教育

2022年6月12日 (日)

「雨にも負けず」

「#雨にも負けず」

040

21世紀を前に、社民党が作成した「2010年への政策ビジョン」、略して「2010ビジョン」です。副題は「日本型社会民主主義」。表紙の裏には、#宮沢賢治の「雨にも負けず」を掲げました。

Photo_20220611220101

その作成の責任者だった私は、自分の社民党員としての決意を、「雨にも負けず」に託して表現した積りなのですが、今読み返してみると不十分な点が多々あります。

今回の選挙にあたって、この改訂版を作りたいと考えていますが、問題は時間です。でも「2010ビジョン」では、その時間枠を大切にしています。目標の年を掲げて、私たちが実現したい社会のビジョンを描いている点です。

広島市長、そして平和市長会議の会長として掲げたのは「2020ビジョン」です。2020年までに核兵器の廃絶を実現したいという目標を立て、中間目標は「2015年までの核兵器禁止条約締結」です。こちらは2年遅れで実現しています。

核兵器禁止条約が実現しましたので、その後の目標として、「2040ビジョン」、つまり2040年までの核兵器廃絶を目指しての概略地図を提案したいと考えています。核兵器禁止条約さえ認めようとしない人たち、国々をどう説得するのかが鍵なのですが、「雨にも負けず」の精神を生かす積りです。

 それでは今日、皆さんにとって素晴らしい一日でありますよう。

[2022/6/12 イライザ]

 [お願い]

文章の下の《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。

広島ブログ

広島ブログ

2022年4月24日 (日)

私流英語の勉強小史 ――ラジオ講座の「基礎英語」がお勧めです――

私流英語の勉強小史

――ラジオ講座の「基礎英語」がお勧めです――

 

「英語力のキープの仕方」を取り上げましたが、そもそもゼロから始めて、どのように英語力を付けたのかも大切です。中学に入る直前の3月、NHKの「基礎英語」に出会った頃からの道筋を辿ってみました。

 月刊の雑誌は、「何月号」と銘打ってあっても、その前の月に発売されます。例えば新年号なら12月初旬か中頃です。子供の頃、何故なのかが話題になったことがありました。自分たちの都合だけ考えていたせいだろうと思いますが、一番納得できた答は、「付録が一番多い新年号がクリスマス前に発売されるように」でした。「正解」を御存知の方、出版社側の考え方を御教示頂ければ幸いです。

 Photo_20220423210801

「基礎英語」最近のテキスト

 理由は何であれ、例えば4月号が3月に発売されることで私は大きな恩恵を受けています。年は、昭和30年、西暦では1955年です。その頃の子どもはほとんど「カム・カム・エブリボディー」の平川唯一、松本亨といった名前は知っていました。4月からは中学で英語の勉強が始まる、ということでNHKの「英会話」講座テキストを手に取って見たのですが、文字通りABCから勉強を始める私には高級過ぎました。幸いなことに隣に柴崎武夫先生の「基礎英語」のテキストがありました。結局、私は毎朝、月曜から土曜までの6時からの15分間、「基礎英語」を一年間、聞きました。まだ、タイマーやクロック・ラジオが簡単に手に入る時代ではなかったので、目覚まし時計を改造して、6時になるとNHKの第二放送が聞こえる装置を作りました。

 『聖しこの夜』をはじめ、今でも英語の歌詞で歌える歌の幾つかは「基礎英語」で覚えたものですし、ブラウニングの詩、クリスマスの意味等、英語の勉強をする上で一番役立ったものの一つが「基礎英語講座」だったことに疑問の余地はありません。現在でも同じような番組がありますので、英語の勉強を始める皆さんには先ず「基礎英語」か、それに匹敵する番組を継続して聴くことを薦めています。

今振り返って大切に思えることは、歌だけではなく多くの文章を覚えたことだと思います。当然、そのためには覚えたいと思うような内容や挿絵、覚え易い文章等が必要ですが、柴崎先生のテキスト、そして先生の声には大きな魅力がありました。できれば、この年のテキストを復刻して使うことができれば、と思うほどです。

 辞書も大切だったと思い返しています。知らない単語を調べるのが目的で辞書を引く訳ですが、私の持っていた辞書には、単語の意味の後に役立つ例文が沢山載っていました。それも今思うとかなり高級な文章でした。「duty」という言葉だけではなく、ネルソン提督がトラファルガーの海戦で述べた言葉「England expects every man to do his duty.」も一緒に憶えました。後々、役に立つ表現を沢山憶えることができました。

 高校二年のときに、AFSという制度によって、イリノイ州のシカゴ近くの町に留学しましたが、この一年近くが英語の勉強に大きく役立ったことは言うまでもありません。英語の勉強だけではありません。若いうちに全く異なった環境・文化・社会で生活することには計り知れない価値があります。私だけではなく、同じ時期に留学した仲間のほとんどは同じ思いですし、また私個人としては、私たち大人が、若者にこのような経験の出来る環境を整える義務を負っていると考えています。

 英語の勉強という点から留学時代を振り返ると、幾つか、重要な教訓を得ることができるように思います。一つは、語彙の大切さです。つまり、沢山の単語の意味を知らなければ話になりません。アメリカの高校でも単語を憶える宿題が出るのですから、この点は「ネイティブ」云々の議論を超えています。憶えることも大切です。詩や文章を記憶する宿題も日本より多くありました。毎日英語を使っている人たちでも、意識的に記憶しなくては良い英語が見に付かないのだとすると、外国語として英語、あるいはほかの言葉を勉強する立場にいる人たちにとって、記憶はもっと大切にしなくてはならないはずです。

