教育

2024年5月 7日 (火)

#全米大学生の目標 は #大学が #Discloseと #Divestすること ―― #アパルトヘイト撤廃の力になった――

#全米大学生の目標 #大学が #Disclose #Divestすること

―― #アパルトヘイト撤廃の力になった――

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#タフツ大学数学科の建物

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全米の多くの大学のキャンパスで、学生たちがイスラエルのガザ攻撃に抗議し、即時停戦ならびにパレスチナの解放を求める行動を続けています。

日本の大学の経営システムとはかなり違う形で、アメリカの大学は経営されていますので、日本社会の枠組みからはなかなか分り難いかもしれません。私の経験に照らして、解説をしておきたいと思います・

まず経営のシステムと今アメリカで起きている学生たちの抗議行動については、毎日新聞のディジタル版、52日号が的確にまとめてくれていますし、分り易いと思いますので、そちらを御覧下さい。

アメリカの多くの大学で、これほどまでに学生たちの活動が広がっているのかという理由の一つは、歴史的にいくつもの成功例があるからです。私がタフツ大学で教鞭を執っていた頃に遡ります。1980年代ですが、学生たちは大学の建物占拠までして、南アフリカに投資している企業に対する、タフツ大学の投資を引き上げるように要求する運動を展開しました。

私たち教授陣の有志も、学生たちや大学の理事会との調整も含めて、アパルトヘイト撤廃のために大学としてどのような方針を取るべきかについての議論を深めました。基本的には学生たちと一緒に大学にDivestmentを求めることになりました。

結局、その時点では完全な形の投資引き上げ (Divestment) には至りませんでしたが、大学側が南アフリカ関連の企業への投資について検討をすることと、部分的な対応を約束して建物の占拠は解かれました。そして数年後の1989年には、タフツ大学の理事会は南アフリカ関連の投資を完全に引き上げるという決定をしました。

全米の他の大学でも同じようなことが起きましたので、アパルトヘイト撤廃のために学生たちの果した役割は、「平和的」な範囲で済み、しかもその成果は大きかったのです。

その他のテーマ (例えば、私企業による刑務所の運営) についても、アメリカの学生たちはまず大学の投資についての方針を変えさせることに注力し (その他のことで、短期的に目的を達成する可能性を勘案しつつ) 同様な成果を挙げてきています。

今回もそうした、歴史を踏まえつつ「Disclose (大学への寄付、大学がどこに投資しているのか) そして、「Divest (イスラエル関連企業等からの投資引き上げ) を大学側に求めているのです。

こうした動きが、より広い社会における不買運動と連携することで、大きな力を持つであろうことはお分り頂けると思います。

これが直ちに我が国でも実行できるのかどうか、そもそも意味があるのかも分りませが、身近なところから声を上げることから大きな結果に至る可能性を探しましょう。

 

今日24時間が、皆さんにとって素晴らしい一日になりますよう!

[2024/5/7 人間イライザ]

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2024年3月26日 (火)

私にとって#注目を集める は #誤用 ―― #号令 としての #注目の体験 があります――

私にとって#注目を集める は #誤用

―― #号令 としての #注目の体験 があります――

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「#注目」しているのは「#私」ですよね

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このところ、日本語にはまっていますので、その勢いで続けます。

長い間、「注目を集める」には違和感を持ち、「誤用」だとさえ思ってきていました。ところが、尊敬する国広哲也先生の『日本語誤用・慣用小事典』の184ページには、それが正しい使い方として登場したのです。

「話題を集めた」という、ちょっと疑問符の付く表現の説明の一部に、「注目を集めた」という表現と、「話題になった」が影響し合って、「話題を集めた」になっているというのです。

手許のいくつかの辞書をチェックしてみると、集英社の『国語辞典』には、用例として「注目を集める」が載っていますので、世間的にはかなり認められてしまっているのでしょう。

でも、私には「大いなる違和感」があります。その理由を考えて見たのですが、これまでの人生、特に子ども時代の影響が大きいように思えてきました。それは、日常的に「注目」が生きていたからです。

一番、印象に残っているのは、「国旗に注目」です。学校の行事では国旗掲揚がその一部でしたが、国旗が掲揚されるときには、「国旗に注目」という号令とともに、国旗を見なくてはなりませんでした。他にも、「○○に注目」という号令が結構ありました。

ですから、私の頭の中では、「注目」の主語は「私」なのです。つまり、私が注目するという主体と行動が一体になっているイメージがあるのです。そこからは、「注目が集まる」にはイメージが飛ばないのです。

その他の、「誤用」についても同じような分析が出来そうですので、一つずつ俎上に載せたいと思います。

2024年も言葉を大切にして、知的にも情緒的にも誠実さが輝く年にすべく頑張りましょう。

[2024/3/26 人間イライザ]

