書籍・雑誌

2024年3月 2日 (土)

#定説でも #憲法99条 は #法的義務 ではない ――#法の支配 は #空文化 されているのでは?――

#定説でも #憲法99 #法的義務 ではない

――#法の支配 #空文化 されているのでは?――

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#三つの学説 が #分り易く #解説されています

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前回、皮肉交じりに批判したのは、「国家の公権力を行使する者」が、法律の厳しい監視の目に晒されているどころか、超法規的存在として扱われている事実です。私たちが社会や政治を考える上での大前提としての枠組みである「法の支配」から大きく逸脱しているのですが、それに対する批判がほとんどないことも問題です。

それは、わが国を覆う空気のような雰囲気として、「お上」とか、「偉いさん」、「先生」という範疇に入る人たちが特別扱いをされる価値観のあることなのではないかと思います。そんな特別扱いを「当たり前」と考えるのならまだ救いはあると思うのですが、それ以前の「given」として、空気と同じように何も考えずにその中で生活し、何の違和感も持たずに、それを前提として物事を考えてしまっているのではないでしょうか。

その典型的な例として、憲法99条の「憲法遵守義務」が法的義務ではないという、裁判所の確定判決を挙げましたが、今回は、憲法の専門家たちの間でも、「憲法遵守義務」は法的義務ではないことになっているという空恐ろしい事実を報告します。

詳しくは『数学書として憲法を読む――前広島市長の憲法・天皇論――』の第六章をお読み頂きたいのですが、ここでは簡単に要点だけを挙げておきます。

表紙の写真を最初にお示ししましたが、星野安三郎・小林孝輔著の『口語憲法(追補版)』の308ページから310ページの要約です。以下『星野』と略しますが、そこでは、99条の法的性質についての三つの学説を紹介しています。

  1. 一つは、「法的義務ではなく道徳的要請」であるというものです。
  2. 二つ目は、「積極的に憲法を尊重擁護する作為については道徳的義務ないし政治的義務に過ぎないが、最小限憲法破壊は行わないという不作為義務は法的義務とする」。
  3. 三つ目は、「抵抗権が実定法に制度化されているという前提に立ち、違憲の立法、司法、行政に対しそれぞれの公務員は抵抗し、あるいは違憲の職務命令に対し抵抗すべき職責の義務規定が99条であるとする。当該義務は、最高法規たる憲法を根拠とし直接法的効力を有するから、法律レベルでこの趣旨は覆せないとする」

どれを取っても、素直に「憲法遵守義務」が法的義務だ、とは言ってないのです。それどころか、何とか理屈を付けて、「法的義務ではない」ことを正当化しているようにさえ読めてしまうのですが、これは私だけの思い込みでしょうか。

この三説についての批判は、ここでは割愛しますが、(3)については、「モリ・カケ・サクラ」事件での公権力行使者による改竄との関連は見過ごす訳には行きませんし、この三説の致命的欠陥の一つである、「天皇の憲法遵守義務」との関連も私たちが考えなくてはならない重要な点です。

[続きます]

 

2024年も健康に留意しつつ、少しでも良い年にすべく頑張りましょう。

[2024/3/2 人間イライザ]

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2024年2月29日 (木)

#加藤友三郎 #英文冊子 #完成記者会見 を #中国新聞が記事に してくれました ――友三郎を理解する人の輪が広まります――

 #加藤友三郎 #英文冊子 #完成記者会見 #中国新聞が記事に してくれました

――友三郎を理解する人の輪が広まります――

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16日の記者会見の様子を上手くとまとめてくれました

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このブログの主要テーマの一つ、加藤友三郎については、機会のある度に取り上げています。

昨年8月26日に開いた、友三郎の没後100年記念シンポジウムの記録を英語で残すための記録が完成した後、報告とPRのための記者会見を16日に広島市の市政記者クラブで開きました。

28日には、その様子を簡潔にかつ分り易くまとめて、和多正憲記者が記事にしてくれました。

そして朝から、冊子が欲しい旨のメールを約10通頂きました。英語のサークルで読みたい、自分の専門分野の参考にしたい等、前向きのメッセージも一緒に添えられていましたので、友三郎について、これらの方々を通じてより多くの皆さんに伝わることになると思います。

