言葉

2023年10月 1日 (日)

投下責任の「棚上げ」と米政府、広島市・市長そして外務省 ――「本音が出ると大問題」を回避――

投下責任の「棚上げ」と米政府、広島市・市長そして外務省

――「本音が出ると大問題」を回避――

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慰霊碑に向って恥ずかしくない言動を!

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9月26日のこのブログでは、次のようにお約束しました。

「広島市と広島市長も得をする側なのかもしれません。長くなりますので、この点は次回以降に回します。」

「得をする」人たちの最初にアメリカ政府と、「Good War」を信奉する人たちを挙げておきましょう。平和公園とパール・ハーバー国立公園の姉妹公園協定を提案した人たちですし、「パール・ハーバー ()⇒ 原爆()」というシナリオを存続させるためには、広島市がその点についての反論を「棚上げ」すれば、自分たちの言い分が通るからです。

もう一点今までは触れてきませんでしたが、とても引っ掛かるマスコミ報道の仕方に注意喚起です。ほとんどの記事では、「市の幹部」が棚上げ発言をしたと述べるだけで市長との関連には触れていません。一つだけ見付けましたが、それはヒロシマ平和メディアセンターの9月27日の記事で、「野坂課長は「棚上げ」発言は松井一実市長の了解を得ていたと説明。「米国の責任を免罪するものではない」と理解を求め、撤回は否定した。」

それでも、棚上げの主体は例えば野坂課長で、市長は単に「了解」しただけ、という図式になります。その後に、「これは単なる手続き上の行為で、その内容までには責任は持てない」といった言い訳が出て来てもおかしくない報道の仕方です。

何故、正直に、広島市の重要事項についての決定責任者である市長が、棚上げをすることにした、と報道し、市の幹部の責任ではなく市長の責任を問わないのでしょうか。この辺りの事情を究明するのも実はマスコミの役割ではないでしょうか。

そして、ある意味責任逃れを認められた市長にとってはこの報道は「得」の部類に入ります。

さて、市長と市がなぜ得をしたのかを考えて見ましょう。穿った見方だと思われる方もいるかもしませんが、そうだとすると、他の可能性について、外務省・日本政府の役割も含めてどんな説明になるのか、是非教えて下さい。

ここで再度、外務省の原爆についての見方を復習しておきましょう。

一言で表現すると、「原爆投下は合法だ」になるのですが、それは、23日のこのブログの記事――1963年の下田裁判での被告としての国の言い分――を読んで頂ければ明らかです。そして、24日のブログでは、広島市の平和行政が外務省の意のままになっていることを指摘しました。

となると、今回の「棚上げ」も、外務省の差し金だということになりそうなのですが、そうだと仮定して、何故もっと外務省の本音に近い表現にならなかったのでしょうか。例えば、「「パール・ハーバー ⇒ 原爆」については、国レベルではもう決着していることですので、それを踏襲しました」辺りはどうでしょうか。

でも、そう言ってしまうと、日本政府・外務省が有耶無耶にしてきた、原爆投下についての日本という国家の本音が分ってしまいます。さらに、「広島市・広島市長がそんな発言をすることは決して許せない」、という轟轟たる非難の嵐が起きても不思議ではありません。

「棚上げ」することで、その両者を避けられたのですから、「得」をしたのは、広島市・広島市長、そして日本政府・外務省ということになりますね。

G7広島サミットで、「被爆地広島出身の総理大臣」を名乗って、核兵器の容認と核抑止論賛美の最終文書を「ヒロシマ・ビジョン」としてまとめた裏切り行為を理解するためには、「棚上げ」のカラクリがその本質を見せてくれていると考えるのは、穿ち過ぎでしょうか。

 

最後に皆さんにとって、今日一日が素晴らしい24時間でありますよう!  

 [2023/10/1 人間イライザ]

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2023年9月25日 (月)

アメリカを見ずに広島は語れない ――「パール・ハーバー」⇒原爆という「岩盤的」信念を守りたい人々――

アメリカを見ずに広島は語れない

――「パール・ハーバー」⇒原爆という「岩盤的」信念を守りたい人々――

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アメリカの「岩盤的」信念を理解しないと分らないこともあります

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「原爆の責任議論は棚上げ」が、日本政府・外務省の、「原爆投下は合法」という考え方に沿うものであることはお分り頂けたと思いますが、まだ半信半疑の方々、そしてなぜ今なのか等、次の疑問をお持ちの方に参考にして頂きたいのは、いまアメリカで起きていることです。上のスライドには、その内の三つの事実を掲げました。

一つ目は、世界的に「空前のヒット」(東京新聞ディジタル版9月22日号の見出し)策としてもてはやされている映画「オッペンハイマー」です。この記事によると、興行収入は世界で9億1,200万ドルを超え、伝記映画では過去最高の興行成績だとのことです。

その点からだけもこの映画が、「原爆の父」として知られ、「アメリカの理論物理学を偉大にするために誰よりも大きな貢献をした」(*1)と、ノーベル賞受賞物理学者のH.ベーテが述べたようなオッペンハイマーのイメージを損ねるものでないことは明らかでしょう。

