ロシア

2025年2月 7日 (金)

#「核の先制不使用」は両端を結ぶ ―― #橋渡しと言っても良いでしょう――

#「核の先制不使用」は両端を結ぶ

―― #橋渡しと言っても良いでしょう――

20250206-213508

#となると #日本政府の出番です

広島ブログ

ブログ激励のために、上のバナーをクリックして下さい

 

2045年までの核廃絶を大きな目標として掲げ、中間目標としては2035年までの核の先制不使用を取り上げてきました。

さて、核兵器禁止条約を核保有国に批准させることの次に核兵器の廃絶が実現します。それは大きな大きな課題です。同時に、今世界で起きていることを考えると、ロシアがウクライナ戦争で核兵器を使うかもしれない、あるいはイスラエルが中東で核兵器を使うかもしれないというこれまた大きな心配事があります。

実は、この両者の橋渡しができる強みを持つのが、核の先制不使用です。

核保有国に核兵器禁止条約を批准させ、その結果として核廃絶を実現するというのは大きな目標ですが、こんなことは理想論だと言って端から相手にしない人たちもいます。確かに、理想論を振りかざしているという面もあります。

それとは対照的に、ウクライナとガザの現状というのは、目の前で起きている大変大きな問題です。理想論と厳しい現実という両者の間には、とても大きなギャップがあるというふうにも考えられます。

しかし、この両者をつなげられるのが、核の先制不使用という中間目標です。

まず。ロシアとイスラエルに対しては、絶対に核兵器を使ってはいけない、つまり核の先制不使用はいけないということを強く言う必要があります。言うだけでなく、その言葉に説得力を持だるためには、つまりロシアとイスラエルを説得するためには、あなたがたのやってることは「けしからん」。だから核の先制不使用を誓いなさいと言っても効果はありません。反発を食らうことになっても不思議ではありません。

説得の方法としては、他の核保有国も核の先制不使用に合意するから、あなた方も使わないようにしませんか?という説得の仕方の方が、まだ可能性があるような気がします。

あるいは核保有国が、「自分たちは先制使用はしない」と誓うから、あなた方もその方針を取っと貰えないだろうか、と持ち掛けるのも一法です。

そして、ここで何度も言ってることですけれども、被爆地である広島や長崎の市長がロシアとイスラエルに乗り込んで、プーチンとネタニヤフに対して、あなた方が核の使用はしませんよと宣言をして、同時に他の核保有国に対して核の先制不使用を呼びかける。その結果、先制不使用ができれば、あなた方は世界史における英雄になれますよという説得の方がベターかもしれません。

そして、すべての核保有国が先制不使用ということに合意すれば核兵器は使われなくなります。そして使わない核兵器はいらないということにつながるではありませんか。

ですから一方では、核の先制不使用は目の前にある核の使用、あるいは核を使うぞという脅しから世界を守るという現時点での現実に対する一つの。解決案です。

そしてそれが同時に私達の大目標である核兵器の禁止と核兵器の廃絶につながるという意味で、最終的な目標に何歩も近付くことができるという効用をもたらします。

核の先制不使用は今の現実の問題と理想という両者をつなぐ橋渡しの役割を果たしていることになります。橋渡しの役割を果たしたいと言っている日本政府にここで一言物申すのですが、こんなに素晴らしい橋渡しのチャンスがあるんだから、あなた方の出番ではありませんか?こんな機会を逸するということは出番を狙っているあなたがたにとって後世にまで悔いを野残すことになるのではありませんか。

 

皆様にとって、きょう一日が素晴らしい24時間になりますよう!

[2025/2/7  人間イライザ]

[お願い]

文章の下の《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。

広島ブログ

 

2024年11月24日 (日)

#2045ヒバクシャ・ビジョン #公表は来年 ――#目標年・2045年を合言葉にしよう――

#2045ヒバクシャ・ビジョン #公表は来年

――#目標年・2045年を合言葉にしよう――

200830short-9228

#そのための活動は今から

広島ブログ

ブログ激励のために、上のバナーをクリックして下さい

 

《被団協の次の目標は核廃絶》

ノーベル平和賞を受賞して、被団協の皆さんが新たな決意をしているのは、核廃絶の実現です。それは、全ての核保有国が核兵器禁止条約を批准することだと言い換えても良いでしょう。

12月のオスロで、被団協の皆さんはこの目標実現のための、力強いメッセージを発信してくれることになるはずだと期待を膨らませています。

ここで私が改めて強調したいのは、この目標を何時までに実現したいのかという「期限」を付けることです。これまで何回もこの点については取り上げてきていますが、最近では石破総理の「防災庁」設置に期限が付いていたことに注目している旨の記事で強調しています。

比較する必要もないのですが、防災庁の設置と比べると、核兵器の廃絶はその何倍も何十倍もの努力が必要になる目標です。私たちが、その目標達成のために如何に真剣に取り組んでいるのかの指標の一つが、期限が付いているかどうかです。

被爆後100年は、恐らく被爆者の中の何人かの方々がまだお元気でいらっしゃるギリギリの年になるかもしれません。そして、100年も昔の出来事が私たちの記憶の中で薄くなっても不思議ではありません。100年前の1924年には、清浦圭吾氏が内閣総理大臣になりましたが、それを知っている人はほんの一握りでしょう。その前年の関東大震災についても記憶は薄れているでしょう。

となると、被爆100年後の記憶に頼って核廃絶を実現できるかどうか、自信を持って断言できる人は少ないでしょう。何とかその前に核を廃絶しておかなくてはなりません。

いやそれさえ、超楽観的なものの見方かも知れません。プーチンやナタニエフが何時核を使ったとしても驚かないような状況になっているではありませんか。その前に私たちが行動して、核を使わせない、そして核を廃絶するという目標を実現しなくてはならないのです。

先を急ぎ過ぎました。まずは、何としても2045年までに核を廃絶するという覚悟を決めて、この期限の重要性を共有しましょう。そして来年の8月には、「2045ヒバクシャ・ビジョン」を掲げて新たな行動を始めようではありませんか。そのために、「2045年」を合言葉にして友人知人、その他多くの人に伝えて行きましょう。

 

最後に、今日一日が皆さんにとって素晴らしい24時間になりますよう

[2024/11/24    人間イライザ]

[お願い]

文章の下の《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。

広島ブログ

 

 

2024年10月30日 (水)

#危機感の違い #世代を超えて共有できるか ――#キューバ危機に比肩する危機的状況――

#危機感の違い #世代を超えて共有できるか

――#キューバ危機に比肩する危機的状況――

241029

Google map から

#ジャクリーヌ夫人の決意も

広島ブログ

ブログ激励のために、上のバナーをクリックして下さい

 

このブログの名称は「ヒロシマの心を世界に」ですので、核兵器の廃絶を目標として掲げています。そのための重要な条約である核兵器禁止条約を何よりも、被爆国である日本が批准しなくてはならないことも何度も繰り返しています。

