言葉

2024年4月 6日 (土)

#TimWalberg #下院議員の #広島・長崎発言 ―― #事実誤認 を #指摘する のは #私たちの責任――

#TimWalberg #下院議員の #広島・長崎発言

―― #事実誤認 #指摘する のは #私たちの責任――

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安らかに眠って貰うためには私たちの責任を果しましょう

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アメリカ時間3月25日に、ミシガン州選出の共和党下院議員ティム・ウォルバーグ氏が、ガザでの惨状について広島・長崎を例示して、「長崎や広島のようにすべきだ。早く終わらせる。ウクライナも同じようにするべき。」との趣旨の発言をしたことが報じられました。CNNも報じています。

その後、Xへの投稿では、核兵器を使用すべきだと言ったのではなく、戦争が早く終るほど、戦渦に巻き込まれる罪のない人々の命が救われる、という趣旨だったとの説明もされています。そして、「広島・長崎」はそのためのメタファーとしての意味しか持たないとも付け加えられています。

マスコミ的・外務省的な見方では、これで一件落着ということらしいのですが、それは、外務委員会での松原仁議員の質問に対する回答で、明確に示されています。簡単にまとめると次のようなやり取りです。

[松原] ウォルバーグ議員は広島・長崎をメタファーとして、ガザを攻撃しろと言っている。メタファーとして扱うような軽々しい問題なのか。ウォルバーグ議員に抗議したり、謝罪を求めるようなことはないのか。

[上川] ウォルバーグ発言がメディアを通して拡散していることを憂慮している。同時に彼が、自らの意図を、SNSを通じて発出していることにも留意したい。現時点では抗議する必要はないと考えている。多くの人に広島長崎を訪問して貰う重要性は大きくなっている。

「我らの国会」さんによる動画も御覧下さい。5分10秒あたりから上記のやり取りを見ることができます。

さて、ウォルバーグ議員が広島・長崎をメタファーとして使う背景には二つの理由があります。

一つは、広島・長崎への原爆投下により戦争が早く終った、つまり「広島・長崎」は戦争の早期終結の象徴だからメタファーとして意味があるということ。

もう一つは、その結果として、多くの人命を救うことができたという正当化です。

御存じない方の方が多いかもしれませんが、未だにアメリカ人の多くは、原爆投下直後のトルーマン大統領の原爆投下の正当化をそのまま信じています。それは三点の命題から成り立っているのですが、ウォルバーグ発言もそれを踏襲しています。

① 真珠湾攻撃があったから戦争が始まった。

② 原爆投下によって戦争を早く終らせることができた。

③ その結果として、25万もの米兵の命が救われ、25万の日本人の命救われた。

つまり、広島・長崎をアメリカという枠組みの中でのメタファーとして使うということは、トルーマン発言の三つの命題を「事実」だと認めることを意味します。

外務省は長い間、それを認めてきていますので、外務省としては上川大臣の回答で問題はないのかもしれません。しかし、「被爆地広島出身の総理大臣」だと自認し、それが故にG7サミットを広島で開く意味があるのだと大見得を切った岸田総理大臣がそれで済ませて良いのでしょうか。

あるいは、広島市が何も言わなくて良いのでしょうか。

上記の三点について、①は、その通りですが、②と③は事実ではありません。それを、説得力を持って伝えて行かないと、アメリカ社会での誤解は解けませんし、「オッペンハイマー」のような映画が永遠に作られ続ける原因にもなってしまいます。

この点について、私たち広島県原水禁では、きちんとした対応をしている積りですので、次回はその報告をします。

 

2024年も言葉を大切にして、知的にも情緒的にも誠実さが輝く年にすべく頑張りましょう。

[2024/4/6 人間イライザ]

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2024年4月 3日 (水)

#万年筆が修理から戻ってきました ―― #使い慣れた物は使い易い――

#万年筆が修理から戻ってきました

―― #使い慣れた物は使い易い――

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右が「after」です。見えないところも修理して貰っています

