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2024年10月

2024年10月30日 (水)

#危機感の違い #世代を超えて共有できるか ――#キューバ危機に比肩する危機的状況――

#危機感の違い #世代を超えて共有できるか

――#キューバ危機に比肩する危機的状況――

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Google map から

#ジャクリーヌ夫人の決意も

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このブログの名称は「ヒロシマの心を世界に」ですので、核兵器の廃絶を目標として掲げています。そのための重要な条約である核兵器禁止条約を何よりも、被爆国である日本が批准しなくてはならないことも何度も繰り返しています。

同時に、ウクライナとガザで、罪のない人たちが虐殺されている状況を一刻も早く止めさせなくてはならないと焦りつつ、何もできない私自身を情けなくも感じています。

しかし、2022224日にロシアのプーチン大統領がウクライナへの侵攻を始め、脅しの材料として核の使用に言及した時には、ショックを受けました。そして核を持つイスラエルでも核の使用を仄めかす政治家が現れ、キューバ危機を思い出しました。60年前、私が20歳の頃の出来事です。平和運動を担って下さっている世代の皆さんの中には、まだ生まれていなかった方も多いのではないでしょうか。ラジオに噛り付いて、最近の状況を知ろうとしていた記憶があります。 

先ずはキューバ危機の概要をWikiwnad から引用します。

キューバ危機は、1962年10月から11月にかけて、ソ連キューバ核ミサイル基地を建設していることが発覚、アメリカ合衆国カリブ海でキューバの海上臨検を実施し、米ソ間の緊張が高まり、核戦争寸前まで達した一連の出来事のこと。

緊張が解けたのは、1028日にゴルバチョフがミサイルを撤去するという決定をしたことなのですが、アメリカ本土に核が撃ち込まれる可能性があるということで全米もパニック状態になっていました。当時の大統領ケネディーの夫人ジャクリーヌさんは、いざというときが来たらホワイトハウスの地下にある核シェルターに入るようアドバイスされた際、次のような決意を述べているほどです。

「もし事態が変化したら、私はキャロラインとジョンJRの手をつなぎ、ホワイトハウスの南庭に行きます。そして勇敢な兵士のようにそこに立ち、全てのアメリカ人と同じく運命に立ち向かいます。」

それと同じくらいの危機感を持って、私はプーチンやイスラエルが核を使う可能性について考えています。だからこそ、Change.orgというオンラインの署名サイトを使って署名運動を始めたのです。(その経緯と背景については、『マガジン9』の「この人に聞きたい」をお読み下さい。)

だからこそ、「核を使わないと宣言しろ」というメッセージを出し続けてます。ロシアとイスラエルだけが、核を使わないと宣言すれば、一応危機は脱出できるのですが、他の核保有国が何もしないのに、ロシアとイスラエルがそんな決定をすることはありません。

だから全ての核保有国が使わない、つまり核の「先制不使用」宣言になるのです。その根元にある「危機感」をどう共有して貰えるのか、頭を悩ませています。

 

最後に、今日一日が皆さんにとって素晴らしい24時間になりますよう

[2024/10/30  人間イライザ]

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2024年10月29日 (火)

#都立 #東京大空襲資料館を! ――#民間の東京大空襲・戦災資料センターに加えて#――

#都立 #東京大空襲資料館を!

――#民間の東京大空襲・戦災資料センターに加えて#――

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#都立の施設が必要です

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御縁があって、恵泉学園中学・高等学校で講演をさせて頂くことになりました。その準備をするためのパワーポイントの資料を作っているのですが、その中で、東京都立の大空襲資料館の必要性に触れたいと思っています。

でも東京には、「東京大空襲・戦災資料センター」という民間の資料センターがあり、20年以上、地道ではありますが大変重要な役割を果して来られています。まずは、このセンターについて、また会費や寄付によってその活動が行われてきたことを知って頂くために、センターのホームページから引用します。

「東京大空襲・戦災資料センター」(以下、「戦災資料センター」と略)は、「東京空襲を記録する会」や「財団法人政治経済研究所」などの募金の呼びかけに、4000名を超える方がたのご協力によって、20023月に「財団法人政治経済研究所」の付属施設として開館しました。さらに、多くの方がたのご支援を得て、20073月に増築を実現することができました。
東京大空襲から75年以上が経った今、私どもは貴重な資料をいかし、研究と調査、展示と学習普及活動にいっそう努力してまいります。そして、戦争の惨禍を風化させないで、次代に伝えるとともに、学びあう場として、多くの方に活用していただくことを希望しております。
2017
年には来館者をより安全に受け入れ、博物館機能を充実させるべく、構造変えを含む建物の、また、20206月には常設展示のリニューアルをおこないました。
こうした「戦災資料センター」の運営・管理・維持経費は、すべて皆さまの維持会費や維持募金によってまかなっています。今後ともぜひご協力をお願いします。

このように立派な活動をされているのですから、「都立の大震災資料館を」という考え方を私が広めることで、センターの活動や広報の邪魔になってはいけないと思い、思い切って電話をしました。

電話で対応して下さった方(済みません、お名前を伺いませんでした)からは、次のような点を御教示頂きました。

  • これまで20年のセンターの活動実績には誇りを持っているし、市民からも高い評価を受けている。これは今後も続ける必要があり、その積りである。
  • 私たちセンターとは別に都立の資料館ができることも重要だと考えている。
  • そのための運動をしている人たちもいる。
  • 仮に都立の資料館ができたとして、その施設と融合したり一緒になったりすることは考えていない。

この考え方を伺って、大変感動しました。そして私の考え方、簡単にまとめると、国の責任で始めた戦争の結果としての大空襲に対して、国の責任を明確にするための「都立」の東京大空襲資料館を建設する必要がある、をさらに広めたいと思いましたし、センターへの協力をして来なかったことを申し訳なく思いました。

広島・長崎の資料館も市立ですが、国の責任を、被害を直接受ける市民の立場から明確にすること、その立場から戦争も核も止めさせることが、平和市長会議を立ち上げた趣旨でもありますので、「都立」や「市立」ということには大きな意味があるのです。

なお、3月10日には、東京大空襲がジェノサイドだという記事をアップしました。それもお読み頂けると幸いです、

 

最後に、今日一日が皆さんにとって素晴らしい24時間になりますよう

[2024/10/29  人間イライザ]

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2024年10月28日 (月)

#投票所には #プライバシーがない ――#鉛筆の音 #記入時間の違い――

#投票所には #プライバシーがない

――#鉛筆の音 #記入時間の違い――

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#カーテンくらいあって当然

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選挙に行ってきました。小選挙区、比例選挙、そして最高裁場所の裁判官についての国民審査です。

投票のブースは、この絵のように何の覆いもありません。全くプライバシーがないと言っても良いでしょう。

まず、投票用紙記入のために、それぞれの区画に行く段階で、隣の人の投票用紙が簡単に見えます。カーテンくらいあって当然でしょう。そして名前の漢字画数の違いで、誰に投票しているのかはその区画に立っている時間でも分ってしまいます。勿論、ひらがなで投票する場合もありますので、正確ではありませんが、分る場合の多いことはやはり問題です。

実は、候補者の名前を投票用紙に書く方式、これは「自書式」と呼ばれていますが、こんなシステムを採用しているのは日本だけなのです。他の国では早くから、機械式やタブレット入力のようなやり方で選挙をしています。世界一遅れている投票の仕方なのです。

原始的な機械でも、レバーを引くだけですので、それを見ても誰に投票したのかは分りませんし、タブレットならもっと簡単ですし、開票に一瞬で出来ます。

私が市長の時に広島市安芸区で実験的に電子投票を行いましたが、何の問題もなく開票もアッという間でした。

選挙以上に問題だったのは、国民審査です。複数の裁判官にバツを付けると、そのことがかなり遠くからも分ってしまいます。一つには、鉛筆がアルミの板に当る音はかなりハッキリ聞こえるからです。それが複数となると時間もかかります。

「コツコツコツコツ」で4秒くらい掛ります。私は、全員バツと公開して言っていますので問題はありませんが、それでも不愉快でした。

そうでない人は、音がすると分った時点でバツを付けるのは止めてしまうかもしません。これもタブレットにして、全ての裁判官について、〇か×のどちらかを押すことで解決可能です。

と言っても、それで国民審査についてのより大きな問題が解決される訳ではありません。この点についての問題提起はこのブログの1023日号でしましたので、お読み頂ければ幸いです。

それとは別に投票所の改善はこれ以上、放置してはいけない問題です。

 

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[2024/10/28  人間イライザ]

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2024年10月27日 (日)

#衆議院議員選挙の #余波 ――#売り場から #胡蝶蘭が #消えました――

#衆議院議員選挙の #余波

――#売り場から #胡蝶蘭が #消えました――

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#誰に届くのでしょうか

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近くのスーパーでは、日常的に胡蝶蘭が安く買えます。3本立ての見栄えの良い鉢が、3,980円なのです。普通は万の単位していますよね。実は胡蝶蘭の農園が近くにあるので、日常的には、「余った」胡蝶蘭を低価格で販売しているのかなと思っていました。

でも、明日を控えて、このところ写真のような「おわび」が出ていました。「衆議院選挙」の後、当選した人へのお祝い用の鉢の需要が多いということでしょう。需要が増えれば当然価格も上りますので、値引きしてまで売る理由はなくなるという経済原理です。

この胡蝶蘭が誰のところに落ち着くのか、私たちの一票で決まります。賢い選択をしなくては、と考えています。

 

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[2024/10/27  人間イライザ]

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2024年10月26日 (土)

#携帯下四桁 #占い ――#ある占い師によると #足して15は吉――

#携帯下四桁 #占い

――#ある占い師によると #足して15は吉――

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#占いは信じていないのですが

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元々、占いは信じていないのですが、それは、科学的根拠がないからというのが最大の理由です。新聞に占いの欄があったり、公共の電波を使って堂々と占いの番組が流されていたりすることは、科学的根拠に欠ける「情報」をあたかも真実であるかの如く広めていますので、禁止すべきだと、かつては同志の故安野光雅画伯とともに論陣を張っていました。

しかし、これほど広範囲に広まってしまうと、避けることさえ難しい状態です。たまたま目にする占いの中に自分の誕生日が入っていたりすると、やはり気になります。

最近、目に入ったのは、ある占い師が数字を使って運勢を判断するという番組でした。携帯の下四桁を足した数で、持ち主の運勢が分るという振れ込みなのですが、思わず、四桁を足してしまいました。結果は15でした。そして彼によると、15は吉だそうです。より具体的には、

幸せな家庭/人脈/名声/金運

に恵まれるということです。

それぞれの単語の意味は、これを受け取った人によって解釈が違うでしょうから、これがあなたの運勢ですよと言われて、納得する人は多いのではないでしょうか。それどころか、嬉しく思う人の方が多いかもしれません。

私もそう思いましたし、この占いは当たるのかもしれないとさえ、誘導されてしまっています。何しろ家族全員、携帯の下四桁の和が15なのですから。

そこで冷静になると、そもそも携帯と私の運命とは、それほど関係があるのでしょうか。そして、上四桁ではなく下四桁であることにどんな意味があるのでしょうか。さらに、四つの数字を足すことに、私自身の人生がどのようなメカニズムで関わっているのでしょうか。

疑問は膨らむだけですし、占いを信じるくらいなら、たとえ一票とは言え、投票することと政治を良くすることとの因果関係の方がはるかに重要です。先ずは一票投じてからにしましょう。

 

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[2024/10/26  人間イライザ]

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2024年10月25日 (金)

#昭和の特徴は #不倫? ――#流行歌も #小説も #不倫の花盛り――

#昭和の特徴は #不倫?

