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2024年4月17日 (水)

#横川シネマ で 『#かづゑ的』 を #観ました ―― #皆さんにもお薦めの #不思議な #映画です――

#横川シネマ #かづゑ的』 #観ました

―― #皆さんにもお薦めの #不思議な #映画です――

 

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久し振りに映画館で映画を観ました。横川シネマで、熊谷博子監督の『かづゑ的』を鑑賞しました。何とも不思議な映画です。

主人公は、10歳からの80年間を長島愛生園で過ごしてきた宮﨑かづゑさんです。最初のシーンから、かづゑさんのエネルギーが伝わってくるのですが、同時に彼女の置かれている舞台全体の広さと言えば良いのか、深さと言えば良いのかを感じていました。

その理由が次々に明らかにされるのですが、例えばかづゑさんは、私たちが日常的に使っている「ハンセン病」という言葉は使わずに、「らい」と言い続けてきたのです。彼女が語る理由には説得力があります。

「らいだけは、それこそ神様が人間に最初からくっつけた病気だろうというのが、私ずっと昔から思ってるんです。」「らいっていうものは、らいであって、ハンセン氏が作り出したものではない、ね。だから私はハンセン病というのは嫌いです。らいでいいんです。」

この言葉の意味とその重さを噛み締めています。またかづゑさんは自ら、お風呂に入る姿を撮って欲しいと提案します。

「らいを撮るっていうことは全てを撮らなければ、私の身体って分りませんでしょ。」

私も長島愛生園に行ったことはありますし、「らい予防法廃止の法律」制定の時は、国会議員としての役割を果しました。でも愛生園の中で生活する人たちの日常まで身近に経験した訳ではありません。この映画の中では、その日常の生活が、楽しさや苦しさも含めて、自然に地理的・時間的な広がりの中で分るように語られています。

子ども、少女、結婚した夫婦、最後には納骨堂と一人の人間の生きる軌跡が、学校や生活の場、農作業や仕事をする場、そして自然、という配置の中で描かれます。かづゑさんは、人生を振り返って、

「孤独ではない。ちょっと自惚れさせていただくと、ちゃんと生きたと思う。どうでしょうか。みんな受け止めて、私、逃げなかった。」

この言葉は、30年以上前、高齢の被爆者が発した言葉、「私よく頑張ってきたよね。お母さんが、今見ていてくれたら、『よく頑張った』って言ってくれるよね」に重なって聞こえました。

できればこの映画を、熊谷博子監督と、ナレーションの斉藤とも子さんの挨拶、トークと一緒に見ることをお勧めします。感動的です。でも映画だけでも是非御覧下さい。

その中で、斉藤さんがかづゑさんからかけられた言葉、「あんたは指があるんだから、もっと頑張れ」と、その時のかづゑさんの掌の温かさは、私たちもその場で共有できたような気がしました。

この感覚は、昨23318日に、杉並区での講演会後の熊谷博子監督の言葉と響き合います。熊谷さんの言葉は、「原爆にさわる」です。長崎の被爆者谷口稜嘩さんとアメリカを回った時のエピソードですが、こちらと合わせてお読み下さい。

『かづゑ的』を観終わって頭に浮かんだのは、「かづゑさん、you are beautiful!」です。2008年、G8の下院議長会議が広島で開かれたとき、被爆者で元資料館館長だった高橋昭博さんの体験談を聞いた、アメリカの下院議長、ナンシー・ペロシさんが高橋さんに伝えた言葉です。「Mr. Takahashi, you are beautiful!

横川シネマを後に、広電の線路を跨いで横川駅前の横断歩道を渡っているとき、ふと気付いたのですが、物理的に足が軽くなり歩幅も広くなっていました。そして閃いた言葉が、西田幾多郎の「絶対矛盾的自己同一」です。

 

2024年も言葉を大切にして、知的にも情緒的にも誠実さが輝く年にすべく頑張りましょう。

[2024/4/17 人間イライザ]

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2024年4月12日 (金)

#トルーマン神話 の #呪縛 ―― #核廃絶 を #阻む #三点セット――

#トルーマン神話 #呪縛

―― #核廃絶 #阻む #三点セット――

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平和の拠点であり続けて欲しい原爆資料館前の行列 2016年

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アメリカ、ミシガン州選出のティム・ウォルバーグ下院議員の「広島・長崎」発言を取り上げてきました。

今回の発言も、1945年のトルーマン大統領の記者会見での正当化のための三つがポイントになっています。それを「トルーマン神話」と呼ぶことにします。

ブログでの解説も徐々に問題の本質に近付いてきたのですが、前回、軽めに問題提起をした点こそ、核廃絶の阻害要因として認識し、それらとどう向き合い解決して行くのかを考えなくてはならないことなのです。

阻害要因は、三つにまとめられます。以下、「予告編」として、三つを簡単に説明します。

第一は、アメリカ社会の原爆観です。私は、長い間アメリカに住んで、直接肌身に感じてきたことですし、その後もアメリカ社会との接点を保ちながら多くの友人たち、マスコミ等を通し、アメリカ観察については人後に落ちないという自負があります。そうした背景を元に達した結論です。

