平和

2024年10月 6日 (日)

#内灘闘争の歴史を学ぶ ――#JR総連中国地方協議会第38回定期委員会2部――

#内灘闘争の歴史を学ぶ

――#JR総連中国地方協議会第38回定期委員会2――

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#内灘村の西尾雄次町議の挨拶に耳を傾ける

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JR総連中国地方協議会第38回定期委員会2部で、被爆80周年に当たる来年からの核廃絶運動の可能性について話をさせて頂きました。講演会も盛り上がったのですが、この会に来賓として出席されていた西尾雄次内灘町議会議員の短い御挨拶とその後の会話から多くのことを学ばせて頂きました。

「内灘闘争」については、内灘町の公式ホームページに詳しく記されていますが、その冒頭、概略を先ずはお読み下さい。

内灘闘争は、砂丘を舞台に取り組まれた戦後初の基地反対闘争です。1952(昭和27)年在日アメリカ軍は、朝鮮戦争を背景に日本での砲弾試射場の提供を要求、政府は内灘を候補地としました。これに対し、地元住民は反対運動に立ちあがり、政党、労働団体、学生、知識人などの支援を得て、全国的に注目される基地闘争へと拡大しました。しかし、1953(昭和28)年3月からは試射が始まり、政府は試射場の永久使用を決定、これに対する住民の陳情や座り込みが繰り返されました。その後、村内の分裂、試射の強行などによって運動は次第に弱まり、1953(昭和28)年9月、内灘村は試射場として使用を認めました。この闘争は、全国の基地反対闘争に大きな影響を与え、「草の根民主主義への出発点」と高く評価されています。

西尾議員は温厚で、芯が強く、筆の力で多くの人を感動させることのできるまれな政治家です。議員が2013年にお書きになった、「内灘闘争の概要と労働組合支援の背景」(「風と砂の館資料から探る内灘闘争傘下の諸組合活動」内灘闘争60周年記念事業)をお読み頂きたいのですが、回を改めてこのブログに掲載させて頂く積りです。

市民運動の草分けとも言われる内灘闘争は、元々生活の糧を突然奪われることになった内灘村民の「浜返せ」や、「金は一年、土地は千年」の合言葉そしてむしろ旗が象徴する、素朴な運動でした。集会やデモには、赤んぼを背負った多くのお母さんたちが参加していたことでも有名です。

西尾議員の報告には、19537月に東京で開かれた総評大会に参加して闘争への支援を訴えた「内灘での主婦5人による挨拶」を、大会参加者が度受け止めたかが記録されています。

「この大会を通じて最も感動的な場面は、内灘の婦人代表による挨拶であった。この5人のおばさんたちを見たとき、議場の人々はその思想と立場の如何を問わず人間として、日本人として内灘米軍基地化の全ての問題を諒解したのであった。簡明素朴なしかも切々たる訴えを聞き、心の底からの共感と憤りを持って、まさに熱狂的な拍手を送った。」

こうした内灘村民と、「再軍備反対」、「平和国家建設」、そして「民族の独立」を唱える労働組合員・学生たちという三つのエネルギーが合わさり新たなエネルギーを創り出す運動になったのでした。

特に、「民族の独立」の位置付けが重要でした。デモや集会では、赤旗に並んで日の丸がはためくいていたことが印象的だったとのことです。

私自身、内灘闘争は政治的に大切な存在であることをおぼろげながらに感じ取った、ある意味「原点」になった出来事でした。JR総連中国地方協議会第38回定期委員会は、その原点に戻る試みでもあったのではないかと考えています。

 

今日一日が皆さんにとって素晴らしい24時間になりますよう

[2024/10/6  人間イライザ]

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2024年9月 1日 (日)

#式典から排除 の #基準は何ですか? ――#誰の基準か #何が目的か――

#式典から排除 #基準は何ですか?