――#流行歌も #小説も #不倫の花盛り――

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#佐野洋作品にも度々登場します

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長い間、推理小説を楽しんできました。中でも、佐野洋 (著名人として敬称略) の大ファンでした。老化現象のメリットとして、昔読んだ本の中身をすっかり忘れていることを挙げてから本題に入ります。

最近では手に入り難くなっていることもあって、という理屈を付けて、宝物として大切にしてきた佐野洋の作品を折に触れて読んでいます。

佐野洋の語り口の上手さや、文章のリズム感、都会的なセンスの良さ等々、一度読み始めたら最後まで読まないと下に置けません。特に短編が好きですが、昭和を創った名手の一人です。

今回のテーマは、彼の名作を読み進める内に、昔はそれほど気にならなかった点に気付いたことです。とにかく不倫が多いのです。時代的な背景が違うので、昭和の時代にはそんなことに気付かないほど当たり前のトピックだったのでしょう。

そう言えば、流行り歌も不倫を舞台にしたものが圧倒的に多かったではありませんか。当時はそれに違和感を持たず、そして今もカラオケで歌っているときには、時代感覚が昔に戻っているからなのでしょうか、平気で不倫の歌詞をなぞっています。

でも、「不倫は文化」と石田純一が言った以上に、時代が変っても国や地域が変っても、人類的に不倫は続くのかもしれません。それを1982年に、「曇りガラスを手で拭いて」明日が見えるのかというフレーズにまとめた作詞家の吉岡治、も「昭和」を創った一人ですね。

 

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[2024/10/25  人間イライザ]

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2024年10月24日 (木)

#議員立法の #おかしさに気付こう ――#形骸化した国会も #抜本的に改革――

#議員立法の #おかしさに気付こう

――#形骸化した国会も #抜本的に改革――

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土井たか子を支える会発行の『梟』

#委員長選挙で訴えたかったこと

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衆議院選挙と同時に行われる最高裁判所裁判官の国民審査について、今のやり方では、「国民審査はやっていますよ」という、アリバイ作り以外には役に立つとは到底考えられないことを指摘しました。司法の場にある人なら、このような現状に当然気付くべきでしょう。でも、現実としては、司法の最高の場で仕事をしている人は、この現実に全く気付かないか、気付いていても手を付けないのかは分りませんが、結果として責任放棄していることを前回指摘しました。それに対して、「No」と言える唯一のチャンスを生かそう、バツを付けよう、そして注意を喚起しようという趣旨でした。

今回は、立法の場である国会についても、また行政を司る内閣についても、同じような責任回避のあること――そんなことは百も承知だと、ここで切り捨てないで下さい――を指摘したいと考えました。

その切っ掛けになったのは、資料の整理をしていた時に出てきた『梟』の11巻でした。土井たか子を支える会の発行で、季刊ですが、編集発行人はいま世田谷区長を務めている保坂展人さんです。11巻は、1996年の3月号です。

この中でインタビュー記事として、私が社会党委員長選挙に出馬した時の思いを語っているのです。

その全文を載せても良いのですが、それを始めると国会での質問や議論を片っ端から掲載するという誘惑に負けてしまうかもしれませんので、ワンポイントだけ使って問題提起をしておきます。

委員長選挙に出たのは何故かという理由の中で、政治を根本的に変えるためには、現状が如何に異常なのかをハッキリと自覚してそれを変える必要のあることを強調しています。そして国会そのものが異常である理由として、「議員立法」という言葉のあること自体、そしてそれが立派な行為であるかのような取り扱いをされていることを挙げました。

それを説明するのに、英訳を挙げています。議員立法とは「legislation by legislator」で、立法を唯一許されている議員が、その立法をすることを指します。同義反復ですので、おかしいのですが、それが褒められるとなるとさらにおかしいことになります。憲法を読み直すとそのことは明らかです。

41条  国会は、国権の最高機関であつて、国の唯一の立法機関である。

国会議員は、立法を行うために選ばれるのですが、これも、最高裁裁判官の国民審査と同じで、形だけ・数合わせをして既定のシナリオをなぞるだけ、という面があまりにも強くなっています。さらに、内閣総理大臣として行政権を振うための権力闘争の決着の場という側面の強さも問題にすべきでしょう。

そして法案を国会に提出できるのは内閣と、衆議院議員なら20名、参議院議員なら10名の賛成者がいる場合です。改革の一歩として、国会議員一人一人が、法案提出権を持つべきですし、仮に内閣の法案提出権を認めるなら、国会議員の賛同者○○名、という形にすべきではないでしょうか。「唯一の」立法機関なのですから。

今回の選挙で、これほど極端な立場を取っている人を選べと言っても無理かもしれません。でも、物事の基本・原点に戻って、常に憲法の言葉を読み直し、主権者の意向を生かそうとする姿勢位はチェックしても罰(ばち)は当りません。

 

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[2024/10/24  人間イライザ]

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2024年10月23日 (水)

#最高裁判所裁判官 #国民審査 #全員×はどうですか? ――#形骸化した審査制度そのものを抜本的に改革する――

#最高裁判所裁判官 #国民審査 #全員×はどうですか?

――#形骸化した審査制度そのものを抜本的に改革する――

241022

https://www.courts.go.jp/saikosai/about/photo/index.html

#選任の仕方も透明化する

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衆議院選挙と同時に最高裁判所の裁判官の国民審査が行わなれます。罷免すべき裁判官の欄に「×」印を付けるというだけの簡単な投票方法なのですが、いくつもの問題点があります。制度の概要と主な問題点については、東京新聞の社説が分り易く指摘してくれていますので、そちらを御覧下さい。

また、これが憲法で決められていることも重要です。最高裁判事の罷免が国民の権利であることは、憲法解釈も最終的には国民の意思に依るという原則を示しています。条文を掲げます。

79最高裁判所は、その長たる裁判官及び法律の定める員数のその他の裁判官でこれを構成し、その長たる裁判官以外の裁判官は、内閣でこれを任命する。
2 最高裁判所の裁判官の任命は、その任命後初めて行はれる衆議院議員総選挙の際国民の審査に付し、その後十年を経過した後初めて行はれる衆議院議員総選挙の際更に審査に付し、その後も同様とする。
3 前項の場合において、投票者の多数が裁判官の罷免を可とするときは、その裁判官は、罷免される。

さて問題の一つは、最高裁判事の名前も仕事の内容も、普通の庶民には馴染みがないということです。知らない人について、最高裁判事としては評価できるかできないかを聞かれて、「×」を付ける人はごく少数でしょう。多くの人は何も印を付けない、あるいは無視するということになるはずなのですが、それは、裁判官が立派な仕事をしているという判定だと見做されるのです。

その結果、これまでの国民審査で「×」の付いた割合は、ほとんど全て10%を下回っています。感覚的には、ちょっと変だという気持なのですが、それ以前に議論すべきことがあります。それは、最高裁の判事がその仕事を全うしているのかいないのかを判断する基準はどのようにものであるべきなのかについて、私たちにはほとんど分っていないという点です。

この裁判では賛成、あの裁判では反対というリストを貰っても、そもそもの基準が分っていない人にはあまり意味がありません。

さらに、時間の経過による判断のずれがあります。最近ようやく無罪が確定した袴田巌さんの場合だけからもその点は明らかです。最高裁判所は、少なくとも二度にわたって、袴田さんに不利になるような決定をしています。今になってそれか誤りだと分っても、当時の裁判官はもう退官していますので、国民審査で「×」を付けることはできません。

そして、このような制度の根幹に関わるような事柄についての欠陥をそのままにしておいて、つまり、今の制度では国民が本来判断すべき事柄について、国民の意思は反映されていないことが分っていながら、その制度を改善しようとしない最高裁判所の判事たちすべてに、責任があると言っても良いのではないでしょうか。

私は専門家ではありませんので、良い知恵は浮かびませんし、憲法改正以下必要かどうかも分りませんが、例えば、死刑のような重要な判決については、そのたびに国民審査をするということであれば、私たち一人一人の理解度も関心の高さも今とは格段に違ってくるのではないかと思います。

[念のため、私は死刑制度は違憲だと考えています。詳細は『数学書として憲法を読む――前広島市長の憲法・天皇論』(法政大学出版局)を御覧下さい]

もう一点は、東京新聞の社説が述べているように最高裁裁判官として誰かを選任するプロセスを公開し、かつ国会できちんとした事前審査を行うことです。それと、国民審査を組み合わせるのも一法かもしれません。

とにかく、今のままの国民審査てはいけないことについて、私たちの声を上げる必要があるのではないでしょうか。そのために今回の国民審査を使うという手もあります。これほど重大な欠陥をそのままにしている最高裁の裁判官たち、「問題がある」「立法や行政でも改善策を考えるべき」という発言さえしない裁判官たちに、全員「×」を付けるという手です。

 

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[2024/10/23  人間イライザ]

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2024年10月22日 (火)

#庭仕事には #BTスピーカー ――#聞いているのは #NatKingCole――

#庭仕事には #BTスピーカー

――#聞いているのは #NatKingCole――

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#曲はUnforgettable

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体調不良で、普通の運動ができませんでしたので、身体が鈍っています。まだ痛みの残っているところをカバーするように周りの筋肉が動くせいでしょうか、変なところが痛み始めています。

