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2024年6月

2024年6月30日 (日)

#災害対策は #チームワーク ――#1999年6月29日の記憶――

#災害対策は #チームワーク

――#1999629日の記憶――

240629

未曽有の土砂災害の中でのチームワーク

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東京都知事選挙を巡って、石丸候補が、マスコミSNSでの話題作り、つまりネタ作りのために災害を使っていたことを知りました。これまで、二回にわたって、なぜ私が違和感を持ったのかを説明してきましたが、その続きです。念のため、一回目二回目のリンクを貼っておきますので、クリックしてください。

災害には被害者がいます。そもそも被害者がいなければ、災害という概念は成り立ちません。人災もありますが、ここでは自然災害を考えています。多くの場合、災害そのものの被害は避けられなかったから被害になったものです。あと少し早く逃げていたら、こんなに低い土地に家を建てなければ等々、被害後には、自分たちの力で何とか出来たのではないかという思いに駆られることも多いでしょう。

できれば時間を巻き戻して、死や喪失、惨害や悲劇そして絶望に襲われる前に戻ってくれないかと願うのも、目の前の悲しみに「何故」を見付けようとする働きなのかもしれません。

頭では分っていることですが、それは不可能です。こうした「理」は、それでも私たち自身が生き続け生活しているという現実に裏打ちされ、「こんな悲しみを、悲惨な思いを二度とさせてはならない」という形で未来への時間が流れ始めます。

でもそれだけではありません。時が流れ始まるのは、そこに、「人」がいるからです。怪我の治療をしてくれたり、抱きしめてくれたり、話を聞いてくれたり、激励してくれたり、食べ物を料理してくれたりと、リストアップすれば限りがありません。

被災者を助ける立場と言えば、当然、災害時の救援に力を発揮してくれる消防や警察、そして自衛隊等が頭に浮かびます。自らの命を賭けてまで被災者のために頑張ってくれる姿には頭が下がります。その力が「チームワーク」の賜物だということは言うまでもありません。

そしてそのチームの全てのメンバーはチームの一員として、組織そのものとの一体感を共有して仕事をします。他のメンバーとその場に一緒にいて仕事をするのだという意識は、身体浸み付いていると言っても良いでしょう。キャプテンだとか、リーダー党名称は違ってもそのトップには、さらに責任者という重みも加わって、チームとの一体感が増しても不思議ではありません。

しかし、こんな組織論を超えて、災害の際の体験は、重く深くしっかりと脳裏にそして胸の奥に刻まれるものなのです。

1999629日》

これを書いているのは629日ですが、奇しくも丁度25年前の1999629日に、広島地方は大豪雨に襲われました。議会開催中でしたが、議場の屋根に落ちる雨の音が大きくて、それ以外の何の音もしばらくは聞こえないほどでした。雨以外の何物も存在しないと言っても良いくらいの大きさでした。またその後の被害も想像を絶していました。広島県内で、死者は32人、土石流は139か所、がけ崩れが186か所、床上、床下浸水合わせて4,000戸という数字が残っています。

市の講堂に災害対策本部を設置して、情報の把握、被害の拡大防止、被害者支援、復旧等の仕事を始めましたが、これほどの豪雨に遭遇するという経験は初めてであり、とは言えできる限りのことはしなくてはなりません。消防はじめ市役所が一体となって取り組みました。自衛隊にも出動を依頼し、私も徹夜覚悟で職員とともに指揮を執りました。

被害の状況も刻々と明らかになり、職員の表情にも悲痛さが加わってきました。そんな中、鮮明に印象に残っているのが、私立の保育所が土石流に襲われ、勤務中の保育士が土砂に呑み込まれているという報告でした。職員一同、手はつなぎませんでしたが、「何とか生きていて欲しい」という気持が一つになっていたことは、切々と感じ、私たちは祈り続けていました。

残念ながら、私たちの祈りは通じず、職員一人が帰らぬ人となりました。でも後日、御両親が市役所に来られた時には、市の職員が一つになって最後まで彼女の命とつながっていたことを報告することはできました。

災害についての思いは続きます。

 

今日一日が皆さんにとって素晴らしい24時間になりますよう

[2024/6/30  人間イライザ]

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2024年6月29日 (土)

#災害には #被害者がいる ――#今更ですが シリーズ 3――

#災害には #被害者がいる

――#今更ですが シリーズ 3――

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リンカーン (public domain)

市民の市民により市民のための市政

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東京都知事選挙を巡って違和感を持ったことを書き連ねています。前回に続いて取り上げているのは石丸候補が昨年928日に行った記者会見についての感想です。前回を再度お読み下さっても有り難いのですが、再度、Wikiwandからの概要を掲げておきます。

2022917日から19日の3連休中に、大型台風14号が中国地方に接近する中で、石丸は18日に千葉県で開催されたトライアスロン大会に参加していた。広島県においても18日から20日にかけて、この台風14号は強風と観測史上最大を更新する記録的な雨量(広島県土木建築局の安芸太田支所所管内)により各地道路・住居に大きな被害を与え、床下浸水も安芸高田市では1件が確認されている

石丸候補の言い分も含めると、18日中には安芸高田市に戻り、台風対策についても、市外に出る前には事前の準備万端整えていったし、当日も市長として陣頭指揮を執ったので問題はないということなのです。

休暇を取って自分の趣味に時間を使い、予想された台風が実際に猛威を振るう前には公務に戻っていたし、被害もありはしたものの想定内だったのですから、それで「お仕舞」で良かったのではないかと大方の人は考えたようです。

しかし、928日の記者会見で石丸(当時の市長、今は候補。以下候補と言います。)候補は、この件には触れない記者たちに向って、わざわざ、なぜこの件についての質問をしないのかと疑問を呈した上で、

・トライアスロンに行ったのは計算ずくで狙ってのことだった。

・それは話題作り、つまりネタにするため。

・お手本は、2019年に千葉県を襲った台風の際の森田知事の言動が炎上したこと。

という解説を丁寧にしています。

千葉で行われたトライアスロン大会の参加者にはお金持ちが多く、それがひいては安芸高田市のためになるという説明までしているのですが、ネタに使おうとした「災害」には被害者がいることにはまったく触れていません。その中には2019年の台風で被害を受けた千葉県民もいるのですが、お金持ちについての言及はあっても、千葉県の被害者には触れずじまいです。

SNSのフォロワーが増えるという目的のためには周到な準備をして、災害さえネタとして使うということの是非は明らかでしょう。災害を弄ぶこは許されません。それは災害には生命、生活、財産その他多くの面での被害者がいるからです。生命そのもの、そして生活の場だけではなく、人生設計が狂ったり、精神的にも辛い思いをし、その後も長い間苦しむ人たちが多くいるからです。そして、そのことが「ネタ」として扱われることで多くの人が傷付くからです。

青臭いことを承知で繰り返すと、行政の役割、特に基礎自治体の役割は、災害が破壊してしまう生命や生活、財産や人生等、住民や市民の大切な価値を守ることです。災害だけではなく他のことが原因であっても、市民・住民の生命・生活・財産・人生等が破壊されないようにするのが、行政の帰任であり、その最終責任を担うのが、市町村長です。

特に災害時には、その役割が重くなることは改めて確認するまでもないでしょう。

私が市長に就任した時に、理想の市政として掲げたのは、リンカーンの言葉の都市版である「市民の市民による市民のための市政」でしたが、市民が嬉しいとき、悲しいときには真っ先に市役所に来てくれるような存在になれたらということも強調しました。

「市役所」というより「市長」という意味を込めた積りなのですが、市民の中には困ったときでも誰に相談に行けば良いのか分らなかったり、嬉しいことを一緒に喜んでくれる家族や友達がいない人もいるでしょう。そんな人たちでも、「市長」という言葉は知っているでしょうから、そこに相談に行く、話をしに行くということが気軽にできる存在としての行政を心掛けなくてはというメッセージです。実現することは難しいにしろ、目標として全職員に共有して貰うよう努力だけはした積りです。

台風が来るからと不安に思っていた時に、両親から、「大丈夫。お父さんたちがちゃんと守るから」と言われて安心して寝ることのできた思い出をお持ちの方もいらっしゃるのではないでしょうか。市長にもそれに似た役割、そしてそれを越した役割も果せます。

市長は常に市民と一体になって、市民の立場を守る義務があります。そして自らの生命を賭して市民を守るための仕事をする消防をはじめとする職員たちには、感謝の気持を伝えつつ、リーダーとしての責任を担わなくてはならないのが市長です。職員とも一体になってしこ度をするということです。

次回は、そんな気持で私が経験した災害のいくつかについてお読み頂きたいのですが、それに照らしての疑問です。

ネタとして使うために、ぎりぎりの時間まで市外で過ごし、テクニカルには市長の仕事をしたことになっても、それが、市長と市民の一体感を創り上げる上で役に立つものなのでしょうか。過去にリーダーとしての責任を果せなかった人についての報道振りを見て、その騒ぎを自ら作り出そうとする市長に一体感を持つ市民や職員が大多数だったのでしょうか。

  

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[2024/6/29  人間イライザ]

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2024年6月28日 (金)

#災害を #ネタにする? ――#今更ですが シリーズ 2――

#災害を #ネタにする?

