平和

2023年1月29日 (日)

日本が壊れて行く? (2) ――「異次元」の違和感には理由(わけ)がある――

日本が壊れて行く?  (2)

――「異次元」の違和感には理由(わけ)がある――

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新年早々、1月10日に山口県周防大島沖で海上自衛隊の護衛艦「いなづま」が座礁しました。原因として、エンジンやレーダーに故障はなく、天候に問題はなかった、それに他の船舶との関連もなかったと報道されています。多くのマスコミが報じていますが、朝日のデジタル版のサイトはこちらです。

これをまとめると、事故の原因は、レーダーでは捕捉されていた浅瀬に乗組員が気付かずに、舵を切らなかったためその浅瀬に乗り上げた、ということになります。

油漏れして、かつ航行不能になったということは、スクリューが損傷したからとしか考えられません。浅瀬に乗り上げてからスクリューを逆回転させて船を止めようとしても、瞬時には止まらないということかもしれませんし、スピードもかなり出ていたのかもしれません。

専門家が現場と船を見た上で結論を出すのでしょうから、それと違っていたら訂正しますが、常識的に考えた結果を元に以下、議論を続けます。

それから10日も経たない18日、新潟海上保安部所属の巡視船「えちご」が、柏崎市の椎谷橋灯台沖1.1キロの地点で座礁しました。椎谷橋灯台が消えていたので、確認のために浅瀬に近寄ったためらしいのですが、浅瀬の水深は2メートルから4メートルで、「えちご」の喫水である5メートルより浅かったのです。また漁協関係者によると「漁船も近付かない場所」だとのことでした。これについても各種の報道がありますが、『新潟日報』の記事はこちらです。

この二つの事故が一月中に起きたのはたまたまかもしれません。でも二件とも、浅瀬に乗り上げ航行不能になったということも合わせて考えると、「偶然」で済ませて良いのかという疑問は残ります。

それは、軍拡政策とも関連があるからです。精密機器を搭載している近代的な船舶でも、浅瀬に乗り上げるという人為ミスが立て続けに起きる可能性が高いのですから、同じように最先端技術の集積である兵器の管理で人為ミスが起きてもおかしくはないからです。

以下、私の妄想であればそれに越したことはありません。また、高校時代に初めて生活をしたアメリカでの、「パール・ハーバー」の意味が余りにも大きかったための過剰反応かも知れません。とは言え、お付き合い頂ければ幸いです。

現実に戻って、岸田内閣の軍事費倍増計画の中で、トマホークという巡航ミサイルをアメリカから500発、金額にすると1500億円もかけて買う予定だそうです。トマホークは、最先端技術の集まりです。軍艦とは空と海という違いがありますし、巡視艇との違いはトマホークが武器だという点でしょう。でも、所詮は人間の作った機械です。

今回の、自衛艦と巡視艇の座礁が人為ミスによって起きたように、トマホークの発射についても人為ミスが起きないとは言えないことが問題です。「偶然」一か月の間に二つの座礁事故が起きたのですから、「偶然」トマホークの人為的発射事故が起きるかもしれないではありませんか。

「敵基地攻撃能力」という大看板までぶら下げることになる我が国からのミサイルは、命中または落下した国からは当然先制攻撃と見なされ、戦争が始まるでしょう。

「そんなことはあり得ない」と断言したいのですが、我が国の歴史を振り返ると躊躇せざるを得なくなります。人為ミスが元で、日本という国だけではなく日本人に対して「最悪のレベルの卑劣な国家・民族・国民」という烙印が押され、80年以上その烙印が生き続けているからです。それは、日本が正に「敵基地」である真珠湾の基地を攻撃した時から始まっています。

この攻撃をアメリカに対して伝えた最後通告は、ホノルル時間の1941年12月7日午前8時50分にアメリカ政府に渡されたのですが、真珠湾攻撃そのものはその50分前、午前8時に始まっていたのです。つまりこれは、「宣戦布告のない卑劣な戦争を仕掛けた」ということになるのです。それに対するアメリカの反応が対日観を決定的なものにしました。(渡部昇一氏による「真珠湾攻撃・・・なぜ日本の宣戦布告が遅れたのか?」による)

ルーズベルト大統領は、「私は議会に対し、一九四一年十二月七日、日曜日に日本によって行なわれた不当かつ卑劣な攻撃以来、合衆国と日本帝国は戦争状態にあることを宣言することを求める」という演説を行なったのである。

日本側の宣戦布告が遅れたのは、翻訳が遅れたとか、正式文書としてタイプするのに時間が掛かった等の説明がされていますが、「人為ミス」であることには違いがありません。

自衛艦や巡視艇が「あり得ない」くらい基本的な人為ミスで座礁するという事故が一月に二件も起きているのですから、私たちが「常識」だと考えていること、あるいは専門家たちが「あり得ない」と太鼓判を押しているようなことについても、人為ミスが元で、「あり得ない」ことが実際に起きてしまう可能性を問題にしない訳には行かないのです。だから、「異次元」の違和感なのです。

その結果として、船が損傷したとか物品が壊れたであればまだ救われるのですが、人命が失われることになったり人が苦しんだりということになると、単に「ミス」だからと言って見過ごしてはいけないことの範疇に入ってきます。次回はそんなケースを取り上げます。

 

最後に、まだ1月中ですので、今年一年が皆様にとって素晴らしい365日でありますように!

