三宅吉彦元副市長を偲ぶ会 ――「官僚」の鑑でした――
広島市職員として多くの市民・職員・被爆者等の人々から敬愛されていた三宅吉彦副市長が亡くなられてからもう一年ほど経ちました。未だに、それを現実として受け入れられない思いなのですが、先日、奥様とお嬢様を交えて、三宅副市長と親交の深かった元職員何人かが集って、三宅さんを偲ぶ会を催しました。
故三宅吉彦副市長
副市長退職後も、親しかった元職員数人で近況報告をし合っていたのが、中華料理店の「八八 (はちはち)」でした。先ずは生ビールを注文して、すぐ「北京ダック」になるのがお決まりでしたが、この日は「八八」にお任せして、私たちは思い出話に花を咲かせました。
当日のメンバーは、三宅さんの先輩や同期そして直属の部下として仕事をしたことのある人たちでしたので、仕事の上でのエピソードも多くありましたが、それ以上に全員が共通して忘れられないことと言えば、それは三宅さんの「ユーモアのセンス」でした。きれいに言うとそうなのですが、もっと直截に表現すれば「ダジャレ」が好きだったということです。
八八での偲ぶ会
私の経験では、「ダジャレ好き」の人は、ほとんど創造力の優れた人です。たとえば、大前研一氏がその筆頭かもしれませんが、三宅さんもそれ以上にランクできるかもしれません。その一つのエピソードをAさんが披露してくれました。
広島市はカナダのモントリオール市と姉妹都市の関係にあります。ある時モントリオール市からの訪問団を歓迎する準備をする責任者が三宅さんで、その下で実質的にすべての実務を仕切ったのが、久保氏でした。訪問団が次の日には帰国するという最後のディナーで、ホスト側の最後のスピーチは三宅さんの担当でした。モントリオールの訪問団の皆さんと、広島側の準備スタッフ両方に三宅さんが労いの言葉を掛け、最後に、締めの言葉として三宅さんが厳かに発したのが、「メルシー、クボ」だったそうなのです。広島市、モントリオール市双方からの爆笑を期待していたようなのですが、残念なことにこれを「ジョーク」だと捉えることのできた人は少なかったようです。フランス語を知っている人が少ない上に、フランス語が母国語であるモントリオールの人たちにも全く通じなかったので、御本人が落胆していたという話でした。
フランス語を御存知でない方への解説ですが、「どうもありがとうございます」をフランス語では「メルシー、ボク」と言います。「ボク (beaucoup)」とは沢山という意味ですので、英語なら「Thank you very much.」の「very much」に当ります。「ボク」をひっくり返して「メルシー、クボ」にすると、「久保さん有難う」の意味になりますし、「ボク」がひっくり返っていることに気付いて何故なのかなという疑問が生じればジョークの意味は伝わったはずなのですが--。
しかし、三宅さんの本領が発揮されたのは、仕事面での危機的状況、通常の対応では乗り越えられないような難局に直面したときだったことは全員が証言してくれました。それに加えて、彼の得意とする法規の面での仕事になると他の追随を許さなかったことも、その夜の皆さんの発言で何度も繰り返されました。
たとえば、カープの優勝にも貢献した市民球場の建設についても、直接の担当ではないのに、常に担当者を励まして無事素晴らしい球場の完成にこぎつけたこと。暴走族追放条例案の作成時には、条文の文章をぎりぎりまで詰めた結果を成案にし、後には最高裁判所に持ち込まれることになる仕事をしたこと。議会との対立で予算案が否決された時には、何十年も使われたことのない「再議」という手続きで、徹夜覚悟で予算を成立させたこと。もっと多くの案件についての思い出話があったのですが、とてもその全部を書ききれません。
議会との対立は、議会のボスと市長との対立が大きな原因だったのですが、それと並行して、行政が議会に取り込まれていたという現実もありました。そのボスが行政を懐柔するために定期的に幹部職員を集めて開いていた宴席に、幹部職員としてただ一人参加しなかったのも三宅さんでした。その理由は、憲法15条で義務付けられている「全体の奉仕者」としての市職員の立場を貫くためでした。
