アメリカ人のパール・ハーバー観 ――60年前の経験を元に――
アメリカ人のパール・ハーバー観
――60年前の経験を元に――
アメリカ人のパール・ハーバー観について、1986年に上梓した『真珠と桜』(「ヒロシマ」から見たアメリカの心)での解説を元に整理してお伝えしています。
アメリカ人にとって、パール・ハーバーがどれほど大きな意味を持つのかについて初めて気付いたのは、アメリカ時間1959年12月7日の朝でした。以下、『真珠と桜』からの引用です。
1959年の9月から、私はAFS 交換留学第六期生の一人として一年間をアメリカで過した。落ち着き先はシカゴ郊外のサマーズ家である。高校はエルムウッド・パーク町立高校で、最上級に組み入れてもらい、翌年の六月には卒業証書まで貰うことになった。
エルムウッドパーク・ハイ・スクールのイヤーブックから
書き込みは友達からのサヨナラ・メッセージ
AFSはアメリカン・フイールド・サービスの略。 ここで、 フィールドは戦場を意味する。元元は第一次大戦中、欧州の戦場を駆け巡って救急車を運転したアメリカ人ボランティアの団体である。「すべての戦争を終らせる戦争」と称された世界戦争から帰ったこれらのボランティアは、「戦争を防ぐためには異った 違った文化の間での理解、特に若い人達の間での理解を深める他に有効な方法はない」との認識に立って、学生の交換留学制度を創り出した。
第二次大戦後には新たな決意をもって、留学生として最も感受性の豊かな高校生を選ぶことになった。最近では、交換留学も日本とケニア、 インドとブラジルといった多国間のプログラムができているが、 1959年にはアメリカと他の国々という、第二次大戦後の国際情勢をそのまま反映した留学制度であった。
アメリカ生活は楽しかった。 アメリカ人は親切な上、初めて親許を離れた身軽さで急に大人になったように感じたものだった。12月頃までには、言葉にも一応困らなくなった。そんなある日、朝出掛ける前に (注 ホスト・ファミリーの) サマーズ夫人から注意を受けた。
「今日は何の日か知っているでしょうけれど、学校で何か言われてもいつもの通りユ ーモア精神で受け止めなさい。余りひどいことを言う人もいないでしょうけれど」
実はそう言われても何のことだか分らなかった。夫人は台所から新聞を持ってきて私に手渡した。題字の横に赤と青の星条旗がシンポル・マークとして刷ってある『シカゴ・トリビューン』紙である。紙面にはかなり大きい活字で 「パール・ハーバー」それに 「デイ・オブ・インファミー ](汚辱の日)」と書いてあった。注意された意味は分ったものの、実感は伴わなかった。
その日は、級友やレスリング部の仲間達がよそよそしかったような気もする。 「スニーク・アタック (卑劣な攻撃)」と 「パール・ハーバー」という言葉があちこちで聞えてきたのは確かに憶えている。 なるほど、 アメリカでは太平洋戦争の始りが重要な意味を持っていることは分った。だが、その根の深さにはまだ思いが至らなかった。
「これは大変なことだ」と実感できたのは、春になってからである。 アメリカ史の授業もようやく現代に近づいていた頃だった。
丁度その時間には、第二次世界大戦にアメリカがどういう経緯で参戦するに至ったかを勉強することになっていた。勿論それは日本の真珠湾攻撃から始る。私が反撥を感じたのは教科書の記述も先生の説明も日本を悪の権化として扱っていたからである。卑劣、狡猾、破廉恥、邪悪等々、可能な限りの形容詞を並べて日本を悪罵するのが目的のように感じられた。
歴史を教えていた 先生はずい分年寄に見えたが、今思うと四十代だったのではあるまいか。どことなくパートランド・ラッセル卿のような顔付をしていた。その 先生が、日本を余り好きではないなと感じたことが何回かあった。日本ではなく私個人だったのかもしれないし、両方だったのかもしれない。
真珠湾に事寄せて日本の悪口を並べた後、先生は私に何か言うことはないかと訊いた。その口調から、私には「どうだ、まいったか」と聞えて来た。「おっしゃる通り私は悪人でございます。誠に申し訳ありません」とでも言って私が平謝りに謝るのを期待しているようでもあった。
さて「何か言うことがあるか」と訊かれて反論をしたいものの、何を言うべきなのかはっきりしない。その上、感情が昻ると言いたいことさえきちんと英語で言うことは難しくなる。日本そのものを私自身に重ね合せて卑怯だ破廉恥だと指弾されれば腹の立つのは当り前だ。
結局二つの点についてしどろもどろに反論することになった。
一つはABCDラインと呼ばれた海上封鎖で、それ自身戦争行為だと認める学者がいるという点。もう一つは、モンロー宣言等で自国近くの地域については特別の権利を持つという立場をアメリカが取るのなら・同様の権利を日本にも認めるべきで、西欧諸国がそもそもアジアに進出して来る(正確には「アジアを侵略する」と書くべきだろう) のがおかしいという点である。
これは、あくまでその当時考えたことで、今ならこれに付け加えることはもっとある。更に、一体どのような視点から「真珠湾」を考えるかによって、様々な主張が正当性を持ってくるという点についても昔よりはよく分っているつもりである。
意の十分に伝わらないのは覚悟の上で反論を試みたものの、事態は一向に良くならなかった。先生だけでなく、クラスメートまで手を挙げて、教科書通りの説明を繰り返すのである。多勢に無勢、決定的に旗色が悪くなった。
その時、一番後の列に座っていた。ピートが立ち上った。冬はレスリング、春は陸上と一緒の部に属しており、髪はリーゼント・スタイル。 一年中ほとんど黒い革のジャンパーを着ている。
「君たちは「真珠湾」が卑怯だ、日本が悪魔だとか言ってるけど、今ここでやってることもフェ アじゃない。 タッド (「ただとし」とは言いにくいので友達はこう縮めて私を呼んでいた) と僕はレスリングの選手だ。でも試合はいつも一対一。二十人一緒に一人を攻撃することの方がよっぽど卑怯じゃないか」
喋るのは苦手な彼が、何とかこんな意味のことを言ってくれた。ことによると、彼の考え方も「日本は百パーセント黒でアメリカは百パーセント白」に近かったのかもしれない。政治にはあまり関心がなく、価値観もどちらかというと保守的な彼の口からこんな意見が飛び出そうとは思ってもみなかった。嬉しかったことは確かだが、同時に少々迷惑でもあった。その時はまた、 一人で先生と級友達全員を説得できるつもりでいたからだ。
ピートの発言がきっかけになって、白熱した議論は終った。先生は宿題として、太平洋戦争について教科書の一章を読むように言い渡して、その日の授業は終りになった。
原爆投下と終戦は授業中には取り上げられなかった。教科書の記述は「原爆によって平和が訪れ、日本本土上陸作戦が行われていれば犠牲になったはすの百万もの(だったと思う)人命が救われた」といったものだった。
アメリカでのパール・ハーバーにまつわる経験はまだまだ続きます。1980年代についてのものも次回に。
[2022/3/21 イライザ]
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