憲法

2023年9月16日 (土)

「即時行動」への共感 ――大阪から新たな動きが生まれそうです――

「即時行動」への共感

――大阪から新たな動きが生まれそうです――

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近畿9条の会の講演で多くの皆さんにも賛同して貰えた点です

 

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「大阪そして近畿は維新に乗っ取られてはいない」との感を強くしたのが、9月9日、PLP会館での講演後の質疑とその後の小規模の意見交換会でした。私に与えられたテーマは、「弄ばれたヒロシマ  前広島市長から見た「G7広島サミット」について」でした。

二日前にも報告しましたが、主催団体の「憲法9条--世界へ未来へ近畿地方連絡会」の皆さんの熱意とこれまでの活動を一言でまとめると、最初の言葉「大阪・近畿は維新に乗っ取られてはいない」なのです。

確かに、選挙結果とマスコミの報道だけを見ると、維新の力の大きさに圧倒されがちです。でも今回痛感したのは、それに負けない多くの人々の活動があり、新たな力を注入して理想の政治実現のために頑張ろうという強い意志のあることでした。

それは、何人かの方からのコメントから伝わってきました。例えば、「Change.org」を使っての署名運動を使う可能性が伝わりました。

この画像は、昨年3月1日、一人で始めた署名運動ですが、4月末までには10万人以上の方々から賛同の署名を頂きました。その結果をプーチン大統領や岸田首相、核保有国の首脳に送り、「核兵器を使わない」と宣言するように迫りました。

宣言はまだ実現していません。でも今までの所、核兵器は使われていません。そして、「署名」という行動を取ってくれた一人一人にとっては、宣言が実現するよう、さらなるプレッシャーを掛け続ける上でのインセンティブになっています。

「たくさんのメールを貰うので、どれに賛同すれば良いのか迷うことが多かったのですが、自部で署名運動を始めるという発想がありませんでした。これは、使える道具になりますね。」という言葉から、新たな可能性を思い描いています。

もう一つ、参考になったというコメントをいくつか頂いたのは、マイケル・ムーアの「テンポイント・アクション・プラン」です。

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この中で、3.の「すぐやる」チームを友達数人で作って、1.と2.、つまり、国会議員や県・市会議員・町村議会議員等の事務所に、日にちを決めておいて順番に電話をすることなど、すぐできます。また月に一度は全員で、議員たちを順番に訪問して自分たちの意見を伝えることもできます。

ここで大事なのは、喧嘩をするための電話や訪問ではないことです。出来れば事務所のスタッフと友達になって、議員本人にも会わせて貰うこと、そして、私たちの味方につけることです。

「議員に電話をすることなんて考えてもみなかった」という方もいらっしゃいました。また、自分で、どのレベルの選挙でも良いので、リーダー役を買って出ることもお勧めしました。それが直ちに、維新の活動を超える結果を生むとは思いませんが、そんな目標に向かって、希望を感じられるような皆さんからの発言でした。

その他の質問についても、順次報告します。

 

最後に皆さんにとって、今日一日が素晴らしい24時間でありますよう!  

 [2023/9/16 人間イライザ]

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2023年7月17日 (月)

防衛省を防災省に ――自然災害を黙殺する政治をひっくり返そう――

防衛省を防災省に

――自然災害を黙殺する政治をひっくり返そう――

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津波で破壊された家--浪江町

 
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今年もまた、大雨が続き、全国各地で大きな被害が生じています。南九州そして北九州と山口、北陸や東北と、「線状降水帯」という名称とともにいつどこで大災害が起きるのかさえ予測できない状態です。ということを裏返せば、全国どこで自然災害が起きても不思議ではない自然環境の中で私たちは生活しているのです。

にもかかわらず、政治はこのような深刻な、国民的課題には気付かないかのような対応です。危機的状況にある被災地には目もくれず海外の軍事同盟の会議で意気揚々としているのが、今の政治の堕落振りを示しています。

そんな政治を本来の姿に戻すために、事実を元にした提言を続けなくてはなりません。私の小さな貢献の一つとして、この何年間かこの問題についての構想をまとめてきました。何度言っても伝わらない相手なのかもしれませんが、それでも誰かが伝え続けないと、「ダメ」が「良いこと」になってしまいます。これまでこのブログで取り上げてきた原稿に加筆訂正を加えながら、再度のアピールを連続で始めます。

今回は、昨2022年7月5日にアップした記事に少し手を加えました。取り上げた事実は変わっていませんし、提言が有効であることも間違いありません。ただ政治状況は今の方が格段に悪くなっていますので、説得力は増しているように思えます。

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2022年7月5日アップ

防衛省を防災省に

津波で破壊され、そのままになっている家屋です。東日本大震災の遺構ですが、11年経って、あの時のショックは忘れ去られているのでしょうか。

ロシアのウクライナ侵攻以来、「リアル・タイム」で私たちが体験している戦争の様子に「ウクライナ・ショック」を受け、「日本でもこんなことが起きたらどうすれば良いのか」という危機感につながっています。それはそれで分るのですが、もう一つ、忘れてはならないことを忘れてはいませんか。