その三宅さんの仕事振りを市会議員として長く観察し続けてきた当時の藤田議長は、ある日私に、「三宅は命を懸けて仕事をしていますね」と心からの称賛とともに語ってくれたことがあります。
その背景には、三宅さんがガンと闘い続けながら仕事を続けてきたという事実のあることも私たち仲間は良く知っていました。ガンと宣告されてから28年間、医師のアドバイスを理解しながら、病状を客観的に分析し、その時々の選択肢を賢明に選び、生きることを最大目標としながらも冷静に病気と闘う姿は、常に私たちを感動させていました。
奥様の言葉によると、昨年の一月初めまでは体調が良好だったにもかかわらず急変し、病院では胸水が溜っていると診断されたこと、また療養が長期化する可能性があり、3月に緩和ケア病棟に移ったこと、亡くなった日も最後まで生きる意欲があったこと、でも最後には「諦めた」と書いていたこと等、最後の日の一コマ一コマを含めて、ぎりぎりまで人として生きた人生だったというお話を伺うことが出来ました。
車が好きで、暇ができると計画も立てずにお子さんたちを連れて一家で旅行に出かけたこと、長崎、黒部、高山等、ずいぶん遠くまで足を延ばしていたことも伺いました。
残念なことに、余りにも若くして幽明境を異にすることになった三宅さんですが、「官僚」の生きたお手本として「公務員」の鑑として、輝き続けて欲しかった人物です。昨今、霞が関の高級官僚たちが、政治家に取り込まれて、節を曲げ腐敗を腐敗とも感じなくなっている体たらくを見聞きするたびに、三宅さんの爪の垢でも煎じて飲ませなくては彼らの目は覚めないと思っているのは私だけではないはずです。
そんな三宅さんの「言行録」、あるいは「伝記」を三宅さんを知る仲間たちで編纂して後世に残して貰えないものか、何方かにお願いしたい気持で一杯です。その一環として、本稿をお読み下さった方で、三宅さんを御存知の方には、一言三宅さんを偲ぶコメントを頂けると有り難いのですが---。
そして、三宅さんの御冥福を心からお祈り申し上げます。
[2019/5/5 イライザ]
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メンバーに呼ばれた初日の会議で。
その日は市長より直接のご挨拶がありました。
メンバーは緊張しました。
三宅氏もいらしていたと記憶しているのですが。
まさにこの写真の笑顔でした。
「科学技術政策大綱」の策定にも
かかわってくださったのかもしれません。
彼の「笑顔」こそ
私どもが5年半、
サイエンスカフェや講座講師の原動力
であった、と思います。
今でもほそぼそと講師依頼があり、
活動再開時の原資とするべく出向いております。
「緩和ケア薬剤師」様
コメント有り難う御座いました。
三宅さんの笑顔は多くの人の心に残っているようですね。
それと、市民レベルの努力で科学や未知の領域への関心を高めることも大切です。これからも是非、頑張って下さい。
広島市の行政実験として「科学技術市民カウンセラー」
メンバーに呼ばれた初日の会議で。
その日は市長より直接のご挨拶がありました。
メンバーは緊張しました。
三宅氏もいらしていたと記憶しているのですが。
まさにこの写真の笑顔でした。
「科学技術政策大綱」の策定にも
かかわってくださったのかもしれません。
彼の「笑顔」こそ
私どもが5年半、
サイエンスカフェや講座講師の原動力
であった、と思います。
今でもほそぼそと講師依頼があり、
活動再開時の原資とするべく出向いております。
投稿: 緩和ケア薬剤師 | 2019年5月 5日 (日) 07時17分
「緩和ケア薬剤師」様
コメント有り難う御座いました。
三宅さんの笑顔は多くの人の心に残っているようですね。
それと、市民レベルの努力で科学や未知の領域への関心を高めることも大切です。これからも是非、頑張って下さい。
投稿: イライザ | 2019年5月 5日 (日) 14時32分