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2023年9月18日 (月)

4年振りの敬老会に参加しました ――高齢化社会の現実についても考えさせられました――

4年振りの敬老会に参加しました

――高齢化社会の現実についても考えさせられました――

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4年前より参加者の減った高齢者の集い

 

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今日、敬老の日ですが、私の住む中山間地では昨日、4年振りに敬老の日のイベントが開かれました。玖島地区コミュニティ推進協議会の森藤信賢会長の挨拶が、この地域の抱える問題点を指摘しつつ、そこに住む私たち高齢者への激励の言葉になっていましたので、以下、御本人のOKを頂きましたので全文を掲げさせて頂きます。

  皆様、こんにちは。玖島コミュニティ会長でこの集いの実行委員長の森藤です。すぐに会食、ご歓談されたいとは思いますが、コミュニティを代表して一言挨拶をさせて頂きます。

ご存じの通り明日が「敬老の日」です。皆様、「ご長寿」、誠におめでとうございます。併せて、この「高齢者の集い」が多くの皆様方のご出席を賜り、盛大に開催できましたことを感謝申し上げます。 ()

 さて、この集いは玖島に住んでいる私たちが「皆様方のこれまでのご功労に感謝し、末永いご健康を願う」、そして「皆様方に親睦を深めていただく」お祝いの集いです。このような集いですが、皆様方はもちろん、玖島にも元気になってもらいたいので、皆様にお願いを申しまして、挨拶をさせて頂きます。

 ご存じの通り、今の玖島は、若者が減って、元気がなくなってきています。若者がほとんどいないのですから、今、若者に玖島の未来や活性化を託すことは難しいと思います。ここにご出席の(いつも)元気でご活躍の皆様には釈迦に説法とは思いますが、皆様が「もう十方分頑張った」と思って引退されたら今の玖島は益々さびれていきます。玖島を切り開き、守って、そして発展させてこられた私達の先祖の努力を考えると、私達はそれを引き継いで行かなければなりません。そのためには若者が少ないのですから私たち高齢者も現役であり続ける他ありません。死ぬまで現役です!!  

 私たち高齢者が「歳だから」と言って閉じこもるのではなく、まずは可能な限りこの集いのような色々な活動に参加しましょう。参加し多くの人と話せば元気になって「もっと頑張ろう!」と希望がわいてきます。私たち高齢者が元気になり希望を持つことが玖島を明るく元気にします。

 今日のこの集いですが対象者は230人で、参加された方は67人と聞いています。

 色々な事情があって参加できない方もいらっしゃいますが、もし、この2倍、3倍の人が集まれば、もっと賑やかな集いとなって元気が出て、「来年も来よう」と、もっともっと希望がわいてくるのではないでしょうか。

 長くなりましたが、私たち高齢者が元気で希望をもてば、玖島は必ず元気になります。玖島が元気になれば、玖島に魅力を感じて若者も戻ってくるかもしれません。玖島の未来は私たち高齢者の手にかかっています。玖島で人生を楽しみましょう!!

 生意気なこと、失礼なことを申し上げましたがお許し下さい。

 前回の「高齢者の集い」は2019年で、その後、コロナ禍のため3回中止しましたので、4年ぶりの開催となります。この「高齢者の集い」の開催を皆様、毎年楽しみにされていたのではないかと思います。今回と併せて4回分楽しんで下さい。

ただ、この集いを楽しみにされていながら、この4年間で亡くなられた方もいらっしゃいます。その方々との楽しい日々も思い出されながら楽しんで頂けたらと思います。

 最後になりましたが、この集いの開催をお世話して頂いている皆様、本当に有り難うございます。最後まで宜しくお願いします。ご出席者を始め、ここにお集りの皆様方の末永いご健康をお祈りするとともに玖島が元気になっていくことを願いまして私の挨拶とさせていただきます。

 

お弁当を頂いた後、アトラクションがあり、その後はカラオケ・タイムという出し物はほぼ同じでしたが、参加者数が減ったせいか、やはり盛り上がりには欠けました。

その対策として「玖島花咲く館」など、地域の皆さんの果敢な取り組みもあるのですが、事は全国的広がりを持つ長期課題です。それは、「地方創生」等という言葉だけでは解決しない喫緊の大課題でもあります。戦争ごっこにうつつを抜かしている政治家たちには任せておけないのですが、皆さんこの際、政治を変えるために今までとは一味違った行動を取ってみませんか?

