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2023年7月

2023年7月28日 (金)

コストコも完全に「広島化」しました ――そして多忙のため、ブログはしばらくお休みします――

コストコも完全に「広島化」しました

――そして多忙のため、ブログはしばらくお休みします――

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コストコでも、お盆灯籠を1,080円で販売していました

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広島以外の方には、これがお盆灯籠だとはすぐには分らないかもしれませんが、広島ではお盆に合わせて、お墓に飾られる灯篭です。浄土真宗の安芸門徒が続けてきた習俗です。

アメリカから、そして世界各地からバルクで輸入したものを数多く販売しているコストコにまで、広島だけで見られる盆灯籠が進出したということは、コストコの「広島化」を示す好い例かも知れません。

さて、全く別件ですが、これまで10日間、忙しさが増してこのブログの更新ができませんでした。8月6日が近付いてきていますので、例えば、原水禁国民会議の主催する「被爆78周年原水爆禁止世界大会」のための準備や、8月26日に開催予定の「加藤友三郎没後100年記念シンポジウム」等の準備のための時間が必要になりました。

本来なら、きちんとお断りしなくてはならないところでしたが、ようやく今日、全国的には珍しいかもしれない写真とともにアップすることができました。

 

そして皆さんにとって、今日一日が素晴らしい24時間でありますよう、また暑い夏を元気でお過ごしになりますよう!  

 [2023/7/28 人間イライザ]

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2023年7月18日 (火)

被災地に人を送り込むな ――5年前の教訓は生きているのでしょうか?――

被災地に人を送り込むな

――5年前の教訓は生きているのでしょうか?――

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Floods of Mabi, Kurashiki City 倉敷市真備 平成30年7月豪雨被害 (松岡明芳氏撮影)

https://www.wikiwand.com/ja/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:2018-07-14_Floods_of_Mabi,_Kurashiki_City_%E5%80%89%E6%95%B7%E5%B8%82%E7%9C%9F%E5%82%99_%E5%B9%B3%E6%88%9030%E5%B9%B47%E6%9C%88%E8%B1%AA%E9%9B%A8%E8%A2%AB%E5%AE%B3_DSCF3676%E2%98%86%E5%BD%A1%E2%98%86%E5%BD%A1.jpg

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「防衛省を防災省に」は、これまで何度も繰り返してきましたが、昨日は、一年前の豪雨災害からの教訓としてアップした形での記事を再掲しました。しかし、そもそも自然災害について考え調べながら提言としてまとめることになったのは、2018年の西日本豪雨災害というきっかけがあったからです。でも5年後の今、政治的な対応は、とても当時の教訓が生かされているとはとても思えないレベルです。例えば、「防災省」というような専任の機関を作って、予算も人も付けて、国家規模での「災害対策」を行わなければ、自然災害による犠牲者も金銭的な被害も減らすことはできません。災害が起きるたびに、「実況放送」は長時間するけれど、少し時間が経つと、それを元にした被害削減のための国家的な政策が打ち出されることはありません。

そして、今回の災害についての実態が明らかになるまでにはまだ時間が掛かり、復旧のための対策が打ち出されるためにはさらに時間が掛ります。そして、その後に本来ならより恒久的な対策が提案されるべきなのですが、多くの政治家、そして市民の頭の中では災害の記憶が薄くなってしまっているのがこれまでの通例です。だからこそ、その前に、つまり今、5年前を振り返りつつ、自然災害についての頭の整理をしておきたいと考えています。

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2018年7月9日アップの記事を元に編集

最初の提言は

  • 最初は「被災地に人を送り込むな」です。

広島在住のKさんの体験を私が聞き取り、まとめたものです。Kさんはかなり頻繁に東京・広島間を行き来している人です。今回も上京していたのですが、帰広の切符は6日金曜日の夜の便でした。その時点で空港から市内のリムジンバスは運転中止、JRの在来線もとまり、新幹線も動いていない状況でした。山陽道も通行禁止状態でした。

仕方がありませんので、タクシーに頼るということで東広島市内のホテルに予約を取っていました。フライトがキャンセルされる可能性もあったのですが、とにかく飛びましたので、広島空港に着陸、長い時間待って、タクシーで、東広島まで辿り着きました。

Kさんの場合は、事前に空港到着後の情報が分っていましたので、それなりに準備をすることができたのですが、悲惨だったのは外国人観光客の皆さんでした。

タクシー乗り場も長い列ができ、空港内の事務所を開放するのでそこに留まって欲しいという対応もなされたようなのですが、ある外国人家族に取っては衝撃的なニュースだったようです。

その家族のお母さんと飛行機の中で隣り合わせになったKさんが聞いた話では、空港でのレンタカー予約をしていて、到着後は広島まで車で行き一泊、次の日には宮島を見て、それから四国に研修のため滞在しているお子さんを訪ねる予定だったとのことでした。お母さんは両手に障害があり、恐らくお父さんが、運転も家族の世話もするという状況だったのでしょう。

到着した6日には、車で広島市内まで行くのは不可能、結局空港で一泊というようなことになり、次の7日にも事態は一向に変わらず、宮島にも行けずお子さんにも会えずに、もし飛行機が飛んでいれば東京に戻るというシナリオになってしまったようです。

Kさんも自分の足の確保しなくてはならず、最後までお世話できなかったようなのですが、わざわざ広島まで来なくても、この情報は東京で把握できたはずですので、東京で対応できていれば、二日間の時間のロスと、東京・広島間の航空運賃のロスは防げたのではないでしょうか。

さらに、外国人に限らず、広島に住んでいる人ならそれなりの知識はあったとしても、それ以外の人たちには、「白市まではリムジンバスが出ています」という情報からは、そこまで行けばあとは何とかなるだろう、というくらいの想像力しか働きません。そんな状態になることが分っていて、東京から広島まで善意かつ情報のないお客さんを送り込んで良いのでしょうか。

航空会社にすれば、切符は発行した、飛行機は飛べたのだから飛ばしした、後は乗客の責任ということになるのかもしれませんが、到着後には、空港の事務所の床に寝るという選択肢しかないところに、それも到着して初めてそれが分るという前提で乗客を運べば、それで済む話なのでしょうか。

福岡市の場合のように、仮に災害があったとしても空港と市内とが近い場合には、それほど大きな問題にはならないのかもしれません。そうだとする、わざわざ遠隔地に飛行場を移設した広島県や広島市が、このような場合の責任の一端を負うべきなのではないでしょうか。

そして、航空会社も、キャンセル不可・返金不可の切符であっても、災害時には到着地の状況をきちんと把握して、災害地には目的地に着けばそこで孤立無援になってしまう乗客を、送り込まないというくらいの責任を持つべきなのではないかと思います。そのために、私企業だけに負担を強いて乗客の安全と安心を確保するのではなく、国全体のシステムとして、このような場合の対応も含めた施策があれば、災害時の不安の種は、少なくとも一つは減ると思うのですが如何でしょうか。。

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羽田で把握できる情報は乗客に知らせずに、被災地に善意・情報のない乗客を送り込むというようなことは、もう起きていないことを祈りますが、マスコミの報道でも、例えば「空港でどこにも行けず困っている人がいます。それほど深刻な災害です。」レベルのことは伝えても、災害の現場から、システムとしてそれに対応できるはずだという問題提起にはつながらないのが普通です。

だからこそ、敢えて何度でも問題提起を続けています。

 

そして皆さんにとって、今日一日が素晴らしい24時間でありますよう!