 これと関連がありますが、とにかく一日に何十ページも本を読むことも大切です。アメリカの高校では分厚い教科書の何ページから何ページまでを読んで来なさい、という宿題が毎日のようにありました。その内容を理解できたかどうかは、「クイズ」と呼ばれる簡単なテストで調べられますので、サボれません。読書量が読書力を付けてくれることになりました。これは高校だけではなく、大学や大学院でも全く同じですし、社会人になっても、本を一冊渡されて、それをマスターすることを前提に仕事を与えられ、その成果によって給料やボーナスが決まるということも良くあります。

 英語の勉強という点から付け加えると、この時、タイピングを習ってタッチタイピングができるようになったため、コンピュータ時代になった今も重宝しています。もう一つ役立ったのはスピーチの授業でした。良いスピーチをするためには準備をすること、しかし原稿を読み上げるのではなく、メモを基に頭の中にある内容を話す、という訓練を受けました。ディベートの基礎や発声法の基礎なども教わりました。

 こうしたことと同じくらい、あるいはそれ以上に役立ったのは、具体的に役立つレベルで図書館の使い方や、レポートの書き方、問題解決の方法等々、一口で言えば「勉強の仕方」あるいは「知的な作業の方法論」の初歩とでも言うべき知識を身に付けられたことかも知れません。英語の授業では、小説の書き方の初歩まで授業の中に入っていましたが、荒筋作りから始まって登場人物の性格付け等、出来の良し悪しは別として、この手順を踏めば一応小説らしき作品ができるまでの手ほどきを受けました。クラス一同大変楽しんだ記憶があります。

 (広島市長のメルマガ「春風夏雨」――第39回、20041225日から)

  [2022/4/24 イライザ]

 [お願い]

文章の下の《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。

広島ブログ 

広島ブログ

2022年4月 1日 (金)

署名運動にも力があります ――変化は起こせます。希望も創れます。――

署名運動にも力があります

――変化は起こせます。希望も創れます。――

 

昨日は、署名運動には力のあることをお伝えするために、二つの事実のうちの一つを御紹介しました。その二つとは、(I) 世界は変えられること。その証拠として1982年から2005年の間に大きな変化の起きたことを検証する。(II) 同時に、時代を超えた真実のあること。中でも希望が大切であることと、希望も創り出せるという真実。

 (I) については、(A) 1982年と2005年の間にアメリカでは、被爆者や被爆体験についての考え方に大きな変化があった。とまとめました。

 今回は (II) の希望がテーマです。2005年の8月に数学教育協議会の全国研究大会が広島で開かれました。その最終日10日には数学と平和について、当時の大妻大学教授野崎昭弘先生 (学生の時に函数論を教えて頂きました) と私が対談をしました。

Photo_20220331210801

野崎先生の著書の一つ

 

最後に、「現在の世界情勢、社会情勢を見ると絶望的にならざるを得ないと感じている人が多いのではないか。そんな状況の中でどのように希望を見付ければ良いのか」という質問がありました。今の今、そう感じている方がいても不思議ではありません。

その時には十分には答えられなかったのですが、後日「ひろめーる」にまとめたものを引用します。タイトルは (B) 「希望の見つけ方」です。

 本論に入る前にという位の位置付けで、何故希望を見付ける必要があるのかを、一つの視点----私はこの視点がとても大切だと考えているのですが---からの確認をさせて貰いました。それは、希望があるかないかによって、核兵器廃絶のための私たちの行動を変えるべきではない、ということです。核不拡散条約再検討会議で良い結果が出たかどうかで私たちの行動を決めるべきではない、ということでもあり、その他、私たちを取り巻く様々な状況が、私たちにとって好ましいものかどうかで、核兵器廃絶運動をどの方向に持って行くのかを考えない方が良いだろうということでもあります。

 勿論、変化の方向が大切なのですが、往々にして、状況が悪いとがっかりして、力が出てこないのが、私たちが日常的に経験していることです。しかも、それを当たり前のこととして、受け止める傾向があるような気がしているのですが、それで良いのでしょうか、という問題提起でもあります。

 その理由は、前回触れたラッセルやアインシュタイン、その他多くの識者が指摘してきた事実、「人類が核兵器を廃絶するか、核兵器が人類を滅亡させるか、その選択は私たちに懸っている」です。状況が悪いときにこそ、核兵器を廃絶するための努力をなお一層強めなければ、私たちの目的は達成できないからです。希望が見えなければ、いや見えなくても、私たち自身で希望を見付けて努力を続ける必要があるのです。

 では、どのようにすれば希望は見付かるのでしょうか。ここからが本論だったのですが、10日には時間がなくなってしまいました。以下、10日に言いたかったことを簡単にまとめたいと思います。

 心理学でもまたベストセラーになっている人生の指南書の類でも、多くの人に希望を与える鍵になっているのは、また私自身、励まされて来たのは、恐らく究極的と言っても良いほどの絶望的な状況の中でそれでも人間性を失わずに生き続けた被爆者やナチスの収容所からの生還者の生き方であり、希望の発見の仕方です。中には、一見、私たちの日常的感覚からすると英雄的には見えないような事柄もあるのですが、それでも、人により場所や時により大きな勇気と希望の種になっている不思議さもあります。

 85日付の朝日新聞に載った安佐北区の小島繁美さんの投書はその一例です。小島さんに希望を与えたのは兄妹の会話です。

 「昭和20年の87日の昼下がり、広島市・宇品港の岸壁近くの砂地でいつ出るともあてのない島まわりの船を待っていた。---中略---

ふと気がつくと、近くの草むらで人声がした。きょうだいらしい二人。妹は13歳前後。兄は23歳年長か、着衣はボロボロでかなりの重症と見えた。妹は外傷が無いようで、自らの身体で日陰をつくって兄を気遣い、話しかけていた。

