歴史

2024年6月18日 (火)

#コロンブス問題 (その3) ――#江崎玲於奈学長 #式辞の問題点――

#コロンブス問題 (その3)

――#江崎玲於奈学長 #式辞の問題点――

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板坂元著『老うほどに知恵あり』と藤永茂著『アメリカ・インディアン悲史』

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江崎玲於奈筑波大学学長の1992年の入学式式辞の中のさわりは次の一節です。

大学を出るまでには、独立した人間になってもらわなくてはならない。独立の人間とは「自分自身で価値判断のできる英知」を持つ人間である。今後の人類の平和と繁栄という視点から重要なのは、たとえば大学で教えられる固定されたプログラムに「疑問を持ち、あるときは拒否したり、あるいはそれを改善したプログラムを作成するというような努力」の結果、「卓越したプログラムが創造できるような人間」になり、「グローバルな視野でものごとを考え」られることである。

ここで問題にしたいのは、1992年という時点で、コロンブスを取り上げたこと、そしてコロンブスについての評価は、江崎学長が理想として掲げた「独立した人間」という尺度で測るとどう見えるのかということです。

つまり、「新大陸発見」という大事を成し遂げたコロンブスに倣えということは、グローバルな視野から物事を考え、固定概念に疑問を持ち、拒否したり改善したりしながら、新たなプログラムを創造することになるのでしょうか。

拙著『夜明けを待つ政治の季節に』(1993年、三省堂刊)からの引用です。

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何故コロンブスなのか

私が違和感を持ったのは、主に二つの部分についてである。一つは、人間をコンピュータに引き比べて論じている点である。この点については、雑誌『世界』(19924月号)に掲載されたジョセフ・ワイゼンバウムMIT名誉教授の「イデオロギーとしての人工知能」を参照して頂くことにして割愛する。もう一つは、コロンブスである。

この二つを除くと、江崎演説は大学の入学式の学長挨拶として、氏が目標としている「楽しく出席できる」ほど魅力のある演説だとは思えないが、それは別次元の話で、特に批判すべき理由はない。しかし、コロンブスを無批判に、現在の日本の大学生のお手本として持ち出して来たことで、「自分自身で価値判断のできる英知」を持ち、「疑問を持ち、あるときは拒否したり、あるいはそれを改善」して「グローバルな視野でものごとを考え」られる人間になることが望ましい、というメッセージが別の物になってしまったのである。すなわち、アメリカで言行の不一致を指摘する場合の定型表現である”Do As I say, and not what I do.”日本語に訳すと、「私の言う通りにしなさい。しかし、私の行動を真似ては駄目ですよ」というものである。さらに、コロンブスの例の引き方にも大きな問題があり、結局、江崎演説が現時点での日本の大学生に対するアドバイスとして適切がどうか、疑問を感ぜざるを得ないのである。

江崎氏も指摘しているように、今年はコロンブスの「新大陸発見」後五〇〇年の一つの範目の年である。だが、「グローバルな視野でものごとを考える」のであれば、コロンブスを取り上げるに際して、当然、南北アメリカの先住民の立場を無視するわけには行かないはずである。その立場からは、「新大陸の発見」という言葉、そして考え方には大きな疑問符が付く。「新大陸」そして「発見」はあくまでも西欧の白人たちの視点からの言葉であり、考え方である。当時のアメリカに住んでいた人々の人権も所有権も全て無視した上で、唯一の価値ある「人間」として自分たち西欧の白色人種を規定した言葉である。

このような考え方に対して、通称「アメリカ・インディアン」、最近はアメリカ先住民(英語で

Native American)と呼ばれる人々が長い間異議を唱えてきた。しかも異議を唱える人の数は増えている。アメリカ合州国だけに話を限っても、一九六〇年代の公民権運動に端を発して、少数派に属する人々の権利の回復がここ二、三〇年の大きな社会運動になってきている。WASPつまり白人でアングロ・サクソン系の血筋を引き、キリスト教の中でも新教を信ずる人々の価値観や立場だけを正統的なものだと認める暗黙の前提が洗い直されて来たのである。もう少し大きく括ると西欧の白人ということになるが、彼ら/彼女らの立場、視点から世界を見た世界史を唯一の「世界|史」だと考える歴史観に対する異義の申し立てが行われてきたのである。

ハリウッドでさえ、主役の善人である白人のカウボーイや騎兵隊が、悪者「インディアン」を懲らす「勧善懲悪』映画は、もはや作らなくなっている。ヤクザの視点からの勧善懲悪映画や、何百年も前の価値観に疑問答さえも付けない男尊女卑、お上が常に善を代表する時代劇が未だに大手を振っている日本と好い対照である。

