映画・テレビ

2024年2月19日 (月)

#偉い人は #従者 が #長靴を脱がせる? ――#実用性 のあることに #気付きました――

#偉い人は #従者 #長靴を脱がせる?

――#実用性 のあることに #気付きました――

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右が新しい長靴です

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[閑話休題]ではなく[閑話]のページです。

昔観た映画の中で、多分ナチスだと思いますが、将校が従卒に長靴を脱がせて貰っているシーンがありました。自分の「偉さ」をこのような仕方で誇示しているのだな、とかなり否定的にこのシーンを記憶していました。

それはそれで、正しい一面を見ていたのだと思いますが、実は実用的にはこのように「他人に脱がせて貰う」のが、とても楽なことのだという事実を最近実感しました。

年末に古い長靴が破れてしまったので、新しい長靴を買い、庭の仕事をするために何度か履いていたのですが、履くときには問題がなくても脱ぐ時が大変でした。今までは、上がり框に踵を引っ掛けて足を抜けばそれで良かったのですが、新しい長靴ではそれができないのです。

手で長靴の踵を持って引っ張らないと長靴は脱げないのです。しかも身体は固くなっていますので、結構大変です。他人に脱がせて貰えば楽に脱げるのが長靴なのだ、という物理的制約を認識したのです。恐らく長靴を履くのが当り前の社会では、いろいろな工夫がなされているのだろう、という想像もできました。

女性の場合は、ブーツを脱ぐと言っても、脇にジッパーが付いていることが多いようなのですが、その意味も良く分りました。

「だから何?」と言われても答はないのですが--。

 

2024年も健康に留意しつつ、少しでも良い年にすべく頑張りましょう。

[2024/2/19 人間イライザ]

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2024年2月15日 (木)

#トイレのない #マンション は #日本文化 を #汚すのでは? ――映画 #PerfectDays の #問題提起――

#トイレのない #マンション #日本文化 #汚すのでは?

――映画 #PerfectDays #問題提起――

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トイレのないマンション

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昨年のカンヌ国際映画祭で、主演の役所広司さんが最優秀男優賞に輝いた映画『Perfect Days』が、全国で上映されています。初老のトイレ清掃員の一日を描いた、ヴィム・ヴェンダー監督の作品だそうです。

観たいと思っていますが、最近この映画の評判を聞いて頭に浮かんだのは、「トイレのないマンション」でした。原発のことなのですが、私たちの世代にとってはとても分り易い比喩です。使用済みの放射性廃棄物の持って行き場がないのですから、正に「トイレのない」状態です。

こんな連想が起きたのは、能登半島地震で原発が地震に弱いことが再び浮き彫りになったからだと思います。

『Perfect Days』の予告編を見てもう一つ感じたことは、トイレの掃除、より一般的には掃除が日本文化の大切な一部であることです。それは、禅宗の言葉として「一に掃除、二に座禅、三に看経」があるくらいなのですから、それで十分でしょう。

となると、「トイレのないマンション」という比喩は、原発そのものが、日本文化とは異質の存在であることを示しているのではないでしょうか。

原発推進派の皆さんの中には「我こそ日本文化の担い手だ」と自負されている方々も多いようですが、原発の存在と日本文化という視点から問題提起をすることで、こうした方々を説得することもできるのではないかと考えたのですが、甘いでしょうか。

 

2024年も健康に留意しつつ、少しでも良い年にすべく頑張りましょう。

[2024/2/15 人間イライザ]

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2024年1月 8日 (月)

#頼りになる #官房長官 #候補 ――#JAL の #CA さんたち、そして # NHK の #山内泉 アナウンサー――

#頼りになる #官房長官 #候補

――#JAL  #CA さんたち、そして # NHK #山内泉 アナウンサー――

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アナウンサー

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元日早々から、想像を絶するような悲劇が重なって起きています。残念なことに、極限まで劣化してしまった日本の政治は、事態の収拾さえ満足にできない状態です。しかし、消防や警察、自衛隊等の現場の力、多くのボランティアの皆さんの活躍には敬意を表します。

こうした多くの方々の支えもあって、被災地や事故の現場では、肉親や身近な人を失いながら、あるいは大きな危険に晒されながら多くの皆さんが生きる意志を持ち続け、前向きの姿勢で頑張っています。

