書籍・雑誌

2024年6月20日 (木)

#コロンブス問題 (その5) ――#板坂元氏の #無知論――

#コロンブス問題 (その5)

――#板坂元氏の #無知論――

240619

進化論とは?

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シリーズはこれで終りです。江崎玲於奈筑波大学学長の1992年の入学式式辞の中のさわりを念のため掲げます。

大学を出るまでには、独立した人間になってもらわなくてはならない。独立の人間とは「自分自身で価値判断のできる英知」を持つ人間である。今後の人類の平和と繁栄という視点から重要なのは、たとえば大学で教えられる固定されたプログラムに「疑問を持ち、あるときは拒否したり、あるいはそれを改善したプログラムを作成するというような努力」の結果、「卓越したプログラムが創造できるような人間」になり、「グローバルな視野でものごとを考え」られることである。

同じ1992年のマスコミの報道について、ハーバード大学の板坂元氏は、社会進化論が根底にあることを指摘しています。彼の著書『老うほどに知恵あり』(PHP研究所、1994年刊)の中の「無知論」から引用しますが、これがどの大学でも良いのですが、その年の入学式の式辞だったら、と思うのは私だけではないでしょう。

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(前略)

極東とは、ヨーロッパが世界の中心で、近等・中東・極東と考えた時代の古臭い言葉だし、やはり一種の差別語だ。キップリングの「東は東、西は西」といった尊大な白人優越主義の考えに裏打ちされた言葉だから、いやしくもアジア人は使うべきではない。世界史という名で欧米の歴史を教えていた時代はもう過去のことになっているのだ。

ただし、テレビのタレントの挙げ足取りをするつもりはない。が、こういう発見という言葉を不用意・無反省に使うことを止すことかゆら日本人の国際化は始まると私は思っている。というわけは、19世紀以来欧米人が頑迷に抱きつづけできた社会進化論を葬り去る時が来ているし、日本人はその喪主の一人になるべきだと考えるからだ。

人類は動植物同様に進化する、と19世紀の学者たちは信じた。そして、最も進化したのが白人、つぎに黄色人種。いちばん進化が遅れているのが黒人、という図式を社会進化論者は描いた。だから、白人は自分たちより劣った人種を指導する責任があると彼らは考える。原住民たちにキリスト教を教え込むべきだ。彼らは、法律も政治も知らないから白人が治めてやらねばならない。経済も無知だから経済活動は白人がやって、彼らには原料と労働力を提供させればよい。こういった意識が十九世紀の帝国主義の根幹になり、白人たちはアフリカ、アジア、南米などに広大な植民地を作った。搾取と収奪は正しいことであり、神から許され励まされる所業であると彼らは信じていた。

そういう思想も政策も、今となっては、誤りであり白人の思い上がりであったことは、南アフリカの例を一つ取ってみてもわかることだ。

だが、私は、帝国主義北判をここでするつもりはない。注意しなければならないのは、白人から劣る人種と見なされた日本人が、明治維新以来、社会進化論の焼き直し版を信じ、アジアの盟主、アジシアの指導者という思想を作り上げ、ミニ帝国主義を実現しょうとしたことだ。「支那四億の盲しいたるたる民を救え」といったスローガンは、朝鮮半島を植民地にしたり、満州国を作ったりという尊大と横暴な愚挙を生み出して行った。それが大東亜共栄圏とか八紘一宇とかいうバブル思考につなが、やがて破算するに至ったことは詳しく述べるまでもない。

(後略)

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もっと多くのマスコミ人や芸能人が、1992年にこの文章を読んでいたら、とも思いますが、まず私たち自身が、もう一度背筋をシャンと伸ばして身を律することから始めるべきなのかもしれません。

 

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2024年6月19日 (水)

#コロンブス問題 (その4) ――#広い視野から #コロンブスを見よう――

#コロンブス問題 (その4)

――#広い視野から #コロンブスを見よう――

240618

「授賞」のイメージ

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シリーズは続きます。江崎玲於奈筑波大学学長の1992年の入学式式辞の中のさびは次の一節です。

大学を出るまでには、独立した人間になってもらわなくてはならない。独立の人間とは「自分自身で価値判断のできる英知」を持つ人間である。今後の人類の平和と繁栄という視点から重要なのは、たとえば大学で教えられる固定されたプログラムに「疑問を持ち、あるときは拒否したり、あるいはそれを改善したプログラムを作成するというような努力」の結果、「卓越したプログラムが創造できるような人間」になり、「グローバルな視野でものごとを考え」られることである。

結論めいた部分に入るのですが、実は次の章のイントロとでも言える一文にしかなりませんでした。とは言え、お読み頂ければ幸いです。

拙著『夜明けを待つ政治の季節に』(1993年、三省堂刊) 298ページから301ページまでの引用です。

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より広い文脈でのコロンブス再発見を

コロンプスの例に関して江崎氏は、重大な(しかし技術的と言って良いだろうと思われる)誤りも犯している。氏は、コロンブスが「地球の円周を過小評価し、一方アジアのひろがりを過大に評価するという重大な誤認」をしたと述べている。その後で、「誤った仮説であろうと」「大胆に試行す」べきだと新入生に薦めている。だが、コロンブスは誤った仮説」』に基づいて行動したのではない。その時点では、真実なのか誤りなのか分らないが、おそらくそうであろうと彼が信じた仮説に従って行動したのである。しかも、コロンブスは当時の最先端の科学技術知識の持ち主であった。その知識に照らしての判断だったと考えて良いだろう。五〇〇年後の世界に住む私たちは、結果として彼の信念が、そして仮説が誤りであったことを知っている。しかし、航海を始めた時点では、そしてアメリカに到達した時点でもコロンブスにはその認識がなかったのである。その仮説を「誤った仮説」と捉えることは、時間という要素を無視しないと成り立たない上、仮説を基に行動すべきかどうか迷っている人の役には立たない。

