日本政府

2023年10月 1日 (日)

投下責任の「棚上げ」と米政府、広島市・市長そして外務省 ――「本音が出ると大問題」を回避――

投下責任の「棚上げ」と米政府、広島市・市長そして外務省

――「本音が出ると大問題」を回避――

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慰霊碑に向って恥ずかしくない言動を!

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9月26日のこのブログでは、次のようにお約束しました。

「広島市と広島市長も得をする側なのかもしれません。長くなりますので、この点は次回以降に回します。」

「得をする」人たちの最初にアメリカ政府と、「Good War」を信奉する人たちを挙げておきましょう。平和公園とパール・ハーバー国立公園の姉妹公園協定を提案した人たちですし、「パール・ハーバー ()⇒ 原爆()」というシナリオを存続させるためには、広島市がその点についての反論を「棚上げ」すれば、自分たちの言い分が通るからです。

もう一点今までは触れてきませんでしたが、とても引っ掛かるマスコミ報道の仕方に注意喚起です。ほとんどの記事では、「市の幹部」が棚上げ発言をしたと述べるだけで市長との関連には触れていません。一つだけ見付けましたが、それはヒロシマ平和メディアセンターの9月27日の記事で、「野坂課長は「棚上げ」発言は松井一実市長の了解を得ていたと説明。「米国の責任を免罪するものではない」と理解を求め、撤回は否定した。」

それでも、棚上げの主体は例えば野坂課長で、市長は単に「了解」しただけ、という図式になります。その後に、「これは単なる手続き上の行為で、その内容までには責任は持てない」といった言い訳が出て来てもおかしくない報道の仕方です。

何故、正直に、広島市の重要事項についての決定責任者である市長が、棚上げをすることにした、と報道し、市の幹部の責任ではなく市長の責任を問わないのでしょうか。この辺りの事情を究明するのも実はマスコミの役割ではないでしょうか。

そして、ある意味責任逃れを認められた市長にとってはこの報道は「得」の部類に入ります。

さて、市長と市がなぜ得をしたのかを考えて見ましょう。穿った見方だと思われる方もいるかもしませんが、そうだとすると、他の可能性について、外務省・日本政府の役割も含めてどんな説明になるのか、是非教えて下さい。

ここで再度、外務省の原爆についての見方を復習しておきましょう。

一言で表現すると、「原爆投下は合法だ」になるのですが、それは、23日のこのブログの記事――1963年の下田裁判での被告としての国の言い分――を読んで頂ければ明らかです。そして、24日のブログでは、広島市の平和行政が外務省の意のままになっていることを指摘しました。

となると、今回の「棚上げ」も、外務省の差し金だということになりそうなのですが、そうだと仮定して、何故もっと外務省の本音に近い表現にならなかったのでしょうか。例えば、「「パール・ハーバー ⇒ 原爆」については、国レベルではもう決着していることですので、それを踏襲しました」辺りはどうでしょうか。

でも、そう言ってしまうと、日本政府・外務省が有耶無耶にしてきた、原爆投下についての日本という国家の本音が分ってしまいます。さらに、「広島市・広島市長がそんな発言をすることは決して許せない」、という轟轟たる非難の嵐が起きても不思議ではありません。

「棚上げ」することで、その両者を避けられたのですから、「得」をしたのは、広島市・広島市長、そして日本政府・外務省ということになりますね。

G7広島サミットで、「被爆地広島出身の総理大臣」を名乗って、核兵器の容認と核抑止論賛美の最終文書を「ヒロシマ・ビジョン」としてまとめた裏切り行為を理解するためには、「棚上げ」のカラクリがその本質を見せてくれていると考えるのは、穿ち過ぎでしょうか。

 

最後に皆さんにとって、今日一日が素晴らしい24時間でありますよう!  

 [2023/10/1 人間イライザ]

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2023年9月28日 (木)

「いま一番先にやることは公務員のウソ退治」 ――井戸川裁判の第26回口頭弁論を傍聴しました――

「いま一番先にやることは公務員のウソ退治」

――井戸川裁判の第26回口頭弁論を傍聴しました――

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口頭弁論前、井戸川さんが裁判所前で情熱的にアピールする姿

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今、上京中です(昨日は移動日で、ブログもツイッターも休みました。) そして27日には、井戸川裁判 (福島ひばく訴訟とも呼ばれます)の第26回口頭弁論を傍聴しました。実は、私はこの訴訟を支援する会の呼び掛け人なのですが、関東地方にお住まいの皆さんのように、積極的にお手伝いすることができずに心苦しく思っていました。

今回は、上京日時と口頭弁論の日にちが一致しましたので、井戸川さんと井戸川さんの裁判を支援する会の皆さんを激励できればと、裁判を傍聴することにしたのです。そして、改めてこの裁判の意義と井戸川さんの情熱とコミットメント、相変わらぬお元気の姿、そして支援者の皆さんの力強さと優しさに触れることができ、大変元気になりました。

同時に裁判を傍聴しながら、日本の司法制度の問題点や、被告の東電と国の無責任さ、福島の原発事故の被害の深刻さ、マスコミや政府に操られて真実を知ることのできない「国民」の不幸度等々、多くのことを考えさせられました。