2021年7月3日には熱海で土石流災害が起きて26人の方が亡くなっています。2020年は、熊本での豪雨災害で、熊本だけで64人の方が亡くなっています。

最新ではありませんが、以前まとめた数字を再掲します。自然災害の結果、どれだけの犠牲を払わなくてはならなかったのかを再度、思い起すためです。

2018年に起きた災害だけを取り上げますが、

(i) 1月23日の草津白根山の噴火

(ii) 死者の出た2月の北陸豪雪をはじめとする各地での豪雪

(iii) 3月と5月の霧島山新燃岳と桜島の噴火 

(iv) 6月18日、死者4名、損壊家屋は3万戸近くになった大阪北部地震

(v) そして死者は200名を超えるであろう、7月の西日本豪雨と、半年ちょっとで大きな災害が目白押しです。

こうした数字を前に、「日本がウクライナと同じように攻撃された時に備えて、軍備を強化し、核武装までも必要なのではないか」、「敵基地攻撃能力が日本を守る」、「軍事費を倍にしないと日本の安全は覚束ない」という種類の主張に大きな違和感を持っています。

それは、自然災害の死者は毎年確実に私たちの目の前に現れているのに対して、日本が外国から攻められた、あるいは戦争で死者が出たという数字は「0」だからなのです。

比較のための数字を掲げておきましょう。

  • 2000年から2019年までの自然災害死者数は23,991です。
  • そして推計ですが、1945年から2019年までの自然災害死者数は90万人です。
  • 対して、1945年から2019年までの戦後75年間、外国からの侵略・外国との戦争で死んだ日本人の数は0です。

「ウクライナ・ショック」を端的に示すために、死者数によって考えることにしますが、ウクライナ戦争で命を落した日本人は「ゼロ」です。そして、戦後、自然災害によって亡くなった日本人の数は、100万人近くになるという事実から、そして恐らく今年も自然災害によって必ず犠牲者が発生することを考えると、今、私たちが懸念し、政府がお金を投じなくてはならないのは、自然災害対策なのではないでしょうか。

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それはこのグラフから明らかです。災害があると予算は増えますが、「喉元過ぎれば熱さ忘れる」で、「予防」のための予算はないのです。

予算が出てこない理由の一つは、「防災」を専門にする固定したお役所がないからです。それは、「防衛省」を「防災省」に変えることで解消されます。防災省を創設するメリットを、防衛省との比較でみてみましょう。

Photo_20230716214501

「予算」のカッコ内で言及してるグラフは、その前の棒グラフのことです。この比較からの結論は、防衛省を防災省に変えても、多くのメリットはあってもデメリットはまず考えられないということです。

ここで「誤解」を避けるための説明ですが、自然災害そのものは「予防」できません。でもその結果犠牲になる命や財産は減らすことができるのです。例えば、急傾斜地にある住宅を安全なところに移設するとか、洪水の起きやすい河川の流れを変える、危険な盛土を移動する、避難訓練を徹底する等、予算を付ければ実行できるそして効果のある施策は山とあるのです。

つまり、今の時点で「倍増」すべきなのは、「軍事費」ではなく、「防災費」なのです。それは、国民の命を確実に守る「現実的」な選択です。

「憲法を改正して自衛隊を憲法内に明記する」などという、「改憲先にありき」という論法ではなく、日本国民の命を救うのが国家の最優先義務だという憲法の規定からの結論は、「防衛省」を「防災省」に変えることで全て「解決」という簡単・明解な素晴らしいシナリオです。

これからも暑さが続き、やがて台風も来襲します。皆様、くれぐれも御自愛下さい。

 

[2022/7/5 イライザ]

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 [2023/7/17 人間イライザ]

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2023年4月12日 (水)

ChatGPTに国会答弁をさせてはならない ――機械にさせてはならないことがあるからだ――

ChatGPTに国会答弁をさせてはならない

――機械にさせてはならないことがあるからだ――

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内閣官房内閣広報室

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Yasutoshi_Nishimura_20190911.jpg

このコラムでは、ジョセフ・ワイゼンバウム教授の問題提起を出発点にして、AIと人間がどう付き合うべきなのかということを考えています。それに関して、西村経産大臣が重大な発言をしたのですが、それについてのマスコミの捉え方が控えめに言って不十分なのではないでしょうか。

ITmedia等によると発言内容は、「機密情報の取り扱いなどの懸念が解消されれば、国会答弁の対応などへ活用を検討していく」です。それ以前に、329日の衆議院内閣委員会では、立憲民主党の中谷一馬議員がChatGPTに作らせた質問を読み上げ、岸田総理が答弁した後、ChatGPTが作った岸田総理の答弁も披露しました。

皮肉なことに、実際の岸田総理の答弁とはそれほど違った内容ではありませんでした。岸田総理は、自分の答弁の方が関係者の名前を挙げているので実態をより反映した答弁になっていると、ChatGPTと自分との優劣の問題にしてしまいましたが、これはAIを使う上での本質を逸らしてしまっています。(ITmedia NEWS, 松浦立樹氏による「ChatGPTが国会にも登場、質問案を作成 岸田総理 vs.AI で答弁の比較も 誠実なのはどっち?」)

ワイゼンバウム教授が『コンピュータ・パワー』の中で、繰り返し強調しているのは二つの点です。一つは、人間と機械には違いがあること。もう一つは、機械ができるかどうか、それも上手くあるいは早くできるかどうか等にかかわらず、人間が機械にやらせてはいけないことがある、という点なのです。