となると、江崎氏の「誤った仮説であろうと」「大胆な試行」をすべきだというアドバイスの意味を考え直しておく必要がある。コロンブスと同じ立場からち考えれば、自分の信念に自信をもって実行すべきだということだろうし、江崎発言の「誤った」を善意に、「結果として誤り」と解釈すれば、結果として誤りであると判定されるかもしれないが、仮説あるいは前提が正しいかどうかはあまり気にせずに、信念に従ってまず実行することが大切だという意味になる。

もう一点、技術的な指摘を加えでおぉおくと、江崎演説の文脈では「仮説」という言葉より用語としては「前提」が適切なのではあるまいか。それは、コロンプスの目的が彼の「仮説」を証明することより、もっと世俗的な金銀財宝を手に入れることにあったからちである。利益を得るための大前提として、コロンブスは地球が丸いことを信じた。次に、技術的な説得の根換として、つまりより小さな前提として、東洋に至る距離を示し、航海のための資金を得たのである。

確かに、コロンブスの小前提は誤りだった。しかし、コロンブスの航海を「成功例」と考えるなら、成功の第一原因は大前提にあったと考えるのが自然である。地球が丸ければ、仮にコロンブスが「失敗」したとしても、第二、第三のコロンブスが現れて、遅かれ早かれアメリカに到達したと考えられるからである。もっとも、誰よりも早くアメリカに到達することが何より優先されなくてはならないと考える立場を取れば(その場合、全ての「競争者」は大前提を受け入れているという別の前提を設けるのが自然だから)、当然、小前提が大切になる。江崎氏は、この立場から発言したのかも知れない。

これは、江崎氏が次に「報酬」を持ちだしていることからもはっきりする。江崎氏が、コロンブスを役割モデザル、すなわち大学生のお手本として評価し薦めているのは、その結果として、後に続く人が「大いなる報酬を得」るからである。「大胆にいろいろな試行をしてみることがなんらかの報酬を得るという教訓にはなるだろう」と、いわば、セールスポイントにしているのである。もちろん「報酬」にはいろいろな可能性がある。

江崎氏の言う「報酬」が、コロンプスの「発見」に続いて起ったアメリカの侵略とアメリカ先住民族の文化文明の破壊を意味しているのなら、それこそ言語道断である。となると、周知のように、コロンブスの航海の目的が東洋の金銀財宝に代表される物質約な利益にあったこと、またその後の彼に対する評価にも照らして考えると、江崎氏は「報酬」という言葉で物質的な報酬あるいは世俗的な名誉を指しているのかも知れない。もしそうなら、「痩せたソクラテスにはなっても、太った豚にはなるな」と諭した、元東大学長の大河内一男氏と正反対のアドバイスになってしまう。江崎氏がそんな不見識なことを言うはずがない、という意味で「善意」に解釈すると、おそらく江崎氏の「報酬」は、アメリカ到達あるいは「新大陸発見」そのもの、科学の分野で言えばノーベル賞に値するような「新発見」そのものを指しているとしか思えない。この前所の下に議論を進めると、すぐ気が付くことは、「報酬」にも、そしてその具体的な内容である「新発見」にも肯定的な価値・意味があり、それは前にも述べたように西欧の白人の見方なのである。

江崎氏は、コロンブスという、特に今年は彼を取り巻いて様々な議論が行われている歴史的人物をお手本として取り上げ、コロンプスの持つ幅広い「意味」を全て捨象した上で、ノーベル賞獲得競争、挫え目に表現して科学者の業績競争という限られた文脈における意味だけを取り出して、西欧的歴史観を基に新入生へのアドバイスを行っている。ここで一言念のために付け加えておくと、私には江崎氏に悪意があったとは到底考えられない。日本の科学のレベルを上げ、ノーベル賞受賞者数を増やすため、懸命にアドバイスしている氏の声が聞えるような気さえする。

だが、科学の研究さえも教育や社会と切り放せないこと、仮にノーベル賞受賞の数が増えることが良いことだとしても (私は必ずしもそうは思わない。しかし、より重要な改革を行った結果として受賞者数が増えることは十分考えられる)、日本の社会を本質的に変えることがが私こはより本質的な問題だと思えるのである。

現在の世界が直面している大問題、たとえば、人口の爆発的増加も合めた環境の問題、南北間の格差の問題等は、「科学」あるいは「学問」対象を人工的に狭めた結果、長い間見過ごされてきたものがほとんどなのである。コロンブスの喩になぞらえれば、コロンプスの歴史的社会的な意味を無視し、「科学的」な部分だけに焦点を合わせた結果なのである。その反省として当然強調されなくてはならないのは、これまでの人為的な枠を外してより広い問題の把握を行うこと、すなわち、コロンブスの全体像を複数の視点から新たな枠組の中で問題にすることに他ならない。

