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2022年10月 7日 (金)

「自然に」溜まってしまったコードやケーブル類の廃棄と整理

「自然に」溜まってしまったコードやケーブル類の廃棄と整理

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廃棄するコードやケーブル類です

広島出身初の総理大臣加藤友三郎が、縁故や同郷といった関係で人の評価をしなかった点、そして彼の平和や財政についての貢献をもっと多くの人に知って貰いたいと考えています。それは、ツイッター上で続けます。

今回は、先日のこのブログで言及した「コード類」とは何を指すのかについての問い合わせを頂きましたので、写真付きで説明をします。そして、このような「質問」に対して岸田総理や政府の高官の皆さんだったら、「いろいろなコードのことを指します」とでも説明して何度でも繰り返し、それが「丁寧な」説明だと言って終りでしょうが、それに「丁寧な」という形容詞を付けてはいけません。写真を付けたりコードやケーブルという形で、そして用途にまで言及するような説明を「丁寧な」説明と言うのです。

これをお読みの皆さん、「自画自賛」になってしまって申し訳ありません。でもこのくらいのことを言わなければ「丁寧な」という言葉に失礼になるから、という気持を御理解頂ければ幸いです。さて本題に戻ります。

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こちらが整理をして用途別に分けたコードやケーブルです。左にあるのはHDMIのケーブル、一番右は電源コード類です。中の4つの箱には、LANケーブルやテレビ用の同軸ケーブル、ステレオのスピーカー用のケーブルなども入っています。結局、「廃棄」に至らなかった物の方が多い感じですが、無印で買ったいくつかの箱に入れることでコンパクトにまとめられましたし、自分なりには「美しい」とさえ言って良いのではないかと思っています。何より省スペースになりました。

それでは今日一日が、皆様にとって素晴らしい24時間でありますように。

[2022/10/6 イライザ]

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2022年10月 6日 (木)

岸田総理、丁度100年前に広島出身初の総理大臣になった加藤友三郎を見習って下さい

岸田総理、丁度100年前に広島出身初の総理大臣になった加藤友三郎を見習って下さい

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丁度100年前の1922年6月に総理大臣になった加藤友三郎 (私にとって先生のような存在なのですが、敬称は略します) について、今年中に詳しい業績を書こうと考えていたのですが、「今」を逃して警鐘を鳴らしてもその効果は薄くなると思いますので、ポイントだけアップさせて頂きます。

「今」が大切なのは、岸田総理が長男の翔太郎氏(31)を政務担当の首相秘書官に登用したからです。家族で権力を独占するのは封建社会や独裁政治常套手段ですが、最近では、トランプ米大統領の娘、イヴァンカ・トランプ氏が大統領補佐官に起用されたり、北朝鮮の金正恩最高指導者の妹、金与正氏が国務委員会委員に就任していることなどが頭に浮かびます。どちらも、好感を持って受け入れられてはいないようです。

そこで我が国に戻りますが、タイトルに示したように、2005年に加藤友三郎についての短い一文を綴っていました。今回はそれをお読み頂きたいのですが、中でも大切なのは加藤師本人の言葉として伝えられている、「縁故者を重用しない」という方針です。これが家族にも当てはまることは言うまでもないでしょう。

また、内外の反対を押し切って、「軍縮」そして「緊縮財政」に貢献した生涯も是非、100年後の政治家が、特に広島に縁のある岸田総理には見習って貰いたい点です。ことによるとこの「警鐘」は遅過ぎましたかね。

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  伊藤博文以来、わが国の総理大臣経験者は、全部で56人いますが、「広島出身」で誰でも直ぐ頭に浮かぶのは、宮澤喜一そして池田勇人の両氏でしょう。「では広島出身の総理大臣は」と聞かれて、「加藤友三郎(以下敬称略)」と即答できる市民は余り多くないように思います。

