文化・芸術

2023年6月30日 (金)

広島大学病院YHRPミュージアム ――かぼちゃの作品が沢山あるユニークな美術館です――

広島大学病院YHRPミュージアム

――かぼちゃの作品が沢山あるユニークな美術館です――

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病院の正門を入ってすぐ右にある丸い建物です

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まだ準備段階なのですが、8月に開くイベントの会場として使わせて頂くことになっている「広島大学病院YHRPミュージアム」を、主催者側の関係者と下見に行ってきました。

Y = やすらぎ、H = 平和、R = リハビリ、P = ポーランド という意味があるのだそうですが、ポーランドは、主要収蔵作品の一つが、ポーランド人のレシェック・ノヴォシェルスキの陶板画「ノーモア・ヒロシマ」であることを強調するためだと理解しています。また、カボチャの作品も多いのですが、それは画家の川原田徹さんの作品です。それに詩人の谷川俊太郎さんが詩を付け、このミュージアムを寄贈した元広大学長 (そしてオペラ歌手) の原田康夫さんが曲を付けた楽曲もあるのだそうです。一度聴いてみたいですね。

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また、このミュージアムの特徴の一つは、回廊を回りながら作品を鑑賞できるところです。二階はスロープになっているのです。その二階から下を見ると、こんな具合です。

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開館時間は、平日の午前9時から午後4時まで。しかも入館料は無料です。一度、時間を取ってゆっくり鑑賞することをお勧めします。

 

そして皆さんにとって、今日一日が素晴らしい24時間でありますよう!

 [2023/6/30 人間イライザ]

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2023年6月11日 (日)

数学を学ぶとは・教えるとは ――「数学人の集い」の楽しみ方――

数学を学ぶとは・教えるとは

――「数学人の集い」の楽しみ方――

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私も小学生の時に「僕に方程式を教えて下さい」と頼んだことがあります。

 

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「《社会と数学の関わり》を話し合う数学人の集い」を始めるというお知らせは、このブログで前に報告した通りです。その後も順調に回を重ね、先日、第4回目を迎えました。各回ごとに終った後も、メーリングリストでの熱いやり取りがあるのも、この「集い」の特徴なのですが、それも含めて、話題提供者の話や当日の質疑等からも大きな刺激を受けています。一言でまとめると、とても「楽しい」集いなのです。

第4回は、『僕に方程式を教えて下さい』 (以下、『僕に』と略します) の著者の一人、瀬山士郎群馬大学名誉教授 (以下「瀬山さん」と呼びます。集いの中でそう呼び合うことにしましたので。) が、少年院で数学を教えた経験とその意味、矯正教育や数学教育の意味等をお話し下さり、感動的な一時になりました。

書き始めると、その日のこと、メーリングリストでのやり取り、『僕に』の濃い中身等、止まらなくなってしまいますので、瀬山さんが教えた赤城少年院と新潟少年院の授業内容を簡単にまとめることから始めます。少年院で数学を教える意味については、ここでは説明しきれませんので、『僕に』をお読み下さい。でも以下に私の書くこともその説明の一環になっているかもしれません。

赤城少年院で瀬山さんたちが目標としたのは、「一次方程式が解けること」でした。中学レベルの子どもたちが中心だったからですし、まず授業時間が少ないこと、4月から一斉に授業が始まるのではなく、途中から入院してくる子どもたちもいること、そして学力もバラバラだという状態に対応するためです。それには、何か目標を掲げてそれに絞って、そしてそこに到達する過程で必要な知識や技術、抽象化や論理化、そして記号化という数学の本質を教えて行こうというのです。

さらに、新潟少年院は、高等学校卒業程度認定試験を受けられる指定施設になっていたため、その試験に合格できる数学力が付くようなカリキュラムが必要になりました。ここも一点突破で、二次方程式が解けるようになること、二次関数の基本を理解すること、時間的に余裕があれば三角比を扱うことが目標でした。

そして、瀬山さん、共著者の高橋さん、村尾さんのチームは、素晴らしい授業を展開されたことが、瀬山さんの話から、そして『僕に』から良く分かったのです。それは、三人の先生方の授業では数学の本質を教えていたからです。

なぜ、私がそう感じたのかを説明するのが本稿の目的ですが、比喩を使うことでグラフィックに描ければと思います。それは、「数学」全体を壮大なお花畑に喩えることです。無限に広がっているのか、どこか有限の境界があるのかも分らない、少し高い場所に移動しないと見えてこない花もある、夜と昼では景色が一変し、でも永遠に輝き続けるお花畑です。