歴史の教科害におけるアメリカ先住民の記述もここ二十年でかなり改善された。たとえば、「アメリカ・インディアン」という言葉自体アメリカをインドだと誤認したコロンブス時代の残滓であり、一方的な価値観を代表する用語であるとの認識に基づいて、「アメリカ先住民」という用語が市民権を得ている。大学の一般教養で教えられる世界史やアメリカ史も、西欧偏重・WASP偏重を改めるための全学的な委員会を作った上で、カリキュラムの再検討をしたところが多い(参考までに報告しておくと、最近ではギリシャ・ローマの時代も含めて、世界の歴史における黒人の貢献が軽視されているという問題提起があり、アメリカの教育界はこの問題に取り組んでいる)。コロンブスのアメリカ到着以来五OO年経った今年の記念行事にしても「新大陸発見」という言葉はもちろん、このような歴史の考え方を何の反省もなく表面に出す種類のものは少なくなっている。

こうした反省が行われている最大の理由は、コロンブスの「-「新大陸発見」さらにその後の南北アメリカへのヨーロッパからの植民が、圧倒的な軍事力を背景にした侵略であり、豊かな社会と文化を完膚なきまでに破壊し尽した歴史的事実がより広く知られてきたことである。インカやアズテック文明を激亡させ、「北米インディアン」文明も消滅させた大きな罪に対する悔悟の気持が人類に芽生えてきたからである。遅きに失したとは言え、コロンブスの侵略以来五〇〇年経って、ようやく歴史的真実に世界が目を見開き始めたからである(コロンブスの「新大陸発見」がいかに残虐な侵略と略奪であったか、またその後の植民政策の具体的な罪悪については、最近多くの書物が著されているが、たとえば、ハワード・ジン著による『民衆のアメリカ史』(TBSブリタニカ刊)や藤永茂著「『アメリカ・インディアン悲史』(朝日選書)、トーマス・バパバージャー著『コロンブスが来てから』(朝日選書)を参照して頂きたい)

これまで世界の至る所で編纂された様々なレベルの「歴史」はほとんどの場合、勝者の歴史であり、勝者は自分たちの行為を正当化するため臆面もなく事実を曲げ真実を隠してきた。あるいは、敗者の側の視点や価値観は無視され、その存在さえも意味のないものと見なされたのであった。「新大陸の発見」という言葉は正にそういったっ歴史」を記述するための言葉である。

白人中心、ヨーロッパ中心、男性中心、キリスト教中心のこうした考え方が、西欧化された国々では正統な考え方として、「固定されたプログラム」の重要な一部として教えられてきた。当然、日本もその例外ではなかった。だが今、世界で起っているのは、このような「勝者」の歴史、「勝者」の論理に対して、「疑問を持ち、あるときは拒否したり、あるいはそれを改善したプログラム本を作成する」ことなのである。その結果、ただ単に力を背景にした歴史だけでなく、先住民の立場から歴史を見直し、未来を考えることが現在の私たちに必要不可欠であることが分ってきたのである。このような理解こそ「自分自身で価値判断のできる英知」なのである。

現代アメリカ社会の中で知的エリートの一員として生活してきた江崎氏が、このような複眼的コロンブス評価を知らないはずがない。自らのアドバイスを無視しただけでなく、科学や技術と社会や政治の動きとの関係がますます重要視されている今、コロンブスを一つの例として挙げるにしろ、なぜ、より広い立場から若者たちへのアドバイスを考えようとしなかったのか私には理解できない。

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コロンブスの「新大陸発見」後500年の年に、このような感じ方をしたのは私だけではなく、ハーバード大学で長い間教鞭を執った板坂元先生も、当時のマスコミに対して軽妙洒脱、同時に寸鉄人を刺す一文をものされています。

全文をお読み頂きたいのですが、『老うほどに知恵あり』(PHP研究所、1994年刊)の中の「無知論」です。次回、短い引用を掲載しますが、キーワードは「社会進化論」、英語では「Social Darwinism」です。

 

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[2024/6/18  人間イライザ]

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2024年6月16日 (日)

#コロンブス問題 #30年前にも取り上げました ――#なぜ #大切な点が #伝わらないのでしょうか――

#コロンブス問題 #30年前にも取り上げました

――#なぜ #大切な点が #伝わらないのでしょうか――

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『夜明けを待つ政治の季節に』

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Mrs. GREEN APPLEというグループの新曲「コロンブス」のミュージックビデオが批判されています。

『朝日新聞DIGITAL』2024613日号によると、「メンバー3人がコロンブス、ナポレオン、ベートーベンとみられる人物にそれぞれ扮し、ある島で類人猿たちと遭遇するという設定。メンバーが人力車を引かせたり、西洋音楽や乗馬を教えたりする場面などがあり、植民地主義を想起させるなどとSNSなどで批判が飛び交った。」とのことです。