 

最後に皆さんにとって、今日一日が素晴らしい24時間でありますよう!  

 [2023/9/18 人間イライザ]

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2023年7月28日 (金)

コストコも完全に「広島化」しました ――そして多忙のため、ブログはしばらくお休みします――

コストコも完全に「広島化」しました

――そして多忙のため、ブログはしばらくお休みします――

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コストコでも、お盆灯籠を1,080円で販売していました

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広島以外の方には、これがお盆灯籠だとはすぐには分らないかもしれませんが、広島ではお盆に合わせて、お墓に飾られる灯篭です。浄土真宗の安芸門徒が続けてきた習俗です。

アメリカから、そして世界各地からバルクで輸入したものを数多く販売しているコストコにまで、広島だけで見られる盆灯籠が進出したということは、コストコの「広島化」を示す好い例かも知れません。

さて、全く別件ですが、これまで10日間、忙しさが増してこのブログの更新ができませんでした。8月6日が近付いてきていますので、例えば、原水禁国民会議の主催する「被爆78周年原水爆禁止世界大会」のための準備や、8月26日に開催予定の「加藤友三郎没後100年記念シンポジウム」等の準備のための時間が必要になりました。

本来なら、きちんとお断りしなくてはならないところでしたが、ようやく今日、全国的には珍しいかもしれない写真とともにアップすることができました。

 

そして皆さんにとって、今日一日が素晴らしい24時間でありますよう、また暑い夏を元気でお過ごしになりますよう!  

 [2023/7/28 人間イライザ]

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2023年7月18日 (火)

被災地に人を送り込むな ――5年前の教訓は生きているのでしょうか?――

被災地に人を送り込むな

――5年前の教訓は生きているのでしょうか?――

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Floods of Mabi, Kurashiki City 倉敷市真備 平成30年7月豪雨被害 (松岡明芳氏撮影)

https://www.wikiwand.com/ja/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:2018-07-14_Floods_of_Mabi,_Kurashiki_City_%E5%80%89%E6%95%B7%E5%B8%82%E7%9C%9F%E5%82%99_%E5%B9%B3%E6%88%9030%E5%B9%B47%E6%9C%88%E8%B1%AA%E9%9B%A8%E8%A2%AB%E5%AE%B3_DSCF3676%E2%98%86%E5%BD%A1%E2%98%86%E5%BD%A1.jpg

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「防衛省を防災省に」は、これまで何度も繰り返してきましたが、昨日は、一年前の豪雨災害からの教訓としてアップした形での記事を再掲しました。しかし、そもそも自然災害について考え調べながら提言としてまとめることになったのは、2018年の西日本豪雨災害というきっかけがあったからです。でも5年後の今、政治的な対応は、とても当時の教訓が生かされているとはとても思えないレベルです。例えば、「防災省」というような専任の機関を作って、予算も人も付けて、国家規模での「災害対策」を行わなければ、自然災害による犠牲者も金銭的な被害も減らすことはできません。災害が起きるたびに、「実況放送」は長時間するけれど、少し時間が経つと、それを元にした被害削減のための国家的な政策が打ち出されることはありません。

そして、今回の災害についての実態が明らかになるまでにはまだ時間が掛かり、復旧のための対策が打ち出されるためにはさらに時間が掛ります。そして、その後に本来ならより恒久的な対策が提案されるべきなのですが、多くの政治家、そして市民の頭の中では災害の記憶が薄くなってしまっているのがこれまでの通例です。だからこそ、その前に、つまり今、5年前を振り返りつつ、自然災害についての頭の整理をしておきたいと考えています。