このお花畑の「本質」とは何でしょうか。

いろいろな側面のあることもお分り頂けると思います。バラの花全体を考えたときに、バラの美しさを一番的確に表現するためにはどうすれば良いのかという問への答は、多くの芸術家が試みてきたことです。バラの数は例えば100万本というように数えられる、有限の個数しかないのか、それとも無限個あるのかというのもこのお花畑を理解する上で一つのカギになるでしょう。棘のあるバラと棘のないバラの違いはどこにあるのか、棘を取り去る方法があるのか、などという疑問を持つ人もいるかまれません。

瀬山さんたちの答は、一本のバラの花を選んで、これまで真剣にバラの美しさには目を向ける機会のなかった子どもたちに、この一本のバラの花の美しさを伝えたことなのではないでしょうか。それも、「数学の本質」です。その美しさに目覚めたときに、私たちは感動し、楽しさも味わえるのではないでしょうか。

個人的な感想ですので、実際に数学を教えていらっしゃる皆さんが賛成して下さるかどうかは分りません。そして、お花畑に喩えることは、数学に限ったことではないでしょう。でもこう考えられると思ったときに、私の世界は確かに広がりました。

最後に一言。ここで「お花畑」が出てきた理由は、例えば岡潔先生のような優れた数学者がエッセイの中で数学を花にたとえていることもあるのですが、もう20年も前の『文芸ひろしま』の中の作品「ある家族」で読んだ次の一節を思い出したからです。

「卒業旅行で、自分の乗った飛行機だけオランダに着いてしまった。みんなは、今、イタリアで何をしているだろう、そればかり考えて、今、自分の目の前にひろがっているチューリップ畑や風車のすばらしい風景を私は見てなかった。」

2016年のこのブログでも取り上げていますので、お読み頂ければ幸いです。

目の前にある花やお花畑に感謝し楽しみつつ。

「《社会と数学の関わり》を話し合う数学人の集い」の次回の会合は7月30日の午後7時からです。話題提供者は私でテーマは「核廃絶に至るシナリオ」です。参加御希望の方は、このブログの「コメント」として、メールアドレスを入力して下さい。公開はしませんので。

そして皆さんにとって、今日一日が素晴らしい24時間でありますよう!

 [2023/6/11 人間イライザ]

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2023年4月 2日 (日)

職責を果たす広島市の職員 ――基礎自治体では、信頼関係を作り易い――

職責を果たす広島市の職員

――基礎自治体では、信頼関係を作り易い――

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3月31日の金曜日、夜7時頃に広島市関連団体の職員(Aさんと呼んでおきます)から電話を貰いました。お役所は5時で終りますから、「何だろう」という思いで電話に出ました。その結果、吃驚と感激でした。

実は、夏にあるイベントを企画しています。詳細は、もう少し経ってから発表しますが、まずは会場を確保する必要があります。その会場を一旦、仮予約したのですが、その会場ではピアノを使えないことが分って、その他の会場を探すのか、それともピアノを使わないイベントに内容を変更するのかを検討中だったのです。

実行委員会を開いてこの件を諮らなくてはならないのですが、まだその段階に至っていません。仮予約のままで、次の手続きに移るのか、仮予約をキャンセルするのか待って貰っていたのですが、それに付いての問い合わせの電話でした。

もう少し早くこちらから連絡すべき案件だったのですが、忙しさにかまけて、先延ばしになってしまっていました。申し訳ない限りなのですが、「なぜ、夜になって」とふと頭に浮かんだ疑問に対する答はAさんの説明で氷解しました。

「異動で明日からは、担当から外れますので」という説明があったからです。3月31日は年度末ですので、異動に当って、それまでの仕事のうち、まだ処理済みではないものについて、最後の整理をしていたに違いありません。それが複数あっても不思議ではありませんから、次々と処理をして、ようやく7時頃には私の仮予約の番になったのでしょう。

会場の件は、今日、明日にも実行委員会のメンバーに相談して正式の決定にする積りですが、こちらの怠慢を責めることもなく、現状の確認をするという自らの職責は果して後任の担当者に引き継ぐことは、市民サービスのあり方としてもお手本になるものだと感じました。

市民と直接関わる機会の多いのが、「基礎自治体」と呼ばれる市町村などなのですが、日常的に市民とのやり取りをする中で、市民の立場に立って仕事をする習慣を身に着けている職員の率も多くなります。それが例えば市役所と市民との間の信頼関係になり、住み易い街づくりにもつながります。

今回の電話で、そのお手本の一つを見せて貰えたような気がして、その後の夕飯は特に美味しく頂けました。

 

最後に今日一日、皆さんにとって、素晴らしい24時間でありますよう!