となると、原爆の製造と使用の正当性に否定的ではなかった多くのアメリカ人が、「原爆の父」であるオッペンハイマーを改めて思い起こすことが、原爆の投下は間違いだったと考える切っ掛けにはなり難いと考えるのが自然でしょう。それどころか、原爆投下は正しかったという考え方を補強する好材料にはなると考えても問題はなさそうです。

そんな目的のためにこの映画が作られたという積りは全くありませんが、例えば、2015年のYouGovという世論調査会社の調査では、46%ものアメリカ人が原爆投下は正しかったと回答しています。

ここで、「もの」に下線を付けましたが、それは、99日の、9条連近畿地域連絡会主催の講演会で質問された方の意図を反映しています。「被爆者の体験を聴いたり、資料館を見学すれば原爆が如何に残酷で、非人間的なものだということは誰にも否定できないはずなのに、何故、半分ものアメリカ人が原爆投下は正しかったと信じられるのでしょうか?」というものでした。

その通りなのですが、アメリカでは1945年の秋の世論調査では85%とか90%もの人が原爆投下は正しいと考えていたのですから、そこを出発点にすると、その数字が半分以下になったという事実は、大変に憂うべきことだと受け止める人々がまだ多く残っていても不思議ではないのです。

その傾向を押し止めるために、この映画が作られたとは言えないでしょうが、結果としてこの映画が少しはその役割を果していると考えられることは否定できないでしょう。

それは、20世紀後半のアメリカという国家の依って立つ、「勧善懲悪」観を守ることに他なりません。その価値観は未だにアメリカ社会の「岩盤」として残っています。つまり、「パール・ハーバー」という「絶対悪」を、「善」の代名詞であるアメリカが原爆によって破ることで、世界の秩序を守ったというシリオです。加えて、ナチス・ドイツまで懲らしめたのですから、アメリカ社会にとって第二次世界大戦は「Good War」なのです。

広島の平和公園と、パール・ハーバー国立公園の姉妹公園協定は、「Good War」を信奉する「岩盤的」信念の持ち主たちから見れば、このシナリオの確認だとしてもおかしくはありません。

終戦時、そして終戦後の日本側は、天皇制を維持するため、また昭和天皇を東京裁判の被告にしないために、このシナリオを受け入れた、さらにそれが今でも生きているというのが、矢部宏治著『日本は何故「基地」と「原発」を止められないのか』(2014年、集英社)の解釈です。

となると、これで全てがつながることになります。

しかしそれなら、「棚上げ」ではなく、「原爆投下は合法」を強く打ち出した方が分り易いはずなのですが、これにも理由がありそうです。それは、次回、考えたいと思います。

 (*) 藤永茂著『ロバート・オッペンハイマー 愚者としての科学者』(1996年、朝日新聞社。2021年、筑摩学芸文庫)の後者438ページから引用。

 

最後に皆さんにとって、今日一日が素晴らしい24時間でありますよう!  

 [2023/9/25 人間イライザ]

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2023年7月 8日 (土)

加藤友三郎の高潔さ ――名誉・権力・金・地位等とは無関係――

加藤友三郎の高潔さ

――名誉・権力・金・地位等とは無関係――

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中央公園の加藤友三郎像 (常広一信氏撮影)

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広島市出身の初の総理大臣加藤友三郎の偉大さについて紹介していますが、『麻田』では彼の政治スタイルを、「独断専行型」と呼んでいます。ややもすれば、それは「独裁者」とか「ワンマン」といった悪しきリーダーの姿と重なるのですが、友三郎はそれとは正反対の人物でした。『工藤』の264ページから265ページには、その姿が活写されています。

およそ友三郎は誰からでも愛されるような人間ではなかった。見るからに短気で、プライドが高く、近寄りがたい人間のように える。

ちなみに今日の政治家は、白い歯を出してにやけている。その政治活動といわれるものは、街の「御用聞き」とほとんど変わらない。選挙民におもね、「させていただきます」などと言い、過度にヘりくだる。しかし心からへりくだっているのではない。心の中では国民を馬鹿にしきっている。そんなことが、透けて見えてくる。

子弟の就職斡旋、進学幹旋、冠婚葬祭など、こまごまとした「御用聞き」の如きささいなことはあくせくするくせに、国家のグランドビジョンについては何も描こうとはしない。根本的にはグランドビジョンを描く能力がないのである。

これから日本がどのように進むべきであるのか、国家や社会の安全をいかにして図っていけばいいのかについてのビジョンを語れないのである。

言葉だけが虚しく飛び交っているだけである。

われわれが「政治家」(ステーツマン)に期待するのは、政治のプロとして日本のグランドピジョンを構想してくれることである。さまざまな補助金をつけて近視眼的な利益で国民を釣ろうとすることが見え見えの今日の政治家の姿に、心ある人間は憤慨している

こうした今日の政治家と対極にあるのが、加藤友三郎という人間である

およそこの男は、人におもねるということがない。口数は少ないが、自分の役割というものはきちんとこなす。功を上げてもそれをひけらかすことは一切しない。

出身閥を作ることは一切ない。こうしたことには、まったく関心かないのである。だから大衆的人気というものは、沸き上がりようがない。しかし友三郎がやってきたことを調べてみると、その慧眼の確かさに驚かされる。

