日本政府

2023年1月29日 (日)

日本が壊れて行く? (2) ――「異次元」の違和感には理由(わけ)がある――

日本が壊れて行く?  (2)

――「異次元」の違和感には理由(わけ)がある――

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新年早々、1月10日に山口県周防大島沖で海上自衛隊の護衛艦「いなづま」が座礁しました。原因として、エンジンやレーダーに故障はなく、天候に問題はなかった、それに他の船舶との関連もなかったと報道されています。多くのマスコミが報じていますが、朝日のデジタル版のサイトはこちらです。

これをまとめると、事故の原因は、レーダーでは捕捉されていた浅瀬に乗組員が気付かずに、舵を切らなかったためその浅瀬に乗り上げた、ということになります。

油漏れして、かつ航行不能になったということは、スクリューが損傷したからとしか考えられません。浅瀬に乗り上げてからスクリューを逆回転させて船を止めようとしても、瞬時には止まらないということかもしれませんし、スピードもかなり出ていたのかもしれません。

専門家が現場と船を見た上で結論を出すのでしょうから、それと違っていたら訂正しますが、常識的に考えた結果を元に以下、議論を続けます。

それから10日も経たない18日、新潟海上保安部所属の巡視船「えちご」が、柏崎市の椎谷橋灯台沖1.1キロの地点で座礁しました。椎谷橋灯台が消えていたので、確認のために浅瀬に近寄ったためらしいのですが、浅瀬の水深は2メートルから4メートルで、「えちご」の喫水である5メートルより浅かったのです。また漁協関係者によると「漁船も近付かない場所」だとのことでした。これについても各種の報道がありますが、『新潟日報』の記事はこちらです。

この二つの事故が一月中に起きたのはたまたまかもしれません。でも二件とも、浅瀬に乗り上げ航行不能になったということも合わせて考えると、「偶然」で済ませて良いのかという疑問は残ります。

それは、軍拡政策とも関連があるからです。精密機器を搭載している近代的な船舶でも、浅瀬に乗り上げるという人為ミスが立て続けに起きる可能性が高いのですから、同じように最先端技術の集積である兵器の管理で人為ミスが起きてもおかしくはないからです。

以下、私の妄想であればそれに越したことはありません。また、高校時代に初めて生活をしたアメリカでの、「パール・ハーバー」の意味が余りにも大きかったための過剰反応かも知れません。とは言え、お付き合い頂ければ幸いです。

現実に戻って、岸田内閣の軍事費倍増計画の中で、トマホークという巡航ミサイルをアメリカから500発、金額にすると1500億円もかけて買う予定だそうです。トマホークは、最先端技術の集まりです。軍艦とは空と海という違いがありますし、巡視艇との違いはトマホークが武器だという点でしょう。でも、所詮は人間の作った機械です。

今回の、自衛艦と巡視艇の座礁が人為ミスによって起きたように、トマホークの発射についても人為ミスが起きないとは言えないことが問題です。「偶然」一か月の間に二つの座礁事故が起きたのですから、「偶然」トマホークの人為的発射事故が起きるかもしれないではありませんか。

「敵基地攻撃能力」という大看板までぶら下げることになる我が国からのミサイルは、命中または落下した国からは当然先制攻撃と見なされ、戦争が始まるでしょう。

「そんなことはあり得ない」と断言したいのですが、我が国の歴史を振り返ると躊躇せざるを得なくなります。人為ミスが元で、日本という国だけではなく日本人に対して「最悪のレベルの卑劣な国家・民族・国民」という烙印が押され、80年以上その烙印が生き続けているからです。それは、日本が正に「敵基地」である真珠湾の基地を攻撃した時から始まっています。

この攻撃をアメリカに対して伝えた最後通告は、ホノルル時間の1941年12月7日午前8時50分にアメリカ政府に渡されたのですが、真珠湾攻撃そのものはその50分前、午前8時に始まっていたのです。つまりこれは、「宣戦布告のない卑劣な戦争を仕掛けた」ということになるのです。それに対するアメリカの反応が対日観を決定的なものにしました。(渡部昇一氏による「真珠湾攻撃・・・なぜ日本の宣戦布告が遅れたのか?」による)

ルーズベルト大統領は、「私は議会に対し、一九四一年十二月七日、日曜日に日本によって行なわれた不当かつ卑劣な攻撃以来、合衆国と日本帝国は戦争状態にあることを宣言することを求める」という演説を行なったのである。

日本側の宣戦布告が遅れたのは、翻訳が遅れたとか、正式文書としてタイプするのに時間が掛かった等の説明がされていますが、「人為ミス」であることには違いがありません。

自衛艦や巡視艇が「あり得ない」くらい基本的な人為ミスで座礁するという事故が一月に二件も起きているのですから、私たちが「常識」だと考えていること、あるいは専門家たちが「あり得ない」と太鼓判を押しているようなことについても、人為ミスが元で、「あり得ない」ことが実際に起きてしまう可能性を問題にしない訳には行かないのです。だから、「異次元」の違和感なのです。

その結果として、船が損傷したとか物品が壊れたであればまだ救われるのですが、人命が失われることになったり人が苦しんだりということになると、単に「ミス」だからと言って見過ごしてはいけないことの範疇に入ってきます。次回はそんなケースを取り上げます。

 

最後に、まだ1月中ですので、今年一年が皆様にとって素晴らしい365日でありますように!