江崎メッセージでは、現在の日本社会にとって大切なのは、まず視点を狭めた上で、コロンブスのように、前提の真偽にかかわらず大胆に行動することになる。私の違和感は、正にここにある。私の観察では、現在の日本社会が直面している大さきな問題のーつは、私たちの行動の前提に対して厳しい吟味を加えないこと、そして無批判に長いものに巻かれてしまうことであり、仮に前提が誤りだと分っていても、あるいは、それより相対的に良い選択があるにもかかわらず、そうした理性によるる判断は無視して、ことが進んでしまう現実である。具体例を挙げるスペースがなくなってしまった。この点については私の提言と共に次項で取り上げたい。

(925)

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次回は、『老うほどに知恵あり』(PHP研究所、1994年刊)の中の「無知論」から、短い引用を掲載します。キーワードは「社会進化論」、英語では「Social Darwinism」です。

 

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[2024/6/19  人間イライザ]

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2024年6月18日 (火)

#コロンブス問題 (その3) ――#江崎玲於奈学長 #式辞の問題点――

#コロンブス問題 (その3)

――#江崎玲於奈学長 #式辞の問題点――

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板坂元著『老うほどに知恵あり』と藤永茂著『アメリカ・インディアン悲史』

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江崎玲於奈筑波大学学長の1992年の入学式式辞の中のさわりは次の一節です。

大学を出るまでには、独立した人間になってもらわなくてはならない。独立の人間とは「自分自身で価値判断のできる英知」を持つ人間である。今後の人類の平和と繁栄という視点から重要なのは、たとえば大学で教えられる固定されたプログラムに「疑問を持ち、あるときは拒否したり、あるいはそれを改善したプログラムを作成するというような努力」の結果、「卓越したプログラムが創造できるような人間」になり、「グローバルな視野でものごとを考え」られることである。

ここで問題にしたいのは、1992年という時点で、コロンブスを取り上げたこと、そしてコロンブスについての評価は、江崎学長が理想として掲げた「独立した人間」という尺度で測るとどう見えるのかということです。

つまり、「新大陸発見」という大事を成し遂げたコロンブスに倣えということは、グローバルな視野から物事を考え、固定概念に疑問を持ち、拒否したり改善したりしながら、新たなプログラムを創造することになるのでしょうか。

拙著『夜明けを待つ政治の季節に』(1993年、三省堂刊)からの引用です。

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何故コロンブスなのか

私が違和感を持ったのは、主に二つの部分についてである。一つは、人間をコンピュータに引き比べて論じている点である。この点については、雑誌『世界』(19924月号)に掲載されたジョセフ・ワイゼンバウムMIT名誉教授の「イデオロギーとしての人工知能」を参照して頂くことにして割愛する。もう一つは、コロンブスである。

この二つを除くと、江崎演説は大学の入学式の学長挨拶として、氏が目標としている「楽しく出席できる」ほど魅力のある演説だとは思えないが、それは別次元の話で、特に批判すべき理由はない。しかし、コロンブスを無批判に、現在の日本の大学生のお手本として持ち出して来たことで、「自分自身で価値判断のできる英知」を持ち、「疑問を持ち、あるときは拒否したり、あるいはそれを改善」して「グローバルな視野でものごとを考え」られる人間になることが望ましい、というメッセージが別の物になってしまったのである。すなわち、アメリカで言行の不一致を指摘する場合の定型表現である”Do As I say, and not what I do.”日本語に訳すと、「私の言う通りにしなさい。しかし、私の行動を真似ては駄目ですよ」というものである。さらに、コロンブスの例の引き方にも大きな問題があり、結局、江崎演説が現時点での日本の大学生に対するアドバイスとして適切がどうか、疑問を感ぜざるを得ないのである。

江崎氏も指摘しているように、今年はコロンブスの「新大陸発見」後五〇〇年の一つの範目の年である。だが、「グローバルな視野でものごとを考える」のであれば、コロンブスを取り上げるに際して、当然、南北アメリカの先住民の立場を無視するわけには行かないはずである。その立場からは、「新大陸の発見」という言葉、そして考え方には大きな疑問符が付く。「新大陸」そして「発見」はあくまでも西欧の白人たちの視点からの言葉であり、考え方である。当時のアメリカに住んでいた人々の人権も所有権も全て無視した上で、唯一の価値ある「人間」として自分たち西欧の白色人種を規定した言葉である。

このような考え方に対して、通称「アメリカ・インディアン」、最近はアメリカ先住民(英語で

Native American)と呼ばれる人々が長い間異議を唱えてきた。しかも異議を唱える人の数は増えている。アメリカ合州国だけに話を限っても、一九六〇年代の公民権運動に端を発して、少数派に属する人々の権利の回復がここ二、三〇年の大きな社会運動になってきている。WASPつまり白人でアングロ・サクソン系の血筋を引き、キリスト教の中でも新教を信ずる人々の価値観や立場だけを正統的なものだと認める暗黙の前提が洗い直されて来たのである。もう少し大きく括ると西欧の白人ということになるが、彼ら/彼女らの立場、視点から世界を見た世界史を唯一の「世界|史」だと考える歴史観に対する異義の申し立てが行われてきたのである。