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2018年7月9日アップの記事を元に編集

最初の提言は

  • 最初は「被災地に人を送り込むな」です。

広島在住のKさんの体験を私が聞き取り、まとめたものです。Kさんはかなり頻繁に東京・広島間を行き来している人です。今回も上京していたのですが、帰広の切符は6日金曜日の夜の便でした。その時点で空港から市内のリムジンバスは運転中止、JRの在来線もとまり、新幹線も動いていない状況でした。山陽道も通行禁止状態でした。

仕方がありませんので、タクシーに頼るということで東広島市内のホテルに予約を取っていました。フライトがキャンセルされる可能性もあったのですが、とにかく飛びましたので、広島空港に着陸、長い時間待って、タクシーで、東広島まで辿り着きました。

Kさんの場合は、事前に空港到着後の情報が分っていましたので、それなりに準備をすることができたのですが、悲惨だったのは外国人観光客の皆さんでした。

タクシー乗り場も長い列ができ、空港内の事務所を開放するのでそこに留まって欲しいという対応もなされたようなのですが、ある外国人家族に取っては衝撃的なニュースだったようです。

その家族のお母さんと飛行機の中で隣り合わせになったKさんが聞いた話では、空港でのレンタカー予約をしていて、到着後は広島まで車で行き一泊、次の日には宮島を見て、それから四国に研修のため滞在しているお子さんを訪ねる予定だったとのことでした。お母さんは両手に障害があり、恐らくお父さんが、運転も家族の世話もするという状況だったのでしょう。

到着した6日には、車で広島市内まで行くのは不可能、結局空港で一泊というようなことになり、次の7日にも事態は一向に変わらず、宮島にも行けずお子さんにも会えずに、もし飛行機が飛んでいれば東京に戻るというシナリオになってしまったようです。

Kさんも自分の足の確保しなくてはならず、最後までお世話できなかったようなのですが、わざわざ広島まで来なくても、この情報は東京で把握できたはずですので、東京で対応できていれば、二日間の時間のロスと、東京・広島間の航空運賃のロスは防げたのではないでしょうか。

さらに、外国人に限らず、広島に住んでいる人ならそれなりの知識はあったとしても、それ以外の人たちには、「白市まではリムジンバスが出ています」という情報からは、そこまで行けばあとは何とかなるだろう、というくらいの想像力しか働きません。そんな状態になることが分っていて、東京から広島まで善意かつ情報のないお客さんを送り込んで良いのでしょうか。

航空会社にすれば、切符は発行した、飛行機は飛べたのだから飛ばしした、後は乗客の責任ということになるのかもしれませんが、到着後には、空港の事務所の床に寝るという選択肢しかないところに、それも到着して初めてそれが分るという前提で乗客を運べば、それで済む話なのでしょうか。

福岡市の場合のように、仮に災害があったとしても空港と市内とが近い場合には、それほど大きな問題にはならないのかもしれません。そうだとする、わざわざ遠隔地に飛行場を移設した広島県や広島市が、このような場合の責任の一端を負うべきなのではないでしょうか。

そして、航空会社も、キャンセル不可・返金不可の切符であっても、災害時には到着地の状況をきちんと把握して、災害地には目的地に着けばそこで孤立無援になってしまう乗客を、送り込まないというくらいの責任を持つべきなのではないかと思います。そのために、私企業だけに負担を強いて乗客の安全と安心を確保するのではなく、国全体のシステムとして、このような場合の対応も含めた施策があれば、災害時の不安の種は、少なくとも一つは減ると思うのですが如何でしょうか。。

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羽田で把握できる情報は乗客に知らせずに、被災地に善意・情報のない乗客を送り込むというようなことは、もう起きていないことを祈りますが、マスコミの報道でも、例えば「空港でどこにも行けず困っている人がいます。それほど深刻な災害です。」レベルのことは伝えても、災害の現場から、システムとしてそれに対応できるはずだという問題提起にはつながらないのが普通です。

だからこそ、敢えて何度でも問題提起を続けています。

 

そして皆さんにとって、今日一日が素晴らしい24時間でありますよう!