出張先で、今はその全てについて報告するだけの力が残っていません。でも、井戸川さんの言葉、「いま一番先にやることは公務員のウソ退治」は、胸に突き刺さりましたし、良くぞ言ってくれたという思いで受け止めました。さらに、皆さんにもこの裁判の行方に関心を持って頂くために、第一回口頭弁論での原告・井戸川さんの言葉をお届します。

私は、今回の原発事故により、計り知れない被害を受け、数えきれないほど多くのものを失いました。

原発事故直後に大量の被ばくをしました。これにより、今日までの間、健康被害の恐怖や不安に脅え続けています。この恐怖は、一生涯にわたり続くものです。また、原発事故により、強制的に故郷を追われ、長期間にわたり不慣れな土地で避難生活を強いられています。避難生活の過程で被った苦痛は、筆舌に尽くしがたいものです。しかも、避難生活は、故郷に戻れるまでの間、半永久的に続きます。さらに、原発事故により、家督や故郷、仕事や財産、コミュニティや伝統文化、平穏な日常生活や自然環境、将来の夢や希望などが根こそぎ奪われました。私は、故郷を愛し、井戸川家を大切にするとともに、双葉町町長として、すべての町民が夢と希望を持って生活できるように、自己犠牲を払ってきたつもりです。しかし、今回の原発事故により、すべてを失ってしまいました。

今回の原発事故は、国や東京電力の落ち度による人災です。それなのに、国や東京電力は、何の落ち度もない私たちからすべてを奪った責任を取ろうとはしません。私は、国と東京電力に対し、被害の完全な回復を求めて、今回の裁判を起こしました。

(第1回口頭弁論 「原告意見陳述」冒頭部分より)

元双葉町長 井戸川 克隆

井戸川裁判 (福島ひばく訴訟) を支える会のホームページはこちらですので、「井戸川かわら版」をはじめ、勇気ある行動の実例が数多く盛り込まれている報告を御覧頂ければ幸いです。

 

最後に皆さんにとって、今日一日が素晴らしい24時間でありますよう!  

 [2023/9/28 人間イライザ]

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2023年9月25日 (月)

アメリカを見ずに広島は語れない ――「パール・ハーバー」⇒原爆という「岩盤的」信念を守りたい人々――

アメリカを見ずに広島は語れない

――「パール・ハーバー」⇒原爆という「岩盤的」信念を守りたい人々――

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アメリカの「岩盤的」信念を理解しないと分らないこともあります

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「原爆の責任議論は棚上げ」が、日本政府・外務省の、「原爆投下は合法」という考え方に沿うものであることはお分り頂けたと思いますが、まだ半信半疑の方々、そしてなぜ今なのか等、次の疑問をお持ちの方に参考にして頂きたいのは、いまアメリカで起きていることです。上のスライドには、その内の三つの事実を掲げました。

一つ目は、世界的に「空前のヒット」(東京新聞ディジタル版9月22日号の見出し)策としてもてはやされている映画「オッペンハイマー」です。この記事によると、興行収入は世界で9億1,200万ドルを超え、伝記映画では過去最高の興行成績だとのことです。

その点からだけもこの映画が、「原爆の父」として知られ、「アメリカの理論物理学を偉大にするために誰よりも大きな貢献をした」(*1)と、ノーベル賞受賞物理学者のH.ベーテが述べたようなオッペンハイマーのイメージを損ねるものでないことは明らかでしょう。

となると、原爆の製造と使用の正当性に否定的ではなかった多くのアメリカ人が、「原爆の父」であるオッペンハイマーを改めて思い起こすことが、原爆の投下は間違いだったと考える切っ掛けにはなり難いと考えるのが自然でしょう。それどころか、原爆投下は正しかったという考え方を補強する好材料にはなると考えても問題はなさそうです。

そんな目的のためにこの映画が作られたという積りは全くありませんが、例えば、2015年のYouGovという世論調査会社の調査では、46%ものアメリカ人が原爆投下は正しかったと回答しています。

ここで、「もの」に下線を付けましたが、それは、99日の、9条連近畿地域連絡会主催の講演会で質問された方の意図を反映しています。「被爆者の体験を聴いたり、資料館を見学すれば原爆が如何に残酷で、非人間的なものだということは誰にも否定できないはずなのに、何故、半分ものアメリカ人が原爆投下は正しかったと信じられるのでしょうか?」というものでした。

その通りなのですが、アメリカでは1945年の秋の世論調査では85%とか90%もの人が原爆投下は正しいと考えていたのですから、そこを出発点にすると、その数字が半分以下になったという事実は、大変に憂うべきことだと受け止める人々がまだ多く残っていても不思議ではないのです。

その傾向を押し止めるために、この映画が作られたとは言えないでしょうが、結果としてこの映画が少しはその役割を果していると考えられることは否定できないでしょう。

それは、20世紀後半のアメリカという国家の依って立つ、「勧善懲悪」観を守ることに他なりません。その価値観は未だにアメリカ社会の「岩盤」として残っています。つまり、「パール・ハーバー」という「絶対悪」を、「善」の代名詞であるアメリカが原爆によって破ることで、世界の秩序を守ったというシリオです。加えて、ナチス・ドイツまで懲らしめたのですから、アメリカ社会にとって第二次世界大戦は「Good War」なのです。

広島の平和公園と、パール・ハーバー国立公園の姉妹公園協定は、「Good War」を信奉する「岩盤的」信念の持ち主たちから見れば、このシナリオの確認だとしてもおかしくはありません。