ハリウッドでさえ、主役の善人である白人のカウボーイや騎兵隊が、悪者「インディアン」を懲らす「勧善懲悪』映画は、もはや作らなくなっている。ヤクザの視点からの勧善懲悪映画や、何百年も前の価値観に疑問答さえも付けない男尊女卑、お上が常に善を代表する時代劇が未だに大手を振っている日本と好い対照である。

歴史の教科害におけるアメリカ先住民の記述もここ二十年でかなり改善された。たとえば、「アメリカ・インディアン」という言葉自体アメリカをインドだと誤認したコロンブス時代の残滓であり、一方的な価値観を代表する用語であるとの認識に基づいて、「アメリカ先住民」という用語が市民権を得ている。大学の一般教養で教えられる世界史やアメリカ史も、西欧偏重・WASP偏重を改めるための全学的な委員会を作った上で、カリキュラムの再検討をしたところが多い(参考までに報告しておくと、最近ではギリシャ・ローマの時代も含めて、世界の歴史における黒人の貢献が軽視されているという問題提起があり、アメリカの教育界はこの問題に取り組んでいる)。コロンブスのアメリカ到着以来五OO年経った今年の記念行事にしても「新大陸発見」という言葉はもちろん、このような歴史の考え方を何の反省もなく表面に出す種類のものは少なくなっている。

こうした反省が行われている最大の理由は、コロンブスの「-「新大陸発見」さらにその後の南北アメリカへのヨーロッパからの植民が、圧倒的な軍事力を背景にした侵略であり、豊かな社会と文化を完膚なきまでに破壊し尽した歴史的事実がより広く知られてきたことである。インカやアズテック文明を激亡させ、「北米インディアン」文明も消滅させた大きな罪に対する悔悟の気持が人類に芽生えてきたからである。遅きに失したとは言え、コロンブスの侵略以来五〇〇年経って、ようやく歴史的真実に世界が目を見開き始めたからである(コロンブスの「新大陸発見」がいかに残虐な侵略と略奪であったか、またその後の植民政策の具体的な罪悪については、最近多くの書物が著されているが、たとえば、ハワード・ジン著による『民衆のアメリカ史』(TBSブリタニカ刊)や藤永茂著「『アメリカ・インディアン悲史』(朝日選書)、トーマス・バパバージャー著『コロンブスが来てから』(朝日選書)を参照して頂きたい)

これまで世界の至る所で編纂された様々なレベルの「歴史」はほとんどの場合、勝者の歴史であり、勝者は自分たちの行為を正当化するため臆面もなく事実を曲げ真実を隠してきた。あるいは、敗者の側の視点や価値観は無視され、その存在さえも意味のないものと見なされたのであった。「新大陸の発見」という言葉は正にそういったっ歴史」を記述するための言葉である。

白人中心、ヨーロッパ中心、男性中心、キリスト教中心のこうした考え方が、西欧化された国々では正統な考え方として、「固定されたプログラム」の重要な一部として教えられてきた。当然、日本もその例外ではなかった。だが今、世界で起っているのは、このような「勝者」の歴史、「勝者」の論理に対して、「疑問を持ち、あるときは拒否したり、あるいはそれを改善したプログラム本を作成する」ことなのである。その結果、ただ単に力を背景にした歴史だけでなく、先住民の立場から歴史を見直し、未来を考えることが現在の私たちに必要不可欠であることが分ってきたのである。このような理解こそ「自分自身で価値判断のできる英知」なのである。

現代アメリカ社会の中で知的エリートの一員として生活してきた江崎氏が、このような複眼的コロンブス評価を知らないはずがない。自らのアドバイスを無視しただけでなく、科学や技術と社会や政治の動きとの関係がますます重要視されている今、コロンブスを一つの例として挙げるにしろ、なぜ、より広い立場から若者たちへのアドバイスを考えようとしなかったのか私には理解できない。

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コロンブスの「新大陸発見」後500年の年に、このような感じ方をしたのは私だけではなく、ハーバード大学で長い間教鞭を執った板坂元先生も、当時のマスコミに対して軽妙洒脱、同時に寸鉄人を刺す一文をものされています。

全文をお読み頂きたいのですが、『老うほどに知恵あり』(PHP研究所、1994年刊)の中の「無知論」です。次回、短い引用を掲載しますが、キーワードは「社会進化論」、英語では「Social Darwinism」です。

 

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[2024/6/18  人間イライザ]

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2024年3月 2日 (土)

#定説でも #憲法99条 は #法的義務 ではない ――#法の支配 は #空文化 されているのでは?――

#定説でも #憲法99 #法的義務 ではない

――#法の支配 #空文化 されているのでは?――

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#三つの学説 が #分り易く #解説されています

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前回、皮肉交じりに批判したのは、「国家の公権力を行使する者」が、法律の厳しい監視の目に晒されているどころか、超法規的存在として扱われている事実です。私たちが社会や政治を考える上での大前提としての枠組みである「法の支配」から大きく逸脱しているのですが、それに対する批判がほとんどないことも問題です。