 [2023/7/18 人間イライザ]

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2023年6月 6日 (火)

我が家から30分のところに、こんなにきれいな滝がありました ――できれば動画をアップしたいです――

我が家から30分のところに、こんなにきれいな滝がありました

――できれば動画をアップしたいです――

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県道293号沿いの滝

 

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お昼に、少し奥の方にある有名なレストランに行きました。そのレポートはまたの機会にゆっくりさせて頂くことにして、帰りは別のルートでということで、冒険をしました。

県道293号線に沿って少し奥に入ったところに、きれいな滝がありました。次の写真は横から撮ったものです。

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そしてもう一枚、その上流です。

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時間的に余裕ができたら、ドローンを使って、この滝にもう少し近付いた動画を撮ってアップできたらなどと、想像力を逞しくしています。

他にも、まだ知らない滝や池、渓流などもあるはずですので、「冒険」を続けたいと思っています。

 

そして皆さんにとって、今日一日が素晴らしい24時間でありますよう祈っています!

 [2023/6/6 人間イライザ]

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2023年4月25日 (火)

老人クラブ総会でした ――カラオケは禁止でした――

老人クラブ総会でした

――カラオケは禁止でした――

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コロナも下火になり、私の住む町の老人クラブも4年振りに対面での総会を開くことになりました。4年前の総会はこのブログでも報告しています。会場も前回と同じ宮島口の宮島コーラルホテルです。

会員も、4年前は105人でしたが、今年は94人です。役員は、前回と同じく、旧役員の続投が決まりました。

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12時からは、食事なのですが、その後のカラオケを楽しみにしてこられた方も多かったようです。残念ながら、カラオケはまだ「禁止」だとのことでした。せめて、機械だけでも紹介しておきましょう。

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帰りのバスの出発まで、大きく様変わりした宮島口のあれこれを楽しみましたが、やはり広電の駅舎と道路からみた港の姿が印象的でした。

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最後に今日一日、皆さんにとって、素晴らしい24時間でありますよう!

 [2022/4/25 イライザ]

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2023年4月 2日 (日)

職責を果たす広島市の職員 ――基礎自治体では、信頼関係を作り易い――

職責を果たす広島市の職員

――基礎自治体では、信頼関係を作り易い――

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3月31日の金曜日、夜7時頃に広島市関連団体の職員(Aさんと呼んでおきます)から電話を貰いました。お役所は5時で終りますから、「何だろう」という思いで電話に出ました。その結果、吃驚と感激でした。

実は、夏にあるイベントを企画しています。詳細は、もう少し経ってから発表しますが、まずは会場を確保する必要があります。その会場を一旦、仮予約したのですが、その会場ではピアノを使えないことが分って、その他の会場を探すのか、それともピアノを使わないイベントに内容を変更するのかを検討中だったのです。

実行委員会を開いてこの件を諮らなくてはならないのですが、まだその段階に至っていません。仮予約のままで、次の手続きに移るのか、仮予約をキャンセルするのか待って貰っていたのですが、それに付いての問い合わせの電話でした。

もう少し早くこちらから連絡すべき案件だったのですが、忙しさにかまけて、先延ばしになってしまっていました。申し訳ない限りなのですが、「なぜ、夜になって」とふと頭に浮かんだ疑問に対する答はAさんの説明で氷解しました。

「異動で明日からは、担当から外れますので」という説明があったからです。3月31日は年度末ですので、異動に当って、それまでの仕事のうち、まだ処理済みではないものについて、最後の整理をしていたに違いありません。それが複数あっても不思議ではありませんから、次々と処理をして、ようやく7時頃には私の仮予約の番になったのでしょう。