出来るだけ正常に戻すために、ゆっくりと身体を使っています。その一環として、先日から庭での軽い仕事を始めました。小さな範囲での草取りや種の補充等ですが、バックグラウンドに、Blue Tooth (BT) スピーカーを使って好きな曲を聴いています。

プイリストにあったNat King Coleから始めましたが、やはりUnforgettableが出てきました。「音をお届けできないのが残念です」とまで書いて、YouTubeの画像を埋め込んだら、と思い付きましたので、音もお聞き下さい。

 

スピーカーは、T&Gというメーカーです。

 

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[2024/10/22  人間イライザ]

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2024年10月21日 (月)

#阿部知子さんの応援 #是非当選して欲しい ――#阿部ファンの多さに感激――

#阿部知子さんの応援 #是非当選して欲しい

――#阿部ファンの多さに感激――

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赤と青の手袋で阿部さんと

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日曜日は午前と午後、二回に分けて、藤沢駅前と辻堂駅前で阿部知子さんの応援のため、街頭に立ちました。

神奈川12区には、阿部さんを含めて5人立候補していますので、厳しい選挙であることは間違いありません。日曜日ということもあり、自民党候補の応援には小泉進次郎氏が駆け付け、阿部さんの応援は私なのですが、そこには阿部さんの姿勢が貫かれています。

実は、阿部さんの応援は私の方から買って出る積りでした。が、啐啄の機という言葉通りに、阿部さんとの連絡が取れて藤沢に飛びました。

日本被団協のノーベル平和賞受賞をきっかけに多くの人が被爆者、広島、長崎、そして核兵器の廃絶に関心を持ってくれています。そんな時を逸することなく、これまでの歴史やこれからの展望を多くの人たちと共有しようという、啓蒙家・教育者、そして運動の牽引者としての阿部知子さんの面目躍如です。

私の街頭スピーチの内容は、このブログに綴ってきたことをまとめたものですので、関心のおありの方は、シリーズを一回目からお読み頂ければ幸いです。

阿部知子選対のスタッフの皆さんのきびきびした動きや有権者の皆さんへの優しい接し方も素晴らしかったですし、街宣のマイクの前を通るときに、阿部さんに大きく手を振ってくれたり、握手をして激励してくれたりという方々が多いことにも、阿部ファンの多さと層の厚さを感じました。

午前と午後の街宣の間にちょっと時間が空きましたので、阿部選対の「バックヤード」、つまり様々な事務作業や電話での投票依頼を担当しているスペースにも激励の意味で寄せて頂きました。凄い熱気の溢れている皆さんでしたが、少しでもお役に立てればという気持で、電話作戦グループの一員として何本か電話を架けました。

お留守の方が多かったのですが、「前回も入れました」「応援しています」という有難い言葉も頂戴しました。留守電にも「阿部知子をお願いします」とメッセージを入れましたが、つい長くなって電話が切れてしまうことに気付いて、1分以内で、失礼にならぬようそして効果的なメッセージを即席で作って録音するようにしました。

阿部さんは、一時の休みもなく選挙カーに乗り続け、彼女の情熱に敬意を表しつつ、私は次の用事のために移動しました。

その電車の中で、何と言うことでしょうイケメンの青年が席を譲ってくれました。昨日のブログのトピックと、吃驚するほどの偶然の一致です。そして彼にもう一度伝えたいのは「You’ve made my day!」です。

 

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[2024/10/21  人間イライザ]

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2024年10月20日 (日)

#昔からの仲間と #楽しい一時でした ――#席を譲られたことがあるか?――

#昔からの仲間と #楽しい一時でした

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「老婆心」から?

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今藤沢に来ています。明日、一日だけですが、尊敬する友人、阿部知子さんの選挙応援のためです。

なかなか機会がありませんので、藤沢の近くに住むこれまた昔からの友人たちと夕食を共にしました。AFSという高校生の留学をお手伝いする世界的組織を現場で支えているお二人なのですが、久し振りに楽しく有意義な一時になりました。

たまたま、電車の中で席を譲られたことがあるか、という話になったのですが、男性は「ある」そして女性は、「あるけど外国人ばかりだった気がする」ということでした。私はというと、ごく稀にしか席を譲られたことかありません。

こんな年寄りめいた話というより愚痴というべき事柄ですので皆さんにお聞かせするようなことではないのかもしれませんが、恐らく若い世代の方々にはこんな切実さは分らないかもしれないという「老婆心」から、お伝えしています。

 

最後に、今日一日が皆さんにとって素晴らしい24時間になりますよう

[2024/10/20  人間イライザ]

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2024年10月19日 (土)

#土井たか子委員長 #オスロ #茹でた小エビ ――#ノーベル平和賞委員会主催の #シンポジウム――

#土井たか子委員長 #オスロ #茹でた小エビ

――#ノーベル平和賞委員会主催の #シンポジウム――

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右から土井委員長、同じくシンポジウムに参加していたネルソン・マンデラ氏、私、マンデラ氏スタッフ

 

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被団協の皆さんは、12月のノーベル授賞式出席のためオスロに行かれると思いますが、そのオスロには懐かしい思い出があります。

1990年の9月に、ノーベル平和賞委員会主催のシンポジウム「憎しみの解剖」が開かれました。土井たか子社会党委員長がスピーカーの一人として招待され、私も通訳兼雑用係として御一緒しました。その年1月の選挙で選ばれた一年生議員でしたが、国際的な場面で土井委員長のアシスタントとして働く機会を貰えたことは大変光栄でした。それに加えて、参加者の皆さんに広島・長崎の被爆の実相なども伝えられる機会でした。

委員長は英語でスピーチをしたのですが、スピーチの前夜はスピーチの推敲と読み練習でほぼ徹夜に近い状態でした。スピーチは好評で、責任は果せたのですが、12月に同じオスロに行かれる皆さんにお勧めのものを土井委員長が発見しています。

小エビを茹で上げ、皿一杯に盛り付けた真っ赤な御馳走です。何度も委員長のリクエストで魚市場に走り、御相伴したのですが、日本に戻ってからしばらくは、エビを食べる気にはなれませんでした。

被団協の皆さん、12月にオスロのホストが小エビを万一出し忘れるようなことがあったら、魚市場で是非試してみて下さい。

 

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[2024/10/19  人間イライザ]

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2024年10月18日 (金)

#ザ・デイ・アフター放映後の #ヴィーゼル氏発言 ――#イスラエル大使の言葉と #重なりました――

#ザ・デイ・アフター放映後の #ヴィーゼル氏発言

――#イスラエル大使の言葉と #重なりました――

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https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Buchenwald_Slave_Laborers_Liberation.jpg  public domain

1945年4月、解放直後のブッケンヴァルト収容所

(下から二段目、7人目がヴィーゼル氏)

 

 

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被団協の箕牧智之さんの「ガザでの紛争で傷ついた子どもたちと、原爆孤児の姿が重なる」という発言を、駐日イスラエル大使が「不適切かつ根拠に欠ける」とコメントしたことを知りました。(ニュースソースは朝日新聞DIGITALです)

これを聞いて、『ザ・デイ・アフター』というTV番組後の討論会で、ゲストのユダヤ系アメリカ人、エリ・ヴィーゼル氏のコメントが、私の頭の中で重なりました。この番組は、1983年にアメリカのABCテレビが放映したもので、アメリカ中で見なかった人はいなかった、とまで言われた番組です。

このサイエンス・フィクション物語は、米ソ間の核戦争が起りアメリカ中西部の都市、カンサス・シティーも核爆弾で一瞬のうちに壊滅するという設定です。さらに、「アフター」が示すように、その後の放射線による悲惨な運命も描かれています。

この番組の放映直後に開かれた討論会でのヴィーゼル氏の発言は次のようなものでした。(記憶だけに頼っていますので、不正確なところがあるかもしれません)

今皆さんは、大変ショッキングな、この世のこととも思われないような悲惨な場面を目にしました。でも、これはフィクションなのです。そして、これと同じ、いやそれ以上かもしれない悲惨なことを「実際に体験した人たち」がいるのです。それは、ホロコーストを体験したユダヤ人たちです。

核戦争とその惨状を主題にした、そして「原爆」と言えば、「パール・ハーバー」が戻ってくるアメリカでも、原爆による犠牲者の存在は広く知られていたのですから、「実際に体験した人」は広島・長崎の被爆者だと、ヴィーゼル氏が言ったとしても不自然ではありません。逆に被爆者への言及のなかったことの方が驚きでした。

怒りに似た気持ちにもなりましたが、私を正気に戻してくれたのは、高橋昭博さんはじめ多くの被爆者の皆さんが繰り返し語ってこられた言葉でした。それは「人間として大切なのは、他人の痛みの分る心を持つこと」です。それとともに、冒頭に掲げた写真やかつて見たことのあったホロコーストのイメージでした。

それが心に蘇り、核被害を目の当たりにしても、自分たちの受けた非人間的で残酷な仕打ちがヴィーゼル氏やユダヤ人の皆さんの脳裏には鮮明だったに違いないことに思い至り、改めてナチスの犯罪の大きさ重さを確認することになりました。そして今という時点に目を転ずると、イスラエル大使も、ヴィーゼル氏と同じよう視点でホロコーストと原爆の被害を「比較」していたのかもしれません。

自らの体験を元に、「他人の痛み」を感ずることのできる被爆者たち、そして、原爆の痛みを目の前にして、自らの体験と悲劇に思いを馳せるヴィーゼル氏やイスラエル大使、どちらも戦争や迫害、ジェノサイドの結果生まれた人間的な反応です。どちらが正しくどちらが間違っているという判断を超えた次元の人間の姿だと受け止めたいと思います。そして私は、難しくても「他人の痛み」を感じられるよう、今でも努力しています。

[註: ①ヴィーゼル氏のユダヤ人よりの姿勢には、ユダヤ人社会の間にも批判があるようです。あくまでも彼個人の昔の発言について、私個人が当時、感じたことの報告ですので、念のため申し添えます。②個人の発言や行動についての個人の感想とは別に、こうした考え方を元に国家がどのような施策を展開するかについては別の議論が必要です。]

 

最後に、今日一日が皆さんにとって素晴らしい24時間になりますよう

[2024/10/18  人間イライザ]

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2024年10月17日 (木)

#箕牧さんの言葉が #不適切? ――#阪神淡路大震災後の #被爆者の行動も不適切?――

#箕牧さんの言葉が #不適切?

