マスコミ

2022年6月13日 (月)

非暴力社会を目指す

非暴力社会を目指す

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今回は漫才と非暴力がテーマです。

参議院選挙に関するあるアンケートの中に、「DVをなくすためには、どのようなことが必要か」という趣旨の質問がありました。

DV」とはどんなことを指すのかを理解するために、その反対の状態を目に浮かべてみました。それは、二人の人間の間で、静かに普通に会話の成り立っている状態でした。そうではない極端な場合の一つがDVです。さらに、「暴力化」という尺度で測るとそこまでは行っていないけれど、完全に「0」ではない場面がいくつか頭に浮かびました。

その数値をいくつにすべきなのか、議論の余地はあると思いますが、二つだけ例を挙げておきましょう。

(I) 男女間で少し親しくなったとき、男性が女性を「お前」と呼ぶシーンをしばしば見てきました。ドラマで説明した方が多くの方に伝わると思いますので、一つ上げると『科捜研の女』です。土門刑事は、榊󠄀マリコ研究員を必ず「お前」と呼んでいます。人気番組ですので、この「上下関係」または「支配・被支配関係」の宣伝力はかなり強いのではないかと心配です。

そもそも殺人事件がドラマのテーマになっている番組の中の、些細な人間関係を、「暴力」という視点から分析することに意味があるのかを考えるべきなのかもしれませんが、○○中毒と言われる依存症の多くは、微量の接種から始まることも事実です。

(II) テレビ番組の中で、年々増えてきているのが、芸能人たち同士の意味のないやり取りです。それも、漫才の一つのパターンである、「ボケ」と「突っ込み」が雛形になっているような気がします。漫才は、あえて極端な状況を作ったり、「普通」を誇張することで笑いを誘う芸能ですから、それ自体は健全です。

しかし、それが無意識のうちに、私たちの日常の会話のお手本として採用され、「静かで普通の会話」が成り立たない状態を作る結果になってしまっては、笑うにも笑えません。

(III) ここまで書いて、もう一つ大切なケースのあることに気付きました。国会での議員の質問と、閣僚や官僚との回答も一つの会話と考えると、これこそ、一番「普通」から遠いということです。そもそも会話が成り立っていないからです。そして「上下関係」「支配・被支配関係」も否定されていないどころか、それを背景に「ボケ」ることが権力維持のメカニズムになっています。

主権者として、鋭い突込みで、つまり選挙で野党が勝つことで、静かで普通の会話を実現する他に道はありません。

それでは今日、皆さんにとって素晴らしい一日でありますよう。

[2022/6/13 イライザ]

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2022年5月24日 (火)

来年のG7サミットまでの宿題 ――広島開催の意味は核兵器禁止条約の批准――

来年のG7サミットまでの宿題

――広島開催の意味は核兵器禁止条約の批准――

 来年のG7サミットは広島で開かれることが決まりました。

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Group of Seven () と EU () (Public Domain)

朝日新聞電子版によると、岸田総理は次のように述べたそうです。

世界がウクライナ侵略、大量破壊兵器の使用リスクの高まりという未曽有の危機に直面しているなか、来年のG7サミットでは、武力侵略も核兵器による脅かしも国際秩序の転覆の試みも断固として拒否するというG7の意思を、歴史に残る重みをもって示したいと考えている。

唯一の戦争被爆国である日本の総理大臣として、私は広島ほど平和へのコミットメントを示すのにふさわしい場所はないと考えている。核兵器の惨禍を人類が二度と起こさないとの誓いを世界に示し、バイデン大統領をはじめ、G7首脳とともに、平和のモニュメントの前で平和と世界秩序の価値観を守るために結束していくことを確認したいと思っている。

丁寧に読むと、「核兵器の惨禍を人類が二度と起こさないとの誓い」は誰の誓いなのかが分りません。でも、平和が大切であり、平和を語る上で広島が相応しい場所であるという雰囲気は伝わってきますので、その点には賛成です。

「大量破壊兵器の使用リスク」を心配し、「核兵器による脅しも拒否する」のであれば、核兵器の禁止そのものが最も効果的であることに異論はないはずです。核兵器禁止条約を署名し、批准することは論理的な必然になります。

マスコミの論調のように、「務めてもらいたい」とか、総理の「手腕が問われる」と言った甘い態度では核保有国が「既得権」と見做している核保有の壁を崩すことは無理です。もう一度広島で起きた「地獄絵」を思い起こし、それをG7の首脳にも「わが身に迫る」ような感覚で共有して貰い、その結果、核兵器禁止条約に真剣に向かい合って貰えるような準備を私たちがしなくてはなりません。

そのためには、「都市外交」、「市民外交」、「議員外交」、「音楽外交」等々の言葉で表現される、多種多様なチャンネルを通じて私たちが、それぞれのレベルで被爆の実相を共有し、被爆者のメッセージを国レベルでの行動につなげる努力をすることが有効です。

主権者たる私たちが、「全体の奉仕者」であるべき政府に対する「宿題」として、来年のサミットまでには、核兵器禁止条約の署名と批准をするよう、要求する・させる運動を始めましょう。

 [2022/5/24 イライザ]

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2022年4月26日 (火)

