憲法

2024年5月 4日 (土)

#戦争が起きる前に #人が死ぬ! ―― #竹信三恵子さんの #講演――

#戦争が起きる前に #人が死ぬ!

―― #竹信三恵子さんの #講演――

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会場は満杯でした (空席は取材の終ったマスコミ席です)

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「戦争させない・9条壊すな!広島総がかり行動実行委員会」主催の憲法記念日集会に参加してきました。「2024 平和といのちと人権を! 53ヒロシマ憲法集会」です。

今日の講師は、ジャーナリストで和光大学名誉教授の竹信三恵子さんで、タイトルは「憲法9条で生活破壊を止めよう――戦争が起きる前に人が死ぬ!――」でした。

広島弁護士会館のホール一杯の人が集まり、オンライン参加を含めると450人の参加者があったのと事でした。会場が熱気に包まれていたことは付け加えるまでもないでしょう。

講演の内容や採択された決議は、いのちとうとしさんがアップされると思いますので、このブログでは、講演を聴きながら膨らんでいったいくつかのイメージをお伝えします。

講演の柱は、今の政治は軍拡のために私たちの生活を破壊していることですし、特に女性の社会的な地位や経済的状況を為政者たちが操作することで、その現実を誤魔化してきた上に状況を悪化させてきたという指摘です。

数字としては、戦争に明け暮れた戦前の軍事予算は、国家予算の7割も8割も占めていた時代があり、同時に当時の女性たちが自立できないような環境も押し付けてきたこととの関連性についての鋭い指摘がありました。

国の予算のほとんどが戦争・軍隊のために使われている状態で、市民の生活が成り立たないことは誰にでも分ることですが、今という時代がその方向に向かっているという自覚を持つことの重要性にも言及されました。

実は、この視点が都市としてのものであること、だからこそ、平和市長会議が広島市や長崎市の呼び掛けに応じて、核兵器廃絶と世界へ宇和実現のために立ち上がった歴史が頭に浮かびました。

そして、「戦争が起きる前に人が死ぬ!」という言葉からは、「原爆は爆発する前に人を殺す」を思い起こしていました。

この原理から分るように、③の段階で既に大量の放射線が発生し致死量以上が地上に降り注いでいます。その放射線を受けた人たちは、その結果として (その場ですぐではありませんが) 死に至るのです。

爆発後の破壊力が余りにも大きいため、この点が注目されることはほとんどありませんが、でも、人を殺傷するメカニズムの一部ですから知っておくべきことでしょう。

そして、竹信さんが警鐘を鳴らしたことをもう一つ上げておくと、(グラフが再現できませんので、簡単に言葉で説明します) 軍事費が防災費より多くなっているという事実です。この点については、私もこれまで何回も提唱してきた「防衛省防災省に」とも重なります。「防衛省を防災省に」することで、全ての問題が解決される訳ではありませんが、日本人の命を守るという観点からはどうしても必要な方向転換です。

最近の私のブログの記載も御覧下さい。

能登半島地震で年が明けた今年、台風や豪雨等、これ以上の災害が起きないことを祈りつつページを閉じます。

 

今日24時間が、皆さんにとって素晴らしい一日になりますよう!

[2024/5/4 人間イライザ]

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2024年5月 3日 (金)

#公的謝罪の歴史 ―― #米政府の「リドレス」が #衝撃でした――

#公的謝罪の歴史

―― #米政府の「リドレス」が #衝撃でした――

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日系アメリカ人の強制収容と言えばこの本でした

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安保法制違憲訴訟の会から頂いた刺激が前向きに作用しているせいだと考えていますが、関連した出来事にまで思いが飛んで、新たなエネルギーが湧いてきている感じです。それらを筋道立てて説明するのは後回しにして、憲法記念日に当って、個人の権利回復のために公的存在、それも強大な力を持つ国家や宗教が、公的に謝罪した実例をいくつか挙げておきましょう。

私が、政治について楽観的な気持を持ち続けている理由はいくつもあるのですが、その一つが、1988年にレーガン大統領による日系アメリカ人への謝罪です。

「ディスカバー・ニッケイ」というブログ中、村川庸子さんが執筆された「アメリカの戦後補償(リドレス)」から引用します。分り易く感動的な考察ですので、一読をお薦めします。

1988810日、レーガン大統領が市民の自由法(Civil Liberties Act of 1988)に署名した。日米戦争中に強制立ち退き・収容された日本人移民および日系アメリカ人に対し公式に謝罪し、各自に2万ドルを支払うというものであった。

賠償も、ただお金を払うというだけではなく、例えば、強制退去によって大学を去らなくてはならなくなった人たちのための特別の卒業式が、2008年にワシントン大学で開かれたりもしています。

村川さんによると、「アメリカの日本人移民および日系アメリカ人の強制立ち退き・収容に対する戦後補償はこのような形で一応の決着をみた」のですが、それでも70年近く掛っています。