同時に、ウクライナとガザで、罪のない人たちが虐殺されている状況を一刻も早く止めさせなくてはならないと焦りつつ、何もできない私自身を情けなくも感じています。

しかし、2022224日にロシアのプーチン大統領がウクライナへの侵攻を始め、脅しの材料として核の使用に言及した時には、ショックを受けました。そして核を持つイスラエルでも核の使用を仄めかす政治家が現れ、キューバ危機を思い出しました。60年前、私が20歳の頃の出来事です。平和運動を担って下さっている世代の皆さんの中には、まだ生まれていなかった方も多いのではないでしょうか。ラジオに噛り付いて、最近の状況を知ろうとしていた記憶があります。 

先ずはキューバ危機の概要をWikiwnad から引用します。

キューバ危機は、1962年10月から11月にかけて、ソ連キューバ核ミサイル基地を建設していることが発覚、アメリカ合衆国カリブ海でキューバの海上臨検を実施し、米ソ間の緊張が高まり、核戦争寸前まで達した一連の出来事のこと。

緊張が解けたのは、1028日にゴルバチョフがミサイルを撤去するという決定をしたことなのですが、アメリカ本土に核が撃ち込まれる可能性があるということで全米もパニック状態になっていました。当時の大統領ケネディーの夫人ジャクリーヌさんは、いざというときが来たらホワイトハウスの地下にある核シェルターに入るようアドバイスされた際、次のような決意を述べているほどです。

「もし事態が変化したら、私はキャロラインとジョンJRの手をつなぎ、ホワイトハウスの南庭に行きます。そして勇敢な兵士のようにそこに立ち、全てのアメリカ人と同じく運命に立ち向かいます。」

それと同じくらいの危機感を持って、私はプーチンやイスラエルが核を使う可能性について考えています。だからこそ、Change.orgというオンラインの署名サイトを使って署名運動を始めたのです。(その経緯と背景については、『マガジン9』の「この人に聞きたい」をお読み下さい。)

だからこそ、「核を使わないと宣言しろ」というメッセージを出し続けてます。ロシアとイスラエルだけが、核を使わないと宣言すれば、一応危機は脱出できるのですが、他の核保有国が何もしないのに、ロシアとイスラエルがそんな決定をすることはありません。

だから全ての核保有国が使わない、つまり核の「先制不使用」宣言になるのです。その根元にある「危機感」をどう共有して貰えるのか、頭を悩ませています。

 

最後に、今日一日が皆さんにとって素晴らしい24時間になりますよう

[2024/10/30  人間イライザ]

[お願い]

文章の下の《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。

広島ブログ

2024年8月 9日 (金)

#原水禁 #国際シンポジウム ――#2045ビジョン と #NoFirstUse #提案しました――

#原水禁 #国際シンポジウム

――#2045ビジョン #NoFirstUse #提案しました――

240808

私も英語と日本語で発言しました

広島ブログ

ブログ激励のために、上のバナーをクリックして下さい

 

被爆79周年原水爆禁止世界大会の国際シンポジウムは86日の午前9時から開催されました。まずその概要です。

テーマ    核兵器廃絶に向けた第一歩を踏み出すために

司会                        谷雅志                    (原水禁事務局長)

開会あいさつ         金子哲夫               (原水禁共同議長)

キーノートスピーチ  藤本泰成         (原水禁顧問)

パネリスト              イ・ヨアンさん         (参与連帯・韓国)

                             トム・アンターライナーさん   (軍縮キャンペーン・イギリス)

                             デービッド・ギブソンさん       (ピースアクション・米国)

                             秋葉忠利               (原水禁顧問)

コーディネーター 藤本泰成               (原水禁顧問)

まとめ

閉会

ネットの接続が上手く行かず、アンターライナーさんは参加できませんでしたが、アメリカや韓国の状況、さらに日本を加えた北東アジアの情勢等多岐にわたる分析と、各国での具体的な運動等について、実りあるシンポジウムになりました。

その内容は、是非ビデオで御覧頂きたいのですが、当日の同時通訳の日本語を拾えませんので、その点は御承知置き下さい。

 

このシンポジウムで私は、開会総会の締めの挨拶で強調した点を国際的にアピールしました。その原稿は、追ってアップしますが、簡単に要点だけここに記しておきましょう。

[2045ビジョン]

被爆100周年にあたる2045年までに核兵器を廃絶することを目標に掲げて世界的運動を展開する。それまでの中間点の2035年までに、核兵器保有国が「No First Use」、つまり、核兵器の先制不使用に合意する。この計画を[2045ビジョン]と名付ける。

この発言は英語で、27:30くらいから始まります。その後の質疑の中で、日本の政治環境を変える必要のある事を、これも英語で、54:34くらいから訴えています。

このシンポジウムには、約550人の方が出席されていましたので、私の主張の背景として、「ヒロシマ」の意味とその重みを生かさなくてはならないこと、特に総理大臣や広島市長の役割の大きいことを今度は日本語で強調しました。十分には説明できませんでしたので、このブログで近く詳説しますが、平和記念式典にだれを呼ぶ呼ばないということの基本にある「ヒロシマ」の意味についても言及しました。始まりは、1:06:32です。

最後に、コーディネーターの藤本さんの強調されていた、核兵器の廃絶の基本的意味は、命を尊ぶという思想だ、を受けて、憲法と政治について、拙著『数学書として憲法を読む――前広島市長の憲法・天皇論――』から何点かをかいつまんで説明しました。これも日本語で、1:21:10くらいから始まります。

多くの分科会が並行して開かれ、極暑の中の平和行進等もある世界大会ですが、核兵器廃絶のための情熱と知恵が結集されていることを改めて確認する機会になりました。

 

今日一日が皆さんにとって素晴らしい24時間になりますよう

[2024/8/9  人間イライザ]

[お願い]

文章の下の《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。

広島ブログ

2023年9月16日 (土)

「即時行動」への共感 ――大阪から新たな動きが生まれそうです――

「即時行動」への共感

――大阪から新たな動きが生まれそうです――

76

近畿9条の会の講演で多くの皆さんにも賛同して貰えた点です

 

広島ブログ

ブログ激励のために、上のバナーをクリックして下さい

「大阪そして近畿は維新に乗っ取られてはいない」との感を強くしたのが、9月9日、PLP会館での講演後の質疑とその後の小規模の意見交換会でした。私に与えられたテーマは、「弄ばれたヒロシマ  前広島市長から見た「G7広島サミット」について」でした。

二日前にも報告しましたが、主催団体の「憲法9条--世界へ未来へ近畿地方連絡会」の皆さんの熱意とこれまでの活動を一言でまとめると、最初の言葉「大阪・近畿は維新に乗っ取られてはいない」なのです。

確かに、選挙結果とマスコミの報道だけを見ると、維新の力の大きさに圧倒されがちです。でも今回痛感したのは、それに負けない多くの人々の活動があり、新たな力を注入して理想の政治実現のために頑張ろうという強い意志のあることでした。

それは、何人かの方からのコメントから伝わってきました。例えば、「Change.org」を使っての署名運動を使う可能性が伝わりました。

この画像は、昨年3月1日、一人で始めた署名運動ですが、4月末までには10万人以上の方々から賛同の署名を頂きました。その結果をプーチン大統領や岸田首相、核保有国の首脳に送り、「核兵器を使わない」と宣言するように迫りました。