 [2022/4/2 イライザ]

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2023年3月14日 (火)

[追悼] 大江健三郎さん ――「先生」なのですが、それ以上の存在でした――

[追悼] 大江健三郎

――「先生」なのですが、それ以上の存在でした――

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大江健三郎さんが亡くなられました。心から御冥福をお祈り申し上げます。

「ヒロシマ」を考える上でのかけがえのない「先生」でした。でも、それだけでは言い尽くせない大きな存在でした。平和や憲法について考え行動する上で、最後には大江さんがいてくれる――それだけで私には安心感が生まれていたからです。

1963年に出版された『ヒロシマ・ノート』が出発点でした。その年に、大江さんも私も初めて広島を訪れたのです。

1987年7月には、国際パブロフ学会の特別平和シンポジウムでの基調講演をお願いしました。一日かけて、大江さんの他にも素晴らしいパネリストの方々に御参加頂き、広島で開かれた平和シンポジウムの中でも誇るに足る内容だったと愚考しています。その一日の様子は三友社出版の『人間の心ヒロシマの心』として、まとめられています。

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そして、私が大江さんから頂いた最後の言葉は、『数学書として憲法を読む――前広島市長の憲法・天皇論――』をお贈りしたお礼にと頂いた『大江健三郎 自選短篇』の1ページ目に記されていました。

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それからもう4年近く経ったのですが、私の憲法論も少しずつ成長しています。87年のシンポジウムの時のように、心おきなく憲法についての話をしてみたかった――。

私たちにとって、大江さんは大きな「時代精神」のシンボルでした。大江さんが亡くなられたことと、今まさにその「時代」が終焉を迎えつつあるように見えることとは、偶然とは言えないのかもしれません。

 

最後に今日一日、皆さんにとって、素晴らしい24時間でありますよう!

 [2022/3/14 イライザ]

 

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2023年2月27日 (月)

H君を偲ぶ会 ――没後3年、80人が集いました――

H君を偲ぶ会

――没後3年、80人が集いました――

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H君の人徳だと思いますが、コロナ禍でようやく開くことになった偲ぶ会には、会場一杯の80人以上の人が集い、H君の生前の人となり、思い出や、これから一緒にしたかったであろう仕事や余暇活動、それも彼の華やかな人生を再現するような様々なエピソードばかりでした。

例えば、最後の奥様が披露してくれた「遺産」は、H君を彷彿とさせるものでした。彼が残したスマホの電話番号は、レストランが一番多かったのだそうです。

食通の彼ならさもありなんですし、友人たちもIBMから始まり、アスキー、セガ、コロムビア、早稲田大学、東京都市大学等々の職場での同僚や部下たち、そして彼の後継者たちが「変人」としてのH君や、才能溢れる、あるいは人間的な存在として、惜しまれて早世したH君について時間がいくらあっても足りないくらい、語ってくれました。

私は、彼の思い出の中でも、英語が堪能でその上、詩を愛し数学にも強かったことを皆さんに聞いて頂きました。

一つは2015年、Emily Rolfe Grosholzというアメリカの哲学者(特に数学と科学についての研究が目立っています)、かつ詩人の「Childhood」という詩集を津田塾大学の早川敦子先生が日本語に訳され、その出版に際して、Emilyに日本に来て貰った時のことです。出版社はクルミド出版です。

早稲田大学で講演をして貰ったのですが、著名なアメリカの詩人の作品を、「大円」と「コンパクト化」という数学的概念との関連で分析するという内容でした。事前に、原稿を貰えましたので、日本語訳を付けましたが、英語の誌の批評ですので、日本語訳があってもそれほどは役立ちませんでした。事実、「チンプンカンプンだった」と正直に言ってくれた人もいたのです。

でもH君は熱心に講演を聞き、真っ先に手を挙げ、「素晴らしい講演だった。特に、数学的な概念が詩の本質を解き明かしているところ (その具体的な個所を挙げて説明--その部分は略します) で、目から鱗の思いをした」と述べてくれました。講演後は、H君とEmilyの話が弾んでいました。

