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2024年12月

2024年12月31日 (火)

#この一年 #大変お世話になりました ――#2025年 #被爆80周年に向けての #準備の年でした――

#この一年 #大変お世話になりました

――#2025 #被爆80周年に向けての #準備の年でした――

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一年を振り返り、来る年を思っています

 

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皆様、この一年大変お世話になりました。コロナ等の病との戦いも大変でしたが、楽しいこと、そして達成感のあることも沢山経験した年でした。でも総括すると、それは来年の被爆80周年に、100周年を目指すスタートを切る準備だったような気がしています。

一年の計は、明日。

皆様、良いお年をお迎え下さい。

 

最後に、今年の総括になる今日一日が皆さんにとって素晴らしい24時間になりますよう

[2024/12/31    人間イライザ]

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2024年12月30日 (月)

#2024年 #一番光栄だったこと (3) ――#慰霊の夕べコンサートでの #テノール独唱――

#2024 #一番光栄だったこと (3)

――#慰霊の夕べコンサートでの #テノール独唱――

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市民の手で続けています

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「今年買って良かったもの」の第三弾ですが、買ったのではなく一番光栄だった出来事です。

2024年慰霊の夕べコンサートで、慰霊のため、そして核兵器廃絶への決意を確認するために、『長崎の鐘』と『My Way』を歌わせて頂きました。

被爆60周年のバッハ作曲、マタイ受難曲の全曲公演からから市民の手で続けてきたコンサートに出演させて頂いたことは、今年一番の光栄でした。YouTubeでの切り抜きも添えてある、記事も御覧下さい

来年、80周年の慰霊の夕べコンサートについてのアイデアも募集中です。

 

最後に、今日一日が皆さんにとって素晴らしい24時間になりますよう

[2024/12/30    人間イライザ]

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2024年12月29日 (日)

#2024年 #買って良かったもの (2) ――#都をどりと #研ナオココンサート――

#2024 #買って良かったもの (2)

――#都をどりと #研ナオココンサート――

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梅沢富美男さんも付いてきました

 

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「今年買って良かったもの」の第二弾です。昨日は、高齢者の悩みを解決してくれた上、毎日の生活がなくで楽しくなったものでしたが、今日はストレートに楽しかったことです。「買った」のは公演のチケットで、楽しかったのは二つの催しです。

一つ目は4月に京都の歌舞練場で開かれた都をどりです。楽しかった気持は、4月28日にアップしたブログでお読み頂ければ幸いです。

もう一つは研ナオコのコンサートです。正式には、「梅沢富美男劇団 梅沢富美男 研ナオコ 特別公演」ということらしいのですが、お目当ては研ナオコさんですので、研ナオココンサートと呼ぶことにします。

8月末に大阪の新歌舞伎座で開かれました。その頃はいろいろと深刻な問題が起きていましたので、そちらに時間を取られて、ブログにアップしていませんが、楽しいコンサートでした。

2025年には別の楽しいコンサートが多くあるようですので、近くに来たら出掛けてみようと思います。

 

最後に、今日一日が皆さんにとって素晴らしい24時間になりますよう

[2024/12/29    人間イライザ]

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2024年12月28日 (土)

#2024年 #買って良かったもの ――#トゥルー・スリーパーと #5本指ソックス――

#2024 #買って良かったもの

――#トゥルー・スリーパーと #5本指ソックス――

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ショップジャパンのホームページから

両方とも痛みから解放してくれました

 

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毎年暮には、「今年買って良かったもの」のリストを御紹介しています。今年の一位は、ダントツで「トゥルー・スリーパー」です。12月24日にアップしたこのブログで御紹介しましたが、とにかく快適です。

24日には、熟睡できたことと体幹部の痛みが取れたこを挙げましたが、もう一つ、足が攣らなくなったことも、高評価につながっています。朝起きた時に、全身を伸ばすと足が攣っていたのですが、それがなくなりました。

トゥルー・スリーパーの宣伝では、痛みがなくなるという点には触れていませんが、高齢者にアピールするにはこれも強調すると良いのではないかと思います。

痛みがなくなったもう一つの買い物は、5本指のソックスです。

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右足の人差し指と中指が原因だったようなのですが、靴を履くと右足の指が痛みました。形成外科では神経が原因だと言われましたので、足指の神経を包むように5本指のソックスにしたところ、痛みはなくなりました。

高齢期の悩みを開陳する場になってしまいましたが、明日はもう少し楽しい「買って良かった」を報告します。

 

最後に、今日一日が皆さんにとって素晴らしい24時間になりますよう

[2024/12/27    人間イライザ]

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2024年12月27日 (金)

#9条を広げる #素晴らしいギフト ――#主役は憲法についての #小冊子かも――

#9条を広げる #素晴らしいギフト

――#主役は憲法についての #小冊子かも――

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二年前にも報告させて頂きました

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暮には、一年間お世話になったお礼の気持を込めて、細やかなギフトを贈らせて頂いています。またいろいろな方からのギフトが届きます。そんな中ユニークなのが、2年前にも報告させて頂いた日本酒の「九条」です。

その時に、「洛中発」と書いてあることに気付き、京都市の九条通りで造られているお酒なのかと思って調べましたが、醸造元は上京区にある佐々木酒造でした。

「憲法を活かす日本酒「九条」の会」がこの醸造元から「あらばしり」というお酒に、特別に「九条」というラベルを付けて貰っている、ということのようです。

2年前にも触れましたが、一緒に付いてくる小冊子「憲法」には、憲法の条文全部と児童憲章や「九条の会」アピール等が載っていて、雑誌の付録などにもよくあるような形で、こちらがメインのギフトで、お酒は付録という見方もできます。

九条というお酒のあることには改めて感謝ですが、同時にビックリしたのは、この酒屋さんは俳優の佐々木蔵之介さんの実家だということです。これも嬉しい発見です。

お贈り下さったHさんには続けて大変お世話になっています。改めてお礼を申し上げます。

最後に、今日一日が皆さんにとって素晴らしい24時間になりますよう

[2024/12/26    人間イライザ]

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2024年12月25日 (水)

#サンタクロースではありません ――#水道の凍結防止のため #断熱材でくるみました――

#サンタクロースではありません

――#水道の凍結防止のため #断熱材でくるみました――

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これを雨除けのビニール袋で覆って完成です

 

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我が家は都会から離れて、夏は快適なのですが、冬は寒さが堪えます。人間の方は、一枚上に羽織るとか、ストーブの近くに寄るとか方法はあるのですが、水道は単純に気温がマイナス4度とか5度とかで凍ってしまいます。完全に防止はできないのかもしれせんが、水道管を断熱材で覆うことで、何度かは温かくすることが可能です。

ということで、これは壁に使う断熱材ですが、屋外の水道管、それも家屋のすぐ外にあるものを包みました。雨に濡れないように、この上にビニールを被せます。

今夜は特に寒いようですので、これで凍結が防げるのか、朝になってチェックしたいと思います。結果次第ではお知らせすることになるかもしれません。

 

今日一日が皆さんにとって素晴らしい24時間になりますよう

[2024/12/25    人間イライザ]

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2024年12月24日 (火)

#クリスマスプレゼントは #トゥルースリーパー ――#思った以上に快適でした――

#クリスマスプレゼントは #トゥルースリーパー

――#思った以上に快適でした――

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三つ折りのトゥルースリーパー

--切っ掛けは #アルティメット--

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今日はクリスマスイブですが、ちょっと早めにプレゼント、それも私自身へのプレゼントを開けました。テレビのコマーシャルなどでお馴染みのトゥルースリーパー(True Sleeper)です。

実際に寝てみると、思った以上に快適です。一夜明けての感想は二つ。一つは、良く眠れたことです。いつもより睡眠の質が高かったような気がします。朝起きた時の爽快さが全然違いました。

もう一つは、身体全体と言うか体幹部にあった痛みが取れたことです。

プラシーボ効果ということも考えられますので、あと数日は疑いの目でチェックしたいと思いますが、初日の評価は文句ありません。

そもそも、トゥルースリーパーを買おうと思ったのは、アルティメットのせいです。アルティメットというのは、フリスビーを使って、フットボールとかラグビーのような点の取り方をする競技ですが、日本でも最近かなり盛んになってきました。我が家では息子二人が社会人になった今でもチームに属しています。

その試合のYouTube中継のベテラン解説者の方(普通のテレビのように字幕が出て来ないので名前が分らないのですが)の一言で「買おう」と思ったのです。彼の解説はいつも中立で分り易く、競技についてのあれこれ、例えば選手についての面白い情報なども、自分の家族といった感じで教えてくれる方なのですが、突然、トゥルースリーパーの話になりました。彼もスポーツ選手もが高く評価していたので、買ってみようかなという気になったのです。

これが来年一年の良き予兆になってくれると良いのですが--。

皆さん、良きクリスマス、そして「Holiday Season」をお迎え下さい。

 

今日一日が皆さんにとって素晴らしい24時間になりますよう

[2024/12/24    人間イライザ]

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2024年12月23日 (月)

#笹森恵子(しげこ)さんの著書 ――#タイトルは『恵子 ゴー・オン』――

#笹森恵子(しげこ)さんの著書

――#タイトルは『恵子 ゴー・オン』――

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表紙は、松本六平画伯による

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一日お休みしましたが、92年の生涯を閉じられた笹森恵子さんのエピソードを続けます。

《『恵子 ゴー・オン』》

ボストンのMANA反核コンサートの直後に書かれた本ですが、最初にこのコンサートのシーンが描かれています。エピソードとして微笑ましいのが、笹森さんの前に出演する女性歌手のドレスの色と重ならないように、紫をあきらめて薄緑の着物を着ることになった顛末です。笹森さんの、紫を着たかった気持が伝わってきます。

 

《講演の時には必ず手料理を持参して下さいました》

笹森さんには、私が教えていたTufts大学での講義の一環として、何度か被爆体験を話して頂きました。また、ボストン地域の平和集会等でも話をして頂きました。何千人もの集会の時は別でしたが、大学での授業の時は学生数も20人くらいです。その度に手料理を携えてお出で下さいました。

体験談の前に、学生たち仲良くなり、その後の被爆証言も学生たちに取っては別の視点も加わり自分たちにも関わりのある問題だという意識で聞いて貰えました。

 

《ノーマン・カズンズ記念碑》

2003年に、広島市特別名誉市民のノーマン・カズンズさんの記念碑が平和公園のすぐ外側に建立されました

広島平和資料館による説明がありますので、その中からカズンズさんについての説明を引用させて頂きます。

 

ノーマン・カズンズ氏(Norman Cousins)1915~1990

米国ニューヨークの文芸雑誌『土曜文学評論』の編集長として、1949(昭和24)年8月に広島を訪れ、ルポ「4年後のヒロシマ」を発表しました。そこには、原爆や戦争で肉親を失った子どもたちを育成する「精神養子」の考えも記されていました。

