核兵器

2023年9月24日 (日)

原爆の責任議論を「棚上げ」したのは何故か ――一つは、外務省が広島の平和行政を仕切っているから――

原爆の責任議論を「棚上げ」したのは何故か

――一つは、外務省が広島の平和行政を仕切っているから――

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資料館も平和文化センターの所管です

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昨日の問題提起を再録します。

「政府・外務省が原爆投下は合法だと考えていることはお分り頂けたとして、「被爆地には米国の投下責任を問う声が根強くあり」と言われる、その広島の声を代弁すべき「広島市」がなぜ、「米国の責任の議論を現時点で棚上げにし」たのでしょうか。」

答は、広島市の平和行政が外務省に乗っ取られているからです。

それは、人事を見ることで納得して頂けるはずです。広島市の平和行政を中心になって回しているのは、公益財団法人の広島平和文センターです。広島平和記念資料館もこの広島平和文化センターの所管です。その理事長の仕事が2013年から今まで、全て外務省の天下りポストになってしまっているのです。

このセンターは1976年の発足以来、理事長職には、広島で原爆記者と呼ばれるような活動をしてきたジャーナリスト出身者や、広島の平和運動についての理解者が選ばれました。私が市長の時には広島の世界的な発信力を強めるために、アメリカ人の平和活動家に理事長をお願いしました。

この人たち全て、「棚上げ」を許容することなど考えられない人たちばかりです。

そして、天下り人事の決定としか思われないことの一つは、2017年と2018年の広島の平和宣言です。2017年に国連総会で、核兵器禁止条約が採択されましたが、その直後に外務省は、「日本政府は署名も批准もしない」と明確に意思表示をしました。

それを尊重したせいでしょうか、広島の平和宣言は2017年と2018年の平和宣言では、日本政府に対して「署名すべきだ」とも「批准すべきだ」とも主張していないのです。2019年になってようやく「核兵器禁止条約への署名・批准を求める被爆者の思いをしっかりと受け止めていただきたい。」という形ですが、署名と批准を求める立場を取りました。

しかし、それは2年掛けて私たち市民が広島市に強力に働き掛けた結果です。それでも2年も掛かったのですから、相手の手強さは尋常ではありません。

誰の差し金も受けないで、広島市がこのような姿勢を取ること考えられない、と思ったのは私だけでしょうか。

さらに、今年になってからは、『はだしのゲン』や第五福竜丸についての記述を平和読本から削除し、それまでは「核廃絶」を提唱していたにもかかわらず、それを「核軍縮」に弱めてしまいました。また、広島の平和公園と、ホノルルのパールハーバー国立公園との姉妹公園協定を結んだのも、一連の流れに沿っています。

では改めて、平和公園とパールハーバー国立公園の姉妹公園協定がなぜ浮上したのかを考えると、必然的に今年5月のG7広島サミットと関連しているのだろうと思わざるを得ないのですが、同時にアメリカで何が起きているのかも参考になりそうです。

次回はその視点から考えて見たいと思います。

 

最後に皆さんにとって、今日一日が素晴らしい24時間でありますよう!  

 [2023/9/24 人間イライザ]

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2023年9月23日 (土)

今、広島で起きていること (2) ――大阪講演報告5・「原爆の責任議論は棚上げ」した広島市――

今、広島で起きていること (2)

――大阪講演報告5・「原爆の責任議論は棚上げ」した広島市――

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「米国の責任議論は棚上げ」の意味を考えよう

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昨日のブログの最後に、「日本政府が「原爆投下は合法」だと考えているなどとは、ほとんどの人が知らないことらしいのですが、実は私はそのことにも吃驚しているのです。」と書きましたが、改めて、日本政府の意図を踏まえた事件が起きました。

一昨日、21日の広島市議会の一般質問で、広島の平和公園とホノルルのパールハーバー国立公園との姉妹公園協定が取り上げられました。

その件についての市側の答弁が、「協定は、原爆投下に関わる米国の責任の議論を現時点で棚上げにし、まずは核兵器の使用を二度と繰り返してはならないという市民社会の機運醸成を図るために締結した」(*)だったのだそうです。