私個人にとっては、アメリカ政府が自らの過ちを認めて謝罪すること、さらにその過ちによって被害を受けた人たちへの賠償を行うということが衝撃でした。それは、1980年に「基本懇」と呼ばれる懇談会――いわば日本政府の主張があたかも客観性のあるものの如く被せる衣の役割を果している組織ですが――が、「受忍論」と呼ばれる見解を公表して、「戦争の犠牲は国民があまねく受忍すべきだ」という方針を政府に答申したこととの違いに驚いたからです。

さて、人種差別という共通項からは、当然、奴隷制度と黒人差別に対してはどうなのかという疑問が生じますが、2008年にアメリカの連邦下院は、アメリカにおける奴隷制度とそれに付随した差別的な法律に対しての謝罪決議を採択しています。

また、2009年には上院が、「不当、残虐、野蛮、そして非人間性を具現した奴隷制度」について謝罪する決議を満場一致で採択しています。同時に、この決議が賠償を請求の根拠にはなり得ないことも明示的に謳っています。(Wikiwandの記事から)

最後の点とも関係しますが、これらの決議だけでアメリカ社会の差別主義的な傾向が全て是正されたわけでもありません。2020年のジョージ・フロイド事件とその後の「Black Lives Matter」運動がその証拠です。さらに、奴隷制度が与えた被害に対する補償も議論が始まったばかりです。

時間が掛かると言えば、ガリレオの裁判が頭に浮かびます。1633年に、地動説を唱えたことで裁判に掛けられ有罪になったのですが、1992年、ローマ教皇ヨハネ・パウロ二世が、ガリレオ裁判の誤りを認めて謝罪しました。その間、359年です。

権力や権威が真実を認め、謝罪をするのにこれほど時間が掛かるということを示していますが、もう一つ強調したいのは、それでもこの359年間に科学は進歩していたという事実です。

さて、こうした歴史から、核兵器の廃絶や原爆投下を正当化し続ける日米政府についてどんな教訓を汲めば良いのでしょうか。

 

今日24時間が、皆さんにとって素晴らしい一日になりますよう!

[2024/5/3 人間イライザ]

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2024年4月29日 (月)

#今夜午後7時 #Zoomミーティングで話をします ―― #安保法制違憲訴訟の会主催です ――

#今夜午後7 #Zoomミーティングで話をします

―― #安保法制違憲訴訟の会主催です ――

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ウクライナやガザも心配ですが、我が国がしっかりしないと何もできません

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28日には、全国3選挙区で衆議院議員の補欠選挙がありましたが、午後8時に投票箱が占められ、開票が始まるや否や、自民党の全敗、そして3選挙区全で立憲民主党候補の当選確実が報じられました。

岸田政権の屋台骨が揺るいでいますし、日本の政治を立て直すには衆議院選挙を前倒しにして、自民党政権を退陣させるというシナリオが現実味を帯びてきました。

その線での衆議院選挙が行われるとなると、その後の日本の政治の正常化のカギになるのは広島一区です。何があっても当選する岸田というイメージを破って、これまでの汚染された政治の象徴を新たなリーダーに取り換えることが、未来への青写真になります。

今夜のズーム・ミーティングのテーマは、「被爆80年を意味ある年に!」ですが、主催者のお許しが出れば、これからの政治・選挙の作戦について、皆さんから御意見を伺う機会としても活用できないものかと考えています。

Zoom ミーティング参加のための情報は次の通りです。

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トピック: 第32回  ZOOM29

時刻: 2024429 19:00 大阪、札幌、東京

 

参加 Zoom ミーティング

https://us02web.zoom.us/j/84659430783?pwd=SmEraVZ2R3czVkR3RWtnbHNEOG1uQT09

 

ミーティング ID: 846 5943 0783

パスコード: 950416

 

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[zoom29]安保法制違憲訴訟全国の状況 ~各地からの報告 XXX

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2024年も言葉を大切にして、知的にも情緒的にも誠実さが輝く年にすべく頑張りましょう。

[2024/4/29 人間イライザ]

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2024年3月22日 (金)

#日露戦争後 の #対日評価 ―― #称賛 と #差別 と、#両極端に分かれます――

#日露戦争後 #対日評価

―― #称賛 #差別 と、#両極端に分かれます――

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加藤陽子著『それでも日本人は「戦争」を選んだ』

#お勧めします

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前回は、日露戦争に勝利した日本ではどのような教育をしているのか、という疑問に対する答として、「教育勅語」を外国語に翻訳して海外に知らせたということを取り上げました。でもその他の理由もありました。

その一つは不平等条約の改正です。簡単な説明は、ブリタニカ国際百科事典の解説を御覧下さい。

1854年の日米和親条約以来、治外法権や最恵国待遇等の点で不平等な国際条約に縛られていた明治政府の悲願の一つが条約改正でした。それは、1911年に実現したのですが、そのための対策の一つが、日本国内の法的整備であり、さらに日本が欧米諸国と肩を並べられる文明度を持つ国家であることを示すことでした。

憲法の制定、刑法や民法、商法等の整備は前者の一部でしたし、鹿鳴館外交や鹿鳴館時代と呼ばれる努力は後者の典型でした。教育勅語の内容を海外に伝えることは、その両者の意味を持っていたと思われます。