中でも感動的だったのは、危険を回避するために決定的な役割を果した勇気あるリーダーたちの存在です。

一日の夕方、お正月の集いの最中に突然災害報道に変ったNHKテレビの、山内泉アナウンサーの必死の呼び掛けに、私たち一同はテレビに釘付けになりました―――「テレビを消して、あっ、消さなくていいです。もう逃げてください」「今すぐ家を離れて逃げて下さい」「皆さんの命が何より重要です」―――能登半島からはずいぶん距離のある広島にも、緊迫度が伝わってきました。

JAL機の中でのCAさんたちの声、「大丈夫です。落ち着いて」、「荷物はもたないで」「二人ずつ座って」、そして乗客の皆さんがお互いに掛け合う声からも、一刻でも早く機内から脱出しなくてはならない緊急性と恐怖を打ち消すだけの意志の力が伝わってきました。

CAさんや山内さんに共通していたのは、仕事の現場でお一人お一人が示してくれた責任ある仕事振りですが、ただ単に責任を果したという以上の言葉でないと私の感動は表せません。

危機的な現場の状況を自らの責任で変えなくてはならないという、究極的な当事者意識を皆さんが身に付けていたと私は感じたのですが、使命感と言った方がピッタリするかもしれません。言葉に説得力があったのは、周囲の状況を自らの言葉にしていたからです。つまり言葉の裏にある人間としての真実があったからこそ、緊迫度、緊急性が聞く側に共有されたのです。

今の政治に必要なのは、こうした言葉の力なのかもしれません。一国の政治で言えば、例えば内閣を代表して日常的に発言をする官房長官が、このような言葉を発することができれば、今ほど政治離れが起きることはなかったのではないでしょうか。

そして、今のようなときにこそ理想に近い総理大臣がいたとしたら、とまで考えてしまったのですが、その答もすぐ頭に浮かびました。(この項続きます。)

2024年のこれからも心配ですが、健康に留意しつつ、少しでも良い年にすべく頑張りましょう。

 [2024/1/8 人間イライザ]

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2023年9月26日 (火)

姉妹公園協定のために投下責任を「棚上げ」? ――「棚上げ」して、誰が得をするのか?――

姉妹公園協定のために投下責任を「棚上げ」?

――「棚上げ」して、誰が得をするのか?――

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藤永茂著『ロバート・オッペンハイマー』です

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ここで連日取り上げているのは、広島市議会での市側の答弁です。念のために繰り返しておきましょう。中国新聞によると、21日の広島市議会の一般質問で、広島の平和公園とホノルルのパールハーバー国立公園との姉妹公園協定が取り上げら、市側の答弁が、「協定は、原爆投下に関わる米国の責任の議論を現時点で棚上げにし、まずは核兵器の使用を二度と繰り返してはならないという市民社会の機運醸成を図るために締結した」だったのだそうです。

口実として使われた、「市民社会の機運醸成」を省略しても、[何のために] [何をする] の関係は損なわれませんし、論理的な関係がはっきりします。広島市の主張は、姉妹公園協定を結ぶために、原爆投下の責任論は棚上げにした、ということになります。

でも、これって事の重さの判断が逆ですよね。広島市とパールハーバー国立公園が姉妹都市協定を結ぶことが、原爆投下の責任論に関わるような重大事なのでしょうか。そうだとしたらそれは何故なのでしょうか。この点については、再度取り上げますが、今日はこの棚上げで得をするのは誰かを考えます。

一つは、映画「オッペンハイマー」の日本公開で得をする人たちです。例えばこの映画を見たいと願っている人たちも多いかもしれません。興行成績のよさから得をする人たちも含まれます。

もう一つ、広島市と広島市長も得をする側なのかもしれません。長くなりますので、この点は次回以降に回します。

さてオッペンハイマーに戻って、もう一度、オッペンハイマーを今取り上げる意味について、一つの問題提起をしておきたいと思います。私自身この映画を見ていませんし、当分は見る気もないので、それがフェアではないという考え方もあるかもしれませんが、大切な問題提起であることには変りがありません。

まず、東京新聞の22日の記事から引用します。

 日本では公開されていない本作を鑑賞した米カリフォルニア州在住の映画評論家町山智浩さんに聞いた。

 町山さんによると、全体で3時間の長作で、前半はオッペンハイマーが研究者として原爆開発にのめり込む姿が中心。後半は原爆投下後の広島の写真を見せられて下を向く描写や、共同研究者たちの体が原爆によって焼けただれる幻視のシーンがあるなど、主に開発者としての苦悩が描かれている。そして、最後は原爆開発を後悔するせりふで幕を閉じるという。

 マスコミ等の見解として私が読んだものには、この中で、実際には被爆の実相には触れられていない点が問題なのではという指摘が多くありました。つまり、写真は見せられても、その写真そのもの、あるいはその被写体についての描写がないという点です。