そして『工藤』では、友三郎の人生を全て、次の言葉としてまとめています。

あと数年友三郎の命がもってくれれば、太平洋戦争は避けられたのではないだろうか。

『田辺』では、同郷で後に貴族院議員になった和田彦次郎に友三郎が語った言葉を引用しています。

「自分は有用の人物であれば同郷人であろうがあるまいが、推薦もしくは引き立てもするが、ただ同郷の人であるというのみで、特別に世話をすることは出来ぬ。自分は従来そういう主義で来ているのだから、同郷人の間での評判は定めし悪いであろうが致し方ない」

当然、自分の家族だからといって引き立てることなど飛んでもないと考える人物だったのです。

これほど優れた軍人・政治家だった友三郎から、私たち、そして未来の世代が何をどう学ぶべきなのでしょうか。難しいかもしれませんが、こんなに良いお手本があるのに、その存在は全く知らない、知っていても何も学ぼうとはしないのでは、我が国は勿論、世界も衰亡の一途を辿り、やがて、いや近い内に滅亡してしまっても不思議ではないとさえ言えるのではないかと、憂えています。

 

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 [2023/7/8 人間イライザ]

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2023年7月 4日 (火)

断酒の障害が分りました ――甘い言葉でした――

断酒の障害が分りました

――甘い言葉でした――

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昔よく聞いたCDです

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このブログを書き続けていて良かったことの一つは、自分の意志の弱さを客観的記録として確認できたことです。昨年の9月に、お酒を止めて体調が良くなったことを報告しています。それが、いつの間にか元に戻ってしまい、つい最近再び「断酒」をすることにしたのです。

意志が弱いと言ってしまえばそれまでなのですが、実は、「これは危ないぞ」という自覚症状が出て、「ここで負けてはいけない」と自分自身に言い聞かせたことが何度かありました。負けたこともあったのですが、それは「誘惑」に負けた結果でした。

昨日は市内に出かけて、音楽を聴きながら車を運転していて、その「誘惑」を確認することになりました。「甘い言葉」なのですが、お酒を飲むことと、悲しみを癒したり楽しい気持になったりという紐付けを歌詞で表現している歌を聴くと、意志が弱くなることに気付きました。

例えば、研ナオコの「ふられた気分」です。「お酒をついでおくれ となりさん」が特に「お酒を飲みたい」という気持を強くしてしまうようです。梓みちよの「二人でお酒を」もそうです。「二人でお酒を飲みましょうね」まで来ると、もう意志の力は無重力状態です。

それに対抗するためには、村田英雄の「人生劇場」を聞いて、「やると思えばどこまでやるさ」と自分自身を鼓舞するくらいしか思い付かないのですが―――。

 

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 [2023/7/4 人間イライザ]

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2023年7月 2日 (日)

メモワール作成のためのインタビューでした ――30年も前を思い出して懐かしく楽しい一時になりました――

メモワール作成のためのインタビューでした

――30年も前を思い出して懐かしく楽しい一時になりました――

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左から小坪さん、私、大井さん

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メモワールを作成するために、中心になって動いてくれている政治学者の大井さんと私に、今回は私の元秘書だった小坪さんを交えて、国会議員時代に何をしたのか、また多くの人には伝わっていない選挙の厳しさ等について振り返りました。

昔を振り返ることは連鎖反応を引き起こします。政治活動以前の私の高校時代、アメリカのハイスクールに留学した時の話にもなりました。いろいろなスポーツ部に入りましたが、季節毎に種目が変わるのがアメリカ式でした。冬にはレスリング部だったのですが、その時撮った写真が今でも残っています。

その写真を載せた本があるらしいのですが、それがどの本なのか、いろいろ考えたのですが、結局ミステリーのままになりました。

でも、このように若い世代の大井さんが中心になって、私たち世代が生きた時代の記憶を整理して未来の世代のために役立てようとする試みは、私にとってもまた私たちの世代にとってもとても意義のあることですので、最終的には「成功」と言える結果になるよう、私なりに努力を続けています。

 

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 [2023/7/2 人間イライザ]

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2023年7月 1日 (土)

採決は本当にあったのか ――6月8日の参院法務委員会採決に30年前の「採決」が重なりました――

採決は本当にあったのか

――68日の参院法務委員会採決に30年前の「採決」が重なりました――

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30年前の拙著です

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6月8日の入管難民法改正案の参院法務委員会採決で山本太郎議員が委員長席に「ダイブ」したことが問題になりましたが、私の脳裏に浮かんだのは、1991年11月27日のPKO協力法案の採決でした。強行採決を阻止しようと私たち議員が委員長席に詰め寄ったのですが、委員長の声は全く聞こえず、「本当に採決はあったのか」は、当事者である私たちにも分らない状態だったのです。しかし、マスコミは一斉に同じことを書いています。「採決はあった」と主張しているのです。