 『お兄ちゃん、帰ったら母さんに「おはぎ」を作ってもらおうね』。---中略---最高にぜいたくで幻の食べ物だった「おはぎ」という言葉に、現実に戻され、希望を与えられた。」

 この短い文章からは、小島さんが希望を見付ける心の動きと共に、兄妹の気持まで伝わってきます。お兄ちゃんはおはぎが好物だったのでしょう。それを良く知っている妹は、頼りにしているお兄ちゃんに、元気になって貰いたくて、そのお兄ちゃんと一緒に家に帰りたくて、おはぎの話をしたのではないでしょうか。船を待つわずかな間、おはぎのイメージが、小島さんだけではなくこの兄妹にも大きな希望を与えたであろうことは疑う余地もありません。家に無事辿り着いたことを小島さんと共に今でも祈っています。

 これは、ヴィクトール・フランクルが彼の著書『Man’s Search for Meaning(意味を求める人間)』の中で述べていることにもつながっています。余りにも過酷な運命に絶望する人が次々と死に行く収容所の中で、それでも生き残った人たちに共通していたのは、収容所から解放された未来の自分の姿を具体的なイメージとして描けたという点だったと彼は観察しています。未来を描ける力と言っても良いのかも知れません。その未来をおはぎに託すことの出来た少女の知恵は、現在の私たちにも伝わっているはずです。

 おはぎが余りにも即物的なら、朝顔の種を蒔くという手もあります。毎朝、朝顔が幾つ咲くのかを楽しみにするのも未来を描くことに繋がります。

 もう少し俗世間的な次元で考えると、愚痴を聞いて貰いたくなるようなときは誰にでもあるはずです。相手が誰でも良いことにはならないでしょうから、たまには愚痴を聞いてもらえるような家族関係を作っておくことが必要だということになるでしょう。となると、「世界平和は家庭の平和から」という、半分は自戒の意味で使われている言葉が別の意味を持ってくるように思います。

 最後に、こうした幾つかの可能性が示唆しているのは、フランクルの言葉を再度借りれば「人間が心から願い望む最高の目的は愛であるという真実」だということなのではないでしょうか。と、ここまで書き進めて改めて気付いたことなのですが、これまで意識して「愛」という視点から「原爆」あるいは「被爆者」を考えるということは余り行われてこなかったような気がします。被爆体験の非人間的極致を考えれば当然とも言えるのですが、被爆体験をより広く理解して貰うため、また核兵器廃絶へのエネルギーを集めるためにも、この視点も付け加えて被爆体験を見詰め直すことがあっても良いような気がしてきました。

 

署名運動に戻ると、署名すること自体が「希望」の表現になっていることもあるでしょうし、他の人たちの「希望」とつながることで社会を変えるための新たなエネルギーになるかもしれません。そして、この署名にどこかで何らかの形で触れる人が形作る鎖が、世界を動かすリーダーにつながるかも知れないのです。

 [2022/4/1 イライザ]

 [お願い]

文章の下の《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。

広島ブログ 

広島ブログ

 

2022年3月21日 (月)

アメリカ人のパール・ハーバー観 ――60年前の経験を元に――

アメリカ人のパール・ハーバー観

――60年前の経験を元に――

 

アメリカ人のパール・ハーバー観について、1986年に上梓した『真珠と桜』(「ヒロシマ」から見たアメリカの心)での解説を元に整理してお伝えしています。

アメリカ人にとって、パール・ハーバーがどれほど大きな意味を持つのかについて初めて気付いたのは、アメリカ時間1959127日の朝でした。以下、『真珠と桜』からの引用です。

1959年の9月から、私はAFS 交換留学第六期生の一人として一年間をアメリカで過した。落ち着き先はシカゴ郊外のサマーズ家である。高校はエルムウッド・パーク町立高校で、最上級に組み入れてもらい、翌年の六月には卒業証書まで貰うことになった。

Ephs-yearbook  

エルムウッドパーク・ハイ・スクールのイヤーブックから

書き込みは友達からのサヨナラ・メッセージ

 AFSはアメリカン・フイールド・サービスの略。 ここで、 フィールドは戦場を意味する。元元は第一次大戦中、欧州の戦場を駆け巡って救急車を運転したアメリカ人ボランティアの団体である。「すべての戦争を終らせる戦争」と称された世界戦争から帰ったこれらのボランティアは、「戦争を防ぐためには異った 違った文化の間での理解、特に若い人達の間での理解を深める他に有効な方法はない」との認識に立って、学生の交換留学制度を創り出した。

第二次大戦後には新たな決意をもって、留学生として最も感受性の豊かな高校生を選ぶことになった。最近では、交換留学も日本とケニア、 インドとブラジルといった多国間のプログラムができているが、 1959年にはアメリカと他の国々という、第二次大戦後の国際情勢をそのまま反映した留学制度であった。

 アメリカ生活は楽しかった。 アメリカ人は親切な上、初めて親許を離れた身軽さで急に大人になったように感じたものだった。12月頃までには、言葉にも一応困らなくなった。そんなある日、朝出掛ける前に (注 ホスト・ファミリーの) サマーズ夫人から注意を受けた。

 「今日は何の日か知っているでしょうけれど、学校で何か言われてもいつもの通りユ ーモア精神で受け止めなさい。余りひどいことを言う人もいないでしょうけれど」

 実はそう言われても何のことだか分らなかった。夫人は台所から新聞を持ってきて私に手渡した。題字の横に赤と青の星条旗がシンポル・マークとして刷ってある『シカゴ・トリビューン』紙である。紙面にはかなり大きい活字で 「パール・ハーバー」それに 「デイ・オブ・インファミー ](汚辱の日)」と書いてあった。注意された意味は分ったものの、実感は伴わなかった。