――#今更ですが シリーズ 2――

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災害には被害者がいます。そして災害対策はチームワークです。

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東京都知事選挙を巡って実に多種多様な人たちが、自分勝手な発言や表現をして自己アピール・他己アピールをしています。 (敢えて「自分勝手」と言わせて貰いますが、人間誰しも究極的には「自分勝手」だと考えることもできますので、それを前提にすると、ネガティブな意味だけにはならなくなります。「他己」もそれなりに使われています。)

政治の世界、それ以上に政治家の、あるいは選挙という環境を使ってのメリハリのなさに呆れています。醜悪とかスキャンダラスと言った言葉の方が適切かもしれません。誰かスカッとする候補の演説でも聞けば、爽やかな気持になれるのかもしれませんが、そのために上京するだけの余裕もありません。でも候補者の発言や発言拒否、選挙中の挙動について強く違和感を持った点がいくつかありますので、フラストレーションを溜めないために、ここで数点吐露させて頂きます。

このブログは、XにもURLを貼り付けて、より多くの皆さんの目に触れるよう努力していますので、自然に他の方の投稿にも触れる結果になっています。その中で、何人かの方がツイートされていた、2023928日の石丸伸ニ候補 (当時は安芸高田市長) の臨時記者会見の様子にびっくりしました。

世代の違い、価値観の違い、政治観や政治家として拠って立つ基本的枠組みの違い等、いろいろ理由があると思うのですが、まずは皆さんも、昨年秋の彼の言い分を読んで下さい。テーマは、「台風接近中の千葉県でのトライアスロン大会出場」です。いきなり記者会見では分りにくいと思いますので、最初にWikiwandから概要を引用します。

2022917日から19日の3連休中に、大型台風14号が中国地方に接近する中で、石丸は18日に千葉県で開催されたトライアスロン大会に参加していた。広島県においても18日から20日にかけて、この台風14号は強風と観測史上最大を更新する記録的な雨量(広島県土木建築局の安芸太田支所所管内)により各地道路・住居に大きな被害を与え、床下浸水も安芸高田市では1件が確認されている

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クリックして頂くと、画像は大きくなります。他に文字化された会見中の発言が見つかりませんでしたので、「取材不足」さんのYouTube画像からコピーさせて頂きました。連絡方法も分りませんので、「取材不足」さん、もし不適切でしたらお知らせ下さい。削除します。文字化した部分は37分21秒くらいからです。

[なお、記者会見の動画そのものは、安芸高田市の公式ページに掲載されています。そちらを御覧になった方が分り易いかもしれませんので、埋め込んでおきます。]

 

ここで注目して頂きたいのは、「これはやっぱりネタになる」です。ネタの構成要素は、トライアスロンと台風、つまり災害です。

私のリアクションは、「災害をネタにするな!」でした。

 「ネタ」という言葉を、私たち世代では日常的に使わない人の方が多いかもしれませんので、その定義を、お浚いしておきましょう。これもWikiwandからです。·  タネ」の倒語

  • 文材。話の種。
  • 転じて、人に笑いを起こさせる事物・行動・要素。
  • ガセネタの略。真実ではない、悪ふざけの言動。いかにも真実であるかのように語られる。即興的なものも含む。
  • 作品(小説、ゲームなど)の内容のうちの重要な部分。ネタバレを参照。
  • 手品などのトリック
  • 寿司用語の一つ。酢飯や海苔、カンピョウ等を除く寿司の食材のこと。
  • 犯罪などの証拠
  • シンナー覚醒剤等のブツ隠語

お笑い芸人さんたちが使う場合、「転じて、人に笑いを起こさせる事物・行動・要素」なのでしょうが、石丸記者会見では、「人に笑いを起こさせる」の代りに、「ネットで話題になり、(炎上する)」くらいでしょうか。

さて、元に戻って、私は、なぜ「災害をネタにするな」と反応してしまったのでしょうか。

まず、トライアスロンを考えましょう。それだけなら問題はないどころか、自分の住む町の市長がトライアスロンを趣味にしている!大会にも出ている!というだけで、多くの市民は「市長さん、すごい!」と称賛の声を上げることになった話題だったからです。それだけのインパクトのあるテーマです。

これだけでも立派な「ネタ」だと思うのは、「話題としてのレベル」が違うからでしょう。石丸候補が狙っていたのはそんな平凡な評価ではなく、「炎上」するような結果だったからでしょう。「炎上」にまで至ることを条件に加えましょう。

そのお手本になったのが、2019年の森田知事の災害時の炎上事件だったことを、石丸候補は自ら記者会見の中で述べています。森田知事の場合は、災害と帰宅とか散髪に行ったという災害時のプライベートな行動という組み合わせが問題にされました。

石丸候補の場合は、プライベートの方はトライアスロン、そして台風15号がちょうどその頃来襲するという予報があったという組み合わせです。

災害にトライアスロンという組み合わせがたまたま目の前にあったので、森田健作「師匠」のお手本を使って、それくらいの炎上が期待できると踏んだのでしょう。

「災害」が使える、と考えた訳も推測できます。組み合わせのもう一方が、例えば、「市役所主催のバーベキューを開きます」とでもいった、緊急性のないものだったら「1+1=2」にはならず、「1+0=1」という計算結果になるので、新たな定義の「ネタ」にはなりません。これも仮の話ですが、「災害」ではなく、何らかの補正予算案の協議という重大な予定が入っていたという状態だったとしても、延期も可能だということもあり、「ネタ」にはならなかったのではないでしょうか。

以下、私がなぜこんな違和感を持ったのかを説明しておきたいと考えています。老人の戯言ですが、市長として災害とどう関わってきたのかも交えながら、次回から何回かに分けてお届けします。

 

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[2024/6/28  人間イライザ]

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2024年6月27日 (木)

#渋沢栄一 を #毎日見たくはありません ――#今更ですが シリーズ 1――

#渋沢栄一 #毎日見たくはありません

――#今更ですが シリーズ 1――

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好き嫌いはいろいろありますので、難しいですが

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一週間後、73日に新一万円札が登場予定です。日銀が決めてしまつたことですので、今更ではあるのですが――。元々、毎日使う立場の私たちの意見など全く聞く気がない人たちの決定そのものへの違和感もあります。そして、渋沢栄一を毎日見たいかと問われると、答えは「No」です。

いろいろ理由はありますが、それはまたの機会にして、「では替りの人物はいるのか」と聞かれたとすると、答えは、「Yes」ですし、複数の候補が並んでいます。

例えば、広島出身の初の総理大臣だった加藤友三郎。昨年は彼の没後100周年ということで、軍縮に尽くした彼の業績を改めて振り返るためのシンポジウムを開催しました。そのホームページがこちらですので、御覧頂ければ幸いです。(シンポジウムの要約を載せた英語版もあります)

とは言え、友三郎は軍人でしたので、その点でお札には相応しくないという結論になりそうです。

その他の人と言えば、子どもの頃、一生懸命集めた「文化人切手」の肖像になった人たちはどうでしょうか。

第一次の「文化人」としては、次の18人がいます。Wikiwandから転載しました。左の日にちは、切手の発行日です。

    1949.11.3 野口英世 医学者、1876-1928

    1950.2.3 福沢諭吉 教育者、1835-1901

    1950.4.10 夏目漱石 文学者、1867-1916

    1950.5.23 坪内逍遥 文学者、1859-1935

    1950.9.13 九代目 市川団十郎 俳優、1838-1903

    1950.11.22 新島襄 教育者、1843-90

    1951.2.27 狩野芳崖 日本画家、1828-88

    1951.3.23 内村鑑三 宗教者、1861-1930

    1951.4.10 樋口一葉 作家、1872-96

    1951.5.9 森鴎外 文学者、1862-1922

    1951.9.19 正岡子規 俳人、1867-1902

    1951.9.21 菱田春草 日本画家、1874-1911

    1952.1.31 西周 哲学者、1829-97

    1952.8.25 梅謙次郎 法学者、1860-1910

    1952.9.26 木村栄 天文学者、1870-1943

    1952.10.16 新渡戸稲造 教育者、1862-1933

    1952.11.3 寺田寅彦 科学者、1878-1935

    1952.11.3 岡倉天心 画家、1862-1913

この中で、野口英世、福沢諭吉、夏目漱石等はもう登場していますので、残りの人たちの中からというと、例えば、新島襄とか、寺田寅彦など、如何でしょう。

もう少し範囲を広げると、第二次の「文化人切手」があります。これもWikiwand からの転載です。

    1992.11.4 関孝和 数学者、1642-1708

    1992.11.4 与謝野晶子 歌人、1878-1942

    1993.11.4 島崎藤村 文学者、1872-1943

    1993.11.4 鈴木梅太郎 化学者、1874-1943

    1993.11.4 渡辺崋山 文人画家、1793-1841

    1994.11.4 宮城道雄 邦楽家、1894-1956

    1994.11.4 速水御舟 画家、1894-1935

    1995.11.6 伊能忠敬 測量地図作者、1745-1818

    1995.11.6 西田幾多郎 哲学者、1870-1945

    1996.8.27 宮沢賢治 詩人、1896-1933

    1996.8.27 塙保己一 国学者、1746-1821

    1997.11.4 幸田露伴 小説家、1867-1949

    1997.11.4 安藤(歌川)広重 浮世絵師、1797-1858

    1998.11.4 滝沢馬琴 戯作家、1767-1848

    1998.11.4 藤原義江 声楽家、1898-1976

    1999.11.4 川端康成 小説家、1899-1972

    1999.11.4 葛飾北斎 浮世絵師、1760-1849

    1999.11.4 上村松園 日本画家、1875-1949

    2000.11.6 長岡半太郎 物理学者、1865-1950

    2000.11.6 中谷宇吉郎 物理学者、1900-62

    2000.11.6 中村汀女 俳人、1900-88

    2001.11.5 本居宣長 国学者、1730-1801

    2001.11.5 竹本義太夫 浄瑠璃語り、1651-1714

    2002.11.5 正岡子規 俳人、1867-1902

    2002.11.5 鳥居清長 浮世絵師、1752-1815

    2002.11.5 田中舘愛橘 地球物理学者、1856-1952

    2003.11.4 斎藤茂吉 歌人、1882-1953

    2003.11.4 北里柴三郎 微生物学者、1853-1931

    2004.11.4 小泉八雲 小説家者、1850-1904

    2004.11.4 イサム・ノグチ 彫刻家、1904-88

    2004.11.4 古賀政男 作曲家、1904-7

ここでは数学者、和算の権威、関孝和が入っていますので、彼が一押しです。音楽の分野も入っていますので、古賀政男なんてどうでしょうか。

日銀とすれば、GDPを押し上げるためには、できるだけ多くの人が一万円札を愛し、財布にたんまり一万円札を入れ込んで、たくさん使って貰いたいでしょうから、多くの人に愛される人物を世論調査でも何でもして調べるべきだったのではないでしょうか。

とは言え、キャッシュレスの時代にもなっていますので、結局一万円札には誰の肖像を使おうとも、好き嫌いは無視する、という方針だったのかもしれません。

その上で一つ別の例を持ち出しておくと、2000円札が不評でほとんど存在価値を失くしたことも覚えておく必要はあるのかもしれません。

 

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[2024/6/27  人間イライザ]

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2024年6月26日 (水)

