音楽

2023年7月 4日 (火)

断酒の障害が分りました ――甘い言葉でした――

断酒の障害が分りました

――甘い言葉でした――

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昔よく聞いたCDです

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このブログを書き続けていて良かったことの一つは、自分の意志の弱さを客観的記録として確認できたことです。昨年の9月に、お酒を止めて体調が良くなったことを報告しています。それが、いつの間にか元に戻ってしまい、つい最近再び「断酒」をすることにしたのです。

意志が弱いと言ってしまえばそれまでなのですが、実は、「これは危ないぞ」という自覚症状が出て、「ここで負けてはいけない」と自分自身に言い聞かせたことが何度かありました。負けたこともあったのですが、それは「誘惑」に負けた結果でした。

昨日は市内に出かけて、音楽を聴きながら車を運転していて、その「誘惑」を確認することになりました。「甘い言葉」なのですが、お酒を飲むことと、悲しみを癒したり楽しい気持になったりという紐付けを歌詞で表現している歌を聴くと、意志が弱くなることに気付きました。

例えば、研ナオコの「ふられた気分」です。「お酒をついでおくれ となりさん」が特に「お酒を飲みたい」という気持を強くしてしまうようです。梓みちよの「二人でお酒を」もそうです。「二人でお酒を飲みましょうね」まで来ると、もう意志の力は無重力状態です。

それに対抗するためには、村田英雄の「人生劇場」を聞いて、「やると思えばどこまでやるさ」と自分自身を鼓舞するくらいしか思い付かないのですが―――。

 

そして皆さんにとって、今日一日が素晴らしい24時間でありますよう!

 [2023/7/4 人間イライザ]

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2023年4月23日 (日)

日記を付けなくても良いと考えた理由 ――去年も同じ日に日記のことを書いています――

日記を付けなくても良いと考えた理由

――去年も同じ日に日記のことを書いています――

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昨年の安倍元総理の事件、そして今年になってからの岸田総理の襲撃事件について、私たちの育った時代と比べて時代背景として何が違うのかを考えていたのですが、その前段として日記についての私の「決定」を書き残しておこうと思いました。

そこで思い出したのが昨年のこのブログの記事ですが、調べてみたら丁度同じ日に日記について取り上げていました。偶然なのか、季節的に日記が頭に浮かぶような行動を取っているのか分りませんが、日記です。

老化防止のため、2017年から日記を付け始めました。今でも続けていますし、毎日書く量も増えています。でも、それまでは小学校の宿題で絵日記を付ける以外には日記とは縁がありませんでした。

でも一度、真剣に日記を付けた方が良いのかなと悩んだ時期がありました。アメリカに留学していたときなのですが、毎日が貴重な体験でしたので、記録として日記を残すべきなのかを考えたのです。

結論は、「日記を付ける代りに、毎日の時間をより有効なことに使う」でした。「より有効なこと」は、友達と一緒の時間だったり勉強をしたりだったのですが、日記の代りになるものがあったのも理由の一つです。

それは音楽でした。毎日の生活の中で音楽は欠かせなかったのですが、好きな曲を頭に浮かべると、その曲を聞いていたときのシーンが細かく頭の中で再現できたのです。

若さの特権だったのだと思います。最近はYouTubeでも昔聞いた曲がランダムに流れて来る時があって、確かに当時のことを思い出しますが、当然、事細かにその時の全てが頭に浮かんでくることはありません。

「老化現象」など全く思い付きもしないで、日記は付けないという決定をした浅墓さは後悔しています。でも、日記の代りにする積りで集めたLPレコードやCDが残っているのは不幸中の幸いです。

Cd

最後に今日一日、皆さんにとって、素晴らしい24時間でありますよう!