涙の記憶 ――「声に出しては読めない」言葉――

涙の記憶

――「声に出しては読めない」言葉――

 

まずは、Yahoo!ニュースJapan420日配信をお読み下さい。(短縮しています)

 テレビ朝日の松尾由美子アナウンサーが419日放送の報道番組「スーパーJチャンネル」内でウクライナ情勢を報じていた最中、感情が激して涙したそうです。

 松尾アナは番組内で、ロシアのウラジミール・プーチン大統領が自国部隊に「親衛隊」の名誉称号を授けたニュースを報道。この部隊はブチャを含むウクライナ・キーウ近郊で400人以上の殺害に関与したとされているものの、プーチン大統領は疑惑を否定しただけでなく、「偉大な英雄的行為を祝福し、特別軍事作戦の手本となる存在」だと称賛したといいます。

 一連のニュースを読み上げた後、ウクライナの都市マリウポリにある製鉄所に多くの市民がまだ残っていることを伝えたところで、声を突然詰まらせて一時沈黙。顔を手でぬぐって先を続けようとしましたが、たどたどしい涙声となってしまったため、「さっきの授与のニュースが悔しい思いで(涙ながらに)読んでしまいました」と、自身が読んだニュースで感情が激してしまったと視聴者に謝罪。「冷静さを保ちます」と自分に言い聞かせ、番組を進行させていました。

松尾アナウンサーの気持は良く分ります。私の尊敬する「師」が、彼女と同じ気持で、1963年の、マルティン・ルーサー・キング牧師のワシントン演説を読んでいるからです。画家、作家の安野光雅先生です。(安野先生には、「友人」としてお付き合い頂きましたが、私にとってはやはり先生筋なのです。詳細はまたの機会に。)

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 童話者から刊行されている『天は人の上に人をつくらず』の中で、安野先生は1963828日に、ワシントンでキング牧師が訴えた演説について、次のように述べています。

 わたしは、この言葉を声にして読むことができない。読もうとすると、いつも声がふるえてしまうのだ。

 そして安野先生は、福沢諭吉の『学問のすすめ』の中の言葉「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らずと言えり」については、「この言葉を聞くと、涙が出そうになる」のです。

 私も同じような気持でこのお二人の言葉を受け止めていました。広島市の成人式の記念品として、若い世代の人たちに是非同じ感動を味わって貰いたいと考え、この本を贈ることにしたのもそれ故です。

 実は最近、私も同じような経験をしました。このブログの41日に小島繁美さんの中国新聞への投書を掲げさせて頂きました。再度掲載します。

(2005) 85日付の朝日新聞に載った安佐北区の小島繁美さんの投書はその一例です。小島さんに希望を与えたのは兄妹の会話です。

  「昭和20年の87日の昼下がり、広島市・宇品港の岸壁近くの砂地でいつ出るともあてのない島まわりの船を待っていた。---中略---

ふと気がつくと、近くの草むらで人声がした。きょうだいらしい二人。妹は13歳前後。兄は23歳年長か、着衣はボロボロでかなりの重症と見えた。妹は外傷が無いようで、自らの身体で日陰をつくって兄を気遣い、話しかけていた。

 『お兄ちゃん、帰ったら母さんに「おはぎ」を作ってもらおうね』。---中略---最高にぜいたくで幻の食べ物だった「おはぎ」という言葉に、現実に戻され、希望を与えられた。」

  この短い文章からは、小島さんが希望を見付ける心の動きと共に、兄妹の気持まで伝わってきます。お兄ちゃんはおはぎが好物だったのでしょう。それを良く知っている妹は、頼りにしているお兄ちゃんに、元気になって貰いたくて、そのお兄ちゃんと一緒に家に帰りたくて、おはぎの話をしたのではないでしょうか。船を待つわずかな間、おはぎのイメージが、小島さんだけではなくこの兄妹にも大きな希望を与えたであろうことは疑う余地もありません。家に無事辿り着いたことを小島さんと共に今でも祈っています。

このことを、今月初めに取材を受けた朝日新聞の長富記者に話したのですが、途中で声にならなくなってしまいました。老化現象も加わっていたのだと思いますが、御本人に身を寄せることで、他人事とは思えなくなるからなのではないかと思います。核保有国の首脳たちにも、「もし核兵器を使ったら」という状況でそう感じて欲しい事柄です。

 [2022/4/26 イライザ]

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2022年4月22日 (金)

英語力をキープするには ――まずはAudible.com とDictinary.comが簡単です――

英語力をキープするには

――まずはAudible.com Dictinary.comが簡単です――

 

プーチン大統領が核兵器の使用をチラつかせて脅しをかけてきたことがきっかけで、「何としても核兵器を使わせてはならない」という思いからChange.orgでのオンライン署名運動を立ち上げました。

同じ思いの方が多くいらっしゃったのは嬉しい限りでした。それは、10日間で5万人もの方に賛同して頂けたことで分りました。その皆さんの声を書簡にまとめ、Change.orgの賛同者の皆さんの声として、312日には、プーチン大統領と岸田総理大臣に送りました。