これは、善意のアメリカ人が子どもたちと法的でない養子縁組を結び、養育費を送ることで子どもの成長を支えるというもので、約500人の子どもが精神養子となり、総額2,000万円の援助が行われました。

さらに1955(昭和30)年、被爆女性の米国でのケロイド治療に尽力し、25名がニューヨークのマウント・サイナイ病院で、世界的に著名な形成外科医バースキー博士らの治療を受けることになりました。

これらの功績を称えて、1964(昭和39)年には、広島市特別名誉市民の称号が贈られました。

より詳しい説明が、「ヒロシマの今から過去を見て回る会」さんのウエブ・サイトにありますので、御覧下さい。

そこでも触れられていますが、カズンズさんの記念碑の除幕式で、娘さんを代表して長女のアンドレアさんが挨拶をしました。その中で印象に残っているのは、「父は、墓は立てずに、自分の骨は広島の上空から散骨して欲しいと言っていたのですが、それだけは止めて欲しい、自分たちのお参りに行く場所がなくなってしまうから」と説得して諦めて貰った、ということでした。

アンドレアさんの挨拶を通訳していたのが、カズンズ家の一員、笹森さんでした。でも途中で感極まって泣き出してしまい、通訳どころではなくなりました。会場全体もその気持に寄り添って、シーンとなりました。笹森さんの泣き声はそのまま続いたのですが、誰かが収拾しなくてはならない状況でもありました。

「私が通訳します」と何方かが手を挙げて下さればと見回したのですが、誰も手を挙げてくれません。私なら、その場に立ち尽くしている笹森さんを慰めるのと、通訳と一緒にできそうでしたので、アンドレアさんにそう告げて続けて貰いました。何だか、カズンズ家の準メンバーくらいだと認められたような気がしました。

 

《忍者》

比較的最近、笹森さんと広島市内でお目に掛かる機会が何回かありました。日常的な話もありましたが、一番盛り上がったのが忍者の話です。笹森さんが忍者の末裔、というより現代に生きる忍者と知り合いになり、忍者のあれこれについて話してくれたのです。一つ一つ詳しくは覚えていないのですが、忍者の日常や訓練、社会生活等について話してくれました。む忍者が現存していることにビックリ、彼らの生活にビックリ、そして笹森さんが知り合いになったことにビックリですが、彼女ならそんな知り合いがいても不思議ではありません。

笹森さんの人生を振り返り、彼女が世界に与えたインパクトを改めて確認しつつ、もし原爆が落とされなかったらと、悔しく思うと同時に、被爆者の生きている内に核兵器を廃絶するという目的を達成するのが私たちの責任であることを改めて言い聞かせていました。

 

最後に、今日一日が皆さんにとって素晴らしい24時間になりますよう

[2024/12/23    人間イライザ]

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2024年12月21日 (土)

#笹森恵子(しげこ)さんとの出会い ――#MANAコンサートでの「恵子 ゴー・オン」――

#笹森恵子(しげこ)さんとの出会い

――#MANAコンサートでの 「恵子 ゴー・オン」――

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『真珠と桜』

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昨日は、御冥福を祈りつつ笹森恵子さんの92年間の人生を簡単に御紹介しました。お伝えしたかったのは、彼女の生き方や考え方、そして彼女が「笹森恵子」であることそれ自体から私が大きな影響を受けてきたことなのですが、懐かしい思い出の中からいくつかを御披露させて頂きます。

 

MANA反核コンサート》

笹森恵子さんが亡くなられたのはロスアンゼルス近郊のマリーナ・デル・レイの御自宅でした。1932年生まれですので、92歳でした。映画監督のSteven Okazakiの言葉では、「彼女は世界中で誰よりも多くの人にヒロシマの物語を伝え、誰よりも多くの人の心を打った被爆者」です。

アメリカに長く住み、英語で自らの被爆体験を語る笹森さんが、直接、そして様々なメディアを通じて語り掛けた人の数が限りなく多かったのは当然です。今でも、「ヒロシマ」と言えば「パールハーバー」と返って来るケースが多いアメリカでは、初めて被爆者の体験に触れる人が圧倒的多数です。そんな人たちの心の奥まで揺さぶるストーリー・テラーとして平和のメッセージを伝え、核なき世界を目指そす多くの仲間を作ってくれた笹森さんに、改めて心からの感謝の言葉を捧げます。

私が笹森さんにお会いしたのは1978年、まだボストンの郊外のニュートンビルにお住いの頃でした。海外ジャーナリストを広島・長崎に招請する企画について相談に乗って頂くために、御自宅に伺いました。後に「アキバ・プロジェクト」と呼ばれるようになったのですが、笹森さんの後押しがなければ、このプロジェクトは陽の目を見なかったかもしれません。初めてお会いした時のこと、そして笹森さんが主役として大きな役割を果したボストンでの集会について、拙著から引用します。

『真珠と桜』(1986年、朝日新聞社刊)の104ページから107ページまでです。ちょっと長くなりますが、お付合い下さい。

笹森恵子さんにお会いしたのはそんな時だった。(中略)

世界的ジャーナリストとして有名なノーマン・カズンズ氏が音頭をとった〝原爆乙女"プロジェクよってアメリカに招かれ手術を受けた一人である。今ではカズンズ家の養女格で一人息子のノーマン君に大きな期待をかけている。そのくらいの予備知識で拙宅から車で二十分ほど離 れたニュートンビルに笹森さんを訪ねた。

 デュープレックスつまりアメリカ式二軒長屋の片方が笹森家で、玄関からいきなり階段を上った二階と、三階全体で五、六室ある。階段の上から「いらっしゃい」と歓迎してくれた笹森さんの第一印象は、身体全体を通しての微笑みと、小柄な身体から溢れ出るエネルギーだった。顔にはケロイドの跡がある。 曲ったままの指もある。 映画 『原爆の子』の中の女学生達のように、 笹森さんも朝礼中被爆したのだろうか。アメリカ人の善意で手術したのはどの部分なのだろう。そんな疑問も浮んだが、こちらの勝手な感傷とは全く関係なくたちまち笹森ペースで話が始った。

 今考えるとおかしな話だが、ジャーナリストを招くプロジェクトの趣意書は、さんざん加筆訂正した汚ないものをそのまま持ち歩いていた。ワープロがそれほど普及していなかったにしろ、清書くらいしておいて当然だったと思う。その読みにくい趣意書を、笹森さんは丁寧に読んでくれた。

 「本当にそう。アメリカの人達に被爆者のことをもっと知って貰うことには大賛成。でも、具体的に何をするかが問題ネ」

 「ローカル新聞の記者を招待するにしても本当に、良い人が集るかしら」

頷きながら、次々に質問が飛び出してきた。広島弁の混った、直観的な言い回しが笹森さんの特徴である。その感情につられないように私は論理的レベルで質問に答える。

最後には、「驚いたわ。あなたと私とは、同じようなことを考えていたみたい。私も応援するから頑張ってちょうだい。 お父さんにも話してみるから、英語の説明書も作ってちょうだい」ということになった。

 お父さんとは勿論、ノーマン・カズンズ氏である。笹森さんにはその後、ずっとアドバイザー として、困った事が起る度にお知恵を拝借している。その後、米国内で盛んになった反核運動でも、彼女は被爆者として積極的に発言を続けている。

 中でも印象深いのは、一九八二年二月ボストンで開かれたMANA(核兵器に反対する音楽家の会)の第一回コンサートである。ハーバード大学教授で作曲家のアール・キム氏が「核の鎖と憎しみの鎖を断ち切る」ために、クラシック畑の音楽家に呼びかけて設立した会である。私もアドバイザーとしてお手伝いしたが、第一回目のコンサートはボストン交響楽団のコンサート・マ スターだったジョセフ・シルバースタイン氏を初めとして世界的な音楽家達が参加して開かれた。

キム氏は長崎に原爆が投下された次の日、米空軍の偵察将校として超低空飛行を行って長崎の惨状を胸に刻み込んだそうである。その惨状を伝えるため、また、アメリカ人に核兵器、その中でも広島と長崎の原爆に対する責任を真正面から見つめて貰うため「MANAのコンサートには どうしても被爆者に参加して貰い、被爆者のメッセージを伝えて貰わなくてはならない」と言う。

 憎しみの鎖を断つことが可能である証拠として、キム氏は被爆者の経験ならびに氏の経験を挙げる。

「被爆者はアメリカ人を恨んではいないそうではないか。彼らは憎しみの鎖を自ら断った人々だ。 私も子供の頃、日本人を憎むよう教えられ育てられた。日本人が朝鮮人にして来たことを考えると、私には日本人を憎む気持もよく分る。だが、憎しみの鎖はどこかで断ち切らないといけない。だから私は、日本人を恨み憎むことは自分の所で終りにすると心に決めた。大学時代のことだ」

そのキム氏の主催するコンサートで笹森さんが、シンフォニー・ホール一杯の聴衆に向って平和への努力を続けようと訴えた。

 「私は今、病院の新生児室で働いています。辛いこと、苦しいことがあると、赤ちゃん達が無言の内にも私を励ましてくれます。 『恵子、ゴー・オン(ガンバレ)。恵子、ゴー・オン』と言って いるように聞えます。皆さんも、苦しいことがあってもそれに負けずに、一緒に平和のために頑張りましょう」

 三千人以上の聴衆は起立して心からの拍手を送った。このコンサートの成功が契機となって笹森さんは、あちこちの大集会に引っ張り出されることになる。

このコンサートのクライマックスは、笹森さんが励ましの言葉として使った、「恵子、ゴー・オン」でした。それが笹森さんの人生を象徴する言葉だったことが、3000人の聴衆に伝わり、鳴り止まぬ拍手になったのですが、同年の6月には、その気持を文字化した『恵子 ゴー・オン』が汐文社から出版されました。

2月21日のMANAコンサートでもう一つ忘れてはならいのが、アール・キムさんの作曲した「Now and Then」です。今でもキムさんの音楽はクラシック・ファンの中で生き続けていますが、MANAコンサートではE. マクナマラさんの歌唱が、キムさんが長崎で受け止め、40年近く掛って表現することになった原爆・核兵器との遭遇の意味を、笹森さんや会場を埋め尽くした、志を共にする人たちに伝えてくれました。

笹森さんにとってこのコンサートは、大きな集会で被爆体験を語る初めての経験だったのですが、それ以後、至る所で被爆体験を語ることになります。

その他の場での笹森さんとのお付き合いもいろいろありましたが、印象に残っていることをいくつか、次回も御披露します。

 

最後に、今日一日が皆さんにとって素晴らしい24時間になりますよう

[2024/12/21    人間イライザ]

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#追悼 #笹森恵子(しげこ)さん ――#誰よりも多くの人にヒロシマの物語を伝えた被爆者(by Steven Okazaki)―