#シチズン・サーモセンサーの復刻版 ――#父の日プレゼント――

#シチズン・サーモセンサーの復刻版

――#父の日プレゼント――

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懐かしく美しい時計です

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ちょっと日にちがずれましたが、息子たちからの父の日プレゼントです。

今年はたまたま、シチズンのサーモセンサーの復刻版が販売されたばかりでしたので、ついついリクエストをしてしまいました。言い訳としては、息子たちと共有できる話題の一つになれば、とでも言っておきましょう。

そんなに好きだった時計から遠ざかった理由の一つは、当時、老眼の症状が現れ始めて、ある日、飛行機から降りようと腰を上げた時に液晶部分が読めなくなっていたことでした。もう一つは、この時計にはデュアル・タイムの機能があるかのですが、世界各地を飛び歩くようになって、グローバル・タイムの機能が必要になったからです。

今は、遠近両用の焦点付きのメガネがありますし、グローバル・タイムどころか、田舎タイムだけになりましたので、機能的にも問題はありません。

しばらくは、懐かしさと美しさに浸る積りです。

 

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2024年6月25日 (火)

#ちょっと目を離した隙に ――#キュウリ が またも #巨大化――

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物差しなしには、うちのキュウリの話はできません

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このところ忙しくて、という中には上京していたことも入りますが、畑を見る暇がありませんでした。ようやく時間ができたので、雑草抜きをしようと囲いの中を見ると、またキュウリが巨大化していました。

物差しがないと話になりませんので、収穫してまな板の上に並べてみました。一番上のキュウリは、まだ普通で大きい方に入るくらいですが、あとは「巨大化」しています。

でも、実際に食べて見ると、味も問題ないどころかとても美味しいので、今年もキュウリの当たり年になりそうです。

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2024年6月24日 (月)

#久しぶりの母校 ――#樹木鬱蒼たる #キャンパスに なっていました――

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昔の図書館は、木の陰になってしまいました。

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今回上京したのは、核兵器に関する国連関係の国際会議に参加するためでしたが、私の出る予定になっていたパネルは、母校のキャンパスで開かれることになっていました。数年前もここで講演会がありましたので、何十年振りというわけではなかったのですが、前回はキャンパスをゆっくり見る時間はありませんでした。今回は「久し振りに」、それでもようやく半分くらい見ることができました。

大きく変わっていたことは二つあり、一つは、とにかく建物が増えていたこと。生協のあったあたりがとてつもなく変わり、その奥にさらに建物ができていました。

もう一つは、構内の樹木が考えられないくらい大きくなって、頭にあった昔の景色が一変していたことでした。

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正面の時計は見えますが、玄関は見えなくなっていました。

「喋りながら皆でお昼を食べる」という活動に釣られて入ったESSランチの会場だった広場も、樹木が大きくなり過ぎて、もう広場ではなくなっていました。

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ESSの部室があった一角です。

 

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[2024/6/24  人間イライザ]

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2024年6月23日 (日)

#トヨタ や #ホンダ等 の #認証不正問題 で #問題なのは #乗る私たちの安全 が忘れ去られている

#トヨタ #ホンダ等 #認証不正問題 #問題なのは

#乗る私たちの安全 が忘れ去られている

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台車というと頭に浮かぶのはこれですが

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トヨタやホンダまで「不正をしていた」ということでショックを受けていますが、その後の報道を読みながら、根の深さに呆れています。それは、車に乗る私たちの安全を最優先しなくては、という視点がメーカーからも国交省からもハッキリ出てこないからなのです。それとも、そんなことは誰にとっても当然なことなので、敢て、それを持ち出して議論する方がおかしい、ということなのでしょうか。

矛盾している点や、問題のある点、合わせて三点検証しておきましょう。最初にPresident Onlineにジャーナリストの磯山友幸さんが、「品質検査の偽装や書類改竄は「日本のお家芸」」とまで書いて糾弾しているのですが、記事のトップはトヨタの株主総会での豊田章男会長選任同意が、72%に届かず、他の役員よりと比べて最低だったことでした。確かに、株主からの評価が低かったとは言えるでしょう。

しかしそれでも、過半数を大きく超えている7割以上の株主に支持されていることを考えると、(以下は、株主という舘派からは当たり前なのかもしれませんが)、乗る私たちの安全性という問題意識は株主たちには共有されていないと考えられるのではないでしょうか。

次に、豊田会長と国交省それぞれの立場を第二と第三の問題点と呼びますが、そのことが良く分るのは、日経新聞の621日記事です。豊田会長の言葉と国交省の久保田秀暢次長の言葉を次のようなまとめをしています。

トヨタでは後面衝突試験で基準に定められた重さ1100キロの台車を衝突させるべきところ、1800キロの台車をぶつけたデータを国交省に提出していた。同社の豊田章男会長が「本来より厳しい試験」と説明したが、久保田氏は「重たい台車に対応して車を強固にすると、ブレーキや燃費など他の性能に影響する」と指摘。基準は実際の事故を基に定めており、メーカーが独自に基準を解釈する運用は認められないとの立場を強調した。

私たちが「普通に」考えると、豊田会長の言う通り、1800キロの台車をぶつけて壊れない車なら、1100キロの台車をぶつけて壊れない車より安全だろうと思います。「ぶつけて壊れない」というのは、単純化しての表現で、実際の検査では「壊れない」ことまでは要求していないでしょう。

さて、ここで疑問が生じます。1800キロの台車をぶつける検査の方が、ドライバーの私たちにより高い安全性を担保するということなら、豊田会長は、そもそもこの基準を作るときに、「ドライバーの安全」のためだからという理由で、1800キロテストをするよう国交省に迫って、基準そのものを変えさせなかったのでしょうか。

これまで何年もの間、「より安全な」を保証する、厳しいテストを繰り返しておいて、国交省にはより緩いテストであるかのような報告をし、結果として「陰徳を積む」行為をしてきたのは何故なのでしょうか。

次に国交省の言い分なのですが、台車の衝突試験とはいったい何を対象にしているのでしょうか。「重たい台車に対応して車を強固にすると、ブレーキや燃費など他の性能に影響する」とのことですが、それはそうかもしれません。では、台車の試験の中に、衝突して一部破壊された車体における、つまり試験後のブレーキの安全性試験は組み込まれていないのでしょうか。そう考えないと辻褄が合いません。

もっとも、1100キロでも、1800キロでも、車は破壊されてしまうのでブレーキのテストはしない、というのなら話の筋は通ります。だとすると、ここで久保田次長が問題にしているのは、それ以外の場合なのでしょうが、衝突して破壊されていない通常の状態で、しかも、当然、同じ車でブレーキのテストは行っているのですよね。そして、それは、仮定として重くなった車体に対して行われるはずですので、そこで問題が出れば、当然NGになるのではないでしょうか。

そして究極の疑問は、622日の毎日新聞の経済プレミアムに川口雅浩記者の書いた記事から読み取れます。その中で、ライバル社の専門家の言葉として、次のような言葉が出てくるのです。

 ライバルメーカーのエンジニアに尋ねると、「これまでに何度もある。衝突試験など、いくら事前に準備をしても、ダミーの人形が予想外の動きをすることがある。実際にぶつけないと結果がわからない。国交省の立ち会い試験でNG(不合格)となり、新車の生産を数カ月遅らせたこともある」と、“苦い経験”を語ってくれた。

これって、衝突試験は国交省立会いの下で行われているということではありませんか。目の前で使う台車そのものを、1800キロと検査官を騙していたのか、(目視では分らないにしろ、台車そのものには何かの印くらいは付いていないのでしょうか?)、立ち会った国交省のお役人も台車の重さを知っていたのか、さらなるマスコミの調査に期待しています。

 

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[2024/6/23  人間イライザ]

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2024年6月22日 (土)

#東京でびっくり ――#選挙ポスターと #ランチの行列――

#東京でびっくり

――#選挙ポスターと #ランチの行列――

240622

何のメッセージなのか分りませんが、やはり異常です

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仕事のため上京していますが、ホテルの近くで見付けて「ギョッ」としたこと二件の報告です。

一つは都知事選挙のポスター掲示板です。ニュースで聞いてはいましたが、目にするのでは大違い。でも、この前に立ち止まる人は私以外にはいませんでした。

もう一つは、ランチを待っているのでしょうか、大行列です。右奥の方は、通りの反対側にも、別の店に入るための行列が、通りを隔ててできていました。

240622_20240622135801

食べ物のない時代、行列は仕方なく何度もしましたので、今でも行列を見ると当時のことを思い出してしまいます。

気温もそれほどではなく、日差しも強くない日だったので待つのも大変ではなかったのかもしれません。

 

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[2024/6/22  人間イライザ]

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2024年6月21日 (金)

#ちょっと目を離した隙に ――#キュウリと #つるなしインゲン――

#ちょっと目を離した隙に

――#キュウリと #つるなしインゲン――

240621_20240621003101

キュウリは30センチ以上の大きさです

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ちょっと目を離している間に、キュウリがこんなに大きくなっていました。そしてつるなしインゲンもたわわに。

雑草対策が追い付いていないのですが、それでも野菜はどんどん大きくなっています。負けないように頑張らなくては!

 

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2024年6月20日 (木)

#コロンブス問題 (その5) ――#板坂元氏の #無知論――

#コロンブス問題 (その5)

――#板坂元氏の #無知論――

240619

進化論とは?

