歴史

2024年2月24日 (土)

#日本国憲法 の #メタ条項 の #優先性 ――#憲法全体 の #持つ力 を #生かそう――

#日本国憲法 #メタ条項 #優先性

――#憲法全体 #持つ力 #生かそう――

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#六法全書 では #義務を否定

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『数学書として憲法を読む――前広島市長の憲法・天皇論――』を改訂するための準備として、出版後に気付いた重要な点をまとめています。その中でも、特に98条を優先すべきだと強調しています。でも実は、98条を含む「メタ条項」が重要なのです。「メタ条項」の意味は前回の説明でお分り頂いたとして、今回はこれら「メタ条項」が重要な訳を簡単にまとめておきましょう。

その重要性・優先性を理解するためには、まず、憲法全体の姿を大雑把でも描いておかなくてはなりません。幸いなことに、憲法「のみ」を読み込むことで、つまり憲法内の言葉だけに依存して、我が国の歴史をどう総括し反省し、これからどのような国を目指すのかについてはハッキリ分ります。

特に、97条については前文と97条とで繰り返し同じことを述べ、かついくつもの条文にその具体的な応用が描かれているのですから、その重要性については言うまでもありません。これが憲法の目的であり、憲法が必要不可欠であるということの証明だと言っても良いでしょう。

そして、「押し付け憲法だから改正せよ」という声に対する答にもなっています。仮に押し付けられていたとしても、そこが問題なのではありません。押し付けられたもの自体は、基本的人権は「人類普遍の原理」なのです。さらに97条では、「侵すことのできない永久の権利として信託された」ことが述べられています。「信託」したのは、「人類」です。しかも過去・現在の人類からという含意は明白でしょう。

もしこれを「押し付け」だと感じるのであれば、それは押し付けられたと主張している側が、人類の一員ではないことを「語るに落ちて」いるのです。

次に、憲法が法律的には国内の最高の法律であるという98条ですが、それは、憲法の定義と役割から当然のことです。つまり、一国内に存在する様々な事柄の処理に当って、全ての法律がそれに従うような基本的な存在としての法律を作っておかないと大きな混乱が生じます。その基本法が憲法であるという憲法そのものの定義によるものだということです。これは当然ですし、この点についての少々の妥協でも許してしまえば、憲法存在の意義がなくなってしまいます。

最後に99条は、公務員の憲法遵守義務を規定していますが、それは前文の「その権力は国民の代表者がこれを行使し」に呼応しています。そして、義務遂行者の筆頭が天皇であるのは、これまでの我が国の歴史の反省を踏まえて、新憲法では再び、明治憲法下と同じ過ちを繰り返さないように、という警告でもあります。

これら三つの条項を並べて見ると、随分強力な布陣であることも一目瞭然です。9条や36条等、個々の条文に注目して憲法の力を活用することは勿論大拙なのですが、憲法全体の力を上手く使う知恵も育てて行くことも大切なのではないかと考えています。

残念なことに、99条は「法的義務」ではない、というのが法曹界の定説になってしまっているようです。六法全書の注釈にもその点が記述されているほどなのですが、これが問題であることは、『数学書として憲法を読む――前広島市長の憲法・天皇論――』に詳述してありますので、御参照下さい。

ことによると、「今すぐここで読みたい」とお感じの方もいらっしゃるかもしれません。これでにブログでも取り上げてきたサイトをリストしておきますので、クリックして頂ければ幸いです。

[99条について] 2021年10月26日から、5回にわたって、取り上げています。

第2回は2021年の11月6日

第3回は2021年11月11日。

第4回は2021年11月16日。

第5回は、2021年11月21日

 

これに続いて、98条の「最高法規」についての考察もシリーズでアップしています。

第1回は2021年12月6日です。

第2回は2021年12月11日

第3回は2021年12月16日。

第4回は2021年12月21日。

第3回と第4回の内容は、これからアップすることとかなりの部分重複しますが、改訂版の準備という視点から、少しでも分り易い説明に改善したものをお届けしたいと考えています。

 

2024年も健康に留意しつつ、少しでも良い年にすべく頑張りましょう。

[2024/2/24 人間イライザ]