アメリカ社会の中では、原爆投下が正当であると言う考え方がいまだに根強く残っているということです。特に共和党の支持者の中では、圧倒的に多数の人がそれを信じているという現実が問題です。ウォルバーグ発言はそのことを端的に示しています。

第二に日本政府の立場です。極端に言ってしまうと、核兵器廃絶を先頭に立って、世界の先頭に立って推進すべき日本政府が、アメリカの保守的社会と同一の価値観を持ち続け、アメリカ政府と一緒になって、原爆投下の正当性を主張し続けてきたというところが問題です。

上川外務大臣の「抗議はしない」発言が、何よりの証拠です。

そして第三の点は、それを変えるための重要な拠点が失われつつあるということです。日本政府の頑なな姿勢を変えるためには、最終的には選挙によって政治を変えなくてはなりませんが、まずは世論の目が、日本政府の本音は何かということに注がれ、その結果として政府の本音を理解するに至るというプロセスが必要です。しかしながら、それが上手く行っていないのです。

本来であれば、例えば都市としての広島市が中心になって、世論の喚起をするという役割を果たすべきなのですが、最大疎外要因の一つである外務省が、広島市の平和行政を乗っ取ってしまったという現実があります。

それに対抗することはまだ可能だと信じていますが、そのためには、私たちの側で重大な決意をしなくてはなりません。時間もエネルギーも必要です。より詳しくはこのブログでさらに持論を展開したいと思います。

 

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[2024/4/12 人間イライザ]

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2024年4月11日 (木)

#ウォルバーグ下院議員 への #撤回要請 #書簡 ―― #市政記者クラブで #記者会見を開きました――

#ウォルバーグ下院議員 への #撤回要請 #書簡

―― #市政記者クラブで #記者会見を開きました――

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記者会見で――左から、高橋克浩代表委員、秋葉代表委員、一番右が金子哲夫代表委員

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アメリカ、ミシガン州選出のティム・ウォルバーグ下院議員の「広島・長崎」発言について、これまで二回にわたって問題点の解説をしてきました。一度目は、上川外務大臣の姿勢と、1945年のトルーマン米大統領の記者会見発言を取り上げました。

二度目は、トルーマン発言の間違っている点を、研究者等の考察を元に指摘し、事実を提示しました。

続いて、4月10日には、広島市役所の市政記者クラブで記者会見を開き、ウォルバーグ議員への書簡を公表した上で、FAXと郵送で、同議員に届けることを報告しました。次に掲げるのは、書簡の日本語版です。署名の入ったPDF版は、こちらのフォルダーから御覧頂けます。

この書簡が、訪米中の岸田総理の目に留まり、「被爆地広島出身の総理大臣」としての立場から、ウォルバーグ議員発言の撤回を要請して貰えれば、それに越したことはありません。

でも、上川大臣発言を元に考えると、岸田総理個人にも広島市にも、その他被爆者の代弁者たるべき公的機関や個人に、早期終結と人命救助という二点についての見解を問うべき問題なのかもしません。

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2024年4月10日

拝啓  ティム・ウォルバーグ下院議員殿

私たちは、1954年に発足した広島の平和団体です。それ以来70年にわたって広島・長崎の被爆者の声を代弁し、彼らの生命・生活を守る運動、そして核兵器のない平和な世界実現のための運動を続けてきました。

最近、日米のマスコミ報道で、貴殿が3月25日に、ガザでの惨状について、広島・長崎を例示して「長崎や広島のようにすべきだ。早く終わらせる。ウクライナも同じようにするべき。」との趣旨の発言をされたことを知りました。

また、Xへの投稿では、核兵器を使用すべきだと言ったのではなく、戦争が早く終るほど、戦渦に巻き込まれる罪のない人々の命が救われる、という趣旨だったとの説明もされています。そして、「広島・長崎」はそのためのメタファーとしての意味しか持たないとも付け加えられています。

[イスラエルがハマスをできるだけ早く排除すべきこと、ガザへの人道支援には反対であると貴殿が主張されていることも理解しています。ただし、その点については、この書簡での問題提起とは別件ですので、切り離して論じます。]

私たちは、こうした報道を次のように受け止めました。

貴殿の一連の発言の趣旨は、「広島・長崎の歴史から分るように、ガザやウクライナでの戦闘を早く終結させることにより、罪のない人たちが巻き込まれ、生命を失うことを避けられるので、そうすべきである。」

後半の「ガザやウクライナでの戦闘を早く終結させることにより、罪のない人たちが巻き込まれ、生命を失うことを避けられる。」には賛成します。ただし前半については、もし貴殿が「広島・長崎」を「戦争を早く終結させる」ことのメタファーとして使われたのであれば、次のような事実から注意を喚起したいと考え、この書簡を認めています。