もう一つは、このブログでも報告しましたが、彼のお見舞いに行った時に話題になったことです。ベッドで読むには、俵万智さんの短歌集より、夏井いつきさんの句集の方が良いと思って、一冊プレゼントしました。H君は夏井さんが着物を愛していることに感謝していること、自分でも捨てられる着物を集めて、再生利用するプロジェクトをしていることを話してくれました。

こんな時にも、「田舎の学問より京の昼寝」を思い知らされてしまいます。御家族が偲ぶ会の会場に持参されたものの中には、愛用のオーボエ (H君は若い時はオーボエの演奏者になりたかった) 万年筆、カメラ、彼を亀仙人に見立てた劇画があり、それらを前に私たちの思い出話が途切れることはありませんでした。

 

それでは今日一日が、皆さんにとって素晴らしい24時間でありますよう!

 [2022/2/27 イライザ]

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2023年2月13日 (月)

『老害の人』と『すぐ死ぬんだから』 ――最高に面白い内館牧子さんの小説――

『老害の人』と『すぐ死ぬんだから』

――最高に面白い内館牧子さんの小説――

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Amazonの『老害の人』のページから

 

堅苦しい話が続きましたので、ちょっと息抜きを。

『老害の人』と『すぐ死ぬんだから』。両方とも内館牧子さんの小説です。実は内館さんが小説を書いていることは全く知りませんでした。脚本家だと思い込んでしまっていましたし、横綱審議委員会の委員ということも知ってはいたのですが、その他の面は全く知らずにいたのです。その人がこんなに面白い小説を書いていたとは!

ネタバレになるといけませんので、Amazonの紹介文を引用します。

迷惑なの! と言われても。

昔話に説教、趣味の講釈、病気自慢に孫自慢。

そうかと思えば、無気力、そしてクレーマー。

双六やカルタの製作販売会社・雀躍堂の前社長・戸山福太郎は、娘婿に社長を譲ってからも現役に固執して出勤し、誰彼かまわず捕まえては同じ手柄話をくり返す。

彼の仲間も老害の人ばかり。素人俳句に下手な絵をそえた句集を配る吉田夫妻に、「死にたい死にたい」と言い続ける春子など、老害五重奏(クインテット)は絶好調。

「もうやめてよッ」福太郎の娘・明代はある日、たまりかねて腹の中をぶちまけた。

『終わった人』『すぐ死ぬんだから』『今度生まれたら』に続く著者「高齢者小説」第4!

定年、終活、人生のあとしまつ……

自分のこと、親のこと、いずれは誰もが直面する「老後」。

「最近の若い人は……」というぼやきが今や「これだから『老害』は」となってしまった時代。

内館節でさらなる深部に切り込む!

私も「老害の人」の一人だからでしょうか、こちらもそして『すぐ死ぬんだから』も同じように楽しめました。「高齢者小説」第四弾ですので、後二冊残っています。これも楽しみに読む積りですが、垣谷美雨さんの『老後の資金がありません』等々の小説との共通点がたくさんあることにも気付きました。

その一つが、会話の面白さです。そして、普段は口に出しては言えないけれど、心の中で思っていることを著者が代弁してくれていること。

全部買って読むには数が多過ぎますので、図書館で借りようとしたのですが、人気があるのですね。片っ端から「貸し出し中」でした。順番が回ってくるのを心待ちにしています。

 

最後に、今日一日が皆様にとって素晴らしい24時間でありますように!

[2022/2/13 イライザ]

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2023年1月 1日 (日)

明けましておめでとうございます

明けましておめでとうございます

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旧年中はいろいろお世話になり、有難う御座いました。本年も宜しくお願い申し上げます。

「一年の計は元旦にあり」と言われますので、今年の決意を以下、御披露します。

とは言え、私の悪い癖なのですが、何事にも理屈を付けたくなります。この言葉の起源は毛利元就が長男にあてた手紙の中にあると言われています。それは、

一年の計は春にあり

一月の計は朔(ついたち)にあり

一日の計は鶏鳴(一番鶏が鳴く早朝)にあり

です。時間的な区切りの最初に計画を立てることの大切さが述べられています。

同感です。そして、「春」から思い出すのは、ロバート・ブラウニングの詩「春の朝」です。ビクトリア朝のイギリスの詩人ですので、毛利元就より後の時代に活躍したのですが、彼の劇詩『ピッパが通る』の中の一節が有名です。

Pippa's Song

 

The year's at the spring

And day's at the morn;

Morning's at seven;

The hill-side's dew-pearled;

The lark's on the wing;

The snail's on the thorn:

God's in His heaven—

All's right with the world!