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半世紀以上愛用してきた万年筆の具合が悪くなり、修理に出しました。無事修理が済んで手許に戻ってきました。メーカーの日本代理店では修理できないと言われたものですので、とにかく有り難いの一言です。

それ以上に感激したのは、修理をしてくれた川窪万年筆店の職人魂です。いくつもの映画にこのお店の作った万年筆が登場しているようですし、店主の川窪克実さんもしばしばマスコミに登場している方のようです。ホームページも御覧下さい。

そんなお店と御縁ができましたので、最近はほとんどパソコンやスマホに頼り切っていた原稿や備忘録等についても、できるだけ万年筆を使うようにしたいと考えています。

読み方を入力すれば漢字に変換されるという安易な道ではなく、まずは頭で考えた上で、漢字表記・用字辞典で確かめることを積み重ねれば、少しは認知症対策になるかもしれません。

 

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[2024/4/3 人間イライザ]

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2024年3月30日 (土)

#何をしたのか を #特定して下さい ―― #正確さを犠牲にする のは #権力への擦り寄り?――

#何をしたのか #特定して下さい

―― #正確さを犠牲にする のは #権力への擦り寄り?――

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「棄却した」は意味が分かります。

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気になる日本語の使い方の内、マスコミが多用している表現を取り上げます。それは「としている」に代表される、怠惰な日本語の使い方です。

引用した記事は、水俣病救済についての訴訟の結果を報道しています。毎日新聞3月23日付の同紙の一面トップの記事です。私の印象では、毎日は問題の少ない方なので、毎日取り上げるべきではないのですが、手許にあった新聞をたまたま使っていますのでお許し下さい。

以下指摘していることはマスコミ全社に浸透していますし、特に、テレビのニュース中の政府発表や官僚や大企業等の記者発表等には目立ちます。

丸で囲んだ、「とした」は過去形ですが、現在形だと「とする」とは、「と判断する」あるいは「と決める」という意味があると辞書には書いてあります。

しかし、用例として掲げられているのはいずれも、「と」の前に明確な意味を持つ言葉が添えられているものばかりです。例えば「是とする」「よしとする」「目標達成は難しいとされている」等々です。「とする」だけを使って、意味を曖昧にしてはいけない、という含意があると理解できます。

引用した記事では、二カ所とも、裁判所の「判断」を意味すると思われますが、より具体的には「と解釈した」とか、「と認定した」とか、あるいは「と曲解した」等の可能性も考えられます。

ここで指摘したいのは、「と」の前に来る行動・行為が重要だということです。それが、百歩譲って、「判断する」という行為であれば、その行為そのものが重要なのですから、「判断」を省略してはいけない場面なのではないでしょうか。

仮に字数を調整するために、何かを省略するのであれば、一番最後(敢えて重複表現を使っています)の「方針」の部分と同じように、「水俣病に罹患している」と判断、という具合に体言止めにして、裁判所の行為の幹の部分を明言すべきところなのではないでしょうか。

私自身の感想ですが、二番目の「とした」は、実は「と断定した」と書くべきところなのではないかと感じています。それを省略して、「とした」と曖昧に言葉を濁すことで、裁判所の判決の仕方についての批判はしませんよという、体制支持の姿勢を示しているのかもしれません。

マスコミで、「とした」の類の表現に気付かれたら、その主語が何かにも気を付けて下さい。既に指摘したように、政府とか、官僚、大企業等の場合が圧倒的に多いことに気付かれるはずです。

小さなことかもしれませんが、権力者・為政者から弱者の権利を守るためには、こうした小さな点にも注意を払い続ける必要があります。「気付いたら遅かった」ということになり兼ねませんので。

 

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[2024/3/30 人間イライザ]

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2024年3月28日 (木)

一番最初がダントツの一位 ―― #重複表現ランキング――

一番最初がダントツの一位

―― #重複表現ランキング――

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最後の切り札は何だ?