条約改正に、日露戦争の勝利が役立ったのは勿論です。それは、日本の前向きのイメージが世界に広まったからなのですが、トルコの革命にはもっと直接的な影響を与えています。加藤陽子著の『それでも日本人は「戦争」を選んだ』(朝日出版社、2014年)から引用します。[加藤さんは菅内閣の時に学術会議の委員に任命拒否されたくらい立派な方です。]

1905年、白色人種でキリスト教徒の国であるロシア帝国に、黄色人種で非キリスト教徒の、遅れてきた帝国である日本が、ぎりぎりの勝利でしたが、とにかく勝利した。このことが、半植民地状態あるいは植民地の立場たにあった東アジアの国々だけでなく、近代国家への歩みを始めたトルコにも強い影響を及ぼしました。トルコの革命家、ケマル・アタチュルクに影響を与えたのは事実です。

近代的憲法を持った国 (日本).は、憲法のない国(ロシア)よりも強い、識会を開設している国(日本)は、議会のない国(ロシア)よりも強い。このような教訓が、世界に伝わったと考えられます。ケマル・アタチュルクは1905年に陸軍学校を卒業して、参謀大尉になった後、「祖国自由団」を組織して政治運動に入っていき、最終的には、23年にトルコに共和制をしき、初代大統領になった人物です。

残念ながら、白人国家ではそんなに素直な受け止め方ではなかったようです。今でも人種問題が深刻なアメリカでの状況を、これも加藤さんの説明で理解しておきましょう。

1891年から1906年の間に数千人の日本人移民がカリフォルニアに渡っていました。カリフォルニアでは、日本人移民に対して、低賃金で働き、アメリカ社会の一体性を混乱させる者と決めつけ、06年には日本人学童の公立学校への入学拒否、07年には日本人移民を排所する条項(ハワイ、メキシュ、カナダなど米国本土以外を経由した日本人移民を排斥する条項)を含む連邦移民法も可決されてしまいます。ロシアを打ち負かした好戦的な国家というイメージが、急速にアメリカ社会のなかでふくらんでいったことがわかるでしょう。

このことを加藤さんは「ウォー・スケア」と表現しています。「日本人が海を越えて襲ってくるのではないか、戦争が始まるのではないか、との根拠のない怖れ」のことです。アメリカでは、今でも日本人と中国人が同一視されることが多くありますが、1906年のサンフランシスコ地震の後のアメリカでは、丁度、関東大震災後に、日本で朝鮮人や中国人を虐殺したのと同じことが起っています。

その背景には、「ふだん虐げられている朝鮮人が日本人を襲ってくるかもしれない」という「根拠のない流言」があった、と加藤さんは診断していますが、根拠がないのは、結論部分で、前半が事実だったからこそ、そんな流言が生まれたことを忘れるべきではない、という警告です。

このような状況を前に、国際的な場で活動していた日本のリーダーたちが、一方では、肯定的に評価される日本像をより輝かしいものにすること、できれば欧米諸国より優れた国家であることを示したいという願望が元になり、他方では、差別の対象になる日本人や日本文化の本質的な良さを広めて、誤った日本像を修正したい、と考えたとしても不思議ではありません。

そのために動員されたものの一つが教育勅語だと考えられますが、実際に当事者の誰かがそう考え実行したという証言を探しています。現時点では、日本政府ならびに外務省がそう考えて教育勅語を世界的に拡散する努力をしたということは、一つの「仮説」として、考え、それに基づいた考察を展開します。

[注記: この中で取り上げた、『それでも日本人は「戦争」を選んだ』はお勧めです。まだの方は一読をお勧めします。]

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[2024/3/22 人間イライザ]

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2024年3月19日 (火)

#教育勅語 と #御真影 ―― #どう扱われたのか も #一緒に考えないと――

#教育勅語 #御真影

―― #どう扱われたのか #一緒に考えないと――

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#山中恒 ・ #山中典子著 の #間違いだらけの少年H

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教育勅語も軍人勅諭も、「暗記」というより「丸暗記」が基本的には押し付けられました。そして、まず教育勅語に焦点を合わせると、学校行事の大切な節目節目には、最大限の威厳と畏怖の念を伴った行事として、厳粛裡に執り行われました。

その様子を垣間見るためには、「YAHOO!JAPAN知恵袋」の回答の中の「ベストアンサー」が分り易い説明をしてくれています。

そして回答者の「ya1****」さんが最後に触れている、「人間の生き方を示したよい面も含まれていました。」が、教育勅語問題を解く一つのヒントを与えてくれているのです。

恐らく「ya1****」さんにはそのような意図はないだろうと思いますが、それは、最近話題になった広島市長が新人研修のために教育勅語を使ったり、稲田朋美元防衛大臣が教育勅語を正当化したり、日本会議がその普及に熱心だったりするときの「口実」としても使われている言葉だからです。

その口実を受け入れることは、実は軒を貸すことになるのですが、その結果として母屋までというのが、教育勅語推進派の目的だとしてもおかしくはありません。

そんな術中に陥らないために、教育勅語がどう扱われたのか、もう少し詳しく見てみましょう。そのために、私の尊敬する「歴史家」、山中恒さんと山中典子さんに登場して貰います。お二人の書かれた『間違いだらけの少年H』です。副題は「銃後生活史の研究と手引き」で、1999年に勁草書房から出版されています。

