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2023年2月 5日 (日)

日本が壊れて行く? (5) ――車内閉じ込めと春闘――

日本が壊れて行く?  (5)

――車内閉じ込めと春闘――

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出典: 財務省「法人企業統計」

 

前回の最後は、次のような言葉で締めました。

 守るべき時に守らない、守らない方が良い時でも守らせる――誰が「ボス」なのかを示すために規則はあるのでしょうか。こんな日本社会を変えるために、私たちは何をすれば良いのでしょうか。一緒に考えましょう。

念のために、「守るべき時に守らない、守らない方が良い時でも守らせる」事例をもう一度復習しておきましょう。

時系列的に最初の二つの事例、それは「守らない方が良い時でも守らせる」事例です。(心理学者、島崎敢氏の記事、「JR西の長時間閉じ込め 「乗客を線路へ」なぜ即断できないのか」から要約・引用。

1969(昭和44)年、北陸トンネルを通過中の列車で車両火災が発生した。この時、「トンネル内では消火活動は困難」だと判断した乗務員は、トンネルを抜けるまで列車を走らせ続け、犠牲者を出さずに済んだ。しかし、機転を利かせた乗務員は「即時停止の規定に違反した」として処分されてしまったのだ。

1972年、くしくも同じ北陸トンネルを通過中の列車で、再び車両火災が発生した。

過去にマニュアル通りに列車を止めなかった乗務員が処分されていたこともあり、この時の乗務員はトンネル内で列車を急停車させた。その結果、煙が充満して消火活動ができなくなったトンネル内で、30人の犠牲者を出す大惨事となってしまった。

「過去に処分されていた」のは、停車しないで乗客の命を救った乗務員ですし、ここでは触れられていないのですが、1972年に規則を守り停車した乗務員が、その後この時のことをどう捉えていたのか、そして乗務員に対してJRがどう対応したのかが気になります。

次に、「守るべき時に守らない」の典型例が、1月のポイント事故による乗客の10時間社内閉じ込めです。(『PRESIDENT Online』の鉄道ジャーナリスト、枝久保 達也氏による記事、「乗客の「10時間車内閉じ込め」は十分に避けられた…JR西日本が犯した「3つの判断ミス」」から引用)

26日のJR西日本東京定例会見で長谷川一明社長は、本来は「1時間が経過して復旧できない場合は徒歩誘導を検討する社内基準がある」としながらも、「夜間、大雪の中で歩くのはリスクが大きいため、列車の運転再開を優先してしまった」

ここで私の抱いた違和感は、そのリスクがどの程度のものかについての現場での判断が正しかったのか、という点です。分岐器の除雪と解凍をして運転再開のために多くの人手が投入されたようなのですが、その人手を使って乗客を近くの駅舎に誘導することはできなかったのでしょうか。

「大雪の中で歩くリスク」について、『東洋経済ONLINE』の大坂直樹記者による「JR西「大雪で車内閉じ込め」、なぜ防げなかったか 計画運休の判断は?危機回避できた4つの節目」を元に考えて見ましょう。

一番の疑問は、降車と駅への誘導の始まったのが、23時だということです。停車したのが、20時前ですから、一時間の停車が続いた時点つまり、21時に降車・駅への誘導が始まっていれば、乗客の苦しみは2時間短縮されていた筈だからです。その後の退避に要する時間も6時間掛かっているようなのですが、乗客の疲れも視野に入れると短縮できたと考えられるでしょう。

こう強く感じるのは、分岐器の凍結はバーナーを使っても融かせなかったとという報道が元になっています。一時間バーナーで熱を加えても解凍できないほどの状態なら、解凍は諦めませんか。

線路を歩いて退避するにしても、照明のないところは、乗客のスマホの照明を使うことで、乗客同士助け合いができそうですし、降車についても、航空機の非常口の使い方を飛行機に乗る度に見ているであろう多くの乗客たちの中の身体的に強い人たちがボランティアとして助けの必要な人に手を貸すことも可能だったのではないでしょうか。

その場にいなかった私が、想像だけでこんなことを言うのはおこがましいと思います。もしここで指摘しているようなことが実際に行われていたのであれば、私の不明を恥じてお詫び申し上げます。あるいは、状況がそんなことさえ許さないほど悪かったのであれば、再度、現場を知らない人間が出過ぎた発言をしたことについてお詫び致します。

しかし、仮にそうだったとしても、2時間の空白は必要なかったのではないでしょうか。

さらに不思議なのは、極端な表現を使ってきてはいますが、最長10時間も閉じ込められた人たちが、その間の非人間的な扱いについての正式の謝罪を求めたり賠償を求めたりしていないことです。私の感じ方が被害妄想に近くて、実際に閉じ込められた方々はそれほどの苦痛だとは感じていなかったのでしょうか。

こんなことを考えてしまうのは、春闘と関連があるからです。今年はなぜか、「賃上げ」をするぞ、素晴らしいことだろうという雰囲気作りが積極的に行われているのですが、それがもう一つの「異次元」の違和感の元なのです。

今年突然そんなことが可能になったのでしょうか。そんなことはありません。株主配当や社内留保の増加を経年的に振り返るだけで、企業の「価値観」が原因であることは明らかです。

そして最初に掲げたグラフで分るように、給与は20年間全く増えていないのです。さらに驚くべきことは、これだけの低賃金を強いられているにもかかわらず、一度のストライキも行われていないことです。

江戸時代だって、我慢ができずに命を懸けて一揆を起していたではありませんか。外国では航空機のパイロットやみなし公務員までストライキをしています。

「権力に対して従順だ」と言うと、権力の横暴に対して闘って来られた多くの皆さんに失礼なのかもしませんが、そのような少数の方々がいるにせよ、日本社会全体として、権力に対して余りにも寛容過ぎてはいせんか。社会全体がストライキを労働者の当然の権利として認め、「何故ストライキをしないの」という声が巷間から出て来るような社会への大転換ができないものでしょうか。

 

最後に、今日一日が皆様にとって素晴らしい24時間でありますように!