そのときの様子を拙著『夜明けを待つ政治の季節に』(1993年、三省堂刊)の256-257ページには次のように引用しています。

「強行採決」は本当にあったのか

・・・・・(略)・・・二十七日の 「強行採決」になると、各紙とも同じ見方をしてしまう。二十八日付の日本経済新聞を引用すると、

「衆院国際平和協力特別委員会は二十七日夕、国連平和維持活動 (PKO) 協力法案の質疑を打ち切り、自民、公明両党が「自衛隊の国連平和維持軍 (PKF) 派遣後、二年が経過した時点で更新・継続に関する承認を国会に求める」と政府案を修正したうえで、採決を強行、両党の賛成により可決した」。(91・11・28「日本経済新聞」)

「朝日」、「毎日」、「読売」、いくつかの他方紙もほとんど同じ内容だった。だが、その場に委員の一人として居合わせ、委員長席に詰め寄った一人として、この報道には納得が行かない。まず、特別委員会が開かれた第一委員室は、怒号の中、混乱に陥り、仮に委員長が議事を進めたつもりであったにしろ、委員長の声は私たち委員には全く聞えなかった。事実、委員会の速記者は、この間のやり取りを次のように記録している。

大島委員 議長。 緊急動議をお願いします。(発言する者多く、聴取不能)打ち切りをお願い します。 採決をお願いします。 (聴取不能) 以上でございます。

  林委員長・・・・・・(発言するもの多く、聴取不能)(拍手)・・・・・・(聴取不能)(拍手) ・・・・・・(聴取不能)(拍手) ・・・・・・(聴取不能)

  委員長退場〕 午後五時四十分」

  委員会で何が起きたのか全く分らなかった私の経験と、速記録を元に考えると、私たちより、委員長席からははるかに離れた場所にいたマスコミ各社の記者の皆さんが、委員長の発言内容を詳しく、しかもほぼ同じ内容だったと判断した上で、修正の上可決された、と全く同じ結論に達した(断定したと言うべきか)ことが私にはどうしても理解できない。

今回の参議院での採決も同じ状態だったように見えるのですが、マスコミも含めて、そして当事者の議員たちも、「採決はあった」と認めているのでしょうか。そうでないことを祈っていますが、この30年間、政治は変わっていないとみるべきか退化したと考えるべきなのか迷っています。

 

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 [2023/7/1 人間イライザ]

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2023年6月17日 (土)

WordのDictation機能を使っての、即時書き起こしです ――手直しをするのに1ページ15分掛りました――

WordDictation機能を使っての、即時書き起こしです

――手直しをするのに1ページ15分掛りました――

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Wordの右上に「ディクテーション」のアイコンが置いてあります

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オーラル・ヒストリーの聞き取りの三回目が終りました。今回は、Wordの機能の中で、Dictationという機能を使いました。先日報告したTranscribeとの違いは即時性です。Transcribeは録音した音声の文字化する機能です。Dictationには、仮に私が今喋っているとすると、それを聞き取り、即時に文字化してWordの文書中に書き込んでくれるという即時性があるのです。

もう一つ、これも既に報告したワイヤレス・マイクを二個使って、音声の入力をしました。

一度試みて上手く行かなかったのは、iPhoneのマイクを通して音声入力していたからで、その結果として30秒音声が途絶えると自動的にマイクが切れてしまっていたのです。今回はWordの方のマイクから入力することで、途中で途切れることは、3時間のうちに二回か三回で、全体の録音と書き起こしができました。

まずは、WordのDictationが書き起こしてくれた1ページ目を御覧下さい。プライバシー保護のために、固有名詞は「○○」に変えてあります。

2023年6月16日第3回聞き取りです。

どうもこんにちはお疲れ様ですご苦労様です本当ですすごかったですよ雨がもうなんかせんじょうこうすいたいみたいなぐらいの勢いでしたねだからそうですかあいつもすいませんわざわざえっと昨日と一昨日に届きましたかね質問届きましたそれでねこれを新しいマイクをええ入手しますとこれつけてみてくださいその方が多分あのうちゃんと音がとらえられると思いますのでこの間あのブツブツ切れたやつはあのの理由がわかってええとあれはね要するにiphoneのマイクを使うと30秒が入らないとマイクが切れちゃうんですで今これ使ってるのはあのiphoneのマイクじゃなくてえっとwindowsのほうのあのマイクロソフトのほうえんワードのディクテーションの前からだから切れないはずですよでしかもこれちょっとあの2個だからこうここにつけておいたのはちょっと右側ですちょっと暑いけどねあの実は先週末ちょっと弾丸で東京行きましてですねでも忙しくて大変ですねそれであの色々やった中で○○書店にも行きましたあ行ったんですはいあのまだ先なんですがあの10月号の論稿依頼されてですねそれでちょっとその編集者の方と打ち合わせしてですねであのせっかくなんで○○さんにと思ってちょっと読んでもらったんですが相変わらずちょっとあの合図にあのそうなんですよはいちょっとあの電話でその後話をしておきましたなんかあのあうんと喋ってた時のアメリカの行った時のその時の記憶がこれなんですよねだから社会党のシャドーキャビネットの派遣で言ってそう思い出したんですけどそうで堂本さんと行動目だったんですけどあの行きも帰りも別々だったのかなそれで彼女がワシントンに行って僕はボストンに行ってニューヨークは一緒に何人かの人があったんですけどあのだから結局それだったんですよね11月でその時にあのうえっとオペレーションマニュアルっていうのを貰って来てそれとねあの91年のこれgalbraithご存知ですよねで彼から12月に来た手紙でその前に彼28日にあの講演をしてるんですけどそれの公園の時の記録なんですけど一緒についての刃で27日に僕の手紙行けてたって書いてあって結局そこに書いてあの僕が提案したあのpkoについてのことを一番最後の方に入れてで演説してくれたんですねなんかnecに招かれているんですねだからそういうこともやってたっていうのがわかってそういったものも一緒に付いてだからともかくなんか色々とたくさん出てきそうですのではいあのえっとですのでちょっとスケジュールを見返すと今日は首脳大学ぐらいまで行って来週次回からあそうだ○○さんの時はだから衆議院時代がともになるんですよねですので7月以降は衆議院時代になってですねやっぱいろいろ見てるとその時代の記憶が晶さんのこの前の出版物の中では一番こう薄いと言う気がするまあ夜明けを待つの最後にもあるかもしれませんがでもそうですよねだから衆議院になるまでのことのほうが多いよね