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シリーズはこれで終りです。江崎玲於奈筑波大学学長の1992年の入学式式辞の中のさわりを念のため掲げます。

大学を出るまでには、独立した人間になってもらわなくてはならない。独立の人間とは「自分自身で価値判断のできる英知」を持つ人間である。今後の人類の平和と繁栄という視点から重要なのは、たとえば大学で教えられる固定されたプログラムに「疑問を持ち、あるときは拒否したり、あるいはそれを改善したプログラムを作成するというような努力」の結果、「卓越したプログラムが創造できるような人間」になり、「グローバルな視野でものごとを考え」られることである。

同じ1992年のマスコミの報道について、ハーバード大学の板坂元氏は、社会進化論が根底にあることを指摘しています。彼の著書『老うほどに知恵あり』(PHP研究所、1994年刊)の中の「無知論」から引用しますが、これがどの大学でも良いのですが、その年の入学式の式辞だったら、と思うのは私だけではないでしょう。

*******************************

(前略)

極東とは、ヨーロッパが世界の中心で、近等・中東・極東と考えた時代の古臭い言葉だし、やはり一種の差別語だ。キップリングの「東は東、西は西」といった尊大な白人優越主義の考えに裏打ちされた言葉だから、いやしくもアジア人は使うべきではない。世界史という名で欧米の歴史を教えていた時代はもう過去のことになっているのだ。

ただし、テレビのタレントの挙げ足取りをするつもりはない。が、こういう発見という言葉を不用意・無反省に使うことを止すことかゆら日本人の国際化は始まると私は思っている。というわけは、19世紀以来欧米人が頑迷に抱きつづけできた社会進化論を葬り去る時が来ているし、日本人はその喪主の一人になるべきだと考えるからだ。

人類は動植物同様に進化する、と19世紀の学者たちは信じた。そして、最も進化したのが白人、つぎに黄色人種。いちばん進化が遅れているのが黒人、という図式を社会進化論者は描いた。だから、白人は自分たちより劣った人種を指導する責任があると彼らは考える。原住民たちにキリスト教を教え込むべきだ。彼らは、法律も政治も知らないから白人が治めてやらねばならない。経済も無知だから経済活動は白人がやって、彼らには原料と労働力を提供させればよい。こういった意識が十九世紀の帝国主義の根幹になり、白人たちはアフリカ、アジア、南米などに広大な植民地を作った。搾取と収奪は正しいことであり、神から許され励まされる所業であると彼らは信じていた。

そういう思想も政策も、今となっては、誤りであり白人の思い上がりであったことは、南アフリカの例を一つ取ってみてもわかることだ。

だが、私は、帝国主義北判をここでするつもりはない。注意しなければならないのは、白人から劣る人種と見なされた日本人が、明治維新以来、社会進化論の焼き直し版を信じ、アジアの盟主、アジシアの指導者という思想を作り上げ、ミニ帝国主義を実現しょうとしたことだ。「支那四億の盲しいたるたる民を救え」といったスローガンは、朝鮮半島を植民地にしたり、満州国を作ったりという尊大と横暴な愚挙を生み出して行った。それが大東亜共栄圏とか八紘一宇とかいうバブル思考につなが、やがて破算するに至ったことは詳しく述べるまでもない。

(後略)

*******************************

もっと多くのマスコミ人や芸能人が、1992年にこの文章を読んでいたら、とも思いますが、まず私たち自身が、もう一度背筋をシャンと伸ばして身を律することから始めるべきなのかもしれません。

 

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[2024/6/19  人間イライザ]

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2024年6月19日 (水)

#コロンブス問題 (その4) ――#広い視野から #コロンブスを見よう――

#コロンブス問題 (その4)

――#広い視野から #コロンブスを見よう――

240618

「授賞」のイメージ

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シリーズは続きます。江崎玲於奈筑波大学学長の1992年の入学式式辞の中のさびは次の一節です。

大学を出るまでには、独立した人間になってもらわなくてはならない。独立の人間とは「自分自身で価値判断のできる英知」を持つ人間である。今後の人類の平和と繁栄という視点から重要なのは、たとえば大学で教えられる固定されたプログラムに「疑問を持ち、あるときは拒否したり、あるいはそれを改善したプログラムを作成するというような努力」の結果、「卓越したプログラムが創造できるような人間」になり、「グローバルな視野でものごとを考え」られることである。

結論めいた部分に入るのですが、実は次の章のイントロとでも言える一文にしかなりませんでした。とは言え、お読み頂ければ幸いです。

拙著『夜明けを待つ政治の季節に』(1993年、三省堂刊) 298ページから301ページまでの引用です。

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より広い文脈でのコロンブス再発見を

コロンプスの例に関して江崎氏は、重大な(しかし技術的と言って良いだろうと思われる)誤りも犯している。氏は、コロンブスが「地球の円周を過小評価し、一方アジアのひろがりを過大に評価するという重大な誤認」をしたと述べている。その後で、「誤った仮説であろうと」「大胆に試行す」べきだと新入生に薦めている。だが、コロンブスは誤った仮説」』に基づいて行動したのではない。その時点では、真実なのか誤りなのか分らないが、おそらくそうであろうと彼が信じた仮説に従って行動したのである。しかも、コロンブスは当時の最先端の科学技術知識の持ち主であった。その知識に照らしての判断だったと考えて良いだろう。五〇〇年後の世界に住む私たちは、結果として彼の信念が、そして仮説が誤りであったことを知っている。しかし、航海を始めた時点では、そしてアメリカに到達した時点でもコロンブスにはその認識がなかったのである。その仮説を「誤った仮説」と捉えることは、時間という要素を無視しないと成り立たない上、仮説を基に行動すべきかどうか迷っている人の役には立たない。

となると、江崎氏の「誤った仮説であろうと」「大胆な試行」をすべきだというアドバイスの意味を考え直しておく必要がある。コロンブスと同じ立場からち考えれば、自分の信念に自信をもって実行すべきだということだろうし、江崎発言の「誤った」を善意に、「結果として誤り」と解釈すれば、結果として誤りであると判定されるかもしれないが、仮説あるいは前提が正しいかどうかはあまり気にせずに、信念に従ってまず実行することが大切だという意味になる。

もう一点、技術的な指摘を加えでおぉおくと、江崎演説の文脈では「仮説」という言葉より用語としては「前提」が適切なのではあるまいか。それは、コロンプスの目的が彼の「仮説」を証明することより、もっと世俗的な金銀財宝を手に入れることにあったからちである。利益を得るための大前提として、コロンブスは地球が丸いことを信じた。次に、技術的な説得の根換として、つまりより小さな前提として、東洋に至る距離を示し、航海のための資金を得たのである。

確かに、コロンブスの小前提は誤りだった。しかし、コロンブスの航海を「成功例」と考えるなら、成功の第一原因は大前提にあったと考えるのが自然である。地球が丸ければ、仮にコロンブスが「失敗」したとしても、第二、第三のコロンブスが現れて、遅かれ早かれアメリカに到達したと考えられるからである。もっとも、誰よりも早くアメリカに到達することが何より優先されなくてはならないと考える立場を取れば(その場合、全ての「競争者」は大前提を受け入れているという別の前提を設けるのが自然だから)、当然、小前提が大切になる。江崎氏は、この立場から発言したのかも知れない。

これは、江崎氏が次に「報酬」を持ちだしていることからもはっきりする。江崎氏が、コロンブスを役割モデザル、すなわち大学生のお手本として評価し薦めているのは、その結果として、後に続く人が「大いなる報酬を得」るからである。「大胆にいろいろな試行をしてみることがなんらかの報酬を得るという教訓にはなるだろう」と、いわば、セールスポイントにしているのである。もちろん「報酬」にはいろいろな可能性がある。

江崎氏の言う「報酬」が、コロンプスの「発見」に続いて起ったアメリカの侵略とアメリカ先住民族の文化文明の破壊を意味しているのなら、それこそ言語道断である。となると、周知のように、コロンブスの航海の目的が東洋の金銀財宝に代表される物質約な利益にあったこと、またその後の彼に対する評価にも照らして考えると、江崎氏は「報酬」という言葉で物質的な報酬あるいは世俗的な名誉を指しているのかも知れない。もしそうなら、「痩せたソクラテスにはなっても、太った豚にはなるな」と諭した、元東大学長の大河内一男氏と正反対のアドバイスになってしまう。江崎氏がそんな不見識なことを言うはずがない、という意味で「善意」に解釈すると、おそらく江崎氏の「報酬」は、アメリカ到達あるいは「新大陸発見」そのもの、科学の分野で言えばノーベル賞に値するような「新発見」そのものを指しているとしか思えない。この前所の下に議論を進めると、すぐ気が付くことは、「報酬」にも、そしてその具体的な内容である「新発見」にも肯定的な価値・意味があり、それは前にも述べたように西欧の白人の見方なのである。

江崎氏は、コロンブスという、特に今年は彼を取り巻いて様々な議論が行われている歴史的人物をお手本として取り上げ、コロンプスの持つ幅広い「意味」を全て捨象した上で、ノーベル賞獲得競争、挫え目に表現して科学者の業績競争という限られた文脈における意味だけを取り出して、西欧的歴史観を基に新入生へのアドバイスを行っている。ここで一言念のために付け加えておくと、私には江崎氏に悪意があったとは到底考えられない。日本の科学のレベルを上げ、ノーベル賞受賞者数を増やすため、懸命にアドバイスしている氏の声が聞えるような気さえする。

だが、科学の研究さえも教育や社会と切り放せないこと、仮にノーベル賞受賞の数が増えることが良いことだとしても (私は必ずしもそうは思わない。しかし、より重要な改革を行った結果として受賞者数が増えることは十分考えられる)、日本の社会を本質的に変えることがが私こはより本質的な問題だと思えるのである。

現在の世界が直面している大問題、たとえば、人口の爆発的増加も合めた環境の問題、南北間の格差の問題等は、「科学」あるいは「学問」対象を人工的に狭めた結果、長い間見過ごされてきたものがほとんどなのである。コロンブスの喩になぞらえれば、コロンプスの歴史的社会的な意味を無視し、「科学的」な部分だけに焦点を合わせた結果なのである。その反省として当然強調されなくてはならないのは、これまでの人為的な枠を外してより広い問題の把握を行うこと、すなわち、コロンブスの全体像を複数の視点から新たな枠組の中で問題にすることに他ならない。

江崎メッセージでは、現在の日本社会にとって大切なのは、まず視点を狭めた上で、コロンブスのように、前提の真偽にかかわらず大胆に行動することになる。私の違和感は、正にここにある。私の観察では、現在の日本社会が直面している大さきな問題のーつは、私たちの行動の前提に対して厳しい吟味を加えないこと、そして無批判に長いものに巻かれてしまうことであり、仮に前提が誤りだと分っていても、あるいは、それより相対的に良い選択があるにもかかわらず、そうした理性によるる判断は無視して、ことが進んでしまう現実である。具体例を挙げるスペースがなくなってしまった。この点については私の提言と共に次項で取り上げたい。

(925)

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次回は、『老うほどに知恵あり』(PHP研究所、1994年刊)の中の「無知論」から、短い引用を掲載します。キーワードは「社会進化論」、英語では「Social Darwinism」です。

 

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[2024/6/19  人間イライザ]