[2022/1/28 イライザ]

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2023年1月27日 (金)

日本が壊れて行く? (1) ――「異次元」の違和感が広がっている――

日本が壊れて行く?  (1)

――「異次元」の違和感が広がっている――

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『数学書として憲法を読む――前広島市長の憲法・天皇論――』では、「憲法マジック」という言葉を創って憲法解釈の矛盾を指摘しました。それは、憲法には「○○は××である」と書いてあるのに、その正反対の「○○は××ではない」が、巷間では正しい解釈だと考えられている状態を表す言葉でした。

憲法は言葉で綴られていますので、このような表現でその矛盾を指摘できるのですが、毎日のように報道される事件や事故、政治や経済の場でのできごとは、まだ完全には言語化されていないものが多く、どんな言葉で「何かおかしい」と言えば良いのかすぐには頭に浮かびません。とりあえず「違和感」という言葉で括りますが、それも普通の違和感では納まらない感じですので、皮肉を込めて「異次元」と形容しておきます。

この言葉が広まったのは、2013年に始まり今も続いている日銀の「異次元緩和」あるいは「異次元金融緩和」からです。ここで使われている「異次元」という単語の意味をGoo辞典で再確認しておきます。

1  異なる次元。また、次元の異なる世界。「空間」

2 (比喩的に)通常とは全く異なる考え方、また、それに基づく大胆な施策。「―の金融緩和」

そして、日銀の「異次元緩和」については、三菱UFJ国際投信のmattocoLifeというサイトに分り易い解説があります。それをさらに要約すると、次のように2013年から2016年まで、少しずつ改善を加えながらの緩和策を指しています。

2013年4月:量的・質的金融緩和

2016年1月:マイナス金利付き量的・質的緩和

2016年9月:長短金利操作付き量的・質的緩和

もっと大雑把にまとめると、「金融緩和」策として、何を指標とするかを変えたり、従来の施策を拡大したり柔軟化するといったことが中身です。その中で、特に注目に値するのは、常識では考えられなかった「マイナス」金利を導入した事でしょう。でも、目標としての「物価上昇率2%」は、普遍でした。

極端に単純化すると、「異次元緩和」とは「マイナス金利を導入して、物価の上昇率を2%にする」ことだったのです。

ここで、私個人の大きな違和感は、「プラス」を「マイナス」にする政策を「異次元」と呼ぶことです。皆さんは、どこかで「数直線」という言葉に出会っていると思います。その真ん中あたりに「0」という印があります。その右側が「プラス」の範囲で、左側が「マイナス」です。プラスからマイナスに移るということは、この数直線上の方向で示せますので、次元で言えば「一次元」の話なのです。それを「異次元」と言ってしまうのは、一種の「誇大広告」になるような気がしたのです。

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そして、経済や金融についての詳細な知識のない私たち市民から見ると、「異次元」という大袈裟な言葉で、凄いことをするという印象作りをしていることは分っても、その目標としての「2%の物価上昇率」にはマイナスのイメージしか湧かなかったのではないでしょうか。

何故なら、毎日の生活の中で、物価が上がっているということは感覚的に経験していましたし、賃金が上昇しないことは20年も続いていて、生活の苦しさも続いていたからです。感覚としては、もう物価はかなり上がっているのですから、それを目標にするという意味が理解できなかったからです。

それだけではなく、円安が続いて物価はさらに上がり続けたのですから、なお訳が分りません。

そんな状況をまとめると、結局、「異次元」という言葉にまつわる雰囲気として、感覚的には混乱と理解不能、でも大層なことをしているという自己宣伝が伝わってきました。

追い打ちを掛けるように、「異次元の少子化対策」です。「自己宣伝」、「理解不能」そして「混乱」というイメージを引き連れての政策ですから、それに期待して子どもを産もうと考える女性が出て来るとは思えません。そんなマイナス・イメージを避けるために、その言い換え、「次元の異なる」を使って済むなんて考える程、私たち国民は馬鹿にされているということなのではないでしょうか。この時点で、「国民・市民を舐めるな」と言いたくなりますよね。

実はここまではまだ「前振り」の積りでした。「異次元の違和感」は、本格的な違和感は次回から始まります。

 

最後に、まだ1月中ですので、今年一年が皆様にとって素晴らしい365日でありますように!

[2022/1/27 イライザ]

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2023年1月 8日 (日)

「ヒロシマ」が壊れて行く? (1) ――反論を期待しつつ書いています――

「ヒロシマ」が壊れて行く?  (1)

――反論を期待しつつ書いています――

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お正月も三が日を過ぎましたので、少し厳しく現実を見つめて行きたいと思います。とは言え、「それは老人の妄想だよ。若い世代がしっかりと責任を果しているから安心して下さい。」という反論と、その証拠を何方かが示して下さることを期待しつつ以下を綴っています。

1月2日の中国新聞ディジタル版に、衝撃的な見出しが躍っていました。

核兵器使用に備えた医療、議論の動き「局面変わってしまった」広島大原医研所長

核兵器が使われた際に必要な医療の研究、開発について国内外の専門家で議論する動きがある。日本で作業部会の設置を呼びかけた、広島大原爆放射線医科学研究所(原医研、広島市南区)の田代聡所長(60)は中国新聞のインタビューに「局面が変わった」と指摘。被爆地の知見を生かして、核使用に備えた医療を研究する必要性を唱える。

田代聡所長は核戦争防止国際医師(IPPNW)の会の日本支部であるJPPNWの事務局長でもあります。IPPNWは1985年にノーベール平和賞を受賞しましたが、その背景を『数学教室』の2014年5月号のコラム「The Better Angels」から引用しておきましょう。

この時期に私はアメリカで生活していましたので、アメリカの活動をまとめてみましょう。1975年にベトナム戦争が終わり、多くの活動家たちは原発の問題に関心を持つのと同時に、医師たちが核廃絶運動に取り組み始めた時期でもあります。後にIPPNWに発展したアメリカの医師たちの活動の中でも、PSR(Physicians for Social Responsibility—社会的責任を取る医師の会)の医師たちの活動は効果的でした。