 [2023/7/18 人間イライザ]

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2023年7月17日 (月)

防衛省を防災省に ――自然災害を黙殺する政治をひっくり返そう――

防衛省を防災省に

――自然災害を黙殺する政治をひっくり返そう――

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津波で破壊された家--浪江町

 
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今年もまた、大雨が続き、全国各地で大きな被害が生じています。南九州そして北九州と山口、北陸や東北と、「線状降水帯」という名称とともにいつどこで大災害が起きるのかさえ予測できない状態です。ということを裏返せば、全国どこで自然災害が起きても不思議ではない自然環境の中で私たちは生活しているのです。

にもかかわらず、政治はこのような深刻な、国民的課題には気付かないかのような対応です。危機的状況にある被災地には目もくれず海外の軍事同盟の会議で意気揚々としているのが、今の政治の堕落振りを示しています。

そんな政治を本来の姿に戻すために、事実を元にした提言を続けなくてはなりません。私の小さな貢献の一つとして、この何年間かこの問題についての構想をまとめてきました。何度言っても伝わらない相手なのかもしれませんが、それでも誰かが伝え続けないと、「ダメ」が「良いこと」になってしまいます。これまでこのブログで取り上げてきた原稿に加筆訂正を加えながら、再度のアピールを連続で始めます。

今回は、昨2022年7月5日にアップした記事に少し手を加えました。取り上げた事実は変わっていませんし、提言が有効であることも間違いありません。ただ政治状況は今の方が格段に悪くなっていますので、説得力は増しているように思えます。

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2022年7月5日アップ

防衛省を防災省に

津波で破壊され、そのままになっている家屋です。東日本大震災の遺構ですが、11年経って、あの時のショックは忘れ去られているのでしょうか。

ロシアのウクライナ侵攻以来、「リアル・タイム」で私たちが体験している戦争の様子に「ウクライナ・ショック」を受け、「日本でもこんなことが起きたらどうすれば良いのか」という危機感につながっています。それはそれで分るのですが、もう一つ、忘れてはならないことを忘れてはいませんか。

2021年7月3日には熱海で土石流災害が起きて26人の方が亡くなっています。2020年は、熊本での豪雨災害で、熊本だけで64人の方が亡くなっています。

最新ではありませんが、以前まとめた数字を再掲します。自然災害の結果、どれだけの犠牲を払わなくてはならなかったのかを再度、思い起すためです。

2018年に起きた災害だけを取り上げますが、

(i) 1月23日の草津白根山の噴火

(ii) 死者の出た2月の北陸豪雪をはじめとする各地での豪雪

(iii) 3月と5月の霧島山新燃岳と桜島の噴火 

(iv) 6月18日、死者4名、損壊家屋は3万戸近くになった大阪北部地震

(v) そして死者は200名を超えるであろう、7月の西日本豪雨と、半年ちょっとで大きな災害が目白押しです。

こうした数字を前に、「日本がウクライナと同じように攻撃された時に備えて、軍備を強化し、核武装までも必要なのではないか」、「敵基地攻撃能力が日本を守る」、「軍事費を倍にしないと日本の安全は覚束ない」という種類の主張に大きな違和感を持っています。

それは、自然災害の死者は毎年確実に私たちの目の前に現れているのに対して、日本が外国から攻められた、あるいは戦争で死者が出たという数字は「0」だからなのです。

比較のための数字を掲げておきましょう。

  • 2000年から2019年までの自然災害死者数は23,991です。
  • そして推計ですが、1945年から2019年までの自然災害死者数は90万人です。
  • 対して、1945年から2019年までの戦後75年間、外国からの侵略・外国との戦争で死んだ日本人の数は0です。

「ウクライナ・ショック」を端的に示すために、死者数によって考えることにしますが、ウクライナ戦争で命を落した日本人は「ゼロ」です。そして、戦後、自然災害によって亡くなった日本人の数は、100万人近くになるという事実から、そして恐らく今年も自然災害によって必ず犠牲者が発生することを考えると、今、私たちが懸念し、政府がお金を投じなくてはならないのは、自然災害対策なのではないでしょうか。

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それはこのグラフから明らかです。災害があると予算は増えますが、「喉元過ぎれば熱さ忘れる」で、「予防」のための予算はないのです。

予算が出てこない理由の一つは、「防災」を専門にする固定したお役所がないからです。それは、「防衛省」を「防災省」に変えることで解消されます。防災省を創設するメリットを、防衛省との比較でみてみましょう。

Photo_20230716214501

「予算」のカッコ内で言及してるグラフは、その前の棒グラフのことです。この比較からの結論は、防衛省を防災省に変えても、多くのメリットはあってもデメリットはまず考えられないということです。

ここで「誤解」を避けるための説明ですが、自然災害そのものは「予防」できません。でもその結果犠牲になる命や財産は減らすことができるのです。例えば、急傾斜地にある住宅を安全なところに移設するとか、洪水の起きやすい河川の流れを変える、危険な盛土を移動する、避難訓練を徹底する等、予算を付ければ実行できるそして効果のある施策は山とあるのです。

つまり、今の時点で「倍増」すべきなのは、「軍事費」ではなく、「防災費」なのです。それは、国民の命を確実に守る「現実的」な選択です。

「憲法を改正して自衛隊を憲法内に明記する」などという、「改憲先にありき」という論法ではなく、日本国民の命を救うのが国家の最優先義務だという憲法の規定からの結論は、「防衛省」を「防災省」に変えることで全て「解決」という簡単・明解な素晴らしいシナリオです。

これからも暑さが続き、やがて台風も来襲します。皆様、くれぐれも御自愛下さい。

 

[2022/7/5 イライザ]

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そして皆さんにとって、今日一日が素晴らしい24時間でありますよう!