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2024年6月18日 (火)

#コロンブス問題 (その3) ――#江崎玲於奈学長 #式辞の問題点――

#コロンブス問題 (その3)

――#江崎玲於奈学長 #式辞の問題点――

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板坂元著『老うほどに知恵あり』と藤永茂著『アメリカ・インディアン悲史』

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江崎玲於奈筑波大学学長の1992年の入学式式辞の中のさわりは次の一節です。

大学を出るまでには、独立した人間になってもらわなくてはならない。独立の人間とは「自分自身で価値判断のできる英知」を持つ人間である。今後の人類の平和と繁栄という視点から重要なのは、たとえば大学で教えられる固定されたプログラムに「疑問を持ち、あるときは拒否したり、あるいはそれを改善したプログラムを作成するというような努力」の結果、「卓越したプログラムが創造できるような人間」になり、「グローバルな視野でものごとを考え」られることである。

ここで問題にしたいのは、1992年という時点で、コロンブスを取り上げたこと、そしてコロンブスについての評価は、江崎学長が理想として掲げた「独立した人間」という尺度で測るとどう見えるのかということです。

つまり、「新大陸発見」という大事を成し遂げたコロンブスに倣えということは、グローバルな視野から物事を考え、固定概念に疑問を持ち、拒否したり改善したりしながら、新たなプログラムを創造することになるのでしょうか。

拙著『夜明けを待つ政治の季節に』(1993年、三省堂刊)からの引用です。

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何故コロンブスなのか

私が違和感を持ったのは、主に二つの部分についてである。一つは、人間をコンピュータに引き比べて論じている点である。この点については、雑誌『世界』(19924月号)に掲載されたジョセフ・ワイゼンバウムMIT名誉教授の「イデオロギーとしての人工知能」を参照して頂くことにして割愛する。もう一つは、コロンブスである。

この二つを除くと、江崎演説は大学の入学式の学長挨拶として、氏が目標としている「楽しく出席できる」ほど魅力のある演説だとは思えないが、それは別次元の話で、特に批判すべき理由はない。しかし、コロンブスを無批判に、現在の日本の大学生のお手本として持ち出して来たことで、「自分自身で価値判断のできる英知」を持ち、「疑問を持ち、あるときは拒否したり、あるいはそれを改善」して「グローバルな視野でものごとを考え」られる人間になることが望ましい、というメッセージが別の物になってしまったのである。すなわち、アメリカで言行の不一致を指摘する場合の定型表現である”Do As I say, and not what I do.”日本語に訳すと、「私の言う通りにしなさい。しかし、私の行動を真似ては駄目ですよ」というものである。さらに、コロンブスの例の引き方にも大きな問題があり、結局、江崎演説が現時点での日本の大学生に対するアドバイスとして適切がどうか、疑問を感ぜざるを得ないのである。

江崎氏も指摘しているように、今年はコロンブスの「新大陸発見」後五〇〇年の一つの範目の年である。だが、「グローバルな視野でものごとを考える」のであれば、コロンブスを取り上げるに際して、当然、南北アメリカの先住民の立場を無視するわけには行かないはずである。その立場からは、「新大陸の発見」という言葉、そして考え方には大きな疑問符が付く。「新大陸」そして「発見」はあくまでも西欧の白人たちの視点からの言葉であり、考え方である。当時のアメリカに住んでいた人々の人権も所有権も全て無視した上で、唯一の価値ある「人間」として自分たち西欧の白色人種を規定した言葉である。

このような考え方に対して、通称「アメリカ・インディアン」、最近はアメリカ先住民(英語で

Native American)と呼ばれる人々が長い間異議を唱えてきた。しかも異議を唱える人の数は増えている。アメリカ合州国だけに話を限っても、一九六〇年代の公民権運動に端を発して、少数派に属する人々の権利の回復がここ二、三〇年の大きな社会運動になってきている。WASPつまり白人でアングロ・サクソン系の血筋を引き、キリスト教の中でも新教を信ずる人々の価値観や立場だけを正統的なものだと認める暗黙の前提が洗い直されて来たのである。もう少し大きく括ると西欧の白人ということになるが、彼ら/彼女らの立場、視点から世界を見た世界史を唯一の「世界|史」だと考える歴史観に対する異義の申し立てが行われてきたのである。

ハリウッドでさえ、主役の善人である白人のカウボーイや騎兵隊が、悪者「インディアン」を懲らす「勧善懲悪』映画は、もはや作らなくなっている。ヤクザの視点からの勧善懲悪映画や、何百年も前の価値観に疑問答さえも付けない男尊女卑、お上が常に善を代表する時代劇が未だに大手を振っている日本と好い対照である。

歴史の教科害におけるアメリカ先住民の記述もここ二十年でかなり改善された。たとえば、「アメリカ・インディアン」という言葉自体アメリカをインドだと誤認したコロンブス時代の残滓であり、一方的な価値観を代表する用語であるとの認識に基づいて、「アメリカ先住民」という用語が市民権を得ている。大学の一般教養で教えられる世界史やアメリカ史も、西欧偏重・WASP偏重を改めるための全学的な委員会を作った上で、カリキュラムの再検討をしたところが多い(参考までに報告しておくと、最近ではギリシャ・ローマの時代も含めて、世界の歴史における黒人の貢献が軽視されているという問題提起があり、アメリカの教育界はこの問題に取り組んでいる)。コロンブスのアメリカ到着以来五OO年経った今年の記念行事にしても「新大陸発見」という言葉はもちろん、このような歴史の考え方を何の反省もなく表面に出す種類のものは少なくなっている。

こうした反省が行われている最大の理由は、コロンブスの「-「新大陸発見」さらにその後の南北アメリカへのヨーロッパからの植民が、圧倒的な軍事力を背景にした侵略であり、豊かな社会と文化を完膚なきまでに破壊し尽した歴史的事実がより広く知られてきたことである。インカやアズテック文明を激亡させ、「北米インディアン」文明も消滅させた大きな罪に対する悔悟の気持が人類に芽生えてきたからである。遅きに失したとは言え、コロンブスの侵略以来五〇〇年経って、ようやく歴史的真実に世界が目を見開き始めたからである(コロンブスの「新大陸発見」がいかに残虐な侵略と略奪であったか、またその後の植民政策の具体的な罪悪については、最近多くの書物が著されているが、たとえば、ハワード・ジン著による『民衆のアメリカ史』(TBSブリタニカ刊)や藤永茂著「『アメリカ・インディアン悲史』(朝日選書)、トーマス・バパバージャー著『コロンブスが来てから』(朝日選書)を参照して頂きたい)

これまで世界の至る所で編纂された様々なレベルの「歴史」はほとんどの場合、勝者の歴史であり、勝者は自分たちの行為を正当化するため臆面もなく事実を曲げ真実を隠してきた。あるいは、敗者の側の視点や価値観は無視され、その存在さえも意味のないものと見なされたのであった。「新大陸の発見」という言葉は正にそういったっ歴史」を記述するための言葉である。

白人中心、ヨーロッパ中心、男性中心、キリスト教中心のこうした考え方が、西欧化された国々では正統な考え方として、「固定されたプログラム」の重要な一部として教えられてきた。当然、日本もその例外ではなかった。だが今、世界で起っているのは、このような「勝者」の歴史、「勝者」の論理に対して、「疑問を持ち、あるときは拒否したり、あるいはそれを改善したプログラム本を作成する」ことなのである。その結果、ただ単に力を背景にした歴史だけでなく、先住民の立場から歴史を見直し、未来を考えることが現在の私たちに必要不可欠であることが分ってきたのである。このような理解こそ「自分自身で価値判断のできる英知」なのである。

現代アメリカ社会の中で知的エリートの一員として生活してきた江崎氏が、このような複眼的コロンブス評価を知らないはずがない。自らのアドバイスを無視しただけでなく、科学や技術と社会や政治の動きとの関係がますます重要視されている今、コロンブスを一つの例として挙げるにしろ、なぜ、より広い立場から若者たちへのアドバイスを考えようとしなかったのか私には理解できない。

*******************************

コロンブスの「新大陸発見」後500年の年に、このような感じ方をしたのは私だけではなく、ハーバード大学で長い間教鞭を執った板坂元先生も、当時のマスコミに対して軽妙洒脱、同時に寸鉄人を刺す一文をものされています。

全文をお読み頂きたいのですが、『老うほどに知恵あり』(PHP研究所、1994年刊)の中の「無知論」です。次回、短い引用を掲載しますが、キーワードは「社会進化論」、英語では「Social Darwinism」です。

 

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[2024/6/18  人間イライザ]

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2024年6月17日 (月)

#コロンブス問題 (その2) ――#1992年 #江崎玲於奈筑波大学長 #入学式での式辞――

#コロンブス問題 (その2)

――#1992 #江崎玲於奈筑波大学長 #入学式での式辞――

240616

学長の式辞イメージ

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このシリーズでは、社会的影響力の大きい人やグループが、コロンブスについての長い間固定されてしまっていたイメージを広めるのは問題だという解説をしています。

今回は、1992年の筑波大学入学式で江崎玲於奈学長が、コロンブスを今回と同じような文脈でとらえた、式辞の内容を要約しておきます。

拙著『夜明けを待つ政治の季節に』(1993年、三省堂刊)からの引用です。

*******************************

江崎演説の内容

演説の内容について問題提起をするのだから、まず演説全文の趣旨を理解する必要がある。マスコミの報ずる数行を基に批判を行うことは、議論の仕方としては落第である。不十分かも知れないが、とりあえず筑波大学の雑誌っつくばスチューデンツ』に掲載された入学式の式辞を私なりに要約しておきたい。

江崎氏の式辞は、一口で言えば大学教育の意味を新入生に説明したものである。

入学式は「巣立ち」であり、大学ではこれから各自の「ブルー・プリント」(青写真)に従って人生の基盤を作ることになる。また人生の目的を見つけ自分の才能を見いだしそれを伸ばす所でもある。

入学の日はまた「船出の日」でもあり、五〇〇年前にスペインから船出をして新大陸を発見したコロンプブスのように、「たとえそれが誤った仮説てであろうとも、大胆にいろいろな試行をしてみることがなんらちかの報酬を得るという一つの教訓になる」。