[2022/2/5 イライザ]

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2023年2月 2日 (木)

日本が壊れて行く? (4) ――ポイント凍結事故と車内の閉じ込め10時間――

日本が壊れて行く?  (4)

――ポイント凍結事故と車内の閉じ込め10時間――

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シリーズでお届けしている「異次元」の違和感についての、次のトピックです。簡単にお浚いをしておくと、第二回では護衛艦と巡視艇の事故についての疑問、そして第三回ではなぜ巡視艇が岸に近付かなくてはならなかったのかについての疑問を取り上げました。

今回は同じく移動手段ですが、鉄道です。

10年に一度と言われる寒波の襲来で、1月24日から26日にかけて全国各地で大雪になりました。そんな中、1月24日の夜から25日朝にかけ、JR琵琶湖線・京都線(東海道本線)の山科―高槻間で15本の列車が駅間で立ち往生し、約7000人が最長9時間50分もの間、車内に閉じ込められるトラブルが発生しました。

このトラブルについての分り易いネット記事日本を紹介しておきます。一つ目は『東洋経済ONLINE』の大坂直樹記者による「JR西「大雪で車内閉じ込め」、なぜ防げなかったか 計画運休の判断は?危機回避できた4つの節目」です。

二本目は、『PRESIDENT Online』の鉄道ジャーナリスト、枝久保 達也氏による記事、「乗客の「10時間車内閉じ込め」は十分に避けられた…JR西日本が犯した「3つの判断ミス」」

この二本の記事でも問題にしているのは、乗客数千人が、最長10時間近く車内に閉じ込められていたことです。マスコミとしての節度だと思いますが、この点についての問題意識はもっと強烈であって良いというのが、私の「異次元の違和感」だったのです。

仮にあなたが、電車の中に10時間閉じ込められていたと考えて見て下さい。老化現象で私にとっての最大の問題はトイレです。7000人の中には高齢者もいたはずですね。トイレはどうしていたのでしょうか。そして10時間も閉じ込められていれば、お腹も空きます。食べ物はあったのでしょうか。さらに、満員電車の中で10時間立ちっ放しを強制されたとしたら、ほとんどの人には耐えられないはずです。

思考実験を続けて、これがあなたの書斎で起きたと仮定して見て下さい。10時間、書斎に閉じ込められて、トイレにも行けない、食べ物もない、座れないとしたら、これは立派な虐待です。

「ポイントが凍結して、電車が動かない。我慢して下さい」で済まされる問題ではありません。そして、バーナーを使ってもポイントの凍結を融かすことはできなかったことも当然報告され共有されてたでしょうから、大目に見て、1時間立ったくらいの時点で、「電車から降りて貰って近くの駅まで歩いて貰う」という結果にならないのは非人間的です。

しかしながら、こんな結果になってしまったのは、現場と上層部との認識が違っていたからなのだ、という考え方もあるようです。『YAHOO! JAPANニュース』に掲載されている渥美 志保氏の記事「【JR西日本の立往生問題】「上の判断に逆らえば損をする」...?倫理観が麻痺することの「ヤバさ」について」が参考になります。

私が言うまでもなく乗客の方たちはみんな「さっさと降りて、近くの駅まで歩かせてくれ」と思っていただろうし、Twitterには「乗務員はその判断で一致している」という車内アナウンスもありましたが、上が許さなかったとか。

たやすく想像できる「列車外を歩いて何かあったら」という責任問題に対し、「どんな人がどんなふうに閉じ込められているのか」には頭がいかない、というの日本の官僚的な組織の縮図のようにも思えました。この一件に関しては、もちろんこれが一番の問題。

とはいえ私がより驚いたのは別のことーー「上の判断に逆らうと私たちが処罰されてしまう」というような車内放送があったという乗客のツイートを見たことです。

なぜそうなってしまうのかを知りたいところなのですが、その前にJRでは、長期間にわたって、「上の判断」に服従することが金科玉条になっていたようなのです。それを詳述しているのが、『YAHOO! JAPANニュース』にアップされている心理学者、島崎敢氏の記事、「JR西の長時間閉じ込め 「乗客を線路へ」なぜ即断できないのか」です。

2011(平成23)年に北海道・石勝線の第1ニニウトンネル内で起きた脱線火災事故では、乗客に対して外に出ずに列車内で待機するよう指示が出されたまま、その後の避難誘導が行われなかった。

