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2022年3月

2022年3月31日 (木)

署名運動の持つ力 ――変化は起こせます。希望も創れます。――

署名運動の持つ力

――変化は起こせます。希望も創れます。――

 

Change.orgの署名運動には、日本語版と英語版があります。賛同して下さる方々からのコメントも書き込まれています。心から同感できるもの、元気を与えてくれるもの、考えさせられるもの等々、いろいろなコメントがあるのですが、英語版への最初のコメントは次のようなものでした。

Honestly I’ll sign this but this is dumb. If the world leaders can’t get him to stop, a petition won’t. Let’s be real.

 簡単に訳すと、「署名はするけど、こんなことは馬鹿げている。世界のリーダーたちが止められないのに、署名が止められるわけがない。現実的になろう。」です。

 これも一つの見方でしょうが、複雑な世界がどう動くのかについては、あらゆる可能性を視野に入れて考える必要があります。人類滅亡のシナリオを止めるためには、自分でできるそして少しでも可能性のある行動を取る必要があります。また被爆者の思いを何らかの形で表現して、多くの人たちと共有することもとても大切なのです。

 その背景として、二つのことを指摘しておきたいと思います。広島市のメール・マガジン「ひろめーる」に20054月と8月に掲載したコラムの一部を抜粋してお伝えすることで、(A) 時代の変化についての認識を持って頂ければと考えていますし、変化は起こせるという自信を持って頂きたいのが一つ。同時に、(B) 時代を超えた真実のあること、それは希望が大切であることと希望も創り出せるという真実なのですが、それも再確認したいと思います。(ひろめーるのコラムも「春風夏雨」ですが、それは『元気です、広島』というタイトルで海鳴社から出版されています。)

 (A) 1982年と2005年の間にアメリカでは、被爆者や被爆体験についての考え方に大きな変化があった。

 1982年には国連の軍縮特別総会が開かれ、ニューヨークでの100万人集会など大変な盛り上りのあった年です。そして2005年には、核不拡散条約の再検討会議が開かれました。日本からは、これらの機会に被爆者や平和活動化など多くの人が参加しました。この、23年間に何が起きたのかを「ひろめーる」のコラムで報告しています。ちょっと長くなりますが、お読み頂ければ幸いです。

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2005年のNPT再検討会議で

 個人的な感慨としては、NGOや市民活動家たちの広島・長崎に対する考え方がこの23年間で大きく変ったと感じています。1980年代、そして特に1982年には、多くの反核集会が開かれましたが、その際何度も耳にした言葉があります。それは「広島・長崎への原爆投下は正しかったが、次に核兵器が使われれば、それは自分たちの身に降り掛るか、人類の滅亡に繋がる。だから、凍結が必要だ」、というものです。

 当時の凍結運動をリードした中の有力メンバーには、PSR(「社会的責任を果す医師の会))IPPNW(核戦争防止国際医師の会)といった医師たちの組織が入っていましたが、彼ら/彼女らの活動はボストンから始まりました。そのボストンでさえ、集会の中で被爆者の発言する場を確保しようとしてもその意味を分って貰えないようなことが何度もありました。6月のニューヨークでも、集会に招待されながら紹介もして貰えないようなことさえあり、被爆者の存在を認めて貰うこと、そして発言の場を確保することは大変難しかったことを憶えています。

 勿論、被爆者のメッセージを初めから真剣に受け止め、いわば被爆者の代弁者として活動してきたアメリカ人、そして活動家たちは23年前にもいました。現在、その数が増えたというのが私の実感ですが、問題はその広がりです。23年前には、まだまだ広島・長崎そして被爆者についての理解が十分に広まっていなかったと言えるのではないかと思います。

 ところが今回は、私たちと協力してくれているNGOの関係者たちは例外なく、被爆者とそのメッセージを大切にしてくれています。その結果、多くの集会で被爆者の証言が中心的な役割を担うようになって来ています。

 一例として挙げておきたいのは、平和問題や人権環境などの問題について長い間、忍耐強い努力を続けてきたクエーカー教徒の団体である「American Friends Service Committee」が、「被爆者/被団協」を今年のノーベル平和賞に推薦してくれていることです。また、今回のニューヨークでの催し物のなかには、被爆者に焦点を当てたり、今後の被爆者の活動に対しての資金援助を目的としたりするものもあります。20年の間に、アメリカ人全てではないにしろ、アメリカの中に大きな変化が起きているのです。

 何故これほど大きな変化が起きたのでしょうか。これだ、という簡単な理由ではないような気がします。多くの人々、特に被爆者のたゆまぬ努力の結果だと思いますが、敢えて幾つか気の付いたことを挙げておきたいと思います。

 何と言っても、世界中の至る所で多くの被爆者が証言を続けたことを強調しておかなくてはなりません。多くの人にそのメッセージが伝わるまでには時間が掛ります。忍耐強く語り続けた一言一言が、それを聞いた人の胸を打ち、さらに多くの人に伝わって行く時間です。言葉に加えて、被爆者の描いた被爆当時の絵によって、想像力の乏しい、と言うよりは、通常の想像力はあっても、それではとても想像できない程の惨禍が多くの人々に伝わったことも大切だと思います。広島は勿論のこと、世界中の多くのジャーナリストが被爆者の声を取り上げ続けたことも重要です。手前味噌になりますが、広島市と長崎市が世界で開いている原爆展もそれなりの効果があったと思いますし、その他の多くの団体や個人も原爆展を開催する努力を続けています。

 もう一点、特に強調しておきたい点があります。それはこの25年ほどの間に、アメリカやカナダ等の多くの子どもたちが佐々木禎子さんの物語を読み、折鶴を折ることで被爆体験や戦争と平和について理解を深めてきたことです。一つのきっかけになったのは、エリノア・コアーさんという作家が1977年に出版した「Sadako and the Thousand Cranes(「禎子と千羽鶴」)という本です。今や、この本ならびにその後作られた映画等がアメリカやカナダ等では小学校の標準的な副読本の一つになったと言っても良いくらい普及しています。海外で活躍している日本人、特に、フランス、マラコフ市のシボーさんやアメリカシアトル市のパンピアンさん等の女性の手で、映画やコンサート、講演その他のイベントという形でさらに多くの子どもたちに禎子さんのメッセージが伝わったことも重要です。

 その他の芸術活動も多くありますし、ここに書き切れないくらい多くの人々の努力があって初めて、私が感じているような変化が起きてきているはずです。この辺りのことを詳しく調べて、何方かが感動的なノンフィクションにまとめて頂けるとありがたいのですが。

 さて、23年前と今回の違いで誰もが気付くのは恐らく、規模の差です。23年前は100万人の人がニューヨークを埋め尽くしましたが、今回は何人集まるのか未だはっきりとは分りません。しかし、100万人にはならないだろうと思います。だから今回ニューヨークに行く意味はないと言ってしまうのは早計です。何故このような違いがあるのかを考えなくてはなりません。

 私見では、23年前のデモや集会は、それを目的にした大きな運動がありその運動の成果だったのに対して、今回は、この「運動」に相当する部分がこれから始まるのだ、という違いがあります。

 例えば、同じく23年前に設立された平和市長会議(設立当時の名称は、「世界平和連帯都市市長会議」)2年前に決定をし推進している「2020Vision(日本語では「核兵器廃絶のための緊急行動」)は、2020年までに核兵器を廃絶することを目的としている行動計画です。中間目標として国連が2010年までに核兵器禁止条約を締結することを掲げています。そして、今年の再検討会議では、各国が核兵器廃絶の方向で交渉を始めることを決めるよう提案しています。つまり、これから15年間は続く大きな運動の出発点に当ります。2020年までに核兵器を廃絶させるために、今年の5月をきっかけとしてさらに多くの人々が私たちの運動に参加してくれることを期待しています。

 これを書いてから17年がたっています。その17年間の変化と、それ以前の23年間の変化とを比べてみるのも一興なのですが、それはまたの機会に譲ります。

 長くなりましたので、冒頭で述べた二つ目の「希望は創り出せる」は、また明日に。

 [2022/3/31 イライザ]

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2022年3月30日 (水)

広島の魅力 ――山根政則さんの評価です――

広島の魅力

――山根政則さんの評価です――

 

昨日の最後の言葉「戦争に『正義の戦争』というものは存在しない」は、山根政則さんが、御自分の被爆体験を話す際、最後に強調したものです。山根さんは小倉さんのお兄さんで、被爆したのは広島駅の北側にあった東練兵場でした。

 成人してから35年を東京で送った後、現役生活40周年という節目の年に広島に御夫妻で転居されました。その後、趣味の路面電車についての豊富な知識を生かして、広島市の交通政策に貴重な助言をして下さいました。

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下手に御紹介するよりは、山根さんの作られたホームページ「路面電車を考える館」を御覧頂きたいと考え、そのURLをここに貼り付けます。その最後に、山根さんの被爆体験が掲載されています。

今日は、その山根さんが広島の魅力を数値化して下さったことを御紹介します。多摩プラーザに住んでいた山根さん御夫妻が広島転居を決めたのには、東京と広島を数値化して比較した上で、より魅力的な広島に住むことを選んだというエピソードがあるのです。その詳細を、2003年のメルマガ「春風夏雨」から引用します。

 私たちの仕事や日常生活をより効率的にしかも楽しく行う上で有効なデータと考え方を紹介したいと思います。私よりちょっと年配のYさん御夫妻が作られた「東京・広島 QL 主観的比較」です。「QL」は「クオリティー・オブ・ライフ」の略で、生活の質という意味です。

 お二人は、横浜市のたまプラーザから9年前に、夫のMさんの現役40年活動を機に故郷である広島に転居されたのですが、その際、35年にもなる東京圏での生活と広島での生活を比較した上で、転居を決定したそうです。一流企業のエリート・ビジネスマンとしての合理的な判断の仕方ですが、大切な決定をする上で、私たちにも参考になりそうです。

 具体的には、先ず自分たちの生活にとって大切な28の項目を選んで、その一つ一つが自分たちにとってどのくらい大切なのかを、1から10の間のウエイト、つまり点数で示しました。各項目については、東京のレベルを1として、それより改善が期待できる項目には1から2の間の小数で、東京より悪くなるものについては、0から1の間の小数で評価をしました。ウエイトと評価を掛けたものがその項目についての評価です。28項目全部の評価を足した結果が総合評価になります。

 例えば、「住居の快適さ」はウエイトが10ですから、転居に当ってこれが重要な要素だったことが分ります。そして、東京と比べて、築後22年に対して新築かつ面積が増えるという理由で、広島に対する期待度は1.3です。評価は13ということになります。「大きな本屋があるか」はウエイト3で、東京と比べると不利な点になって、期待度は0.5です。他の項目は、「気候・風土」「人情、人間関係、親戚付き合い」「友人の喪得」「食料品物価」「食料品鮮度・うまさ」「一般生活費」「音楽界等のイベントの開催」「その料金」「切符の入手し易さ」等々、随分、細かくかつ御自分たちの生活の内容や質について、客観的に理解していらっしゃることが良く分ります。

 さて、その結果ですが、9年前、東京で生活し続けるとすると合計点は144点、それが広島に転居すると166.6点になるという予測を立てた結果、広島への転居を決められたとのことでした。約15パーセント、生活の質が向上するという見通しで広島を評価して頂けたのです。念のために付け加えておくと、この中には引越しの労力や費用も、マイナスの点として考慮されています。

 これだけでも、広島ファンにとっては嬉しい評価ですが、長い間東京で生活したフラストレーションがあったり、その反動としての故郷びいきが評価に反映されていないとも限りません。しかし、その心配は、広島生活一年後の「実測値」そして9年後の「実測値」で見事に払拭されています。その間、新しい項目が付け加えられ、全部で31項目、東京における生活の質は145点と評価されています。

 一年後の実測値は、175.7です。9年後の広島は183.4点で、転居時に15パーセントは生活の質が向上するだろうと予測した値をはるかに超えた約25パーセントの向上率です。

 こうした分析をサラリーマンの皆さんがしたわけではないと思いますが、「住みやすい街」番付で広島市が高い評価を得ているのもむべなるかなという気がします。広島に長い間住んで、ついつい広島の良さを当り前のこと、当然だと考えがちな私たちも、教えられることが多いような気がします。

 [2022/3/30 イライザ]

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2022年3月29日 (火)

小倉桂子さんとHIP ――イタリアのテレビ局がヒロシマを取材――

小倉桂子さんとHIP

――イタリアのテレビ局がヒロシマを取材――

 

イタリアのテレビ局、The RAI National TVのビオ・デミリア記者が327日に取材した「スーパー・ウーマン」お二人に焦点を合わせています。昨日は切明千枝子さんについて、是非御本人の言葉を読むかビデオで切明さんのお話をお聞き下さい、という御案内をしました。

 今日はもう一人の「スーパー・ウーマン」小倉桂子さんです。小倉さんの被爆体験とその後の活躍をお伝えしたいのですが、小倉さんの活動の中でも大切なのは、御自身の体験はもちろんのこと、他の人の体験も英語に訳して伝えることを使命として生きて来られた点です。

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Demilia記者と小倉さん

小倉さんの体験も御自分の言葉で語られているビデオを御覧頂きたいのですが、その前に、広島平和文化センターの機関誌に掲載された「被爆体験記」から一部を引用しておきます。