[2022/1/28 イライザ]

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2023年1月16日 (月)

「ヒロシマ」が壊れて行く? (2) ――壊さないための努力をしよう!――

「ヒロシマ」が壊れて行く?  (2)

――壊さないための努力をしよう!――

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前回は、1月2日の中国新聞ディジタル版で報道された広島大学原爆放射線医科学研究所(原医研、広島市南区)の田代聡所長による「核使用に備えた医療を研究する必要性を唱える」について考えて見ました。

反論を期待していたのですが、一つも寄せられませんでしたので、私なりに次の段階の考察に移ります。念のため、田代所長についての中国新聞の記事を再度掲げておきます。

核兵器使用に備えた医療、議論の動き「局面変わってしまった」広島大原医研所長

核兵器が使われた際に必要な医療の研究、開発について国内外の専門家で議論する動きがある。日本で作業部会の設置を呼びかけた、広島大原爆放射線医科学研究所(原医研、広島市南区)の田代聡所長(60)は中国新聞のインタビューに「局面が変わった」と指摘。被爆地の知見を生かして、核使用に備えた医療を研究する必要性を唱える。

このようなニュースを読んで、「広島の医師は核兵器の使用を容認している」とか「広島の医師が核抑止論の正しさを支持した」といった誤解が生じたり、核武装推進論者や核抑止論信奉者が自らの主張の正しさの「証明」としてこうした「解釈」を広めたりする可能性のあることにも配慮しなくてはならないのではないか、というのが前回のブログの趣旨でした。

そのために役立つ事実として、1980年代に世界的に大きな影響を与えたIPPNWのメッセージを持ち出してみました。繰り返しになりますが、再度掲げます。

主要なメッセージは三つありました。

① 一つは、「あなた」が住んでいる町に核爆弾が落ちたらどんなに酷い結果になるかを、医師として、医学用語を分り易く噛み砕いて伝えたことです。

② 二つ目は、そんな状況の中で、「あなた」が生き残った犠牲者の一人として医師としての私に救いを求めても、私には何もできませんというメッセージです。

③ そして最後のメッセージは、被害を受けるのはあなたやあなたの身近な人たちだけではなく、「核の冬」が訪れ人類は滅亡するのですよ、というメッセージです。

その効果は絶大で、当時の反核運動のスローガン「Freeze Now」決議を、州までも巻き込む自治体の議会が採択するほどでしたし、1986年のレイキャビックでのレーガン・ゴルバチョフ会談 (そこで両氏は米ソが全面的に核兵器を廃絶することに合意しました。残念ながら軍産複合体等の力で、実現はしませんでした。) も、こうした背景が元になって進められたのです。

ここで上げた三つの柱の内で、一番説得力のあったのが②であることは御理解頂けるでしょう。自分自身に対しての直接的な損得が関わっているからです。お医者さんに見放されても大丈夫という人はまずいないでしょう。仮にこの②がなければ、1980年代の人たちにとって、医師たちのメッセージ性は大きく損なわれたはずです。

②のメッセージ性とは、「私たち医師に救いを求めても、核戦争が起きてしまえば無力である。だから核廃絶が必要なのです」とまとめて良いでしょう。

田代所長の見解は、「核戦争が起きた場合、医師のできることに限界はあるにせよ、被害者の生命や健康を守るために最善を尽くす義務はある。そのための研究は必要だ」と要約できると考えられます。それなら理解できるのですが、それでも誤解や曲解の可能性は残ります。「限界はあるにせよ」の部分が消えたり、前にも述べたような「解釈」をされてしまうことです。

それを避けるための方策の一つは、中国新聞の記事の中でも言及されていた「被爆地の知見を生かして」に重きを置くことなのではないでしょうか。

一例を挙げると、「広島の被爆者の中には、これこれこういう状況で被爆し、このような症状で苦しんだ (あるいは亡くなった) 方がいた。当時の放射線についての理解は△△くらいの段階だったので、その時点での治療は難しかった。現在では改善されているものの、◇◇のようなレベルの治療に達している。今後、○○の分野についての研究が進めば、それが××のレベルの治療が可能になる」といった、具体的かつ素人にも理解できるような研究のあり方や方向性についての説明が、最低限必要なのではないでしょうか。

まだ十分に説得力のある説明にはなっていないと思いますが、他の方にも参加して頂いた上で、「ヒロシマの崩壊」を少しでも押し留める手立てを考え続けたいと願っています。そして次回は、政治面での例を取り上げることで、事の緊急性を訴える積りです。

 

最後に、まだ1月中ですので、今年一年が皆様にとって素晴らしい365日でありますように!