 [2023/7/17 人間イライザ]

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2023年7月15日 (土)

洗濯機の買い替え ――12年間、故障もなかったのですが――

洗濯機の買い替え

――12年間、故障もなかったのですが――

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新しい洗濯機です

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早いもので、洗濯機を買ってからもう12年になりました。東芝製で、その間一度も故障しませんでした。とは言え、蓋の壊れたことがあり、それはアロンアルファとパテで修理して使っていました。でももう12年です。「よく頑張ってくれたね。有難う。」の言葉とともに、さよならすることになりました。たまたま、エディオンのセールで格安の品物があっので、この際、買い換えることになったのです。

中国製のHisenseです。ちょっと心配はあったのですが、使ってみると、この10年間で洗濯機は大きく進化していることが分りました。まず音が静かです。そして、洗濯の残り時間まで示してくれます。

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「今年買って良かったもの」リストの上位に入ることは間違いなさそうです。

 

そして皆さんにとって、今日一日が素晴らしい24時間でありますよう!

 [2023/7/15 人間イライザ]

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2023年7月14日 (金)

総理大臣としての加藤友三郎 ――戦争回避の「預言者」でもあった――

総理大臣としての加藤友三郎

――戦争回避の「預言者」でもあった――

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中央公園の友三郎像 (常広一信氏撮影)

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加藤友三郎内閣が誕生したのは、1922年6月12日ですが、3日後の15日には、施政方針演説で加藤内閣の目指すところを公表しています。豊田穣著の『蒼茫の海 提督加藤友三郎の生涯』 (手に入れ易いのは、光人社NF文庫版です) から引用します。 (読み易さを優先して、一部、数詞や句読点などには手を入れました。以下、『豊田』と略します。)

一般施政方針

1、社会政策問題に関しては、時勢の進運にかんがみ慎重研究し、適当なる方策を定めた い。

2、綱紀を粛正し、民心を作興し、行財政を整理し、財界の安定を計る。

3、教育及び産業を振興し、 一般国民生活の向上を期せんとする。

 

対外方針

1、日本国民は 隣邦中国が速やかに現在の不幸なる政情を脱し、同国民自身の努力によって平和統一の実をあげんことを切望する。

2、シベリア問題については速やかに撤兵など解決の処置をとりたい。

3、国際連盟はその規約にのっとり 発展に努力したい。ワシントン諸条約及び決議は、これを尊重して、各国と協力してその実をあげたい。

これらの案件中、特筆されるのがシベリア撤兵と軍縮です。再び『豊田』から引用します。

さて、加藤内閣の残した大きな仕事は、シベリア撤兵と山梨陸相による陸軍の軍縮であった。

(中略)

この年六月、内閣首班となった加藤は、真っ先にシベリア撤兵をとりあげた。出兵後すでに四年、七万の兵を動かし、七億円の軍事費を空費していた。

国際協調を旨とする加藤は、閣議と臨時外交調査委員会に計り、同年六月二十四日声明を発して、十月をもって撤兵を断行することを公表した。

軍縮については、海軍はワシントン条約を守ってほぼその規模での軍縮が実現したのですが、陸軍は陸軍内部の合意が得られず、結局、総額4,000万円の節減しかできませんでした。しかし、それでも加藤内閣の編成した予算の中ではそれなりの比重がありました。再び『豊田』からです。

こうして、大正11年末、12年度の予算案を編制し、第46帝国議会の協賛を得たが、軍備制限による節減された金額は、新規計画のために増加した分を控除して、7,099万円に上り、 一般行政などの節約により、歳入歳出は各134,600万円にとどまり、前年度に較べて13,600万円の減少となった。

加藤の経費節減、財政建て直しは、順調なスタートを切り 提督宰相にしては上々の出来と評判がよかった。

国家予算の50%ほどが軍事費だった時代に、前年度予算の1割も削減できたことは驚異だとしか言いようがないように私には映るのですが―――。因みに、2023年度予算は前年比で6.3%増えています。

この他にも友三郎は、行政改革でも実績を挙げています。

シベリア撤兵と軍縮実施のほかに、加藤内閣はいくつかの仕事を残している。

その一つは、行政の整理緊縮である。

6月12日の内閣成立後、間もない6六月20日、加藤は内閣書記官長宮田光雄、法制局長官馬場鍈一らを行政整理準備委員に任命し、つぎのような行政改革を行なった。

同年九月つぎの機関を廃止する。

A  臨時外交調査委員会、防務会議、拓殖調査委員会、臨時産業調査会、臨時教育行政調査会

B  国勢院、拓殖局、馬政局、防備隊練習部、軍需評議会、臨時国有財産整理部

このほか各官庁の局課を廃止あるいは合併し、定員を減少して事務の簡素化を計った。

昭和57年現在、政財界は行政改革で苦しんでいるが、60年前、加藤は大幅な行革を行ない、その統率力を示したのである。

また加藤は、教育の振興、産業の奨励、社会政策的事業の遂行にも力を注いだが、 一方、所得税法、営業税法などにも改正を加えた。

膨らむ一方の行政機関・官僚体制を整理・合理化することも政治上最重要課題の一つであることは言を俟ちません。同時に友三郎の構想の中には、軍と行政の関係の健全化がありました。この点については『麻田』が77ページに詳しく述べています。

シヴィル・ミリタリー関係について、最後に加藤全権の「軍部大臣文官制」の構想にふれておこう。ワシントン会議で加藤が留守中、文官の原首相が陸軍側の強固な抵抗を押しきって海相代理(「事務管理」)を兼任したことは、日本憲政史上に先例のないできごとであった。さらに一歩進んで、加藤全権はすでに会議中、海軍大臣文官制(イギリス式に近いもの)が「早晩出現」するであろうと考え、そのための準備をしておく必要について頭をめぐらしていた。おそらく彼は、海軍軍縮問題で体験した自己の苦悩と、シヴィル・ミリタリー関係で悩む必要の少ない米英全権の立場とを比較考量した結果、政軍関係の制度およびルールの抜本的改革を決意するにいたったのであろう。そして、海軍大臣が現役軍人でありながら「シヴィリアン・コントロール」の権能を代行せざるをえないという変則的なシステムを、その本来あるべき英米的な制度に改正すべき急務を、彼は痛感したのではあるまいか。現行の制度が存続するかぎり、いずれは軍縮問題をめぐって海軍と政府とが激突する運命にあることを、加藤は見通していたのであろうか。

