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2025年3月

2025年3月24日 (月)

#2045年には核廃絶を! ―― #阿部知子後援会で講演しました ――

#2045年には核廃絶を!

―― #阿部知子後援会で講演しました ――

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ニューヨークとボストンの訪問から戻って、次の日曜日16日には、藤沢市で衆議院議員阿部知子さんの後援会でお話をしました。正式には立憲民主党の憲法フォーラムのNo. 31という位置付けです。

パワーポイントのタイトル・ページは次の画面です。

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内容は、「数学人の集い」という、グループで昨年12月1日に話題提供したものの圧縮版に、ニューヨークでの見聞をチョッピリ付け加えたと言えば良いでしょうか。その動画をYouTubeにアップすれば、多くの皆さんに届きますので、近い内に手続きしたいと考えています。是非そちらを御覧下さい。

また「数学人の集い」は、好きでも嫌いでも数学や数学教育に関心のある方で、数学や社会について意見交換をすることに意味があると考えている方々の集まりです。こちらの関心のある方は、もう3年近く前になりますが、この集いの準備会のお知らせを御覧下さい。リンクはここをクリックしてください。

関心のある方は、このブログのコメントとして、または準備会の案内の最後に記してある亀井さんまで御連絡下さい。

これからアップ予定の記事についても説明しておきます。今、準備中なのですが、このブログをずっとは読んでいないけれど、中には特定のトピックに関心をお持ちの方がいらっしゃいます。しかもそのテーマは、しばしばシリーズというような形でアップされているときもあります。そんな時に、「ここを見れば、そのトピックについての記事は網羅してありますよ」というような目次的なページがあると便利かなと思い付きました。

そんな目次的ページをいくつか作って、アップする準備をしています。この目次づくりを手伝ってやろうという方がどなたかいらっしゃいましたら、コメント欄にお願いします。このコメントについては公表はしません。

 

皆様にとって、きょう一日が素晴らしい24時間になりますよう!

[2025/3/24    人間イライザ]

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2025年3月21日 (金)

#ニューヨーク在住の #中川顕実上人の #インタビュー ―― #仏教タイムズで取り上げて下さいました ――

#ニューヨーク在住の #中川顕実上人の #インタビュー

―― #仏教タイムズで取り上げて下さいました ――

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ニューヨークで平和と仏教を広めるための活動を続けて来られた中垣顕実上人が、私のインタビューをして下さいました。それを分り易くまとめて、「ニューヨーク宗教 卍交差点」というコラムに掲載して下さいました。

 

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[2025/3/21    人間イライザ]

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2025年3月13日 (木)

#国連報告 #TPNW #締約国会議 ―― #実りあるロビー活動ができました ――

#国連報告 #TPNW #締約国会議

―― #実りあるロビー活動ができました ――

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#写真は #国連ではなく、#MITの中庭です

 

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しばらくお休みしていましたが、その間の活動の一環を、原水禁が現地取り組み速報として配信してくれていました。3月7日まででしたが、お読み頂ければ幸いです。下にリンクを貼り付けておきます。

これとは別のロビー活動もできましたので、実り多いニューヨーク(そしてその後のボストン)行きになりました。。

 

http://gensuikin.peace-forum.com/2025/03/03/tpnw-3rd-msp/

 

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[2025/3/13    人間イライザ]

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2025年3月 1日 (土)

#大逆事件と #ドレフュス事件 ―― #簡単な #お浚い ――

#大逆事件と #ドレフュス事件

―― #簡単な #お浚い ――

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#「社会」とは

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ドレフュス事件と大逆事件、どちらも歴史の時間に習ったことかもしれませんが、「昔の出来事」、「私たちとは無縁の出来事」という位置付けの場合が多いかもしれません。改めて今の時代に、簡単に振り返ってみましょう。短い記述で、その本質を見事に伝えてくれている記事がありましたので、お読み頂ければ幸いです。