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2024年2月23日 (金)

#日本国憲法 には三つの #メタ条項 があります ――#この一つでも #蔑ろにする と #憲法の存在 そのものが #否定されます――

#日本国憲法 には三つの #メタ条項 があります

――#この一つでも #蔑ろにする #憲法の存在 そのものが #否定されます――

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もう一つの標準的憲法書

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『数学書として憲法を読む――前広島市長の憲法・天皇論――』を改訂するための準備として、出版後に気付いた重要な点をまとめています。その中でも、特に98条を優先すべきだと強調しています。でも実は、98条を含む「メタ条項」が重要なのです。

まず、「メタ条項」とは何かから説明しましょう。そのためには、「メタ」の定義から始める必要があります。

「メタ」はもともとギリシャ語で「上に」を意味します。と言っても分り易い概念ではありません。上手い日本語訳のないこととも関連があるのですが、例をいくつか挙げて説明するのが、手っ取り早いと思います。

「三角形の内角の和は180度である」は数学における命題の一つですが、「数学の体系に矛盾がない」は「メタ数学」における命題です。「メタ憲法」に属する命題としては、「現在の憲法は押し付け憲法だ」、「現在の憲法は世界に誇る平和憲法だ」などがあります。

つまり、考えている対象を全部ひっくるめて一段上の対象として記述するときに「メタ」を付けます。「メタ」をあえて日本語に訳すと「超」を付けることが多く「超数学」というコトバも存在します。しかし「スーパー」とか「ウルトラ」と混同しないためにはそのまま「メタ」の方が無難かもしれません。

という訳で、「メタ憲法」という用語を使います。三つとは、憲法97条、98条、そして99条です。条文は次の通りです。

 

〔基本的人権の由来特質〕

97条  この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。

〔憲法の最高性と条約及び国際法規の遵守〕

98条  この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。
2 日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。

〔憲法尊重擁護の義務〕

99条  天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。

 

この中で、98条の2項は、メタ条項ではありません。その点を明らかにするためにも、ここには掲げておきました。

98条と99条が「メタ条項」であることは問題ないと思いますが、97条については、基本的人権の由来をと特質を述べているのですが、特質と由来との関係を考えると「メタ」であることも明白です。

この条文では、基本的人権が人類史においてどのような位置付けなのかについての記述があり、それが「侵すことのできない永久の権利として信託された」先の具体的な形が憲法なのだと言っています。つまり、人類がこれまで努力して獲得してきた基本的人権を、我が国では憲法という具体的な器で受け止めた、という意味です。しかも、それを国民の総意を以て受け止めたと言っているのですから、憲法そのものの本質が何に由来しているのかを示しています。従って「メタ条項」です。

特に重要なのは、これらの3条項とも、憲法が成立する上で必要不可欠な内容だということです。

97条は、憲法の存在意義そのものを述べています。98条は「最高法規」としての憲法位置付け、そして99条はこれを守らなくてはならないことを「義務」付けているからです。この点についてはこれからもさらに詳細に論考します。

「メタ条項」で注意すべき点としては、これらの条項が自己言及文であることです。論理的には、自己言及が矛盾を引き起こすことがあります。例えば、「この文は嘘を書いています」が矛盾の例です。この文が正しければ、その内容から「嘘」になり、正しくなければ嘘ではなくなってしまうからです。

ただし、今私たちが注目している三つの条項にはそのような矛盾はありません。しかし、同じ憲法の中に位置付けるのではなく、一段高い位置付けの文書として明示した方が論理的には混乱が少ないと考えられます。その点を考慮して、これらの3条項が、97条から99条として憲法の一番後ろにまとめられているのだと考えられます。(100条から103条は手続的な条項ですので、本来の憲法とは性格が違いますので、「補則」として最後にまとめてあることには納得が行きます。)

次は、これらの条文からどのような「定理」が生まれるのかを見てみましょう。特に98条に注目します。

 

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[2024/2/23 人間イライザ]

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2024年2月22日 (木)

#2月22日 は #加藤友三郎の誕生日 です ――#アメリカ初代大統領 #ワシントンの誕生日 でもあります――

#222 #加藤友三郎の誕生日 です

――#アメリカ初代大統領 #ワシントンの誕生日 でもあります――

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加藤友三郎の銅像--8月に中央公園に戻されます(常広一信氏撮影)

