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2024年3月 7日 (木)

#昭和23年 #最高裁判決 は #刑法を受け継いでいる ―― #1880年 に #時を移して #考えると良く分ります――

#昭和23  #最高裁判決 #刑法を受け継いでいる

―― #1880 #時を移して #考えると良く分ります――

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#憲法 は 変っても #刑法 は #そのまま に!

広島ブログ

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「憲法99条は法的義務ではない」という主張が、ほとんどの人には知られないまま静かに日本社会全体に広まり、公権力や大きな経済力を持つ人々の間では「法治国家」とも思えないような腐敗が進み社会や政治の劣化は止まるところを知らない。片や、もう一方ではそんな底流には気付かず、腐敗については慨嘆しつつも、半ば以上諦めてしまっている人が大多数を占めている――誇張とともに単純化して描くとこれが日本の現状だと思われます。大変悲観的な状況に見えるのですが、それを変えるために何ができるのかを考えています。

これを言い換えると、20年、30年というスパンで賃金は上がらず、ジェンダー・ギャップも世界最低の線を彷徨っていることに象徴される我が国の政治状況に対して、革命はもとよりストライキも起らない不思議さをどう理解し、それをどう変えて行くのか、ということを問題にしています。

一つの国としてあるいは社会として、憲法以上に大切な「何か」、つまり価値なり存在があり、それを守るために自然に行動してしまうことになっていると考えると、今の日本の状況に当てはまるようにも感じられます。となると、その「何か」は何なのでしょうか。

このような問題意識は、「数学書として憲法を読む」ことから生まれたのですが、その原因に近付く上でも、「素直に憲法を読む」姿勢から得られる視点が役立ちます。

その結果の一つとして、「憲法マジック」、つまり憲法には「○○である」と書いてあることを、最高裁判所の判決では「○○ではない」と判断している事例を分析して、その背景や歴史、そしてその目的等を理解するという作業に至りました。

憲法マジックの典型は、死刑です。そこに焦点を合わせて、「何か」を探って行きましょう。

憲法では複数の条項の簡単な論理的帰結として、死刑は禁止されていることが分ります。でも昭和23年の最高裁の判決では、死刑は合憲なのです。それが如何に非論理的なのか、また常識とはかけ離れているのかを『数学書として憲法を読む――前広島市長の憲法・天皇論――』では詳しく説明しましたし、ブログでも何回かに分けて、アップしました。

今回は、その一連の考察を元に、「時代錯誤」ではないかとまで思った記述から学べる点を取り上げます。最高裁判決の最後の部分です。

将来若し死刑について火あぶり,はりつけ,さらし首,釜ゆでの刑のごとき残虐な執行方法を定める法律が制定されたとするならば,その法律こそは,まさに憲法第36条に違反するものというべきである。前述のごとくであるから,死刑そのものをもつて残虐な刑罰と解し,刑法死刑の規定を憲法違反とする弁護人の論旨は,理由なきものといわねばならぬ。

本ブログの2月12日の説明を繰り返すと、

さて、ここで引っ掛かるのは「前述のごとくであるから,死刑そのものをもつて残虐な刑罰と解し,刑法死刑の規定を憲法違反とする弁護人の論旨は,理由なきものといわねばならぬ。」です。

つまり、この段落の前半の部分で述べたことから、「死刑そのものを残虐な刑罰」だと考えたり、「死刑の規定を憲法違反」だと主張する弁護人の論旨は「理由なきもの」だと言っています。

しかし、もう一度この段落を読んで下さい。確かに、火あぶり等、残虐な死刑執行事例は挙げられています。でも、死刑そのものが「残虐ではない」のはなぜかという理由はどこにも述べられていないのです。また、死刑が憲法に違反しないという理由も、この後段にも述べられていません。

これまで取り上げてきた最高裁判決の前段では「公共の福祉に反しない限り」という必要条件が述べられていることだけを理由に、死刑は「予想されている」と述べ、後段では、何の理由も示さずに、死刑が憲法違反だという論旨は「理由なきもの」だと断定しています。

結局、最高裁の判決では、理由を示さずに死刑が合憲だと主張しているに過ぎないのです。

最高裁の主張は、野崎昭弘著『詭弁論理学』(1967年、中公新書)に依れば、「強弁」だということになるのですが、詳しくは野崎先生に任せます。

しかし最高裁としては、この判決が論理的かつ法的にも問題がないと考えたのでしょうから、そう考える上での、隠された前提といったものが何であるのかを明らかにすることで、私たちには不可解な言説の意味が解き明かされるはずです。

そのためには、刑法の簡単な歴史が役立ちます。明治憲法が制定されたのは、明治22年(1889年)です。一方刑法は、現在「旧・刑法」または「明治15年刑法」として知られている「明治13年太政官布告第36号」として、1880年に成立し、1882年(明治15年)に施行されています。それが、より近代的な形になったのが、1907年に公布、翌年に施行された「刑法典」です。

ただし、刑罰の部分の骨格は、旧・刑法で固められ、刑法典ではそれを受け継いでいますので、死刑についての考え方は、既に、1880年の時点でまとめられているのです。

それ以前の措置として、1868年(明治元年)には焚刑が廃止され、1871年に磔刑が廃止されています。これらは「刑罰を簡略化し残酷な刑罰を廃止した」ことの一部ですが、梟首(または獄門、晒し首)、そして斬首は、旧・刑法によって廃止されるまで続きました。

[以上、詳しくは、Wikiwand の刑法を参照して下さい)]

そして、旧・刑法が成立した1880年の時点では、死刑が合法であることには議論の余地さえなく、問題は「残酷な刑罰」の廃止でした。

それに昭和23年の最高裁の判決を重ねると、ぴったり一致します。つまり、この判決は、旧・刑法そしてそれを受け継いだ刑法の考え方・価値観をそのまま述べているのです。

新たに日本国憲法が成立して2年、明治憲法を改正する形で憲法そのものは新憲法になったとしても、明治憲法以前に成立していた旧・憲法に盛り込まれた我が国固有の価値観こそ守り通さなくてはならない、という暗黙裡の願望が潜んでいたとすると、この判決の位置付けがなおハッキリするような気がします。

 

2024年も健康に留意しつつ、少しでも良い年にすべく頑張りましょう。

[2024/3/7 人間イライザ]

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