平和

2022年10月 3日 (月)

《社会と数学の関わり》を話し合う数学人の集い 準備会は成功裡に終了しました。次の第一回のお知らせです。

《社会と数学の関わり》を話し合う数学人の集い
準備会は成功裡に終了。次回、第一回のお知らせです。

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もう一昨日になりましたが、10月の1日、午後8時から「《社会と数学の関わり》を話し合う数学人の集い」の準備会を開きました。20名以上の方が御参加下さいました。予定が合わずに欠席された方もいらっしゃいますので、30名ほどの皆さんの集まりになりそうです。

自己紹介と簡単な抱負などを最初に伺いましたが、その後の意見交換も含めて、2時間近くがアット言う間に過ぎました。有意義な一時でしたが、私個人にとってそれ以上に感動的な経験でした。

その後も、この2時間の余韻が頭の中に残っていろいろ考え始めてしまいました。その結果、「眠れなかった」と言うと少し大袈裟になってしまいますが、遅くまで気分の高揚は続きました。

その理由を書きたいのですが、うっかりするとそれだけでまた夜更かしということになりそうですので、自制をしてまとめてみます。

まず、次回は12月4日 (日) の午後8時から、ということになりました。それ以後も原則として、偶数月の第一日曜日の午後8時です。Zoomに参加するための情報は、亀井哲治郎さんから、直前に送ることになっていますので、参加を希望される方は亀井さんあてにメールをお願いします。

また、緊急の提案をしたいことなどがこれから生じるかもしませんので、メーリング・リストを作って、そこに投稿できる体制も整えることにしました。

さて、この集いでは「数学人」という言葉で、「何らかの形で数学との関わりや関心をもっている人」に参加して頂きたいという希望を表しました。とは言え、数学の研究者や数学を教えている方々、それも現職だけではなく退職された方々、も含めての数学関連の仕事をされてきた皆さんが多くなるでしょう。でも、その他の皆さんに御参加頂くことで、話し合いの場がより豊かになることも大いに期待していました。

昨日参加して下さった方々の中には、地形学の専門家、翻訳家や出版関係の方などもいらっしゃり、嬉しい限りでした。

参加された皆さんには、もっとお話をして頂きたかったのですが、時間が足りず申し訳なく思っています。

私が余韻に浸ってしまった興味深いいくつもの問題提起や、御自分の現在の関心事等の内、ここでは四つに絞って報告をします。(個人名は明記していません。これについては、皆さんからの合意を頂いた上で次回からは別の形にするかもしれません。)

① 数学教育の現状が心配だという声が多くありました。参加者の関心が数学教育にあることから当然なのですが、状況は、世間で考えられている以上に深刻だということが切々と伝わってきました。

② 特に、受験のための数学教育になってしまっていること、その根は深いことも指摘されました。Uさんの分析では、漢字の導入まで遡る必要があるとのことなのですが、となると、例えば合宿をして集中講義という形で議論をすることなども考えられますので、今後がますます楽しみでもあり、同時に心配でもあります。

③ Kさんからは、「戦争に動員される科学者・技術者-玉川大学量子暗号研究と経済安保法」についての集会のあったことの報告と、数学研究が直接、戦争に応用される危険についての問題提起があり、過去、数学者が戦争協力した歴史等も含めての取り組みが重要であることが確認されました。

④ これまで数学者が中心になって進めてきた、「ベトナム問題に関する数学者懇談会」 (略称はベト数懇)や「核兵器廃絶をめざす数学者の懇談会」について、当時、参加した方々の中から、Hさんから、次回の話題提供者としてこれまでの活動内容やこれからの活動に役立つ資料等を提供して貰うことになりました。