それも大切な点なのですが、私が注目したのは最後のシーンです。「最後は原爆開発を後悔するせりふで幕を閉じるという。」なのだそうですが、これはオッペンハイマー本人に取っては聞き捨てならない点なのです。

映画の原本になったカイ・バードとマーティン・シャーウィンの『オッペンハイマー』にも、昨日のこのブログで紹介した藤永茂著『ロバート・オッペンハイマー 愚者としての科学者』(1996年、朝日新聞社。2021年、筑摩学芸文庫)にも同じ点が強調されているのですが、オッペンハイマーは「後悔していない」ばかりではなく、「後悔した」という内容の戯曲の上演を訴訟を起こしてまで阻止しようとしたほどなのです。以下、藤永氏の著所からの引用を中心に、その点をまとめておきましょう。

1964年、西ドイツの作家キップハルトの戯曲『オッペンハイマー事件』が発表され、各国で評判になました。日本でも1966年に俳優座劇場で上演されたそうです。

この作品は、作者によると資料に基づいて厳密に事実に密着したものだということなのですが、藤永氏は、多くの資料に基づいてこれは文学作品だと断定しています。

オッペンハイマーはこの戯曲を嫌悪して、プロデューとーを告訴してまで上演を阻止しようとしたと、物理学者のフリーマン・ダイソンが書いていると、藤永氏は述べています。それは、戯曲の最後の部分にある「告白」がオッペンハイマーには我慢できなかったようです。

キップハルトの戯曲についての感想を、オッペンハイマーがボームに書き送った手紙の日付は1966125日、喉頭ガンのため、話すことも、食事をとることも困難になっていた。二カ月半後には世を去る。

 「私がロスアラモスでしたこと、することができたことについて遺憾の意を表することを、私はこれまで決してしなかった。事実、 いろいろな場合、何度も同じような場合に、書きものにもして、あのことを私は後悔しなかったという気持の確認をつづけてきた。 キッブハルトの書いたことで、特に気分が悪くなるのはあの最後の告白だ。そこでは、まさにそうした後海を私がしたことになっている。責任と罪についての私自身の気持は、今まで常に過去よりも現在により強くかかわるものであったのであり、これまでの私の人生で、現在にかかわることだけで私の手に余るものがあった」

にもかかわらず、映画では、後悔したということにしたのか、そう誤解されるような撮り方をしたのかは分りませんが、オッペンハイマーは、普通の意味での後悔はしていないのです。そして、原爆を考えるときにこの点は、無視しては通れない問題を提起していると私は感じています。

 

最後に皆さんにとって、今日一日が素晴らしい24時間でありますよう!  

 [2023/9/26 人間イライザ]

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2023年3月23日 (木)

「原爆にさわる」 ――映像ジャーナリスト熊谷博子さんの言葉――

「原爆にさわる」

――映像ジャーナリスト熊谷博子さんの言葉――

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何度も、18日に開かれた「都市から核のない世界へ」 (杉並光友会と杉並区の共催) について書き続けていますが、戦争や大惨事等を経験した方々の言葉や行動が、人類史の意味を見事に捉えていて私たちにとって忘れられないものになることがしばしばあります。

優れたジャーナリストがそのような言葉や行動、そして経験をした人たちの姿を私たちに伝えてくれることで、普段では経験できないことに触れられるのも、今という時代ならではの出来事かも知れません。

映像ジャーナリストの熊谷博子さんから、イベントの後の茶話会で伺った言葉に私は大きな衝撃を受けました。

中沢啓治さんの名前が出てきたのは、広島市で起きている『はだしのゲン』削除問題と関連があるのかもしれません。それは、熊谷さんが中沢さんとともに、アメリカの人たちに中沢さんの被爆体験を伝えつつ、アメリカ社会の反応を記録する旅でのことでした。

バターンの死の行進を持ち出して被爆体験を聞こうとしなかった男性に、中沢さんが『はだしのゲン』の中の、被爆直後のゲンを描いた個所を示した気迫が凄かったという報告でした。それも私たちが原爆に触れる一つの形になります。

もう一つは、同じように、長崎の被爆者である谷口稜曄さんとアメリカを回って被爆体験を語り続けた旅でのことでした。熊谷さんが毎日谷口さんの背中の膏薬を張り替えていたため、彼の背中に触る機会があったのですが、その背中が「板のよう」に硬かったそうなのです。

そしてそれを「原爆にさわる」ことだった、という熊谷さんの表現で私たちの手にまで伝えてくれたのでした。被爆体験に触れる、と言ってしまうともう少し広い意味も付け加わりますので、分り易いのと同時に焦点も広がります。

「さわる」と表現することで原爆の本質を伝える意味に戦慄が走りました。G7広島サミットに参加する人たち、特に核保有国の首脳たちにこの感覚を伝えることができればとつくづく感じました。

 

最後に今日一日、皆さんにとって、素晴らしい24時間でありますよう!

