学問・資格

2024年1月25日 (木)

#アリストテレス と #トマス・アキナス に #激励されました ――#昔 #国会議員 の #勉強会 で――

#アリストテレス と #トマス・アキナス に #激励されました

――# #国会議員 #勉強会 で――

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アリストテレス他の哲学者

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昔、「フランクリンの会」という名称の超党派の国会議員の集まりがありました。理工科系出身の若手議員10人程の会ですが、科学と政治の両方で活躍したフランクリンにあやかりたいといった気持もあってこんな名前を付けました。

そのフランクリンの会の有志が、1996年5月に、哲学者の今道友信先生にお話を伺いました。テーマは「20世紀から21世紀にかけて考えるべき事」でしたが、一時間で分り易い倫理学概論を講義して頂いたような気がしました。

今道先生の講義の概要を、私が有権者の皆さん向けの報告レポートとして毎週まとめていた『アキバ・ウィークリー』からの引用として、今回再掲させて頂きます。

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20世紀を振返ると、科学技術による生活条件の向上と人権面での向上はあるものの、重大な問題も多くあります。それを「早過ぎた死」という形で整理すると、次の 5つが典型的です。

第一に、餓死する人の数がこれ程多い世紀はなかったこと。第二には、交通事故死する人の数がやはり多いこと。第三には戦死者の数が多いこと。第四には公害による被害が深刻でその結果としての死も多いこと。最後に自殺者の数が多いこと。それも、イジメの結果のような幼い人達の自殺が特に顕著であること。

この一つ一つについて、如何に問題が大きいかを指摘することも可能です。例えば、人類の歴史が始って以来、20世紀に至るまでの何千年もの間に戦争で死んだ人よりも、20世紀になっての 100年足らずの間に戦争で死んだ人の方が多いのです。そして今や交通事故で死ぬ人の数と自殺する人の数はほぼ同じになっているのです。

ところが、この一つ一つに、倫理学における「徳」が対応しているのです。例えば、アリストテレスによると「正義」とは「ものが公平に分配されること」なのです。そして、この正義がもう少し世の中に認められていたら、世界の餓死者の数は減っていたかも知れないのです。

アリストテレスが二番目の徳として挙げているのは「思慮」それも謙虚な慮りです。もう少し他人に思いやりを持っていれば、交通事故死にも影響が出てくるのではないか、と今道先生は考えるのです。

三番目は勇気です。アリストテレスは勇気を「自分が正しいと信じたことを主張し続ける態度」だと言っているのだそうです。そして、戦争がいけないことだと考えた人達がそのことをもっと主張し続けていれば、戦死者の数にも影響が出てきたはずだと今道先生は指摘します。

四番目は節制です。何事でも限度を超えて作ってしまうのではなく、程良さがもっと徹底していれば、公害は違った姿を取っていたのではないでしょうか。

最後はアリストテレスではなく、中世の神学者トマス・アキナスの挙げた徳なのですが、それは希望です。これはキリスト教の徳なのだそうですが、他人に絶望を与えるような発言をすること自体が罪になるのです。逆に言えば、若い人達に希望を与えるように気を使うことが大人の責任なのです。

この中で私が特に嬉しいと思ったのは、アリストテレスが、正しいと信じたことを主張し続ける態度が「勇気」だと考えたこと、そして、他人に希望を与えることが如何に大切であるかをトマス・アキナスが説いていたという点です。

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自民党は「派閥」を大変革して、金と人事は排除、本来の「政策集団」に戻すという方針が出されたようです。名称はともかく、謙虚に勉強会を開いて古くからの人類の知恵を学んでいれば、ことによるともう少しまともな政治が生まれていたかもしれません。

 

2024年のこれからも心配ですが、健康に留意しつつ、少しでも良い年にすべく頑張りましょう。

 [2024/1/25 人間イライザ]

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2024年1月19日 (金)

#政治と政治学のあいだ #出版記念トーク ――#1月27日 #県民文化センター5階 #サテライトキャンパスひろしま #14時から――

#政治と政治学のあいだ #出版記念トーク

――#127 #県民文化センター5 #サテライトキャンパスひろしま #14時から――

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政治を良くしたいと考えるている皆さんにお勧めします

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このコラムでも、我が国の政治を憂いそのあり方についての提言をしてきましたが、お読み下さっている皆さんにお勧めの催しがあります。

[政治と政治学の「あいだ」を拓いて]というタイトルの集まりです。政治学者であり、政治の世界での実践も目指して活動してきた大井赤亥(おおいあかい)さんの近著『政治と政治学のあいだ』の出版記念トークの会です。