日本語訳は、上田敏による「春の朝(あした)」が有名ですし、私は日本語の詩の方が好きです。

「春の朝」(はるのあした)

 

時は春、

日は朝(あした)、

朝は七時、

片岡(かたをか)に露みちて、

揚雲雀(あげひばり)なのりいで、

蝸牛(かたつむり)枝に這ひ、

神、そらに知ろしめす。

すべて世は事も無し。

絹工場で働くピッパという少女が、一年に一度の休日の日に街を歩きながら呟く言葉ですが、その一日の意味を朝、そして7時という始まりの時に託していることが、「一年の計」と重なっています。

さて、今年の決意ですが、三つ掲げておきます。

①  8月に、広島出身初の総理大臣加藤友三郎氏の没後100年を記念するシンポジウムを開く。

② 私のこれまでの人生を振り返っての「オーラル・ヒストリー」、ならびに、開催には至らなかった「広島オリンピック」の記録を     出版する。

③ 歌の好きな人たちのグループ「昭和の歌を守る会」の活動を再開して、できればコンサートを開く。

どれもまだ準備が必要ですし、一緒に動いてくれる方々、そして本の場合には出版社が必要ですが、三つとも実現できるだろうと胸を弾ませています。

加藤友三郎氏の業績については何度もこのブログで取り上げていますが、そのうちの一つのリンクを貼り付けていますので、お読み頂ければ幸いです。

 

最後に、今年一年が、皆様にとって素晴らしい365日でありますように!

[2022/12/31 イライザ]

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2022年6月 5日 (日)

『元気です、広島』 ――「市長日記」と合わせて週一の発信――

『元気です、広島』

――「市長日記」と合わせて週一の発信――

市長に就任してからも、週一の発信は続けました。その半分は、『元気です、広島』というタイトルの本にまとめて貰いました。

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広島市発行のメールマガジン、「ひろめーる」に、毎月、10日と25日に掲載したエッセイを集めたものです。もう一つのシリーズは、広島市の伝統的な広報誌『市民と市政』に、それぞれ、1日と15日付で「市長日記」を掲載していました。国会議員時代も合わせると、合計20年ほど、毎週発信を続けたことになります。

広島市として力を入れ続けてきた、核のない平和な世界づくりに関連する項目や、市の財政再建や地域経済の発展、カープに象徴されるスポーツ等、取り上げたトピックは多岐にわたりました。その中で、特に記憶に残っているのは、市民の皆さんから頂いた感動です。すぐ頭に浮かんだエピソードは三つありますが、その二つは、このブログで今年の春、続けてアップしたものです。

一つ目は、3月30日にアップした「広島の魅力――山根政則さんの評価です――」です。山根さんは被爆者として、御自分の体験を若い世代に語りつつ核なき平和実現のために尽力された方ですが、広島市としては、路面電車についての研究家として交通政策の面でも大変お世話になりました。その山根さんが、東京から広島に転居するという決断をしたのは、二つの都市の魅力を数値化して比較した結果だったという点が中心です。

二つ目は、4月1日にアップした「署名運動にも力があります――変化は起こせます。希望も創れます――」、略して「希望の創り方」です。8月6日の午後、被爆した兄と妹が、岸辺で船を待つ間に交わした会話の中の「おはぎ」が、希望の種でした。

三つめが、広島市文化財団発行の『文芸ひろしま』の23号(2004年)で、ノンフィクション部門で第二席になった「ある家族」です。ぜひとも、『文芸ひろしま」そのものを手に取って頂きたいのですが、以下、「ひろめーる」2004年4月10日行から引用しての簡単な紹介です。

作者は、佐々木志穂美さん。その内容は、選者の言葉を借りると、「障害児三人を抱えた、肝っ玉ママと呼べばいいのか、もつばら明るい」お母さんの、「ほんのささやかな独り言」 (この部分は佐々木さんの言葉) です。

私がこの作品を皆さんに勧める理由の第一は、文章・内容ともに次々と発見があり、読み始めたら最後まで止められないほどの引力があるからです。言文一致という言葉がありますが、話し言葉がそのまま文章になっているのです。それだけでなく、言葉にはならない、作者の頭の中に浮かんでくるイメージや思いまで、そのまま文章になっている面白さが魅力的です。その文章が、右に行ったり左に行ったりしながらの、臨場感溢れる記録となっているのです。長男の洋平君が生まれてから一四年間の佐々木家、特にお母さんの思いや成長ぶり、周囲の人々とのやりとりが、鮮やかに描かれています。