この記事の中の南川文里 (ふみのり) 同志社大学教授のコメントが、問題点を的確に指摘していますので、一読をお勧めします。

この中のコロンブスについて、私個人として、アメリカ社会の評価の変化をその時々に感じてきた経験があります。中でも特に、1992年、コロンブスの「新大陸発見」500年後の、日米の受け止め方の違いに、思わず警鐘を鳴らした記憶が鮮明ですので、その報告を中心に何点かここに書き残しておきます。

今から65年前、1959年に高校生としてアメリカに留学しましたが、その年の10月に、コロンブス・デー・パレードに目を見張りました。歴史の時間でコロンブスのことは簡単に学びましたが、アメリカ社会、中でもイタリア系アメリカ人がコロンブスを英雄視し、国の休日になっていることさえ知らなかったのですから、これで目が開かれました。

しかし1980年代になると、コロンブスが「発見」したという視点ではなく、コロンブスや他のヨーロッパ人たちが南北アメリカを侵略し虐殺を行い、土地や財宝を略奪し、南北アメリカを植民地とした事実が広く共有されるようになり、コロンブスの単純な英雄視や絶対的な賛美は否定されるようになりました。当時はアメリカの大学で教えていましたが、コロンブスのついての批判的見方が大勢を占めていました。

しかし、大学としては休みの日として認めていましたし、公的にも祝日としては残されていました。州によっては、アメリカを発見したのは先住民だということを示すために、「コロンブスの日/先住民の日」という重なる意味の祝日にしているところ、また別の日に先住民の日を設けているところもあります。

そんな背景を背負って日本で生活を始めた1992年に、筑波大学の入学式で、新学長のノーベル賞受賞者、長くアメリカに住んでいた江崎玲於奈がコロンブスの「新大陸発見」500周年に因んだ式辞を読みました。

今回のMrs. GREEN APPLEと同じように、社会的影響力の大きい人の公的なスピーチで、マスコミも一斉に取り上げました。しかし、コロンブスに対しての批判は一切なく、「たとえそれが誤った仮説であろうとも、大胆にいろいろな思考をしてみることがなんらかの報酬を得るという一つの教訓になる」というメッセージだけが伝えられました。

なぜこのような取り上げ方が問題なのか、拙著『夜明けを待つ政治の季節に』(1993年、三省堂刊)で、10ページにわたって解説したのですが、その全文は近い内にこのブログの付録としてアップすることにして、まずは最初の問題提起の部分を引用します。

コロンブス再発見

学長の入学式演説

かつて、東大の卒業式における学長演説がニェースになる時代があった。三十年ほど前、茅誠司学長の「小さな親切運動に協力を」という演説の志の低さを嘆いたのは私だけではなかった。その時代、私たちは大学の果す役割にかなりの期待を持っていたのである。社会全体が大きく変り、大学も変化した今、大学の社会的役割も学長の演説昔とは期待のされ方違ってきた。マスコミが学長の演説を取り上げることもまれになった。私にとっては残念なことである。現実的ではないと批判されるかも知れないが、私は未だに、大学の果す役割に大きな期待を持ち続けているからである。

そんな風潮の中、マスコミが筑波大学の入学式での江崎玲於奈学長の演説をー斉に取り上げた。ノーベル賞の受賞者、外国からちの赴任、しかもこれまで大学で教えた実績がない等、異色学長の誕生に世間が大きな期待を掛けているからである。「期待」ではないにしろ、注目していることには間違いない。もちろん私も江崎学長の初仕事に期侍しでいた(そしてこれからの仕事に期待している)一人である。

マスコミの報道では、江崎学長の新入生へのメッセージは、だいたい次のようなものだということだった。すなわち、コロンブスの「新大陸発見」のように、仮にそれが誤った前提に基づいた行動であろうとも大胆に実行することが大切である。

この報道が本当なら、江崎学長の抱いている大学像と私の大学像はずいぶん違うことになる。それ以前の問題として、今の日本社会や政治が抱えている様々な問題を解決するために何が障害になっているのか、障害を取り除き問題点を解決し、新たな次の時代を迎えるための改革を行う上でどんな点が重要なのか等について、かなり認識が違っているように思えた。

教育や社会の大きな問題についての知的議論を盛んにするためにも、認識の違いをそのままにするのではなく、江崎学長の演説に対する問題提起という形で私の考え方を整理し直して一石を投じてみたい。

次回は、江崎演説の内容を紹介します。

 

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[2024/6/16  人間イライザ]

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2024年6月15日 (土)

#石棺で覆い #100年以上かける覚悟 ――#東電 も #このことは分っているはず――

#石棺で覆い #100年以上かける覚悟

――#東電 #このことは分っているはず――

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結局は放射能の減衰に頼る他はないのです

(環境省のホームページより https://www.env.go.jp/chemi/rhm/h29kisoshiryo/h29kiso-01-02-07.html)