これだけの分量を、一応誰が読んでも意味が通じるくらいのレベルでの手直しをしてみました。かかった時間は15分です。

2023年6月16日第3回聞き取りです。

どうもこんにちは。

お疲れ様です。

ご苦労様です。本当ですすごかったですよ。雨がもうなんか線状降水帯みたいなぐらいの勢いでしたね。

そうですか。いつもすいません、質問届きました。

それで、新しいマイクを入手しましたので、これつけてみてください。その方が多分ちゃんと音がとらえられると思いますので。この間ブツブツ切れたのは、理由がわかりました。あれは要するに、iphoneのマイクを使うと30秒音が入らないとマイクが切れちゃうんです。今ここで使ってるのは、iphoneのマイクじゃなくて、windowsのほうの、マイクロソフトのほうのワードのディクテーションのマイクだから切れないはずです。しかもこれは2個ありますので。

ちょっと暑いけど、実は先週末ちょっと弾丸で東京行きましてですね。

忙しくて大変ですね。

それで色々やった中で、○○書店にも行きました。まだ先なんですが、10月号の論稿依頼されてですね、その編集者の方と打ち合わせして、せっかくなんで○○さんにも挨拶をと思って連絡してもらったんですが、お会いできず、電話でその後話をしておきました。

前回の聞き取りの時喋った、アメリカに行った時の記録がこれなんです。(文書を提示)。社会党のシャドーキャビネットの派遣で行ったのです。それで思い出したんですけど、堂本さんといっしょだったんですけど、行きも帰りも別々だったのかな。彼女がワシントンに行って僕はボストンに行って、ニューヨークは一緒に何人かの人にあったんです。だから結局それだったんですよね。1991年の11月です。その時にオペレーションマニュアルっていうのを貰って来多のです。それと、91年の手紙ですが、Galbraithご存知ですよね。彼から12月に来た手紙で、彼28日に東京で講演をしてるんですけど、その講演の記録です。一緒についてる手紙では、27日に僕からの手紙が着いたって書いてあって、そこに書いてあった僕が提案したPKOについてのことを、講演の一番最後の方に入れてくれたんですね。NECに招かれているんです。そういうこともやってたっていうのがわかって、これからも資料の中になんか色々とたくさん出てきそうですのです。

スケジュールを見返すと今日は修道大学ぐらいまで行って来週次回から、○○さんの時はだから衆議院時代が中心になるんですよね。ですので7月以降は衆議院時代になって、でもやっぱいろいろ見てるとその時代の記憶が秋葉さんの出版物の中では一番薄いと言う気がします。

衆議院になるまでのことのほうが多いよね。

ここでもAIの技術は使われているのですが、それは別に論じるとして、喋った言葉を文字化してくれる機能は、例えば高齢者にとってはとても便利に使えるものです。生かして使うこと、社会や個人に害を与えるような使い方はしないこと等勘案しながら、さらに使い易い道具になり広まると良いのですが。

そして皆さんにとって、今日一日が素晴らしい24時間でありますよう!

 [2023/6/17 人間イライザ]

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2023年6月16日 (金)

事実をもって語らしめる ――「第五福竜丸を知っていますか?」の報告2――

事実をもって語らしめる

――「第五福竜丸を知っていますか?」の報告2――

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第五福竜丸展示館 (東京の夢の島内) の学芸員、市田真理さんのプレゼンテーション報告の後半です。

  

《テーマは「Life (生命、生活、人生、生きとし生けるもの)

私にとって、市田さんのプレゼン「第五福竜丸を知っていますか?」が感動的だったのは、第五福竜丸という視点から、私の人生を振り返る一時にもなったからです。冒頭にも触れたように、第五福竜丸がビキニで被曝したとき、私は小学校の5年生でした。それから今まで、様々な形で核兵器廃絶運動や平和運動に関わってきたのですが、その私の経験の総体を人生と呼ぶのなら、私の人生を今までとは違う視点から検証しながら頭の中で再現することになったのです。