それは、わが国を覆う空気のような雰囲気として、「お上」とか、「偉いさん」、「先生」という範疇に入る人たちが特別扱いをされる価値観のあることなのではないかと思います。そんな特別扱いを「当たり前」と考えるのならまだ救いはあると思うのですが、それ以前の「given」として、空気と同じように何も考えずにその中で生活し、何の違和感も持たずに、それを前提として物事を考えてしまっているのではないでしょうか。

その典型的な例として、憲法99条の「憲法遵守義務」が法的義務ではないという、裁判所の確定判決を挙げましたが、今回は、憲法の専門家たちの間でも、「憲法遵守義務」は法的義務ではないことになっているという空恐ろしい事実を報告します。

詳しくは『数学書として憲法を読む――前広島市長の憲法・天皇論――』の第六章をお読み頂きたいのですが、ここでは簡単に要点だけを挙げておきます。

表紙の写真を最初にお示ししましたが、星野安三郎・小林孝輔著の『口語憲法(追補版)』の308ページから310ページの要約です。以下『星野』と略しますが、そこでは、99条の法的性質についての三つの学説を紹介しています。

  1. 一つは、「法的義務ではなく道徳的要請」であるというものです。
  2. 二つ目は、「積極的に憲法を尊重擁護する作為については道徳的義務ないし政治的義務に過ぎないが、最小限憲法破壊は行わないという不作為義務は法的義務とする」。
  3. 三つ目は、「抵抗権が実定法に制度化されているという前提に立ち、違憲の立法、司法、行政に対しそれぞれの公務員は抵抗し、あるいは違憲の職務命令に対し抵抗すべき職責の義務規定が99条であるとする。当該義務は、最高法規たる憲法を根拠とし直接法的効力を有するから、法律レベルでこの趣旨は覆せないとする」

どれを取っても、素直に「憲法遵守義務」が法的義務だ、とは言ってないのです。それどころか、何とか理屈を付けて、「法的義務ではない」ことを正当化しているようにさえ読めてしまうのですが、これは私だけの思い込みでしょうか。

この三説についての批判は、ここでは割愛しますが、(3)については、「モリ・カケ・サクラ」事件での公権力行使者による改竄との関連は見過ごす訳には行きませんし、この三説の致命的欠陥の一つである、「天皇の憲法遵守義務」との関連も私たちが考えなくてはならない重要な点です。

[続きます]

 

2024年も健康に留意しつつ、少しでも良い年にすべく頑張りましょう。

[2024/3/2 人間イライザ]

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2024年2月29日 (木)

#加藤友三郎 #英文冊子 #完成記者会見 を #中国新聞が記事に してくれました ――友三郎を理解する人の輪が広まります――

 #加藤友三郎 #英文冊子 #完成記者会見 #中国新聞が記事に してくれました

――友三郎を理解する人の輪が広まります――

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16日の記者会見の様子を上手くとまとめてくれました

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このブログの主要テーマの一つ、加藤友三郎については、機会のある度に取り上げています。

昨年8月26日に開いた、友三郎の没後100年記念シンポジウムの記録を英語で残すための記録が完成した後、報告とPRのための記者会見を16日に広島市の市政記者クラブで開きました。

28日には、その様子を簡潔にかつ分り易くまとめて、和多正憲記者が記事にしてくれました。

そして朝から、冊子が欲しい旨のメールを約10通頂きました。英語のサークルで読みたい、自分の専門分野の参考にしたい等、前向きのメッセージも一緒に添えられていましたので、友三郎について、これらの方々を通じてより多くの皆さんに伝わることになると思います。

なお、友三郎については、シンポジウムのホームページに追加情報が掲載してありますし、シンポジウムのYouTube動画もその中からアクセスできます。御覧頂けたらと思います。

 

2024年も健康に留意しつつ、少しでも良い年にすべく頑張りましょう。

[2024/2/29 人間イライザ]

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2024年2月26日 (月)

#憲法98条 から #導かれる 重要な #定理 ――#現行憲法 #以上に #優先される #法はない――

#憲法98 から #導かれる 重要な #定理

――#現行憲法 #以上に #優先される  #法はない――

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こちらも分り易い憲法書です

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本題に戻って、『数学書として憲法を読む』改訂のための作業を続けます。

まず、訂正です。23日には、「メタ条項が三つある」ということを書きましたが、良く見直すと四つです。もう一つは96条、憲法改正についての条項です。

96この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。
2 憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。

上諭と前文についても一言付け加えておきましょう。上諭は「メタ」に属しますし、前文の前半は「メタ」、後半はそれ以降に憲法で詳述される内容についての決意ですので、「メタ」には属さない、と考えられます。

この通り、老化現象も加わり、かつ私自身まだ実験的に考察・記述を続けていますので、これ以外にも私の主張や論述に間違いや反論等があれば、是非御教示下さい。宜しくお願いします。

さて98条です。再度条文を掲げておきます。

98条 この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。

2 日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。

「最高法規」という規定の重さは、この条文から論理的に導かれるいくつかの結論を見れば明らかなのですが、個々の「証明」は同じ形を取りますので、最初に一つの「定理」としてまとめておきます。98条から導かれる定理ということで、[定理98]と名付けておきます。ただし、これは、九大律の内の8番目の「自己完結律」と同じことです。重要性に鑑み、二つの名称があっても良いでしょう。

[定理98・自己完結定理(九大律の8番目である自己完結律)] 憲法を読むに当り、(普通の言葉を使えば)その解釈のために、他の法律や文書を根拠にしてはいけない。

[証明] 98条の規定している「最高法規」とは、我が国を縛っている法体系の中で、憲法による縛りが他の縛りより優先されることを意味する。その解釈に、仮に憲法に反する文書Aという根拠を持ち出すと、その文書Aは、憲法に反するにもかかわらず、その力が認められ、憲法より優先されるという結論になる。それこそ正に憲法98条により禁止されていることである。ここで、98条中の言葉「反する」は、広義には「異なる」 (新潮国語辞典、集英社国語辞典等) を意味するので、それに従った。Q.E.D.

