#コロンブス問題 #30年前にも取り上げました ――#なぜ #大切な点が #伝わらないのでしょうか――
#コロンブス問題 #30年前にも取り上げました
――#なぜ #大切な点が #伝わらないのでしょうか――
『夜明けを待つ政治の季節に』
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Mrs. GREEN APPLEというグループの新曲「コロンブス」のミュージックビデオが批判されています。
『朝日新聞DIGITAL』2024年6月13日号によると、「メンバー3人がコロンブス、ナポレオン、ベートーベンとみられる人物にそれぞれ扮し、ある島で類人猿たちと遭遇するという設定。メンバーが人力車を引かせたり、西洋音楽や乗馬を教えたりする場面などがあり、植民地主義を想起させるなどとSNSなどで批判が飛び交った。」とのことです。
この記事の中の南川文里 (ふみのり) 同志社大学教授のコメントが、問題点を的確に指摘していますので、一読をお勧めします。
この中のコロンブスについて、私個人として、アメリカ社会の評価の変化をその時々に感じてきた経験があります。中でも特に、1992年、コロンブスの「新大陸発見」500年後の、日米の受け止め方の違いに、思わず警鐘を鳴らした記憶が鮮明ですので、その報告を中心に何点かここに書き残しておきます。
今から65年前、1959年に高校生としてアメリカに留学しましたが、その年の10月に、コロンブス・デー・パレードに目を見張りました。歴史の時間でコロンブスのことは簡単に学びましたが、アメリカ社会、中でもイタリア系アメリカ人がコロンブスを英雄視し、国の休日になっていることさえ知らなかったのですから、これで目が開かれました。
しかし1980年代になると、コロンブスが「発見」したという視点ではなく、コロンブスや他のヨーロッパ人たちが南北アメリカを侵略し虐殺を行い、土地や財宝を略奪し、南北アメリカを植民地とした事実が広く共有されるようになり、コロンブスの単純な英雄視や絶対的な賛美は否定されるようになりました。当時はアメリカの大学で教えていましたが、コロンブスのついての批判的見方が大勢を占めていました。
しかし、大学としては休みの日として認めていましたし、公的にも祝日としては残されていました。州によっては、アメリカを発見したのは先住民だということを示すために、「コロンブスの日/先住民の日」という重なる意味の祝日にしているところ、また別の日に先住民の日を設けているところもあります。
そんな背景を背負って日本で生活を始めた1992年に、筑波大学の入学式で、新学長のノーベル賞受賞者、長くアメリカに住んでいた江崎玲於奈がコロンブスの「新大陸発見」500周年に因んだ式辞を読みました。
今回のMrs. GREEN APPLEと同じように、社会的影響力の大きい人の公的なスピーチで、マスコミも一斉に取り上げました。しかし、コロンブスに対しての批判は一切なく、「たとえそれが誤った仮説であろうとも、大胆にいろいろな思考をしてみることがなんらかの報酬を得るという一つの教訓になる」というメッセージだけが伝えられました。
なぜこのような取り上げ方が問題なのか、拙著『夜明けを待つ政治の季節に』(1993年、三省堂刊)で、10ページにわたって解説したのですが、その全文は近い内にこのブログの付録としてアップすることにして、まずは最初の問題提起の部分を引用します。
コロンブス再発見
学長の入学式演説
かつて、東大の卒業式における学長演説がニェースになる時代があった。三十年ほど前、茅誠司学長の「小さな親切運動に協力を」という演説の志の低さを嘆いたのは私だけではなかった。その時代、私たちは大学の果す役割にかなりの期待を持っていたのである。社会全体が大きく変り、大学も変化した今、大学の社会的役割も学長の演説昔とは期待のされ方違ってきた。マスコミが学長の演説を取り上げることもまれになった。私にとっては残念なことである。現実的ではないと批判されるかも知れないが、私は未だに、大学の果す役割に大きな期待を持ち続けているからである。
そんな風潮の中、マスコミが筑波大学の入学式での江崎玲於奈学長の演説をー斉に取り上げた。ノーベル賞の受賞者、外国からちの赴任、しかもこれまで大学で教えた実績がない等、異色学長の誕生に世間が大きな期待を掛けているからである。「期待」ではないにしろ、注目していることには間違いない。もちろん私も江崎学長の初仕事に期侍しでいた(そしてこれからの仕事に期待している)一人である。
マスコミの報道では、江崎学長の新入生へのメッセージは、だいたい次のようなものだということだった。すなわち、コロンブスの「新大陸発見」のように、仮にそれが誤った前提に基づいた行動であろうとも大胆に実行することが大切である。
この報道が本当なら、江崎学長の抱いている大学像と私の大学像はずいぶん違うことになる。それ以前の問題として、今の日本社会や政治が抱えている様々な問題を解決するために何が障害になっているのか、障害を取り除き問題点を解決し、新たな次の時代を迎えるための改革を行う上でどんな点が重要なのか等について、かなり認識が違っているように思えた。
教育や社会の大きな問題についての知的議論を盛んにするためにも、認識の違いをそのままにするのではなく、江崎学長の演説に対する問題提起という形で私の考え方を整理し直して一石を投じてみたい。
次回は、江崎演説の内容を紹介します。
今日一日が皆さんにとって素晴らしい24時間になりますよう
[2024/6/16 人間イライザ]
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