[2022/1/16 イライザ]

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2023年1月 8日 (日)

「ヒロシマ」が壊れて行く? (1) ――反論を期待しつつ書いています――

「ヒロシマ」が壊れて行く?  (1)

――反論を期待しつつ書いています――

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お正月も三が日を過ぎましたので、少し厳しく現実を見つめて行きたいと思います。とは言え、「それは老人の妄想だよ。若い世代がしっかりと責任を果しているから安心して下さい。」という反論と、その証拠を何方かが示して下さることを期待しつつ以下を綴っています。

1月2日の中国新聞ディジタル版に、衝撃的な見出しが躍っていました。

核兵器使用に備えた医療、議論の動き「局面変わってしまった」広島大原医研所長

核兵器が使われた際に必要な医療の研究、開発について国内外の専門家で議論する動きがある。日本で作業部会の設置を呼びかけた、広島大原爆放射線医科学研究所(原医研、広島市南区)の田代聡所長(60)は中国新聞のインタビューに「局面が変わった」と指摘。被爆地の知見を生かして、核使用に備えた医療を研究する必要性を唱える。

田代聡所長は核戦争防止国際医師(IPPNW)の会の日本支部であるJPPNWの事務局長でもあります。IPPNWは1985年にノーベール平和賞を受賞しましたが、その背景を『数学教室』の2014年5月号のコラム「The Better Angels」から引用しておきましょう。

この時期に私はアメリカで生活していましたので、アメリカの活動をまとめてみましょう。1975年にベトナム戦争が終わり、多くの活動家たちは原発の問題に関心を持つのと同時に、医師たちが核廃絶運動に取り組み始めた時期でもあります。後にIPPNWに発展したアメリカの医師たちの活動の中でも、PSR(Physicians for Social Responsibility—社会的責任を取る医師の会)の医師たちの活動は効果的でした。

 主要なメッセージは三つありました。

① 一つは、「あなた」が住んでいる町に核爆弾が落ちたらどんなに酷い結果になるかを、医師として、医学用語を分り易く噛み砕いて伝えたことです。

② 二つ目は、そんな状況の中で、「あなた」が生き残った犠牲者の一人として医師としての私に救いを求めても、私には何もできませんというメッセージです。

③ そして最後のメッセージは、被害を受けるのはあなたやあなたの身近な人たちだけではなく、「核の冬」が訪れ人類は滅亡するのですよ、というメッセージです。

その効果は絶大で、当時の反核運動のスローガン「Freeze Now」決議を、州までも巻き込む自治体の議会が採択するほどでしたし、1986年のレイキャビックでのレーガン・ゴルバチョフ会談も、こうした背景が元になって進められたのです。

多くの市民が医師たちのメッセージをきちんと受け止め、行動に移した理由の一つは、その時点では、原爆や戦争についての直接体験と市民との距離が余り離れてはいなかったことを挙げて良いでしょう。例えば、こうした反核集会の多くは、そして1982年のニューヨークでも、「広島・長崎への原爆投下は正しかったが、次に核兵器が使われれば、それはあなたの頭の上に落ちることになる」といった言葉で始まりました。この点に対しての反論も大変でしたが、同時にこれは、「パール・ハーバー対原爆」という図式で核の問題を捉えていた1945年に、まだまだ多くの人の意識が近かったことも示しています。戦争の記憶がそれなりに生きていたという点は大切です。

ここで上げた三つの柱の内で、一番説得力のあったのが②であることは御理解頂けるでしょう。自分自身に対しての直接的な損得が関わっているからです。お医者さんに見放されても大丈夫という人はまずいないでしょう。仮にこの②がなければ、1980年代の人たちにとって、医師たちのメッセージ性は大きく損なわれたはずです。

そして田代所長の発言は、その②のメッセージ性を大きく変えることになります。もちろん、「私に救いを求めても、私には何もできません」という言い方は誇張です。何らかの手当はできるでしょう。でもここで強調されている点は、医師でも救えないほどの大きな被害が市中に蔓延しますよ、そんな状態になってから私たちに頼っても遅過ぎるのです。今なら、核兵器を廃絶して、そんな状態を避けられますよ、ということなのではないでしょうか。

新たに②の代りになる言葉は何なのでしょうか。「私に救いを求めたとして、医師としては十分な手当てができますから安心して下さい。」になるのでしょうか。そこまでは踏み込まないとしても、仮に生き残った人たちがいたとしても、核兵器使用後の「地獄」は想像を絶するほど酷いものであり、何としてでも避けなくてはならない、というメッセージは消えてしまうのではないでしょうか。

それが杞憂でないことは、2014年12月にウィーンで開かれた「第3回核兵器の人道的影響に関する会議」と、翌2015年のNPT再検討会議での日本政府代表の発言を見れば明らかです。二つの会議では、核兵器使用が人類にもたらす、言語を絶する悲惨さについて多くの国々が次々と言及しました。それに対して日本の佐野利男軍縮大使が強調したのは、その点が強調され過ぎていることを指弾した上で、「核兵器が使用されても市民を救うことはできる」という点だったのです。