――#阪神淡路大震災後の #被爆者の行動も不適切?――

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三宮の惨状

Akiyoshi's Room, Public domain, via Wikimedia Commons

#比較 #重なるの #違いも重要です

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日本被団協のノーベル平和賞受賞を祝って、その意味や背景を考えています。被団協のこれまでの活動がノーベル委員会に評価されたことは、文句なしに嬉しいことですし、これから核兵器を廃絶する上で、大きな力になることも大歓迎です。

そんな中、被団協の箕牧智之さんの発言を、駐日イスラエル大使が「不適切かつ根拠に欠ける」とコメントしたことを知りました。ニュースソースは朝日新聞DIGITALです。

この記事の中で、箕牧さんは「ガザでの紛争で傷ついた子どもたちと、原爆孤児の姿が重なる」と発言したと報じています。

それに対してイスラエル大使は、原爆が投下されたころの日本とガザを比較することは「歴史を歪曲(わいきょく)し、(ハマスによる昨年10月の対イスラエル越境攻撃など)テロの犠牲者を貶(おとし)めることになる」と述べた、そうなのですが、このような解釈の仕方に違和感を持ちました。

まず、箕牧さんは、原爆投下後の広島とガザを比較しているのではなく、傷付いた子どもたちの姿が重なると言っているのです、ずいぶん昔から私自身が経験してきたことなのですが、どこかで誰かがとんでもなく悲惨な目に遭っているニュースを目にし耳にすると、ほとんどの被爆者の皆さんは、「あの日と同じだ」「かわいそうに」「何とかしてあげたい」という趣旨の言葉で、自らのあるいは家族や友人たちの「あの日」と、今起きている悲劇とを重ねて見ているのです。

特に印象強く残っているのは、1995年の阪神淡路大震災の時の被爆者の行動です。その時も、「あの時と同じだ」「あの日の悲惨さ、苦労が重なって見える」という被爆者の皆さんの声が大きく聞こえました。それ以上に驚いたのは、今から30年も前のことですから、被爆者の平均年齢も若かったのですが、それでも、「何とかしなくては」という気持で、被災地まで駆け付け、救援物資を届け被災者の皆さんの気持に寄り添い、復旧・復興の手伝いをした人がいたのです。

それと同じように、今回もガザの子どもたちと原爆孤児の姿が重なって見えたのです。阪神淡路に駆け付けた被爆者たちをまさか、「不適切かつ根拠がない」とは言わないでしょう。だったら今回はそう言える根拠は何なのでしょうか。

私自身も、何か悲劇を目にすると、自分自身の空襲の体験や、1952年に観た『ひろしま』や『原爆の子』の中の悲惨な子どもたち、そして被爆者の姿とを重ねています。それは、政治的な批判やイデオロギーといった次元を超えた人間として当たり前のことなのではないでしょうか。

もう一つ、これをお読み下さっている皆さんにお伝えしたいエピソードがあるのですが、長くなりますので次に回します。それは、1983年にアメリカのABCテレビが放映した、核戦争とその後のアメリカを描いた『ザ・デイ・アフター』という映画そしてその後に放映された討論会を、アメリカで見た時の感想です。

 

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[2024/10/17  人間イライザ]

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2024年10月16日 (水)

#ノーベル委員会も #自らの存在意義を示さなくてはなりません ――#人種・性別等々、 #多様性を尊重する賞になっているのか #も問われます――

#ノーベル委員会も #自らの存在意義を示さなくてはなりません

――#人種・性別等々、 #多様性を尊重する賞になっているのか #も問われます――

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終末時計

#疑問符の付く授賞も過去にはありました

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日本被団協のノーベル平和賞受賞を祝って、その意味や背景を考えています。被団協のこれまでの活動がノーベル委員会に評価されたことは、文句なしに嬉しいことですし、これから核兵器を廃絶する上で、大きな力になることも大歓迎です。

さて、数学には対称律という言葉があります。[ABが成り立つなら、BAも成り立つ]という性質がABとの間にある、ということを指しているのですが、ここではその疑問形を取り上げます。「A」をノーベル委員会、「B」を被団協と仮定して、「⇒」の意味は、「評価する」ということにしておきましょう。

となると、対称律が成り立つのかという疑問形の後半部分は、被団協はノーベル委員会を評価しているのか、という意味になります。答えは当然「Yes」なのですが、これをもう少し広げると、世界の世論はとか、マスコミは、という風に主語を変えての疑問を考えることになります。事実、いろいろな立場からこの答えに相当する論評が行われています。

そんな中から、多くの人が疑問を持つことの一つは、何故ガンジーにはノーベル平和賞が与えられなかったのかですし、名前は出しませんが、この人への授賞には問題がある、などという意見も出されています。詳しくは、Wikiwand の「ノーベル平和賞」の項目を御覧下さい。

そして、多くの人が指摘しているように、被爆者そして被爆者の団体である被団協に、ノーベル平和賞が今年になってようやく与えられたのは遅きに失するのですから、全く与えることがなかったとしたらガンジーの場合と同じような批判が出てきてもおかしくはありません。勿論、そんな理由だけで委員会として授賞という決定をしたのではないでしょう。でも仮に、授賞しなかったとして、100年後の人たちが歴史をもう少し冷静に見ることができるようになった時、ガンジーと被団協・被爆者、両方ともアジア人であることに引っ掛かる人も出てくるかもしれません。

ちょっと斜めから見たコメントになってしまい、引いてしまわれた方もいらっしゃるかもしれないのですが、斜に構えた味方に囚われるのではなく、素直に受賞の意味を噛み締めるべきだという戒めとも取れる指摘がThe Bulletin of Atomic Scientists(核物理学者報告)にありました。終末時計で、毎年私たちに警告を与えてくれている皆さんによる、核と環境についての専門誌です。

今回の平和賞は、個人名を出しての授賞ではありません。ノーベル賞には生存中の人だけが対象になるという規定があるのですが、団体に与えることで、その団体に過去の時点で属していた被爆者たち、その人たちのお陰もあって今人類が大きな恩恵を受け、これからも受けるであろう、そのようななき被爆者たちへの賞にもなっている、という指摘です。

個人的な感慨になりますが、私の敬愛した朝日新聞社の故三浦賢一氏が健在なら、彼の得意分野だったノーベル賞についてBulletinと同じような指摘をしてくれたのではないかと想像を広げています。そしてノーベル平和委員会の思慮の深さに感じ入っています。

 

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[2024/10/16  人間イライザ]

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2024年10月15日 (火)

#報復ではなく和解を、は #排除にはつながりません ――#ノーベル賞の意味は #こんな思いを #他の誰にもさせてはならない、です――

#報復ではなく和解を、は #排除にはつながりません

――#ノーベル賞の意味は #こんな思いを #他の誰にもさせてはならない、です――

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#他の誰にも、は #全人類の意味です

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日本被団協のノーベル平和賞受賞を祝って、その意味や背景を考えています。被爆者や広島・長崎市長、そして被団協を継続してノーベル平和賞に推薦してきた理由を説明しましたが、1999年の平和宣言もその一つです。今回は、被爆者の残した三つの足跡のうち、三つ目に焦点を合わせます。まずは、平和宣言からの引用です。

《報復ではなく和解》

三つ目は、原爆死没者慰霊碑に刻まれ日本国憲法に凝縮された「新しい」世界の考え方を提示し実行してきたことです。復讐(ふくしゅう)や敵対という人類滅亡につながる道ではなく、国家としての日本の過ちのみならず、戦争の過ちを一身に背負って未来を見据え、人類全体の公正と信義に依拠する道を選んだのです。今年5月に開かれたハーグの平和会議で世界の平和を愛する人々が高らかに宣言したように、この考え方こそ21世紀、人類の進むべき道を指し示しています。その趣旨を憲法や法律の形で具現化したすべての国々そして人々に、私たちは心から拍手を送ります。

そして今回は、ノーベル平和賞委員会が、日本被団協に心からの拍手を贈ってくれたのです。

そしてこの一説を一言にまとめると「報復ではなく和解を」になります。「人類全体の公正と信義に依拠する道」とは日本国憲法の前文の言葉ですが、これは国同士がいがみ合いを止めること、つまり「和解」を意味します。

被爆者の言葉では、「こんな思いを他の誰にもさせてはならない」と言い換えても良いでしょう。そして、「他の誰にも」とは、世界中の全ての人々をさします。人類の一部を指す言葉ではない点が重要です。つまり、「日本人には」ではないのです。

事実、多くの被爆者の皆さんと数えきれないくらいの話をしてきましたが、核兵器を使ってはいけない対象として、「日本人だけ」とか、「誰それだけ」といった限定的な言葉を聞いたことは一度もありません。「特に子どもたちには」といった意味の表現はありましたが、それは限定するのではなく、自分たちの同じ経験をさせてはいけないことの強調としての言葉でした。

平和記念式典とは、亡くなられた被爆者の皆さんも含めて、被爆者の意思を確認し、それを未来にい生かす場ですから、「こんな思いを他の誰にもさせてはならない」という被爆者の悲願をすべての国全ての人々と共有すべき場でもあります。誰かを排除した上で、「他の誰にも」とは言えないではありませんか。

そして、慰霊碑の言葉、「過ちは繰り返しませんから」をそれに重ねると、報復の連鎖が始まろうとしているときに、日本の総理大臣や広島市長が、ただ86日を待って意思表示をするのではなく、一刻をも争う形で、和解のための努力をすることが求められているのです。

この点については、「平和記念式典への招待基準 (2) ――何故、特定の日だけ排除するのか」として913日に取り上げていますので、そちらも御覧下さい。

 

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[2024/10/15  人間イライザ]

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2024年10月14日 (月)

#ヒロシマの記録を #ノーベル委員会に送りました ――#翻訳は日米のボランティアで #米国市民に #贈る運動は #COSMOSが担ってくれました――

#ヒロシマの記録を #ノーベル委員会に送りました

――#翻訳は日米のボランティアで  #米国市民に #贈る運動は #COSMOSが担ってくれました――

 

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#アメリカに被爆の記録を英語で残す

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《事実をもって語らしめる》

アメリカの大学で教えている頃から、「被爆者にノーベル賞を」、あるいは「被爆者の存在を象徴するような公的立場にいる人や団体にノーベル賞を」という運動を続けてきました。