――#誰の基準か #何が目的か――

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#平和の原点シリーズ第3

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《ヒロシマは平和の原点》

繰り返しになりますが、このシリーズの前提を第一回の最後に、次のようにまとめておきました。

結論として、アメリカ人 (そして敢て付け加えますが、どこの国の人であっても) 広島に来ることには大きな意味があるのです。きちんと勉強をしてから来てくれた方がその効果はより大きくなると思いますが、それも含めて、どのような条件も一切付けずに「広島に来て下さい」と、誰にでも自信を持って勧めるべきだと、敢て言い切りたいと思います。

前回の本ブログでは、「駐日大使」を平和記念式典に招待したいと考えた理由と背景をお伝えしました。

式典の本来の目的である慰霊と平和への祈りを共有して貰うことは勿論なのですが、広島訪問で被爆の実相や被爆者のメッセージに触れ学んで貰い、「ヒロシマ」の友達になって貰うことを期待していました。それは、核兵器廃絶という被爆者たち、世界の市民の願い実現のための友達、できれば同志になって貰うということでもあります。

このような文脈で、あなたには広島に来ないで欲しいとか、あなたには友達になって欲しくない、という発想そのものが出てくる余地はないのですが、仮に、そんな発想が生じたとして、それに関わる重要な疑問が生じますので、思考実験として、それがどのようなものなのかを考えておきましょう。

出発点として、「ヒロシマ」そして「ヒロシマの心」を定義しておきましょう。それは、被爆の実相と被爆者のメッセージを内面化し、核も戦争もない平和な世界を最優先する人たちや、彼ら彼女らの価値観、そしてその人たちの気持です。戦争や様々な悲劇の結果、同じような価値観を持つに至った人たちは、世界中にいる訳ですが、そこまで定義を広げても良いかもしれません。同時に、「ヒロシマ」がこうした悲惨な体験、そしてその体験から生まれた悲願の世界的シンボルとしての役割を果していますので、この固有名詞にこだわります。そして、広島市もヒロシマの一部として大切な存在であることも忘れてはなりません。原爆によって亡くなられた被爆者全ての名簿管理の責任があることだけからも、この点は自明です。

ラッセル・アインシュタイン宣言の中では、人類の滅亡か戦争のない世界かという二者択一こそ私たち一人一人が真正面から受け止めなくてはならない緊急の課題であることが述べられています。同時に、その具体的姿である「人類の滅亡か核兵器の廃絶か」が、差し迫った問題として私たちに突き付けられています。そのことから、核兵器の廃絶を最優先課題とする「ヒロシマ」が「平和の原点」であると結論付けて良いのではないかと考えています。

それが、「こんな思いを他の誰にもさせてはならない」という被爆者たちのメッセージと同じ意味を持つことも改めて確認しておきましょう。

《誰の基準で、何のために排除?

次に本稿のテーマに移りましょう。「仮に」という思考実験なのですが、今年、2024年には広島市も長崎市も選別と排除をしていますので、具体的にはそこから始めましょう。広島市の排除基準は恐らく、日本政府、特に外務省の基準でしょう。長崎市はそれに反する形で、委員会の答申に従ったと考ええて良いでしょう。

日本政府の解釈では、官僚組織の階層の中で、地方自治体は国の下位にあり、しかも外交は国の専権事項だということになっていますので、広島市は国の言うことを聞くのが当然です。最近の広島の平和行政がその通りの動きをしているのは、その結果です。それは、広島市の平和行政を請け負っている広島平和文センターの理事長が、2011年から外務省の天下り人事になっていることからも明らかです。

長崎市は、国の圧力に屈せず自らの判断を貫いての排除だったのですが、それでも、本シリーズで主張している「無条件で誰でも招待する」ことにはなっていません。

何が問題かと言うと、選別と排除は、単純化すると味方と敵を分けることです。「敵」と言ってしまうと、極端過ぎて問題なのですが、論理的な分り易さを優先してこの言葉を使います。

当然、味方の中には自分も入ります。つまり、排除という行為の特質は、自分が、二つに分けるという行為の当事者になるということなのです。戦争をしているという関係で考えると分り易いと思いますが、戦争をしている国の間で、自分はこちらの側に付くと言えば、それは、当事者の一方になり、「敵」とは戦うことを意味します。

その意味は皆さんお分りになると思いますが、次回に回します。

 

今日一日が皆さんにとって素晴らしい24時間になりますよう

 