再度、訂正です。2月21日のこのブログでは、この八番目の律を抜かしていました。つまり「定理98」から導かれる律は五つあります。ということは、九大律として九つの命題を前提として読む、という方針を貫くには、四大律あれば良く、論理的には他の律は必要ないということになります。

ただし、そもそも98条の「最高法規」の意味を曲げる「へそ曲り」が出て来ないとも限りませんので、念のため、②の「素読律」は強調のために残しておきましょう。

その上で、98条から導かれる、九大律の内の残りの四つの律の証明です。四つとは、(1) の[正文律]、 (2) の[素読律]、 (3) の[一意律]、そして (5) の[論理律]が憲法98条の「最高法規」という位置付けから、導き出されるからです。

[正文定理 (九大律の①正文律)] 「憲法」として読む対象は、1946113日に公布され、194753日に施行された(日本語の)日本国憲法である。

 [証明] 定理98から自明。そもそも、公布されたのは日本語の憲法なので、わざわざ断るまでもないのだが、問題は、憲法解釈に当って、英文で書かれた憲法が憲法解釈を左右するといった主張が行われてきたことだ。念のため「定理98」を繰り返す形で、日本語が正文である理由を述べておく。仮に、憲法の英文訳を「憲法」として読むことにすると、英文と日本語の二つの「憲法」が存在することになる。しかし、日本語の方が「最高法規」であり、それとは違う内容を持つもう一つの憲法があるとすると、それは、元の憲法に反するものになり、効力は持たないからだ。Q.E.D.

長くなりますので、次回に続きます。

 

2024年も健康に留意しつつ、少しでも良い年にすべく頑張りましょう。

[2024/2/26 人間イライザ]

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2024年2月24日 (土)

#日本国憲法 の #メタ条項 の #優先性 ――#憲法全体 の #持つ力 を #生かそう――

#日本国憲法 #メタ条項 #優先性

――#憲法全体 #持つ力 #生かそう――

240223-99

#六法全書 では #義務を否定

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『数学書として憲法を読む――前広島市長の憲法・天皇論――』を改訂するための準備として、出版後に気付いた重要な点をまとめています。その中でも、特に98条を優先すべきだと強調しています。でも実は、98条を含む「メタ条項」が重要なのです。「メタ条項」の意味は前回の説明でお分り頂いたとして、今回はこれら「メタ条項」が重要な訳を簡単にまとめておきましょう。

その重要性・優先性を理解するためには、まず、憲法全体の姿を大雑把でも描いておかなくてはなりません。幸いなことに、憲法「のみ」を読み込むことで、つまり憲法内の言葉だけに依存して、我が国の歴史をどう総括し反省し、これからどのような国を目指すのかについてはハッキリ分ります。

特に、97条については前文と97条とで繰り返し同じことを述べ、かついくつもの条文にその具体的な応用が描かれているのですから、その重要性については言うまでもありません。これが憲法の目的であり、憲法が必要不可欠であるということの証明だと言っても良いでしょう。

そして、「押し付け憲法だから改正せよ」という声に対する答にもなっています。仮に押し付けられていたとしても、そこが問題なのではありません。押し付けられたもの自体は、基本的人権は「人類普遍の原理」なのです。さらに97条では、「侵すことのできない永久の権利として信託された」ことが述べられています。「信託」したのは、「人類」です。しかも過去・現在の人類からという含意は明白でしょう。

もしこれを「押し付け」だと感じるのであれば、それは押し付けられたと主張している側が、人類の一員ではないことを「語るに落ちて」いるのです。

次に、憲法が法律的には国内の最高の法律であるという98条ですが、それは、憲法の定義と役割から当然のことです。つまり、一国内に存在する様々な事柄の処理に当って、全ての法律がそれに従うような基本的な存在としての法律を作っておかないと大きな混乱が生じます。その基本法が憲法であるという憲法そのものの定義によるものだということです。これは当然ですし、この点についての少々の妥協でも許してしまえば、憲法存在の意義がなくなってしまいます。

最後に99条は、公務員の憲法遵守義務を規定していますが、それは前文の「その権力は国民の代表者がこれを行使し」に呼応しています。そして、義務遂行者の筆頭が天皇であるのは、これまでの我が国の歴史の反省を踏まえて、新憲法では再び、明治憲法下と同じ過ちを繰り返さないように、という警告でもあります。

これら三つの条項を並べて見ると、随分強力な布陣であることも一目瞭然です。9条や36条等、個々の条文に注目して憲法の力を活用することは勿論大拙なのですが、憲法全体の力を上手く使う知恵も育てて行くことも大切なのではないかと考えています。