 [2022/3/23 イライザ]

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2023年2月28日 (火)

成田発言のおぞましさ検証 (3) ――1,000万人もの人をどう殺すのですか?――

成田発言のおぞましさ検証 (3)

――1,000万人もの人をどう殺すのですか?――

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成田悠輔氏の高齢者「集団自決」、「集団切腹」のおぞましさについて、これまでに回にわたって検証してきました。一回目はリアルな記憶を大切にというテーマでした。二回目は、「タイマーを埋め込む」というフィクションの話を成田氏は持ち出すのですが、でも高齢者を排除することは実現できないだろうという理由を説明しました。

今回は、少し具体的な数字を使って検証したいと思います。彼の提唱しているシナリオを「成田プラン」と呼ぶことにします。

実は数字には心理的なトリックが仕掛けられています。官僚たちはそれを良く知っていますので、人を騙すときに頻繁に使っています。例えば、小数点以下の数字など必要ない時にも小数点以下の数字を挙げるのが常套手段です。細部に注意を払い始めると、桁数など数字の持つ大きな意味が見失われる傾向があるのです。

ということで、概数で全体像を示して行きます。

日本の80歳以上の人口は1,000万人を少し超えています。「成田プラン」を実行するということは、少なくともこの1,000万の人たちに死を強いることになります。私は当然、その中の一人なのです。以下の議論は、私も「集団自決」をさせられる一人だということを忘れずに続けます。

同時に把握しておくべきことは、いま日本で年間何人の方が亡くなっているのかという統計です。約110万人なのですが、概数を取って100万と考えましょう。

対比するために、15年にわたる戦争、太平洋戦争だけでなくその前から数えての数字ですが、日本人の死者数は310万人以上だと言われれています。この中には、東京大空襲の10万人、広島の原爆による死者14万人や長崎の7万人も含まれます。

沖縄戦も含めると1945年の死者数は特に多いのですが、平均して一年間に20万人の方が亡くなっています。それが日本社会にいかに大きい悲しみと混乱を引き起こしたのかは言うまでもありません。

1,000万という数字は、その310万のおよそ3倍です。それだけの人を文字通り葬り去るとして、悲劇は数値化できませんが、太平洋戦争の3倍以上の悲しみと混乱が生じるはずです。

仮に、1,000万もの人を一年間で「殺した」として、今の10倍の火葬場を作るのでしょうか。お葬式はどうするのでしょうか。それとも原爆の後のように、野焼きをするのでしょうか。こんな非人間的な想像を強いることだけ取っても「成田プラン」の「異次元」性は明らかだと思いますが、そんなことを平気で子どもたちに勧める心の内を私にはとても想像だにできません。

成田氏は、いっぺんに1,000万ではなく、数年掛けるのだとでも言う積りなのでしょうか。でも、10年掛けたとしても一年100万人ですから、今の倍になり、程度の差こそあれ問題の本質は変わりません。それに、「80歳」以上の高齢者の数は毎年100万人くらい増えて行きますので、全体としての「80歳」以上の高齢者の数は変わりません。少子化と高齢化を防ぐ「成田プラン」では、高齢者の数が減らないことになるではありませんか。

次の問題に移りましょう。仮に、1,000万人もの高齢者が「自決」することに合意したとして、その手段はどうするのでしょうか。「集団切腹」という言葉も使っているので、赤穂浪士のように、脇差で腹を切り介錯する人が首を落すことになるのでしょうか。

でも、仮に「成田プラン」が「罰則」と同じ意味を持つとすると、憲法違反になってしまいます。

第36条では、「公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる。」と憲法中、唯一「絶対に」という言葉を使って禁止している条文です。

憲法絡みの議論を始めれば、それこそ、「違憲」の山になってしまいます。例えば、第11条違反になります。

11条  国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる

第13条の「国民はすべて個人として尊重される」違反にもなります。

そして天皇制に反対する人もいるとは思いますが、第一条違反にもなります。

第1条  天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。

それは、「成田プラン」が仮に80歳以上の「集団自決」を強いるものであれば、仮に天皇がその時点で80歳以上だったら、その中に含まれてしまうからです。「成田プラン」は国民の総意を超えることはできないのですから違憲になってしまいます。