[2024/9/1  人間イライザ]

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2024年8月31日 (土)

#駐日大使 の #式典招待は ――#知って貰うため #友達になって貰うため――

#駐日大使 #式典招待は

――#知って貰うため #友達になって貰うため――

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#平和の原点シリーズ第2

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《駐日大使を招待するのは》

前回、結論として掲げたのは次のような内容です。

結論として、アメリカ人 (そして敢て付け加えますが、どこの国の人であっても) 広島に来ることには大きな意味があるのです。きちんと勉強をしてから来てくれた方がその効果はより大きくなると思いますが、それも含めて、どのような条件も一切付けずに「広島に来て下さい」と、誰にでも自信を持って勧めるべきだと、敢て言い切りたいと思います。

この結論からは、世界中のリーダーたち、特に核保有国、その中でも原爆を投下した唯一の国、しかも核超大国であるアメリカの大統領には広島訪問を促すべきだという事になります。とは言え、こちらが招待したからと言って世界のリーダーたちがおいそれとやって来てくれるほど暇ではないでしょう。周到な準備が必要です。

自然な流れとして、各国の代表 (略して駐日大使と呼びます) を広島に招待すること、それも86日という特別な日に、平和記念式典に参加するという形での広島訪問が適切であることは言うまでもないでしょう。

招待することが大切なのは、広島に行きたいと考えている大使がいたとして、各国の外交部門も官庁の一つですから、予算を付けて広島に行くという口実が必要です。その口実として、「招待された」は立派に通用するという意味があります。あるいは、他国への遠慮があったとしても、「招待されたから」という説明で、批判を避けることが可能です。その他の理由もありますが、多くの国の駐日大使がこの招待を歓迎してくれました。

招待した以上、交通費は別としても、何らかのおもてなしは必要です。5日の夜には出席して下さる各国大使やその代理の方を心の籠った夕食会に御招待することにしました。その席で、ホストとして式典に参加して下さったことへの感謝の御挨拶をすると同時に、慰霊の場に相応しい式典の意味や被爆の実相、そして被爆者のメッセージについて、英語で直接皆さんにお話しする時間を設けました。平和への祈りを共有することにも配慮しました。

東京に戻られてから、「式典に感動した。夕食とヒロシマ・レクチャーにも感謝している」というお礼の言葉を寄せて下さった方もいらっしゃいました。各国の代表の皆さんに一人でも多くヒロシマの友達になって貰う、そして被爆の実相や被爆者のメッセージについて学んで貰う、という目的の意味は伝わったと感じました。

仮に、駐日大使を平和記念式典に招待するという行動を「駐日大使プロジェクト」と呼ぶとして、このプロジェクトの目的は、慰霊と平和への祈りという本来のものに加えて、友達作りと教育もあるとまとめられますから、最初から、誰かを呼んで誰かを呼ばないなどという、「選別」または「排除」とい考え方とも全く相容れない枠組みだったのです。

こんな枠組みですので、仮にも「選別」や「排除」というような考え方そのものが馴染まないのですが、そんな異質の概念を持ち込むことが、広島にとって、また世界にとってどんな意味があるのかを次回は考えたいと思います。

 

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[2024/8/31  人間イライザ]

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2024年8月 9日 (金)

#原水禁 #国際シンポジウム ――#2045ビジョン と #NoFirstUse #提案しました――

#原水禁 #国際シンポジウム

――#2045ビジョン #NoFirstUse #提案しました――

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私も英語と日本語で発言しました

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被爆79周年原水爆禁止世界大会の国際シンポジウムは86日の午前9時から開催されました。まずその概要です。

テーマ    核兵器廃絶に向けた第一歩を踏み出すために

司会                        谷雅志                    (原水禁事務局長)

開会あいさつ         金子哲夫               (原水禁共同議長)

キーノートスピーチ  藤本泰成         (原水禁顧問)

パネリスト              イ・ヨアンさん         (参与連帯・韓国)

                             トム・アンターライナーさん   (軍縮キャンペーン・イギリス)

                             デービッド・ギブソンさん       (ピースアクション・米国)

                             秋葉忠利               (原水禁顧問)