「かたや選挙や裏金まみれでうさんくさい「政治」、かたや大学で専門知に閉じこもる「政治学」--。なぜ現実政治と学問はこれほど乖離しているのか?」

この乖離を埋めるべく、政治学者として専門的な論文をまとめ、また啓蒙者・教育家として何冊もの著書を公刊してきた大井さんですが、政治の現場からの変革も目指して、2021年には衆議院選挙に出馬しました。

著書を二つだけ挙げておきますが、一冊目は『武器としての政治思想』(青土社、2020年)。

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そしてもう一冊は『現代日本政治史』(筑摩新書、2021年)です。

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この本については、Amazonの書評欄で、例えば「goodmooning」さんが、次のように高評価をしてくれています。

背景が分からずに政治が遠くに場当たり的に感じる人でも政治が分かるようになり楽しくなる一冊。

タイトル負けせずに小難しくて分かり難い日本の政治を2項対立で単純化していて各政局を分かり易く説明していて頭がクリアになりました。

そしてもう一人、「be3osaka」さんの評は、

「改革」に着眼し、そのワードを軸にしてここ30年の政治の動向を分析、本当に鮮やかです。安部政治も大阪における維新も「改革」という視点で見れば輪郭が見えてきます。一つ疑問に思ったのは民主党政権への評価のこと。甘すぎます。

「戦後」で区切ると長期すぎる。30年で区切ると記憶も蘇ってきてちょうどいい感じ。納得の好著でした。

27日の出版記念トークでは、選挙運動も経験し、現場から政治を俯瞰する視点がより鋭く広くなった大井さんの明快かつ希望に満ちたメッセージに触れることができます。

参加してみたいとお思いの方は、このリンクをクリックして「参加申し込みフォーム」に記入して下さい。

 

2024年のこれからも心配ですが、健康に留意しつつ、少しでも良い年にすべく頑張りましょう。

 [2024/1/19 人間イライザ]

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2023年9月26日 (火)

姉妹公園協定のために投下責任を「棚上げ」? ――「棚上げ」して、誰が得をするのか?――

姉妹公園協定のために投下責任を「棚上げ」?

――「棚上げ」して、誰が得をするのか?――

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藤永茂著『ロバート・オッペンハイマー』です

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ここで連日取り上げているのは、広島市議会での市側の答弁です。念のために繰り返しておきましょう。中国新聞によると、21日の広島市議会の一般質問で、広島の平和公園とホノルルのパールハーバー国立公園との姉妹公園協定が取り上げら、市側の答弁が、「協定は、原爆投下に関わる米国の責任の議論を現時点で棚上げにし、まずは核兵器の使用を二度と繰り返してはならないという市民社会の機運醸成を図るために締結した」だったのだそうです。

口実として使われた、「市民社会の機運醸成」を省略しても、[何のために] [何をする] の関係は損なわれませんし、論理的な関係がはっきりします。広島市の主張は、姉妹公園協定を結ぶために、原爆投下の責任論は棚上げにした、ということになります。

でも、これって事の重さの判断が逆ですよね。広島市とパールハーバー国立公園が姉妹都市協定を結ぶことが、原爆投下の責任論に関わるような重大事なのでしょうか。そうだとしたらそれは何故なのでしょうか。この点については、再度取り上げますが、今日はこの棚上げで得をするのは誰かを考えます。

一つは、映画「オッペンハイマー」の日本公開で得をする人たちです。例えばこの映画を見たいと願っている人たちも多いかもしれません。興行成績のよさから得をする人たちも含まれます。

もう一つ、広島市と広島市長も得をする側なのかもしれません。長くなりますので、この点は次回以降に回します。

さてオッペンハイマーに戻って、もう一度、オッペンハイマーを今取り上げる意味について、一つの問題提起をしておきたいと思います。私自身この映画を見ていませんし、当分は見る気もないので、それがフェアではないという考え方もあるかもしれませんが、大切な問題提起であることには変りがありません。

まず、東京新聞の22日の記事から引用します。

 日本では公開されていない本作を鑑賞した米カリフォルニア州在住の映画評論家町山智浩さんに聞いた。

 町山さんによると、全体で3時間の長作で、前半はオッペンハイマーが研究者として原爆開発にのめり込む姿が中心。後半は原爆投下後の広島の写真を見せられて下を向く描写や、共同研究者たちの体が原爆によって焼けただれる幻視のシーンがあるなど、主に開発者としての苦悩が描かれている。そして、最後は原爆開発を後悔するせりふで幕を閉じるという。