 その日は、級友やレスリング部の仲間達がよそよそしかったような気もする。 「スニーク・アタック (卑劣な攻撃)」と 「パール・ハーバー」という言葉があちこちで聞えてきたのは確かに憶えている。 なるほど、 アメリカでは太平洋戦争の始りが重要な意味を持っていることは分った。だが、その根の深さにはまだ思いが至らなかった。

 「これは大変なことだ」と実感できたのは、春になってからである。 アメリカ史の授業もようやく現代に近づいていた頃だった。

 丁度その時間には、第二次世界大戦にアメリカがどういう経緯で参戦するに至ったかを勉強することになっていた。勿論それは日本の真珠湾攻撃から始る。私が反撥を感じたのは教科書の記述も先生の説明も日本を悪の権化として扱っていたからである。卑劣、狡猾、破廉恥、邪悪等々、可能な限りの形容詞を並べて日本を悪罵するのが目的のように感じられた。

歴史を教えていた 先生はずい分年寄に見えたが、今思うと四十代だったのではあるまいか。どことなくパートランド・ラッセル卿のような顔付をしていた。その 先生が、日本を余り好きではないなと感じたことが何回かあった。日本ではなく私個人だったのかもしれないし、両方だったのかもしれない。

真珠湾に事寄せて日本の悪口を並べた後、先生は私に何か言うことはないかと訊いた。その口調から、私には「どうだ、まいったか」と聞えて来た。「おっしゃる通り私は悪人でございます。誠に申し訳ありません」とでも言って私が平謝りに謝るのを期待しているようでもあった。

さて「何か言うことがあるか」と訊かれて反論をしたいものの、何を言うべきなのかはっきりしない。その上、感情が昻ると言いたいことさえきちんと英語で言うことは難しくなる。日本そのものを私自身に重ね合せて卑怯だ破廉恥だと指弾されれば腹の立つのは当り前だ。

結局二つの点についてしどろもどろに反論することになった。

一つはABCDラインと呼ばれた海上封鎖で、それ自身戦争行為だと認める学者がいるという点。もう一つは、モンロー宣言等で自国近くの地域については特別の権利を持つという立場をアメリカが取るのなら・同様の権利を日本にも認めるべきで、西欧諸国がそもそもアジアに進出して来る(正確には「アジアを侵略する」と書くべきだろう) のがおかしいという点である。

 これは、あくまでその当時考えたことで、今ならこれに付け加えることはもっとある。更に、一体どのような視点から「真珠湾」を考えるかによって、様々な主張が正当性を持ってくるという点についても昔よりはよく分っているつもりである。

 意の十分に伝わらないのは覚悟の上で反論を試みたものの、事態は一向に良くならなかった。先生だけでなく、クラスメートまで手を挙げて、教科書通りの説明を繰り返すのである。多勢に無勢、決定的に旗色が悪くなった。

 その時、一番後の列に座っていた。ピートが立ち上った。冬はレスリング、春は陸上と一緒の部に属しており、髪はリーゼント・スタイル。 一年中ほとんど黒い革のジャンパーを着ている。

 「君たちは「真珠湾」が卑怯だ、日本が悪魔だとか言ってるけど、今ここでやってることもフェ アじゃない。 タッド (「ただとし」とは言いにくいので友達はこう縮めて私を呼んでいた) と僕はレスリングの選手だ。でも試合はいつも一対一。二十人一緒に一人を攻撃することの方がよっぽど卑怯じゃないか」

 喋るのは苦手な彼が、何とかこんな意味のことを言ってくれた。ことによると、彼の考え方も「日本は百パーセント黒でアメリカは百パーセント白」に近かったのかもしれない。政治にはあまり関心がなく、価値観もどちらかというと保守的な彼の口からこんな意見が飛び出そうとは思ってもみなかった。嬉しかったことは確かだが、同時に少々迷惑でもあった。その時はまた、 一人で先生と級友達全員を説得できるつもりでいたからだ。

ピートの発言がきっかけになって、白熱した議論は終った。先生は宿題として、太平洋戦争について教科書の一章を読むように言い渡して、その日の授業は終りになった。

 原爆投下と終戦は授業中には取り上げられなかった。教科書の記述は「原爆によって平和が訪れ、日本本土上陸作戦が行われていれば犠牲になったはすの百万もの(だったと思う)人命が救われた」といったものだった。

アメリカでのパール・ハーバーにまつわる経験はまだまだ続きます。1980年代についてのものも次回に。

[2022/3/21 イライザ]

 [お願い]

文章の下の《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。

広島ブログ 

広島ブログ

 

 

2022年3月 8日 (火)

ないものねだり ――マーク・ハットフィールド上院議員――

ないものねだり

――マーク・ハットフィールド上院議員――

 

マーク・ハットフィールド上院議員と聞いて「ああ、あの人だ」と頷く人はそれほど多くはないでしょう。でも今のような混迷の時代にこそ、彼のような政治家に活躍して欲しいと考えるのは、「ないものねだり」なのですが、その理由です。

Mark_hatfield   

public domain

彼は、1922年生まれ、2011年に亡くなっていますが、オレゴン州の知事を経て、530年共和党の上院議員を務めています。映像的な記憶力をお持ちの方には、1981年のレーガン大統領の就任宣誓の際に、レーガン大統領が手を置いたく聖書を捧げ持っていた人だと言えば思い出して頂けるかもしれません。