また法律によって、どの自治体も「国民保護計画」を作ることを求められています。その計画では、各都市が核攻撃にあったら、どのように市民を守るのかといった方策も掲げなくてはならないのです。国の方から示されている「お手本」には、例えば、「風上に逃げる」といったことが載っています。

それに対して広島市では、被爆者と専門家もメンバーとして参加した検討委員会の結論として次のような主張を掲げています。

「核攻撃があれば、その攻撃から市民を守ることはできない。唯一市民を守る手段は核兵器を廃絶することだ」--広島市作成の「国民保護計画」

田代所長は国際的な場で、「佐野大使の言葉は正しい。核兵器が使われても、広島の医師は市民を救える」と発言するのでしょうか。

そして、広島市に対して、「核攻撃があっても市民を守ることはできる。核兵器の廃絶は唯一の手段ではない」と、国民保護計画の修正を求めるのでしょうか。

答としては、「そんなに極端なことは言っていない。感情に走るのは止めて欲しい。」といった言葉が返ってくるのだと思います。私の方が感情的になっているのかもしれません。でも同時に、私が大切に守ってきた「ヒロシマ」が、どこかから壊れ始めているという感慨も捨てることができないのです。このような傾向は、政治の場面を見るともっと露骨に表れています。続きます。

 

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[2022/1/8 イライザ]

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2022年12月30日 (金)

この一年(2022年)を振り返る (3) ――思いも寄らぬことの連続でした――

この一年(2022)を振り返る (3)

――思いも寄らぬことの連続でした――

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言うまでもないことですが、今年、2022年は思いも寄らぬ出来事が続けておきました。個人的なことは、既に28日のブログに書いた通りです。新たな自覚と関わりのあるプロジェクトも始まっていますが、年頭の決意の一部として御披露する予定です。

全国的・世界的な出来事としては、2月24日、ロシアがウクライナに侵攻し、プーチン大統領が核の使用をちらつかせて全世界への脅迫を行ったことが最初に頭に浮かびます (「プーチン事件」と呼んでおきます)。さらに、7月8日の安倍元総理銃撃事件とその後の展開も重要です (こちらは「銃撃事件」と呼びます)。

2022年も今日と明日の二日しか残っていません。その時間の中で今年の姿を私なりの言葉でまとめるのは難しいのですが、敢えて一言で表現してみましょう。

「思いも寄らぬ」大事件は、隠された「真実」を暴露する。

プーチン事件で明らかになった「真実」を三つにまとめておきましょう。

① 核保有国のリーダーたちは、核兵器のもたらす人間的悲劇を知らない。

② 知らない人に、真実を知らせるのは、「知っている人」の義務である。

③ 核兵器を使用することはそれを使用した政治家個人への非難となることが明白になり、核兵器は使えない兵器になった。

「核兵器が使えない兵器になった」理由は、ドローンやインターネット等を通して、核戦争の結末がリアル・タイムで世界に伝わるようになり、ウクライナ戦争の「実況」と同じような速さで、世界が核戦争の悲惨さを目の当りにできる時代だからです。そして、今核兵器が使われれば、その下手人が誰であるかも隠しようがありません。未来永劫に亘って、世界から指弾される立場に自らを追い遣ることになるのです。リーダーたちにも自己保身の動機はあるはずですので、その理由だけから考えても、核兵器の使用には踏み込めないはずなのです。

とは言え、それを確実にするためには、広島・長崎の真実を核保有国の、特にロシアのリーダーに知らせなくてはなりません。そのために、Change.orgのサービスを使って署名運動を始めました。「「核兵器を使わない」と、ただちに宣言して下さい!」というタイトルです。下線をクリックして貰えればサイトに飛ぶことができます。そして、下の方にスクロールして下さい。「この署名活動のお知らせ・最新状況をもっと見る」という箱をクリックすると、その後の署名運動の進展が、新しいものから順に分るようになっています。

その中にも報告はしてありますが、署名数が5万を超えた時点で、プーチン大統領と岸田首相に書簡を送りました。こちらにその報告があります。

そして、10万人の方からの賛同を頂いた後、プーチン大統領、その他の核保有国全ての首脳に「核兵器を使わないと直ちに宣言して欲しい」旨の要請書を、また岸田総理には、広島選出の総理大臣として、これらのリーダーたちに核兵器を使わせないよう働きかけて欲しいという要請書を送付しました。

こうした動きは海外にも広がりました。外国特派員協会での記者会見の模様は多くのメディアが報道してくれました。こちらを御覧下さい。

また、私の友人たちも、ロンドンで発行されているWorld Financial Reviewにインタビュー記事を投稿してくれましたし、No First Use Globalという国際的な活動団体は、ネット上にインタビュー記事を掲載してくれました。それぞれの和訳は、山田達也さんが労を取って下さいましたので、それぞれの第一回の記事のリンクを貼り付けておきます。第二回目以降は、次の日からのシリーズ―ですので、順に辿って頂ければ幸いです。

