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2023年12月 9日 (土)

#唐木順三 と #武谷三男 ――#科学者の社会的責任 についての論争です。――

#唐木順三 と #武谷三男

――#科学者の社会的責任 についての論争です。――

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唐木順三・武谷三男両氏の著書(出版されたのは、それぞれ1980年と1982年)

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来年は、アメリカで大ヒットした映画「オッペンハイマー」が日本でも公開されるとのことですので、物理学者、ひいては科学者や文化人・知識人等の社会的責任が話題になるかもしれません。その点について、40年以上前の論争の一部を紹介しておきましょう。私の考えでまとめるのではなく、論争の御本人たちの言葉で要点を知って頂くことに意味がはあると思いますので、以下唐木・武谷両氏の引用です。(以下、敬称は略し、旧漢字・旧仮名は常用漢字・新仮名に書き替えます)

まずは、唐木の著書に収められている1979年の日記の抄録の一部です。(158ページから159ページ)

昨日から、「科学者の社会的責任についての覚え書」を初から読みえしているが、まづまづの出來なり。今日は七十枚まで。

二月三日。

午前中に、「科学者の社会的責任についての覚え書」百十六枚の点検を了る。

なお先へ向つて書きたいが、今の体力ではすぐに書けそうにない。ただこの夏亡くなった朝永振一郎氏についてだけは、少々でもいいから書いておきたい。湯川氏よりも深いところから現代物理学、核物理学を考えている。夏、ガン研で亡くなられたが、その最後の執筆が、『物理学は何であらうか』(下卷)であり、その最後のところに、「罪」の問題が述べられていたと思う。とにかく湯川より一段深いところから発言していた。

 二月十三日。

「科学者の社会的責任についての覚え書」は、七月下旬の入院前に、たしか70余枚まで綴つたが、その後、ちちとして進まず、一週間ほど前、百数枚でペンを置いた。然し、それで終ったわけではない。残るのは、湯川の晩年(京都会議以後)に対する不徹底への批判。例えば「核兵器は絶対悪を信條」としながら、その兵器製造につながる道に、自らつらなったことに反省を欠くこと。簡単にいえば、二十世紀以後の物理学に対する自己批判が淡い。

それに對し、朝永振一郎氏は、その死の後に出た『物理学とは何だらうか』において、最近代科学者の罪の問題に触れている。雜誌『科学』(中公)の朝永振一郎特集号にも某氏がそれについて書いていた。この湯川、朝永両者の間の違いは重要である。このことを実証的に書きたかったが、体力整わず書けなかった。他日書ける狀態戻ったら書きたい。

 

唐木はアインシュタインも朝永同様かそれ以上に高い評価をしているのですが、その違いを表現する際にはかなり感情的になっているように思えます。そしてそれに対する武谷の反論も、感情的という点では引けを取りませせん。以下、武谷の朝永評の一部です。(173ページから174ページ)

学術会議会長朝永氏のやったこと

朝永氏は戦後一貫してサイクロトロンや大加速器をつくることに大変な努力をした第一人者であり、さらに学術会議会長としても努力をしていた。その彼が、核物理学がそんなに悪いものなら核物理学はやめろという提言をすればいい。それを一向にそういう提言も何もしないで、
いいかげんなことを書いている。岩波新書下巻の最後のは講演だ。だから病気になって死を前にして書いたものではない。講演を載せたのだ。いかにも原罪とかなんとか、あの人は洒脱な人だからね。

ところで朝永さんは大物理学者なのだが、どちらかというとテクニカルな人で、そんなに基本的なことを深刻ぶって悩み考える人ではない。大まじめにそんなふうにとられては困る。  「科学の原罪性」なんていう小見出しがついているんで、飛びつくのだろう。朝永氏は知識が原罪というのをいっている。旧約聖書の知恵の実、人間の原罪と同じ。だから科学はもともと原罪だという話につないだのだ。

あの人は秀才だから、ちょっとそういうことをいってみたいのだ。彼が真面目にそうだと思ったのなら、学術会議会長なんかになっているのはおかしい。もし朝永氏が自分の物理学の罪を本気で認めるのなら、それで取ったノーベル賞をはじめとしたあらゆる栄誉を返上しているはすではないか。

南極観測艦を自衛隊にくつつけたのも朝永氏だ。だから、彼のいっていることと彼の行動したこととはまるで違うのだ。それで結局唐木氏たちにほめられたものだから、その本がひどく受けて、朝日出版文化賞だかとった。大宅壮一賞か・・・。私のみるところ、湯川さんのほうが深刻で、朝永さんのほうが知的遊戯でいっているというタイプだ。

時代背景もずいぶん違いますし、人類の直面する課題の見方も変化しています。議論の仕方やその前提(暗黙裡のものも含めて)をどう把握しているのかも大きく変わっています。さらに人類滅亡の可能性についての認識も、環境問題そのものへの理解もまだまだの時代です。しかし、こうした先人たちの言説からも貴重な教訓が学び取れますので、敢えて資料としてお届けすることにしました。

 

最後に皆さんにとって、今日一日が素晴らしい24時間でありますよう!  

 [2023/12/9 人間イライザ]

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