『シラノ・ド・ベルジュラック』のストーリーは御存じだと思いますが、クリスチャンの恋文をシラノが代筆し、それにロクサーヌが恋をします。このシナリオの中で、シラノの代りにAIが、特にChatGPTが代筆をしたと考えて見ると、本質が見えてくるかもしれません。

国会の質疑とは本来、主権者に国政の運営を委託された国会議員と大臣が、全体の奉仕者としての立場に立って、自らの言葉で国政についての問題点を糺したり、政策についての提言を行ったり、行政の立場についての丁寧な説明を行うことを意味します。繰り返しますが、大切なのは「自分の言葉」です。委託されているのは「自分」なのですから、その自分が責任を持つということは否定できないのです。

つまり、主権者に対しての責任を全うするのは人間であって機械ではないのです。にもかかわらず西村発言に対するマスコミや国民からの反応が余りにも鈍いのには理由があります。

今回の西村発言が私たちに突き付けているのは、ChatGPTを使うべきかどうかという点だけではないのです。残念なことに、総理大臣もその他の大臣たちも、官僚に甘え切っています。官僚に書かせた「答弁」をその通りに読むことが総理大臣はじめ大臣たちの習慣になってしまっているからです。

言い換えると、国会の質疑は既に、「官僚制度」という機械に答弁をさせる習慣にしてしまっているから、ChatGPTを使うことに何の疑問も抱かないのです。(機密情報の取り扱いは、別の次元の話ですので、ここでは割愛します。)

機械をスムーズに動かす上で、一つの部品を別の部品に変える方が好都合だというだけのことになってしまっているのです。

私たち主権者が、再度、国会の質疑の本質を問い直し、人間同士が責任を持つ言葉でやり取りをする場に戻すために、声を上げ続けましょう。

 

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 [2022/4/12 イライザ]

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2023年3月14日 (火)

[追悼] 大江健三郎さん ――「先生」なのですが、それ以上の存在でした――

[追悼] 大江健三郎

――「先生」なのですが、それ以上の存在でした――

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大江健三郎さんが亡くなられました。心から御冥福をお祈り申し上げます。

「ヒロシマ」を考える上でのかけがえのない「先生」でした。でも、それだけでは言い尽くせない大きな存在でした。平和や憲法について考え行動する上で、最後には大江さんがいてくれる――それだけで私には安心感が生まれていたからです。

1963年に出版された『ヒロシマ・ノート』が出発点でした。その年に、大江さんも私も初めて広島を訪れたのです。

1987年7月には、国際パブロフ学会の特別平和シンポジウムでの基調講演をお願いしました。一日かけて、大江さんの他にも素晴らしいパネリストの方々に御参加頂き、広島で開かれた平和シンポジウムの中でも誇るに足る内容だったと愚考しています。その一日の様子は三友社出版の『人間の心ヒロシマの心』として、まとめられています。

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そして、私が大江さんから頂いた最後の言葉は、『数学書として憲法を読む――前広島市長の憲法・天皇論――』をお贈りしたお礼にと頂いた『大江健三郎 自選短篇』の1ページ目に記されていました。

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それからもう4年近く経ったのですが、私の憲法論も少しずつ成長しています。87年のシンポジウムの時のように、心おきなく憲法についての話をしてみたかった――。

私たちにとって、大江さんは大きな「時代精神」のシンボルでした。大江さんが亡くなられたことと、今まさにその「時代」が終焉を迎えつつあるように見えることとは、偶然とは言えないのかもしれません。

 

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 [2022/3/14 イライザ]

 

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2023年3月11日 (土)

「記憶が不確かだから記録を残す」の意味を葬り去った自民党政治 ――それでも過去の記録を忠実に残す努力をし続けよう――

「記憶が不確かだから記録を残す」の意味を葬り去った自民党政治

――それでも過去の記録を忠実に残す努力をし続けよう――

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TBSニュースのディジタル版によると、3月10日に開かれた参議院予算委員会の理事懇談会で総務省は行政文書の正確性についての調査結果を報告したとのことです。その中で、特に注目されたのは、2015年2月13日に行われたという、当時の高市総務大臣への「大臣レク」(お役人言葉で、大臣や議員な出への「説明」を「レク」、つまり講義してやると表現しています。)が実際にあったのかどうかについては、 「確認できない」と答えたのだそうです。

「確認できない」の意味は、その文書を作成した人の記憶があやふやになっていて、今の時点の記憶ではどうとも言えない、と解釈するのが普通でしょう。しかし論理的には他の可能性も存在します。

「できない」の意味を、「可能だけれども何らかの理由で、そうすることができない」と解釈すると、高市経済安保担当大臣の力に屈服しているので「できない」、という可能性も考えなくてはなりません。

まず、最初の可能性ですが、8年前の出来事について、今唐突に聞かれて即座に答えることのできる人は限られているでしょう。そして、「記憶」はそれより短い時間ではも頼りにならないことは心理学の常識です。この点については、世界的権威であるエリザベス・ロフタス教授の研究を池袋の暴走事故についての記事で紹介しました。