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このブログのお気に入りテーマの一つは加藤友三郎ですが、2月22日は友三郎の誕生日です。生まれたのは1861年、文久元年です。

年は違いますが、1732年の同じ日にはアメリカ初代大統領のワシントンが生まれています。連邦政府の法律ではワシントンの実際の誕生日の代りに、2月の第3月曜日をワシントン誕生日として祝います。1809年2月12日に生まれたリンカーン大統領も加えて、2月の第3月曜日を「プレジデントの日」として祝う州もあります。

友三郎は、広島市出身の初の総理大臣ですが、海軍軍人として日本海海戦では、東郷平八郎司令長官の下、参謀長として勝利に貢献し、その後、4代の内閣で海軍大臣を務めたのち、1922年には総理大臣に就任します。

友三郎の最も大きな業績の一つは、1921年から22年に開かれたワシントン軍縮会議で、軍拡を主張し続けた軍部を抑え、英米との間に軍縮条約を締結し、日米の協調路線を締結しただけでなく、その後も、中国やロシア史の国際関係も平和と協調の道へと導いたことです。

日本ウェルネススポーツ大学の工藤美知尋教授(友三郎の伝記『海軍大将加藤友三郎と軍縮時代』--光人社文庫)は、友三郎の政治的な偉大さを次の一言にまとめています。

あと数年友三郎の命がもってくれれば、太平洋戦争は避けられたのではないだろうか。

友三郎がなくなったのは、1923年8月24日です。その100周年を記念して昨夏にはシンポジウムを開催しましたが、誕生日、2月22日は誰にでも、覚えられます。来年のこの日には、ワシントンと並んで我が国の政治に大きな足跡を残した友三郎を偲んで、皆さんも発信をしてみませんか。

私は、広島市が2月22日を「軍縮と平和の日」と制定し、休日にすることを提案します。少なくとも、講演会や展示会等のイベントを開催することくらいはできるでしょう。

なお、友三郎についての情報は、次のようなサイトを御覧下さい。クリックするとサイトに飛べます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2024年2月18日 (日)

#説明なしに #死刑 が #合憲 だと #断定して良いのか? ――#98条 の #最高法規 が #決定権 を持ちます――

#説明なしに #死刑 #合憲 だと #断定して良いのか?

――#98 #最高法規 #決定権 を持ちます――

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憲法マジックに騙されるな

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月初めから始めたシリーズでは、2019年に上梓した『数学書として憲法を読む――前広島市長の憲法・天皇論――』の改訂版ではどのような改善点があるのかをお知らせするのが本来の目的でした。とは言え、旧版のサワリくらいはお浚いをした上でないと伝わらないところもありますので、まず、なぜこんな本を書いたのかの説明から始めました。

それは、憲法の解釈が「100円のトマトに200円払え」に等しいような非論理性に満ちているからなのです。憲法には「○○である」と書いてあるのに、現行の解釈の多くは「○○でない」になってしまっているのです。これを「憲法マジック」と呼んでいるのですが、その良い例が死刑です。

「憲法は死刑を禁止している」のです。その簡単な「証明」は、2月7日のブログで取り上げました。続いて、死刑は合憲であるということの根拠になっている、昭和23年の最高裁判所の確定判決の批判をしてきたのですが、今回はそのまとめです。

クリックする手間を省略するために、最高裁判決を再掲します。下線と番号は筆者が付けました。

死刑制度を合憲とした判例(最高裁判所大法廷昭和23年3月12日判決)