 八月六日

国民学校2年生の私は爆心地から北へ2.4キロの牛田町で被爆しました。 5年生の兄は学童疎開、中学生の兄は学徒動員により広島駅の北で農作業中でした。 父が「何か嫌な予感がする。今日は学校に行くな」というので、私は一人ぼっちで家の北側の道路にいました。 突然目もくらむような閃光に包まれ、 続いて襲ってきたすさまじい爆風により路上に叩きつけられました。 近所の藁屋根は瞬時に燃えだしました。 家に戻ると家の中のすべては破壊され、天井や屋根瓦は吹き飛ばされ、総ガラス張りの戸や窓のガラスは数百の破片となって壁や柱に突き刺っていましたが、幸いにも自宅にいた両親や兄弟たちは軽傷で済みました。

  そのすぐ後に、雨が降りました。雨がいつ降り出したかは正確には分かりません。多分被爆後、ほどなくしてだと思います。 外に出た私の服を濡らしたのはねっとりとした灰色の「黒い雨」でした。 その雨は家中の壁に何本もの太い灰色の線を残しました。

 (中略)

 壊滅状態の街を見下ろす

8月7日、神社前の高台から広島の街を見下ろしました。 見渡す限りの焼け野原に百貨店の福屋と旧中国新聞社やいくつかの建物の残骸が見え、その向こうに見えた海は手が届くほど近くに感じられました。 遺体処理の煙がすぐ近くの公園から登っており、時折死体を焼くにおいが流れて来ました。 それから毎日、私は石段を登っては広島の街を見続けました。

1962年には、後に資料館館長や平和文化センターの事務局長として、また国際通として被爆の実相と被爆者のメッセージを世界に発信した小倉馨氏と結婚。1979年には急逝した馨氏の遺志を継いで、桂子さんは英語を猛勉強し、広島を訪れる外国人の窓口・ガイドとしてまた海外への「ヒロシマ発信」の拠点としての活動を始めました。

 1984年には、「平和のための広島通訳者グループ」(HISと略)を設立して、上記の活動に加えて、広島に常駐する通訳者の養成と継続的研鑽も活動内容に加えました。活動の内容は、日本語並びに英語のホームページがありますので御覧下さい。

 一言、「通訳」についてコメントをしておきます。すべての人が同じ言語を理解している訳ではありませんので、異なった言語を通訳してコミュニケーションを可能にする「通訳」または「通訳者」は、異文化コミュニケーションには必要不可欠な存在です。にもかかわらずその重要性が理解されず、しばしば、「外国語が喋れる人は、喋れない人のためにボランティアとして通訳をして当り前」のような価値観が通用しています。

 しかも、通訳は正確に訳せて当り前、ちょっとでもミスがあるとけちょんけちょんに非難される存在でもあります。これは不当な評価の仕方ですが、多くの人がこの立場で物を言う傾向もあります。

 それだけではなく、被爆者の体験を訳すのには、感情の襞の深い部分まで理解した上で、それを英語でしかも同じレベルで表現しなくてはなりません。これほどの難しさのある仕事を、自ら選び、しかも40年間立派に果して来られた小倉さん、そして小倉さんと志を同じくする皆さんに心から敬意を表します。

 広島市は、その功績を称えて、2005年に広島市民賞をHIPに差し上げています。

 日本語のホームページ

 英語のホームページ

 ここで英語のホームページ中の小倉さんの言葉を聞いて下さい。英語ですが、格調高い内容と真摯な姿勢が伝わるはずですので。

 

最後にもう一つエピソードを添えます。2003年には、ワシントンのスミソニアン航空宇宙博物館新館に、原爆を投下した「エノリ・ゲイ」号が永久展示されることになり、小倉さんは一般公開初日に博物館を訪れています。小倉さんはその機体を目の前にして「足がすくみ、震え、泣き出した」と当時の報道が伝えています。

 デミリア氏のインタビューで、それに加えて小倉さんが語っていたのは、スミソニアン博物館で恐怖に襲われたのは、「エノラ・ゲイ」だけではなかったという事実です。それよりはるかに小さいグラマンという戦闘機も展示されていたのだそうですが、それを見たときには、原爆以前に経験した「機銃掃射」を思い出し身が竦んだ、と語っています。

 「機銃掃射」とは、飛行機が地面すれすれの低空を飛行して、地上にいる人間を狙って機関銃で直接殺す行為を指します。パイロットの顔だけではなく目まではっきり見た人もいるくらい、人間が人間を殺す行為なのです。

 核兵器とは、廃絶される以外の目的を持ちません。それは当然なのですが、小倉さんのエピソードは、「戦争に『正義の戦争』というものは存在しない」ことの証明にもなっています。

 [2022/3/29 イライザ]

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2022年3月28日 (月)

切明千枝子さんと小倉桂子さん ――イタリアのテレビ局がヒロシマを取材――

切明千枝子さんと小倉桂子さん

――イタリアのテレビ局がヒロシマを取材――

 

雨に祟られた26日の平和公園と打って変わって、27日は爽やかな日曜日になりました。平和公園の桜も五分から7分咲きくらいで、家族連れそして資料館を見学する人も多い一日になりました。

 イタリアのNHKに相当するようなテレビ局、The RAI National TV、の取材で、記者のPio Demiliaさんが平和公園を訪れました。午前中は資料館の取材、そして午後からはお二人の「スーパー・ウーマン」、切明千枝子さんと小倉桂子さんのお話を丁寧に取材してくれました。

 切明さんは15歳で、小倉さんは8歳で被爆したのですが、お二人とも大変お元気で、お二人より若い私が圧倒されてしまうほどで、思わず「健康法は?」と聞いてしまいました。

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Demiliaさんと切明さん

切明さんは、学徒動員されタバコ工場で働いていました。一日中立ちっ放しで仕事をしていたため86日には足の痛みが酷く、朝2時間の休みを貰い外科医の診察を受けるために、市内の中心部に向っていました。

 暑い日だったので、途中で汗を拭おうと、倉庫のような建物の軒下に入った途端に、目の前に太陽が落ちたような強い光を感じ、すぐに爆風も届いて地面に叩き付けられて気を失ったそうです。

 気が付いた後で切明さんがどのような体験をなさったのか、その後の77年間どんな思いで生きて来られたのか、是非、切明さん御自身の言葉を読んで下さい。例えば、『切明千枝子 ヒロシマを生き抜いて』(ノーモア・被爆者継承センター広島 連絡先はh.conveyrelay@gmail.com)は、切明さんのお話を文字起こしして詳しい注も付けた冊子です。

 それ以上に、切明さん御自身の語るビデオを見て頂きたいと思います。YouTubeで検索すればいくつかのビデオが出てきますので、試して見て頂きたいのですが、その内の一つ、2020年の618日に収録されたビデオのサイトを御紹介しておきます。広島県原水禁の金子哲夫代表委員の紹介文をまず掲載します。

 現在90歳となる切明千枝子(きりあけちえこ)さんの被爆体験を広島県原爆資料館の会議室で、被爆証言を聞かせていただきました。(2020618日収録)

 被爆時の話のみならず、15歳だった当時の疑問や考えなど、はっきりとした口調で、声を震わせながら、時にはにかみながら、お話ししてくれました。 話しをしていると、当時のことがフラッシュバックしてしまい、苦しくなる… それでも、こんな悲惨な思いはもう二度と誰にもしてほしくない、という思いを伝えてくれました。

 後半には、番外編として、聞き手の質問に答える形で、広島の被服支廠に対する思いを語る姿を収録しています。 聞き手:金子哲夫(原水禁広島代表委員)

  News Paper 2020.8 No.865 インタビュー【被爆証言 86日広島は地獄に変わった 切明千枝子さん】にてお話を聞かせていただいた内容は以下の通りです。被爆証言をお話しいただいた後に、質問をさせていただき、インタビュー記事としてまとめました。

 ◇ 証言活動をはじめたきっかけ

 ◆ 若い人たちに思うこと

 ◇ 当時、戦争に対して違和感を持ったこと

 ◆ 今の日本に思うこと

 

以下ビデオを御覧下さい。

 

小倉桂子さんについては明日、アップさせて頂きます。

 [2022/3/28 イライザ]

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2022年3月27日 (日)

岸田総理とエマニュエル大使の発言 ――車座対話の成果は?――

岸田総理とエマニュエル大使の発言

――車座対話の成果は?――

 

岸田総理大臣とアメリカのエマニュエル大使が平和公園を訪れました。どのような日程だったのか、NHK NEWS WEB の中の広島NEWS WEBが全体像を簡潔にまとめていますので、主要部分を引用します。

(https://www3.nhk.or.jp/hiroshima-news/20220326/4000016957.html)

 「岸田総理大臣とエマニュエル大使は原爆資料館を視察し、2016年に当時のアメリカのオバマ大統領が訪問した際に寄贈した折り鶴などを見て回りました。そして、資料館を訪れた各国の元首や首脳たちがメッセージを記載する芳名録にそれぞれ記帳しました。このあと2人は、そろって原爆慰霊碑に献花し、原爆の犠牲者に祈りをささげました。」

 「原爆慰霊碑に献花したあと岸田総理大臣は原爆資料館でエマニュエル駐日大使と会談し、(中略) 

冒頭、岸田総理大臣は、「核兵器を含む大量破壊兵器は絶対にあってはならない。被爆の実相に触れてもらったが国際社会に強いメッセージを発し、広島訪問は大変意義深いことになると確認している」と述べました。

これに対し、エマニュエル大使は「ウクライナの人々への共通の価値は揺るぎない。ロシアの不法な戦争に反対するのはアメリカだけでなく全世界的なものだ。不法な戦争により日々、軍事活動が拍車をかけて展開されている。ロシア軍は病院や避難所などと知りながら無実の人を無差別に攻撃している。広島ほど平和にコミットするために重要な場所はない」と述べました。」

 「平和公園での一連の日程を終えたあと、

岸田総理大臣は記者団に対し、「ロシアによるウクライナ侵略について核兵器が使用される可能性が懸念されている。 唯一の戦争被爆国として核兵器の威嚇や使用は絶対にあってはならないし、惨禍は繰り返してはならないという思いを改めて確認した」と述べました。

その上で「核兵器の使用の可能性が現実の可能性としてあるなか、大使の訪問は

国際社会へのメッセージになると期待しているし、有意義だ」と述べました。

そして、「ウクライナ情勢は核兵器のない世界を目指す上で道のりの険しさを突きつけている。広島の総理大臣として世界に発信していかないといけない。

国際社会と協力し、ウクライナや周辺国への支援を進めていかないといけない。

ロシアが侵略をやめるよう、国際社会と緊密に連携していきたい」と述べました。」

せっかく、総理と大使がそろって平和を公園を訪れるという前向きの行動を取ってくれたのですから、「注文を付ける」ことはしたくないのですが、政治的な分岐点として大切な考え方と事実の認識について、解説を付け加えておきます。

 一つは、岸田総理の「ウクライナ情勢は核兵器のない世界を目指す上で道のりの険しさを突きつけている。広島の総理大臣として世界に発信していかないといけない。」という件です。

 総理は、実際に核が使われるかもしれないという懸念があることにも言及しているのですから、それと合わせると、何故「道のりの険しさ」なのでしょうか。核兵器の廃絶という道のりが険しいものであっても、ウクライナで起きていることから明白なのは、核兵器を使わせない、そのためには核兵器の廃絶という道を選ぶしかない、という現実でしょう。「険しくても、ただちに核廃絶の方向に舵を切る」と宣言する場ではなかったのでしょうか。

 エマニュエル大使の記者団への発言について、NHKWEB記事を御覧頂きたいのですが、テレビを見ていて大切だと思った点が二つ抜けていますので、それを補足しておきます。

 彼は、「資料館を見た結果、被爆資料が教えてくれていること、私たちに語っていることを一度で吸収することはできません。ですからもう一度、資料館を訪れます。」と語っていました。最後の部分も大切なのですが、それが訳されていませんでした。

 もう一点、大使は広島の松井市長と長崎の田上市長からの要請を数日前に受けているのですが、その時に貰った「宿題がある」、と大使は述べ、それは、「平和首長会議(Mayors for Peace)へのアメリカの加盟都市数を増やすことだ。」とのことでした。「都市が平和のために活動することが大切だ」という趣旨の発言もありました。これらの点には全く問題がありません。

 でも、Mayors for Peace は既に素晴らしい活動をしています。エマニュエル大使は2011年から2019年まではシカゴ市長を務めています。その直前、つまり2010年の時点で、全米市長会議は、当時のオバマ大統領に核兵器禁止条約の締結や批准、そして核廃絶のリーダーシップを握るようにと決議をしています。

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ないものねだりになってしまいますが、全米市長会議のこれまでの活躍を踏まえて、「核廃絶を願う全米市長会議の決議を実行するようバイデン大統領に進言する。」くらいのことを今回は言って欲しかったというのが私の気持です。

 ずっと気になっているのが、若い人たちと総理の「車座対談」です。今日の報道には取り上げられていませんでしたので、明日の新聞で確かめられればと思います。

 最後におまけです。全米市長会議の20101月の会議の時の写真です。オバマ大統領に「広島に来て下さい。」と要請し、「是非行きたいです」という返事を貰った時です。

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 [2022/3/27 イライザ]