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2024年3月19日 (火)

#教育勅語 と #御真影 ―― #どう扱われたのか も #一緒に考えないと――

#教育勅語 #御真影

―― #どう扱われたのか #一緒に考えないと――

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#山中恒 ・ #山中典子著 の #間違いだらけの少年H

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教育勅語も軍人勅諭も、「暗記」というより「丸暗記」が基本的には押し付けられました。そして、まず教育勅語に焦点を合わせると、学校行事の大切な節目節目には、最大限の威厳と畏怖の念を伴った行事として、厳粛裡に執り行われました。

その様子を垣間見るためには、「YAHOO!JAPAN知恵袋」の回答の中の「ベストアンサー」が分り易い説明をしてくれています。

そして回答者の「ya1****」さんが最後に触れている、「人間の生き方を示したよい面も含まれていました。」が、教育勅語問題を解く一つのヒントを与えてくれているのです。

恐らく「ya1****」さんにはそのような意図はないだろうと思いますが、それは、最近話題になった広島市長が新人研修のために教育勅語を使ったり、稲田朋美元防衛大臣が教育勅語を正当化したり、日本会議がその普及に熱心だったりするときの「口実」としても使われている言葉だからです。

その口実を受け入れることは、実は軒を貸すことになるのですが、その結果として母屋までというのが、教育勅語推進派の目的だとしてもおかしくはありません。

そんな術中に陥らないために、教育勅語がどう扱われたのか、もう少し詳しく見てみましょう。そのために、私の尊敬する「歴史家」、山中恒さんと山中典子さんに登場して貰います。お二人の書かれた『間違いだらけの少年H』です。副題は「銃後生活史の研究と手引き」で、1999年に勁草書房から出版されています。

この本の53ページから54ページ、そして58ページに興味深い記述があります。まず53から54ページです。

4年生以上の使用する修身教科書の冒頭にはすべてに「教育ニ関スル勅語(一般に「教育勅語」とよばれたが、これは略称)が掲載されていて、4年生になると授業で暗唱させられた。

ばかばかしい話だが、私はいまだに教育勅語が全部暗証できるし、ついこの間までは旧漢字で書き取りもできてしまった。先日も私よりわずか年長の方の話をきいていたら、この方はなんと「ジンム、スイゼイ、アンネイ、イトク、コウショウ、コウアン、コウレイ、コウゲン、カイカ・・・・」とまるで御詠歌でもうたうように、歴代天星の贈り名を百二十三代の大正天主までをみごとにやってのけたのである。教学大旨(明治12=1879)に「仁義忠孝の心は人みなこれあり、しかれどもその幼少のはじめに、その脳髄に感党せしめて培養するにあらざれば、他のものごと、すでに耳に入り、先入主となるときは、後いかんともなすべからず」(引用者註=原文は旧漢字、句読点無し、カタカナ)とあるように、仁義忠考のことは忘れてしまったが、教育勅語の文句だけは経文のように「脳髄に感覚せしめ」られてしまったのである。

さて第1章の年表を見ていただけばわかるが、昭和十五年といえば、昭和十年の天皇神格化の先がけとなった[国体明徴運動」があり、さらには昭和十二年、教育現場における天皇神格視の強化をはかった『国体の本義』編纂配布があり、しかも皇国史観によって、人皇第一代の神武天皇が即位してから二千六百年というので、大々的に「皇紀二千六百年祭」が開催される年にも当たった。それだけに学校教育の現場では子どもたちに、いっそう天皇景仰の臣民感覚をインプリンティングさせるために徹底した天皇崇拝のしつけが行われていたのである。

その「天皇景仰と天皇崇拝」の気持を植え付けるために、大掛かりな式典が挙行されていたのです。山中の58ページに載せられている式次第を見るだけでもその様子が絵見てくるような気がします。

『日本の教育課題1「日の丸」「君が代]と学校』(1995年・佐藤秀夫編・東京法令出版)および『続・現代史資料8・教育―御真影と教育勅語1(前出)には昭和十三(一九三八)年に山形の北村山郡小学校長会が編纂した【三大節明治節其の他儀式次第並に其の作法」というのを紹介している。

もちろんこれは、小学校令施行規則第28条によるもので、各学校の式次第もこれとほぼ同じであったし、私の在籍した小学校・国民学校も全くこれと同じであった。原文はカタカナなので、ひらがなになおして引用しておく。

 

第四 三大節及び明治節拝賀式次第

ー、  職員児童着席

二、  来賓着席

三、  校旗入場(引用者註 = 私の国民学校では、校旗はあらかじめ濱壇の下にかざってあった)

