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2023年6月 5日 (月)

2008年のG8下院議長会議は大成功 ――ホストは河野衆議院議長――

2008年のG8下院議長会議は大成功

――ホストは河野衆議院議長――

G8

元資料館館長の高橋昭博さんの被爆証言に耳を傾けるG8下院議長さんたち

 

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昨日は、2008年9月1日と2日に開かれた、G8下院議長会議についての報告の前半をお届けしました。今日は後半です。

今回のG7広島サミットと比べると、本質的な違いが浮かび上がってくるはずですが、まずは、2008年9がつ25日にメルマガ「春風夏雨」にアップした、後半部分をお読み下さい。

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春風夏雨第101回 (2008年9月25日号)

秋葉忠利

2008年9月21日(日)執筆

大成功に終ったG8下院議長会議 (2)

――「ヒロシマ」の持つ不思議な力から、新たな希望が生まれました――

 

前回に続いて、この会議の成功に貢献して下さった方々や団体の活動を紹介することから始めたいと思います。平和記念公園で議長さんたちを歓迎した中で、多くの子どもたちの姿が目立ちましたが、合唱の素晴らしさと共に伴奏を受け持ってくれた消防音楽隊の皆さんも頑張ってくれました。

時差のせいで朝早く起きて活動する参加者や随行する人々のためには、ホテルの前のひろしま美術館が特別に朝の7時から開館をしてくれました。万一の事故や病気といった事態に備えて広島市民病院や舟入病院のスタッフも、救急患者受け入れ態勢を整えてくれていました。会議後、宮島への移動については、第六管区海上保安本部が万全の態勢を敷いてくれました。

広島市にとっても議長さんたちにとっても大変有意義な会議になったことは、前回も触れましたが、今回は出席した議長さんたちが、それぞれの国において一流の政治家であるだけでなく、世界的にも高く評価されているリーダーであるのは何故かが分ったような気がしていますので、その点について説明したいと思います。

一つ目は、私にはとても真似ができないなと感じたことなのですが、時差にもほとんど影響されず、分刻みの日程をこなした事実です。「疲れた」「時差の影響で眠い」等の言葉を発する議長さんは一人もいらっしゃいませんでした。改めて議長さんたちのエネルギーと公務に対する献身的な姿勢に襟を正さざるを得ませんでした。多くの行事で同じように、熱心さの余り時間が超過することさえあったほどです。

そのような状況の中、河野議長が例えば最初の日の夕食会が少し遅れることを、会場で待つことになった参加者に直接説明して理解を求める心遣いも、清々しいものでした。

夕食会では、河野議長の左にアメリカのペローシ議長が座り、その真向かいが私の席でした。私の右はイギリスのマーティン議長、ペローシ議長の左隣が欧州議会のツァガロポウロ副議長でしたが、残念なことに私とは距離が離れていて余り話すことができませんでした。

さて、夕食会での話題ですが、その最中に届いた福田総理の辞任について誰もが関心を持ったことは当然なのですが、前日に総理主催の夕食会が東京であった際には辞任の素振りも見せなかっただけに――という感想と共に皆さん大変驚いていらっしゃいました。

このように「公式」の夕食会でも、仕事の話ばかりしている訳ではありません。個人的な話題から段々に話の幅が広がるという展開も一つの典型なのですが、今回はペローシ議長の話が大変興味深い内容でした。

政治家一家としても知られているのは、お父上(トマス・ダレッサンドロ氏)も、連邦レベルの下院議員を務めた後、ボルティモア市の市長を三期務めたことに加えて、二人の兄も、ボルティモア市長、サンフランシスコ市の市会議員といった経歴があるからです。そのせいもあって、ペローシ議長は都市の問題や市長の仕事にも理解があり、平和市長会議についても良く理解して貰えました。

ペローシ議長の経歴で私が驚いたことは、5人の子供を育ててから47歳で政治の世界に入ったことです。私も同じく47歳で政治の世界に入りましたが、ペローシ議長にとっては、数学から政治への転向の方が、主婦から政治よりは大きな変化のように映った印象でした。

お父上はボルティモア市長時代を大変楽しんだこと、しかし、兄上の時代は公民権運動でアメリカが分裂していた時代で苦労が多かったこと等についても話を聞くことができました。

幸いだったのは、彼女がモーツァルトを好きだったことです。歓迎のコンサートでモーツァルトを聴いて頂けたのですから。「モーツァルトが天才だと良く言われるけれども、自分は、モーツァルトは天才より上の存在だと思う」という言葉にも肯けましたし、数学者の中にも天才以上の存在だと考えられている人が何人かいることにも興味を持って貰えました。