 マスコミ等の見解として私が読んだものには、この中で、実際には被爆の実相には触れられていない点が問題なのではという指摘が多くありました。つまり、写真は見せられても、その写真そのもの、あるいはその被写体についての描写がないという点です。

それも大切な点なのですが、私が注目したのは最後のシーンです。「最後は原爆開発を後悔するせりふで幕を閉じるという。」なのだそうですが、これはオッペンハイマー本人に取っては聞き捨てならない点なのです。

映画の原本になったカイ・バードとマーティン・シャーウィンの『オッペンハイマー』にも、昨日のこのブログで紹介した藤永茂著『ロバート・オッペンハイマー 愚者としての科学者』(1996年、朝日新聞社。2021年、筑摩学芸文庫)にも同じ点が強調されているのですが、オッペンハイマーは「後悔していない」ばかりではなく、「後悔した」という内容の戯曲の上演を訴訟を起こしてまで阻止しようとしたほどなのです。以下、藤永氏の著所からの引用を中心に、その点をまとめておきましょう。

1964年、西ドイツの作家キップハルトの戯曲『オッペンハイマー事件』が発表され、各国で評判になました。日本でも1966年に俳優座劇場で上演されたそうです。

この作品は、作者によると資料に基づいて厳密に事実に密着したものだということなのですが、藤永氏は、多くの資料に基づいてこれは文学作品だと断定しています。

オッペンハイマーはこの戯曲を嫌悪して、プロデューとーを告訴してまで上演を阻止しようとしたと、物理学者のフリーマン・ダイソンが書いていると、藤永氏は述べています。それは、戯曲の最後の部分にある「告白」がオッペンハイマーには我慢できなかったようです。

キップハルトの戯曲についての感想を、オッペンハイマーがボームに書き送った手紙の日付は1966125日、喉頭ガンのため、話すことも、食事をとることも困難になっていた。二カ月半後には世を去る。

 「私がロスアラモスでしたこと、することができたことについて遺憾の意を表することを、私はこれまで決してしなかった。事実、 いろいろな場合、何度も同じような場合に、書きものにもして、あのことを私は後悔しなかったという気持の確認をつづけてきた。 キッブハルトの書いたことで、特に気分が悪くなるのはあの最後の告白だ。そこでは、まさにそうした後海を私がしたことになっている。責任と罪についての私自身の気持は、今まで常に過去よりも現在により強くかかわるものであったのであり、これまでの私の人生で、現在にかかわることだけで私の手に余るものがあった」

にもかかわらず、映画では、後悔したということにしたのか、そう誤解されるような撮り方をしたのかは分りませんが、オッペンハイマーは、普通の意味での後悔はしていないのです。そして、原爆を考えるときにこの点は、無視しては通れない問題を提起していると私は感じています。

 

最後に皆さんにとって、今日一日が素晴らしい24時間でありますよう!  

 [2023/9/26 人間イライザ]

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2023年3月28日 (火)

大学のブラック・ビジネスはいつ終わるのか ――入学しない人から入学金を取るのは止めるべきでは――

大学のブラック・ビジネスはいつ終わるのか

――入学しない人から入学金を取るのは止めるべきでは――

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3月から4月は卒業そして、入学の季節です。それに付いての問題提起です。

大学の授業料が随分高くなりましたが、それ以上に受験料が高過ぎるのではないでしょうか。そして最もいただけないのが、入学金の取り方です。私立の大学の多くは、国立の合格発表前に入学金を納めさせていますよね。

これって、「ブラック」ビジネスのやり方そのものではないでしょうか。仮に一旦納入させたとしても、入学しない人には「入学」金は返すべきなのではないでしょうか。

文科省も、マスコミも社会全体もこのおかしな慣習に文句を言わないのは何故なのでしょう。

不動産の取引の際の様々な名目での支払いも全然分りませんが、経済が上手く回る上での基本は、モノの値段の決め方が合理的で透明性のある事なのではないでしょうか。

「残業」という名称で人を「奴隷」と同じようにタダ働きさせることも、こんなおかしな制度の延長線上にあるのでしょうし、非正規の雇用が当り前になったのも同根でしょう。

こうした事は社会全体の価値観や世界観が変わらないと、ビクとも動かないほど社会に浸透していますが、その変革を客観的・合理的に始めるためには、「知的」なアプローチがどうしても必要です。

つまり、社会的に「知」の分野での貢献を真っ先にすべき大学で、「ブラック」な入学金制度が続く限り、他の分野での「ブラック」度も、変化することなく、「すべて世は事もなし」で続くことになるのでないでしょうか。

 

最後に今日一日、皆さんにとって、素晴らしい24時間でありますよう!