四、  敬礼                                 一同楽器を以て合図

五、  始式の挨拶

六、  開 扉                  一同俯首低頭 学校長奉仕

七、  唱歌  君が代                   二回  一同合唱  楽器伴奏回

八、  御影に対し最敬礼 1、学校長及び職員/2、児童生徒/3、管理者及び参列者

九、  勅語奉読>

一〇、  唱歌勅語奉答    一回  一同合唱  楽器伴奏>

一一、  閉扉                 一同俯首低頭  学校長奉仕

ー二、  学校長誨告  (引用者註=教え告げるの意)

一三、  当日の唱歌  (引用者註=それぞれの式歌)    一回 一同合唱 楽器伴奏

一四、  終式の挨拶

一五、  敬礼                 一同  楽器を以て合図

ー六、  校旗退場

一七、  退場

御真影と教育勅語はいわば一体化された存在であり、教育勅語に「良い面もありました」と言うことは、天皇の存在やその絶対性さえも認めることになるというトリックを御理解頂けたらと思います。そして、一体生かされた御真影と教育勅語は、教員の命を賭けてさえ守らなくてはならない存在だったのです。

例えば、2017.6.10 教育史学会シンポジュウム「教育勅語の何が問題か」(於お茶の水女子大学)での、小股 憲明(大阪芸術大学短期大学部)氏による報告、「教育勅語・御真影をめぐる不敬事件と学校儀式」には、教育勅語についての多面的な解説と、多くの不敬事件や殉職事件の詳細が載せられています。一二を抜き書きしておくと、

  • 明治 40[1907]年 1 月 仙台市県立第一中学校の御真影・教育勅語謄本焼失事件=大友元吉書記の御真影・教育勅語謄本殉職事件~校舎火災の際、取り出そうとして逃げ遅れて殉職。
  • 大正 12[1923]年 9 月 関東大震災時の御真影殉職~関東大震災での殉職者 41 名(神奈川県 27、東京府 13、千葉県 1)。うち東京 13 名中の 8 名までが、「御真影を守護」「御真影奉遷のため奮闘中」の殉職であった。

戦後かなり経った頃でも、少し古い家に行くと、鴨居の上に天皇と皇后の写真が飾られていたことを思い出しますが、「御真影」の意味がハッキリ伝わってきたのは、実に意外な場所からでした。

[当然、続きます]

 

2024年も言葉を大切にして、知的にも情緒的にも誠実さが輝く年にすべく頑張りましょう。

[2024/3/19 人間イライザ]

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2024年3月16日 (土)

#大事なことは #暗記させる ―― #軍人勅諭 と #教育勅語――

#大事なことは #暗記させる

―― #軍人勅諭 #教育勅語――

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#教育勅語

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日本社会がどのような価値を重視してきたのかを確定するために、できるだけ客観的な基準を設けて考えたいと思っています。日本社会が、憲法より明治時代に作られた刑法や民法を優先してきたと判断するためには、最高裁の判決という客観的な事実を根拠にしました。

そのことだけからでも十分に推測はできるのですが、その他の視点も採用して、より説得力のある考察にしたいと思います。

それは、一人の人間が考えたり行動したりするときの根幹と言えば良いのか、原点と呼べば良いのか、とにかく私たちの存在の基礎である「価値」を私たちはどう身に付けているのか、という視点です。

身に付いているとは、その価値を「内面化」していることだと言い換えておきましょう。例えば、自転車の運転ですが、最初はお父さんやお母さんに支えて貰ってようやく前に進める状態から始まって、自分だけで乗れるようになり、やがて、頭では何も考えていなくても「自然に」乗れるようになるのですが、これが「内面化」です。

自転車に乗るための一連の動作は、普通、一度内面化されると忘れることがない点も重要です。

身体的な内面化ではなく、知的な内面化では、「数学の問題が解ける」という例を挙げておきましょう。幾何学の問題では、多くの皆さんも経験していらっしゃることだと思いますが、なかなか解けない問題を解こうとして、例えば補助線を引きます。その途端に、答が「分った」という経験です。

これは、幾何学の問題、つまり図形や角度などの情報が頭の中で「内面化」されて、一連の鎖としての考えの集まりが、一つの、いわば「全体像」として頭の中に現れたことを意味します。

数学の問題は日常的に、私たちの目の前にある訳ではありませんので、何時か忘れてしまいますが、問題が解けてから当分の間は、同じ問題が出されれば、ほとんど考えることなく、その回答が頭に浮かぶはずです。

以上のことから、為政者が、自分たちの支配対象に教え込みたい何かがあったとすると、どうするのかということはもうお分りですね。その「何か」を覚え込ませる、暗記させるのが普通です。