これについての中国新聞の報道では、「被爆地には米国の投下責任を問う声が根強くあり、波紋が広がっている。」(*)とのことですが、意地悪くこの部分を読むと、被爆地以外では投下責任を問う声があまり大きくないという含意さえ読み取れます。

[ここで引用している二つの言葉には(*)を付けましたが、中国新聞のディジタル版からです。]

でもこのような報道も、日本政府が「原爆投下は合法だ」と考えており、多くの日本国民がそれを許しているという前提を設ければ、全く問題はありません。

しかしながら私には、国民が許しているのではなく、単に政府の姿勢を知らないだけなのではないかと見えますので、改めて、日本政府の考え方を、9月9日の大阪講演では資料としてのみお渡しした、下田判決の概要を示すことで知って頂きたいと思います。

東京地方裁判所は1963年12月7日に、「下田判決」として知られる判決を下しました。1955年(昭和30年)4月、広島の下田隆一さんら3人が、国を相手に東京地裁に損害賠償とアメリカの原爆投下を国際法違反とすることを求めて提起した訴訟の判決です。

その内容は、

  • 原告の損害賠償請求は棄却。
  • アメリカ軍による広島・長崎への原爆投下は国際法に違反する。
  • 被爆者はアメリカに対する損害賠償請求権を持たない。

というものでしたが、裁判長は特に、次のようなコメントをしています。

 「国家は自らの権限と責任において開始した戦争により、多くの人々を死に導き、障害を負わせ、不安な生活に追い込んだのである。しかもその被害の甚大なことは、とうてい一般戦災者の比ではない。被告がこれに鑑み十分な救済策を執るべきことは、多言を要しないであろう。それは立法府及び内閣の責務である。本訴訟をみるにつけ、政治の貧困を嘆かずにはおられない。」

 この裁判は「 原爆裁判」としても知られていますが、被告としての日本政府の言い分は、「原爆投下は合法だ」なのです。裁判中の言い分を要約しておきましょう。

  • 「原子爆弾使用の問題を、交戦国として抗議をするという立場を離れてこれを客観的に眺めると、原子兵器の使用が国際法上なお未だ違法であると断定されていないことに鑑み、にわかにこれを違法と断定できないとの見解」
  • さらに「その当時原子兵器使用の規制について実定国際法が存在しなかったことは当然であるし、また現在においてもこれに関する国際的合意は成立していない」という理由で原爆使用の違法性を否定。
  • またハーグ陸戦法規などの諸条約は原子兵器を対象とするものではないので無関係だという立場。
  • 「敵国の戦闘継続の源泉である経済力を破壊することとまた敵国民の間に敗北主義を醸成せしめることも、敵国の屈服を早めるために効果があり」、広島・長崎への原爆投下も日本の屈服を早めて交戦国双方の人命殺傷を防止する効果を生んだと主張。

下田判決の原文コピーは、このサイトで読むことが可能です。

その後も、1994年には、外務省の高官が、「核兵器使用は国際法違反」と主張する輩は馬鹿だ、と発言していますし、1995年には、国際司法裁判所で広島・長崎市長が核兵器は国際法違反だと陳述するのを妨害しているなど、核兵器は国際法違反ではない(つまり合法である)、との主張は変えていません。

核兵器の保有や使用、威嚇等が国際法違反だとすると、当然、広島・長崎への原爆投下も違法になる訳ですから、この点は譲れないのでしょう。

政府・外務省が原爆投下は合法だと考えていることはお分り頂けたとして、「被爆地には米国の投下責任を問う声が根強くあり」と言われる、その広島の声を代弁すべき「広島市」がなぜ、「米国の責任の議論を現時点で棚上げにし」たのでしょうか。

長くなりましたので、次回に。

 

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 [2023/9/23 人間イライザ]

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2023年9月22日 (金)

今、広島で起きていること ――大阪講演報告4・外務省や日本政府抜きには語れない――

今、広島で起きていること

――大阪講演報告4・外務省や日本政府抜きには語れない――

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G7広島サミットでの「ヒロシマ・ビジョン」は、「ヒロシマの心」を蔑ろにしたものでした。

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もう10日も経ってしまいましたが、9月9日、大阪のPLP会館で「憲法9条--世界へ未来へ近畿地方連絡会」主催の講演会が開かれました。講師の私に与えられたテーマは、「弄ばれたヒロシマ  前広島市長から見た「G7広島サミット」について」でした。今回は、その報告の第4回目です。