  1. 米戦略爆撃調査団は、1946年の報告書において、原爆の投下がなくても、ソ連の参戦がなくても、米軍の日本上陸作戦がなくても、日本は11月初めには降伏していたであろうことを結論付けている。[*1]
  2. 歴史学者Gregg Herken教授は、仮に米軍の日本侵攻があったとしても、US Joint War Plans Committeeによる米軍の死者数予測は約4万人であると述べている。[*2]
  3. 同じく歴史学者Martin Sherwinは、原爆投下は戦争終結を早めたのではなく、遅らせたことを指摘している。[*3]
  4. 1945年12月末までに、広島・長崎の原爆で亡くなった被爆者の数は約20万人である。[*4]
  5. 「生存者が死者を羨む」という言葉が示す如く、被爆者は、1945年以降長期にわたり放射線被害、その他の直接的原爆被害や精神的な被害を被り、苦しんできた。[*4]

これらの事実から、「広島・長崎」を、戦争の早期終結のメタファーとして、またその結果としての多くの罪のない命の救済のメタファーとして使うことは、誠に不適切であり、撤回を求めます。また、原爆投下の結果起きた、非業の苦しみと人間的悲惨さに対する貴殿の無知と無神経さを残念に思います。

貴殿が、真に罪のない人たちが戦争に巻き込まれることを避けたいと願っているのであれば、一度、広島・長崎を訪れ、被爆者との対話を通して、戦争に巻き込まれた罪のない人たちの心からの願いに耳を傾けられることをお勧めします。

敬具

秋葉忠利

金子哲夫

高橋克浩

広島県原水禁代表委員

 

広島県平和運動センター・広島県原水禁

広島市西区横川新町7-22

TEL:+81-82-503-5855 FAX: +81-82-294-4555

e-mail:h-heiwa@chive.ocn.ne.jp

Sources:

[*1]  Shigesawa, Atusko.” The U. S. Strategic Bombing Survey’s Early-Surrender Conclusion and the Debate over the Atomic Bombings of Hiroshima and Nagasaki.” Hiroshima Journal of International Studies, Volume 19, 2023

(https://hiroshima-cu.repo.nii.ac.jp/record/124/files/HJIS19-1.pdf, viewed on April 4,2024)

[*2]  Herken, Gregg. “Five myths about the atomic bomb” The Washington Post, July 31, 2015, (https://www.washingtonpost.com/opinions/five-myths-about-the-atomic-bomb/2015/07/31/32dbc15c-3620-11e5-b673-1df005a0fb28_story.html, viewed on April 4, 2024)

[*3]  Sherwin, Martin. “Interview.” The Chugoku Shimbun, 1995.  Also a personal communication to one of the authors in 1995.

[*4]  Hibakusha. Wikiwand. (https://www.wikiwand.com/en/Hibakusha, viewed on April 4. 2024)

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[2024/4/11 人間イライザ]

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2024年4月 6日 (土)

#TimWalberg #下院議員の #広島・長崎発言 ―― #事実誤認 を #指摘する のは #私たちの責任――

#TimWalberg #下院議員の #広島・長崎発言

―― #事実誤認 #指摘する のは #私たちの責任――

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安らかに眠って貰うためには私たちの責任を果しましょう

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アメリカ時間3月25日に、ミシガン州選出の共和党下院議員ティム・ウォルバーグ氏が、ガザでの惨状について広島・長崎を例示して、「長崎や広島のようにすべきだ。早く終わらせる。ウクライナも同じようにするべき。」との趣旨の発言をしたことが報じられました。CNNも報じています。

その後、Xへの投稿では、核兵器を使用すべきだと言ったのではなく、戦争が早く終るほど、戦渦に巻き込まれる罪のない人々の命が救われる、という趣旨だったとの説明もされています。そして、「広島・長崎」はそのためのメタファーとしての意味しか持たないとも付け加えられています。

マスコミ的・外務省的な見方では、これで一件落着ということらしいのですが、それは、外務委員会での松原仁議員の質問に対する回答で、明確に示されています。簡単にまとめると次のようなやり取りです。

[松原] ウォルバーグ議員は広島・長崎をメタファーとして、ガザを攻撃しろと言っている。メタファーとして扱うような軽々しい問題なのか。ウォルバーグ議員に抗議したり、謝罪を求めるようなことはないのか。

[上川] ウォルバーグ発言がメディアを通して拡散していることを憂慮している。同時に彼が、自らの意図を、SNSを通じて発出していることにも留意したい。現時点では抗議する必要はないと考えている。多くの人に広島長崎を訪問して貰う重要性は大きくなっている。

「我らの国会」さんによる動画も御覧下さい。5分10秒あたりから上記のやり取りを見ることができます。

さて、ウォルバーグ議員が広島・長崎をメタファーとして使う背景には二つの理由があります。

一つは、広島・長崎への原爆投下により戦争が早く終った、つまり「広島・長崎」は戦争の早期終結の象徴だからメタファーとして意味があるということ。

もう一つは、その結果として、多くの人命を救うことができたという正当化です。

御存じない方の方が多いかもしれませんが、未だにアメリカ人の多くは、原爆投下直後のトルーマン大統領の原爆投下の正当化をそのまま信じています。それは三点の命題から成り立っているのですが、ウォルバーグ発言もそれを踏襲しています。