終戦時、そして終戦後の日本側は、天皇制を維持するため、また昭和天皇を東京裁判の被告にしないために、このシナリオを受け入れた、さらにそれが今でも生きているというのが、矢部宏治著『日本は何故「基地」と「原発」を止められないのか』(2014年、集英社)の解釈です。

となると、これで全てがつながることになります。

しかしそれなら、「棚上げ」ではなく、「原爆投下は合法」を強く打ち出した方が分り易いはずなのですが、これにも理由がありそうです。それは、次回、考えたいと思います。

 (*) 藤永茂著『ロバート・オッペンハイマー 愚者としての科学者』(1996年、朝日新聞社。2021年、筑摩学芸文庫)の後者438ページから引用。

 

最後に皆さんにとって、今日一日が素晴らしい24時間でありますよう!  

 [2023/9/25 人間イライザ]

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2023年9月24日 (日)

原爆の責任議論を「棚上げ」したのは何故か ――一つは、外務省が広島の平和行政を仕切っているから――

原爆の責任議論を「棚上げ」したのは何故か

――一つは、外務省が広島の平和行政を仕切っているから――

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資料館も平和文化センターの所管です

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昨日の問題提起を再録します。

「政府・外務省が原爆投下は合法だと考えていることはお分り頂けたとして、「被爆地には米国の投下責任を問う声が根強くあり」と言われる、その広島の声を代弁すべき「広島市」がなぜ、「米国の責任の議論を現時点で棚上げにし」たのでしょうか。」

答は、広島市の平和行政が外務省に乗っ取られているからです。

それは、人事を見ることで納得して頂けるはずです。広島市の平和行政を中心になって回しているのは、公益財団法人の広島平和文センターです。広島平和記念資料館もこの広島平和文化センターの所管です。その理事長の仕事が2013年から今まで、全て外務省の天下りポストになってしまっているのです。

このセンターは1976年の発足以来、理事長職には、広島で原爆記者と呼ばれるような活動をしてきたジャーナリスト出身者や、広島の平和運動についての理解者が選ばれました。私が市長の時には広島の世界的な発信力を強めるために、アメリカ人の平和活動家に理事長をお願いしました。

この人たち全て、「棚上げ」を許容することなど考えられない人たちばかりです。

そして、天下り人事の決定としか思われないことの一つは、2017年と2018年の広島の平和宣言です。2017年に国連総会で、核兵器禁止条約が採択されましたが、その直後に外務省は、「日本政府は署名も批准もしない」と明確に意思表示をしました。

それを尊重したせいでしょうか、広島の平和宣言は2017年と2018年の平和宣言では、日本政府に対して「署名すべきだ」とも「批准すべきだ」とも主張していないのです。2019年になってようやく「核兵器禁止条約への署名・批准を求める被爆者の思いをしっかりと受け止めていただきたい。」という形ですが、署名と批准を求める立場を取りました。

しかし、それは2年掛けて私たち市民が広島市に強力に働き掛けた結果です。それでも2年も掛かったのですから、相手の手強さは尋常ではありません。

誰の差し金も受けないで、広島市がこのような姿勢を取ること考えられない、と思ったのは私だけでしょうか。

さらに、今年になってからは、『はだしのゲン』や第五福竜丸についての記述を平和読本から削除し、それまでは「核廃絶」を提唱していたにもかかわらず、それを「核軍縮」に弱めてしまいました。また、広島の平和公園と、ホノルルのパールハーバー国立公園との姉妹公園協定を結んだのも、一連の流れに沿っています。

では改めて、平和公園とパールハーバー国立公園の姉妹公園協定がなぜ浮上したのかを考えると、必然的に今年5月のG7広島サミットと関連しているのだろうと思わざるを得ないのですが、同時にアメリカで何が起きているのかも参考になりそうです。

次回はその視点から考えて見たいと思います。

 

最後に皆さんにとって、今日一日が素晴らしい24時間でありますよう!  

 [2023/9/24 人間イライザ]

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2023年9月23日 (土)

今、広島で起きていること (2) ――大阪講演報告5・「原爆の責任議論は棚上げ」した広島市――

今、広島で起きていること (2)

――大阪講演報告5・「原爆の責任議論は棚上げ」した広島市――

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「米国の責任議論は棚上げ」の意味を考えよう

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昨日のブログの最後に、「日本政府が「原爆投下は合法」だと考えているなどとは、ほとんどの人が知らないことらしいのですが、実は私はそのことにも吃驚しているのです。」と書きましたが、改めて、日本政府の意図を踏まえた事件が起きました。

一昨日、21日の広島市議会の一般質問で、広島の平和公園とホノルルのパールハーバー国立公園との姉妹公園協定が取り上げられました。

その件についての市側の答弁が、「協定は、原爆投下に関わる米国の責任の議論を現時点で棚上げにし、まずは核兵器の使用を二度と繰り返してはならないという市民社会の機運醸成を図るために締結した」(*)だったのだそうです。

これについての中国新聞の報道では、「被爆地には米国の投下責任を問う声が根強くあり、波紋が広がっている。」(*)とのことですが、意地悪くこの部分を読むと、被爆地以外では投下責任を問う声があまり大きくないという含意さえ読み取れます。

[ここで引用している二つの言葉には(*)を付けましたが、中国新聞のディジタル版からです。]