  明治維新後、薩長中心の新政府が誕生し、総理大臣は山口県と鹿児島県から交替で出していた時期が続きました。その後、他の都府県生れの総理大臣も誕生しましたが、未だに、総理大臣を一度も出していない道・県が半分くらいあります。ましてや、全国に3000ほどある市町村のほとんどは、総理大臣を生んでいないのです。

  となると、数少ない総理大臣出身地の一つである広島市が、お国自慢の一つとして「加藤友三郎」ブランドをもっとPRしても良いのではないでしょうか。しかも凡庸な大臣もいる中で、加藤友三郎は名宰相の一人だったのです。

  経歴としては、広島出身者として初めての海軍大将、初の海軍大臣、そして初の総理大臣です。ただし、加藤友三郎自身は、このような枠組みで評価されることを歓迎したかどうかは分りません。それは、最近出版された田辺良平氏による好著『わが国の軍備縮小に身命を捧げた 加藤友三郎』の中に友三郎自身の言葉として次のような一節があるからです。

  「自分は有用の人物であれば同郷人であろうがあるまいが、推薦もしくは引き立てもするが、ただ同郷の人であるというのみで、特別に世話をすることは出来ぬ。自分は従来そういう主義で来ているのだから、同郷人の間での評判は定めし悪いであろうが致し方ない」

  しかし、私たちの脳裏からこの偉大な政治家の存在が薄れてしまったのは、恐らく、比治山にあった彼の銅像まで戦時中に金属回収のため供出されたことが原因だと思います。

  海軍の軍人としての加藤友三郎は、100年前の日本海海戦で東郷平八郎元帥と共にロシアのバルチック艦隊を破ったことで有名ですし、他の多くの功績も良く知られています。それ以上に評価されているのが、大臣そして総理大臣としての仕事です。

最も大切なのは、1921(大正10)にワシントンで開かれた軍縮会議において、米英日の主力艦比率を553にするという内容の合意を取りまとめ、その後、その線に沿って軍事費を削減し、健全財政を目指したことにあります。

  官僚制度そのものとも言える現在の外交とは違った時代だったのかも知れませんが、稀有の国際感覚と、自国への誇り並びに優れた現実把握能力の持ち主が、柔軟かつ果敢な決断によって、国難を救い世界的に高い評価を受けたのです。

  平和の象徴としてのヒロシマに軍縮推進の巨人、加藤友三郎のイメージが加わることで、私たちの核兵器廃絶への願いが、より説得力を増し、より多くの人に受け入れられるように思うのですが。  

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より詳しい「加藤友三郎論」は、機会を改めてアップします。それでは今日一日が、皆様にとって素晴らしい24時間でありますように。

[2022/10/6 イライザ]

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2022年10月 5日 (水)

「国葬反対」記者会見を『週刊金曜日』が報道

「国葬反対」記者会見を『週刊金曜日』が報道

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9月30日発売の『週刊金曜日』に、私たち元議員有志が9月16日に開いた記者会見の様子が掲載されました。大きな見出しは「現職議員よ、もっと怒れ!」で、その前に「「安倍国葬」直前、元国会議員らが反対声明」という説明が付いていました。

一ページを充ててしっかりと (岸田総理のペット・フレーズですが、『週刊金曜日』の場合は、文字通りの意味があります) 当日の発言を報告してくれています。出席者一人一人の言葉を簡潔にまとめてくれていますので、私たちの伝えたいことが立体的に伝わって、説得力ある記事になっています。

冒頭に司会の中川智子氏が、元議員に届いた案内状の杜撰さと「無視するより明確な反対理由を表明しよう」という決意を述べました。

続いて辻恵氏は根拠法がないことを指摘、瀬古由起子氏は財政民主主義違反を糺し、吉川春子氏は安倍元総理が統一教会と国会議員を結びつけるキーパーソンだった点を問題視、黒岩秩子氏は性教育を歪めた統一教会と自民党との関係を糾弾しました。

私の考えとこのグループ全員の声明は、9月17日のブログにアップしましたので、省略しますが、『週刊金曜日』の記事最後に取り上げてくれた点が今、重要ですのでそれを繰り返します。