その時、ノーベル平和賞委員会に送った推薦状の内容をさらに煮詰めたものが広島市長就任直後の199986日、平和記念式典で読み上げた平和宣言です。前回は全文を掲載しましたが、ノーベル平和賞委員会に送ったのはそれだけではありません。『The Meaning of Survival』も同封しました。事実をもって語らしめるためです。

《『ヒロシマの記録』英訳プロジェクト》

被爆者の足跡を具体的事実として示すために、中国新聞が毎年、発刊している、『ヒロシマの記録』の1981年版を英訳したのが『The Meaning of Survival』です。

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この本が、ノーベル平和賞委員会、そして多くのアメリカ市民や平和運動組織に届いたのは、善意のボランティアの皆さんの表からはなかなか見えないけれども、素晴らしい汗のお陰です。ちょっと道草を食うことになりますが、今回はその汗についての記録です。

最初に、『ヒロシマの記録』の英訳を出版しようと決めてくれた中国新聞社、そして広島国際文化財団の英断がありました。利益にはつながらない事業ですが、アメリカにそして世界に広島の記録を送り、かつ残すという趣旨に賛同してくれたのは、やはり「ヒロシマの心」の発露だと思います。

まず、日本語から英語に訳したのは、そもそもの「アキバ・プロジェクト」を自費で立ち上げようと頑張ってくれた通訳の仲間たちです。あまり時間を掛けて貰っても申し訳ないので、一定の時間を掛けて訳すという方針でお願いしました。

それを次の段階でポリッシュしてくれたのが、当時私が奉職していたタフツ大学の学生諸君です。数学のクラスや、特別に教えていた「ヒロシマ・ナガサキ講座」の学生たちです。そして最終的には、タフツの教授陣そしてこのプロジェクトに賛同してくれたプロのライターにも協力して貰って、英文の出版物として恥ずかしくないレベルに高めてもらいました。私はその全部を読んで最終チェックをしました。

これだけでも、多くのボランティアの皆さんの献身的な力の大きさが分るのですが、それだけでは、アメリカ市民にはなかなか届かないのです。一つには値段がありました。一冊8,000円という値段は、今なら2万円近くです。「ヒロシマと言えば、パールハーバーという言葉が戻ってくる」アメリカで、まずは『ヒロシマの記録』という本の存在を知って貰うこと自体が大変です。でもこれは、PRの仕方でそれなりのことはできます。究極的にはそれを買ってくれる人がもっと少ないだろうということです。

その窮状を救ってくれたのは、愛知県の日進町を中心に活動していた市民グループの皆さんです。COSMOS (The COmmittee to Send the Meaning Of Survival) 、つまり、「ザ・ミーニング・オブ・サバイバルを送る委員会」を作って、この本をアメリカ市民に贈る仕事を買って出てくれたのです。

この委員会の皆さんが日本国中に発信してくれたのは、「『ヒロシマの記録』と『The Meaning of Survival』をセットで買って下さい。一冊はお手元に残して御自分で役立てて下さい。もう一冊は、アメリカの平和団体やアメリカ市民に寄贈します」というメッセージでした。その結果、百冊を超える、実はもっと多かったかもしれませんが、とにかく多くの『The Meaning of Survival』が、アメリカの平和団体や市民の許に届きました。ノーベル平和委員会に贈った一冊もCOSMOSの皆さんのお力で実現したのです。

当時の日本の経済的事情も違っていたのかもしれませんが、それでもこれだけの善意が生まれたのは、COSMOSの皆さんのお陰です。

アメリカ側のPRは私が担当しましたが、先ずは、翻訳プロジェクトへの協力をしてくれたボランティアの皆さん、アキバ・プロジェクトのお手伝いをしてくれた方々、さらには様々な平和集会や講演会、その他個人的な伝手を辿って、少しでも広島・長崎に関心を持ってもらえそうな人達を探して説明付きで寄贈をしましたし、学校や平和団体等で有効に活用して貰えるところにはこちらから積極的に寄贈しました。

懐かしさの余り、このブログをお読みの皆さんの許容範囲を超えてしまったかもしれませんが、改めて、表には出ない多くの人々の善意でこうした活動が実現したことを感慨深く思い出しています。

今回は、ちょっと横道に逸れましたが、次回は平和記念式典に誰を招待すべきなのか、という点とノーベル平和賞との関連について考えたいと思います。

 

最後に、今日一日が皆さんにとって素晴らしい24時間になりますよう

[2024/10/14  人間イライザ]

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2024年10月13日 (日)

#被団協の #受賞理由 ――#1999年の平和宣言として #まとめました――

#被団協の #受賞理由

――#1999年の平和宣言として #まとめました――

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#ヒロシマの活動史も英訳しました

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《被爆者の足跡》

昨日は、「長い間、少なくとも半世紀以上、被団協にノーベル平和賞をという努力をあらゆる手段を使って続けてきました」と書いたのですが、少し不正確でした。「被爆者にノーベル賞を」、あるいは「被爆者の存在を象徴するような公的立場にいる人や団体にノーベル賞を」と言い換えた方がより正確です。

アメリカの大学で教鞭を執っている間は、ノーベル平和賞委員会に「被団協」を候補として推薦し続けてきました。国会議員になってからは、例えば、国会議員有志の一人として連名で劉暁波氏を推薦したりという経験から、またノーベル平和賞委員会についての知識も増え、「被爆者」や被爆者と魂を重ねて活動してきた人たちを代表する立場の「広島市長・長崎市長」を推薦したこともあります。

その時に、ノーベル平和賞委員会に送った推薦状の内容をさらに煮詰めたものが広島市長就任直後の86日、平和記念式典で読み上げた平和宣言です。少し長くなりますが、被爆者への感謝の気持を捧げた全文を、改めて深い感謝と敬意とともに掲載します。

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平和宣言 

戦争の世紀だった20世紀は、悪魔の武器、核兵器を生み、私たち人類はいまだにその呪縛(じゅばく)から逃れることができません。しかしながら広島・長崎への原爆投下後54年間、私たちは、原爆によって非業の死を遂げられた数十万の皆さんに、そしてすべての戦争の犠牲者に思いを馳(は)せながら、核兵器を廃絶するために闘ってきました。

この闘いの先頭を切ったのは多くの被爆者であり、また自らを被爆者の魂と重ね合わせて生きてきた人々でした。なかんずく、多くの被爆者が世界のために残した足跡を顧みるとき、私たちは感謝の気持ちを表さずにはいられません。

大きな足跡は三つあります。

一つ目は、原爆のもたらした地獄の惨苦や絶望を乗り越えて、人間であり続けた事実です。若い世代の皆さんには、高齢の被爆者の多くが、被爆時には皆さんと同じ年ごろだったことを心に留めていただきたいのです。家族も学校も街も一瞬にして消え去り、死屍累々(ししるいるい)たる瓦礫(がれき)の中、生死の間(はざま)をさまよい、死を選んだとしてもだれにも非難できないような状況下にあって、それでも生を選び人間であり続けた意志と勇気を、共に胸に刻みたいと思います。

二つ目は、核兵器の使用を阻止したことです。紛争や戦争の度に、核兵器を使うべしという声が必ず起こります。コソボでもそうでした。しかし、自らの体験を世界に伝え、核兵器の使用が人類の破滅と同義であり、究極の悪であることを訴え続け、二度と過ちを繰り返さぬと誓った被爆者たちの意志の力によって、これまでの間、人類は三度目の愚行を犯さなかったのです。だからこそ私たちの、そして若い世代の皆さんの未来への可能性が残されたのです。

三つ目は、原爆死没者慰霊碑に刻まれ日本国憲法に凝縮された「新しい」世界の考え方を提示し実行してきたことです。復讐(ふくしゅう)や敵対という人類滅亡につながる道ではなく、国家としての日本の過ちのみならず、戦争の過ちを一身に背負って未来を見据え、人類全体の公正と信義に依拠する道を選んだのです。今年5月に開かれたハーグの平和会議で世界の平和を愛する人々が高らかに宣言したように、この考え方こそ21世紀、人類の進むべき道を指し示しています。その趣旨を憲法や法律の形で具現化したすべての国々そして人々に、私たちは心から拍手を送ります。

核兵器を廃絶するために何より大切なのは、被爆者の持ち続けた意志に倣って私たちも、「核兵器を廃絶する」強い意志を持つことです。全世界がこの意志を持てば、いや核保有国の指導者たちだけでもこの意志を持てば、明日にでも核兵器は廃絶できるからです。

強い意志は真実から生まれます。核兵器は人類滅亡を引き起こす絶対悪だという事実です。

意志さえあれば、必ず道は開けます。意志さえあれば、どの道を選んでも核兵器の廃絶に到達できます。逆に、どんなに広い道があっても、一歩を踏み出す意志がなければ、目的地には到達できないのです。特に、若い世代の皆さんにその意志を持ってもらいたいのです。

私たちは改めて日本国政府が、被爆者の果たしてきた役割を正当に評価し援護策を更に充実することを求めます。その上で、すべての施策に優先して核兵器廃絶のための強い意志を持つことを求めます。日本国政府は憲法の前文に則(のっと)って世界各国政府を説得し、世界的な核兵器廃絶への意志を形成しなくてはなりません。地球の未来のために、私たちが人間として果たさなくてはならない最も重要な責務が核兵器廃絶であることをここに宣言し、原爆犠牲者の御霊(みたま)に心から哀悼の誠を捧(ささ)げます。


1999年(平成11年)8月6日

 
広島市長  秋  葉  忠  利


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《ヒロシマの記録》

それだけでは、被爆者の足跡を具体的事実として示すことにはなりませんので、中国新聞が毎年、重要な出来事を写真付きで選んでその分を追加しながら発刊している、『ヒロシマの記録』の1981年版を英訳した『Meaning of Survival』も同封しました。

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これが1995年日本語版の表紙です。

 

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[2024/10/13  人間イライザ]

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2024年10月11日 (金)

#被団協に #ノーベル平和賞 ――#核廃絶運動に弾み #歴史的にも大きな意味――

#被団協に #ノーベル平和賞

――#核廃絶運動に弾み #歴史的にも大きな意味――

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Wikiwandから

https://www.wikiwand.com/ja/articles/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%99%E3%83%AB%E5%B9%B3%E5%92%8C%E8%B3%9E

