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2018年4月20日 (金)

 日本は「無法地帯」になってしまったのか? ――今起きていることをしっかり確認する――

 

日本は「無法地帯」になってしまったのか?

――今起きていることをしっかり確認する――

 

今回から、日本社会が抱えている問題について何回かに分けて考えたいと思っていますが、その根底にあるのは、次のマーティン・ニーメラーの詩が伝えたかった危機感です。

 

ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった
私は共産主義者ではなかったから

社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった
私は社会民主主義ではなかったから

彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった
私は労働組合員ではなかったから

そして、彼らが私を攻撃したとき
私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった

 

今回の一連の出来事については、まとめるまでもなく皆さん良く御存じだと思いますが、来年、再来年になって改めて読む機会が訪れるかもしれません。その際に、他を参照しなくても、一応の復習になるよう、簡単にまとめておきたいと思います。

 

『週刊新潮』が報道した女性記者 (A記者と呼びましょう) に対するセクハラの内容について、財務省ならびに福田淳一事務次官(以下F氏と略します) は事実無根だと主張し、新潮社を提訴するとまで明言しましたが、その後、F氏は一転して辞任しました。しかしながら、セクハラ発言はなかったとの主張は変えていません。

  

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公表された録音テープの声が、F氏のものであることは声紋の照合から確認されています。また、この録音テープが何カ所での声を継ぎ接ぎしたものであることも問題視されていますが、一年半にわたってのセクハラを録音したもの全てが一つにつながっているはずはありませんし、前後の関係のない部分まで聞かされても時間の無駄ですから、継ぎ接ぎしてあるのは当然でしょう。

 

真夜中に記者会見してこの女性記者が自社の職員であること等を公表したテレビ朝日の抱える問題も大きく、そこを出発点に、複数回、テレ朝だけではなく、マスコミの無責任さについて問題提起をしたいと思います。(遅まきながらA記者を守る姿勢を示したテレ朝は、他社よりは評価されるべきなのかもしれません。)


しかし、本丸が権力を握ってそれを私物化している政治家、官僚等であることは勿論です。その点も忘れずに考えて行きたいと思います。

 

まず一年半もの間、セクハラを受けていたA記者は、当然、上司に相談していたはずですが、『週刊新潮』にコンタクトする直前には、上司が彼女の言い分を聞かないほど、テレビ朝日社内のコンプライアンス違反は明確です。

 

法律的にも、整備はされています。例えば、男女雇用機会均等法等の法律を具体的に活用するための指針等も厚生労働省が公表していますし、その遵守をすることは法的義務です。一例を挙げれば、「事業主が職場における性的な言動に起因する問題に関して雇用管理上講ずべき措置についての指針」は、平成 28 年8月2日厚生労働省告示第 314 号として改正されたものが事業主には届いています。

 

この中でセクハラの定義もなされていますし、特に、「相談」については、「相談窓口」を作って、必要があれば外部機関への紹介も含めて対応することが定められています。さらに、セクハラが起きたのは、テレ朝の敷地内ではないでしょうが、職員が職務を行う場所であれば、またセクハラをした人間が職務として関わる必要のある立場の人であれば、それも対象にされることも明記されています。このような義務は、当然、財務省側にも課されています。

 

さらに、どのように「相談」を扱うのかについても、7ページ中の4ページにわたって詳細に説明されていますし、「適切」「迅速」「正確」等の要件も強調されていますし、被害者が二次被害を受けないようにすることもこの中で強調されています。「適切」の中には、法律違反が行われていれば、司直に通風する義務も含まれます。

 

詳しい具体的な指針ですのでこの通りの対応をする上での疑問はないはずです。テレ朝がこの指針通りに、最初の「相談」を受けていれば、A記者も少しは救われたと思います。こう書いている前提として、A記者が、今年4月という時点になって初めて相談をしたのではなく、随分前から相談をしていたとの仮定を設けています。でも、実際には、相談しようにも相談できずについ最近になって決心したという可能性ももちろんあります。

 

そうだとすると、その理由が何なのか考えなくてはなりませんが、かなり長くなってしまいましたので、その点について、また日本社会を覆っている深く淀んだ霧については、稿を改めます。

  

[2018/4/19イライザ]

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コメント

いつも不思議に思うのは、安倍首相の「福島は完全にコントロールできている」を筆頭に、今回の一連の問題についても、どうしてあれほど堂々と嘘がつける人達がトップに上り詰めているのかということです。