また、「数学と社会」に関連したいくつかの著作も紹介され、それらについてはこの集いを契機に購入したり共有したりする大切さも痛感しました。

さらに、次回、つまり第一回の集いには、誰か一人で良いので、できたら仲間を増やして行こうという意見も出されました。どのような人たちの集いなのかを一人一人の参加者が知るために、数行のプロフィールを書いて貰い、それをメーリング・リストにアップすることで共有したいという希望も出されました。

二月に一度、Zoomでの会合を開くだけでこうしたこと全ての解決にはならないと思いますが、これだけの人数の人たちが、二か月の間、次の集いのテーマに共通の関心を持つことで、新たなエネルギーが生まれる可能性もありますので、まずは次の集いも今回と同じように「楽しい」一時になるよう工夫ができればと考えています。

 

それでは今日一日が、皆様にとって素晴らしい24時間でありますように。

[2022/10/3 イライザ]

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2022年10月 2日 (日)

「横浜市非核兵器平和都市宣言市民のつどい」が終りました

「横浜市非核兵器平和都市宣言市民のつどい」が終りました

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左から小沼通二慶應義塾大学名誉教授、私、そして被爆者の和田征子さん

第18回 2022横浜市非核兵器平和都市宣言市民のつどいが盛会裡に終りました。主催者である実行委員会の皆様に心からお礼を申し上げます。

この会の中での柱の一つは、和田征子さんが被爆者として8月に開かれたNPT再検討会議に参加した報告でした。被爆証言も交えて、ニューヨークで精力的に活動された様子を熱っぽく語って下さいました。

私はというと、前日にはドライ・リハーサルをして、10分オーバーした分はスライドを減らして調整した積りだったのですが、60分には収まらず、残った3分の1ほどは、タイトルだけを5分ほどかけて紹介することになってしまいました。

久し振りに「対面」での講演でしたので、皆さんから返ってくる熱気に応えようと、ついつい言葉数が多くなってしまったようです。再訓練をして次回は時間通りに収まるようにしたいと考えています。

それでも最後のパネル・ディスカッションで、コーディネーターの小沼通二先生が時間を下さって、補足することができました。小沼先生は著名な物理学者であるだけではなく、各廃絶運動のリーダーとしても長い間活躍されていた方でしたので、お会いできて、しかもいろいろ気を遣って下さり、大変光栄な一時でした。

また、2014年にやはり横浜で、神奈川生協の皆さんにお話したことがあったのですが、その皆さんからの後押しもあって今回声を掛けて下さったという背景も伺い、感激一入でした。

夜は、Zoomで「《社会と数学の関わり》を話し合う数学人の集い――「準備会」」も大変盛り上がりました。こちらの報告も追ってさせて頂きます。

 

それでは今日一日が、皆様にとって素晴らしい24時間でありますように。

[2022/10/2 イライザ]

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2022年10月 1日 (土)

何故、都市が立ち上ったのか

何故、都市が立ち上ったのか

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戦争になると、被害を受ける代表が都市です。ここに掲げた、横浜、イーペル (ベルギー) 、そしてゲルニカは、みな戦争による大きな被害を受けています。その結果、都市が発信しているメッセージは「Never Again!」です。こんな思いは二度としたくない、させてはいけない、ということです。

そして、それを実現する上で大切なのが多様性と寛容さです。それが平和の基礎になるのですが、同時に創造力を培って経済的な力の源にもなっています。

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ここに掲げた三都市はどれも、先進的な産業都市です。多様性と寛容さという点から見ると、オースチンは超保守的なテキサス州の中で、リベラルな都市として知られています。それは、デル・コンピューターが本拠を据えて若い人たちが流入してきたためです。ボストンは、アメリカで最初に同性婚を認めたマサチューセッツ州の中心都市です。MITは隣町のケンブリッジにあります。そしてサンフランシスコは、シリコンバレーの隣にあって、ボストンとともにアメリカのリベラな都市の代名詞です。

今日の講演は、13:30分から、かながわ県民ホールの二階で開催されます。

 

それでは今日一日が、皆様にとって素晴らしい24時間でありますように。

[2022/10/1 イライザ]