なお、友三郎については、シンポジウムのホームページに追加情報が掲載してありますし、シンポジウムのYouTube動画もその中からアクセスできます。御覧頂けたらと思います。

 

2024年も健康に留意しつつ、少しでも良い年にすべく頑張りましょう。

[2024/2/29 人間イライザ]

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2024年2月26日 (月)

#憲法98条 から #導かれる 重要な #定理 ――#現行憲法 #以上に #優先される #法はない――

#憲法98 から #導かれる 重要な #定理

――#現行憲法 #以上に #優先される  #法はない――

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こちらも分り易い憲法書です

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本題に戻って、『数学書として憲法を読む』改訂のための作業を続けます。

まず、訂正です。23日には、「メタ条項が三つある」ということを書きましたが、良く見直すと四つです。もう一つは96条、憲法改正についての条項です。

96この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。
2 憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。

上諭と前文についても一言付け加えておきましょう。上諭は「メタ」に属しますし、前文の前半は「メタ」、後半はそれ以降に憲法で詳述される内容についての決意ですので、「メタ」には属さない、と考えられます。

この通り、老化現象も加わり、かつ私自身まだ実験的に考察・記述を続けていますので、これ以外にも私の主張や論述に間違いや反論等があれば、是非御教示下さい。宜しくお願いします。

さて98条です。再度条文を掲げておきます。

98条 この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。

2 日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。

「最高法規」という規定の重さは、この条文から論理的に導かれるいくつかの結論を見れば明らかなのですが、個々の「証明」は同じ形を取りますので、最初に一つの「定理」としてまとめておきます。98条から導かれる定理ということで、[定理98]と名付けておきます。ただし、これは、九大律の内の8番目の「自己完結律」と同じことです。重要性に鑑み、二つの名称があっても良いでしょう。

[定理98・自己完結定理(九大律の8番目である自己完結律)] 憲法を読むに当り、(普通の言葉を使えば)その解釈のために、他の法律や文書を根拠にしてはいけない。

[証明] 98条の規定している「最高法規」とは、我が国を縛っている法体系の中で、憲法による縛りが他の縛りより優先されることを意味する。その解釈に、仮に憲法に反する文書Aという根拠を持ち出すと、その文書Aは、憲法に反するにもかかわらず、その力が認められ、憲法より優先されるという結論になる。それこそ正に憲法98条により禁止されていることである。ここで、98条中の言葉「反する」は、広義には「異なる」 (新潮国語辞典、集英社国語辞典等) を意味するので、それに従った。Q.E.D.

再度、訂正です。2月21日のこのブログでは、この八番目の律を抜かしていました。つまり「定理98」から導かれる律は五つあります。ということは、九大律として九つの命題を前提として読む、という方針を貫くには、四大律あれば良く、論理的には他の律は必要ないということになります。

ただし、そもそも98条の「最高法規」の意味を曲げる「へそ曲り」が出て来ないとも限りませんので、念のため、②の「素読律」は強調のために残しておきましょう。

その上で、98条から導かれる、九大律の内の残りの四つの律の証明です。四つとは、(1) の[正文律]、 (2) の[素読律]、 (3) の[一意律]、そして (5) の[論理律]が憲法98条の「最高法規」という位置付けから、導き出されるからです。

[正文定理 (九大律の①正文律)] 「憲法」として読む対象は、1946113日に公布され、194753日に施行された(日本語の)日本国憲法である。

 [証明] 定理98から自明。そもそも、公布されたのは日本語の憲法なので、わざわざ断るまでもないのだが、問題は、憲法解釈に当って、英文で書かれた憲法が憲法解釈を左右するといった主張が行われてきたことだ。念のため「定理98」を繰り返す形で、日本語が正文である理由を述べておく。仮に、憲法の英文訳を「憲法」として読むことにすると、英文と日本語の二つの「憲法」が存在することになる。しかし、日本語の方が「最高法規」であり、それとは違う内容を持つもう一つの憲法があるとすると、それは、元の憲法に反するものになり、効力は持たないからだ。Q.E.D.