そして明治時代に、ほとんどの「臣民」に記憶させたのが、軍人勅諭と教育勅語です。軍人勅諭は、軍人としての心得を天皇が直接臣民に与えたもので、1982年 (明治15年)に「下賜」されています。教育勅語は、1890年 (明治23年)に、教育の基本方針・国民道徳の基準を示すために公表された天皇の言葉です。

明治憲法の発布が1889年 (明治22年)、旧・刑法が施行されたのが1882年 (明治15年)、民法が施行されたのが1898年 (明治31年)ですから、この時期に我が国の基本的な「価値」は、成文としてまとめられたのです。

詳しくは、稿を改めますが、軍人勅諭は軍人に暗記させ、教育勅語は「臣民」に暗記させることが、国の方針を国民・市民に「内面化」させる施策の一つの柱になりました。

 

2024年も健康に留意しつつ、少しでも良い年にすべく頑張りましょう。

[2024/3/16 人間イライザ]

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2024年1月15日 (月)

#教育勅語 と #『はだしのゲン』 ――#朝日新聞デジタル記事 の #松井市長インタビュー が答になっています――

#教育勅語 #『はだしのゲン』

――#朝日新聞デジタル記事 #松井市長インタビュー が答になっています――

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『はだしのゲン』英語版

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昨2023年に広島市は平和教材から『はだしのゲン』を削除することを決めました。そして今年になってから、新人職員の研修では「教育勅語」を使い続けていたことが明らかになりました。どちらも、「平和都市」広島の歴史や意味に逆行する飛んでもない行為だ、撤回すべきだという意見が私の周りでは圧倒的に多いのですが、それはこの両者の間に密接な関係があるからです。

二日前にも引用した、2023年12月19日付の朝日新聞デジタルが報道している松井市長のインタビューが、それを明確に示しています。大切なのは、教育勅語復活論者たちは同じ趣旨の「説明」を繰り返してきていることです。

以下、そのインタビュー記事を元に、私が『はだしのゲン』を削除すべきではないという視点から、フィクションとして質問を作り、その答の部分は、実際に記者会見で松井市長が述べた言葉の一部を使って再構成してみました。フィクションではありますが、論理性は失われていないはずですので、これが、『はだしのゲン』を復活させるための強力なインセンティブになるはずです。

[質問] 『はだしのゲン』は平和教材から削除すべきではないかという意見があるが。

[]  2013年から使っている。どっかが悪かったから全部悪いとか、どっかがよいから全部いいと判断しないで、多面的に考えるということをやっていかないと、いろんな意見があったときに対応できなくなってしまう。そんなことの実例として、『はだしのゲン』を使っている。

[質問] 『はだしのゲン』の評価や悪い部分をどのように考えているのか?

[]   中身については民主主義を取り込もうとしている内容だから、そういう評価ができるのではないかと説明している。物事を一律に良い悪いとかってやらないで、分析する目を持とうという資料として使っている。

[質問] 来年度以降も使うのか?

[]  いろんな評価があったとしても、まず自分で、ファクトファインディングというか、事実を確認する。どんな意見があるかということをわきまえた上で対処するということを、可能な限り子どもたちにはやってもらいたいと思いますよ。そういう意味で、例示として使えればと思います。

昨日と同じ結論になりますが、これで、教育勅語を復活させようとしている人たちの言い分が全く説得力を持たない、ということは十分お分り頂けたはずです。そしてその言い分を認めるなら、『はだしのゲン』を削除できなくなってしまうということも憶えておきましょう。

 

2024年のこれからも心配ですが、健康に留意しつつ、少しでも良い年にすべく頑張りましょう。

 [2024/1/15 人間イライザ]

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2024年1月14日 (日)

#徳目 を教えるのに、なぜ #明治時代 の #遺物 だけに限定するのか ――#平安時代 も #日本の歴史 の一部――

#徳目 を教えるのに、なぜ #明治時代 #遺物 だけに限定するのか

――#平安時代 #日本の歴史 の一部――

3ジジ放談 5617秒から見て下さい

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昨日は、広島市の新任職員研修で、松井市長が積極的に教育勅語を引用していることの問題点を取り上げました。ポイントは、教育勅語の正当化に対する反論をする際に、視野を広げて例えば軍人勅諭も一緒に考えると、自ずから見えて答がある、ということでした。

今回は別の方向に視野を広げてみました。安倍内閣でも教育勅語の推進策が取られて物議を醸したことです。出典もはっきり示してのまとめを志葉玲さんが「YAHOO!JAPANニュース」の2018年10月5日号に載せていますので、詳しくはそちらを御覧下さい。

