#日本がアメリカに「No」と言えない #理由 ――#石原慎太郎氏と #盛田昭夫氏が #1989年に答えています ――
#日本がアメリカに「No」と言えない #理由
――#石原慎太郎氏と #盛田昭夫氏が #1989年に答えています ――
#『「No」と言える日本』
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《横道に逸れる悪い癖》
私の悪い癖なのですが、あるテーマについて書き始めても、横道に逸れてさらにその横道の横道に迷い込んでしまうことがかなりあります。老化現象ではなく、高校くらいの時にそんなことをしているという自覚を持つことができました。
ここでもまた横道に逸れるのですが、高校の一年上の先輩であるTさんの呼び掛けで、何人かが集まって『源氏物語』を読む会を開いていました。当然、『源氏物語』以外の話になることも多かったのですが、そこでT先輩に私の「悪い癖」を指摘されました。それも「面白いから、その癖をなおそうなんて考えるな。そのままでいろ」という命令付きだったのです。そして横道から元のテーマに戻るタイミングでは、ほぼ毎回それをネタにからかわれました。
箱根駅団でも活躍している大学で仏文を教えていたのですが、数年前に亡くなられていますので、今回のように元のテーマに戻っても、それをネタにして貰えることがなくなり寂しい限りです。
《何故アメリカに遠慮するのか》
と言うことで、元々は昨24年12月13日に、何人かの方から提起された疑問への回答として始めた論考です。それは、
日本政府が被爆者に対して冷たい態度を取っているのは何故か。アメリカに遠慮しているという意見もあったが、何故アメリカに遠慮しなくてはならないのか、というものです。
「遠慮する」という言葉をもう少し黒白がはっきりした表現にすると、「No」と言えない、と言い換えることができます。つまり、日本がアメリカに対して「No」というべきではないのか、という質問だったのです。
《『「No」と言える日本』》
そんな疑問に答える形のベストセラーが1989年に出版されています。石原慎太郎・盛田昭夫両氏著の『「No」と言える日本』です。
当時も、日本および日本人がアメリカに対して及び腰になる傾向を慨嘆していましたので、『「No」と言える日本』の大筋については歓迎した記憶があります。
しかし、石原氏の癖である、特別なエピソードを極端に一般化することや、日本の軍事大国化がアメリカに「No」という上での解決策であるといった議論、さらには日本がCIA紛いの裏工作をする必要性を説くなどといった主張には大いなる違和感を持ちました。
と言うと、石原氏の担当した部分のほとんどになってしまうのですが、盛田氏の考え方が、長くアメリカで生活をしていた私の経験と重なるところが多く、それ故に共感したのではないかと思います。
と書いてきて、『「No」と言える日本』という書名さえ知らない方もいらっしゃるかもしれませんので、President Online が2022年2月15日にアップした、ニューズウィーク日本版の1989年11月23日号から引用します。President Onlineの記事は、2022年2月1日に亡くなった石原慎太郎氏の追悼のためのものです。以下、ニューズウィーク誌のまとめた『「No」と言える日本』の概要です。
石原は、この共著で次のように説いている――日本は経済力に見合う世界的な政治力を身につけ、対米交渉では、世界の半導体市場における影響力を行使すべきだ。また日米摩擦のほとんどの部分は、白人優位の思想から脱却できないアメリカ側に責任がある……。
盛田は、アメリカ人は「物をつくるということをだんだん忘れてきている……マネー・ゲームとかM&A(合併・買収)で儲けることに味をしめたからだ」と書いた。
とにかく日本はアメリカに「ノー」と言えるようになるべきだというのが、2人の一致した意見だ。
それによって、日本とアメリカの「逃れられない相互依存」関係に横たわる暗雲を一掃できると、盛田は考えている。一方の石原はアメリカ離れを主張し、防衛力の対米依存を減らしてアジアとの関係を強化すべきだと考えている。
この要約では、石原氏、盛田氏ともに、日本が「No」と言えない理由はアメリカにある、だからアメリカが変れば良いのだと主張しいるかのように読めます。でも、自分が何かできないのは、相手のせいだと言っても、そして仮にそれが真実であっても、相手がそれを認めて言動を変えてくれることは期待できないでしょう。
そもそもこの本のタイトルは『「No」と言える日本』ですから、「No」と言えるように、日本が変らなければならないという意識はあったはずです。事実、盛田氏は、日本人がアメリカの文化や社会をよく理解した上で、そのような相手に通じるコミュニケーションを図るべきだとも言っています。
《個の独立と、事実に基づいた歴史観》
盛田氏の考え方には概ね賛成なのですが、そのためにも、そして日本社会をもう少し風通しの良いものにするためにも、私は個の確立が何より重要だと思っています。個人として独立する存在になり、他の人の独立性も尊重するということなのですが、アメリカ社会の人間関係に慣れた目で見ると、日本社会は今でも個人を尊重しているとは言えないのです。この点については何度も、様々な視点から考え続けて行きたいと思います。
もう一つは、日本社会の「暗黙の前提」と言って良いのではないかと思いますが、歴史観を見直す必要があるという点です。特に終戦前後の歴史はベールに覆われてしまっている部分があり、また真実が語られていてもそれが、既定の歴史観に影響を及ぼすこともないなど、不自然過ぎる感がします。
それは、昭和天皇の戦争責任とも関連があるためだろうと思いますが、原爆投下が国際法上合法だという戦後の日本政府の主張にも関連しています。歴史の専門家の皆さんに是非、事実に則った歴史観を広めて頂きたいと思います。事実に基づいての歴史観はアメリカとも共有すべきなのですが、そのプロセスでも相互的な議論が必要になります。
しかし、そんなプロセスも含めてアメリカに対して「No」と言っても、アメリカからの反論や反発に、事実を以て語らしめる説明を付けられますので、説得力が増すはずです。そして、事実を基にした歴史観と個の確立とには深い関係があります。
これらの点については、それこそ「事実」が何なのかを知ることから始めなくてはなませんので、素人にどこまでできるのかは分りませんが、少しずつ解明できればと願っています。
皆様にとって、2025年が素晴らしい一年になりますよう!
[2025/1/11 人間イライザ]
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