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2024年6月29日 (土)

#災害には #被害者がいる ――#今更ですが シリーズ 3――

#災害には #被害者がいる

――#今更ですが シリーズ 3――

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リンカーン (public domain)

市民の市民により市民のための市政

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東京都知事選挙を巡って違和感を持ったことを書き連ねています。前回に続いて取り上げているのは石丸候補が昨年928日に行った記者会見についての感想です。前回を再度お読み下さっても有り難いのですが、再度、Wikiwandからの概要を掲げておきます。

2022917日から19日の3連休中に、大型台風14号が中国地方に接近する中で、石丸は18日に千葉県で開催されたトライアスロン大会に参加していた。広島県においても18日から20日にかけて、この台風14号は強風と観測史上最大を更新する記録的な雨量(広島県土木建築局の安芸太田支所所管内)により各地道路・住居に大きな被害を与え、床下浸水も安芸高田市では1件が確認されている

石丸候補の言い分も含めると、18日中には安芸高田市に戻り、台風対策についても、市外に出る前には事前の準備万端整えていったし、当日も市長として陣頭指揮を執ったので問題はないということなのです。

休暇を取って自分の趣味に時間を使い、予想された台風が実際に猛威を振るう前には公務に戻っていたし、被害もありはしたものの想定内だったのですから、それで「お仕舞」で良かったのではないかと大方の人は考えたようです。

しかし、928日の記者会見で石丸(当時の市長、今は候補。以下候補と言います。)候補は、この件には触れない記者たちに向って、わざわざ、なぜこの件についての質問をしないのかと疑問を呈した上で、

・トライアスロンに行ったのは計算ずくで狙ってのことだった。

・それは話題作り、つまりネタにするため。

・お手本は、2019年に千葉県を襲った台風の際の森田知事の言動が炎上したこと。

という解説を丁寧にしています。

千葉で行われたトライアスロン大会の参加者にはお金持ちが多く、それがひいては安芸高田市のためになるという説明までしているのですが、ネタに使おうとした「災害」には被害者がいることにはまったく触れていません。その中には2019年の台風で被害を受けた千葉県民もいるのですが、お金持ちについての言及はあっても、千葉県の被害者には触れずじまいです。

SNSのフォロワーが増えるという目的のためには周到な準備をして、災害さえネタとして使うということの是非は明らかでしょう。災害を弄ぶこは許されません。それは災害には生命、生活、財産その他多くの面での被害者がいるからです。生命そのもの、そして生活の場だけではなく、人生設計が狂ったり、精神的にも辛い思いをし、その後も長い間苦しむ人たちが多くいるからです。そして、そのことが「ネタ」として扱われることで多くの人が傷付くからです。

青臭いことを承知で繰り返すと、行政の役割、特に基礎自治体の役割は、災害が破壊してしまう生命や生活、財産や人生等、住民や市民の大切な価値を守ることです。災害だけではなく他のことが原因であっても、市民・住民の生命・生活・財産・人生等が破壊されないようにするのが、行政の帰任であり、その最終責任を担うのが、市町村長です。

特に災害時には、その役割が重くなることは改めて確認するまでもないでしょう。

私が市長に就任した時に、理想の市政として掲げたのは、リンカーンの言葉の都市版である「市民の市民による市民のための市政」でしたが、市民が嬉しいとき、悲しいときには真っ先に市役所に来てくれるような存在になれたらということも強調しました。

「市役所」というより「市長」という意味を込めた積りなのですが、市民の中には困ったときでも誰に相談に行けば良いのか分らなかったり、嬉しいことを一緒に喜んでくれる家族や友達がいない人もいるでしょう。そんな人たちでも、「市長」という言葉は知っているでしょうから、そこに相談に行く、話をしに行くということが気軽にできる存在としての行政を心掛けなくてはというメッセージです。実現することは難しいにしろ、目標として全職員に共有して貰うよう努力だけはした積りです。

台風が来るからと不安に思っていた時に、両親から、「大丈夫。お父さんたちがちゃんと守るから」と言われて安心して寝ることのできた思い出をお持ちの方もいらっしゃるのではないでしょうか。市長にもそれに似た役割、そしてそれを越した役割も果せます。

市長は常に市民と一体になって、市民の立場を守る義務があります。そして自らの生命を賭して市民を守るための仕事をする消防をはじめとする職員たちには、感謝の気持を伝えつつ、リーダーとしての責任を担わなくてはならないのが市長です。職員とも一体になってしこ度をするということです。

次回は、そんな気持で私が経験した災害のいくつかについてお読み頂きたいのですが、それに照らしての疑問です。

ネタとして使うために、ぎりぎりの時間まで市外で過ごし、テクニカルには市長の仕事をしたことになっても、それが、市長と市民の一体感を創り上げる上で役に立つものなのでしょうか。過去にリーダーとしての責任を果せなかった人についての報道振りを見て、その騒ぎを自ら作り出そうとする市長に一体感を持つ市民や職員が大多数だったのでしょうか。

  

今日一日が皆さんにとって素晴らしい24時間になりますよう

[2024/6/29  人間イライザ]

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