二つだけ取り上げておくと、2017年当時の稲田朋美防衛大臣は、「私は、その教育勅語の精神であるところの、日本が道義国家を目指すべきである、そして親孝行ですとか友達を大切にするとか、そういう核の部分ですね、そこは今も大切なものとして維持をしているところでございます」と述べています。

2018年には当時の柴山昌彦文部科学大臣が「アレンジした形で、今の道徳などに使える分野があり、普遍性を持っている部分がある」という評価をしています。

松井市長発言も含めて、発言している個人個人の批判も大事なのですが、これだけ多くの人が一貫して同じことを主張していますので、その根本を確定した上で対策を講じないと根絶やしにできそうもありません。

これらの主張の特徴は、人類的・世界的に認められている普遍的価値を広めるためには、教育勅語でも何でも役立つものは使って良い、という風に解釈できます。

となると、選択肢がかなり広がって、昨日の軍人勅諭もその中に入ります。それだけではなく、歴史的に視野を広げて考えると感心するほどの卓見が現れる事例を、前川喜平元文科省事務次官が紹介しています。冒頭の動画です。

平野貞夫元参議院議員・佐高信・前川喜平の「3ジジ放談」というYouTubeの番組の56分17秒からを御覧下さい。

ここで前川さんが紹介しているのは、故伊吹文明元衆議院議長の言葉です。趣旨としては、日本の良いこと、人類として未来に伝えて行くべき素晴らしい価値を若い人たちに教える上で、教材として使うものを何故、明治時代の一時期という狭い時代に作られたものだけに限定するのか、という問題提起です。

近江商人の持っていた「三方よし」などが一例ですが、普遍的価値観を教えるに当っての教材となると時代を超え国や地域を超えた選択肢があるではありませんか。となると、それだけの広い範囲でなぜ、ある特定のものを選んだのかという理由が説得力を持たないと、説明したことにはならないのです。

この点で、これまで教育勅語を復活させようとしてきた人たちの言い分が全く説得力を持たない、ということも十分お分り頂けたはずです。

 

2024年のこれからも心配ですが、健康に留意しつつ、少しでも良い年にすべく頑張りましょう。

 [2024/1/14 人間イライザ]

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2024年1月13日 (土)

#教育勅語 の #引用が なぜ #問題 なのか ――#軍人勅諭 でも #同じ言い訳が使えるから――

#教育勅語 #引用 がなぜ #問題 なのか

――#軍人勅諭 でも #同じ言い訳が使えるから――

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冒頭に軍人勅諭が載っています

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広島県原水禁の常任理事会で、松井広島市長が、積極的に教育勅語を引用して新任職員研修に使っていることについて、いくつもの発言がありました。自分の所属組織が抗議をしたことに言及する人も多く、一致した意見は「絶対におかしい」でした。

でも、その「おかしさ」を一言で、ズバッと言い切れないもどかしさを感じている人もいました。私もその一人なのですが、理事会終了後に閃きました。

「教育勅語の引用が問題ないのであれば、軍人勅諭の引用も問題ない」です。逆に表現すると、「軍人勅諭の引用が大問題なのと同じ理由で、教育勅語も引用すべきではない」です。

こう言われれば、皆さん、もう理由を説明するまでもなくお分りだと思いますが、念のため整理しておきましょう。

まず、新任職員研修の資料には、「先輩が作り上げたもので良いものはしっかりと受け止め、また、後輩に繫ぐ事が重要」と書き込まれていて、その後に教育勅語からの引用があります。つまり、教育勅語、またはその一部は「良いもの」という評価をしているのです。

しかし、2023年12月19日付の朝日新聞デジタルの報道によると、同日の記者会見で松井市長は、その点を誤魔化しています。ほぼ同じ内容を何度も繰り返しているのですが、二つほど取り上げましょう。

「どっかが悪かったから全部悪いとか、どっかがよいから全部いいと判断しないで、多面的に考えるということをやっていかないと、いろんな意見があったときに対応できなくなってしまう。そんなことの実例」 

「先進国は民主主義を一生懸命広めて国力を増強しているから、日本も追いつかなきゃいけないと思って、そういうコンセプトを書き込んだ。コンセプトの使い方が、当時の天皇陛下が全部取り仕切るような用語の扱い、構成にしたことで、結局使い方を誤り、日本が軍事国家になった。」

資料では「良い」と言っているのに、記者会見では「良いとも悪いとも言わない」になってしまっています。それを元に、理屈にもならない理屈を捏ね回しているのですが、問題は、この理屈が成り立つと、軍人勅諭にも同じ理屈が成り立ちますので、軍人勅諭を使っての新任職員研修も「正当化」されるという結論になることです。