切腹でないとすると、青酸カリを80歳以上の人すべてに配ることにするのでしょうか?1959年の映画『渚にて』では、第三次世界大戦で核爆弾により全世界でオーストラリア以外の地域は全滅し、残された人々が放射線で苦しむ代りに毒薬が配られ、それを飲んで次々に死んで行くというがシナリオです。つまり、想像の世界ではあり得ることです。

しかし、高齢者だけが自決を迫られるという状況で、青酸カリを自分用ではなく、殺人のために使う人は全く出て来ないのでしょうか。あるいは、高齢者の青酸カリを買ったり盗んだりして悪用するという可能性も出てきます。日本中を犯罪で埋め尽くす可能性を全く無視できるのでしょうか。

最後は、皮肉として通じて欲しいのですが、可能性として一つ残るのは、「笑い殺す」くらいしか思い付きません。自分自身を笑い殺すのも難しいですから、「成田プラン」を笑い殺すことにしましょう。

最後は唐突ですが、あまりにも非人間的なことばかり考えさせられてきましたので、せめて今日一日、正反対の良い日であることを祈りましょう。皆さんにとって、今日一日が素晴らしい24時間でありますよう!

 [2022/2/28 イライザ]

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2022年6月13日 (月)

非暴力社会を目指す

非暴力社会を目指す

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今回は漫才と非暴力がテーマです。

参議院選挙に関するあるアンケートの中に、「DVをなくすためには、どのようなことが必要か」という趣旨の質問がありました。

DV」とはどんなことを指すのかを理解するために、その反対の状態を目に浮かべてみました。それは、二人の人間の間で、静かに普通に会話の成り立っている状態でした。そうではない極端な場合の一つがDVです。さらに、「暴力化」という尺度で測るとそこまでは行っていないけれど、完全に「0」ではない場面がいくつか頭に浮かびました。

その数値をいくつにすべきなのか、議論の余地はあると思いますが、二つだけ例を挙げておきましょう。

(I) 男女間で少し親しくなったとき、男性が女性を「お前」と呼ぶシーンをしばしば見てきました。ドラマで説明した方が多くの方に伝わると思いますので、一つ上げると『科捜研の女』です。土門刑事は、榊󠄀マリコ研究員を必ず「お前」と呼んでいます。人気番組ですので、この「上下関係」または「支配・被支配関係」の宣伝力はかなり強いのではないかと心配です。

そもそも殺人事件がドラマのテーマになっている番組の中の、些細な人間関係を、「暴力」という視点から分析することに意味があるのかを考えるべきなのかもしれませんが、○○中毒と言われる依存症の多くは、微量の接種から始まることも事実です。

(II) テレビ番組の中で、年々増えてきているのが、芸能人たち同士の意味のないやり取りです。それも、漫才の一つのパターンである、「ボケ」と「突っ込み」が雛形になっているような気がします。漫才は、あえて極端な状況を作ったり、「普通」を誇張することで笑いを誘う芸能ですから、それ自体は健全です。

しかし、それが無意識のうちに、私たちの日常の会話のお手本として採用され、「静かで普通の会話」が成り立たない状態を作る結果になってしまっては、笑うにも笑えません。

(III) ここまで書いて、もう一つ大切なケースのあることに気付きました。国会での議員の質問と、閣僚や官僚との回答も一つの会話と考えると、これこそ、一番「普通」から遠いということです。そもそも会話が成り立っていないからです。そして「上下関係」「支配・被支配関係」も否定されていないどころか、それを背景に「ボケ」ることが権力維持のメカニズムになっています。

主権者として、鋭い突込みで、つまり選挙で野党が勝つことで、静かで普通の会話を実現する他に道はありません。

それでは今日、皆さんにとって素晴らしい一日でありますよう。

[2022/6/13 イライザ]

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2022年5月 1日 (日)

The World Financial Review に掲載されたインタビューの和訳をアップします。

「核兵器禁止条約の目標は生存である」 

 

The World Financial Review 誌の3・4月号に掲載された、「核兵器禁止条約の目標は生存である」  を元新潟市議会議員の山田達也さんが和訳してくれました。数回に分けて、その訳を掲載します。

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核兵器禁止条約

ジョセフ メイザーによる元広島市長との核兵器に関する対談

 

