの被爆者の方に核兵器が廃絶されたという事実を確認して頂けるのではないでしょうか。

それ以後の四点は、B) 核抑止力は「被爆者」が持つ、という事実から出発します。これは、『ヒロシマ』の著者、ジョン・ハーシー氏が1985年に私に直接語ってくれたことですし、ノーベル平和賞委員会も同じことを述べています。

この点については、このブログの123日号以下、数回続けて論じています。まずは、その回を御覧下さい126日までのシリーズですが、再度、次回から言葉を補いながら筋道が分るようにできればと思います。

 

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[2025/1/8    人間イライザ]

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2025年1月 7日 (火)

#2045ビジョンとは ――#2045年までの #核廃絶を目標とする #行動計画です!――

#2045ビジョンとは

――#2045年までの #核廃絶を目標とする #行動計画です!――

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#期限のあることが #必要不可欠

 

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2045ビジョン」その中間目標の「2035ビジョン」も動き始めていることを昨日の冒頭に記しました。念のためこれまでの記録をチェックしたところ、「2045ビジョン」がそもそも何なのかを説明していませんでした。いろいろなところで言い続けている内に、このブログでも取り上げた気になっていました。遅まきながら、最初からお付合い下さい。

「被爆80周年記念事業」と名付けてのプレゼンのスライドが分り易いと思いますので、一枚ずつ解説入りでのブログ・プレゼンです。

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名称は「2045ヒバクシャ・ビジョン」の方が良いかもしれません。あるいは短い「2045ビジョン」の方が、伝達力はあるかもしれません。多くの皆さんがどう感じるかで決められればと思います。この計画を支える柱は三つあります。

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当たり前のことばかりなのですが、一つずつ吟味したいと思います。中でも特に強調したいのは、期限を設定することです。

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目標が核兵器の廃絶であることは、それを達成するための計画なのですから言うまでもないのですが、当たり前のことを蔑ろにするのが人間ですので、何度でも確認して行きましょう。

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何時から始めるのかも、当り前過ぎるかもしれません。でも、80周年に始めることとして核兵器の廃絶のための行動を結び付けて考えている人たちは意外に少ないように感じています。目標とスタート・ポイントが一体になることで、ハッキリとした決意が伝わるのです。

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もう一つの理由は、ノーベル平和賞委員長の言葉です。来年授与しようと考えていたが、被爆80周年に向けての準備をしなさいと促しているではありませんか。それを私なりに解釈すると(A’)になります。

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そして期限は被爆100周年の2045年です。その理由は次の通りです。

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これだけでお分り頂ける方も多いと思いますが、解説は明日に回します。

 

皆様にとって、2025年が素晴らしい一年になりますよう!

[2025/1/7    人間イライザ]

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2024年12月23日 (月)

#笹森恵子(しげこ)さんの著書 ――#タイトルは『恵子 ゴー・オン』――

#笹森恵子(しげこ)さんの著書

――#タイトルは『恵子 ゴー・オン』――

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表紙は、松本六平画伯による

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一日お休みしましたが、92年の生涯を閉じられた笹森恵子さんのエピソードを続けます。

《『恵子 ゴー・オン』》

ボストンのMANA反核コンサートの直後に書かれた本ですが、最初にこのコンサートのシーンが描かれています。エピソードとして微笑ましいのが、笹森さんの前に出演する女性歌手のドレスの色と重ならないように、紫をあきらめて薄緑の着物を着ることになった顛末です。笹森さんの、紫を着たかった気持が伝わってきます。

 

《講演の時には必ず手料理を持参して下さいました》

笹森さんには、私が教えていたTufts大学での講義の一環として、何度か被爆体験を話して頂きました。また、ボストン地域の平和集会等でも話をして頂きました。何千人もの集会の時は別でしたが、大学での授業の時は学生数も20人くらいです。その度に手料理を携えてお出で下さいました。

体験談の前に、学生たち仲良くなり、その後の被爆証言も学生たちに取っては別の視点も加わり自分たちにも関わりのある問題だという意識で聞いて貰えました。

 

《ノーマン・カズンズ記念碑》

2003年に、広島市特別名誉市民のノーマン・カズンズさんの記念碑が平和公園のすぐ外側に建立されました

広島平和資料館による説明がありますので、その中からカズンズさんについての説明を引用させて頂きます。

 

ノーマン・カズンズ氏(Norman Cousins)1915~1990

米国ニューヨークの文芸雑誌『土曜文学評論』の編集長として、1949(昭和24)年8月に広島を訪れ、ルポ「4年後のヒロシマ」を発表しました。そこには、原爆や戦争で肉親を失った子どもたちを育成する「精神養子」の考えも記されていました。