「良いところと悪いところ」という基準で選ぶのなら、軍人直にも良いところはあります。その例として、立派なことを言っている軍人勅諭の一部を引用しましょう。ただし、現代語に訳してありますし、原文では「軍人」と書かれている部分は、今の時代に合わせて「職業人」に変えてあります。出典は「ウィキソース」です。

「職業人は信義を重んずべし。信義を守ることは常識であるが、とりわけ職業人は信義がなくては一日でも隊伍の中に加わっていることが難しい。信とはおのれの言葉を守り、義とはおのれの義理を果たすことをいう。従って信義を尽くそうと思うならば、はじめからその事が可能かまた不可能か、入念に思考すべし。あいまいな物事を気軽に承知して、いわれなき係わりあいを持ち、後になって信義を立てようとしても進退に困り、身の置き所に苦しむことがある。後悔しても役に立たぬ。始めによくよく事の正逆をわきまえ、理非を考えて、この言はしょせん実行できぬもの、この義理はとても守れぬものと悟ったならば、すみやかにとどまるがよい。古代から、あるいは小の信義を貫こうとして大局の正逆を見誤り、あるいは公の理非に迷ってまで私情の信義を守り、あたら英雄豪傑が災難にあって身をほろぼし、死後に汚名を後世まで残した例は少なくない。深く警戒しなくてはならぬ。」

簡単にまとめると、人が生きる上で信義が重要であるということです。これについては問題がないのですが、そのことを伝えるために、今という時代に、新任職員研修という場で軍人勅諭を引用するのはなぜかという点です。

教育勅語が良ければ、軍人勅諭だって問題ないはずですよね。でもそれは恐らく使わないでしょう。その理由は、実は教育勅語にも当てはまるのです。

 

2024年のこれからも心配ですが、健康に留意しつつ、少しでも良い年にすべく頑張りましょう。

 [2024/1/13 人間イライザ]

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2023年12月 6日 (水)

#ベト数コン と #ベ平連 ――#数学人の集い の背景の説明です――

#ベト数コン と #ベ平連

――#数学人の集い の背景の説明です――

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今回は福富節男さんの著書から引用しています

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昨日は「数学人の集い」の報告をする積りでブログを書き始めましたが、ミーティングの報告というよりは私自身の思いを、その背景も十分説明することなく、書き散らしてしまったように思います。

その反省を踏まえて、今回はこれまで私が学んできたことの内、数学と社会との関係についてのお手本になった「#ベト数コン」について、その中心的な存在だった福富節男さんの著書からの引用を御紹介します。『デモと自由と好奇心』(第三書館刊、1991年)の64ページと65ページです。

 

ベトナム戦争と市民運動(私の昭和史II)

ベト数コンとべ平連

ベトナム反戦に触れたい。6527日、米軍は北ベトナム爆撃(北爆)を開始、世界中に衝撃を与えた。同年424日のデモでベ平連(「ベトナムに平和を!」市民文化団体連合、後に"文化団体〃 の四字が除かれる)が始まった。

同じ4月に私は友人たちと共に数学のノーベル賞と言われるフィールズ賞の受賞数学者L ・シュワ ルツ()と政治の問題を語る機会を持った。彼はアルジェリア戦争反対で教授職を賭ける闘いをし、 サルトルと共にベトナム戦争犯罪裁判(ラッセル法廷)に尽力した。スメール(フィールズ賞受賞数学者)がカリフオルニアでベトナム反戦運動をしていると彼は私たちに語った。私たちは数学会年会でS・スメールへの連帯声明と署名を呼びかけた。

522日、ベ平連第二回目デモは、スメールが議長の「ベトナムの日委員会」との日米共同デモであった。私たちはその集合地の清水谷公園へ行った。私がベ平連に接した最初である。

北爆一周年の6627日、ベト数コンと呼ぼれたベトナム問題に関する数学者懇談会は市民によびかけて北爆反対デモをした。その夜都内唯一のデモであった。その後数学会の春秋の大会のたびに集会やデモをし、モスクワでの国際数学者会議でベトナム反戦集会を開くことを日本から呼びかけ、数学者の国際的署名運動を生んだ。毎月の例会には、鶴見良行、日高六郎、丸山貞男さんらが来て話 をしてくれた。

①数学者の反戦組織を作るのではなく、ベトナム反戦の運動である。②数学者とは自ら数学者と思う人とし、職場の如何で選別しない。③アメリカのベトナム侵略に反対という点を共通項とし、その他の思想、信条を問わない。以上の三点が私たちの活動の基本であった。偶然にもべ平連の原則と相似のようであった。それには前史がある。私が日大文理学部に数学教室を作りに行き、五年後の63年に、折角この教室に集まった四人が当時としては斬新な教室作りを急いだ結果、日大イデオロギーに合わぬと、まとめてほうり出された。数学界に日大文理への抗議と非協力の声が広まって、千数百名の署名が集まった。その結果がもったいないから、「平和を守る数学者の会」というものを作ろうという提案があったが、すぐ否決された。何かの活動の必要が起ったときに、それに合った仕組を作ればよい。組織や団体が邪魔になる虞れがあるというのが、否決の理由であった。