 [2022/4/23 イライザ]

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2023年4月15日 (土)

アレクセイ・リュビモフ ピアノ リサイタル ――引退宣言を撤回して再度来日してくれました――

アレクセイ・リュビモフ ピアノ リサイタル

――引退宣言を撤回して再度来日してくれました――

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昨夜14日は、アレクセイ・リュビモフさんのピアノ リサイタルに行ってきました。廿日市のウッドワンさくらぴあが会場でした。

御存知の方も多いと思いますけれども、リヒテル亡き後「最後の巨匠」と呼ばれるピアニストです。それも、古典派のモーツァルトからロマン派の演奏は勿論、現代音楽まで広い範囲の楽曲に積極的に挑戦してきた芸術家です。

国境を越えての音楽活動と平和に対する思い入れの強い人で、特に広島にこだわって日本での演奏の機会があると常に広島で、という希望が出てきたそうです。

「自分の満足の行く演奏ができている内に引退したい」という気持から、一度は2019年に引退宣言をしたのですが、その後の世界情勢にいたたまれず、特に「ウクライナを広島、長崎に続く被爆地にしてはならない」という思いで、しかし「自分が今できることは演奏すること」と決めて、演奏活動を再開しています。(「アレクセイ・リュビモフ “No More HIROSHIMA”への想いを込め、シルヴェストロフを弾くために再び 東京 広島のステージに_ タワーレコード渋谷店にて特設コーナーも」(『シアターテインメントNEWS』 2023415日閲覧))

今回の来日でも「今回は広島で弾きたい。広島の人であれば今迫る危機に声をあげてくれる。」と信じての、414日、廿日市さくらぴあでのリサイタル実現になりました。

演奏曲目の目玉は、リュビモフの盟友であり、ウクライナ出身のヴァレンティン・シルヴェストロフの作品でした。

そしてアンコールはシューマンの即興曲90-2でした。その曲は20224月にシルヴェストロフの作品を含むリュビモフのコンサート中に、警察官が会場に入ってきて演奏を中止させようとしたとき、最後まで弾き切った楽曲でした。

 (5分くらいから警官が登場します)

アンコールにはリュビモフの広島への強い思いが込められていたのです。私たちもそれに応えて行かなくてはなりません。

 

最後に今日一日、皆さんにとって、素晴らしい24時間でありますよう!

 [2022/4/15 イライザ]

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2023年2月27日 (月)

H君を偲ぶ会 ――没後3年、80人が集いました――

H君を偲ぶ会

――没後3年、80人が集いました――

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H君の人徳だと思いますが、コロナ禍でようやく開くことになった偲ぶ会には、会場一杯の80人以上の人が集い、H君の生前の人となり、思い出や、これから一緒にしたかったであろう仕事や余暇活動、それも彼の華やかな人生を再現するような様々なエピソードばかりでした。

例えば、最後の奥様が披露してくれた「遺産」は、H君を彷彿とさせるものでした。彼が残したスマホの電話番号は、レストランが一番多かったのだそうです。

食通の彼ならさもありなんですし、友人たちもIBMから始まり、アスキー、セガ、コロムビア、早稲田大学、東京都市大学等々の職場での同僚や部下たち、そして彼の後継者たちが「変人」としてのH君や、才能溢れる、あるいは人間的な存在として、惜しまれて早世したH君について時間がいくらあっても足りないくらい、語ってくれました。

私は、彼の思い出の中でも、英語が堪能でその上、詩を愛し数学にも強かったことを皆さんに聞いて頂きました。

一つは2015年、Emily Rolfe Grosholzというアメリカの哲学者(特に数学と科学についての研究が目立っています)、かつ詩人の「Childhood」という詩集を津田塾大学の早川敦子先生が日本語に訳され、その出版に際して、Emilyに日本に来て貰った時のことです。出版社はクルミド出版です。

早稲田大学で講演をして貰ったのですが、著名なアメリカの詩人の作品を、「大円」と「コンパクト化」という数学的概念との関連で分析するという内容でした。事前に、原稿を貰えましたので、日本語訳を付けましたが、英語の誌の批評ですので、日本語訳があってもそれほどは役立ちませんでした。事実、「チンプンカンプンだった」と正直に言ってくれた人もいたのです。

