署名運動の持つ力 ――変化は起こせます。希望も創れます。――
署名運動の持つ力
――変化は起こせます。希望も創れます。――
Change.orgの署名運動には、日本語版と英語版があります。賛同して下さる方々からのコメントも書き込まれています。心から同感できるもの、元気を与えてくれるもの、考えさせられるもの等々、いろいろなコメントがあるのですが、英語版への最初のコメントは次のようなものでした。
「Honestly I’ll sign this but this is dumb. If the world leaders can’t get him to stop, a petition won’t. Let’s be real.」
簡単に訳すと、「署名はするけど、こんなことは馬鹿げている。世界のリーダーたちが止められないのに、署名が止められるわけがない。現実的になろう。」です。
これも一つの見方でしょうが、複雑な世界がどう動くのかについては、あらゆる可能性を視野に入れて考える必要があります。人類滅亡のシナリオを止めるためには、自分でできるそして少しでも可能性のある行動を取る必要があります。また被爆者の思いを何らかの形で表現して、多くの人たちと共有することもとても大切なのです。
その背景として、二つのことを指摘しておきたいと思います。広島市のメール・マガジン「ひろめーる」に2005年4月と8月に掲載したコラムの一部を抜粋してお伝えすることで、(A) 時代の変化についての認識を持って頂ければと考えていますし、変化は起こせるという自信を持って頂きたいのが一つ。同時に、(B) 時代を超えた真実のあること、それは希望が大切であることと希望も創り出せるという真実なのですが、それも再確認したいと思います。(ひろめーるのコラムも「春風夏雨」ですが、それは『元気です、広島』というタイトルで海鳴社から出版されています。)
(A) 1982年と2005年の間にアメリカでは、被爆者や被爆体験についての考え方に大きな変化があった。
1982年には国連の軍縮特別総会が開かれ、ニューヨークでの100万人集会など大変な盛り上りのあった年です。そして2005年には、核不拡散条約の再検討会議が開かれました。日本からは、これらの機会に被爆者や平和活動化など多くの人が参加しました。この、23年間に何が起きたのかを「ひろめーる」のコラムで報告しています。ちょっと長くなりますが、お読み頂ければ幸いです。
2005年のNPT再検討会議で
個人的な感慨としては、NGOや市民活動家たちの広島・長崎に対する考え方がこの23年間で大きく変ったと感じています。1980年代、そして特に1982年には、多くの反核集会が開かれましたが、その際何度も耳にした言葉があります。それは「広島・長崎への原爆投下は正しかったが、次に核兵器が使われれば、それは自分たちの身に降り掛るか、人類の滅亡に繋がる。だから、凍結が必要だ」、というものです。
当時の凍結運動をリードした中の有力メンバーには、PSR(「社会的責任を果す医師の会))やIPPNW(核戦争防止国際医師の会)といった医師たちの組織が入っていましたが、彼ら/彼女らの活動はボストンから始まりました。そのボストンでさえ、集会の中で被爆者の発言する場を確保しようとしてもその意味を分って貰えないようなことが何度もありました。6月のニューヨークでも、集会に招待されながら紹介もして貰えないようなことさえあり、被爆者の存在を認めて貰うこと、そして発言の場を確保することは大変難しかったことを憶えています。
勿論、被爆者のメッセージを初めから真剣に受け止め、いわば被爆者の代弁者として活動してきたアメリカ人、そして活動家たちは23年前にもいました。現在、その数が増えたというのが私の実感ですが、問題はその広がりです。23年前には、まだまだ広島・長崎そして被爆者についての理解が十分に広まっていなかったと言えるのではないかと思います。
ところが今回は、私たちと協力してくれているNGOの関係者たちは例外なく、被爆者とそのメッセージを大切にしてくれています。その結果、多くの集会で被爆者の証言が中心的な役割を担うようになって来ています。