でもこのような報道も、日本政府が「原爆投下は合法だ」と考えており、多くの日本国民がそれを許しているという前提を設ければ、全く問題はありません。

しかしながら私には、国民が許しているのではなく、単に政府の姿勢を知らないだけなのではないかと見えますので、改めて、日本政府の考え方を、9月9日の大阪講演では資料としてのみお渡しした、下田判決の概要を示すことで知って頂きたいと思います。

東京地方裁判所は1963年12月7日に、「下田判決」として知られる判決を下しました。1955年(昭和30年)4月、広島の下田隆一さんら3人が、国を相手に東京地裁に損害賠償とアメリカの原爆投下を国際法違反とすることを求めて提起した訴訟の判決です。

その内容は、

  • 原告の損害賠償請求は棄却。
  • アメリカ軍による広島・長崎への原爆投下は国際法に違反する。
  • 被爆者はアメリカに対する損害賠償請求権を持たない。

というものでしたが、裁判長は特に、次のようなコメントをしています。

 「国家は自らの権限と責任において開始した戦争により、多くの人々を死に導き、障害を負わせ、不安な生活に追い込んだのである。しかもその被害の甚大なことは、とうてい一般戦災者の比ではない。被告がこれに鑑み十分な救済策を執るべきことは、多言を要しないであろう。それは立法府及び内閣の責務である。本訴訟をみるにつけ、政治の貧困を嘆かずにはおられない。」

 この裁判は「 原爆裁判」としても知られていますが、被告としての日本政府の言い分は、「原爆投下は合法だ」なのです。裁判中の言い分を要約しておきましょう。

  • 「原子爆弾使用の問題を、交戦国として抗議をするという立場を離れてこれを客観的に眺めると、原子兵器の使用が国際法上なお未だ違法であると断定されていないことに鑑み、にわかにこれを違法と断定できないとの見解」
  • さらに「その当時原子兵器使用の規制について実定国際法が存在しなかったことは当然であるし、また現在においてもこれに関する国際的合意は成立していない」という理由で原爆使用の違法性を否定。
  • またハーグ陸戦法規などの諸条約は原子兵器を対象とするものではないので無関係だという立場。
  • 「敵国の戦闘継続の源泉である経済力を破壊することとまた敵国民の間に敗北主義を醸成せしめることも、敵国の屈服を早めるために効果があり」、広島・長崎への原爆投下も日本の屈服を早めて交戦国双方の人命殺傷を防止する効果を生んだと主張。

下田判決の原文コピーは、このサイトで読むことが可能です。

その後も、1994年には、外務省の高官が、「核兵器使用は国際法違反」と主張する輩は馬鹿だ、と発言していますし、1995年には、国際司法裁判所で広島・長崎市長が核兵器は国際法違反だと陳述するのを妨害しているなど、核兵器は国際法違反ではない(つまり合法である)、との主張は変えていません。

核兵器の保有や使用、威嚇等が国際法違反だとすると、当然、広島・長崎への原爆投下も違法になる訳ですから、この点は譲れないのでしょう。

政府・外務省が原爆投下は合法だと考えていることはお分り頂けたとして、「被爆地には米国の投下責任を問う声が根強くあり」と言われる、その広島の声を代弁すべき「広島市」がなぜ、「米国の責任の議論を現時点で棚上げにし」たのでしょうか。

長くなりましたので、次回に。

 

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 [2023/9/23 人間イライザ]

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2023年9月22日 (金)

今、広島で起きていること ――大阪講演報告4・外務省や日本政府抜きには語れない――

今、広島で起きていること

――大阪講演報告4・外務省や日本政府抜きには語れない――

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G7広島サミットでの「ヒロシマ・ビジョン」は、「ヒロシマの心」を蔑ろにしたものでした。

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もう10日も経ってしまいましたが、9月9日、大阪のPLP会館で「憲法9条--世界へ未来へ近畿地方連絡会」主催の講演会が開かれました。講師の私に与えられたテーマは、「弄ばれたヒロシマ  前広島市長から見た「G7広島サミット」について」でした。今回は、その報告の第4回目です。

テーマが、G7広島サミットですし、中でも、核兵器と安全保障が私たちの関心事です。この点についてG7サミットでどんな結果になったのかは、「核軍縮に関するG7首脳広島ビジョン」(略して「ヒロシマ・ビジョン」)としてまとめられた文書に全て盛り込まれていると考えて良いでしょう。

その要旨を一枚のスライドにまとめたのが、最初の画像です。もう4か月も前のことなのですが、記憶を確かめて頂ければ幸いです。でもそれだけでは、広島で何が起きているのか、と言うより、正確には「ヒロシマ」という触れ込みで、多くの人の目を眩ませている現実までは分りません。ましてやその点について、大多数の人が気付いていないという状況にも思いが至らないでしょう。

分って貰うためには、これまでの外務省・日本政府が核兵器についてどのような態度を取ってきたのかをお浚いしておかなくてはなりません。それが次のスライドです。

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当日の質問・コメントにあったように、この中でも、日本政府が「原爆投下は合法」だと考えているなどとは、ほとんどの人が知らないことらしいのですが、実は私はそのことにも吃驚しているのです。

その他の項目についても、皆さんは意外だと感じられているのかもしれません。時間は掛かりますが、そしてこれまでにも何度も繰り返してきてはいるのですが、改めて、説明して行きたいと考えています。