「国葬の終了後もこの問題を議論し続けていく必要がある」です。

既に、岸田総理はじめ日本政府もそしてマスコミも、「国葬」を既成事実として認め、次の段階の議論に移っています。これと同じパターンで、これまでの政治は動いてきました。それが「自己破壊」のプロセスです。そして私たちは今、ウクライナ戦争報道と同じように、日本政治の「自己破壊」、つまり劣化と崩壊を「リアル・タイム」で見ているのです。それを押し留めるためには、私たちも「リアル・タイム」で対抗する必要があります。時間もお金もありませんが、知恵を出し合って、「今後こそは」という気持で頑張りましょう。

「安倍国葬」についての疑念が国中に渦巻いている今、息子を秘書官にすることとも何か関係があるのでしょうか。

 

それでは今日一日が、皆様にとって素晴らしい24時間でありますように。

[2022/10/5 イライザ]

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2022年10月 4日 (火)

倉庫の整理を始めました

倉庫の整理を始めました

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「倉庫」とは言っても、別にプレパブの倉庫がありますので、これは「収納部屋」あるいは「納戸」と言った方が良いのかもしれません。

現在地に移り住んできたときには、結構、部屋数が多かったので数部屋は物置のような形で、普段使わないものを収納していたのですが、それに子どもたちの物まで加わり、日常的に整理整頓をしているわけではないので、段々窮屈になりました。

ちょうど暑くも寒くもない天気の日が巡ってきましたので、二人掛りで捨てる物を選り分けて、一つにまとめる物はまとめて、「無駄な」隙間をなくしてみました。「断捨離」という言葉はあまり好きではないのですが、世間的にはそれです。驚くほどのスペースができましたので、嬉しい限りなのですが、それと同時に、今までは捨てられなかった鞄類をかなり捨てられたことにも満足しています。さらに、知らない内に溜まっていたコード類も捨てることができました。

要らない物が身の回りから消えると、本当に心に余裕が出てきたような気になりました。

 

それでは今日一日が、皆様にとって素晴らしい24時間でありますように。

[2022/10/4 イライザ]

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2022年10月 3日 (月)

《社会と数学の関わり》を話し合う数学人の集い 準備会は成功裡に終了しました。次の第一回のお知らせです。

《社会と数学の関わり》を話し合う数学人の集い
準備会は成功裡に終了。次回、第一回のお知らせです。

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もう一昨日になりましたが、10月の1日、午後8時から「《社会と数学の関わり》を話し合う数学人の集い」の準備会を開きました。20名以上の方が御参加下さいました。予定が合わずに欠席された方もいらっしゃいますので、30名ほどの皆さんの集まりになりそうです。

自己紹介と簡単な抱負などを最初に伺いましたが、その後の意見交換も含めて、2時間近くがアット言う間に過ぎました。有意義な一時でしたが、私個人にとってそれ以上に感動的な経験でした。

その後も、この2時間の余韻が頭の中に残っていろいろ考え始めてしまいました。その結果、「眠れなかった」と言うと少し大袈裟になってしまいますが、遅くまで気分の高揚は続きました。

その理由を書きたいのですが、うっかりするとそれだけでまた夜更かしということになりそうですので、自制をしてまとめてみます。

まず、次回は12月4日 (日) の午後8時から、ということになりました。それ以後も原則として、偶数月の第一日曜日の午後8時です。Zoomに参加するための情報は、亀井哲治郎さんから、直前に送ることになっていますので、参加を希望される方は亀井さんあてにメールをお願いします。

また、緊急の提案をしたいことなどがこれから生じるかもしませんので、メーリング・リストを作って、そこに投稿できる体制も整えることにしました。

さて、この集いでは「数学人」という言葉で、「何らかの形で数学との関わりや関心をもっている人」に参加して頂きたいという希望を表しました。とは言え、数学の研究者や数学を教えている方々、それも現職だけではなく退職された方々、も含めての数学関連の仕事をされてきた皆さんが多くなるでしょう。でも、その他の皆さんに御参加頂くことで、話し合いの場がより豊かになることも大いに期待していました。

