#災害対策は #チームワーク ――#1999年6月29日の記憶――
#災害対策は #チームワーク
――#1999年6月29日の記憶――
未曽有の土砂災害の中でのチームワーク
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東京都知事選挙を巡って、石丸候補が、マスコミSNSでの話題作り、つまりネタ作りのために災害を使っていたことを知りました。これまで、二回にわたって、なぜ私が違和感を持ったのかを説明してきましたが、その続きです。念のため、一回目と二回目のリンクを貼っておきますので、クリックしてください。
災害には被害者がいます。そもそも被害者がいなければ、災害という概念は成り立ちません。人災もありますが、ここでは自然災害を考えています。多くの場合、災害そのものの被害は避けられなかったから被害になったものです。あと少し早く逃げていたら、こんなに低い土地に家を建てなければ等々、被害後には、自分たちの力で何とか出来たのではないかという思いに駆られることも多いでしょう。
できれば時間を巻き戻して、死や喪失、惨害や悲劇そして絶望に襲われる前に戻ってくれないかと願うのも、目の前の悲しみに「何故」を見付けようとする働きなのかもしれません。
頭では分っていることですが、それは不可能です。こうした「理」は、それでも私たち自身が生き続け生活しているという現実に裏打ちされ、「こんな悲しみを、悲惨な思いを二度とさせてはならない」という形で未来への時間が流れ始めます。
でもそれだけではありません。時が流れ始まるのは、そこに、「人」がいるからです。怪我の治療をしてくれたり、抱きしめてくれたり、話を聞いてくれたり、激励してくれたり、食べ物を料理してくれたりと、リストアップすれば限りがありません。
被災者を助ける立場と言えば、当然、災害時の救援に力を発揮してくれる消防や警察、そして自衛隊等が頭に浮かびます。自らの命を賭けてまで被災者のために頑張ってくれる姿には頭が下がります。その力が「チームワーク」の賜物だということは言うまでもありません。
そしてそのチームの全てのメンバーはチームの一員として、組織そのものとの一体感を共有して仕事をします。他のメンバーとその場に一緒にいて仕事をするのだという意識は、身体浸み付いていると言っても良いでしょう。キャプテンだとか、リーダー党名称は違ってもそのトップには、さらに責任者という重みも加わって、チームとの一体感が増しても不思議ではありません。
しかし、こんな組織論を超えて、災害の際の体験は、重く深くしっかりと脳裏にそして胸の奥に刻まれるものなのです。
《1999年6月29日》
これを書いているのは6月29日ですが、奇しくも丁度25年前の1999年6月29日に、広島地方は大豪雨に襲われました。議会開催中でしたが、議場の屋根に落ちる雨の音が大きくて、それ以外の何の音もしばらくは聞こえないほどでした。雨以外の何物も存在しないと言っても良いくらいの大きさでした。またその後の被害も想像を絶していました。広島県内で、死者は32人、土石流は139か所、がけ崩れが186か所、床上、床下浸水合わせて4,000戸という数字が残っています。
市の講堂に災害対策本部を設置して、情報の把握、被害の拡大防止、被害者支援、復旧等の仕事を始めましたが、これほどの豪雨に遭遇するという経験は初めてであり、とは言えできる限りのことはしなくてはなりません。消防はじめ市役所が一体となって取り組みました。自衛隊にも出動を依頼し、私も徹夜覚悟で職員とともに指揮を執りました。
被害の状況も刻々と明らかになり、職員の表情にも悲痛さが加わってきました。そんな中、鮮明に印象に残っているのが、私立の保育所が土石流に襲われ、勤務中の保育士が土砂に呑み込まれているという報告でした。職員一同、手はつなぎませんでしたが、「何とか生きていて欲しい」という気持が一つになっていたことは、切々と感じ、私たちは祈り続けていました。
残念ながら、私たちの祈りは通じず、職員一人が帰らぬ人となりました。でも後日、御両親が市役所に来られた時には、市の職員が一つになって最後まで彼女の命とつながっていたことを報告することはできました。
災害についての思いは続きます。
今日一日が皆さんにとって素晴らしい24時間になりますよう
[2024/6/30 人間イライザ]
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