一例として挙げておきたいのは、平和問題や人権環境などの問題について長い間、忍耐強い努力を続けてきたクエーカー教徒の団体である「American Friends Service Committee」が、「被爆者/被団協」を今年のノーベル平和賞に推薦してくれていることです。また、今回のニューヨークでの催し物のなかには、被爆者に焦点を当てたり、今後の被爆者の活動に対しての資金援助を目的としたりするものもあります。20年の間に、アメリカ人全てではないにしろ、アメリカの中に大きな変化が起きているのです。
何故これほど大きな変化が起きたのでしょうか。これだ、という簡単な理由ではないような気がします。多くの人々、特に被爆者のたゆまぬ努力の結果だと思いますが、敢えて幾つか気の付いたことを挙げておきたいと思います。
何と言っても、世界中の至る所で多くの被爆者が証言を続けたことを強調しておかなくてはなりません。多くの人にそのメッセージが伝わるまでには時間が掛ります。忍耐強く語り続けた一言一言が、それを聞いた人の胸を打ち、さらに多くの人に伝わって行く時間です。言葉に加えて、被爆者の描いた被爆当時の絵によって、想像力の乏しい、と言うよりは、通常の想像力はあっても、それではとても想像できない程の惨禍が多くの人々に伝わったことも大切だと思います。広島は勿論のこと、世界中の多くのジャーナリストが被爆者の声を取り上げ続けたことも重要です。手前味噌になりますが、広島市と長崎市が世界で開いている原爆展もそれなりの効果があったと思いますし、その他の多くの団体や個人も原爆展を開催する努力を続けています。
もう一点、特に強調しておきたい点があります。それはこの25年ほどの間に、アメリカやカナダ等の多くの子どもたちが佐々木禎子さんの物語を読み、折鶴を折ることで被爆体験や戦争と平和について理解を深めてきたことです。一つのきっかけになったのは、エリノア・コアーさんという作家が1977年に出版した「Sadako and the Thousand Cranes」(「禎子と千羽鶴」)という本です。今や、この本ならびにその後作られた映画等がアメリカやカナダ等では小学校の標準的な副読本の一つになったと言っても良いくらい普及しています。海外で活躍している日本人、特に、フランス、マラコフ市のシボーさんやアメリカシアトル市のパンピアンさん等の女性の手で、映画やコンサート、講演その他のイベントという形でさらに多くの子どもたちに禎子さんのメッセージが伝わったことも重要です。
その他の芸術活動も多くありますし、ここに書き切れないくらい多くの人々の努力があって初めて、私が感じているような変化が起きてきているはずです。この辺りのことを詳しく調べて、何方かが感動的なノンフィクションにまとめて頂けるとありがたいのですが。
さて、23年前と今回の違いで誰もが気付くのは恐らく、規模の差です。23年前は100万人の人がニューヨークを埋め尽くしましたが、今回は何人集まるのか未だはっきりとは分りません。しかし、100万人にはならないだろうと思います。だから今回ニューヨークに行く意味はないと言ってしまうのは早計です。何故このような違いがあるのかを考えなくてはなりません。
私見では、23年前のデモや集会は、それを目的にした大きな運動がありその運動の成果だったのに対して、今回は、この「運動」に相当する部分がこれから始まるのだ、という違いがあります。
例えば、同じく23年前に設立された平和市長会議(設立当時の名称は、「世界平和連帯都市市長会議」)が2年前に決定をし推進している「2020Vision」(日本語では「核兵器廃絶のための緊急行動」)は、2020年までに核兵器を廃絶することを目的としている行動計画です。中間目標として国連が2010年までに核兵器禁止条約を締結することを掲げています。そして、今年の再検討会議では、各国が核兵器廃絶の方向で交渉を始めることを決めるよう提案しています。つまり、これから15年間は続く大きな運動の出発点に当ります。2020年までに核兵器を廃絶させるために、今年の5月をきっかけとしてさらに多くの人々が私たちの運動に参加してくれることを期待しています。
これを書いてから17年がたっています。その17年間の変化と、それ以前の23年間の変化とを比べてみるのも一興なのですが、それはまたの機会に譲ります。
長くなりましたので、冒頭で述べた二つ目の「希望は創り出せる」は、また明日に。
[2022/3/31 イライザ]
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