昨日参加して下さった方々の中には、地形学の専門家、翻訳家や出版関係の方などもいらっしゃり、嬉しい限りでした。

参加された皆さんには、もっとお話をして頂きたかったのですが、時間が足りず申し訳なく思っています。

私が余韻に浸ってしまった興味深いいくつもの問題提起や、御自分の現在の関心事等の内、ここでは四つに絞って報告をします。(個人名は明記していません。これについては、皆さんからの合意を頂いた上で次回からは別の形にするかもしれません。)

① 数学教育の現状が心配だという声が多くありました。参加者の関心が数学教育にあることから当然なのですが、状況は、世間で考えられている以上に深刻だということが切々と伝わってきました。

② 特に、受験のための数学教育になってしまっていること、その根は深いことも指摘されました。Uさんの分析では、漢字の導入まで遡る必要があるとのことなのですが、となると、例えば合宿をして集中講義という形で議論をすることなども考えられますので、今後がますます楽しみでもあり、同時に心配でもあります。

③ Kさんからは、「戦争に動員される科学者・技術者-玉川大学量子暗号研究と経済安保法」についての集会のあったことの報告と、数学研究が直接、戦争に応用される危険についての問題提起があり、過去、数学者が戦争協力した歴史等も含めての取り組みが重要であることが確認されました。

④ これまで数学者が中心になって進めてきた、「ベトナム問題に関する数学者懇談会」 (略称はベト数懇)や「核兵器廃絶をめざす数学者の懇談会」について、当時、参加した方々の中から、Hさんから、次回の話題提供者としてこれまでの活動内容やこれからの活動に役立つ資料等を提供して貰うことになりました。

また、「数学と社会」に関連したいくつかの著作も紹介され、それらについてはこの集いを契機に購入したり共有したりする大切さも痛感しました。

さらに、次回、つまり第一回の集いには、誰か一人で良いので、できたら仲間を増やして行こうという意見も出されました。どのような人たちの集いなのかを一人一人の参加者が知るために、数行のプロフィールを書いて貰い、それをメーリング・リストにアップすることで共有したいという希望も出されました。

二月に一度、Zoomでの会合を開くだけでこうしたこと全ての解決にはならないと思いますが、これだけの人数の人たちが、二か月の間、次の集いのテーマに共通の関心を持つことで、新たなエネルギーが生まれる可能性もありますので、まずは次の集いも今回と同じように「楽しい」一時になるよう工夫ができればと考えています。

 

それでは今日一日が、皆様にとって素晴らしい24時間でありますように。

[2022/10/3 イライザ]

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2022年9月30日 (金)

10月1日に「横浜市非核兵器平和都市宣言市民のつどい」で話します

「横浜市非核兵器平和都市宣言市民のつどい」で話します

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明日、10月1日の午後1時半からかながわ県民センターの2階ホールで、「都市から核のない世界へ」と題して講演をします。

そのために、改めて「平和市長会議」のこれまでの活動や、なぜ都市が世界平和に関わるのかについて考え直してみたのですが、面白いことに気付きました。

それは、これまで「国家の時代」が終り「都市の時代」が訪れている意味を、都市がどのような貢献ができるのかという立場を中心に考えていたのですが、正反対の視点から捉えることで今まで見えない「真実」が見えてきたのです。

正反対の視点とは、「国」が市民から何を奪うのかを考えることでした。その出発点は、27日の本ブログ「「国葬儀」は「棄民」政策の成れの果て」でも取り上げた基本懇の答申です。

「国」が市民から奪うものは、

① お金 (憲法30条)--「納税の義務を負ふ」

② 権力 (憲法前文)--「権力は国民の代表者がこれを行使し」

③ 命 (基本懇の答申)--「戦争という非常事態のもとで、国民が何らかの犠牲を余儀なくされたとしても、それは国をあげての戦争による「一般の犠牲」として、全ての国民が等しく受忍しなければならないものである。」