 [2022/3/28 イライザ]

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2022年10月21日 (金)

免許証の更新をしてきました

免許証の更新をしてきました

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高齢者講習については、以前書きましたが、今日は更新そのものに行ってきました。時間が掛かるのは覚悟していました。特に時間のかかる講習も受けなくてはならないのだろうと心の準備はしていたのですが、受付から30分で済みました。

まず、手数料を払って、次に申請書に記入、視力検査に進み写真を撮って、少し待つだけで済んだのです。高齢者講習のお蔭かもしれません。

運転免許センターの外に出ると青空が広がっていました。

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それでは今日一日が、皆様にとって素晴らしい24時間でありますように。

[2022/10/21 イライザ]

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2022年4月30日 (土)

観光船事故は防げたのか ――政府は国民の生命を最大限尊重しなくてはならない――

観光船事故は防げたのか

――政府は国民の生命を最大限尊重しなくてはならない――

 

知床半島沖での観光船の事故で、11人の方が亡くなり15人の方も行方不明という状況ですが、多くの皆さんは「会社や船長の判断が適切であれば防ぐことができた」と感じているようです。私もそう思います。でもその他にもこの事故を防ぐためにはできることがあったのではないかと思います。

ここでは国の責任を、憲法を元に考えてみます。

憲法13条は、日本政府の義務として、個人の生命に対して最大限の尊重をしなくてはならないと規定しています。その部分を、憲法を元にまとめておきます。

 生命に対する国民の権利については、立法その他の国政の上で最大の尊重を必要とする。

この義務を課せられている政府として、今回の事故、にどう関わるべきだったのかを考えます。前提条件として、船体が健全であることは満たされていると仮定します。GPSとか、レーダー等の装備についての条件も付けなくてはなりませんが、それらは大丈夫という前提で以下考えて行きます。

その際、①放り出されると数分から30分で低体温症によって死亡してしまう海水の温度、②強風そして波が高いという気象条件、③乗り物に乗る人について政府が法律を作って命を守ることの正当性、という三つの要素を元に考えます。

歴史的事実として、日本政府は、凍て付く海に浸かると、短時間で生命が失われることを知っています。例えば、1912年のタイタニック号の沈没事故では、救命ボートに乗れた710人は助かりましたが、1,513人は亡くなりました。船が沈没して数分後に低体温症によって死亡したと考えられています。

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 タイタニック号 (Public Domain)

また、強風と高波浪によって、大きな船でも沈没、転覆、座礁したりした例としては、1954年の洞爺丸台風によって、沈没した洞爺丸の他にも多くの船舶が被害を受けたことが記録されています。(ウイキペディア「洞爺丸事故」から)

さらに、乗り物による事故を防ぐために、政府が直接関わって法律を作った例としては、1986年に、原付も含めたすべてのバイクについて、すべての道路でヘルメットの着用が、罰則付きで義務化されています。バイクの場合は、自分で運転するのですから、自己責任の事故も存在しますので、そこまで政府が関与しなくてもという意見もあったようですが、「事故防止」という目的が最優先された例です。(Virgin Harley.com   https://www.virginharley.com/labo/labo07/)

以下、議論を簡単にするために、低海温の海に話を限ります。つまり、その温度に人が浸かっていると、30分以内には低体温症で死亡するレベルの温度の海について考えます。

そのような結果に至らぬように、乗客を運ぶ船については、厳しい審査後に与えられる免許、あるいは免許の条件や、その運用のための規則を設ける必要がある、というのが今回の主張です。

以下、免許を許す条件を以下考えますが、まず海が平穏であれば、そして船長以下船員も免許と訓練を受けていれば危険性は少なくなりますので、低海温の海には一切出港を禁止する、という選択はしないことにします。

それでも、生命の危険を最小限にしたい訳ですから、気象条件によって、出港停止の規則を設けることは当然です。また気象は変わりますので、出港後に危険な状態になることも考えておかなくてはなりません。

とにかく、船に「異常」が生じた場合どうすれば良いのかということに尽きるのですが、いくつかの可能性があります。

  1.  緊急に近くの港に避難することを、「異常事態発生」時の「義務」として課す必要があります。
  2. 「緊急」避難用の十分の数の救命ボートを積んでおくよう義務付けることも必要です。
  3. それは、小さな船では無理かもしれませんので、例外として、命の助かる範囲内に他の船舶が必ずいるような条件が満たされれば出港を許可する制度にすること。これは、実現可能性が高いのではないでしょうか。
  4. その一例として、斜里町の港から知床観光に出かける船は、10分から30分の間隔で出港するといったシステムになっていれば、何らかの事故が発生しても近くの船が救助できる環境になるのではないでしょうか。