World Financial Review

No First Use Global

他方、怒りを感じるほど何の動きも示さなかったのが、日本政府ですし、日本の政治家たちです。核兵器禁止条約には反対、6月に開催予定の核兵器禁止条約締約国会議へのオブザーバー参加すら拒否し、国会内で政府に働きかける議員連盟さえ存在しない状況は絶望的でした。

そればかりか、ウクライナ戦争に乗じて「核兵器共有」という飛んでもない発言が「リアリズム」という言葉とともに市民権を得つつあることに、「絶望」を超える行動を取らなくてはならないと感じ始めたのは私だけではないはずです。

そんな時に私の古巣である社民党から声が掛かり、7月の参議院選挙に立候補することになりました。選挙運動の詳細は、近い内にまとめた形で公式のホームページの掲載予定ですが、まずは立候補の決意をこのブログに投稿したものを御覧下さい。

7月10日の選挙で私は当選できませんでしたが、心に念じていた四つの目標のうちの二つは実現しました。① 福島みずほさんが当選し、② 社民党が政党要件を満たす、だけの票を獲得することができました。その報告はこちらです。

7月8日の銃撃事件が暴いたのは、旧統一教会の横暴かつ陰湿な活動であり、自民党との癒着でした。しかし、それ以上にショッキングだったのは、メジャーと称されるマスコミがこうした旧統一教会の本質を全くと言って良いほど報道してこなかったことです。「隠蔽」していたと言うのが言い過ぎだとしても、これほど見事に私たちの目から旧統一教会を隠していた事実は、そもそもマスコミとは何のために存在するのかという基本的な問いを思い起こさなくてはならないほどだと考えています。

そしてそれが政治の本流と切っても切れない間柄であることも重要です。その政治の本流の実態を余すところなく曝し出してくれたのが、国葬です。

私たち元国会議員も声を挙げなくてはならないと考えましたので、連絡の取り易い方々に声を掛け合い、合計24名で、声明文を作り記者会見を開きました。私たちの集まりは、「国の乱れを憂うる元国会議員有志の会」と名付けました。その様子はこちらから御覧下さい。心あるマスコミも報道してくれました。

老骨に鞭打っての行動でしたが、これだけで私たちの役割が終った訳ではありませんので、これからも問題提起を続けます。

昔の仲間たちと久し振りで行動を共にして、随分元気が出てきたのですが、それだけではまだ足りませんでした。ともに数学という学問を学んだり、何らかの形で数学に関心を持ったりしている皆さんとのネットワークを社会問題と結びつけることで、違う視点からの勇気が湧いてくるのではないかと考え始めたのです。

幸いなことに、上野健爾さん、浪川幸彦さん、亀井哲治郎さんが一緒になって、《社会と数学の関わり》を話し合う数学人の集いの「準備会」の開催を呼び掛けてくれました。101日の準備会では、偶数月の第一日曜日の午後8時からZoomで会合を開くことにしました。

124日の第一回の会合も中身の濃い、そして知的にも情緒的にも満足感を覚えることのできるものになりました。次回は25日です。

以上、駆け足で今年を振り返ってみました。2023年にも思いも寄らぬ出来事が出来するかもしれません。それも頭の隅に置きながら、来年の目標もきちんと立てたいと考えています。

 

それでは今日一日が、皆様にとって素晴らしい24時間でありますように。

[2022/12/30 イライザ]

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2022年12月24日 (土)

White Christmas

White Christmas

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2022年12月24日、わが街は白銀の世界でした。25日も雪に覆われ続けるはずです。午前中は雲一つない青空でしたので、"White Christmas"を歌ってみました。世界中の戦争が終り、貧困や人権蹂躙にも終止符が打たれることを祈りながら、新たな決意で来年を迎えたいと思っています。

 

それでは今日一日が、皆様にとって素晴らしい24時間でありますように。

[2022/12/24 イライザ]

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2022年12月17日 (土)

独裁政治を繰り返すな 修正版

独裁政治を繰り返すな 修正版

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二月前にお知らせしたように、「面白いプロジェクトを始めていますので、ブログとツイッターはしばらく休んでいます。」という状態なのですが、でも、社会的関心が「ゼロ」になったわけではありません。

我が国にとって歴史的な日となった1216日、岸田内閣は安全保障関連3文書を閣議決定して、「戦後安全保障政策の大転換」を宣言しました。国民的議論が全く存在しない形で国の基本的な姿勢を変えてしまうことを宣言したのですから、「独裁」以外の形容詞でこの大転換を表現することはできません。

戦後の安全保障政策」を簡単にまとめると、最初の逸脱は、「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」そして、「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」と規定した憲法に反して、軍隊を保持したこと。

第二に、その言い訳として「専守防衛」という苦しい説明を続けてきたこと。つまり軍隊は日本という地理的な範囲から外には出さないことですが、それは「海外派遣」でいとも容易に破り捨て、最近の例を挙げると、それさえ踏みにじって「集団的自衛権」を認め「専守」を反故にしたことを挙げておきましょう。

そして、ウクライナ戦争で明らかになっているように、最近の戦争は敵国の軍事施設・民間施設を問わず、ミサイルで攻撃するのが主流になってきています。それを、取り繕うために、「敵基地」を攻撃しているのだというのが、何度もロシアの使った言い訳です。