長くなりますので、次回に続きます。

 

2024年も健康に留意しつつ、少しでも良い年にすべく頑張りましょう。

[2024/2/26 人間イライザ]

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2024年2月24日 (土)

#日本国憲法 の #メタ条項 の #優先性 ――#憲法全体 の #持つ力 を #生かそう――

#日本国憲法 #メタ条項 #優先性

――#憲法全体 #持つ力 #生かそう――

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#六法全書 では #義務を否定

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『数学書として憲法を読む――前広島市長の憲法・天皇論――』を改訂するための準備として、出版後に気付いた重要な点をまとめています。その中でも、特に98条を優先すべきだと強調しています。でも実は、98条を含む「メタ条項」が重要なのです。「メタ条項」の意味は前回の説明でお分り頂いたとして、今回はこれら「メタ条項」が重要な訳を簡単にまとめておきましょう。

その重要性・優先性を理解するためには、まず、憲法全体の姿を大雑把でも描いておかなくてはなりません。幸いなことに、憲法「のみ」を読み込むことで、つまり憲法内の言葉だけに依存して、我が国の歴史をどう総括し反省し、これからどのような国を目指すのかについてはハッキリ分ります。

特に、97条については前文と97条とで繰り返し同じことを述べ、かついくつもの条文にその具体的な応用が描かれているのですから、その重要性については言うまでもありません。これが憲法の目的であり、憲法が必要不可欠であるということの証明だと言っても良いでしょう。

そして、「押し付け憲法だから改正せよ」という声に対する答にもなっています。仮に押し付けられていたとしても、そこが問題なのではありません。押し付けられたもの自体は、基本的人権は「人類普遍の原理」なのです。さらに97条では、「侵すことのできない永久の権利として信託された」ことが述べられています。「信託」したのは、「人類」です。しかも過去・現在の人類からという含意は明白でしょう。

もしこれを「押し付け」だと感じるのであれば、それは押し付けられたと主張している側が、人類の一員ではないことを「語るに落ちて」いるのです。

次に、憲法が法律的には国内の最高の法律であるという98条ですが、それは、憲法の定義と役割から当然のことです。つまり、一国内に存在する様々な事柄の処理に当って、全ての法律がそれに従うような基本的な存在としての法律を作っておかないと大きな混乱が生じます。その基本法が憲法であるという憲法そのものの定義によるものだということです。これは当然ですし、この点についての少々の妥協でも許してしまえば、憲法存在の意義がなくなってしまいます。

最後に99条は、公務員の憲法遵守義務を規定していますが、それは前文の「その権力は国民の代表者がこれを行使し」に呼応しています。そして、義務遂行者の筆頭が天皇であるのは、これまでの我が国の歴史の反省を踏まえて、新憲法では再び、明治憲法下と同じ過ちを繰り返さないように、という警告でもあります。

これら三つの条項を並べて見ると、随分強力な布陣であることも一目瞭然です。9条や36条等、個々の条文に注目して憲法の力を活用することは勿論大拙なのですが、憲法全体の力を上手く使う知恵も育てて行くことも大切なのではないかと考えています。

残念なことに、99条は「法的義務」ではない、というのが法曹界の定説になってしまっているようです。六法全書の注釈にもその点が記述されているほどなのですが、これが問題であることは、『数学書として憲法を読む――前広島市長の憲法・天皇論――』に詳述してありますので、御参照下さい。

ことによると、「今すぐここで読みたい」とお感じの方もいらっしゃるかもしれません。これでにブログでも取り上げてきたサイトをリストしておきますので、クリックして頂ければ幸いです。

[99条について] 2021年10月26日から、5回にわたって、取り上げています。

第2回は2021年の11月6日

第3回は2021年11月11日。

第4回は2021年11月16日。

第5回は、2021年11月21日

 

これに続いて、98条の「最高法規」についての考察もシリーズでアップしています。

第1回は2021年12月6日です。

第2回は2021年12月11日

第3回は2021年12月16日。

第4回は2021年12月21日。

第3回と第4回の内容は、これからアップすることとかなりの部分重複しますが、改訂版の準備という視点から、少しでも分り易い説明に改善したものをお届けしたいと考えています。

 

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[2024/2/24 人間イライザ]

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2024年2月20日 (火)