「人生」は、英語では「Life」です。その「Life」には、生命、生活、人生、生涯、生き物といった意味があります。「生き物」とは別の表現では「生きとし生けるもの」も指しますので、人類全体のその中に入りますし、地球全体にまで思いが広がる単語です。私個人の人生を振り返る機会であっただけでなく、「第五福竜丸を知っていますか?」が感動的だったのは、テーマがこの「Life」そのままだったからです。

無線長だった久保山愛吉さんが亡くなられたことは、それより2年前にプレス・コードが解禁になりようやく全国に知られ始めた広島・長崎での多くの被爆者の皆さんの悲惨な体験や死とも結び付いて、原水爆の恐ろしさを「生命」という絶対的な基準から判断するための出発点になりました。

それだけではなく、燎原の火のように原水爆実験反対署名が広がったのは、生活にも直接かかわっていたからです。ビキニでの被曝のニュースとその後の状況が全国に流れ、魚を食べることの危険性に気付かされた女性たちが先頭に立って署名運動を始めたのは、自分たちの生活を守るため、子どもたちや家族を守るためだったからです。

1955年アメリカが、「好意による」見舞金という形で200万ドル(当時の換算で7億2000万円)を日本政府に払うことで政治決着するのですが、その後、退院した第五福竜丸の乗組員たちには平均200万円が支払われました。そして、アメリカの核実験による被災漁船は1423隻もあり、太平洋で放射能汚染魚を漁獲した漁船992隻は汚染魚を廃棄させられています。当然、乗組員たちの健康が気になりますが、第五福竜丸以外の船については、検査はしても治療はしないという広島・長崎のABCC(原爆傷害調査委員会)と同じ方針を日本政府は取ったのです。

でも、第五福竜丸の乗組員たちに支払われたお見舞い金について、羨ましさ妬ましさは感じても、漁業を続けるため、自分たちの生活を守るために、声を上げて「自分たちも被災している」とは言えなかったのです。同時に、第五福竜丸の乗組員だった大石又七さんが語っているように、第五福竜丸の乗組員たちも誹謗や嫉妬が原因で焼津には住めなくなり、生活も人生も大きな打撃を受けることになったのです。

「第五福竜丸を知っていますか?」プレゼンでは、このような登場者一人一人の気持に市田さんが寄り添い、客観的であり名が同時に温かさが伝わる言葉で登場者の気持を私たちに代弁してくれています。

 

《当事者意識を持ち、事実を持って語らしめた》

ここに書き連ねるだけで伝わらないのは仕方ないのですが、言葉を変えて表現すると、市田さんのプレゼンが感動的だったのは、市田さん自身があたかも、当事者本人であるかのような関わり方をどのようなシチュエーションでも示しているからです。それも、お説教をするのではなく事実をもって語らしめているところに説得力があるのです。

実はその象徴的な存在が第五福竜丸そのものです。たとえ木材の一片でも良い、残せたらという切実な思いで、廃棄されていた第五福竜丸を復活させた人たちがいたからなのですが、そのきっかけを作ったのは、武藤宏一という26歳の会社員です。彼が朝日新聞に投書したのは次のような文章でした。

沈めてよいか第五福竜丸     武藤宏一(会社員 二六歳)

 

第五福竜丸 それは私たち日本人にとって

忘れることのできない 船

決して忘れてはいけない あかし

平和を願う私たちの あかし

知らない人には 心から告げよう

忘れかけている人には そっと思い起こさせよう

原爆ドームを守った私たちの力で、

この船を守ろう

 

1968年3月

 

原爆ドームが世界に指示している平和のメッセージを、第五福竜丸も伝えてくれています。最後に、「プレゼンテーションのお手本」として、私にとっても勉強になった2点を挙げておきましょう。

  • 事実をどう捉えるのかについての枠組み・座標軸を示す。例えば、見舞金を貰った第五福竜丸乗組員への広島の被爆者からの手紙を披露するときに見られたように、単なる感情の発露としてではなく、政府やアメリカの責任も同時に考えられるような形での問題提起として、より高次の取り組みを促している。
  • 第五福竜丸から始まって、ビキニだけではなくマーシャル諸島共和国、広島・長崎の被爆者、原爆医療法といった形で、被害の連鎖とそこから生じている問題を有機的に結び付けることで、新たな連帯の誕生を促す。

 

最後に、市田さんの「わたしの 語りつぎ部 (べ)宣言」を引用します。

 

忘れないこと

学ぶこと

自分で考えること

伝えること

 

そして皆さんにとって、今日一日が素晴らしい24時間でありますよう!

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2023年6月15日 (木)

「第五福竜丸を知っていますか?」 ――テーマは「Life」でした――

「第五福竜丸を知っていますか?