詳細な規則は、現にその海を知っている人たちの間で協議して決めることにしても、国としての責任で基準を設けて、それ以上の場合には、あるいはその可能性のある予報が出ていれば、お客さんを乗せての出港は禁止するという大原則は法制化すべきなのではないでしょうか。

それが国民の生命に対しての最大限の尊重の具体例の一つだと考えているのですが、如何でしょうか。

宮島と宮島口の間のフェリーは、往復があるのでなお条件は良くなっていますが、二つの船会社が少し時間を違えて出港しています。何かあった場合、後続の船が救助に当たれるという観点からは優れたシステムになっています。そして、天候のため、フェリーは出ませんということも何度かありましたね。

船のことも海のことも全く分っていない人間の素人考えかもしれませんが、事故が起きればほぼ絶望的な状況になるであろう、凍て付く海での事故防止のためには、私たちが無い知恵を絞る努力も必要なのではないでしょうか。

 [2022/4/28 イライザ]

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2022年4月 1日 (金)

署名運動にも力があります ――変化は起こせます。希望も創れます。――

署名運動にも力があります

――変化は起こせます。希望も創れます。――

 

昨日は、署名運動には力のあることをお伝えするために、二つの事実のうちの一つを御紹介しました。その二つとは、(I) 世界は変えられること。その証拠として1982年から2005年の間に大きな変化の起きたことを検証する。(II) 同時に、時代を超えた真実のあること。中でも希望が大切であることと、希望も創り出せるという真実。

 (I) については、(A) 1982年と2005年の間にアメリカでは、被爆者や被爆体験についての考え方に大きな変化があった。とまとめました。

 今回は (II) の希望がテーマです。2005年の8月に数学教育協議会の全国研究大会が広島で開かれました。その最終日10日には数学と平和について、当時の大妻大学教授野崎昭弘先生 (学生の時に函数論を教えて頂きました) と私が対談をしました。

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野崎先生の著書の一つ

 

最後に、「現在の世界情勢、社会情勢を見ると絶望的にならざるを得ないと感じている人が多いのではないか。そんな状況の中でどのように希望を見付ければ良いのか」という質問がありました。今の今、そう感じている方がいても不思議ではありません。

その時には十分には答えられなかったのですが、後日「ひろめーる」にまとめたものを引用します。タイトルは (B) 「希望の見つけ方」です。

 本論に入る前にという位の位置付けで、何故希望を見付ける必要があるのかを、一つの視点----私はこの視点がとても大切だと考えているのですが---からの確認をさせて貰いました。それは、希望があるかないかによって、核兵器廃絶のための私たちの行動を変えるべきではない、ということです。核不拡散条約再検討会議で良い結果が出たかどうかで私たちの行動を決めるべきではない、ということでもあり、その他、私たちを取り巻く様々な状況が、私たちにとって好ましいものかどうかで、核兵器廃絶運動をどの方向に持って行くのかを考えない方が良いだろうということでもあります。

 勿論、変化の方向が大切なのですが、往々にして、状況が悪いとがっかりして、力が出てこないのが、私たちが日常的に経験していることです。しかも、それを当たり前のこととして、受け止める傾向があるような気がしているのですが、それで良いのでしょうか、という問題提起でもあります。

 その理由は、前回触れたラッセルやアインシュタイン、その他多くの識者が指摘してきた事実、「人類が核兵器を廃絶するか、核兵器が人類を滅亡させるか、その選択は私たちに懸っている」です。状況が悪いときにこそ、核兵器を廃絶するための努力をなお一層強めなければ、私たちの目的は達成できないからです。希望が見えなければ、いや見えなくても、私たち自身で希望を見付けて努力を続ける必要があるのです。

 では、どのようにすれば希望は見付かるのでしょうか。ここからが本論だったのですが、10日には時間がなくなってしまいました。以下、10日に言いたかったことを簡単にまとめたいと思います。

 心理学でもまたベストセラーになっている人生の指南書の類でも、多くの人に希望を与える鍵になっているのは、また私自身、励まされて来たのは、恐らく究極的と言っても良いほどの絶望的な状況の中でそれでも人間性を失わずに生き続けた被爆者やナチスの収容所からの生還者の生き方であり、希望の発見の仕方です。中には、一見、私たちの日常的感覚からすると英雄的には見えないような事柄もあるのですが、それでも、人により場所や時により大きな勇気と希望の種になっている不思議さもあります。

