マスコミ

2023年10月 1日 (日)

投下責任の「棚上げ」と米政府、広島市・市長そして外務省 ――「本音が出ると大問題」を回避――

投下責任の「棚上げ」と米政府、広島市・市長そして外務省

――「本音が出ると大問題」を回避――

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慰霊碑に向って恥ずかしくない言動を!

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9月26日のこのブログでは、次のようにお約束しました。

「広島市と広島市長も得をする側なのかもしれません。長くなりますので、この点は次回以降に回します。」

「得をする」人たちの最初にアメリカ政府と、「Good War」を信奉する人たちを挙げておきましょう。平和公園とパール・ハーバー国立公園の姉妹公園協定を提案した人たちですし、「パール・ハーバー ()⇒ 原爆()」というシナリオを存続させるためには、広島市がその点についての反論を「棚上げ」すれば、自分たちの言い分が通るからです。

もう一点今までは触れてきませんでしたが、とても引っ掛かるマスコミ報道の仕方に注意喚起です。ほとんどの記事では、「市の幹部」が棚上げ発言をしたと述べるだけで市長との関連には触れていません。一つだけ見付けましたが、それはヒロシマ平和メディアセンターの9月27日の記事で、「野坂課長は「棚上げ」発言は松井一実市長の了解を得ていたと説明。「米国の責任を免罪するものではない」と理解を求め、撤回は否定した。」

それでも、棚上げの主体は例えば野坂課長で、市長は単に「了解」しただけ、という図式になります。その後に、「これは単なる手続き上の行為で、その内容までには責任は持てない」といった言い訳が出て来てもおかしくない報道の仕方です。

何故、正直に、広島市の重要事項についての決定責任者である市長が、棚上げをすることにした、と報道し、市の幹部の責任ではなく市長の責任を問わないのでしょうか。この辺りの事情を究明するのも実はマスコミの役割ではないでしょうか。

そして、ある意味責任逃れを認められた市長にとってはこの報道は「得」の部類に入ります。

さて、市長と市がなぜ得をしたのかを考えて見ましょう。穿った見方だと思われる方もいるかもしませんが、そうだとすると、他の可能性について、外務省・日本政府の役割も含めてどんな説明になるのか、是非教えて下さい。

ここで再度、外務省の原爆についての見方を復習しておきましょう。

一言で表現すると、「原爆投下は合法だ」になるのですが、それは、23日のこのブログの記事――1963年の下田裁判での被告としての国の言い分――を読んで頂ければ明らかです。そして、24日のブログでは、広島市の平和行政が外務省の意のままになっていることを指摘しました。

となると、今回の「棚上げ」も、外務省の差し金だということになりそうなのですが、そうだと仮定して、何故もっと外務省の本音に近い表現にならなかったのでしょうか。例えば、「「パール・ハーバー ⇒ 原爆」については、国レベルではもう決着していることですので、それを踏襲しました」辺りはどうでしょうか。

でも、そう言ってしまうと、日本政府・外務省が有耶無耶にしてきた、原爆投下についての日本という国家の本音が分ってしまいます。さらに、「広島市・広島市長がそんな発言をすることは決して許せない」、という轟轟たる非難の嵐が起きても不思議ではありません。

「棚上げ」することで、その両者を避けられたのですから、「得」をしたのは、広島市・広島市長、そして日本政府・外務省ということになりますね。

G7広島サミットで、「被爆地広島出身の総理大臣」を名乗って、核兵器の容認と核抑止論賛美の最終文書を「ヒロシマ・ビジョン」としてまとめた裏切り行為を理解するためには、「棚上げ」のカラクリがその本質を見せてくれていると考えるのは、穿ち過ぎでしょうか。

 

最後に皆さんにとって、今日一日が素晴らしい24時間でありますよう!  

 [2023/10/1 人間イライザ]

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2023年9月23日 (土)

今、広島で起きていること (2) ――大阪講演報告5・「原爆の責任議論は棚上げ」した広島市――

今、広島で起きていること (2)

――大阪講演報告5・「原爆の責任議論は棚上げ」した広島市――

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「米国の責任議論は棚上げ」の意味を考えよう

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昨日のブログの最後に、「日本政府が「原爆投下は合法」だと考えているなどとは、ほとんどの人が知らないことらしいのですが、実は私はそのことにも吃驚しているのです。」と書きましたが、改めて、日本政府の意図を踏まえた事件が起きました。

一昨日、21日の広島市議会の一般質問で、広島の平和公園とホノルルのパールハーバー国立公園との姉妹公園協定が取り上げられました。

その件についての市側の答弁が、「協定は、原爆投下に関わる米国の責任の議論を現時点で棚上げにし、まずは核兵器の使用を二度と繰り返してはならないという市民社会の機運醸成を図るために締結した」(*)だったのだそうです。

これについての中国新聞の報道では、「被爆地には米国の投下責任を問う声が根強くあり、波紋が広がっている。」(*)とのことですが、意地悪くこの部分を読むと、被爆地以外では投下責任を問う声があまり大きくないという含意さえ読み取れます。

[ここで引用している二つの言葉には(*)を付けましたが、中国新聞のディジタル版からです。]

でもこのような報道も、日本政府が「原爆投下は合法だ」と考えており、多くの日本国民がそれを許しているという前提を設ければ、全く問題はありません。

しかしながら私には、国民が許しているのではなく、単に政府の姿勢を知らないだけなのではないかと見えますので、改めて、日本政府の考え方を、9月9日の大阪講演では資料としてのみお渡しした、下田判決の概要を示すことで知って頂きたいと思います。

東京地方裁判所は1963年12月7日に、「下田判決」として知られる判決を下しました。1955年(昭和30年)4月、広島の下田隆一さんら3人が、国を相手に東京地裁に損害賠償とアメリカの原爆投下を国際法違反とすることを求めて提起した訴訟の判決です。