憲法第13条においては,すべて国民は個人として尊重せられ,生命に対する国民の権利については,立法その他の国政の上で最大の尊重を必要とする旨を規定している。しかし,同時に同条においては,⓪公共の福祉に反しない限りという厳格な枠をはめているから,①もし公共の福祉という基本的原則に反する場合には,生命に対する国民の権利といえども立法上制限乃至剥奪されることを当然予想しているものといわねばならぬ。そしてさらに,②憲法第31条によれば,国民個人の生命の尊貴といえども,法律の定める適理の手続によつて,これを奪う刑罰を科せられることが,明かに定められている。すなわち③憲法は,現代多数の文化国家におけると同様に,刑罰として死刑の存置を想定し,これを是認したものと解すべきである。(中略)弁護人は,憲法第36条が残虐な刑罰を絶対に禁ずる旨を定めているのを根拠として,刑法死刑の規定は憲法違反だと主張するのである。しかし死刑は,冒頭にも述べたようにまさに窮極の刑罰であり,また冷厳な刑罰ではあるが,④刑罰としての死刑そのものが,一般に直ちに同条にいわゆる残虐な刑罰に該当するとは考えられない。ただ死刑といえども,他の刑罰の場合におけると同様に,⑤その執行の方法等がその時代と環境とにおいて人道上の見地から一般に残虐性を有するものと認められる場合には,勿論これを残虐な刑罰といわねばならぬから,将来若し死刑について火あぶり,はりつけ,さらし首,釜ゆでの刑のごとき残虐な執行方法を定める法律が制定されたとするならば,その法律こそは,まさに憲法第36条に違反するものというべきである。前述のごとくであるから,死刑そのものをもつて残虐な刑罰と解し,刑法死刑の規定を憲法違反とする弁護人の論旨は,理由なきものといわねばならぬ。

(中略)と書かれているところより後、後半を先に考えると、ここでは、「残虐」な死刑執行の典型例を挙げて、そのような執行方法は禁止されている、でも36条は、死刑そのものを禁止しているのではないという「断定」が述べられているだけで、死刑が合法だという説明はしていませんので、合法か否かの議論に関しては、この後半部分は無関係です。

となると、(中略)より前、つまり前半だけを問題にすれば良いことになります。そこで取り上げられている13条の解釈ですが、鍵になるのは「公共の福祉」の位置付けです。これは、基本的人権を剥奪する上での必要条件なのですが、最高裁判決では、これを十分条件だと解釈した上での結論が述べられています。これは論理的には無理がありますので受け入れられません。

となると、結局、31条の解釈だけが問題です。最高裁の解釈では法律があれば死刑が許されるという主張になってしまっています。これも、必要条件と十分条件との違いから論じると、31条では、法律的な手続きさえあれば死刑は許されるとまでは言っていないのです。

仮に一歩譲って、死刑は合憲だという法律があることを前提に議論しましょう。最高裁の判決はそれで、死刑が合法になると言っています。でも憲法98条と合わせて考えると、この結論は間違っています。

具体的に考えて見ましょう。明治憲法下では法律によって死刑が認められていたのですから、最高裁の主張は、明治刑法が定めている通り、既に法律も存在しているのだから死刑は合法なのだということになります。

しかし、憲法98条をもう一度読んで見ましょう。

第98条 この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。

つまり、明治時代に制定された法律があっても、その内容が新憲法の意図と違うのであれば、その法律は無効だと言っているのです。この点についてはさらなる説明を次回以降したいと考えています。

となると問題は、最高裁の判決の問題点は、98条の意図する、死刑そのものが新憲法の意図するところに合致しているのかどうかという検討を行わなかったことなのです。そしてその検討を行えば、2月7日の記事で証明したように、つまり「定理A」の証明通り、死刑は違憲なのです。

次回は、憲法98条の持つより大きな意味の解明を始めます。

[続きます] 

 

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[2024/2/18 人間イライザ]

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2024年2月17日 (土)

#広島市出身初の総理大臣 #加藤友三郎 #シンポの #英文記録作成 の #記者会見 ――世界的な軍縮のリーダーから学ぶべき時は今――

#広島市出身初の総理大臣 #加藤友三郎 #シンポの #英文記録作成 #記者会見

――世界的な軍縮のリーダーから学ぶべき時は今――

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広島市の市政記者クラブの記者会見・右側は金子哲夫さん

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加藤友三郎については、このブログで何度も取り上げています。核兵器さえ使われ兼ねない今、広島市から選出されている二代目の総理大臣には、友三郎から学んで平和路線を牽引する気概を持って貰いたいと願うのは私だけではないでしょう。