残念なことに、99条は「法的義務」ではない、というのが法曹界の定説になってしまっているようです。六法全書の注釈にもその点が記述されているほどなのですが、これが問題であることは、『数学書として憲法を読む――前広島市長の憲法・天皇論――』に詳述してありますので、御参照下さい。

ことによると、「今すぐここで読みたい」とお感じの方もいらっしゃるかもしれません。これでにブログでも取り上げてきたサイトをリストしておきますので、クリックして頂ければ幸いです。

[99条について] 2021年10月26日から、5回にわたって、取り上げています。

第2回は2021年の11月6日

第3回は2021年11月11日。

第4回は2021年11月16日。

第5回は、2021年11月21日

 

これに続いて、98条の「最高法規」についての考察もシリーズでアップしています。

第1回は2021年12月6日です。

第2回は2021年12月11日

第3回は2021年12月16日。

第4回は2021年12月21日。

第3回と第4回の内容は、これからアップすることとかなりの部分重複しますが、改訂版の準備という視点から、少しでも分り易い説明に改善したものをお届けしたいと考えています。

 

2024年も健康に留意しつつ、少しでも良い年にすべく頑張りましょう。

[2024/2/24 人間イライザ]

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2024年2月20日 (火)

#数学書として憲法を読む とは ――#読む上での #前提 を #九大律 としてまとめました――

#数学書として憲法を読む とは

――#読む上での  #前提 #九大律 としてまとめました――

240219

分り易い憲法書の一つ

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『数学書として憲法を読む――前広島市長の憲法・天皇論――』の出版後に気付いたことの内、やはり98条の偉大さに勝るものは少ないような気がしています。それは、「数学書として読む」こと自体にも関係していますので、まずは出発点からお浚いです。

通常、私たちが文章を読む上での基本は、字義通り、素直に読むことですが、特に、「数学書」として読む場合には、言葉の定義をきちんと確かめること、その上で、論理的に読むことを強調しています。

『数学書として憲法を読む――前広島市長の憲法・天皇論――』(以下、『数学書』と略します)の読み方は、その延長線上で、憲法の条文を数学における「公理」と見立てた上での読む試みです。もちろん本来の公理系は「何の矛盾も存在しない文書」を指すますが、憲法内には矛盾があります。「論理性」という面では完璧とは言えない文書である憲法を、できるだけ「論理的」に読むために、自らに課すいくつかのルールを「律」、全体を、語呂の良さから「九大律」と呼んでまとめておきました。

  1. [正文律] 対象とする日本国憲法の正文は日本語とする。
  2. [素読律] 書かれていることを字義通り素直に読む。定義される順序に意味のある場合にはそれも尊重する。
  3. [一意律] 一つの単語、フレーズは、憲法の中では同じ意味を持つと仮定する。
  4. [公理律] 憲法を「公理」の集合として扱う。
  5. [論理律] 憲法解釈は論理的に行う。法律やそれに準ずるものは、公理からの論理的帰結であると位置付け、論理的に考えて憲法と整合性があるかどうかの判断をする。
  6. [無矛盾律] 条文間には矛盾がないという前提で読み、解釈を行う。
  7. [矛盾解消律] とは言っても現実問題として、憲法内には文言上、一見、矛盾している記述が存在する。条文間の矛盾や使われている概念間の矛盾について、「論理的」で憲法の趣旨が生きるような、かつ出来るだけ無理のないしかも説得力のある解釈を探し、可能であれば「矛盾」を解消する。最低限、「矛盾度」が低くなるように読む。
  8. [自己完結律] 憲法は、基本的には自己完結的な文書であると仮定する。つまり、書かれていることにはすべて意味があると仮定し、書かれていないことには依存しない。また、立法趣旨等も条文に掲げられていないものは無視する。
  9. [常識律] 定義されていない言葉や概念が使われている場合は、日本語の常識で解釈する。それもできるだけ自然な解釈による。

一つ一つの説明は必要ないかもしれませんが、次回は、(1)と(2)から始めて、念のために別の言い方で、それぞれの意味を共有したいと思います。

今回もう一つ、数学書を読む上で、あるいはそれ以前の数学的なことを表現する上で役に立つ手法を紹介しておきます。それは、「abuse of language」という寛容的な表現法です。論理的に、そして数学的にきっちりと表現し続けると、言葉の数が多くなり過ぎてその論理を追うことが煩雑になり過ぎ、結局理解度が落ちる場合が結構あるのです。

そんな時に、「言葉の濫用」を許して、論理的には問題があることを前提としつつ、最終的な理解度を高める方法です。「好い加減に読む」こととの違いは、「濫用」であることを意識して、その背後にある論理は尊重しながら、煩雑さを避けるという便法です。

[続きます] 

 

2024年も健康に留意しつつ、少しでも良い年にすべく頑張りましょう。

[2024/2/20 人間イライザ]

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2024年2月 5日 (月)

#おかしな #憲法解釈 の #実例 ――#憲法 を #守る義務 はない?――

#おかしな #憲法解釈 #実例

――#憲法 #守る義務 はない?――

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『数学書として憲法を読む――前広島市長の憲法・天皇論――』

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「100円のトマトに200円払え」と言われたら腹が立ちますよね。昨日は、それに続いて、