それこそ「敵基地攻撃能力」なのですが、日本もその力を公然と使うぞと宣言したのです。つまり、ロシアのような攻撃ができるし、そうするぞと言ったのも同じです。それが今回の閣議決定です。

戦争を鼓舞する政策にはお金が掛かりますが、それを増税で賄うことになるのは好戦指向を持つ人たちにとっては当然の理屈です。税についての議論は回を改めて論じますが、今回は、政治の理非を論じる上で二つの重要な「事実」を指摘しておきます。

一つは、総理大臣が「独裁」的な行動を取った場合の決着の付け方です。19946月、自民党や新党さきがけと連立政権を樹立し、総理大臣になった村山富市氏は720日の衆議院本会議手、当時の社会党員にはほとんど相談もなく、当然、より多くの市民への説明や相談もなく、「自衛隊は憲法の認めるものだ」と断定しました。

私はこれを「独裁」的手法の一例だと考えています。総理大臣になったからといって国民的には多数の支持があった考え方を、数秒でひっくり返したのですから、そう言われても仕方がないでしょう。

そんな内閣を実現するために私も骨を折りましたので反省を込めて、その後、社会党の改革に取り組みました。詳しくは、機会を改めて説明します。

敢えて村山内閣の評価を続けると、総理大臣として、これほど大きなマイナス行動をした村山氏は、終戦後50年に当る翌1995年には、第二次世界大戦・太平洋戦争そして戦後の総括を行う「総理大臣談話」で、保守派から妥協を勝ち取り、それなりに意味のある内容に踏み込んだ文書を作っています。一方では「自衛隊合憲」と歩み寄り、もう一方では我が国の「戦争責任」について歩み寄らせたのだという解釈も可能です。この「取引」をどう評価するのかも大切ですが、岸田内閣で「総理大臣談話」に相当するものは何になりそうなのかについて、何方かに教えて頂ければ幸いです。

第二の点は「敵基地反撃能力」についての心配です。

この言葉を聞いたとき、何より先に私の頭に浮かんだのは「真珠湾攻撃」です。高校生の時にアメリカに留学して、アメリカ人の世界観の基本には、一つの国家が取り得る最悪の事例として194112月7日の日本による「真珠湾攻撃」が定着していることを何度も体で感じた経験があったからです。そしてそれは多くのアメリカ人の心の中に今でも生きています。

日本が経済的にアメリカの脅威であると恐れられていた1980年代とは違い、影の薄い我が国ではありますが、「Black Lives Matter!」と叫ばないと人権を守れないという側面も持つアメリカで、日本に対して無条件で突き付けることのできる謳い文句を与えるような施策をわざわざ声高に採用する意味も考えなくてはなりません。老人の杞憂に過ぎないことを祈りつつ。

次回は増税について取り上げます。

 

それでは今日一日が、皆様にとって素晴らしい24時間でありますように。

[2022/12/17 イライザ]

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2022年10月13日 (木)

Unfold Zero (ゼロへの展開) の署名運動に協力して下さい

Unfold Zero (ゼロへの展開) の署名運動に協力して下さい

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「Unfold Zero (ゼロへの展開)」というNGOが、「人と地球を守ろう――核兵器のない世界へのアピール」という署名運動を展開しています。以下、「アピール」と略します。

核兵器をゼロにするためのシナリオを私たち自身の手で広げ、実現して行こうという決意の下、国連を中心に据えた活動に力を入れるという特色のあるグループです。

そのグループが始めた署名活動ですが、日本からの賛同者が少ないようですので、ここに日本語訳を付けました。皆さんにも是非賛同して頂ければと願っています。

前文  このアピールは、核の脅威を終らせ、核兵器を廃絶し、そのために使われているお金や投資を、世界的な健康維持のため、COVID-19からの回復、そして持続可能な発展のために使うことを目的としています。

アピール

9か国が保有している核兵器は私たち全てに対する脅威である。これらの兵器が、偶発的に、あるいは計算違いによって、または悪意の結果使われることになると、人的、経済的、そして環境の面で壊滅的な結果をもたらす。世界に1万4000発貯蔵されている核兵器のほんの一部でも使われれば、現に私たちの目の前にある文明そのものの終焉をもたら可能性がある。

加えて、毎年核兵器のために使われる1,000億ドルは、環境、経済そして人間のために使われるべき金だ。その中の、COVID-19蔓延対策や気候変動対策そしてSDGs実施のための資金も重要である。

我々、下の欄に署名した者は、都市、議会、そして各国政府が下記のことを表明・支持・確認するよう求める。

1. 核戦争に勝者はなく、絶対に核戦争を起こしてはいけないことを確認し、核保有国は核兵器を放棄して、核戦争を始めない政策 (核の先制不使用政策) を採用すべきことを表明する。