宣言はまだ実現していません。でも今までの所、核兵器は使われていません。そして、「署名」という行動を取ってくれた一人一人にとっては、宣言が実現するよう、さらなるプレッシャーを掛け続ける上でのインセンティブになっています。

「たくさんのメールを貰うので、どれに賛同すれば良いのか迷うことが多かったのですが、自部で署名運動を始めるという発想がありませんでした。これは、使える道具になりますね。」という言葉から、新たな可能性を思い描いています。

もう一つ、参考になったというコメントをいくつか頂いたのは、マイケル・ムーアの「テンポイント・アクション・プラン」です。

84

この中で、3.の「すぐやる」チームを友達数人で作って、1.と2.、つまり、国会議員や県・市会議員・町村議会議員等の事務所に、日にちを決めておいて順番に電話をすることなど、すぐできます。また月に一度は全員で、議員たちを順番に訪問して自分たちの意見を伝えることもできます。

ここで大事なのは、喧嘩をするための電話や訪問ではないことです。出来れば事務所のスタッフと友達になって、議員本人にも会わせて貰うこと、そして、私たちの味方につけることです。

「議員に電話をすることなんて考えてもみなかった」という方もいらっしゃいました。また、自分で、どのレベルの選挙でも良いので、リーダー役を買って出ることもお勧めしました。それが直ちに、維新の活動を超える結果を生むとは思いませんが、そんな目標に向かって、希望を感じられるような皆さんからの発言でした。

その他の質問についても、順次報告します。

 

最後に皆さんにとって、今日一日が素晴らしい24時間でありますよう!  

 [2023/9/16 人間イライザ]

[お願い]

文章の下の《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。

広島ブログ

2023年9月13日 (水)

大阪での講演会報告です ――前向きな質問と発言ばかりでした――

大阪での講演会報告です

――前向きな質問と発言ばかりでした――

G8080902_20230912203901

G7広島サミットとは対照的だった2008年のG8下院議長会議の一行

 

広島ブログ

ブログ激励のために、上のバナーをクリックして下さい

加藤友三郎没後100年記念シンポジウムが成功裡に終り、9月9日の午後2時から、大阪の北区天神橋3丁目にあるPLP会館での講演会も終了しました。テーマは、「弄ばれたヒロシマ  前広島市長から見た「G7広島サミット」について」です。

講演内容は、一コマずつという感じで今後、問題提起をして行きますが、今年のG7広島サミットとを考える上で、問題点がはっきりするのは、2008年に開かれたG8下院議長会議と対比することだと思います。これも、問題提起の中で指摘する積りですが、慰霊碑前の写真が示しているのは、下院議長さんたちが、被爆者に向き合ってくれたことです。慰霊の気持を示すだけでなく、今後自分たちがどのように行動を取るのか、慰霊碑に向かった決意を示しています。

今日は会場からの質問や発言を要約しておきます。講演の後の質疑の時間は短くて消化不良になることが多いのですが、今回は実のある内容の発言が多く、勇気付けられました。またその後の小規模の情報交換会でも、元気の出るコメントを沢山頂き、とても嬉しい一日になりました。

主催は、憲法9条--世界へ未来へ近畿地方連絡会(9条連・近畿)です。連絡会の皆さんとはもう10年来のお付き合いになりますが、それ以来、何度も御一緒させて頂いている方々ができるほど考え方の似ている存在です。

最初の質問は、1979年から始まった、いわゆる「アキバ・プロジェクト」で広島・長崎を取材した記者たちのその後についてでした。広島国際文化財団が主催してくれることになったこの事業は、海外のローカル・メディアの記者を広島と長崎に招請して、被爆者その他の関係者に会って貰い、自分たちの目で見た広島・長崎を報告して貰うことが目的でした。始まったのが40年も前ですし、10年で一応終止符を打ったのですが、日本で言えば「原爆記者」のような仕事をしてくれた人も出ましたし、その後、教育者として活躍した人、平和活動を中心に頑張った人等々、いろいろな人生を送っている人たちですが、残念なことに時間の経過とともに絆は細くなっています。

ただ、最近のアメリカの動きからは、こうした視点からアメリカのメディアに働き掛ける必要性が増してきたような気がしています。その点については稿を改めて報告します。

また、長い間、核兵器廃絶の運動をしてきているが、日本政府が広島・長崎への原爆投下を国際法違反ではないと主張していることは初めて知った、という驚きの言葉もありました。そうなのです。まさか日本政府が原爆投下を「合法」だと考えているなどと想像だにできない人がほとんどだと思います。

でも、日本政府は原爆投下は国際法違反ではない、と言い続けているのです。つまり、合法だと言っているのです。この点が一番ハッキリするのは、1945年8月10に、日本政府がスイスの大使館を通してアメリカに送った、「原爆投下は国際法違反だ」という抗議文と、それを覆した1963年の下田判決の際の日本政府の言い分を対比することです。

幸いなことに、今回はかなり詳しいレジュメを作り、一番最後に、資料としてこの対比を掲げておきましたので、それをしっかり読み込んで頂くことで、さらに理解が深まるはずです。この対比も近い内に、このブログにアップしておきます。

もう一点、とても重要な指摘がありました。それと同じ趣旨のメールをアメリカの親しい友人からも貰っていましたので、ことによると世界的にもこの考え方は広まりつつあるのかもしれません。それは、戦争そのものの違法性を共有して、戦争を違法化していこうという考え方です。

ウクライナで、そしてウクライナ戦争を口実にロシアが核兵器を使うことは決して許されることではありません。ロシアだけではなく、その他のどこかの国が核兵器を使ったとしても許されることではありません。そして核兵器禁止条約は核兵器の違法性を国際法上認める、世界的な合意を示しています。

半面、ウクライナでの戦争は続き、その他の複数の場所では、通常兵器を使った戦争があたかも合法的な手段であるかの如く扱われ、メディアも世界の世論もそれに対する反応は鈍いのではないか。戦争そのものが許されない、つまり戦争そのものを非合法化しなくてはならないのではないか、という問題提起でした。

その通りです。またこの点については近い内に、アメリカの友人とともに行動を起せるかもしれません。

その他の発言や質問については、近い内にアップします。

 

最後に皆さんにとって、今日一日が素晴らしい24時間でありますよう!  