それは、事故があれば「即時停車」という規則があるからなのです。しかし身の危険を感じた乗客が自らの判断で逃げ始めたため犠牲者は出なかったそうなのです。乗務員の機転で犠牲者を出さずに済んだケースもあるのです。

1969(昭和44)年、北陸トンネルを通過中の列車で車両火災が発生した。この時、「トンネル内では消火活動は困難」だと判断した乗務員は、トンネルを抜けるまで列車を走らせ続け、犠牲者を出さずに済んだ。しかし、機転を利かせた乗務員は「即時停止の規定に違反した」として処分されてしまったのだ。

この3年後の1972年、くしくも同じ北陸トンネルを通過中の列車で、再び車両火災が発生した。過去にマニュアル通りに列車を止めなかった乗務員が処分されていたこともあり、この時の乗務員はトンネル内で列車を急停車させた。その結果、煙が充満して消火活動ができなくなったトンネル内で、30人の犠牲者を出す大惨事となってしまった。

規則を守ることが何より優先され、その結果として乗客が10時間も「虐待」に等しい状況に置かれることは、二の次になっていることが良く分かるではありませんか。

それをさらに裏付けているのが、JR西日本の長谷川一明社長の言葉です。枝久保氏の記事から引用します。

26日のJR西日本東京定例会見で長谷川一明社長は、本来は「1時間が経過して復旧できない場合は徒歩誘導を検討する社内基準がある」としながらも、「夜間、大雪の中で歩くのはリスクが大きいため、列車の運転再開を優先してしまった」と説明する。

こちらは、「社内基準」を守らないことで乗客の苦痛を増す決定を正当化しています。「大雪の中を歩くリスク」を軽減することは可能です。それを十分に検討もせずに、苦しみは弱者に負わせる姿勢しか見えてこないことに怒りを感じますし、絶望的な思いにさえなりかねません。

守るべき時に守らない、守らない方が良い時でも守らせる――誰が「ボス」なのかを示すために規則はあるのでしょうか。こんな日本社会を変えるために、私たちは何をすれば良いのでしょうか。一緒に考えましょう。

 

最後に、今日一日が皆様にとって素晴らしい24時間でありますように!

[2022/2/2 イライザ]

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2023年1月30日 (月)

日本が壊れて行く? (3) ――バンジージャンプには近寄れない老人の戯言――

日本が壊れて行く?  (3)

――バンジージャンプには近寄れない老人の戯言――

Bungiejumping

License: Creative Commons Attribution-Share Alike 3.0

 「異次元」の違和感について、次のトピックに移る前に、昨日取り上げた護衛艦と巡視艇の行動について、どうしても分らない点があるので、もし分る方がいらっしゃれば教えて頂きたいというお願いです。

それは、この二隻の船がなぜ浅瀬に近寄る必要があったのか、という素朴な疑問です。護衛艦についても、同じような内容になりますので、巡視艇についての疑問だけ説明します。

『新潟日報』その他の報道によると、柏崎市の椎谷橋灯台が消えていたので、確認のために浅瀬に近寄ったということらしいのです。

それで何となく分ったような気分になるのかもしれませんが、灯台の灯が消えていたら、その対策としてなぜ浅瀬に近付くのか、つまりなぜ岸に近付くのかが分らないのです。

今の灯台は、電灯またはそれに代わるものを電気で点けているのだと思いますが、それが消えていることを海の側から発見したらどうすれば良いのでしょうか。私なら、灯台の管理者に連絡してその旨を伝え、(*)管理者が断線なのか、電球(またはそれに代わるもの)が切れているのか、窓ガラスが何かで覆われているのかといった原因を調べて貰い、その対策を取って貰うということにするはずです。

もっとも、「灯台の灯が点いていない」とだけ伝えれば、後は管理者の方が専門的知識はあるのでしょうから適切な対応をしてくれると思いますので、(*)以下のことは余計なお世話になりますので、省略すると思います。

ことによると、「灯台の灯が消えている」ことを再確認するために近寄った、という説明が付くのかもしれませんが、それって必要ですか?「消えている」と最初に気付いてから、例えば10分間、その近くで停船して「点いていない」、10分間「点かなかった」という事実を確認し、それを灯台管理者に伝えるだけで十分なのではないでしょうか。少しでも近くによって確認することで得られる新たな情報があるのでしょうか。それは何なのでしょうか。

船が灯台に近付くことで、そうしない場合と比較して何か新たなことができたというのでしょうか。つまり、陸にいる人たちがチェックした方が早いし確実なことが分るという状況です。

その上、そもそもそこに灯台のある理由の一つは、「陸地のこの地点に海から近付くと浅瀬があるから危険ですよ。近付かないようにして下さい」という印としての役割も果たしているのではないでしょうか。灯台の灯の確認のために、浅瀬に近付いて座礁してしまっては、そもそもの灯台の意味を打ち消す「本末転倒」ではないでしょうか。

こう書いてきて、私の言っていることにも偏りがあるかもしれないと考えられることに気付きました。私は、例えばバンジージャンプとか落下傘で飛び降りるとかということはできない老人です。つまり、「危険」だと考える範囲がおそらく多くの人より広いのです。

ですから、私の疑問は多くの人から見ると問題ない範疇のものかもしれません。それも含めて、疑問に答えてくれる方がいらっしゃれば、歓迎します。

 

最後に、まだ1月中ですので、今年一年が皆様にとって素晴らしい365日でありますように!