テーマが、G7広島サミットですし、中でも、核兵器と安全保障が私たちの関心事です。この点についてG7サミットでどんな結果になったのかは、「核軍縮に関するG7首脳広島ビジョン」(略して「ヒロシマ・ビジョン」)としてまとめられた文書に全て盛り込まれていると考えて良いでしょう。

その要旨を一枚のスライドにまとめたのが、最初の画像です。もう4か月も前のことなのですが、記憶を確かめて頂ければ幸いです。でもそれだけでは、広島で何が起きているのか、と言うより、正確には「ヒロシマ」という触れ込みで、多くの人の目を眩ませている現実までは分りません。ましてやその点について、大多数の人が気付いていないという状況にも思いが至らないでしょう。

分って貰うためには、これまでの外務省・日本政府が核兵器についてどのような態度を取ってきたのかをお浚いしておかなくてはなりません。それが次のスライドです。

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当日の質問・コメントにあったように、この中でも、日本政府が「原爆投下は合法」だと考えているなどとは、ほとんどの人が知らないことらしいのですが、実は私はそのことにも吃驚しているのです。

その他の項目についても、皆さんは意外だと感じられているのかもしれません。時間は掛かりますが、そしてこれまでにも何度も繰り返してきてはいるのですが、改めて、説明して行きたいと考えています。

 

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 [2023/9/22 人間イライザ]

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2023年9月20日 (水)

岸田外交の本質 ――核兵器禁止条約締約国会議にオブザーバ参加さえ拒否する理由は?――

岸田外交の本質

――核兵器禁止条約締約国会議にオブザーバ参加さえ拒否する理由は?――

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本来なら先頭に立って世界を牽引しなくてはならない日本政府がこの体たらく

 

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何度、内閣改造を繰り返しても岸田内閣の外交は変りません。もちろん、核兵器禁止条約の締約国会議へのオブザーバー参加も拒否し続けるでしょう。岸田内閣の本質は外務省の意向に従うだけだからです。

そのことがハッキリ分るように、核兵器禁止条約締結のための国連の動きを年表にまとめました。「OEWG」は、公開作業部会のことで、この部会で市民社会の代表も参加してほぼ理想的な形の核兵器禁止条約案をまとめました。

それを国連総会に提出して、今度は条約締結のための交渉を始めることになったのですが、一連の動きの中で、日本政府は、反対・棄権・不参加という形での対応しかしていません。本来なら、世界の先頭に立って、この条約を作るために「唯一の被爆国」として汗水垂らして働くべき立場の日本ですから、さすがに全部反対という訳には行かなかったのでしょう。そして、核兵器廃絶のためには最重要だったこの時期は、岸田外務大臣の任期とピッタリ重なるのです。

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これは偶然ではないでしょう。、G7広島サミットでは、恥も外聞もなく外務省・日本政府の本音を実現した「被爆地広島出身の総理大臣」なのですから、その前哨戦として、核兵器禁止条条約阻止という役割を担わされた外務大臣だった、と言ったら失礼過ぎるでしょうか。

外務大臣としての任期が一番長い岸田総理ですが、その内閣の外交政策が、これまでの外務省・日本政府の立場を超えて、真に日本国民・市民のためのものになることは、まず不可能だと考えるべきでしょう。

となると、私たちのなすべきことは、政権を変えることしかありません。あるいは、現政権でも耳を貸さざるを得ないほどの大きな国民的運動を展開することになるのではないでしょうか。

 

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 [2023/9/20 人間イライザ]

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2023年9月16日 (土)

「即時行動」への共感 ――大阪から新たな動きが生まれそうです――

「即時行動」への共感

――大阪から新たな動きが生まれそうです――

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近畿9条の会の講演で多くの皆さんにも賛同して貰えた点です

 

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「大阪そして近畿は維新に乗っ取られてはいない」との感を強くしたのが、9月9日、PLP会館での講演後の質疑とその後の小規模の意見交換会でした。私に与えられたテーマは、「弄ばれたヒロシマ  前広島市長から見た「G7広島サミット」について」でした。