2. 国連の創設100周年になる2045年までに、核兵器を廃絶するというコミットメントを行うこと。

3. (核保有国に対しては) 核兵器関連予算をカットすること、(すべての国の政府に対しては) 核兵器生産関連企業への投資を止め、その投資を次のような目的のために使うこと。国連のため、COVID-19の管理とその損害からの回復、気候を守るために炭素の排出を劇的に減らすこと、SDGs達成のための資金にすること。

アピールの英語版に入って、右側のあるいは本文の下にある「Endorse」をクリックして、署名して下さい。

 

それでは今日一日が、皆様にとって素晴らしい24時間でありますように。

[2022/10/13 イライザ]

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2022年10月10日 (月)

「行動」・「現実」を表す「言葉」の重み

「行動」・「現実」を表す「言葉」の重み

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言葉と現実との関係はかなり複雑です。でも、多くの場合、「現実」あるいは「物」が先にあって、それを表現するために「言葉」が発明されています。例えば、「リンゴ」は恐らく人類が言葉を持つ前から存在していたと思われます。それを、「ミカン」とは違うものであることを示すためという理由もあり、つまり多くの理由があって名前が必要になり、人類が言葉を獲得してから「リンゴ」という名前が付けられたのでしょう。

ヘレン・ケラー女史が「水(water)」という「言葉」が、冷たい、流れる物質を指していることを理解したエピソードも、まず「現実」があり、それを表現する手段としての「言葉」がそれに付いてくるケースです。

「座り込み」についても、抗議の意味を込めた言葉としては恐らく江戸時代には使われていなかったのではないでしょうか。戦前に今のような意味で使われていたのかどうかも疑問です。借金取りが座り込む、という場合はあったかもしれません。

私の記憶では、戦後に良く報道されたストライキの際の「座り込み」を覚えていますし、被爆者たちが核実験に反対して慰霊碑の前で行う行為も「座り込み」ですが、行為が先にあり、その後に名前が付けられたような気がします。

アメリカに目を転ずると、ベトナム戦争反対運動や公民権運動などで行われた「sit-in」があります。「座り込み」はその訳語として使われていました。カウンターの椅子を占拠する行為も入りますが、これも実質的には「座り込み」と同じ抗議行動です。語源的には、1941年の学生による抗議行動の際に使われていた例があるようですし、それ以前には労働運動でも「sit-in」は使われていたようです。

つまり、この言葉は様々な形の抗議行動とともに生まれ、その内容も変わりつつ成長してきた「生きた」言葉です。人権や平和、そして正義を貫くための行動を表している点が重要です。そうした行動を忍耐と情熱を持って行ってきた人たちが、その行動を共有し広げるために、そして目標を実現するための旗印として愛し使ってきたことを忘れてはならないのです。

言葉と現実の関係では、言葉が先にあって現実がそれに付いてくる場合も当然あります。例えば、日本国憲法と政治の場合です。憲法98条は「この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない」と明言していますので、憲法は言葉として先に存在し、政治は憲法に従う形でしか行えないのです。

「言葉の意味が大事だ、現実がそれと乖離していてはいけない」と論じる場合、その一環として憲法と政治に思いを巡らせて欲しいと考えるのは、ないものねだりなのでしょうか。個人的には、憲法に違反して行われている死刑や、存在してはいけない軍隊を論じて欲しいと願っています。そのどちらも人間の生死に直接関わることなのですから。

憲法の言葉を文字通り素直に読むとどんな結論になるのか、拙著『数学書として憲法を読む――前広島市長の憲法・天皇論――』では、「丁寧に」説明しましたので、御一読頂ければ幸いです。(とは言え、ちょっと難しいという声も聞こえてくるのですが――)

 

それでは今日一日が、皆様にとって素晴らしい24時間でありますように。

[2022/10/10 イライザ]

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2022年10月 3日 (月)

《社会と数学の関わり》を話し合う数学人の集い 準備会は成功裡に終了しました。次の第一回のお知らせです。

《社会と数学の関わり》を話し合う数学人の集い
準備会は成功裡に終了。次回、第一回のお知らせです。

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もう一昨日になりましたが、10月の1日、午後8時から「《社会と数学の関わり》を話し合う数学人の集い」の準備会を開きました。20名以上の方が御参加下さいました。予定が合わずに欠席された方もいらっしゃいますので、30名ほどの皆さんの集まりになりそうです。

自己紹介と簡単な抱負などを最初に伺いましたが、その後の意見交換も含めて、2時間近くがアット言う間に過ぎました。有意義な一時でしたが、私個人にとってそれ以上に感動的な経験でした。

その後も、この2時間の余韻が頭の中に残っていろいろ考え始めてしまいました。その結果、「眠れなかった」と言うと少し大袈裟になってしまいますが、遅くまで気分の高揚は続きました。

その理由を書きたいのですが、うっかりするとそれだけでまた夜更かしということになりそうですので、自制をしてまとめてみます。

まず、次回は12月4日 (日) の午後8時から、ということになりました。それ以後も原則として、偶数月の第一日曜日の午後8時です。Zoomに参加するための情報は、亀井哲治郎さんから、直前に送ることになっていますので、参加を希望される方は亀井さんあてにメールをお願いします。

