クリーネックス人生論 (2)
前回は、車好きの友人Y君が還暦を迎えたときに呟いた、「死ぬまでにあと何台自分の車に乗れるのだろう」から、年を取るに従って私たちの思考のパターンが変ってくることを指摘しました。
それ以上に切実なのは、年金生活になると、毎月の「入り」は決っていますし、年金が減ることはあっても増えることはまずないという過酷な現実です。その結果、年金の範囲での生活をしなくてはならない、という枠組みに縛られます。
それと同一線上の想像力が働いたのだと思いますが、花粉症で苦しんでいたときに何枚も使うクリーネックスにイライラしていました。
先ずは、箱を開けて最初に取る一枚は、いつも一枚ではなく、二枚一緒に出てくるのです。これを防ぐ方法もあるらしいのですが、試しても上手くは行きませんでした。そして暫らくは、スムーズに一枚ずつクリーネックスが出てきます。花粉が酷いときには、鼻の下がヒリヒリしてくるほどの枚数を使いますので、通常のものではなく湿り気を含んだクリーネックスに変えることもあります。
そして、箱の中に残っている枚数が少なくなると、一枚だけ取ろうとしても上手く行かず、箱も一緒に付いてきてしまいますので、両手を使わないと一枚が取れないことにもなります。そして、あと何枚残っているのかを考えながら使わないと、夜になって突然花粉対策が必要なときには、もう一枚も残っていないような状況になります。
あと何台自分の車に、という発想と同じように、一枚ずつ少なくなって行くクリーネックスの箱って、毎年、死に向かって生きて行く私たちと同じではないかと、ふとこの二つがつながりました。人間の命には限りがあるのですから、有限の量を持つどんな喩えを使っても同じような感慨を催すことになるはずですが、「塵も積もれば山になる」の逆も真であることを、クリーネックスから感じることになったのは意外でした。
若い頃には、自分の人生がやがては終ることなど、頭では分っていても現実としては、「無限」の彼方の可能性でした。年取って、それがより近い現実になったということだけなのかもしれませんが、その結果、毎日そして毎時間をより大切にしたいと思うようになったのも年を重ねてきたからなのかもしれません。
薄っぺらな人生論になりましたが、それも、考えてみるまでもなく無理のないことでした。薄い紙をモデルにした人生論なのですから--。
[2019/5/14 イライザ]
[お願い]
文章の下にある《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。
« クリーネックス人生論 (1) ――年とともに視点は変る―― | トップページ | 大野のイタリアン Miya »
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- #モンブランインク ――#奥が昔のデザイン #手前が新しいもの―― (2024.07.12)
- #眼鏡を新調しました ――#フチなしをやめて #ボストン型にしました―― (2024.07.11)
- #ダメなものはダメ ――#社会には #最低限の常識 #というものがあります―― (2024.06.12)
- #青梗菜 の #収穫 と #料理 ――#農薬を使っていませんので #虫食いです―― (2024.06.11)
- #抜き取った雑草の量はどう量るか? ――#10リットルバケツ、そして米袋です。―― (2024.06.10)
「生活」カテゴリの記事
- #内灘闘争の歴史を学ぶ ――#JR総連中国地方協議会第38回定期委員会2部―― (2024.10.06)
- #今でも便利な #ABCチェアー ―― #雑草取りにも大活躍―― (2024.05.20)
- #雨水桝 ―― #雨樋から #農業用水路まで―― (2024.04.24)
- #クレカの問題 #一瞬で解決 ―― #でもその前に #時間 と #手間が掛かりました―― (2024.04.22)
- #ベンチストッカー ―― #庭仕事用道具類の #格納場所ができました―― (2024.04.16)
「高齢者」カテゴリの記事
- #安保法制違憲訴訟の会 #Zoomミーティング で #心に響いた #言葉 ―― #記憶 #加害 #謝罪 ―― (2024.04.30)
- #クレカの問題 #一瞬で解決 ―― #でもその前に #時間 と #手間が掛かりました―― (2024.04.22)
- #かづゑさん の #親友 ―― #愛読書の #ベスト7 は―― (2024.04.18)
- #愛用の万年筆 を #修理に出します ―― #半世紀以上使っています―― (2024.03.24)
- #老婆心ながら は #使いにくい #日本語です ――それって #Sexism?―― (2024.03.23)
コメント