――テーマは「Life」でした――

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195431日の水爆実験は「ブラボー」と呼ばれた

 

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夏の原水爆禁止世界大会の広島県実行委員会の結成総会後、第五福竜丸展示館 (東京の夢の島内) の学芸員、市田真理さんのプレゼンテーションを聞いて、とても感動しました。それには個人的な理由もあるのですが、感動的なプレゼンテーションのお手本になるような気がしましたので、お手本として学ぶべき点を整理しておきます。

  

《第五福竜丸と原水爆禁止運動》

当時の記憶を呼び覚ますために、簡単に歴史を振り返りましょう。

1954年3月1日に、太平洋のビキニ環礁でアメリカの水爆実験による死の灰を浴びた第五福竜丸が母港の静岡県焼津に帰港し、乗組員の被曝と水揚げしたマグロの放射能汚染が明らかになりました。その後、他の漁船から水揚げされたマグロも汚染されていることが判明し、廃棄処分になりました。食生活への不安だけではなく、放射能雨が全国に降りました。雨に当ると髪の毛が抜けると心配したことを、当時小学6年生だった私も覚えています。それほど大きな不安が元になり核実験の禁止と原水爆禁止を呼び掛ける署名運動が全国的に展開されました。

杉並区が原水禁運動の発祥地だと言われるのは、次の年表が示すように杉並の魚商たちや杉並公会堂がこの運動の拠点としての役割を果したことが大きいのですが、署名運動は全国的な広がりを持っていましたし、広島での展開も重要でした。以下、初期の杉並の署名運動が全国的規模の運動になり、1955年に第一回の原水爆禁止世界大会に至る年表を掲げておきます。杉並区のホームページの年表を元に編集したものです。

初期の原水爆禁止運動

1954年

3月1日  アメリカがビキニ環礁で水爆実験を実施 日本のマグロ漁船第五福竜丸が被曝。

3月16日 読売新聞が第五福竜丸の被曝を報道。

3月18日 静岡県議会を皮切りに、全国で水爆実験禁止を訴える決議。署名の機運高まる。

4月2日  東京都内の魚商が、買出人水爆対策市場大会を開催 杉並魚商組合員・菅原健一氏も参加

4月17日 杉並区議会が水爆実験禁止を全会一致で決議

5月9日  水爆禁止署名運動杉並協議会(議長:安井郁氏)が発足

5月13日 水爆禁止署名運動杉並協議会が、杉並区全区で署名運動を開始

7月20日 区内署名集計27万3,916筆

8月8日  原水爆禁止署名運動全国協議会(事務局長:安井郁氏、事務局:杉並区立公民館長室)が発足、全国運動に展開

 

1955年

1月19日 ウィーンにて世界平和評議会が開かれ、安井郁氏が招かれて出席。安井氏は日本における原水爆禁止署名運動を紹介。この会議で原子戦争準備反対の「ウィーン・アピール」がなされ、世界的な署名運動へ展開

8月6日  第1回原水爆禁止世界大会を開催(会場:広島)翌7日、全国署名数3,216万筆突破 そのうち広島は100万以上。

9月18日 第1回原水爆禁止世界大会後、広島・長崎の原爆問題と原水爆禁止を主軸にした「原水爆禁止日本協議会」が発足。全国署名数が3,259万必を突破

 

若い世代の皆さんの中には、原水爆禁止運動の象徴とも言える第五福竜丸が、一時は廃棄処分になり、そのまま朽ち果ててしまう可能性さえあったことを知らない方もいらっしゃるかもしれません。それも含めて、第五福竜丸という船にも歴史のあることを市田さんは強調されました。市田プレゼンの中の年表を次に掲げさせて頂きます。

第五福竜丸のプロフィール

         総トン数140.86トン 全長28.56m 幅5.91m 速力7ノット (約13km/h)

 

1946年 事代漁業(神奈川県 三崎)の発注で和歌山県 古座(現串本)町で造船

1947年 カツオ船第七事代丸として進水

1951年 静岡県清水市でマグロ船に改造

1953年 静岡県焼津市•西川角市氏に売却 第五福竜丸となる

1954年 3月1日水爆実験「ブラボー」に遭遇

        3月14日帰港

        5月17日文部省買い上げ

        8月23日東京港に曳航

1956年 三重県伊勢市で改造•改装 東京水産大学練習船「はやぶさ丸」となる

1967年 廃船処分 エンジンなど売り払われのちに船体は江東区夢の島に廃棄

1968年 保存のよびかけ

1976年 都立第五福竜丸展示館開館

 

《テーマは「Life (生命、生活、人生、生きとし生けるもの)

私にとって、市田さんのプレゼン「第五福竜丸を知っていますか?」が感動的だった理由の一つは、第五福竜丸という視点から、私の人生を振り返る一時にもなったからです。冒頭にも触れたように、第五福竜丸がビキニで被曝したとき、私は小学校の5年生でした。それから今まで、様々な形で核兵器廃絶運動や平和運動に関わってきたのですが、その私の経験の総体を人生と呼ぶのなら、私の人生を今までとは違う視点から検証しながら頭の中で再現することになったのです。 (続きます。)

 

そして皆さんにとって、今日一日が素晴らしい24時間でありますよう!