① 真珠湾攻撃があったから戦争が始まった。

② 原爆投下によって戦争を早く終らせることができた。

③ その結果として、25万もの米兵の命が救われ、25万の日本人の命救われた。

つまり、広島・長崎をアメリカという枠組みの中でのメタファーとして使うということは、トルーマン発言の三つの命題を「事実」だと認めることを意味します。

外務省は長い間、それを認めてきていますので、外務省としては上川大臣の回答で問題はないのかもしれません。しかし、「被爆地広島出身の総理大臣」だと自認し、それが故にG7サミットを広島で開く意味があるのだと大見得を切った岸田総理大臣がそれで済ませて良いのでしょうか。

あるいは、広島市が何も言わなくて良いのでしょうか。

上記の三点について、①は、その通りですが、②と③は事実ではありません。それを、説得力を持って伝えて行かないと、アメリカ社会での誤解は解けませんし、「オッペンハイマー」のような映画が永遠に作られ続ける原因にもなってしまいます。

この点について、私たち広島県原水禁では、きちんとした対応をしている積りですので、次回はその報告をします。

 

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[2024/4/6 人間イライザ]

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2024年3月22日 (金)

#日露戦争後 の #対日評価 ―― #称賛 と #差別 と、#両極端に分かれます――

#日露戦争後 #対日評価

―― #称賛 #差別 と、#両極端に分かれます――

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加藤陽子著『それでも日本人は「戦争」を選んだ』

#お勧めします

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前回は、日露戦争に勝利した日本ではどのような教育をしているのか、という疑問に対する答として、「教育勅語」を外国語に翻訳して海外に知らせたということを取り上げました。でもその他の理由もありました。

その一つは不平等条約の改正です。簡単な説明は、ブリタニカ国際百科事典の解説を御覧下さい。

1854年の日米和親条約以来、治外法権や最恵国待遇等の点で不平等な国際条約に縛られていた明治政府の悲願の一つが条約改正でした。それは、1911年に実現したのですが、そのための対策の一つが、日本国内の法的整備であり、さらに日本が欧米諸国と肩を並べられる文明度を持つ国家であることを示すことでした。

憲法の制定、刑法や民法、商法等の整備は前者の一部でしたし、鹿鳴館外交や鹿鳴館時代と呼ばれる努力は後者の典型でした。教育勅語の内容を海外に伝えることは、その両者の意味を持っていたと思われます。

条約改正に、日露戦争の勝利が役立ったのは勿論です。それは、日本の前向きのイメージが世界に広まったからなのですが、トルコの革命にはもっと直接的な影響を与えています。加藤陽子著の『それでも日本人は「戦争」を選んだ』(朝日出版社、2014年)から引用します。[加藤さんは菅内閣の時に学術会議の委員に任命拒否されたくらい立派な方です。]

1905年、白色人種でキリスト教徒の国であるロシア帝国に、黄色人種で非キリスト教徒の、遅れてきた帝国である日本が、ぎりぎりの勝利でしたが、とにかく勝利した。このことが、半植民地状態あるいは植民地の立場たにあった東アジアの国々だけでなく、近代国家への歩みを始めたトルコにも強い影響を及ぼしました。トルコの革命家、ケマル・アタチュルクに影響を与えたのは事実です。

近代的憲法を持った国 (日本).は、憲法のない国(ロシア)よりも強い、識会を開設している国(日本)は、議会のない国(ロシア)よりも強い。このような教訓が、世界に伝わったと考えられます。ケマル・アタチュルクは1905年に陸軍学校を卒業して、参謀大尉になった後、「祖国自由団」を組織して政治運動に入っていき、最終的には、23年にトルコに共和制をしき、初代大統領になった人物です。

残念ながら、白人国家ではそんなに素直な受け止め方ではなかったようです。今でも人種問題が深刻なアメリカでの状況を、これも加藤さんの説明で理解しておきましょう。

1891年から1906年の間に数千人の日本人移民がカリフォルニアに渡っていました。カリフォルニアでは、日本人移民に対して、低賃金で働き、アメリカ社会の一体性を混乱させる者と決めつけ、06年には日本人学童の公立学校への入学拒否、07年には日本人移民を排所する条項(ハワイ、メキシュ、カナダなど米国本土以外を経由した日本人移民を排斥する条項)を含む連邦移民法も可決されてしまいます。ロシアを打ち負かした好戦的な国家というイメージが、急速にアメリカ社会のなかでふくらんでいったことがわかるでしょう。

このことを加藤さんは「ウォー・スケア」と表現しています。「日本人が海を越えて襲ってくるのではないか、戦争が始まるのではないか、との根拠のない怖れ」のことです。アメリカでは、今でも日本人と中国人が同一視されることが多くありますが、1906年のサンフランシスコ地震の後のアメリカでは、丁度、関東大震災後に、日本で朝鮮人や中国人を虐殺したのと同じことが起っています。

その背景には、「ふだん虐げられている朝鮮人が日本人を襲ってくるかもしれない」という「根拠のない流言」があった、と加藤さんは診断していますが、根拠がないのは、結論部分で、前半が事実だったからこそ、そんな流言が生まれたことを忘れるべきではない、という警告です。

