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2018年6月29日 (金)

「平和公園に新しい慰霊碑や記念碑は建設できません」-なぜ?

「平和公園に新しい慰霊碑や記念碑は建設できません」-なぜ?

 

「平和公園に新しい慰霊碑や危険日は建設できません」常識だと思われていることがらです。ところが最近「かき船問題」に関わって、その根拠は何なんだろうと思い、広島市に情報公開請求に基づいて資料を請求しました。公開された資料を見て、意外に事実に突き当たりました。

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その根拠を尋ねると、多くの人から「1967年に出された広島市平和祈念施設運営協議会の答申でしょ」という答えが簡単に返ってきます。私の情報公開請求で開示された資料は、A4,3枚の資料でした。

資料にはこう記載されていました。1枚目は、昭和42年9月16日付で、広島資料館館長から公園緑地課長に宛てて出されたものです。その文章は簡単です。表題は「広島市平和記念施設運営協議会の答申について」となっており、記された文章は、短いですから全文記載します。「先に諮問された『平和の時計塔』設置の件について、会長から別紙のとおり答申があったので送付します。」と書かれています。問題は、添付されている広島市平和記念施設運営協議会会長名で出された答申の中味です。答申部分でには、最初に趣旨として「諮問された時計塔の設置が許可」され、その理由として「原爆ドームは、無言のうちに戦争の悲惨さを訴へ(原文のまま)ているのとは対照的に時計塔は毎日午前8時15分に世界の恒久平和を願う広島市民の祈りを込めた鐘が鳴り響き平和公園のシンボルとして建設いたしたい。」と付記されています。そして、この建設に関わる「意見」が2項目記載されています。

その次の「確認事項」と題して「平和公園内に記念碑、慰霊碑などが多くなったため、この時計塔を最後として公園内には一切工作物を許可しないことを申し合わせた。」ということが記載されています。

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どうも、この「確認事項」が、その後の「平和公園に新しい慰霊碑や記念碑は建設できません」という広島市の根拠になっているようです。

この文書を見て私は不思議に思い、広島市の担当者に「これ以外には、関係する文書はありませんか」と何度も念押しをしました。担当者の方も一生懸命に古い文書を探していただいたようですが、結論は「この文書以外に関連するものはありません」ということでした。

多くの人から「どこに疑問があるのですか」と逆に質されそうです。しかし、当時の広島市平和記念施設運営協議会の答申に書かれているのは、あくまでも同運営協議会の「確認事項」にすぎません。当然のことですが、この運営協議会は、既に存在しませんから、この「運営協議会の確認事項」は、今や何の役割も果たしていないのは当然です。この文書が「平和公園に新しい慰霊碑や記念碑は建設できません」という根拠になっているとしたらあまりにも杜撰すぎると思うのは、私の思い過ごしでしょうか。ひょっとすると「市長の記者会見が行われたのでは」と思い、中国新聞発行の「年表ヒロシマ」で探してみたのですが、そこでもそれに関するものを見つけることはできませんでした。

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もちろん広島市が定めた公園・緑地への「彫像・記念碑などの設置許可基準要綱」にも「平和公園に新しい慰霊碑や記念碑は建設できません」ということは一言も書かれていません。

私は、なにも「平和公園に新たな慰霊碑や記念碑を建設させろ」と言っているのではありませんが、例えば「韓国人原爆犠牲者慰霊碑」を平和公園内に移設するのに、関係者の方がどれだけ苦労されたのかを思い起こすとき、こんな杜撰(というより根拠なし)な根拠によって阻害されていたのかと思うと、何とも言えない気持ちになります。

もし、もっと詳しい情報や根拠をご存知でしたら、ぜひご教授ください。


(2018.6.29 いのちとうとし)

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コメント

韓国の慰霊碑が平和公園内に移転できなかった理由は、この根拠でなく、広島市は「場所が無い」と答えていたと思います。
たしか、中国新聞にも記事とし載っていたと思います。
この答えの記事を読んで、私は、「将棋をする場所はあるのに、たった2㎡足らずの土地もないなんて、明らかな差別だと」感じたことを覚えてます。
それに何十年も前の答申書であり、市議会で承認されていないものに、法的な拘束力があるのでしょうか。
また、当時は色々な団体が申し込むのを拒否するための答申ではなかったではないでしょうか。韓国の慰霊碑を平和公園内に設置させないためもあっのではとも思います。
それと、この答申書が生きていたとして、どうして平和公園内に国立の施設が建設できたのでしょうか。
原爆ドームを保存する条例?ができたのも30年間くらい前ですし。

「やんじ」さま コメントありがとうございます。
貴重なご指摘、感謝します。今回は、「委員会の申し合わせ」にしかすぎないものが、根拠になっていることを考えてみたかったのです。その後に条例改正も、市長の記者会見も市議会での議論も何もないままに今まで来ているのですから。
韓国人原爆犠牲者慰霊碑の移設の経過については、ご指摘をいただいたことも踏まえ、改めてきちんと調べてみたいと思います。

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