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2022年9月30日 (金)

10月1日に「横浜市非核兵器平和都市宣言市民のつどい」で話します

「横浜市非核兵器平和都市宣言市民のつどい」で話します

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明日、10月1日の午後1時半からかながわ県民センターの2階ホールで、「都市から核のない世界へ」と題して講演をします。

そのために、改めて「平和市長会議」のこれまでの活動や、なぜ都市が世界平和に関わるのかについて考え直してみたのですが、面白いことに気付きました。

それは、これまで「国家の時代」が終り「都市の時代」が訪れている意味を、都市がどのような貢献ができるのかという立場を中心に考えていたのですが、正反対の視点から捉えることで今まで見えない「真実」が見えてきたのです。

正反対の視点とは、「国」が市民から何を奪うのかを考えることでした。その出発点は、27日の本ブログ「「国葬儀」は「棄民」政策の成れの果て」でも取り上げた基本懇の答申です。

「国」が市民から奪うものは、

① お金 (憲法30条)--「納税の義務を負ふ」

② 権力 (憲法前文)--「権力は国民の代表者がこれを行使し」

③ 命 (基本懇の答申)--「戦争という非常事態のもとで、国民が何らかの犠牲を余儀なくされたとしても、それは国をあげての戦争による「一般の犠牲」として、全ての国民が等しく受忍しなければならないものである。」

それぞれ、説明しなくてもお分り頂けると思いますが、それに対して「都市」は、「国」から市民、私たち一人一人の命やお金を守る役割を果せます。詳細は、10月1日の講演会でお話しした後、このブログにも載せる積りです。

 

それでは今日一日が、皆様にとって素晴らしい24時間でありますように。

[2022/9/30 イライザ]

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2022年9月 3日 (土)

ラウン博士とチャゾフ博士

ラウン博士とチャゾフ博士

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IPPNWとは、核戦争防止国際医師会議(かくせんそうぼうしこくさいいしかいぎ、International Physicians for the Prevention of Nuclear War: IPPNW)の略称です。

Wikiwandによると、

核戦争を医療関係者の立場から防止する活動を行うための国際組織で、1980年に設立された。本部はモールデン (マサチューセッツ州)。各国に支部があり、日本支部の事務局は広島県医師会内にある。

米国のバーナード・ラウンとソ連のエーゲニィー・チャゾフが提唱した。1981年以来、現在は隔年で世界会議と地域会議を開催している。83カ国、約20万の医師が参加している。1985年にノーベル平和賞を受賞。2012年の20回目の世界大会は、23年ぶりに日本で開催された。

この世界大会で、私は講演をしたのですが、その際に簡単に述べたことが今回のテーマです。それは、アメリカのレーガン大統領とソ連のゴルバチョフ書記長が、米ソの「冷戦」という世界を覆っていた大きな枠組み変えた背景です。レーガン・ゴルバチョフ・チームは、(1) 核兵器廃絶のために協力し、そして(2) 冷戦終結のためにも協力しました。お二人がこれほど大きな仕事を達成できたのは、ラウン博士とチャゾフ博士の力が大きかったのではないか、ということなのです。

その前に、あまり知られていない事実ですので、復習しておくと、レーガン大統領とゴルバチョフ書記長は1986年のレイキャビック・サミットで、核兵器の全廃に合意していたのです。

その時の議事録です。

レーガン大統領:「どうだろう、これができれば素晴らしいのだが、私たちの考えているのは、5年毎の期限が2度終了するまでに、爆弾、戦場システム、巡航ミサイル、潜水艦兵器、中距離ミサイルシステムや核爆発装置を全廃するということなのではないか。」