さて、ベ平連は「ベトナムに平和を」を共通の目的とする運動で組織ではないという言い方をした。開かれていて出入り自由、個人の自発性、創意を重んじ、単なる評論をするのではなく、言い出した人が先にたつ。意識内容はラジカルに、しかし行動や表現は大衆が親しめるように考える。これらのことは今の市民運動では当然であろうが、このようにベ平連が切り開き、新鮮な感じを与えたものは多い。

これらのこと、市民運動、労働運動、党派運動の共同が必要な局面での問題点を次に書こう。

この先も興味深いのですが、まずは全体像を知って頂きたいので、そのためにベトナム戦争当時の科学者の関わり方を、短くそして分り易くまとめた一文を御紹介します。長くなりますので、これは次回に。

 

最後に皆さんにとって、今日一日が素晴らしい24時間でありますよう!  

 [2023/12/6 人間イライザ]

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2023年6月11日 (日)

数学を学ぶとは・教えるとは ――「数学人の集い」の楽しみ方――

数学を学ぶとは・教えるとは

――「数学人の集い」の楽しみ方――

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私も小学生の時に「僕に方程式を教えて下さい」と頼んだことがあります。

 

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「《社会と数学の関わり》を話し合う数学人の集い」を始めるというお知らせは、このブログで前に報告した通りです。その後も順調に回を重ね、先日、第4回目を迎えました。各回ごとに終った後も、メーリングリストでの熱いやり取りがあるのも、この「集い」の特徴なのですが、それも含めて、話題提供者の話や当日の質疑等からも大きな刺激を受けています。一言でまとめると、とても「楽しい」集いなのです。

第4回は、『僕に方程式を教えて下さい』 (以下、『僕に』と略します) の著者の一人、瀬山士郎群馬大学名誉教授 (以下「瀬山さん」と呼びます。集いの中でそう呼び合うことにしましたので。) が、少年院で数学を教えた経験とその意味、矯正教育や数学教育の意味等をお話し下さり、感動的な一時になりました。

書き始めると、その日のこと、メーリングリストでのやり取り、『僕に』の濃い中身等、止まらなくなってしまいますので、瀬山さんが教えた赤城少年院と新潟少年院の授業内容を簡単にまとめることから始めます。少年院で数学を教える意味については、ここでは説明しきれませんので、『僕に』をお読み下さい。でも以下に私の書くこともその説明の一環になっているかもしれません。

赤城少年院で瀬山さんたちが目標としたのは、「一次方程式が解けること」でした。中学レベルの子どもたちが中心だったからですし、まず授業時間が少ないこと、4月から一斉に授業が始まるのではなく、途中から入院してくる子どもたちもいること、そして学力もバラバラだという状態に対応するためです。それには、何か目標を掲げてそれに絞って、そしてそこに到達する過程で必要な知識や技術、抽象化や論理化、そして記号化という数学の本質を教えて行こうというのです。

さらに、新潟少年院は、高等学校卒業程度認定試験を受けられる指定施設になっていたため、その試験に合格できる数学力が付くようなカリキュラムが必要になりました。ここも一点突破で、二次方程式が解けるようになること、二次関数の基本を理解すること、時間的に余裕があれば三角比を扱うことが目標でした。

そして、瀬山さん、共著者の高橋さん、村尾さんのチームは、素晴らしい授業を展開されたことが、瀬山さんの話から、そして『僕に』から良く分かったのです。それは、三人の先生方の授業では数学の本質を教えていたからです。

なぜ、私がそう感じたのかを説明するのが本稿の目的ですが、比喩を使うことでグラフィックに描ければと思います。それは、「数学」全体を壮大なお花畑に喩えることです。無限に広がっているのか、どこか有限の境界があるのかも分らない、少し高い場所に移動しないと見えてこない花もある、夜と昼では景色が一変し、でも永遠に輝き続けるお花畑です。

このお花畑の「本質」とは何でしょうか。

いろいろな側面のあることもお分り頂けると思います。バラの花全体を考えたときに、バラの美しさを一番的確に表現するためにはどうすれば良いのかという問への答は、多くの芸術家が試みてきたことです。バラの数は例えば100万本というように数えられる、有限の個数しかないのか、それとも無限個あるのかというのもこのお花畑を理解する上で一つのカギになるでしょう。棘のあるバラと棘のないバラの違いはどこにあるのか、棘を取り去る方法があるのか、などという疑問を持つ人もいるかまれません。