ここでは、「海軍軍縮問題で体験した自己の苦悩」の中身を説明しておく必要がありそうです。海外の「全権」は文民ですし、この軍縮会議には全権として文民だけで構成されるチームを派遣する必要があるとの意見さえ持っていた米英から見れば、日本の全権加藤は、軍の利益を代表しながら表面的には「文民」の帽子を被る、傀儡若しくはスパイとさえ見られ兼ねない状況がありました。そのような米英の交渉相手の信頼を得るための努力が如何ばかりかであったかは、想像に難くありません。

他方、海対米英10:10:7を主張しどのような譲歩も軍に対する裏切りだとさえ声高に公言する軍の強硬派に対しては、10:10:6の合理性や世界の状況等の説明、さらには軍の内部での多数派形成のための努力等、これまた一筋縄では行かない問題を処理しなくてはならなかったのです。

友三郎の憂いは現実になり、彼の亡き後、強硬派の勢力が巨大化し、それに至る手段として使われたのが、「統帥権の干犯」という「錦の御旗」でした。友三郎には見えていたであろう、そして彼なら対抗して流れを変えられたであろう歴史を振り返りたいのですが、それはまたの機会に。流れを変えるための布石を次々と打っていた友三郎の言動を、天から与えられていたものだと解釈して、敢えて「預言」という言葉を使いました。

 

さて、その友三郎についてのシンポジウムは、8月26日午後1時30分から、広大病院YHRPミュージアムで開かれます。

入場は無料ですが、参加登録は必須です。GRコードまたは、URLからサイトにお入り下さい。多くの皆さんの御参加をお待ちしています。

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https://katotomosaburo.com/

 

 

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 [2023/7/14 人間イライザ]

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2023年7月13日 (木)

加藤友三郎シンポジウム ――中国新聞が取り上げてれました――

加藤友三郎シンポジウム

――中国新聞が取り上げてれました――

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参加するためには、ホームページからの登録が必要です。

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広島市役所の市政記者クラブで開いた記者会見の模様を中国新聞が取り上げてくれました。

昨日御披露したチラシも再度御覧下さい。チラシの裏には、講師とピアニスト、そしてパネリストの紹介があります。

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入場は無料ですが、参加登録は必須です。多くの皆さんの御参加をお待ちしています。

Qr20230712-201135

https://katotomosaburo.com/

 

 

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 [2023/7/13 人間イライザ]

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2023年7月12日 (水)

加藤友三郎シンポジウム ――8月26日、午後1時半から。入場無料です。――

加藤友三郎シンポジウム

――826日、午後1時半から。入場無料です。――

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参加するためには、ホームページからの登録が必要です。

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広島市役所の市政記者クラブで、記者会見を開きました。チラシに書いてあるように、8月26日(土)の午後1時半から4時半まで、広島大学病院内のYHRPミュージアムで、加藤友三郎の没後100年を記念しての追悼シンポジウム開催お知らせのためです。開催要領は次の通りです。

 

「広島・日本の誇り」を未来世代に

(加藤友三郎没後100年記念シンポジウム)

開催要領

 

・日時      2023年8月26日(土)   [8月24日が友三郎命日]

                午後 1時30分から4時30分まで

・場所      広島大学病院YHRPミュージアム

〇プログラム

・ピアノ独奏  ショパン ポロネーズ「英雄」  演奏  須磨夢子 (Glanz Entertainment 所属ピアニスト) 

・記念講演      工藤美知尋 (『海軍大将加藤友三郎と軍縮時代』著者・日本ウェルネススポーツ大学教授)

・パネル・ディスカッション――友三郎への思いを語り未来へどうつなげるのかを提案

パネリスト

三牧聖子 (同志社大学准教授)

小橋透雄 (加藤友三郎顕彰会副理事長)

加藤礼愛 (広島大学4年生)

大井赤亥 (政治学者)

秋葉忠利 (前広島市長)

 

  ・当日は、YouTubeでライブ・ストリーミングを行う。また、録画した当日のイベントは、YouTubeにアップする。参加者が多い場合は、近くのスペース等で個々にリモート参加して頂く。

               

なぜ今年、このようなイベントを催すのかについては、このブログでも取り上げてきましたが、再度確認しておきましょう。

本2023年は、海軍の軍人、海軍大臣そして広島市出身初の総理大臣として我が国ならびに世界に多大なる貢献をした加藤友三郎が総理在任中に亡くなってから、100年目に当ります。

加藤は、日露戦争時には日本海海戦で、東郷平八郎連合艦隊司令長官の下、参謀長を務め日本を勝利に導き、その後4つの内閣で海軍大臣としての重責を果たしました。しかし、1921年に開かれたワシントン会議では世界の情勢と未来を大局的に捉え軍縮条約を締結、日米の敵対から日米協力へという路線の大転換を敢行し、その流れを実現するために翌1922年には総理大臣に就任しました。残念なことに志半ばにして翌23年に逝去しました。

加藤友三郎の伝記『海軍大将加藤友三郎と軍縮時代』を著した工藤美知尋氏の言葉、「あと数年友三郎の命がもってくれれば、太平洋戦争は避けられたのではないだろうか」が、友三郎の存在の大きさを何よりも雄弁に物語っています。

友三郎は、人に阿ることもなく、功をひけらかすこともしない、出身閥・閨閥とは無関係、御用聞きの真似事もしない、しかし、世界的な視野から大きな時代を構想し実現する力を具体化した偉大な政治家でした。今年という機会に改めて彼の足跡を辿り、人間的な真実に迫りつつ実績に思いを致し、後世が友三郎から学び続ける出発点にしたいと考えています。そのために下記の要領でシンポジウムを開きますので、御参加下さい。

チラシの裏には、講師とピアニスト、そしてパネリストの紹介があります。

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入場は無料ですが、参加登録は必須です。多くの皆さんの御参加をお待ちしています。

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https://katotomosaburo.com/

 

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2023年7月11日 (火)

また巨大キュウリです ――数日続いた雨の結果です――

また巨大キュウリです

――数日続いた雨の結果です――

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今回は40センチを超えていますし、色もちょっと問題です

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総理としての加藤友三郎については一日延ばして、畑の報告です。

我が家の畑は、キュウリが良く育つようですので、その報告が多くなるのですが、7月3日には、今年初の報告をしました。それ以降も大きくなり過ぎない内に収穫すべく注意はしていたのですが、大雨でそれができなくなりました。

そして、雨に曝され続けたキュウリを点検すると、こんなに大きなものが何本も収穫できました。

これからお天気が良くなるでしょうから、トマトやナス、トウモロコシ、その他の野菜も楽しみです。

 

そして皆さんにとって、今日一日が素晴らしい24時間でありますよう!