でもH君は熱心に講演を聞き、真っ先に手を挙げ、「素晴らしい講演だった。特に、数学的な概念が詩の本質を解き明かしているところ (その具体的な個所を挙げて説明--その部分は略します) で、目から鱗の思いをした」と述べてくれました。講演後は、H君とEmilyの話が弾んでいました。

もう一つは、このブログでも報告しましたが、彼のお見舞いに行った時に話題になったことです。ベッドで読むには、俵万智さんの短歌集より、夏井いつきさんの句集の方が良いと思って、一冊プレゼントしました。H君は夏井さんが着物を愛していることに感謝していること、自分でも捨てられる着物を集めて、再生利用するプロジェクトをしていることを話してくれました。

こんな時にも、「田舎の学問より京の昼寝」を思い知らされてしまいます。御家族が偲ぶ会の会場に持参されたものの中には、愛用のオーボエ (H君は若い時はオーボエの演奏者になりたかった) 万年筆、カメラ、彼を亀仙人に見立てた劇画があり、それらを前に私たちの思い出話が途切れることはありませんでした。

 

それでは今日一日が、皆さんにとって素晴らしい24時間でありますよう!

 [2022/2/27 イライザ]

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2023年1月 1日 (日)

明けましておめでとうございます

明けましておめでとうございます

088

旧年中はいろいろお世話になり、有難う御座いました。本年も宜しくお願い申し上げます。

「一年の計は元旦にあり」と言われますので、今年の決意を以下、御披露します。

とは言え、私の悪い癖なのですが、何事にも理屈を付けたくなります。この言葉の起源は毛利元就が長男にあてた手紙の中にあると言われています。それは、

一年の計は春にあり

一月の計は朔(ついたち)にあり

一日の計は鶏鳴(一番鶏が鳴く早朝)にあり

です。時間的な区切りの最初に計画を立てることの大切さが述べられています。

同感です。そして、「春」から思い出すのは、ロバート・ブラウニングの詩「春の朝」です。ビクトリア朝のイギリスの詩人ですので、毛利元就より後の時代に活躍したのですが、彼の劇詩『ピッパが通る』の中の一節が有名です。

Pippa's Song

 

The year's at the spring

And day's at the morn;

Morning's at seven;

The hill-side's dew-pearled;

The lark's on the wing;

The snail's on the thorn:

God's in His heaven—

All's right with the world!

日本語訳は、上田敏による「春の朝(あした)」が有名ですし、私は日本語の詩の方が好きです。

「春の朝」(はるのあした)

 

時は春、

日は朝(あした)、

朝は七時、

片岡(かたをか)に露みちて、

揚雲雀(あげひばり)なのりいで、

蝸牛(かたつむり)枝に這ひ、

神、そらに知ろしめす。

すべて世は事も無し。

絹工場で働くピッパという少女が、一年に一度の休日の日に街を歩きながら呟く言葉ですが、その一日の意味を朝、そして7時という始まりの時に託していることが、「一年の計」と重なっています。

さて、今年の決意ですが、三つ掲げておきます。

①  8月に、広島出身初の総理大臣加藤友三郎氏の没後100年を記念するシンポジウムを開く。

② 私のこれまでの人生を振り返っての「オーラル・ヒストリー」、ならびに、開催には至らなかった「広島オリンピック」の記録を     出版する。

③ 歌の好きな人たちのグループ「昭和の歌を守る会」の活動を再開して、できればコンサートを開く。

どれもまだ準備が必要ですし、一緒に動いてくれる方々、そして本の場合には出版社が必要ですが、三つとも実現できるだろうと胸を弾ませています。

加藤友三郎氏の業績については何度もこのブログで取り上げていますが、そのうちの一つのリンクを貼り付けていますので、お読み頂ければ幸いです。

 

最後に、今年一年が、皆様にとって素晴らしい365日でありますように!