英語版のサイトも立ち上げましたので、海外からの賛同も沢山頂きました。国内外から賛同して下さった方々に改めて御礼申し上げます。

そして、署名運動のあることを拡散して下さった多くの皆さん、そしてマスコミの皆さんにも感謝しています。外国特派員協会のように記者会見を開いて下さった組織や、団体のホームページやブログで紹介して下さった平和運動組織や個人の皆さんにも感謝あるのみです。

大変有り難かったのはその通りなのですが、不安もありました。老化現象の一つとして、物忘れが徐々に進んでいるので日本語でのコミュニケーションでも、固有名詞や単語が出て来ないことがあるのですから、英語で文章を書く機会が増えたら上手く行くのだろうかというものでした。

実際に、「「核兵器を使わない」と、ただちに宣言して下さい」の趣旨を英語で書く機会が多くなりました。でも、心配するほどのことはなく、結構普通に、しかも海外の出版社でも問題なく掲載してくれるレベルでの文章が書けました。

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Audible.comのページです。

嬉しかったのですが、その理由も思い当りました。一つは、Audible.comというサイトで、英語の本 (の朗読ですが) をダウンロードして、毎朝、約一時間のウォーキングの時に、その本を「聴いている」ことです。

最初は、目で活字を追って読む方が早く読めるはずなので、効率的に時間を使うことにならないのではという点に引っ掛かっていたのですが、実際には、とても効率よく「読書」ができました。聴くのには、普通の本で5時間から6時間、長いものになると10時間を超える場合もあるのですが、歩いているときに紙の本を読むことはできませんので、その時間に本を「聴ける」ことになりますので、「読書」時間は増えたのです。

田舎住まいで、コロナの蔓延で人との付き合いも少なくなってきたときには、日本語での会話も限られてしまい、日によっては、Audible.comの本を聴いている時間の方が長くなっていました。考えていた以上の効能でした。

 もう一つは、Dictionary.comというサイトです。メールアドレスを登録しておくと、毎日一つずつ、「今日の単語」というメールを送ってきてくれて、ちょっと難しい単語とその意味が分かるようになっています。忙しくて見ない日もありますし、見たところでその単語を覚えるまでには行かないのですが、それでも毎日単語を見ることで、「英語脳」といったところがあるとすると、それが刺激されていたのではないかと思います。

その他のサービスもありますが、とりあえず、この二つはお勧めです。Audible.comは日本語の本も扱うようになりましたので、そちらも試してみる価値はありそうです。

 [2022/4/22 イライザ]

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2022年4月13日 (水)

ガルージン大使とカーチス・ルメイ将軍 ――ウクライナでの民間人爆撃と東京空襲――

ガルージン大使とカーチス・ルメイ将軍

――ウクライナでの民間人爆撃と東京空襲――

 

49日にTBSの「報道特集」は、金平茂紀キャスターによるロシアのガルージン駐日大使の単独インタビューを放映しました。その動画ですが、YouTubeにアップされていましたので、ここに埋め込みます。最初の1分くらいを御覧下さい。

  私が特に引っ掛かった部分を文字化しておきましょう。

 

[大使] 我々が攻撃しているのは、軍事施設だけで民間施設は攻撃していない。

[金平] 私たちの仲間が私たちの同僚が取材に行って来て、例えば病院とか民間施設が破壊されている現場で実際に目で見て取材してきましたよ

[大使] それはなぜ起きたかというとウクライナ軍が学校や病院から一般人、生徒たちを追放して、それを軍事拠点としたからです

 

その後、病人や一般人が死亡していることを金平キャスターは事実として指摘するのですが、大使は最後まで、同じことを繰り返しています。

 この部分の発言で私の頭に浮かんだのは、1945年の310日の東京大空襲でした。これについては、このブログで311日に簡単に触れています。

そこで強調したのは、記憶し続けることの大切さですが、記憶している私たちの世代が今の時点で語る必要もあることに気付きました。戦争中 (と私たちの世代が言うときの「戦争」は、1945年に終戦を迎えた戦争です)、だけではなく、戦後の歴史についても若い世代の人たちに事実を伝えることが大切です。

 東京大空襲では、一晩に約10万人もの「民間人」が殺されました。B29329機が襲来して、木造家屋を焼く尽くす最も効果的な「焼夷弾」を約2時間の内に33万発も落して、東京の中心部を焼き払ったのです。そして、この作戦を計画、実行、指揮したのが、カーチス・ルメイ司令官でした。

[出典はWikipedia https://www.wikiwand.com/ja/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%81%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%83%A1%E3%82%A4]

 一次資料には当っていませんが、次のサイトにはルメイの回想録の中に次の言葉かあるとの引用がされています。他の文献でも読んだ記憶があるのですが、それについては確実な出典が見付かり次第アップします。

 [出典はユダヤ館 「ヒロシマ・長崎への原爆投下と東京大空襲について」

http://www1.s-cat.ne.jp/0123/Jew_ronkou/america/atomic_bomb_holocaust.html]

 戦後、カーチス・ルメイは回想記の中で次のように述べた。

 「私は日本の民間人を殺したのではない。 日本の軍需工場を破壊したのだ。 日本の都市の民家は全て軍需工場だった。 ある家がボルトを作り、隣の家がナットを作り、向かいの家がワッシャを作っていた。 木と紙でできた民家の一軒一軒が、全て我々を攻撃する武器の工場になっていたのだ。 女も子供も老人も全て戦闘員だった。 これをやっつけて何が悪いのか」。