#戦争の否定が基本です

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《ノーベル平和賞が被団協に》

今年のノーベル平和賞は、日本被団協、正式には、日本原水爆被害者団体協議会 (以下、被団協と略します) に決りました。長い間、少なくとも半世紀以上、被団協にノーベル平和賞をという努力をあらゆる手段を使って続けてきましたので、ようやく悲願が実現して、勿論嬉しいのですがホッとしています。何とか責任が果せたからです。

この時を、亡くなられた多くの被爆者の皆さんとともに祝うことらそんなに嬉しいことはなかったのですが、石田明先生、森瀧市郎先生、高橋昭博さん、谷本清さん、吉川清さん、倉本寛治さん、笹森恵子さん、沼田鈴子さん、据石和さん、李実根さん、庄野直美先生、谷口稜曄さん、片岡つよさん、高原弘子さん、秋月辰一郎先生、田村元先生等々、お名前を挙げきれないほど多くの被爆者の皆さんの血と汗と涙があっての受賞であることを改めて銘記したいと思います。まだまだ多くの方がいらっしゃるのですが、書き切れませんので、いつか機会を設けて思い出を綴ります。

そして、今回の受賞の意味も丁寧に考える必要があります。勿論、核廃絶運動には大きな弾みになりますし、これからの運動に新たなエネルギーを与えてくれているだけではなく、何をどう目指すのかというベクトルを明確にしてくれたという点で、心強いメッセージを貰えたと思っています。

そして、ウクライナやガザについても明確な意思表示をしてくれました。それは歴史的な流れを見ることで一層ハッキリします。

第二次世界大戦での最大の悲劇の中に、ナチスによるホロコースト、そしてアメリカによる原爆投下が入ることには異論がないはずです。それほどの悲劇に対して、私たちが戦後どのように反応し、これらの悲劇からどんな教訓を汲み、それをどう生かすのかが問われました。

簡単にはまとめ切れませんが、ホロコーストの場合はイスラエルという国家の建設が、二度とホロコーストを繰り返さないという強い決意の表現になったことは否定できないでしょう。

ヒロシマ・ナガサキの場合は、二度と戦争はしてはいないという平和憲法と被団協に代表される国民的な原水爆禁止のための草の根運動が、被爆体験からの教訓だと言っても的外れではないでしょう。

今、ロシアがウクライナ侵攻後、核の使用という脅しを続け、核を持つイスラエルによるガザやレバノンへの非戦闘員への攻撃が世界的批判を受けています。

今年のノーベル平和委員会は、そんなときに、戦争の放棄と草の根の運動を代表する被団協を選び、核の力を持つ国家は選ばなかった事実に、注目すべきなのではないでしょうか。それは軍隊を持たないヒロシマ・ナガサキという都市と核を持ち戦争のできる国家という対比でもあります。

もう一つ、私としては長年の不満が解消されたということもお伝えしておきたいと思います。1986年、アメリカでは核凍結運動が国中を覆い、核兵器反対の世論が全国的に共有され、レイキャビックの米ソ首脳会談では、レーガンさんとゴルバチョフさんが、核兵器の全面廃棄で合意した年ですが、その年のノーベル平和賞はエリー・ウィーゼルさんという、ホロコーストのサバイバー、ユダヤ系アメリカ人の思想家・作家に授与されました。ホロコーストの意味や、その今日的なつながり、さらにはどのような政治をつくるべきなのかについての深い論考や問題提起をしていたウィーゼルさんはアメリカ社会のみならず、世界に影響を与えていました。受賞は当然でした。

そして、これは個人的な感想ですのでそれほど深い意味があるのではありませんが、私はこれほど核兵器廃絶への世論が高まったことはないのに、「何故被団協ではないのか」という思いでニュースを聞きました。

そして今年初めて、第二次大戦中の二大悲劇のもう一つがノーベル平和委員会によって、その「なぜ」に答える形で認められたのです。勿論、バランスが取れたからそれでお終いという意味ではなく、今後ともホロコーストも核による犠牲もない世界を実現するために、全ての人が協力し合い努力しなくてはならないことは言うまでもありません。

被団協の受賞理由についてのコメントもいろいろ出ていますが、私がノーベル平和賞委員会に提出した元原稿は1999年の平和宣言です。その他、次回以降、このシリーズで取り上げて行きます。

 

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[2024/10/11  人間イライザ]

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#敵味方仮説 ――#数学や物理の力は良く知られている――

#敵味方仮説

――#数学や物理の力は良く知られている――

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#英語嫌いとの違いはどこに?

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《数学に人生を否定される》

前回、問題にしたのは、数学を学ぶ過程で、数学嫌いになった人たちがことによると経験したかもしれない気持の問題です。

学校の先生とか試験結果から、あるいは友人たちかもしれませんが、その人たちの言葉や、テストの結果が元になって、自分の人生が否定されたような気持になった経験があり、それがトラウマになっているのではないか、という疑問を前提にしました。

議論を簡単にするために、数学のテストの結果が原因でこのような気持になったという場合を考えましょう。「このような気持」と書きましたが、その場ですぐ「人生が否定された」と意識的に感じる場合だけではなく、心の中に大きな影を落していて、ある程度の人生経験を経てから、「数学ができなくても、自分の人生は誇れるものだった」というような気持として現れるような場合も含めています。

《敵味方仮説》

その上で一つ参考になるのは、他の科目との比較です。例えば理科や社会のテストが原因でこれほど大きな自己否定の気持が生じることは少ないのではないでしょうか。その理由の一つとして、ある特定の時期の歴史は不得意でも、世界地理はそれとは別だということが自然に分っているからかもしれません。

もしそうだとすると、次のような解釈ができるように思うのですが、皆さんにも一緒に考えて頂ければ幸いです。

そのために、私たちの世界観とでも言ったら良いように思われることについて、一つの仮説を設けます。それは、私たちには、世界を「敵」と「味方」という二分法で分けてとらえる傾向がある、という仮説です。これを、「敵味方仮説」と呼んでおきましょう。

横道に逸れると、国際関係とか安全保障というような「難しい」議論では、この仮説が全ての場合の前提として、さらに、それ以外の考え方はナイーブだとか甘い等、素人の議論として排除されますので、それなりの正当性はあるのではないかと思います。

しかし、私たち、一人一人が世界を見たり、社会生活を送る中では、この仮説を日常的に大前提として行動しているのではないことも大切です。

つまり、この仮説が私たちの思考や感覚の全てをいつも支配するという意味ではなく、意図的にではなく何となく自分の周りについて思いを巡らせているとき、あるいは感情に駆られて冷静・客観的な判断より、自分を守るという本能的な力が強く働いているときなどに、この枠組みに従っての感情の整理やそれに基いての発言などとして機能することがある、とでも説明できるような気がしています。

《社会科には否定されない》

そう断った上で続けると、社会のテストで悪い点を取っても、「社会科」そしてこの科目の「味方」である先生や学校、大人社会や未来等が、自分の「敵」という存在にはならないことが分っているので、「自分の人生が否定された」という結論には至らない、と考えられないでしょうか。これを、テストの出来の悪さが「絶対的」な意味を持たない、と表現したいのですが、それは数学の場合と比較するとかなりハッキリ分ります。

数学の点が悪いことで、子どもが感じるであろう「現実」の一つは、社会科の場合と違って、「数学全体」が自分を否定していると考えてしまう環境が整っているせいではないでしょうか。それは、社会科の場合のような歴史と地理のバランスの取れた全体像が、数学という科目の場合、見えにくいせいなのかもしれません。つまり、ある段階で数学の点が悪いということは、数学全体への扉が閉ざされてしまった、という受け取り方が強いからだと説明できそうです。それは、テストの結果が、数学全体との対立とい「絶対的」な意味を持ってしまうということです。

《数学や物理の力》

絶対と相対という二分法で明らかになるのは、私たちの世界観の中で、数学や物理に象徴される「力」とでも言えば良いのでしょうか、その力の大きさについて、ほぼ絶対的とでも言えるような畏怖の念があるのではないかという点です。

科学技術の持つ力は、特に戦後の私たちに取っては「絶対的」な意味を持っていました。原爆がその典型ですし、アメリカの進駐軍を取り囲む全てがその科学技術の産物のように見えました。原爆を創ったのは物理学者でしたし、日本で初めてノーベル賞に輝いたのも物理学者の湯川秀樹さんでした。そして、その物理学は数学が分らないと近付くことさえできないのですから、物理学と数学は一体のものとして畏怖の対象、何よりも力のある存在として私たちの世界観の中に鎮座していたのです。

「末は博士か大臣か」という言葉で示されている立身出世の序列の中で、こうした背景からは、博士が上位に来ていた時代です。それが今、続いているのかどうかは別にして、絶対的序列のほぼトップにあることは疑いもありません。

そんな序列も重なって、数学の点が悪いことが、こうした大きな「力」によって否定されてしまったのだと感じてしまっても不思議ではありません。逆に、自分のテストが悪かったのは、相手がこれほど大きな存在なのだから仕方がないという正当化としても使えるのですから、その両面から、世界における自分の位置付けとして心の奥に居座ってしまっていたのかもしれません。

絶対的な存在としての位置付けが確固としてある数学だからこそ、試験の点数が自分の人生を否定してしまう存在になり得るのです。

《英語との比較》

最後に、もう一つ、科目として好きな人も多い半面、苦手な人も多い英語と比べてみましょう。英語の場合は、点が悪くても「人生が否定される」という受け止め方は少ないように見えるのですが、それは、大人になっても通える「英語教室」や「英会話教室」の多いことと無関係ではないのではないでしょうか。つまり、勉強すれば身に付けられる科目という相対化がされているということです。

そんな状況が生まれる背景として、英語が苦手な人への応援歌として、「英語なんか難しくはない、アメリカに行けば幼子でも英語を喋っている」という趣旨の言葉が広く知られていることを挙げておきましょう。英語という科目は、自分を否定してしまうほどの絶対的な存在ではないのです。

ここからは、半分ほど本気で読んで頂けると有り難いのですが、これまでの論考から考えられる一つの処方箋は、小学生やその前の段階で例えば微分積分ができたり、数学の難問題を解決したりした場合、「天才少年」「天才少女」と誉めそやす代りに、あるいは誉めそやすのと同時に、「子どもでも分るのが数学なのだ」、「だから君もできる」というメッセージをもっと広めることだと言いたいのですが、如何でしょうか。

 

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[2024/10/11  人間イライザ]

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2024年10月10日 (木)

#数学を知らなくても #自分の人生は幸せだ! ――#数学に自分の人生を否定されたと感じているから?――

#数学を知らなくても #自分の人生は幸せだ!