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日本語の誤用について、まだまだ書きたいことが沢山ありますので、続けます。

「注目を集める」が、誤用ではないかもしれないどころか、かなり受け入れられていることに「不快感を感じている」のですが、勿論これは皮肉です。

日本語も、社会の動きとともに変わっています。私自身の言葉に対する感覚も変化しています。例えば、かつては嫌悪感しか持てなかった「ら抜き言葉」を聞いても、腹が立たないくらいの寛容さは身に付きました。

となると、自分では「誤用」だと信じ込んでいる言葉が実は世間で広く受け入れらるようになってしまっているのかもしれません。

そんな時に目にしたのが、「つい使ってしまう重複表現ランキング」です。「古の昔の武士の侍が、馬から落ちて落馬する」というのが有名ですが、「gooランキング」の一つとして、2008年に公開されたものです。

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この一覧を見ながら感じたことの一つは、「ビジネスパーソン」を対象にした調査で、これだけ多くの人が、「つい使ってしまう」表現は、それなりに多くの人たちの日本語についての感覚を反映しているのではないかという点です。

私も、「一番最初に」という表現はつい使ってしまいますが、その理由は、重複表現ではあっても、正確に内容を伝えるためにはこう言った方が良い、といった判断が働いているということです。正確なコミュニケーションを確実にするために、文法的な正確さは犠牲にすることは許されるのではないか、という問題提起にもなっています。

この判断基準を使って、ランキングの9つの表現を見直してみたのですが、例えば、「射程距離」はその意味で余り違和感を持たなかったのですが、「思いがけないハプニング」は、ちょっとどうかなと思いましたので、少しは意味のある基準になっているのかもしれません。

それが、重複表現を使っても良いという「最後の切り札」になるかどうかは分りませんが。

 

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[2024/3/28 人間イライザ]

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2024年3月27日 (水)

躱すのは敵の矢 ―― #人を追い抜くことではありません――

躱すのは敵の矢

―― #人を追い抜くことではありません――

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子ども時代の体験からは、とても着いて行けません

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もう一つ、子ども時代の体験と深く結びついているのが「かわす」です。以前にも書いたことがありますが、かつてたくさん読んだ時代小説の類では、「敵の矢を躱す」という意味での「かわす」しか意味がありませんでした。

小学校の高学年になって柔道を習いましたが、そこでの体験では、「体を躱す」ことが多くありました。相手の力が真っ直ぐにこちらの向っているときに、体を捻ってその力をやり過ごすことですです。

大人になってからは、質問を躱したり、逆に躱されないように準備をしたりという場面もありました。どこにも、「追い抜く」というニュアンスがないので、何故、「かわす」が「追い抜く」を意味するようになったのかも分りません。

でも、ネットで調べると2012年のロンドン五輪の頃には、この言い方がマラソンだけでなく、コレクションになるくらい多く使われていたようです。道浦俊彦さんのコラムをお読み下さい。

「交わす」という文字を充てて、その意味だという説もあるようですが、「言葉を交わす」とかいったニュアンスでも「追い越す」にはならないので、未だになぜ、このような「誤用」が生まれたのか、想像がつきません。何方か教えて頂けると有り難いのですが---。

参考までに、読売テレビのコラムには、ゲームをモデルにした説明があるのですが、ゲームは余りしたことがありませんので、この解説でも理解不能でした。

もう一つ、競馬の世界では前から使われていたのかもしれません。矢野義彦さんのコラムがそう示唆しています。一歩前進です。でも、なぜそうなったのかについては今一、分りません。

 

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[2024/3/27 人間イライザ]

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2024年3月26日 (火)

私にとって#注目を集める は #誤用 ―― #号令 としての #注目の体験 があります――

私にとって#注目を集める は #誤用

―― #号令 としての #注目の体験 があります――

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「#注目」しているのは「#私」ですよね

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このところ、日本語にはまっていますので、その勢いで続けます。

長い間、「注目を集める」には違和感を持ち、「誤用」だとさえ思ってきていました。ところが、尊敬する国広哲也先生の『日本語誤用・慣用小事典』の184ページには、それが正しい使い方として登場したのです。

「話題を集めた」という、ちょっと疑問符の付く表現の説明の一部に、「注目を集めた」という表現と、「話題になった」が影響し合って、「話題を集めた」になっているというのです。

