#数学人の集い 第7回ミーティングの報告 ――#数学 に関わる人間の持つ #根源的責任 とは――
#数学人の集い 第7回ミーティングの報告
――#数学 に関わる人間の持つ #根源的責任 とは――
第8回は来年2024年の2月4日、日曜日です
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昨年、「数学人の集い」というこぢんまりしたグループでの活動を始めました。ここで「数学人」という耳慣れない言葉を使ったのは、何らかの形で数学に関わったり関心を持ったりしている方々にできるだけ多く参加して貰いたいという思いがあったからです。極端な場合、「数学は嫌いだ」という形で数学と関わっている人たちに参加して貰うこともあり得る、というくらい緩やかな集まりの積りです。
準備期間を経て、昨年12月から二か月に一回、偶数月の第一日曜日の午後7時からZoomでミーティングを開いています。第7回は12月3日に開きましたが、その際の参加者の皆さんの発言の中にいくつか報告したいことがあり、このブログの記事になりました。
一つは、「#数学人」あるいは「#数学人の集い」といった、ハッシュタグ付きの発信をして、私たちの活動を知って貰う努力をしてみたらどうかという提案です。それを受けて、このブログ記事と、それと連携している「旧ツイッター」での報告として皆さんにお知らせをしています。
もう一点は、このミーティングでUさんから指摘があり、私たちの多くもそれなりに感じていた重要なことです。それは、ウクライナやガザでの武力行使とその結果生じている惨状に、数学が深く関わっているという認識です。ミサイルは勿論ですが、爆発物等の武器で人や物を破壊・損傷するためには、数学の知識が使われています。そもそも、数を数えることが出来なければ、どんな技術も存在しないとさえ言って良いくらい、数学や数字は技術とその極悪の使用例である武器とは切っても切れない存在です。
念のためにお断りしておきますが、数学という学問の目的がこうした悲劇を作り出すことにあるのだ、といった断定をしているのではありませんし、数学を学ぶということ自体が悪だなどとは毛頭信じてもいません。
同時に、その数学を学び教え研究している数学者や数学教育者は、今進行しつつあるテロや戦争、虐殺等にどう関わって行くべきなのかと問うことは必要なのではないかと考えています。全く関係はないと言い切れるテーマではないのです。この問題提起に対して、「数学人」はどう向き合うべきなのか、私たちが自問自答しなくてはならないのです。
「数学人」としてだけではなく、この地球上に時を同じくして生き生活している私たちがどう関わるのかということも、同様に重いテーマです。
数学に関わることに付随してくる根源的責任、とでも言ったら良いのかもしれませんし、人間であることの根源的責任という風に広げた方が分り易いかもしれません。
簡単な答は見付からないかもしれませんが、このブログでも様々な視点から皆さんと共に考え、できれば行動につなげ、何らかの指針にでも辿り付くことになれば素晴らしいのですが---。
この項は、断続的に続きます。
最後に皆さんにとって、今日一日が素晴らしい24時間でありますよう!
[2023/12/5 人間イライザ]
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コメント
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「瀬川嘉之」様
コメント、有難う御座いました。御指摘の通りです。
「数学人」の当事者性を強調したかったのですが、もう少し推敲の上、誤解なきよう心掛けたいと思います。
投稿: 人間イライザ | 2023年12月 5日 (火) 11時45分
「数学という学問の目的がこうした悲劇を作り出す」「数学を学ぶということ自体が悪」どころか、人間が人間として生きるのに数学や科学は欠かせません。人間という存在そのものが生態系や自然界や地球や宇宙にとっていらない存在なのか、悪なのか。そうならないためにこそ数学や科学や学問や学術は必要です。人間一人ひとりがより善い世界をめざして生きるということではないでしょうか。
投稿: 瀬川嘉之 | 2023年12月 5日 (火) 10時12分