ゴルバチョフ書記長:「そうだな。では、全ての兵器をリストアップしてみてはどうだろう」

シュルツ米国務長官:「すぐ取り掛かりましょう」

レーガン:「仮に私たちが考えている10年間という期限の終了時に核兵器を全廃しようという合意ができれば、その合意をジュネーブの代表団に託し、条約を起草させましょう。そうすれば、あなたが米国を訪問する際にその条約に署名することができる。」

残念なことに、この合意は軍産複合体や官僚組織の抵抗にあって実現しませんでしたが、冷戦の時代にこのように驚異的な合意が行われたこと自体奇跡です。

その背後には、ラウン、チャゾフ両博士がいたというのが今回、強調したいことなのです。このお二人に共通しているのは、専門が心臓外科であること、そして、ラウン博士はレーガン大統領の、そしてチャゾフ博士はゴルバチョフ書記長の主治医だったことです。

仮に以下の私の推測が事実だったとしても、お二人はそれを公言しないでしょうしそれを知っている周りの皆さんも沈黙に徹することは御理解頂けると思いますが、このお二人が、両首脳に対して大きな影響力を持っていたとしても不思議ではありません。

どのような形でその影響力を行使したのか想像でしかありませんが、核兵器や核戦争についての正確かつ人道的な情報を提供したとしても不思議ではありません。

しかし、もしこれが事実だとしても、別の問題も生じます。仮に、為政者に対する個人的な影響力を持つ人が、その力を邪な目的のために悪用する可能性が出てくるからです。

幸いなことに、ラウン、チャゾフ両博士の医学に対するコミットメント、そして人類を核の脅威から救いたいという強い思いと実行力は疑う余地がありません。専門を生かして、専門家だからこそ、「核戦争による犠牲は医学では救えない。だから核兵器を廃絶しなくてはならないのだ」と主張したお二人にも、そしてゴルバチョフとレーガン両首脳にも感謝の意を表したいと思います。

  

台風11号がますます心配です。コロナについてもまだまだ油断はできません。そして、医療関係者や行政の皆様等、現場で頑張って下さっている皆様に心からの感謝を捧げます。さらに、私たち自身、感染しないよう努力しましょう。

 それでは今日一日が、皆さんにとって素晴らしい24時間でありますよう。

[2022/9/3 イライザ]

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2022年9月 2日 (金)

ゴルバチョフさんには2度お会いしています

ゴルバチョフさんには2度お会いしています

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830日にミハイル・ゴルバチョフ元ソ連大統領が逝去されました。91歳でした。心から御冥福をお祈りします。

20世紀を代表する政治家の一人でした。20世紀後半はほぼ「米ソ冷戦」の時代だったのですが、その状態が変わると考えることさえ「非現実的」だと評されたほどの膠着状態に終止符を打った功績は歴史上、比肩できる事例を探すのに苦労するくらい大きなものです。

その象徴だったベルリンの壁崩壊は1989119日ですが、それから33年後、まさに「巨星墜つ」の感とともに、ゴルバチョフさんとのお別れの時が来たのです。

広島訪問は3回だとのことです。最初は1991年の4月、現役の書記長・大統領時代です。

(Wikiwand  https://www.wikiwand.com/ja/%E3%83%9F%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B4%E3%83%AB%E3%83%90%E3%83%81%E3%83%A7%E3%83%95 2022年9月1日閲覧)

次に1992年、そして三回目が2000年でした。

私は、2000年の11月にゴルバチョフさんとお会いしています。資料館を案内した後、短時間でしたが、直接話をすることができました。冷戦を終結させた世界的指導者にお会いできるのですから、当然緊張しましたが、気安く話ができ、しかも気持が通った感があり、柔軟な思考のできる人だという印象でした。

広島の悲劇を繰り返してはいけないと強調されましたし、核廃絶が自分のライフワークの一つだともおっしゃっていました。

その10年後、2010年の9月には、ロシアでお会いすることができました。冒頭の写真はその時の物です。11月に広島で開かれる「ノーベル平和賞受賞者サミット」に参加して頂きたい旨お願いしたのですが、快諾して下さいました。残念なことに、健康上の理由でサミットには参加して頂けませんでした。