 85日付の朝日新聞に載った安佐北区の小島繁美さんの投書はその一例です。小島さんに希望を与えたのは兄妹の会話です。

 「昭和20年の87日の昼下がり、広島市・宇品港の岸壁近くの砂地でいつ出るともあてのない島まわりの船を待っていた。---中略---

ふと気がつくと、近くの草むらで人声がした。きょうだいらしい二人。妹は13歳前後。兄は23歳年長か、着衣はボロボロでかなりの重症と見えた。妹は外傷が無いようで、自らの身体で日陰をつくって兄を気遣い、話しかけていた。

 『お兄ちゃん、帰ったら母さんに「おはぎ」を作ってもらおうね』。---中略---最高にぜいたくで幻の食べ物だった「おはぎ」という言葉に、現実に戻され、希望を与えられた。」

 この短い文章からは、小島さんが希望を見付ける心の動きと共に、兄妹の気持まで伝わってきます。お兄ちゃんはおはぎが好物だったのでしょう。それを良く知っている妹は、頼りにしているお兄ちゃんに、元気になって貰いたくて、そのお兄ちゃんと一緒に家に帰りたくて、おはぎの話をしたのではないでしょうか。船を待つわずかな間、おはぎのイメージが、小島さんだけではなくこの兄妹にも大きな希望を与えたであろうことは疑う余地もありません。家に無事辿り着いたことを小島さんと共に今でも祈っています。

 これは、ヴィクトール・フランクルが彼の著書『Man’s Search for Meaning(意味を求める人間)』の中で述べていることにもつながっています。余りにも過酷な運命に絶望する人が次々と死に行く収容所の中で、それでも生き残った人たちに共通していたのは、収容所から解放された未来の自分の姿を具体的なイメージとして描けたという点だったと彼は観察しています。未来を描ける力と言っても良いのかも知れません。その未来をおはぎに託すことの出来た少女の知恵は、現在の私たちにも伝わっているはずです。

 おはぎが余りにも即物的なら、朝顔の種を蒔くという手もあります。毎朝、朝顔が幾つ咲くのかを楽しみにするのも未来を描くことに繋がります。

 もう少し俗世間的な次元で考えると、愚痴を聞いて貰いたくなるようなときは誰にでもあるはずです。相手が誰でも良いことにはならないでしょうから、たまには愚痴を聞いてもらえるような家族関係を作っておくことが必要だということになるでしょう。となると、「世界平和は家庭の平和から」という、半分は自戒の意味で使われている言葉が別の意味を持ってくるように思います。

 最後に、こうした幾つかの可能性が示唆しているのは、フランクルの言葉を再度借りれば「人間が心から願い望む最高の目的は愛であるという真実」だということなのではないでしょうか。と、ここまで書き進めて改めて気付いたことなのですが、これまで意識して「愛」という視点から「原爆」あるいは「被爆者」を考えるということは余り行われてこなかったような気がします。被爆体験の非人間的極致を考えれば当然とも言えるのですが、被爆体験をより広く理解して貰うため、また核兵器廃絶へのエネルギーを集めるためにも、この視点も付け加えて被爆体験を見詰め直すことがあっても良いような気がしてきました。

 

署名運動に戻ると、署名すること自体が「希望」の表現になっていることもあるでしょうし、他の人たちの「希望」とつながることで社会を変えるための新たなエネルギーになるかもしれません。そして、この署名にどこかで何らかの形で触れる人が形作る鎖が、世界を動かすリーダーにつながるかも知れないのです。

 [2022/4/1 イライザ]

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2022年2月19日 (土)

「明日の法律家講座」で講演しました ――良い質問も沢山頂きました――

「明日の法律家講座」で講演しました

――良い質問も沢山頂きました――

法律の専門家や法律に関心を持っている人以外にはほとんど知られていない存在だと思いますが、「伊藤塾」という司法試験の準備を支援する塾があります。司法試験だけではなく、公務員試験や司法書士等の試験の準備のための講座もあります。

塾長の伊藤真氏は、1995年に発足した塾とは別に2002年には「法学館憲法研究所」設立、民間の憲法研究所として、憲法の研究と憲法に内包されている思想や概念の普及のために粉骨砕身しています。