#追悼 #笹森恵子(しげこ)さん

――#誰よりも多くの人にヒロシマの物語を伝えた被爆者(by Steven Okazaki)――

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そして「#原爆乙女」のお一人です

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連続して、核廃絶のため私たちに何ができるのかを考えてきましたが、とても悲しい訃報が届きました。中断して笹森さんの92年間の人生の中からいくつかのエピソードをお届けして、御冥福をお祈り致します。

 《笹森恵子さん》

笹森恵子さんはロスアンゼルス近郊のマリーナ・デル・レイの御自宅で亡くなられました。1932年生まれですので、92歳でした。映画監督のSteven Okazakiの言葉では、「彼女は世界中で誰よりも多くの人にヒロシマの物語を伝え、誰よりも多くの人の心を打った被爆者」です。

アメリカに長く住み、英語で自らの被爆体験を語る笹森さんが、直接、そして様々なメディアを通じて語り掛けた人の数が限りなく多かったのは当然です。今でも、「ヒロシマ」と言えば「パールハーバー」と返って来るケースが多いアメリカでは、初めて被爆者の体験に触れる人が圧倒的多数です。そんな人たちの心の奥まで揺さぶるストーリー・テラーとして平和のメッセージを伝え、核なき世界を目指そす多くの仲間を作ってくれた笹森さんに、改めて心からの感謝の言葉を捧げます。

私が笹森さんにお会いしたのは1978年、まだボストンの郊外のニュートンビルにお住いの頃でした。海外ジャーナリストを広島・長崎に招請する企画について相談に乗って頂くために、御自宅に伺いました。後に「アキバ・プロジェクト」と呼ばれるようになったのですが、笹森さんの後押しがなければ、困難さは幾層倍していたか分りません。お会いした時のこと、そして笹森さんが主役として大きな役割を果したボストンでの集会について、拙著から引用します。

『真珠と桜』(朝日新聞社刊、1986年)の104ページから107ページまでです。ちょっと長くなりますが、お付合い下さい。

笹森恵子さんにお会いしたのはそんな時だった。(中略)

世界的ジャーナリストとして有名なノーマン・カズンズ氏が音頭をとった〝原爆乙女"プロジェクよってアメリカに招かれ手術を受けた一人である。今ではカズンズ家の養女格で一人息子のノーマン君に大きな期待をかけている。そのくらいの予備知識で拙宅から車で二十分ほど離 れたニュートンビルに笹森さんを訪ねた。

 デュープレックスつまりアメリカ式二軒長屋の片方が笹森家で、玄関からいきなり階段を上った二階と、三階全体で五、六室ある。階段の上から「いらっしゃい」と歓迎してくれた笹森さんの第一印象は、身体全体を通しての微笑みと、小柄な身体から溢れ出るエネルギーだった。顔にはケロイドの跡がある。 曲ったままの指もある。 映画 『原爆の子』の中の女学生達のように、 笹森さんも朝礼中被爆したのだろうか。アメリカ人の善意で手術したのはどの部分なのだろう。そんな疑問も浮んだが、こちらの勝手な感傷とは全く関係なくたちまち笹森ペースで話が始った。

 今考えるとおかしな話だが、ジャーナリストを招くプロジェクトの趣意書は、さんざん加筆訂正した汚ないものをそのまま持ち歩いていた。ワープロがそれほど普及していなかったにしろ、清書くらいしておいて当然だったと思う。その読みにくい趣意書を、笹森さんは丁寧に読んでくれた。

 「本当にそう。アメリカの人達に被爆者のことをもっと知って貰うことには大賛成。でも、具体的に何をするかが問題ネ」

 「ローカル新聞の記者を招待するにしても本当に、良い人が集るかしら」

頷きながら、次々に質問が飛び出してきた。広島弁の混った、直観的な言い回しが笹森さんの特徴である。その感情につられないように私は論理的レベルで質問に答える。

最後には、「驚いたわ。あなたと私とは、同じようなことを考えていたみたい。私も応援するから頑張ってちょうだい。 お父さんにも話してみるから、英語の説明書も作ってちょうだい」ということになった。

 お父さんとは勿論、ノーマン・カズンズ氏である。笹森さんにはその後、ずっとアドバイザー として、困った事が起る度にお知恵を拝借している。その後、米国内で盛んになった反核運動でも、彼女は被爆者として積極的に発言を続けている。

 中でも印象深いのは、一九八二年三月ボストンで開かれたMANA(核兵器に反対する音楽家の会)の第一回コンサートである。ハーバード大学教授で作曲家のアール・キム氏が「核の鎖と憎しみの鎖を断ち切る」ために、クラシック畑の音楽家に呼びかけて設立した会である。私もアドバイザーとしてお手伝いしたが、第一回目のコンサートはボストン交響楽団のコンサート・マ スターだったジョセフ・シルバースタイン氏を初めとして世界的な音楽家達が参加して開かれた。

キム氏は長崎に原爆が投下された次の日、米空軍の偵察将校として超低空飛行を行って長崎の惨状を胸に刻み込んだそうである。その惨状を伝えるため、また、アメリカ人に核兵器、その中でも広島と長崎の原爆に対する責任を真正面から見つめて貰うため「MANAのコンサートには どうしても被爆者に参加して貰い、被爆者のメッセージを伝えて貰わなくてはならない」と言う。

 憎しみの鎖を断つことが可能である証拠として、キム氏は被爆者の経験ならびに氏の経験を挙げる。

「被爆者はアメリカ人を恨んではいないそうではないか。彼らは憎しみの鎖を自ら断った人々だ。 私も子供の頃、日本人を憎むよう教えられ育てられた。日本人が朝鮮人にして来たことを考えると、私には日本人を憎む気持もよく分る。だが、憎しみの鎖はどこかで断ち切らないといけない。だから私は、日本人を恨み憎むことは自分の所で終りにすると心に決めた。大学時代のことだ」

そのキム氏の主催するコンサートで笹森さんが、シンフォニー・ホール一杯の聴衆に向って平和への努力を続けようと訴えた。

 「私は今、病院の新生児室で働いています。辛いこと、苦しいことがあると、赤ちゃん達が無言の内にも私を励ましてくれます。 『恵子、ゴー・オン(ガンバレ)。恵子、ゴー・オン』と言って いるように聞えます。皆さんも、苦しいことがあってもそれに負けずに、一緒に平和のために頑張りましょう」

 三千人以上の聴衆は起立して心からの拍手を送った。このコンサートの成功が契機となって笹森さんは、あちこちの大集会に引っ張り出されることになる。

それから長い間、笹森さんとのお付き合いは続いたのですが、中でも印象に残っていることをいくつか、次回から御披露します。

 

最後に、今日一日が皆さんにとって素晴らしい24時間になりますよう

[2024/12/20    人間イライザ]

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2024年12月20日 (金)

#追悼 #笹森恵子(しげこ)さん ――#誰よりも多くの人にヒロシマの物語を伝えた被爆者(by Steven Okazaki)――

#追悼 #笹森恵子(しげこ)さん

――#誰よりも多くの人にヒロシマの物語を伝えた被爆者(by Steven Okazaki)――

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そして「#原爆乙女」のお一人です

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連続して、核廃絶のため私たちに何ができるのかを考えてきましたが、とても悲しい訃報が届きました。中断して笹森さんの92年間の人生の中からいくつかのエピソードをお届けして、御冥福をお祈り致します。

 《笹森恵子さん》

笹森恵子さんはロスアンゼルス近郊のマリーナ・デル・レイの御自宅で亡くなられました。1932年生まれですので、92歳でした。映画監督のSteven Okazakiの言葉では、「彼女は世界中で誰よりも多くの人にヒロシマの物語を伝え、誰よりも多くの人の心を打った被爆者」です。

笹森さんのことをあまり良く御存じはない方のために、年表式に彼女の人生を辿ってみます。

1932年生まれ

1945年、13歳の時に被爆しました

1952年、流川教会の谷本清牧師によるバイブル・クラス「シオンの会」の会員に 

1952年、作家の真杉静江さんらが、笹森さんたち10人の少女を整形手術のために東京に招待、この年に

巣鴨の拘置所に、戦争犯罪者たちを訪問

俳優等の著名人が中心になって募金活動開始

身体機能回復のために、30回近い手術を受ける

ノーマン・カズンズ氏 が 「精神養子運動」(Moral Adoption Program) を1950年に、また、「広島の乙女」プロジェクト( Hiroshima Maidens Project) を1955年に立ち上げ、アメリカで治療を受ける「Hiroshima Girls」の一人に選ばれる

これを契機にアメリカで生活

1962年に、息子のノーマンが生まれる

被爆者としての証言で特に注目すべきなのは、

1980年と1982年に、アメリカの上院での証言

1982年に ボストンで開かれた MANA (核兵器に反対する音楽家の会) コンサートで証言

その後も、アメリカを中心に証言活動を世界的規模で続ける

 

アメリカに長く住み、英語で自らの被爆体験を語る笹森さんが、直接、そして様々なメディアを通じて語り掛けた人の数が限りなく多かったのは当然です。今でも、「ヒロシマ」と言えば「パールハーバー」と返って来るケースが多いアメリカでは、初めて被爆者の体験に触れる人が圧倒的多数です。そんな人たちの心の奥まで揺さぶるストーリー・テラーとして平和のメッセージを伝え、核なき世界を目指そす多くの仲間を作ってくれた笹森さんに、改めて心からの感謝の言葉を捧げます。

笹森さんとの思い出は多くありますが、次回はその中から特に印象に残っているものをお伝えできればと思います。

 

最後に、今日一日が皆さんにとって素晴らしい24時間になりますよう

[2024/12/20    人間イライザ]

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2024年12月19日 (木)

#私たち自身で獲得したことを #SNSで拡散しよう ――#選挙にも出よう!――

#私たち自身で獲得したことを #SNSで拡散しよう

――#選挙にも出よう!――

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 #ユーモアも効果的!