この本の53ページから54ページ、そして58ページに興味深い記述があります。まず53から54ページです。

4年生以上の使用する修身教科書の冒頭にはすべてに「教育ニ関スル勅語(一般に「教育勅語」とよばれたが、これは略称)が掲載されていて、4年生になると授業で暗唱させられた。

ばかばかしい話だが、私はいまだに教育勅語が全部暗証できるし、ついこの間までは旧漢字で書き取りもできてしまった。先日も私よりわずか年長の方の話をきいていたら、この方はなんと「ジンム、スイゼイ、アンネイ、イトク、コウショウ、コウアン、コウレイ、コウゲン、カイカ・・・・」とまるで御詠歌でもうたうように、歴代天星の贈り名を百二十三代の大正天主までをみごとにやってのけたのである。教学大旨(明治12=1879)に「仁義忠孝の心は人みなこれあり、しかれどもその幼少のはじめに、その脳髄に感党せしめて培養するにあらざれば、他のものごと、すでに耳に入り、先入主となるときは、後いかんともなすべからず」(引用者註=原文は旧漢字、句読点無し、カタカナ)とあるように、仁義忠考のことは忘れてしまったが、教育勅語の文句だけは経文のように「脳髄に感覚せしめ」られてしまったのである。

さて第1章の年表を見ていただけばわかるが、昭和十五年といえば、昭和十年の天皇神格化の先がけとなった[国体明徴運動」があり、さらには昭和十二年、教育現場における天皇神格視の強化をはかった『国体の本義』編纂配布があり、しかも皇国史観によって、人皇第一代の神武天皇が即位してから二千六百年というので、大々的に「皇紀二千六百年祭」が開催される年にも当たった。それだけに学校教育の現場では子どもたちに、いっそう天皇景仰の臣民感覚をインプリンティングさせるために徹底した天皇崇拝のしつけが行われていたのである。

その「天皇景仰と天皇崇拝」の気持を植え付けるために、大掛かりな式典が挙行されていたのです。山中の58ページに載せられている式次第を見るだけでもその様子が絵見てくるような気がします。

『日本の教育課題1「日の丸」「君が代]と学校』(1995年・佐藤秀夫編・東京法令出版)および『続・現代史資料8・教育―御真影と教育勅語1(前出)には昭和十三(一九三八)年に山形の北村山郡小学校長会が編纂した【三大節明治節其の他儀式次第並に其の作法」というのを紹介している。

もちろんこれは、小学校令施行規則第28条によるもので、各学校の式次第もこれとほぼ同じであったし、私の在籍した小学校・国民学校も全くこれと同じであった。原文はカタカナなので、ひらがなになおして引用しておく。

 

第四 三大節及び明治節拝賀式次第

ー、  職員児童着席

二、  来賓着席

三、  校旗入場(引用者註 = 私の国民学校では、校旗はあらかじめ濱壇の下にかざってあった)

四、  敬礼                                 一同楽器を以て合図

五、  始式の挨拶

六、  開 扉                  一同俯首低頭 学校長奉仕

七、  唱歌  君が代                   二回  一同合唱  楽器伴奏回

八、  御影に対し最敬礼 1、学校長及び職員/2、児童生徒/3、管理者及び参列者

九、  勅語奉読>

一〇、  唱歌勅語奉答    一回  一同合唱  楽器伴奏>

一一、  閉扉                 一同俯首低頭  学校長奉仕

ー二、  学校長誨告  (引用者註=教え告げるの意)

一三、  当日の唱歌  (引用者註=それぞれの式歌)    一回 一同合唱 楽器伴奏

一四、  終式の挨拶

一五、  敬礼                 一同  楽器を以て合図

ー六、  校旗退場

一七、  退場

御真影と教育勅語はいわば一体化された存在であり、教育勅語に「良い面もありました」と言うことは、天皇の存在やその絶対性さえも認めることになるというトリックを御理解頂けたらと思います。そして、一体生かされた御真影と教育勅語は、教員の命を賭けてさえ守らなくてはならない存在だったのです。

例えば、2017.6.10 教育史学会シンポジュウム「教育勅語の何が問題か」(於お茶の水女子大学)での、小股 憲明(大阪芸術大学短期大学部)氏による報告、「教育勅語・御真影をめぐる不敬事件と学校儀式」には、教育勅語についての多面的な解説と、多くの不敬事件や殉職事件の詳細が載せられています。一二を抜き書きしておくと、

  • 明治 40[1907]年 1 月 仙台市県立第一中学校の御真影・教育勅語謄本焼失事件=大友元吉書記の御真影・教育勅語謄本殉職事件~校舎火災の際、取り出そうとして逃げ遅れて殉職。
  • 大正 12[1923]年 9 月 関東大震災時の御真影殉職~関東大震災での殉職者 41 名(神奈川県 27、東京府 13、千葉県 1)。うち東京 13 名中の 8 名までが、「御真影を守護」「御真影奉遷のため奮闘中」の殉職であった。