[2022/1/29 イライザ]

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2023年1月 8日 (日)

「ヒロシマ」が壊れて行く? (1) ――反論を期待しつつ書いています――

「ヒロシマ」が壊れて行く?  (1)

――反論を期待しつつ書いています――

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お正月も三が日を過ぎましたので、少し厳しく現実を見つめて行きたいと思います。とは言え、「それは老人の妄想だよ。若い世代がしっかりと責任を果しているから安心して下さい。」という反論と、その証拠を何方かが示して下さることを期待しつつ以下を綴っています。

1月2日の中国新聞ディジタル版に、衝撃的な見出しが躍っていました。

核兵器使用に備えた医療、議論の動き「局面変わってしまった」広島大原医研所長

核兵器が使われた際に必要な医療の研究、開発について国内外の専門家で議論する動きがある。日本で作業部会の設置を呼びかけた、広島大原爆放射線医科学研究所(原医研、広島市南区)の田代聡所長(60)は中国新聞のインタビューに「局面が変わった」と指摘。被爆地の知見を生かして、核使用に備えた医療を研究する必要性を唱える。

田代聡所長は核戦争防止国際医師(IPPNW)の会の日本支部であるJPPNWの事務局長でもあります。IPPNWは1985年にノーベール平和賞を受賞しましたが、その背景を『数学教室』の2014年5月号のコラム「The Better Angels」から引用しておきましょう。

この時期に私はアメリカで生活していましたので、アメリカの活動をまとめてみましょう。1975年にベトナム戦争が終わり、多くの活動家たちは原発の問題に関心を持つのと同時に、医師たちが核廃絶運動に取り組み始めた時期でもあります。後にIPPNWに発展したアメリカの医師たちの活動の中でも、PSR(Physicians for Social Responsibility—社会的責任を取る医師の会)の医師たちの活動は効果的でした。

 主要なメッセージは三つありました。

① 一つは、「あなた」が住んでいる町に核爆弾が落ちたらどんなに酷い結果になるかを、医師として、医学用語を分り易く噛み砕いて伝えたことです。

② 二つ目は、そんな状況の中で、「あなた」が生き残った犠牲者の一人として医師としての私に救いを求めても、私には何もできませんというメッセージです。

③ そして最後のメッセージは、被害を受けるのはあなたやあなたの身近な人たちだけではなく、「核の冬」が訪れ人類は滅亡するのですよ、というメッセージです。

その効果は絶大で、当時の反核運動のスローガン「Freeze Now」決議を、州までも巻き込む自治体の議会が採択するほどでしたし、1986年のレイキャビックでのレーガン・ゴルバチョフ会談も、こうした背景が元になって進められたのです。

多くの市民が医師たちのメッセージをきちんと受け止め、行動に移した理由の一つは、その時点では、原爆や戦争についての直接体験と市民との距離が余り離れてはいなかったことを挙げて良いでしょう。例えば、こうした反核集会の多くは、そして1982年のニューヨークでも、「広島・長崎への原爆投下は正しかったが、次に核兵器が使われれば、それはあなたの頭の上に落ちることになる」といった言葉で始まりました。この点に対しての反論も大変でしたが、同時にこれは、「パール・ハーバー対原爆」という図式で核の問題を捉えていた1945年に、まだまだ多くの人の意識が近かったことも示しています。戦争の記憶がそれなりに生きていたという点は大切です。

ここで上げた三つの柱の内で、一番説得力のあったのが②であることは御理解頂けるでしょう。自分自身に対しての直接的な損得が関わっているからです。お医者さんに見放されても大丈夫という人はまずいないでしょう。仮にこの②がなければ、1980年代の人たちにとって、医師たちのメッセージ性は大きく損なわれたはずです。

そして田代所長の発言は、その②のメッセージ性を大きく変えることになります。もちろん、「私に救いを求めても、私には何もできません」という言い方は誇張です。何らかの手当はできるでしょう。でもここで強調されている点は、医師でも救えないほどの大きな被害が市中に蔓延しますよ、そんな状態になってから私たちに頼っても遅過ぎるのです。今なら、核兵器を廃絶して、そんな状態を避けられますよ、ということなのではないでしょうか。

新たに②の代りになる言葉は何なのでしょうか。「私に救いを求めたとして、医師としては十分な手当てができますから安心して下さい。」になるのでしょうか。そこまでは踏み込まないとしても、仮に生き残った人たちがいたとしても、核兵器使用後の「地獄」は想像を絶するほど酷いものであり、何としてでも避けなくてはならない、というメッセージは消えてしまうのではないでしょうか。

それが杞憂でないことは、2014年12月にウィーンで開かれた「第3回核兵器の人道的影響に関する会議」と、翌2015年のNPT再検討会議での日本政府代表の発言を見れば明らかです。二つの会議では、核兵器使用が人類にもたらす、言語を絶する悲惨さについて多くの国々が次々と言及しました。それに対して日本の佐野利男軍縮大使が強調したのは、その点が強調され過ぎていることを指弾した上で、「核兵器が使用されても市民を救うことはできる」という点だったのです。