 

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2022年3月26日 (土)

岸田総理の平和公園訪問 ――アメリカのエマニュエル大使とともに――

岸田総理の平和公園訪問

――アメリカのエマニュエル大使とともに――

 

この項を書いているのは325日ですが、26日の土曜日に、岸田総理大臣がアメリカのエマニュエル駐日大使とともに平和公園を訪れることが発表されました。原爆資料館を視察し慰霊碑に献花するとのことです。岸田総理個人では、これまで核兵器の悲惨さを訴えるために活動してきた人たちと車座での対話を行うとのことです。

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夜の慰霊碑

 複数のマスコミ報道によると、松野官房長官は次のように述べています。「被爆の実相に対する理解の重要性を内外に発信するとともに、核兵器のない世界に向けた機運をいっそう醸成することが期待される。また、ウクライナ情勢をはじめとする国際情勢のほか、幅広い分野での日米関係の強化について意見交換を行う」

 プーチン・ロシア大統領による核脅迫の深刻度を考えると、ガルージン駐日ロシア大使とともに平和公園を訪れて、被爆の実相をプーチン大統領に伝えて貰う方が現時点での緊急性は高いようにも思えます。

 とは言え、どこかから始めなくてはなりません。アメリカの次はロシアという順序で、またその他の核保有国の駐日大使を総理大臣が次々と資料館に案内し、被爆者の体験を聞いて貰う機会を作ってくれることに期待したいと思います。

 エマニュエル大使が被爆者から直接体験を聞くことになっているのかどうかは分りませんが、核兵器の残酷さや非人間性についての理解を深めるためには一番大切なことなのですから、26日の日程には欠かせません。

 岸田総理の平和公園訪問は、唐突にも感じたのですが、先週から調整が行われていたとの報道もあります。そしてChange.orgの署名運動に賛同して下さった方が54,624人になった312日に、署名運動の趣旨をまとめた手紙を岸田総理に送りましたので、タイミングとしては、その手紙に応えてくれたようにも感じられます。直接の因果関係がないとしても、総理大臣は署名運動に賛同して下さった皆さんと同じ波長で考えていることになります。だとすると、プーチン大統領説得のためのモスクワ行きの可能性も高くなってきているのかもしれません。

 参考までに、312日付の岸田総理大臣宛の手紙のコピーを以下、貼り付けます。

 

**************************************

内閣総理大臣 岸田文雄殿

「核を使わない」と、ロシアに宣言させるために行動して下さい

2022年3月12日

前広島市長・秋葉忠利

54,624人のChange.org署名キャンペーン賛同者一同

 拝啓

総理大臣御就任おめでとうございます。また、国民のために日夜激務をこなしておられることに感謝しています。

本日はウクライナ危機に関連して、ロシアのプーチン大統領による「核脅迫」を「核使用」にしないようできる限りの活動をしかつ祈っている被爆者や市民たちのために、貴職の役割が必要不可欠であることから、お願いの筆を執っております。

2月24日と27日に、プーチン大統領が核兵器を使うぞとの威嚇 (「脅迫」の方がより正確です) を行い、あまりの無謀さで世界を震撼させました。特に、広島・長崎の被爆者たちにとっては、到底許せる発言ではなく、何とか核の使用を阻止させなくてはならないと全力の活動を続けています。

貴職御存じの通り、核を使用するという脅しをかけることは、明確に国際法違反です。1996年の国際司法裁判所の勧告的意見、国際法として効力を持つ核兵器禁止条約は核による脅迫を禁止しています。

さらには1月3日の、「核戦争を防ぎ軍拡競争を避けることについての核保有5か国首脳による共同声明」では、わざわざ「5か国は、それぞれの国の保有する核兵器が相手国に対して、また他のどの国に対しても向けられていないことを再確認した」とまで言っているのですから、5か国首脳の一人であるプーチン大統領ならびにロシアは自らの言葉を守らなくてはなりません。

中国は、核を保有して以来「核兵器の先制不使用」を宣言していますので、少し立場は違いますが、それでもこれらの国々は、ロシアに対して「国際法違反」であるとか「共同声明違反」であるとの批判はしていません。それは、どの核保有国も核抑止論に基づく核の使用や核による脅迫を前提にした対外政策を取り続けてきたからです。

その典型例が、2016年のイギリス議会における当時のメイ首相の発言です。「10万人の罪のない男女や子どもの命を奪う核兵器の使用を許可する覚悟があるのか」と質問された際、メイ首相は、躊躇することもなく「Yes」と言った後で、「核抑止で重要なのは、敵に我々が核を使用する用意があると知らしめることだ」と述べています。(ニューズウィーク日本語版電子版2016年7月21日)

この発言に対しても核保有国は批判をしていないのです。

メイ首相の躊躇なき「Yes」やプーチン大統領の核脅迫の背景にあるのは、彼ら・彼女らは、実際にその言葉通りの結果が生じたとき、被害に遭う人間一人一人、そしてその一人一人を愛する家族や友人たちの痛みを感じていないことなのです。

それだけではなく我が国の中でも広島・長崎に来たことのない人たちは、ごく少数の例外を除いて、核兵器がどのような「生き地獄」を人類にもたらすのかについての認識が薄いのです。

外国からの訪問者の多くは、例えば「広島を見るまでは被爆の酷さを知らなかった。広島訪問が自分の人生を変えた」と広島訪問の意味を伝えてくれています。

しかし、プーチン大統領が、核のボタンを押すかどうかを決める前に広島に来ることは現実にはないかもしれません。となると、次善の策ではありますが、こちらから出かけて、被爆の実相を伝える必要があります。その責任を果す上で、原爆ドームのある広島一区選出の総理大臣である貴職には、他の誰にもない説得力があります。

被爆者の証言や被爆者の描いた絵、被爆直後に撮影された写真、治療を受ける被爆者の動画、破壊された町に残された多くの遺物や遺構等々、多くの資料も活用できます。

そして、77年前の1945年と今とには大きな違いのあることを認識して貰わなくてはなりません。広島や長崎の被爆直後の有様は、即時に世界に届いたのではないからです。日本国内でも被爆後7年、日本が独立した1952年になって初めて原爆についての情報が公開されたのです。

でも今はインターネットがあり、ドローンがあります。核戦争後の惨状は、今なら瞬時に、リアル・タイムで世界に伝わります。

高画質のカメラ搭載のドローンはインターネットを通じて、放射線量の高い悲惨な場所から、悶え苦しみ死に至る「生き地獄」の様子を、世界中の数十億の人たちに伝えることになります。数万人から数十万人もの被爆者たちの映像と音声が長時間にわたって流され続け、私たちはそれを精細な大画面で見続けることになります。

その結果、世界の大多数の人たちから、核兵器の即時撤廃の声が上がるはずです。「これで人類が終る」「どんな理由であっても、核兵器を使ってはいけない」「人類史上最悪の行為だ」「下手人を死刑にしろ」「核兵器はただちに廃絶しろ」等々、最大級の糾弾の声が上がるはずです。

どの国もその声を無視できるはずがありません。核兵器を廃絶しようとしない政治家は、即座にその地位を失うことになるでしょう。

それだけでは済みません。核使用後の阿鼻叫喚は録画され編集された映像として残され、それがウクライナ危機の間なら、「プーチン大統領」の仕業、「ロシア」の悪行として永遠に語り続けられます。これは「核を使わない」と宣言する上でのインセンティブの一つになり得ます。

しかし忘れてはならないのは、このシナリオでは、核使用の結果として数万、数十万もの人命が失われることです。しかもそんな大きな犠牲を払わなくても核なき世界は実現でき、核保有国首脳への烙印が押されなくても核廃絶に至る簡単な方法があるのです。

今、私たちの前にある二つの選択肢を整理しておきます。まずここで示したように、核兵器の廃絶は実現します。選択肢とは、そこに至る二つの道のどちらを取るのかというというものです。一つは、核兵器の廃絶のために数十万の人命の犠牲が必要になるという道。もう一つは、ただ一人の犠牲も生じることなく核廃絶に至る道です。答は明らかです。

今、プーチン大統領が「核兵器を使わない」と宣言し、その他の核保有国首脳も同様の宣言をすれば良いだけなのです。数十万人の犠牲は必要ないのです。

広島・長崎の被爆の実相と被爆者のメッセージを背負って、その説得ができるのは被爆地選出の岸田総理大臣をおいて他にはいないのです。ぜひモスクワへ飛んで下さい、そして安保理事会に出席して、被爆の実相を伝え、プーチン大統領そして核保有国が「核を使わない」と宣言するよう働きかけて下さい。せめて、核の先制不使用を取り付けて下さい。

敬具

 

秋葉忠利 (前広島市長)

追伸  プーチン大統領に宛てた手紙と資料の一式を同封します。

 **************************************

 

26日、広島訪問時の総理と大使の発言に注目しています。

 [2022/3/26 イライザ]

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2022年3月25日 (金)

キエフではなくキーウに ――ローマ字ではKiev ではなくKyivです――

キエフではなくキーウに

――ローマ字ではKiev ではなくKyivです――

 

毎日新聞のオンライン版319日号によると、自民党内でウクライナの首都の日本語名称を「キエフ」ではなく「キーウ」に変えるべきだとの声が強まっているそうです。

 33日に、河野太郎・党広報本部長がツイッターで、「ウクライナに侵略している国の言葉を使うのをやめてウクライナ語でキイフ(キーウと同義)と呼ぼう」と投稿したのが始まりだとのことです。

 Wikiwand によると、ウクライナで採用している公式ローマ字つづりは、「Kyiv」だそうで、外交文書などではこのつづりが使われているのだそうです。

 Wikiwandでは、実際にウクライナで「Kyiv」がどう発音されているのかも知ることができます。私の耳には「キーユ」に近い音に聞こえました。「Ukraine」の方も聞いてみましたが、「ユクレニナ」の方が近い感じでした。

 かなり長い間、ローマ字つづりは「Kiev」が使われていたようなのですが、それは元々ロシア語からのローマ字化だったということで、2014年のロシア-ウクライナ戦争後は西欧では使われなくなったとのことです。

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大辞林第三版では「Kiev」が使われています。

 固有名詞の発音は、原則その固有名詞の持ち主の意思に従うべきだと思います。人の名前なら、本人がどう発音しているのかに従うべきでしょうし、国や地名は、その国でどう発音されているのかが尊重されるべきでしょう。

 そう言った途端に頭に浮かぶのが、日本と中国の関係です。「習近平」は日本ではふつう「しゅう・きんぺい」です。でも元々の発音は、「シー・チンピン」の方がはるかに近いのです。そして、国際的な場で、「しゅう・きんぺい」と言っても誰のことなのか全く伝わりません。

 逆に、日本の固有名詞を中国で読むときには、日本での発音は無視されて、漢字の中国読みになります。例えば、「広島」は「グアン・ダァォ」です。その広島の姉妹都市の重慶ですが、日本では「じゅうけい」、中国では「チョンチン」です。漢字は「重庆」です。

 それで解決するのかと思いきや問題はもっと複雑で、在日中国人の周来友(しゅう・らいゆう)さんは、2021630日の電子版Newsweekで、中国人名を日本人の耳で聞いての発音に近いカタカナで表記された場合、そのカタカナを見ただけでは在日の中国人の多くには誰なのかが分らないということを指摘しています。詳しくは、Newsweekの記事をお読み下さい。

 ここまでくるとお手上げなので、日中の発音とその表記についての複雑な関係はどなたかに整理して頂くとして、原則として本人・本国の発音を使うという点を生かす方針は、誰にでも分り本人にも納得のできるものだと思います。それを尊重することに問題はないはずですね。

 [2022/3/25 イライザ]

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2022年3月24日 (木)

ゼレンスキー大統領の国会演説 ――被爆の実相を知らしめることが重要――

ゼレンスキー大統領の国会演説

――被爆の実相を知らしめることが重要――

 

3月23日、午後6時から、国会議員に向けてウクライナのゼレンスキー大統領がオンラインで演説を行いました。

 他国向けの演説と比べてトーンを落として、やや抽象的な印象でした。それは、日本国憲法第9条によって、日本という国が戦争に関わることができないという事実を尊重したからなのだろうというのが私の感想です。

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しかし、ウクライナの状況の酷さを訴えるために、他国への演説と同じように、これまで日本が経験してきた悲劇や被った犠牲への言及はありました。一番、長く取り上げたのは原発破壊による放射線被害でした。これは福島第二原発事故の被害に重ねることで、私たちにウクライナを身近に感じて貰いたいという意図が伝わってきました。

 また、ロシアの侵略を「ツナミ」と表現し、化学兵器の使用の可能性については「サリン」によって、私たちにより強くその危険性を訴えてもいました。

ちょっと引っかかったのは、「さらに核兵器が使われた場合の世界の反応が話題になっています」とは言ったものの、「広島・長崎」という固有名詞は出てこなかったことです。アメリカ向けの演説での「パール・ハーバー」とは対照的でした。

ここ数日、アメリカにおける「パール・ハーバー」の意味を解説してきました。それは多くのアメリカ人が長い間、「パール・ハーバー」が原爆投下を正当化していると信じてきたことです。この点を敷衍すると、「パール・ハーバー」と同じ被害を受けていると言うのであれば、その結果として自分たちが核兵器を使う権利があると主張するに等しいことになります。

 これは、現在進行中の武力紛争の当事者としては仕方のないことなのかもしれませんが、「力に対抗するには力に頼るしかない」という戦争肯定の枠組みの中での言葉です。行き着く先は核兵器の使用であり、人類の滅亡です。

そして、ゼレンスキー大統領がその矛盾に気付いているかどうかは分りませんが、同時に大切な発言をしています。それは、現在の国際機関が侵略を予防するという機能を果していないという点であり、その新しい機能が果せるような国際的なツールを作る上で、日本の果たせる役割に期待しているという言葉です。

 これも日本の平和憲法を踏まえての発言であると解釈したいのですが、そうであれば、核兵器の使用はそれが誰によって行われても許されないという結論しかありません。核兵器だけではなく、戦争否定を強く推し進める国際的な仕組みを作らなくてはなりません。そのためには、戦争の被害を、身を持って体験してきた世界の都市の連帯が有効です。都市が軍隊を持たないこともそのために役立ちます。

 歴史的にどの都市も大きな戦争被害を受けてきています。自らの被害を世界に伝え、戦争否定という共通項で未来を考える時が来ているのではないでしょうか。

 私たちが世界に伝えられること、人類の滅亡を防ぐために役立つことの一つは、やはり被爆の実相を真に迫る形で伝えることなのではないでしょうか。頭でだけではなく、全身でそのことを理解して貰うためです。

 そのためにこそ圧倒的多数の世界市民、つまり私たちがそのことを言い続け、広島出身の岸田総理に、被爆者の代弁者としての役割を果して貰うことが重要です。

 [2022/3/24 イライザ]

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2022年3月23日 (水)

「パール・ハーバー」⇒ 原爆の意味は? ――暗闇ではなく光を!――

「パール・ハーバー」⇒ 原爆の意味は?

