安部元総理の行動原理
安部元総理の行動原理
伊藤博文(Public Domain)
「モリ・カケ・サクラ」が安部元総理の公私混同、さらには社会的責任欠如内閣の性格を表す言葉になりました。さらには、国会での「虚偽答弁」は118回にもなりました。(数字は、衆院調査局によるもの。報道は東京新聞電子版2020年12月26日。https://www.tokyo-np.co.jp/article/76810 2022年8月15日閲覧)
しかし、こうした事実を突き付けられ、また公務員としての責任を全うしようとした職員が自殺をしたことさえ、御本人は「馬耳東風」、「蛙の面に何とやら」で全く意に介する様子も見えませんでした。
これをただ単に「恥を知れ」という罵声を浴びせ掛けることで、感情的に始末してしまっては、政治を良くして行くための教訓にはなりません。安部元総理がなぜこんな破廉恥な行動を取れるのか、それなりの「説明」が必要です。
その説明を、何と、あの司馬遼太郎氏がしてくれています。『この国の形 一』(文春文庫、1993年) の183ページから185ページです。
司馬氏は、幕末の長州藩、つまり安部元総理の出身地である今の山口県、における人物登用システムを高く評価しています。
氏によると、長州藩で藩士士分に取り立ててもらう方法には、当時の他の藩とは違った二つの慣習・制度があったというのです。その一つは、「ハグクミ」と呼ばれ、ある家士が誰かを扶養し、弟分とみなすだけで、その誰かは武士として認められる、という慣習だったとのことです。もう一つは、家士が誰かを「手附」つまり家来だと届けることで、藩士として扱われる慣習です。
後の伊藤博文は司馬氏によると、元々は「ほとんど百姓身分といってよく、足軽でさえなかった」にもかかわらず、最初は「手附」として登録され、後には桂小五郎に「ハグクミ」として遇され、藩士として扱われることになったのです。
司馬氏は、この慣習・制度を高く評価しています。それは次の言葉が端的に表しています。「――公(藩)のためには、この俊輔(伊藤博文は一時この名前を使っていました)が必要だ。と桂がそう思うだけでこの人事は可能だった。」[下線の部分は、傍点なのですが、ワードでの傍点の付け方が分りませんので、下線に。]
そして司馬氏は、これが「公」という意識の始まりだと言っているのです。
これは、ピッタリそのまま安倍総理の行動原理ではありませんか。つまり、「俊輔」の代りに、「森友学園理事長・籠池泰典や加計学園理事長・加計孝太郎」についての記述だと考えると、「モリ・カケ」の意味がはっきりします。
安部元総理が必要だと考えるだけで、籠池や加計は特別な存在になるのです。両氏は、安部元総理の裁量によって利益を得ても問題がない「公」の立場の人間になったということなのです。
幕末の慣習・制度が今の時代にまで生き残っているのかどうかは検証が必要かもしれませんが、これほどピッタリと符合する説明になっているのですから、このこと自体が、当時の慣習、少なくともその背後にある価値観・考え方が生き残っている証拠だと言っても良いのかもしれません。
豪雨の被害はまだ続いています。被災者の皆さんに心からお見舞い申し上げます。さらに、コロナについてもまだ油断はできません。皆様、くれぐれも御自愛下さい。
それでは今日一日が、皆さんにとって素晴らしい日でありますよう。
[2022/8/16 イライザ]
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