これは、善意のアメリカ人が子どもたちと法的でない養子縁組を結び、養育費を送ることで子どもの成長を支えるというもので、約500人の子どもが精神養子となり、総額2,000万円の援助が行われました。

さらに1955(昭和30)年、被爆女性の米国でのケロイド治療に尽力し、25名がニューヨークのマウント・サイナイ病院で、世界的に著名な形成外科医バースキー博士らの治療を受けることになりました。

これらの功績を称えて、1964(昭和39)年には、広島市特別名誉市民の称号が贈られました。

より詳しい説明が、「ヒロシマの今から過去を見て回る会」さんのウエブ・サイトにありますので、御覧下さい。

そこでも触れられていますが、カズンズさんの記念碑の除幕式で、娘さんを代表して長女のアンドレアさんが挨拶をしました。その中で印象に残っているのは、「父は、墓は立てずに、自分の骨は広島の上空から散骨して欲しいと言っていたのですが、それだけは止めて欲しい、自分たちのお参りに行く場所がなくなってしまうから」と説得して諦めて貰った、ということでした。

アンドレアさんの挨拶を通訳していたのが、カズンズ家の一員、笹森さんでした。でも途中で感極まって泣き出してしまい、通訳どころではなくなりました。会場全体もその気持に寄り添って、シーンとなりました。笹森さんの泣き声はそのまま続いたのですが、誰かが収拾しなくてはならない状況でもありました。

「私が通訳します」と何方かが手を挙げて下さればと見回したのですが、誰も手を挙げてくれません。私なら、その場に立ち尽くしている笹森さんを慰めるのと、通訳と一緒にできそうでしたので、アンドレアさんにそう告げて続けて貰いました。何だか、カズンズ家の準メンバーくらいだと認められたような気がしました。

 

《忍者》

比較的最近、笹森さんと広島市内でお目に掛かる機会が何回かありました。日常的な話もありましたが、一番盛り上がったのが忍者の話です。笹森さんが忍者の末裔、というより現代に生きる忍者と知り合いになり、忍者のあれこれについて話してくれたのです。一つ一つ詳しくは覚えていないのですが、忍者の日常や訓練、社会生活等について話してくれました。む忍者が現存していることにビックリ、彼らの生活にビックリ、そして笹森さんが知り合いになったことにビックリですが、彼女ならそんな知り合いがいても不思議ではありません。

笹森さんの人生を振り返り、彼女が世界に与えたインパクトを改めて確認しつつ、もし原爆が落とされなかったらと、悔しく思うと同時に、被爆者の生きている内に核兵器を廃絶するという目的を達成するのが私たちの責任であることを改めて言い聞かせていました。

 

最後に、今日一日が皆さんにとって素晴らしい24時間になりますよう

[2024/12/23    人間イライザ]

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2024年12月21日 (土)

#笹森恵子(しげこ)さんとの出会い ――#MANAコンサートでの「恵子 ゴー・オン」――

#笹森恵子(しげこ)さんとの出会い

――#MANAコンサートでの 「恵子 ゴー・オン」――

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『真珠と桜』

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昨日は、御冥福を祈りつつ笹森恵子さんの92年間の人生を簡単に御紹介しました。お伝えしたかったのは、彼女の生き方や考え方、そして彼女が「笹森恵子」であることそれ自体から私が大きな影響を受けてきたことなのですが、懐かしい思い出の中からいくつかを御披露させて頂きます。

 

MANA反核コンサート》

笹森恵子さんが亡くなられたのはロスアンゼルス近郊のマリーナ・デル・レイの御自宅でした。1932年生まれですので、92歳でした。映画監督のSteven Okazakiの言葉では、「彼女は世界中で誰よりも多くの人にヒロシマの物語を伝え、誰よりも多くの人の心を打った被爆者」です。

アメリカに長く住み、英語で自らの被爆体験を語る笹森さんが、直接、そして様々なメディアを通じて語り掛けた人の数が限りなく多かったのは当然です。今でも、「ヒロシマ」と言えば「パールハーバー」と返って来るケースが多いアメリカでは、初めて被爆者の体験に触れる人が圧倒的多数です。そんな人たちの心の奥まで揺さぶるストーリー・テラーとして平和のメッセージを伝え、核なき世界を目指そす多くの仲間を作ってくれた笹森さんに、改めて心からの感謝の言葉を捧げます。