『文芸ひろしま』は、全国どこでも手に入る刊行物ではありませんので、「ある家族」を読んで下さいと言っても直ぐという訳には行きません。何か良い方法があると思いますので、しばらくお待ちください。

それでは今日一日が皆さんにとって素晴らしい24時間でありますよう。

(1987年、テレビ朝日の「CNNデイウォッチ」で使い始めた「サインオフ」の言葉です。「アキバ・ウィークリーでも使っていましたが、このブログも「アキバ・デイリー」としての継続感を出すため、復活させることにしました。)

[2022/6/5 イライザ]

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2022年5月10日 (火)

良いお天気の京都散策 ――心が洗われる一時でした――

良いお天気の京都散策

――心が洗われる一時でした――

 

少し時間ができましたので、京都市内をゆっくり散策しました。感想を述べるまでもありませんので、何カ所かの写真で、雰囲気をお伝えします。

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金閣寺はいつ見ても美しい

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知恩院も定番です。

 さらに、足を延ばしてみました。

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南禅寺の山門です

16051826499449  

疎水も欠かせません

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本当は蹴上まで歩きたいのですが、ここまでにしました。

 久し振りの京都で家人ともども若返りました。

 [2022/5/10 イライザ]

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2022年2月24日 (木)

『音楽高校からメロディが消えるまで』 ――感動的なフィクションです――

『音楽高校からメロディが消えるまで』

――感動的なフィクションです――

著者の須磨光氏はビジネスコンサルタントとして意欲的な活躍をされている方ですが、2018年に小説として『誰が音楽高校を潰したのか?』を上梓、広島の音楽関係者に高い評価を受けました。

つい最近、その文庫版が出版されました。『音楽学校からメロディが消えるまで』というタイトルです。文庫版と言っただけでは不十分で、前作と比べて、広島音楽高校の廃校という事実を、極端に言えば突き放す感じでフィクションとしての完成度を高めた好著です。

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著者の音楽と音楽高校への愛に満ちているのですが、それだけに止まらず、生きる意味について真摯に問いかけつつ、人間の持つ限界を踏まえてのユーモアに富む楽しめるフィクションでもあります。

多忙な方には、本書の最後の4ページだけでも読んで頂ければと思います。

前著『誰が音楽高校を潰したのか?』の感想をAmazonに載せて頂きましたので、それも参考にして頂きたく、ここに再掲します。

『誰が名門音楽高校を潰したのか?』は音楽と音楽教育を愛する全ての人に読んで貰いたい好著である。読み易く楽しいだけでなく、人間としてどう音楽や芸術に関わるべきかについても考えさせられる啓蒙書でもある。

本書はフィクションの形を取っているが、舞台が私立の広島音楽高等学校であることに、多くの方が気付かれるのではないだろうか。須磨氏がフィクションの形を採用したのは、一つには、登場人物を傷付けたくないという著者の優しさであり、また本書のテーマには普遍性のあることを強調したかったからではあるまいか。

そのテーマの大前提として、世界には音楽を愛する様々な人たちが存在し、音楽の神髄を若い世代に伝えて行くために多くの大人たちが努力し続けている現実がある。そしてややもすると世間的理解では、「音楽の世界」を構成するのは、音楽を提供する作曲家やパフォーマーとそれを楽しむ聴衆、音楽事務所や演奏会やテレビ番組等の関係者、そして音楽の専門家になりたいと研鑽を続ける若者たちくらいなのだが、本書では、音楽の勉強に打ち込む多感な若者たちを支える「保護者」に焦点を合せた点が特筆に値する。それは著者自身の経験であるとともに、保護者の目を通した音楽教育論であり、学校という組織運営論でもある。また、都市という視点からの文化論でもあり、もっと身近な効用としては、PTA役員のための実戦的マニュアルとしても役立つかもしれない。

音楽高校で学ぶ若者たちの心意気から、音楽を愛する先生方や市民たちの織り成す物語は保護者である著者の魂を揺さぶり、未来への希望となって終末を迎える。それは、「噂」や「風評」も含めて、人間たちの作り出す複雑な絵模様から抜け出して、スッキリとした光に照らされる未来だ。その感動を味わうために一読をお勧めする。

[2022/2/24 イライザ]

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