「尾木ママ」と対談しました (1) ――60年前に御縁を頂きました――
「尾木ママ」と対談しました (1)
――60年前に御縁を頂きました――
[警告] いつもの悪い癖で、「尾木ママ」との対談の内容報告までには、少し時間がかかります。色々な御縁があって今に至っていることを振り返りたいので――。
まず、何故「尾木ママ」との対談が実現したのか、1961年に遡って何人かの方々との御縁を辿りつつ、「ゆっくり」説明して行きたいと思います。
1961年は昭和36年ですが、私が大学に入学した年です。その前の年、1960年には一年のアメリカ留学から帰って、アメリカで受けたショックがまだ頭の中に生々しく残っていました。それは「広島・長崎への原爆投下は正しかった」というアメリカの考え方をアメリカ史の時間に習ったことでした。これまで何度も色々なところに書いていますが、この事態を何とかしなくてはならないと真剣に考え始めていました。
大学に早く入りたいと考えていたた理由の一つは、アルバイトができることだったのですが、経済的な理由の他に、原水爆禁止運動に関われるのではないかという期待もありました。
大学生活にも少し慣れた夏休みの少し前に、学生課の掲示板で夏にできるアルバイトを探していたのですが、願ってもないくらいピッタリの仕事がありました。7月後半から8月にかけて、原水爆禁止世界大会の同時通訳と庶務というバイトがあったのです。バイト料が他のものよりは少し良かったことも魅力でした。人数は明記されていたのかどうか覚えていませんが、多分「若干名」だったのではないかと思います。英語の試験があるというので、新橋の原水協の建物だったと思いますが、仲の良かったK君と一緒に試験を受けに行きました。
吃驚したのは、建物の周りを二周か三周するくらいの人数の学生が取り巻いて順番待ちをしていたことです。これで試験に受かるのかどうか心配になりましたが、とにかく試験は受けなくてはなりません。結果は合格だったのですが、それは完全に運が良かったからとしか言いようがありません。
例えば、ヒアリングの試験の中で、クーデターという単語が出てきたのですが、元々はフランス語です。第二外国語はフランス語を選んでいましたし、少し前に何かの雑誌でこの言葉を見たばかりだったのです。ですから、「coup d'état」は正確に書けました。
それと、こんな試験は滅茶苦茶だと思ったのですが、英語の文章を聞かされて、その場で同時通訳をしろ、という試験もあったのです。当時はようやく「同時通訳」という仕事があるらしいという知識が社会のごく一部に伝わり始めた頃で、どのようにすれば「同時通訳」になるのかも分かりません。
とは言っても、黙っている訳にも行きませんので、とにかく聞こえてきた英語を何とか日本語に直そうと懸命に頑張りました。
ここでも運が良かったのは、人に散々嫌がられていた私の性格です。今は随分良くなりましたが、人の言うことを最後まで聞かずに、途中で遮って話し始めることが良くあったのです。人の言葉を遮っても、相手の言うことは聞いていますので、そのリズムでとにかく、訳し続けたのです。
その時の試験官の一人が、福井治弘先生でした。後に私が広島市長になってから、福井先生には広島市立大学内の平和研究所の所長として色々お世話になりましたが、この頃からの御縁があったのです。
試験に合格してからは、当時既に一流の同時通訳として活躍していた福井先生をはじめ、後にTBSのニュースキャスターとして活躍した浅野輔先生、それから東京都立大学で教鞭を執っていた光延明洋先生等から、厳しくかつ温かい指導を受けることができました。
自分でも練習をしなくてはなりませんが、それには、当時は一日中流れていたFENのラジオが役立ちました。FENとは、Far East Networkで、日本に駐留していたアメリカの兵隊さんたちのための放送でした。それを聞きながら、「同時に」日本語に訳して行くことを繰り返したのですが、同じことを何度か繰り返せればもう少し効率が良くなるのではないかと考えました。そのためには、録音機が必要です。
小学校の時から秋葉原には通って、ラジオや無線機を作っていたのですが、しばらく御無沙汰をしていましたので、高校の同級生で放送部で放送機器の世話をしていたY君に一緒に行って貰って、東通工の録音機を買いました。後のソニーです。
ポピュラサイエンス日本語版 1954年1月号 旧著作権法第六条及び第五十二条により著作権保護期間が満了。
ソニーの録音機を使って同時通訳の練習をした結果、いよいよ、実際に通訳として現場で仕事をすることになりました。実は、これからが、少しは本論に近付いて行くのですが、今回はここで切りが良いようですので、以下は次回に。
[2022/2/12 イライザ]
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