 

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 [2023/9/22 人間イライザ]

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2023年9月20日 (水)

岸田外交の本質 ――核兵器禁止条約締約国会議にオブザーバ参加さえ拒否する理由は?――

岸田外交の本質

――核兵器禁止条約締約国会議にオブザーバ参加さえ拒否する理由は?――

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本来なら先頭に立って世界を牽引しなくてはならない日本政府がこの体たらく

 

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何度、内閣改造を繰り返しても岸田内閣の外交は変りません。もちろん、核兵器禁止条約の締約国会議へのオブザーバー参加も拒否し続けるでしょう。岸田内閣の本質は外務省の意向に従うだけだからです。

そのことがハッキリ分るように、核兵器禁止条約締結のための国連の動きを年表にまとめました。「OEWG」は、公開作業部会のことで、この部会で市民社会の代表も参加してほぼ理想的な形の核兵器禁止条約案をまとめました。

それを国連総会に提出して、今度は条約締結のための交渉を始めることになったのですが、一連の動きの中で、日本政府は、反対・棄権・不参加という形での対応しかしていません。本来なら、世界の先頭に立って、この条約を作るために「唯一の被爆国」として汗水垂らして働くべき立場の日本ですから、さすがに全部反対という訳には行かなかったのでしょう。そして、核兵器廃絶のためには最重要だったこの時期は、岸田外務大臣の任期とピッタリ重なるのです。

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これは偶然ではないでしょう。、G7広島サミットでは、恥も外聞もなく外務省・日本政府の本音を実現した「被爆地広島出身の総理大臣」なのですから、その前哨戦として、核兵器禁止条条約阻止という役割を担わされた外務大臣だった、と言ったら失礼過ぎるでしょうか。

外務大臣としての任期が一番長い岸田総理ですが、その内閣の外交政策が、これまでの外務省・日本政府の立場を超えて、真に日本国民・市民のためのものになることは、まず不可能だと考えるべきでしょう。

となると、私たちのなすべきことは、政権を変えることしかありません。あるいは、現政権でも耳を貸さざるを得ないほどの大きな国民的運動を展開することになるのではないでしょうか。

 

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 [2023/9/20 人間イライザ]

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2023年7月18日 (火)

被災地に人を送り込むな ――5年前の教訓は生きているのでしょうか?――

被災地に人を送り込むな

――5年前の教訓は生きているのでしょうか?――

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Floods of Mabi, Kurashiki City 倉敷市真備 平成30年7月豪雨被害 (松岡明芳氏撮影)

https://www.wikiwand.com/ja/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:2018-07-14_Floods_of_Mabi,_Kurashiki_City_%E5%80%89%E6%95%B7%E5%B8%82%E7%9C%9F%E5%82%99_%E5%B9%B3%E6%88%9030%E5%B9%B47%E6%9C%88%E8%B1%AA%E9%9B%A8%E8%A2%AB%E5%AE%B3_DSCF3676%E2%98%86%E5%BD%A1%E2%98%86%E5%BD%A1.jpg

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「防衛省を防災省に」は、これまで何度も繰り返してきましたが、昨日は、一年前の豪雨災害からの教訓としてアップした形での記事を再掲しました。しかし、そもそも自然災害について考え調べながら提言としてまとめることになったのは、2018年の西日本豪雨災害というきっかけがあったからです。でも5年後の今、政治的な対応は、とても当時の教訓が生かされているとはとても思えないレベルです。例えば、「防災省」というような専任の機関を作って、予算も人も付けて、国家規模での「災害対策」を行わなければ、自然災害による犠牲者も金銭的な被害も減らすことはできません。災害が起きるたびに、「実況放送」は長時間するけれど、少し時間が経つと、それを元にした被害削減のための国家的な政策が打ち出されることはありません。

そして、今回の災害についての実態が明らかになるまでにはまだ時間が掛かり、復旧のための対策が打ち出されるためにはさらに時間が掛ります。そして、その後に本来ならより恒久的な対策が提案されるべきなのですが、多くの政治家、そして市民の頭の中では災害の記憶が薄くなってしまっているのがこれまでの通例です。だからこそ、その前に、つまり今、5年前を振り返りつつ、自然災害についての頭の整理をしておきたいと考えています。

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2018年7月9日アップの記事を元に編集

最初の提言は

  • 最初は「被災地に人を送り込むな」です。

広島在住のKさんの体験を私が聞き取り、まとめたものです。Kさんはかなり頻繁に東京・広島間を行き来している人です。今回も上京していたのですが、帰広の切符は6日金曜日の夜の便でした。その時点で空港から市内のリムジンバスは運転中止、JRの在来線もとまり、新幹線も動いていない状況でした。山陽道も通行禁止状態でした。

仕方がありませんので、タクシーに頼るということで東広島市内のホテルに予約を取っていました。フライトがキャンセルされる可能性もあったのですが、とにかく飛びましたので、広島空港に着陸、長い時間待って、タクシーで、東広島まで辿り着きました。

Kさんの場合は、事前に空港到着後の情報が分っていましたので、それなりに準備をすることができたのですが、悲惨だったのは外国人観光客の皆さんでした。

タクシー乗り場も長い列ができ、空港内の事務所を開放するのでそこに留まって欲しいという対応もなされたようなのですが、ある外国人家族に取っては衝撃的なニュースだったようです。