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前回は、廃炉が不可能であるという二人の専門家による指摘と、そして京大の一つの研究所の比較研究の結果を取り上げました。まだお読みでない方のために、再度リンクを貼り付けます。

 ①  『アエラ』の20223月7日号に、小出裕章さんが、明確に「廃炉は不可能」と言っていますし、その説明も分り易く説得力があります。

②  『テレ朝news』の2023311日号では、元東工大の研究者、澤田哲生さんの「デブリを完全に取り出すのは不可能」という言葉を載せています。

③  スリー・マイル島とチェルノブイリという先例と福島の比較検証――京都大学大学院経済学研究科 フェローの竹内敬ニさんの再生可能エネルギー経済学講座の中の「福島原発事故の処理、廃炉は何年かかる?40年前の米TMI事故炉の廃炉も未着手」

そして本当は、「石棺」で覆うこと、そして100年も掛かることは、東電も承知の上で今の路線を突っ走っている可能性もあります。

とはいえ、私たちが合理的な判断で未来の作戦を立て直すために、原発によって発生する毒についての主要な注意点を簡略にまとめておきましょう。

(A)  放射性廃棄物 (ここで、「廃棄物」とは、人間の役に立たないので廃棄せざるを得ないものを指す。) は、元々の原料であるウランの採掘から始まって、原発の稼働や、その停止、停止後の処理等々、あらゆる場面で生産され、その量はいわば「指数関数的に増える」。

(B) 「廃棄物」とは、婉曲語法、または隠蔽語法で、人間に害を与える「毒物」であるというべきもの。

(C)  そして、その毒性の元である放射能を、無毒化することはできず、冒頭のグラフに示したように、毒性が減衰することを待つしか方法がない。

(D)  その間、これらの毒物と人間とをどう隔離しておくのかが問題であって、100年計画 (その単位で考えなくてはいけない長期的問題であるという意味で、100年経てば解決している問題だということを言いたいのではない。) を立てて、すでに大きな被害を与えてしまった人々には十分補償を行いながら、問題の発生責任者たちが覚悟を決めなくてはならない。

福島の過ちを繰り返してはいけないことは、広島・長崎を繰り返してはいけないことと同じ重さがあるのですが、科学的知見を元に考えると、そもそも人間が手を出してはいけないことだったのです。

そんなことを人類が考え実行してしまった心理的な背景に、広島・長崎の悲劇の重さを謙虚に受け止めることができず、「理想のエネルギー」を実現することで広島・長崎への償いをしたい、とでもいった「正当化」の気持ちとでも呼べるような動機が、どこかで働いていたのかもしれません。

 

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[2024/6/15  人間イライザ]

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2024年6月14日 (金)

#できないことを #できると言うのは #詐欺 ――#廃炉はできません――

#できないことを #できると言うのは #詐欺

――#廃炉はできません――

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2051年までには「廃炉」というのが東電の計画です

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「廃炉」という言葉がなぜ問題なのかというと、一つには、それが実現不可能な到達点を示しているにもかかわらず、言葉が使われ続け、それに対する批判がその裏に隠されてしまっているからです。

結果として多くの人の心の中には、それが実現可能な目標であるという印象が作られ、それを前提として物事を考えることに慣らされてしまうからです。つまり、「廃炉」が実現可能で、それを前提に考えるという習慣になってしまっているのです。

まず、廃炉が実現不可能であることの説明をします。と書いて、「そんなことは常識だから、その次から始めて」という反応はおそらく出てこないのではないかと思います。「廃炉は不可能」という事実が浸透していないのです。多くの皆さんは、「やっぱり」とは思っても、これまでの「廃炉は可能」という宣伝に毒されてしまっていると考えるべき理由です。

廃炉が不可能であるということは、これまで何人もの専門家が指摘してきました。

『アエラ』の20223月7日号に、元京大の研究者小出裕章さんが、明確に「廃炉は不可能」と言っていますし、その説明も分り易く説得力があります。

『テレ朝news』の2023311日号では、元東工大の研究者、澤田哲生さんの「デブリを完全に取り出すのは不可能」という言葉を載せています。

ここで「デブリ」とは、原子炉内部にあった燃料が溶け、さまざまな構造物と混じりながら固まったもの」(経産省作成の『廃炉の大切な話』から引用)を指します。そして、このデブリは放射線量が高く、これを外に取り出した後に、原子炉の建屋そのものを解体廃棄するという作業に進みます。

それが不可能であることを、専門家たちは指摘しています。

もう一点指摘しておきたいのは、時間という枠組みを同時に視野に入れた議論の大切さです。これまで、2019年に、デブリと思われる堆積物をつまみ出したというような報告がありますが、まだ、デブリを実際に外まで取り出した実績はないのです。