――#数学に自分の人生を否定されたと感じているから?――

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#数学嫌いの背景について

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昨日引用した、シンガーソングライターの柴田淳さんの言葉、「これも目先のお金ばかりで、教育を軽んじた結果かと思う」に関連して、最近、「数学人の集い」のズーム会議での議論から、私が考えたことを報告しておきます。

「数学人の集い」とは、数学について何らかの関心や関わりを持っている人たちが集まって、数学と社会等について話し合うグループで、会議はZoomを使っています。このグループを立ち上げてもう2年程になります。

これまで12回会議を開きましたが、最近の数回はエンツェンスベルガー著の『数の悪魔』という本を中心に数学教育について、また数学についての面白い読み物等についての楽しい議論を重ねてきました。

その中で「数学嫌い」が1つのテーマになっています。私の感じたことをこの集まりの皆さんにお伝えしようとしたのですが、どうも上手く伝わらなかったようなのです。日頃から数学や数学教育に携わっている方々には当り前のことだからなのかもしれませんし、私の伝え方に問題があったのかも知れません。少し考え直してここに文字化した形で残しておきたいと思います。

かなり広い範囲の人が知っていることだと思いますが、作家の曽野綾子さんが数学についての発言をしています。

「二次方程式を解かなくても生きてこられた」「二次方程式などは社会へ出て何の役にも立たないので、このようなものは追放すべきだ」

と発言したそうなのです。(Wikiwand)

曽野さん以外の人でも、新聞の投書欄とか、数学教育が問題になるようなときにかなりの人が、こんな趣旨のことを述べています。「数学を知らなくても自分の人生は幸せだ!

この点について私が感じていたことがあるのですが、それは、こういう皆さんが言っている、数学は必要ない、あるいは数学でもこれ以上の事は教えなくても良い、それは実用性がないから、あるいは自分の人生で困ることはなかったからといった言葉の背後にある心理的な要素です。

このような発言の中でいつも気になっていたのは、「人生」とか「私の人生」という言葉です。曽野さんの場合は「生きてこられた」そして「追放すべきだ」です。数学が役に立たなかったとか、二次方程式の解法が必要ではないことを主張するのに、「追放」という全面否定の言葉、そして「人生」っていう言葉は重過ぎるような気がするのですが―――。

押し付けがましいかもしれませんが、そんなに重い言葉で数学を糾弾する背景として考えられるのは、曽野さん御自身がそうなのかどうかは分りませんし、他の方についても私の推測でしかないのですが、数学は必要なかったとか、これ以上のことを学ぶ必要はなかったと言うような人は、ある意味、その数学を学ぶ過程で、あるい学校の先生とか、試験結果というようなもの、あるいは友人たちかもしれませんけれども、その人たちの言葉や、試験の結果が元になって自分の人生が否定されたような気持になった経験があり、それがトラウマになっているのではないかということです。

そう考えると、そんな経験があったにせよ、自分の努力の結果として自分が誇れるような人生を送れたときに、「数学」によって傷つけられたプライドや、自己が否定された人生を、つまり自分自身の回復のプロセスとして、数学がなくても、自分はちゃんとした人生を歩んできたんだということを確認したいし、世の中の人たちにもそのことを知ってもらいたいという欲求があるのではないかと考えたのです。

数学教育、あるいはもうちょっと広げて、子供たちの教育を考えるときに、仮に大人が善意で行っていたにしろ、あるいは教えようとしているにしろ、それが子どもたちの心の中では、自分の人生の否定というふうに取られることがある、ということをもう少し丁寧に私たちが受け止めるべきなのではないかと考えた次第です。ことによると、これはもう当り前のことで、多くの人たちが既に気づいていて、その対策をしているのだろうと思います。とは言え、それが数学人の集いの中で私が感じたことでした。

これに対比して考えるべきだと感じているのが英語教育なのですが、それについてはまた次の機会に取り上げたいと思います

 

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[2024/10/10  人間イライザ]

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2024年10月 9日 (水)

#笠松将さんの無関心発言 ――#泉谷さんや柴田さんの御意見はその通りですが――

#笠松将さんの無関心発言

――#泉谷さんや柴田さんの御意見はその通りですが――

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#的確な問題提起もありました

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俳優の笠松将さんが「政治に関心がないと告白」したというスポニチアネックスの記事に目が止りました。歌手の泉谷しげるさんはそれに対して「バカヤローですよ」と一喝したとのことですし、シンガーソングライターの柴田淳さんは、「やば過ぎますね。どれほど恥知らずなんだろう。これも目先のお金ばかりで、教育を軽んじた結果かと思う」と苦言を呈したとのことです。お二人のおっしゃることはその通りだと思います。

それに加えて、私がハッとさせられたのは、笠松さんの「(選挙で)入れたい人に入れたってやってくれないでしょ?やりますって言っても期限は決まってないし、言いたい放題だし。誰になっても同じだし。ぶっちゃけ時間もったいなくない?っていう」言葉です。

特に、「やりますって言っても期限は決まってないし」の部分です。これは、私が口を酸っぱくして政治批判をしてきたドンピシャのポイントです。私以上の権威が必要なら、1930年代のベストセラー作家、ナポレオン・ヒルもその点を強調しています。私バージョンにすると「期限の付かない目標は、夢にしか過ぎない」ですが、「夢」のところを誇張して、「詐欺」とか「嘘」に変えた方が、意味が通じるかもしれません。

そして、自民党の総裁選に当って、石破候補(今は総理)は期限付きの政策を掲げています。防災省の設置です。このブログで取り上げていますので、そこを御覧下さい。

これだけは誰が総理になっても実現しなくてはならないはずなのですが、それは防災が今の日本にとっての最優先事項の一つだからです。笠松さんには是非この点に気付いてほしいと願っています。そして防災省設置の賛同・推進者になって貰えたらと思っています。

 

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[2024/10/9  人間イライザ]

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2024年10月 8日 (火)

#滑車の付け替え ――#建付けの悪い襖が滑らかに動くようになりました――

#滑車の付け替え

――#建付けの悪い襖が滑らかに動くようになりました――

241007-beforeafter-collage

#Before #After

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和室の襖の建て付けが悪くなりました。開け閉めが重くなり、ガタゴトと音がして、スッと部屋に出入りし難くなったのです。

襖を支えている滑車を見てみると、一つは歯車、と言うか滑車そのものですが、が欠けていました。もう一つ問題だったのは、滑車の頂点の部分が襖の底に隠れてしまっていて、襖の底辺が敷居にべったりついていたことです。写真の左、「Before」を御覧下さい。

解決方法ですが、ホームセンターに行って、滑車の直径が少し大きいものを買って、それを襖に取り付けました。取り付け用には、ネジではなく鍵が付いて来ましたので、金槌で叩くだけで済みました。

完成図、つまり「After」が右側の写真です。これで襖は滑らかに動くようになりました。

 

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[2024/10/8  人間イライザ]

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2024年10月 7日 (月)

#核の先制不使用 (No First Use) を実現しよう ――#三つの #マジックワードで #3分で――

#核の先制不使用 (No First Use) を実現しよう

――#三つの #マジックワードで #3分で――

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#アッという間に #広まります

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JR総連での講演では、いくつかのことを強調しました。中でも、すぐ実行でき、効果が見えるのは、「核の先制不使用」 (No First Use を略してNFUを使います) が可能だという事実を多くの人に知らせることです。

核兵器禁止条約を批准すると、核兵器を解体したり、核兵器貯蔵の倉庫や製造のための工場を取り壊したり等々、物理的に実行しなくてはならない多くの義務が発生します。そのために必要な時間も膨大なものになります。それはそれで必要なことですから、核保有国には責任を持って最後まで解体して欲しいのですが、それでも、これが批准しないための一つの口実になり得ることも事実です。

NFU (核の先制不使用) は、核保有国が、「他の国が核を使わなければ、我が国は使いません」と宣言するだけで良いのですから、「実行」という段階では、かなり楽になります。それでも、国の中での合意は必要ですから、それなりに時間はかかります。でも核兵器禁止条約を批准するよりははるかに短時間で実現可能です。

そして、一度言葉にすると、言葉自体の重みがそれに付いてきますので、その効果にも期待することができます。

そして、NFUが実現可能な理由はいくつもあります。その内の三つでも多くの人を説得することは可能ですが、最初に五つ挙げておきます。プレゼンテーションに使ったスライドをコピーします。

1_20241007130701

このうちの三つだけで十分に意味は伝わりますので、その三つに絞りましょう。

2_20241007130701

比較的短時間で説得ができるという自信が付いたら、説得してみましょう。最初の一人が納得してくるまでには時間が掛かるかもしれませんが、その後は、二人で一緒にというやり方もありますし、クラス会で発表したりという機会もあるかもしれません。

3_20241007130701

ネズミ算は悪徳商法などにも使われますので、注意が必要ですが、しっかり胸に刻み込んでおいて貰いたいのは、「目的が純粋なら、必ず成功する」という言葉です。私の尊敬するジャーナリストから40年以上前に聞いた言葉です。「動機が純粋なら----」というバージョンもあります。

海外のジャーナリストを夏の間、広島と長崎に招待して自分たちの目で見、耳で聴いた被爆の実相と被爆体験を自らの筆で海外に伝えて貰うプロジェクトを始めた時、いろいろ難しいことがあったのですが、Yさんがこの言葉で激励してくれました。

純粋な動機で理想を広げて行く、そんな広がり方を一つの図として描いてみると、このような結果になります。

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 これを被爆80周年にスタートする記念プロジェクトの中間目標にしたいと考えています。

 

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[2024/10/7  人間イライザ]

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2024年10月 6日 (日)

#内灘闘争の歴史を学ぶ ――#JR総連中国地方協議会第38回定期委員会2部――

#内灘闘争の歴史を学ぶ

――#JR総連中国地方協議会第38回定期委員会2――

241005

#内灘村の西尾雄次町議の挨拶に耳を傾ける

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JR総連中国地方協議会第38回定期委員会2部で、被爆80周年に当たる来年からの核廃絶運動の可能性について話をさせて頂きました。講演会も盛り上がったのですが、この会に来賓として出席されていた西尾雄次内灘町議会議員の短い御挨拶とその後の会話から多くのことを学ばせて頂きました。