その家族のお母さんと飛行機の中で隣り合わせになったKさんが聞いた話では、空港でのレンタカー予約をしていて、到着後は広島まで車で行き一泊、次の日には宮島を見て、それから四国に研修のため滞在しているお子さんを訪ねる予定だったとのことでした。お母さんは両手に障害があり、恐らくお父さんが、運転も家族の世話もするという状況だったのでしょう。

到着した6日には、車で広島市内まで行くのは不可能、結局空港で一泊というようなことになり、次の7日にも事態は一向に変わらず、宮島にも行けずお子さんにも会えずに、もし飛行機が飛んでいれば東京に戻るというシナリオになってしまったようです。

Kさんも自分の足の確保しなくてはならず、最後までお世話できなかったようなのですが、わざわざ広島まで来なくても、この情報は東京で把握できたはずですので、東京で対応できていれば、二日間の時間のロスと、東京・広島間の航空運賃のロスは防げたのではないでしょうか。

さらに、外国人に限らず、広島に住んでいる人ならそれなりの知識はあったとしても、それ以外の人たちには、「白市まではリムジンバスが出ています」という情報からは、そこまで行けばあとは何とかなるだろう、というくらいの想像力しか働きません。そんな状態になることが分っていて、東京から広島まで善意かつ情報のないお客さんを送り込んで良いのでしょうか。

航空会社にすれば、切符は発行した、飛行機は飛べたのだから飛ばしした、後は乗客の責任ということになるのかもしれませんが、到着後には、空港の事務所の床に寝るという選択肢しかないところに、それも到着して初めてそれが分るという前提で乗客を運べば、それで済む話なのでしょうか。

福岡市の場合のように、仮に災害があったとしても空港と市内とが近い場合には、それほど大きな問題にはならないのかもしれません。そうだとする、わざわざ遠隔地に飛行場を移設した広島県や広島市が、このような場合の責任の一端を負うべきなのではないでしょうか。

そして、航空会社も、キャンセル不可・返金不可の切符であっても、災害時には到着地の状況をきちんと把握して、災害地には目的地に着けばそこで孤立無援になってしまう乗客を、送り込まないというくらいの責任を持つべきなのではないかと思います。そのために、私企業だけに負担を強いて乗客の安全と安心を確保するのではなく、国全体のシステムとして、このような場合の対応も含めた施策があれば、災害時の不安の種は、少なくとも一つは減ると思うのですが如何でしょうか。。

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羽田で把握できる情報は乗客に知らせずに、被災地に善意・情報のない乗客を送り込むというようなことは、もう起きていないことを祈りますが、マスコミの報道でも、例えば「空港でどこにも行けず困っている人がいます。それほど深刻な災害です。」レベルのことは伝えても、災害の現場から、システムとしてそれに対応できるはずだという問題提起にはつながらないのが普通です。

だからこそ、敢えて何度でも問題提起を続けています。

 

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 [2023/7/18 人間イライザ]

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2023年7月17日 (月)

防衛省を防災省に ――自然災害を黙殺する政治をひっくり返そう――

防衛省を防災省に

――自然災害を黙殺する政治をひっくり返そう――

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津波で破壊された家--浪江町

 
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今年もまた、大雨が続き、全国各地で大きな被害が生じています。南九州そして北九州と山口、北陸や東北と、「線状降水帯」という名称とともにいつどこで大災害が起きるのかさえ予測できない状態です。ということを裏返せば、全国どこで自然災害が起きても不思議ではない自然環境の中で私たちは生活しているのです。

にもかかわらず、政治はこのような深刻な、国民的課題には気付かないかのような対応です。危機的状況にある被災地には目もくれず海外の軍事同盟の会議で意気揚々としているのが、今の政治の堕落振りを示しています。

そんな政治を本来の姿に戻すために、事実を元にした提言を続けなくてはなりません。私の小さな貢献の一つとして、この何年間かこの問題についての構想をまとめてきました。何度言っても伝わらない相手なのかもしれませんが、それでも誰かが伝え続けないと、「ダメ」が「良いこと」になってしまいます。これまでこのブログで取り上げてきた原稿に加筆訂正を加えながら、再度のアピールを連続で始めます。

今回は、昨2022年7月5日にアップした記事に少し手を加えました。取り上げた事実は変わっていませんし、提言が有効であることも間違いありません。ただ政治状況は今の方が格段に悪くなっていますので、説得力は増しているように思えます。

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2022年7月5日アップ

防衛省を防災省に

津波で破壊され、そのままになっている家屋です。東日本大震災の遺構ですが、11年経って、あの時のショックは忘れ去られているのでしょうか。

ロシアのウクライナ侵攻以来、「リアル・タイム」で私たちが体験している戦争の様子に「ウクライナ・ショック」を受け、「日本でもこんなことが起きたらどうすれば良いのか」という危機感につながっています。それはそれで分るのですが、もう一つ、忘れてはならないことを忘れてはいませんか。