それぞれ、説明しなくてもお分り頂けると思いますが、それに対して「都市」は、「国」から市民、私たち一人一人の命やお金を守る役割を果せます。詳細は、10月1日の講演会でお話しした後、このブログにも載せる積りです。

 

それでは今日一日が、皆様にとって素晴らしい24時間でありますように。

[2022/9/30 イライザ]

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2022年9月27日 (火)

「国葬儀」とは、「棄民」政策の成れの果て

「国葬儀」とは、「棄民」政策の成れの果て

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この稿を書いているのは926日ですが、それは国連の定めた「核兵器の全面的廃絶のための国際デー」です。明日27日は安倍元総理の「国葬儀」です。今回は、この二つの日を本質的に結ぶ文書を再度紹介します。最初に紹介したのは、416日の本ブログでした。タイトルは、「無辜の民間人の命と生活 ――かつては顧みられなくて当然でした――」です。

そうなのです。「核兵器の全面的廃絶のための国際デー」と安倍元総理の「国葬儀」とをつなぐ文書は、198012月に「原爆被爆者対策基本問題懇談会」、略して「基本懇」が発表した意見報告書です。略して「基本懇答申」または「答申」と呼びます。

この答申のキー・ポイントは、

  • 戦争は国が始める。(これが大前提でないとこのような答申は書けません)
  • でも、戦争による犠牲は、国民が等しく受忍しなくてはならない。
  • ただし放射能による被害は特別だからそれなりの配慮は必要--「お情け」的福祉観。
  • しかし、一般戦災者とのバランスが大切。
  • 国には不法行為の責任や賠償責任はない。

このような、戦争肯定とその被害に対する開き直りを、恥じることなく言語化した人たちが誰だったのかも記憶し続けなくてはなりません。委員(全員故人)7人います。

茅誠司・東京大名誉教授(座長)

大河内一男・東京大名誉教授

緒方彰・NHK解説委員室顧問

久保田きぬ子・東北学院大教授

田中二郎・元最高裁判事

西村熊雄・元フランス大使

御園生圭輔・原子力安全委員会委員

茅、大河内の二人は東大の総長を務めた人たちです。日本政治を動かしてきた官僚組織・制度や日本の思考の元となる学問の世界、その他にも財界や産業界等、いわゆるエスタブリッシュメントを構成するエリートたちを育ててきた人たちです。

そのエリートたちの答申ですから、問題の多いことは当然なのですが、改めて整理しておきましょう。 

  • 国が市民の上位にあり、市民に「犠牲」を強いている。
  • 支配/被支配関係でしか人の命を捉えていない ⇒ 国民主権を否定していることになる。
  • 再度、戦争をするという前提でものを言っている--絶対に戦争をしないのであれば、何年掛かっても犠牲に対する補償はできるし、する。
  • 憲法の精神も、戦争放棄の決意も否定している。

「国」が国民をこれほど粗末に扱っている状態は、「棄民」という言葉が一番ピッタリ来るように思えます。

その上で、26日と27日の意味を考えて見ましょう。「核兵器の全面廃絶」を、命を懸けて訴えてきたのは被爆者です。被爆者援護法とは、本来であればその被爆者の訴えに耳を傾け、彼ら/彼女らの命と生活を支援するために、「国」の戦争責任を認めて、その結果生じた原爆の被害についての補償をする手段なのです。ところが、その援護法についての諮問を受けた基本懇の答申が、「受忍論」だったのです。

つまり「国」は、戦争の犠牲は国民に押し付け、責任も取らず補償もしない。国民はそれを「受忍しろ」という内容です。ただし、被爆者が亡くなったらせめて線香の一本くらいは国が立てて欲しいという被爆者の気持は、「葬祭料」という形で援護法に含まれています。でも、戦争で亡くなった一般戦災者の場合、そのような最低限の形さえないのです。