 主要なメッセージは三つありました。

① 一つは、「あなた」が住んでいる町に核爆弾が落ちたらどんなに酷い結果になるかを、医師として、医学用語を分り易く噛み砕いて伝えたことです。

② 二つ目は、そんな状況の中で、「あなた」が生き残った犠牲者の一人として医師としての私に救いを求めても、私には何もできませんというメッセージです。

③ そして最後のメッセージは、被害を受けるのはあなたやあなたの身近な人たちだけではなく、「核の冬」が訪れ人類は滅亡するのですよ、というメッセージです。

その効果は絶大で、当時の反核運動のスローガン「Freeze Now」決議を、州までも巻き込む自治体の議会が採択するほどでしたし、1986年のレイキャビックでのレーガン・ゴルバチョフ会談も、こうした背景が元になって進められたのです。

多くの市民が医師たちのメッセージをきちんと受け止め、行動に移した理由の一つは、その時点では、原爆や戦争についての直接体験と市民との距離が余り離れてはいなかったことを挙げて良いでしょう。例えば、こうした反核集会の多くは、そして1982年のニューヨークでも、「広島・長崎への原爆投下は正しかったが、次に核兵器が使われれば、それはあなたの頭の上に落ちることになる」といった言葉で始まりました。この点に対しての反論も大変でしたが、同時にこれは、「パール・ハーバー対原爆」という図式で核の問題を捉えていた1945年に、まだまだ多くの人の意識が近かったことも示しています。戦争の記憶がそれなりに生きていたという点は大切です。

ここで上げた三つの柱の内で、一番説得力のあったのが②であることは御理解頂けるでしょう。自分自身に対しての直接的な損得が関わっているからです。お医者さんに見放されても大丈夫という人はまずいないでしょう。仮にこの②がなければ、1980年代の人たちにとって、医師たちのメッセージ性は大きく損なわれたはずです。

そして田代所長の発言は、その②のメッセージ性を大きく変えることになります。もちろん、「私に救いを求めても、私には何もできません」という言い方は誇張です。何らかの手当はできるでしょう。でもここで強調されている点は、医師でも救えないほどの大きな被害が市中に蔓延しますよ、そんな状態になってから私たちに頼っても遅過ぎるのです。今なら、核兵器を廃絶して、そんな状態を避けられますよ、ということなのではないでしょうか。

新たに②の代りになる言葉は何なのでしょうか。「私に救いを求めたとして、医師としては十分な手当てができますから安心して下さい。」になるのでしょうか。そこまでは踏み込まないとしても、仮に生き残った人たちがいたとしても、核兵器使用後の「地獄」は想像を絶するほど酷いものであり、何としてでも避けなくてはならない、というメッセージは消えてしまうのではないでしょうか。

それが杞憂でないことは、2014年12月にウィーンで開かれた「第3回核兵器の人道的影響に関する会議」と、翌2015年のNPT再検討会議での日本政府代表の発言を見れば明らかです。二つの会議では、核兵器使用が人類にもたらす、言語を絶する悲惨さについて多くの国々が次々と言及しました。それに対して日本の佐野利男軍縮大使が強調したのは、その点が強調され過ぎていることを指弾した上で、「核兵器が使用されても市民を救うことはできる」という点だったのです。

また法律によって、どの自治体も「国民保護計画」を作ることを求められています。その計画では、各都市が核攻撃にあったら、どのように市民を守るのかといった方策も掲げなくてはならないのです。国の方から示されている「お手本」には、例えば、「風上に逃げる」といったことが載っています。

それに対して広島市では、被爆者と専門家もメンバーとして参加した検討委員会の結論として次のような主張を掲げています。

「核攻撃があれば、その攻撃から市民を守ることはできない。唯一市民を守る手段は核兵器を廃絶することだ」--広島市作成の「国民保護計画」

田代所長は国際的な場で、「佐野大使の言葉は正しい。核兵器が使われても、広島の医師は市民を救える」と発言するのでしょうか。

そして、広島市に対して、「核攻撃があっても市民を守ることはできる。核兵器の廃絶は唯一の手段ではない」と、国民保護計画の修正を求めるのでしょうか。

答としては、「そんなに極端なことは言っていない。感情に走るのは止めて欲しい。」といった言葉が返ってくるのだと思います。私の方が感情的になっているのかもしれません。でも同時に、私が大切に守ってきた「ヒロシマ」が、どこかから壊れ始めているという感慨も捨てることができないのです。このような傾向は、政治の場面を見るともっと露骨に表れています。続きます。

 

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[2022/1/8 イライザ]

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2022年12月30日 (金)

この一年(2022年)を振り返る (3) ――思いも寄らぬことの連続でした――

この一年(2022)を振り返る (3)

――思いも寄らぬことの連続でした――

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言うまでもないことですが、今年、2022年は思いも寄らぬ出来事が続けておきました。個人的なことは、既に28日のブログに書いた通りです。新たな自覚と関わりのあるプロジェクトも始まっていますが、年頭の決意の一部として御披露する予定です。

全国的・世界的な出来事としては、2月24日、ロシアがウクライナに侵攻し、プーチン大統領が核の使用をちらつかせて全世界への脅迫を行ったことが最初に頭に浮かびます (「プーチン事件」と呼んでおきます)。さらに、7月8日の安倍元総理銃撃事件とその後の展開も重要です (こちらは「銃撃事件」と呼びます)。

2022年も今日と明日の二日しか残っていません。その時間の中で今年の姿を私なりの言葉でまとめるのは難しいのですが、敢えて一言で表現してみましょう。

「思いも寄らぬ」大事件は、隠された「真実」を暴露する。

プーチン事件で明らかになった「真実」を三つにまとめておきましょう。

① 核保有国のリーダーたちは、核兵器のもたらす人間的悲劇を知らない。

② 知らない人に、真実を知らせるのは、「知っている人」の義務である。

③ 核兵器を使用することはそれを使用した政治家個人への非難となることが明白になり、核兵器は使えない兵器になった。

「核兵器が使えない兵器になった」理由は、ドローンやインターネット等を通して、核戦争の結末がリアル・タイムで世界に伝わるようになり、ウクライナ戦争の「実況」と同じような速さで、世界が核戦争の悲惨さを目の当りにできる時代だからです。そして、今核兵器が使われれば、その下手人が誰であるかも隠しようがありません。未来永劫に亘って、世界から指弾される立場に自らを追い遣ることになるのです。リーダーたちにも自己保身の動機はあるはずですので、その理由だけから考えても、核兵器の使用には踏み込めないはずなのです。