科学的検証は最近になって行われたのかもしれませんが、人類はこの事実を良く知っていました。文字のない時代でさえ、口伝という形で過去の記録をできるだけ正確に残そうとしたのです。さらに文字ができてからは、記憶を文字化するという作業が社会的営為の基本として確立されました。それを最も尊重し、徹底してきたのが官僚組織なのです。そして官庁の中では総務省がその元締めです。

そして、2月13日の文書には、大臣レクの記録係が誰であるのかもきちんと記録されています。「西がた(記)」がそれです。そして、このような記録が作られるのは、当日か遅くても次の日です。間違いの起る可能性はほとんどありません。

特に、お役人の基本的価値観に照らすと、上長、特に組織のトップについての記録は丁寧に間違いのないように扱わなくてはなりません。事実、私が市長を務めていたときでも、事務方の記録の正確さに助けられたことは一度や二度ではありません。

ですから、高市大臣が何と言おうと、総務省は「この記録は正確です」と主張すべきなのです。

それができないのは、高市大臣が、この文書が「捏造だ」と言ってしまったからでしょうし、そうでなければ「辞任する」と言ってしまったから以外の可能性は考えられません。

思考実験をしてみれば、明らかです。仮にこの文書が「捏造」だとして、総務省内の誰がそんな捏造をしたのでしょうか。動機は何でしょうか。「大臣にとって良かれ」が忖度文化の最優先事項になるのですが、わざわざ今の時点で、「捏造」することで官僚たちの中の誰がどのような得をするのでしょうか。

逆に安倍総理が力を持っていた2015年なら、安倍総理の意を受けた高市大臣がその意を実現するために奔走しているという内容を「捏造」したとしても、問題はないどころか、褒められる結果になってもおかしくはありません。でも今の時点でそれは考えられないのではないでしょうか。

ここまで書いて気付いたことがあります。森友学園事件です。振り返って考えると、今起きていることは、正に、安倍総理がマスコミの追及を受けて「私や妻が関係していたなら総理大臣も国会議員も辞める」と発言し、その後財務省の理財局の佐川宣寿局長が森友学園との交渉記録を廃棄したと国会答弁をした後、文書の改竄や一部の削除、廃棄等が明らかになったにもかかわらず、開き直って辞任をしなかったという過去の流れと軌を一にしているではありませんか。

安倍学校の優秀な生徒であった高市大臣が先生の行いをそっくりそのまま真似していると考えると、全部辻褄が合うのですが、そこまで踏み込んだ追及はできないものなのでしょうか。自問自答になりますが、それは無理かもしれません。自民党・公明党政権が正確な記憶を残すのではなく、時の権力者に阿る記録を残す官僚制度を作ってしまったのですから。

そして記憶と記録という点からも、3月10日と11日は、私たちが忘れてはならないことが起きた日でもあります。1945年3月10日は、東京大空襲で10万にも市民が亡くなった日です。そして3月11日の東日本大震災も忘れてはならない教訓の日です。

サンタヤーナの「Those who cannot remember the past are condemned to repeat it. (過去を記憶できない者はその過去を繰り返す運命を背負わされる) 」ことにならないよう、教訓と共に過去の記憶を記録として残しましょう。そして、最も頼りになるべきお役所が正確な記録さえ残せないのであれば、憲法を基に、私たち主権者が行政の監視を強める仕組みを何としてでも創らなくてはなりません。

 

最後に今日一日、皆さんにとって、素晴らしい24時間でありますよう!

 [2022/3/5 イライザ]

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2023年2月28日 (火)

成田発言のおぞましさ検証 (3) ――1,000万人もの人をどう殺すのですか?――

成田発言のおぞましさ検証 (3)

――1,000万人もの人をどう殺すのですか?――

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成田悠輔氏の高齢者「集団自決」、「集団切腹」のおぞましさについて、これまでに回にわたって検証してきました。一回目はリアルな記憶を大切にというテーマでした。二回目は、「タイマーを埋め込む」というフィクションの話を成田氏は持ち出すのですが、でも高齢者を排除することは実現できないだろうという理由を説明しました。

今回は、少し具体的な数字を使って検証したいと思います。彼の提唱しているシナリオを「成田プラン」と呼ぶことにします。

実は数字には心理的なトリックが仕掛けられています。官僚たちはそれを良く知っていますので、人を騙すときに頻繁に使っています。例えば、小数点以下の数字など必要ない時にも小数点以下の数字を挙げるのが常套手段です。細部に注意を払い始めると、桁数など数字の持つ大きな意味が見失われる傾向があるのです。

ということで、概数で全体像を示して行きます。

日本の80歳以上の人口は1,000万人を少し超えています。「成田プラン」を実行するということは、少なくともこの1,000万の人たちに死を強いることになります。私は当然、その中の一人なのです。以下の議論は、私も「集団自決」をさせられる一人だということを忘れずに続けます。

同時に把握しておくべきことは、いま日本で年間何人の方が亡くなっているのかという統計です。約110万人なのですが、概数を取って100万と考えましょう。

対比するために、15年にわたる戦争、太平洋戦争だけでなくその前から数えての数字ですが、日本人の死者数は310万人以上だと言われれています。この中には、東京大空襲の10万人、広島の原爆による死者14万人や長崎の7万人も含まれます。