その内容は、

  • 原告の損害賠償請求は棄却。
  • アメリカ軍による広島・長崎への原爆投下は国際法に違反する。
  • 被爆者はアメリカに対する損害賠償請求権を持たない。

というものでしたが、裁判長は特に、次のようなコメントをしています。

 「国家は自らの権限と責任において開始した戦争により、多くの人々を死に導き、障害を負わせ、不安な生活に追い込んだのである。しかもその被害の甚大なことは、とうてい一般戦災者の比ではない。被告がこれに鑑み十分な救済策を執るべきことは、多言を要しないであろう。それは立法府及び内閣の責務である。本訴訟をみるにつけ、政治の貧困を嘆かずにはおられない。」

 この裁判は「 原爆裁判」としても知られていますが、被告としての日本政府の言い分は、「原爆投下は合法だ」なのです。裁判中の言い分を要約しておきましょう。

  • 「原子爆弾使用の問題を、交戦国として抗議をするという立場を離れてこれを客観的に眺めると、原子兵器の使用が国際法上なお未だ違法であると断定されていないことに鑑み、にわかにこれを違法と断定できないとの見解」
  • さらに「その当時原子兵器使用の規制について実定国際法が存在しなかったことは当然であるし、また現在においてもこれに関する国際的合意は成立していない」という理由で原爆使用の違法性を否定。
  • またハーグ陸戦法規などの諸条約は原子兵器を対象とするものではないので無関係だという立場。
  • 「敵国の戦闘継続の源泉である経済力を破壊することとまた敵国民の間に敗北主義を醸成せしめることも、敵国の屈服を早めるために効果があり」、広島・長崎への原爆投下も日本の屈服を早めて交戦国双方の人命殺傷を防止する効果を生んだと主張。

下田判決の原文コピーは、このサイトで読むことが可能です。

その後も、1994年には、外務省の高官が、「核兵器使用は国際法違反」と主張する輩は馬鹿だ、と発言していますし、1995年には、国際司法裁判所で広島・長崎市長が核兵器は国際法違反だと陳述するのを妨害しているなど、核兵器は国際法違反ではない(つまり合法である)、との主張は変えていません。

核兵器の保有や使用、威嚇等が国際法違反だとすると、当然、広島・長崎への原爆投下も違法になる訳ですから、この点は譲れないのでしょう。

政府・外務省が原爆投下は合法だと考えていることはお分り頂けたとして、「被爆地には米国の投下責任を問う声が根強くあり」と言われる、その広島の声を代弁すべき「広島市」がなぜ、「米国の責任の議論を現時点で棚上げにし」たのでしょうか。

長くなりましたので、次回に。

 

最後に皆さんにとって、今日一日が素晴らしい24時間でありますよう!  

 [2023/9/23 人間イライザ]

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2023年7月13日 (木)

加藤友三郎シンポジウム ――中国新聞が取り上げてれました――

加藤友三郎シンポジウム

――中国新聞が取り上げてれました――

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参加するためには、ホームページからの登録が必要です。

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広島市役所の市政記者クラブで開いた記者会見の模様を中国新聞が取り上げてくれました。

昨日御披露したチラシも再度御覧下さい。チラシの裏には、講師とピアニスト、そしてパネリストの紹介があります。

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入場は無料ですが、参加登録は必須です。多くの皆さんの御参加をお待ちしています。

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https://katotomosaburo.com/

 

 

そして皆さんにとって、今日一日が素晴らしい24時間でありますよう!

 [2023/7/13 人間イライザ]

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2023年6月 5日 (月)

2008年のG8下院議長会議は大成功 ――ホストは河野衆議院議長――

2008年のG8下院議長会議は大成功

――ホストは河野衆議院議長――

G8

元資料館館長の高橋昭博さんの被爆証言に耳を傾けるG8下院議長さんたち

 

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昨日は、2008年9月1日と2日に開かれた、G8下院議長会議についての報告の前半をお届けしました。今日は後半です。

今回のG7広島サミットと比べると、本質的な違いが浮かび上がってくるはずですが、まずは、2008年9がつ25日にメルマガ「春風夏雨」にアップした、後半部分をお読み下さい。

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春風夏雨第101回 (2008年9月25日号)

秋葉忠利

2008年9月21日(日)執筆

大成功に終ったG8下院議長会議 (2)

――「ヒロシマ」の持つ不思議な力から、新たな希望が生まれました――

 

前回に続いて、この会議の成功に貢献して下さった方々や団体の活動を紹介することから始めたいと思います。平和記念公園で議長さんたちを歓迎した中で、多くの子どもたちの姿が目立ちましたが、合唱の素晴らしさと共に伴奏を受け持ってくれた消防音楽隊の皆さんも頑張ってくれました。

時差のせいで朝早く起きて活動する参加者や随行する人々のためには、ホテルの前のひろしま美術館が特別に朝の7時から開館をしてくれました。万一の事故や病気といった事態に備えて広島市民病院や舟入病院のスタッフも、救急患者受け入れ態勢を整えてくれていました。会議後、宮島への移動については、第六管区海上保安本部が万全の態勢を敷いてくれました。

広島市にとっても議長さんたちにとっても大変有意義な会議になったことは、前回も触れましたが、今回は出席した議長さんたちが、それぞれの国において一流の政治家であるだけでなく、世界的にも高く評価されているリーダーであるのは何故かが分ったような気がしていますので、その点について説明したいと思います。

一つ目は、私にはとても真似ができないなと感じたことなのですが、時差にもほとんど影響されず、分刻みの日程をこなした事実です。「疲れた」「時差の影響で眠い」等の言葉を発する議長さんは一人もいらっしゃいませんでした。改めて議長さんたちのエネルギーと公務に対する献身的な姿勢に襟を正さざるを得ませんでした。多くの行事で同じように、熱心さの余り時間が超過することさえあったほどです。

そのような状況の中、河野議長が例えば最初の日の夕食会が少し遅れることを、会場で待つことになった参加者に直接説明して理解を求める心遣いも、清々しいものでした。

夕食会では、河野議長の左にアメリカのペローシ議長が座り、その真向かいが私の席でした。私の右はイギリスのマーティン議長、ペローシ議長の左隣が欧州議会のツァガロポウロ副議長でしたが、残念なことに私とは距離が離れていて余り話すことができませんでした。

