WFRの対談記事・その2 ――核兵器禁止条約の目標は生存である――
WFRの対談記事・その2
――核兵器禁止条約の目標は生存である――
昨日に続いて、The World Financial Reviewに掲載された、Joseph Mazur氏と私の対談記事の和訳 (山田達也氏による) を掲載します。
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ジョセフ・メイザー
エー!ほとんどの日本人が、原爆投下から 7 年後まで、広島と長崎の悲惨さと破壊を知らなかったですって!驚きですね。僕は高校時代に、戦争が続いていたら、複数の国のより多くの人が死亡したはずだった、という理由を聞きました。君は1960年に高校の交換留学生として、10代の1年間をシカゴで過ごしましたね。原爆投下の話は、その1年のどこかで持ち上がったに違いない。米国から見ての、何が起こったかについての理解をどのように処理しましたか?
秋葉忠利
1955年のある土曜日、僕が通っていた小学校のみんなが、『原爆の子』と『ひろしま』を鑑賞しました。幸運にも原爆を生き延びた広島の小学生たちが書いたエッセイを原作にした映画です。次々と映る悲惨なシーンに衝撃を受けた僕は、2日間起き上がれず、学校を休みました。1ヶ月以上も飛行機の爆音にビクついてもいました。
中学で英語を勉強し始め、始めて真剣に読んだのがジョン・ハーシーの『ヒロシマ』でした。僕は戦争と平和、特に原子爆弾について学び、考え続けたのです。
1960年、当時の僕はAFSの交換留学生で、エルムウッド・パーク高校での1年の学生生活を最大限楽しんでいました。でもアメリカ史の授業を受けていたときに、最も大きなショックを受けました。
春学期に、広島と長崎に何が起こったのかを学んだのです。そこで強調されたのは、悲劇的で胸が張り裂けるような結果ではなく、その行為の正当化でした。原爆投下の正当化には3つの点がありました。1つ目は真珠湾が先だったこと、2つ目は原爆が戦争を早く終わらせたこと、3つ目はアメリカ人と日本人の命を救ったということでした。もし戦争が続いていたら、25万人のアメリカ人が死んだだろうし、さらに25万人の日本人も死んでいただろうということでした。
僕は教師と他20人の生徒を説得しようとしました - 正当化はさておき - 僕たちは言語を絶する人間の悲劇と人命損失に注目する必要があると。そのために、僕は苛められました。レスリングチームの仲間が、「タッド(僕の呼び名)1人を全員で苛めるのは公平ではない」、と立ち上がって守ってくれるまで、僕は責められたのです。
当時、日本の学校では現代史は教えられていませんでした。太平洋戦争を始めた日本の責任や、広島と長崎で何が起こったについて、公教育で学ぶことはなかったのです。学校のカリキュラムから、歴史におけるその重要な部分を、省略することが長年続いたのです。
ジョセフ・メイザー
SARS、新型コロナウィルス、気候問題、その他多くの世界の問題がニュースや夕食の話題になる今、私たちは核兵器に関してはやる気のなさの段階にあるようです。ニュースや夕食の会話で、核兵器に関するやる気のなさを、批判的思考に置き換える方法はありますか?言い換えれば、核兵器廃絶という目標、或は少なくとも世界の核兵器の数を段階的に減少させるという目標に携わるよう、国民とその指導者を、如何に教育できるのでしょうか?
秋葉忠利
やる気のなさの背後にある要因の1つは抑止論です。核兵器の危険性は理解できるかもしれませんが、生き地獄を経験した被爆者の証言からの真実を学んだ人の数は少数だからです。
抑止論の支持者は、私たちを攻撃する可能性がある国の邪悪な意図を抑えるには、核兵器が必要であると主張します。彼らは核兵器が私たちを守ると主張しながら、核兵器の使われないことを願っています。現実的な言葉で外国の侵略を抑える方法を知らなければ、私たちの殆どはその主張を受け入れる以外に選択肢がありません。それで半端な真実が世界中に広がり、「核兵器は平和のためにそこにある。核兵器を持つことで、皆さんの安全と安心が保証されます」、という核兵器と抑止論への確固たる信仰になっているのです。
広島・長崎で起きたこと、核兵器による攻撃の応酬がもたらす結果についての科学的事実、を伝えることに成功すれば、世界は目を覚まし、平和に向かって積極的に動き、法の支配の枠組み内で核兵器問題を解決できる、と僕は信じています。
広島と長崎への原爆投下がもたらした現実を、見せ伝える本、写真、映画、音楽、絵画などの表現手段は存在します。しかし加えて、皆さんが広島や長崎を訪れることを、僕は強く勧めます。バイデン大統領や金委員長を含む世界の指導者たちは、両都市を訪問すべきです。そうすれば理解は想像を超えて深まるでしょう。
核軍縮における大きな進展が、条約と裁判所の判決の形をとって成し遂げられました。核兵器禁止条約が法的拘束力のある国際協定である今こそ、私たちは核兵器のない世界を創るためのツールとして、それを活用すべきです。
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[対談は続きます]
[2022/5/2 イライザ]
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