とは言え、それを確実にするためには、広島・長崎の真実を核保有国の、特にロシアのリーダーに知らせなくてはなりません。そのために、Change.orgのサービスを使って署名運動を始めました。「「核兵器を使わない」と、ただちに宣言して下さい!」というタイトルです。下線をクリックして貰えればサイトに飛ぶことができます。そして、下の方にスクロールして下さい。「この署名活動のお知らせ・最新状況をもっと見る」という箱をクリックすると、その後の署名運動の進展が、新しいものから順に分るようになっています。

その中にも報告はしてありますが、署名数が5万を超えた時点で、プーチン大統領と岸田首相に書簡を送りました。こちらにその報告があります。

そして、10万人の方からの賛同を頂いた後、プーチン大統領、その他の核保有国全ての首脳に「核兵器を使わないと直ちに宣言して欲しい」旨の要請書を、また岸田総理には、広島選出の総理大臣として、これらのリーダーたちに核兵器を使わせないよう働きかけて欲しいという要請書を送付しました。

こうした動きは海外にも広がりました。外国特派員協会での記者会見の模様は多くのメディアが報道してくれました。こちらを御覧下さい。

また、私の友人たちも、ロンドンで発行されているWorld Financial Reviewにインタビュー記事を投稿してくれましたし、No First Use Globalという国際的な活動団体は、ネット上にインタビュー記事を掲載してくれました。それぞれの和訳は、山田達也さんが労を取って下さいましたので、それぞれの第一回の記事のリンクを貼り付けておきます。第二回目以降は、次の日からのシリーズ―ですので、順に辿って頂ければ幸いです。

World Financial Review

No First Use Global

他方、怒りを感じるほど何の動きも示さなかったのが、日本政府ですし、日本の政治家たちです。核兵器禁止条約には反対、6月に開催予定の核兵器禁止条約締約国会議へのオブザーバー参加すら拒否し、国会内で政府に働きかける議員連盟さえ存在しない状況は絶望的でした。

そればかりか、ウクライナ戦争に乗じて「核兵器共有」という飛んでもない発言が「リアリズム」という言葉とともに市民権を得つつあることに、「絶望」を超える行動を取らなくてはならないと感じ始めたのは私だけではないはずです。

そんな時に私の古巣である社民党から声が掛かり、7月の参議院選挙に立候補することになりました。選挙運動の詳細は、近い内にまとめた形で公式のホームページの掲載予定ですが、まずは立候補の決意をこのブログに投稿したものを御覧下さい。

7月10日の選挙で私は当選できませんでしたが、心に念じていた四つの目標のうちの二つは実現しました。① 福島みずほさんが当選し、② 社民党が政党要件を満たす、だけの票を獲得することができました。その報告はこちらです。

7月8日の銃撃事件が暴いたのは、旧統一教会の横暴かつ陰湿な活動であり、自民党との癒着でした。しかし、それ以上にショッキングだったのは、メジャーと称されるマスコミがこうした旧統一教会の本質を全くと言って良いほど報道してこなかったことです。「隠蔽」していたと言うのが言い過ぎだとしても、これほど見事に私たちの目から旧統一教会を隠していた事実は、そもそもマスコミとは何のために存在するのかという基本的な問いを思い起こさなくてはならないほどだと考えています。

そしてそれが政治の本流と切っても切れない間柄であることも重要です。その政治の本流の実態を余すところなく曝し出してくれたのが、国葬です。

私たち元国会議員も声を挙げなくてはならないと考えましたので、連絡の取り易い方々に声を掛け合い、合計24名で、声明文を作り記者会見を開きました。私たちの集まりは、「国の乱れを憂うる元国会議員有志の会」と名付けました。その様子はこちらから御覧下さい。心あるマスコミも報道してくれました。

老骨に鞭打っての行動でしたが、これだけで私たちの役割が終った訳ではありませんので、これからも問題提起を続けます。

昔の仲間たちと久し振りで行動を共にして、随分元気が出てきたのですが、それだけではまだ足りませんでした。ともに数学という学問を学んだり、何らかの形で数学に関心を持ったりしている皆さんとのネットワークを社会問題と結びつけることで、違う視点からの勇気が湧いてくるのではないかと考え始めたのです。

幸いなことに、上野健爾さん、浪川幸彦さん、亀井哲治郎さんが一緒になって、《社会と数学の関わり》を話し合う数学人の集いの「準備会」の開催を呼び掛けてくれました。101日の準備会では、偶数月の第一日曜日の午後8時からZoomで会合を開くことにしました。

124日の第一回の会合も中身の濃い、そして知的にも情緒的にも満足感を覚えることのできるものになりました。次回は25日です。

以上、駆け足で今年を振り返ってみました。2023年にも思いも寄らぬ出来事が出来するかもしれません。それも頭の隅に置きながら、来年の目標もきちんと立てたいと考えています。

 

それでは今日一日が、皆様にとって素晴らしい24時間でありますように。

[2022/12/30 イライザ]

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2022年12月28日 (水)

似非(えせ)日本語を追放せよ!

似非(えせ)日本語を追放せよ!