 [2023/9/13 人間イライザ]

[お願い]

文章の下の《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。

広島ブログ

2023年7月14日 (金)

総理大臣としての加藤友三郎 ――戦争回避の「預言者」でもあった――

総理大臣としての加藤友三郎

――戦争回避の「預言者」でもあった――

16

中央公園の友三郎像 (常広一信氏撮影)

 広島ブログ

ブログ激励のために、上のバナーをクリックして下さい

 

加藤友三郎内閣が誕生したのは、1922年6月12日ですが、3日後の15日には、施政方針演説で加藤内閣の目指すところを公表しています。豊田穣著の『蒼茫の海 提督加藤友三郎の生涯』 (手に入れ易いのは、光人社NF文庫版です) から引用します。 (読み易さを優先して、一部、数詞や句読点などには手を入れました。以下、『豊田』と略します。)

一般施政方針

1、社会政策問題に関しては、時勢の進運にかんがみ慎重研究し、適当なる方策を定めた い。

2、綱紀を粛正し、民心を作興し、行財政を整理し、財界の安定を計る。

3、教育及び産業を振興し、 一般国民生活の向上を期せんとする。

 

対外方針

1、日本国民は 隣邦中国が速やかに現在の不幸なる政情を脱し、同国民自身の努力によって平和統一の実をあげんことを切望する。

2、シベリア問題については速やかに撤兵など解決の処置をとりたい。

3、国際連盟はその規約にのっとり 発展に努力したい。ワシントン諸条約及び決議は、これを尊重して、各国と協力してその実をあげたい。

これらの案件中、特筆されるのがシベリア撤兵と軍縮です。再び『豊田』から引用します。

さて、加藤内閣の残した大きな仕事は、シベリア撤兵と山梨陸相による陸軍の軍縮であった。

(中略)

この年六月、内閣首班となった加藤は、真っ先にシベリア撤兵をとりあげた。出兵後すでに四年、七万の兵を動かし、七億円の軍事費を空費していた。

国際協調を旨とする加藤は、閣議と臨時外交調査委員会に計り、同年六月二十四日声明を発して、十月をもって撤兵を断行することを公表した。

軍縮については、海軍はワシントン条約を守ってほぼその規模での軍縮が実現したのですが、陸軍は陸軍内部の合意が得られず、結局、総額4,000万円の節減しかできませんでした。しかし、それでも加藤内閣の編成した予算の中ではそれなりの比重がありました。再び『豊田』からです。

こうして、大正11年末、12年度の予算案を編制し、第46帝国議会の協賛を得たが、軍備制限による節減された金額は、新規計画のために増加した分を控除して、7,099万円に上り、 一般行政などの節約により、歳入歳出は各134,600万円にとどまり、前年度に較べて13,600万円の減少となった。

加藤の経費節減、財政建て直しは、順調なスタートを切り 提督宰相にしては上々の出来と評判がよかった。

国家予算の50%ほどが軍事費だった時代に、前年度予算の1割も削減できたことは驚異だとしか言いようがないように私には映るのですが―――。因みに、2023年度予算は前年比で6.3%増えています。

この他にも友三郎は、行政改革でも実績を挙げています。

シベリア撤兵と軍縮実施のほかに、加藤内閣はいくつかの仕事を残している。

その一つは、行政の整理緊縮である。

6月12日の内閣成立後、間もない6六月20日、加藤は内閣書記官長宮田光雄、法制局長官馬場鍈一らを行政整理準備委員に任命し、つぎのような行政改革を行なった。

同年九月つぎの機関を廃止する。

A  臨時外交調査委員会、防務会議、拓殖調査委員会、臨時産業調査会、臨時教育行政調査会

B  国勢院、拓殖局、馬政局、防備隊練習部、軍需評議会、臨時国有財産整理部

このほか各官庁の局課を廃止あるいは合併し、定員を減少して事務の簡素化を計った。

昭和57年現在、政財界は行政改革で苦しんでいるが、60年前、加藤は大幅な行革を行ない、その統率力を示したのである。

また加藤は、教育の振興、産業の奨励、社会政策的事業の遂行にも力を注いだが、 一方、所得税法、営業税法などにも改正を加えた。

膨らむ一方の行政機関・官僚体制を整理・合理化することも政治上最重要課題の一つであることは言を俟ちません。同時に友三郎の構想の中には、軍と行政の関係の健全化がありました。この点については『麻田』が77ページに詳しく述べています。

シヴィル・ミリタリー関係について、最後に加藤全権の「軍部大臣文官制」の構想にふれておこう。ワシントン会議で加藤が留守中、文官の原首相が陸軍側の強固な抵抗を押しきって海相代理(「事務管理」)を兼任したことは、日本憲政史上に先例のないできごとであった。さらに一歩進んで、加藤全権はすでに会議中、海軍大臣文官制(イギリス式に近いもの)が「早晩出現」するであろうと考え、そのための準備をしておく必要について頭をめぐらしていた。おそらく彼は、海軍軍縮問題で体験した自己の苦悩と、シヴィル・ミリタリー関係で悩む必要の少ない米英全権の立場とを比較考量した結果、政軍関係の制度およびルールの抜本的改革を決意するにいたったのであろう。そして、海軍大臣が現役軍人でありながら「シヴィリアン・コントロール」の権能を代行せざるをえないという変則的なシステムを、その本来あるべき英米的な制度に改正すべき急務を、彼は痛感したのではあるまいか。現行の制度が存続するかぎり、いずれは軍縮問題をめぐって海軍と政府とが激突する運命にあることを、加藤は見通していたのであろうか。

ここでは、「海軍軍縮問題で体験した自己の苦悩」の中身を説明しておく必要がありそうです。海外の「全権」は文民ですし、この軍縮会議には全権として文民だけで構成されるチームを派遣する必要があるとの意見さえ持っていた米英から見れば、日本の全権加藤は、軍の利益を代表しながら表面的には「文民」の帽子を被る、傀儡若しくはスパイとさえ見られ兼ねない状況がありました。そのような米英の交渉相手の信頼を得るための努力が如何ばかりかであったかは、想像に難くありません。

他方、海対米英10:10:7を主張しどのような譲歩も軍に対する裏切りだとさえ声高に公言する軍の強硬派に対しては、10:10:6の合理性や世界の状況等の説明、さらには軍の内部での多数派形成のための努力等、これまた一筋縄では行かない問題を処理しなくてはならなかったのです。

友三郎の憂いは現実になり、彼の亡き後、強硬派の勢力が巨大化し、それに至る手段として使われたのが、「統帥権の干犯」という「錦の御旗」でした。友三郎には見えていたであろう、そして彼なら対抗して流れを変えられたであろう歴史を振り返りたいのですが、それはまたの機会に。流れを変えるための布石を次々と打っていた友三郎の言動を、天から与えられていたものだと解釈して、敢えて「預言」という言葉を使いました。

 

さて、その友三郎についてのシンポジウムは、8月26日午後1時30分から、広大病院YHRPミュージアムで開かれます。

入場は無料ですが、参加登録は必須です。GRコードまたは、URLからサイトにお入り下さい。多くの皆さんの御参加をお待ちしています。

Qr20230712-201135

https://katotomosaburo.com/

 

 

そして皆さんにとって、今日一日が素晴らしい24時間でありますよう!