コーディネーター 藤本泰成               (原水禁顧問)

まとめ

閉会

ネットの接続が上手く行かず、アンターライナーさんは参加できませんでしたが、アメリカや韓国の状況、さらに日本を加えた北東アジアの情勢等多岐にわたる分析と、各国での具体的な運動等について、実りあるシンポジウムになりました。

その内容は、是非ビデオで御覧頂きたいのですが、当日の同時通訳の日本語を拾えませんので、その点は御承知置き下さい。

 

このシンポジウムで私は、開会総会の締めの挨拶で強調した点を国際的にアピールしました。その原稿は、追ってアップしますが、簡単に要点だけここに記しておきましょう。

[2045ビジョン]

被爆100周年にあたる2045年までに核兵器を廃絶することを目標に掲げて世界的運動を展開する。それまでの中間点の2035年までに、核兵器保有国が「No First Use」、つまり、核兵器の先制不使用に合意する。この計画を[2045ビジョン]と名付ける。

この発言は英語で、27:30くらいから始まります。その後の質疑の中で、日本の政治環境を変える必要のある事を、これも英語で、54:34くらいから訴えています。

このシンポジウムには、約550人の方が出席されていましたので、私の主張の背景として、「ヒロシマ」の意味とその重みを生かさなくてはならないこと、特に総理大臣や広島市長の役割の大きいことを今度は日本語で強調しました。十分には説明できませんでしたので、このブログで近く詳説しますが、平和記念式典にだれを呼ぶ呼ばないということの基本にある「ヒロシマ」の意味についても言及しました。始まりは、1:06:32です。

最後に、コーディネーターの藤本さんの強調されていた、核兵器の廃絶の基本的意味は、命を尊ぶという思想だ、を受けて、憲法と政治について、拙著『数学書として憲法を読む――前広島市長の憲法・天皇論――』から何点かをかいつまんで説明しました。これも日本語で、1:21:10くらいから始まります。

多くの分科会が並行して開かれ、極暑の中の平和行進等もある世界大会ですが、核兵器廃絶のための情熱と知恵が結集されていることを改めて確認する機会になりました。

 

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[2024/8/9  人間イライザ]

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2024年7月30日 (火)

#慰霊の夕べコンサート ――#8月9日18時から #廿日市市のさくらぴあ小ホールで――

#慰霊の夕べコンサート

――#8918時から #廿日市市のさくらぴあ小ホールで――

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私も出演します

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コロナに感染しましたが、何とか回復しました。皆様からのお見舞い心から感謝致します。

今回は、緊急のお知らせです。今お知らせしておかないと事後報告になる可能性がありますので―――。

被爆60周年の2005年には、第一回慰霊の夕べコンサートを市民の手で開催しました。演目はバッハのマタイ受難曲全曲でした。「市民」とは、ボランティアとして快く御出演下さったプロやアマのアーティストの皆さん、それも世界から駆け付けて下さいました。そして、コンサートの企画・運営から当日の全てを担って下さった多くのボランティアの皆さん、御寄付や広報で多大な御支援を下さった篤志家の皆さん、その他、実に多くの志を共にする皆さんのことを指しています。改めて御礼申し上げます。

さらに10年後の2015年には、被爆70周年慰霊の夕べ24時間コンサートを開催しました。その間も毎年続けて慰霊の夕べコンサートは開いていましたが、10年の節目には特に力を入れました。それも多くの皆さん、「市民」の手で開いてきた実績が大切です。

今年も、引き続き慰霊の夕べコンサートを開催します。詳細は、日を改めてお伝えしますが、今回は、私も出演することだけを取り敢えずお知らせしておきます。

 

今日一日が皆さんにとって素晴らしい24時間になりますよう

[2024/7/30  人間イライザ]

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2024年7月 2日 (火)

#DebunkingDeterrenceTheory #核抑止論 を #論破する ――#Webinarで #発言します――

#DebunkingDeterrenceTheory  #核抑止論 を #論破する

――#Webinar #発言します――

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英語ですが、御参加頂ければ幸いです

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来週早々、710日の午前9時から、核抑止論が嘘だらけの「論」であることを説明するWebinarが開かれます。私もスピーカーの一人として参加します。主催するのは、アメリカの平和団体の中心的な存在であるPeace Action と同じくアメリカの平和運動の牽引役として重きをなしているマサチューセッツ州ケンブリッジ市のCampaign for Peace, Disarmament and Common Securityです。