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昨日のブログで主張した、「説明責任」という言葉を追放せよ、をもう少し一般化すると、「似非日本語を追放せよ」になります。

昨日のこのブログの記事を簡単に復習しておくと、政府が「説明責任」という言葉を使うのは、「責任を取る」という表現を避けるためです。そして「責任を取る」の意味は、辞任することや賠償することです。さらに、「説明責任」の意味も薄めて、何かゴニョゴニョと言葉を並べればそれが説明責任を果したことになる、という雰囲気を作ってしまった結果が今の政治です。

「説明責任」という言葉が出てきたら、「説明責任ではなく、責任を取ると言うべきだ」と直截に反駁しなくてはなりません。それが「説明責任を追放する」の意味です。

そして昨日は、「任命責任」を取らない方便として、またまたおかしな表現が飛び出してきました。岸田総理の言葉、「大臣が辞任したことについては、私自身の任命責任について重く受け止めております。」です。簡単に「任命責任を重く受けてめています」と表記しましょう。

何度も繰り返しますが、「責任」は与えられた側が果たさなくてはならない事柄を指しています。そして、憲法に縛られる公務員(国会議員は特別公務員です)の場合は、責任を果すことができなければ、辞任とか賠償といった形で「責任を取る」というのが順序なのです。

それを「受け止める」で誤魔化してはいますが、実質的には、「そんな責任は取らないよ」と突っぱねているのです。分り易い例で「受け止める」の意味を示しておくと、プロポーズをされた側が(前回のブログではBさんと言っています)、「受け止めました」と言って何もしなかったら、それは、プロポーズを拒否したことになります。

野球でも同じです。キャッチャーがボールを受け止めて、ボールを持ったまま何もしなければ、ゲームは止まってしまうことと同じです。受け止めた側が何か行動を取らなくてはならない状況なのに何もしないばかりか、それが全てであるかのように振る舞うことは日本語の常識としてはあり得ないのです。

つまり、「任命責任を重く受け止める」という表現は、日本語のように聞こえますが、日本語ではないのです。だから「似非日本語」なのです。これも「説明責任」同様、追放しなくてはならない言葉です。

そして、「任命責任」を回避するためのもう一つの「似非日本語」が、「出処進退は自ら判断」、あるいはそれに類した言い方です。河合案里議員について、または寺田元総務大臣の責任について等、問題があると誰かが必ず使うことになる表現です。しかし、憲法99条で憲法遵守義務を負っている公務員としては、憲法に照らして判断すべき案件を「私物化」することを許している表現であることに注目すると、一聞、日本語のように聞こえるかもしれませんが、実際には「似非日本語」です。

政治の世界では日常的に、「似非日本語」が製造され、それに従って醜い現実が生み出される傾向があります。日本語として意味のある言葉なのかどうか、私たち主権者が常にチェックをして、マスコミにも働き掛け、意味のある言葉による政治の復権を実現して行きましょう。

 

それでは今日一日が、皆様にとって素晴らしい24時間でありますように。

[2022/12/28 イライザ]

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2022年12月27日 (火)

「説明責任」という言葉を追放せよ!

「説明責任」という言葉を追放せよ!

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劣化し続ける我が国の政治を救うための簡単な方法があります。「説明責任」という言葉を追放することです。

特にマスコミがこの言葉を使わなくなり、その結果として政治家たちが「説明責任」を使えないようにすることが大切です。そのための第一歩は、私たちがこの言葉を聞いたらすぐ、頭の中で、「説明責任」ではなく「責任を取る」という言葉に変換する習慣を身に着けることです。そして、そんな使い方をしているマスコミに、「使い方が間違っているから訂正すべきだ」という抗議を行いましょう。以下、なぜ「説明責任の追放」なのか、の解説です。

「ボッタクリ政権は退陣せよ」で、問題提起したのは次のような状況です、と敢えて極端な形で糾弾しておきましょう。「ボッタクリ」が続いているのは、「悪いことをしたら責任を取る」あるいは「責任を果せなかったら辞任する」という、当り前の因果関係が日本社会から消えてしまったからなのです。

問題は、「責任を取る」という概念が、あたかも英語の「accountability」の訳であるかのような思考の操作を行い、いや「accountability」の正確な訳は「説明責任」だよ、という誤った印象を作り出してしまったことにあります。

我が国の世論を操作する上で、しばしば使われてきた手法の一つが、日本語の概念を英語に訳して、それをさらに日本語に訳し直すときに生じる違いを利用して詭弁を正当化することです。死刑が合憲だと断定している昭和23年の最高裁の判決がその一例ですが、詳細は小著『数学書として憲法を読む――前広島市長の憲法・天皇論――』(法政大学出版局)の240ページ以下をお読み下さい。

「accountability」を「説明責任」と訳すことで生じる問題点については、2年半前に5回のシリーズで詳説しています。それぞれの回の内容は最後にリンクとともに紹介しますが、今回は、それを「responsibility」と「accountability」の比較から分り易く解説してくれているサイトを見付けましたので、それを元に、再度問題提起をしておきます。(Huff Post 中のブログで、著者は大柴ひさみさんです。)

この中で大柴さんが強調しているのが次の点です。

  • 「responsibility:「誰の責任であるのか?」という時に使われる。
  • 「accountability:「誰が責任を取るのか?」という時に使われる。

これだけだと、違いが十分に見えてこないかもしれませんので、江戸時代の「傘連判状」まで遡っての大柴さんの解説を是非お読み下さい。ここでは、それを踏まえての私の問題提起です。

大切なのはもう一点、「誰に対して責任を取るのか」という点も視野に入れないと全体像が見えてこないことです。

大胆にまとめておくと、「accountability」の文脈までも含めた正しい訳は、次のようなことになるのです。

「accountabilty」とは、自らの責任について疑義が生じたときに、被説明者(誰に対して責任を取るのかというその相手)に対して説明を行うことであり、被説明者――政治の場合は主権者である国民ですが――に説明しても納得して貰えなければ、責任を取るという意味を持つ。政治の場では、「辞任する」「賠償する」等が「責任を取る」ことの意味である。

岸田総理が、スキャンダルを犯した閣僚に対して求めたのは「説明責任」ですが、言葉の上で何かを言えばそれが「説明責任」を果したことになるという、薄められた意味での「説明責任」という言葉の使い方でした。それを多くの市民が感じ取っていたために、批判は止まなかったのです。