――暗闇ではなく光を!――

 

ここ数日は、1986年に上梓した『真珠と桜』(「ヒロシマ」から見たアメリカの心) から引用しながら、アメリカ人のパール・ハーバー観を考えてきました。1960年代と1980年代を比べてもあまり変ったようには見えなかったのが、前回までのストーリーです。

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Wikiwandから

https://www.wikiwand.com/ja/%E3%83%94%E3%83%83%E3%83%84%E3%83%90%E3%83%BC%E3%82%B0

 今回は、イランアメリカ大使館人質事件後というタイミングでの、ボストンではなく、より保守的なピッツバーグでの反応です。

 その頃、 たまたま訪れたアメリカ鉄鋼業の本拠地ペンシルべニア州ピッツバーグ付近でも、反日感情がむき出しだった。レンタカーのタイヤがパンクしたことを、 ある鉄鋼関係者に話したら、「日本人の車だと思って空気を抜いたやつがいるんだろう」という答が返ってきた。その上、「ピストルで撃たれなかっただけラッキーだったな」と、冗談のつもりだろうが付け足した。別の企業経営者は私を前にして、「ジャップが、ジャップが」と言いながら拳を振り回したし、「いまダットサンに乗っているけれど、周りから冷たい目で見られている。とてもたまらないから、 この次の車は日本製以外のものにする」と打ち明けてくれた。バーテン嬢もいる。

 ラジオやテレビ、新聞や書籍でも、第二次大戦中の日本軍の残虐行為に焦点を合せたり、日本人の身体的醜さを嘲笑うようなものが増えた。1981年の127日は丁度パール・ハーバー40周年だったこともあって特にパール・ハーバーが話題になった。 たとえば「ボストン・グローブ』紙はその日、数ベージの特集を組んでいる。

 (中略)

何故、アメリカ人はこれほどパール・ハーバーにこだわり続け、事あるごとにパール・ハーバーを持ち出すのだろう。

 その問に答えてくれたのは、 私の教えた学生の一人K君である。コンピュータ科学を専攻し・現在はIBMで働いているが、線型代数、 それに実験講座「広島と長崎の体験」 の両方のクラスで優等生だった。

 「第二次大戦、 その中でもパール・ハーバーの屈辱からアメリカが立ち上り遂に勝利を収めるまでの歴史は、アメリカ200年の歴史中最も輝かしい時代であり、 それに疑義をさしはさむような 教育はなされていない。 だから、私達のように第二次大戦終了後生れた人間でも、日本のパール・ハーバー攻撃は悪の権化だと考えているし、第二次世界大戦中とその直後のアメリカの行動は、それと対照的に、一点の汚れもないと信じ込んでいる人がほとんどである」

 簡単にまとめとしまうと、アメリカの世論では、「パール・ハーバー」は核兵器使用の十分条件だということなのです。

 それを元に・アメリカ議会向けのゼレンスキー大統領演説を分析すると、今のウクライナ情勢は核兵器の使用も許容されるくらいの非常事態だというアピールだと考えられます。それを聞いて、アメリカが即座に核兵器使用の可能性も踏まえてウクライナへの支援を強めるとは思えません。でもアメリカの「パール・ハーバー」観がそこにあることも含めると、これは戦争を何とか平和的に解決したいという意思表示というよりは、力にはより大きな力で対抗すべきだという姿勢の表明のように聞こえます。

そんな生易しいことではない、ロシア軍はウクライナを侵攻し、多くの女性や子どもたちを含めた市民が殺害されている状況を世界に伝えるためには、ましてやそれを止めさせようとするなら、このくらいの言葉では不十分だという反論もあり得ると思います。

しかしながら、そんな時だからこそ私たちは、「暗闇をなくせるのは暗闇ではなく、光だ」というマーティン・ルーサー・キング牧師の言葉を思い起こすべきなのではないでしょうか。戦争を否定する憲法を持ち、核兵器が絶対悪であることを身をもって経験した被爆者たちの言葉に魂を重ねてきた私たち市民、そして日本政府が、平和的解決のために積極的な行動を取るときなのではないでしょうか。

 明日、ゼレンスキー大統領が、国会で演説をするとのことですが、その機会を捉えて、平和的解決を先導するという日本の立場を明確にして欲しいと願っているのは、私だけではないはずです。

 [2022/3/23 イライザ]

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2022年3月22日 (火)

アメリカに生き続ける「パール・ハーバー」 ――「絶対零度」かもしれません――

アメリカに生き続ける「パール・ハーバー」

――「絶対零度」かもしれません――

 

ここ数日は、アメリカ人のパール・ハーバー観について、1986年に上梓した『真珠と桜』(「ヒロシマ」から見たアメリカの心)での解説を整理してお伝えしています。今回は1959年から1960年の私自身の経験から始めていますが、1980年代、教職に就いていた時もパターンは似たり寄ったりです。

 高校時代には、地域の慈善団体等で話をすることもありました。例えば、キワネス・クラブです。

キワネス・クラブの昼食会にスピーカーとして招かれたのも同じ頃だった。30分ほど日本についての話、特に日本の高校生についての一般的な話をしたが、その後、質問が安保問題に集中した。日本についての記事はあまり載らないアメリカの新聞に丁度その頃、安保闘争が紹介され始めていたからだ。安保問題そのものより、アメリカに対して普通の日本人がどんな感情を持っているのかを一所懸命説明したつもりだが、とれ程の説得力があったのかは疑問である。そしてここでもパール・ハーバーが出てきた。

 「第二次大戦後、アメリカはパール・ハーバーさえ許し、日本に民主主義を導入し、その上、アメリカの兵隊を送って日本を守ってあげようと言っているのに、どこが不服なんだ。感謝されこそすれ、反対される理由が全く分らない」というものだった。

 再びここでも議論が打切られたのは、「17歳の少年一人を、大人が10余人寄ってたかって吊し上げるのはフェアでない」というサマーズ氏の言葉があったからだ。

 実は、アメリカ人の心の中でパール・ハーバーがどのような位置付けにあるのかを考える上で、一番ピッタリしているのは次の比喩ではないかと思います。60年間にアメリカそしてアメリカ人の意識も変ってきているとは思いますが、今回のゼリンスキー大統領演説に使われ、それが効果のあることを見るにつけ、人の心を変えるためにはいかに長い時間が掛るのかを改めて感じています。

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Wikiwandから

https://www.wikiwand.com/ja/%E7%B5%B6%E5%AF%BE%E9%9B%B6%E5%BA%A6

 

その後の印象をも含めて考えると「パール・ハーバー」は「原爆と比べられる」ような生易しいものではなく、他のすべての善悪を測る物差しに目盛られた最悪点だと言った方が正確だろう。絶対零度とは、これ以下の温度はない最低点だが、パール・ハーバーは、多くのアメリカ人にとって他国(あるいは他人) が自国(または自分) に対して取り得る絶対零度とでも言えそうだ。

 それを骨の髄まで感じたのが、198011月に起った駐イラン・アメリカ大使館での人質事件だった。

 病気療養のためアメリカに来たいという。パーレビ前国王の願いを、アメリカは「人道的見地」から聞き入れた。その報復措置としてイランは、アメリカの象徴である大使館員を人質に取るという卑劣、かつ非人道的、国際法違反の行為を取った。 こうした解釈に基いて、「真珠湾以来の国難」「第二次大戦中の日本人(正確に述べれば日系アメリカ人) と同様、 アメリカにいるイラン人(イラン系アメリカ人も含む) はすべて強制収容所にぶち込んでしまえ」はたまた「ニューク・ジ・アヤトーラ (ホメイニに原爆を使え)」といった声がアメリカ中に起ったのである。

 イラン人資産の凍結が行われ、南部の大学ではイラン人だというだけの理由で停学処分を受けた学生もいる。さすがに、日系アメリカ人ほどひどい仕打ちはされなかったが、この人質事件を通して再び、象徴として、また物事の判断を下すための物差しとしてのパール・ハーバーがより深く根を下したと言ってよいだろう。

 (中略)

 その当時、日本からタフツ大学に留学していた十九歳の女子学生と、 このことについて話し合ったことがある。

 「私にも経験がある。友達に、彼の友達――同じ年くらいの男の子ーーを紹介されたんだけれど、別れ際、・バス停でバスに乗る直前『お前たちなんであんなことやったんだ』 って言うの。何のことかと思っていたら         パール・ハーバーのことを言ってたらしいの。 『リメンバー・パール・ハーバー』って言ってバスに乗ってった。「ウッソー っていう感じだけど」

 だから・イランの人質事件の反応も、ああまたかと思ったというのである。

この項はまだ続きます。何故、アメリカ人の「パール・ハーバー」観が、変らないのかについても考察します。

[2022/3/22 イライザ]

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2022年3月21日 (月)

アメリカ人のパール・ハーバー観 ――60年前の経験を元に――

アメリカ人のパール・ハーバー観

――60年前の経験を元に――

 

アメリカ人のパール・ハーバー観について、1986年に上梓した『真珠と桜』(「ヒロシマ」から見たアメリカの心)での解説を元に整理してお伝えしています。

アメリカ人にとって、パール・ハーバーがどれほど大きな意味を持つのかについて初めて気付いたのは、アメリカ時間1959127日の朝でした。以下、『真珠と桜』からの引用です。

1959年の9月から、私はAFS 交換留学第六期生の一人として一年間をアメリカで過した。落ち着き先はシカゴ郊外のサマーズ家である。高校はエルムウッド・パーク町立高校で、最上級に組み入れてもらい、翌年の六月には卒業証書まで貰うことになった。

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エルムウッドパーク・ハイ・スクールのイヤーブックから

書き込みは友達からのサヨナラ・メッセージ

 AFSはアメリカン・フイールド・サービスの略。 ここで、 フィールドは戦場を意味する。元元は第一次大戦中、欧州の戦場を駆け巡って救急車を運転したアメリカ人ボランティアの団体である。「すべての戦争を終らせる戦争」と称された世界戦争から帰ったこれらのボランティアは、「戦争を防ぐためには異った 違った文化の間での理解、特に若い人達の間での理解を深める他に有効な方法はない」との認識に立って、学生の交換留学制度を創り出した。

第二次大戦後には新たな決意をもって、留学生として最も感受性の豊かな高校生を選ぶことになった。最近では、交換留学も日本とケニア、 インドとブラジルといった多国間のプログラムができているが、 1959年にはアメリカと他の国々という、第二次大戦後の国際情勢をそのまま反映した留学制度であった。

 アメリカ生活は楽しかった。 アメリカ人は親切な上、初めて親許を離れた身軽さで急に大人になったように感じたものだった。12月頃までには、言葉にも一応困らなくなった。そんなある日、朝出掛ける前に (注 ホスト・ファミリーの) サマーズ夫人から注意を受けた。

 「今日は何の日か知っているでしょうけれど、学校で何か言われてもいつもの通りユ ーモア精神で受け止めなさい。余りひどいことを言う人もいないでしょうけれど」

 実はそう言われても何のことだか分らなかった。夫人は台所から新聞を持ってきて私に手渡した。題字の横に赤と青の星条旗がシンポル・マークとして刷ってある『シカゴ・トリビューン』紙である。紙面にはかなり大きい活字で 「パール・ハーバー」それに 「デイ・オブ・インファミー ](汚辱の日)」と書いてあった。注意された意味は分ったものの、実感は伴わなかった。