そんな思いも込めて、昨年8月26日に、友三郎の没後100年を記念してのシンポジウムを開きました。その英文の記録が出来上がりましたので、報告とPRのための記者会見を広島市の市政記者クラブで開きました。

皆さん大変熱心に取材して頂きました。最後には、こちらからお願いして友三郎とこの冊子を広めるためのアイデアも出して頂きました。私たち実行委員会としての腹案も含めて、今後の取り組みとしては、次のようなことを考えています――各国の駐日大使に贈呈、資料館やレストハウスに置いて貰う、資料館に「加藤友三郎コーナー」を設けて貰う等です。

これから、市や関係者にお願いすることになりますが、多くの皆さんの応援があれば説得力が増しますので、宜しくお願い申し上げます。

なお、友三郎については、シンポジウムのホームページに追加情報が掲載してありますし、シンポジウムのYouTube動画も御覧頂けたらと思います。

また、2005年にアップした一文も岸田内閣への注文を付け加えてブログに再掲しましたので、そちらもお読み頂けると幸いです。

 

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[2024/2/17 人間イライザ]

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2024年2月14日 (水)

#バレンタインデー の #意味 ――#反戦の日 #愛 や #家族 について #考える日――

#バレンタインデー #意味

――#反戦の日 # #家族 について #考える日――

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日本政府は仲裁の役割を果せます

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2月14日はバレンタインデーです。

1999年、市長就任後のバレンタインデーの前に職員に伝えたのは、「義理チョコ」の禁止です。思わず「禁止」という言葉を使ってしまいましたが、本当は、「愛のないプレゼントの交換に意味があるのか」という問題提起です。

なぜそんなことを考えたのか?もちろん理由があります。その趣旨は、2004年の2月14日、日本・ヨルダン・エジプト・パレスチナ女性交流公開フォーラムの場でのスピーチとしてお聞き頂きました。岩波書店の現代文庫『新版 報復ではなく和解を』に収められていますので、そこからの引用を交えて、以下、お読み頂ければ幸いです。

バレンタインデーの起源について、ほぼ定着している説は次のようなものです。

西暦三世紀、ローマ皇帝のクラウディウス二世は、大変過酷な悪政を布いた、しかも戦争が好きだったということで不人気だった皇帝です。彼の治下、戦争に行きたくない若者が多かった。なぜ若者たちが戦争に行きたくないのかについて皇帝が考えた。彼の下した結論は、家族とか愛する人たちがいるからだということになりました。そこで皇帝クラウディウスニ世は結婚を禁止しました。

その時ローマのキリスト教司祭だったバレンチーノという人がいるんですが、英語の名前はバレンタインです。彼は秘密裡に若者たちの結婚を執り行なったのです。秘密が漏れない間は良かったのですが、皇帝にばれて投獄され、遂に214日に処刑されたという歴史があって、それがローマ時代のずっと長い間続いていた二月のお祭りと一緒になってバレンタインデーになったという説です。

だとすると、バレンタインデーというのは、本当は反戦の日ではないか、戦争に反対をするということについて、あるいは戦争の意味について、家族について、愛の意味について考える日なのではないでしょうか。その愛の意味を表面的なレベルで捉えてしまっているバレンタインデー、表面的なレベルと言ってしまってはちよっと言いすぎかもしれませんが、もっと深い意味があることに心すべきなのではないでしょうか。

今、ウクライナでもガザでも多くの市民の命が奪われています。最低限、「即時停戦」をせよ、そして、これ以上人の命が失われてはならない--バレンタインデーにこそ、私たちが声を大にして、戦争当事者全てに伝えなくてはならないメッセージです。

そのメッセージを掲げて、効果的に仲裁の労を取れる立場にいる日本政府は一体何をしているのか。厳しく問いたいと思います。

 

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[2024/2/14 人間イライザ]

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2024年1月30日 (火)

#加藤友三郎シンポジウム #英文冊子 の #原稿 #仕上がる ――#あとは #印刷に回す だけです――

#加藤友三郎シンポジウム #英文冊子 #原稿 #仕上がる

――#あとは #印刷に回す だけです――

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表紙もきれいにできました

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昨2023年8月26日に開催した「加藤友三郎没後100年記念シンポジウム」を要約した英文の冊子原稿が仕上がりました。あとは印刷に回すだけです。