[2022/12/31 イライザ]

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2022年12月24日 (土)

White Christmas

White Christmas

White-christmas

2022年12月24日、わが街は白銀の世界でした。25日も雪に覆われ続けるはずです。午前中は雲一つない青空でしたので、"White Christmas"を歌ってみました。世界中の戦争が終り、貧困や人権蹂躙にも終止符が打たれることを祈りながら、新たな決意で来年を迎えたいと思っています。

 

それでは今日一日が、皆様にとって素晴らしい24時間でありますように。

[2022/12/24 イライザ]

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2022年5月22日 (日)

沖縄のシンポジウムも盛り上がりました ――喜納さんの演奏が感動的でした――

沖縄のシンポジウムも盛り上がりました

――喜納さんの演奏が感動的でした――

 

このブログの執筆時間と公開する時間にずれがありますので、昨日は間に合わなかったのですが、東京での「核兵器禁止条約を考える集会」では、最後に「核兵器禁止条約を推進する議員連盟」を作りますと、舩後参議院議員が決意表明をしてくれました。心強い限りです。

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議員会館の集会で、左から喜納さん、舩後議員、秋葉

そして、沖縄での「戦争も核もない世界へ――すべての武器を楽器に」も想像以上に盛り上がりました。沖縄だけではなく、東京からは鳩山元総理がビデオ参加、長崎そして広島からの参加もありましたので、多元的なシンポジウムになり、詳細はまた報告させて頂きますが、私にとって一番感動的だったのは、喜納さんとチャンプルーズ、そして金城吟呼さんの演奏でした。

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一曲目は、『石笛のうた』です。沖縄、広島、長崎の悲劇と魂、そして愛を石笛に乗せて歌った、情緒溢れる曲です。そして二曲目は、『花』でした。二曲とも、涙なしでは聞けないくらいの名演奏で、これを聞けただけでも今回沖縄に来た甲斐がありました。

 [2022/5/22 イライザ]

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2022年3月12日 (土)

5月に沖縄で平和シンポジウムを開きます ――核兵器禁止条約推進の都市ネットワークづくりがテーマです――

5月に沖縄で平和シンポジウムを開きます

――核兵器禁止条約推進の都市ネットワークづくりがテーマです――

 

皆さんは喜納昌吉さんを御存知ですよね。沖縄出身のアーティスト、平和活動家、そして参議院議員も務めたことのある政治家でもあります。世界一なのかアジア一なのか覚えていませんが、とにかく日本の外でもポピュラーな歌「花 すべての人の心に花を」の作詞・作曲もしています。

 「すべての武器を楽器に」というスローガンを掲げて、核なき平和な世界実現のための広範な活動でも有名です。事実、「花」は素晴らしい反戦歌でもあります。

 一番最近御一緒したのは、201939日に沖縄で開かれたシンポジウム、

 沖縄から開こう!

核なき世界の扉

人類の新たなる挑戦“核兵器禁止条約”の実現に向けて

世界最大級・核兵器拠点 OKINAWA からの提言

 でした。こちらがその時のチラシです。

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2019年ですから、まだ核兵器禁止条約が発効していないときです。しかしながら日本政府ははっきりと反対の姿勢を打ち出していました。それに対して喜納さんは、沖縄から声を挙げよう、という積極的なメッセージで答えたのです。

 「核兵器禁止条約」は一部の国の特権を認めず、加盟するすべての国に平等に核兵器の保有や使用を禁止するという画期的なもので、 世界平和に向けての人類の新たな挑戦と言って良いでしょう。ところが残念なことに、唯一の被爆国であり、本来ならば核廃絶へ向けて世界を主導するべき立場であるはずの日本政府は、「 核兵器禁止条約」への参加を拒んでおり、いまや世界の良心の失笑を買っているありさまです。

 私たちは、 日本が当然果たすべきリーダーシップを果たさないのであれば、 過去も現在も核兵器拠点とされてきたこの沖縄が日本に代わって声を上げ、世界のすべての国が「核兵器禁止条約」 に加盟するように国際世論を高めてゆく先頭に立とうと思います。

 核兵器なき世界への扉を、沖縄から、私たちの手で開きましょう!