このような状況を前に、国際的な場で活動していた日本のリーダーたちが、一方では、肯定的に評価される日本像をより輝かしいものにすること、できれば欧米諸国より優れた国家であることを示したいという願望が元になり、他方では、差別の対象になる日本人や日本文化の本質的な良さを広めて、誤った日本像を修正したい、と考えたとしても不思議ではありません。

そのために動員されたものの一つが教育勅語だと考えられますが、実際に当事者の誰かがそう考え実行したという証言を探しています。現時点では、日本政府ならびに外務省がそう考えて教育勅語を世界的に拡散する努力をしたということは、一つの「仮説」として、考え、それに基づいた考察を展開します。

[注記: この中で取り上げた、『それでも日本人は「戦争」を選んだ』はお勧めです。まだの方は一読をお勧めします。]

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[2024/3/22 人間イライザ]

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2024年3月21日 (木)

#御真影 は #海外公館に飾られていた ―― #教育勅語も各国語に訳された――

#御真影 #海外公館に飾られていた

―― #教育勅語も各国語に訳された――

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1911年に刊行された、G・G・ルパートの著書"The Yellow Peril"(『黄禍』) 写真は(Public Domain)

#黄禍論も広まった

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教育勅語の意味をできるだけ客観的な視野から検証してきましたが、一つには、「御真影」と一体の関係として捉えないと、全体像は描けないことが分りました。

そして、その「御真影」に出会った意外な場所とは海外の日本大使館や領事館等の公館でした。外からのお客さんを迎える応接室のような部屋がいくつもあるのでしょうが、例えばボストン日本人会の幹部があいさつに訪れたときに通されるのは、普通の応接室でしょう。その正面に天皇と皇后お二人の写真が恭しく飾られていたのです。

ことによると「麗々しく」の方が相応しいのかもしれませんが、1970年代ですから、普通の家庭に「御真影」が飾られることはまずない時代です。海外の公館の応接室で、「これが日本の大使館・領事館?」と思うほどの違和感と言ったら良いのか、非日常感と言ったら良いのかに襲われてしまったのです。

そしてそのときだけではなく、それから何度も海外の公館を訪れる機会があり、その度に「御真影」に接することになりました。別の部屋には皇太子と皇太子妃の写真が飾れたりしていましたので、海外公館は、皇室漬けになっているとさえ感じたこともありました。

それは、外国とのお付き合いが天皇の職務の中でも重要であることから、宮内庁の幹部職には外務省出身者が多いこととも関連があります。

となると、外務省と教育勅語の関係も無視できません。明治政府が外務省を通して、あるいは外務省や関係者が働き掛けて、積極的に教育勅語を海外にPRしたことにも注目する必要があるのです。

金子堅太郎による教育勅語の政府訳作成提案がその始まりです。金子は日露戦争後の日露関係修復のために、仲裁の労をアメリカに取って貰うという大役を果たしたのですが、当時の様子を、『教育勅語』 (解説・大原康雄、ライフ社 1996年) から引用します。

教育勅語の評価については、海外におけるそれにも目を向ける必要があるだろう。

日露戦争の開戦直前に元老伊藤博文の命を受けて、あらかじめ戦争終結の幹施を工作するために米国へ派遣されていた金子堅太郎(福岡県出身の政治家。当時の米国大統領T・ルーズベルトとハーベード大学で同窓)という人物がいる。金子によれば、大方の予想に反して日本軍が連戦連勝するのを見て驚いた米国人に、「日本の勝利は国民の教育が必ず然らしめるところであろう。日本の教育はどうなっているか、伺いたいと質問された。そこで人金子は、軍人勅論を挙げるとともに、まず一般教育において教育効語がその根底をなしていることを指摘し、求めに応じて前もって翻訳しておいた教育勅語の英訳を披露したところ、多くの米国人から共感と称賛の声が寄せられたという。

日露の和平が成って帰国した金子は、政府によって正式に勅話を翻訳する必要があることを時の牧野伸顕文相に提言、まず菊地大麓(理学者。東大総長・文相などを歴任)・新渡部稲造(思想家・農学者。国際派知識人として活躍、国際連盟事務局次長をつとめる)らによって訳された英訳本が明治四十年(一九〇七)に公にされ、次いで漢訳が成り、さらに同四十二年に至って仏訳・独訳が完成し、在外公館を通して世界各国に配布された。

明治四十一年にロンドンで開催された国際道徳会議においては、その要請に応じて菊池が教育勅語について講演し、好評を博した。こうした事例はほかにもあり、欧米の識者の問での教育勅語の評価は存外に高かったのである。

海外に教育勅語を広めようとする努力のあったことは事実ですし、教育勅語を評価する人たちのいたことも事実です。同時に、その結果がどうだったのかについても冷静に判断する必要があります。

その際、同時進行的に起きていた「黄禍論」にも目を向けなくてはなりません。例えば、アメリカでは1906年のサフランシスコ地震の後に対日感情が悪化し、1907年には移民の制限が行われた後、1913年にはカリフォルニア州で日本人に対する3年以上の土地の貸与が禁止されるなど、「黄禍論」が台頭し具体化されていた事実と教育勅語の海外PRとは関係があるのでしょうか。

 