手許のいくつかの辞書をチェックしてみると、集英社の『国語辞典』には、用例として「注目を集める」が載っていますので、世間的にはかなり認められてしまっているのでしょう。

でも、私には「大いなる違和感」があります。その理由を考えて見たのですが、これまでの人生、特に子ども時代の影響が大きいように思えてきました。それは、日常的に「注目」が生きていたからです。

一番、印象に残っているのは、「国旗に注目」です。学校の行事では国旗掲揚がその一部でしたが、国旗が掲揚されるときには、「国旗に注目」という号令とともに、国旗を見なくてはなりませんでした。他にも、「○○に注目」という号令が結構ありました。

ですから、私の頭の中では、「注目」の主語は「私」なのです。つまり、私が注目するという主体と行動が一体になっているイメージがあるのです。そこからは、「注目が集まる」にはイメージが飛ばないのです。

その他の、「誤用」についても同じような分析が出来そうですので、一つずつ俎上に載せたいと思います。

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[2024/3/26 人間イライザ]

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2024年3月23日 (土)

#老婆心ながら は #使いにくい #日本語です ――それって #Sexism?――

#老婆心ながら #使いにくい #日本語です

――それって #Sexism?――

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こんなイメージが頭に浮かびます

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元々の仕事が教師ですので、自分の専門でないことでも、ついつい口出しをする傾向があります。迷惑がられることも多いのですが、それを優先してしまうと生徒の嫌いな科目を教える、という義務は果せなくなります。

とは言え、年を取ると少しは我が身を省みることもできるようになりましたので、小言はできるだけ慎むようにしていますし、何か言わなくてはならない時にも、一言前置きをしてから、を心掛けています。

そんなときに便利なのが、「老婆心ながら」です。「老婆心ながら、一言付け加えておくと」というような感じで、その後のアドバイスがちょっぴり柔らかくなります。「お節介かもしれないけれど」というような意味で、「老婆」と言っても、男女どちらが使っても良い表現なのですが、私の問題はここから始まります。

この慣用句を使うときに、どうしても頭に浮かんでしまうのが、イラストで示したような姿なのです。結果として、「老婆心ながら」を使わずに他の言葉に変えてしまっていることがしばしばです。

さらに最近では、これは昭和の時代の価値観を身に付けている私のsexismが諸に出てしまっているからなのか、という心配までしています。

以上、老いの繰り言でした。

 

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[2024/3/23 人間イライザ]

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2024年3月21日 (木)

#御真影 は #海外公館に飾られていた ―― #教育勅語も各国語に訳された――

#御真影 #海外公館に飾られていた

―― #教育勅語も各国語に訳された――

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1911年に刊行された、G・G・ルパートの著書"The Yellow Peril"(『黄禍』) 写真は(Public Domain)

#黄禍論も広まった

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教育勅語の意味をできるだけ客観的な視野から検証してきましたが、一つには、「御真影」と一体の関係として捉えないと、全体像は描けないことが分りました。

そして、その「御真影」に出会った意外な場所とは海外の日本大使館や領事館等の公館でした。外からのお客さんを迎える応接室のような部屋がいくつもあるのでしょうが、例えばボストン日本人会の幹部があいさつに訪れたときに通されるのは、普通の応接室でしょう。その正面に天皇と皇后お二人の写真が恭しく飾られていたのです。

ことによると「麗々しく」の方が相応しいのかもしれませんが、1970年代ですから、普通の家庭に「御真影」が飾られることはまずない時代です。海外の公館の応接室で、「これが日本の大使館・領事館?」と思うほどの違和感と言ったら良いのか、非日常感と言ったら良いのかに襲われてしまったのです。

そしてそのときだけではなく、それから何度も海外の公館を訪れる機会があり、その度に「御真影」に接することになりました。別の部屋には皇太子と皇太子妃の写真が飾れたりしていましたので、海外公館は、皇室漬けになっているとさえ感じたこともありました。