下に、概要説明のためのチラシを貼り付けますが、参加するには、この下線の部分を、Controlボタンを押しながらクリックして、申込用紙を開いて下さい。

 

今日一日が皆さんにとって素晴らしい24時間になりますよう

[2024/7/2  人間イライザ]

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2024年5月 4日 (土)

#戦争が起きる前に #人が死ぬ! ―― #竹信三恵子さんの #講演――

#戦争が起きる前に #人が死ぬ!

―― #竹信三恵子さんの #講演――

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会場は満杯でした (空席は取材の終ったマスコミ席です)

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「戦争させない・9条壊すな!広島総がかり行動実行委員会」主催の憲法記念日集会に参加してきました。「2024 平和といのちと人権を! 53ヒロシマ憲法集会」です。

今日の講師は、ジャーナリストで和光大学名誉教授の竹信三恵子さんで、タイトルは「憲法9条で生活破壊を止めよう――戦争が起きる前に人が死ぬ!――」でした。

広島弁護士会館のホール一杯の人が集まり、オンライン参加を含めると450人の参加者があったのと事でした。会場が熱気に包まれていたことは付け加えるまでもないでしょう。

講演の内容や採択された決議は、いのちとうとしさんがアップされると思いますので、このブログでは、講演を聴きながら膨らんでいったいくつかのイメージをお伝えします。

講演の柱は、今の政治は軍拡のために私たちの生活を破壊していることですし、特に女性の社会的な地位や経済的状況を為政者たちが操作することで、その現実を誤魔化してきた上に状況を悪化させてきたという指摘です。

数字としては、戦争に明け暮れた戦前の軍事予算は、国家予算の7割も8割も占めていた時代があり、同時に当時の女性たちが自立できないような環境も押し付けてきたこととの関連性についての鋭い指摘がありました。

国の予算のほとんどが戦争・軍隊のために使われている状態で、市民の生活が成り立たないことは誰にでも分ることですが、今という時代がその方向に向かっているという自覚を持つことの重要性にも言及されました。

実は、この視点が都市としてのものであること、だからこそ、平和市長会議が広島市や長崎市の呼び掛けに応じて、核兵器廃絶と世界へ宇和実現のために立ち上がった歴史が頭に浮かびました。

そして、「戦争が起きる前に人が死ぬ!」という言葉からは、「原爆は爆発する前に人を殺す」を思い起こしていました。

この原理から分るように、③の段階で既に大量の放射線が発生し致死量以上が地上に降り注いでいます。その放射線を受けた人たちは、その結果として (その場ですぐではありませんが) 死に至るのです。

爆発後の破壊力が余りにも大きいため、この点が注目されることはほとんどありませんが、でも、人を殺傷するメカニズムの一部ですから知っておくべきことでしょう。

そして、竹信さんが警鐘を鳴らしたことをもう一つ上げておくと、(グラフが再現できませんので、簡単に言葉で説明します) 軍事費が防災費より多くなっているという事実です。この点については、私もこれまで何回も提唱してきた「防衛省防災省に」とも重なります。「防衛省を防災省に」することで、全ての問題が解決される訳ではありませんが、日本人の命を守るという観点からはどうしても必要な方向転換です。

最近の私のブログの記載も御覧下さい。

能登半島地震で年が明けた今年、台風や豪雨等、これ以上の災害が起きないことを祈りつつページを閉じます。

 

今日24時間が、皆さんにとって素晴らしい一日になりますよう!