そして、「任命責任」とは、人をあるポジションに任命した結果として、満足な結果を残せなかったのであれば、任命した人間が謝罪するだけでなく、辞任するあるいは賠償するといった行動を取ることを意味します。特に、人事は総理大臣の「専権事項」だと主張して何もしないことを正当化する人たちが多いことを勘案すると、その責任を取るのが総理一人であることも明白なのではないでしょうか。

さらにマスコミ等の論調で問題なのは、憲法上、主権者に対してとるべき責任問題を、政局の一局面としてしか捉えない、あるいは総理大臣の慢心の問題としてしか捉えないメンタリティーです。政治の場面でも常に原点に戻って考えて行かないと、最悪の結果にしか到達しないのは、歴史を顧みれば明らかなのではないでしょうか。

以下、2020年の6月以降のブログ「新・ヒロシマの心を世界に」で分り易く説明していますので、順を追って紹介します。

(1) 「無責任」の論理構造 (1)――「令和の無責任男」を解剖する――では、因果関係という視点から「説明責任」と「任命責任」を論じています。

(2) 「無責任」の論理構造 (2)――総理大臣も、主権者たる私たちの「使用人」――憲法99条を元に、誰に対して説明をするのが、「被説明者」に対する政治家も含む公務員の責任を論じています。

(3) 「無責任」の論理構造 (3)――「憲法マジック」と「一億総白痴化」――憲法に書かれている意味とは正反対の解釈が正しいと受け止められている、政治と当時の安倍総理の「任命責任」についての論考の前半です。

(4) 「無責任」の論理構造 (4) ――「一億総白痴化」の具体例としての「説明責任」―― 後半は本論です。読み応えはあるはずですので、是非お読み下さい。

 (5) 「無責任」の論理構造 (5) ――「説明責任」が「責任」の意味を変えてしまった―― 大岡裁きでの「申し開き」が「説明責任」の意味であることを指摘しています。

岸田政権が倒れても、自民党内での政権のたらい回しが続けば今の状態が続くことは、安倍政権が倒れても何も変らなかったことから明らかです。

変えるためには、「説明責任」という言葉を追放しましょう。何か言葉にすれば「説明責任」を果したことになっている現状に警鐘を鳴らしましょう。ほとんどの場合、その詐欺的用法でしかこの言葉を使っていないマスコミに、その度に抗議しましょう。

 

それでは今日一日が、皆様にとって素晴らしい24時間でありますように。

[2022/12/27 イライザ]

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2022年12月23日 (金)

ボッタクリ政権は退陣せよ!

ボッタクリ政権は退陣せよ

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昭和時代の価値観をお持ちの方には納得して貰える比喩だと信じていますが、防衛力強化のための「増税」には、大きな違和感があります。「プロポーズもされていないのに、豪華な披露宴の費用はお前が払えと言われている」のと同じくらい、いやそれ以上の違和感です。

そもそも結婚をする手続きで一番大切なのは、お互いの同意のあることです。どちらでもよいのですが、多くの場合、男性(Aと呼びましょう)から女性(Bと呼びましょう)にプロポーズをして、「Yes」という返事を貰ってから次のステップに移ります。

結納等のしきたりもありますが、結婚式が執り行わなれ、その後、披露宴という順番で事が進むというのが昭和の時代の「常識」でした。それに加えて、披露宴の費用はA、つまり男性側が出すというのも昭和の常識の一部だったような気がします。

ところが、岸田軍拡政権のシナリオでは、政権を支配するAが、国民Bにプロポーズもしないままに、結婚式についての相談もなく、いきなり、Bに金を出せと要求しています。これが、結婚についての話であれば、「プロポーズもされていな私に、いきなり披露宴の費用を出せと言ってくるなんて、人を馬鹿にするにもほどがある。こんなことが平気で出来るAとは、即座に絶交」という結論になるでしょう。

でもこれって、岸田政権で輪を掛けて露骨になった、独裁政治の姿そのものですよね。つまり、独裁政権が政治的決定をする。その決定については、主権者である国民には図らずに、そして国民の納得がないにもかかわらず、生活・金・権利・命・民主政治という私たちにとって一番大切なものを権力側に差し出せと要求し、奪い取る、という手法です。

そのたびに説明するのも大変なので、このようなやり口を一言で「ボッタクリ」と表現することにします。何の説明もなく命を差し出せ、金を出せと要求する政権、つまりボッタクリ政権には、憲法15条、公務員の任免権が国民にあることを盾に、退陣を要求しましょう。

例えば、国葬がその一例です。何度も指摘していますが、新憲法が成立した直後、憲法にそぐわないからと廃止された「国葬令」でも元にしない限りは実現できなかったはずの国葬を「国葬儀」という名称で強行したことを思い出して下さい。まだ3か月しか経っていないのですよ。法の支配の「ボッタクリ」です。

原発の再稼働や稼働期間の延長、新設についての検討開始等も同じことです。問題はたくさんありますが、ここでは、何万年も毒性の続く放射性廃棄物が未来永劫の世代への負担となることだけを指摘しておきましょう。これも未来世代に対しての「ボッタクリ」です。

安倍内閣から顕著になった統一教会のやり口も同じパターンですね。「信者」の思考を支配して、合理的な判断ができない状態で、多額の寄付や高価な買い物をさせる、というのも「ボッタクリ」です。

それとほぼ同じ手口になりますが、特殊詐欺、「オレオレ詐欺」等の名前で呼ばれる詐欺も「ボッタクリ」です。嘘で善意の人を騙して、金品を巻き上げるのですから。

再度、強調しておきましょう。憲法99条で遵守義務を負わされている内閣が、憲法違反を繰り返して「ボッタクリ」をしているのですから、その責任を取って退陣するのが、憲法の想定しているシナリオです。

それが話題にさえならないのには理由があります。「説明責任」という言葉のまやかしです。次回にはその説明をしますが、まず今回は、「説明責任」という言葉の意味を正確に使って、状況を理解しておきましょう。