それは、外国とのお付き合いが天皇の職務の中でも重要であることから、宮内庁の幹部職には外務省出身者が多いこととも関連があります。

となると、外務省と教育勅語の関係も無視できません。明治政府が外務省を通して、あるいは外務省や関係者が働き掛けて、積極的に教育勅語を海外にPRしたことにも注目する必要があるのです。

金子堅太郎による教育勅語の政府訳作成提案がその始まりです。金子は日露戦争後の日露関係修復のために、仲裁の労をアメリカに取って貰うという大役を果たしたのですが、当時の様子を、『教育勅語』 (解説・大原康雄、ライフ社 1996年) から引用します。

教育勅語の評価については、海外におけるそれにも目を向ける必要があるだろう。

日露戦争の開戦直前に元老伊藤博文の命を受けて、あらかじめ戦争終結の幹施を工作するために米国へ派遣されていた金子堅太郎(福岡県出身の政治家。当時の米国大統領T・ルーズベルトとハーベード大学で同窓)という人物がいる。金子によれば、大方の予想に反して日本軍が連戦連勝するのを見て驚いた米国人に、「日本の勝利は国民の教育が必ず然らしめるところであろう。日本の教育はどうなっているか、伺いたいと質問された。そこで人金子は、軍人勅論を挙げるとともに、まず一般教育において教育効語がその根底をなしていることを指摘し、求めに応じて前もって翻訳しておいた教育勅語の英訳を披露したところ、多くの米国人から共感と称賛の声が寄せられたという。

日露の和平が成って帰国した金子は、政府によって正式に勅話を翻訳する必要があることを時の牧野伸顕文相に提言、まず菊地大麓(理学者。東大総長・文相などを歴任)・新渡部稲造(思想家・農学者。国際派知識人として活躍、国際連盟事務局次長をつとめる)らによって訳された英訳本が明治四十年(一九〇七)に公にされ、次いで漢訳が成り、さらに同四十二年に至って仏訳・独訳が完成し、在外公館を通して世界各国に配布された。

明治四十一年にロンドンで開催された国際道徳会議においては、その要請に応じて菊池が教育勅語について講演し、好評を博した。こうした事例はほかにもあり、欧米の識者の問での教育勅語の評価は存外に高かったのである。

海外に教育勅語を広めようとする努力のあったことは事実ですし、教育勅語を評価する人たちのいたことも事実です。同時に、その結果がどうだったのかについても冷静に判断する必要があります。

その際、同時進行的に起きていた「黄禍論」にも目を向けなくてはなりません。例えば、アメリカでは1906年のサフランシスコ地震の後に対日感情が悪化し、1907年には移民の制限が行われた後、1913年にはカリフォルニア州で日本人に対する3年以上の土地の貸与が禁止されるなど、「黄禍論」が台頭し具体化されていた事実と教育勅語の海外PRとは関係があるのでしょうか。

 

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[2024/3/21 人間イライザ]

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2024年3月19日 (火)

#教育勅語 と #御真影 ―― #どう扱われたのか も #一緒に考えないと――

#教育勅語 #御真影

―― #どう扱われたのか #一緒に考えないと――

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#山中恒 ・ #山中典子著 の #間違いだらけの少年H

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教育勅語も軍人勅諭も、「暗記」というより「丸暗記」が基本的には押し付けられました。そして、まず教育勅語に焦点を合わせると、学校行事の大切な節目節目には、最大限の威厳と畏怖の念を伴った行事として、厳粛裡に執り行われました。

その様子を垣間見るためには、「YAHOO!JAPAN知恵袋」の回答の中の「ベストアンサー」が分り易い説明をしてくれています。

そして回答者の「ya1****」さんが最後に触れている、「人間の生き方を示したよい面も含まれていました。」が、教育勅語問題を解く一つのヒントを与えてくれているのです。

恐らく「ya1****」さんにはそのような意図はないだろうと思いますが、それは、最近話題になった広島市長が新人研修のために教育勅語を使ったり、稲田朋美元防衛大臣が教育勅語を正当化したり、日本会議がその普及に熱心だったりするときの「口実」としても使われている言葉だからです。