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2023年7月10日 (月)

軍縮とは単なる数合わせではない ――友三郎の眼は要塞化や、中国ソ連にも向けられていた――

軍縮とは単なる数合わせではない

――友三郎の眼は要塞化や、中国ソ連にも向けられていた――

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左から幣原喜重郎、加藤友三郎、徳川家達全権(Public Domain)

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/1/1a/Kij%C5%ABr%C5%8D_Shidehara%2C_Tomosabur%C5%8D_Kat%C5%8D_and_Iesato_Tokugawa.jpg

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1921年から1922年のワシントン会議の焦点が、英米と日本との主力艦保有比率だったこと、それが、10:10:7ではなく、10:10:6という合意の結果、条約が成立したことは、歴史の教科書にも出て来るのですが、軍縮は数だけではできないことにも触れておきましょう。これは、今の日本の岸田軍拡政策にも参考になる点です。

今回は、軍縮において重要な二つの側面を取り上げておきますが、最初のものは日本の提案で実現し、その結果として、10:10:6という比率であっても、日本に対する軍事的脅威を抑える効果があったのです。「東経110度より東に海軍基地、または要塞の建設の禁止とすることで決着を見た」のですが、それは「要塞化禁止条項」と呼ばれています。Wikiwandから引用します。(読み易くするため、下線やイタリックなど、一部手を加えました)

要塞化禁止条項

対英米比6割と陸奥保有に併せて日本の提案により、太平洋における各国の本土並びに本土にごく近接した島嶼(とうしょ)以外の領土について、現在ある以上の軍事施設の要塞化が禁止された。

日本

    ・千島列島、小笠原諸島、奄美大島、琉球諸島、台湾、澎湖諸島、そして将来取得す

 る新たな領土(内南洋のこと)の要塞化禁止

    ・奄美大島以外の奄美群島は対象外

    ・対馬は太平洋に面していないので条項の対象外

アメリカ

    ・フィリピン、グアム、サモア、アリューシャン列島の要塞化禁止

    ・アラスカ、パナマ運河、ハワイ諸島は対象外

イギリス

    ・香港並びに東経110度以東に存在する、あるいは新たに取得する島嶼の要塞化禁

   止

    ・カナダ、オーストラリア、ニュージーランドは対象外

    ・東経110度以東なので、シンガポール(東経103度)は条項の対象外

現実問題としては、既存の基地はそのまま認めている訳ですので、お互い現状維持をしようという取り決めです。同時にそれは、今は戦争をしていないのですから、それを維持するということは「戦争をしない」状態の維持も意味します。これも「軍縮」に含まれる重要な考え方です。

第二の側面は、軍縮とは多くの国々と有機的に結び付いていますし、必ず歴史の流れの中にあります。それらの点からのアプローチも視野に入れることでより説得力のある取り決めができるのです。ワシントン会議では、「対華21条要求」がその一つでした。

これもWikiwandからの引用が分り易いので、お借りしましょう。

「対華21カ条要求(たいか21かじょうようきゅう)は、第一次世界大戦中の1915118日に日本が中国に対して行った満蒙における日本の権益問題や在華日本人の条約上の法益保護問題をめぐる21か条の要求と希望のこと[1]。対支21ヶ条要求、二十一か条の要求とも呼ばれる(中国語版では「二十一条」)」

その後、この要求を巡って日中は対立を続けるのですが、その一つの妥協点にワシントン会議で到達することになりました。曲がりなりにも一つの条約が結ばれることになったからです。「山東懸案解決に関する条約」と呼ばれていますが、これもWikiwandから引用しましょう。

山東懸案解決に関する条約(さんとうけんあんかいけつにかんするじょうやく)とは、192224日に日本と中華民国の間で締結され、同年62日に発効した条約。

第一次世界大戦の結果、日本がドイツから獲得した山東省(膠州湾・青島)のドイツ租借地および山東鉄道(青島-済南間およびその支線)の返還が定められた。

膠済鉄道は日本の借款鉄道とされ、同鉄道沿線の坊子、淄川、金嶺鎮の鉱山は日中合弁会社の経営に移されるなど、日本の権益は多少確保された。山東還付条約(さんとうかんぷじょうやく)とも。

この条約締結に至る上では、アメリカとイギリスの仲裁がきっかけになりました。また、日本のシベリア出兵問題もこの会議では取り上げられ、友三郎は撤兵の意志のあることを表明しました。

当然総理大臣になってからの活躍が注目されますが、それも次回手短に。

 

そして皆さんにとって、今日一日が素晴らしい24時間でありますよう!

 [2023/7/10 人間イライザ]

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2023年7月 9日 (日)

総理就任以前に二度もわが国を救った友三郎 ――命日は8月24日です――

総理就任以前に二度もわが国を救った友三郎

――命日は824日です――

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呉市の加藤友三郎像 (常広一信氏撮影)

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広島市出身初の総理大臣加藤友三郎の生涯を振り返りつつ、政治のあり方について考えていますが、友三郎の生涯を学ぶ上で、もう一冊、重要な伝記を御紹介しておきます。豊田穣著の『蒼茫の海――提督加藤友三郎の生涯』(1983年、プレジデント社。文庫版は2016年、光人社)です。

友三郎の偉大さについて、健筆を揮って世に広めてきた郷土史家の田辺良平さんが、『Current Hiroshima』誌の2022年8月号に、分り易い一文を寄せられています。「忘れてはならない8月24日」というタイトルですが、友三郎の偉業をそこから抜粋する形でお届けします。

「8月6日は、広島に世界最初の原爆が投下されて、一瞬にして10幾万人もの無辜の民が殺戮されたという、日本はもとより全世界の人たちにとっても、終生忘れてはならない日となってします。少し次元は異なりますが8月24日も、特に広島人にとっては忘れてはならない日と私は思うのです。」

「この8月24日は、第21代内閣総理大臣加藤人三郎が、現職のまま病気で亡くなった日なのです。」

「総理になる以前にはわが国益を2度にわたって助けているのです。その一つが、明治38年5月の日露戦争での日本海海戦で、連合艦隊のナンバー2の立場である参謀長として活躍した結果、わが国は敗戦国とならずに済んで、敗戦によるさまざまな困難が回避できたことです。」

「もうーっは、大正10年11月から翌年2月にかけて、ワシントンで行われた主要海軍国5か国による「海軍軍縮会議」の首席全権として出席し、米国から提案されたわが国の海軍力を、米国の6割に縮減する提案を受託したことです。」

「加藤は、日本海海戦により日露戦争を終結に導いたことで平和を招き、もう一方ではワシントンの軍縮会議で外交手腕で平和を実現させたのです。」

総理大臣としての在任期間は1年2か月でしたが、短期間にもかかわらず素晴らしい仕事をしていることも忘れてはなりません。(続く)

 

そして皆さんにとって、今日一日が素晴らしい24時間でありますよう!