[2024/5/4 人間イライザ]

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2024年4月11日 (木)

#ウォルバーグ下院議員 への #撤回要請 #書簡 ―― #市政記者クラブで #記者会見を開きました――

#ウォルバーグ下院議員 への #撤回要請 #書簡

―― #市政記者クラブで #記者会見を開きました――

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記者会見で――左から、高橋克浩代表委員、秋葉代表委員、一番右が金子哲夫代表委員

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アメリカ、ミシガン州選出のティム・ウォルバーグ下院議員の「広島・長崎」発言について、これまで二回にわたって問題点の解説をしてきました。一度目は、上川外務大臣の姿勢と、1945年のトルーマン米大統領の記者会見発言を取り上げました。

二度目は、トルーマン発言の間違っている点を、研究者等の考察を元に指摘し、事実を提示しました。

続いて、4月10日には、広島市役所の市政記者クラブで記者会見を開き、ウォルバーグ議員への書簡を公表した上で、FAXと郵送で、同議員に届けることを報告しました。次に掲げるのは、書簡の日本語版です。署名の入ったPDF版は、こちらのフォルダーから御覧頂けます。

この書簡が、訪米中の岸田総理の目に留まり、「被爆地広島出身の総理大臣」としての立場から、ウォルバーグ議員発言の撤回を要請して貰えれば、それに越したことはありません。

でも、上川大臣発言を元に考えると、岸田総理個人にも広島市にも、その他被爆者の代弁者たるべき公的機関や個人に、早期終結と人命救助という二点についての見解を問うべき問題なのかもしません。

**************************************

2024年4月10日

拝啓  ティム・ウォルバーグ下院議員殿

私たちは、1954年に発足した広島の平和団体です。それ以来70年にわたって広島・長崎の被爆者の声を代弁し、彼らの生命・生活を守る運動、そして核兵器のない平和な世界実現のための運動を続けてきました。

最近、日米のマスコミ報道で、貴殿が3月25日に、ガザでの惨状について、広島・長崎を例示して「長崎や広島のようにすべきだ。早く終わらせる。ウクライナも同じようにするべき。」との趣旨の発言をされたことを知りました。

また、Xへの投稿では、核兵器を使用すべきだと言ったのではなく、戦争が早く終るほど、戦渦に巻き込まれる罪のない人々の命が救われる、という趣旨だったとの説明もされています。そして、「広島・長崎」はそのためのメタファーとしての意味しか持たないとも付け加えられています。

[イスラエルがハマスをできるだけ早く排除すべきこと、ガザへの人道支援には反対であると貴殿が主張されていることも理解しています。ただし、その点については、この書簡での問題提起とは別件ですので、切り離して論じます。]

私たちは、こうした報道を次のように受け止めました。

貴殿の一連の発言の趣旨は、「広島・長崎の歴史から分るように、ガザやウクライナでの戦闘を早く終結させることにより、罪のない人たちが巻き込まれ、生命を失うことを避けられるので、そうすべきである。」

後半の「ガザやウクライナでの戦闘を早く終結させることにより、罪のない人たちが巻き込まれ、生命を失うことを避けられる。」には賛成します。ただし前半については、もし貴殿が「広島・長崎」を「戦争を早く終結させる」ことのメタファーとして使われたのであれば、次のような事実から注意を喚起したいと考え、この書簡を認めています。

  1. 米戦略爆撃調査団は、1946年の報告書において、原爆の投下がなくても、ソ連の参戦がなくても、米軍の日本上陸作戦がなくても、日本は11月初めには降伏していたであろうことを結論付けている。[*1]
  2. 歴史学者Gregg Herken教授は、仮に米軍の日本侵攻があったとしても、US Joint War Plans Committeeによる米軍の死者数予測は約4万人であると述べている。[*2]
  3. 同じく歴史学者Martin Sherwinは、原爆投下は戦争終結を早めたのではなく、遅らせたことを指摘している。[*3]
  4. 1945年12月末までに、広島・長崎の原爆で亡くなった被爆者の数は約20万人である。[*4]
  5. 「生存者が死者を羨む」という言葉が示す如く、被爆者は、1945年以降長期にわたり放射線被害、その他の直接的原爆被害や精神的な被害を被り、苦しんできた。[*4]

これらの事実から、「広島・長崎」を、戦争の早期終結のメタファーとして、またその結果としての多くの罪のない命の救済のメタファーとして使うことは、誠に不適切であり、撤回を求めます。また、原爆投下の結果起きた、非業の苦しみと人間的悲惨さに対する貴殿の無知と無神経さを残念に思います。