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こうした努力の一環として、伊藤塾の塾生の皆さんを対象にした「明日の法律家講座」が開かれています。時には、塾生だけでなく一般の皆さんに公開されることもあります。実は2月12日に、この「明日の法律家講座」の講師を務めました。このような伝統のある会で話をさせて頂くのは大変光栄です。それも、元々は2020年の3月に渋谷の伊藤塾での対面講演の予定だったのですが、コロナの感染が広まり、二度延期をした結果、今回はオンラインでの講演になりました。

講演の内容は、昨年の10月24日に、「はのねくさのね」という元気一杯のグループから依頼されて東京で対面講演をした内容と、それほどは違っていませんでした。その内容は、「新・ヒロシマの心を世界に」で、昨年10月26日に始まって、全五回(途中他のトピックも取り上げましたので)11月21日まで、1の付く日と6の付く日にアップしました。第一回はこちらです

今回は法律家を目指す若い人たちが中心ですので、力が入りました。出来れば、Zoomでの講演を全部御覧頂きたいのですが、まだ準備ができていませんので、講演後の質問をお読み下さい。参加された方々の熱心さが良く分ります。時間の都合で10人の方からの質問しか受け付けられませんでした。それでも長くなりますので、私の独断と偏見で三つだけ御披露します。私の回答は、当日のものに加筆・整理しました。

① さいたま市の小学校の教員の方から。

2年前の学校の全国一斉休校では大変混乱したことを思い出しました。さいたま市でももちろん休校し、次の年度の5月末まで子どもたちが学校に来られませんでした。仮定の話なのですが、もし自治体が安部元総理の方針に従わずに休校を行わなかったらどのようなことになったでしょうか。地方自治の本旨である団体自治ということで許されたでしょうか。

(A) 私が市長だったら、インフルエンザ等の場合の対応を参考にして、学校ごとに対応するようにという方針を取ったと思います。つまり、「一斉」休校は行わないということです。全国一斉休校には科学的根拠がありませんでしたので、その点を明確に掲げれば、問題はなかったはずです。

② 都議会議員をしている方から。

政府は長年、死刑もしかりですが、臨時国会召集要求なども無視し続けました。法的義務ということになると、このような違反行為はどのように法律違反状態から回復させるべきなのでしょうか?各種の政府の99条に違反について、どのような効果が生じ、国民はこれに対してどのように対抗していけるのでしょうか?

(A) このような違憲・違法状態について、ほとんどの国民は無知であることが一つ大きな問題です。この点を改善するために、あらゆる手段で違憲・違法状態を広く知ってもらう努力が重要です。その一助にもなりますが、例えば、子どもの権利条約を国内でも守るために、自治体が子どもの権利条例を作るといった、自治体ごとの小さな努力の積み重ねも大切ではないかと思います。また憲法が死刑を禁止しているという事実をもっと多くの人に知って貰うといったことからも道は開けるはずです。

③ 二人の方から同じように趣旨の質問を頂きました

アメリカの傘の下にいる事実は事実として、日本をあるべき姿勢にするのはどうしたらいいでしょうか。

(A) 核の傘もそうですし日米地位協定もそうですが、日本の立場を憲法を元にして、その通りの発言をすべきです。しかし、例えば日米地位協定の中での、米兵の第一次裁判権が日本側にないのは、日本での裁判の実情がアメリカの基準で見ると著しい人権蹂躙で、それに対して日本側からは言い訳ができないという理由があります。それを正常に戻すには、日本の裁判制度を改革して、人権が尊重されるものに変えなくてはなりません。結局政府が憲法を守るという基本に戻って、政治全体を変えてゆく必要があるのです。

[2022/2/19 イライザ]

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2019年7月16日 (火)

7月22日に、「数学月間」の懇話会で話をします ――関東地方の皆さん是非お出で下さい――

皆さん。7月22日から8月22日の間を「数学月間」と呼んで、「社会が数学を知り、数学が社会を知る」を合言葉に、全国各地で、数学への関心を高めるための様々なイベントを企画したり応援したりしているNPO法人のあることを知っていますか。それが「数学月間の会」なのですが、7月22日の午後2時から、東大の駒場キャンパスで懇話会を開催します。関心のある方ならどなたでも参加して頂けますので、是非お出で下さい。

会の詳細をお知らせする前に、何故7月22日から8月22日なのかの理由を聞いて下さい。数学で大切な定数の一つが、円周率、つまりΠ(パイ)であることは御存知だと思います。例の、「3.1415・・・・・・」と続く数字ですが、円の外周の長さを円の直径で割った数値です。