#数学書として憲法を読む とは ――#読む上での #前提 を #九大律 としてまとめました――

#数学書として憲法を読む とは

――#読む上での  #前提 #九大律 としてまとめました――

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分り易い憲法書の一つ

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『数学書として憲法を読む――前広島市長の憲法・天皇論――』の出版後に気付いたことの内、やはり98条の偉大さに勝るものは少ないような気がしています。それは、「数学書として読む」こと自体にも関係していますので、まずは出発点からお浚いです。

通常、私たちが文章を読む上での基本は、字義通り、素直に読むことですが、特に、「数学書」として読む場合には、言葉の定義をきちんと確かめること、その上で、論理的に読むことを強調しています。

『数学書として憲法を読む――前広島市長の憲法・天皇論――』(以下、『数学書』と略します)の読み方は、その延長線上で、憲法の条文を数学における「公理」と見立てた上での読む試みです。もちろん本来の公理系は「何の矛盾も存在しない文書」を指すますが、憲法内には矛盾があります。「論理性」という面では完璧とは言えない文書である憲法を、できるだけ「論理的」に読むために、自らに課すいくつかのルールを「律」、全体を、語呂の良さから「九大律」と呼んでまとめておきました。

  1. [正文律] 対象とする日本国憲法の正文は日本語とする。
  2. [素読律] 書かれていることを字義通り素直に読む。定義される順序に意味のある場合にはそれも尊重する。
  3. [一意律] 一つの単語、フレーズは、憲法の中では同じ意味を持つと仮定する。
  4. [公理律] 憲法を「公理」の集合として扱う。
  5. [論理律] 憲法解釈は論理的に行う。法律やそれに準ずるものは、公理からの論理的帰結であると位置付け、論理的に考えて憲法と整合性があるかどうかの判断をする。
  6. [無矛盾律] 条文間には矛盾がないという前提で読み、解釈を行う。
  7. [矛盾解消律] とは言っても現実問題として、憲法内には文言上、一見、矛盾している記述が存在する。条文間の矛盾や使われている概念間の矛盾について、「論理的」で憲法の趣旨が生きるような、かつ出来るだけ無理のないしかも説得力のある解釈を探し、可能であれば「矛盾」を解消する。最低限、「矛盾度」が低くなるように読む。
  8. [自己完結律] 憲法は、基本的には自己完結的な文書であると仮定する。つまり、書かれていることにはすべて意味があると仮定し、書かれていないことには依存しない。また、立法趣旨等も条文に掲げられていないものは無視する。
  9. [常識律] 定義されていない言葉や概念が使われている場合は、日本語の常識で解釈する。それもできるだけ自然な解釈による。

一つ一つの説明は必要ないかもしれませんが、次回は、(1)と(2)から始めて、念のために別の言い方で、それぞれの意味を共有したいと思います。

今回もう一つ、数学書を読む上で、あるいはそれ以前の数学的なことを表現する上で役に立つ手法を紹介しておきます。それは、「abuse of language」という寛容的な表現法です。論理的に、そして数学的にきっちりと表現し続けると、言葉の数が多くなり過ぎてその論理を追うことが煩雑になり過ぎ、結局理解度が落ちる場合が結構あるのです。

そんな時に、「言葉の濫用」を許して、論理的には問題があることを前提としつつ、最終的な理解度を高める方法です。「好い加減に読む」こととの違いは、「濫用」であることを意識して、その背後にある論理は尊重しながら、煩雑さを避けるという便法です。

[続きます] 

 

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[2024/2/20 人間イライザ]

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2024年2月 5日 (月)

#おかしな #憲法解釈 の #実例 ――#憲法 を #守る義務 はない?――

#おかしな #憲法解釈 #実例

――#憲法 #守る義務 はない?――

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『数学書として憲法を読む――前広島市長の憲法・天皇論――』

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「100円のトマトに200円払え」と言われたら腹が立ちますよね。昨日は、それに続いて、