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[2024/3/21 人間イライザ]

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2024年3月10日 (日)

#1945年3月10日 の #東京空襲 は #ジェノサイドだった ――#一晩 に #10万人が虐殺された日 #忘れられた日――

#1945310 #東京空襲 #ジェノサイドだった

――#一晩 #10万人が虐殺された日 #忘れられた日――

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#我が家は焼け出されました

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最高裁の判決の根っこを確定して、これからの時代への影響力を減らしたいという作業をしていますが、今日は3月10日ですので、1945年のその日の意味を振り返りましょう。

他人人に、「東京大空襲」と呼ばれますが、それは「虐殺」でした。今の言葉ならジェノサイドと言っても良いかもしれません。、罪のない子供や女性・高齢者が空爆で一晩に約10万人も殺されたのです。その全ては「民間人」でした。

B29の編隊329機が襲来して、木造家屋を焼き尽くす最も効果的な「焼夷弾」を約2時間の内に33万発も落して、東京の中心部を焼き払ったのです。それも、深川地域を中心に、香華対象の地域の外辺部にまず焼夷弾を落し、火事を起して、その内側に住んでいる人は外に逃げられないようにしてから、中心部を爆撃するという「皆殺し」戦法を取ったのです。カーペット・ボミングとも呼ばれました。そして、この作戦を計画、実行、指揮したのが、カーチス・ルメイ司令官でした。[出典はWikipedia https://www.wikiwand.com/ja/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%81%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%83%A1%E3%82%A4]

次に別のサイトからルメイの回想録の中の言葉を引用しておきましょう。私も他の他の文献でも読んだ記憶があるのですが、それについては確実な出典が見付かり次第アップします。 [出典はユダヤ館 「ヒロシマ・長崎への原爆投下と東京大空襲について」http://www1.s-cat.ne.jp/0123/Jew_ronkou/america/atomic_bomb_holocaust.html]

さて戦後、カーチス・ルメイは回想記の中で次のように述べた。

「私は日本の民間人を殺したのではない。 日本の軍需工場を破壊したのだ。 日本の都市の民家は全て軍需工場だった。 ある家がボルトを作り、隣の家がナットを作り、向かいの家がワッシャを作っていた。 木と紙でできた民家の一軒一軒が、全て我々を攻撃する武器の工場になっていたのだ。 女も子供も老人も全て戦闘員だった。 これをやっつけて何が悪いのか」。

 カーチス・ルメイは東京大空襲を初めとする無差別爆撃、及び、広島・長崎への原爆投下の直接の責任者であった。 しかし、1964126日、日本政府はカーチス・ルメイに勲一等旭日大綬章を授与した。 授与理由は「カーチス・ルメイは日本の航空自衛隊の育成に協力した」というものである。 この時の総理大臣は後にノーベル平和賞を受賞した佐藤栄作である。

ウクライナもガザも大変非人道的な状況が続いています。一刻も早く戦闘を止めさせなくては、ウクライナでもガザ地区でも犠牲者は日に日に数を増やしています。

それほどの悲劇を前にして世界は憤っています。それは当然です。でも、1945年3が11日には、世界は東京に関心を持ちませんでした。一晩に非戦闘員が10万人も殺されたことが、世界的にはほとんど知られてはいなかった上、知っていた人たちの間から強い抗議の声が上がることもありませんでした。

ウクライナやガザの戦闘を止めさせる努力とともに、1945年3月10日についての私たちの記憶も大切にして、このようなジェノサイドが繰り返されることのないよう、私たちが未来に向けた対応プラン、再発予防計画を立てておかなくてはなりません。

 

2024年も健康に留意しつつ、少しでも良い年にすべく頑張りましょう。

[2024/3/10 人間イライザ]

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2024年3月 4日 (月)

#五ノ井里奈さん に #勇気ある国際女性賞 ――これを #日本の未来 に #つなげる責任は私たちにある――

#五ノ井里奈さん #勇気ある国際女性賞

――これを #日本の未来 #つなげる責任は私たちにある――

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Credit: “The Sirota Family and the 20th Century” at Japan Society, NYC | Joel Neville Anderson from New York & Rochester, NY, USA; cropped by Beyond My Ken (talk) 02:43, 3 January 2013 (UTC)

#ベアテ・シロタ・ゴードンさん の #志を受け継がなくてはなりません

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日本社会を覆う、なんとも言えない「モヤモヤ」について、その正体を理解するために格闘していますが、五ノ井里奈さんの「勇気ある国際女性賞」受賞が、一つのヒントを与えてくれているような気がしています。

朝日新聞DIGITALの3月2日の報道によると、アメリカの国務省は、元自衛官の五ノ井里奈さんに、勇気ある国際女性賞を授与することにしたそうです。

受賞理由は、「セクシュアルハラスメントと説明責任を国民的議論に押し上げ、伝統的な日本社会でタブー視されてきた問題に光を当てた。性被害を受けた無数のサバイバーたちが、沈黙の中でこれ以上苦しむことがないよう、自らの体験を名乗り出ることを後押しした」こと。そして、彼女の勇気ある行動の結果、「自衛隊はジェンダーを問わず日本人が尊厳を持って国を守れるよう、より安全な職場の構築を進めている」ことになったとも述べています。