沖縄戦も含めると1945年の死者数は特に多いのですが、平均して一年間に20万人の方が亡くなっています。それが日本社会にいかに大きい悲しみと混乱を引き起こしたのかは言うまでもありません。

1,000万という数字は、その310万のおよそ3倍です。それだけの人を文字通り葬り去るとして、悲劇は数値化できませんが、太平洋戦争の3倍以上の悲しみと混乱が生じるはずです。

仮に、1,000万もの人を一年間で「殺した」として、今の10倍の火葬場を作るのでしょうか。お葬式はどうするのでしょうか。それとも原爆の後のように、野焼きをするのでしょうか。こんな非人間的な想像を強いることだけ取っても「成田プラン」の「異次元」性は明らかだと思いますが、そんなことを平気で子どもたちに勧める心の内を私にはとても想像だにできません。

成田氏は、いっぺんに1,000万ではなく、数年掛けるのだとでも言う積りなのでしょうか。でも、10年掛けたとしても一年100万人ですから、今の倍になり、程度の差こそあれ問題の本質は変わりません。それに、「80歳」以上の高齢者の数は毎年100万人くらい増えて行きますので、全体としての「80歳」以上の高齢者の数は変わりません。少子化と高齢化を防ぐ「成田プラン」では、高齢者の数が減らないことになるではありませんか。

次の問題に移りましょう。仮に、1,000万人もの高齢者が「自決」することに合意したとして、その手段はどうするのでしょうか。「集団切腹」という言葉も使っているので、赤穂浪士のように、脇差で腹を切り介錯する人が首を落すことになるのでしょうか。

でも、仮に「成田プラン」が「罰則」と同じ意味を持つとすると、憲法違反になってしまいます。

第36条では、「公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる。」と憲法中、唯一「絶対に」という言葉を使って禁止している条文です。

憲法絡みの議論を始めれば、それこそ、「違憲」の山になってしまいます。例えば、第11条違反になります。

11条  国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる

第13条の「国民はすべて個人として尊重される」違反にもなります。

そして天皇制に反対する人もいるとは思いますが、第一条違反にもなります。

第1条  天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。

それは、「成田プラン」が仮に80歳以上の「集団自決」を強いるものであれば、仮に天皇がその時点で80歳以上だったら、その中に含まれてしまうからです。「成田プラン」は国民の総意を超えることはできないのですから違憲になってしまいます。

切腹でないとすると、青酸カリを80歳以上の人すべてに配ることにするのでしょうか?1959年の映画『渚にて』では、第三次世界大戦で核爆弾により全世界でオーストラリア以外の地域は全滅し、残された人々が放射線で苦しむ代りに毒薬が配られ、それを飲んで次々に死んで行くというがシナリオです。つまり、想像の世界ではあり得ることです。

しかし、高齢者だけが自決を迫られるという状況で、青酸カリを自分用ではなく、殺人のために使う人は全く出て来ないのでしょうか。あるいは、高齢者の青酸カリを買ったり盗んだりして悪用するという可能性も出てきます。日本中を犯罪で埋め尽くす可能性を全く無視できるのでしょうか。

最後は、皮肉として通じて欲しいのですが、可能性として一つ残るのは、「笑い殺す」くらいしか思い付きません。自分自身を笑い殺すのも難しいですから、「成田プラン」を笑い殺すことにしましょう。

最後は唐突ですが、あまりにも非人間的なことばかり考えさせられてきましたので、せめて今日一日、正反対の良い日であることを祈りましょう。皆さんにとって、今日一日が素晴らしい24時間でありますよう!

 [2022/2/28 イライザ]

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2023年2月15日 (水)

G7広島サミットについて岸田総理に申し入れをしてきました ――その後、記者会見を開きました――  

G7広島サミットについて岸田総理に申し入れをしてきました

――その後、記者会見を開きました――  

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記者会見の模様

広島で開かれるG7サミットまで、約3カ月になりましたが、広島で開かれる以上、核兵器と平和についてどのような話し合いが行われ、どんな結論に至るのかは私たちの一大関心事です。

最近のわが国の政治は、全てのことを何の議論も経ずに内閣が決めて、それを否応なしに国民に押し付ける、そして国民の側と言えば (恐らく諦めてしまって) それに大きな文句も言わずに従っている、という図式のように見えるのですが、皆さんはどう御覧になっているのでしょうか。

しかしながら、憲法に従えば、主権者は私たち国民であり、内閣を始め公務員は「全体の奉仕者」として私たちの意思に従わなくてはなないのです。

あらゆる機会にあらゆる手段で、内閣にも、それ以前の問題でもありますが、国会議員にも、自治体の首長や議員にも私たちの意思を伝えなくてはなりません。

となると、G7広島サミットについても、私たち市民、そして被爆者の皆さんが何を期待しているのか、率直な声を岸田総理に伝えて、その実現のために頑張って貰う、という筋書きの下、今日申し入れを行ってきました。

内容は、1月27日に広島県原水禁の総会で採択された申し入れ書です。日本原水禁の考え方も当然、同じですので、県原水禁を代表して私と大瀬事務局長、日本原水禁からは藤本共同議長と谷事務局長が申し入れを行いました。内閣府との仲介をして下さった、立憲民主党の近藤昭一衆議院議員にも同席して頂きました。