また、近代科学は論理だけでなく、事実に基づいた証明を行う点に重大な意味があったのだが、コロンブスの新世界発見には「ヨーロッパが世界を制覇する歴史的根源」がこめられていた。

大学を出るまでには、独立した人間になってもらわなくてはならない。独立の人間とは「自分自身で価値判断のできる英知」を持つ人間である。今後の人類の平和と繁栄という視点から重要なのは、たとえば大学で教えられる固定されたプログラムに「疑問を持ち、あるときは拒否したり、あるいはそれを改善したプログラムを作成するというような努力」の結果、「卓越したプログラムが創造できるような人間」になり、「グローバルな視野でものごとを考え」られることである。

ここでの「プログラム」とは、コンピュータのソフトウェエアに相当するものであり、人間も動物もこの観点からちはソフトとハード両方を兼ね備えている。

長さ、そして語の具体性から判断すると、江崎学長が協調したかったことは、まず、創造的なプログラムを作ることの大切さ、そしてコロンブスの「新世界発見」から得られる教訓の二つ、ということになりそうである(もう一つ、「巣立ち」についてもかなり具体的な説明があるが、これは演説の枕の部分であり、主題とは関係が薄い)

何故コロンブスなのか

私が違和感を持ったのは、主に二つの部分についてである。一つは、人間をコンピュータに引き比べて論じている点である。この点については、雑誌『世界』(19924月号)に掲載されたジョセフ・ワイゼンバウムMIT名誉教授の「イデオロギーとしての人工知能」を参照して頂くことにして割愛する。もう一つは、コロンブスである。

*******************************

 次回は、違和感を持った二つの部分のうち、コロンブスについての説明です。

 

今日一日が皆さんにとって素晴らしい24時間になりますよう

[2024/6/17  人間イライザ]

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2024年6月16日 (日)

#コロンブス問題 #30年前にも取り上げました ――#なぜ #大切な点が #伝わらないのでしょうか――

#コロンブス問題 #30年前にも取り上げました

――#なぜ #大切な点が #伝わらないのでしょうか――

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『夜明けを待つ政治の季節に』

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Mrs. GREEN APPLEというグループの新曲「コロンブス」のミュージックビデオが批判されています。

『朝日新聞DIGITAL』2024613日号によると、「メンバー3人がコロンブス、ナポレオン、ベートーベンとみられる人物にそれぞれ扮し、ある島で類人猿たちと遭遇するという設定。メンバーが人力車を引かせたり、西洋音楽や乗馬を教えたりする場面などがあり、植民地主義を想起させるなどとSNSなどで批判が飛び交った。」とのことです。

この記事の中の南川文里 (ふみのり) 同志社大学教授のコメントが、問題点を的確に指摘していますので、一読をお勧めします。

この中のコロンブスについて、私個人として、アメリカ社会の評価の変化をその時々に感じてきた経験があります。中でも特に、1992年、コロンブスの「新大陸発見」500年後の、日米の受け止め方の違いに、思わず警鐘を鳴らした記憶が鮮明ですので、その報告を中心に何点かここに書き残しておきます。

今から65年前、1959年に高校生としてアメリカに留学しましたが、その年の10月に、コロンブス・デー・パレードに目を見張りました。歴史の時間でコロンブスのことは簡単に学びましたが、アメリカ社会、中でもイタリア系アメリカ人がコロンブスを英雄視し、国の休日になっていることさえ知らなかったのですから、これで目が開かれました。

しかし1980年代になると、コロンブスが「発見」したという視点ではなく、コロンブスや他のヨーロッパ人たちが南北アメリカを侵略し虐殺を行い、土地や財宝を略奪し、南北アメリカを植民地とした事実が広く共有されるようになり、コロンブスの単純な英雄視や絶対的な賛美は否定されるようになりました。当時はアメリカの大学で教えていましたが、コロンブスのついての批判的見方が大勢を占めていました。

しかし、大学としては休みの日として認めていましたし、公的にも祝日としては残されていました。州によっては、アメリカを発見したのは先住民だということを示すために、「コロンブスの日/先住民の日」という重なる意味の祝日にしているところ、また別の日に先住民の日を設けているところもあります。

そんな背景を背負って日本で生活を始めた1992年に、筑波大学の入学式で、新学長のノーベル賞受賞者、長くアメリカに住んでいた江崎玲於奈がコロンブスの「新大陸発見」500周年に因んだ式辞を読みました。

今回のMrs. GREEN APPLEと同じように、社会的影響力の大きい人の公的なスピーチで、マスコミも一斉に取り上げました。しかし、コロンブスに対しての批判は一切なく、「たとえそれが誤った仮説であろうとも、大胆にいろいろな思考をしてみることがなんらかの報酬を得るという一つの教訓になる」というメッセージだけが伝えられました。

なぜこのような取り上げ方が問題なのか、拙著『夜明けを待つ政治の季節に』(1993年、三省堂刊)で、10ページにわたって解説したのですが、その全文は近い内にこのブログの付録としてアップすることにして、まずは最初の問題提起の部分を引用します。

コロンブス再発見

学長の入学式演説

かつて、東大の卒業式における学長演説がニェースになる時代があった。三十年ほど前、茅誠司学長の「小さな親切運動に協力を」という演説の志の低さを嘆いたのは私だけではなかった。その時代、私たちは大学の果す役割にかなりの期待を持っていたのである。社会全体が大きく変り、大学も変化した今、大学の社会的役割も学長の演説昔とは期待のされ方違ってきた。マスコミが学長の演説を取り上げることもまれになった。私にとっては残念なことである。現実的ではないと批判されるかも知れないが、私は未だに、大学の果す役割に大きな期待を持ち続けているからである。

そんな風潮の中、マスコミが筑波大学の入学式での江崎玲於奈学長の演説をー斉に取り上げた。ノーベル賞の受賞者、外国からちの赴任、しかもこれまで大学で教えた実績がない等、異色学長の誕生に世間が大きな期待を掛けているからである。「期待」ではないにしろ、注目していることには間違いない。もちろん私も江崎学長の初仕事に期侍しでいた(そしてこれからの仕事に期待している)一人である。

マスコミの報道では、江崎学長の新入生へのメッセージは、だいたい次のようなものだということだった。すなわち、コロンブスの「新大陸発見」のように、仮にそれが誤った前提に基づいた行動であろうとも大胆に実行することが大切である。

この報道が本当なら、江崎学長の抱いている大学像と私の大学像はずいぶん違うことになる。それ以前の問題として、今の日本社会や政治が抱えている様々な問題を解決するために何が障害になっているのか、障害を取り除き問題点を解決し、新たな次の時代を迎えるための改革を行う上でどんな点が重要なのか等について、かなり認識が違っているように思えた。

教育や社会の大きな問題についての知的議論を盛んにするためにも、認識の違いをそのままにするのではなく、江崎学長の演説に対する問題提起という形で私の考え方を整理し直して一石を投じてみたい。

次回は、江崎演説の内容を紹介します。

 

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[2024/6/16  人間イライザ]

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2024年6月15日 (土)

#石棺で覆い #100年以上かける覚悟 ――#東電 も #このことは分っているはず――

#石棺で覆い #100年以上かける覚悟

――#東電 #このことは分っているはず――

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結局は放射能の減衰に頼る他はないのです

(環境省のホームページより https://www.env.go.jp/chemi/rhm/h29kisoshiryo/h29kiso-01-02-07.html)

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前回は、廃炉が不可能であるという二人の専門家による指摘と、そして京大の一つの研究所の比較研究の結果を取り上げました。まだお読みでない方のために、再度リンクを貼り付けます。

 ①  『アエラ』の20223月7日号に、小出裕章さんが、明確に「廃炉は不可能」と言っていますし、その説明も分り易く説得力があります。

②  『テレ朝news』の2023311日号では、元東工大の研究者、澤田哲生さんの「デブリを完全に取り出すのは不可能」という言葉を載せています。

③  スリー・マイル島とチェルノブイリという先例と福島の比較検証――京都大学大学院経済学研究科 フェローの竹内敬ニさんの再生可能エネルギー経済学講座の中の「福島原発事故の処理、廃炉は何年かかる?40年前の米TMI事故炉の廃炉も未着手」

そして本当は、「石棺」で覆うこと、そして100年も掛かることは、東電も承知の上で今の路線を突っ走っている可能性もあります。

とはいえ、私たちが合理的な判断で未来の作戦を立て直すために、原発によって発生する毒についての主要な注意点を簡略にまとめておきましょう。

(A)  放射性廃棄物 (ここで、「廃棄物」とは、人間の役に立たないので廃棄せざるを得ないものを指す。) は、元々の原料であるウランの採掘から始まって、原発の稼働や、その停止、停止後の処理等々、あらゆる場面で生産され、その量はいわば「指数関数的に増える」。

(B) 「廃棄物」とは、婉曲語法、または隠蔽語法で、人間に害を与える「毒物」であるというべきもの。

(C)  そして、その毒性の元である放射能を、無毒化することはできず、冒頭のグラフに示したように、毒性が減衰することを待つしか方法がない。

(D)  その間、これらの毒物と人間とをどう隔離しておくのかが問題であって、100年計画 (その単位で考えなくてはいけない長期的問題であるという意味で、100年経てば解決している問題だということを言いたいのではない。) を立てて、すでに大きな被害を与えてしまった人々には十分補償を行いながら、問題の発生責任者たちが覚悟を決めなくてはならない。

福島の過ちを繰り返してはいけないことは、広島・長崎を繰り返してはいけないことと同じ重さがあるのですが、科学的知見を元に考えると、そもそも人間が手を出してはいけないことだったのです。

そんなことを人類が考え実行してしまった心理的な背景に、広島・長崎の悲劇の重さを謙虚に受け止めることができず、「理想のエネルギー」を実現することで広島・長崎への償いをしたい、とでもいった「正当化」の気持ちとでも呼べるような動機が、どこかで働いていたのかもしれません。

 

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[2024/6/15  人間イライザ]

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2024年6月14日 (金)

#できないことを #できると言うのは #詐欺 ――#廃炉はできません――

#できないことを #できると言うのは #詐欺

――#廃炉はできません――

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2051年までには「廃炉」というのが東電の計画です

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「廃炉」という言葉がなぜ問題なのかというと、一つには、それが実現不可能な到達点を示しているにもかかわらず、言葉が使われ続け、それに対する批判がその裏に隠されてしまっているからです。