その口実を受け入れることは、実は軒を貸すことになるのですが、その結果として母屋までというのが、教育勅語推進派の目的だとしてもおかしくはありません。

そんな術中に陥らないために、教育勅語がどう扱われたのか、もう少し詳しく見てみましょう。そのために、私の尊敬する「歴史家」、山中恒さんと山中典子さんに登場して貰います。お二人の書かれた『間違いだらけの少年H』です。副題は「銃後生活史の研究と手引き」で、1999年に勁草書房から出版されています。

この本の53ページから54ページ、そして58ページに興味深い記述があります。まず53から54ページです。

4年生以上の使用する修身教科書の冒頭にはすべてに「教育ニ関スル勅語(一般に「教育勅語」とよばれたが、これは略称)が掲載されていて、4年生になると授業で暗唱させられた。

ばかばかしい話だが、私はいまだに教育勅語が全部暗証できるし、ついこの間までは旧漢字で書き取りもできてしまった。先日も私よりわずか年長の方の話をきいていたら、この方はなんと「ジンム、スイゼイ、アンネイ、イトク、コウショウ、コウアン、コウレイ、コウゲン、カイカ・・・・」とまるで御詠歌でもうたうように、歴代天星の贈り名を百二十三代の大正天主までをみごとにやってのけたのである。教学大旨(明治12=1879)に「仁義忠孝の心は人みなこれあり、しかれどもその幼少のはじめに、その脳髄に感党せしめて培養するにあらざれば、他のものごと、すでに耳に入り、先入主となるときは、後いかんともなすべからず」(引用者註=原文は旧漢字、句読点無し、カタカナ)とあるように、仁義忠考のことは忘れてしまったが、教育勅語の文句だけは経文のように「脳髄に感覚せしめ」られてしまったのである。

さて第1章の年表を見ていただけばわかるが、昭和十五年といえば、昭和十年の天皇神格化の先がけとなった[国体明徴運動」があり、さらには昭和十二年、教育現場における天皇神格視の強化をはかった『国体の本義』編纂配布があり、しかも皇国史観によって、人皇第一代の神武天皇が即位してから二千六百年というので、大々的に「皇紀二千六百年祭」が開催される年にも当たった。それだけに学校教育の現場では子どもたちに、いっそう天皇景仰の臣民感覚をインプリンティングさせるために徹底した天皇崇拝のしつけが行われていたのである。

その「天皇景仰と天皇崇拝」の気持を植え付けるために、大掛かりな式典が挙行されていたのです。山中の58ページに載せられている式次第を見るだけでもその様子が絵見てくるような気がします。

『日本の教育課題1「日の丸」「君が代]と学校』(1995年・佐藤秀夫編・東京法令出版)および『続・現代史資料8・教育―御真影と教育勅語1(前出)には昭和十三(一九三八)年に山形の北村山郡小学校長会が編纂した【三大節明治節其の他儀式次第並に其の作法」というのを紹介している。

もちろんこれは、小学校令施行規則第28条によるもので、各学校の式次第もこれとほぼ同じであったし、私の在籍した小学校・国民学校も全くこれと同じであった。原文はカタカナなので、ひらがなになおして引用しておく。

 

第四 三大節及び明治節拝賀式次第

ー、  職員児童着席

二、  来賓着席

三、  校旗入場(引用者註 = 私の国民学校では、校旗はあらかじめ濱壇の下にかざってあった)

四、  敬礼                                 一同楽器を以て合図

五、  始式の挨拶

六、  開 扉                  一同俯首低頭 学校長奉仕

七、  唱歌  君が代                   二回  一同合唱  楽器伴奏回

八、  御影に対し最敬礼 1、学校長及び職員/2、児童生徒/3、管理者及び参列者

九、  勅語奉読>

一〇、  唱歌勅語奉答    一回  一同合唱  楽器伴奏>

一一、  閉扉                 一同俯首低頭  学校長奉仕

ー二、  学校長誨告  (引用者註=教え告げるの意)