貴殿が、真に罪のない人たちが戦争に巻き込まれることを避けたいと願っているのであれば、一度、広島・長崎を訪れ、被爆者との対話を通して、戦争に巻き込まれた罪のない人たちの心からの願いに耳を傾けられることをお勧めします。

敬具

秋葉忠利

金子哲夫

高橋克浩

広島県原水禁代表委員

 

広島県平和運動センター・広島県原水禁

広島市西区横川新町7-22

TEL:+81-82-503-5855 FAX: +81-82-294-4555

e-mail:h-heiwa@chive.ocn.ne.jp

Sources:

[*1]  Shigesawa, Atusko.” The U. S. Strategic Bombing Survey’s Early-Surrender Conclusion and the Debate over the Atomic Bombings of Hiroshima and Nagasaki.” Hiroshima Journal of International Studies, Volume 19, 2023

(https://hiroshima-cu.repo.nii.ac.jp/record/124/files/HJIS19-1.pdf, viewed on April 4,2024)

[*2]  Herken, Gregg. “Five myths about the atomic bomb” The Washington Post, July 31, 2015, (https://www.washingtonpost.com/opinions/five-myths-about-the-atomic-bomb/2015/07/31/32dbc15c-3620-11e5-b673-1df005a0fb28_story.html, viewed on April 4, 2024)

[*3]  Sherwin, Martin. “Interview.” The Chugoku Shimbun, 1995.  Also a personal communication to one of the authors in 1995.

[*4]  Hibakusha. Wikiwand. (https://www.wikiwand.com/en/Hibakusha, viewed on April 4. 2024)

**************************************

 

2024年も言葉を大切にして、知的にも情緒的にも誠実さが輝く年にすべく頑張りましょう。

[2024/4/11 人間イライザ]

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2024年4月 7日 (日)

#トルーマン記者会見 の #誤謬を糺す ―― #戦争の早期終結 も #人命を救った も #反証があります――

#トルーマン記者会見 #誤謬を糺す

―― #戦争の早期終結 #人命を救った #反証があります――

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トルーマン大統領

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ティム・ウォルバーグ下院議員の発言とその修正には、「広島・長崎」を「メタファー」として使うことには問題がないという前提がありました。それは、原爆投下直後のトルーマン大統領の記者会見での投下が正当だという三つの理由が挙げられていたからです。

① 真珠湾攻撃があったから戦争が始まった。

② 原爆投下によって戦争を早く終らせることができた。

③ その結果として、25万もの米兵の命が救われ、25万の日本人の命救われた。

この内、② と ③ は誤りですので、訂正する必要があります。

原爆投下が戦争を早期に終結させた、あるいは原爆なしでは戦争は終わらなかった、という主張に対する反論には様々なレベルのものがあります。

例えば、そもそも原爆を投下することにした際のアメリカ側の目的が、戦争終結後のソ連に対する優位を確立するためのものであったという考察からは、原爆投下によって戦争が終結したのではなく、終結は既定の事実だったことが分るという結論が導かれます。

あるいは、原爆の開発に必要だった巨額の費用を正当化するためには、実戦で原爆を使ってみる必要があったのだという理由付けからも、早期終結のために必要だったという結論は出てきません。

しかし、私がこれまでに触れた多くの文書の中で一番説得力があると考えているのは、被爆直後に広島・長崎入りした米国の戦略爆撃調査団 (USSBSと略します) による結論です。終戦後、12月までの間日欧で、戦争中のアメリカの空軍力を実証的に調査しその報告書を1946年7月に公表しています。

その結論部分で原爆については、「原爆投下がなくとも、ソ連の参戦がなくとも、また、日本上陸が計画、実行されなくとも、恐らく1945年11月1日までには、そして1945年12月31日までには確実に、日本は降伏していただろう」と述べています。繁沢敦子さんの論文を御覧下さい。

この結論についてのいろいろな議論もあるのですが、兵站も含めた軍事力という客観的指標を元にしている点が重要なのです。それを外れた議論になると、それは「原爆」そのものが必要かどうかではなく、それをどう政治的に利用すべきかという判断の領域になります。