「でも、日本国憲法の読み方については、論理的に言うと、皆さんはこれと同じような解釈の仕方を強制されているのです。」

と挑発的なことを書きました。

その実例を挙げておきましょう。まずは、見出しを掲げて、説明は後に続きます。

① 公務員が憲法を守るのは「義務」であると、憲法には書いてあるのですが、裁判所の確定判決では、「義務ではない」ことになっています。

② 多くの皆さんは、死刑が合憲だと考えていると思いますが、憲法のいくつかの条項からの論理的な帰結は、憲法は死刑を認めていないということです。

この結論は、憲法を素直に読めば誰にでも分ることなのですが、「素直」というのが意外に難しいようです。それを説明するのが、『数学書として憲法を読む』の目的でした。

とは言え、一冊の本を読むとなるとそれなりの抵抗もありますので、もう少し短い説明を何ヶ所かに書かせて貰いました。今回は『数学文化』という楽しい雑誌の37号(2022年3月発行)に掲載して頂いた中から、関連のある個所を抜き書きします。

 

憲法99条 憲法遵守義務

まず、憲法の条文の中でも特に重要な99条を取り上げます。

 

憲法99条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ 

 

(以下、「天皇又は摂政」を「天皇」、そして「国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員」は「公務員」と略す。)

「義務を負ふ」のですから、これは「義務」についての規定です。にもかかわらず、憲法についての通説・定説・裁判所の確定判決では、「憲法遵守義務」は「義務」ではないのです。

それは、99条の解釈についての確定した判決があるからです。百里基地についての訴訟が水戸地方裁判所に起こされ、その第一審の判決は1977年に言い渡されました。その中で、99条は「憲法遵守・擁護義務を明示しているが、これは、道義的な要請であり」と断定されているのです。また1981年の東京高等裁判所における控訴審の判決では、99条は「憲法を尊重し擁護すべき旨を宣明したにすぎない」のです。

それに輪を掛けて深刻なのはその根拠です。「国家の公権力を行使する者が憲法を遵守して国政を行うべきことは、当然の要請であるから、本条の定める公務員の義務は、いわば、倫理的な性格のもの」(高裁判決)だからなのです。

こんな理屈が通るのなら、「憲法遵守義務」の代りに「納税の義務」、「国家の公権力を行使する者」の代りに「国民」を使えば、30条の「納税の義務」は倫理的な性格のものになり、私たちには納税の義務がなくなるではありませんか。さらに、義務を課されている裁判官が、その義務は法的義務ではなく道徳的要請だと判断すること自体、裁判で被告が判決を下すのと同じくらい非論理的です。

[続きます]

 

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[2024/2/5 人間イライザ]

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2024年2月 4日 (日)

#定価100円 の トマトに #200円払え と #言われたら ――#おかしいと思った人 は #憲法を読み直しましょう――

#定価100 トマトに #200円払え  #言われたら

――#おかしいと思った人 #憲法を読み直しましょう――

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 慣れてしまうと飛んでもないことでも「当たり前」になってしまいます

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トマトと憲法とは無関係のように見えますが、頭の体操として、ちょっとお付き合い下さい。

スーパーで買い物をしたと考えて見て下さい。トマトに、2個100円という値札が付いているので、それを買う積りでレジに行ったとします。そこで、「いや、このスーパーでは、『100円』と書いてあっても、それは『200円』という意味ですので、200円払って下さい」と言われたら、皆さん怒りますよね。

でも、日本国憲法の読み方については、論理的に言うと、皆さんはこれと同じような解釈の仕方を強制されているのです。

それを、ごく当たり前に、「100円は100円と読む」というのが、憲法を「数学書として読む」ことの意味なのです。

その点を丁寧に説明するために、もうそろそろ5年前になってしまいましたが、2019年の7月に、法政大学出版局から『数学書として憲法を読む――前広島市長の憲法・天皇論――』を出して頂きました。

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数学と聞いただけで拒否反応を示す人も多くいることは知っていますが、それと憲法が合わさるのですから、「猫も杓子も」競って読んで頂けるとは思っていませんでした。でも、100円のトマトに200円払って当然だという考え方が社会を覆い尽くしているのですから、何とかしなくてはなりません。

まずは、私の考え方をできるだけ多くの人に知って貰うにはどうすれば良いのか?少しでも分り易い説明をすれば、読んでみようという方が増えるかもしれないとも考えました。

例えば、手弁当で全国を巡って、何人かの方に集まって頂けるところで、この本についての「分り易い」お話をしたら、というアイデアが浮かびました。そして実行寸前まで準備を進めていました。

ところが、コロナの蔓延で動くこともままならぬ事態に陥りました。

それでも憲法を素直に読む必要性についてはずっと考え続けてきました。その結果をいくつか御披露したいのですが、まずは、旧版の(と言ってもまだ新版が出た訳ではないので、おかしな言い方なのですが、強調のための誇張です――英語では、「abuse of language」と言います)、サワリをお浚いしておきましょう。

以下シリーズで、「100円のトマトはに100円払えば良い」が当たり前のことになるよう、分り易い解説を、して行きたいと思います。

2024年も健康に留意しつつ、少しでも良い年にすべく頑張りましょう。

[2024/2/4 人間イライザ]

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