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2019年5月24日 (金)

クリーネックス人生論 (2)

前回は、車好きの友人Y君が還暦を迎えたときに呟いた、「死ぬまでにあと何台自分の車に乗れるのだろう」から、年を取るに従って私たちの思考のパターンが変ってくることを指摘しました。

それ以上に切実なのは、年金生活になると、毎月の「入り」は決っていますし、年金が減ることはあっても増えることはまずないという過酷な現実です。その結果、年金の範囲での生活をしなくてはならない、という枠組みに縛られます。

それと同一線上の想像力が働いたのだと思いますが、花粉症で苦しんでいたときに何枚も使うクリーネックスにイライラしていました。

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先ずは、箱を開けて最初に取る一枚は、いつも一枚ではなく、二枚一緒に出てくるのです。これを防ぐ方法もあるらしいのですが、試しても上手くは行きませんでした。そして暫らくは、スムーズに一枚ずつクリーネックスが出てきます。花粉が酷いときには、鼻の下がヒリヒリしてくるほどの枚数を使いますので、通常のものではなく湿り気を含んだクリーネックスに変えることもあります。

そして、箱の中に残っている枚数が少なくなると、一枚だけ取ろうとしても上手く行かず、箱も一緒に付いてきてしまいますので、両手を使わないと一枚が取れないことにもなります。そして、あと何枚残っているのかを考えながら使わないと、夜になって突然花粉対策が必要なときには、もう一枚も残っていないような状況になります。

あと何台自分の車に、という発想と同じように、一枚ずつ少なくなって行くクリーネックスの箱って、毎年、死に向かって生きて行く私たちと同じではないかと、ふとこの二つがつながりました。人間の命には限りがあるのですから、有限の量を持つどんな喩えを使っても同じような感慨を催すことになるはずですが、「塵も積もれば山になる」の逆も真であることを、クリーネックスから感じることになったのは意外でした。

若い頃には、自分の人生がやがては終ることなど、頭では分っていても現実としては、「無限」の彼方の可能性でした。年取って、それがより近い現実になったということだけなのかもしれませんが、その結果、毎日そして毎時間をより大切にしたいと思うようになったのも年を重ねてきたからなのかもしれません。

薄っぺらな人生論になりましたが、それも、考えてみるまでもなく無理のないことでした。薄い紙をモデルにした人生論なのですから--。

 [2019/5/14 イライザ]

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