そして、これもまた理解に苦しむ表現なのですが、デブリの取り出し開始時期が今まで3回延期され、現在では2024年の10月くらいまでには開始ということになっています。それも、その取り出し量は耳かきいっぱい、つまり数グラムということだそうです。(毎日新聞経済プレミアム2024131日号)。理解に苦しむのは、取り出し開始時期は特定され、それが遅れているのに、(明示的にはうやむやな)取り出し終了時期は、一ミリも動いていないことなのです。

つまり、替えられたこちのない「廃炉」計画では、2051年までに880トンのデブリを全部取り出すことになっているのです。取り出し時期が遅れてもこれは不動なのです。単純計算すると、この取り出しを東電の主張通り2025年から始めたとして、1年間には33.8トンのデブリを取り出さなくてはならない勘定になります。ひと月あたりは、2.8トン、一日あたりでは94キログラムです。24時間稼働するとして一時間4キロ弱になります。

取り出すための機械さえ満足にできていない、その結果として、実際に取り出した経験はない。にもかかわらず、一時間4キロという速さで、危険物質を26年間続けて取り出すという計画には無理があるということは明らかです。こんな計画は常識としては受け入れがたいのではないでしょうか。

もっとも、それには「反例」があります。実行する機械もなく、実現した経験もなく、多くの人にとって「夢」としか考えられていなかった人間の月面着陸をやり遂げたアポロ計画は、ケネディー大統領が1961年に宣言し、1969年に実現しています。10年も掛からなかったのです。アポロ計画と福島原発事故とは何がどう違うのかも、考えてみるのに良い材料かもしれません。

そして今回は、スリー・マイル島とチェルノブイリという先例もあります。しかしながら、それらの例から見えてくるのは、やはり「廃炉は不可能」になってしまいます。(京都大学大学院経済学研究科 再生可能エネルギー経済学講座の中の「福島原発事故の処理、廃炉は何年かかる?40年前の米TMI事故炉の廃炉も未着手」参照)

最後に、できないことをできると、権力を持つ人たちが言い続けるのは、やはり詐欺行為だと言わざるを得ません。

 

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[2024/6/14 人間イライザ]

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2024年6月12日 (水)

#ダメなものはダメ ――#社会には #最低限の常識 #というものがあります――

#ダメなものはダメ

――#社会には #最低限の常識 #というものがあります――

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#わたくしたちが守らないと、#これもなくなりますよ

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東京都知事選挙で、蓮舫さんが立候補の意思を固めたそうですが、それ以降、「蓮舫は批判ばかり」という趣旨の「批判」が、訳の分らない人たちの手で広まっています。

そもそも、「批判ばかり」というのも「批判」ですし、そればかりをネタにし続けるのは、正に「批判ばかり」していることになりますから、蓮舫批判そのものが論理的に破綻しています。

ここで「批判ばかり」という言葉を使う人たちの真意は、正論を述べる人たちに対する苛立ちを効果的な言葉で表したいということでしょう。そして口を封じたい。

かつては、つまり30年以上前に、社会党に対してこの言葉が投げ掛けられたことがありました。それに対して社会党の迷走が続いて、分裂、現在は社民党に引き継がれていますが、ノスタルジアを込めて、当時の社会党が果した役割にスポットライトを当てておきましょう。

土井たか子さんの言葉で、日本中がすっきりし、日本社会を改革しようという大きな力になったのは、「ダメなものはダメ」でした。批判だけをしているのではなく、「ダメなものはダメ」とハッキリ発言することが重要だったのです。

それが今の世の中では、「何でもあり」になってしまっているではありませんか。政治だけではなく、企業の不正は後を絶たず、犯罪も想像を絶するレベルに達しています。そのプレーヤーたちに共通しているのは、「反省」という態度さえ見えないことです。

問題を広げてしまうことになるかもしれませんが、その原因の一つは、社会全体のネジが緩んでいるからなのではないかと考えています。私たち一人一人についての状況に翻訳すると、私たちの体の中に、本来備わっているべき「ダメなものはダメ」という物差しがなくなっているから、あるいはその感度が悪くなっているからなのではないでしょうか。

「ダメなものはダメ」を復権させましょう。

 

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[2024/6/12 人間イライザ]

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2024年5月16日 (木)

#福島原発視察準備 ―― #7年前の視察を復習――

#福島原発視察準備

―― #7年前の視察を復習――

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#フレコンはその後どうなっているのでしょうか

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もう7年前になってしまいましたが、広島県原水禁では2017年6月24日から26日までの3日間、「福島原発被災地フィールドワーク」を実施しました。福島県平和フォーラムに御協力頂き、被災地の皆さんの大変貴重なお時間を頂戴しての学習と連帯そしてその後の運動強化のための熱い3日間でした。

