#大岡信の至言 ―― #『ひとの最後の言葉』から ――
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#現代社会への警句も
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前回お約束したのは、メル・ロビンズというアメリカの作家の最近のベストセラーなのですが、今日は、そのネタにもなるかもしれない至言を一つ取り上げます。大岡信さんの現代についての警句です。
大岡信さんと言うと、やはり朝新聞に連載されていた「折々の歌」を思い出します。懐かしいですね。
最近は年取ったせいでしょうか、大岡さんの『ひとの最後の言葉』という本を読んでいます。
芭蕉や武士たちの時代から、夏目漱石、正岡子規、岡倉天心のような日本の文化を紡いできた人たちの死への向き合い方がテーマです。私は、それぞれの「時代」が人の死をどう縛ってきたのかという視点に重きを置いてこの本を読んでいます。人の死を「メタ」的に見つめながら、その人たちが生きてきた社会を今の社会に重ねてみて、両者それぞれが抱えている矛盾をより正確に理解しようとしています。色々な発見があり、人として生きる意味を改めて考えさせられています。
当然、歴史的な記述が多い本なのですが、その中でいくつか現代社会についての大岡さんの鋭い言葉を発見しました。その一つを紹介しておきます。
私たちは近ごろ、本音と建前という言い方に、あまりにも慣れてしまったため、言葉というものは本音を言うには不適当な道具だ、と言う漠然たる感じをいだいている人がきわめて多い。それは日本の、とりわけ政治的風土につきまとう根本的な病状--二枚舌が、まかり通る世界、素直な思考がはなから嘲弄されされ、幼児扱いされる世界に特有の、微温的ペシミズムと「長いものにものに巻かれる快適さ」を愛する病気--と切り離すことのできない現象で、かく言う私自身の中にもその病気は絶えず発達しては私自身を赤面させ、不機嫌にさせている。
特に私が共感したのは、「素直な思考がはなから嘲弄され、幼児扱いされる世界」そして「特有の微温的ペシミズムと「長いものに巻かれる快適さ」という所です。
私がずっと感じ続けてきたこと、そして私がその対象としての扱いを受けてきたことを見事に表現してくれているこの部分に惹かれたのだと考えています。
[お詫びと訂正] ハワイ大学のイベントは、1月26日の朝9時からです。ブログの方も訂正しておきました。お詫びして訂正します。
皆様にとって、2025年が素晴らしい一年になりますよう!
[2025/1/18 人間イライザ]
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