 [2023/7/14 人間イライザ]

[お願い]

文章の下の《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。

広島ブログ

2023年7月10日 (月)

軍縮とは単なる数合わせではない ――友三郎の眼は要塞化や、中国ソ連にも向けられていた――

軍縮とは単なる数合わせではない

――友三郎の眼は要塞化や、中国ソ連にも向けられていた――

Kijr_shidehara_tomosabur_kat_and_iesato_

左から幣原喜重郎、加藤友三郎、徳川家達全権(Public Domain)

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/1/1a/Kij%C5%ABr%C5%8D_Shidehara%2C_Tomosabur%C5%8D_Kat%C5%8D_and_Iesato_Tokugawa.jpg

 広島ブログ

ブログ激励のために、上のバナーをクリックして下さい

 

1921年から1922年のワシントン会議の焦点が、英米と日本との主力艦保有比率だったこと、それが、10:10:7ではなく、10:10:6という合意の結果、条約が成立したことは、歴史の教科書にも出て来るのですが、軍縮は数だけではできないことにも触れておきましょう。これは、今の日本の岸田軍拡政策にも参考になる点です。

今回は、軍縮において重要な二つの側面を取り上げておきますが、最初のものは日本の提案で実現し、その結果として、10:10:6という比率であっても、日本に対する軍事的脅威を抑える効果があったのです。「東経110度より東に海軍基地、または要塞の建設の禁止とすることで決着を見た」のですが、それは「要塞化禁止条項」と呼ばれています。Wikiwandから引用します。(読み易くするため、下線やイタリックなど、一部手を加えました)

要塞化禁止条項

対英米比6割と陸奥保有に併せて日本の提案により、太平洋における各国の本土並びに本土にごく近接した島嶼(とうしょ)以外の領土について、現在ある以上の軍事施設の要塞化が禁止された。

日本

    ・千島列島、小笠原諸島、奄美大島、琉球諸島、台湾、澎湖諸島、そして将来取得す

 る新たな領土(内南洋のこと)の要塞化禁止

    ・奄美大島以外の奄美群島は対象外

    ・対馬は太平洋に面していないので条項の対象外

アメリカ

    ・フィリピン、グアム、サモア、アリューシャン列島の要塞化禁止

    ・アラスカ、パナマ運河、ハワイ諸島は対象外

イギリス

    ・香港並びに東経110度以東に存在する、あるいは新たに取得する島嶼の要塞化禁

   止

    ・カナダ、オーストラリア、ニュージーランドは対象外

    ・東経110度以東なので、シンガポール(東経103度)は条項の対象外

現実問題としては、既存の基地はそのまま認めている訳ですので、お互い現状維持をしようという取り決めです。同時にそれは、今は戦争をしていないのですから、それを維持するということは「戦争をしない」状態の維持も意味します。これも「軍縮」に含まれる重要な考え方です。

第二の側面は、軍縮とは多くの国々と有機的に結び付いていますし、必ず歴史の流れの中にあります。それらの点からのアプローチも視野に入れることでより説得力のある取り決めができるのです。ワシントン会議では、「対華21条要求」がその一つでした。

これもWikiwandからの引用が分り易いので、お借りしましょう。

「対華21カ条要求(たいか21かじょうようきゅう)は、第一次世界大戦中の1915118日に日本が中国に対して行った満蒙における日本の権益問題や在華日本人の条約上の法益保護問題をめぐる21か条の要求と希望のこと[1]。対支21ヶ条要求、二十一か条の要求とも呼ばれる(中国語版では「二十一条」)」

その後、この要求を巡って日中は対立を続けるのですが、その一つの妥協点にワシントン会議で到達することになりました。曲がりなりにも一つの条約が結ばれることになったからです。「山東懸案解決に関する条約」と呼ばれていますが、これもWikiwandから引用しましょう。

山東懸案解決に関する条約(さんとうけんあんかいけつにかんするじょうやく)とは、192224日に日本と中華民国の間で締結され、同年62日に発効した条約。

第一次世界大戦の結果、日本がドイツから獲得した山東省(膠州湾・青島)のドイツ租借地および山東鉄道(青島-済南間およびその支線)の返還が定められた。

膠済鉄道は日本の借款鉄道とされ、同鉄道沿線の坊子、淄川、金嶺鎮の鉱山は日中合弁会社の経営に移されるなど、日本の権益は多少確保された。山東還付条約(さんとうかんぷじょうやく)とも。

この条約締結に至る上では、アメリカとイギリスの仲裁がきっかけになりました。また、日本のシベリア出兵問題もこの会議では取り上げられ、友三郎は撤兵の意志のあることを表明しました。

当然総理大臣になってからの活躍が注目されますが、それも次回手短に。

 

そして皆さんにとって、今日一日が素晴らしい24時間でありますよう!

 [2023/7/10 人間イライザ]

[お願い]

文章の下の《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。

広島ブログ

2023年7月 9日 (日)

総理就任以前に二度もわが国を救った友三郎 ――命日は8月24日です――

総理就任以前に二度もわが国を救った友三郎

――命日は824日です――

1_20230708202701

呉市の加藤友三郎像 (常広一信氏撮影)

広島ブログ 

ブログ激励のために、上のバナーをクリックして下さい

 

広島市出身初の総理大臣加藤友三郎の生涯を振り返りつつ、政治のあり方について考えていますが、友三郎の生涯を学ぶ上で、もう一冊、重要な伝記を御紹介しておきます。豊田穣著の『蒼茫の海――提督加藤友三郎の生涯』(1983年、プレジデント社。文庫版は2016年、光人社)です。

友三郎の偉大さについて、健筆を揮って世に広めてきた郷土史家の田辺良平さんが、『Current Hiroshima』誌の2022年8月号に、分り易い一文を寄せられています。「忘れてはならない8月24日」というタイトルですが、友三郎の偉業をそこから抜粋する形でお届けします。

「8月6日は、広島に世界最初の原爆が投下されて、一瞬にして10幾万人もの無辜の民が殺戮されたという、日本はもとより全世界の人たちにとっても、終生忘れてはならない日となってします。少し次元は異なりますが8月24日も、特に広島人にとっては忘れてはならない日と私は思うのです。」

「この8月24日は、第21代内閣総理大臣加藤人三郎が、現職のまま病気で亡くなった日なのです。」

「総理になる以前にはわが国益を2度にわたって助けているのです。その一つが、明治38年5月の日露戦争での日本海海戦で、連合艦隊のナンバー2の立場である参謀長として活躍した結果、わが国は敗戦国とならずに済んで、敗戦によるさまざまな困難が回避できたことです。」

「もうーっは、大正10年11月から翌年2月にかけて、ワシントンで行われた主要海軍国5か国による「海軍軍縮会議」の首席全権として出席し、米国から提案されたわが国の海軍力を、米国の6割に縮減する提案を受託したことです。」

「加藤は、日本海海戦により日露戦争を終結に導いたことで平和を招き、もう一方ではワシントンの軍縮会議で外交手腕で平和を実現させたのです。」

総理大臣としての在任期間は1年2か月でしたが、短期間にもかかわらず素晴らしい仕事をしていることも忘れてはなりません。(続く)

 

そして皆さんにとって、今日一日が素晴らしい24時間でありますよう!