「国葬儀」とは、戦争の犠牲まで「国民」に押し付ける「国」が、これまた「国民」に押し付ける「葬儀」なのです。亡くなった方への弔意の示し方は個人によっていろいろでしょうが、「国葬儀」を断固否定しなくてはならない理由がもう一つ増えました。

[2022/9/27 イライザ]

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2022年9月26日 (月)

ベトナムでの焼身自殺

ベトナムでの焼身自殺

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ホーチンミン市にあるティック・クアン・ドックの像 

(Ngô Trung撮影・Public Domail)

首相官邸の近くで70代の男性が焼身自殺を図ったというニュースが入ってきました。国葬に抗議しての行動か、という注釈も付いていました。ネット上では「焼身自殺」を「自爆テロ」だと断定するコメントもあるようですが、私の頭に浮かんだ歴史的事実との差に、時代の変化を感じています。

この男性が仮に「国葬反対」への思い入れが強かったために焼身自殺という手段に走ったのであれば、その手段は間違っていることに気付いて欲しいものです。命を懸けてまで反対しようという思いなら、その思い実現のために取るべき他の手段がまだまだ残っています。その際の絶対条件は、人の命はもちろんですが、自分の命を捨てることも許されない行為だという人間としての基本命題です。

また、「焼身自殺」を「自爆テロ」だと断定するのも意味不明ですが、この点については、「カミカゼ」についての日本国外での認識の違いと合わせて、別の機会に論じます。

今回は「私の頭に浮かんだ歴史的事実」です。それは、1963611日に、ベトナムの僧侶、ティック・クアン・ドック師が、当時の南ベトナムのゴ・ディン・ジエム政権による仏教徒弾圧に抗議して、カンボジア大使館前で自らガソリンをかぶって焼身自殺したことです。詳細はWikiwandの記事をお読み頂きたいのですが、この事件が結果としてジエム政権を倒し、ベトナム戦争を経てベトナム独立へとつながったことは、私たちの世代では共有されています。

なぜそれほど大きな結果につながったのかという問には、二つの答があります。一つは、ジャーナリストのマルコム・ブラウンの撮った写真が世界中に衝撃を与えたことです。もう一つは、ゴ・ディン・ジエムの弟の妻であったマダム・ヌーが、この焼身自殺を「あんなのは単なる人間バーベキューよ」だと言ったことが世界的に顰蹙を買ったという事実です。

私たちの世代の人間が仮に「焼身自殺」と聞いたときに、「自爆テロ」を思い浮かべることはまずないと思いますが、若い世代の人たちの中には歴史を良く知らない人もいるでしょうから、その違いは「時代の変化」だと考えることも可能です。

私は、ベトナムの事件のように、宗教的な対立があり同時に宗教的な確信のある場合でも、改めて「焼身自殺」は否定しなくてはならないと信じていますが、歴史的事実としてこのような出来事があったことは、知っていて貰いたいのです。

 

それでは今日一日が、皆さんにとって素晴らしい24時間でありますよう。

[2022/9/26 イライザ]

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2022年9月24日 (土)

出ました! 海外要人の参列は、「国葬」と「安倍」の「お墨付き」だ!

出ました! 海外要人の参列は、「国葬」と「安倍」の「お墨付き」だ!

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あるツイートです

コメントは「反対派の皆様、凄い数の要人ですよ。安倍総理がいかに海外から評価されているか、国葬儀に相応しいお方か分かりましたか?」ですが、このコラムで22日に予言した通りの言葉です。

その記事も再度読んで頂きたいのですが、予言の部分は、「さて、話を「国葬」に移しましょう。(A)は外国からの要人です。そしてその要人たちが「国葬」に参加することで、「国葬」そして「安部元総理」にお墨付きを与えることになるではありませんか。つまり、(B)は国葬と安倍元総理、そして(C)は日本政府です。この場合、お墨付きを信じることになるのは日本国民(の一部だと信じています)です。」