結果として多くの人の心の中には、それが実現可能な目標であるという印象が作られ、それを前提として物事を考えることに慣らされてしまうからです。つまり、「廃炉」が実現可能で、それを前提に考えるという習慣になってしまっているのです。

まず、廃炉が実現不可能であることの説明をします。と書いて、「そんなことは常識だから、その次から始めて」という反応はおそらく出てこないのではないかと思います。「廃炉は不可能」という事実が浸透していないのです。多くの皆さんは、「やっぱり」とは思っても、これまでの「廃炉は可能」という宣伝に毒されてしまっていると考えるべき理由です。

廃炉が不可能であるということは、これまで何人もの専門家が指摘してきました。

『アエラ』の20223月7日号に、元京大の研究者小出裕章さんが、明確に「廃炉は不可能」と言っていますし、その説明も分り易く説得力があります。

『テレ朝news』の2023311日号では、元東工大の研究者、澤田哲生さんの「デブリを完全に取り出すのは不可能」という言葉を載せています。

ここで「デブリ」とは、原子炉内部にあった燃料が溶け、さまざまな構造物と混じりながら固まったもの」(経産省作成の『廃炉の大切な話』から引用)を指します。そして、このデブリは放射線量が高く、これを外に取り出した後に、原子炉の建屋そのものを解体廃棄するという作業に進みます。

それが不可能であることを、専門家たちは指摘しています。

もう一点指摘しておきたいのは、時間という枠組みを同時に視野に入れた議論の大切さです。これまで、2019年に、デブリと思われる堆積物をつまみ出したというような報告がありますが、まだ、デブリを実際に外まで取り出した実績はないのです。

そして、これもまた理解に苦しむ表現なのですが、デブリの取り出し開始時期が今まで3回延期され、現在では2024年の10月くらいまでには開始ということになっています。それも、その取り出し量は耳かきいっぱい、つまり数グラムということだそうです。(毎日新聞経済プレミアム2024131日号)。理解に苦しむのは、取り出し開始時期は特定され、それが遅れているのに、(明示的にはうやむやな)取り出し終了時期は、一ミリも動いていないことなのです。

つまり、替えられたこちのない「廃炉」計画では、2051年までに880トンのデブリを全部取り出すことになっているのです。取り出し時期が遅れてもこれは不動なのです。単純計算すると、この取り出しを東電の主張通り2025年から始めたとして、1年間には33.8トンのデブリを取り出さなくてはならない勘定になります。ひと月あたりは、2.8トン、一日あたりでは94キログラムです。24時間稼働するとして一時間4キロ弱になります。

取り出すための機械さえ満足にできていない、その結果として、実際に取り出した経験はない。にもかかわらず、一時間4キロという速さで、危険物質を26年間続けて取り出すという計画には無理があるということは明らかです。こんな計画は常識としては受け入れがたいのではないでしょうか。

もっとも、それには「反例」があります。実行する機械もなく、実現した経験もなく、多くの人にとって「夢」としか考えられていなかった人間の月面着陸をやり遂げたアポロ計画は、ケネディー大統領が1961年に宣言し、1969年に実現しています。10年も掛からなかったのです。アポロ計画と福島原発事故とは何がどう違うのかも、考えてみるのに良い材料かもしれません。

そして今回は、スリー・マイル島とチェルノブイリという先例もあります。しかしながら、それらの例から見えてくるのは、やはり「廃炉は不可能」になってしまいます。(京都大学大学院経済学研究科 再生可能エネルギー経済学講座の中の「福島原発事故の処理、廃炉は何年かかる?40年前の米TMI事故炉の廃炉も未着手」参照)

最後に、できないことをできると、権力を持つ人たちが言い続けるのは、やはり詐欺行為だと言わざるを得ません。

 

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[2024/6/14 人間イライザ]

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2024年6月13日 (木)

#福島の学校 での #言葉狩り ――「#汚染水」は使えない――

#福島の学校 での #言葉狩り

――「#汚染水」は使えない――

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#廃炉」こそ 「#廃語」

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広島県原水禁の福島原発視察団がどのような勉強をしてきたのか、いのちとうとしさんが詳しいレポート (「福島レポート」と呼びます) を書いて下さいました。その中で、私も全く同感したこと、そしてそれをさらに広く共有したいことを、ここで取り上げます。

最初は、福島で「言葉狩り」が行われているというショッキングな事実です。福島レポートからの引用です。

引地さんの話しは、「ALPS処理水の海洋放出」の問題です。いま福島では、「汚染水」呼称が問題視され、3月の県議会では「汚染水」との表現を教育現場で認めない自民党の意見書が採択され、また「汚染水」と発言したひとが強いパッシングを受ける実態が報告されました。こうした現状の中で福島県平和フォーラムも「ALPS処理水」と表現していることが、紹介されました。もちろん、福島県平和フォーラムも発生するのが「汚染水」であるとしていますが、言葉狩りとも思える状況が広がる中で苦悩しながら運動を展開せざるを得ない実態が報告されました。

もう一つは、いのちとうとしさんが「最後の一言」として、掲げている提案です。これも引用します。

東京電力は、廃炉作業と言いますが、本当にこの名称で良いのだろうか?通常運転を終えて進める廃炉作業とは違うのだから、『原発事故処理作業』と名称を変えるべきでは。

私はもう一歩進めて、「廃炉」という言葉を「廃語」に追い込むキャンペーンを繰り広げられないかと考えています。それは、この言葉が出てくるたびに、福島原発事故という大きな悲劇は「廃炉」という段階で終焉する、しかもそれは、30年か40年かかれば達成可能なことなのだ、という誤った、しかも「原発はコントロール可能」というメッセージを、すべての人に振り撒いているからです。

その理由を次回説明します。

 

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[2024/6/13 人間イライザ]

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2024年6月12日 (水)

#ダメなものはダメ ――#社会には #最低限の常識 #というものがあります――

#ダメなものはダメ

――#社会には #最低限の常識 #というものがあります――

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#わたくしたちが守らないと、#これもなくなりますよ

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東京都知事選挙で、蓮舫さんが立候補の意思を固めたそうですが、それ以降、「蓮舫は批判ばかり」という趣旨の「批判」が、訳の分らない人たちの手で広まっています。

そもそも、「批判ばかり」というのも「批判」ですし、そればかりをネタにし続けるのは、正に「批判ばかり」していることになりますから、蓮舫批判そのものが論理的に破綻しています。

ここで「批判ばかり」という言葉を使う人たちの真意は、正論を述べる人たちに対する苛立ちを効果的な言葉で表したいということでしょう。そして口を封じたい。

かつては、つまり30年以上前に、社会党に対してこの言葉が投げ掛けられたことがありました。それに対して社会党の迷走が続いて、分裂、現在は社民党に引き継がれていますが、ノスタルジアを込めて、当時の社会党が果した役割にスポットライトを当てておきましょう。

土井たか子さんの言葉で、日本中がすっきりし、日本社会を改革しようという大きな力になったのは、「ダメなものはダメ」でした。批判だけをしているのではなく、「ダメなものはダメ」とハッキリ発言することが重要だったのです。

それが今の世の中では、「何でもあり」になってしまっているではありませんか。政治だけではなく、企業の不正は後を絶たず、犯罪も想像を絶するレベルに達しています。そのプレーヤーたちに共通しているのは、「反省」という態度さえ見えないことです。

問題を広げてしまうことになるかもしれませんが、その原因の一つは、社会全体のネジが緩んでいるからなのではないかと考えています。私たち一人一人についての状況に翻訳すると、私たちの体の中に、本来備わっているべき「ダメなものはダメ」という物差しがなくなっているから、あるいはその感度が悪くなっているからなのではないでしょうか。

「ダメなものはダメ」を復権させましょう。

 

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[2024/6/12 人間イライザ]

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2024年6月11日 (火)

#青梗菜 の #収穫 と #料理 ――#農薬を使っていませんので #虫食いです――

#青梗菜 #収穫 #料理

――#農薬を使っていませんので #虫食いです――

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#虫に食われた跡がたくさんあります

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庭の手入れや畑の世話の主目的は、きれいな環境に住むこと、美味しいものを食べることです。今日は美味しいものの方ですが、今畑で収穫したものをすぐ料理して食べられる便利さは何にも喩えられません。特に、外に出るのがまだ辛い時にはとても助かります。

ということで今日は青梗菜を収穫して、と言っても、一株二株引っこ抜くだけなのですが、それを料理しました。ハッパには虫が食べた後の穴が開いていましたが、虫そのものはいませんでしたので、水洗いして調味料を数種類足して油で炒めました。

意外に簡単でしたし、美味しくできました。

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[2024/6/11 人間イライザ]

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2024年6月10日 (月)

#抜き取った雑草の量はどう量るか? ――#10リットルバケツ、そして米袋です。――

#抜き取った雑草の量はどう量るか?