 [2023/6/15 人間イライザ]

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2023年6月11日 (日)

数学を学ぶとは・教えるとは ――「数学人の集い」の楽しみ方――

数学を学ぶとは・教えるとは

――「数学人の集い」の楽しみ方――

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私も小学生の時に「僕に方程式を教えて下さい」と頼んだことがあります。

 

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「《社会と数学の関わり》を話し合う数学人の集い」を始めるというお知らせは、このブログで前に報告した通りです。その後も順調に回を重ね、先日、第4回目を迎えました。各回ごとに終った後も、メーリングリストでの熱いやり取りがあるのも、この「集い」の特徴なのですが、それも含めて、話題提供者の話や当日の質疑等からも大きな刺激を受けています。一言でまとめると、とても「楽しい」集いなのです。

第4回は、『僕に方程式を教えて下さい』 (以下、『僕に』と略します) の著者の一人、瀬山士郎群馬大学名誉教授 (以下「瀬山さん」と呼びます。集いの中でそう呼び合うことにしましたので。) が、少年院で数学を教えた経験とその意味、矯正教育や数学教育の意味等をお話し下さり、感動的な一時になりました。

書き始めると、その日のこと、メーリングリストでのやり取り、『僕に』の濃い中身等、止まらなくなってしまいますので、瀬山さんが教えた赤城少年院と新潟少年院の授業内容を簡単にまとめることから始めます。少年院で数学を教える意味については、ここでは説明しきれませんので、『僕に』をお読み下さい。でも以下に私の書くこともその説明の一環になっているかもしれません。

赤城少年院で瀬山さんたちが目標としたのは、「一次方程式が解けること」でした。中学レベルの子どもたちが中心だったからですし、まず授業時間が少ないこと、4月から一斉に授業が始まるのではなく、途中から入院してくる子どもたちもいること、そして学力もバラバラだという状態に対応するためです。それには、何か目標を掲げてそれに絞って、そしてそこに到達する過程で必要な知識や技術、抽象化や論理化、そして記号化という数学の本質を教えて行こうというのです。

さらに、新潟少年院は、高等学校卒業程度認定試験を受けられる指定施設になっていたため、その試験に合格できる数学力が付くようなカリキュラムが必要になりました。ここも一点突破で、二次方程式が解けるようになること、二次関数の基本を理解すること、時間的に余裕があれば三角比を扱うことが目標でした。

そして、瀬山さん、共著者の高橋さん、村尾さんのチームは、素晴らしい授業を展開されたことが、瀬山さんの話から、そして『僕に』から良く分かったのです。それは、三人の先生方の授業では数学の本質を教えていたからです。

なぜ、私がそう感じたのかを説明するのが本稿の目的ですが、比喩を使うことでグラフィックに描ければと思います。それは、「数学」全体を壮大なお花畑に喩えることです。無限に広がっているのか、どこか有限の境界があるのかも分らない、少し高い場所に移動しないと見えてこない花もある、夜と昼では景色が一変し、でも永遠に輝き続けるお花畑です。

このお花畑の「本質」とは何でしょうか。

いろいろな側面のあることもお分り頂けると思います。バラの花全体を考えたときに、バラの美しさを一番的確に表現するためにはどうすれば良いのかという問への答は、多くの芸術家が試みてきたことです。バラの数は例えば100万本というように数えられる、有限の個数しかないのか、それとも無限個あるのかというのもこのお花畑を理解する上で一つのカギになるでしょう。棘のあるバラと棘のないバラの違いはどこにあるのか、棘を取り去る方法があるのか、などという疑問を持つ人もいるかまれません。

瀬山さんたちの答は、一本のバラの花を選んで、これまで真剣にバラの美しさには目を向ける機会のなかった子どもたちに、この一本のバラの花の美しさを伝えたことなのではないでしょうか。それも、「数学の本質」です。その美しさに目覚めたときに、私たちは感動し、楽しさも味わえるのではないでしょうか。

個人的な感想ですので、実際に数学を教えていらっしゃる皆さんが賛成して下さるかどうかは分りません。そして、お花畑に喩えることは、数学に限ったことではないでしょう。でもこう考えられると思ったときに、私の世界は確かに広がりました。

最後に一言。ここで「お花畑」が出てきた理由は、例えば岡潔先生のような優れた数学者がエッセイの中で数学を花にたとえていることもあるのですが、もう20年も前の『文芸ひろしま』の中の作品「ある家族」で読んだ次の一節を思い出したからです。

「卒業旅行で、自分の乗った飛行機だけオランダに着いてしまった。みんなは、今、イタリアで何をしているだろう、そればかり考えて、今、自分の目の前にひろがっているチューリップ畑や風車のすばらしい風景を私は見てなかった。」

2016年のこのブログでも取り上げていますので、お読み頂ければ幸いです。

目の前にある花やお花畑に感謝し楽しみつつ。

「《社会と数学の関わり》を話し合う数学人の集い」の次回の会合は7月30日の午後7時からです。話題提供者は私でテーマは「核廃絶に至るシナリオ」です。参加御希望の方は、このブログの「コメント」として、メールアドレスを入力して下さい。公開はしませんので。

そして皆さんにとって、今日一日が素晴らしい24時間でありますよう!

 [2023/6/11 人間イライザ]

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