戦後かなり経った頃でも、少し古い家に行くと、鴨居の上に天皇と皇后の写真が飾られていたことを思い出しますが、「御真影」の意味がハッキリ伝わってきたのは、実に意外な場所からでした。

[当然、続きます]

 

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[2024/3/19 人間イライザ]

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2024年3月18日 (月)

#成田悠輔 の #ジェノサイド #提唱 ――#政府 も #一流企業 も その #本質が分っていないのか?――

#成田悠輔 #ジェノサイド  #提唱

――#政府 も #一流企業 その #本質が分っていないのか?――

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#高齢者

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成田悠輔 (彼の発言内容の非人道性・犯罪性を強調するために、敢えて敬称は外します) 発言については、一年ほど前に大きく取り上げられました。高齢者の「集団自決」や「集団切腹」以外に、我が国の問題を解決する方法はない、と言いっ切っています。この解決方法を仮に「成田プラン」と呼んでおきましょう。

その後、ニューヨーク・タイムズの取材では、「メタファー」だと言い訳をしていますが、それ以前に彼自身が「メタファーではない」と明言していますので、「メタファーではない」のです。そして子どもたちとの対話では、この趣旨を強調し敷衍しています。「集団自決」ゃ「集団切腹」の提唱に止まらず、煽動をしていると言っても良いのではないでしょうか。

それほど酷い「成田プラン」については、多くのマスコミ報道がありました。大多数の皆さんがその本質を理解したと思っていました。その結果として、成田が発言を撤回し、根本的な反省をして、人権や人間の尊厳、そして未来を創る上での希望の役割等について新たな認識を持つようになることを期待していました。それまでは「猶予」期間とでも言えば良いのでしょうか、公的な役割とは関係ないところにしか登場しないだろうと考えていたのですが、甘過ぎました。

まず、キリンが「集団自決」や「集団切腹」発言のあったことを承知の上で、成田をテレビのコマーシャルに起用したと聞いて、言葉を失いました。それ以上に許せないのは、3月15日に、山本太郎議員の参議院質問の中で明らかになった、政府による成田起用です。政府機関である農水省や財務省が、これまた「集団自決」や「集団切腹」発言を知っていながら、公費で成田を雇っていたのです。

詳しくは山本太郎議員の参議院での追及を御覧下さい。

これは、官民ともに、高齢者の「集団自決」や「集団切腹」を核とする「成田プラン」を、少なくとも容認はしていることを示していることになるのではありませんか。高齢者である私は、それこそ他人事ではないという感覚でとらえました。でも多くの皆さんにとっては、「集団自決」とか「集団切腹」という言葉自体が抽象的過ぎて、その実体が伝わらなかったのかもしれません。

「成田プラン」の中身をより身近に感じて頂く上で、一年前の私のブログ記事が少しはお役に立てると思いますので、簡単な紹介とリンクを貼り付けます。(なお、各記事中に貼り付けてあるリンクの中には削除されてしまっているものもあります。この機会に復活して貰えると良いのですが。)

(1)  昨2023年2月23日には「集団自決や集団切腹のリアルな記憶を大切に」というタイトルで、成田発言の概要と、太平洋戦争や赤穂浪士という現実に起きた集団自決や切腹を思い起こすことの重要性を提起しました。

(2)  その翌日24日には、「立ち止まって考え始めたら、怒りで震えが止まらなくなりました」と題して、小学生を相手に成田が提案した「自動死亡装置」についての思考実験をしてみました。(リンクを貼った『女性自身』のサイトはもう削除されていました。)

(3)  さらに2月28日には、「1,000万人もの人をどう殺すのですか?」というタイトルで、もう一つの思考実験をしてみました。そもそもこんな提案は憲法違反ではないかという問題提起もしています。

今回はそれにもう一点付け加えて、成田発言が国際的にも糾弾されるべき事柄である点を指摘しておきます。昨今、ウクライナやガザでの戦争行為について、「ジェノサイド」という言葉が盛んに使われています。もっとも日本はこの条約を批准していませんので、関心は低いのかもしれません。

成田提案の「高齢者の集団自決、集団切腹しかないんじゃないか。(略) 僕はこれを大真面目に言っていて、(略) これがこの国の明らかな問題だ。」という提案内容は、「ジェノサイド」の勧めです。

まず、「ジェノサイド」の定義を振り返りましょう。ジェノサイド罪の防止と処罰に関する条約(ジェノサイド条約) の第2条です。(国連広報センターのホームページから)

この条約において、ジェノサイドとは、国民的、民族的、人種的または宗教的な集団の全部または一部を、それ自体として破壊する意図をもって行われる以下のいずれかの行為を指す。

a. 集団の構成員を殺害すること、

b. 集団の構成員に重大な身体的または精神的な危害を加えること、

c. 集団にその全部または一部の身体的破壊をもたらすよう意図した生活条件を故意に課すこと、

d. 集団内の出生を妨げることを意図した措置を課すこと、

            e. 集団の子どもを他の集団に強制的に移すこと。

成田プランの対象は、我が国の高齢者ですので、「国民的集団」の「一部」という範疇に入ります。そして、「それ自体として破壊する意図」は、明白です。しかもその「破壊」の内容は「自決」、「切腹」ですから、a.またはc.を満たすことも明らかです。