さて、夕食会での話題ですが、その最中に届いた福田総理の辞任について誰もが関心を持ったことは当然なのですが、前日に総理主催の夕食会が東京であった際には辞任の素振りも見せなかっただけに――という感想と共に皆さん大変驚いていらっしゃいました。

このように「公式」の夕食会でも、仕事の話ばかりしている訳ではありません。個人的な話題から段々に話の幅が広がるという展開も一つの典型なのですが、今回はペローシ議長の話が大変興味深い内容でした。

政治家一家としても知られているのは、お父上(トマス・ダレッサンドロ氏)も、連邦レベルの下院議員を務めた後、ボルティモア市の市長を三期務めたことに加えて、二人の兄も、ボルティモア市長、サンフランシスコ市の市会議員といった経歴があるからです。そのせいもあって、ペローシ議長は都市の問題や市長の仕事にも理解があり、平和市長会議についても良く理解して貰えました。

ペローシ議長の経歴で私が驚いたことは、5人の子供を育ててから47歳で政治の世界に入ったことです。私も同じく47歳で政治の世界に入りましたが、ペローシ議長にとっては、数学から政治への転向の方が、主婦から政治よりは大きな変化のように映った印象でした。

お父上はボルティモア市長時代を大変楽しんだこと、しかし、兄上の時代は公民権運動でアメリカが分裂していた時代で苦労が多かったこと等についても話を聞くことができました。

幸いだったのは、彼女がモーツァルトを好きだったことです。歓迎のコンサートでモーツァルトを聴いて頂けたのですから。「モーツァルトが天才だと良く言われるけれども、自分は、モーツァルトは天才より上の存在だと思う」という言葉にも肯けましたし、数学者の中にも天才以上の存在だと考えられている人が何人かいることにも興味を持って貰えました。

イギリスのマーティン議長の弟さんは数学が大変良くできて、試験のときに余りにも良くでき過ぎたためカンニングをしたのではないかと疑われた話をしてくれました。

このあたりで福田総理の辞任のニュースが伝わり、後は、他の話になってもそのことに戻ってしまうような感じでしたが、あっという間に夕食会が終わりました。余り話のできなかった欧州議会のツァガロポウロ副議長から、会場を出ながら、欧州議会の議員になる前、自分はアテネ市の副市長を務めていたこと、平和市長会議の活動にもその頃から関心を持っており、できることは何でも協力したいので是非気軽に声を掛けて欲しいと、熱っぽい言葉も頂きました。

次の2日の朝も、8時半から平和記念公園に来て頂き、慰霊碑への献花に続いて、資料館を視察して頂きました。

河野議長に後で伺った事なのですが、9人の議長さんにはできるだけ一緒にいて貰える時間を多くするように配慮したとのことでした。例えば、移動の際にも別々の車ではなく、バスに一緒に乗って貰って話す機会を作るといった事なのですが、そのせいもあって、朝から議長さんたちの一体感を感じましたし、リラックスした雰囲気であることにも気付きました。

そんな雰囲気の中、歓迎の『ひろしま平和の歌』の合唱と子どもたちの旗に囲まれて慰霊碑前まで進まれました。慰霊碑前に横一列に並ぶと、議長さんたちは、それぞれ厳粛な面持ちで献花をして下さいました。その後、慰霊碑の碑文の意味、平和公園がかつては多くの市民の住む賑やかな地域であったこと、原爆ドームの世界遺産化、佐々木禎子さんと折鶴等について簡単に説明しました。そろそろ、資料館に移動しようという時間になると、自然な形で議長さんたちが手をつないで慰霊碑に向かわれました。このような形で9人が揃って祈りと決意を捧げてくれたことは、私は勿論ですが、多くの市民の皆さんにも大きな感動をもたらしてくれました。その場に居合わせることができたことを私は幸せに思いますし、この議長さんたちの気持が必ずや被爆者の願いを実現する上での大きな力になることを確信しました。

資料館に向かう私たちの耳に入ってきたのは『アオギリのうた』でしたが、歌に呼応するかのように、議長さんたちに折鶴と平和のメッセージを渡すために待っていた子供たちと議長さんたちが熱心に話を始めて、担当の職員はヤキモキし始めるほどでした。

資料館の案内は、前田耕一郎館長が全体のバランスを上手く取りながら適切な説明をしてくれました。何ヶ国語もの同時通訳が、説明を訳しながら、しかも多数のマスコミ関係者も取材のため館内にいるわけですから、「静粛」という雰囲気とは言えませんでしたが、やはり事実の重みが議長さんたちを圧倒したようです。

元資料館長の高橋昭博さんのお話にはいつも感動するのですが、この日も丁寧に原稿を準備されてのお話でした。議長さんたちは立ったままでしたが、高橋元館長の体調を考慮して椅子に座って話して頂きました。高橋元館長はこのことをとても気にされ、私が元館長の御紹介をするときには、この点について御理解頂けるよう、説明をして欲しいとの要望を頂きましたので、その通りにさせて頂きました。そうした気持ちも議長さんたちには確実に伝わり、ペローシ議長は「高橋さんの話は素晴らしかった」と特に前田館長に伝えられたそうです。

その後、国際会議場での2時間の会議の後、広島市主催の昼食会を開催しました。この昼食会での会話も楽しいものでしたが、前回の報告でも触れましたので、省略することにします。

慰霊碑に向って9人の議長さんたちが、自然発生的に手をつないで祈りと決意を表してくれたこと、さらに会議前の「核兵器のない世界を目指して」が「核兵器をなくして平和な世界を」という決意に変ったと河野議長がコメントされたことからも、ヒロシマが議長さんたちを動かした証拠になると思います。

中でもペローシ議長は、特に熱心に広島を理解しようと努められていたように思いますし、「ヒロシマの心」はストレートに感じて頂けたのではないかと思います。例えば、慰霊碑の前で十字を切り、高橋昭博元館長の手を握り感謝の言葉を掛け、「子どもサミットのテーマには必ず軍縮を」と強調したのはアメリカのペローシ議長だったからです。