二日前にも報告しましたが、主催団体の「憲法9条--世界へ未来へ近畿地方連絡会」の皆さんの熱意とこれまでの活動を一言でまとめると、最初の言葉「大阪・近畿は維新に乗っ取られてはいない」なのです。

確かに、選挙結果とマスコミの報道だけを見ると、維新の力の大きさに圧倒されがちです。でも今回痛感したのは、それに負けない多くの人々の活動があり、新たな力を注入して理想の政治実現のために頑張ろうという強い意志のあることでした。

それは、何人かの方からのコメントから伝わってきました。例えば、「Change.org」を使っての署名運動を使う可能性が伝わりました。

この画像は、昨年3月1日、一人で始めた署名運動ですが、4月末までには10万人以上の方々から賛同の署名を頂きました。その結果をプーチン大統領や岸田首相、核保有国の首脳に送り、「核兵器を使わない」と宣言するように迫りました。

宣言はまだ実現していません。でも今までの所、核兵器は使われていません。そして、「署名」という行動を取ってくれた一人一人にとっては、宣言が実現するよう、さらなるプレッシャーを掛け続ける上でのインセンティブになっています。

「たくさんのメールを貰うので、どれに賛同すれば良いのか迷うことが多かったのですが、自部で署名運動を始めるという発想がありませんでした。これは、使える道具になりますね。」という言葉から、新たな可能性を思い描いています。

もう一つ、参考になったというコメントをいくつか頂いたのは、マイケル・ムーアの「テンポイント・アクション・プラン」です。

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この中で、3.の「すぐやる」チームを友達数人で作って、1.と2.、つまり、国会議員や県・市会議員・町村議会議員等の事務所に、日にちを決めておいて順番に電話をすることなど、すぐできます。また月に一度は全員で、議員たちを順番に訪問して自分たちの意見を伝えることもできます。

ここで大事なのは、喧嘩をするための電話や訪問ではないことです。出来れば事務所のスタッフと友達になって、議員本人にも会わせて貰うこと、そして、私たちの味方につけることです。

「議員に電話をすることなんて考えてもみなかった」という方もいらっしゃいました。また、自分で、どのレベルの選挙でも良いので、リーダー役を買って出ることもお勧めしました。それが直ちに、維新の活動を超える結果を生むとは思いませんが、そんな目標に向かって、希望を感じられるような皆さんからの発言でした。

その他の質問についても、順次報告します。

 

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 [2023/9/16 人間イライザ]

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2023年9月13日 (水)

大阪での講演会報告です ――前向きな質問と発言ばかりでした――

大阪での講演会報告です

――前向きな質問と発言ばかりでした――

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G7広島サミットとは対照的だった2008年のG8下院議長会議の一行

 

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加藤友三郎没後100年記念シンポジウムが成功裡に終り、9月9日の午後2時から、大阪の北区天神橋3丁目にあるPLP会館での講演会も終了しました。テーマは、「弄ばれたヒロシマ  前広島市長から見た「G7広島サミット」について」です。

講演内容は、一コマずつという感じで今後、問題提起をして行きますが、今年のG7広島サミットとを考える上で、問題点がはっきりするのは、2008年に開かれたG8下院議長会議と対比することだと思います。これも、問題提起の中で指摘する積りですが、慰霊碑前の写真が示しているのは、下院議長さんたちが、被爆者に向き合ってくれたことです。慰霊の気持を示すだけでなく、今後自分たちがどのように行動を取るのか、慰霊碑に向かった決意を示しています。

今日は会場からの質問や発言を要約しておきます。講演の後の質疑の時間は短くて消化不良になることが多いのですが、今回は実のある内容の発言が多く、勇気付けられました。またその後の小規模の情報交換会でも、元気の出るコメントを沢山頂き、とても嬉しい一日になりました。

主催は、憲法9条--世界へ未来へ近畿地方連絡会(9条連・近畿)です。連絡会の皆さんとはもう10年来のお付き合いになりますが、それ以来、何度も御一緒させて頂いている方々ができるほど考え方の似ている存在です。