 それほどの共和党の重鎮だったのですが、政治的には大変リベラルな面がありました。ウイキペディアの記述を一部引用します。

ハットフィールドは平和主義者で、共和党穏健派の中でも異色の議員として知られた。敬虔なキリスト教徒であった彼は、上院での反戦活動で知られた。ハットフィールドはジョージ・マクガヴァン、ユージーン・マッカーシーらと共に議会でのベトナム反戦活動の先頭に立った。その後も、湾岸戦争に反対するなど、安全保障問題でその異色ぶりは際立っていた。加えて、核軍縮運動に熱心な議員としても知られ、1982年にはエドワード・ケネディ上院議員との共著で核凍結を訴えた。また、中国のチベット支配に反対し、ダライ・ラマ14世がオレゴン州ポートランドで演説した際の紹介役を務めた。
(https://www.wikiwand.com/ja/%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%89)

彼が、政治家になろうとの志を持ったのは、1945年の9月、海軍中尉として広島に進駐し、被爆後の広島の状況や被爆した子どもたちとの交流があったからだと話してくれたことがありました。

 1980年、広島青年会議所の主催でシアトルとワシントンで「広島・長崎原爆展」を開く際に、アメリカ側の肝いり役として、上院議員会館のラッセルビルを使うこと等ワシントンでの準備一切を仕切ってくれ、会期中もホストとして他の上院議員たちを巻き込んで支援をしてくれたのです。

 説明役として、資料館の館長だった高橋昭博さんが同行しましたが、高橋さんとハットフィールド上院議員は、それ以前から文通を通しての知り合いでした。その関係で、青年会議所の展示会をワシントンで開く道が開けたという経緯もあります。

 私は、当時アメリカに住んでいたため、通訳兼案内役として青年会議所の皆さんや高橋さんと行動を共にしたのですが、そのときにハットフィールド上院議員の話してくれたことで、とても印象的なエピソードがあります。34日に、日本の国際連盟脱退について触れましたが、国連がロシア非難の決議を採択した時にそれを思い出したのは、ハットフィールド上院議員の話があったからです。

 脱退の時に全権を務めていた松岡洋右は、アメリカで苦学した後、オレゴン州立大学に入りました。オレゴン州知事の経験があるハットフィールド上院議員によると、学生時代に松岡は大変な差別を受け、その結果としてアメリカ嫌いになっていたというのです。国際連盟の脱退も、その後の日本の運命も差別やいじめがなければ起らなかった可能性が高い。だから自分は人権や平和の問題では一歩も譲ることができない、といった内容でした。

 志を高く持ちながら保守的な政党の中でも一目置かれる存在だったハットフィールド上院議員のような政治家の出現を望むのは、やはり「ないものねだり」なのかもしれませんね。

 [2022/3/8 イライザ]

 [お願い]

文章の下の《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。

広島ブログ 

広島ブログ

 

 

 

2022年3月 5日 (土)

署名運動さえ難しい時代になったようです ――相手によっては、善意が悪用されるかもしれません――

署名運動さえ難しい時代になったようです

――相手によっては、善意が悪用されるかもしれません――

 

Change.org の活動を知ってから、一見平和な社会と見えるわが国にも、私が考えもしなかったような状況があり、それに負けずに、しかも自分だけではなく自分と同じ境遇にある人たちのために活動している多くの人のいることに気付かされました。

 その一例が、今日「お知らせ」が届いた「虐待から逃げた18歳。頼みの綱は生活保護です。どうか選択肢をください。」というキャンペーンです。NPO法人虐待どっとネット代表理事中村舞斗さんが発信者ですが、中村さんがかなり前に気付いたツイートがその趣旨を簡潔に伝えてくれています。

 「虐待を受けた子どもが18歳になってから親元から逃げると児相は原則取扱いできません。頼みの綱は生活保護です。でも大学生は生活保護を受けることができません。例え18歳でも。逃げたばかりでも。医療費分だけでもいいんです。生活が安定するまでだけでも。生活保護の運用がほんの少し変わって欲しい。」

 このキャンペーンの署名の宛先は後藤茂之厚労大臣ですが、大臣は中村さんたちキャンペーンを進めている人たちと会い、署名を受け取ってくれたとのことです。良かったと思いますし、署名の重みをしっかり受け止めて貰いたいと祈っています。

 しかし、私が始めた「「核兵器を使わない」と、ただちに宣言して下さい!」キャンペーンの署名の宛先は、ロシアも含む核保有国首脳と岸田総理大臣です。そしてウクライナに侵攻し核兵器を使うという脅迫で世界と対立しているプーチン大統領にも届けることになっています。

 そして、ロシアにはKGBという諜報機関がありプーチン大統領はKGBの出身です。それだけではなく、アメリカにはCIAがあり、イギリスには「007」で知られるようになったMI6があります。

Seal_of_the_central_intelligence_agencys  

CIAのシール

 私のキャンペーンの目的は、核保有国の悪口を言うことではありません。核保有国がこれからの世界で最も合理的かつ人間的な役割を果たすための建設的提案ですので、この署名運動に賛同して下さった方々を特定して、報復するなどということは考えられません。

 とは言え、私たちには考えることもできなかったウクライナの侵攻が現実に起きている時代です。そしてインターネットでは、「ランサムウエア」が世界的な企業を脅迫し莫大な「身代金」をせしめていることも事実です。

 届ける先は駐日大使だとしても、一国を代表する場所です。善意で署名してくれた皆さんの個人情報、つまり個人名をわざわざ危険に晒して良いものでしょうか。

 同時に、これはインターネットによる署名だけには限らないことにも気付きました。街頭で署名運動をする際に、名前と住所を書いて貰うことが定番なのですが、その個人情報が宛先の団体にどう使われるのかも、これからは考えた上での運動を展開しなくてはならないのかもしれません。