また法律によって、どの自治体も「国民保護計画」を作ることを求められています。その計画では、各都市が核攻撃にあったら、どのように市民を守るのかといった方策も掲げなくてはならないのです。国の方から示されている「お手本」には、例えば、「風上に逃げる」といったことが載っています。

それに対して広島市では、被爆者と専門家もメンバーとして参加した検討委員会の結論として次のような主張を掲げています。

「核攻撃があれば、その攻撃から市民を守ることはできない。唯一市民を守る手段は核兵器を廃絶することだ」--広島市作成の「国民保護計画」

田代所長は国際的な場で、「佐野大使の言葉は正しい。核兵器が使われても、広島の医師は市民を救える」と発言するのでしょうか。

そして、広島市に対して、「核攻撃があっても市民を守ることはできる。核兵器の廃絶は唯一の手段ではない」と、国民保護計画の修正を求めるのでしょうか。

答としては、「そんなに極端なことは言っていない。感情に走るのは止めて欲しい。」といった言葉が返ってくるのだと思います。私の方が感情的になっているのかもしれません。でも同時に、私が大切に守ってきた「ヒロシマ」が、どこかから壊れ始めているという感慨も捨てることができないのです。このような傾向は、政治の場面を見るともっと露骨に表れています。続きます。

 

最後に、まだ1月中ですので、今年一年が皆様にとって素晴らしい365日でありますように!

[2022/1/8 イライザ]

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2022年12月28日 (水)

似非(えせ)日本語を追放せよ!

似非(えせ)日本語を追放せよ!

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昨日のブログで主張した、「説明責任」という言葉を追放せよ、をもう少し一般化すると、「似非日本語を追放せよ」になります。

昨日のこのブログの記事を簡単に復習しておくと、政府が「説明責任」という言葉を使うのは、「責任を取る」という表現を避けるためです。そして「責任を取る」の意味は、辞任することや賠償することです。さらに、「説明責任」の意味も薄めて、何かゴニョゴニョと言葉を並べればそれが説明責任を果したことになる、という雰囲気を作ってしまった結果が今の政治です。

「説明責任」という言葉が出てきたら、「説明責任ではなく、責任を取ると言うべきだ」と直截に反駁しなくてはなりません。それが「説明責任を追放する」の意味です。

そして昨日は、「任命責任」を取らない方便として、またまたおかしな表現が飛び出してきました。岸田総理の言葉、「大臣が辞任したことについては、私自身の任命責任について重く受け止めております。」です。簡単に「任命責任を重く受けてめています」と表記しましょう。

何度も繰り返しますが、「責任」は与えられた側が果たさなくてはならない事柄を指しています。そして、憲法に縛られる公務員(国会議員は特別公務員です)の場合は、責任を果すことができなければ、辞任とか賠償といった形で「責任を取る」というのが順序なのです。

それを「受け止める」で誤魔化してはいますが、実質的には、「そんな責任は取らないよ」と突っぱねているのです。分り易い例で「受け止める」の意味を示しておくと、プロポーズをされた側が(前回のブログではBさんと言っています)、「受け止めました」と言って何もしなかったら、それは、プロポーズを拒否したことになります。

野球でも同じです。キャッチャーがボールを受け止めて、ボールを持ったまま何もしなければ、ゲームは止まってしまうことと同じです。受け止めた側が何か行動を取らなくてはならない状況なのに何もしないばかりか、それが全てであるかのように振る舞うことは日本語の常識としてはあり得ないのです。

つまり、「任命責任を重く受け止める」という表現は、日本語のように聞こえますが、日本語ではないのです。だから「似非日本語」なのです。これも「説明責任」同様、追放しなくてはならない言葉です。

そして、「任命責任」を回避するためのもう一つの「似非日本語」が、「出処進退は自ら判断」、あるいはそれに類した言い方です。河合案里議員について、または寺田元総務大臣の責任について等、問題があると誰かが必ず使うことになる表現です。しかし、憲法99条で憲法遵守義務を負っている公務員としては、憲法に照らして判断すべき案件を「私物化」することを許している表現であることに注目すると、一聞、日本語のように聞こえるかもしれませんが、実際には「似非日本語」です。

政治の世界では日常的に、「似非日本語」が製造され、それに従って醜い現実が生み出される傾向があります。日本語として意味のある言葉なのかどうか、私たち主権者が常にチェックをして、マスコミにも働き掛け、意味のある言葉による政治の復権を実現して行きましょう。

 

それでは今日一日が、皆様にとって素晴らしい24時間でありますように。

[2022/12/28 イライザ]

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2022年12月17日 (土)

独裁政治を繰り返すな 修正版

独裁政治を繰り返すな 修正版

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二月前にお知らせしたように、「面白いプロジェクトを始めていますので、ブログとツイッターはしばらく休んでいます。」という状態なのですが、でも、社会的関心が「ゼロ」になったわけではありません。

我が国にとって歴史的な日となった1216日、岸田内閣は安全保障関連3文書を閣議決定して、「戦後安全保障政策の大転換」を宣言しました。国民的議論が全く存在しない形で国の基本的な姿勢を変えてしまうことを宣言したのですから、「独裁」以外の形容詞でこの大転換を表現することはできません。

戦後の安全保障政策」を簡単にまとめると、最初の逸脱は、「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」そして、「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」と規定した憲法に反して、軍隊を保持したこと。