最初の質問は、1979年から始まった、いわゆる「アキバ・プロジェクト」で広島・長崎を取材した記者たちのその後についてでした。広島国際文化財団が主催してくれることになったこの事業は、海外のローカル・メディアの記者を広島と長崎に招請して、被爆者その他の関係者に会って貰い、自分たちの目で見た広島・長崎を報告して貰うことが目的でした。始まったのが40年も前ですし、10年で一応終止符を打ったのですが、日本で言えば「原爆記者」のような仕事をしてくれた人も出ましたし、その後、教育者として活躍した人、平和活動を中心に頑張った人等々、いろいろな人生を送っている人たちですが、残念なことに時間の経過とともに絆は細くなっています。

ただ、最近のアメリカの動きからは、こうした視点からアメリカのメディアに働き掛ける必要性が増してきたような気がしています。その点については稿を改めて報告します。

また、長い間、核兵器廃絶の運動をしてきているが、日本政府が広島・長崎への原爆投下を国際法違反ではないと主張していることは初めて知った、という驚きの言葉もありました。そうなのです。まさか日本政府が原爆投下を「合法」だと考えているなどと想像だにできない人がほとんどだと思います。

でも、日本政府は原爆投下は国際法違反ではない、と言い続けているのです。つまり、合法だと言っているのです。この点が一番ハッキリするのは、1945年8月10に、日本政府がスイスの大使館を通してアメリカに送った、「原爆投下は国際法違反だ」という抗議文と、それを覆した1963年の下田判決の際の日本政府の言い分を対比することです。

幸いなことに、今回はかなり詳しいレジュメを作り、一番最後に、資料としてこの対比を掲げておきましたので、それをしっかり読み込んで頂くことで、さらに理解が深まるはずです。この対比も近い内に、このブログにアップしておきます。

もう一点、とても重要な指摘がありました。それと同じ趣旨のメールをアメリカの親しい友人からも貰っていましたので、ことによると世界的にもこの考え方は広まりつつあるのかもしれません。それは、戦争そのものの違法性を共有して、戦争を違法化していこうという考え方です。

ウクライナで、そしてウクライナ戦争を口実にロシアが核兵器を使うことは決して許されることではありません。ロシアだけではなく、その他のどこかの国が核兵器を使ったとしても許されることではありません。そして核兵器禁止条約は核兵器の違法性を国際法上認める、世界的な合意を示しています。

半面、ウクライナでの戦争は続き、その他の複数の場所では、通常兵器を使った戦争があたかも合法的な手段であるかの如く扱われ、メディアも世界の世論もそれに対する反応は鈍いのではないか。戦争そのものが許されない、つまり戦争そのものを非合法化しなくてはならないのではないか、という問題提起でした。

その通りです。またこの点については近い内に、アメリカの友人とともに行動を起せるかもしれません。

その他の発言や質問については、近い内にアップします。

 

最後に皆さんにとって、今日一日が素晴らしい24時間でありますよう!  

 [2023/9/13 人間イライザ]

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2023年7月28日 (金)

コストコも完全に「広島化」しました ――そして多忙のため、ブログはしばらくお休みします――

コストコも完全に「広島化」しました

――そして多忙のため、ブログはしばらくお休みします――

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コストコでも、お盆灯籠を1,080円で販売していました

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広島以外の方には、これがお盆灯籠だとはすぐには分らないかもしれませんが、広島ではお盆に合わせて、お墓に飾られる灯篭です。浄土真宗の安芸門徒が続けてきた習俗です。

アメリカから、そして世界各地からバルクで輸入したものを数多く販売しているコストコにまで、広島だけで見られる盆灯籠が進出したということは、コストコの「広島化」を示す好い例かも知れません。

さて、全く別件ですが、これまで10日間、忙しさが増してこのブログの更新ができませんでした。8月6日が近付いてきていますので、例えば、原水禁国民会議の主催する「被爆78周年原水爆禁止世界大会」のための準備や、8月26日に開催予定の「加藤友三郎没後100年記念シンポジウム」等の準備のための時間が必要になりました。

本来なら、きちんとお断りしなくてはならないところでしたが、ようやく今日、全国的には珍しいかもしれない写真とともにアップすることができました。

 

そして皆さんにとって、今日一日が素晴らしい24時間でありますよう、また暑い夏を元気でお過ごしになりますよう!  