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その時にお会いした方々の中でもう一人印象深かったのが、IPPNWの共同創始者だったエフゲニー・チャゾフ博士です。写真の左側の人です。アメリカ側の共同創始者だったバーナード・ラウン博士とともに1985年のノーベル平和賞を受賞しています。

このお二人がいたからこそ、冷戦の終結ができたのだと私は信じていますが、これについては稿を改めて論じたいと思います。

 

台風11号のこれからが心配です。コロナについてもまだまだ油断はできません。そして、医療関係者や行政の皆様等、現場で頑張って下さっている皆様に心からの感謝を捧げます。さらに、私たち自身、感染しないよう努力しましょう。

 それでは今日一日が、皆さんにとって素晴らしい24時間でありますよう。

[2022/9/2 イライザ]

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2022年8月28日 (日)

NPT再検討会議で最終文書不採択

NPT再検討会議で最終文書不採択

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「機能不全に陥っている日本の政治・岸田内閣」をシリーズで取り上げています。第2回は、「詭弁」と「強弁」の実例を検証しました。特に、官僚や政治家が常習的に操る「標準的嘘」を念頭に置くことの大切さを強調した積りです。

今回は、そのシリーズの「特別編」と言っても良い、NPT (核不拡散条約) 再検討会議で、最終文書が不採択になったことを取り上げます。

この会議では、全員一致で決定が行われることが決まっています。今回はロシアだけが反対して最終文書が採択されなかったことで、特に欧米諸国はロシアを非難しています。それはそうなのですが、「残念」、「落胆した」、「遺憾」と言っているだけでは核廃絶を進めることにはつながりません。どうすれば良いのか、具体的には次の機会に提案します。

ここで指摘しておきたいのは、「最終文書」の不採択は核保有国にとっては痛くも痒くもないこと、そしてロシア非難によって私たちの目を眩ませている結果になっていることです。

そのために、NPT再検討会議の歴史を振り返っておきましょう。

1995年--NPTを無期限延長

2000年--「核兵器の完全廃絶を達成するという核兵器国の明確な約束」が盛り込まれた

2005年--最終文書採択されず

2010年--2000年の「明確な約束」の再確認、核兵器のもたらす人類への壊滅的破壊、「核兵器禁止条約」「期限」等への言及があった

2015年--最終文書採択されず

2000年と2015年の「明確な約束」は、画期的な表現ですし、2000年には大きな拍手で迎えられました。問題は、にもかかわらず、何も起こらなかったことです。

2015年の再検討会議の結果を総括しておくと、①最終文書は採択できなかった。②その最大の理由は中東、特にイスラエルだった。しかも③2010年に採択された最終文書はこの5年間無視された。という3点が重要です。ロシアはどこにも出てきませんが、2022年は、ロシア一色です。

NPT再検討会議で最終文書が採択されない最大の障害は、「満場一致」方式です。これは元々、「P5」と呼ばれる核保有五か国の利権を守るために採用されたのですが、その他の核保有国にとっても、「核保有」を継続するために「役立って」います。

とは言っても、2010年はアメリカの努力で最終文書が採択されました。それを「成功」と呼んでも間違いではありません。しかし、2015年はオバマ政権が保守派に乗っ取られたため結果が出せなかったという結果になっています。最終文書が採択されてもそれが次の結果につながるのかという実質を冷静に見守る必要があります。

その視点から、NPTにおいて最重要なのは第6条だと言っても過言ではありません。それは、次の「誠実交渉義務」と呼ばれる義務です。

「各締約国は、核軍備競争の早期の停止及び核軍備の縮小に関する効果的な措置につき、並びに厳重かつ効果的な国際管理の下における全面的かつ完全な軍備縮小に関する条約について、誠実に交渉を行うことを約束する」