第二に、その言い訳として「専守防衛」という苦しい説明を続けてきたこと。つまり軍隊は日本という地理的な範囲から外には出さないことですが、それは「海外派遣」でいとも容易に破り捨て、最近の例を挙げると、それさえ踏みにじって「集団的自衛権」を認め「専守」を反故にしたことを挙げておきましょう。

そして、ウクライナ戦争で明らかになっているように、最近の戦争は敵国の軍事施設・民間施設を問わず、ミサイルで攻撃するのが主流になってきています。それを、取り繕うために、「敵基地」を攻撃しているのだというのが、何度もロシアの使った言い訳です。

それこそ「敵基地攻撃能力」なのですが、日本もその力を公然と使うぞと宣言したのです。つまり、ロシアのような攻撃ができるし、そうするぞと言ったのも同じです。それが今回の閣議決定です。

戦争を鼓舞する政策にはお金が掛かりますが、それを増税で賄うことになるのは好戦指向を持つ人たちにとっては当然の理屈です。税についての議論は回を改めて論じますが、今回は、政治の理非を論じる上で二つの重要な「事実」を指摘しておきます。

一つは、総理大臣が「独裁」的な行動を取った場合の決着の付け方です。19946月、自民党や新党さきがけと連立政権を樹立し、総理大臣になった村山富市氏は720日の衆議院本会議手、当時の社会党員にはほとんど相談もなく、当然、より多くの市民への説明や相談もなく、「自衛隊は憲法の認めるものだ」と断定しました。

私はこれを「独裁」的手法の一例だと考えています。総理大臣になったからといって国民的には多数の支持があった考え方を、数秒でひっくり返したのですから、そう言われても仕方がないでしょう。

そんな内閣を実現するために私も骨を折りましたので反省を込めて、その後、社会党の改革に取り組みました。詳しくは、機会を改めて説明します。

敢えて村山内閣の評価を続けると、総理大臣として、これほど大きなマイナス行動をした村山氏は、終戦後50年に当る翌1995年には、第二次世界大戦・太平洋戦争そして戦後の総括を行う「総理大臣談話」で、保守派から妥協を勝ち取り、それなりに意味のある内容に踏み込んだ文書を作っています。一方では「自衛隊合憲」と歩み寄り、もう一方では我が国の「戦争責任」について歩み寄らせたのだという解釈も可能です。この「取引」をどう評価するのかも大切ですが、岸田内閣で「総理大臣談話」に相当するものは何になりそうなのかについて、何方かに教えて頂ければ幸いです。

第二の点は「敵基地反撃能力」についての心配です。

この言葉を聞いたとき、何より先に私の頭に浮かんだのは「真珠湾攻撃」です。高校生の時にアメリカに留学して、アメリカ人の世界観の基本には、一つの国家が取り得る最悪の事例として194112月7日の日本による「真珠湾攻撃」が定着していることを何度も体で感じた経験があったからです。そしてそれは多くのアメリカ人の心の中に今でも生きています。

日本が経済的にアメリカの脅威であると恐れられていた1980年代とは違い、影の薄い我が国ではありますが、「Black Lives Matter!」と叫ばないと人権を守れないという側面も持つアメリカで、日本に対して無条件で突き付けることのできる謳い文句を与えるような施策をわざわざ声高に採用する意味も考えなくてはなりません。老人の杞憂に過ぎないことを祈りつつ。

次回は増税について取り上げます。

 

それでは今日一日が、皆様にとって素晴らしい24時間でありますように。

[2022/12/17 イライザ]

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2022年10月 6日 (木)

岸田総理、丁度100年前に広島出身初の総理大臣になった加藤友三郎を見習って下さい

岸田総理、丁度100年前に広島出身初の総理大臣になった加藤友三郎を見習って下さい

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丁度100年前の1922年6月に総理大臣になった加藤友三郎 (私にとって先生のような存在なのですが、敬称は略します) について、今年中に詳しい業績を書こうと考えていたのですが、「今」を逃して警鐘を鳴らしてもその効果は薄くなると思いますので、ポイントだけアップさせて頂きます。

「今」が大切なのは、岸田総理が長男の翔太郎氏(31)を政務担当の首相秘書官に登用したからです。家族で権力を独占するのは封建社会や独裁政治常套手段ですが、最近では、トランプ米大統領の娘、イヴァンカ・トランプ氏が大統領補佐官に起用されたり、北朝鮮の金正恩最高指導者の妹、金与正氏が国務委員会委員に就任していることなどが頭に浮かびます。どちらも、好感を持って受け入れられてはいないようです。

そこで我が国に戻りますが、タイトルに示したように、2005年に加藤友三郎についての短い一文を綴っていました。今回はそれをお読み頂きたいのですが、中でも大切なのは加藤師本人の言葉として伝えられている、「縁故者を重用しない」という方針です。これが家族にも当てはまることは言うまでもないでしょう。

また、内外の反対を押し切って、「軍縮」そして「緊縮財政」に貢献した生涯も是非、100年後の政治家が、特に広島に縁のある岸田総理には見習って貰いたい点です。ことによるとこの「警鐘」は遅過ぎましたかね。