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《お詫びと訂正 アクション7

最初にお詫びと訂正です。マイケル・ムーアの「10ポイント・アクション・プラン」の内のアクション7の訳が間違っていました。「レジスタンス開催に協力しよう」では全く意味が分りません。「レジスタンス政策を広げよう」に訂正して下さい。

なお、マイケル・ムーア自身が送った提案そのものは、このサイトで御覧頂けます。

私の解説との違いを見付けて、何故なのかを考えて頂くのも参考になるかもしれません。

 

10ポイント・アクション・プラン》

再度、マイケル・ムーアが提唱した「10ポイント・アクション・プラン」です。具体的にはどんなことなのか、リストの後に解説を付けましょう。

  1. 毎日電話しよう
  2. 月に1回訪問しよう
  3. 個人で「すぐやる」チームを作ろう
  4. とにかく参加して参加して参加しまくろう!
  5. ウィメンズ・マーチは終わらない
  6. 民主党を乗っ取ろう
  7. ブルー・ステート(民主党が優位の州)のレジスタンス政策を広げよう
  8. 選挙に出馬しよう
  9. 君自身がメディアになるべきだ
  10. 喜劇の部隊に加わる

 

《アクション7以降の解説》

アクション7では、アメリカの場合、民主党が強い州や自治体、あるいは知事や市長が民主党の場合、民主党の政策をどんどん広げて行って、民主党政権ができればこんなに素晴らしい政治になるんだよという、具体的お手本を見せよう、そのために州の中、自治体の中で具体的な政策実現のために活動を使用、という意味なのですが、かなり日本と事情が違います。

日本では野党系の政治家が県や市区の首長をしているケースが圧倒的に少ないことが大きな違いです。東京都の世田谷区や杉並区などはその典型的な存在です。これらの少数の自治体ではアメリカと同じように、自民党ではできない、市民の立場に立った施策が次々と実現されています。

それが全国で共有されればマイケル・ムーアが考えていたような効果が出るのですが、残念ながらマスコミがその役割を十分には果してくれていません。この場合、アクション9の「君がメディアになるべきだ」に従って、その地域に住む皆さんがSNS等で、素晴らしい施策が採用されていることを全国に発信して頂くことが重要になります。SNSによる発信は選挙の時だけ重要なのではありません。世田谷や杉並、その他の「革新自治体」にお住いの皆さん、宜しくお願いします。

自分たちの手で獲得したものを、誇りを持って、自信を持って、積極的に世界に発信して行くことが、私たちには少し欠けています。もっともっと大きく広く拡散しましょう。

さらに、これらの「革新自治体」では、自治体の中で、市長や区長を有権者が支え続けることが重要です。また、アクション8にも関わりますが、首長や議員を選挙で当選させるための活動も必要です。

アクション8は、スローガンとしては分って頂けるとして、でも実行するのは難しいという言葉がすぐ浮ぶほど、我が国の現実とはかけ離れています。例えば、供託金が高過ぎること選挙に関する様々な制限が多過ぎること、全体としてお金が掛かること等が挙げられますが、これらのことを変えるためにも、私たちの代表を選挙に出すための活動に関わることも大切です。

アクション9は、皆さんの方が良く御存じのテーマかも知れません。実は、ここまで書いて、私自身のSNS知識で皆さんにお願いするのが僭越なのではないかと思ったのです。私自身、ブログを書いて、Xにも投稿するくらいしかSNSは使っていません。Zoomは日常的に使える程度です。それらの影響については、私なりのSNS観察を元にした位置付けはしているのですが、インスタグラム、その他諸々の多種多様な機能は知りませんし、使えません。使い方を御存知の方からのアドバイスをお願いします。

そう言った上で、東京都や兵庫県の知事選挙でのSNSの影響力を考えると、私たちもその使い方に精通する必要があるのではないかと思います。

そしてアクション10ですが、とにかく悪徳政治家を笑い飛ばすことから始めましょう。上質の笑いは難しいにしろ、毎日テレビに映る総理大臣以下の皆さんを観察することで毎日一つや二つのネタは手に入ります。とは言え、犯罪になったり、人格を貶めるようなことは禁止です。

チャップリンの『独裁者』や『モダンタイムズ』がお手本になるはずです。川柳も効果的ですね。そしてそれもSNSで拡散しましょう。ヒトラーの写真には笑ったものなどなかったことも思い出しましょう。

もう一つ、マイケル・ムーアが協力に勧めているのが、「ルーチン化」です。例えば、

  1. 朝起きる
  2. 歯磨きをする
  3. 犬の散歩(または猫を眺める)
  4. コーヒーを淹れる
  5. 議員に電話を掛ける

といった具合です。他のことについても、ルーチンにすることで頭は使わずに体を使う習慣になれば、そしてそれが数百、数百万の人の毎日の行動になれば政治は変ります。

 

最後に、今日一日が皆さんにとって素晴らしい24時間になりますよう

[2024/12/19    人間イライザ]

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2024年12月18日 (水)

#Action Planですから #Activeに #集会やデモに参加する

#Action Planですから #Active

--#集会やデモに参加する――

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 #自前の講演会や勉強会の主催も!

 

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昨日の続きですので、先ずはマイケル・ムーアの「10ポイント・アクション・プラン」のお浚いから。(マイケル・ムーアについては、Wikiwandを御覧下さい。)

 

10ポイント・アクション・プラン》

マイケル・ムーアが提唱したのが次の「10ポイント・アクション・プラン」です。具体的にはどんなことなのか、リストの後に解説を付けましょう。

  1. 毎日電話しよう
  2. 月に1回訪問しよう
  3. 個人で「すぐやる」チームを作ろう
  4. とにかく参加して参加して参加しまくろう!
  5. ウィメンズ・マーチは終わらない
  6. 民主党を乗っ取ろう
  7. ブルー・ステート(民主党が優位の州)のレジスタンス政策を広げよう
  8. 選挙に出馬しよう
  9. 君自身がメディアになるべきだ
  10. 喜劇の部隊に加わる

《アクション4以降の解説》

アクション4は、文字通り、様々な政治に関する講演会や集会に参加しようというものです。大統領選挙の運動期間中であれば、とにかく多くの数の集会がありますので、その内のどれかを選んで参加するのは簡単ですが、停滞しているテーマについての講演会や集会は少ないかもしれません。

でも新聞に掲載されるような集会もあるでしょうし、NPO主催の集会は公共施設で開かれることが多いので、市役所の市民ロビーに置かれているチラシ類の中に自分の関心に近いテーマの集会案内があるかどうか、チェックするのも良いかもしれません。とにかく、アンテナを張って関連テーマの集まりには顔を出す、という気持から始めましょう。

多くの人が集まりますので、その内に一人か二人位とは話をしてみましょう。LINEの交換とか、これから生かせるネットワークが作れるかもしれません。

アクション5は、二つの事柄を一緒に述べているのですが、一つは、デモに参加しようという呼び掛けです。デモも会場が移動する集会ですので同じことですが、デモの呼び掛けの方が少ないかもしれません。何か見付けたら積極的に参加してみましょう。スマホで写真を撮って、SNSにアップするネタにするくらいの気持の方が楽かもしれません。

もう一つは、女性というテーマは当分なくならないであろう、だとしたら、ジェンダー・ギャップがなくなるまで関心を持ち続け、ギャップをなくすために行動し続けようという呼び掛けです。もう少し視野を広げると、多様性を尊重するインクルーシブな社会を目指すと言っても良いでしょう。

核兵器は、その正反対の階層社会、暴力的構造、経済格差、人権無視等々の歪んだ社会の枠組み・価値観の中の象徴であり、こうしたより大きな構造を変えて行く努力の一環として、核廃絶運動を位置付けることもできます。時代時代によって、社会が変り行く流れも違うのですが、それを良い方向に導く努力の一環として、あるいは何らかの突破口が見えた時に、それを核廃絶につなげるという可能性も含めて、幅広い視野を持ち続けましょう。

アクション6は、政党を乗っ取ろうということですが、それが最終目標として現実味を持つような立場になったときに思い出すフレーズです。その前に、核廃絶なら、原水禁や原水協というNPOがありますし、地域毎に活動している反核団体もあります。そうした団体にボランティアとして関わって、その中でリーダーとして認められるような実績を作ろう、という呼び掛けです。

もっと、こじんまりとした範囲で考えると、アクション3の仲間たちと計画を立てて、誰か講師を頼んで、一回きりの講演会でも良いですし、一年くらい続く勉強会を開くというあたりから始めるのも良いかもしれません。Zoomを使うことも考えましょう。

そこで大切なのは、私たちの目標が核廃絶であり、そのための行動計画を作り実行するということです。その目標を忘れないで前に進めることに役立つ講演会や勉強会にできれば素晴らしいと思います。

アクション7以降は次回に。

 

最後に、今日一日が皆さんにとって素晴らしい24時間になりますよう

[2024/12/18    人間イライザ]

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2024年12月17日 (火)

#マイケル・ムーアの #10ポイント・アクション・プラン #「私のアクション・プラン」も #作ってみよう

#マイケル・ムーアの #10ポイント・アクション・プラン

#「私のアクション・プラン」も #作ってみよう

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 #プランを作ったら #次は行動!

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《全員参加で核廃絶》

核兵器を廃絶するためには、老若男女、全世界の人々が参加する、全員参加の体制が必要です。核兵器が人類滅亡をもたらす兵器だからです。地球に住む全ての人が殺されるのですから、仮にそれを「全員殺戮」と呼ぶと、「全員殺戮兵器」廃絶のための「全員参加の運動」を呼び掛けています。

例えば、署名運動を始めるとか、一人で駅前に立つ「スタンディング」をしてみようなど、直ぐ何らかのアクションが閃いた方もいらっしゃるでしょう。職場や学校の友人たち、あるいは家族とか隣近所の人と話してみようと考えられた方もいらっしゃったかもしれません。

そんな方々も含めて、マイケル・ムーア監督が一期目のトランプ大統領当選を阻止しようとして掲げた「10ポイント・アクション・プラン」から学べることが多いような気がしています。通常、日本での運動ではこうした形でのアプローチが表に出て来ないので、フレッシュな感覚で受け止められますし、日本社会により相応しい新たなアクションが出てくるかもしれません。

 

10ポイント・アクション・プラン》

マイケル・ムーアが提唱したのが次の「10ポイント・アクション・プラン」です。具体的にはどんなことなのか、リストの後に解説を付けましょう。

  1. 毎日電話しよう
  2. 月に1回訪問しよう
  3. 個人で「すぐやる」チームを作ろう
  4. とにかく参加して参加して参加しまくろう!
  5. ウィメンズ・マーチは終わらない
  6. 民主党を乗っ取ろう
  7. ブルー・ステート(民主党が優位の州)のレジスタンス政策を広げよう
  8. 選挙に出馬しよう
  9. 君自身がメディアになるべきだ
  10. 喜劇の部隊に加わる

《アクション1, アクション2, アクション3の解説

まず、アクション1とアクション2ですが、これは議員事務所に電話をしよう、議員事務所を訪れようということです。議員だけでなく、市長や知事の事務所も含まれます。総理大臣その他の閣僚の事務所もありです。(以下、政治家の代表として「議員」と呼びますが、その他の政治家も当然対象になっています。)

ここからはいろいろなバリエーションがありますので、その場その場に相応しいトピックや言い方やプレゼンの方法など、自分で考えて頂きたいのですが、特に大きな問題について抗議以外の方法がないときを除いて、紳士的な言葉やトーンで話をするのが常識です。

それも敵対的な内容にするのではなく、「お宅の議員、何々さんは、最近核廃絶に役立つような行動を取られましたか?」のような形から入って、場が和んでから、「ぜひこれこれの法案に賛成して欲しい」とか「○○を支援する決議を市議会で提案して欲しい」というようなこちらの言い分を伝えてみたらどうでしょうか。これを一週間に一度繰り返すのです。できれば、その事務所の何方かと友人関係になれると素晴らしいのですが。

そして、月に一度は、それまで電話で話をしていた議員の事務所を訪問するのです。大体はアポを取ってということになると思いますし、複数の人で行った方が、議員事務所の人も安心するでしょうし、何より訪問する側にとっても強い味方が一緒なのですから頼みになります。

 訪問してお願いすることは電話の場合と同じですが、パワーポイントなどのプレゼン資料を作っておいて、タブレットやノートパソコンを使ってのプレゼンなども頭の隅に置いておきましょう。

ここで大切なのは、アクション3の「すぐやる」チームです。親しい人たち数人のグループで、電話やLINEなどで簡単に連絡を取り合い、何か良いアイデアがあると、「すぐやる」と言葉を交わしてどこかに集合して一緒に「アクション」、ということになれるチームです。

Change.orgの会員になって、お勧めの署名運動に署名したり拡散したりということもできますし、それを元に、オンラインだけでつながっている新たなグループを作って活動することも可能です。緊急な問題が生じたときには、「チラシを100枚作って商店街で配ろう」といった活動もできるでしょう。

三人寄れば文殊の知恵ととは良く言ったもので、これは真実です。今、自分たちに何ができるのかから始めて、核廃絶に役立つことを一つでも二つでも実行して下さい。「私のアクション・プラン」も生まれそうですね。

アクション4以下は次回に!