簡単にまとめると、2017年に国連で採択され2021年に発効した「核兵器禁止条約」(TPNWと略)のような条約を作るために、全ての締約国は誠実に交渉する義務を負う、という意味です。

核保有国はこの6条を全く無視し続けてきました。その結果、マーシャル諸島共和国は2014年に、核保有国を「NPT6条の義務履行違反」の廉で、国際司法裁判所に提訴しました。管轄権の問題でこの提訴は却下されましたが、国際社会は努力を続け、2017年には、国連総会が、多数決でTPNWを採択しました。

しかし、核保有国も、日本をはじめとする各依存国もTPNWの交渉に反対しました。これは明確にNPT6条違反です。さらに、未だにNPTの署名も批准も行っていないことが大問題であることも指摘するまでもない点でしょう。

その文脈で、NPT検討会議の最終文書不採択についての岸田総理の言葉を読むと、岸田内閣・日本政府の「不誠実さ」が炙り出されてしまいます。

NPTを維持、強化して行くことこそが核軍縮に向けた唯一の現実的取り組みである。

つまり、日本政府は、被爆者や市民が「悲願」として掲げてきた「核廃絶」ではなく、「核軍縮」が目標であり、NPTの「維持強化」の中には6条の遵守が入っていないことを認めていなければ、こんなことは言えないはずなのです。「核兵器禁止条約」に反対していることには頬かむり、NPTにだけ焦点を合わせているのは、核保有や使用を容認していることと同義です。

もっともその不誠実さと、核保有5か国が今年13日にわざわざ、「核戦争は決して起こしてはならない」、「自分たちの核はどの国に向けられてもいない」等の趣旨を盛り込んだ共同声明を出しながら、ロシアの核脅迫に際しては、「共同声明違反だ」という声を上げていない事実とを比べると、どちらの方が罪深いのか判断に迷います。

こう見てくると、NPT再検討会議における最終文書不採択は、それなりに見通せた範囲にあることもお分り頂けたと思います。しかし、NPT再検討会議の意義はそれだけではありません。この一月、世界の多くの市民と政府、そして多くのマスコミも核保有国の言動に注目してきました。それは、核保有国に対する大きなプレッシャーになっています。

NPT再検討会議が終わった今、私たち市民社会がどのような形でこのプレッシャーを核保有国に対して与え続けられるのか、考えるのも大切です。もう一点付け加えれば、「今になって」考えるのではなく、2015年のNPT再検討会議が終ってからすぐに、考え始めてしかるべきことだったのです。グッド・ニュースはその通りに考えてきた人やグループも存在することです。その人たちやグループは、非核保有国内だけではなく、核保有国の中にも大勢いる事実も重要です。この点については再度論じます。

 

コロナについてもまだまだ油断はできません。皆様、くれぐれも御自愛下さい。

それでは今日一日が、皆さんにとって素晴らしい24時間でありますよう。

[2022/8/28 イライザ]

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2022年8月23日 (火)

『戦争広告代理店』

 

『戦争広告代理店』

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『戦争広告代理店』に現れる主な登場人物

ロシアがウクライナに侵攻した今年(2022) 224日から、世界の圧倒的多くのマスコミは、「ロシア」=「悪」、「ウクライナ」=「善」という形での報道を続けてきました。そのマスコミからの情報が主な情報「源」である私たちは、その善悪の対比をそのまま受け入れることになります。

とは言え私は、それだけではない可能性のあることも頭に入れながら全体の状況を判断する必要があると感じていました。それは、高木徹著の『ドキュメント 戦争広告代理店』(講談社 2002年刊) を読んでいたからです。

舞台になったのは、「ボスニア」と「セルビア」ですが、状況が複雑で簡単な説明ではかなり不正確なことしか伝えられません。

その愚を犯しても、『ドキュメント 戦争広告代理店』の記述に従って簡略に整理しておくと、まず、ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の崩壊後、1991年から1992年にかけて、「スロベニア、クロアチア、マケドニア、ボスニア・ヘルツェゴビナの各共和国が独立して、残されたセルビア共和国とモンテネグロ共和国が新たなユーゴスラビア連邦を構成」しました。