内閣府からは請願等調整担当官と専門職のお二人が申し入れを受けてくれました。

具体的内容については、申し入れ書を御覧頂きたいのですが、①被爆体験や被爆者の存在を否定するようなことがあってはならない。②昨年11月のG20で合意され岸田総理も署名した「核兵器の使用と核を使用すると脅迫することは許されない。」から後退することは許されない。③広島初の総理大臣、加藤友三郎の故事に倣って、G7三カ国以外の国々も含めた軍縮・平和実現のリーダーになりウクライナ戦争の終結に向けたリーダーシップを発揮すること、を強調しておきます。

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広島選出の岸田文雄総理大臣への申し入れ

――G7サミット広島開催に当って――

2023年1月27日

広島県原水禁

今年5月に開催されるG7サミットが、貴職の働き掛けによって広島で開催される運びになったことは評価されます。広島選出の総理大臣としてG7サミットを、「ヒロシマ」に込められた被爆者や市民の思い・祈りならびにこれまでの歴史を踏まえて、「ヒロシマ」の意味を世界に広める場にしたいという貴職の強力な意思表示だと受け止めています。

その貴職の思いと、主権者としての私たち市民レベルでの「ヒロシマ」理解に齟齬なきことを期するため、改めて「ヒロシマ」の意味を確認し、「全体の奉仕者」(憲法15条)のトップとしての貴職と共有すべくここに申し入れを行います。

⓪ 「ヒロシマ」の意味は、被爆の実相を我がこととして理解し、被爆者のメッセージを謙虚かつ真摯に受け止め、核兵器のない平和な世界を実現することにある。仮初にも、その「ヒロシマ」の意味を蔑ろにしたり、力による支配正当化のための免罪符として利用したりするようなことがあってはならない

① 例えば、長崎以降は核兵器が使われなかった事実は大切だが、それは、『ヒロシマ』の著者、ジョン・ハーシーが1985年に述べたように、被爆者が自らの体験を証言し世界に訴え続けてきたからである。つまり被爆者が「核抑止力」を持つ。それを認めずに、核兵器の所有や使用の脅しが核兵器使用を思い留めさせているという「核抑止論」を容認する口実に使うことは決して許されない。

 

② 今こそ、被爆者亡き後の世界で核兵器を使わせないために何をすべきなのかを議論するときである。そのためには法的手段である核兵器禁止条約に頼る以外の道はない。

③ その第一歩は、核保有国が「核の先制使用と使用するとの脅迫はしない」と宣言することである。核保有三か国の首脳が同時に広島後に集うという歴史的な意味はこの宣言以外にはあり得ない。昨年11月のG20バリ宣言で特筆すべきなのは、貴職を含むすべてのG7メンバーが次のように述べていることだ。「核兵器の使用と核を使用すると脅迫することは許されない。」あらゆる場で、この前提を再確認することが、喫緊の世界的課題の一つ、プーチン大統領による核使用と核使用の脅迫を止めさせるよう他の核保有国が説得する上で、必要不可欠である。

④ 今年没後100年を迎える初の広島出身総理大臣だった加藤友三郎は、ワシントンで軍縮条約をまとめる中心的な役割を果した。当時の軍部を抑えて我が国の軍拡路線を軍縮路線に大転換させ、日米敵対から協調の方向を打ち出しただけでなく、会議には参加していなかった中国やソ連との関係も改善し、世界全体の未来を明るくした。同じく広島出身の総理大臣として、貴職もその故事に倣って、今こそ我が国が日本の軍縮のみならず、G7には参加していない国々も含めた世界の軍縮と協調のためのリーダーシップを発揮する機会として今回のサミットを意義あらしめるべきである。就中、ウクライナ戦争を一日も早く終らせるため、「ヒロシマ」の力と権威に依拠した和平工作を始めるべきである。

以上、「ヒロシマ」の意味を再確認し、G7サミットを「ヒロシマ」の意思実現のための新たな出発点とするため、貴職が断固たる決意の下、世界のリーダーとしての力を余すところなく発揮されんことを期待しています。 

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2023年2月12日 (日)

なぜ、憲法が機能していないのか ――矢部宏治氏によると憲法より上の安保法体系が原因――

なぜ、憲法が機能していないのか

――矢部宏治氏によると憲法より上の安保法体系が原因――

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矢部宏治著『日本はなぜ「基地」と「原発」を止められないのか』の43ページから

沖縄に象徴される日本の政治の歪と醜さは、昨211日のこのブログで紹介した前泊博盛氏の言葉が分り易く表現しています。

「アメリカ軍はアメリカ国民を守ろうとしているんです。アメリカ国民ですから。犯罪者であろうと(自国の)国民を守ろうとしている米政府に対して、被害者すらも守ろうとしない日本政府の姿が、浮き彫りになった気がします。米軍は大事にするけれども、日本国民である被害者は大事にしない。そして、再発防止にも後ろ向きであると」

なぜこんなことになってしまったのかについては、矢部宏治氏が『日本はなぜ「基地」と「原発」を止められないのか』の43ページの図で説明してます。本来であれば、図の右側にあるように、憲法が最上位にあり、それに従って日米地位協定も安保条約もその内容が決められ、憲法の許す範囲での解釈が行われるべきなのです。