ある年齢に達すると、自動的に死亡する装置を埋め込む、というのは、a.に該当するでしょうし、ある年齢に達すると、崖から飛び降りる慣習を作るのは、c.でしょう。

ジェノサイド条約では、ある国が自国民に対してこのような行為を取ることは想定されていないのかもしれませんが、農水省や財務省から始まって政府全体がこんな考え方に汚染されてしまったと、これも大胆な思考実験ですが、考えると、国際機関に訴える可能性も出てきますので、ジェノサイドかどうかも検討しておく必要があるのです。少なくとも、ジェノサイドの定義に当てはまるほどの非人道的行動を容認してはならないはずです。そしてそのような行為を公にし、子どもたちにまで広めている行為も看過できません。

サントリーが、桜を見る会に酒類を無償提供していたことが明るみに出て、サントリー製品は使いたくないと感じるようになり、今回のことでキリンも駄目。ことによると、日本製のビールは飲めないというようなことになったら悲劇です。せめて、これほど酷い言説に対しての配慮をするくらいの良識は、利益追求を至上目的とする営利企業にも持っていて欲しいと思うのは、甘いのでしょうか。

そして少なくとも、キリンはコマーシャルを止めたのですから、農水省や財務省もそれと同じレベルの対応くらいはしないと、憲法15条違反になります。「全体」の中には、高齢者も含まれるのですから。

 

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[2024/3/18 人間イライザ]

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2024年3月16日 (土)

#大事なことは #暗記させる ―― #軍人勅諭 と #教育勅語――

#大事なことは #暗記させる

―― #軍人勅諭 #教育勅語――

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#教育勅語

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日本社会がどのような価値を重視してきたのかを確定するために、できるだけ客観的な基準を設けて考えたいと思っています。日本社会が、憲法より明治時代に作られた刑法や民法を優先してきたと判断するためには、最高裁の判決という客観的な事実を根拠にしました。

そのことだけからでも十分に推測はできるのですが、その他の視点も採用して、より説得力のある考察にしたいと思います。

それは、一人の人間が考えたり行動したりするときの根幹と言えば良いのか、原点と呼べば良いのか、とにかく私たちの存在の基礎である「価値」を私たちはどう身に付けているのか、という視点です。

身に付いているとは、その価値を「内面化」していることだと言い換えておきましょう。例えば、自転車の運転ですが、最初はお父さんやお母さんに支えて貰ってようやく前に進める状態から始まって、自分だけで乗れるようになり、やがて、頭では何も考えていなくても「自然に」乗れるようになるのですが、これが「内面化」です。

自転車に乗るための一連の動作は、普通、一度内面化されると忘れることがない点も重要です。

身体的な内面化ではなく、知的な内面化では、「数学の問題が解ける」という例を挙げておきましょう。幾何学の問題では、多くの皆さんも経験していらっしゃることだと思いますが、なかなか解けない問題を解こうとして、例えば補助線を引きます。その途端に、答が「分った」という経験です。

これは、幾何学の問題、つまり図形や角度などの情報が頭の中で「内面化」されて、一連の鎖としての考えの集まりが、一つの、いわば「全体像」として頭の中に現れたことを意味します。

数学の問題は日常的に、私たちの目の前にある訳ではありませんので、何時か忘れてしまいますが、問題が解けてから当分の間は、同じ問題が出されれば、ほとんど考えることなく、その回答が頭に浮かぶはずです。

以上のことから、為政者が、自分たちの支配対象に教え込みたい何かがあったとすると、どうするのかということはもうお分りですね。その「何か」を覚え込ませる、暗記させるのが普通です。

そして明治時代に、ほとんどの「臣民」に記憶させたのが、軍人勅諭と教育勅語です。軍人勅諭は、軍人としての心得を天皇が直接臣民に与えたもので、1982年 (明治15年)に「下賜」されています。教育勅語は、1890年 (明治23年)に、教育の基本方針・国民道徳の基準を示すために公表された天皇の言葉です。

明治憲法の発布が1889年 (明治22年)、旧・刑法が施行されたのが1882年 (明治15年)、民法が施行されたのが1898年 (明治31年)ですから、この時期に我が国の基本的な「価値」は、成文としてまとめられたのです。

詳しくは、稿を改めますが、軍人勅諭は軍人に暗記させ、教育勅語は「臣民」に暗記させることが、国の方針を国民・市民に「内面化」させる施策の一つの柱になりました。

 

2024年も健康に留意しつつ、少しでも良い年にすべく頑張りましょう。

[2024/3/16 人間イライザ]

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2024年3月12日 (火)

#日本の伝統 は #17条の憲法 から #続いている? ――#教育勅語 と #五カ条の御誓文 となると #17条憲法も――

#日本の伝統 #17条の憲法 から #続いている?