 [2023/7/9 人間イライザ]

[お願い]

文章の下の《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。

広島ブログ

2023年6月 5日 (月)

2008年のG8下院議長会議は大成功 ――ホストは河野衆議院議長――

2008年のG8下院議長会議は大成功

――ホストは河野衆議院議長――

G8

元資料館館長の高橋昭博さんの被爆証言に耳を傾けるG8下院議長さんたち

 

広島ブログ

ブログ激励のために、上のバナーをクリックして下さい

 

昨日は、2008年9月1日と2日に開かれた、G8下院議長会議についての報告の前半をお届けしました。今日は後半です。

今回のG7広島サミットと比べると、本質的な違いが浮かび上がってくるはずですが、まずは、2008年9がつ25日にメルマガ「春風夏雨」にアップした、後半部分をお読み下さい。

*************************************

春風夏雨第101回 (2008年9月25日号)

秋葉忠利

2008年9月21日(日)執筆

大成功に終ったG8下院議長会議 (2)

――「ヒロシマ」の持つ不思議な力から、新たな希望が生まれました――

 

前回に続いて、この会議の成功に貢献して下さった方々や団体の活動を紹介することから始めたいと思います。平和記念公園で議長さんたちを歓迎した中で、多くの子どもたちの姿が目立ちましたが、合唱の素晴らしさと共に伴奏を受け持ってくれた消防音楽隊の皆さんも頑張ってくれました。

時差のせいで朝早く起きて活動する参加者や随行する人々のためには、ホテルの前のひろしま美術館が特別に朝の7時から開館をしてくれました。万一の事故や病気といった事態に備えて広島市民病院や舟入病院のスタッフも、救急患者受け入れ態勢を整えてくれていました。会議後、宮島への移動については、第六管区海上保安本部が万全の態勢を敷いてくれました。

広島市にとっても議長さんたちにとっても大変有意義な会議になったことは、前回も触れましたが、今回は出席した議長さんたちが、それぞれの国において一流の政治家であるだけでなく、世界的にも高く評価されているリーダーであるのは何故かが分ったような気がしていますので、その点について説明したいと思います。

一つ目は、私にはとても真似ができないなと感じたことなのですが、時差にもほとんど影響されず、分刻みの日程をこなした事実です。「疲れた」「時差の影響で眠い」等の言葉を発する議長さんは一人もいらっしゃいませんでした。改めて議長さんたちのエネルギーと公務に対する献身的な姿勢に襟を正さざるを得ませんでした。多くの行事で同じように、熱心さの余り時間が超過することさえあったほどです。

そのような状況の中、河野議長が例えば最初の日の夕食会が少し遅れることを、会場で待つことになった参加者に直接説明して理解を求める心遣いも、清々しいものでした。

夕食会では、河野議長の左にアメリカのペローシ議長が座り、その真向かいが私の席でした。私の右はイギリスのマーティン議長、ペローシ議長の左隣が欧州議会のツァガロポウロ副議長でしたが、残念なことに私とは距離が離れていて余り話すことができませんでした。

さて、夕食会での話題ですが、その最中に届いた福田総理の辞任について誰もが関心を持ったことは当然なのですが、前日に総理主催の夕食会が東京であった際には辞任の素振りも見せなかっただけに――という感想と共に皆さん大変驚いていらっしゃいました。

このように「公式」の夕食会でも、仕事の話ばかりしている訳ではありません。個人的な話題から段々に話の幅が広がるという展開も一つの典型なのですが、今回はペローシ議長の話が大変興味深い内容でした。

政治家一家としても知られているのは、お父上(トマス・ダレッサンドロ氏)も、連邦レベルの下院議員を務めた後、ボルティモア市の市長を三期務めたことに加えて、二人の兄も、ボルティモア市長、サンフランシスコ市の市会議員といった経歴があるからです。そのせいもあって、ペローシ議長は都市の問題や市長の仕事にも理解があり、平和市長会議についても良く理解して貰えました。

ペローシ議長の経歴で私が驚いたことは、5人の子供を育ててから47歳で政治の世界に入ったことです。私も同じく47歳で政治の世界に入りましたが、ペローシ議長にとっては、数学から政治への転向の方が、主婦から政治よりは大きな変化のように映った印象でした。

お父上はボルティモア市長時代を大変楽しんだこと、しかし、兄上の時代は公民権運動でアメリカが分裂していた時代で苦労が多かったこと等についても話を聞くことができました。

幸いだったのは、彼女がモーツァルトを好きだったことです。歓迎のコンサートでモーツァルトを聴いて頂けたのですから。「モーツァルトが天才だと良く言われるけれども、自分は、モーツァルトは天才より上の存在だと思う」という言葉にも肯けましたし、数学者の中にも天才以上の存在だと考えられている人が何人かいることにも興味を持って貰えました。

イギリスのマーティン議長の弟さんは数学が大変良くできて、試験のときに余りにも良くでき過ぎたためカンニングをしたのではないかと疑われた話をしてくれました。

このあたりで福田総理の辞任のニュースが伝わり、後は、他の話になってもそのことに戻ってしまうような感じでしたが、あっという間に夕食会が終わりました。余り話のできなかった欧州議会のツァガロポウロ副議長から、会場を出ながら、欧州議会の議員になる前、自分はアテネ市の副市長を務めていたこと、平和市長会議の活動にもその頃から関心を持っており、できることは何でも協力したいので是非気軽に声を掛けて欲しいと、熱っぽい言葉も頂きました。

次の2日の朝も、8時半から平和記念公園に来て頂き、慰霊碑への献花に続いて、資料館を視察して頂きました。

河野議長に後で伺った事なのですが、9人の議長さんにはできるだけ一緒にいて貰える時間を多くするように配慮したとのことでした。例えば、移動の際にも別々の車ではなく、バスに一緒に乗って貰って話す機会を作るといった事なのですが、そのせいもあって、朝から議長さんたちの一体感を感じましたし、リラックスした雰囲気であることにも気付きました。

そんな雰囲気の中、歓迎の『ひろしま平和の歌』の合唱と子どもたちの旗に囲まれて慰霊碑前まで進まれました。慰霊碑前に横一列に並ぶと、議長さんたちは、それぞれ厳粛な面持ちで献花をして下さいました。その後、慰霊碑の碑文の意味、平和公園がかつては多くの市民の住む賑やかな地域であったこと、原爆ドームの世界遺産化、佐々木禎子さんと折鶴等について簡単に説明しました。そろそろ、資料館に移動しようという時間になると、自然な形で議長さんたちが手をつないで慰霊碑に向かわれました。このような形で9人が揃って祈りと決意を捧げてくれたことは、私は勿論ですが、多くの市民の皆さんにも大きな感動をもたらしてくれました。その場に居合わせることができたことを私は幸せに思いますし、この議長さんたちの気持が必ずや被爆者の願いを実現する上での大きな力になることを確信しました。

資料館に向かう私たちの耳に入ってきたのは『アオギリのうた』でしたが、歌に呼応するかのように、議長さんたちに折鶴と平和のメッセージを渡すために待っていた子供たちと議長さんたちが熱心に話を始めて、担当の職員はヤキモキし始めるほどでした。

資料館の案内は、前田耕一郎館長が全体のバランスを上手く取りながら適切な説明をしてくれました。何ヶ国語もの同時通訳が、説明を訳しながら、しかも多数のマスコミ関係者も取材のため館内にいるわけですから、「静粛」という雰囲気とは言えませんでしたが、やはり事実の重みが議長さんたちを圧倒したようです。