 その日は、級友やレスリング部の仲間達がよそよそしかったような気もする。 「スニーク・アタック (卑劣な攻撃)」と 「パール・ハーバー」という言葉があちこちで聞えてきたのは確かに憶えている。 なるほど、 アメリカでは太平洋戦争の始りが重要な意味を持っていることは分った。だが、その根の深さにはまだ思いが至らなかった。

 「これは大変なことだ」と実感できたのは、春になってからである。 アメリカ史の授業もようやく現代に近づいていた頃だった。

 丁度その時間には、第二次世界大戦にアメリカがどういう経緯で参戦するに至ったかを勉強することになっていた。勿論それは日本の真珠湾攻撃から始る。私が反撥を感じたのは教科書の記述も先生の説明も日本を悪の権化として扱っていたからである。卑劣、狡猾、破廉恥、邪悪等々、可能な限りの形容詞を並べて日本を悪罵するのが目的のように感じられた。

歴史を教えていた 先生はずい分年寄に見えたが、今思うと四十代だったのではあるまいか。どことなくパートランド・ラッセル卿のような顔付をしていた。その 先生が、日本を余り好きではないなと感じたことが何回かあった。日本ではなく私個人だったのかもしれないし、両方だったのかもしれない。

真珠湾に事寄せて日本の悪口を並べた後、先生は私に何か言うことはないかと訊いた。その口調から、私には「どうだ、まいったか」と聞えて来た。「おっしゃる通り私は悪人でございます。誠に申し訳ありません」とでも言って私が平謝りに謝るのを期待しているようでもあった。

さて「何か言うことがあるか」と訊かれて反論をしたいものの、何を言うべきなのかはっきりしない。その上、感情が昻ると言いたいことさえきちんと英語で言うことは難しくなる。日本そのものを私自身に重ね合せて卑怯だ破廉恥だと指弾されれば腹の立つのは当り前だ。

結局二つの点についてしどろもどろに反論することになった。

一つはABCDラインと呼ばれた海上封鎖で、それ自身戦争行為だと認める学者がいるという点。もう一つは、モンロー宣言等で自国近くの地域については特別の権利を持つという立場をアメリカが取るのなら・同様の権利を日本にも認めるべきで、西欧諸国がそもそもアジアに進出して来る(正確には「アジアを侵略する」と書くべきだろう) のがおかしいという点である。

 これは、あくまでその当時考えたことで、今ならこれに付け加えることはもっとある。更に、一体どのような視点から「真珠湾」を考えるかによって、様々な主張が正当性を持ってくるという点についても昔よりはよく分っているつもりである。

 意の十分に伝わらないのは覚悟の上で反論を試みたものの、事態は一向に良くならなかった。先生だけでなく、クラスメートまで手を挙げて、教科書通りの説明を繰り返すのである。多勢に無勢、決定的に旗色が悪くなった。

 その時、一番後の列に座っていた。ピートが立ち上った。冬はレスリング、春は陸上と一緒の部に属しており、髪はリーゼント・スタイル。 一年中ほとんど黒い革のジャンパーを着ている。

 「君たちは「真珠湾」が卑怯だ、日本が悪魔だとか言ってるけど、今ここでやってることもフェ アじゃない。 タッド (「ただとし」とは言いにくいので友達はこう縮めて私を呼んでいた) と僕はレスリングの選手だ。でも試合はいつも一対一。二十人一緒に一人を攻撃することの方がよっぽど卑怯じゃないか」

 喋るのは苦手な彼が、何とかこんな意味のことを言ってくれた。ことによると、彼の考え方も「日本は百パーセント黒でアメリカは百パーセント白」に近かったのかもしれない。政治にはあまり関心がなく、価値観もどちらかというと保守的な彼の口からこんな意見が飛び出そうとは思ってもみなかった。嬉しかったことは確かだが、同時に少々迷惑でもあった。その時はまた、 一人で先生と級友達全員を説得できるつもりでいたからだ。

ピートの発言がきっかけになって、白熱した議論は終った。先生は宿題として、太平洋戦争について教科書の一章を読むように言い渡して、その日の授業は終りになった。

 原爆投下と終戦は授業中には取り上げられなかった。教科書の記述は「原爆によって平和が訪れ、日本本土上陸作戦が行われていれば犠牲になったはすの百万もの(だったと思う)人命が救われた」といったものだった。

アメリカでのパール・ハーバーにまつわる経験はまだまだ続きます。1980年代についてのものも次回に。

[2022/3/21 イライザ]

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2022年3月20日 (日)

パール・ハーバーと原爆・核兵器 ――ゼレンスキー大統領演説とアメリカの感情――

パール・ハーバーと原爆・核兵器

――ゼレンスキー大統領演説とアメリカの感情――

 

ウクライナのゼレンスキー大統領が316日の、日本時間夜、アメリカ議会に対してオンライン演説をしました。

その中で、アメリカ時間1941127日の日本軍による真珠湾攻撃 (略して「パール・ハーバー」) と、2001911日のアメリカに対する同時多発テロ (略して911) とを引き合いに出して、ウクライナはそれと同じ思いを3週間し続けていることを強調しました。

 ゼレンスキー大統領は、それを止めるためにはウクライナ上空を飛行禁止区域にする必要があると続けました。さらに、ウクライナに対する様々な形での支援を要請したのですが、パール・ハーバーを引き合いに出したことでアメリカ人がどのような感情を持つのかについて、日本人の多く、特に若い世代の皆さんは余り知識がないように思われますので、解説しておきたいと思います。

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実は、この点についてアメリカでの生活が長くなり、反核運動が高まったときに上梓した『真珠と桜』(1986年朝日新聞社刊)で、丁寧に説明した積りですので、そこから引用したいと思います。長くなりますので、数回に分けます。

 最近 (注・1986年から見て) の全面核戦争についての態度を「表」の部分とすると、原爆についての感情は、アメリカの「裏」 に当る。 マスコミ等によって伝わるアメリカの動きは、 いわば表の報道である。だが、そうした表面での動きとは関係なく、実は裏の部分、つまりアメリカ人の原爆観に相当する部分こそ、長期的には、アメリカの社会や政治の動きを決定しているのではないか。私にはそんな風に見える。

これは、アメリカ人の原爆観を支えている価値観を見ると、 一層はっきりする。

第二次大戦直後のアメリカ人の原爆観を研究した歴史学者マイケル・ヤべンディッティ教授は、これまで例示してきたような原爆観が形成された背後には四つの大きな理由があると言う。

 第一に、大多数のアメリカ人は原爆投下によって戦争が早く終ったと信じたこと。その結果、当時のイギリス首相チャーチル氏が推定したように125万人の連合国側の命が救われたとも信じていたこと。

第二に、真珠湾攻撃以後、アメリカの世論が統一され、何が何でもこの戦争に勝つべきであるという態度が生じたこと。そのためには、手段を選ぶ必要などないとされ、仮に連合国側と枢軸国側で同じような武器を使ったにせよ、連合国側の動機は純粋であり、従って武器の使用は正当であるという論理が受け入れられたこと。

第三に、アメリカ人の創造カ・勤勉さの結果として生れた武器に対して、アメリカ人が誇りと称賛の念を持っていたこと。ヨーロッパやイギリスの科学者や技術者の貢献があったにもかかわらず、原爆の製造がアメリカの科学技術の勝利だと考えられ、その論理的帰結として原爆が使われることにもなったということ。

第四に・真珠湾攻撃と相まって、日本人は残忍卑劣な敵であるというレッテルが張られ、それ以前からあった日本人蔑視の態度を一層硬化させたこと。事実、 ヒットラーによるユダヤ人の大虐殺がアメリカに伝えられた後でも、アメリカ人のほとんどはドイツ人以上に日本人を憎んでいたという報告もある。

さらに、被爆者がアメリカに憎悪の念を持っていないという広島・長崎発の報告からは、だから、アメリカ人の方で原爆投下の下当性について疑いを持っ必要はないのだという結論が導かれることにもなった。

その後、こうした原爆観を変え得る可能性を持った出来事は数多くあった。ジョン・ハーシー氏による『ヒロシマ』の刊行、ソ連を始めとする他国の核クラプへの参加、朝鮮戦争、キューバ危機、ベトナム戦争などである。

しかし、その後も多くのアメリカ人は第一の点を信じている。アメリカの科学・技術に対する自信は揺ぎ始めているとはいうものの歴史的な事実として、1945年の時点でアメリカが圧倒的優位にあったことは疑う余地もない。結局、第二、第四の点が問題たが、これは、パール・ハーバーに関連した態度としてまとめて考えた方が分り易い。そして、心の奥深く、アメリカ人が パール・ハーバーに対して抱いている感情は、日本人の想像あるいは願望とはずい分かけ離れているのである。

 

これからが本論なのですが、長くなりましたので次回に。

 [2022/3/20 イライザ]

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2022年3月19日 (土)

昨日の記者会見が記事・番組になりました ――SNSによるプロモーションも広がっています――

昨日の記者会見が記事・番組になりました

――SNSによるプロモーションも広がっています――

 

昨日317日の木曜日11時から12まで開かれた日本外国特派員協会での記者会見については昨日報告させて頂きました。

Img_1313

Change.orgの提供です

 嬉しいことに、会見に参加して下さったジャーナリストの皆さんの製作した記事やテレビ番組が、夕方には世界各地に広まっていました。17日夜の時点で分っているものを以下にリストします。日本語ではありませんが、覗いてみて頂ければ幸いです。

 

記者会見そのものは、こちらから御覧頂けます

また、Change.org の作って下さった、SNS用の動画も多くの皆さんに見て頂いています。例えば、YouTube5,000回以上視聴されています。

 その他、Facebook, Twitter, Instagramでも多くの皆さんにシェアして頂いています。有り難いですし、より多くの皆さんの署名でプーチン大統領、そして岸田総理が動いてくれれば、核兵器使用を阻止できます。

 「どんな理由であれ、核兵器を使ってはならない」を再度確認した上で、さらに私たちの輪を広げましょう。

 [2022/3/19 イライザ]

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2022年3月18日 (金)

外国特派員協会での記者会見 ――本質的な質問に答えることができました――

外国特派員協会での記者会見

――本質的な質問に答えることができました――

 

今日、317日の木曜日、11時から12まで、日本外国特派員協会で記者会見を開きました。参加者は、記者会見場には10名ほどの皆さんが来て下さいました。オンラインでは70名ほどだったとのことでしたので、かなりの方にメッセージが届きました。

 外国特派員協会は、昨年の東京オリンピックの際にもお世話になりました。開催期間中の86日の815分に、参加者全体で黙祷をして欲しいとIOCに要請する署名運動を取り上げてくれたのです。まだコロナの蔓延が問題でしたので、Zoomでの会見でしたが、そのときにお世話になったスタッフの皆さんにも直接お礼をすることができました。

 また今回は、Change.orgの広報担当者の方にも会場に来て頂き、何かあれば手伝って頂けるという安心感で、余裕を持って話をすることができました。また、2010年に広島市の主催で開いた「ノーベル平和賞受賞者サミット」の際に、広報の面で助けて貰い、その後もお付き合い頂いたイタリアのテレビ局の特派員にも、昨年のお礼と今年の開催意義について直接話ができて、有難い機会になりました。

Photo_20220317230801  

会見前に会見通知のパネルの前で

 会見の司会は、聖心女子大学教授のデービッド・マクニールさんでした。ジャーナリストとしても活躍されている方ですが私の紹介をして下さいました。

Fccj

 私の番になって、まずは署名運動の趣旨とこれまでの経緯を説明しました。

 それから、いくつもの質問があったのですが、マスコミが集中的に取り上げている問題が中心になりました。

 一つは、安倍元総理の「核共有」についてでした。これは、このブログの31日号で取り上げましたので、その内容を説明しました。

また、核兵器の危険性と原発が攻撃された場合の危険性との比較、そして日本の場合にはエネルギー需要の観点から危険であっても原発に頼る以外の可能性はないのではないかとの質問もありました。日本の場合、53基の原発があるのですが、確かに危険性は高く、その点だけを考えても脱原発が直ちに必要だと考えていることを述べましたが、直ちに廃炉にしてもそれで100%安全になるのではないことが問題です。そして、原発なしでもエネルギーの供給は可能であるという予測の存在することにも触れました。

 バイデン大統領にも広島に来て貰うべきかという質問には、バイデン大統領だけではなく、全ての核保有国、そしてすべての国の首脳に広島・長崎を訪問して欲しいことを強調しました。特にアメリカの場合には、オバマ大統領が来てくれたからそれて全てではなく、これから何人も大統領が広島・長崎を訪問することで、日米間の関係が良くなり世界平和にも貢献することを指摘しました。

 また、原爆投下によって日米100万もの人命が救われ戦争が早く終わったという歴史から、それが核抑止論の元にあるのではないかとの質問もありました。実は、戦争を終わらせるために原爆が必要だったというのは嘘で、終戦後広島・長崎を調べ、日本の国内状況も調査した、米国戦略爆撃調査団の結論は、アメリカ本土上陸は勿論、何もしなくても日本は11月までには降伏していたということだったという指摘をしました。