私が笹森さんにお会いしたのは1978年、まだボストンの郊外のニュートンビルにお住いの頃でした。海外ジャーナリストを広島・長崎に招請する企画について相談に乗って頂くために、御自宅に伺いました。後に「アキバ・プロジェクト」と呼ばれるようになったのですが、笹森さんの後押しがなければ、このプロジェクトは陽の目を見なかったかもしれません。初めてお会いした時のこと、そして笹森さんが主役として大きな役割を果したボストンでの集会について、拙著から引用します。

『真珠と桜』(1986年、朝日新聞社刊)の104ページから107ページまでです。ちょっと長くなりますが、お付合い下さい。

笹森恵子さんにお会いしたのはそんな時だった。(中略)

世界的ジャーナリストとして有名なノーマン・カズンズ氏が音頭をとった〝原爆乙女"プロジェクよってアメリカに招かれ手術を受けた一人である。今ではカズンズ家の養女格で一人息子のノーマン君に大きな期待をかけている。そのくらいの予備知識で拙宅から車で二十分ほど離 れたニュートンビルに笹森さんを訪ねた。

 デュープレックスつまりアメリカ式二軒長屋の片方が笹森家で、玄関からいきなり階段を上った二階と、三階全体で五、六室ある。階段の上から「いらっしゃい」と歓迎してくれた笹森さんの第一印象は、身体全体を通しての微笑みと、小柄な身体から溢れ出るエネルギーだった。顔にはケロイドの跡がある。 曲ったままの指もある。 映画 『原爆の子』の中の女学生達のように、 笹森さんも朝礼中被爆したのだろうか。アメリカ人の善意で手術したのはどの部分なのだろう。そんな疑問も浮んだが、こちらの勝手な感傷とは全く関係なくたちまち笹森ペースで話が始った。

 今考えるとおかしな話だが、ジャーナリストを招くプロジェクトの趣意書は、さんざん加筆訂正した汚ないものをそのまま持ち歩いていた。ワープロがそれほど普及していなかったにしろ、清書くらいしておいて当然だったと思う。その読みにくい趣意書を、笹森さんは丁寧に読んでくれた。

 「本当にそう。アメリカの人達に被爆者のことをもっと知って貰うことには大賛成。でも、具体的に何をするかが問題ネ」

 「ローカル新聞の記者を招待するにしても本当に、良い人が集るかしら」

頷きながら、次々に質問が飛び出してきた。広島弁の混った、直観的な言い回しが笹森さんの特徴である。その感情につられないように私は論理的レベルで質問に答える。

最後には、「驚いたわ。あなたと私とは、同じようなことを考えていたみたい。私も応援するから頑張ってちょうだい。 お父さんにも話してみるから、英語の説明書も作ってちょうだい」ということになった。

 お父さんとは勿論、ノーマン・カズンズ氏である。笹森さんにはその後、ずっとアドバイザー として、困った事が起る度にお知恵を拝借している。その後、米国内で盛んになった反核運動でも、彼女は被爆者として積極的に発言を続けている。

 中でも印象深いのは、一九八二年二月ボストンで開かれたMANA(核兵器に反対する音楽家の会)の第一回コンサートである。ハーバード大学教授で作曲家のアール・キム氏が「核の鎖と憎しみの鎖を断ち切る」ために、クラシック畑の音楽家に呼びかけて設立した会である。私もアドバイザーとしてお手伝いしたが、第一回目のコンサートはボストン交響楽団のコンサート・マ スターだったジョセフ・シルバースタイン氏を初めとして世界的な音楽家達が参加して開かれた。

キム氏は長崎に原爆が投下された次の日、米空軍の偵察将校として超低空飛行を行って長崎の惨状を胸に刻み込んだそうである。その惨状を伝えるため、また、アメリカ人に核兵器、その中でも広島と長崎の原爆に対する責任を真正面から見つめて貰うため「MANAのコンサートには どうしても被爆者に参加して貰い、被爆者のメッセージを伝えて貰わなくてはならない」と言う。

 憎しみの鎖を断つことが可能である証拠として、キム氏は被爆者の経験ならびに氏の経験を挙げる。

「被爆者はアメリカ人を恨んではいないそうではないか。彼らは憎しみの鎖を自ら断った人々だ。 私も子供の頃、日本人を憎むよう教えられ育てられた。日本人が朝鮮人にして来たことを考えると、私には日本人を憎む気持もよく分る。だが、憎しみの鎖はどこかで断ち切らないといけない。だから私は、日本人を恨み憎むことは自分の所で終りにすると心に決めた。大学時代のことだ」

そのキム氏の主催するコンサートで笹森さんが、シンフォニー・ホール一杯の聴衆に向って平和への努力を続けようと訴えた。

 「私は今、病院の新生児室で働いています。辛いこと、苦しいことがあると、赤ちゃん達が無言の内にも私を励ましてくれます。 『恵子、ゴー・オン(ガンバレ)。恵子、ゴー・オン』と言って いるように聞えます。皆さんも、苦しいことがあってもそれに負けずに、一緒に平和のために頑張りましょう」