 [2023/7/9 人間イライザ]

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2023年7月 8日 (土)

加藤友三郎の高潔さ ――名誉・権力・金・地位等とは無関係――

加藤友三郎の高潔さ

――名誉・権力・金・地位等とは無関係――

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中央公園の加藤友三郎像 (常広一信氏撮影)

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広島市出身の初の総理大臣加藤友三郎の偉大さについて紹介していますが、『麻田』では彼の政治スタイルを、「独断専行型」と呼んでいます。ややもすれば、それは「独裁者」とか「ワンマン」といった悪しきリーダーの姿と重なるのですが、友三郎はそれとは正反対の人物でした。『工藤』の264ページから265ページには、その姿が活写されています。

およそ友三郎は誰からでも愛されるような人間ではなかった。見るからに短気で、プライドが高く、近寄りがたい人間のように える。

ちなみに今日の政治家は、白い歯を出してにやけている。その政治活動といわれるものは、街の「御用聞き」とほとんど変わらない。選挙民におもね、「させていただきます」などと言い、過度にヘりくだる。しかし心からへりくだっているのではない。心の中では国民を馬鹿にしきっている。そんなことが、透けて見えてくる。

子弟の就職斡旋、進学幹旋、冠婚葬祭など、こまごまとした「御用聞き」の如きささいなことはあくせくするくせに、国家のグランドビジョンについては何も描こうとはしない。根本的にはグランドビジョンを描く能力がないのである。

これから日本がどのように進むべきであるのか、国家や社会の安全をいかにして図っていけばいいのかについてのビジョンを語れないのである。

言葉だけが虚しく飛び交っているだけである。

われわれが「政治家」(ステーツマン)に期待するのは、政治のプロとして日本のグランドピジョンを構想してくれることである。さまざまな補助金をつけて近視眼的な利益で国民を釣ろうとすることが見え見えの今日の政治家の姿に、心ある人間は憤慨している

こうした今日の政治家と対極にあるのが、加藤友三郎という人間である

およそこの男は、人におもねるということがない。口数は少ないが、自分の役割というものはきちんとこなす。功を上げてもそれをひけらかすことは一切しない。

出身閥を作ることは一切ない。こうしたことには、まったく関心かないのである。だから大衆的人気というものは、沸き上がりようがない。しかし友三郎がやってきたことを調べてみると、その慧眼の確かさに驚かされる。

そして『工藤』では、友三郎の人生を全て、次の言葉としてまとめています。

あと数年友三郎の命がもってくれれば、太平洋戦争は避けられたのではないだろうか。

『田辺』では、同郷で後に貴族院議員になった和田彦次郎に友三郎が語った言葉を引用しています。

「自分は有用の人物であれば同郷人であろうがあるまいが、推薦もしくは引き立てもするが、ただ同郷の人であるというのみで、特別に世話をすることは出来ぬ。自分は従来そういう主義で来ているのだから、同郷人の間での評判は定めし悪いであろうが致し方ない」

当然、自分の家族だからといって引き立てることなど飛んでもないと考える人物だったのです。

これほど優れた軍人・政治家だった友三郎から、私たち、そして未来の世代が何をどう学ぶべきなのでしょうか。難しいかもしれませんが、こんなに良いお手本があるのに、その存在は全く知らない、知っていても何も学ぼうとはしないのでは、我が国は勿論、世界も衰亡の一途を辿り、やがて、いや近い内に滅亡してしまっても不思議ではないとさえ言えるのではないかと、憂えています。

 

そして皆さんにとって、今日一日が素晴らしい24時間でありますよう!

 [2023/7/8 人間イライザ]

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2023年7月 7日 (金)

加藤友三郎の政治スタイル ――米国全権のヒューズと相照らす関係だった――

加藤友三郎の政治スタイル

――米国全権のヒューズと相照らす関係だった――

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ワシントン軍縮会議と加藤友三郎を高く評価しています

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広島市出身の初の総理大臣加藤友三郎の偉大さについて紹介していますが、そのための資料として欠かせないのが、前回御紹介した工藤美知尋著の『海軍大将 加藤友三郎と軍縮時代』(2011年、光人社。『工藤』と略します)であり、郷土史家の田辺良平著の『わが国の軍備縮小に身命を捧げた加藤友三郎』(2004年、春秋社。『田辺』と略します)なのですが、もう一冊、忘れてはならないのが麻田貞雄著の『両大戦下の日米関係--海軍と政策決定過程』(1993年、東京大学出版会。『麻田』と略します)です。

今回は、『麻田』を引用しながら、友三郎の政治スタイルならびにアメリカの全権だったチャールズ・ヒューズ国務長官と好一対の存在としての友三郎の姿をお伝えします。

まず、友三郎の意思決定スタイルについて『麻田』では次のように述べています。

ここで加藤全権の決定スタイルを要約しておくと、次のようになる。すなわち、 ①あくまで冷静な彼は、ひとりだけで「熟慮に熟慮を重ねた」のち、②最高位者個人として「直観的に」結論をくだし、③決定行為とその結果に対してみずから全責任を負うというもので、一言でいえば《独断専行型》決定の典型的なケースであった。もともと臨機応変の決定をつねに迫られる軍部の組織には、官僚的な《稟議制》はあてはまらないものだが、加藤全権の場合、《官僚政治》の拘束要因など頭から度外視して、独自の判断で海軍軍縮の《合理的決定》をくだしたのである。海軍・外務両省の官僚機構を完全に避けて通っていることに、とりわけ注目される。

そしてこの決定結果を本国の知らせるルートとしては、加藤⇒外相という外務省ルートではなく、加藤⇒井出海軍次官を通して、首相と外相そして東郷元帥等の海軍首脳に伝えるという、海軍ルートを使うことで、ここでも官僚機構を避けていたのです。