今回取り上げたケースに共通しているのは、お金や生活、命まで差し出すことになる側、つまりB側に対して、A側が説明責任を果していないことです。ここでの「説明」とは事実に基づいた合理的説明を指しています。それがないのです。

嘘を吐くことは論外ですが、それも事実に基づいていないという点で同じ範疇にくくります。それなりの説明らしきものがあったとしても、B側の納得が行かなければ、説明責任を果したことにはなりません。そこで、A側は、自らの主張を取り下げるというのが、例えば結婚のプロセスでは当たり前のことなのです。それ以外のシナリオは考えられません。

これが「責任を取る」という意味ですが、そんなに簡単なことが、政治の世界から消えてしまっているのです。それは「説明責任」という言葉のまやかしに、多くの人々そしてマスコミも騙されてしまっているからです。それは次回に。

[註: 今日のブログを結婚の話から始めたのは、12月23日がもうかなり前に亡くなった両親の結婚記念日だからです。]

それでは今日一日が、皆様にとって素晴らしい24時間でありますように。

[2022/12/23 イライザ]

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2022年12月17日 (土)

独裁政治を繰り返すな 修正版

独裁政治を繰り返すな 修正版

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二月前にお知らせしたように、「面白いプロジェクトを始めていますので、ブログとツイッターはしばらく休んでいます。」という状態なのですが、でも、社会的関心が「ゼロ」になったわけではありません。

我が国にとって歴史的な日となった1216日、岸田内閣は安全保障関連3文書を閣議決定して、「戦後安全保障政策の大転換」を宣言しました。国民的議論が全く存在しない形で国の基本的な姿勢を変えてしまうことを宣言したのですから、「独裁」以外の形容詞でこの大転換を表現することはできません。

戦後の安全保障政策」を簡単にまとめると、最初の逸脱は、「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」そして、「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」と規定した憲法に反して、軍隊を保持したこと。

第二に、その言い訳として「専守防衛」という苦しい説明を続けてきたこと。つまり軍隊は日本という地理的な範囲から外には出さないことですが、それは「海外派遣」でいとも容易に破り捨て、最近の例を挙げると、それさえ踏みにじって「集団的自衛権」を認め「専守」を反故にしたことを挙げておきましょう。

そして、ウクライナ戦争で明らかになっているように、最近の戦争は敵国の軍事施設・民間施設を問わず、ミサイルで攻撃するのが主流になってきています。それを、取り繕うために、「敵基地」を攻撃しているのだというのが、何度もロシアの使った言い訳です。

それこそ「敵基地攻撃能力」なのですが、日本もその力を公然と使うぞと宣言したのです。つまり、ロシアのような攻撃ができるし、そうするぞと言ったのも同じです。それが今回の閣議決定です。

戦争を鼓舞する政策にはお金が掛かりますが、それを増税で賄うことになるのは好戦指向を持つ人たちにとっては当然の理屈です。税についての議論は回を改めて論じますが、今回は、政治の理非を論じる上で二つの重要な「事実」を指摘しておきます。

一つは、総理大臣が「独裁」的な行動を取った場合の決着の付け方です。19946月、自民党や新党さきがけと連立政権を樹立し、総理大臣になった村山富市氏は720日の衆議院本会議手、当時の社会党員にはほとんど相談もなく、当然、より多くの市民への説明や相談もなく、「自衛隊は憲法の認めるものだ」と断定しました。

私はこれを「独裁」的手法の一例だと考えています。総理大臣になったからといって国民的には多数の支持があった考え方を、数秒でひっくり返したのですから、そう言われても仕方がないでしょう。

そんな内閣を実現するために私も骨を折りましたので反省を込めて、その後、社会党の改革に取り組みました。詳しくは、機会を改めて説明します。

敢えて村山内閣の評価を続けると、総理大臣として、これほど大きなマイナス行動をした村山氏は、終戦後50年に当る翌1995年には、第二次世界大戦・太平洋戦争そして戦後の総括を行う「総理大臣談話」で、保守派から妥協を勝ち取り、それなりに意味のある内容に踏み込んだ文書を作っています。一方では「自衛隊合憲」と歩み寄り、もう一方では我が国の「戦争責任」について歩み寄らせたのだという解釈も可能です。この「取引」をどう評価するのかも大切ですが、岸田内閣で「総理大臣談話」に相当するものは何になりそうなのかについて、何方かに教えて頂ければ幸いです。

第二の点は「敵基地反撃能力」についての心配です。

この言葉を聞いたとき、何より先に私の頭に浮かんだのは「真珠湾攻撃」です。高校生の時にアメリカに留学して、アメリカ人の世界観の基本には、一つの国家が取り得る最悪の事例として194112月7日の日本による「真珠湾攻撃」が定着していることを何度も体で感じた経験があったからです。そしてそれは多くのアメリカ人の心の中に今でも生きています。

日本が経済的にアメリカの脅威であると恐れられていた1980年代とは違い、影の薄い我が国ではありますが、「Black Lives Matter!」と叫ばないと人権を守れないという側面も持つアメリカで、日本に対して無条件で突き付けることのできる謳い文句を与えるような施策をわざわざ声高に採用する意味も考えなくてはなりません。老人の杞憂に過ぎないことを祈りつつ。

次回は増税について取り上げます。

 

それでは今日一日が、皆様にとって素晴らしい24時間でありますように。

[2022/12/17 イライザ]

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2022年10月 7日 (金)

「自然に」溜まってしまったコードやケーブル類の廃棄と整理

「自然に」溜まってしまったコードやケーブル類の廃棄と整理

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廃棄するコードやケーブル類です

広島出身初の総理大臣加藤友三郎が、縁故や同郷といった関係で人の評価をしなかった点、そして彼の平和や財政についての貢献をもっと多くの人に知って貰いたいと考えています。それは、ツイッター上で続けます。