 また仮に、本土上陸をしたとしてもアメリカ側で失われたであろう人命は、6万から7万だっただろうという歴史学者の研究のあることにも言及しました。

 また、日本が欧米とは違う立場であるにもかかわらず、欧米特にアメリカに従属するような行動しか取っていないがそれで良いのか、日本独自の、例えば仲裁をするすることが必要なのではないか、という質問もありました。それには、全面的に賛成しますと、質問者に感謝しました。

 ここまで書いてきて、喋ることが如何に楽なのかを痛感しています。自分で喋ったことであるにもかかわらず、それをこうして文字にするのにはずいぶん時間が掛かっています。

 まだまだ素晴らしい質問があったのですが、後日、再現できればと思います。

 [2022/3/18 イライザ]

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2022年3月17日 (木)

沖縄から東京へ ――東京の真上を飛びました――

沖縄から東京へ

――東京の真上を飛びました――

沖縄から東京へ

――東京の真上を飛びました――

 

15日の、沖縄県記者クラブでの記者会見を済ませて、今日は東京に移動しました。そのフライトでまたまた赤毛ッと振り丸出しです。飛行機が何と、東京の真上を飛んでいるではありませんか。

Photo_20220316211801   

チョット分り難いかもしれませんので、真ん中の部分だけ拡大してみましょう。

Photo_20220316212001  

 真ん中に東京タワー、そしてすぐ右側には芝の増上寺です。東京タワーの真後ろが東京プリンスホテルですし、東京湾も近くに見えます。

 変った角度から東京を満喫しましたので、これから明日の記者会見の準備です。

 [2022/3/17 イライザ]

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2022年3月16日 (水)

沖縄での記者会見と緊急声明 ――5月21日のシンポジウムの案内もしてきました――

沖縄での記者会見と緊急声明

――5月21日のシンポジウムの案内もしてきました――

 

今日は、沖縄県の記者クラブで、521日に沖縄で開かれるシンポジウムのお知らせならびにウクライナ危機についての「緊急声明」発表のための記者会見に参加してきました。

 こちらが記者会見のメンバーです。

Photo_20220316004501   

左から、木村朗鹿児島大学名誉教授、秋葉忠利前広島市長、糸数慶子前参議院委員、アーティストの喜納昌吉さん、同じくアーティストの金城吟呼さん、石岡裕・すべての武器を楽器に事務局長です。

 この会見の様子は地元のテレビでも紹介されましたが、リンクが上手く張れません。後日、共有します。

 さらに緊急声明も発表しました。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

NPO法人 すべての武器を楽器に 緊急声明

 戦争と核のない世界へ

 

世界はいま、ウクライナで繰り広げられている戦争に大きく揺れています。

この戦争により亡くなり、また傷ついたすべての方々、家族や大切な人、家やふるさとを失ったすべて方々に心よりお悔やみとお見舞いを申し上げます。

これ以上犠牲者を増やさないため、戦争当事者のロシア・ウクライナ両国は、誠意をもって停戦協議を進め、一刻も早く戦闘を停止することを強く要望します。

またこの戦争においてロシアが核攻撃をほのめかして恫喝したことは断じて容認できるものではありません。ここに強く抗議し、決して核は使わないことを表明するよう強く求めます。

日本政府にはロシア・ウクライナ両国への仲裁と核の不使用の説得を行うよう求めます。

この戦争は、私たちの人類社会が、一つ間違えば地球規模の核戦争につながりかねない危うさを秘めていることを、改めてそして強烈なリアリティーを持って突きつけました。

残念ながら、国連をはじめ国際社会の枠組みは、開戦の阻止にも戦争の停止にも有効な手立てを発揮することができていません。

 いったん始まってしまえば、戦争も核兵器使用も止めることが極めて難しい。これこそいま私たちが直面している現実です。

人類は3000年の間に5000回の戦争をしてきたと言われています。戦争はあたかも人類の切っても切れない習性のようですらあります。しかし、私たちはいま、この習性を改める時を迎えているようです。

なぜならば、科学があまりにも進歩し、それを取り入れた兵器の破壊力がとてつもなく大きくなってしまったせいで、現代の戦争行為は人類の滅亡へと直結するようになってしまったからです。もはや侵略とか防衛とかはあまり意味を持たない言葉になってしまいました。どちらが仕掛けたにせよ、いったん戦争が始まってしまえば人類全体の滅亡の脅威がそこにあることを私たちは今、目の当たりにしているのです。

現代においては、だれが行うにせよ、戦争は人類全体の存亡に直結する危機です。答えは十分にわかっているのです。核兵器の使用はもちろん、戦争行為そのものも禁止しなければ、人類に未来はありません。

日本国憲法は、世界に先んじて、戦争を永久に放棄し、戦力を保持せず、国の交戦権を認めないことを高らかに掲げてきました。この憲法は時代を先取りし人類の向かうべき方向性を指し示しています。憲法9条は人類全体が未来へ向かう為に必要なスピリットのひな形であり、今世界が必要としているヴィジョンにほかなりません。

このスピリットを世界に広げ、世界中の国々が戦争と核を含む戦力を放棄するようにと、日本は声を上げるべきです。

日本は敗戦も占領も経験し、そして何より人類で唯一、核兵器の脅威を身をもって体験した国です。世界の誰もがそのことを知っています。私たちの言葉は、核戦争体験国の言葉としてリアリティーを持って世界に響きます。世界の良心は日本が戦争と戦力の放棄へのヴィジョンを指し示すことを求めています。またそれは、核戦争を体験した唯一の国としての責務でもあります。

昨年、国連の定める国際法として核兵器禁止条約が発効しました。常任理事国の特権を認めず、すべての国に等しく核の放棄を求めるこの条約こそは、核廃絶に向けての人類的新基準です。

残念なことに日本はまだこの条約の署名も批准もしていません。唯一の被爆国であり、また世界に先駆け戦争と戦力の放棄を憲法に謳い、それを守ってきた日本がこの条約を広げる先頭に立ち実効性を持つように世界に呼びかけることを国際社会は期待しています。

しかも現在日本の首相は広島出身であり、日本が本気で核廃絶に向けて声を上げるならば彼の声は大きな力を持って世界を動かすに違いありません。それはまた、日本が国際社会へのリーダーシップを発揮する絶好の機会ともなるでしょう。

人類はまだギリギリ破滅の淵にとどまっています。そして日本の手元にはこの状況を変えて人類を未来へと導くヴィジョンがあります。人類の救世主となる映えある役割を果たすことに、なんのためらいが必要でしょうか。

世界が戦争と核の脅威に震撼するいまこそ、日本が核兵器禁止条約へと力強い一歩を踏み出すことを期待して止みません。

その道は、戦争と核のない世界へとつながっているのです。

 

すべての武器を楽器に

すべての基地を花園に

戦争よりも祭りを

すべての人の心に花を 

 

2022年3月15日

 

NPO法人 すべての武器を楽器に

 

秋葉忠利

喜納昌吉

木村 朗

糸数慶子

金城吟呼

石岡 裕

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

そして521日のシンポジウムの御案内もしてきました。

Photo_20220316005201    

[2022/3/16 イライザ]

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2022年3月15日 (火)

広島空港で吃驚 ――沖縄で喜納昌吉さんたちとの打ち合わせです――

広島空港で吃驚

――沖縄で喜納昌吉さんたちとの打ち合わせです――

 

お知らせしたように、5月に沖縄で開かれるシンポジウムの打ち合わせと、14日の記者会見のため沖縄に来ています。その内容と記者会見の実写は明日御報告しますが、今日の報告は赤毛っと(アカゲット)の見聞録です。

 久し振りに田舎住まいから沖縄の国際通りに来て、人が多いなと思っているのですが、実はこの通りもシャッターの閉っている店が多いのです。苦労されている方々が多いことは、開いている店から客引きのスタッフが何人も通りで声掛けをしている姿からすぐ分りました。

 それもそうなのですが、沖縄に着く前、久し振りに目にした広島空港でも吃驚しました。下の写真を御覧下さい。

Photo_20220315004501   

空港のロビーに、ビジネス・レザー・ファクトリーという大変お洒落な店ができていたのです。それだけではありません。

Photo_20220315004601   

ビジネスには必須の、フリーWi-Fiステーションができていました。個人的なパソコンコーナーもあって、仕事人間にとっては素晴らしい環境です。とは言え、革製品店とWi-Fiステーションどちらで過ごす時間の方が快適かと問われると革製品店かも知れません。でも、懐具合が問題ですが。

 [2022/3/14 イライザ]

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2022年3月14日 (月)

Abolition 2000 と NoFirstUse Global ――海外の反核団体も頑張っています――

Abolition 2000 と NoFirstUse Global

――海外の反核団体も頑張っています――

 

海外の反核団体ではノーベル平和賞を受賞したICANが有名ですが、その他にも多くの団体が活発に運動を進めています。東京オリンピックの期間中、86日にオリンピックの関係者も黙祷をして下さい、という署名運動をした時にも協力してくれたのですが、今回の「核を使わせない」署名キャンペーンでも、また応援をしてくれています。

Abolition-2000  

Abolition 2000という団体のHPですが、右下の方に私たちの署名運動の紹介があります。

 Abolition 20001995年に発足した団体で、当時の雰囲気としては、2000年までに核兵器廃絶の目処を付けようという勢いで、2000以上の団体が参加して情報の交換や連携しての様々な活動を共有していました。1996年に国際司法裁判所が勧告的意見を採択するに至るまでには、Abolition 2000の貢献もありましたし、NPTの再検討会議のたびにニューヨークで開かれる大行進を組織する上でも大きな力になっています。

 ここにURLを貼り付けましたので、活動を見た上で、参加してみるのも良いかもしれません。

Nofirstuse-globa  

もう一つは、NoFirstUse Globalです。これも右下の方に、私たちの署名運動が紹介されています。

 名は体を表すという言葉通り、この団体の目的は、核兵器の先制不使用を核保有国に働きかけ実現することです。その後には、核兵器の廃絶というより大きな目標が掲げられています。こちらも、是非、HPを訪ねてみて下さい

[2022/3/14 イライザ]

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2022年3月13日 (日)

プーチン大統領と岸田総理に手紙を郵送しました ――キャンペーン動画の拡散もお願いします――

プーチン大統領と岸田総理に手紙を郵送しました

――キャンペーン動画の拡散もお願いします――

 

思った以上に時間が掛ってしまいましたが、今日プーチン大統領と岸田総理大臣宛の手紙を郵送しました。大統領には東京のロシア大使館経由で、岸田総理には国会の事務所に「「核を使わない」と、ただちに宣言して下さい」キャンペーンの趣旨とキャンペーンの最初のページの写真を送りました。また、The Mainichiに英文で掲載して貰った、趣旨説明のより詳しい解説も同封しました。

Photo_20220313165701  

プーチン大統領への手紙

 Photo_20220313165801

岸田総理への手紙

 Photo_20220313165802

キャンペーンの冒頭部分

 プーチン、岸田両氏に届くことを期待していますが、特に岸田総理は総裁選の際に、「私は人の話を聞くことが信頼の原点だと思っている。『聞く力』は誰よりも優れている」と強調したくらいですから、私からの書簡は必ず読んで貰えるものと確信していますし、被爆者を代弁する総理大臣としてプーチン大統領の説得について真剣に検討して貰えるものと思っています。

 これからの予定ですが、毎日、一つの核保有国の首脳に要請書を送る積りです。在京の大使館宛に今回と同じようなパケッジを郵送する計画です。

 この署名運動をさらに広げるためにChange.orgが撮影・編集して製作してくれた動画もぜひ、続けて拡散して下さい。URLを再度貼り付けておきます。

 

Youtube

https://youtu.be/CClJ1EWWWx8

 

Facebook

https://fb.watch/bI6-ffjggA/

 

Twitter

https://twitter.com/change_jp/status/1502571471327084546

 

Instagram

https://www.instagram.com/p/Ca_4a5kAsVf/

 

また、キャンペーンの進捗状況をChange.orgのサイトで更新できるのは、一日一回です。こちらのブログではそれ以上早い時間でアップデートすることにしたいと考えていますので、キャンペーンのサイトと同時に、こちらも注目し続けて下さい。

 [2022/3/13 イライザ]

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2022年3月12日 (土)

「核兵器を使わない」と宣言して下さい! ――Change.org 署名キャンペーンの動画が公開されました――

「核兵器を使わない」と宣言して下さい!