 [2022/3/5 イライザ]

 [お願い]

文章の下の《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。

広島ブログ 

広島ブログ

 

 

 

2022年2月18日 (金)

「尾木ママ」と対談しました (7) ――いじめについての抜本的な対策――

 

「尾木ママ」と対談しました (7)

――いじめについての抜本的な対策――

教育評論家で、自他ともに「子どもの声の代弁者」として認められている尾木直樹さんとの対談で特に印象に残ったテーマを報告しています。御著書『取り残される日本の教育』もお勧めです。

Photo_20220217181001

前回は「子どもの権利条約」について、特に地域毎に「子どもの権利条例」を制定する運動が広がらないことを取り上げました。対策は、「○○市子どもの権利条例制定市民委員会」のようなグループを立ち上げ、一人でも二人でも共感してくれる市会議員を探して、この運動の輪を広げることです。簡単には行かないかもしれませんが、子どもたちのために大人が頑張っている姿を子どもたちが見ることもとても大切です。

子どもたちが置かれている環境を考えるとき、いじめの問題を避けることはできません。当然、尾木ママもこの問題については一貫して子どもの立場から強力な発信をしてきました。尾木ママが評価するいじめ対策の具体例では、従来の解決策である、学校と教育委員会に任せる方式ではない、子どもたちが中心になる活動、あるいは、いじめを解決するための専門的な人員配置や組織作りが必要だということが分ります。

例えば、大津市ではいじめ専門の教師を小中学校全部に配置していて、教科は教えず、昼休みにパトロールをしたり子どもたちの声を聴くという仕事を専門にしているとのことです。これは市長の越さんという方のリーダーシップがあって可能だったとのことです。

また、寝屋川市では、市長部局に「監察課」という部署を作り、いじめについての教育的なアプローチが上手く行かない場合に「監察課」が積極的に関わることで問題解決につなげるというシステムだとのことです。その際に、いじめの被害者を助けるために、すぐ使え目資金的なバックアップの重要性なども話して頂きました。

その他、フィンランドでの取り組みである「Kiva」というシステムも話題になりましたし、私からは、学校とは独立した第三者機関が、被害にあっている子どもを即時に救い出せるような力を持つことの重要性なども指摘しました。

実はいじめの問題は、このブログの姉妹ブログである「新・ヒロシマの心を世界に」で、昨年の8月から10月まで、9回にわたって取り上げ、皆さんとともに考えてきました。オリンピックの開会式の重要メンバーだった小山田圭吾によるいじめの問題がきっかけだったのですが、短期間に集中的に勉強した結果、それなりの理解ができたからです。そのまとめとしての第9回目、できればそこに至るまでの軌跡もお読み頂ければ幸いです。

大変熱の入った対談になりましたが、後段は『はーとふる』の春号に掲載予定です。その内容は再度、アップします。

最後に、尾木ママと私の対談を直接読んでみたいという方がいらっしゃれば、残りの部数がありませんので先着3名の方に、冬号をお送りします。コメント欄に住所と氏名を書き込んでください。もちろん、公開はしません。郵送料は私が持ちますが、それに相当する額を、Wikipedia, Change.org, Thunderbird等の無料で有意義な活動を行っている団体に寄付してください。

[2022/2/18 イライザ]

 [お願い]

文章の下の《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。

広島ブログ 

広島ブログ

 

 

2022年2月17日 (木)

「尾木ママ」と対談しました (6) ――子どもの声の代弁者!――

「尾木ママ」と対談しました (6)

――子どもの声の代弁者!――

 

明るい社会づくり運動 (略して明社) が発行している『はーとふる』の特別企画で、教育評論家の尾木直樹さんと対談しました。司会は明社の澤田章好常務理事でした。

初めてお会いした尾木ママは、テレビでのイメージ通りの明るく、優しい方でしたし、テレビで拝見するより小柄な印象でしたが、御一緒しての存在感が大変しっかりしていた方でもありました。

Photo_20220217001401

尾木ママの最初の言葉は「子供の声の代弁者」だったことからも、彼の活動の中身が明確に伝わってきました。それも大人社会の一員として、大人全体、その中でも実際に子供たちの置かれている環境を変える力のある人たちに正確な情報を伝え、どう変えて行ったら良いのかを目標にしていることが良く分かります。「正確な情報」の中でも数字は大切です。

対談はまずコロナ禍での子どもたちの状況から始まりました。尾木ママの指摘してくれたのは、第一に、2020年度に自殺した子どもの数が小中高校生で507人に上るほど深刻だという事実でした。そして、国立成育医療研修センターが2020年4月からおよそ2か月に一回のペースで子どもたちの心のあり方について追跡・調査した結果として、2020年の4月には75%の子どもたちがストレスフルになっていて、一番ストレスが高かったことも指摘してくれました。

それは、ちょうど安倍総理が全国一斉休校を宣言した時と重なっています。休校になったのは、3月2日から春休み前ですので、3月一杯は学校に行けず、そのまま春休みになった子どもたちのストレスが、全国一斉休校によってさらに増したことは想像に難くありません。

ストレスが原因になって中等度以上のうつがみられる子どもの割合は小学4年から6年生で15%、中学生で24%、高校生では30%にもなり、20%の子どもたちが自傷行為や他傷行為に陥っているというデータも示してくれました。そのストレスの発散方法も子どもたちが必死に自分たちで考えていることの分るものばかりでした。これらの事実を目の前に、「ここまで子どもたちの心が乱れてしまったなんて・・・・・・・。涙が出てきます」という尾木ママの悲痛な叫びが胸に沁みました。