しかし、海外の要人は、そんなことは知らずに来日するのですから、「フェア」な対応とは、日本の状況を事前に知らせることです。

「このパターンで開かれる「国葬」で、外国からの要人たちが、このような役割を担わされるのは大問題です。しかも、日本国内でのこのような状況を知らないままに来日するのですから、それを知らせずに招待状を送る日本政府の罪は大きいと言わなくてはなりません。それだけで、「国葬」を中止にすべき立派な理由になります。

最低限、海外からの参加者には、日本の状況を事前に知らせなくてはなりません。それが海外からの参加者に対する最低限の礼儀ですし、彼ら/彼女らに対して「フェア」であるための最低要件です。」

さらに、このお墨付きを素晴らしいと捉えている皆さんは、旧統一教会についての山際大臣他が与えた「お墨付き」も同様に素晴らしいと、評価されるのでしょうか。

「旧統一教会の会合の場合、(A)は、山際大臣、(B)(C)は同じで、旧統一教会、そして(D)は、お墨付きを信じて、信者になる人、さらに霊感商法の犠牲になる人です。」

まだるっこしいですね。22日のエントリーを再度お読み下さい。

 

台風もコロナもまだまだ油断はできません。用心が肝要です。

それでは今日一日が、皆さんにとって素晴らしい24時間でありますよう。

[2022/9/24 イライザ]

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2022年9月23日 (金)

The Mainichiが、英語版・「国葬反対」声明を掲載してくれました

The Mainichiが、英語版・「国葬反対」声明を掲載してくれました

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The Mainichi に掲載された写真です。

The Mainichi が「Ex-Hiroshima mayor sounds alarm to attendees at former PM Abe's state funeral」という見出しで、つまり「前広島市長が安倍元総理の「国葬」出席者に警告」というタイトルで紹介してくれた記事の説明です。

まず22日に、「国葬」に海外から参列する人のリストが公開されました。35人の首脳級の方々もその中に入っています。このブログ、そして記者会見で発信してきたことの一つは、旧統一教会の主要イベントに、自民党国会議員や旧統一教会と深い関係を持つ著名人が参加することで、旧統一教会やその酷い活動についての「お墨付き」を与えたことからの教訓です。

それと全く同じ形で、「国葬」に著名人が参加することで、「国葬」そのものやその開催が正当であるという「お墨付き」を与えることになりかねませんし、安倍元総理の行った憲法違反や、国会の形骸化、さらには、政治の「私物化」等にまで「お墨付き」を与えてしまう可能性です。

安倍元総理についての超マイナスの評価は、恐らく海外では知られていないでしょうし、特に国会で118回以上嘘を吐いていることも、知られていないでしょう。国民の圧倒的多数が「国葬」に反対していることも、実感としては分って貰えていないと考えるべきでしょう。

その結果として、「善意」で「国葬」に参加した海外の要人自身が吃驚したり、あるいは、「エンドーサー」、つまり、お墨付きを与える人としての役割を担ってしまったことに違和感を持つことになるかもしれません。

その可能性がありますよということを、事前に知らせておく必要があると私は考えています。それは私たち日本人が「フェア」であることを重んじるなら、どうしても必要なことなのです。

その「フェア」であるべきという点を買って、毎日新聞の英語電子版であるThe Mainichiが私のメッセージを掲載してくれました。「志を同じくする」立場の記事は、次のサイトでお読み頂けます。

https://mainichi.jp/english/articles/20220922/p2a/00m/0op/015000c

 

そこから、英文の声明に飛べるようになっているのですが、日本語は、先日の記者会見報告の中に挟んであります。

https://kokoro2016.cocolog-nifty.com/blog/2022/09/post-65cda1.html

 

できるだけ多くの海外からの参加者の目に触れることを期待しています。

 

コロナについてもまだまだ油断はできません。感染しないよう努力を続けましょう。

それでは今日一日が、皆さんにとって素晴らしい24時間でありますよう。

[2022/9/23 イライザ]

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