日本の加藤に呼応して、アメリカの全権ヒューズも似たような意思決定をしていました。二人の相似性について、これまた『麻田』が興味深い分析をしています。

以上、日米の政策決定過程の比較から、いくつかの共通点が浮かびあがる。まず第一に、両国の首席全権であるヒ、ーズ国務長官と加藤友三郎海相が、《官僚政治》の制約をはねのけて強力な決定権限をフルに行使したこと、があげられる。通常、官僚制的システムにおいては、その保守性に加えて「組織の慣性」(「官僚的惰性」)のゆえに、流動的な国際環境に即応できず、消極的な現状維持策や当座しのぎの糊塗策に堕し、長期的な政策思考にもとづく迅速かっ明確な《合理的決定》が困難になる傾向がある。日本外務省の直面したのは、まさにこの種の困難であった。他方、ヒューズや加藤全権は政府部内の組織的利益の競合、対立、バーゲン、妥 協といった《官僚政治》プロセスを回避しえたのであり、その大きな要因は、なんといっても両人の強力な個人的リーダーシップに求めることができる。加藤友三郎とヒューズとの類似点は、当時『萬朝報』の特派員も注目するところであった。

 「ヒューズ氏は終始一種の信念を固持して、之を常識的に直截的に押進めて行く米国代表政治家である。加藤大将も亦確乎たる信念を抱いて其の所信に驀進する代表的武人である。両者共其外交家的術策を弄せぬ点は、或程度迄相似て居る。これ両者の間に常に一脈の意思の疎通があった所以であらう」。

くりかえしていうならば、この二人がくだした《合理的決定》に共通する前提条件は、 次のように要約できよう。「 ①まず、正確かっ豊富な情報をマスターし、それにもとづき的確な状況判断をおこなう。②次に、選択可能な一連の政策オプションを検討し、その優先順位を定め、目的・手段的思考により、目標達成の極大化をはかる政策を採用する。③こうしてくだした決定の結果を正しく予測する。

このように、海軍軍縮問題については、日米の政策決定過程に共通するものがあり、日米とも最高指導者のリーダーシップが最大限に行使されたので、《合理的決定》が可能になった

このように官僚制度を凌駕し、日米間の溝を塞ぎかつ未来への希望を創り出すほどの力の源は、友三郎の人間性そのものに由来するのではないかと考えています。次回はそれを取り上げます。

 

そして皆さんにとって、今日一日が素晴らしい24時間でありますよう!

 [2023/7/7 人間イライザ]

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2023年7月 6日 (木)

加藤友三郎の人となり ――政治家としての本質も――

加藤友三郎の人となり

――政治家としての本質も――

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加藤友三郎 (Public Domain)

http://www.lib.utexas.edu/photodraw/portraits/index.html

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広島「出身」の岸田総理が誕生した時に、広島市出身の初の総理大臣加藤友三郎についての記事を書きました。日本海海戦では東郷平八郎司令官の下、参謀長としてロシアのバルチック艦隊を破ったことや、4つの内閣で海軍大臣を務めたこと、また1921年のワシントン軍縮会議では、米英日の海軍力の比を5:5:3に抑えて、日本のみならず世界の軍縮の流れを作ったこと等が大きな功績として語られています。

『海軍大将 加藤友三郎と軍縮時代』(以下、『海軍』と略します)の著者である工藤美知尋・日本ウェルネススポーツ大学教授は、「あと数年友三郎の命がもってくれれば、太平洋戦争は避けられたのではないだろうか。」とまで評価しています。

その友三郎は、ワシントンの会議に当って、それまでは大日本帝国の仮想敵国であったアメリカとの関係を抜本的に変える上で、「加藤伝言」と呼ばれる貴重な文書を残しています。1921年12月27日、条約についての協議が終った後、当時の井出謙治海軍次官宛に、堀悌吉中佐に筆記させたものです。その中の主要部分を『海軍』から引用します。

「どうしても主義として米案に反対することは能はずと決心するに至れり。

先般の欧州大戦後、主として政治方面の国防論は、世界を通して同様なるが如し。

即ち国防は、軍人の専有物に非ず。 戦争も、軍人のみにして為し得べきものに在らず。 国家総動員して之に当たるに非ざれば目的を達し難し。

平たく言えば、金がなければ戦争ができぬと言うことなり。戦後露西亜と独逸が斯様に成りし結果、日本と戦争の起こる probability のあるは米国のみなり。

仮に軍備は米国に拮抗するの力ありと仮定するも、日露戦争後の時の如き小額の金では戦争は出来ず。然らば其の金は何処より之を得べしやといふに、米国以外に日本の外償に応じ得る国は見当たらず。而して其の米国が敵であるとすれば、此の途は塞がるるが故に、日本は自力にて軍備を造り出さざるべからず。此の覚悟のなき限り、戦争は出来ず。英仏は在りと雖も当てには成らず。 斯く論ずれば結論として、日米戦争は不可能といふことになる。 余は米国の提案に対して、主義として賛成せざるべからずと考えたり。」

世界の趨勢を見極め、国防とは軍人の専有物ではないこと、戦争をするのにはお金が必要だという分り易い視点から軍縮する意味を説いています。日本が戦争するためには外国に借金しなくては資金が調達できそうもない、しかし、貸してくれるだけの余力があるのはアメリカしかいない。そのアメリカとは戦争はできないだろう、そして、アメリカの金を借りないと戦争のできない日本がそのアメリカと戦争をしても、経済の面から勝ち目はないだろうという論理的帰結も見えて来る突っ込んだ主張をしています。

言わずもがななのですが、日本の国会に諮ったり世論に問い掛けたりする前にアメリカに行って、結局増税するしか手がないことは誰にでも分る軍事費の倍増を約束してくるような総理大臣に、爪の垢でも煎じて飲ませたいと思うのは私だけでしょうか。

 

そして皆さんにとって、今日一日が素晴らしい24時間でありますよう!

 [2023/7/6 人間イライザ]

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2023年7月 5日 (水)

久し振りのうな重 ――そして生ビール――

久し振りのうな重

――そして生ビール――

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何屋さんの看板かすぐ分りますよね

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祝い事があり、久し振りに人気のあるうなぎ屋、「こだに」を訪れました。ちょっと離れた駐車場まで美味しそうなにおいが漂ってきます。

そして、定番のうな重です。

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Z級グルメが出る幕ではないのですが、急に暑くなった日でしたので、栄養補給そして景気付けのためには最高でした。

さらに、外食の時にはアルコールは良いことにしていますので、久し振りに生ビールを飲んだことも、元気の元になっています。

 

そして皆さんにとって、今日一日が素晴らしい24時間でありますよう!