《ドレフュス事件》

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ドレフュス事件」の意味・わかりやすい解説

ドレフュス事件

ドレフュスじけん

Affaire Dreyfus

フランス第三共和政を揺がした政治危機。 1894~1906年社会の根底に横たわる社会的・政治的緊張を露呈し,共和国の存続そのものを危険にさらした事件として知られる。 1894年ユダヤ系の陸軍大尉 A.ドレフュスがドイツに情報を売ったとして終身流刑に処せられた。軍部内では,別に真犯人のいることがわかったが,軍の威信と反ユダヤ感情などのため事件を糊塗しようとした。最初は家族と知人を中心とした再審要求運動であったが,上院副議長 A.シューレル・ケストネル,のちの首相 G.クレマンソーらの支持を得て再審要求運動は拡大した。 98年文人 É.ゾラが『オーロール』紙上で「私は弾劾する」で始る大統領あての公開質問書を発表するなど,世論は高まり,単に個人の有罪,無罪の論議をこえて,左翼には,国権に対する個人の自由を守り,軍を議会の統制下におこうとした反教権的な「ドレフュス派」,右翼には,軍の威信や伝統的価値を擁護し,対ドイツ愛国心を強調する国家主義者,頑固なカトリック,反ユダヤ人主義者,保守主義者などを中心とする「反ドレフュス派」が形成され,国論を2分して抗争するにいたった。 98年 H.アンリ大佐が文書の一部偽造を告白して自殺したため,再審は確実となり,99年レンヌの軍法会議の再審で減刑されたが依然有罪で,大統領特赦で刑が免じられた。 1903年新たに有利な証拠が提出され,06年7月民事の破毀院はレンヌの判決を全面的に破棄,議会も復権法案を可決した。同月 22日ドレフュスも正式に復権した。

 

[出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について]

(https://kotobank.jp/word/%E3%81%A9%E3%82%8C%E3%81%B5%E3%82%86%E3%81%99%E4%BA%8B%E4%BB%B6-3161703)

 

《大逆事件》

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「大逆事件」の意味・わかりやすい解説

大逆事件

たいぎゃくじけん

1910年5月各地で多数の社会主義者,無政府主義者が明治天皇暗殺を計画したとの理由で検挙され,翌年1月 26名の被告が死刑その他の刑に処せられた事件。幸徳事件ともいう。裁判は 10年 12月 10日から非公開の大審院刑事特別法廷で行われ,翌 11年1月 18日には 24名に大逆罪で死刑,2名に爆発物取締罰則違反で有期懲役刑が言い渡された。同日夜死刑宣告を受けた者の半数は明治天皇の「仁慈」により無期懲役に減刑されたが,幸徳秋水,宮下太吉,管野スガら 12名は1月 24~25日処刑された。全世界に衝撃を与えたこの裁判は1人の証人も出廷させず,裁判記緑も弁護士の手にさえ残さないもので,事の真相は第2次世界大戦の敗戦にいたるまで隠されていたが,宮下太吉ら無政府主義者の一部が明治天皇暗殺を謀議したことに口実を設け,無政府主義,社会主義の根絶をはかって全国にわたる大陰謀団の存在をでっちあげたというのが真相で,宮下太吉,新村忠雄,古河力作,管野スガの4人が爆弾による明治天皇暗殺を謀議したことは推定できても,幸徳ですらこの謀議にどれだけ関係していたか疑わしく,他の 21名についてはまったく無関係であったとされている。 63年9月 13日,50年間無実を訴え続けた被告の1人坂本清馬は,最高裁判所に再審請求を行なったが,65年 12月却下され,決定不服による特別抗告も 67年7月3日棄却された。

 

[出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について]  (https://kotobank.jp/word/%E5%A4%A7%E9%80%86%E4%BA%8B%E4%BB%B6-90983)

《二つの事件の比較》

詳細は、菊谷和宏著の『「社会」のない国、日本』(以下、『社会』と略。)をお読み頂きたいのですが、私なりに数点、思い付くままに列挙しておきます。

  • 両裁判とも、事実関係が争点になったのではないこと。「国」側が有罪であると決め付けて、「国」あるいは「軍」の権威を守るために裁判が行われた。
  • にもかかわらず、フランスではドレフュスが最終的には無罪になり復権を果しています。対して日本では、一人の証人も出廷させない裁判で死刑が宣告され、一年以内に12名が処刑されています。さらに、戦後、新憲法下での再審請求も却下されています。 
  • その違いを菊谷さんは、日本には「社会」がないからだと表現しています。この「社会」とは、国家とも違い家族や故郷といった概念とも違うというのが菊谷理論のポイントです。その違いを図示したのが『社会』の15ページに掲げられている冒頭の図です。

 

この「社会」の定義が難しいのですが、菊谷著『社会』と『「社会」の底には何があるか』を元に、私なりに理解した結果をお伝えしたいと思います。

 

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[2025/3/1    人間イライザ]

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