会場の件は、今日、明日にも実行委員会のメンバーに相談して正式の決定にする積りですが、こちらの怠慢を責めることもなく、現状の確認をするという自らの職責は果して後任の担当者に引き継ぐことは、市民サービスのあり方としてもお手本になるものだと感じました。

市民と直接関わる機会の多いのが、「基礎自治体」と呼ばれる市町村などなのですが、日常的に市民とのやり取りをする中で、市民の立場に立って仕事をする習慣を身に着けている職員の率も多くなります。それが例えば市役所と市民との間の信頼関係になり、住み易い街づくりにもつながります。

今回の電話で、そのお手本の一つを見せて貰えたような気がして、その後の夕飯は特に美味しく頂けました。

 

最後に今日一日、皆さんにとって、素晴らしい24時間でありますよう!

 [2022/4/2 イライザ]

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2023年3月21日 (火)

歴史は生きている ――杉並区のイベントで人生を振り返ることになりました――

歴史は生きている

――杉並区のイベントで人生を振り返ることになりました――

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杉並に住む原爆被爆者の会である杉並光友会と杉並区共催の「都市から核のない世界へ」は、高円寺障害者交流館で開かれました。駅から徒歩10分足らずの場所に障害者交流館があるのは便利ですね。

会の進行をしてくれたのは、被爆三世の松本浩一光友会幹事でしたが、以前広島に住んでいたときには、西広島駅で毎週街頭演説をしていた私を御家族と一緒に見守って下さったことを枕にしてくれました。国会議員時代の約10年間、毎週日曜日と月曜日にそれぞれ一時間ずつ、街頭から国会報告と政治の分析・解説、そして進めるべき施策の提案を続けたことを懐かしく思い出しました。でも、寒い冬と暑い夏の間は大変でした。

この会の特色は、講演とトーク、対談が終った後、スタッフの皆さんでの茶話会があったことです。ここでのお話が杉並の歴史、そして日本の平和運動が生き続けていることを実感する場になりました。

順不同になりますが、まず、1954年のビキニ水爆実験の被害後に核実験と原水爆禁止を掲げての署名運動を呼び掛けたのは、杉並の魚屋さん、菅原健一とトミ子さん夫妻でした。18日には娘の坂本さんから、その後の杉並の区民の皆さんの活動を伺うことができました。

草の根から始まった原水爆禁止運動が組織化された後、長い間、原水協を引っ張って活動されたのが、当時の公民館館長だった安井郁さんでした。私にとって特に印象深かったのが1963年、原水禁運動が分裂した第9回の世界大会での安井理事長の姿です。当時は広島の平和公園を会場にして総会が開かれていたのですが、分裂を避けるための話し合いの経過を報告する安井さんの声を私たち通訳はブースの中から英語に訳していたのです。「私に、いましばらく時間を貸して下さい」という彼の声は、人類破滅までの時間を少しでも遅らせよう、という呼び掛けにも聞こえたのでした。

18日には、その安井さんの御長男の奥様が出席されていました。60年という時が、この場でつながって一つになったような気がしたのは幻ではありません。さらに、この日の世話人の一人である小寺隆幸丸木美術館理事長は、安井さんが原水協の理事長の後に丸木美術館の館長を務められたことを紹介して下さいました。

歴史の糸を手繰り続けると、すぐ脇道に迷い込んで長くなってしまいます。この続きはまた明日に取っておくことにします。

 

最後に今日一日、皆さんにとって、素晴らしい24時間でありますよう!