 

最後に、今日一日が皆さんにとって素晴らしい24時間になりますよう

[2024/12/17    人間イライザ]

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2024年12月16日 (月)

#青年・中年・高齢者も頑張ろう #圧倒的な多数派の #非被爆者の力で核廃絶を

#青年・中年・高齢者も頑張ろう

#圧倒的な多数派の #非被爆者の力で核廃絶を

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 #全世代で力を合わせよう!

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《全国の問題、そして全世代の問題です》

『はだしのゲン』を平和副読本に掲載することが広島だけの問題・責任ではないことは、お分り頂けたと思います。もう少し広げて核廃絶に至るかなり厳しい闘いも、広島・長崎だけの問題ではありませんし、被爆者が頑張れば実現するものでもありません。世界中の人々が積極的に関与しないといけない課題です。

それは、核兵器が使われれば世界的に壊滅的な影響を与え、最悪の場合人類は滅亡するからです。防止するためには、一刻も早く核兵器をなくさなくてはなりません。

さらに、私たちが心の底から被団協や被爆者のこれまでの活動に敬意を表し感謝しているのなら、彼ら/彼女らの一番大切な願いを実現するために、全力を尽さなくてはなりません。その願いとは、20年以内に核廃絶を実現することです。20年先なら、数は少なくなっているとは思いますが、まだ御存命の被爆者の方々に「核のない世界」を自らの目で見て頂くことができるからです。

この20年間に即戦力として核廃絶運動の一翼を担えるのは、青年とか壮年や中年世代、そして元気な高齢者です。

非被爆者である全国の人、そして全世代の人々が力を集めなくてはなりません。

改めて見直して欲しいと思っているのは、これほどの仕事を被爆者だけ、そして一生懸命頑張っているのは分りますが、高校生にだけ任せてしまって、その他の世代の人たちの責任はどうなるのかということです。

もっと極端に言えば、核廃絶は今の大人の世代の責任で、核兵器を搭載したままの地球を、高校生以下の世代に残したとしたらそれは我々世代の恥なのです。地球温暖化も含めて、核なき世界を残すのが、我々世代の責任なのではないでしょうか。

 

《何をすれば良いのか、何ができるのか》

人類を核による破滅から救うための責任は全ての人にある、それはそうだ、その責任の一端を自分なりに果したいと思う。では、何をしたら良いのか考えても具体的にどんなことをすれば良いのか、何をすれば核廃絶という目標達成に役立つのかを考えると、先に進めなくなる、という方もいらっしゃるかもしれません。

どの世代にも、今現在、核廃絶を目標にした素晴らしい活動を続けている方々が多くいます。その皆さんが何をどうしているのかを具体的に知ることから始めるのも良いでしょう。

その助けになるものの一つに、姉妹ブログ「新・ヒロシマの心を世界に」があります。座り込みの呼び掛けや、デモ、集会等の案内や報告も掲載されますし、具体的活動の歴史や、マスコミが取り上げている様々な問題についての基本的な考え方などについても参考になる記事が多く読めますので、お勧めです。オッと、最近は「推し」と言うのでしたっけ。

その他には、今一度、古典とも言うべき貴重な資料を読み返してみることもお勧めです。例えば『原爆詩集』ゃ『原爆の子』、『ヒロシマ・ノート』、『空が赤く焼けて』等々、図書館に行けばまだまだ多くの書籍やビデオがあると思いますので、自分には何ができるのかという気持で読んでみる視聴することで、新たな展望が生まれるかもしれません。

友人、知人と、何ができるのかを気軽に話し合ってみても良いかもしません。

最後に参考のために、アメリカの映画監督で政治活動家のマイケル・ムーアの「10ポイント・アクション・・プラン」を掲げておきましょう。

  1. 毎日電話しよう
  2. 月に1回訪問しよう
  3. 個人で「すぐやる」チームを作ろう
  4. とにかく参加して参加して参加しまくろう!
  5. ウィメンズ・マーチは終わらない
  6. 民主党を乗っ取ろう
  7. ブルー・ステート(民主党が優位の州)のレジスタンス開催に協力しよう
  8. 選挙に出馬しよう
  9. 君自身がメディアになるべきだ
  10. 喜劇の部隊に加わる

読んだだけでは分らないものもありますので、明日解説を加えます。

 

最後に、今日一日が皆さんにとって素晴らしい24時間になりますよう

[2024/12/16    人間イライザ]

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2024年12月15日 (日)

#日本政府抜きの核廃絶 #全ての自治体が #先頭を走る積りで

#日本政府抜きの核廃絶

#全ての自治体が #先頭を走る積りで

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 #広島・長崎に任せっきりでは #核廃絶はできない

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《鉄は熱いうちに打て》

鉄は熱いうちに打てという言葉があります。報道1930の熱が冷めないうちに、何点か、分り易く言い直しておきたいと考えています。もっと多くの皆さんに理解して頂いて、それがさらに多くの皆さんに伝わることを期待しています。

そのプロセスで、御質問頂いた何人かの方々の疑問にも答えることになるはずです。

昨日のブログでは、「日本政府抜きの核廃絶」の可能性を取り上げました。それは、単独で存在するのではなく、多くの関連した運動や言葉の発信、政治レベルでの大きな動きなどがあって初めて意味のある考え方になります。

最初に強調したいのは、「広島・長崎だけに任せるな」ということです。

 

《広島・長崎だけに任せるな》

番組で取り上げた『はだしのゲン』の削除問題とは昨年2023年2月に、広島市の教育庁が、市の平和副読本の中から、『はだしのゲン』や第五福竜丸についての記述を削除する方針を示したことを指しています。

市の方針についての議論が交されることになりましたし、4月に迫っていた市長選挙で保守派の人たちの支持を得るための作戦だという考え方もありました。しかしながら、『はだしのゲン』の削除には全国的に大きな批判が生まれ、これがきっかけになって『はだしのゲン』の販売数が劇的に増えるという、「瓢箪から駒」も生まれました。

今回、報道1930でこの問題を再度検証したのは、被団協のノーベル平和賞受賞を機に、被爆体験をどう未来世代の人たちに伝えて行けば良いのか、という問に答える上で役立つからなのですが、私には少し違う側面からのアプローチが必要なように見えました。

それは、「広島市」の平和副読本だけに限った議論しか行われていない点です。被爆体験を次世代に伝えて行くのは、何も広島だけに限って行えば良い問題ではないはずなのですが、その広がりがなかなか見えてきません。この点を考える必要があります。

 

《核兵器が破壊するのは全人類》

大切なのは、『はだしのゲン』にも平和副読本にも、三度、核兵器を使わせてはならないというより大きな目標があるからです。そして三度、核兵器が使われれば、我が国も巻き込まれ、全国どこもが「被爆地」になるのです。

だとすると、それを防ぐための平和副読本は、全国どこの自治体でも制作して広島・長崎以上の平和教育のために使ってもおかしくはありません。そうしなければ、後世から恨まれること必定です。

その結果、多くの自治体が広島・長崎を超える平和読本を使うことになれば、競争が起きて、広島・長崎の平和読本もそれ以上の質・量を目指すことになるでしょう。当然、『はだしのゲン』も第五福竜丸も復活するでしょう。あるいはそれ以上に説得力のある教材が出てくるかもしません。

その一つの可能性は、副読本ではなく、教科書そのものに被爆の実相や被団協の活動などを取り入れれることです。1980年代の「風化」の議論で取り上げられていた問題の一つが、教科書からこうした記述が次々に削除されていたことなのです。

日本政府が、被団協のノーベル平和賞を歓迎するのであれば、最低限、被団協の活動とその目標、つまり核兵器の廃絶が平和賞の対照だったことを、全ての教科書に載せるよう指示しても良いではありませんか。同時に、日本政府は原爆投下が国際法違反ではないと主張してきたこと、それは被団協の目指してきたこととは正反対の考え方であることも付け加えましょう。

そのどちらを取るのかは主権者である、この教科書で勉強している皆さんですよ、という点もしっかり強調することも大切です。

これは副読本に限った話ではありません。核廃絶のための全ての活動が関わります。日本政府抜きで実現するとなると、全ての自治体が頑張らなくてはならないのです。

報道1930での論点を短く分り易く採録するという目標には程遠い内容になってしまいましたが、お読み下さり有難う御座います。次回は別の問題を取り上げますが、コメントも宜しくお願いします。

 

最後に、今日一日が皆さんにとって素晴らしい24時間になりますよう

[2024/12/15    人間イライザ]

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2024年12月14日 (土)

#「原爆投下は合法である」と #日本政府は主張 #変えられるのか #変えられないのか

#「原爆投下は合法である」と #日本政府は主張

#変えられるのか #変えられないのか

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日本政府の紋章 (Public Domain)

#日本政府抜きで #核廃絶を

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《「原爆投下は合法」と言い続けてきた日本政府》

「原爆投下は合法だ」という日本政府の頑なな姿勢を示す複数の事例を昨日列挙しましたが、改めて被爆者の立場から、一つ一つの主張を見直して下さい。

原爆によって、「生き地獄」とも、「この世のものとも思えない」体験をした人々にとって、自分たちの祖国が、「あれは合法だった」と言い、さらに、「戦争なんだから、あなたたち犠牲者は、みんな受忍しなくてはならないんだよ」まで浴びせかけられたらどう思いますか?

そして、核兵器は国際法違反だと言い続けてきた被爆者に対して、政府の高官が「お前たちは馬鹿だ」とまで言い、国際司法裁判所で、被爆者の立場を代弁して「国際法違反だ」と陳述しようとする市長たちの妨害する外務省と日本政府に何と言ったら良いのでしょうか?