今回は、先日のこのブログで言及した「コード類」とは何を指すのかについての問い合わせを頂きましたので、写真付きで説明をします。そして、このような「質問」に対して岸田総理や政府の高官の皆さんだったら、「いろいろなコードのことを指します」とでも説明して何度でも繰り返し、それが「丁寧な」説明だと言って終りでしょうが、それに「丁寧な」という形容詞を付けてはいけません。写真を付けたりコードやケーブルという形で、そして用途にまで言及するような説明を「丁寧な」説明と言うのです。

これをお読みの皆さん、「自画自賛」になってしまって申し訳ありません。でもこのくらいのことを言わなければ「丁寧な」という言葉に失礼になるから、という気持を御理解頂ければ幸いです。さて本題に戻ります。

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こちらが整理をして用途別に分けたコードやケーブルです。左にあるのはHDMIのケーブル、一番右は電源コード類です。中の4つの箱には、LANケーブルやテレビ用の同軸ケーブル、ステレオのスピーカー用のケーブルなども入っています。結局、「廃棄」に至らなかった物の方が多い感じですが、無印で買ったいくつかの箱に入れることでコンパクトにまとめられましたし、自分なりには「美しい」とさえ言って良いのではないかと思っています。何より省スペースになりました。

それでは今日一日が、皆様にとって素晴らしい24時間でありますように。

[2022/10/6 イライザ]

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2022年10月 6日 (木)

岸田総理、丁度100年前に広島出身初の総理大臣になった加藤友三郎を見習って下さい

岸田総理、丁度100年前に広島出身初の総理大臣になった加藤友三郎を見習って下さい

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丁度100年前の1922年6月に総理大臣になった加藤友三郎 (私にとって先生のような存在なのですが、敬称は略します) について、今年中に詳しい業績を書こうと考えていたのですが、「今」を逃して警鐘を鳴らしてもその効果は薄くなると思いますので、ポイントだけアップさせて頂きます。

「今」が大切なのは、岸田総理が長男の翔太郎氏(31)を政務担当の首相秘書官に登用したからです。家族で権力を独占するのは封建社会や独裁政治常套手段ですが、最近では、トランプ米大統領の娘、イヴァンカ・トランプ氏が大統領補佐官に起用されたり、北朝鮮の金正恩最高指導者の妹、金与正氏が国務委員会委員に就任していることなどが頭に浮かびます。どちらも、好感を持って受け入れられてはいないようです。

そこで我が国に戻りますが、タイトルに示したように、2005年に加藤友三郎についての短い一文を綴っていました。今回はそれをお読み頂きたいのですが、中でも大切なのは加藤師本人の言葉として伝えられている、「縁故者を重用しない」という方針です。これが家族にも当てはまることは言うまでもないでしょう。

また、内外の反対を押し切って、「軍縮」そして「緊縮財政」に貢献した生涯も是非、100年後の政治家が、特に広島に縁のある岸田総理には見習って貰いたい点です。ことによるとこの「警鐘」は遅過ぎましたかね。

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  伊藤博文以来、わが国の総理大臣経験者は、全部で56人いますが、「広島出身」で誰でも直ぐ頭に浮かぶのは、宮澤喜一そして池田勇人の両氏でしょう。「では広島出身の総理大臣は」と聞かれて、「加藤友三郎(以下敬称略)」と即答できる市民は余り多くないように思います。

  明治維新後、薩長中心の新政府が誕生し、総理大臣は山口県と鹿児島県から交替で出していた時期が続きました。その後、他の都府県生れの総理大臣も誕生しましたが、未だに、総理大臣を一度も出していない道・県が半分くらいあります。ましてや、全国に3000ほどある市町村のほとんどは、総理大臣を生んでいないのです。

  となると、数少ない総理大臣出身地の一つである広島市が、お国自慢の一つとして「加藤友三郎」ブランドをもっとPRしても良いのではないでしょうか。しかも凡庸な大臣もいる中で、加藤友三郎は名宰相の一人だったのです。

  経歴としては、広島出身者として初めての海軍大将、初の海軍大臣、そして初の総理大臣です。ただし、加藤友三郎自身は、このような枠組みで評価されることを歓迎したかどうかは分りません。それは、最近出版された田辺良平氏による好著『わが国の軍備縮小に身命を捧げた 加藤友三郎』の中に友三郎自身の言葉として次のような一節があるからです。

  「自分は有用の人物であれば同郷人であろうがあるまいが、推薦もしくは引き立てもするが、ただ同郷の人であるというのみで、特別に世話をすることは出来ぬ。自分は従来そういう主義で来ているのだから、同郷人の間での評判は定めし悪いであろうが致し方ない」

  しかし、私たちの脳裏からこの偉大な政治家の存在が薄れてしまったのは、恐らく、比治山にあった彼の銅像まで戦時中に金属回収のため供出されたことが原因だと思います。

  海軍の軍人としての加藤友三郎は、100年前の日本海海戦で東郷平八郎元帥と共にロシアのバルチック艦隊を破ったことで有名ですし、他の多くの功績も良く知られています。それ以上に評価されているのが、大臣そして総理大臣としての仕事です。

最も大切なのは、1921(大正10)にワシントンで開かれた軍縮会議において、米英日の主力艦比率を553にするという内容の合意を取りまとめ、その後、その線に沿って軍事費を削減し、健全財政を目指したことにあります。

  官僚制度そのものとも言える現在の外交とは違った時代だったのかも知れませんが、稀有の国際感覚と、自国への誇り並びに優れた現実把握能力の持ち主が、柔軟かつ果敢な決断によって、国難を救い世界的に高い評価を受けたのです。

  平和の象徴としてのヒロシマに軍縮推進の巨人、加藤友三郎のイメージが加わることで、私たちの核兵器廃絶への願いが、より説得力を増し、より多くの人に受け入れられるように思うのですが。  

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より詳しい「加藤友三郎論」は、機会を改めてアップします。それでは今日一日が、皆様にとって素晴らしい24時間でありますように。

[2022/10/6 イライザ]

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