 [2022/3/21 イライザ]

 

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2023年3月20日 (月)

杉並区の岸本聡子区長にお会いしてきました ――69年前も今も杉並から新たな動きが始まっています――

杉並区の岸本聡子区長にお会いしてきました

――69年前も今も杉並から新たな動きが始まっています――

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このチラシの講演とトークの会の講師を務めました。雨の中、18日に開催されましたが、参加されたのは約80名。とても熱心な方々ばかりで私にとってとても意味深い日になりましたが、まずは共催した杉並区の岸本聡子区長に、イベントの始まる前にお会いできました。

このような平和イベントに区が共催者として積極的に関わることも大切ですが、区長自ら会の初めの挨拶のために会場に足を運び、かつ講演に耳を傾けることもなかなかできるものではありません。私にとっても嬉しい経験でした。

岸本区長は被爆三世の中村涼香さんとの会話も楽しんでおいででした。

岸本区長と私との共通点がいろいろあって、それも嬉しかったのですが、例えば、自転車通勤です。 (私は荷物を落したことで多くの皆さんに迷惑をかけたのでそれで止めましたが――。) 外国暮しの経験が長いこと、そして、公共財 (「コモンズ」と呼ばれることもあります) という概念を政治の柱の一つにしていること等です。

岸本区長の場合は私より本格的に、公共財を守るという形で教育や医療、そして水道等を捉え、区民と共に育てるという施策を展開しています。

皆さんも御存じのことですが、杉並区は1954年の第五福竜丸のビキニ環礁での被曝後、原水爆実験と原水爆禁止のための署名運動を市民が始め、それが全国に広まって我が国の反原水爆運動になった発祥の地です。広島・長崎が原水爆に反対するだけでなく、市民の生活が元になって平和を我が手で創るという意思がこのような運動になったことで、全国に希望の灯が点った記憶があります。

そして混迷を深める我が国の政治にとって、岸本区長を選出した杉並区民が再び希望の灯を灯してくれていると感じたのは私だけではなかったように感じています。

次回は、このイベントのもう一つの特徴についての報告をします。

 

最後に今日一日、皆さんにとって、素晴らしい24時間でありますよう!

 [2022/3/20 イライザ]

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2023年3月 3日 (金)

ロンドンに着きました ――ロシア上空は飛べないので14時間掛かりました――

ロンドンに着きました

 ――ロシア上空は飛べないので14時間掛かりました――

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あまり見慣れない地図だと思いますが、ブリティシュ・エアウエイの機内で見た空路です。左上の東京から出発して右の方のロンドンに到着というルートですが、下の方にはアメリカ大陸が見えるように、北極の近くを通過しています。横の区切りの線は、ロシアとアメリカ・カナダの間を示しているのだと思います。普段は12時間のところですが、ロシア上空を飛べないため、14時間掛かりました。

機内は快適でした。寝られた時間は少なかったのですが、それでも十分リラックスできました。こちらの写真は、CAさんの方から声を掛けてくれて撮って貰ったものです。

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日本でのナッツのミックスとは違った組み合わせで、とても美味しかったのですが、どこで手に入るのかが分りません。

ロンドンのホテルは、Hotel du Vinです。テニスで有名なウインプルドンにあるようです。古いホテルですが、かなり高級だとのこと。昨夜はぐっすり眠れました。

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最後に今日一日、皆さんにとって、素晴らしい24時間でありますよう!

 [2022/3/3 イライザ]

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2023年3月 2日 (木)

夕食はHICITYでした ――ロボットの配膳係は初めてでした――

夕食はHICITYでした

――ロボットの配膳係は初めてでした――

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羽田での夕食は、最近、良く耳にするHICITYに行きました。正式には「HANEDA INNOVATION CITY」で、その略らしいです。

レストランだけではなく、ちょっとこジャレタ店もあるのかなと思って行ったのですが、イメージは全く違っていました。まず、ネットでの情報では、モノレールの天空橋駅に直結しているとのことだったのですが、駅の出口が分りません。ウロウロしてようやくHICTYに辿り着きましたが、レストランの種類も少なく、GURUNAVIFOODHALLWYEというところに入りました。名前も覚えられないのですが、美味しさでは合格でした。

一番良かったのは、配膳係がロボットだったことです。

でも心配になったのは、このレストランが貸し切り状態だったことです。かなり広い店でしたので、居心地は今一でした。

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明日はロンドンです。

 

最後に今日一日、皆さんにとって、素晴らしい24時間でありますよう!

 [2022/3/1 イライザ]

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