元資料館長の高橋昭博さんのお話にはいつも感動するのですが、この日も丁寧に原稿を準備されてのお話でした。議長さんたちは立ったままでしたが、高橋元館長の体調を考慮して椅子に座って話して頂きました。高橋元館長はこのことをとても気にされ、私が元館長の御紹介をするときには、この点について御理解頂けるよう、説明をして欲しいとの要望を頂きましたので、その通りにさせて頂きました。そうした気持ちも議長さんたちには確実に伝わり、ペローシ議長は「高橋さんの話は素晴らしかった」と特に前田館長に伝えられたそうです。

その後、国際会議場での2時間の会議の後、広島市主催の昼食会を開催しました。この昼食会での会話も楽しいものでしたが、前回の報告でも触れましたので、省略することにします。

慰霊碑に向って9人の議長さんたちが、自然発生的に手をつないで祈りと決意を表してくれたこと、さらに会議前の「核兵器のない世界を目指して」が「核兵器をなくして平和な世界を」という決意に変ったと河野議長がコメントされたことからも、ヒロシマが議長さんたちを動かした証拠になると思います。

中でもペローシ議長は、特に熱心に広島を理解しようと努められていたように思いますし、「ヒロシマの心」はストレートに感じて頂けたのではないかと思います。例えば、慰霊碑の前で十字を切り、高橋昭博元館長の手を握り感謝の言葉を掛け、「子どもサミットのテーマには必ず軍縮を」と強調したのはアメリカのペローシ議長だったからです。

カトリック教徒の同議長は、ローマ法王の広島訪問にもとても関心を示して下さり、ローマ法王の広島訪問時のスピーチのコピーをお渡しすると、「これでもっと多くの人が説得できる」と笑顔で答えてくれました。アメリカで開催中の原爆展や「2020ビジョン」を掲げている平和市長会議の活動にも個人レベルで協力して貰えそうです。

大統領継承順位で言えば第二位の政治家が公式に広島を訪問し、ヒロシマに好意を持って帰って頂けたのですから、次の展望が開けることを期待しても良いと思います。そのためには未だ時間も掛かるでしょうし、並の努力では足りないかも知れません。しかし、今回の下院議長会議で、確実な希望が生まれました。そして、2020年までの核兵器廃絶に向けての、また一つ新たな希望も生まれました。

*************************************

そして皆さんにとって、今日一日が素晴らしい24時間でありますよう祈っています!

 [2023/6/5 人間イライザ]

[お願い]