高圧的な態度の一典型が、「今度こそ、生きている内に核兵器がなくなる機会だ」と被爆者の皆さんが期待を寄せた核兵器禁止条約の国連総会での採択直後、「我が国は署名しないし批准もしない」と、臆面もなく水を浴びせた日本政府です。

さらには、被爆者の皆さんが忘れてしまいたい、そして証言することによって再び大きな痛みを感じながらも勇気を持って世界に訴えてきたからこそ、長崎以降、三度目の核兵器が使われなかった歴史の真実は無視して、「それは核兵器があったからだ、核抑止論が正しいからだ」と2023年に広島で高らかに宣言したのが、「被爆地広島出身の総理大臣」を頭に戴く日本政府です。

改めて日本政府に対して大きな憤りを感じますし、同時に「呆れてものが言えない」状態になる方もいらっしゃるでしょう。主権者として、日本政府が、「原爆は国際法違反ではない」と言い続けるのを辞めさせなくてはなりません。でも、本当に変えられるのか、変えられないのか、疑問は残ります。

とは言えそれを、被爆80周年を迎える私たちの目的の一つとして掲げることには意味があります。

この点については、また取り上げますが、80周年を迎えるに当ってもう一つ、私たちの覚悟の決め方について、全く別の視点からの可能性を考えてみましょう。

 

《日本政府抜きの核廃絶》

1945年の原爆投下から今まで、核兵器の廃絶を実現する上での大きな出来事二つを挙げるとすると、一つは、核兵器の使用や威嚇は、「一般的に」国際法違反だという内容の、1996年の国際司法裁判所の勧告的意見ですし、もう一つは、核兵器を文字通り禁止した2021年発効の核兵器禁止条約です。

日本政府がこの二つに反対したことは、昨日のリストでも取り上げましたし、今日の要約でも外す訳には行きませんでした。

日本政府の酷さを非難しても、し過ぎることはないのですが、別の視点から考えてみましょう。

勧告的意見も核兵器禁止条約も日本政府が反対しても実現したのです。もう少し緩い表現にして、日本政府が関わることはなくても成立したのです。となると、この事実から一つの結論を得ることができます。それは、核兵器の廃絶そのものも、日本政府が反対してもあるいは関与しなくても、実現する可能性が高いことを示していると考えられます。

もしそうなら、私たちが今、決意をして、日本政府抜きで核の廃絶を実現するシナリオを考え実行してみるという選択肢が浮かび上がります。これまでは考えてもみなかったことかもしれませんが、改めて勧告的意見と核禁条約の実現の具体的プロセスを振り返って、論理的な分析をしてみる必要がありそうです。

こんな可能性のあることに気付くだけでも、これからの行動計画創りに新たな展望が見えてきたように感じています。

 

最後に、今日一日が皆さんにとって素晴らしい24時間になりますよう

[2024/12/14    人間イライザ]

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2024年12月13日 (金)

#報道1930を視た方からの #質問に答える ――#「原爆投下は合法である」が #日本政府の一貫した主張――

#報道1930を視た方からの #質問に答える

――#「原爆投下は合法である」が #日本政府の一貫した主張――

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国際司法裁判所

#何故そんなことになっているのかについては #一緒に考えましょう

 

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BS-TBSの報道1930を御視聴下さった皆様に改めて感謝します。そして、それに関して何人かの方々からいくつかの質問を頂きました。それにお答えしますが、複数の方が疑問に思っているのは次の点でした。

日本政府が被爆者に対して冷たい態度を取っているのは何故か。アメリカに遠慮しているという意見もあったが、何故アメリカに遠慮しなくてはならないのか、というものです。

もっともな疑問ですし、番組中でも触れてはいない点ですので、一緒に考えて頂ければ幸いです。

でもその前に、日本政府が被爆者に対して「冷たい」とか、「核廃絶に前向きではない」、あるいはノーベル平和賞についても、「もっと歓迎しても良いのでは」といった一連の感想を聞いていて、日本政府の考え方の基本が伝わっていないと痛感しています。

簡単に述べてしまうと、日本政府は一貫して、広島・長崎への原爆投下は国際法上違法ではない、つまり、「合法だ」と言い続けてきているのです。まずはこの点を確認しておきましょう。一言断っておくと、日本政府は「国際法違反ではない」という表現を使うことが多いのですが、これは「国際法上許されている」、つまり「国際法上合法だ」以外の解釈はできないことを示しています。

さて、原爆直後、ということは終戦の直前ですが、1945年8月10日に、日本政府はスイスの大使経由で、アメリカに抗議文を送っています。原爆投下が国際法違反であり、また日本各地の空襲も同様に国際法違反だという内容です。しかし、終戦後は一変して、国際法違反ではないという主張になってしまうのです。今回はその中でも特に覚えておくべきもののリストとして以下、列挙します。詳しい内容は次回から。

  • 1963年の原爆裁判中、国際法違反ではないと主張した

『虎に翼』でも取り上げられた、原爆裁判では、最終判決では、広島・長崎への原爆投下は国際法違反であることが示されました。しかし注目しておかなくてはならないのは、被告である日本政府は、原爆投下が違法ではないという主張を裁判中に繰り広げ、判決後も、その判決に従おうとはしていない事実です。

  • 1980年には「受忍論」を展開して、日本政府の戦争責任や原爆の国際法違反という事実以上に、戦争の犠牲は国民が受忍するという原則を優先する意思を示した。

戦争と国民との関係についての基本的な考え方は、1980年に厚生大臣の諮問機関である、「原爆被害者対策基本問題懇談会」(基本懇と略)が提出した意見書に明確に示されています。それは「受忍論」と呼ばれ、戦争による犠牲は国民が等しく受忍しなければならない、という意味です。また国による不法行為の責任や賠償責任はないとも述べていて、間接的に原爆投下が違法かどうかの議論は避けています。

  • 1994年に外務省の高官が「核兵器が国際法違反だなどというやつは馬鹿だ」と発言した。
  • 1996年に国際司法裁判所が「核兵器の使用並びに威嚇は、一般的には国際法違反である」という勧告的意見を出すに当って、日本政府は反対した。

日本代表の小田滋判事が反対するだけでなく、前年に陳述を行った広島・長崎両市長に対して、原爆投下が国際法違反だとは言わせないよう圧力を掛けました。

  • 2013年のニュージー・ランド提案「核兵器の人道上の結末に関する共同声明」への署名拒否から始まって、核兵器禁止条約締結のための作業部会や条約交渉会議で妨害工作を行った。この間の外務大臣は、後に総理大臣になる岸田文雄議員。
  • 2017年、核兵器禁止条約が国連総会で採択されるや、日本の国連大使は他国に先駆けて記者たちに、「日本政府はこの条約の署名しない」ことを宣言、これは当然「批准もしない」ことを意味する。
  • 2021年に核兵器禁止条約が効力を発揮するや、次の2022年には岸田総理大臣が、核不拡散条約(NPT)の再検討会議に、日本の総理大臣として初めて出席し、次のようにNPTの守護者であることを宣言した。

「「核兵器のない世界」に向け、現実的な歩みを一歩ずつ進めていかなくてはならないと考えます。

 そして、その原点こそがNPTなのです。NPTは、軍縮・不拡散体制の礎石として、国際社会の平和と安全の維持をもたらしてきました。NPT体制を維持・強化することは、国際社会全体にとっての利益です。この会議が意義ある成果を収めるため、協力しようではありませんか。我が国は、ここにいる皆様と共に、NPTの守護者として、NPTをしっかりと守り抜いてまいります。」

  • 2023年のG7広島サミットでは、核軍縮に関するG7首脳広島ビジョン、略して「ヒロシマ・ビジョン」が採択され、その中で、次のようにNPTを評価している。

「核兵器不拡散条約(NPT)は、国際的な核不拡散体制の礎石であり、核軍縮及び原子力の平和的利用を追求するための基礎として堅持されなければならない。」

分り難いかもしれませんので、説明を加えておきましょう。NPTでは、米、英、露、仏、中の五か国が核兵器を持つことを認めています。このことは、核兵器の保有は国際法違反ではないという前提があって初めて合法的な意味を持ちます。核兵器の保有は国際法違反だけれど、この五カ国だけは持っても良い、というのは矛盾以外の何物でもありません。

となると、広島・長崎への原爆投下も当然合法だということにならなくてはなりません。広島・長崎が違法なら、それより何十倍何百倍もの威力の核兵器を持つことが、それもたった5か国であっても、許されることにはなりませんので。

結論として、NPTの位置付けを考えるに当って、それがあたかも平和への原点であるかのような存在として扱うことは、広島・長崎への原爆投下が合法であることをさらに強固に認めるという行為になっているのです。

今後、さらに詳しい説明を付け加えて行きます。

 

最後に、今日一日が皆さんにとって素晴らしい24時間になりますよう

[2024/12/13    人間イライザ]

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2024年12月12日 (木)

#報道1930の視聴有り難う御座いました ―-#被爆者の皆さんにはもう少し頑張って頂きたい――

#報道1930の視聴有り難う御座いました

―-#被爆者の皆さんにはもう少し頑張って頂きたい――

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田中熙巳さん (Public Domain)

#責任ある地位にいる人たちへの #アクセス権を手にしたのてすから

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昨日12月12日、BS-TBSの報道1930を御視聴下さった皆様、有り難う御座いました。構成や取り上げて下さったトピック、松原さんの知識とモデレーターとしての優れた能力、高橋さんの研究者としての一途さにも打たれましたが、秋山さんの柔軟さと、最後の30秒で、ピタッと核の問題についてのまとめをしてくれた即応力にも感動しました。

実は、昨日もう一つ言いたかったことがありますので、ここで簡単に触れておきます。それは、被団協がノーベル平和賞を受賞したことの結果として、世界的に被爆者の発言の場が増え、また責任ある地位にいる人たちへのアクセスが可能になったことです。

世界の至る所で、田中煕巳さんのスピーチを聞きたい人、一度お会いしたいという為政者は、昨夜から飛躍的に増えたのではないでしょうか。無理をお願いできれば、あと一年でもそのリクエストに応えて頂けないものでしょうか。

それは日本国内でも同様です。例えば、ある県の知事に被爆者がノーベル平和賞受賞の報告に行ったというニュースがありましたが、受賞前だったら、無名の被爆者が知事に会いたいと言ってもなかなか会っては貰えなかったのではないかと思います。

でも、受賞後には、知事へのアクセスができるようになったのです。その他の責任ある地位にいる人たちについても同様です。この新しい力を使って、核廃絶という目標に近付くような活動を一つでも二つでもして頂けると、すごい結果になるのではないかと思います。

被爆者の皆さんが高齢化していることは現実です。でもあと一年、私たちと一緒に頑張って頂けないでしょうか。

勿論、過度の負担にならないよう、私たちがお手伝いします。

 