2021年7月3日には熱海で土石流災害が起きて26人の方が亡くなっています。2020年は、熊本での豪雨災害で、熊本だけで64人の方が亡くなっています。

最新ではありませんが、以前まとめた数字を再掲します。自然災害の結果、どれだけの犠牲を払わなくてはならなかったのかを再度、思い起すためです。

2018年に起きた災害だけを取り上げますが、

(i) 1月23日の草津白根山の噴火

(ii) 死者の出た2月の北陸豪雪をはじめとする各地での豪雪

(iii) 3月と5月の霧島山新燃岳と桜島の噴火 

(iv) 6月18日、死者4名、損壊家屋は3万戸近くになった大阪北部地震

(v) そして死者は200名を超えるであろう、7月の西日本豪雨と、半年ちょっとで大きな災害が目白押しです。

こうした数字を前に、「日本がウクライナと同じように攻撃された時に備えて、軍備を強化し、核武装までも必要なのではないか」、「敵基地攻撃能力が日本を守る」、「軍事費を倍にしないと日本の安全は覚束ない」という種類の主張に大きな違和感を持っています。

それは、自然災害の死者は毎年確実に私たちの目の前に現れているのに対して、日本が外国から攻められた、あるいは戦争で死者が出たという数字は「0」だからなのです。

比較のための数字を掲げておきましょう。

  • 2000年から2019年までの自然災害死者数は23,991です。
  • そして推計ですが、1945年から2019年までの自然災害死者数は90万人です。
  • 対して、1945年から2019年までの戦後75年間、外国からの侵略・外国との戦争で死んだ日本人の数は0です。

「ウクライナ・ショック」を端的に示すために、死者数によって考えることにしますが、ウクライナ戦争で命を落した日本人は「ゼロ」です。そして、戦後、自然災害によって亡くなった日本人の数は、100万人近くになるという事実から、そして恐らく今年も自然災害によって必ず犠牲者が発生することを考えると、今、私たちが懸念し、政府がお金を投じなくてはならないのは、自然災害対策なのではないでしょうか。

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それはこのグラフから明らかです。災害があると予算は増えますが、「喉元過ぎれば熱さ忘れる」で、「予防」のための予算はないのです。

予算が出てこない理由の一つは、「防災」を専門にする固定したお役所がないからです。それは、「防衛省」を「防災省」に変えることで解消されます。防災省を創設するメリットを、防衛省との比較でみてみましょう。

Photo_20230716214501

「予算」のカッコ内で言及してるグラフは、その前の棒グラフのことです。この比較からの結論は、防衛省を防災省に変えても、多くのメリットはあってもデメリットはまず考えられないということです。

ここで「誤解」を避けるための説明ですが、自然災害そのものは「予防」できません。でもその結果犠牲になる命や財産は減らすことができるのです。例えば、急傾斜地にある住宅を安全なところに移設するとか、洪水の起きやすい河川の流れを変える、危険な盛土を移動する、避難訓練を徹底する等、予算を付ければ実行できるそして効果のある施策は山とあるのです。

つまり、今の時点で「倍増」すべきなのは、「軍事費」ではなく、「防災費」なのです。それは、国民の命を確実に守る「現実的」な選択です。

「憲法を改正して自衛隊を憲法内に明記する」などという、「改憲先にありき」という論法ではなく、日本国民の命を救うのが国家の最優先義務だという憲法の規定からの結論は、「防衛省」を「防災省」に変えることで全て「解決」という簡単・明解な素晴らしいシナリオです。

これからも暑さが続き、やがて台風も来襲します。皆様、くれぐれも御自愛下さい。

 

[2022/7/5 イライザ]

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そして皆さんにとって、今日一日が素晴らしい24時間でありますよう!

 [2023/7/17 人間イライザ]

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2023年7月14日 (金)

総理大臣としての加藤友三郎 ――戦争回避の「預言者」でもあった――

総理大臣としての加藤友三郎

――戦争回避の「預言者」でもあった――

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中央公園の友三郎像 (常広一信氏撮影)

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加藤友三郎内閣が誕生したのは、1922年6月12日ですが、3日後の15日には、施政方針演説で加藤内閣の目指すところを公表しています。豊田穣著の『蒼茫の海 提督加藤友三郎の生涯』 (手に入れ易いのは、光人社NF文庫版です) から引用します。 (読み易さを優先して、一部、数詞や句読点などには手を入れました。以下、『豊田』と略します。)

一般施政方針

1、社会政策問題に関しては、時勢の進運にかんがみ慎重研究し、適当なる方策を定めた い。

2、綱紀を粛正し、民心を作興し、行財政を整理し、財界の安定を計る。

3、教育及び産業を振興し、 一般国民生活の向上を期せんとする。

 

対外方針

1、日本国民は 隣邦中国が速やかに現在の不幸なる政情を脱し、同国民自身の努力によって平和統一の実をあげんことを切望する。

2、シベリア問題については速やかに撤兵など解決の処置をとりたい。

3、国際連盟はその規約にのっとり 発展に努力したい。ワシントン諸条約及び決議は、これを尊重して、各国と協力してその実をあげたい。

これらの案件中、特筆されるのがシベリア撤兵と軍縮です。再び『豊田』から引用します。

さて、加藤内閣の残した大きな仕事は、シベリア撤兵と山梨陸相による陸軍の軍縮であった。

(中略)