カトリック教徒の同議長は、ローマ法王の広島訪問にもとても関心を示して下さり、ローマ法王の広島訪問時のスピーチのコピーをお渡しすると、「これでもっと多くの人が説得できる」と笑顔で答えてくれました。アメリカで開催中の原爆展や「2020ビジョン」を掲げている平和市長会議の活動にも個人レベルで協力して貰えそうです。

大統領継承順位で言えば第二位の政治家が公式に広島を訪問し、ヒロシマに好意を持って帰って頂けたのですから、次の展望が開けることを期待しても良いと思います。そのためには未だ時間も掛かるでしょうし、並の努力では足りないかも知れません。しかし、今回の下院議長会議で、確実な希望が生まれました。そして、2020年までの核兵器廃絶に向けての、また一つ新たな希望も生まれました。

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そして皆さんにとって、今日一日が素晴らしい24時間でありますよう祈っています!

 [2023/6/5 人間イライザ]

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2023年6月 4日 (日)

「念押しキャンペーン」の目指したのは ――鉄は熱いうちに打て――

「念押しキャンペーン」の目指したのは

――鉄は熱いうちに打て――

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慰霊碑前のG8下院議長たち

 

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G7広島サミットが近付くにつれて、マスコミからの取材が増えてきました。旧知の、中国新聞記者岡田さんからの取材があったのは、5月9日、もうサミットまで10日しかありません。サミットで実際にどのようなことが行われるのか、特に、資料館の視察がどのような形で行われるのか、被爆者の体験は聴いて貰えるのか等、少しずつ具体的な姿が見え始めてきたときです。

私の頭の中には、2008年のG8下院議長会議のときのことが強烈に残っていました。河野洋平衆議院議長の肝煎りで開かれたG8 (ロシアも入っていたことも、今回のG7との大きな違いです) の下院議長さんたちには、約一時間、資料館を丁寧に見て貰いましたし、その最後に、元資料館館長だった高橋昭博さんの証言を聴いて頂きました。

当時、市長として下院議長会議のお手伝いをした立場から、2日間の様子をメルマガ「春風夏雨」に二度にわたって書きましたので、それを今回も二日にわたって再掲します。長くなりますが、是非お読み下さい。そして、今回のG7広島サミットとの違いを確認して下さい。

違いの一つは、資料館の視察の仕方です。議長さんたちが丁寧に、本館も含めた管内を上田館長の案内で回って最後に高橋さんの感動的な証言になったのです。その場での議長さんたちの立ち居振る舞いからは、これ以上付け加えることはない、この感動を必ずそれぞれの国に帰ってから、政治の場で生かして貰える、という確信さえ持てたのです。

しかし、念のため、その後の市主催の昼食会でのスピーチで私は、次の3点を強調しました。

  • 被爆体験から生まれた最も大切なメッセージは「こんな思いを他の誰にもさせてはならない」である。
  • 私たちは今、岐路に立っている。ここ数年の内に私たちは、核兵器のない世界か、あるいは開発能力のある国はすべて核兵器を持つ世界か、何れかを選択する羽目になるはずである。
  • 皆さんは、2020年までに核兵器を廃絶する力を持ち、義務を負っている。

 

今回のG7サミットで、「被爆地広島出身の総理大臣」と言えども、これほどの発言はできないかもしれない。となると、岸田総理に何を期待したら良いのか、を考えた末に、出てきたのが、資料館の出口での念押しです。

資料館の視察にどのくらいの時間を取って貰えるのかは分りませんでしたが、オバマ大統領の時よりは長時間になるはずですし、資料館での時間が短くても大きなショックを受けるのが普通だという経験をしてきましたので、今回も同じことが起きるという前提です。

そのショック、あるいは感動といっても良いでしょうが、を首脳の皆さんが一「人間」として受け止めたとき、そして政治家の立場に戻って、核保有の正当化が当然だという枠組みに戻る前に一言、「これで核は使えなくなりましたね」と岸田総理が念押しすることで、首脳の皆さんの資料館での視察は、「人間」レベルでの一つのまとまったパケッジとして皆さんの胸に残るはずなのです。「鉄は熱いうちに打て」なのです。

ということで、Change.orgのキャンペーンをその日から始めましたが、それを後押ししてくれた中国新聞の平和メディアセンターは、動画を含めてこのことをサミット直前にアップして下さいました。リンクを貼っておきますので、御覧下さい。

https://www.hiroshimapeacemedia.jp/?p=132027

また、Change.orgのキャンペーン・サイトはこちらです。

 

以下、2008年9月10日アップのメルマガ、「春風夏雨」の100回の記事を貼り付けておきます。

(中に、佐村河内守氏のことが出てきますが、まだ真相が表に出ていなかった頃ですので、お許し下さい。)

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春風夏雨第100回 (2008年9月10日号)

秋葉忠利

2008年9月7日(日)執筆

 

大成功に終ったG8下院議長会議(1)

――「ヒロシマ」の持つ不思議な力から、新たな希望が生まれました――

 

このコラムも100回を迎えました。第一回は2003年の4月6日でしたから、それから5年半近く、お読み頂いた皆さんに心からお礼を申し上げます。『市民と市政』に連載している「市長日記」も今年の初めに100回になりました。

今後とも、海外出張その他、市民の皆さんの目に触れることの少ない事柄、マスコミの報道だけでは全体像や詳細が伝わらない事柄等について、「楽しくてためになる」を目標にトピックを選びたいと思います。

今回は、9月1日と2日に広島市で開催されたG8下院議長会議について報告をしたいと思います。

結果は一言で表現すれば大成功でした。ここまでは、新聞やテレビの報道で御存知の通りです。河野衆議院議長からも、会議が成功したこと、そして関係者や広島市民の皆さんに感謝の気持を伝えて欲しい旨の電話を頂きました。