最後に、今日一日が皆さんにとって素晴らしい24時間になりますよう

[2024/12/12    人間イライザ]

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2024年12月11日 (水)

#今日12月11日(水) #報道1930に出ます ――単なる #お祝い騒ぎに終らせないために――

#今日1211() #報道1930に出ます

――単なる #お祝い騒ぎに終らせないために――

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#責任ある地位にいる人たちには #責任を果して貰いましょう

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再度のお知らせです。被団協へのノーベル平和賞授与式の次の日、つまり今日12月11日に、BS-TBSの大型報道番組である、BS-TBSの報道1930に生出演します。

被団協が受賞したことを世界中の人たちが祝ってくれている輪に私たちも参加して、喜びを分ち合いましょう。

同時に、被団協の受賞には反対できないから、お祝いのメッセージを発信している人たちもいます。その人たちに本気であることを示して貰うために、私たちが迫らなくてはなりません。

一緒に出演される秋山信将一橋大学教授と高橋博子奈良大学教授は、人間的にも優れ方たちですので、私のように過激なことはおっしゃらないと思いますが、今、言わなくてはならないこともあります。

被爆80周年である来年、そして被爆100周年になる2045年までの20年間をどう生かすのか、問われているのは私たちの本気度です。

この番組を通して皆さんと一緒に私たちが本気であることくらいは示さなくてはならないと思います。

 

最後に、今日一日が皆さんにとって素晴らしい24時間になりますよう

[2024/12/7    人間イライザ]

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2024年12月10日 (火)

#被団協の #ノーベル平和賞受賞 ――#今日は被爆者の皆さんとともに祝いましょう――

#被団協の #ノーベル平和賞受賞

――#今日は被爆者の皆さんとともに祝いましょう――

 

#明日からは、心新たに頑張りましょう

 

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日本被団協の皆さんが今日、オスロでノーベル平和賞を受賞されます。心からお祝いを申し上げます。またこれまで悲しみ、苦しみ、努力がこのような形で報われたこと、本当に良かったと思います。

受賞のニュースを聞いたとき、大きな喜びを感じましたし、それ以上に「ホッとした」のですが、同時に「これからが本番」という気持が一番強い思いでした。

「ほっとした」のは、何度も書きますが、被爆者がこのような形で世界に認められ、あらゆる場での発言ができるような環境を作ることを目指して頑張ってきたからなのですが、その目標が達成できましたので、その先、つまり核廃絶に向けての仕事もギアを上げる時期になったと感じたのです。それが「これからが本番」の意味です。

出来れば、報道1930の中でも、より具体的にどんな可能性があるのかを提案できたらと考えています。まずは、BS-TBSを御覧下さい。

 

最後に、今日一日が皆さんにとって素晴らしい24時間になりますよう

[2024/12/10    人間イライザ]

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2024年12月 9日 (月)

#被爆体験の #風化 ――#記憶そのものと #社会環境――

#被爆体験の #風化

――#記憶そのものと #社会環境――

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#自覚しないと劣化が進みます

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まず、次の引用をお読み下さい。

それにもかかわらず、日本政府は核保有国の主張する核抑止論なるものを容認し、アメリカの「核の傘」にすがっています。被爆国として許し難いことです。その一方で、日本は世界有数の軍事大国になる増した。政治の右傾化も進むばかりです。教科書の原爆記述は事実上消えてしまい、侵略戦争の痕跡さえも消し去られようとしています。日本が再び危険な道へと突き進んでいるように感じられてなりません。

そのような流れと軌を一にして、原爆の風化は加速しています。次代をになう若い世代の間では、原爆投下を是認する意見さえ増えています。それらの状況は、生命の尊厳が脅かされ、人権がないがしろにされている今日の社会状況と無縁とは思えません。

現在の社会状況を憂うる広島のジャーナリスト、あるいは核兵器についての専門家による分析だと言っても通用する内容です。

でもこれは、19985月に刊行された、『ヒロシマを生きて』のはしがきからの引用です。著者は、全国被爆教職員の会を創設し会長として、平和教育を実践しかつその理論的支柱だった石田明先生。亡くなられたのは2003年ですが、1980年代から被爆体験の風化について憂慮されていました。

実は、「風化」という言葉には大きく分けて二つの意味があります。一つは、ここで取り上げているような社会全体において被爆者や被爆体験、そして被爆者のメッセージ等がどのように位置付けられているのか、という視点からの風化です。

もう一つは、被爆者自身の記憶が薄れて行くという意味の風化です。

今回はこの両方の意味での「風化」についての問題提起が80年代からあったこと、そしてそれを真正面から受け止めて対策を講じてきた被爆者や関係者のいたこと、さらに、今の時点で初めて、「ヒロシマ」や「ナガサキ」に触れる人たちにとって、こうした背景を知ることにも意味があるのではという問題提起だけ、最初にしておきます。シリーズとして続きます。

 

最後に、今日一日が皆さんにとって素晴らしい24時間になりますよう

[2024/12/8    人間イライザ]

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2024年12月 8日 (日)

#山茶花を #もう一度 ――#2週間前より #多くの花が咲いています――

#山茶花を #もう一度

――#2週間前より #多くの花が咲いています――

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#今年は咲くのが遅かったようです

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もう2週間前に山茶花の花の報告をしました。数が少ないと思い込んでいたのですか、その後、もっと多くの花が、それもきれいに咲き続けています。一二枚、その花の姿をお目にかけます。

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それも明日辺りは雪になりそうで、まだ咲いていない花芽も、花を付けずに散るかもしれません。そして毎年祈っていることも繰り返すと、突然変異でも学習効果でも良いのですが、雪にも耐えて咲き続けてくれないかな、という思いです。

 

最後に、今日一日が皆さんにとって素晴らしい24時間になりますよう

[2024/12/8    人間イライザ]

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2024年12月 7日 (土)

#12月11日(水) #報道1930に出ます ――#被団協のノーベル平和賞受賞に合わせて――

#1211() #報道1930に出ます

――#被団協のノーベル平和賞受賞に合わせて――

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#未来を語りましょう

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被団協へのノーベル平和賞授与式の次の日、1211日に、BS-TBSの大型報道番組である、BS-TBSの報道1930に生出演します。被団協が受賞した意味や今後の展望を中心にした番組になるようです。このブログを読んで下さっている方には、ここで皆さんが読まれたことを口頭で、コンパクトにお伝えする機会になると思います。

一緒に出演されるのは、秋山信将一橋大学教授と高橋博子奈良大学教授です。

来年は被爆80周年、それは被爆100周年までの20年間をどう生かすのかという問いとともに訪れます。今年、被団協がノーベル平和賞を受賞したのは、この問いに対して私たちがどう向き合うのか、という優れた問題提起です。

それに応えるために、この番組を通して皆さんと一緒に知恵を出せればと思います。御視聴そして拡散を宜しくお願いします。

 

最後に、今日一日が皆さんにとって素晴らしい24時間になりますよう

[2024/12/7    人間イライザ]

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2024年12月 6日 (金)

#2035年が #大切な訳 ――#一人でも多くの被爆者に喜んで貰いたい――

#2035年が #大切な訳

――#一人でも多くの被爆者に喜んで貰いたい――

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#故石田明先生

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被団協へのノーベル平和賞は、来年の被爆80周年の直前というタイミングで授賞されました。当然、80周年そしてその先の100周年は意識しての決定だったはずです。それを担うのは、被団協を先頭に草の根レベルで運動をしてきた私たちでしょう。しかも、唯一の戦争被爆国という責任もあるのですから、今こそ新たな決意で事に当たるべきだと考えています。

特に、被爆者という立場から、これからの流れがどうなるのかを思い描いてみると、やはり年齢を忘れる訳には行きません。一番若い被爆者は胎内被爆者ですが、来年は80歳になる訳ですから。

そして、目標と年齢から思い出すのは、2003年に平和市長会議として、「2020ビジョン」を発表した時でした。2020年までに核兵器の廃絶を、中間目標として2015年までに核兵器禁止条約を採択して貰う、を掲げました。

当時、お元気だった被爆者の皆さんからほぼ異口同音に言われたのは、「目標年が遠過ぎる」でした。

2020年まで、私は(あるいは、私たちは)生きられない。目標であることは分るし、核廃絶が難しいことも分る。でも、単に計画であっても、私が生きているうちには核廃絶が実現する、ということにはして貰えないだろうか」

2003年を出発点としての計画を立てるに当って、いくら何でも7年間の核廃絶を実現するという目標を掲げるのには無理がありましたので、丁寧に説明して、2020年を目標にするということを認めて貰いました。

でも、その時、一緒になって頑張ろうと言って下さった被爆者の方々は皆鬼籍に入られました。石田明、高橋昭博、近藤幸四郎、倉本寛治、李実根、坪井直等々、多くの被爆者の皆さんの顔が浮びます。2017年と二年遅れではありましたが、中間目標の実験も目にすることなく幽冥境を異にされた皆さんには、あと数年長生きして頂ければと、悔しい思いをしています。

そして今、2045ビジョンを提案し様としているとき、そして私自身80歳を超えているときに、20年前の被爆者の皆さんの気持が手に取るように分ります。すでに亡くなられた被爆者の皆さんの願いを込めた目標を立て、人数は少なくなったけれどもお元気で日々過ごされている被爆者の皆さんの気持ちを表現する期限を選びたいと思うのです。

2035年は被爆90周年です。90歳を超える長寿の被爆者の方もいらっしゃるはずです。その方々が、「核兵器は使わないと、核保有国が約束した」ことを、自ら確認して頂きたいという思いで、2035年に重きを置いています。

 

最後に、今日一日が皆さんにとって素晴らしい24時間になりますよう

[2024/12/6    人間イライザ]

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2024年12月 5日 (木)

#核の先制不使用は #実現可能 ――#5つの理由があります――

#核の先制不使用は #実現可能

――#5つの理由があります――

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#三人ずつ #説得して下さい

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2045年を合言葉に」して核廃絶へのロードマップを描いていますが、今回は「中間目標」として「核の先制不使用 (No First Use、略してNFU)」を選ぶ上で大切な実現可能性について考えてみましょう。

この点については、既に107日にアップしているのですが、大切な点ですので、再度、ちょっと表現を変えて説明しておきます。107日の記事も是非御覧下さい。

先ずは、実現可能だと考えて良い5つの理由を掲げます。

  1. プーチンの「核脅迫」で、世界は核の危険性を再認識している。
  2. 中国とインドは、核兵器の保有とともに先制不使用政策を採用。 (9分の2)
  3. アメリカは、オバマ政権の時に、核先制不使用を国連で認めさせるよう働きかけ、米国内でも法律により実行しようとした。
  4. 非核地帯条約を締結して、既に実現している地域もある。
  5. 言葉だけで実現可能。「意志」だけで実現する。