しかし現実は、一番上の憲法がその役割を果せずに、安保を中心としたアメリカとの条約群(その中には密約も多く含まれます)が、憲法以上の力を持ってしまっています。そんなことになってしまったのは、再び矢部氏の力作から引用すると、「政府のあらゆる部門に対して、憲法によるコントロールが欠けており」、その結果、「国民の意思が政治に反映されず、国民の人権が守られない」ことなのです。

この問題を解決するために矢部氏はまず、フィリピン・モデルを日本でも採用すべきだと提案しています。それは、憲法を改正して自衛隊の存在を認めることと、外国の基地は日本国内に置けないという条項を加えるという内容です。その方法でフィリピンからはアメリカの基地がなくなったのです。

もう一つの矢部提案は、ドイツが戦後一貫して取り組んできたように、ソ連・ロシアも含めて、周辺諸国に対する謝罪を真摯に行い周辺諸国との信頼関係を作ることです。日本であれば、韓国・北朝鮮そして中国との関係がまず頭に浮かびます。

さて、憲法改正ということになると、私も一言、付け加えておきたくなります。一つには、改正する前に、どの部分で憲法違反が行われているのかをできるだけ正確に認識・確定しておく必要があるのです。

つまり、憲法が存在する以上、それを遵守しなくてはならないという原則そして義務を再確認する必要があるのです。憲法違反を認めたままでさらなる改正をすることは、改正された憲法についても「違反をして良い」というパターンを認めることになり兼ねないからです。

どんな憲法違反が行われているのかを調べる上で出発点になるのは、憲法がどんなことを規定しているのかを知ることです。当り前のことをなぜ改めて述べるのかというと、実は多くの皆さんが憲法を書かれている通りに読んでいないからなのです。

例えば、憲法の教科書の定番として知られている芦部信義著の『憲法 第六版』では、「法律によっても、さらに憲法改正によっても、侵してはならい権利として、絶対的に保障する考え方を取っているが、それは人権が無制限という意味ではない」と述べています。

つまり、人権という権利に踏み込んではいけないが、制限するのは問題ないと解釈しているのです。こんな矛盾を許せば、論理的には、後は何でもありになってしまってもおかしくありません。

実は、憲法にはその他にも矛盾のあることは皆さん御存知だと思います。うっかり改正してしまうと、それらの矛盾をさらに大きくしてしまう可能性もあるのです。それも含めてもう一度、素直に文字通り読んでみる、しかも論理を透徹させることを優先して読んでみることが、憲法議論の出発点であるべきだと思います。

そこから、矢部提案をどう考えるべきなのかについてのヒントも得られます。

詳しくは拙著『数学書として憲法を読む――前広島市長の憲法・天皇論――』をお読み下さい。(何度も拙著の宣伝をしていますが、他の書物で同じような読み方をしているケースがありませんので、お許し下さい。図書館で借りて頂ければ幸いです。)

 

最後に、今日一日が皆様にとって素晴らしい24時間でありますように!

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2023年2月11日 (土)

「建国の日」にこそ本当の独立国を目指そう ――そのために、憲法を文字通り読むことから始めよう――

「建国の日」にこそ本当の独立国を目指そう

――そのために、憲法を文字通り読むことから始めよう――

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岸田・荒井発言から始まった人権についての考察ですが、当然、憲法をどう解釈するのかが中心にならなくてはなりません。同時に、「空理空論」に陥り易い傾向に歯止めを掛けるために、憲法無視をそのまま現世に実現した感さえある、沖縄における米軍とそれに従属する日本政府、日米間の取り組みを文字化した日米地位協定について、憲法や歴史そして平和という多角的視点からの本質的な理解が必要です。

そのための教科書として、前号では元参議院議員で弁護士の大脇雅子さんの近著、『武力に寄らない平和を生きる――非暴力抵抗と平和的生存権』を紹介しましたが、加えて、前泊博盛編著の『本当は憲法より大切な日米地位協定』(2013年、創元社)と矢部宏治著『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』をお勧めしておきます。これだけ読めば、私たちが何をなすべきかについて考え行動する上での、出発点が良く分ります。

国の関係では、当然日米関係が主題なのですが、その関係の捩れと政治の矛盾を端的に表している大問題を一緒に考えて行きましょう。

沖縄では米兵による多くの凶悪犯罪が起きていますが、その捜査を日本側は自由にできないのです。それは日米地位協定があるからです。Yahoo!Japanニュースの2016818日号によると、

「日米地位協定を一言でいえば、<在日米軍と軍人、軍属、家族らは日本の法律に縛られないで自由に行動できる>という取り決めである。締結から56年間、一度も改定されることなく、今日に至っている。」

これは米軍基地内に逃げ込んだ容疑者を日本の警察が逮捕したり拘束したりできないという結果を生んでいるのです。

これについて、アメリカ側の専門家、かつて沖縄の米海兵隊で顧問をしてきたロバート・エルドリッヂさんは日本の司法制度に不備があるからだと次のように説明しています。

「(日本の刑事訴訟法によると)基地の外で逮捕されたアメリカ人は、日本の警察署、留置所に送られて、取り調べを(最長で)23日間ずっと受けること(が可能)になっている。弁護士が(取り調べに)立ち会えるといった世界の常識を、なぜ日本は求めないのか。もし、地位協定の改定そのものを目指すのであれば、まず日本は、そのことを改善しなければいけないと思います」