――Change.org 署名キャンペーンの動画が公開されました――

 

ウクライナへロシア軍が侵攻してからほぼ毎日、このブログではプーチン大統領が核兵器を使わないよう、私たちの力を合わせようという趣旨の論陣を張ってきました

Photo_20220312201201  

抗議文を出しChange.orgの署名運動も始めました。

そして今日は、この署名運動をさらに広げるためにChange.orgtが撮影・編集して製作してくれた動画が公表されました。次のURLから、アクセスして、できるだけ多くの皆さんに拡散して下さい。

  

Youtube

https://youtu.be/CClJ1EWWWx8

 

Facebook

https://fb.watch/bI6-ffjggA/

 

Twitter

https://twitter.com/change_jp/status/1502571471327084546

 

Instagram

https://www.instagram.com/p/Ca_4a5kAsVf/

 

また、キャンペーンの進捗状況をChange.orgのサイトで更新できるのは、一日一回です。こちらのブログではそれ以上早い時間でアップデートすることにしたいと考えていますので、キャンペーンのサイトと同時に、こちらも注目し続けて下さい。

 [2022/3/12 イライザ]

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5月に沖縄で平和シンポジウムを開きます ――核兵器禁止条約推進の都市ネットワークづくりがテーマです――

5月に沖縄で平和シンポジウムを開きます

――核兵器禁止条約推進の都市ネットワークづくりがテーマです――

 

皆さんは喜納昌吉さんを御存知ですよね。沖縄出身のアーティスト、平和活動家、そして参議院議員も務めたことのある政治家でもあります。世界一なのかアジア一なのか覚えていませんが、とにかく日本の外でもポピュラーな歌「花 すべての人の心に花を」の作詞・作曲もしています。

 「すべての武器を楽器に」というスローガンを掲げて、核なき平和な世界実現のための広範な活動でも有名です。事実、「花」は素晴らしい反戦歌でもあります。

 一番最近御一緒したのは、201939日に沖縄で開かれたシンポジウム、

 沖縄から開こう!

核なき世界の扉

人類の新たなる挑戦“核兵器禁止条約”の実現に向けて

世界最大級・核兵器拠点 OKINAWA からの提言

 でした。こちらがその時のチラシです。

2019_20220311213101   

2019年ですから、まだ核兵器禁止条約が発効していないときです。しかしながら日本政府ははっきりと反対の姿勢を打ち出していました。それに対して喜納さんは、沖縄から声を挙げよう、という積極的なメッセージで答えたのです。

 「核兵器禁止条約」は一部の国の特権を認めず、加盟するすべての国に平等に核兵器の保有や使用を禁止するという画期的なもので、 世界平和に向けての人類の新たな挑戦と言って良いでしょう。ところが残念なことに、唯一の被爆国であり、本来ならば核廃絶へ向けて世界を主導するべき立場であるはずの日本政府は、「 核兵器禁止条約」への参加を拒んでおり、いまや世界の良心の失笑を買っているありさまです。

 私たちは、 日本が当然果たすべきリーダーシップを果たさないのであれば、 過去も現在も核兵器拠点とされてきたこの沖縄が日本に代わって声を上げ、世界のすべての国が「核兵器禁止条約」 に加盟するように国際世論を高めてゆく先頭に立とうと思います。

 核兵器なき世界への扉を、沖縄から、私たちの手で開きましょう!

 自画自賛になりますが、とても濃い内容のシンポジウムで、さらに、都市のネットワークを作って日本政府に迫り、核兵器禁止条約を批准させよう、という話にもなりました。そして、ウクライナでロシアが核兵器を使うぞとの脅しまですることになった今、続編としてのシンポジウムを開いて、沖縄、広島、長崎、そして東京を結ぶ核兵器禁止条約推進のネットワークづくりに拍車を掛けようという流れになりました。

 現在という時点での核政策は沖縄抜きでは語れませんので、三年前のシンポジウムと同じく、5月に那覇市で開くことになりますが、できれば各都市ともネット会議を通じて現地からの参加も募りたいと考えています。

 詳細は来週15日に那覇市で開かれる記者会見で発表されますので再度お知らせしたいと考えています。

 [2022/3/12 イライザ]

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2022年3月11日 (金)

東日本大震災から11年 ――ウクライナや東京も視野に入れつつ考える――

東日本大震災から11年

――ウクライナや東京も視野に入れつつ考える――

 

東日本大震災から11年経った今日、亡くなられた多くの方々の御冥福をお祈り致します。また被災された方々には心からお見舞い申し上げます。

 地震と津波の被害、原発事故による被害、それらが原因になった二次や三次の被害の総体を理解した上で、復興の現状を知り、支援・応援のために何ができるのかを考えたいのですが、私の理解力、記憶力、想像力ではとても追い付きそうもありません。

 でも、二、三の問題提起ならできそうです。

ウクライナでは、チェルノブイリ原発やザポリージャ原発がロシアの手に落ち、最悪の事態になれば、大量の放射線が大気中に漏れ、福島の時と同じ被害を被ることになり兼ねません。大変心配ですし、軍隊が原発を掌握していること自体に大きな怒りを感じます。我が国の原発についても、安全性の問題を最優先すべきですが、脱原発を一刻も早く実現すべきでしょう。

 地震や津波からの復興にもまだまだ問題があるようですし、故郷を離れて生活している方々にとっては、この11年の長さは大変なものだったと思います。そして、それだけの時が経っても、元の生活を取り戻せた人がどのくらいいるのか、そして心のケアも心配です。

 コロナ禍で、東北を訪れる人たちの数も減り、それは東人本大震災についての記憶が薄れて行くことにもつながるでしょう。戦争の被害と同じように、自然災害による被害も私たちが忘れないことこそ、未来の被害を減らす上で何よりも大切です。被災遺構を保存して被害の全体像が正確に伝え続けられるようにする必要もあるのです。

 プーチン大統領が核を使うぞと脅せるのは、被爆の実相を知らないからです。それは、広島・長崎に来たことのない他の核保有国の首脳についても同じです。それと同様に、自然災害についても実際に被災地を訪ねて初めて理解できることは多いはずです。

 もう一つ、私の世代の責任として、311日だけでなく、310日も記憶し続けなくてはならない日なのです。1945年の310日は、東京大空襲で10万人の市民が亡くなった日だからです。残念なことに、今の東京には、310日の被害を思い起こさせるような遺構は残っていないのですが、唯一民営の「東京大空襲・戦災資料センター」があるのみです。本来なら東京都の責任で一次資料を未来に伝えるための資料館または博物館を建設・運営して行かなくてはならないのですが、関係者の熱意と善意の集まりがこのセンターを支えています。

After_bombing_of_tokyo_on_march_1945_194  

大空襲後の東京

Public domain

 東日本大震災について、そんな心配はないと思いますが、それでも東京都の二の轍を踏まないように、私たちが記憶し続けなくてはなりません。

 [2022/3/11 イライザ]

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2022年3月10日 (木)

「核兵器を使わせるな」運動 ――海外との連携が始まっています――

「核兵器を使わせるな」運動

――海外との連携が始まっています――

 

今日も良いお天気になりましたが、昨日撮影された動画はChange.orgのスタッフの皆さんが編集をして、来週にでもアップされることになっています。日本語だけではなく、海外版も公表されるとのことですので被爆者の皆さんや私たちの気持が世界に広がり、さらに多くの人たちも署名活動に参加してくれることになると思います。

 実は今朝から、海外との連携が始まっていることを実感しています。一つには、昔『英文毎日』と呼ばれていた、毎日新聞の英語版にこのキャンペーンについて私が少し詳しく解説した記事を掲載して貰えました。今では、『The Mainichi』という名称に代わっていて、電子版として発行されています。

The-mainichi-march-9   

https://mainichi.jp/english/

 

さらに、海外のメディア、特に核保有国のメディアにも、「核兵器を使わせるな」という被爆者や市民の強い意思を伝えるためには、日本で仕事をしている特派員の皆さんに直接訴えるのが効果的です。

 昨年の「オリンピックで黙祷を」署名キャンペーンの際も、日本外国特派員協会で、オンラインではありましたが、記者会見を開かせて頂きました。その際、記念にということで「名誉会員証」も頂きましたので、来週、まだ日程は決まっていませんが、記者会見を開きます。

Photo_20220309213201   

それ以上の海外との連携も始まっていますが、またの機会に御紹介します。

 [2022/3/10 イライザ]

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2022年3月 9日 (水)

久し振りの平和公園 ――Change.orgの動画撮影のためでした――

久し振りの平和公園

――Change.orgの動画撮影のためでした――

 

大変良いお天気になりましたが、Change.orgの撮影で、久し振りに平和公園まで出掛けました。それは、Change.orgの皆さんが、「「核兵器を使わない」と、ただちに宣言して下さい」キャンペーンの重要性をSNS等でアピールする際に使う動画の撮影のためでした。

202238  

動画の長さは2分ちょっとですので、その中で喋れることは限られています。テレビのコマーシャルのような感じで、重要なことを短くしかも分かり易く話さなくてはなりません。

 一応読み原稿を作りました。それを「読む」という感じではなく、語り掛けているような雰囲気で話そうとしたのですが、上手く行ったかどうかは見てからのお楽しみです。

 でも内容はしっかりしていたと思います。ここに採録しても良いのですが、せっかくの機会ですので、Change.orgのサイトを御覧下さい。下の方の「キャンペーンについてのお知らせ・最新状況」の中の最新の投稿として「プーチン大統領を説得するもう一つの可能性」というタイトルです。

この内容に沿って、プーチン大統領への手紙と岸田総理大臣への手紙も改訂中です。

[2022/3/9 イライザ]

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2022年3月 8日 (火)

ないものねだり ――マーク・ハットフィールド上院議員――

ないものねだり

――マーク・ハットフィールド上院議員――

 

マーク・ハットフィールド上院議員と聞いて「ああ、あの人だ」と頷く人はそれほど多くはないでしょう。でも今のような混迷の時代にこそ、彼のような政治家に活躍して欲しいと考えるのは、「ないものねだり」なのですが、その理由です。

Mark_hatfield   

public domain

彼は、1922年生まれ、2011年に亡くなっていますが、オレゴン州の知事を経て、530年共和党の上院議員を務めています。映像的な記憶力をお持ちの方には、1981年のレーガン大統領の就任宣誓の際に、レーガン大統領が手を置いたく聖書を捧げ持っていた人だと言えば思い出して頂けるかもしれません。

 それほどの共和党の重鎮だったのですが、政治的には大変リベラルな面がありました。ウイキペディアの記述を一部引用します。

ハットフィールドは平和主義者で、共和党穏健派の中でも異色の議員として知られた。敬虔なキリスト教徒であった彼は、上院での反戦活動で知られた。ハットフィールドはジョージ・マクガヴァン、ユージーン・マッカーシーらと共に議会でのベトナム反戦活動の先頭に立った。その後も、湾岸戦争に反対するなど、安全保障問題でその異色ぶりは際立っていた。加えて、核軍縮運動に熱心な議員としても知られ、1982年にはエドワード・ケネディ上院議員との共著で核凍結を訴えた。また、中国のチベット支配に反対し、ダライ・ラマ14世がオレゴン州ポートランドで演説した際の紹介役を務めた。
(https://www.wikiwand.com/ja/%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%89)

彼が、政治家になろうとの志を持ったのは、1945年の9月、海軍中尉として広島に進駐し、被爆後の広島の状況や被爆した子どもたちとの交流があったからだと話してくれたことがありました。

 1980年、広島青年会議所の主催でシアトルとワシントンで「広島・長崎原爆展」を開く際に、アメリカ側の肝いり役として、上院議員会館のラッセルビルを使うこと等ワシントンでの準備一切を仕切ってくれ、会期中もホストとして他の上院議員たちを巻き込んで支援をしてくれたのです。

 説明役として、資料館の館長だった高橋昭博さんが同行しましたが、高橋さんとハットフィールド上院議員は、それ以前から文通を通しての知り合いでした。その関係で、青年会議所の展示会をワシントンで開く道が開けたという経緯もあります。

 私は、当時アメリカに住んでいたため、通訳兼案内役として青年会議所の皆さんや高橋さんと行動を共にしたのですが、そのときにハットフィールド上院議員の話してくれたことで、とても印象的なエピソードがあります。34日に、日本の国際連盟脱退について触れましたが、国連がロシア非難の決議を採択した時にそれを思い出したのは、ハットフィールド上院議員の話があったからです。

 脱退の時に全権を務めていた松岡洋右は、アメリカで苦学した後、オレゴン州立大学に入りました。オレゴン州知事の経験があるハットフィールド上院議員によると、学生時代に松岡は大変な差別を受け、その結果としてアメリカ嫌いになっていたというのです。国際連盟の脱退も、その後の日本の運命も差別やいじめがなければ起らなかった可能性が高い。だから自分は人権や平和の問題では一歩も譲ることができない、といった内容でした。

 志を高く持ちながら保守的な政党の中でも一目置かれる存在だったハットフィールド上院議員のような政治家の出現を望むのは、やはり「ないものねだり」なのかもしれませんね。

 [2022/3/8 イライザ]

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2022年3月 7日 (月)

署名が5万を超えました ――ロシア大使館経由でプーチン大統領に書簡を届けます――

署名が5万を超えました

――ロシア大使館経由でプーチン大統領に書簡を届けます――

 

昨日開かれた、パルシステムとピースボート共催の「平和・核廃絶に向けたフォーラム」の様子が、テレビニュースで報道されていました。そのサイトを紹介しておきますので、御覧頂ければ幸いです。

35   

そして、キャンペーンですが、36日の昼過ぎに、私たちのキャンペーン「「核兵器を使わない」と、ただちに宣言して下さい」に賛同して下さる方が、5万人を超えました。皆様の御協力・御賛同心から感謝しています。

 まずは、東京のロシア大使館経由で、プーチン大統領宛の書簡を届けたいと考えています。同時に岸田総理大臣にもこのキャンベーンでの私たちの呼び掛けに応えてくれるよう、岸田事務所にも届けます。