このような状況が我が国で起ってしまっているのは、やはり国全体、社会全体で子どもたちを大切にするという基本的な考え方が、目には見えないかもしれませんが、社会全体には浸透していないからだと言って良いように思います。日本と言えば子どもを大切にする社会だという「常識」が当たり前だと思ってきたのですが、数字も援用して子どもたちを巡る現実を見れば、それが単なる幻にしか過ぎないことが分かる、という点を尾木ママは強調しているのです。

それを現実と認める上で役に立つのが国際比較です。特に国際的に「法律」として認められている条約を、日本政府・日本社会がきちんと遵守しているのかが一つの判断基準になります。

子どもたちの権利を守るための国際条約の決定版は、「子どもの権利条約」です。日本は1994年に批准をしたのですが、国際的に保障されている子どもたちの権利が日本国内でも同じように認められ守られているのかというと、そうではないことが問題なのです。

例えば、尾木ママが指摘しているのは、条約の42条で「政府は国民に対して告知しなくてはいけない」という決りがあるにもかかわらず、政府はそれをしていません。事実、日本政府は国連の子どもの権利委員会から、条約を遵守していないというという理由でこれまで2回も勧告を受けているのです。これをお読みになっている皆さんの中にも、「子どもの権利条約」があることを知らない方がいても不思議ではないのです。

「子どもの権利条約」を日本国内に広め、子どもたちの権利を政治の場で尊重して行く上で、大切なことの一つが、各自治体毎に「子どもの権利条例」を作り、地域で子どもの権利を尊重して行く環境を作ることです。残念なことに、「子どもの権利条例」を作ることに反対する大きな力が日本中にあった、条例ができているのは川崎市や札幌市など、40ほどの自治体にしか過ぎません。広島市も子どもの権利条例の制定のために努力をしましたが、例えば「おやじの会」といった名称の市民のグループによる執拗な反対運動があり実現しませんでした。

改めて強調しておくと、この条約が規定している子どもの権利を実効性のあるものにするためには、国家としてはその趣旨を生かすための法律を作り、地方自治体は条例を作る必要があるのです。でも、「子ども庁」の設置も延期され、その間に名称を「子ども家庭庁」に変えるという、子どもの権利を薄める方向での動きも現れて、問題は複雑化しています。

以下、次回に続きます。

[2022/2/17 イライザ]

 [お願い]

文章の下の《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。

広島ブログ

広島ブログ

 

 

2022年2月12日 (土)

「尾木ママ」と対談しました (1) ――60年前に御縁を頂きました――

「尾木ママ」と対談しました (1)

――60年前に御縁を頂きました――

 

[警告] いつもの悪い癖で、「尾木ママ」との対談の内容報告までには、少し時間がかかります。色々な御縁があって今に至っていることを振り返りたいので――。

 

まず、何故「尾木ママ」との対談が実現したのか、1961年に遡って何人かの方々との御縁を辿りつつ、「ゆっくり」説明して行きたいと思います。

1961年は昭和36年ですが、私が大学に入学した年です。その前の年、1960年には一年のアメリカ留学から帰って、アメリカで受けたショックがまだ頭の中に生々しく残っていました。それは「広島・長崎への原爆投下は正しかった」というアメリカの考え方をアメリカ史の時間に習ったことでした。これまで何度も色々なところに書いていますが、この事態を何とかしなくてはならないと真剣に考え始めていました。

大学に早く入りたいと考えていたた理由の一つは、アルバイトができることだったのですが、経済的な理由の他に、原水爆禁止運動に関われるのではないかという期待もありました。

大学生活にも少し慣れた夏休みの少し前に、学生課の掲示板で夏にできるアルバイトを探していたのですが、願ってもないくらいピッタリの仕事がありました。7月後半から8月にかけて、原水爆禁止世界大会の同時通訳と庶務というバイトがあったのです。バイト料が他のものよりは少し良かったことも魅力でした。人数は明記されていたのかどうか覚えていませんが、多分「若干名」だったのではないかと思います。英語の試験があるというので、新橋の原水協の建物だったと思いますが、仲の良かったK君と一緒に試験を受けに行きました。

吃驚したのは、建物の周りを二周か三周するくらいの人数の学生が取り巻いて順番待ちをしていたことです。これで試験に受かるのかどうか心配になりましたが、とにかく試験は受けなくてはなりません。結果は合格だったのですが、それは完全に運が良かったからとしか言いようがありません。

例えば、ヒアリングの試験の中で、クーデターという単語が出てきたのですが、元々はフランス語です。第二外国語はフランス語を選んでいましたし、少し前に何かの雑誌でこの言葉を見たばかりだったのです。ですから、「coup d'état」は正確に書けました。

それと、こんな試験は滅茶苦茶だと思ったのですが、英語の文章を聞かされて、その場で同時通訳をしろ、という試験もあったのです。当時はようやく「同時通訳」という仕事があるらしいという知識が社会のごく一部に伝わり始めた頃で、どのようにすれば「同時通訳」になるのかも分かりません。

とは言っても、黙っている訳にも行きませんので、とにかく聞こえてきた英語を何とか日本語に直そうと懸命に頑張りました。

ここでも運が良かったのは、人に散々嫌がられていた私の性格です。今は随分良くなりましたが、人の言うことを最後まで聞かずに、途中で遮って話し始めることが良くあったのです。人の言葉を遮っても、相手の言うことは聞いていますので、そのリズムでとにかく、訳し続けたのです。

その時の試験官の一人が、福井治弘先生でした。後に私が広島市長になってから、福井先生には広島市立大学内の平和研究所の所長として色々お世話になりましたが、この頃からの御縁があったのです。