――#10リットルバケツ、そして米袋です。――

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#左にあるのが草抜きボーイです

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シャベルを使って雑草を一本一本ぬ抜いていた時代は、その日の仕事量、つまり抜き出した雑草は本数で数えることで十分でした。30本くらい抜くのに一時間掛かり、10リットルのバケツも一杯になってしまうので、それで一段落ということになりました。

ところが草抜きボーイを使い始めてからは、草抜きの仕事量を量る単位がバケツになりました。15分も掛からずにバケツが一杯になるからです。

一杯なったら米袋に移して、それも一杯になったら市のゴミ処理場に出すことになります。

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 楽に仕事をして、米袋一杯の雑草駆除ですので、それだけで達成感があります。

 

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[2024/6/10 人間イライザ]

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2024年6月 9日 (日)

#風邪でダウンしています ――#風に罹ったのは何年振りでしょうか――

#風邪でダウンしています

――#風に罹ったのは何年振りでしょうか――

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#私は横向きで寝ていましたが

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昨日から風邪に罹って療養中です。一日半、苦しんでようやく先が見えてきました。このところ風邪にもインフルエンザにも (そしてコロナにも) 罹ったことはありませんでしたので、何年振りでしょうか。

これからも「用心、用心」を心掛けなくてはなりません。

 

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[2024/6/9 人間イライザ]

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2024年6月 8日 (土)

#ジャガイモの試し掘り ――#あとひと月待った方が良さそうです――

#ジャガイモの試し掘り

――#あとひと月待った方が良さそうです――

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#葉は黄色になっているのですが

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キュウリが上手く育ってくれているので、ジャガイモはどうなのか、試し掘りをしました。そもそも、種芋を植えてから100日くらい必要だとのことだったので、最低6月末までは待たなくてはと考えていたのですが、違う意見も聞こえてきたのです。

一つは、葉が黄色くなったら掘っても良いのではないかというもの。もう一つは、70日くらいで十分食べられる大きさになっていたという、ある方のブログです。

YouTube情報をいくつか見てみると、とにかく試し掘りをするのが一番早そうだという結論になりましたので、試しに掘ってみました。

残念ながら、大きいものでもまだ4センチ。ゆっくり今月末まで待つことにしました。

 

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[2024/6/8 人間イライザ]

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2024年6月 7日 (金)

#キュウリの初収穫 ――#適度な大きさで#おいしい初物です――

#キュウリの初収穫

――#適度な大きさで#おいしい初物です――

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#上の方にも実が生っています。

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あちこち草取り、草抜き、草刈りをしていると、当然、栽培している野菜の育ち具合が眼に入ります。トマトもキュウリもナスも、そしてジャガイモも花を付けているのですが、中でもキュウリが元気です。

大のキュウリ好きを自認しているほどなのですが、自分で育てたキュウリを食べるのも楽しみの一つになりました。2年前には新しいレシピ―にも挑戦しています。

さて今年は少し早いのですが、キュウリを収穫しました。

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食べるのはこれからですが、一齧りしたところ、おいしさは抜群です。

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[2024/6/7 人間イライザ]

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2024年6月 6日 (木)

#Bluetoothスピーカー ――#草抜きに #役立ちます――

#Bluetoothスピーカー

――#草抜きに #役立ちます――

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#音は素晴らしいですし #防水加工もされてます

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このところ、畑仕事と庭の草取りに時間を取られています。「取られて」と言うのは、その仕事全てが快適な仕事ではないからです。特に「草取り」、「草抜き」、「草刈り」といった仕事はできれば時間を取りたくはない種類の仕事です。

少しでも快適になるような工夫もしていますが、その一つが、時間短縮のための便利な道具を使うことです。前回、前々回の「草抜きボーイ」「ズバッと草抜き」がそれに当ります。

それは、仕事そのものが単調になるという結果を生むことでもあります。単調に仕事にも良いことはあるのですが、単調さを紛らわすだけでなく、楽しい時間にすることも可能です。音楽を聴きながらの仕事にすれば良いのです。

イヤフォンという手もありますが、折角田舎に住んでいますので、それを生かしての解決策を採用してみました。庭一杯に広がる好きな曲を味わいながらという選択肢もあることに気付いたのです。

そのために、Bluetoothスピーカーを購入しました。Temuというショッピングサイトから、1000円ちょっとで、デザインも良く音質も満足できる「T&G」というブランドの製品を買いました。中国製ですので、リスクはありましたが、今の所良い買い物をしたと思っています。ファンクションキーもしゃれています。

ズバッと草抜きと草抜きボーイも順調です。

 

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[2024/6/6 人間イライザ]

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2024年6月 5日 (水)

#芝生の手入れ ――#革命的な #草抜きボーイ――

#芝生の手入れ

――#革命的な #草抜きボーイ――

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#腰楽 だけではありません #雑草抜きそのものが #こんなに楽になるとは

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前回は、「千吉 スパッと草抜き」のすばらしさを報告しましたが、今回はそれに勝る道具の紹介です。名前は「腰楽 草抜きボーイ」です。

3本の尖った鋼鉄の先端部を、雑草の深い根っこを囲むようにグサッと差し込んで、ハンドルを二三回転させます。ハンドルごと上に持ち上げると、雑草が三本の鋼鉄部の間に挟まって出てきます。バケツか何かの上でハンドルのボタンを押すと、雑草はきれいにバケツの中に。と読んで頂いてもイメージが湧かないかもしれません。まずは「before」と「after」の画像を御覧下さい。

S240604-beforeaftercollage

そして、どのように雑草を除去したのかの動画を撮ってみましたので、こちらも御覧下さい。字幕が自動的に出ない場合は、字幕の印をクリックして下さい。

 

何日間かは使い続けなくてはなりませんが、不具合が生じないか、また報告します。

 

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[2024/6/4 人間イライザ]

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2024年6月 4日 (火)

#芝生の手入れ ――#ズバッと草抜きで #雑草対策――

#芝生の手入れ

――#ズバッと草抜きで #雑草対策――

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#簡単な道具ですが #雑草抜きには役立ちます

(以下画像はAmazonの「千吉ズバッと草抜き」のものです

https://www.amazon.co.jp/gp/product/B0B38GXHKZ/ref=ppx_yo_dt_b_asin_title_o03_s00?ie=UTF8&psc=1

)

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昔から道具類にはこだわりがあります。原稿を書くための万年筆や、原稿用紙等から始まって、パソコンを使うようになってからは、自分で組み立てたものを使うほどです。

でも、10年ほど前に野菜を作り始め、芝生の手入れもしてきましたが、道具類について研究することはほとんどありませんでした。それが、YouTubeのお蔭ですっかり変りました。便利で効果のある農機具類がいくつも紹介されていて、私の無知に気付かされたのです。

その内の一つが、「千吉 ズバッと草抜き」です。根の深い雑草を抜くには、スコップで四方から先端を刺した上で、根っこから引っ張り上げていたのですが、少なくても4回の作業手順が必要です。

それが、この「スパッと草抜き」では、二回で済みます。① 草の根に刃先を打ちこみます。② そして、先端部に挟まった根っこを引き抜きます。

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難しいのは、最初の打ち込みです。柄が45センチあって、ABCチェアーに座って作業ができるので楽なのですが、目的の雑草の根にピタリと振り下ろすのには練習が必要です。もっもと2,3回練習した結果はまあまあでしたし、間違ったところに打ち込んでも、芝生に空気を注入することになりますので、無駄ではありません。

農機具遍歴は始まったばかりです。

 

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[2024/6/4 人間イライザ]

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2024年6月 3日 (月)

#富士山だけじゃない ――#黒い幕 で #隠したのは――

#富士山だけじゃない!

――#黒い幕 #隠したのは――

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#和光 の #ショウウインドウ

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上京すると必ず銀座に足を運びます。夜の銀ブラも乙なものですが、風情のあるものの一つが和光のショウウインドウです。

写真を撮ろうと近付くと、何やら黒い幕が出てきました。そのままショウウインドウをすっぽり隠してしまいましたが、隠されたのが下の金魚です。横からしか写真が撮れませんでしたが、圧巻です。でも窓ガラスには、街並みの反射が写ってしまっています。

240603

思うに、夜の和光ショウウインドウの写真を撮るために、背後の光の反射を遮る目的のための黒幕なのではなかったのでしょうか。タイミングが良く、こんな場面を写真に取れたことを喜ぶべきか、ショウウインドウの中を正面から写せなかったのを残念だと思うべきなのか、チョッピリ考えていました。

  

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[2024/6/3 人間イライザ]

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2024年6月 2日 (日)

#数の悪魔 の #読書会 ――#数学人の集い の企画です――

#数の悪魔 #読書会

――#数学人の集い の企画です――

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#関心のある方は御参加下さい

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二月に一度、Zoomでの会合を開いている「数学人の集い」は、明日、62日の午後7時から、エンツェンスベルガーの名著『数の悪魔』の読書会を開きます。以下、そのお知らせの内容です。

 

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62(),第10回の集いの「話題提供」は,「エンツェンスベルガー著『数の悪魔』を読む」がテーマです。

 『数の悪魔』は,1997年にドイツ語の原著が出版され,1998年に日本語訳が刊行されました。

『数の悪魔 算数・数学が楽しくなる12夜』丘沢静也訳,晶文社

ロバート少年が夢の中で「数の悪魔」と出会い,悪魔に(上手に)導かれて,さまざまな数学(易しい算数)の話題について考えを進めていく,という物語です。

取り上げられている数学の話題それ自身が,わかりやすくて面白いこともありますが,エンツェンスベルガーによる設定や展開の妙に加えて,丘沢静也さんによる日本語訳の上手さもあって,この四半世紀あまりで,60刷,どこかの新聞によると53万部も売れているそうです。

2024年度の「日本数学会出版賞」を受賞しました。

子どもから大人までが楽しめる数学書――とは言っても,ちゃんと読もうとすると,かなり手強い面もあります――が,これだけ長く,これだけ多くの人に読まれている,ということは,瞠目すべきひとつの「社会現象」と捉えることもできるでしょう。

そこで,今回,第10回の「話題提供」に取り上げてみることになりました。

 

コーディネーターは浜田忠久さんです。浜田さんは,『数の悪魔』の読書会やワークショップを何度も開催されてきました。

この春からは,立教セカンドステージ大学の「数理のマジカル・ミステリー・ツアー」という講義を担当され,『数の悪魔』を題材にしておられるそうです。

60名を超える履修者があって,大人たちがとても楽しんでおられるとか。

 

参加御希望の方は、世話人の亀井哲治郎さんまでメールでお申し込みください。メールアドレスは tetsu_kamei_1203@yahoo.co.jp です。

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[2024/6/2 人間イライザ]

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2024年6月 1日 (土)

#CLOVANoteが #使い易い ――#Wordのディクテーションより良いかもしれません――

#CLOVANote #使い易い

――#Wordのディクテーションより良いかもしれません――

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#iPhoneApp Storeから

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福島での視察中、何人かの方のインタビューをこのブログにアップしました。その際使ったのが、COLVA Noteという書き起こしソフトのアプリ版です。

話者を聞き分けて記録してくれますので、特に会議の記録には便利ですし、そもそもそんなことができるのは性能が優れているからです。AIを使っているせいもあるのでしょう。

さらに、無料で一月600分まで使えますので、通常の使い方なら何の問題もありません。

Wordのディクテーションとの大きな違いは、音声ファイルを読み込んで、それを書き起こしてくれる点です。

とにかく、毎日のように便利なソフトや機械に遭遇しています。全てを上手く使いこなしてはいませんが、勉強する機会の増えることは大歓迎です。

 

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[2024/6/1 人間イライザ]


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