文章の下の《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。

広島ブログ

より以前の記事一覧

その他のカテゴリー

#派閥 #裏金疑惑 100周年 100歳を目指す 103万円の壁 10ポイント・アクション・プラン 2045ビジョン 2045年 2位では駄目 35/45ビジョン 4つの自由 5本指ソックス 5秒の法則 6.29豪雨災害 60年安保 89秒 8年前 ACC ACジャパン AI Airbnb ATTO 3 Atto3 Audible before and after BTスピーカー ChatGPT Copilot COSMOS decent DIY EV F35戦闘機 FDR G7サミット G7広島サミット Hard Rock Cafe I have a dream. IPアドレス JR総連 Jアラート Let Them Theory Made in USA Ms. My Way Nat King Cole No First Use NOW NPT OEWG please SNS SSD TACO The Atlantic The Better Angles of Our Nature The Bulletin of the Atomic Scientists The Meaning of Survival Tufts University Unforgettable USスティール Walz Webカメラ WHO X You've made my day! Zoom Z級グルメ 「No」と言える日本 『はだしのゲン』 『数学書として憲法を読む――前広島市長の憲法・天皇論――』 あんみつ いじめ うがい おすすめサイト お世話になりました お酒 かな入力 つらら とらや に切り付ける に鑑みて アイゼンハウワー アイルランド友好議連 アキバ・プロジェクト アジフライ アニメ・コミック アマゾン アメリカ アメリカの基地 アルティメット アール・キム イ―ロン・マスク イスラエル イチャモン イラン インク インド ウィシュマ・サンダマリ ウェブログ・ココログ関連 ウォルター・クロンカイト ウォーキング ウォール・ストリート・ジャーナル ウクライナ エッグズ・ベネディクト エネルギー エリ・ヴィーゼル エリー・ウィーゼル エントロピー オスロ オバマ オブザーバー参加 オレンジ・ジュース オーストリア カナダ カラオケ カープ ガザ ガンジー ガーデンライト キュウリ キューバ危機 ギャバード ギャンブル クリーブランド・クリフス クレディット・カード グルメ・クッキング ケネディー大統領 ケート・デュース ゲーム コマーシャル コロナ コロナ感染 コロンビア大学 コロンブス コンサート コンセント コーデル・ハル ゴルバチョフ書記長 ゴンカルベスCEO シクラメン シャツ シューマン ショック ショパン ジェノサイド ジェンダー ジェンダーギャップ ジャガイモ ジャクリーヌ夫人 ストライキ スパゲティ スピーカー スポーツ スマホ スリッパ ズムスタ セオドア・ローズベルト ソフィスト タフガイ タフ・ガイ タブレット タレント ダニエル・エルスバーグ ダメなものはダメ チャゾフ博士 チーム デモ デモ行進 トイレ トイレは座って トゥルースリーパー トパーズ トマト トライアスロン トラテロルコ条約 トランク トランプ大統領 トールグラス ドレフュス事件 ナイスガイ ナイス・ガイ ナポレオン・ヒル ニコライ堂 ニュージーランド ニュース ネクタイ ネタ ノートパソコン ノーベル平和賞 ノーマン・カズンズ ハワイ大学 ハンセン病 ハーバード・ビジネス・レビュー ハーバード大学 バレンタインデー バレンティーノ パジャマ パソコン パソコン・インターネット パワハラ パンク パールハーバー ヒロシマ・ノート ヒロシマ・ビジョン ヒロシマ休戦 ピッツバーグ ピッバーグ ファッション・アクセサリ ファミマ フリーWiFi ブッケンヴァルト ブログ プライバシー ベティー・フリーダン ベトナム戦争 ペンタゴン・ペーパーズ ホップ・ステップ・ジャンプ ホロコースト ホームセンター ホームラン ボイコット ボス ボストン交響楽団 ポスター マイケル・ムーア マインド マスコミ マタイ受難曲 マック マツダ マラソン マーティン・ニーメラー ミサイル ミニバラ メタファー メモリー メル・ロビンズ メローニ首相 モーツァルト ヤマハCFX ユダヤ人 ユニオンショップ ユーモア ラインホルド・二ーバー ラウン博士 ラブゲリオ ランチ ラーメン リクルート事件 リンカーン リンデン・B・ジョンソン大統領 リーダー ルーチン化 レシピ― レッカー車 レンゲ レンタカー レーガン大統領 レーンアシスト ロシア ロバート・グリーン ロバート・マクナマラ ロビー活動 ワルツ 一万円札 万博 万年筆 三人を説得 上京 上川外務大臣 上川発言 上意下達 不倫 不測の事態 世界平和 世界法廷プロジェクト 中国 中国新聞 中央大学 中山間地域 中川顕実 中間目標 中間選挙 九条の会 二段階 井戸川裁判 交通機関 京都 人名の発音 人権 人権派弁護士 人質司法 人類滅亡 仏教タイムズ 企業の利益 住まい・インテリア 佐々木蔵之介 佐野洋 体を躱す 何でもあり 保田小学校 信教の自由 倉本寛治 個の確立 健康 充電 先制不使用 全世界 全学連 全日本 公民権運動 公益通報 公開作業部会 兵庫県知事選挙 内灘 内部留保 再審無罪 写真 凍結防止 出版 刑法 初冠雪 初寄り 初対面 利益相反 前開き 副読本 加藤友三郎 労働三権 労働三法 労働協約 労働組合 勉強会 動機 動物撃退器 勤労の義務 勤労感謝の日 勧告的意見 北東アジア非核地帯 医療 十六夜 千葉海岸 卑劣な日本 占い 即戦力 原子力科学者会報 原水禁世界大会 原爆 原爆の子 原爆乙女 原爆孤児 原爆投下 原爆裁判 原爆詩集 参議院議員選挙 参議院選挙 参院選 友人 友情 反戦の日 受忍論 台車 右翼 司法試験 同時通訳 名取裕子 哲学 唯一の立法機関 問われるヒロシマ 問題解決 国交省 国会映画議員連盟 国務大臣 国民審査 国葬 国連 国連総会 国際司法裁判所 国際法違反 國弘正雄 土井たか子 報復 報復ではなく和解を 報道1930 塩焼き 外務省高官 外国人 多数決 夢グループ 大仏 大使 大学 大岡信 大峰山 大晦日 大椿ゆう子 大統領選挙 大谷翔平 大逆事件 大雪 天然鮎 天皇 太陽光 夫婦別姓 奇襲攻撃 女性蔑視 姉妹都市 婚外子 子ども 学問・資格 安い給料 安保体制 官僚 実質賃金 家族愛 家電 富士山 寒気 寒波 小エビ 小児型強弁 小児型強弁者 小坪則子 小嶋素子 小池百合子 小選挙区制 山百合 山茶花 岩盤 岸信介 岸内閣 岸田総理 工場長 市政記者クラブ 市民派 市長村長 席を譲る 帯状疱疹 平和 平和の原点 平和宣言 平和市長会議 平和記念式典 広中平祐先生 広島の記録 広島・長崎 広島国際文化財団 広島市 広島市議会選挙 広島電鉄 広島駅乗り入れ 広電 庭の手入れ 庭仕事 廃炉 廿日市 強弁 強風 当事者 後悔先に立たず 徴兵 心と体 忍者 応援 思いやり予算 恋愛 恐怖からの自由 恵泉女学園 恵泉学園 悪徳政治家 意識 愚痴 愛知県日進町 感謝 慰霊の夕べ 慰霊の夕べコンサート 憲法 懐かしい思い出 成功 扇風機 手が掛かる 投票所 拡散 掃除 排除 推理小説 携帯の下四桁 携帯・デジカメ 改憲 放射能 故郷 教科書 教育 教育勅語 教訓 散髪 敬意 敬老の日 数学 数学人の集い 数学嫌い 敵と味方 文化・芸術 文化人 文房具 文殊 断捨離 断熱材 新歌舞伎座 施錠 旅行・地域 日本プレスセンター 日本一 日本政府 日本政府抜き 日本製鉄 日本語109配列 日本酒 日米地位協定 日記・コラム・つぶやき 日銀 日露戦争 早期戦争終結 星野珈琲店 映画 映画・テレビ 春闘 昭和 時間です 景色 晴耕雨読 書き起こしソフト 書籍・雑誌 曽野綾子 最高裁 最高裁判所 有言実行 朝日新聞 朝食 朝鮮人虐殺 期限 李実根 来年こそは 東京佐川急便事件 東京大空襲資料館 東京新聞 東京空襲 東京都知事選挙 東条英機 松原耕二 柔道 柴田淳 核不拡散条約 核兵器 核兵器禁止条約 核廃絶 核抑止論 梅沢富美男 梱包 植民地 楽しい日本 権利の消滅 樹木 橋下徹 橋渡し 歌舞練場 正当化したいのは何 正規化 歯医者 歴史 歴史観 死刑 死刑は憲法違反 毎日 民法 水道 水道の凍結 水道管破裂 汚染水 池部良 治外法権 泉房穗 泉谷しげる 法人税 派閥 流行歌 浄土真宗 消費税 消費者 消防団 渓流 滑車 漢字 激流 濁音 無党派層 父の日 物価高 物理キーボード 物理学者 猫の糞 玉鷲 環境 生きる義務 生と死 生活 生活保護 田んぼ 田中正造 田中熙巳 田久保真紀 田圃 田村元 田舎 町内会 画面キーボード 白バイ 白川陽大選手 百貨店 盗塁 盛田昭夫 相対化 眼鏡 石丸伸二 石原慎太郎 石川県 石油ファン・ヒーター 石田明先生 石破茂 研ナオコ 社会 社会的責任 社会科 社会進化論 社民党 神谷宗幣 福島 福祉 科学者 秘書 空港 笑い飛ばす 笠松将 第一委員会 箕牧智之 箱根駅伝 米朝会談 精神 糖分 紫陽花 終末時計 終活 組合員 経済・政治・国際 経済原理 絶対化 総括 総理大臣 締約国会議 罪のない人たちの命を助ける 罷免 美術館 老化現象 老婆心 聖橋 聖職者 聞け国民 育児 胡蝶蘭 脱原発 腕時計 臨死体験 自分で修理 自殺 自治体 自然 自然災害 至言 芝生 芸予地震 芸能・アイドル 若者 英語 菊谷和宏 蓮舫 薬局 藤山一郎 虎に翼 虎の翼 血糖値 行列 行脚 街宣車 被団協 被爆100周年 被爆80周年 被爆者 袴田巌 西行 見返り 角川歴彦 言葉 言行一致 言論の自由 詐欺 詭弁 認証不正 誕生日 誤用 論破 講演会 謹賀新年 警句 議員事務所 議員立法 護憲 豊田真由子 豊田章男 貧困からの自由 責任能力 買収 趣味 足が攣る 足跡 車いす 車の傷 軍事力 軍学共同反対 辞書 辰年 農作業 農業用水 農機具 近藤幸四郎 迷惑メール 逆説 連続出場 道路 遠隔操作 選挙 都をどり 都市 都立 都道府県知事 野崎昭弘 野村吉三郎 金は一年土地は万年 金儲け 金権腐敗政治 銀世界 銀座 長崎の鐘 閻魔大王 闇バイト 阪神淡路大震災 防災の日 防災大臣 防災省 防犯 阿部知子 除夜の鐘 集会 雑草 零下7度 零下9度 電子投票 電気自動車 電話作戦 青梗菜 青空 非正規労働 非被爆者 革製品 鞄の修理 音楽 風化 風邪 飛ぶ鳥跡を濁さず 首班指名 駐日大使 騙し討ち 高橋昭博 高齢者 黄禍論 鼻濁音

広島ブログ

無料ブログはココログ
2025年7月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    

カテゴリー