本当なら、全部出来上がってから報告すべきことなのですが、思った以上に時間が掛かってしまいましたので、何か良いことが起きる度に「お祝い」することにしています。

このシンポジウムの意義や概要についてはこちらのホームページを御覧下さい。このHPに「英文の冊子」という項目が付け加わることになります。一言お断りしておきますが、このページの「LIVE配信」からもYouTubeの画像は御覧頂けますが、編集前のものですので、下にあるリンクからお入り頂ければと思います。

シンポジウムの当日の様子のYouTubeの画像です。こちらも御覧下さい。

 

2024年のこれからも心配ですが、健康に留意しつつ、少しでも良い年にすべく頑張りましょう。

[2024/1/30 人間イライザ]

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2024年1月26日 (金)

#広島藩 と #安芸の国 ――#藩 が #正式名称 になったのは #明治時代 だった――

#広島藩#安芸の国

――# #正式名称 になったのは #明治時代 だった――

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安芸の国生まれの初の総理大臣、加藤友三郎

 

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昨年2023年の8月26日に開催した「加藤友三郎没後100年記念シンポジウム」の概要を英語に訳して小冊子を作るために、最終の英語版チェックを友人のスティーブン・リーパーさんにお願いしていました。その彼から鋭い質問が飛んできて調べたところ、私の知らなかった歴史的な言葉遣いについて、蒙を啓かれることになりました。

リーパーさんが疑問に思ったのは、基調講演をして下さった工藤美知尋先生のまとめの原稿中の次のような個所についてでした。

友三郎は、1861年に安芸の国広島城下大手町で生まれているのですが、その後、友三郎が広島藩の上士、恵美氏の娘と結婚するときの家族の記述として、藩の下士だった加藤種之助の弟という記述があるのです。国と藩とは違うのか?

それに対する回答として一番分り易かったのが、「YAHOO! JAPAN知恵袋」のwoo*********さんの答でした。

「国は律令制の頃の地域です。藩は版籍奉還で大名領が天皇に返されその代わりに公称になった旧大名領です。

江戸時代から藩があるように思われてますが江戸時代の公称は領です。藩が公称になったのは明治時代からで2年くらいで終了し府県が置かれます。これが廃藩置県です。

なので史実的には薩摩藩や長州藩といった江戸300藩はありません。藩主や藩士なども造語です。薩摩は国名、長州は国名の別称です。」

ネットで注意して見ると、私同様、このことを知らなかった人の「驚き」の言葉がいくつも見付かります。鋭い指摘と知識のある人の説明で、いくつになっても勉強できるのは幸せです。

 

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 [2024/1/26 人間イライザ]

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2024年1月25日 (木)

#アリストテレス と #トマス・アキナス に #激励されました ――#昔 #国会議員 の #勉強会 で――

#アリストテレス と #トマス・アキナス に #激励されました

――# #国会議員 #勉強会 で――

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アリストテレス他の哲学者

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昔、「フランクリンの会」という名称の超党派の国会議員の集まりがありました。理工科系出身の若手議員10人程の会ですが、科学と政治の両方で活躍したフランクリンにあやかりたいといった気持もあってこんな名前を付けました。

そのフランクリンの会の有志が、1996年5月に、哲学者の今道友信先生にお話を伺いました。テーマは「20世紀から21世紀にかけて考えるべき事」でしたが、一時間で分り易い倫理学概論を講義して頂いたような気がしました。

今道先生の講義の概要を、私が有権者の皆さん向けの報告レポートとして毎週まとめていた『アキバ・ウィークリー』からの引用として、今回再掲させて頂きます。

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20世紀を振返ると、科学技術による生活条件の向上と人権面での向上はあるものの、重大な問題も多くあります。それを「早過ぎた死」という形で整理すると、次の 5つが典型的です。

第一に、餓死する人の数がこれ程多い世紀はなかったこと。第二には、交通事故死する人の数がやはり多いこと。第三には戦死者の数が多いこと。第四には公害による被害が深刻でその結果としての死も多いこと。最後に自殺者の数が多いこと。それも、イジメの結果のような幼い人達の自殺が特に顕著であること。