一三、  当日の唱歌  (引用者註=それぞれの式歌)    一回 一同合唱 楽器伴奏

一四、  終式の挨拶

一五、  敬礼                 一同  楽器を以て合図

ー六、  校旗退場

一七、  退場

御真影と教育勅語はいわば一体化された存在であり、教育勅語に「良い面もありました」と言うことは、天皇の存在やその絶対性さえも認めることになるというトリックを御理解頂けたらと思います。そして、一体生かされた御真影と教育勅語は、教員の命を賭けてさえ守らなくてはならない存在だったのです。

例えば、2017.6.10 教育史学会シンポジュウム「教育勅語の何が問題か」(於お茶の水女子大学)での、小股 憲明(大阪芸術大学短期大学部)氏による報告、「教育勅語・御真影をめぐる不敬事件と学校儀式」には、教育勅語についての多面的な解説と、多くの不敬事件や殉職事件の詳細が載せられています。一二を抜き書きしておくと、

  • 明治 40[1907]年 1 月 仙台市県立第一中学校の御真影・教育勅語謄本焼失事件=大友元吉書記の御真影・教育勅語謄本殉職事件~校舎火災の際、取り出そうとして逃げ遅れて殉職。
  • 大正 12[1923]年 9 月 関東大震災時の御真影殉職~関東大震災での殉職者 41 名(神奈川県 27、東京府 13、千葉県 1)。うち東京 13 名中の 8 名までが、「御真影を守護」「御真影奉遷のため奮闘中」の殉職であった。

戦後かなり経った頃でも、少し古い家に行くと、鴨居の上に天皇と皇后の写真が飾られていたことを思い出しますが、「御真影」の意味がハッキリ伝わってきたのは、実に意外な場所からでした。

[当然、続きます]

 

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[2024/3/19 人間イライザ]

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2024年3月18日 (月)

#成田悠輔 の #ジェノサイド #提唱 ――#政府 も #一流企業 も その #本質が分っていないのか?――

#成田悠輔 #ジェノサイド  #提唱

――#政府 も #一流企業 その #本質が分っていないのか?――

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#高齢者

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成田悠輔 (彼の発言内容の非人道性・犯罪性を強調するために、敢えて敬称は外します) 発言については、一年ほど前に大きく取り上げられました。高齢者の「集団自決」や「集団切腹」以外に、我が国の問題を解決する方法はない、と言いっ切っています。この解決方法を仮に「成田プラン」と呼んでおきましょう。

その後、ニューヨーク・タイムズの取材では、「メタファー」だと言い訳をしていますが、それ以前に彼自身が「メタファーではない」と明言していますので、「メタファーではない」のです。そして子どもたちとの対話では、この趣旨を強調し敷衍しています。「集団自決」ゃ「集団切腹」の提唱に止まらず、煽動をしていると言っても良いのではないでしょうか。

それほど酷い「成田プラン」については、多くのマスコミ報道がありました。大多数の皆さんがその本質を理解したと思っていました。その結果として、成田が発言を撤回し、根本的な反省をして、人権や人間の尊厳、そして未来を創る上での希望の役割等について新たな認識を持つようになることを期待していました。それまでは「猶予」期間とでも言えば良いのでしょうか、公的な役割とは関係ないところにしか登場しないだろうと考えていたのですが、甘過ぎました。

まず、キリンが「集団自決」や「集団切腹」発言のあったことを承知の上で、成田をテレビのコマーシャルに起用したと聞いて、言葉を失いました。それ以上に許せないのは、3月15日に、山本太郎議員の参議院質問の中で明らかになった、政府による成田起用です。政府機関である農水省や財務省が、これまた「集団自決」や「集団切腹」発言を知っていながら、公費で成田を雇っていたのです。

詳しくは山本太郎議員の参議院での追及を御覧下さい。

これは、官民ともに、高齢者の「集団自決」や「集団切腹」を核とする「成田プラン」を、少なくとも容認はしていることを示していることになるのではありませんか。高齢者である私は、それこそ他人事ではないという感覚でとらえました。でも多くの皆さんにとっては、「集団自決」とか「集団切腹」という言葉自体が抽象的過ぎて、その実体が伝わらなかったのかもしれません。