今年は、5月27日から29日までの3日間、県原水禁としては3回目のフィールドワークの機会を設けることになりました。

事前の準備の一環として、7年前の復習をしておくことが役立つのではないかと考えました。7年前の福島での3日間を、同時進行的に残しておいた記録を今回再度お読み頂ければと思います。

 

第一日目は「浪江町の状況を伺いました」

第二日目は「飯館村、浪江町、南相馬市の視察」

最後の三日目は「浪江町・大熊町・双葉町・富岡町・楢葉町の視察」でした。

  

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[2024/5/16 人間イライザ]

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2024年5月13日 (月)

#解決策の条件 ―― #分り易いこと #抜け道がないこと――

#解決策の条件

―― #分り易いこと #抜け道がないこと――

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#ザル法でないこと

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前回は、「政治家個人が不足分を集めなくてはならない現行システムの弊害」の後半をお届けしました。現行システムの短所はお分り頂けたとして、解決策を提示したいのですが、その前に今回は、「どの解決策が最適なのかを判断する基準」です。

「政治改革」というお題目を掲げ、最善の「解決策」は「小選挙区制」の導入だというまやかしで、政治全体が暗転してしまった歴史から教訓を汲まなくてはならないのですが、そのためには、どんな解決策でなくてはならないのかという条件を事前に設定しておく必要があります。

それは、『夜明けを待つ政治の季節に』から引用します。

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どの解決策が最適なのかを判断する基準

以上、現在のシステムについての欠陥を指摘したが、これに対する解決策は幾つも考えられる。その内のどれを選択するかに当って、比較検討のための物差しが必要になる。私は、次の四つの基準が大切だと考えている。

(1)  法律を守っている人と法律違反をしている人との区別が、子供にもはっきり分り、検察や裁判所もそのような常識通りの判断を下せる制度であり法律であること。現在の法律では、常識外カの政治献金を受けていても法律違反にならないようなケースが多過ぎる上、法律に詳しくなければ国会議員でも法律違反かどうかの判断さえできないのである。法律を守るそして守らせる第一歩は、国会議員も市民も子供も、法律が何を禁止し何を許しているのか容易に理解できるような、法律や制度を作ることではないだろうか。

(2)  抜け道・抜け穴が簡単に作れないような法律であること――現在の政治資金規正法はザル法である。たとえば、現行法でも一つの政治団体に対して一つの団体が寄付できる最高額は一応決っている。しかし、一人の政治家が作ることのできる政治団体の数には制限がない。金丸氏の五億円も500の政治団体を作り分散しておけば二〇万円払わかなくて済む、それが現在の法律の規定である。この他にも多くの抜け道・抜け穴がある。このような抜け道・抜け穴のない法律を作る必要がある。

企業や団体の献金を禁止することももちろん大切だが、個人献金が許されるのであれば抜け道を探すのは容易なはずである。たとえば、会社の役員報酬を引き上げて、その差額を個人献金として寄付することなど誰でも当然考えることだろう。もし、この形での抜け道が塞がれても、金を集めなくてはならない人がいて、金を出したい人がいれば必ず別の抜け道を探すはずである。金集めの必要性をなくすといった根元の所での厳しいぃ対策を講じなければ、イタチごっこになることは目に見えている。

(3)  罪と罰のバランスが取れていること――五億円貰って二〇万円の罰金では誰だっておかしいと思う。今政治家に求められている資質は、何よりも金や権力についての清廉潔白さである。金についてどんな厳しい法律であっても違反を起すような政治家は、政治家をやめて貰うべきだという判断基準を確立する必要がある。罰金を払い、刑に服しても次の選挙には簡単に立候補できる制度、当選すれば議員を続けられるといった制度では、政治の腐敗はなくならない。

(4)  金権腐敗政治の原因を現実的に把握した上での解決策であること。特に、政治家個人が金を集めなくてはならないという「謝悪の根源]に対する解決策であること――この点についての解決策でない限り、必ず誰かがどこかで抜け道・抜け穴を考えることになり、金権政治は続くことになる。

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次回はいよいよ「解決策」です。

 

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[2024/5/13 人間イライザ]

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2024年5月12日 (日)

#政治家が #金を集める #現行制度の #弊害 (後半) ―― #金集めに時間を掛けざるを得ない――

#政治家が #金を集める #現行制度の #弊害 (後半)

―― #金集めに時間を掛けざるを得ない――

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私腹を肥やす政治家も生まれる

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前回は、「政治家個人が不足分を集めなくてはならない現行システムの弊害」の前半をお届けしました。前半のポイントは二つでした。