Photo_20190715224501

πについてのAERAの記事から

この数字は無理数ですので、少数を使って表そうとすると、「無限小数」つまり、永遠に続く少数になるのですが、昔から、この数を有理数、つまり分数で近似することが行われてきました。その中でも多くの人が使ってきたのが、22/7です。つまり、22を7で割った数なのです。ここから、7月22日を思い付くのは簡単ですね。

8月22日も、数学の知識のある人には納得して貰える数なのですが、術語を使えば「自然対数の底」、数学の記号としては「e」が使われる数値です。こちらの近似値として使われてきたのが、22/8、つまり、22を8で割った数なのです。

前置きが長くなりましたが、懇話会のお知らせです。

 

  「数学月間懇話会(第15回)」

  • 722日,14:0017:30(開場13:30
  • 東大駒場,数理科学研究科002教室.

 

  14:00-14:20 片瀬豊さんと数学月間,谷克彦

  (休み10分)

  14:30-15:20 教育数学と高大接続,岡本和夫(東京大学名誉教授)

  15:20-15:50 質疑応答

  (休み10分)

 

  16:00-16:50 数学書として憲法を読む,秋葉忠利(前広島市長)

  16:5017:20 質疑応答,本サイン会

 

  主催● NPO法人数学月間の会,日本数学協会

  参加費● 1000円(高校生,中学生は無料)

 

その後に懇親会があります。隣建屋のイタリアントマトに行って,各自払いで注文し適当に椅子に座りお話しします.17:40ごろからでしょう.

私の出番を強調させて頂きましたが、多くの皆さんに御参加頂ければ幸いです。

[2019/7/16 イライザ]

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2019年6月21日 (金)

自動車運転の安全性を高めるために (1) ――客観的なデータで議論しましょう――

高齢者がブレーキとアクセルを踏み間違えて、死亡事故を含む深刻な事故が起きている。この事態を解消するために、出来るだけ早く高齢者から免許証を取り上げるべし。


といった趣旨の全国的キャンペーンが、マスコミ主導で全国的に広がっています。何故、このように理不尽なキャンペーンが展開されているのかについては、このところ始った秋篠宮バッシングとともに、近い内に分析しますが、まずは、高齢者と交通安全について、少し冷静に考えてみたいと思います。

出発点は、客観的なデータによって状況を把握することです。意外な真実が見えてきますし、見えるべきデータが公表されていないことにも気付くはずです。

まずは、高齢者が交通事故でどのくらいの数死亡しているのかを見てみましょう。警察庁交通局交通企画課が発表した、2018年10月末の「交通事故統計」に掲載されている分り易いグラフです。

Photo_20190620221401

「年齢層別・状態別死者数」のグラフです。手前から奥に行くにしたがって年齢層が上がっています。一番奥は、65歳以上です。また、「677」人と死亡者数がいた番多いのは、65歳以上の歩行者です。それは、左から右に移る列では、一番左が「自動車乗車中」、そして右から二番目が「歩行中」そしてその左隣りも死者数が「234」人と多いのですが、これは自転車乗車中です。

「歩行中」という状態が示しているように、これは、高齢者が加害者ではない事故による死者も含まれています。簡単に言ってしまえば、高齢者が被害を受けその結果死亡した交通事故を数えているのです。自ら危険運転をして亡くなった場合も含まれますので、全て相手が悪い訳ではありません。

問題の一つは、このグラフに劇的に示されているほど多くの高齢者が交通事故で死亡しているのですが、これを放置しておいて良いことかという点です。この統計に示されている高齢の死亡者を減らす対策も、高齢者が起こす事故と同じくらい熱心に推進されてしかるべきなのではないでしょうか。横断歩道以外で道路を横断したり、走行中の車の直前や直後を横断する等の「法令違反」が約半数なのですが、残りの約半数には過失がないのですから、高齢の歩行者を守るための対策という視点ももっと強調されてしかるべきでしょう。

免許の返納と、高齢の歩行者が事故で死亡するケースを結び付けることも可能です。論理的には問題はあるのですが、分り易い喩えで問題点をアピールしておきます。仮に、高齢の運転者が免許証を返納すれば、歩くか自転車に乗るかという交通手段を取らざるを得ません。それは、死亡率としては運転より倍近い可能性の交通手段を偉ぶ事になるのですから、より深刻な生命の危険にさらされることになるのです。そんな犠牲を強いるだけの信頼できる根拠が実際にあるのでしょうか。

思った以上に説明が長くなってしまいました。この項は続きます。

 [2019/6/21 イライザ]

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