「成田プラン」の中身をより身近に感じて頂く上で、一年前の私のブログ記事が少しはお役に立てると思いますので、簡単な紹介とリンクを貼り付けます。(なお、各記事中に貼り付けてあるリンクの中には削除されてしまっているものもあります。この機会に復活して貰えると良いのですが。)

(1)  昨2023年2月23日には「集団自決や集団切腹のリアルな記憶を大切に」というタイトルで、成田発言の概要と、太平洋戦争や赤穂浪士という現実に起きた集団自決や切腹を思い起こすことの重要性を提起しました。

(2)  その翌日24日には、「立ち止まって考え始めたら、怒りで震えが止まらなくなりました」と題して、小学生を相手に成田が提案した「自動死亡装置」についての思考実験をしてみました。(リンクを貼った『女性自身』のサイトはもう削除されていました。)

(3)  さらに2月28日には、「1,000万人もの人をどう殺すのですか?」というタイトルで、もう一つの思考実験をしてみました。そもそもこんな提案は憲法違反ではないかという問題提起もしています。

今回はそれにもう一点付け加えて、成田発言が国際的にも糾弾されるべき事柄である点を指摘しておきます。昨今、ウクライナやガザでの戦争行為について、「ジェノサイド」という言葉が盛んに使われています。もっとも日本はこの条約を批准していませんので、関心は低いのかもしれません。

成田提案の「高齢者の集団自決、集団切腹しかないんじゃないか。(略) 僕はこれを大真面目に言っていて、(略) これがこの国の明らかな問題だ。」という提案内容は、「ジェノサイド」の勧めです。

まず、「ジェノサイド」の定義を振り返りましょう。ジェノサイド罪の防止と処罰に関する条約(ジェノサイド条約) の第2条です。(国連広報センターのホームページから)

この条約において、ジェノサイドとは、国民的、民族的、人種的または宗教的な集団の全部または一部を、それ自体として破壊する意図をもって行われる以下のいずれかの行為を指す。

a. 集団の構成員を殺害すること、

b. 集団の構成員に重大な身体的または精神的な危害を加えること、

c. 集団にその全部または一部の身体的破壊をもたらすよう意図した生活条件を故意に課すこと、

d. 集団内の出生を妨げることを意図した措置を課すこと、

            e. 集団の子どもを他の集団に強制的に移すこと。

成田プランの対象は、我が国の高齢者ですので、「国民的集団」の「一部」という範疇に入ります。そして、「それ自体として破壊する意図」は、明白です。しかもその「破壊」の内容は「自決」、「切腹」ですから、a.またはc.を満たすことも明らかです。

ある年齢に達すると、自動的に死亡する装置を埋め込む、というのは、a.に該当するでしょうし、ある年齢に達すると、崖から飛び降りる慣習を作るのは、c.でしょう。

ジェノサイド条約では、ある国が自国民に対してこのような行為を取ることは想定されていないのかもしれませんが、農水省や財務省から始まって政府全体がこんな考え方に汚染されてしまったと、これも大胆な思考実験ですが、考えると、国際機関に訴える可能性も出てきますので、ジェノサイドかどうかも検討しておく必要があるのです。少なくとも、ジェノサイドの定義に当てはまるほどの非人道的行動を容認してはならないはずです。そしてそのような行為を公にし、子どもたちにまで広めている行為も看過できません。

サントリーが、桜を見る会に酒類を無償提供していたことが明るみに出て、サントリー製品は使いたくないと感じるようになり、今回のことでキリンも駄目。ことによると、日本製のビールは飲めないというようなことになったら悲劇です。せめて、これほど酷い言説に対しての配慮をするくらいの良識は、利益追求を至上目的とする営利企業にも持っていて欲しいと思うのは、甘いのでしょうか。

そして少なくとも、キリンはコマーシャルを止めたのですから、農水省や財務省もそれと同じレベルの対応くらいはしないと、憲法15条違反になります。「全体」の中には、高齢者も含まれるのですから。

 

2024年も言葉を大切にして、知的にも情緒的にも誠実さが輝く年にすべく頑張りましょう。

[2024/3/18 人間イライザ]

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