 [2023/7/28 人間イライザ]

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2023年6月16日 (金)

事実をもって語らしめる ――「第五福竜丸を知っていますか?」の報告2――

事実をもって語らしめる

――「第五福竜丸を知っていますか?」の報告2――

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第五福竜丸展示館 (東京の夢の島内) の学芸員、市田真理さんのプレゼンテーション報告の後半です。

  

《テーマは「Life (生命、生活、人生、生きとし生けるもの)

私にとって、市田さんのプレゼン「第五福竜丸を知っていますか?」が感動的だったのは、第五福竜丸という視点から、私の人生を振り返る一時にもなったからです。冒頭にも触れたように、第五福竜丸がビキニで被曝したとき、私は小学校の5年生でした。それから今まで、様々な形で核兵器廃絶運動や平和運動に関わってきたのですが、その私の経験の総体を人生と呼ぶのなら、私の人生を今までとは違う視点から検証しながら頭の中で再現することになったのです。

「人生」は、英語では「Life」です。その「Life」には、生命、生活、人生、生涯、生き物といった意味があります。「生き物」とは別の表現では「生きとし生けるもの」も指しますので、人類全体のその中に入りますし、地球全体にまで思いが広がる単語です。私個人の人生を振り返る機会であっただけでなく、「第五福竜丸を知っていますか?」が感動的だったのは、テーマがこの「Life」そのままだったからです。

無線長だった久保山愛吉さんが亡くなられたことは、それより2年前にプレス・コードが解禁になりようやく全国に知られ始めた広島・長崎での多くの被爆者の皆さんの悲惨な体験や死とも結び付いて、原水爆の恐ろしさを「生命」という絶対的な基準から判断するための出発点になりました。

それだけではなく、燎原の火のように原水爆実験反対署名が広がったのは、生活にも直接かかわっていたからです。ビキニでの被曝のニュースとその後の状況が全国に流れ、魚を食べることの危険性に気付かされた女性たちが先頭に立って署名運動を始めたのは、自分たちの生活を守るため、子どもたちや家族を守るためだったからです。

1955年アメリカが、「好意による」見舞金という形で200万ドル(当時の換算で7億2000万円)を日本政府に払うことで政治決着するのですが、その後、退院した第五福竜丸の乗組員たちには平均200万円が支払われました。そして、アメリカの核実験による被災漁船は1423隻もあり、太平洋で放射能汚染魚を漁獲した漁船992隻は汚染魚を廃棄させられています。当然、乗組員たちの健康が気になりますが、第五福竜丸以外の船については、検査はしても治療はしないという広島・長崎のABCC(原爆傷害調査委員会)と同じ方針を日本政府は取ったのです。

でも、第五福竜丸の乗組員たちに支払われたお見舞い金について、羨ましさ妬ましさは感じても、漁業を続けるため、自分たちの生活を守るために、声を上げて「自分たちも被災している」とは言えなかったのです。同時に、第五福竜丸の乗組員だった大石又七さんが語っているように、第五福竜丸の乗組員たちも誹謗や嫉妬が原因で焼津には住めなくなり、生活も人生も大きな打撃を受けることになったのです。

「第五福竜丸を知っていますか?」プレゼンでは、このような登場者一人一人の気持に市田さんが寄り添い、客観的であり名が同時に温かさが伝わる言葉で登場者の気持を私たちに代弁してくれています。

 

《当事者意識を持ち、事実を持って語らしめた》

ここに書き連ねるだけで伝わらないのは仕方ないのですが、言葉を変えて表現すると、市田さんのプレゼンが感動的だったのは、市田さん自身があたかも、当事者本人であるかのような関わり方をどのようなシチュエーションでも示しているからです。それも、お説教をするのではなく事実をもって語らしめているところに説得力があるのです。

実はその象徴的な存在が第五福竜丸そのものです。たとえ木材の一片でも良い、残せたらという切実な思いで、廃棄されていた第五福竜丸を復活させた人たちがいたからなのですが、そのきっかけを作ったのは、武藤宏一という26歳の会社員です。彼が朝日新聞に投書したのは次のような文章でした。

沈めてよいか第五福竜丸     武藤宏一(会社員 二六歳)

 