「でも、日本国憲法の読み方については、論理的に言うと、皆さんはこれと同じような解釈の仕方を強制されているのです。」

と挑発的なことを書きました。

その実例を挙げておきましょう。まずは、見出しを掲げて、説明は後に続きます。

① 公務員が憲法を守るのは「義務」であると、憲法には書いてあるのですが、裁判所の確定判決では、「義務ではない」ことになっています。

② 多くの皆さんは、死刑が合憲だと考えていると思いますが、憲法のいくつかの条項からの論理的な帰結は、憲法は死刑を認めていないということです。

この結論は、憲法を素直に読めば誰にでも分ることなのですが、「素直」というのが意外に難しいようです。それを説明するのが、『数学書として憲法を読む』の目的でした。

とは言え、一冊の本を読むとなるとそれなりの抵抗もありますので、もう少し短い説明を何ヶ所かに書かせて貰いました。今回は『数学文化』という楽しい雑誌の37号(2022年3月発行)に掲載して頂いた中から、関連のある個所を抜き書きします。

 

憲法99条 憲法遵守義務

まず、憲法の条文の中でも特に重要な99条を取り上げます。

 

憲法99条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ 

 

(以下、「天皇又は摂政」を「天皇」、そして「国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員」は「公務員」と略す。)

「義務を負ふ」のですから、これは「義務」についての規定です。にもかかわらず、憲法についての通説・定説・裁判所の確定判決では、「憲法遵守義務」は「義務」ではないのです。

それは、99条の解釈についての確定した判決があるからです。百里基地についての訴訟が水戸地方裁判所に起こされ、その第一審の判決は1977年に言い渡されました。その中で、99条は「憲法遵守・擁護義務を明示しているが、これは、道義的な要請であり」と断定されているのです。また1981年の東京高等裁判所における控訴審の判決では、99条は「憲法を尊重し擁護すべき旨を宣明したにすぎない」のです。

それに輪を掛けて深刻なのはその根拠です。「国家の公権力を行使する者が憲法を遵守して国政を行うべきことは、当然の要請であるから、本条の定める公務員の義務は、いわば、倫理的な性格のもの」(高裁判決)だからなのです。

こんな理屈が通るのなら、「憲法遵守義務」の代りに「納税の義務」、「国家の公権力を行使する者」の代りに「国民」を使えば、30条の「納税の義務」は倫理的な性格のものになり、私たちには納税の義務がなくなるではありませんか。さらに、義務を課されている裁判官が、その義務は法的義務ではなく道徳的要請だと判断すること自体、裁判で被告が判決を下すのと同じくらい非論理的です。

[続きます]

 

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[2024/2/5 人間イライザ]

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2024年2月 4日 (日)

#定価100円 の トマトに #200円払え と #言われたら ――#おかしいと思った人 は #憲法を読み直しましょう――

#定価100 トマトに #200円払え  #言われたら

――#おかしいと思った人 #憲法を読み直しましょう――

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 慣れてしまうと飛んでもないことでも「当たり前」になってしまいます

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トマトと憲法とは無関係のように見えますが、頭の体操として、ちょっとお付き合い下さい。

スーパーで買い物をしたと考えて見て下さい。トマトに、2個100円という値札が付いているので、それを買う積りでレジに行ったとします。そこで、「いや、このスーパーでは、『100円』と書いてあっても、それは『200円』という意味ですので、200円払って下さい」と言われたら、皆さん怒りますよね。

でも、日本国憲法の読み方については、論理的に言うと、皆さんはこれと同じような解釈の仕方を強制されているのです。

それを、ごく当たり前に、「100円は100円と読む」というのが、憲法を「数学書として読む」ことの意味なのです。

その点を丁寧に説明するために、もうそろそろ5年前になってしまいましたが、2019年の7月に、法政大学出版局から『数学書として憲法を読む――前広島市長の憲法・天皇論――』を出して頂きました。

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数学と聞いただけで拒否反応を示す人も多くいることは知っていますが、それと憲法が合わさるのですから、「猫も杓子も」競って読んで頂けるとは思っていませんでした。でも、100円のトマトに200円払って当然だという考え方が社会を覆い尽くしているのですから、何とかしなくてはなりません。

まずは、私の考え方をできるだけ多くの人に知って貰うにはどうすれば良いのか?少しでも分り易い説明をすれば、読んでみようという方が増えるかもしれないとも考えました。

例えば、手弁当で全国を巡って、何人かの方に集まって頂けるところで、この本についての「分り易い」お話をしたら、というアイデアが浮かびました。そして実行寸前まで準備を進めていました。