広島市は、戦争で初めて核兵器が使用された地として、永遠に記憶に残るだろう。第2次世界大戦の終結以降、核兵器保有国間の関係は概ね平和的だったと言って良いだろう。しかしそれは多分、現代における核戦争の結果が想像を絶するものだったからだろう。広島市の前市長で、世界的な核軍縮運動に積極的に取り組んでいる秋葉氏がここで、アメリカ人数学者ジョセフ・メイザーに、恐ろしい核兵器の使用を今後どう管理するかについての見通しを語っている。

数年前、私は型どおり実存的夢を見た。自宅近くに核爆弾が投下され、象徴的なキノコ雲が立ち上がり、私は小さな火の燃え残りやズタズタにされた鋼鉄の残骸の上をあたかも精霊のように飛び回り、まだ生きている可能性のある人を探していた。しかし生存者はいなかった。アメリカという安全な所に住む、どちらかと言えば若い私がそのような穏やかでない夢を見ただけでなく、何十年も経った今でも身も凍る程に覚えているほどの潜在意識の不安を抱いていたのは何故なのだろうか?

広島と長崎の上空で2発の原子爆弾がパラシュートで落とされ爆発した時、私はまだ3歳だった。私は1950年代に育った世代で、その10年はアメリカにとって類まれな繁栄の時代であり、ICBMが米国の幾つかの都市を標的にするかもしれないというのが、最大の恐怖の時代だった。空襲警報の第1波が聞こえたら、学校の机の下に屈みこめと習ったのは70年前のこと、時はゆっくりと動いているように思えた。第2次世界大戦という激しい戦争の後、経済的繁栄に沸き、不確実性が冷戦の脅威に由来する破滅思考を支配していた、あの軽薄な時代、アメリカは一つにまとまった国だった。ニュースは、すべてその日または週についてのもので、1年以上経過した情報は、古代の歴史として葬り去られ、殆ど読まれることない教科書行きだった。とは言え、1950年代の高校高校のカリキュラムには取り上げられることはなかった。我々は素直にポリオの予防接種を受け、法に従っていたし、真実とは当時、地元の新聞やABCCBSNBCのようなテレビネットワークが伝えてくれるものだけだった。世界情勢や個人的不安に応じて、時が速度を上げたり下げたりはするものの、20世紀半ばの数十年間、我々には今世紀最大の恐怖を克服したという誇りがあった。朝鮮戦争が終わる頃、私の両親はあらゆる恐怖が終ったと思い込んでいた。

核兵器拡散に対する不安は、気候変動に対する懸念と競合している。自己中心的に現在を生きている我々は、気候変動で未来の誰かの生活は困難になるが、自分たちの近未来には関係ない、と気候変動を捉えている。しかし、我々は既にその将来にいて、アメリカは気候変動の結果による危機に苦労している。しかもその危機は次々にではなく、沢山が同時に出来している。我々は不安に苛まれていて、その1つが核兵器の脅威だが、世界に存在するあらゆる問題の中で、核拡散に関わる問題は、最も柔軟に解決可能だ。

核兵器保有国が民主主義国家の国境に軍隊と装備を集結させている、そんな時に我々はいる。世界滅亡までの比喩的な尺度、「世界終末時計」が真夜中0時にまで100秒とリセットされた時、私は親友で1999年から2011年まで広島市長を務めた秋葉忠利氏と、核兵器の状況と秋葉氏の将来への思いについて話し合った。秋葉氏は2010年、核兵器廃絶運動における世界的リーダーとしての生涯にわたる役割に対して、アジア・ノーベル賞と呼ばれるラモン・マグサイサイ賞を受賞している。

私たちの会話は長時間だったので編集されてます。

Joseph Mazur  ジョセフ・メイザー

君と僕は、広島と長崎の原爆投下の数年前に生まれています。僕たちは当時3歳で194586日と9日に何が起こったのか理解できませんでした。君は原爆という言葉を聞いたかもしれませんが、僕は「エノラ・ゲイ」と聞きました。お互い7,000マイル(11,200km)も離れていたので、僕たちは両親から違った言葉で、恐らくは異なる感情でニュースを受取ったはずです。僕はその日,何か大変な事が起きたって覚えていますが、当然、完全には分っていませんでした。僕は戦争時代の子供だったので、爆弾が何なのかは知っていましたが、破壊と人命損失の程度については何も知らなかったのです。君は何処にいたのでしょうか?当時、両親から言われたことを覚えていますか?大人になってからその出来事の記憶がどのように展開したのか話して貰えますか?