 自画自賛になりますが、とても濃い内容のシンポジウムで、さらに、都市のネットワークを作って日本政府に迫り、核兵器禁止条約を批准させよう、という話にもなりました。そして、ウクライナでロシアが核兵器を使うぞとの脅しまですることになった今、続編としてのシンポジウムを開いて、沖縄、広島、長崎、そして東京を結ぶ核兵器禁止条約推進のネットワークづくりに拍車を掛けようという流れになりました。

 現在という時点での核政策は沖縄抜きでは語れませんので、三年前のシンポジウムと同じく、5月に那覇市で開くことになりますが、できれば各都市ともネット会議を通じて現地からの参加も募りたいと考えています。

 詳細は来週15日に那覇市で開かれる記者会見で発表されますので再度お知らせしたいと考えています。

 [2022/3/12 イライザ]

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2022年2月24日 (木)

『音楽高校からメロディが消えるまで』 ――感動的なフィクションです――

『音楽高校からメロディが消えるまで』

――感動的なフィクションです――

著者の須磨光氏はビジネスコンサルタントとして意欲的な活躍をされている方ですが、2018年に小説として『誰が音楽高校を潰したのか?』を上梓、広島の音楽関係者に高い評価を受けました。

つい最近、その文庫版が出版されました。『音楽学校からメロディが消えるまで』というタイトルです。文庫版と言っただけでは不十分で、前作と比べて、広島音楽高校の廃校という事実を、極端に言えば突き放す感じでフィクションとしての完成度を高めた好著です。

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著者の音楽と音楽高校への愛に満ちているのですが、それだけに止まらず、生きる意味について真摯に問いかけつつ、人間の持つ限界を踏まえてのユーモアに富む楽しめるフィクションでもあります。

多忙な方には、本書の最後の4ページだけでも読んで頂ければと思います。

前著『誰が音楽高校を潰したのか?』の感想をAmazonに載せて頂きましたので、それも参考にして頂きたく、ここに再掲します。

『誰が名門音楽高校を潰したのか?』は音楽と音楽教育を愛する全ての人に読んで貰いたい好著である。読み易く楽しいだけでなく、人間としてどう音楽や芸術に関わるべきかについても考えさせられる啓蒙書でもある。

本書はフィクションの形を取っているが、舞台が私立の広島音楽高等学校であることに、多くの方が気付かれるのではないだろうか。須磨氏がフィクションの形を採用したのは、一つには、登場人物を傷付けたくないという著者の優しさであり、また本書のテーマには普遍性のあることを強調したかったからではあるまいか。

そのテーマの大前提として、世界には音楽を愛する様々な人たちが存在し、音楽の神髄を若い世代に伝えて行くために多くの大人たちが努力し続けている現実がある。そしてややもすると世間的理解では、「音楽の世界」を構成するのは、音楽を提供する作曲家やパフォーマーとそれを楽しむ聴衆、音楽事務所や演奏会やテレビ番組等の関係者、そして音楽の専門家になりたいと研鑽を続ける若者たちくらいなのだが、本書では、音楽の勉強に打ち込む多感な若者たちを支える「保護者」に焦点を合せた点が特筆に値する。それは著者自身の経験であるとともに、保護者の目を通した音楽教育論であり、学校という組織運営論でもある。また、都市という視点からの文化論でもあり、もっと身近な効用としては、PTA役員のための実戦的マニュアルとしても役立つかもしれない。

音楽高校で学ぶ若者たちの心意気から、音楽を愛する先生方や市民たちの織り成す物語は保護者である著者の魂を揺さぶり、未来への希望となって終末を迎える。それは、「噂」や「風評」も含めて、人間たちの作り出す複雑な絵模様から抜け出して、スッキリとした光に照らされる未来だ。その感動を味わうために一読をお勧めする。

[2022/2/24 イライザ]

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2019年7月19日 (金)