以前、読んだ社会科学の論文で、10年毎の道徳観・倫理観の調査の結果、社会全体では変化しているが、ある年代だけでみると、今の50代も30年前の20代も殆ど変わっていない、成人してから現役世代の間に道徳観・倫理観を変えられる人は僅かであり、社会の変化は人口の構成が変わる変化でしかない、というものがありました。

つまり、こうしたモラルの問題は、組織の変化を求めるためには、人を入れ替えないとダメだということではないかと思うわけで、先の公務員の採用などもそうですが、東大などの入試も三分の一は従来の試験、三分の一は面接のみ、三分の一はくじ引き、とか異なる基準で多様な人を選ぶことも必要ではないかと思ったりもします。

問題なのは法律を守るということを含めて社会倫理の変化に対してエライ人ほどズレているということではないかと思います。エライ人達は成功体験しかなく変わる必要を感じないのも当たり前でエライ人の集まる組織はまさに財務省のようになるのでしょう。ゴミを分別してもゴミはゴミですから財務省の3分の2は女性と障害者と生活保護受給者くらいで占めるのが良いかも知れません。

「工場長」様

コメント有り難う御座いました。

「平気で嘘のつける」人だから権力を手にすることができるのか、権力の座に着くと「平気で嘘がつける」ようになるのか、という問も意味があるのでしょうか。これも、結局は同じことの両面かもしれませんし。

東大の入試改革は名案だと思います。

理想としてはどんな集団でも、「多様性」が尊重されることのような気がします。「集団」は二人から始まりますが、その二人の間でも、多様性の尊重は難しいのですから、大きな集団ではなお困難なのだろうと思います。それを乗り越えて、多様性確保のシステム作りのための知恵ですね。

「トット」様

コメント有り難う御座いました。

「ゴミを分別してもゴミはゴミ」は今の状況をピッタリ言い当てている表現ですね。

御提案のような、「多様性」確保のためのアイデアをどんどん出して行きましょう。改革につながる可能性もありますし、代替案を通して、今、何が起きているのかの本質がストンと胸に落ちることも大切です。

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「トット」様

コメント有り難う御座いました。

「ゴミを分別してもゴミはゴミ」は今の状況をピッタリ言い当てている表現ですね。

御提案のような、「多様性」確保のためのアイデアをどんどん出して行きましょう。改革につながる可能性もありますし、代替案を通して、今、何が起きているのかの本質がストンと胸に落ちることも大切です。

「工場長」様

コメント有り難う御座いました。

「平気で嘘のつける」人だから権力を手にすることができるのか、権力の座に着くと「平気で嘘がつける」ようになるのか、という問も意味があるのでしょうか。これも、結局は同じことの両面かもしれませんし。

東大の入試改革は名案だと思います。

理想としてはどんな集団でも、「多様性」が尊重されることのような気がします。「集団」は二人から始まりますが、その二人の間でも、多様性の尊重は難しいのですから、大きな集団ではなお困難なのだろうと思います。それを乗り越えて、多様性確保のシステム作りのための知恵ですね。

問題なのは法律を守るということを含めて社会倫理の変化に対してエライ人ほどズレているということではないかと思います。エライ人達は成功体験しかなく変わる必要を感じないのも当たり前でエライ人の集まる組織はまさに財務省のようになるのでしょう。ゴミを分別してもゴミはゴミですから財務省の3分の2は女性と障害者と生活保護受給者くらいで占めるのが良いかも知れません。

いつも不思議に思うのは、安倍首相の「福島は完全にコントロールできている」を筆頭に、今回の一連の問題についても、どうしてあれほど堂々と嘘がつける人達がトップに上り詰めているのかということです。

以前、読んだ社会科学の論文で、10年毎の道徳観・倫理観の調査の結果、社会全体では変化しているが、ある年代だけでみると、今の50代も30年前の20代も殆ど変わっていない、成人してから現役世代の間に道徳観・倫理観を変えられる人は僅かであり、社会の変化は人口の構成が変わる変化でしかない、というものがありました。

つまり、こうしたモラルの問題は、組織の変化を求めるためには、人を入れ替えないとダメだということではないかと思うわけで、先の公務員の採用などもそうですが、東大などの入試も三分の一は従来の試験、三分の一は面接のみ、三分の一はくじ引き、とか異なる基準で多様な人を選ぶことも必要ではないかと思ったりもします。

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