この地域、特にボスニア・ヘルツェゴビナとユーゴスラビア連邦での紛争が起きるのですが、ボスニア・ヘルツェゴビナが「ボスニア」と呼ばれ、もう一方のユーゴスラビア連邦は、セルビア共和国のミロシェビッチ大統領の支配下にあったため、単に「セルビア」と呼ばれることがありました。

そしてこの紛争は、「ボスニア」が独立した1992年の春に始まり、1995年の秋には国連の調停で和平協定ができ停戦に至りました。

しかし、この紛争についての真実は未だに分らない部分が多くあります。『ドキュメント 戦争広告代理店』によると、この紛争の最も悲劇的な事件と言われる199425日の「青空市場砲撃事件」についても、死者60人以上、負傷者およそ200人という痛ましい悲劇であるにもかかわらず、「この砲弾が紛争当事者のどちら側から放たれたのか、今も不明である。」くらい、謎に包まれているのです。

しかし、当時の報道、そして今私たちの記憶に強く残っているのは、「ボスニア」=「善」そして、「セルビア」=「悪」という二項対立です。「悪役」として世界的にその名を知られたのが、セルビアの大統領だったミロシェビッチでした。彼は、その後起きたコソボ紛争での責任を問われて、旧ユーゴスラビア国際刑事裁判所(オランダ・ハーグ)において、人道に対する罪などの廉で裁判に掛けられ、その最中、2006年に亡くなっています。

そんな対立図がどのように作られたのかを、詳細に追ったのが『ドキュメント 戦争広告代理店』です。この対立を何より際立たせた象徴的出来事は、1992922日、国連総会において、ユーゴスラビア連邦追放決議が圧倒的多数で採択されたことでしょう。

こうした「善」が「悪」に勝つというシナリオを、約4か月で実現した立役者は、ボスニアの外相ハリス・シライジッチ、そして彼を助けたアメリカのPR会社ルーダー・フィン社、特にそのワシントン支局のジム・ハーフ国際政治局長でした。

 この間、ハーフは、シライジッチが英語に堪能であることを活かして、彼を「ボスニア」のスポークスマンとして、アメリカ社会に売り込みました。そのために、マスコミにどう対応すれば良いのかのノウハウを叩き込むこともしました。そして、マスコミが「ボスニア」での「悲劇」を一言で表すために「民族浄化」というキャッチ・コピーを作り、また「強制収容所」の存在を伝える写真やレポートで世論に火を付けました。(その一部は、後にフェイクであることが判明。)

シライジッチ外相の主要演説も、ハーフが書いたのですが、大団円は、国連決議採択前日の21日にボスニアのイゼトベゴビッチ大統領が国連で行った演説でした。それは、英語の演説で、その趣旨は「ボスニア」が多民族国家であり、他民族の共存を何より大切にしていることでした。

この演説について、全米公共ラジオの記者は、『ドキュメント 戦争広告代理店』の中で正直に気持ちを語っています。「多民族共存のイメージには、多くのジャーナリストがごまかされてしまいました。現実には、ボスニア政府、つまりモスレム人は他の二つの勢力、セルビア人とクロアチア人と同じように民族主義者の集まりでした」

現在のウクライナ報道全てが、『ドキュメント 戦争広告代理店』の描いているような一広告代理店による様々な工作の結果だとは考えられませんが、どちらの側もその意図を強調するために、誇張やフェイクを入れているかも知れませんし、そこに広告代理店が一枚噛んでいる可能性もあるのではないでしょうか。

真実を見極める難しさを理解しながら、冷静に判断する姿勢だけは失ってはならないと感じています。

 