私からも多くの皆さんに感謝したいと思います。そもそも、わが国で初めて開かれるG8の下院議長会議を広島でと提案して下さったのは河野議長です。各国の議長さんたちにも働き掛け、広島開催を決めて頂いた行動力そして英断に心から感謝しています。続いて、会議を成功に導くための陣頭指揮も見事でした。会議の関連行事が始まった1日、そして会議そのものが開かれた2日の両日、ホスト役としての河野議長の身近で開催地市長としての役割を果たしながら、改めて議長の広島ならびに平和に対する深い理解、そして最年長の議長としてのリーダーシップと余裕とが、会議を成功に導いた大きな理由であることを実感しました。

事務レベルでは、衆議院の事務局と広島市の担当者が中心になって今年の初めから準備をしてきました。県と経済界、出席する各国との友好協会等から構成するG8下院議長会議支援推進協議会の皆さんにもお世話になりました。県警の皆さんにも万全の警備をして頂きました。改めてお礼を申し上げます。

さて1日の夕方、広島空港から市内到着後、議長さんたちにはまず上田宗箇流の御点前で寛いで頂き、続いて歓迎コンサートを30分楽しんで頂きました。聞いて頂けたのは、コンサートの第二部、モーツァルトのバイオリン協奏曲第5番、秋山和慶氏指揮の広島交響楽団の演奏でソリストは岡崎慶輔氏でした。因みに第一部は大瀧賢一郎氏の独唱、第三部は35歳で聴力を失った被爆二世で世界的な作曲家佐村河内守氏作曲の交響曲第一番を、広響が演奏しました。

2日目は朝8時半から平和記念公園の慰霊碑前で献花、その後平和記念資料館を見て頂き、途中、元資料館長で被爆者の高橋昭博氏に御自分の体験を語って頂きました。休む暇もなく、本題である議長会議。テーマは河野議長の発案で「平和と軍縮に向けた議会の役割」でした。広島で開く会議のテーマとしては最適ですが、同時に重いテーマでもあります。しかし、議長さんたちの熱の籠った発言が続いて、終了時間は予定をかなり過ぎていました。

広島市主催の昼食会では、冒頭で皆さんへの歓迎の言葉と共に、被爆体験の意味と2020年までの核兵器廃絶を目指して頑張っている平和市長会議の活動についてのスピーチをさせて頂きました。最初に、スピーチの要点として、しっかり理解し記憶して欲しいと私が願っている3点を強調しました。それは

(1)   被爆体験から生まれた最も大切なメッセージは「こんな思いを他の誰にもさせてはならない」である。

(2)   私たちは今、岐路に立っている。ここ数年の内に私たちは、核兵器のない世界か、あるいは開発能力のある国はすべて核兵器を持つ世界か、何れかを選択する羽目になるはずである。

(3)   皆さんは、2020年までに核兵器を廃絶する力を持ち、義務を負っている。

です。スピーチの概要は、広島市のホームページで御覧頂けます。

昼食会の最後近くになって、議長会議が卵を産んでくれました。広島で「子どもサミット」を開くという提案です。その背景も、河野議長から説明されましたーー中国新聞の一部として月に2回の頻度で発行されている『ひろしま国』という10代の子どもたちが作っている新聞があるのですが、その子ども記者が河野議長をインタビューしたときに、「子どもサミット」を広島で開くことを提案したのだそうです。

河野議長は会議の間を縫って、参加した議長さんたちに「子どもサミット」の開催提案を皆でしましょうと話し合ってくれていたのです。その結果が、広島市で子どもサミットを開きましょうという正式提案になったのです。「卵から雛がかえって、その雛にどんな餌を食べさせるのかは広島市にお任せしましょう」という言葉も付けられていました。子どもたちの発想の素晴らしさ、またその提案を真剣に取り上げてくれた河野議長に感謝したいと思います。当然、市としては前向きにお受けする積りです。

夕食会でも予定にない、フランスのアコワイエ議長からのお礼の挨拶がありましたが、昼食会でもカナダのミリケン議長からお礼の挨拶がありました。他の議長さんたちの気持を代表しての感謝の言葉でしたが、どの議長さんも異口同音に感謝してくれたのは、広島の「ホスピタリティー」でした。特に米国のペローシ議長は「感謝してもし切れない」と河野議長に話していますし、私にも「広島市民の歓迎に心から感謝する」と言われました。

それは正に全市・地域一丸となっての歓迎の気持が9人の議長の皆さんに伝わったからです。

改めて、上田宗箇流の関係者の皆様、コンサートの演奏者である秋山先生と広響、独唱者と伴奏者、ソリスト、そして作曲の佐村河内氏、コンサートを支えて下さった多くの関係者やボランティア、また、恐らくは議長さんたちが一番多くの時間を過したホテルと素晴らしい食事の担当の皆様、歓迎の旗やメッセージで議長さんたちを感激させた多くの子どもたち、平和記念公園で平和の歌声で歓迎してくれた合唱団、ライトアップ・イベントや子どもたちのイベント、その他のイベントを企画してくれた青年会議所並びに参加した子どもたち、その他にもここには書ききれないくらい多くの皆さんの献身的な協力が議長さんたちに伝わったことをハッキリと感じることができました。万一、ここに漏れている方がいらっしゃったらお詫び申し上げます、と共に私まで御連絡頂けますでしょうか。

皆様に改めてお礼を申し上げます。有難う御座いました。また、このような形で世界の議長さんたちを歓迎できる広島市そして市民の力を心から誇りに思っています。

次回は、議長さんたちと交わした会話の内容や、予想外の出来事、そして私の感想等をお伝えしたいと思います。

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 [2023/6/4 人間イライザ]

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2023年6月 2日 (金)

マスコミに関心を持って頂き感謝しています ――お陰様で、G7広島サミットの全体像が浮き彫りになってきました――

マスコミに関心を持って頂き感謝しています

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昨日は、G7広島サミットの総括についての、記事を載せて下さった『日刊ゲンダイ』へのお礼の言葉の積りだったのですが、広島では、今日6月2日に発売になりますので、是非お読み下さい。

加えて、これまで取材して下さった他のメディアへも一言お礼の言葉を載せさせて頂きます。

何人かのチームで取材して下さったメディアもあるのですが、お名前は代表して一社一人ということにしました。また、時系列に沿っていますが、老化現象も進んでいますので、順不同です。