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  伊藤博文以来、わが国の総理大臣経験者は、全部で56人いますが、「広島出身」で誰でも直ぐ頭に浮かぶのは、宮澤喜一そして池田勇人の両氏でしょう。「では広島出身の総理大臣は」と聞かれて、「加藤友三郎(以下敬称略)」と即答できる市民は余り多くないように思います。

  明治維新後、薩長中心の新政府が誕生し、総理大臣は山口県と鹿児島県から交替で出していた時期が続きました。その後、他の都府県生れの総理大臣も誕生しましたが、未だに、総理大臣を一度も出していない道・県が半分くらいあります。ましてや、全国に3000ほどある市町村のほとんどは、総理大臣を生んでいないのです。

  となると、数少ない総理大臣出身地の一つである広島市が、お国自慢の一つとして「加藤友三郎」ブランドをもっとPRしても良いのではないでしょうか。しかも凡庸な大臣もいる中で、加藤友三郎は名宰相の一人だったのです。

  経歴としては、広島出身者として初めての海軍大将、初の海軍大臣、そして初の総理大臣です。ただし、加藤友三郎自身は、このような枠組みで評価されることを歓迎したかどうかは分りません。それは、最近出版された田辺良平氏による好著『わが国の軍備縮小に身命を捧げた 加藤友三郎』の中に友三郎自身の言葉として次のような一節があるからです。

  「自分は有用の人物であれば同郷人であろうがあるまいが、推薦もしくは引き立てもするが、ただ同郷の人であるというのみで、特別に世話をすることは出来ぬ。自分は従来そういう主義で来ているのだから、同郷人の間での評判は定めし悪いであろうが致し方ない」

  しかし、私たちの脳裏からこの偉大な政治家の存在が薄れてしまったのは、恐らく、比治山にあった彼の銅像まで戦時中に金属回収のため供出されたことが原因だと思います。

  海軍の軍人としての加藤友三郎は、100年前の日本海海戦で東郷平八郎元帥と共にロシアのバルチック艦隊を破ったことで有名ですし、他の多くの功績も良く知られています。それ以上に評価されているのが、大臣そして総理大臣としての仕事です。

最も大切なのは、1921(大正10)にワシントンで開かれた軍縮会議において、米英日の主力艦比率を553にするという内容の合意を取りまとめ、その後、その線に沿って軍事費を削減し、健全財政を目指したことにあります。

  官僚制度そのものとも言える現在の外交とは違った時代だったのかも知れませんが、稀有の国際感覚と、自国への誇り並びに優れた現実把握能力の持ち主が、柔軟かつ果敢な決断によって、国難を救い世界的に高い評価を受けたのです。

  平和の象徴としてのヒロシマに軍縮推進の巨人、加藤友三郎のイメージが加わることで、私たちの核兵器廃絶への願いが、より説得力を増し、より多くの人に受け入れられるように思うのですが。  

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より詳しい「加藤友三郎論」は、機会を改めてアップします。それでは今日一日が、皆様にとって素晴らしい24時間でありますように。

[2022/10/6 イライザ]

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2022年9月26日 (月)

ベトナムでの焼身自殺

ベトナムでの焼身自殺

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ホーチンミン市にあるティック・クアン・ドックの像 

(Ngô Trung撮影・Public Domail)

首相官邸の近くで70代の男性が焼身自殺を図ったというニュースが入ってきました。国葬に抗議しての行動か、という注釈も付いていました。ネット上では「焼身自殺」を「自爆テロ」だと断定するコメントもあるようですが、私の頭に浮かんだ歴史的事実との差に、時代の変化を感じています。

この男性が仮に「国葬反対」への思い入れが強かったために焼身自殺という手段に走ったのであれば、その手段は間違っていることに気付いて欲しいものです。命を懸けてまで反対しようという思いなら、その思い実現のために取るべき他の手段がまだまだ残っています。その際の絶対条件は、人の命はもちろんですが、自分の命を捨てることも許されない行為だという人間としての基本命題です。

また、「焼身自殺」を「自爆テロ」だと断定するのも意味不明ですが、この点については、「カミカゼ」についての日本国外での認識の違いと合わせて、別の機会に論じます。

今回は「私の頭に浮かんだ歴史的事実」です。それは、1963611日に、ベトナムの僧侶、ティック・クアン・ドック師が、当時の南ベトナムのゴ・ディン・ジエム政権による仏教徒弾圧に抗議して、カンボジア大使館前で自らガソリンをかぶって焼身自殺したことです。詳細はWikiwandの記事をお読み頂きたいのですが、この事件が結果としてジエム政権を倒し、ベトナム戦争を経てベトナム独立へとつながったことは、私たちの世代では共有されています。

なぜそれほど大きな結果につながったのかという問には、二つの答があります。一つは、ジャーナリストのマルコム・ブラウンの撮った写真が世界中に衝撃を与えたことです。もう一つは、ゴ・ディン・ジエムの弟の妻であったマダム・ヌーが、この焼身自殺を「あんなのは単なる人間バーベキューよ」だと言ったことが世界的に顰蹙を買ったという事実です。

私たちの世代の人間が仮に「焼身自殺」と聞いたときに、「自爆テロ」を思い浮かべることはまずないと思いますが、若い世代の人たちの中には歴史を良く知らない人もいるでしょうから、その違いは「時代の変化」だと考えることも可能です。

私は、ベトナムの事件のように、宗教的な対立があり同時に宗教的な確信のある場合でも、改めて「焼身自殺」は否定しなくてはならないと信じていますが、歴史的事実としてこのような出来事があったことは、知っていて貰いたいのです。

 

それでは今日一日が、皆さんにとって素晴らしい24時間でありますよう。

[2022/9/26 イライザ]

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2022年9月24日 (土)

出ました! 海外要人の参列は、「国葬」と「安倍」の「お墨付き」だ!