五ノ井さんの勇気について、また我が国のジェンダー・ギャップについて詳細に論じることは他の方々にお任せします。

折角の機会ですから、この賞の他の受賞者たちも一緒に世界という枠組みの中で考えると、この賞を機会に、私たちが改めて日本の未来に責任を持ち、新たな決意で社会全体を変える努力をしなくてはならないことに気付きます。「モヤモヤ」があっても努力を続けなくてはならないのです。

そのために、アメリカ国務省のホームページを見ると、この賞の今年の受賞者は12人です。国別には、アイウエオ順に、アフガニスタン、イラン、ウガンダ、エクアドル、ガンビア、キューバ、バングラデシュ、ミャンマー、ベラルーシ、ボスニアヘルツェゴビナ、モロッコ、そして日本です。

2023年の世界ジェンダー・ギャップ・レポートのジェンダー・ギャップ・ランキングの順だと、次の通りです。

41位 ベラルーシ

51位 エクアドル

59位 バングラデシュ

78位 ウガンダ

86位 ボスニアヘルツェゴビナ

119位 ガンビア

123位 ミャンマー

125 日本 

136位 モロッコ

143位 イラン

146位 アフガニスタン

キューバ (ランキングには掲載なし)

改めてこのランキングと受賞者の一覧を見て、日本人一般のジェンダー・ギャップについての認識が甘いことを再認識しています。人権意識と言い換えても良いでしょう。それは取りも直さず、憲法が日本社会に生かされていないことの証拠です。

ジェンダー・ギャップについては、昨年の6月に世界経済フォーラムの発表をマスコミが取り上げています。でも、その結果が政治の世界を揺るがしもせず、社会全体としての対応も悪化の一途を辿るだけで、経済面での30年間の賃金の停滞とともに、何事もなかったのかのような扱いをされてきました。

ジェンダー・ギャップの指数の推移と、賃金の推移のグラフを見て下さい。

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ジェンダー・ギャップ指数の推移

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賃金の推移国際比較

20年、30年という長い間、女性が虐げられ賃金の面でもこれほどの停滞が続いているのですから、「革命」が起きてもおかしくはありません。しかし、日本の国民は動かなかった。だから20年、30年と続いたのです。社会全体が取り組むべき大きな問題について、毎年数字は公開されていても、それを自分の問題として、「当事者」として受け止めて来なかったということなのではないでしょうか。

その意味で、五ノ井さんの勇気ある行動がアメリカの国務省にさえ認められたということは、逆に我が国の社会の持つ闇の部分が如何に深いのかということを示してはいないでしょうか。

そして、その闇を理解する上で、もう一人の勇気ある女性が頭に浮かびました。終戦直後、女性の権利を日本国憲法に24条として追加するために頑張ってくれたベアテ・シロタ・ゴードンさんです。彼女はGHQという軍組織、そして占領軍という日本側からは従うしか選択肢がなかった存在の中で、日本で一番弱い存在だった女性のために勇気を奮った人だったのです。

もう一つ、これは米国務省というもう一方の公権力の力が生きるかもしれないという点です。五ノ井さんという一人の人間の勇気が元になって、社会全体が大きく変るという良い結果になればそれは素晴らしいのですが、その逆の可能性も残っています。戦前からの軍隊の体質が、今でも自衛隊に残っているとしたら (そしてその可能性は否定できないのですが) 、やがて、五ノ井さんという個人がその大きな力に飲み込まれたり、逆に恨まれたりする可能性さえあるかもしれません。

そんな逆反応を抑えるために、日本社会にはかなりの影響力のある「外圧」、特に「米国務省」からの外圧として、この賞が役立つかもしれないではありませんか。それは、今ようやく始まった (と、少なくとも信じたい) 社会全体での人権、特に女性やマイノリティーの位置付けの見直しを確実にする上で、当然大きな役割を果すはずです。

執拗に、憲法の精神を否定しようとする勢力に対抗するためには、五ノ井さんのような勇気ある人たちを応援し、時間枠や空間枠に捉われずに、至る所で頑張っている「同志」を見付け、連帯し激励し合い、エネルギーを分け合いながら、当り前のことかもしれませんが、努力を続けることが、やはり基本になるのではないでしょうか。

 

2024年も健康に留意しつつ、少しでも良い年にすべく頑張りましょう。

[2024/3/4 人間イライザ]

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2024年2月22日 (木)

#2月22日 は #加藤友三郎の誕生日 です ――#アメリカ初代大統領 #ワシントンの誕生日 でもあります――

#222 #加藤友三郎の誕生日 です

――#アメリカ初代大統領 #ワシントンの誕生日 でもあります――

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加藤友三郎の銅像--8月に中央公園に戻されます(常広一信氏撮影)

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このブログのお気に入りテーマの一つは加藤友三郎ですが、2月22日は友三郎の誕生日です。生まれたのは1861年、文久元年です。