まず、どのメディアの皆さんも全く同じなのですが、とても「熱心に」私の言いたい放題を聞いて頂き感謝に堪えません。

『読売新聞』の三島浩樹さんは、早くから声を掛けて下さり、長広舌になりがちな私の話の中で、どうバランスを取れば伝わるのか、上手くリードして頂けたように感じています。

北海道新聞の松下文音さんは、忙しいスケジュールの中、ピンポイントで取材して下さいました。私がG7についての注文を付けて行く中で、一見、G7とは関係のない事柄でも、背景をきちんと伝え、さらに文脈を整理しながら聞いて頂きました。ちょっと時間は掛かっても、より正確に私の言いたいことが伝わったような気がします。

中国新聞の岡田浩平さんとは、ずいぶん長いお付き合いですので、私の考えやこれまでの活動等については、説明するまでもなく御存じなのですが、そうした点も含めて改めて今の私の言葉として語ることの大切さに気付かせて頂きました。さらに、中国新聞という、原爆や平和の問題を長い間、社是として掲げてきたメディアの記者としての問題意識から、鋭い気迫を感じました。

実は、この時の岡田さんとのやり取りの中から、Change.orgの署名キャンペーン、「岸田さん、資料館の出口で、「これで核は使えなくなりましたね」と念を押してください」、を始めなくてはならないと、背中を押されたのです。

香港フェニックステレビのLi Miaoさんも、中国や台湾へのニュースを配信しているテレビ局の東京支局長なのですが、G7についての報道のほとんどには、中国についての言及あまりなく、あっても「敵国」扱いが目立ちました。そんな中、「核の先制不使用」政策を採用している中国とインドの役割を考えようと提起している私の考え方を中国の皆さんに伝えて頂けたのは、とても有り難いことでした。Liさんは日本の大学を出ていて、日本語で取材して下さったので、それも助かりました。

朝日新聞の副島英樹さんも長時間お付き合い下さいました。特に、岸田総理の発信した言葉の中で、昨年8月の国連で発表した「ヒロシマ・アクション・プラン」や、G7広島サミットでの「核軍縮に関するG7首脳広島ビジョン」で、「ヒロシマ」あるいは「広島」という冠が付けられている意味についての鋭く深い理解と位置付けには、感謝しかありません。副島さんとの対話から、新たなChange.orgのキャンペーンが生まれるかもしれません。

次の世代の皆さんに、私たち世代からのメッセージを伝え引き継いで貰うことが、日本社会だけでなく人類全体にとっても大切なのですが、私一人で伝えるだけでは当然、限界があります。マスコミの皆さんが、貴重な時間を使って丁寧に取材をされ、それを分り易い言葉で、しかも世代を超えた枠組みを作りながら報道して下さっていることに、この一月ほどの活動の中で改めて感謝したいと強く感じた次第です。

 

そして皆さんにとって、今日一日が素晴らしい24時間でありますよう祈っています!

 [2023/6/2 人間イライザ]

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2023年6月 1日 (木)

今日発売の『日刊ゲンダイ』を御覧下さい ――私論・G7広島サミットの総括が掲載されています――

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これまで、数回に分けて、G7広島サミットの総括をしています。

昨年始めたChange.orgのキャンペーン「「核を使わない」とただちに宣言して下さい」 (「宣言キャンペーン」と略します) を出発点に、5月9日に始めた「岸田さん資料館の出口で、「これで核は使えなくなりましたね」と、念を押してください」キャンペーン (「念押しキャンペーン」と略します) までの道筋を辿りながら、平和運動に携わる若い世代の人たちへの参考になりそうなことを記録しておけたらという思いから書き綴っています。

先日、そんな思いが通じたのでしょうか、『日刊ゲンダイ』の生田記者がインタビューのため広島に来てくれました。その結果が、今日発売の夕刊に載ります。皆様、是非、お読み下さい。広島では、明日、6月2日の発売です。

 

そして皆さんにとって、今日一日が素晴らしい24時間でありますよう祈っています!

 [2023/6/1 人間イライザ]

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2023年5月31日 (水)

広島で被爆者を裏切ってはいけない (9) ――「ヒロシマ」の意味を広げるため、ロンドンでスピーチ――

広島で被爆者を裏切ってはいけない (9)

――「ヒロシマ」の意味を広げるため、ロンドンでスピーチ――

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3月4日の授賞式で

 

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既に報告した3月4日のスピーチの中でも触れていますが、広島・長崎への原爆投下について、世界で最も早く非難し抗議してくれた団体の一つがアハマディヤ・ムスリム協会です。1945年8月10日ですが、これは、日本がスイス大使館を通して、アメリカに国際法違反だと抗議した日でもあります。日本はその後、被爆者による裁判中に公式にこの見解を撤回しましたが、アハマディア・ムスリム協会の考え方は一貫して核兵器の廃絶です。

この協会から平和賞を頂いたことは、既にこのブログで報告しましたが、授賞スピーチを日本語に訳している時間がなくて、英語のままでした。今回、訳すことができましたので、推敲の余地はありますが、アップします。

アハマディア・ムスリム協会のモットー「Love for all, hatred for none.」を信じる人は世界的に広がっていて、信者数は1,000万人から2,000万人と言われています。その全ての人がこの日、中継で見ることはないにしろ、世界各国でかなりの数の方々に聞いて頂いていますので、メッセージは広がったはずです。G7参加国の方々にも伝わり、その中に首脳に影響力のある方がいれば素晴らしいのですが---。

以下、授賞スピーチの和訳です。

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アハマディア・ムスリム平和賞

受賞スピーチ

202334日 in London

秋葉忠利

 