このうち、(1)(2)は、ここに書いてある通りなのですが、中国とインドが既に核の先制不使用を自国の政策として採用していることを御存じの方は少ないかもしれません。他の核保有国はこの点を宣伝しませんし、日本は、(3)のオバマ大統領の努力を潰した張本人ですので、当然、国民にこの事実を知らせようとはしていません。

(3)については、当時の安倍総理が、アメリカがそんなことをすれば日本は核武装するといった脅しまで使って、オバマ大統領に圧力を掛けたと言われています。ただし、オバマ大統領のイニシャティブは、アメリカ国内にかなりの数のNFU支持者がいることの反映ですので、その点は重要です。

(4)ですが、非核地帯条約の中でも、ラテン・アメリカとカリブ海諸国が締結しているトラテロルコ条約が重要です。条約の中身を簡単にまとめておきましょう。これも5項目あります。

  1. ラテン諸国とカリブ海諸国が対象。
  2. その地域の国々は核兵器を保有しない。
  3. 5つの核保有国は、これらの地域の国に対して核兵器を使って攻撃しないと約束。
  4. これはつまり、「先制不使用」のことです。
  5. 地域は限られても、核保有国はNFUを実行しています。

そして最後ですが、核兵器禁止条約は、核兵器の保有も禁止していますので、批准をした核保有国は核兵器を解体するなどして廃棄しなくてはなりません。核兵器を造る工場や、貯蔵する倉庫も解体する必要が生じますし、産業構造も変えなくてはなりません。そして、核兵器の製造や実験棟で被害を受けた人たちへの賠償もしなくてはならなくなります。そのどれも重要ですので、核保有国に対しては、実行を迫らなくてはなりません。

同時にそのことは、核保有国が核禁条約を批准する上で、必ずしも奨励策にはなりません。そうした現実も見詰めながら批准への道を整備する必要があります。

しかし、NFUは、こうした実質的・物理的な行動を取らなくても良いのです。極端な言い方をすれば、「言葉だけで良い」のです。それは、「核を使わない」という意志さえ持つことが出きれは合意できることなのです。

その意志を持つことも容易ではありません。でも、兵器そのもの、関連施設の解体、経済や社会構造の組み換えといった大掛かりなコミットメントなしでも実現できる点が大きな違いです。

さらに、NFUの実現可能性について、全く知識のない人に説明したとしても、(1)は社会全体の雰囲気といったことになりますので、省略してもその後の4つで十分説明ができると考えましょう。そして(4)はちょっと混み入っていますので、これも割愛するとして、残りの三つが伝われば、NFUは実現できそうだ、という予測を受け入れてもらえるのではないかと思います。その一つ一つの意味も明白です。

ここまでの議論を受け入れて頂けたとして、この最後の三点を、皆さんの周りの人三人に伝えて頂けますか? それが、ネズミ算式に世界に広まれば、NFUは実現します。視覚的には、冒頭に掲げた幾何学的イメージを参考にして下さい。次回は、2035年の意味も考えてみましょう。

 

最後に、今日一日が皆さんにとって素晴らしい24時間になりますよう

[2024/12/5    人間イライザ]

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2024年12月 4日 (水)

#中間目標として採用するための条件 ――#締約国会議へのオブザーバー参加では?――

#中間目標として採用するための条件

――#締約国会議へのオブザーバー参加では?――

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#核禁条約批准に近付くのかが問題

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2045年を合言葉に」と呼び掛けましたが、2045年がその通り合言葉になったとして、中間目標位は何を掲げれば良いのかを考えましょう。私の頭の中ではもう、「核の先制不使用」以外は考えられなくなっています。そんな先入観に囚われての説明ですので、説得力に欠けるかもしれませんが、皆さんからの率直な御意見を頂ければ幸いです。

まず、核兵器の廃絶に関心のある多くの皆さんは今、日本政府が、核兵器禁止条約締約国が開催する締約国会議に、オブザーバーとして参加するよう運動しています。核禁条約に今すぐ署名しない、あるいは批准しないとしても最低限、オブザーバーとして参加すべきだということに異論はありません。至極当然のことです。

日本政府のオブザーバー参加実現のために努力している多くの仲間の皆さんも、それが最終的な核廃絶の「中間目標」になるというより、最初のステップとして、日本政府にはそれくらいのことをして貰いたい、といった位置付けなのではないでしょうか。

では、「中間目標」として適切だというためにはどのような条件をクリアーする必要があるのか、3点挙げておきましょう。

  1. 実現したかどうかが誰にもり分ること
  2. 実現可能性がかなり高いと思われること
  3. 実現の暁にはそれが、核兵器廃絶、つまり核保有国による核禁条約署名・批准に近付いていると、はっきりとわかる目標であること

オブザーバー参加は、1.の条件はクリアーしています。2.の可能性はかなりあります。石破総理は検討すると言いましたので。でも、3.になるとちょっとどうでしょうか。

さて、「核の先制不使用」はどうでしょうか。1.と3.は、クリアーしています。問題は2.ですが、これは意外かと思われるかもしれませんが、可能性はかなりあると考えられます。仮に可能性が低くても、先制不使用が実現しなければ、核禁条約の批准もあり得ませんので、何とかこの目標は達成しなくてはなりません。

「先制不使用」の実現可能性のある事については次回、取り上げます。

 

最後に、今日一日が皆さんにとって素晴らしい24時間になりますよう

[2024/12/4    人間イライザ]

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2024年12月 3日 (火)

#何故2045年なのか #補強説明 ――#抑止力を持つのは #被爆者――

#何故2045年なのか #補強説明

――#抑止力を持つのは #被爆者――

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#ジョン・ハーシーさんの言葉です

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2045年を合言葉にしよう」と呼び掛けましたが、2045年が被爆100周年であることから、その年を期限に核を廃絶しようと考えるのは当たり前、といった気分に流されてしまいました。そして100年経てば人々の記憶が薄れてしまう、となると核廃絶へのエネルギーも薄くなるだろうという点を強調しました。

今回は、その点を補強しておきたいと考えています。

カギになるのは、作家のジョン・ハーシーさんの言葉です。彼は、1946年に広島で6人の被爆者をインタビューしました。彼ら/彼女らの言葉は、1948831日号の『ニューヨーカー』誌の全紙面を割いて掲載され、同誌は一日で全発行部数30万部が売り切れるという記録を作りました。ハーシー氏は、「20世紀アメリカ・ジャーナリズムの業績トップ100」の第一位に選ばれています。

1985年には、被爆40周年という節目に広島を訪れ、「被爆者が話すことで、三度目の使用を防いだ。それは被爆者のお蔭だ」と私に話してくれました。別の言葉に言い換えると、核の「抑止力」を持っているのは被爆者なのです。

ノーベル平和賞委員会は、それを「核のタブーを創った」と表現しています。

問題は、被爆者亡き後に、核兵器に対する抑止力を持つのは誰なのかという点です。現在でもプーチンやナタニエフといったリーダーたちが核の使用に走るかもしれないといった状況なのですから、それが加速してもおかしくはありませんし、偶発的な核兵器の爆発も、これまでもニアミスがあったのですから、心配しなくてはなりません。

私には、それまでに核兵器を廃絶しておくということに全力を注ぐという選択肢しか思い付きません。つまり、まだ何人かの被爆者の方がお元気でいらっしゃるであろう2045年までに核廃絶をという目標を掲げるということです。

核廃絶には時間が掛かります。それでも、来年の80周年から20年間、という時間があれば、何とか間に合うのではないかという、かなり楽観的な考え方を採用したいと思っています。その20年間に何をするのかという具体的な行動計画を作ってみよう、本腰を入れてその計画を実行しようという提案です。

逆に、来年から始めなければもう手遅れになる、という危機感も共有できればと祈っています。

 

最後に、今日一日が皆さんにとって素晴らしい24時間になりますよう

[2024/12/3    人間イライザ]

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2024年12月 2日 (月)

#数学人の集い #話題提供 ――#生きることを選んだ #被爆者――

#数学人の集い #話題提供

――#生きることを選んだ #被爆者――

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#被団協のノーベル平和賞受賞の #意味を考える

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偶数月の第一日曜日、夜7時から9時までは、「数学人の集い」の定例Zoomミーティングです。121日には、私が話題提供をしました。タイトルは「被団協のノーベル賞受賞--その意味と今後の展開--」です。

その中で、被団協の受賞の理由として、1999年の平和宣言を引用しました。それは、被団協が受賞するようにノーベル平和賞委員会に何度も送った推薦状の基本部分だからです。

詳しくは、中国新聞の岡田記者の筆になるインタビューをお読み下さい。

話題提供後の質疑応答がずいぶん盛り上がったのですが、その中で、被爆者の残した三つの足跡の一番目、「死を選んでも誰も非難できない状況で生を選んだ意志と勇気」について、もう少し具体的な説明が必要だということになりました。

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そのために、三つのエピソードをお伝えしました。

一つは、冒頭に掲げた絵の中に関連しています。井上ひさしさんの『父と暮らせば』もそうなのですが、家族や愛する人を救えないままにその場から離れた人の悲しみと、自らを責める気持に私たちがどんな言葉を掛けたら良いのか、とても難しいことなのですが、倒壊した建物から逃げることができなかった人、あるいは家族とともに死を選んだ人もいるということが一点。

1982年の夏、NHKの番組で、当時人気のあった声帯模写の猫屋江戸八さんが、86日には兵隊として広島で救援作業をしていたこと、そして数日後に列車で広島から移動することになったとき、数分ごとに「ガッタン」といって何度も列車が止まるという経験したという話をしてくれました。車掌さんの説明では、列車に身を投げる人が何人もいたためだということだったそうです。

そして、市内の川の近くでは、水を求めて川に入る人たちが多くいたことは知られていますが、水を飲むためではなく、死を求めて水に入る人もいた証言もあります。

そのような形で死を選んだ人たちに、「いけない」とは言えないような状況だったことを理解しなくてはならないのです。

それ程過酷な状況に置かれて、それでも生きることを選んだ被爆者の意志と勇気には感謝の言葉を捧げたいと思います。

 

最後に、今日一日が皆さんにとって素晴らしい24時間になりますよう

[2024/12/2    人間イライザ]

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2024年12月 1日 (日)

#近くの山々で初冠雪 ――#大峰山かもしれません――

#近くの山々で初冠雪

――#大峰山かもしれません――

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#神々しいという言葉が #頭に浮かびました

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雲はありましたが、朝から太陽が大きく出て風もなく、久し振りの晴天でした。目を上に向けていたせいでしょうか、近くの山々の初冠雪に気付きました。中でも大峰山が一番高いのですが、それに連なる山々の初冠雪も目を見張りました。「神々しい」という言葉さえ頭に浮んだほどです。

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いよいよ本格的な冬です。このブログをお読み下さっている皆さんも御自愛の上、清々しい新年を迎えられるよう今年最後の一月をお過ごしください。

 

最後に、今日一日が皆さんにとって素晴らしい24時間になりますよう

[2024/12/1    人間イライザ]

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