  カーチス・ルメイは東京大空襲を初めとする無差別爆撃、及び、広島・長崎への原爆投下の直接の責任者であった。 しかし、1964126日、日本政府はカーチス・ルメイに勲一等旭日大綬章を授与した。 授与理由は「カーチス・ルメイは日本の航空自衛隊の育成に協力した」というものである。 この時の総理大臣は後にノーベル平和賞を受賞した佐藤栄作である。

 以上は歴史的事実ですが、ふと頭を過ったのは、「ガルージン大使はカーチス・ルメイの言葉と理屈を知っていたのだろうか?」という疑問でした。

仮に知らなくても、「自然に」思い付いたのかも知れません。何故なら、これは「戦争の論理」だからです。戦争を前提として構成された社会では、このような考え方が大手を振って歩いていても不思議ではないのです。

そして、その答は戦争の否定しかあり得ません。そこに、日本国憲法を世界化する意味があるのです。

このことだけから、ウクライナで起きている戦争を解決することは難しいでしょう。しかし、解決のための様々な可能性を模索しながら、過去の出来事を思い起こしつつ、新たな視点を加えて歴史的教訓を探し、また歴史的事実から、ウクライナ情勢解決の糸口を見つける努力をする上では、少しは役立つのかも知れません。

 [2022/4/13 イライザ]

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2022年4月 3日 (日)

憲法に戻ろう ――ゼレンスキー大統領が尊重したのに、日本の政治家が無視するとは?――

憲法に戻ろう

――ゼレンスキー大統領が尊重したのに、日本の政治家が無視するとは?――

 

いつも長くなってしまいますので、今日は手短に、日本国憲法について考えます。

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ウクライナへのロシアの侵攻、その結果、多くの市民が命を失い住む場所からも追い出されている非人間的な状況を何とかしたいと多くの人が考えていますが、私たちに取って、このような戦争と平和の問題を考える上で「原点」になるのが日本国憲法です。特に第9条ですが、その他にも大切な条文がたくさんあります。そして、そのことは、日本に関心のある他国にも伝わり、日本国憲法の平和主義を尊重することが国際関係の基本になっています。

 その好例が、323日に行われたゼレンスキー大統領の国会演説です。324日の本ブログでは、大統領演説を取り上げ、その冒頭で次のようなコメントを載せました。

「他国向けの演説と比べてトーンを落として、やや抽象的な印象でした。それは、日本国憲法第9条によって、日本という国が戦争に関わることができないという事実を尊重したからなのだろうというのが私の感想です。」

 全文も読んで頂きたいのですが、私の感想がその通りだったことが、31日に行われたウクライナのコルスンスキー駐日大使の記者会見で明らかになりました。ロシアのウクライナ軍事侵攻に対する日本の役割について述べる中で、「日本の文化的、法的、政治的環境を理解した上で言葉を選んで行われた」と説明し、特に「憲法9条にも配慮した」とも言っています。

 現在、戦争のさなかにあるウクライナが日本の平和憲法を尊重しているのに対して、安部元総理はじめ、一部の政治家や評論家やマスコミ等の主張はその正反対で、日本が核兵器の「共有」をすべきだという暴論まで飛び出しています。この点については、本ブログの31日号で取り上げています。署名運動を立ち上げる一つの理由でもありました。

憲法98条は、この憲法が法的に日本国の「最高法規」であることを規定していますし、99条では特に、「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」と、政治家たちには、憲法を遵守する義務があると釘を刺しています。

 参考のために、拙著『数学書として憲法を読む――前広島市長の憲法・天皇論――』にもより詳しい解説を載せています。

 [2022/4/3 イライザ]

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2022年3月31日 (木)

署名運動の持つ力 ――変化は起こせます。希望も創れます。――

署名運動の持つ力

――変化は起こせます。希望も創れます。――

 

Change.orgの署名運動には、日本語版と英語版があります。賛同して下さる方々からのコメントも書き込まれています。心から同感できるもの、元気を与えてくれるもの、考えさせられるもの等々、いろいろなコメントがあるのですが、英語版への最初のコメントは次のようなものでした。

Honestly I’ll sign this but this is dumb. If the world leaders can’t get him to stop, a petition won’t. Let’s be real.