Tadatoshi Akiba: 秋葉忠利

ジョー、僕は10歳になるまで広島と長崎について何も知りませんでした。僕の最も古い記憶の一つは1945年夏のある暑い日に遡ります。僕が縁側に立っていて、母が戻ってくるのを待っていた時のことです。空襲警報が鳴って、母は1月に生まれた弟を行李に入れ、庭に掘った防空壕まで運んでいました。縁側は高過ぎて庭まで飛び降りられず、僕は母が戻るのを待たなければなりませんでした。それがとても怖かったことを覚えています。

東京の南東部に位置する千葉市が、その夏の77日に焼夷弾による空襲の標的になりました。B-29爆撃機の編隊129機が市の中心部を壊滅させ、住民1000人以上が死傷、9000近くの建物が破壊されました。

僕の家族は街の安全な地域に住んでいて、そこには焼夷弾は数発しか落ちませんでした。でも焼夷弾は自宅隣の道路に落ちました。美しくその一方で恐ろしい火花を、僕ははっきりと覚えています。

それらの記憶は僕の心に鮮明に残り、世界中、至る所における戦争の悲劇を想像するときの助けになっています。

ジョセフ・メイザー

原爆投下後の広島と長崎の惨状の大きさについて、日本の人々はどのように知ったの?

秋葉忠利

広島と長崎については、ずっと後になるまで何も聞かされませんでした。GHQによる「プレスコード(新聞・出版活動を規制するための検閲)」が施行されていたからです。その結果、原爆投下に関する情報は、一切私たちには伝わらなかったのです。被爆者でさえ、怪我や身体へのダメージに関する医療情報を得るのが困難でした。

1952年になってやっと、日米講和条約が発効し、プレスコードが撤廃されました。原爆投下の、言語を絶する悲劇的かつ悲惨な結果について、僕たちが知ったのはその時からでした。

近所の書店には、195286日、日本でのライフ誌に相当する『朝日グラフ』が平積みになっていました。手に取って見ると、顔がすっかり焼け焦げて仰向けに横たわっている若い女性の写真が載っていました。僕は気分が悪くなり、その夜は眠れませんでした。

[以下、続きます]

[2022/5/1 イライザ]

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2019年7月19日 (金)

日本のテレビは「いじめ」を助長している ――みんなで声を上げましょう――

イギリスの人気テレビ番組「Britain’s Got Talent (私訳: イギリスの隠れた才能発掘! BGTと略)」は、「いじめ」について、積極的に関わり、「いじめはいけない」「いじめを受けた子どもたち、受けている子どもたちよ、頑張れ」といったメッセージを出し続けています。

それに対して、日本の子どもたちは、日常的にテレビからどんなメッセージを受けているのでしょうか。サイモンと同じように、批判に晒され反省することでテレビ番組の内容が変ることを期待していますが、取り敢えず現状を簡単に見てみましょう。

日本のテレビ番組で、隠れた才能を発掘する目的を掲げているのは、テレビ東京の「カラオケバトル」があります。堺正章が「オウナー」ということで、高校生や中学生、時には小学生までが出場しています。それと、出場者は芸能人ですが、俳句や華、水彩画等の才能を評価する、TBSの「プレバト」くらいでしょうか。

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「プレバト」は私が好きな番組なのですが、それは、番組の大きな枠組みを無視して、純粋に才能の評価が行われている場面に限っての話です。まず、司会の「浜ちゃん」の言動は、テレビなら「いじめ」は許されるのか、と言っても良い暴力性に満ちています。人の頭を殴ることは日常茶飯事、しかも擬音まで使ってそれを強調しています。また、芸能界では「いじる」と表現されるようですが、本当は「いじめる」の短縮形だとしか考えられない言葉の暴力には辟易しています。さらに、さすがに今は減りましたが、俳句の先生である夏井いつきさんを梅沢富男という男が、「ババア」呼ばわりしていたことも、多くの人々の顰蹙を買っていました。

私たち大人なら、このような言動を不愉快だと思い、より大きな世界の判断基準に従って対処することは可能です。でも世界が狭い子どもたちにとって、ましてや、学校で「いじめ」に遭っている子どもの場合、周りの加害者からも先生からも「あれはふざけているだけのこと」と問題にされない場合、このような番組を見せられれば、「おかしいのは自分の方だ」と思い込んでしまうことがあっても不思議ではありません。

「いじめ」が原因で自殺した子どもたちのケースが何度も報道されながら、調査をしたはずの担任が、加害者と傍観者の「あれはふざけていただけ」を鵜呑みにしてしまう背景に、「プレバト」のような番組の、「いじめ」助長とも思われる言動があるとしたら、私たちがもっと声を上げなくてはいけないのではないでしょうか。