この年六月、内閣首班となった加藤は、真っ先にシベリア撤兵をとりあげた。出兵後すでに四年、七万の兵を動かし、七億円の軍事費を空費していた。

国際協調を旨とする加藤は、閣議と臨時外交調査委員会に計り、同年六月二十四日声明を発して、十月をもって撤兵を断行することを公表した。

軍縮については、海軍はワシントン条約を守ってほぼその規模での軍縮が実現したのですが、陸軍は陸軍内部の合意が得られず、結局、総額4,000万円の節減しかできませんでした。しかし、それでも加藤内閣の編成した予算の中ではそれなりの比重がありました。再び『豊田』からです。

こうして、大正11年末、12年度の予算案を編制し、第46帝国議会の協賛を得たが、軍備制限による節減された金額は、新規計画のために増加した分を控除して、7,099万円に上り、 一般行政などの節約により、歳入歳出は各134,600万円にとどまり、前年度に較べて13,600万円の減少となった。

加藤の経費節減、財政建て直しは、順調なスタートを切り 提督宰相にしては上々の出来と評判がよかった。

国家予算の50%ほどが軍事費だった時代に、前年度予算の1割も削減できたことは驚異だとしか言いようがないように私には映るのですが―――。因みに、2023年度予算は前年比で6.3%増えています。

この他にも友三郎は、行政改革でも実績を挙げています。

シベリア撤兵と軍縮実施のほかに、加藤内閣はいくつかの仕事を残している。

その一つは、行政の整理緊縮である。

6月12日の内閣成立後、間もない6六月20日、加藤は内閣書記官長宮田光雄、法制局長官馬場鍈一らを行政整理準備委員に任命し、つぎのような行政改革を行なった。

同年九月つぎの機関を廃止する。

A  臨時外交調査委員会、防務会議、拓殖調査委員会、臨時産業調査会、臨時教育行政調査会

B  国勢院、拓殖局、馬政局、防備隊練習部、軍需評議会、臨時国有財産整理部

このほか各官庁の局課を廃止あるいは合併し、定員を減少して事務の簡素化を計った。

昭和57年現在、政財界は行政改革で苦しんでいるが、60年前、加藤は大幅な行革を行ない、その統率力を示したのである。

また加藤は、教育の振興、産業の奨励、社会政策的事業の遂行にも力を注いだが、 一方、所得税法、営業税法などにも改正を加えた。

膨らむ一方の行政機関・官僚体制を整理・合理化することも政治上最重要課題の一つであることは言を俟ちません。同時に友三郎の構想の中には、軍と行政の関係の健全化がありました。この点については『麻田』が77ページに詳しく述べています。

シヴィル・ミリタリー関係について、最後に加藤全権の「軍部大臣文官制」の構想にふれておこう。ワシントン会議で加藤が留守中、文官の原首相が陸軍側の強固な抵抗を押しきって海相代理(「事務管理」)を兼任したことは、日本憲政史上に先例のないできごとであった。さらに一歩進んで、加藤全権はすでに会議中、海軍大臣文官制(イギリス式に近いもの)が「早晩出現」するであろうと考え、そのための準備をしておく必要について頭をめぐらしていた。おそらく彼は、海軍軍縮問題で体験した自己の苦悩と、シヴィル・ミリタリー関係で悩む必要の少ない米英全権の立場とを比較考量した結果、政軍関係の制度およびルールの抜本的改革を決意するにいたったのであろう。そして、海軍大臣が現役軍人でありながら「シヴィリアン・コントロール」の権能を代行せざるをえないという変則的なシステムを、その本来あるべき英米的な制度に改正すべき急務を、彼は痛感したのではあるまいか。現行の制度が存続するかぎり、いずれは軍縮問題をめぐって海軍と政府とが激突する運命にあることを、加藤は見通していたのであろうか。

ここでは、「海軍軍縮問題で体験した自己の苦悩」の中身を説明しておく必要がありそうです。海外の「全権」は文民ですし、この軍縮会議には全権として文民だけで構成されるチームを派遣する必要があるとの意見さえ持っていた米英から見れば、日本の全権加藤は、軍の利益を代表しながら表面的には「文民」の帽子を被る、傀儡若しくはスパイとさえ見られ兼ねない状況がありました。そのような米英の交渉相手の信頼を得るための努力が如何ばかりかであったかは、想像に難くありません。

他方、海対米英10:10:7を主張しどのような譲歩も軍に対する裏切りだとさえ声高に公言する軍の強硬派に対しては、10:10:6の合理性や世界の状況等の説明、さらには軍の内部での多数派形成のための努力等、これまた一筋縄では行かない問題を処理しなくてはならなかったのです。

友三郎の憂いは現実になり、彼の亡き後、強硬派の勢力が巨大化し、それに至る手段として使われたのが、「統帥権の干犯」という「錦の御旗」でした。友三郎には見えていたであろう、そして彼なら対抗して流れを変えられたであろう歴史を振り返りたいのですが、それはまたの機会に。流れを変えるための布石を次々と打っていた友三郎の言動を、天から与えられていたものだと解釈して、敢えて「預言」という言葉を使いました。

 

さて、その友三郎についてのシンポジウムは、8月26日午後1時30分から、広大病院YHRPミュージアムで開かれます。

入場は無料ですが、参加登録は必須です。GRコードまたは、URLからサイトにお入り下さい。多くの皆さんの御参加をお待ちしています。

Qr20230712-201135

https://katotomosaburo.com/

 

 

そして皆さんにとって、今日一日が素晴らしい24時間でありますよう!

 [2023/7/14 人間イライザ]

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