 簡単に訳すと、「署名はするけど、こんなことは馬鹿げている。世界のリーダーたちが止められないのに、署名が止められるわけがない。現実的になろう。」です。

 これも一つの見方でしょうが、複雑な世界がどう動くのかについては、あらゆる可能性を視野に入れて考える必要があります。人類滅亡のシナリオを止めるためには、自分でできるそして少しでも可能性のある行動を取る必要があります。また被爆者の思いを何らかの形で表現して、多くの人たちと共有することもとても大切なのです。

 その背景として、二つのことを指摘しておきたいと思います。広島市のメール・マガジン「ひろめーる」に20054月と8月に掲載したコラムの一部を抜粋してお伝えすることで、(A) 時代の変化についての認識を持って頂ければと考えていますし、変化は起こせるという自信を持って頂きたいのが一つ。同時に、(B) 時代を超えた真実のあること、それは希望が大切であることと希望も創り出せるという真実なのですが、それも再確認したいと思います。(ひろめーるのコラムも「春風夏雨」ですが、それは『元気です、広島』というタイトルで海鳴社から出版されています。)

 (A) 1982年と2005年の間にアメリカでは、被爆者や被爆体験についての考え方に大きな変化があった。

 1982年には国連の軍縮特別総会が開かれ、ニューヨークでの100万人集会など大変な盛り上りのあった年です。そして2005年には、核不拡散条約の再検討会議が開かれました。日本からは、これらの機会に被爆者や平和活動化など多くの人が参加しました。この、23年間に何が起きたのかを「ひろめーる」のコラムで報告しています。ちょっと長くなりますが、お読み頂ければ幸いです。

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2005年のNPT再検討会議で

 個人的な感慨としては、NGOや市民活動家たちの広島・長崎に対する考え方がこの23年間で大きく変ったと感じています。1980年代、そして特に1982年には、多くの反核集会が開かれましたが、その際何度も耳にした言葉があります。それは「広島・長崎への原爆投下は正しかったが、次に核兵器が使われれば、それは自分たちの身に降り掛るか、人類の滅亡に繋がる。だから、凍結が必要だ」、というものです。

 当時の凍結運動をリードした中の有力メンバーには、PSR(「社会的責任を果す医師の会))IPPNW(核戦争防止国際医師の会)といった医師たちの組織が入っていましたが、彼ら/彼女らの活動はボストンから始まりました。そのボストンでさえ、集会の中で被爆者の発言する場を確保しようとしてもその意味を分って貰えないようなことが何度もありました。6月のニューヨークでも、集会に招待されながら紹介もして貰えないようなことさえあり、被爆者の存在を認めて貰うこと、そして発言の場を確保することは大変難しかったことを憶えています。

 勿論、被爆者のメッセージを初めから真剣に受け止め、いわば被爆者の代弁者として活動してきたアメリカ人、そして活動家たちは23年前にもいました。現在、その数が増えたというのが私の実感ですが、問題はその広がりです。23年前には、まだまだ広島・長崎そして被爆者についての理解が十分に広まっていなかったと言えるのではないかと思います。

 ところが今回は、私たちと協力してくれているNGOの関係者たちは例外なく、被爆者とそのメッセージを大切にしてくれています。その結果、多くの集会で被爆者の証言が中心的な役割を担うようになって来ています。

 一例として挙げておきたいのは、平和問題や人権環境などの問題について長い間、忍耐強い努力を続けてきたクエーカー教徒の団体である「American Friends Service Committee」が、「被爆者/被団協」を今年のノーベル平和賞に推薦してくれていることです。また、今回のニューヨークでの催し物のなかには、被爆者に焦点を当てたり、今後の被爆者の活動に対しての資金援助を目的としたりするものもあります。20年の間に、アメリカ人全てではないにしろ、アメリカの中に大きな変化が起きているのです。

 何故これほど大きな変化が起きたのでしょうか。これだ、という簡単な理由ではないような気がします。多くの人々、特に被爆者のたゆまぬ努力の結果だと思いますが、敢えて幾つか気の付いたことを挙げておきたいと思います。

 何と言っても、世界中の至る所で多くの被爆者が証言を続けたことを強調しておかなくてはなりません。多くの人にそのメッセージが伝わるまでには時間が掛ります。忍耐強く語り続けた一言一言が、それを聞いた人の胸を打ち、さらに多くの人に伝わって行く時間です。言葉に加えて、被爆者の描いた被爆当時の絵によって、想像力の乏しい、と言うよりは、通常の想像力はあっても、それではとても想像できない程の惨禍が多くの人々に伝わったことも大切だと思います。広島は勿論のこと、世界中の多くのジャーナリストが被爆者の声を取り上げ続けたことも重要です。手前味噌になりますが、広島市と長崎市が世界で開いている原爆展もそれなりの効果があったと思いますし、その他の多くの団体や個人も原爆展を開催する努力を続けています。

 もう一点、特に強調しておきたい点があります。それはこの25年ほどの間に、アメリカやカナダ等の多くの子どもたちが佐々木禎子さんの物語を読み、折鶴を折ることで被爆体験や戦争と平和について理解を深めてきたことです。一つのきっかけになったのは、エリノア・コアーさんという作家が1977年に出版した「Sadako and the Thousand Cranes(「禎子と千羽鶴」)という本です。今や、この本ならびにその後作られた映画等がアメリカやカナダ等では小学校の標準的な副読本の一つになったと言っても良いくらい普及しています。海外で活躍している日本人、特に、フランス、マラコフ市のシボーさんやアメリカシアトル市のパンピアンさん等の女性の手で、映画やコンサート、講演その他のイベントという形でさらに多くの子どもたちに禎子さんのメッセージが伝わったことも重要です。

 その他の芸術活動も多くありますし、ここに書き切れないくらい多くの人々の努力があって初めて、私が感じているような変化が起きてきているはずです。この辺りのことを詳しく調べて、何方かが感動的なノンフィクションにまとめて頂けるとありがたいのですが。