 [2023/7/5 人間イライザ]

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2023年7月 4日 (火)

断酒の障害が分りました ――甘い言葉でした――

断酒の障害が分りました

――甘い言葉でした――

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昔よく聞いたCDです

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このブログを書き続けていて良かったことの一つは、自分の意志の弱さを客観的記録として確認できたことです。昨年の9月に、お酒を止めて体調が良くなったことを報告しています。それが、いつの間にか元に戻ってしまい、つい最近再び「断酒」をすることにしたのです。

意志が弱いと言ってしまえばそれまでなのですが、実は、「これは危ないぞ」という自覚症状が出て、「ここで負けてはいけない」と自分自身に言い聞かせたことが何度かありました。負けたこともあったのですが、それは「誘惑」に負けた結果でした。

昨日は市内に出かけて、音楽を聴きながら車を運転していて、その「誘惑」を確認することになりました。「甘い言葉」なのですが、お酒を飲むことと、悲しみを癒したり楽しい気持になったりという紐付けを歌詞で表現している歌を聴くと、意志が弱くなることに気付きました。

例えば、研ナオコの「ふられた気分」です。「お酒をついでおくれ となりさん」が特に「お酒を飲みたい」という気持を強くしてしまうようです。梓みちよの「二人でお酒を」もそうです。「二人でお酒を飲みましょうね」まで来ると、もう意志の力は無重力状態です。

それに対抗するためには、村田英雄の「人生劇場」を聞いて、「やると思えばどこまでやるさ」と自分自身を鼓舞するくらいしか思い付かないのですが―――。

 

そして皆さんにとって、今日一日が素晴らしい24時間でありますよう!

 [2023/7/4 人間イライザ]

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2023年7月 3日 (月)

大きなキュウリと形の良いナスが生りました ――他の野菜たちも楽しみです――

大きなキュウリと形の良いナスが生りました

――他の野菜たちも楽しみです――

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二三日目を離していたら

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昨年の8月26日の本ブログのタイトルは「巨大キュウリの収穫」でしたが、今年もキュウリは豊作のようです。

昨年のキュウリの40cmと比較すると、それ程ではありませんが、35cmあります。しかも、鬆 (「す」と読みます) は入っていません。つまり、中の方まで身が詰まっていて美味しいキュウリだということです。

雨のせいで、二三日目を離したためにこんなに大きくなったのですが、それでも鬆が入らなかったのはラッキーでした。ナスも今年は美味しそうですし、トマトも楽しみです。その他には何が収穫できるのか、穫れ立ての作物を順番に紹介して行きます。

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そして皆さんにとって、今日一日が素晴らしい24時間でありますよう!

 [2023/7/3 人間イライザ]

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2023年7月 2日 (日)

メモワール作成のためのインタビューでした ――30年も前を思い出して懐かしく楽しい一時になりました――

メモワール作成のためのインタビューでした

――30年も前を思い出して懐かしく楽しい一時になりました――

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左から小坪さん、私、大井さん

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メモワールを作成するために、中心になって動いてくれている政治学者の大井さんと私に、今回は私の元秘書だった小坪さんを交えて、国会議員時代に何をしたのか、また多くの人には伝わっていない選挙の厳しさ等について振り返りました。

昔を振り返ることは連鎖反応を引き起こします。政治活動以前の私の高校時代、アメリカのハイスクールに留学した時の話にもなりました。いろいろなスポーツ部に入りましたが、季節毎に種目が変わるのがアメリカ式でした。冬にはレスリング部だったのですが、その時撮った写真が今でも残っています。

その写真を載せた本があるらしいのですが、それがどの本なのか、いろいろ考えたのですが、結局ミステリーのままになりました。

でも、このように若い世代の大井さんが中心になって、私たち世代が生きた時代の記憶を整理して未来の世代のために役立てようとする試みは、私にとってもまた私たちの世代にとってもとても意義のあることですので、最終的には「成功」と言える結果になるよう、私なりに努力を続けています。

 

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2023年7月 1日 (土)

採決は本当にあったのか ――6月8日の参院法務委員会採決に30年前の「採決」が重なりました――

採決は本当にあったのか

――68日の参院法務委員会採決に30年前の「採決」が重なりました――

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30年前の拙著です

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6月8日の入管難民法改正案の参院法務委員会採決で山本太郎議員が委員長席に「ダイブ」したことが問題になりましたが、私の脳裏に浮かんだのは、1991年11月27日のPKO協力法案の採決でした。強行採決を阻止しようと私たち議員が委員長席に詰め寄ったのですが、委員長の声は全く聞こえず、「本当に採決はあったのか」は、当事者である私たちにも分らない状態だったのです。しかし、マスコミは一斉に同じことを書いています。「採決はあった」と主張しているのです。

そのときの様子を拙著『夜明けを待つ政治の季節に』(1993年、三省堂刊)の256-257ページには次のように引用しています。

「強行採決」は本当にあったのか

・・・・・(略)・・・二十七日の 「強行採決」になると、各紙とも同じ見方をしてしまう。二十八日付の日本経済新聞を引用すると、

「衆院国際平和協力特別委員会は二十七日夕、国連平和維持活動 (PKO) 協力法案の質疑を打ち切り、自民、公明両党が「自衛隊の国連平和維持軍 (PKF) 派遣後、二年が経過した時点で更新・継続に関する承認を国会に求める」と政府案を修正したうえで、採決を強行、両党の賛成により可決した」。(91・11・28「日本経済新聞」)

「朝日」、「毎日」、「読売」、いくつかの他方紙もほとんど同じ内容だった。だが、その場に委員の一人として居合わせ、委員長席に詰め寄った一人として、この報道には納得が行かない。まず、特別委員会が開かれた第一委員室は、怒号の中、混乱に陥り、仮に委員長が議事を進めたつもりであったにしろ、委員長の声は私たち委員には全く聞えなかった。事実、委員会の速記者は、この間のやり取りを次のように記録している。

大島委員 議長。 緊急動議をお願いします。(発言する者多く、聴取不能)打ち切りをお願い します。 採決をお願いします。 (聴取不能) 以上でございます。

  林委員長・・・・・・(発言するもの多く、聴取不能)(拍手)・・・・・・(聴取不能)(拍手) ・・・・・・(聴取不能)(拍手) ・・・・・・(聴取不能)

  委員長退場〕 午後五時四十分」

  委員会で何が起きたのか全く分らなかった私の経験と、速記録を元に考えると、私たちより、委員長席からははるかに離れた場所にいたマスコミ各社の記者の皆さんが、委員長の発言内容を詳しく、しかもほぼ同じ内容だったと判断した上で、修正の上可決された、と全く同じ結論に達した(断定したと言うべきか)ことが私にはどうしても理解できない。

今回の参議院での採決も同じ状態だったように見えるのですが、マスコミも含めて、そして当事者の議員たちも、「採決はあった」と認めているのでしょうか。そうでないことを祈っていますが、この30年間、政治は変わっていないとみるべきか退化したと考えるべきなのか迷っています。

 

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