ところが、コロナの蔓延で動くこともままならぬ事態に陥りました。

それでも憲法を素直に読む必要性についてはずっと考え続けてきました。その結果をいくつか御披露したいのですが、まずは、旧版の(と言ってもまだ新版が出た訳ではないので、おかしな言い方なのですが、強調のための誇張です――英語では、「abuse of language」と言います)、サワリをお浚いしておきましょう。

以下シリーズで、「100円のトマトはに100円払えば良い」が当たり前のことになるよう、分り易い解説を、して行きたいと思います。

2024年も健康に留意しつつ、少しでも良い年にすべく頑張りましょう。

[2024/2/4 人間イライザ]

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2024年1月15日 (月)

#教育勅語 と #『はだしのゲン』 ――#朝日新聞デジタル記事 の #松井市長インタビュー が答になっています――

#教育勅語 #『はだしのゲン』

――#朝日新聞デジタル記事 #松井市長インタビュー が答になっています――

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『はだしのゲン』英語版

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昨2023年に広島市は平和教材から『はだしのゲン』を削除することを決めました。そして今年になってから、新人職員の研修では「教育勅語」を使い続けていたことが明らかになりました。どちらも、「平和都市」広島の歴史や意味に逆行する飛んでもない行為だ、撤回すべきだという意見が私の周りでは圧倒的に多いのですが、それはこの両者の間に密接な関係があるからです。

二日前にも引用した、2023年12月19日付の朝日新聞デジタルが報道している松井市長のインタビューが、それを明確に示しています。大切なのは、教育勅語復活論者たちは同じ趣旨の「説明」を繰り返してきていることです。

以下、そのインタビュー記事を元に、私が『はだしのゲン』を削除すべきではないという視点から、フィクションとして質問を作り、その答の部分は、実際に記者会見で松井市長が述べた言葉の一部を使って再構成してみました。フィクションではありますが、論理性は失われていないはずですので、これが、『はだしのゲン』を復活させるための強力なインセンティブになるはずです。

[質問] 『はだしのゲン』は平和教材から削除すべきではないかという意見があるが。

[]  2013年から使っている。どっかが悪かったから全部悪いとか、どっかがよいから全部いいと判断しないで、多面的に考えるということをやっていかないと、いろんな意見があったときに対応できなくなってしまう。そんなことの実例として、『はだしのゲン』を使っている。

[質問] 『はだしのゲン』の評価や悪い部分をどのように考えているのか?

[]   中身については民主主義を取り込もうとしている内容だから、そういう評価ができるのではないかと説明している。物事を一律に良い悪いとかってやらないで、分析する目を持とうという資料として使っている。

[質問] 来年度以降も使うのか?

[]  いろんな評価があったとしても、まず自分で、ファクトファインディングというか、事実を確認する。どんな意見があるかということをわきまえた上で対処するということを、可能な限り子どもたちにはやってもらいたいと思いますよ。そういう意味で、例示として使えればと思います。

昨日と同じ結論になりますが、これで、教育勅語を復活させようとしている人たちの言い分が全く説得力を持たない、ということは十分お分り頂けたはずです。そしてその言い分を認めるなら、『はだしのゲン』を削除できなくなってしまうということも憶えておきましょう。

 

2024年のこれからも心配ですが、健康に留意しつつ、少しでも良い年にすべく頑張りましょう。

 [2024/1/15 人間イライザ]

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2023年12月30日 (土)

#お年玉 には #安野光雅 ――#表紙 だけでも読んで欲しい――

#お年玉 には #安野光雅

――#表紙 だけでも読んで欲しい―

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80ページほどの文庫です

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年末・年始に読んで欲しい本をお勧めしましたが、同じくらい感動的な本を御紹介します。大きな違いは、こちらなら「お年玉」としてお子さんたちにプレゼントすることができる点です。

安野光雅先生著の『天は人の上に人をつくらず』ですが、長さは80ページほどの文庫本です。内容は、表紙の言葉が余すところなく伝えています。

「私には夢がある。いつの日か、谷間は高められ、丘や山は低められ、でこぼこしたところは平らにされ、曲がりくねったところは真直ぐに・・・・」(キング牧師)