試験に合格してからは、当時既に一流の同時通訳として活躍していた福井先生をはじめ、後にTBSのニュースキャスターとして活躍した浅野輔先生、それから東京都立大学で教鞭を執っていた光延明洋先生等から、厳しくかつ温かい指導を受けることができました。

自分でも練習をしなくてはなりませんが、それには、当時は一日中流れていたFENのラジオが役立ちました。FENとは、Far East Networkで、日本に駐留していたアメリカの兵隊さんたちのための放送でした。それを聞きながら、「同時に」日本語に訳して行くことを繰り返したのですが、同じことを何度か繰り返せればもう少し効率が良くなるのではないかと考えました。そのためには、録音機が必要です。

小学校の時から秋葉原には通って、ラジオや無線機を作っていたのですが、しばらく御無沙汰をしていましたので、高校の同級生で放送部で放送機器の世話をしていたY君に一緒に行って貰って、東通工の録音機を買いました。後のソニーです。

Photo_20220211225901

ポピュラサイエンス日本語版 1954年1月号 旧著作権法第六条及び第五十二条により著作権保護期間が満了。

ソニーの録音機を使って同時通訳の練習をした結果、いよいよ、実際に通訳として現場で仕事をすることになりました。実は、これからが、少しは本論に近付いて行くのですが、今回はここで切りが良いようですので、以下は次回に。

[2022/2/12 イライザ]

 [お願い]

文章の下の《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。

広島ブログ

広島ブログ

 

 

2019年7月19日 (金)

日本のテレビは「いじめ」を助長している ――みんなで声を上げましょう――

イギリスの人気テレビ番組「Britain’s Got Talent (私訳: イギリスの隠れた才能発掘! BGTと略)」は、「いじめ」について、積極的に関わり、「いじめはいけない」「いじめを受けた子どもたち、受けている子どもたちよ、頑張れ」といったメッセージを出し続けています。

それに対して、日本の子どもたちは、日常的にテレビからどんなメッセージを受けているのでしょうか。サイモンと同じように、批判に晒され反省することでテレビ番組の内容が変ることを期待していますが、取り敢えず現状を簡単に見てみましょう。

日本のテレビ番組で、隠れた才能を発掘する目的を掲げているのは、テレビ東京の「カラオケバトル」があります。堺正章が「オウナー」ということで、高校生や中学生、時には小学生までが出場しています。それと、出場者は芸能人ですが、俳句や華、水彩画等の才能を評価する、TBSの「プレバト」くらいでしょうか。

Photo_20190718231601

「プレバト」は私が好きな番組なのですが、それは、番組の大きな枠組みを無視して、純粋に才能の評価が行われている場面に限っての話です。まず、司会の「浜ちゃん」の言動は、テレビなら「いじめ」は許されるのか、と言っても良い暴力性に満ちています。人の頭を殴ることは日常茶飯事、しかも擬音まで使ってそれを強調しています。また、芸能界では「いじる」と表現されるようですが、本当は「いじめる」の短縮形だとしか考えられない言葉の暴力には辟易しています。さらに、さすがに今は減りましたが、俳句の先生である夏井いつきさんを梅沢富男という男が、「ババア」呼ばわりしていたことも、多くの人々の顰蹙を買っていました。

私たち大人なら、このような言動を不愉快だと思い、より大きな世界の判断基準に従って対処することは可能です。でも世界が狭い子どもたちにとって、ましてや、学校で「いじめ」に遭っている子どもの場合、周りの加害者からも先生からも「あれはふざけているだけのこと」と問題にされない場合、このような番組を見せられれば、「おかしいのは自分の方だ」と思い込んでしまうことがあっても不思議ではありません。

「いじめ」が原因で自殺した子どもたちのケースが何度も報道されながら、調査をしたはずの担任が、加害者と傍観者の「あれはふざけていただけ」を鵜呑みにしてしまう背景に、「プレバト」のような番組の、「いじめ」助長とも思われる言動があるとしたら、私たちがもっと声を上げなくてはいけないのではないでしょうか。

「カラオケバトル」では、さすがに子どもの頭を叩いたり、言葉による「いじめ」は見られませんが、それでも、信じられない光景を先日目にしました。

出演者は、北海道の高校に通っている女子高生です。工業系の学校だということで、一クラス約50人の生徒のうち、女子は2人だけだということでした。このような環境に置かれている女子生徒の立場が難しいことは誰でも理解できるはずですが、それでも耳を疑ったのは、この二人の女子生徒に対して、男子生徒は一切話し掛けもしないという事実があることでした。しかもそれは、一種の温かいエピソードとして扱われていて、「カラオケバトルで優勝したら話し掛けて貰えるかもしれない」ことが強調されていたのです。

でも考えてみて下さい。全員が男子だとして、二人だけ全く話し掛けてももらえない生徒がいるとしたら、それはどんな定義を適用したとしても「いじめ」です。でもその二人が女子生徒だと、途端にいじめではなくなってしまうし、学校側でも何の対応もしていないとは、呆れて物が言えません。

BGTとAGTでのサイモンの言動を問題にした人たちは、普通なら「いじめ」でもテレビで同じことをすれば称賛されるのはおかしくないか、と主張しました。それは、「被害」に遭った子どもたちの人権という視点からは当然のことです。日本のテレビ界でも、そろそろ、子どもの人権という視点から番組の内容を考えることをはじめても良いのではないかとも思いますが、皆さんは如何お考えになりますか。

[2019/7/19 イライザ]

 [お願い]

文章の下にある《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。

広島ブログ
広島ブログ

 

 

より以前の記事一覧

広島ブログ

無料ブログはココログ
2022年6月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30