 三千人以上の聴衆は起立して心からの拍手を送った。このコンサートの成功が契機となって笹森さんは、あちこちの大集会に引っ張り出されることになる。

このコンサートのクライマックスは、笹森さんが励ましの言葉として使った、「恵子、ゴー・オン」でした。それが笹森さんの人生を象徴する言葉だったことが、3000人の聴衆に伝わり、鳴り止まぬ拍手になったのですが、同年の6月には、その気持を文字化した『恵子 ゴー・オン』が汐文社から出版されました。

2月21日のMANAコンサートでもう一つ忘れてはならいのが、アール・キムさんの作曲した「Now and Then」です。今でもキムさんの音楽はクラシック・ファンの中で生き続けていますが、MANAコンサートではE. マクナマラさんの歌唱が、キムさんが長崎で受け止め、40年近く掛って表現することになった原爆・核兵器との遭遇の意味を、笹森さんや会場を埋め尽くした、志を共にする人たちに伝えてくれました。

笹森さんにとってこのコンサートは、大きな集会で被爆体験を語る初めての経験だったのですが、それ以後、至る所で被爆体験を語ることになります。

その他の場での笹森さんとのお付き合いもいろいろありましたが、印象に残っていることをいくつか、次回も御披露します。

 

最後に、今日一日が皆さんにとって素晴らしい24時間になりますよう

[2024/12/21    人間イライザ]

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2024年12月20日 (金)

#追悼 #笹森恵子(しげこ)さん ――#誰よりも多くの人にヒロシマの物語を伝えた被爆者(by Steven Okazaki)――

#追悼 #笹森恵子(しげこ)さん

――#誰よりも多くの人にヒロシマの物語を伝えた被爆者(by Steven Okazaki)――

241219

そして「#原爆乙女」のお一人です

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連続して、核廃絶のため私たちに何ができるのかを考えてきましたが、とても悲しい訃報が届きました。中断して笹森さんの92年間の人生の中からいくつかのエピソードをお届けして、御冥福をお祈り致します。

 《笹森恵子さん》

笹森恵子さんはロスアンゼルス近郊のマリーナ・デル・レイの御自宅で亡くなられました。1932年生まれですので、92歳でした。映画監督のSteven Okazakiの言葉では、「彼女は世界中で誰よりも多くの人にヒロシマの物語を伝え、誰よりも多くの人の心を打った被爆者」です。

笹森さんのことをあまり良く御存じはない方のために、年表式に彼女の人生を辿ってみます。

1932年生まれ

1945年、13歳の時に被爆しました

1952年、流川教会の谷本清牧師によるバイブル・クラス「シオンの会」の会員に 

1952年、作家の真杉静江さんらが、笹森さんたち10人の少女を整形手術のために東京に招待、この年に

巣鴨の拘置所に、戦争犯罪者たちを訪問

俳優等の著名人が中心になって募金活動開始

身体機能回復のために、30回近い手術を受ける

ノーマン・カズンズ氏 が 「精神養子運動」(Moral Adoption Program) を1950年に、また、「広島の乙女」プロジェクト( Hiroshima Maidens Project) を1955年に立ち上げ、アメリカで治療を受ける「Hiroshima Girls」の一人に選ばれる

これを契機にアメリカで生活

1962年に、息子のノーマンが生まれる

被爆者としての証言で特に注目すべきなのは、

1980年と1982年に、アメリカの上院での証言

1982年に ボストンで開かれた MANA (核兵器に反対する音楽家の会) コンサートで証言

その後も、アメリカを中心に証言活動を世界的規模で続ける

 

アメリカに長く住み、英語で自らの被爆体験を語る笹森さんが、直接、そして様々なメディアを通じて語り掛けた人の数が限りなく多かったのは当然です。今でも、「ヒロシマ」と言えば「パールハーバー」と返って来るケースが多いアメリカでは、初めて被爆者の体験に触れる人が圧倒的多数です。そんな人たちの心の奥まで揺さぶるストーリー・テラーとして平和のメッセージを伝え、核なき世界を目指そす多くの仲間を作ってくれた笹森さんに、改めて心からの感謝の言葉を捧げます。

笹森さんとの思い出は多くありますが、次回はその中から特に印象に残っているものをお伝えできればと思います。

 

最後に、今日一日が皆さんにとって素晴らしい24時間になりますよう

[2024/12/20    人間イライザ]

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