#阪神淡路大震災 の時に受けた #ショック
――#29年経って #暗黙の大前提 に目が向いてきたでしょうか?――
29年前には、「頭隠して尻隠さず」を心配しました
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阪神淡路大震災からもう29年。能登半島地震が重なり、1月が地震を思い起こさせる月になりました。月単位で、我が国が経験してきた自然災害、戦争等を列挙すると、3月は東日本大震災、6月は沖縄の慰霊の日、8月は広島・長崎・そして終戦記念日、9月は関東大震災と、毎月のように慰霊の日が続きます。
いつまでも悲劇を忘れずに、次に災害が起きるときには被害が少なくなるように、特に戦争は絶対にしないことを肝に銘じて政治も社会も動いてくれると良いのですが--。そして、この29年間には、少なくとも私たちの災害に対する意識は高まっているのではないかと感じています。
それは29年前、私が国会議員当時に毎週、執筆して有権者の皆さんに送っていた「アキバ・ウィークリー」の1995年1月19日号をお読み下されば、お分り頂けるのではないかと思います。
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[電話週刊誌 ・ アキバ・ウィークリー ・ 希望のメッセージ]
アキバ・ウィークリー第151 号 (1995年1月20日~1月26日) [1995年1月19日収録]
大震災の教訓を生かすために
――頭隠して尻隠さずの地震対策になってはいませんか――
皆さん、こんにちは。衆議院議員の秋葉忠利です。『アキバ・ウイークリー』第151号、1月4週号をお届けします。
今回の大震災についての様々な思いを、短くそして十分に表現するだけの力が私にはありませんが、改めて、亡くなられた方々の御冥福を祈りたいと思います。まだ建物の下敷になっている方々や行方不明の皆さんが一刻も早く救出されること、そして、怪我をされた方々が一日も早く良くなられること、さらに神戸、淡路島その他の被災地のできるだけ早い復旧を祈っています。
さて、この地震に関連して、幾つか問題提起をしたいのですが、それは同時に日本社会のあり方そのものについての問題提起でもあります。最初の問題は、私の経験に根ざしています。
実は長い間、私は私達日本人の考え方の中に、大地震が起ればどうしようもないのだ、そんな諦めの気持が強くあるのではないか、と思って来ました。それは二十年前の出来事が原因になっています。約二十年前の夏、アメリカの大学での仕事が一段落して、アメリカ永住の可能性を考えていた時でした。日本で夏休みを過ごすために戻って来たのですが、着いた夜かなり大きな地震がありました。マスコミでの地震報道も、東海大震災が何時起きてもおかしくない、という雰囲気で行われていました。
それまでアメリカで私が聞いていたのは、日本の地震対策は完璧であるということだけでした。勿論、日本の専門家や政府の言い分がニュース・ソースです。私も当然、それを信じていましたので、地震の話が出ると、確認の意味でこの話を持ち出していました。しかし、地震について友人達の話を聞けば聞くほど納得が行かなくなりました。心配になって質問を重ねました。日本に住んでいて本当に安全なのか。
万一地下鉄に乗っている時に地震が起きたとしたらどうする積りなのか。高速道路は本当に安全なのか。日本語の分らない人に、どう地震情報を伝えるのか等々、とにかく、沢山の質問をしました。しかし、私にとって満足できる答は返ってきませんでした。
そんなある日、私は、科学の専門家でもある親友のH君にたしなめられました。それは次のような趣旨でした---「君は、日本に住むか、アメリカあるいはその他の地域のどこかに住むかという選択が出来る。しかし、大多数の日本人にとって日本以外の場所に住むと言う選択はあり得ないのだ。仮に地震に対する十分な対策が存在しなくても、その危険な日本や東京に住まなくてはならない。それが現実であるときに、君だったら、危険であることを毎日考え続けるなんて事をするかも知れないが、殆どの人は、きっと大丈夫だろう何とかなるだろう、と信じて日常生活を送ることになる。それは不思議でも何でもない」---。
それで、私は初めて納得が出来たのです。
専門家までが、H君の言った通りに現実から眼を背けているとは思いませんが、日本社会全体として眼を背ける姿勢があるのなら、それが地震対策に反映されていてもおかしくはありません。無意識の裡に頭隠して尻隠さずの地震対策を取ってしまっているのではないでしょうか。その証拠は今回の被害を見るだけで充分だと思います。
私達が今回の教訓を生かすためにも、こうした、暗黙の大前提といったことにも目を向ける必要があるのではないでしょうか。
これで『アキバ・ウイークリー』第 151号を終わります。次号は1月27日にお届けします。 では来週まで、ごきげんよう。
秋葉忠利のメッセージは毎週金曜日に新しいテーマに変わります。
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以上、1995年1月19日号のメッセージでした。そして今、2024年1月に私が提案しているのは「防衛省を防災省に組織替えする」ことです。
2024年のこれからも心配ですが、健康に留意しつつ、少しでも良い年にすべく頑張りましょう。
[2024/1/18 人間イライザ]
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