年は違いますが、1732年の同じ日にはアメリカ初代大統領のワシントンが生まれています。連邦政府の法律ではワシントンの実際の誕生日の代りに、2月の第3月曜日をワシントン誕生日として祝います。1809年2月12日に生まれたリンカーン大統領も加えて、2月の第3月曜日を「プレジデントの日」として祝う州もあります。

友三郎は、広島市出身の初の総理大臣ですが、海軍軍人として日本海海戦では、東郷平八郎司令長官の下、参謀長として勝利に貢献し、その後、4代の内閣で海軍大臣を務めたのち、1922年には総理大臣に就任します。

友三郎の最も大きな業績の一つは、1921年から22年に開かれたワシントン軍縮会議で、軍拡を主張し続けた軍部を抑え、英米との間に軍縮条約を締結し、日米の協調路線を締結しただけでなく、その後も、中国やロシア史の国際関係も平和と協調の道へと導いたことです。

日本ウェルネススポーツ大学の工藤美知尋教授(友三郎の伝記『海軍大将加藤友三郎と軍縮時代』--光人社文庫)は、友三郎の政治的な偉大さを次の一言にまとめています。

あと数年友三郎の命がもってくれれば、太平洋戦争は避けられたのではないだろうか。

友三郎がなくなったのは、1923年8月24日です。その100周年を記念して昨夏にはシンポジウムを開催しましたが、誕生日、2月22日は誰にでも、覚えられます。来年のこの日には、ワシントンと並んで我が国の政治に大きな足跡を残した友三郎を偲んで、皆さんも発信をしてみませんか。

私は、広島市が2月22日を「軍縮と平和の日」と制定し、休日にすることを提案します。少なくとも、講演会や展示会等のイベントを開催することくらいはできるでしょう。

なお、友三郎についての情報は、次のようなサイトを御覧下さい。クリックするとサイトに飛べます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2024年も健康に留意しつつ、少しでも良い年にすべく頑張りましょう。

[2024/2/22 人間イライザ]

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2024年1月28日 (日)

#入市被曝 した #米兵 には #補償金 が出ている ――#被爆者 の #アメリカへの請求権 を #棚上げ するな――

#入市被曝 した #米兵 には #補償金 が出ている

――#被爆者 #アメリカへの請求権 #棚上げ するな――

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慰霊碑前での座り込み

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「新・ヒロシマの心を世界に」と重なってしまうと思いますが、大切なことですので、両方でお読み頂ければ幸いです。

さて、広島の被爆者の中にアメリカ兵がいたことは、被爆者の森重明さんや元広島女学院教授の宇吹暁さんの研究で知られていましたが、それがより多くの人に知られるようになったのは、2016年5月のオバマ大統領広島訪問がきっかけでした。大統領と森さんの「ハグ」する姿が世界に発信されたからです。

終戦後の日本には、アメリカからの「進駐軍」に吃驚したり恐れたりといった光景があちこちで見られました。ですから広島にも進駐軍が来ていたことは間違いないのですが、それは10月以降のことでした。長崎も含めると、両市の近くに駐屯していたのは、翌1946年の7月1日までのようです。(Defense Threat Reduction Agency Fact Sheet)

1月27日は、1951年にネバダの核実験場で初めて核実験が行われた日で、40年前にアメリカの市民団体の提案で始まった国際共同行動の日です。目的はネバダ核実験場の閉鎖と核実験の全面禁止ですが、ネバダの核実験で被害を受けた人たちが始めた、控えめとは言え重要な一歩となるこの目的も未だに実現されていません。

しかし、世界中で志を同じくする人たちが、同じ目的達成のために共同行動を取ることには意味があります。目的そして中間目標の達成の確認とさらなる目標の再設定です。そして、多くの人たちが一堂に会し、何人かが話をすることで多くの新たな事実を知ることにもなるのです。

例えば27日には、原発はゴメンダ市民の会の木原省治さんが挨拶をしましたが、これまでの歴史を踏まえてとても勉強になる内容でした。その中で、私の無知を再認識したことがありました。

それは、1946年の7月以前という期限付きなのですが、広島に進駐していたアメリカ兵には、アメリカ政府から補償金が出ているのだそうです。

日本政府の決めた「被爆者」の定義では、4つの場合が該当することになっているのですが、その中の「入市被爆者」は、被爆した市内に、被爆後14日以内に入った人たちを指します。二週間です。でもアメリカの場合は一年なのです。

1963年に言い渡された、いわゆる「下田判決」では、原爆投下は国際法違反であることは認めたものの、被爆者個人はアメリカに対する請求権は持たないという判断を示しています。

その他にも自国民であるかそうでないか、放射線の被害はどのくらいの期間続くのか等々、多くの論点のあることは分りますが、それでも、2週間と一年との差について、誰かがアメリカや日本政府に対して問題提起をすべき場合なのではないでしょうか。

その責任を一番自然に負える立場にいるのは広島市長です。パール・ハーバー国立公園と広島の平和公園の姉妹公園協定を結ぶために、アメリカに対する請求権問題は棚上げにする、などと言っている場合ではないのです。

 

2024年のこれからも心配ですが、健康に留意しつつ、少しでも良い年にすべく頑張りましょう。

[2024/1/28 人間イライザ]

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