「カラオケバトル」では、さすがに子どもの頭を叩いたり、言葉による「いじめ」は見られませんが、それでも、信じられない光景を先日目にしました。

出演者は、北海道の高校に通っている女子高生です。工業系の学校だということで、一クラス約50人の生徒のうち、女子は2人だけだということでした。このような環境に置かれている女子生徒の立場が難しいことは誰でも理解できるはずですが、それでも耳を疑ったのは、この二人の女子生徒に対して、男子生徒は一切話し掛けもしないという事実があることでした。しかもそれは、一種の温かいエピソードとして扱われていて、「カラオケバトルで優勝したら話し掛けて貰えるかもしれない」ことが強調されていたのです。

でも考えてみて下さい。全員が男子だとして、二人だけ全く話し掛けてももらえない生徒がいるとしたら、それはどんな定義を適用したとしても「いじめ」です。でもその二人が女子生徒だと、途端にいじめではなくなってしまうし、学校側でも何の対応もしていないとは、呆れて物が言えません。

BGTとAGTでのサイモンの言動を問題にした人たちは、普通なら「いじめ」でもテレビで同じことをすれば称賛されるのはおかしくないか、と主張しました。それは、「被害」に遭った子どもたちの人権という視点からは当然のことです。日本のテレビ界でも、そろそろ、子どもの人権という視点から番組の内容を考えることをはじめても良いのではないかとも思いますが、皆さんは如何お考えになりますか。

[2019/7/19 イライザ]

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2019年7月18日 (木)

「いじめ」をなくそう (3) ――テレビ番組の役割――

イギリスの人気テレビ番組「Britain’s Got Talent (私訳: イギリスの隠れた才能発掘! BGTと略)」は、「いじめ」について、積極的に関わり、「いじめはいけない」「いじめを受けた子どもたち、受けている子どもたちよ、頑張れ」といったメッセージを出し続けています。

一寸穿った見方をして、仮にこのような姿勢が、「「涙もろい」視聴者の心理に付け込んで視聴率を上げるための商業的な意図」に基づいていたとしても、「いじめ」についての正しい考え方を発信し続けること、特に「いじめ」を受けている子どもたちに寄り添おうとすることには、大きな意義があります。これについて書き始めたのですが、二回にわたっての「準備」が必要になりました。

さらに、もう少し調べてみると、BGTやAGT(America’s Got Talent、つまりBGTのアメリカ版)のプロデューサーで、最近は一貫して「いじめ」に反対の姿勢を示している、審査員のSimon Cowell (サイモンと略)は、辛口のコメントで知られており、かつては番組の出演者に対する彼のコメントや行動が「いじめ」だとの批判を受けたこともあったようです。

Simon-cowell

サイモンのFacebookから

その反省があるからかもしれませんが、最近のBGTやAGTの番組でサイモンは、一貫して「反」「いじめ」に徹しています。何人か、「いじめ」に遭ったことのある出演者へのコメントは、人によって違うこともありますが、大体次のような内容です。

 

  • 「いじめ」に遭って辛かったであろうことに対する理解を示し被害者に寄り添う。
  • 被害者が「いじめ」に遭っていたことを公にして、社会的に共有したことについての高い評価を示す。
  • 「いじめ」に負けずに、闘ったことを評価する。[番組中の被害者の問題解決が転校による場合の多いことも、出演者の言葉から分ります]
  • 「いじめ」の原因は、被害者が加害者より優れているからだという「因果関係」を宣言する。
  • 自分も、被害者の側に立ち被害者に寄り添っていることを示すために、また「いじめ」は許せないというメッセージを発信するため「金色のボタン」を押すなどの行動を取る。
  • 「いじめ」の加害者に満足感を与えないために、「被害者」としての過去と決別することなどのアドバイスをする。

 

テレビや音楽界の大物のサイモンが「いじめ」についての姿勢を明確にしていることで、社会的にも「いじめ」についての理解が深まっていることは、例えば、前に紹介した「Bars and Melody」の番組が放映され、大きく広まったことで、「いじめ」の「加害者」から「被害者」に謝罪のメッセージが届いたことが報道されたりしていることに現れていると見ることも可能です。

それに対して、日本の子どもたちは、日常的にテレビからどんなメッセージを受けているのでしょうか。サイモンと同じように、批判に晒され反省することでテレビ番組の内容が変ることを期待していますが、取り敢えず現状を簡単に見てみましょう。また長くなったので、次回に。

[2019/7/18 イライザ]

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