 さて、23年前と今回の違いで誰もが気付くのは恐らく、規模の差です。23年前は100万人の人がニューヨークを埋め尽くしましたが、今回は何人集まるのか未だはっきりとは分りません。しかし、100万人にはならないだろうと思います。だから今回ニューヨークに行く意味はないと言ってしまうのは早計です。何故このような違いがあるのかを考えなくてはなりません。

 私見では、23年前のデモや集会は、それを目的にした大きな運動がありその運動の成果だったのに対して、今回は、この「運動」に相当する部分がこれから始まるのだ、という違いがあります。

 例えば、同じく23年前に設立された平和市長会議(設立当時の名称は、「世界平和連帯都市市長会議」)2年前に決定をし推進している「2020Vision(日本語では「核兵器廃絶のための緊急行動」)は、2020年までに核兵器を廃絶することを目的としている行動計画です。中間目標として国連が2010年までに核兵器禁止条約を締結することを掲げています。そして、今年の再検討会議では、各国が核兵器廃絶の方向で交渉を始めることを決めるよう提案しています。つまり、これから15年間は続く大きな運動の出発点に当ります。2020年までに核兵器を廃絶させるために、今年の5月をきっかけとしてさらに多くの人々が私たちの運動に参加してくれることを期待しています。

 これを書いてから17年がたっています。その17年間の変化と、それ以前の23年間の変化とを比べてみるのも一興なのですが、それはまたの機会に譲ります。

 長くなりましたので、冒頭で述べた二つ目の「希望は創り出せる」は、また明日に。

 [2022/3/31 イライザ]

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2022年3月29日 (火)

小倉桂子さんとHIP ――イタリアのテレビ局がヒロシマを取材――

小倉桂子さんとHIP

――イタリアのテレビ局がヒロシマを取材――

 

イタリアのテレビ局、The RAI National TVのビオ・デミリア記者が327日に取材した「スーパー・ウーマン」お二人に焦点を合わせています。昨日は切明千枝子さんについて、是非御本人の言葉を読むかビデオで切明さんのお話をお聞き下さい、という御案内をしました。

 今日はもう一人の「スーパー・ウーマン」小倉桂子さんです。小倉さんの被爆体験とその後の活躍をお伝えしたいのですが、小倉さんの活動の中でも大切なのは、御自身の体験はもちろんのこと、他の人の体験も英語に訳して伝えることを使命として生きて来られた点です。

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Demilia記者と小倉さん

小倉さんの体験も御自分の言葉で語られているビデオを御覧頂きたいのですが、その前に、広島平和文化センターの機関誌に掲載された「被爆体験記」から一部を引用しておきます。

 八月六日

国民学校2年生の私は爆心地から北へ2.4キロの牛田町で被爆しました。 5年生の兄は学童疎開、中学生の兄は学徒動員により広島駅の北で農作業中でした。 父が「何か嫌な予感がする。今日は学校に行くな」というので、私は一人ぼっちで家の北側の道路にいました。 突然目もくらむような閃光に包まれ、 続いて襲ってきたすさまじい爆風により路上に叩きつけられました。 近所の藁屋根は瞬時に燃えだしました。 家に戻ると家の中のすべては破壊され、天井や屋根瓦は吹き飛ばされ、総ガラス張りの戸や窓のガラスは数百の破片となって壁や柱に突き刺っていましたが、幸いにも自宅にいた両親や兄弟たちは軽傷で済みました。

  そのすぐ後に、雨が降りました。雨がいつ降り出したかは正確には分かりません。多分被爆後、ほどなくしてだと思います。 外に出た私の服を濡らしたのはねっとりとした灰色の「黒い雨」でした。 その雨は家中の壁に何本もの太い灰色の線を残しました。

 (中略)

 壊滅状態の街を見下ろす

8月7日、神社前の高台から広島の街を見下ろしました。 見渡す限りの焼け野原に百貨店の福屋と旧中国新聞社やいくつかの建物の残骸が見え、その向こうに見えた海は手が届くほど近くに感じられました。 遺体処理の煙がすぐ近くの公園から登っており、時折死体を焼くにおいが流れて来ました。 それから毎日、私は石段を登っては広島の街を見続けました。

1962年には、後に資料館館長や平和文化センターの事務局長として、また国際通として被爆の実相と被爆者のメッセージを世界に発信した小倉馨氏と結婚。1979年には急逝した馨氏の遺志を継いで、桂子さんは英語を猛勉強し、広島を訪れる外国人の窓口・ガイドとしてまた海外への「ヒロシマ発信」の拠点としての活動を始めました。

 1984年には、「平和のための広島通訳者グループ」(HISと略)を設立して、上記の活動に加えて、広島に常駐する通訳者の養成と継続的研鑽も活動内容に加えました。活動の内容は、日本語並びに英語のホームページがありますので御覧下さい。

 一言、「通訳」についてコメントをしておきます。すべての人が同じ言語を理解している訳ではありませんので、異なった言語を通訳してコミュニケーションを可能にする「通訳」または「通訳者」は、異文化コミュニケーションには必要不可欠な存在です。にもかかわらずその重要性が理解されず、しばしば、「外国語が喋れる人は、喋れない人のためにボランティアとして通訳をして当り前」のような価値観が通用しています。