(1)お返し・見返り文化が悪循環の源

(2)金儲けの上手い政治家が力を持ち派閥が出来る

後半も『夜明けを待つ政治の季節に』から引用します。

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(3) 議員は政治活動そっちのけで金集めに奔走する

派閥のボスが金をくれるからといって議員個人の集金活動が全く不必要になるわけではない。自民党の若手の集まり、ユートピア研究会の調査でも、収入の75パーセントは自分で調達しなくてはならないとのことである。いずれ派閥のボスになりたいと考えている政治家は自らの子分に金をばらまくために金集めをする。その結果、共和事件()被告の阿部文男議員(議員辞職すべきだが)が「とにかく金が欲しかった」と言ったように、なりふり構わず金を集めなくてはならない政治家も多くなる。

政治献金であれパーティーであれ、議員個人の名前で金を集めれば、議員個人が動く必要が生じる。秘書や家族だけが頭を下げて数千万あるいは億という単位の金が集まるはずのないことも、儀礼を重んじる日本社会ではあり得ない。

その結果、本来であれば政策の勉強や調査を行い、政策実現のための様々な可能性について議論を戦わせた上で、具体的な法律や政府の施策に仕上げて行くという、政治家本来の仕事に割ける時間が大幅に減ってしまっている。金は本来、政治活動を行うために集めるべきものであるにもかかわらず、金を集めるための時間が政治活動を圧迫し、金が先、政治が後という本末転倒さえ起きている。-

(4)私腹を肥やす悪徳政治家も後を絶たない

仮に政治家個人の責任で金集めをしなくてはならないにしろ、集めた金が全て国民のため政治を良くするために使われるのならまだ我慢できる。しかし、金丸元副総理を持ち出すまでもなく、政治活動のために集めたはずの金がしばしば議員個人の懐に入り、豪邸や高級車に化けてしまっている。

「苦労して集めたお金なのだから、その一部を使って少しくらい楽な暮しをしたって罰は当らない」、「自分で集めている内にどこまでが公でどこまでが自分の金だか分らなくなってしまった」そんな言い訳が聞えて来る。

もっとも、政治家個人の責任で金を集めるシステムを変えることで、こんな言い訳は全く通らなくなる。

 

() 共和事件については、Wikiwandの説明が簡明です。佐川急便事件やこの共和事件のような、政治と金との関係を絶たなくてはならなかったのですが、それが「政治改革」という美名を被せられ、結局権力を増長させる「小選挙区制度」の導入になってしまったのですから、再度、この頃の汚職事件を振り返ることで、同じ轍を踏まないようにしたいものです。

 

次に金権腐敗政治の一掃案を提示したいのですが、その案をまとめるの当って、いろいろな可能性があります。その中からどれを選ぶべきなのかを判断する基準を明確にしておかないと、「小選挙区制度の導入」などというとんでもない過ちを犯すことになり兼ねません。それを武具ために、次回はその基準を明確にしておきます。

「どの解決策が最適なのかを判断する基準」

 

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[2024/5/12 人間イライザ]

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2024年5月10日 (金)

#政治家は #警察官より #厳しく #公私を #峻別すべし (後半) ―― #政治家は法律を作る立場だから――

#政治家は #警察官より #厳しく #公私を #峻別すべし (後半)

―― #政治家は法律を作る立場だから――

240509

警察官は法律を守り守らせる立場

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前回は、

[主張 ①] 政治家は警察官以上に「公私]を唆別すべきである

を掲げて、その趣旨を説明しました。最後には、なぜ警察官の仕事では費用の負担に当って公私の混同が許されないのかという理由を三つ上げました。

まず第一に、公的な仕事は公費で賄うという原則がある。だから、いくら金持ちの警察官がいたとしても自分のポルシェをパトカーとして使わないのである。

第二に、腐敗を防ぐためである。寄付を貰った相手が何らかの罪を犯した場合、情として逮捕するには忍びないという気持になっても当然だがからである。

第三に、仮に寄付集めを認めたとすると、どこに境界線を引くのかが難しくなるからである。仮にスピード違反でチケットを切ろうとしている警官に、ドライバーが高額の寄付を申し出た場合、しかも、重大殺人犯人捜査のためにどうしても金が必要で、その警察宮が寄付集めの責任者だったちらどうなるだろうか。誘惑に負ける警察官だけが悪いと言って済まされる問題でないことは明らかなのではないだろうか。

今回はそれに続けて、政治家を縛る基準は警察官より厳しいものでなくてはならないことを論じています。なお、その中で「佐川急便事件」に触れていますが、詳細は、Wikiwandの記事を御覧下さい。政治と金ばかりではなく、暴力団とのつながりについても、重大な問題をはらんだ事件です。

 

以下、続きの引用です。

**************************************

この理由のどれも、政治家の場合にも考慮しなくてはならない点なのである。実は私はもっと厳しいことを考えている。政治家の公私の区別は警察官以上に厳密に付けられなくてはならないと私は信じている。それは、警察官は、既に出来た法律を執行する立場であるのに対して、政治家はその法律を作らなくてならないからである。