この一つ一つについて、如何に問題が大きいかを指摘することも可能です。例えば、人類の歴史が始って以来、20世紀に至るまでの何千年もの間に戦争で死んだ人よりも、20世紀になっての 100年足らずの間に戦争で死んだ人の方が多いのです。そして今や交通事故で死ぬ人の数と自殺する人の数はほぼ同じになっているのです。

ところが、この一つ一つに、倫理学における「徳」が対応しているのです。例えば、アリストテレスによると「正義」とは「ものが公平に分配されること」なのです。そして、この正義がもう少し世の中に認められていたら、世界の餓死者の数は減っていたかも知れないのです。

アリストテレスが二番目の徳として挙げているのは「思慮」それも謙虚な慮りです。もう少し他人に思いやりを持っていれば、交通事故死にも影響が出てくるのではないか、と今道先生は考えるのです。

三番目は勇気です。アリストテレスは勇気を「自分が正しいと信じたことを主張し続ける態度」だと言っているのだそうです。そして、戦争がいけないことだと考えた人達がそのことをもっと主張し続けていれば、戦死者の数にも影響が出てきたはずだと今道先生は指摘します。

四番目は節制です。何事でも限度を超えて作ってしまうのではなく、程良さがもっと徹底していれば、公害は違った姿を取っていたのではないでしょうか。

最後はアリストテレスではなく、中世の神学者トマス・アキナスの挙げた徳なのですが、それは希望です。これはキリスト教の徳なのだそうですが、他人に絶望を与えるような発言をすること自体が罪になるのです。逆に言えば、若い人達に希望を与えるように気を使うことが大人の責任なのです。

この中で私が特に嬉しいと思ったのは、アリストテレスが、正しいと信じたことを主張し続ける態度が「勇気」だと考えたこと、そして、他人に希望を与えることが如何に大切であるかをトマス・アキナスが説いていたという点です。

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自民党は「派閥」を大変革して、金と人事は排除、本来の「政策集団」に戻すという方針が出されたようです。名称はともかく、謙虚に勉強会を開いて古くからの人類の知恵を学んでいれば、ことによるともう少しまともな政治が生まれていたかもしれません。

 

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 [2024/1/25 人間イライザ]

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2024年1月20日 (土)

#派閥解散 #30年前の提案 が #実現しました ――#アキバ・ウィークリー 35号 1992年10月9日収録 をお読み下さい――

#派閥解散 #30年前の提案 #実現しました

――#アキバ・ウィークリー 35 1992109日収録 をお読み下さい――

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2,000万円分の札束のイラストです

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とうとう、この日がやってきました。自民党の主要派閥の解散です。岸田派、二階派、そして安倍浜で解散を決めました。私が国会議員として活動し始めてから、身近に経験したことを元に、提案し続けたことです。その一里塚として、1992年10月9日に収録した電話週刊誌、「アキバ・ウィークリー」の第35号をお読み下さい。(クリックすると大きくなります)

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これからが問題なのですが、30年前の教訓としては、「金権腐敗政治の一掃」を錦の御旗にして、迷い道に入り込まないことです。

30年前は、「金権腐敗政治の一掃」が、「政治改革」という名前に変えられ、それは小選挙区制度の導入で解決すべき、というマスコミや学者、そして保身を図る政治家や官僚たちが一緒になって、選挙制度を変えました。

その結果が、今皆さんの目の前で起きていることです。選挙制度を変えても、金権腐敗政治は変らなかったのです。

今回も同じように、この混乱に乗じて、自分たちの政治的主張を社会全体に広めて日本を変えようとする人たちが跳梁跋扈することになるでしょう。

その一つの可能性は、「こんなに酷い社会になってしまったのは、日本民族の誇りが忘れ去られてしまったからだ。国家の品格を取り戻そう。押しつけ憲法ではない自主憲法を制定しよう」辺りでしょうか。

これは、30年も待つことなく、今日明日の内に聞こえ始めてもおかしくありません。

 

2024年のこれからも心配ですが、健康に留意しつつ、少しでも良い年にすべく頑張りましょう。

 [2024/1/20 人間イライザ]

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