コロナについてもまだ油断はできません。皆様、くれぐれも御自愛下さい。

それでは今日一日が、皆さんにとって素晴らしい24時間でありますよう。

[2022/8/22 イライザ]

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2022年8月22日 (月)

「こまえ平和フェスタ」が盛況裡に終りました

「こまえ平和フェスタ」が盛況裡に終りました

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「こまえ平和フェスタ」の当日でした。午後2時から始まって、合唱「ヒロシマの有る国で」が披露された後、市長と議長の挨拶動画、続いて、気象学者、増田義信さん(98)の戦争体験を語り継ぐ朗読劇が披露されました。「黒い雨」地域についての研究で、私たちの蒙を啓いて下さった私の尊敬する気象学者です。御本人が体験を語るという形式も大切ですが、この朗読劇には、戦争中つまり80年も前の時代背景が分かるような解説が上手に織り込まれていました。分り易い上に、3人の朗読者たちの熱演も感動的でした。

続いて、40年前の1982年に生まれた「狛江市平和都市宣言」と、2005年から続いている「こまえ平和フェスタ」について、まず、元狛江市長の矢野裕さんからのメッセージの代読がありました。そして平和についての作文募集で表彰された、当時小学生だった西川(当時黒田)みきさんのニューヨーク州からの報告と当時の思い出も披露されました。

今回の目玉は、やはり40年前に狛江市議会が満場一致で採択した「狛江市平和都市宣言」をもう一度味わうことでした。チラシの裏に掲げてありますので、お読み頂けると幸いです。

次に『はだしのゲン』の作者中沢啓治さんの詩に曲を付けた「広島 愛の川」の合唱、そして休憩をはさんで私が話をしました。

時間内に終るようにスライドを減らし、ドライ・リハーサルも何回かしましたので、時間は守れました。Zoomの接続にちょっと不安はあったのですが、私の伝えたかったことは、きちんと伝わったようでした。何人かの方から、「素晴らしかった」「格好良かった」「これからも反核運動を続けて行きます」「声が良かった」「背景の田んぼがきれいだった」「パワーポイントも分り易かった」等のコメントを頂きました。皆様、有難う御座いました。

その中で、もう2枚、パワーポイントのスライドを御紹介しておきます。

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最後は実行委員長の大熊啓さんのまとめと挨拶、そして狛江市の歌「水と緑のまち」の全員合唱で幕を閉じました。コロナの感染が広がる中で、会場に行けなかったのがくれぐれも残念でしたが、会場の皆さん、そしてオンラインで参加して下さった皆さんとの間に「一体感」が生まれた素晴らしい時間でした。参加させて頂いたことに心から感謝しています。

  

豪雨の被害はまだ続いています。被災者の皆さんに心からお見舞い申し上げます。さらに、コロナについてもまだ油断はできません。皆様、くれぐれも御自愛下さい。

それでは今日一日が、皆さんにとって素晴らしい24時間でありますよう。

[2022/8/22 イライザ]

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2022年8月21日 (日)

今日21日、「こまえ平和フェスタ」で講演します

今日21日、「こまえ平和フェスタ」で講演します

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前日の20日には本番の積りで練習をしましたが、やはり時間超過になってしまいます。説明を簡略にすることと、何枚かのスライドを削除しました。

でも、付け加えたスライドもあります。その中でも、2枚を御紹介します。田中角栄の言葉と、それに対しての私たちの責任です。

「こまえ平和フェスタ」は、YouTubeで生配信されます。URLは次の通りです。

https://youtu.be/zPZRFN_ZUsc

私の出番は、1520分くらいからです。

  

豪雨の被害はまだ続いています。被災者の皆さんに心からお見舞い申し上げます。さらに、コロナについてもまだ油断はできません。皆様、くれぐれも御自愛下さい。

それでは今日一日が、皆さんにとって素晴らしい24時間でありますよう。

[2022/8/21 イライザ]

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