仮に、警察官が公私の区別を踏み越えて曲がった仕事をすれば、それは法律違反という形ではっきりと誰の眼にも分る仕組になっている。スピード違反をしたドライバーを故意に見逃せば、法を守るという仕事を放棄したことになる。それ自体法律違反である。はっきりと判断が下せるのは、既に法律があるからである。

だが、政治家が多額の寄付金を合法的に貰って、一部のドライバーに対して道路上での優遇措置を講じた場合、その違法性は警察官の場合ほどハッキリしていない。事実、佐川事件ではこの点が問題にされている。

だからこそ、汚職事件が後を絶たないのである。明確な線引きを行うためには、政治家が寄付を集めること自体を禁止すべきなのである。それが最も効果的だからこそ、警察官の場合も寄付を集めないシステムになっているのではあるまいか。万一、それ以上に効果的な方法があるのなら、警察官の寄付集めを認めた上でその方法を警察官の寄付集めにも適用すべきだということになるからである。

政治家、特に国会議員の公私を考える上で私が特に強調したいのは、政治家個人の金を政治活動に使うべきではない、という点である。政治家自身の金を使うことを許し奨励している現在のシステムが、政治腐敗の温床を用意したと言っても過言ではない。金に不自由しない政治家が多額の金を使えば、それは、金がなければ政治家になれない環境を作り出してしまうのである。

事実、二世三世議員、あるいは世襲議員がこれほど多くなってきた理由の一つは、金持ちでなければ、そして三バンといわれるカバン (つまり金)、カンバン (知名度)、ジバン (後援会等の組織) がなければ立候補さえ出来なくなっているからである。そして、金のない政治家は、金集めに狂奔することになる。

[これに続いて、次回は、「政治家個人が不足分を集めなくてはならない現行システムの弊害」を取り上げます]

 

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[2024/5/10 人間イライザ]

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2024年5月 7日 (火)

#全米大学生の目標 は #大学が #Discloseと #Divestすること ―― #アパルトヘイト撤廃の力になった――

#全米大学生の目標 #大学が #Disclose #Divestすること

―― #アパルトヘイト撤廃の力になった――

Bromfield-pearson

#タフツ大学数学科の建物

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全米の多くの大学のキャンパスで、学生たちがイスラエルのガザ攻撃に抗議し、即時停戦ならびにパレスチナの解放を求める行動を続けています。

日本の大学の経営システムとはかなり違う形で、アメリカの大学は経営されていますので、日本社会の枠組みからはなかなか分り難いかもしれません。私の経験に照らして、解説をしておきたいと思います・

まず経営のシステムと今アメリカで起きている学生たちの抗議行動については、毎日新聞のディジタル版、52日号が的確にまとめてくれていますし、分り易いと思いますので、そちらを御覧下さい。

アメリカの多くの大学で、これほどまでに学生たちの活動が広がっているのかという理由の一つは、歴史的にいくつもの成功例があるからです。私がタフツ大学で教鞭を執っていた頃に遡ります。1980年代ですが、学生たちは大学の建物占拠までして、南アフリカに投資している企業に対する、タフツ大学の投資を引き上げるように要求する運動を展開しました。

私たち教授陣の有志も、学生たちや大学の理事会との調整も含めて、アパルトヘイト撤廃のために大学としてどのような方針を取るべきかについての議論を深めました。基本的には学生たちと一緒に大学にDivestmentを求めることになりました。

結局、その時点では完全な形の投資引き上げ (Divestment) には至りませんでしたが、大学側が南アフリカ関連の企業への投資について検討をすることと、部分的な対応を約束して建物の占拠は解かれました。そして数年後の1989年には、タフツ大学の理事会は南アフリカ関連の投資を完全に引き上げるという決定をしました。

全米の他の大学でも同じようなことが起きましたので、アパルトヘイト撤廃のために学生たちの果した役割は、「平和的」な範囲で済み、しかもその成果は大きかったのです。

その他のテーマ (例えば、私企業による刑務所の運営) についても、アメリカの学生たちはまず大学の投資についての方針を変えさせることに注力し (その他のことで、短期的に目的を達成する可能性を勘案しつつ) 同様な成果を挙げてきています。

今回もそうした、歴史を踏まえつつ「Disclose (大学への寄付、大学がどこに投資しているのか) そして、「Divest (イスラエル関連企業等からの投資引き上げ) を大学側に求めているのです。

こうした動きが、より広い社会における不買運動と連携することで、大きな力を持つであろうことはお分り頂けると思います。

これが直ちに我が国でも実行できるのかどうか、そもそも意味があるのかも分りませが、身近なところから声を上げることから大きな結果に至る可能性を探しましょう。

 

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[2024/5/7 人間イライザ]

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