瀬山さんたちの答は、一本のバラの花を選んで、これまで真剣にバラの美しさには目を向ける機会のなかった子どもたちに、この一本のバラの花の美しさを伝えたことなのではないでしょうか。それも、「数学の本質」です。その美しさに目覚めたときに、私たちは感動し、楽しさも味わえるのではないでしょうか。

個人的な感想ですので、実際に数学を教えていらっしゃる皆さんが賛成して下さるかどうかは分りません。そして、お花畑に喩えることは、数学に限ったことではないでしょう。でもこう考えられると思ったときに、私の世界は確かに広がりました。

最後に一言。ここで「お花畑」が出てきた理由は、例えば岡潔先生のような優れた数学者がエッセイの中で数学を花にたとえていることもあるのですが、もう20年も前の『文芸ひろしま』の中の作品「ある家族」で読んだ次の一節を思い出したからです。

「卒業旅行で、自分の乗った飛行機だけオランダに着いてしまった。みんなは、今、イタリアで何をしているだろう、そればかり考えて、今、自分の目の前にひろがっているチューリップ畑や風車のすばらしい風景を私は見てなかった。」

2016年のこのブログでも取り上げていますので、お読み頂ければ幸いです。

目の前にある花やお花畑に感謝し楽しみつつ。

「《社会と数学の関わり》を話し合う数学人の集い」の次回の会合は7月30日の午後7時からです。話題提供者は私でテーマは「核廃絶に至るシナリオ」です。参加御希望の方は、このブログの「コメント」として、メールアドレスを入力して下さい。公開はしませんので。

そして皆さんにとって、今日一日が素晴らしい24時間でありますよう!

 [2023/6/11 人間イライザ]

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2023年6月 8日 (木)

学校でとんでもないことが起きているようです。 ――生徒や学生はどうすれば良いのでしょうか――

学校でとんでもないことが起きているようです。

――生徒や学生はどうすれば良いのでしょうか――

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生徒から「ダメ」と言えば変るのでしょうか?

 

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「社会と数学の関わりを話し合う数学人の集い」の準備会については、10月3日に報告したのですが、その後、12月、2月、4月、そして6月と大変盛り上がる会を4回続けてきました。そのレポートをなかなかアップできないでいるのですが、それは、話題提供をして下さった4人の方、さらには参加者の皆さんの熱の入った議論の中身をコンパクトにまとめられないからです。いずれ、どこかで報告させて頂きたいと考えています。

「数学人の集い」の特徴の一つは、優れた教育関係者が多いことなのですが、世の中にはそうでないケースもある、というのが今日のテーマです。中・高、大学での出来事について最近耳に入った事例をお知らせしたいと思います。

生徒や学生の皆さんが嫌だと考えていても、さらには保護者の皆さんも「えっ!」と驚くようなことばかりなのですが、当事者の生徒・学生にも、保護者にも現状を変える力のない点も大きな問題です。

(事例A)  皆さんが勉強した「教室」のほとんどは、黒板の近くと部屋の後方、二か所に出入り口がありましたよね。ほとんどが開閉するドアだと思います。ある学校では、黒板近くの出入り口は先生専用で、生徒は使ってはならないのだそうです。

それだけではなく、その出入り口の一番近くに座っている生徒は、先生が教室に入るときに立ち上がって扉を開けなくてはならないのだそうです。極端な場合、反抗して開けなかった生徒がいても、先生は中に入ってから、当番の生徒にドアを置けるように指示して、また教室の外に出るまでして、これを強制するそうです。

(事例B) もう一つ、こちらは大学です。一年間の間に取得しなくてはならない単位は全て合格して取得していても、上の学年に上がるためには、それとは別の「進級試験」を受けなくてはならない大学があるそうです。これ自体もおかしいのですが、その試験に落ちると、留年するだけではないのです。もちろん一年分の授業料はもう一度払わなくてはならないのですが、それに加えて、その年に取得した単位は全て認められなくなるのだそうです。つまり、一度合格して単位は取れた科目を全て、もう一度学習し直して再度単位を取らなくてはならないのだそうです。

両方ともあまりにも理不尽で、学校側が生徒や学生の「いじめ」をしているようにさえ見えるではありませんか。しかも救済策はないのです。

以前、「日本が壊れて行く」シリーズをアップしましたが、その続きでもあります。何方か良い知恵をお持ちの方、是非教えて下さい。

 

そして皆さんにとって、今日一日が素晴らしい24時間でありますよう祈っています!

 [2023/6/8 人間イライザ]

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