アッサラム アライクム! カリフ様、アハマディア・ムスリム協会の皆様、来賓の皆様、平和活動家の同志の皆様、紳士・淑女の皆様

この平和シンポジウムに謹んでかつ新たな決意を持って参加し、広島と長崎の被爆者の代理人としてまた世界の平和活動家を代表して、この賞をお受け致します。

ロシアがウクライナに侵攻し、核兵器を使うぞとの脅しを一度のみならず、プーチン大統領が何回も繰り返してから一年が経ちます。そして、彼の言葉を聞いた被爆者の脳裏にはこの[長崎で被爆した少年の、黒く焼けた遺体の写真を掲げる]姿が浮かびました。小さな核兵器によって生き地獄に投げ込まれた長崎の少年です。私たちは、この悲劇を世界のどこでも、誰にでも、そしていかなる時にでも起こしてはならないのです。

一年前に、アハマディア・ムスリム協会の皆様も同じように感じたことを知っています。それは、1945810日に皆様は、世界で恐らく一番初めに、核兵器の非人間性と極悪性に気付き、それに抗議して下さったからです。その日に第二代のカリフは次のように述べています。

「このような虐殺が決して許されないことを、全世界に対して宣言するのは、私たちの宗教的かつ道徳的な義務である。」

遅蒔きながら、世界も同じ結論に達しました。それは、2021122日に、核兵器禁止条約 (TPNW) が発効したからです。

残念なことに、核保有国と核依存国はTPNWに反対し、署名も批准もしないと誓っています。彼らは、核兵器の保有と核使用の脅しとが、どの核保有国にも核を使わせない保証だと信じているのです。

でもこれは、幻想にしか過ぎません。誤った核抑止のパラダイムが、核兵器を使わせなかったのではないのです。核兵器を使わせない力を持つのは、被爆者です。1946年に、魂を揺さぶる本『ヒロシマ』を世に送った、ジョン・ハーシーは、2回目に広島を訪れた1985年に、その真実を確認しています。

都市と市長たちはこの見方に全面的に賛成しています。それは、どの国が核兵器意を使ったとしても、都市が核兵器の攻撃目標になっているからであり、また都市は過去の戦争の犠牲者でもあるからです。だからこそ、平和と核兵器廃絶のための活動団体である「平和市長会議」 (広島市長が会長) は、戦争と核兵器に対して強く「Never Again!」という意思表示をしてきたのです。

広島から選出され、従ってこのような声が体に染みついているはずの岸田総理が、G7の場でリーダーとしての役割を果して、プーチン大統領に核を使わせないように説得すべきだと願っています。

岸田総理とその他のG7のリーダーたちがそれ以上の目標を掲げるに足る動きも世界には生まれています。その目標とは、核兵器の「先制不使用」です。

その先鞭になったのは昨年11月のG20バリサミット宣言です。そこでは、「核兵器の使用ならびに核使用の脅しは容認できない」と述べていますし、G7のリーダーたちは全て、この宣言に署名しているからです。

中国は224日に、12項目からなる和平提案を行っていますが、その中で、「核兵器は使われるべきではなく、核戦争も避けなければならない。核兵器の使用にも使用するとの威嚇にも反対である」と述べています。

インドのモディ首相は「この時代は戦争の時代であってはならない」という言葉を発案し、それはバリ宣言の中で使われています。

もし日本とインド、中国が協力してウクライナ/ロシア戦争を終結させ、世界的に「核の先制不使用」を広げ、最後に核廃絶に至る道を創ることになれば、世界がこれら三国の英雄的かつ歴史的貢献を大歓迎することは間違いありません。

5万人もの人が大地震で亡くなり、トルコとシリアで何十万もの人が助けを求めているときに、私たち人類はなぜ、これらの人々を助けるためではなく、戦争のために、貴重な人的・物的な資源の無駄遣いをしているのでしょうか。

カリフ様の言葉が方向を示しています。「結果がどうであれ、平和と正義を実現するための努力を決して諦めてはならない」

最後に、もう一人の賢人の言葉を引用します。2年前に亡くなった坪井直氏の言葉です。「Never again, and never give up!

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そして皆さんにとって、今日一日が素晴らしい24時間でありますよう祈っています!

 [2023/5/31 人間イライザ]

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2023年5月30日 (火)

広島で被爆者を裏切ってはいけない (8) ――「思う」だけでは何も動かない。だから総理に要請した。――

広島で被爆者を裏切ってはいけない (8)

――「思う」だけでは何も動かない。だから総理に要請した。――

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2月14日、申し入れ後の記者会見

 

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「被爆地広島出身の総理大臣」が国連という場で披露した「ヒロシマ・アクション・プラン」には、「被爆者」や「核兵器禁止条約」、「核廃絶」という言葉はどれも使われていませんでした。しかもそれが、2023年5月に開かれるG7広島サミットでの結論になりそうだという最悪のシナリオを前に、どう動けば良いのかを模索している内に、一縷の望みが見えてきました。それは、11月15日と16日に、インドネシアのバリで開かれたG20サミットです。

G7サミットに参加する全ての首脳に加えて、中国やロシア、そしてインドも署名したバリ宣言では、「核兵器の使用又はその威嚇は許されない」とはっきりした考え方を表明してくれたのです。それなら、G7広島サミットでも、最低限、これと同じ内容の方針を打ち出して貰う可能性が出てきたのです。

でも、5月23日付の本ブログ記事、「「ヒロシマ」を弄んだG7広島サミット」でも指摘したように、「思う」だけでは何も実現しません。行動しなくてはならないのです。

今回は、広島県原水禁の常任理事会で、岸田総理大臣への要請を行うことを提案し、要請文も準備して2月14日に、内閣府に要請に行きました。詳細は、翌15日のブログの記事としてアップしましたが、申し入れ書の主な点は、ここにまとめておきましょう。

詳しくはブログにもコピーした申し入れ書を御覧頂きたいのですが、①被爆体験や被爆者の存在を否定するようなことがあってはならない。②昨年11月のG20で合意され岸田総理も署名した「核兵器の使用と核を使用すると脅迫することは許されない。」から後退することは許されない。③広島発の総理大臣、加藤友三郎の故事に倣って、G7三カ国以外の国々も含めた軍縮・平和実現のリーダーになりウクライナ戦争の終結に向けたリーダーシップを発揮すること、を強調しておきます。

さらに、要請することが全てではありません。核保有三か国の市民やマスコミへの働き掛けも必要です。その時点ではもう3か月という限られたじかになってしまいましたが、日本国内でも、私たちと同じようにG7広島サミットへの危惧を感じている人たちと連携して、より大きな動きにしなくてはなりません。それに付いては、次回に報告します。

「「核兵器を使わない」と、直ちに宣言して下さい!」キャンペーンは続けます。

 

そして皆さんにとって、今日一日が素晴らしい24時間でありますよう祈っています!