日本側が日本人のみならず、国籍に関わらない形で犯罪者の人権を尊重する立場に立てば解決する問題なのですが、日本政府にその気はないのです。前泊氏は次のように述べています。

「今回の事件を見ても分かるように、アメリカ軍はアメリカ国民を守ろうとしているんです。アメリカ国民ですから。犯罪者であろうと(自国の)国民を守ろうとしている米政府に対して、被害者すらも守ろうとしない日本政府の姿が、浮き彫りになった気がします。米軍は大事にするけれども、日本国民である被害者は大事にしない。そして、再発防止にも後ろ向きであると」

ここではっきりしたのは、日本がいまだに「独立国」ではないということです。そして国内では国民に対して、また国際的にも結局、日本政府にとって「人権」は無視しても良い対象だということなのではないでしょうか。

アメリカに対しての属国としての態度は、主権者としての国民を認めていないことから派生する、「主権国家」という意識がないからでしょうし、国民の「人権」を蔑ろにするのは憲法が何たるかを感じても理解してもいないということなのではないでしょうか。

つまり、力関係だけを元に物事の判断をしている力の支配を信奉しているからだとしか見えません。敢えて付け加えれば、それを日本社会が許してしまっていることこそ最大の問題なのではないでしょうか。日本社会をこの病から救うためには、憲法を再度、読み直すことから始めよう、というのがタイトルの意味です。

社会が大人しくなっている例としては、20年間も給料が上がらないほど労働条件が悪くても、「ストライキ」という声さえ起らない我が国の状況を上げました。これは、「日本社会が壊れて行く」シリーズの5回目の問題提起ですが、その他の回でも大切な点を取り上げています。

これ以上、日本社会が劣化しないよう共に考え行動できれば思います。

以上、中途半端の感を拭えませんが、それはこのシリーズがまだ続くからです。次回は、このような事柄を全て包括している矢部宏治氏による憲法についての問題提起を取り上げ、それに対しての一つの答を示します。

   

最後に、今日一日が皆様にとって素晴らしい24時間でありますように!

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2023年2月10日 (金)

平和への権利宣言 ――国連は、平和への権利を個人の権利として認めている――

平和への権利宣言

――国連は、平和への権利を個人の権利として認めている――

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岸田・荒井発言を考えるに当って、前回は、性的指向や性自認が「人権」として重要な意味を持つことを確認した上で、人権を守る義務を課されている内閣や日本政府が、その義務を蔑ろにして傍観者としてしか関わっていない現状を指摘しました。

今回は、元参議院議員で弁護士の大脇雅子さんの近著、『武力に寄らない平和を生きる――非暴力抵抗と平和的生存権』の中から、平和への権利も人権の一部なのだという点を強調しておきます。沖縄、憲法、平和という重いテーマを分り易くかつ重層的、法的、歴史的観点から詳細に分析した上で、これから私たちがどのような運動を展開すべきなのか、そして政治をまともなものに創り直して行くためには何をすれば良いのかについて、説得力のある展望を示している力作です。

是非、お読み頂きたいのですが、その中から一項目だけを抜粋して紹介しておきましょう。国連は20161219日に、「平和への権利宣言」を131か国の賛成、34か国の反対で採択しました。その概略は次の通りです。

平和とは、紛争のない状態だけでなく、対話が奨励され、紛争が相互理解及び相互協力の精神で解決される積極的で動的な参加型プロセスを追求し、並びに社会経済的発展が確保されることである。

1           すべての人は「平和を享受する権利」を持つ。

2           国家は、恐怖と欠乏からの自由を保障する。

3           国家、国際連合、専門機関、ユネスコは、実施するための持続可能な手段をとり、すべての市民社会はこれを支援援助する。

4           対話、協力及び連帯を強化する教育を促進する。

5           この宣言は、国連の目的と原則に反するものと解釈しない。

日本政府は、反対票を投じたのですが、その理由を大西健介衆議院議員の提出した質問主意書への答弁の中で述べています。それは、「平和の権利宣言の理念については賛同できるものの、十分な審議を経ずに採択された」からだと言うのです。

平和の定義の中では、「積極的で動的な参加プロセス」が一つの柱ですので、もし十分な審議が行われていないのなら、それなりの理由にはなるのですが、それ以上の重みを持っています。

日本政府として「十分な審議を経ずに」という理由が国際的に通用する、しかも理念については賛成している事柄についても通用すると主張しているのです。だったら、理念そのものに疑問符が付いているようなことについては、当然「反対」しなくてはならないという主張です。

となると、日本政府、少なくても外務省は安保三文書に反対しなくてはならなくなります。国会での審議を経ずに(つまり、十分以下です)アメリカに約束した軍拡も、増税してまでアメリカのミサイルを買うという決定も皆、反対しなくては筋が通りません。「十分な審議を経」ていないのですから。

誰が見ても「矛盾」でしかあり得ない主張を繰り返しても、それは、岸田内閣の決まり文句、「丁寧な」説明とは到底言えませんし、「国民を舐めるな」という声がますます大きくなるはずなのですが--。

最後に、今日一日が皆様にとって素晴らしい24時間でありますように!

[2022/2/10 イライザ]

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