第五福竜丸 それは私たち日本人にとって

忘れることのできない 船

決して忘れてはいけない あかし

平和を願う私たちの あかし

知らない人には 心から告げよう

忘れかけている人には そっと思い起こさせよう

原爆ドームを守った私たちの力で、

この船を守ろう

 

1968年3月

 

原爆ドームが世界に指示している平和のメッセージを、第五福竜丸も伝えてくれています。最後に、「プレゼンテーションのお手本」として、私にとっても勉強になった2点を挙げておきましょう。

  • 事実をどう捉えるのかについての枠組み・座標軸を示す。例えば、見舞金を貰った第五福竜丸乗組員への広島の被爆者からの手紙を披露するときに見られたように、単なる感情の発露としてではなく、政府やアメリカの責任も同時に考えられるような形での問題提起として、より高次の取り組みを促している。
  • 第五福竜丸から始まって、ビキニだけではなくマーシャル諸島共和国、広島・長崎の被爆者、原爆医療法といった形で、被害の連鎖とそこから生じている問題を有機的に結び付けることで、新たな連帯の誕生を促す。

 

最後に、市田さんの「わたしの 語りつぎ部 (べ)宣言」を引用します。

 

忘れないこと

学ぶこと

自分で考えること

伝えること

 

そして皆さんにとって、今日一日が素晴らしい24時間でありますよう!

 [2023/6/16 人間イライザ]

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2023年6月15日 (木)

「第五福竜丸を知っていますか?」 ――テーマは「Life」でした――

「第五福竜丸を知っていますか?

――テーマは「Life」でした――

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195431日の水爆実験は「ブラボー」と呼ばれた

 

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夏の原水爆禁止世界大会の広島県実行委員会の結成総会後、第五福竜丸展示館 (東京の夢の島内) の学芸員、市田真理さんのプレゼンテーションを聞いて、とても感動しました。それには個人的な理由もあるのですが、感動的なプレゼンテーションのお手本になるような気がしましたので、お手本として学ぶべき点を整理しておきます。

  

《第五福竜丸と原水爆禁止運動》

当時の記憶を呼び覚ますために、簡単に歴史を振り返りましょう。

1954年3月1日に、太平洋のビキニ環礁でアメリカの水爆実験による死の灰を浴びた第五福竜丸が母港の静岡県焼津に帰港し、乗組員の被曝と水揚げしたマグロの放射能汚染が明らかになりました。その後、他の漁船から水揚げされたマグロも汚染されていることが判明し、廃棄処分になりました。食生活への不安だけではなく、放射能雨が全国に降りました。雨に当ると髪の毛が抜けると心配したことを、当時小学6年生だった私も覚えています。それほど大きな不安が元になり核実験の禁止と原水爆禁止を呼び掛ける署名運動が全国的に展開されました。

杉並区が原水禁運動の発祥地だと言われるのは、次の年表が示すように杉並の魚商たちや杉並公会堂がこの運動の拠点としての役割を果したことが大きいのですが、署名運動は全国的な広がりを持っていましたし、広島での展開も重要でした。以下、初期の杉並の署名運動が全国的規模の運動になり、1955年に第一回の原水爆禁止世界大会に至る年表を掲げておきます。杉並区のホームページの年表を元に編集したものです。

初期の原水爆禁止運動

1954年

3月1日  アメリカがビキニ環礁で水爆実験を実施 日本のマグロ漁船第五福竜丸が被曝。

3月16日 読売新聞が第五福竜丸の被曝を報道。

3月18日 静岡県議会を皮切りに、全国で水爆実験禁止を訴える決議。署名の機運高まる。

4月2日  東京都内の魚商が、買出人水爆対策市場大会を開催 杉並魚商組合員・菅原健一氏も参加

4月17日 杉並区議会が水爆実験禁止を全会一致で決議

5月9日  水爆禁止署名運動杉並協議会(議長:安井郁氏)が発足

5月13日 水爆禁止署名運動杉並協議会が、杉並区全区で署名運動を開始

7月20日 区内署名集計27万3,916筆

8月8日  原水爆禁止署名運動全国協議会(事務局長:安井郁氏、事務局:杉並区立公民館長室)が発足、全国運動に展開

 

