無抵抗降伏論 ――豪雨災害からの教訓 (10)――
無抵抗降伏論
――豪雨災害からの教訓 (10)――
前回は、「非武装中立論」で今回は「無抵抗降伏論」と段々過激になってきていますし、「豪雨災害からの教訓」とは懸け離れて来ている感もありますが、もう少しで本論に戻りますので、お付き合い下さい。それに、今回取り上げる森嶋通夫著の『日本の選択』は痛快な一書ですので、溽暑の昨今、清涼剤としてもお勧めします。
切れ味の良い主張の主、森嶋通夫氏は、1923年に生まれ、2004年に亡くなりましたが、晩年は1988年の定年まで、世界的に有名なロンドン・スクール・オブ・エコノミクス (LSEと略されることが多い) の教授として「レオン・ワルラス、カール・マルクス、デヴィッド・リカード等の理論の動学的定式化に業績を残している」のですが、世俗的にはノーベル経済学賞の候補として何度も名前が挙っていたことでも知られています。
Wikipediaから
『日本の選択』は、森嶋氏がロンドンから東京に帰る日航機の中で1978年9月に読んだ関嘉彦氏 (早大客員教授) のエッセイを読んでショックを受け、その反論として翌1979年に北海道新聞に書いた反論が元になっています。
それに対する関氏の再反論、さらには、この論争に加わった猪木正道、福田恆存氏とのやり取りも採録されています。森嶋氏の立派なところは、自らの主張に批判的な関、猪木、福田という三氏の言い分もきちんと取り上げて、真正面からの論争にしていることです。ラベル張りもされていますし、福田氏からは「大嘘つき」とまで言われながら相手が逃げられないようなリングに引っ張り出した上で、胸の空くような論破をしています。その力量とフェアな態度には、ただただ感心するばかりです。
その一端を「はしがき」から御紹介しましょう。
本書は私の国家論である。国家は防衛しなければならないが、核兵器の時代には、国家を武力で防衛すれば、たとえ国家は守れても、その国民は壊滅し、したがって国家も死滅するという形でしか守られない。このような問題に対する私自身の考えを、私は1979年に発表し、それを殆んどそのままの形で、本書第一部に収録した。それは冷戦中の作だが、冷戦がほぼ解消した現在でも私の考えは変っていない。
第二部は第一部の補論である。防衛論の論争相手は主として関嘉彦、猪木正道と福田恆存であったが、福田氏との論争は、私にとって最も楽しいものであった。第二部では、これら三氏に対する私の主張を、新たにかなり拡充、補強している。
第三部は、どのように国家は変化するかを考える。私の動学的国家論である。私は五十年前の敗戦により、日本の天皇制という国体は崩壊したと考える。したがって、結果論的には私たちは、天皇制を崩壊させるために戦っていたことになる。戦争に動員させられた若者の一人として、なぜあんな戦争をしたかを、私は長年にわたってしつこく追求してきた。第1章はその結論である。
戦後、平等教育が行われるようになったが、現実の社会が分業社会であるのに、平等に教育された男女を、社会に注入すれば、一方では苛烈な競争と、その結果である敗者の失業をひきおこす。同時に、他方では誰もが働きたがらない3K産業問題が生じる。平等教育を受けた子供は自己主義者として育つが、このような子供が会社という集団に属せば、集団は会社自己主義を主張し、このような日本の会社は、第2章で見るように、国際社会においては、国家自己主義者として行動する。
しかし巨大技術や先端技術の時代になると、これらの技術を駆使するには、国際協力が不可欠だし、これらの技術の効果も、多くの国でわかち合わねばならない。こうして国家自己主義は成立しなくなり、民族国家としての日本は、将来アジア経済共同体の中に発展的解消をすると私は考える。それまでに日本は国家自己主義を克服し、普遍的な思考が出来るようになっていなければならない。さもなくばアジア共同体の中で、日本の活躍は非常に限定される。このことを明らかにするのが、第3章の「国家変遷の唯物史観」である。
勝者も敗者も、私たちの世代のものは戦死した友人を何人かもっている。われわれは全員同じ思いで戦ったわけでないが、本書を書き上げて、国家問題に対する自分の考えを明らかにしたことにより、私は、死んだ彼らに対する「生き残った者の負い目」の幾分かを償えたような気がする。謹しんでご冥福を祈る。
続く第一部と第二部で森嶋氏が展開する「国防論」は、関氏が「ハードウェア」つまり、軍備を主軸に論じているのに対して、「ソフトウェア」つまり非軍事の外交、経済、文化、そして明示的には示していませんが、災害救助等を中心にした国防論です。
さらに、自分の主張通りのシナリオにならなかった場合、つまり「最悪のシナリオ」ではどう対処すべきなのかという点を、議論の大切な一部として取り上げていることからも説得力が抜群に増しています。
少しセンセーショナルに、森嶋氏の「Worst Case Scenario」をまとめると、もしソ連軍が日本に攻め入って来たら、毅然とそして冷静に降伏して被害を最小限にした上で、ソ連の占領下でも日本社会の強みを生かした、許容範囲の社会を作るということです。もしそうしなければ失われるであろう数十万から数百万の生命を考え、国土の荒廃や財産の逸失を考えると、より損失の少ない選択肢を選ぶべきだ、という結論です。
詳細に森嶋構想を説明するのは次回に回します。そして論争の出発点である関氏のエッセイ(サンケイ新聞の「正論」という欄のタイトルは、「"有事”の対応は当然」) に対する反論も見事ですので、それにも触れたいと思います。
[2018/7/18 イライザ]
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コメント
ネトウヨがやたら使う論破という言葉は好きではない。和解や合意を考えるとき相応しくないし事実については共通認識を持った上で考え方の違いには賛同できなくても理解は示したい。
その上で申し上げたいのは生物においては短い個の命より長く続く種(群れ)の命を優先するということは良くあることで、ドイツに限らずアメリカなども皆殺しを行ってきた国だから彼らと対峙する時、個人より国を優先することは考え方の一つだと思う。開戦前の御前会議でどちらにしても地獄になるが生き残る日本国民のために戦いを選ぶというのは当時の状況では理解できる。
「武田」様
コメント有り難う御座いました。
誰がどのような状況でドイツやアメリカと「対峙」するのかが良く分りませんが、「地獄」と言っても誰に取っての「地獄」なのか、それがどの程度なのか等、もう少し前提を整理しないと話が通じないように思います。
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ネトウヨがやたら使う論破という言葉は好きではない。和解や合意を考えるとき相応しくないし事実については共通認識を持った上で考え方の違いには賛同できなくても理解は示したい。
その上で申し上げたいのは生物においては短い個の命より長く続く種(群れ)の命を優先するということは良くあることで、ドイツに限らずアメリカなども皆殺しを行ってきた国だから彼らと対峙する時、個人より国を優先することは考え方の一つだと思う。開戦前の御前会議でどちらにしても地獄になるが生き残る日本国民のために戦いを選ぶというのは当時の状況では理解できる。
投稿: 武田 | 2018年7月19日 (木) 14時25分
「武田」様
コメント有り難う御座いました。
誰がどのような状況でドイツやアメリカと「対峙」するのかが良く分りませんが、「地獄」と言っても誰に取っての「地獄」なのか、それがどの程度なのか等、もう少し前提を整理しないと話が通じないように思います。
投稿: イライザ | 2018年7月19日 (木) 22時15分