出ました! 海外要人の参列は、「国葬」と「安倍」の「お墨付き」だ!

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あるツイートです

コメントは「反対派の皆様、凄い数の要人ですよ。安倍総理がいかに海外から評価されているか、国葬儀に相応しいお方か分かりましたか?」ですが、このコラムで22日に予言した通りの言葉です。

その記事も再度読んで頂きたいのですが、予言の部分は、「さて、話を「国葬」に移しましょう。(A)は外国からの要人です。そしてその要人たちが「国葬」に参加することで、「国葬」そして「安部元総理」にお墨付きを与えることになるではありませんか。つまり、(B)は国葬と安倍元総理、そして(C)は日本政府です。この場合、お墨付きを信じることになるのは日本国民(の一部だと信じています)です。」

しかし、海外の要人は、そんなことは知らずに来日するのですから、「フェア」な対応とは、日本の状況を事前に知らせることです。

「このパターンで開かれる「国葬」で、外国からの要人たちが、このような役割を担わされるのは大問題です。しかも、日本国内でのこのような状況を知らないままに来日するのですから、それを知らせずに招待状を送る日本政府の罪は大きいと言わなくてはなりません。それだけで、「国葬」を中止にすべき立派な理由になります。

最低限、海外からの参加者には、日本の状況を事前に知らせなくてはなりません。それが海外からの参加者に対する最低限の礼儀ですし、彼ら/彼女らに対して「フェア」であるための最低要件です。」

さらに、このお墨付きを素晴らしいと捉えている皆さんは、旧統一教会についての山際大臣他が与えた「お墨付き」も同様に素晴らしいと、評価されるのでしょうか。

「旧統一教会の会合の場合、(A)は、山際大臣、(B)(C)は同じで、旧統一教会、そして(D)は、お墨付きを信じて、信者になる人、さらに霊感商法の犠牲になる人です。」

まだるっこしいですね。22日のエントリーを再度お読み下さい。

 

台風もコロナもまだまだ油断はできません。用心が肝要です。

それでは今日一日が、皆さんにとって素晴らしい24時間でありますよう。

[2022/9/24 イライザ]

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2022年9月22日 (木)

山際大臣発言で「国葬」はできなくなった

山際大臣発言で「国葬」はできなくなった

 

 

 

YouTubeで御覧頂いたのは、山際大志郎経済再生担当大臣の920日に行われた記者会見の核心の部分です。2018年に旧統一教会本体主催の会合に出席したことを認め、「イベントに出席することで団体にお墨付きを与えてしまうようになったことは率直に反省をしている」と述べたのです。

これで、政府が主張してきた「弔問外交」の化けの皮がはがれ、その結果、「国葬」はできなくなりました。

敢えて説明するまでもないとは思いますが、念には念を入れて、「何故なのか」の解説です。

「お墨付きを与える」には、次の四つの構成要素が必要です。テレビ等のコマーシャルが良い例ですので、そちらでまず構造を理解しておきましょう。

(A) お墨付きを与える「セレブ」、俳優やタレントが普通です。

(B)    お墨付きを与える対象、つまり「これは効きますよ」とか「これは美味しいですよ」とか、「これはまがい物ではありません」という場合の、「これ」のことです。「商品」と言っておきましょう。

(C) その商品を売って利益になる会社ですが、お金を払ってコマーシャルを製作し番組を提供します。「スポンサー」ですが、イベントを開く場合には「主催者」です。

(D) そして、お墨付きを信じて、「商品」を買う人たちがいます。「お客様」です。

旧統一教会の会合の場合、(A)は、山際大臣、(B)(C)は同じで、旧統一教会、そして(D)は、お墨付きを信じて、信者になる人、さらに霊感商法の犠牲になる人です。

さて、話を「国葬」に移しましょう。(A)は外国からの要人です。そしてその要人たちが「国葬」に参加することで、「国葬」そして「安部元総理」にお墨付きを与えることになるではありませんか。つまり、(B)は国葬と安倍元総理、そして(C)は日本政府です。この場合、お墨付きを信じることになるのは日本国民(の一部だと信じています)です。

このパターンで開かれる「国葬」で、外国からの要人たちが、このような役割を担わされるのは大問題です。しかも、日本国内でのこのような状況を知らないままに来日するのですから、それを知らせずに招待状を送る日本政府の罪は大きいと言わなくてはなりません。それだけで、「国葬」を中止にすべき立派な理由になります。

最低限、海外からの参加者には、日本の状況を事前に知らせなくてはなません。それが海外からの参加者に対する最低限の礼儀ですし、彼ら/彼女らに対して「フェア」であるための最低要件です。

コロナについてもまだまだ油断はできません。感染しないよう努力を続けましょう。

それでは今日一日が、皆さんにとって素晴らしい24時間でありますよう。

[2022/9/22 イライザ]

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