 しかも、通訳は正確に訳せて当り前、ちょっとでもミスがあるとけちょんけちょんに非難される存在でもあります。これは不当な評価の仕方ですが、多くの人がこの立場で物を言う傾向もあります。

 それだけではなく、被爆者の体験を訳すのには、感情の襞の深い部分まで理解した上で、それを英語でしかも同じレベルで表現しなくてはなりません。これほどの難しさのある仕事を、自ら選び、しかも40年間立派に果して来られた小倉さん、そして小倉さんと志を同じくする皆さんに心から敬意を表します。

 広島市は、その功績を称えて、2005年に広島市民賞をHIPに差し上げています。

 日本語のホームページ

 英語のホームページ

 ここで英語のホームページ中の小倉さんの言葉を聞いて下さい。英語ですが、格調高い内容と真摯な姿勢が伝わるはずですので。

 

最後にもう一つエピソードを添えます。2003年には、ワシントンのスミソニアン航空宇宙博物館新館に、原爆を投下した「エノリ・ゲイ」号が永久展示されることになり、小倉さんは一般公開初日に博物館を訪れています。小倉さんはその機体を目の前にして「足がすくみ、震え、泣き出した」と当時の報道が伝えています。

 デミリア氏のインタビューで、それに加えて小倉さんが語っていたのは、スミソニアン博物館で恐怖に襲われたのは、「エノラ・ゲイ」だけではなかったという事実です。それよりはるかに小さいグラマンという戦闘機も展示されていたのだそうですが、それを見たときには、原爆以前に経験した「機銃掃射」を思い出し身が竦んだ、と語っています。

 「機銃掃射」とは、飛行機が地面すれすれの低空を飛行して、地上にいる人間を狙って機関銃で直接殺す行為を指します。パイロットの顔だけではなく目まではっきり見た人もいるくらい、人間が人間を殺す行為なのです。

 核兵器とは、廃絶される以外の目的を持ちません。それは当然なのですが、小倉さんのエピソードは、「戦争に『正義の戦争』というものは存在しない」ことの証明にもなっています。

 [2022/3/29 イライザ]

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2022年3月28日 (月)

切明千枝子さんと小倉桂子さん ――イタリアのテレビ局がヒロシマを取材――

切明千枝子さんと小倉桂子さん

――イタリアのテレビ局がヒロシマを取材――

 

雨に祟られた26日の平和公園と打って変わって、27日は爽やかな日曜日になりました。平和公園の桜も五分から7分咲きくらいで、家族連れそして資料館を見学する人も多い一日になりました。

 イタリアのNHKに相当するようなテレビ局、The RAI National TV、の取材で、記者のPio Demiliaさんが平和公園を訪れました。午前中は資料館の取材、そして午後からはお二人の「スーパー・ウーマン」、切明千枝子さんと小倉桂子さんのお話を丁寧に取材してくれました。

 切明さんは15歳で、小倉さんは8歳で被爆したのですが、お二人とも大変お元気で、お二人より若い私が圧倒されてしまうほどで、思わず「健康法は?」と聞いてしまいました。

Photo_20220327222501  

Demiliaさんと切明さん

切明さんは、学徒動員されタバコ工場で働いていました。一日中立ちっ放しで仕事をしていたため86日には足の痛みが酷く、朝2時間の休みを貰い外科医の診察を受けるために、市内の中心部に向っていました。

 暑い日だったので、途中で汗を拭おうと、倉庫のような建物の軒下に入った途端に、目の前に太陽が落ちたような強い光を感じ、すぐに爆風も届いて地面に叩き付けられて気を失ったそうです。

 気が付いた後で切明さんがどのような体験をなさったのか、その後の77年間どんな思いで生きて来られたのか、是非、切明さん御自身の言葉を読んで下さい。例えば、『切明千枝子 ヒロシマを生き抜いて』(ノーモア・被爆者継承センター広島 連絡先はh.conveyrelay@gmail.com)は、切明さんのお話を文字起こしして詳しい注も付けた冊子です。

 それ以上に、切明さん御自身の語るビデオを見て頂きたいと思います。YouTubeで検索すればいくつかのビデオが出てきますので、試して見て頂きたいのですが、その内の一つ、2020年の618日に収録されたビデオのサイトを御紹介しておきます。広島県原水禁の金子哲夫代表委員の紹介文をまず掲載します。

 現在90歳となる切明千枝子(きりあけちえこ)さんの被爆体験を広島県原爆資料館の会議室で、被爆証言を聞かせていただきました。(2020618日収録)

 被爆時の話のみならず、15歳だった当時の疑問や考えなど、はっきりとした口調で、声を震わせながら、時にはにかみながら、お話ししてくれました。 話しをしていると、当時のことがフラッシュバックしてしまい、苦しくなる… それでも、こんな悲惨な思いはもう二度と誰にもしてほしくない、という思いを伝えてくれました。

 後半には、番外編として、聞き手の質問に答える形で、広島の被服支廠に対する思いを語る姿を収録しています。 聞き手:金子哲夫(原水禁広島代表委員)