となると、評価されるべきなのは、「原爆投下」という行為をどのような政治的理由によって利用したかということの是非になりますので、「投下」が必要だったかどうかなのではなく、「それが必要だった」、と言い張る理屈が正しかったかどうかのというレベルについての議論になりますので、それを混同してはいけないのです。

それに関連して、どのくらいの数の人命が救われたかについても、歴史学者のバートン・バーンスタイン教授は、「1945年6月に、US Joint War Plans Committeeが行った米軍の上陸作戦による死者数予測は約4万人であると述べている」のです。25万にとは比べものになりません。こちらは、ワシントン・ポスト紙のGregg Herkenさんの論考が明快です。

そして、多くの皆さんも御存じの通り、広島と長崎で亡くなられた方は、1945年末までに20万人、そしてその後も長期にわたり放射線被害、その他の直接的原爆被害や精神的な被害を被り、苦しんできたのです。

つまり、「広島・長崎」を戦争の早期終結、そしてその結果としての人命の救済のメタファーとして使うことには根拠がなく、最小限の言い方として、不適切です。それだけではなく、被爆者の被った、言葉に表したくても人類の語彙が貧困であるために十分には表現できない「被害」を理解しようとするなら、「メタファー」としてでも、このような形で広島・長崎に言及してはいけないはずです。

さて、こうした点を簡潔に書簡にまとめて、ウォルバーグ下院議員に送る必要がありますが、それについては次回に。

 

2024年も言葉を大切にして、知的にも情緒的にも誠実さが輝く年にすべく頑張りましょう。

[2024/4/7 人間イライザ]

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2024年2月22日 (木)

#2月22日 は #加藤友三郎の誕生日 です ――#アメリカ初代大統領 #ワシントンの誕生日 でもあります――

#222 #加藤友三郎の誕生日 です

――#アメリカ初代大統領 #ワシントンの誕生日 でもあります――

240222

加藤友三郎の銅像--8月に中央公園に戻されます(常広一信氏撮影)

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このブログのお気に入りテーマの一つは加藤友三郎ですが、2月22日は友三郎の誕生日です。生まれたのは1861年、文久元年です。

年は違いますが、1732年の同じ日にはアメリカ初代大統領のワシントンが生まれています。連邦政府の法律ではワシントンの実際の誕生日の代りに、2月の第3月曜日をワシントン誕生日として祝います。1809年2月12日に生まれたリンカーン大統領も加えて、2月の第3月曜日を「プレジデントの日」として祝う州もあります。

友三郎は、広島市出身の初の総理大臣ですが、海軍軍人として日本海海戦では、東郷平八郎司令長官の下、参謀長として勝利に貢献し、その後、4代の内閣で海軍大臣を務めたのち、1922年には総理大臣に就任します。

友三郎の最も大きな業績の一つは、1921年から22年に開かれたワシントン軍縮会議で、軍拡を主張し続けた軍部を抑え、英米との間に軍縮条約を締結し、日米の協調路線を締結しただけでなく、その後も、中国やロシア史の国際関係も平和と協調の道へと導いたことです。

日本ウェルネススポーツ大学の工藤美知尋教授(友三郎の伝記『海軍大将加藤友三郎と軍縮時代』--光人社文庫)は、友三郎の政治的な偉大さを次の一言にまとめています。

あと数年友三郎の命がもってくれれば、太平洋戦争は避けられたのではないだろうか。

友三郎がなくなったのは、1923年8月24日です。その100周年を記念して昨夏にはシンポジウムを開催しましたが、誕生日、2月22日は誰にでも、覚えられます。来年のこの日には、ワシントンと並んで我が国の政治に大きな足跡を残した友三郎を偲んで、皆さんも発信をしてみませんか。

私は、広島市が2月22日を「軍縮と平和の日」と制定し、休日にすることを提案します。少なくとも、講演会や展示会等のイベントを開催することくらいはできるでしょう。

なお、友三郎についての情報は、次のようなサイトを御覧下さい。クリックするとサイトに飛べます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2024年も健康に留意しつつ、少しでも良い年にすべく頑張りましょう。

[2024/2/22 人間イライザ]

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