 その後は一日一カ国ずつ、核保有国の駐日大使館にロシアと同趣旨の書簡を届けて、各国首脳に転送して貰う積りです。そうすることで、増え続ける署名の重みを核保有国の首脳に伝えられればと思います。

 [2022/3/7 イライザ]

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2022年3月 6日 (日)

平和・核廃絶に向けたフォーラムに参加 ――世代間の良い協力関係が印象的でした――

平和・核廃絶に向けたフォーラムに参加

――世代間の良い協力関係が印象的でした――

 

今日、35日の午後、パルシステムとピースボートの共催で「平和・核廃絶に向けたフォーラム」がオンラインで開かれ、私も参加しました。両団体とも長い間、核のない平和な世界実現のために地道な活動を続けてきていますが、

 パルシステムは「安全な食べ物を産地と協力して作り届けること」、「持続可能な社会を作ること」に力を入れている生協です。(パルシステム千葉のHPから)

 ピースボートについては皆さん御存知だと思いますが、平和を基調にした船旅を通して各地を巡り、旅と世界の文化を楽しみつつ友人を作り有意義な勉強のできる企画作りと実践をする団体です。

今日のフォーラムのチラシです。

Photo_20220305215901   

参加者は約300人でしたが、内容はとても充実していました。もちろんウクライナについての問題意識は高く、今すぐにでも行動したいという熱気にも溢れていました。全体像を知って頂くためには、最後に採択したフォーラム・アピールをお読み頂くのが一番なのですが、本文を入手次第アップします。

 大変勇気付けられたのは、若い世代の皆さんがとてもしっかりした活動をしていることです。それも高齢の被爆者皆さんとの連携しながら、さらには平和というテーマには余り関心のない政治家とも忍耐強く付き合いながらの説得を続けているのですから驚きです。

 近い内により詳しい紹介ができればと思っています。

 [2022/3/6 イライザ]

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2022年3月 5日 (土)

署名運動さえ難しい時代になったようです ――相手によっては、善意が悪用されるかもしれません――

署名運動さえ難しい時代になったようです

――相手によっては、善意が悪用されるかもしれません――

 

Change.org の活動を知ってから、一見平和な社会と見えるわが国にも、私が考えもしなかったような状況があり、それに負けずに、しかも自分だけではなく自分と同じ境遇にある人たちのために活動している多くの人のいることに気付かされました。

 その一例が、今日「お知らせ」が届いた「虐待から逃げた18歳。頼みの綱は生活保護です。どうか選択肢をください。」というキャンペーンです。NPO法人虐待どっとネット代表理事中村舞斗さんが発信者ですが、中村さんがかなり前に気付いたツイートがその趣旨を簡潔に伝えてくれています。

 「虐待を受けた子どもが18歳になってから親元から逃げると児相は原則取扱いできません。頼みの綱は生活保護です。でも大学生は生活保護を受けることができません。例え18歳でも。逃げたばかりでも。医療費分だけでもいいんです。生活が安定するまでだけでも。生活保護の運用がほんの少し変わって欲しい。」

 このキャンペーンの署名の宛先は後藤茂之厚労大臣ですが、大臣は中村さんたちキャンペーンを進めている人たちと会い、署名を受け取ってくれたとのことです。良かったと思いますし、署名の重みをしっかり受け止めて貰いたいと祈っています。

 しかし、私が始めた「「核兵器を使わない」と、ただちに宣言して下さい!」キャンペーンの署名の宛先は、ロシアも含む核保有国首脳と岸田総理大臣です。そしてウクライナに侵攻し核兵器を使うという脅迫で世界と対立しているプーチン大統領にも届けることになっています。

 そして、ロシアにはKGBという諜報機関がありプーチン大統領はKGBの出身です。それだけではなく、アメリカにはCIAがあり、イギリスには「007」で知られるようになったMI6があります。

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CIAのシール

 私のキャンペーンの目的は、核保有国の悪口を言うことではありません。核保有国がこれからの世界で最も合理的かつ人間的な役割を果たすための建設的提案ですので、この署名運動に賛同して下さった方々を特定して、報復するなどということは考えられません。

 とは言え、私たちには考えることもできなかったウクライナの侵攻が現実に起きている時代です。そしてインターネットでは、「ランサムウエア」が世界的な企業を脅迫し莫大な「身代金」をせしめていることも事実です。

 届ける先は駐日大使だとしても、一国を代表する場所です。善意で署名してくれた皆さんの個人情報、つまり個人名をわざわざ危険に晒して良いものでしょうか。

 同時に、これはインターネットによる署名だけには限らないことにも気付きました。街頭で署名運動をする際に、名前と住所を書いて貰うことが定番なのですが、その個人情報が宛先の団体にどう使われるのかも、これからは考えた上での運動を展開しなくてはならないのかもしれません。

 [2022/3/5 イライザ]

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2022年3月 4日 (金)

日本国民、そして日本政府の役割は益々重要です ――国際連盟脱退時と、瓜二つの状況だからです――

日本国民、そして日本政府の役割は益々重要です

――国際連盟脱退時と、瓜二つの状況だからです――

 

昨日は、英語版のできたことをお知らせしましたが、その時点で署名して下さったのは300人を少し超える方々でした。現在、33日の午後11時ですが、3万人を超える皆さんに署名して頂きました。有難う御座います。

 そして、国連でもロシアを非難し、ウクライナからの即時撤退を求める決議案が141カ国の賛成で採択されました。反対はロシアなど5カ国です。

 これは大歓迎すべき前向きの動きです。でもこの結果を知って、実は日本も同じ道を辿って来たことを思い出しました。我が国の歴史からの教訓を生かせることも重要です。

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225日の東京朝日新聞(public domain)

 

国際連盟脱退については、小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)の荒井信一氏による記述が短く分かり易いので、以下、それを掲げます。

 1933年(昭和8327日、リットン報告書の採択に反対して、日本が正式に国際連盟脱退を通告したことをいう。1931年の満州事変に際し、国際連盟はリットン調査団を現地に派遣、その報告書は3210月公表された。内容は日本に対し妥協的なものであったが、日本の軍事行動を正当と認めず、また満州国が傀儡(かいらい)国家であることを事実上認めるものであった。そのため日本側の強い反発を招き、国内でも陸軍や右翼を中心に連盟脱退論がおこり、財界の一部もこれに同調した。12月の連盟総会では日中両国の意見が激しく対立し、両国を除く十九人委員会に問題が付託された。同委員会の報告書は、リットン報告書の採択と満州国不承認を盛り込んだものであり、224日の連盟総会は44か国中42か国の賛成(日本反対、シャム棄権)でそれを採択したので、日本全権松岡洋右(ようすけ)はこれに抗議して退場した。連盟脱退により日本は孤立の道を歩むことになった。

 その後、太平洋戦争を経て、広島・長崎の原爆投下があり日本が無条件降伏する結果になりました。

 プーチン大統領に対して、日本と同じ轍を踏むなと説得できるのは私たち日本の全ての市民であり、私たちの代表である日本政府、中でも岸田総理しかいないのです。

 このメッセージもプーチン大統領に届けたいと思いますし、岸田総理の英断にも期待しています。

 [2022/3/3 イライザ]

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2022年3月 3日 (木)

「核兵器を使用しない」と、ただちに宣言して下さい! ――Change.org署名キャンペーンの英語版ができました――

「核兵器を使用しない」と、ただちに宣言して下さい!

――Change.org署名キャンペーンの英語版ができました――

 

昨日お知らせした、Change.orgの署名キャンペーンに、大変多くの皆さんの御賛同を頂き心から感謝しています。まだまだ多くの皆さんに賛同して頂くために、サイトのURLを再度、掲載します。

 ここをクリックしてサイトに行き、署名をお願いします

今日のビッグ・ニュースは、英語版ができたことです。

Changeorg   

何人かの方からも、英語版についてのお問い合わせを頂きましたので、サイトのURLです。


ロシアに核兵器を使わせないため、市民の力を益々大きくして行きましょう。

 [2022/3/3 イライザ]

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2022年3月 2日 (水)

「核兵器を使用しない」と、ただちに宣言して下さい ――Change.orgで署名キャンペーンを始めました――

「核兵器を使用しない」と、ただちに宣言して下さい

――Change.orgで署名キャンペーンを始めました――

 

ウクライナ情勢は目まぐるしく変わりつつありますが、危機的状況はまだ続いています。そしてわが国でもロシアに対する非難が益々大きくなりつつあります。同時に、広島・長崎の被爆体験を元にしたより積極的な活動ができないものかと多くの人が感じているようです。

Photo_20220301215001   

友人たちからもそのような発信があり、国際政治の場で直接発言することができなくても、Change.orgでの署名運動なら、私たち一人一人の声をまとめて大きくできると、再度、署名運動を立ち上げることにしました。

 2021年の東京オリンピック開催中に86日が訪れることから、オリンピック関係者が開催場所で一斉に黙祷を奉げてくれるように言う呼びかけを、Change.orgを通して行いました。多くの皆さんの御協力のお陰で17,000人もの方の署名を頂くことができました。心から御礼申し上げます。

 今回の署名運動は、このブログで取り上げてきた、岸田総理への呼び掛けプーチン大統領への抗議文などを元に、順序を変えた上、読み易く手を加えた積りなのですが、ぜひ、Cahnge.orgのサイトを訪れて、署名をして下さい。

ここをクリックしてサイトに行き、署名をお願いします

被爆体験を一番理解している私たちが力を合わせて、被爆体験を無視している世界のリーダーたちにメッセージを伝えなければ、被爆の実相も被爆者の叫びも伝わらないのですから。

 [2022/3/2 イライザ]

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2022年3月 1日 (火)

核兵器の共有 ――わざわざ喧嘩を売るのは何故ですか?――

核兵器の共有

――わざわざ喧嘩を売るのは何故ですか?――

 

安部元総理が、核共有の議論をすべきだという発言をし、橋本元大阪市長もそれを上回る主張をしたとの報道が、全国的に波紋を広げています。

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「核共有」または「核シェアリング」とは、日本の場合、アメリカの核兵器の提供を受けてそれを日本国土内に配備し、日本の飛行機がそれを搭載して投下するという契約を日米間で結ぶことを意味します。当然、非核三原則にも違反しますし、核の不拡散を規定しているNPT違反でもあります。また、核兵器禁止条約に違反していることは言うまでもありません。

 安部・橋本両氏の主張は、ソ連崩壊当時、ウクライナが核兵器を保持する道を選んでいたら今回のようなことは起らなかったであろうという推測と、NATOの中で、ドイツ、イタリア、ベルギー、オランダ、トルコがアメリカとの間で核共有をしているという事実が元になっています。

 以上について、大きく二点指摘しておきましょう。一つには、現在のウクライナの危機の原因の一つとして、NATOが東方に拡大しており、ロシアがそれをロシアへの脅威だと感じていることがあります。しかも、フジテレビでの番組の中で、安部元総理はプーチン大統領からそのことを何度も聞いていると自慢しています。

 だったら何故、米欧との関係も良い日本として、ロシアの持つそのような不満がさらにエスカレートすることを避けるための外交的な努力をしなかったのでしょうか。目の前で、子ども二人が険悪な関係になり今にも喧嘩をしそうな状態を見ていた三人目の子どもが、喧嘩になるのを止めずに、喧嘩になったら、大きな石を持っている方が優勢に見えたから、自分も大きな石が欲しいと言っているような図式ではありませんか。

 次に、安部元総理は、オバマ大統領が核の先制不使用政策を進めようとしたときに、強力にそれに反対して、アメリカが核の先制不使用政策を潰した張本人です。そんなことをした日本政府が、日本国内に核兵器を持つことになれば、それは、持つだけではなく、自分たちの方が先に核兵器を使うぞという意思表示にもなるのです。

 二点目は、緊張状態にある北東アジアで、今そんな主張をして何になるのでしょうかという点です。緊張を高め、日本に対する信頼も何もなくなる結果は火を見るよりも明らかです。

 まず、中国は核の先制不使用を宣言しそれを守ってきました。その中国に対して、「日本は核を持ち、先制使用も辞さない」とわざわざ言うことは、喧嘩を仕掛けていることに等しいではありませんか。

 北朝鮮にしても、アメリカとの交渉の舞台を作るために、アメリカにまで核兵器を運搬できるミサイルを開発しています。でも日本に核兵器が配備されれば、日本の核兵器を叩けば良いという口実としてそれが使われ、アメリカに核兵器を使う前に、まず日本に核兵器を使うことになり兼ねません。

 ロシアの場合はもっと深刻かもしれません。仮に北方領土が日本に還ってきたとして、アメリカと共有される核兵器が北方領土に配備されることになれば、それは大変大きなロシアへの脅威になります。にもかかわらず、北方領土の返還交渉に応ずるのでしょうか。

 と言うことで、「核共有」などという発言をすること自体、日本と日本人への敵対心を大いに煽るだけになります。直ちに撤回した上で、例えば、ロシアの核使用を絶対に阻止することに的を絞って動くべきです。岸田総理が忙しいのであれば、安部元総理が特使としてモスクワに飛び、プーチン大統領を説得するといった、日本が本来果さなくてはならない役割を最優先することを願うのは、私だけではないと思います。

 [2022/3/1 イライザ]

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