また、緊急の提案をしたいことなどがこれから生じるかもしませんので、メーリング・リストを作って、そこに投稿できる体制も整えることにしました。

さて、この集いでは「数学人」という言葉で、「何らかの形で数学との関わりや関心をもっている人」に参加して頂きたいという希望を表しました。とは言え、数学の研究者や数学を教えている方々、それも現職だけではなく退職された方々、も含めての数学関連の仕事をされてきた皆さんが多くなるでしょう。でも、その他の皆さんに御参加頂くことで、話し合いの場がより豊かになることも大いに期待していました。

昨日参加して下さった方々の中には、地形学の専門家、翻訳家や出版関係の方などもいらっしゃり、嬉しい限りでした。

参加された皆さんには、もっとお話をして頂きたかったのですが、時間が足りず申し訳なく思っています。

私が余韻に浸ってしまった興味深いいくつもの問題提起や、御自分の現在の関心事等の内、ここでは四つに絞って報告をします。(個人名は明記していません。これについては、皆さんからの合意を頂いた上で次回からは別の形にするかもしれません。)

① 数学教育の現状が心配だという声が多くありました。参加者の関心が数学教育にあることから当然なのですが、状況は、世間で考えられている以上に深刻だということが切々と伝わってきました。

② 特に、受験のための数学教育になってしまっていること、その根は深いことも指摘されました。Uさんの分析では、漢字の導入まで遡る必要があるとのことなのですが、となると、例えば合宿をして集中講義という形で議論をすることなども考えられますので、今後がますます楽しみでもあり、同時に心配でもあります。

③ Kさんからは、「戦争に動員される科学者・技術者-玉川大学量子暗号研究と経済安保法」についての集会のあったことの報告と、数学研究が直接、戦争に応用される危険についての問題提起があり、過去、数学者が戦争協力した歴史等も含めての取り組みが重要であることが確認されました。

④ これまで数学者が中心になって進めてきた、「ベトナム問題に関する数学者懇談会」 (略称はベト数懇)や「核兵器廃絶をめざす数学者の懇談会」について、当時、参加した方々の中から、Hさんから、次回の話題提供者としてこれまでの活動内容やこれからの活動に役立つ資料等を提供して貰うことになりました。

また、「数学と社会」に関連したいくつかの著作も紹介され、それらについてはこの集いを契機に購入したり共有したりする大切さも痛感しました。

さらに、次回、つまり第一回の集いには、誰か一人で良いので、できたら仲間を増やして行こうという意見も出されました。どのような人たちの集いなのかを一人一人の参加者が知るために、数行のプロフィールを書いて貰い、それをメーリング・リストにアップすることで共有したいという希望も出されました。

二月に一度、Zoomでの会合を開くだけでこうしたこと全ての解決にはならないと思いますが、これだけの人数の人たちが、二か月の間、次の集いのテーマに共通の関心を持つことで、新たなエネルギーが生まれる可能性もありますので、まずは次の集いも今回と同じように「楽しい」一時になるよう工夫ができればと考えています。

 

それでは今日一日が、皆様にとって素晴らしい24時間でありますように。

[2022/10/3 イライザ]

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2022年10月 2日 (日)

「横浜市非核兵器平和都市宣言市民のつどい」が終りました

「横浜市非核兵器平和都市宣言市民のつどい」が終りました

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左から小沼通二慶應義塾大学名誉教授、私、そして被爆者の和田征子さん

第18回 2022横浜市非核兵器平和都市宣言市民のつどいが盛会裡に終りました。主催者である実行委員会の皆様に心からお礼を申し上げます。

この会の中での柱の一つは、和田征子さんが被爆者として8月に開かれたNPT再検討会議に参加した報告でした。被爆証言も交えて、ニューヨークで精力的に活動された様子を熱っぽく語って下さいました。

私はというと、前日にはドライ・リハーサルをして、10分オーバーした分はスライドを減らして調整した積りだったのですが、60分には収まらず、残った3分の1ほどは、タイトルだけを5分ほどかけて紹介することになってしまいました。

久し振りに「対面」での講演でしたので、皆さんから返ってくる熱気に応えようと、ついつい言葉数が多くなってしまったようです。再訓練をして次回は時間通りに収まるようにしたいと考えています。

それでも最後のパネル・ディスカッションで、コーディネーターの小沼通二先生が時間を下さって、補足することができました。小沼先生は著名な物理学者であるだけではなく、各廃絶運動のリーダーとしても長い間活躍されていた方でしたので、お会いできて、しかもいろいろ気を遣って下さり、大変光栄な一時でした。

また、2014年にやはり横浜で、神奈川生協の皆さんにお話したことがあったのですが、その皆さんからの後押しもあって今回声を掛けて下さったという背景も伺い、感激一入でした。

夜は、Zoomで「《社会と数学の関わり》を話し合う数学人の集い――「準備会」」も大変盛り上がりました。こちらの報告も追ってさせて頂きます。

 

それでは今日一日が、皆様にとって素晴らしい24時間でありますように。

[2022/10/2 イライザ]

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