  News Paper 2020.8 No.865 インタビュー【被爆証言 86日広島は地獄に変わった 切明千枝子さん】にてお話を聞かせていただいた内容は以下の通りです。被爆証言をお話しいただいた後に、質問をさせていただき、インタビュー記事としてまとめました。

 ◇ 証言活動をはじめたきっかけ

 ◆ 若い人たちに思うこと

 ◇ 当時、戦争に対して違和感を持ったこと

 ◆ 今の日本に思うこと

 

以下ビデオを御覧下さい。

 

小倉桂子さんについては明日、アップさせて頂きます。

 [2022/3/28 イライザ]

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2022年3月22日 (火)

アメリカに生き続ける「パール・ハーバー」 ――「絶対零度」かもしれません――

アメリカに生き続ける「パール・ハーバー」

――「絶対零度」かもしれません――

 

ここ数日は、アメリカ人のパール・ハーバー観について、1986年に上梓した『真珠と桜』(「ヒロシマ」から見たアメリカの心)での解説を整理してお伝えしています。今回は1959年から1960年の私自身の経験から始めていますが、1980年代、教職に就いていた時もパターンは似たり寄ったりです。

 高校時代には、地域の慈善団体等で話をすることもありました。例えば、キワネス・クラブです。

キワネス・クラブの昼食会にスピーカーとして招かれたのも同じ頃だった。30分ほど日本についての話、特に日本の高校生についての一般的な話をしたが、その後、質問が安保問題に集中した。日本についての記事はあまり載らないアメリカの新聞に丁度その頃、安保闘争が紹介され始めていたからだ。安保問題そのものより、アメリカに対して普通の日本人がどんな感情を持っているのかを一所懸命説明したつもりだが、とれ程の説得力があったのかは疑問である。そしてここでもパール・ハーバーが出てきた。

 「第二次大戦後、アメリカはパール・ハーバーさえ許し、日本に民主主義を導入し、その上、アメリカの兵隊を送って日本を守ってあげようと言っているのに、どこが不服なんだ。感謝されこそすれ、反対される理由が全く分らない」というものだった。

 再びここでも議論が打切られたのは、「17歳の少年一人を、大人が10余人寄ってたかって吊し上げるのはフェアでない」というサマーズ氏の言葉があったからだ。

 実は、アメリカ人の心の中でパール・ハーバーがどのような位置付けにあるのかを考える上で、一番ピッタリしているのは次の比喩ではないかと思います。60年間にアメリカそしてアメリカ人の意識も変ってきているとは思いますが、今回のゼリンスキー大統領演説に使われ、それが効果のあることを見るにつけ、人の心を変えるためにはいかに長い時間が掛るのかを改めて感じています。

Photo_20220321221601  

Wikiwandから

https://www.wikiwand.com/ja/%E7%B5%B6%E5%AF%BE%E9%9B%B6%E5%BA%A6

 

その後の印象をも含めて考えると「パール・ハーバー」は「原爆と比べられる」ような生易しいものではなく、他のすべての善悪を測る物差しに目盛られた最悪点だと言った方が正確だろう。絶対零度とは、これ以下の温度はない最低点だが、パール・ハーバーは、多くのアメリカ人にとって他国(あるいは他人) が自国(または自分) に対して取り得る絶対零度とでも言えそうだ。

 それを骨の髄まで感じたのが、198011月に起った駐イラン・アメリカ大使館での人質事件だった。

 病気療養のためアメリカに来たいという。パーレビ前国王の願いを、アメリカは「人道的見地」から聞き入れた。その報復措置としてイランは、アメリカの象徴である大使館員を人質に取るという卑劣、かつ非人道的、国際法違反の行為を取った。 こうした解釈に基いて、「真珠湾以来の国難」「第二次大戦中の日本人(正確に述べれば日系アメリカ人) と同様、 アメリカにいるイラン人(イラン系アメリカ人も含む) はすべて強制収容所にぶち込んでしまえ」はたまた「ニューク・ジ・アヤトーラ (ホメイニに原爆を使え)」といった声がアメリカ中に起ったのである。

 イラン人資産の凍結が行われ、南部の大学ではイラン人だというだけの理由で停学処分を受けた学生もいる。さすがに、日系アメリカ人ほどひどい仕打ちはされなかったが、この人質事件を通して再び、象徴として、また物事の判断を下すための物差しとしてのパール・ハーバーがより深く根を下したと言ってよいだろう。

 (中略)

 その当時、日本からタフツ大学に留学していた十九歳の女子学生と、 このことについて話し合ったことがある。

 「私にも経験がある。友達に、彼の友達――同じ年くらいの男の子ーーを紹介されたんだけれど、別れ際、・バス停でバスに乗る直前『お前たちなんであんなことやったんだ』 って言うの。何のことかと思っていたら         パール・ハーバーのことを言ってたらしいの。 『リメンバー・パール・ハーバー』って言ってバスに乗ってった。「ウッソー っていう感じだけど」

 だから・イランの人質事件の反応も、ああまたかと思ったというのである。

この項はまだ続きます。何故、アメリカ人の「パール・ハーバー」観が、変らないのかについても考察します。

[2022/3/22 イライザ]

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