――#教育勅語 #五カ条の御誓文 となると #17条憲法も――

240309

#聖徳太子

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最高裁の判決について、様々な問題点を指摘していますが、その根っこには教育勅語のあることを明らかにしようとしています。

大切なのは、それだけが問題なのではなく、より広い文脈で新憲法が守られない理由を理解することです。となると、五カ条の御誓文も視野に入ってきます。その理由は追って説明しますが、となると当然、17条の憲法ということになますね。

今日はチョッと寄り道をしたいと思います。半分は呆れながら半分は冷静に、そして少しユーモアを加えてこの稿をお読み頂ければ幸いです。

最近、17条の憲法を読んだという方は少ないと思いますが、今日改めて読んでみました。その中で、思わず笑ってしまった条文を御披露します。第5条です。

役人たちは飲み食いの貪りをやめ、物質的な欲をすてて、人民の訴訟を明白に裁かなければならない。人民のなす訴えは、一日に千軒にも及ぶほど多くあるものである。一日でさえそうであるのに、まして一年なり二年なりと、年を重ねてゆくならば、その数は測り知れないほど多くなる。このごろのありさまを見ると、訴訟を取り扱う役人たちは私利私欲を図るのがあたりまえとなって、賄賂を取って当事者の言い分をきいて、裁きをつけてしまう。だから財産のある人の訴えは、石を水の中に入れるようにたやすく目的を達成し、反対に貧乏な人の訴えは、水を石に投げかけるように、とても聴き入れられない。こういうわけであるから、貧乏人は何をたよりにしてよいのか、さっぱりわからなくなってしまう。こんなことでは、君に使える官たる者の道が欠けてくるのである。

「役人」を「政治家」に読み替えると、昨今の我が国の政治報道そのままではありませんか。ということは、我が国の政治は、17条憲法の時代から今まで、1400年以上も変らずに、同じような腐敗が続いている、ということなのでしょうか。

人間の本質は変わらない、そして理想を求める姿勢も変わらない、だから----、ということにしてしまっても良いのですが、皆さんはどんな感想を持たれたでしょうか。

 

2024年も健康に留意しつつ、少しでも良い年にすべく頑張りましょう。

[2024/3/10 人間イライザ]

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2024年3月 9日 (土)

#最高裁 は #最高法規 を #超えた存在か? ――#世論 が #憲法解釈 を #左右して良いのか?――

#最高裁 #最高法規 #超えた存在か?

――#世論 #憲法解釈 #左右して良いのか?――

240308

#最高裁 は 何時から #世論調査 の #権威になったのか?

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前回は、婚外子差別について、最高裁判所が5回も合憲であるという判断を示した後、2013年になってようやく「違憲」であることを認めたことを取り上げました。その続きです。

それと全く同じパターンが8日には繰り返されました。8日が国際女性デーにちなんで、「夫婦別姓の選択肢を認めないのは個人の尊重などを求める憲法に違反する」ことを掲げて、12人の勇気ある市民が東京地裁と札幌地裁に提訴したのです。しかも、今の制度である、「強制的夫婦同姓制度」が合憲であるという最高裁判決も複数回出されているのです。

死刑制度は、旧・刑法が定められる以前から存在していましたが、夫婦同姓は、1898年施行の民法で初めて法律的に強制されるようになりました。その点に注目すると、私の主張している「明治刑法や明治民法を守るために、今の憲法が蔑ろにされている」ことを裏付けていると言って良いでしょう。

この例示も含めて、私が問題にしているのは最高裁の果している役割です。婚外子に戻ると、「本人が全くコントロールできない出生の事情を理由に、法的な差別を行ってはいけない」のです。そんな差別が(差別を禁じている)憲法14条違反であることは誰にも分ります。

にもかかわらず、最高裁が複数回にわたり差別が合憲だと言い続け、最後には行けであることを認めたのですが、その理由をWikiwandに求めると、「戦後の家族の形が国民意識が多様化し、諸外国でも差別撤廃が実現していることなどを総合的に考慮し、「子が自ら選択・修正できない事柄を理由として、その子に不利益を及ぼすことは許されないという考えが確立されてきた」と指摘し」たからなのだそうです。

この点について、指摘しておきたいことがいくつかあります。まず、当然の権利が認められずに苦しんだり損をしたりしながら、自らの権利を守るために、諦めずに法廷で問題提起をしてきた婚外子の皆さんや、支援者の皆さんの勇気と遵法精神に敬意を表します。それは憲法12条の義務を果すという私たちの義務を憲法の精神通りに実行したことでもあるのです。

12この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。(後略)

それと対照的に、5回も婚外子差別が合憲だと断定した最高裁には御咎めがないのでしょうか。被害者の側から訴訟を起すといった形ではなくても、最高裁の側で謝罪するなり、被害を受けた人たちに対する一言があっても良いように思うのですが、そのような常識は通用しないほどの意味を、憲法81条(最高裁が法令についての終審裁判所であることを規定)は持っているのでしょうか。

これに関してもう一言付け加えると、81条で最高裁判所に与えられている権限は、98条の規定している、憲法が「最高法規」であることを超えてはいけないはずなのです。つまり、14条の差別禁止条項を無視して、婚外子であれ他の存在であれ、「差別が合憲だ」と憲法に反した判断を下してはいけないはずなのです。

特に、2013年の最高裁判決では、結局のところ、世界の情勢や国内世論が婚外子差別を許さない雰囲気になってきたから差別は違憲にする、と言っているに等しいのですが、これも問題です。