「内灘闘争」については、内灘町の公式ホームページに詳しく記されていますが、その冒頭、概略を先ずはお読み下さい。

内灘闘争は、砂丘を舞台に取り組まれた戦後初の基地反対闘争です。1952(昭和27)年在日アメリカ軍は、朝鮮戦争を背景に日本での砲弾試射場の提供を要求、政府は内灘を候補地としました。これに対し、地元住民は反対運動に立ちあがり、政党、労働団体、学生、知識人などの支援を得て、全国的に注目される基地闘争へと拡大しました。しかし、1953(昭和28)年3月からは試射が始まり、政府は試射場の永久使用を決定、これに対する住民の陳情や座り込みが繰り返されました。その後、村内の分裂、試射の強行などによって運動は次第に弱まり、1953(昭和28)年9月、内灘村は試射場として使用を認めました。この闘争は、全国の基地反対闘争に大きな影響を与え、「草の根民主主義への出発点」と高く評価されています。

西尾議員は温厚で、芯が強く、筆の力で多くの人を感動させることのできるまれな政治家です。議員が2013年にお書きになった、「内灘闘争の概要と労働組合支援の背景」(「風と砂の館資料から探る内灘闘争傘下の諸組合活動」内灘闘争60周年記念事業)をお読み頂きたいのですが、回を改めてこのブログに掲載させて頂く積りです。

市民運動の草分けとも言われる内灘闘争は、元々生活の糧を突然奪われることになった内灘村民の「浜返せ」や、「金は一年、土地は千年」の合言葉そしてむしろ旗が象徴する、素朴な運動でした。集会やデモには、赤んぼを背負った多くのお母さんたちが参加していたことでも有名です。

西尾議員の報告には、19537月に東京で開かれた総評大会に参加して闘争への支援を訴えた「内灘での主婦5人による挨拶」を、大会参加者が度受け止めたかが記録されています。

「この大会を通じて最も感動的な場面は、内灘の婦人代表による挨拶であった。この5人のおばさんたちを見たとき、議場の人々はその思想と立場の如何を問わず人間として、日本人として内灘米軍基地化の全ての問題を諒解したのであった。簡明素朴なしかも切々たる訴えを聞き、心の底からの共感と憤りを持って、まさに熱狂的な拍手を送った。」

こうした内灘村民と、「再軍備反対」、「平和国家建設」、そして「民族の独立」を唱える労働組合員・学生たちという三つのエネルギーが合わさり新たなエネルギーを創り出す運動になったのでした。

特に、「民族の独立」の位置付けが重要でした。デモや集会では、赤旗に並んで日の丸がはためくいていたことが印象的だったとのことです。

私自身、内灘闘争は政治的に大切な存在であることをおぼろげながらに感じ取った、ある意味「原点」になった出来事でした。JR総連中国地方協議会第38回定期委員会は、その原点に戻る試みでもあったのではないかと考えています。

 

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[2024/10/6  人間イライザ]

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2024年10月 5日 (土)

#講演会で強調したこと ――#標語として御紹介します――

#講演会で強調したこと

――#標語として御紹介します――

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#分って下さった皆さんに感謝です

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JR総連中国地方協議会第38回定期委員会2部で、被爆80周年に当たる来年からの核廃絶運動の可能性について話をさせて頂きました。

とても盛り上がった講演会になり、この会に来賓として出席されていた西尾雄次内灘町議会議員の短い御挨拶とその後の会話から多くのことを学ばせて頂きました。

詳しくは、明日以降アップしますが、とても嬉しかったのは、私の強調したいくつかの点に共感して下さった方々が多かったことです。感謝の気持ちを込めて、強調した点を標語的に並べて紹介させて下さい。

最初はスライドにも掲げましたが、石破総理の「公約」についての記事中にも使いました。

  1. 期限の付いていない目標は夢にしか過ぎない
  2. 目標には「中間目標」を設けよう
  3. 動機が純粋なら必ず成功する
  4. 成功は信ずることから始まる
  5. 三人説得できれば成功は目の前
  6. 原点に戻れ

実は、これらの言葉はいろいろな機会に私の尊敬する先輩や先生から学んできたことなのです。並べてしまうと、「成功に必要な7つのルール」みたいなタイトルの本に出てくるような陳腐な言葉と受け取られかねません。

私にとってはそれぞれ意味のある言葉なのですが、その背景は気が向いたら公表します。今はエピソードと発言者の組み合わせを懐かしく思い出しています。

 

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[2024/10/5  人間イライザ]

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2024年10月 4日 (金)

#動物撃退用 #デバイス ――#光と音が出ます――

#動物撃退用 #デバイス

――#光と音が出ます――

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#効果が続けば良いのですが

 

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数日前に、続けて駐車場の床に猫のものだろうと思える糞が残っていました。かなり前には草むらの方だったのですが、その時は、ネットで撃退用のデバイスを買ってしばらく治まっていました。

今回は駐車場ですので、迷惑度が違います。撃退用のスプレーをかけてみましたが、それだけでは不安ですので、光と音で動物を撃退してくれるデバイスを試すことにしました。前を歩くとLEDの光が点きますし、音もしますので、効果はあるのでしょう。

糞が見付からない日の続くことを祈っています。

  

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[2024/10/4  人間イライザ]

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2024年10月 3日 (木)

#Walzの発音は #walls ――#Xでも話題になっています――

#Walzの発音は #walls

――#Xでも話題になっています――

241003

#私には「ウォルツ」に聞こえますが #「ワルツ」ではないそうです

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アメリカの大統領選挙で民主党副大統領候補のTim Walzさんの発音で、マスコミがちょっと揺れています。最初の内は、「ワルツ」と「ウォルツ」、「ウォルズ」が混じっていたのですが、最近は「ウォルズ」に統一されたようです。

でも私には、「ウォルツ」と聞こえてしまいますので、アメリカのサイトを調べていたのですが、日本の「X」にも発信がありました。

三重大学名誉教授の奥村晴彦さんは、メディアでは「ワルツ」が多いという感想とともに、「ウォールズ」という発音が正しいと説明しているアメリカのサイトを引用してくれています。8月のポストですので、こちらの反応が遅くて済みません。

その返信としhirokoさんは、「ワルツ」が多いようだが、耳で聞くと「ウォルツ」に聞こえるとポストしています。

私が調べたアメリカのサイトで一番面白かったのは、MPR Newsfacebookポストでした。説明をしている女性が、壁にぶつかって、「この通り、walls (ウォールズ) ですよ」と体で示した後、舞踊会の動画を出して、「waltz」ではありませんと念を押しています。

最後は歌でまとめてありますので、30秒が楽しめます。

皆さんにも実際に、これらのサイトを御覧(お聴き)頂きたいのですが、「walls」の発音そのものが、仮名で書いた「ウォールズ」をそのまま日本語として読んだ時とは違っているように気がします。特に最後の「ズ」が、清音のように聞こえるのですが--。

私の耳が悪いからかもしませんが、皆さんにはどう聞こえているのでしょうか。hirokoさんのお子さんは「ワルツ」派のようです。

 

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[2024/10/3  人間イライザ]

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2024年10月 2日 (水)

#期限の付いていない目標は #夢にしか過ぎない --#石破総理の政策には期限付きのものが一つあります――

#期限の付いていない目標は #夢にしか過ぎない

--#石破総理の政策には期限付きのものが一つあります――

Napoleon_hill_headshot

ナポレオン・ヒル

Wikiwandから Public Domain

https://www.wikiwand.com/ja/articles/%E3%83%8A%E3%83%9D%E3%83%AC%E3%82%AA%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%92%E3%83%AB

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石破総理の写真ではなく、「期限の付いていない目標は夢にしか過ぎない」という言葉で有名な、ナポレオン・ヒルの写真です。彼は1937年、アメリカのベストセラーになった『頭を使えば豊かになれる』(もともとは、「Think and Grow Rich」というタイトルです) の中で、この言葉を使っています。

最初に掲げた警句も、元々は、「A goal is a dream with a deadline」ですが、その対偶を取って、「期限の付いていない目標は夢にしか過ぎない」を掲げています。

実は、政治的な公約とか政策を評価するに当って、この基準は力を発揮します。政治家や政党の本気度を測るための簡単な基準だからです。期限の付いていない「公約」を信用してはいけない、という「系」にもつながります。

石破総理が自民党総裁選挙で掲げた政策集には、全部で80項目ほどの「約束」が掲げてあるのですが、その中で唯一、「期限付き」のものがあります。(もう一つ、そう考えても良いものもあるのですが、ここでは割愛します。)

それは、【防災省(庁)の創設・事前防災の徹底】という項目の中の次の段落です。

・ 巨大自然災害(注)の切迫した危険や近年のさらなる風水害の頻発化・激甚化に対処し、国民の生命、身体、財産を守るため、速やかに人員・予算を大幅に拡充し、令和 8 年度中に平時から不断に万全の備えを行う専任の大臣が率いる防災庁を創設し、防災省の設置に向けた検討につなげます。

(注)首都直下地震、南海トラフ地震、日本海溝・千島海溝地震、富士山噴火など

「令和8年度中」という期限が付いています。この点だけでも、石破総理の覚悟が読み取れますので、全面的に応援したいのですが、せっかくここまで踏み込んでくれたのですから、もう一歩踏み出してほしいのです。

選挙前に、再度「防災省創設」を確認して、令和8年度などとケチなことは言わずに、選挙前、それが性急と言うなら選挙直後に、防災省を創って下さい。

 

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[2024/10/2  人間イライザ]

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2024年10月 1日 (火)

#レンゲ革命

#レンゲ革命

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#これで、美味しい具を残さずに済みます

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ラーメンやタンメン等、大好きな中華の汁物を食べるとき、何時も「勿体ない」と思いつつ、レストランを後にすることが多かったのですが、その大問題が解決しました。穴の開いたレンゲが登場したからです。

そもそもレンゲの使い方が間違っていたのかもしれませんが、大方平らげた丼の中に、まだ具が残っているのをレンゲで掬い上げようとしても、汁とともに丼の戻ってしまうのが普通だったのですが、この穴開きレンゲなら、残った具をスイっと掬い上げられます。

こんなに革命的なレンゲが登場したのですから、全国のラーメン屋さん、中華料理やさんで採用して貰えると、私たちラーメン・中華ファンのフラストレーションがかなり解消されるようになります。どんな賞が適切なのかわかりませんが、とにかく○○賞に値するのではないでしょうか。

 

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[2024/10/1  人間イライザ]

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