わたしは、この言葉を声に出して読むことができない。読もうとすると声がふるえてしまう。リンカーンの「奴隷解放宣言」も、福沢諭吉の「天は人の上に」もそうだ。

安野先生だけではなく、これは私たちの世代の人間の多くが示す反応です。それだけでも若い世代の人たちに知っておいて貰えれば、というのがこの本をお勧めする理由の一つです。目次だけでも掲げておきましょう。

ワシントン大行進

自由

キング牧師

バス・ボイコット事件

約束手形

リンカーン

咸臨丸

福沢諭吉

南北戦争

学問のすすめ

(その後に参考資料として日本国憲法の抜粋が掲載されていますし、リンカーンや諭吉、キング関連の年表が続いています)

かつて、広島市の成人祭では、新成人の皆さんへのプレゼントとしてこの本を贈呈していました。お年玉としても最高ではないかと思います。

 

最後に皆さんにとって、今日一日が素晴らしい24時間でありますよう!  

 [2023/12/30 人間イライザ]

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2023年12月29日 (金)

#年末 #年始 に #『1984年』を読もう ――毎年恒例の #推し つまり、お勧めにします――

#年末 #年始 に #1984年』を読もう

――毎年恒例の #推し つまり、お勧めにします―

1984

ジョージ・オーウェル著『1984年』

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紙の年賀状を止めて、e-カードを送るようになってからずいぶん経ちますが、年末にはその文面を考えています。

日本も世界も多くの悲劇に見舞われ、しかしながらそれを解決する力を持つ人たちの不甲斐なさに、溜息を吐きつつ一日も早く戦争が終結するよう祈る気持で新年を迎えるのが圧倒的多数の市民の姿かもしれません。

では私たちにはそんな世界を変える力がないのかと問われれば、私は、「そんなことはない。世界は変えられる」と答えます。これまでの無窮の時間軸を振り返ると、人類が究極的には賢い選択をしてきているからです。

しかし、そのために必要なのは、私たちが地球や世界、そして政治や社会の問題についての共通理解を持つことです。

中でも私が多くの皆さんに共有して頂きたい考え方があります。「ダブルスピーク」という言葉なのですが、それを解説している小説が、私のお勧めする、ジョージ・オーウェルの小説『1984年』です。

『1984年』はジョージ・オーウェルが1949年に発表した小説です。その舞台は、1950年代に勃発した核戦争後に三つの国に分割された国の一つであるオセアニアの一地域、「エアストリップ」の首都ロンドンです。そこで、1984年には、少数独裁制集産主義というイデオロギーの下、全ての人は、「Big Brother」の監視下に置かれ、「テレスクリーン」と呼ばれる双方向テレビジョンによってのみ情報を得ることができ、またテレスクリーンによって監視されています。当然音声も筒抜けです。

一党支配下にあるロンドンでは、党の三つのスローガンが至る所に掲げられています。その三つは、次の通りです。

  • 戦争は平和である (WAR IS PEACE)
  • 自由は奴隷制である (FREEDON IS SLAVERY)
  • 無知は力である (IGNORANCE IS STRENGTH)

これらのスローガンは、『1984年』に描かれている社会を作るための決定的な洗脳手段でもあるのですが、その特徴は「ダブルスピーク」の典型例であることです。

『1984年』は1950年代、世界的なベストセラーになり、そこに描かれた未来社会のイメージは欧米を中心に多くの人に共有されました。その未来社会の本質、そしてその社会を作るために作中で使われた有効な手段を表現するための、「ダブルスピーク」という概念と言葉が生まれました。

詳しくは、Wikiwandの「1984年」を読んで頂きたいのですが、「ダブルスピーク」の説明をそこから引用します。

「『1984年』作中の例でいえば「戦争は平和である」や「真理省」のように、例えば自由や平和を表す表の意味を持つ単語で暴力的な裏の内容を表し、さらにそれを使う者が表の意味を自然に信じて自己洗脳してしまうような語法である。」

『1984年』を年末年始に読もう、という呼び掛けは、このブログでも2016年の年末にしています。もう既にお読み頂いている方も多いと思いますが、一人でも新たな読者が現れるよう希望を持ちつつ、今年もお勧めします。

来年以降も恒例の「推し」として、皆さんに呼び掛けお願いする積りです。

 

最後に皆さんにとって、今日一日が素晴らしい24時間でありますよう!  

 [2023/12/28 人間イライザ]

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