イギリスのマーティン議長の弟さんは数学が大変良くできて、試験のときに余りにも良くでき過ぎたためカンニングをしたのではないかと疑われた話をしてくれました。

このあたりで福田総理の辞任のニュースが伝わり、後は、他の話になってもそのことに戻ってしまうような感じでしたが、あっという間に夕食会が終わりました。余り話のできなかった欧州議会のツァガロポウロ副議長から、会場を出ながら、欧州議会の議員になる前、自分はアテネ市の副市長を務めていたこと、平和市長会議の活動にもその頃から関心を持っており、できることは何でも協力したいので是非気軽に声を掛けて欲しいと、熱っぽい言葉も頂きました。

次の2日の朝も、8時半から平和記念公園に来て頂き、慰霊碑への献花に続いて、資料館を視察して頂きました。

河野議長に後で伺った事なのですが、9人の議長さんにはできるだけ一緒にいて貰える時間を多くするように配慮したとのことでした。例えば、移動の際にも別々の車ではなく、バスに一緒に乗って貰って話す機会を作るといった事なのですが、そのせいもあって、朝から議長さんたちの一体感を感じましたし、リラックスした雰囲気であることにも気付きました。

そんな雰囲気の中、歓迎の『ひろしま平和の歌』の合唱と子どもたちの旗に囲まれて慰霊碑前まで進まれました。慰霊碑前に横一列に並ぶと、議長さんたちは、それぞれ厳粛な面持ちで献花をして下さいました。その後、慰霊碑の碑文の意味、平和公園がかつては多くの市民の住む賑やかな地域であったこと、原爆ドームの世界遺産化、佐々木禎子さんと折鶴等について簡単に説明しました。そろそろ、資料館に移動しようという時間になると、自然な形で議長さんたちが手をつないで慰霊碑に向かわれました。このような形で9人が揃って祈りと決意を捧げてくれたことは、私は勿論ですが、多くの市民の皆さんにも大きな感動をもたらしてくれました。その場に居合わせることができたことを私は幸せに思いますし、この議長さんたちの気持が必ずや被爆者の願いを実現する上での大きな力になることを確信しました。

資料館に向かう私たちの耳に入ってきたのは『アオギリのうた』でしたが、歌に呼応するかのように、議長さんたちに折鶴と平和のメッセージを渡すために待っていた子供たちと議長さんたちが熱心に話を始めて、担当の職員はヤキモキし始めるほどでした。

資料館の案内は、前田耕一郎館長が全体のバランスを上手く取りながら適切な説明をしてくれました。何ヶ国語もの同時通訳が、説明を訳しながら、しかも多数のマスコミ関係者も取材のため館内にいるわけですから、「静粛」という雰囲気とは言えませんでしたが、やはり事実の重みが議長さんたちを圧倒したようです。

元資料館長の高橋昭博さんのお話にはいつも感動するのですが、この日も丁寧に原稿を準備されてのお話でした。議長さんたちは立ったままでしたが、高橋元館長の体調を考慮して椅子に座って話して頂きました。高橋元館長はこのことをとても気にされ、私が元館長の御紹介をするときには、この点について御理解頂けるよう、説明をして欲しいとの要望を頂きましたので、その通りにさせて頂きました。そうした気持ちも議長さんたちには確実に伝わり、ペローシ議長は「高橋さんの話は素晴らしかった」と特に前田館長に伝えられたそうです。

その後、国際会議場での2時間の会議の後、広島市主催の昼食会を開催しました。この昼食会での会話も楽しいものでしたが、前回の報告でも触れましたので、省略することにします。

慰霊碑に向って9人の議長さんたちが、自然発生的に手をつないで祈りと決意を表してくれたこと、さらに会議前の「核兵器のない世界を目指して」が「核兵器をなくして平和な世界を」という決意に変ったと河野議長がコメントされたことからも、ヒロシマが議長さんたちを動かした証拠になると思います。

中でもペローシ議長は、特に熱心に広島を理解しようと努められていたように思いますし、「ヒロシマの心」はストレートに感じて頂けたのではないかと思います。例えば、慰霊碑の前で十字を切り、高橋昭博元館長の手を握り感謝の言葉を掛け、「子どもサミットのテーマには必ず軍縮を」と強調したのはアメリカのペローシ議長だったからです。

カトリック教徒の同議長は、ローマ法王の広島訪問にもとても関心を示して下さり、ローマ法王の広島訪問時のスピーチのコピーをお渡しすると、「これでもっと多くの人が説得できる」と笑顔で答えてくれました。アメリカで開催中の原爆展や「2020ビジョン」を掲げている平和市長会議の活動にも個人レベルで協力して貰えそうです。

大統領継承順位で言えば第二位の政治家が公式に広島を訪問し、ヒロシマに好意を持って帰って頂けたのですから、次の展望が開けることを期待しても良いと思います。そのためには未だ時間も掛かるでしょうし、並の努力では足りないかも知れません。しかし、今回の下院議長会議で、確実な希望が生まれました。そして、2020年までの核兵器廃絶に向けての、また一つ新たな希望も生まれました。

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そして皆さんにとって、今日一日が素晴らしい24時間でありますよう祈っています!

 [2023/6/5 人間イライザ]

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