憲法11条と97条では、基本的人権が永久に保障された権利であること、人類が長い間掛って手にしたものであり、侵すことの出ない権利だと宣言しているのですから、それを侵しても良いということを世論を理由に主張することなどできないはずです。

さらに、仮に最高裁が世論の動きに従った決定をすることが許されたとしても問題は残ります。何時から最高裁は、正確に世論を判断する能力を獲得したのでしょうか。世論調査機関を子会社化したとでも言うのでしょうか。恐れ多くも人権についての判断をするに当っては、誰にもとまでは言いませんが、多くの人にとって説得力のある客観的時事を元にして「このように世論が変ったので、それを元に判断する」という結論を示すべきなのではないでしょうか。

 

こう書いて来る内に、死刑について、また最高裁の他の判決について、言いたいことが溢れ出て来てしまいました。少し整理して続けます。

 

2024年も健康に留意しつつ、少しでも良い年にすべく頑張りましょう。

[2024/3/9 人間イライザ]

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2024年3月 8日 (金)

#憲法より #民法を #優先する #最高裁 ―― #婚外子差別 には #5回も #合憲判決を出しています――

#憲法より  #民法を #優先する #最高裁

―― #婚外子差別 には #5回も #合憲判決を出しています――

240307

#2013年 に ようやく #違憲 になりました。その #理屈は #小学生にも分ります。

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前回のタイトルは分り難くなってしまいましたが、明治時代に作られた刑法をそのまま受け継ぐことが、新憲法の遵守より優先されていることを強調したかったのです。今回は、刑法だけではなく、最高裁は、民法も憲法より優先していることを指摘しておきましょう。

その例として、婚外子の人権が無視されてきたことを挙げておきましょう。同じ趣旨のことを4年前にも取り上げていますのでそこからの引用ですが、今回は『数学書として憲法を読む――前広島市長の憲法・天皇論――』の改訂版の一部としてどの活用するのかが目的ですので、再度お付き合い下さい。

前回は、1880年に原型、特に刑罰の概要が出来上がった刑法の価値観が、昭和23年の死刑についての最高裁判決のバックボーンであることを確認しました。何故、その姿勢が今でも貫き通されているのかを最終的には解明して、その対策を考えなくてはいけないのですが、今回はその前の段階として、民法も憲法より優先されていることを確認しておきましょう。

一つ注意しておくと、「旧民法」として知られている法律は、1898年に施行されています。新憲法の制定に従って、特に家族法の部分が大改正されていますので、改正後の法律を「民法」と呼びますが、ここで問題にしたいのは、改正されずに残ったところにこそ、刑法の優先と同じ価値観が残っていることです。それは、日本式の家族制度を優先するという考え方です。

日本式の家族制度を保存して行こうという考え方は、当然、民法の骨組みに使われています。たとえば、婚外子 (かつては非嫡出子と呼ばれた) は、相続に当って嫡出子の半分しか遺産を相続できないという差別的な民法900条があったのですが、これは新憲法施行の際には全く顧みられませんでした。

それから60年以上経って、2013年に、この規定が制定されてから115年振りにようやく削除されたのです。「家長」が妻以外の女性との間にもうけた子どもに対する家族の憎しみ等の感情もこの差別を助長していたのですが、「家長」は非難の対象にはならず、親を選べない子どもの人権が認められないという状態が戦後60年以上続いていたのです。

それだけではなく、婚外子の人権を守るために、何度か訴訟が起こされ、婚外子差別は違憲であるという主張が行われたにもかかわらず、そのたびに最高裁は、この差別は「合憲」だという判断を下していたのです。つまり、憲法より優先される価値や世界観が日本社会の動きを左右していたことが明らかに示されているのです。

1995年には、最高裁の大法廷が「合憲」判決を出し、その後、2000年、2003年、2004年、2009年と、頑なに5回も回を重ねて、差別を合憲だと言い張ってきたのです。

その理由は概ね次の通りです。

日本の婚姻制度は法律婚を建前としている。そして相続権のある子どもとは、その法律婚の中で生まれた子どもを意味することが当然である。しかしながら、婚外子の存在することも事実であり、法律婚を尊重する立場と、婚外子の権利を保護する立場を調整しなくてはならない。その結果が、相続額を「半分」にするということであり、その違いは「合理的理由のない差別」とは言えない――というものです。

それに対する反論はストレートで、誰にでも分ります。つまり、出生の事情は本人が全くコントロールできないことであり、それを理由に法的な差別の行われるのは、(差別を禁じている)憲法14条違反である。

死刑が違憲であることの「証明」と最高裁の判決の比較をした際にも同じ理由を掲げましたが、専門家がその権威に依って正当化することより、小学生が理解できて、その結果、説明することで納得できる事柄の方が真実である可能性は段違いに高いのです。

(ここで「小学生」にしたのは、知的な能力と発達段階を考慮して、論理的な議論のできる最低年齢はこのくらいかな、という意味での言葉です。詳しく条件化すると飛んでもない手間が掛かりますので。)

 

2024年も健康に留意しつつ、少しでも良い年にすべく頑張りましょう。

[2024/3/8 人間イライザ]

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