1955年

1月19日 ウィーンにて世界平和評議会が開かれ、安井郁氏が招かれて出席。安井氏は日本における原水爆禁止署名運動を紹介。この会議で原子戦争準備反対の「ウィーン・アピール」がなされ、世界的な署名運動へ展開

8月6日  第1回原水爆禁止世界大会を開催(会場:広島)翌7日、全国署名数3,216万筆突破 そのうち広島は100万以上。

9月18日 第1回原水爆禁止世界大会後、広島・長崎の原爆問題と原水爆禁止を主軸にした「原水爆禁止日本協議会」が発足。全国署名数が3,259万必を突破

 

若い世代の皆さんの中には、原水爆禁止運動の象徴とも言える第五福竜丸が、一時は廃棄処分になり、そのまま朽ち果ててしまう可能性さえあったことを知らない方もいらっしゃるかもしれません。それも含めて、第五福竜丸という船にも歴史のあることを市田さんは強調されました。市田プレゼンの中の年表を次に掲げさせて頂きます。

第五福竜丸のプロフィール

         総トン数140.86トン 全長28.56m 幅5.91m 速力7ノット (約13km/h)

 

1946年 事代漁業(神奈川県 三崎)の発注で和歌山県 古座(現串本)町で造船

1947年 カツオ船第七事代丸として進水

1951年 静岡県清水市でマグロ船に改造

1953年 静岡県焼津市•西川角市氏に売却 第五福竜丸となる

1954年 3月1日水爆実験「ブラボー」に遭遇

        3月14日帰港

        5月17日文部省買い上げ

        8月23日東京港に曳航

1956年 三重県伊勢市で改造•改装 東京水産大学練習船「はやぶさ丸」となる

1967年 廃船処分 エンジンなど売り払われのちに船体は江東区夢の島に廃棄

1968年 保存のよびかけ

1976年 都立第五福竜丸展示館開館

 

《テーマは「Life (生命、生活、人生、生きとし生けるもの)

私にとって、市田さんのプレゼン「第五福竜丸を知っていますか?」が感動的だった理由の一つは、第五福竜丸という視点から、私の人生を振り返る一時にもなったからです。冒頭にも触れたように、第五福竜丸がビキニで被曝したとき、私は小学校の5年生でした。それから今まで、様々な形で核兵器廃絶運動や平和運動に関わってきたのですが、その私の経験の総体を人生と呼ぶのなら、私の人生を今までとは違う視点から検証しながら頭の中で再現することになったのです。 (続きます。)

 

そして皆さんにとって、今日一日が素晴らしい24時間でありますよう!

 [2023/6/15 人間イライザ]

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2023年6月14日 (水)

iPhone用ワイヤレス・マイク、二つで一組 ――文字起しには十分です――

iPhone用ワイヤレス・マイク、二つで一組

――文字起しには十分です――

Iphone-1

カッコいいケースの中身は?

 

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6月12日、夏の原水禁世界大会の広島県実行委員会の結成総会後に、学習会が開かれました。講師は第五福竜丸展示館学芸員の市田真理さんでした。感動的な講演については、今日は「いのちとうとし」さんのブログ、「新・ヒロシマの心を世界に」を御覧下さい。重ならないように、私は明日アップします。

さて、現在、オーラル・ヒストリーのためのインタビューが続いていますが、試行錯誤の末、iPhone用のワイヤレスマイクを二つ購入することにしました。と言っても、二つ一組で売っているのですから、それを買ったまでです。

上の写真のケースの蓋を上げると、こんな具合です。

Iphone2

左の二つがマイク、つまり発信器です。そして右側がiPhoneに差し込む受信機です。数字の「100」は、100%充電済みという意味です。

これだけでは良く分らないと思いますので、ケースから取り出します。

3iphone

左の二つがマイクですが、クリップが付いていて、胸のポケットなどに差すことができます。右側の受信機はiPhoneのlightning に差し込むのですが、差し込んだ後の写真を自撮りできないので、写真はこれで最後です。

音声の入力ができるのかも試してみましたが、問題ありません。インタビュアーと私二人で使ってみての感想は後日お伝えします。

 

そして皆さんにとって、今日一日が素晴らしい24時間でありますよう!

 [2023/6/14 人間イライザ]

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