日本のテレビは「いじめ」を助長している ――みんなで声を上げましょう――

イギリスの人気テレビ番組「Britain’s Got Talent (私訳: イギリスの隠れた才能発掘! BGTと略)」は、「いじめ」について、積極的に関わり、「いじめはいけない」「いじめを受けた子どもたち、受けている子どもたちよ、頑張れ」といったメッセージを出し続けています。

それに対して、日本の子どもたちは、日常的にテレビからどんなメッセージを受けているのでしょうか。サイモンと同じように、批判に晒され反省することでテレビ番組の内容が変ることを期待していますが、取り敢えず現状を簡単に見てみましょう。

日本のテレビ番組で、隠れた才能を発掘する目的を掲げているのは、テレビ東京の「カラオケバトル」があります。堺正章が「オウナー」ということで、高校生や中学生、時には小学生までが出場しています。それと、出場者は芸能人ですが、俳句や華、水彩画等の才能を評価する、TBSの「プレバト」くらいでしょうか。

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「プレバト」は私が好きな番組なのですが、それは、番組の大きな枠組みを無視して、純粋に才能の評価が行われている場面に限っての話です。まず、司会の「浜ちゃん」の言動は、テレビなら「いじめ」は許されるのか、と言っても良い暴力性に満ちています。人の頭を殴ることは日常茶飯事、しかも擬音まで使ってそれを強調しています。また、芸能界では「いじる」と表現されるようですが、本当は「いじめる」の短縮形だとしか考えられない言葉の暴力には辟易しています。さらに、さすがに今は減りましたが、俳句の先生である夏井いつきさんを梅沢富男という男が、「ババア」呼ばわりしていたことも、多くの人々の顰蹙を買っていました。

私たち大人なら、このような言動を不愉快だと思い、より大きな世界の判断基準に従って対処することは可能です。でも世界が狭い子どもたちにとって、ましてや、学校で「いじめ」に遭っている子どもの場合、周りの加害者からも先生からも「あれはふざけているだけのこと」と問題にされない場合、このような番組を見せられれば、「おかしいのは自分の方だ」と思い込んでしまうことがあっても不思議ではありません。

「いじめ」が原因で自殺した子どもたちのケースが何度も報道されながら、調査をしたはずの担任が、加害者と傍観者の「あれはふざけていただけ」を鵜呑みにしてしまう背景に、「プレバト」のような番組の、「いじめ」助長とも思われる言動があるとしたら、私たちがもっと声を上げなくてはいけないのではないでしょうか。

「カラオケバトル」では、さすがに子どもの頭を叩いたり、言葉による「いじめ」は見られませんが、それでも、信じられない光景を先日目にしました。

出演者は、北海道の高校に通っている女子高生です。工業系の学校だということで、一クラス約50人の生徒のうち、女子は2人だけだということでした。このような環境に置かれている女子生徒の立場が難しいことは誰でも理解できるはずですが、それでも耳を疑ったのは、この二人の女子生徒に対して、男子生徒は一切話し掛けもしないという事実があることでした。しかもそれは、一種の温かいエピソードとして扱われていて、「カラオケバトルで優勝したら話し掛けて貰えるかもしれない」ことが強調されていたのです。

でも考えてみて下さい。全員が男子だとして、二人だけ全く話し掛けてももらえない生徒がいるとしたら、それはどんな定義を適用したとしても「いじめ」です。でもその二人が女子生徒だと、途端にいじめではなくなってしまうし、学校側でも何の対応もしていないとは、呆れて物が言えません。

BGTとAGTでのサイモンの言動を問題にした人たちは、普通なら「いじめ」でもテレビで同じことをすれば称賛されるのはおかしくないか、と主張しました。それは、「被害」に遭った子どもたちの人権という視点からは当然のことです。日本のテレビ界でも、そろそろ、子どもの人権という視点から番組の内容を考えることをはじめても良いのではないかとも思いますが、皆さんは如何お考えになりますか。

[2019/7/19 イライザ]

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