 [2023/5/30 人間イライザ]

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2023年5月27日 (土)

広島で被爆者を裏切ってはいけない (5) ――G7首脳が広島まで来てくれたことは、当然評価に値します――

広島で被爆者を裏切ってはいけない (5)

――G7首脳が広島まで来てくれたことは、当然評価に値します――

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平和記念資料館

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昨年3月1日から始めた「宣言キャンペーン」から、今年の5月9日に開始した「念押しキャンペーン」までの経緯を記録した上で、G7広島サミットの総括をすることが一連のブログ記事の目的です。でも、いつもの癖で長くなっていること、また内容を説明する上で必要な背景等の記述にもスペースを割いていますので、全体のバランスに欠けている気がしてきました。

今回は、G7広島サミットのもたらした、プラス面をできれば短くまとめておきたいと思います。その大前提は、これまで広島を訪れた私自身の外国人の友人の中で、資料館の展示や被爆者の証言から、人生観の変るほどのショックや感動を受けなかった人は皆無だという事実です。日本人でも同じことなのですが、その点については改めて考えて見る必要を感じています。

そしてオバマ大統領の広島訪問についても、私の考え方は、「謝罪がなければ広島に来るな」という考え方ではなく、「謝罪があってもなくても、とにかく広島に来る気持があるのなら歓迎すべきだ」でした。

でも、オバマ大統領は資料館には扉を開けてすぐ出て来る数分いただけ、そして被爆者との「遭遇」も瞬時だったことには問題が残りました。それでも、アメリカの大統領が広島にやってきたことの意味は大きかったのです。この点については当時の、テレビでの解説、ブログや記者会見等々で詳しく説明していますので、機会があれば、リンクを張ることにします。

今回のG7首脳の広島訪問については、資料館滞在時間は40分、その中で被爆者の小倉桂子さんとの対話が10分あったそうですので、オバマ大統領訪問時の問題点は解消された、と考えることができます。ただし、20日のブログで述べたように疑問は残ります。

外務省の意図は、物理的・客観的に計測可能な範囲では視察もし、被爆者の話も聞いたという実績を作ること、でも実質的には外務省の思惑以外のメッセージは伝わらないような「演出」だったのかなとしか考えられません。

しかし、私たち市民的な立場からは、事実を持って語らしめることも重要です。

一つには、イギリスのスナク首相の記者会見での言葉があります。毎日新聞の記事「英首相「広島で何が起きたのか忘れない」 原爆資料館訪問に言及」 には、スナク首相の素直な言葉が読み取れます。

「主要7カ国首脳会議(G7サミット)に出席した英国のスナク首相は21日、広島市で記者会見し、19日の原爆資料館訪問について「深く心を動かされた」と振り返った。

スナク氏は「爆発でねじ曲がった子供の三輪車や破れた血まみれの制服などの展示品を見た」と明かし、「これらの記憶を胸に刻み、我々は(広島で)何が起きたのか決して忘れないと決意し、歴史的なG7サミットで平和と自由、民主主義の道を歩むことを誓った」と強調した。」

また、被爆者の小倉桂子さんは、19日の広島テレビのインタビューに笑顔で答えて、首脳たちに向かって思わず、「夢が叶った」と言ったことを報告してくれました。被爆者がバイデン大統領やアメリカという国を憎んではいない、敵意を持っていないことまで伝わるのですから、これだけでも多くのアメリカ人の心を開かせるための一言になります。

そして他の国々の人々にも、これからの世界平和を築く上での出発点としてこれ以上相応しい言葉はなかったのではないかと考えられます。加えて小倉さんは、首脳の皆さんに「Thank you for coming.」と「Welcome to Hiroshima!」とおっしゃったとのことです。「首脳広島ビジョン」にこうした点を付け加えるべきではなかったのでしょうか。

こうした事実を元にまとめるとすると、広島訪問、特に資料館の視察と被爆者との対話で、首脳は「深く心を動かされた」と感じ、被爆者は「夢が叶った」とまでの満足感があったのですから、G7首脳、そしてEU首脳と招待国首脳の広島訪問は、評価に値すると言うべきなのだと思います。

加えて、世界のマスコミを通して広島のメッセージが伝わった事実も大切です。さらに一言付け加えれば、このような訪問が、仮に全員同時ではなくても、G7サミットという形でなければ実現しなかったのであれば、G7サミットも、その限りにおいては評価すべきことになります。

しかし、これは全てが非公開だった資料館での40分間について、ほんの少し漏れてきた情報を元にした結論です。ブログにも書いた通り、「外務省の思惑以外のメッセージは伝わらないような「演出」」が上手く行った結果だったと考えても矛盾はありません。その可能性も検証しながら「真実」に近付く努力も、どこかの時点で試みなくてはなりません。

こんな疑問が払拭し切れないだけではなく、もっと積極的に、今回のサミットが「被爆者を裏切った」、「「ヒロシマ」を弄んだ」「「ヒロシマ」を虚仮にした」等々と総括されていることも重要です。それは、「ヒロシマの心」が人類の滅亡か存続かの問題と直結しているからですし、核兵器についてのG7広島サミットの結果として公表された「首脳広島ビジョン」は、「ヒロシマ」という視点からも今回の最重要文書であり、その内容が自ずから評価を定めているからです。

その総括に至るまでの私たちの努力や、それが実際に為政者たちに届いたのかという検証も必要ですので、このシリーズを続けています。

 

そして皆さんにとって、今日一日が素晴らしい24時間でありますよう祈っています!

 [2023/5/27 人間イライザ]

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